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  [No.121] 『連載』スタンドアップキャンパス! 投稿者:リナ   投稿日:2010/12/13(Mon) 14:00:41   60clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 はじめまして。お初にお目にかかります、リナです。
 
 じつはかなり前からここ見てました。「ポケモンにこんな楽しみ方があるのか!」と感嘆したのを覚えてます。
 
 まあそんなこんなで自分も書いてみたくなったわけです笑

 舞台はミオシティ。小樽について色々調べてみました。良い街ですね。

 完結できるかわかりませんが、よろしくお願いします!

 あと、「タグ」に関しては良く分からないんですが、なんでもコメントして下さって結構ですので。


  [No.122] 【第一話】 投稿者:リナ   投稿日:2010/12/13(Mon) 14:10:52   64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



 「変わってるね」と言われるのが、昔から嫌いじゃなかった。
 むしろ僕にとって「変わってるね」は、例えば野球少年がコーチに「おまえには素質がある」と言われるのがこの上なく自身に繋がるように、自分のアイデンティティ(と言うと大げさかな)が実感できる言葉なのだ。
 「変な奴」と思われるかもしれないが、そう、変な奴なのだ。そう思って下さるとは光栄です。是非機会があれば、ポケモンバトルでも。
 
 そういう性格なものだから、今目の前に座っている、あどけないほほ笑みを浮かべた、黒髪が良く似合う女の子に「変わってますね」と連発され、とってもいい気分になっているのだ。いつも以上にビールも進んでしまう。明日の講義の事など頭の片隅にも置いていない。
 
 ミオシティの運河沿い。地ビールが飲み放題というのが自慢のこの居酒屋の一角で、僕たちは大いに騒いでいた。
 いわゆる「合コン」というイベントである。
 
 今時の大学生は「草食系」が多いのだそうだが、古き良き慣習である「合コン」はこの街でも毎日のようにどこかで繰り広げられている。実態は意外と「肉食系」が多いのかもしれない。
 いや、むしろ「草食系」の時代だからこそ、こういう一定の形式があるイベントはとっつきやすく、ある程度なら下心も覆い隠すことができるので、重宝されるという見解もある。
 
 まあ、要は数少ない「出会いの場」なのだ。

「シュウ、ビール飲むわよね?!」
 
 本合コンの幹事様である、『女帝』マキノが長テーブルの端で店員に注文しているところだった。平たく言えばサークルの先輩である。彼女の酒の勧めには断れないことになっている。

「もちろん、頂きます!」
 
 僕はマキノ先輩のことは嫌いではない。ただ、めんどくさいとは思っている。基本的に威圧感がすごいので、僕は周りの何人かと密かに「女帝」と呼んでいる。今回の合コンだってほとんど無理やり参加させられたようなものだ。マキノ先輩と、その向かいに座っている国際交流サークルの先輩(名前は自己紹介のとき聞いたけど忘れちゃった。あんまり興味無くて)が今回の幹事で、国交サークルは女子が多いせいか男子の数が足りなかったらしい。
 「バイトです」ととっさに嘘をつけばよかった。いや、仮にそうやってごまかそうとしても、うちの代表でもあるマキノ様は多分僕のバイトのシフトをある程度把握している。そういうことには恐ろしく長けているのだ。

「シュウ先輩、お酒強いんですね」
 
 ただ今回ばかりは女帝に感謝しなくてはならない。カオリちゃんと話す機会を、しかも男女の中が比較的発展しやすい環境である「合コン」という場で、カオリちゃんと話す機会を設けることができたのだから。

「少しはね。一年の時に先輩に鍛えられたから」
 
 カオリちゃんはお酒で少し赤くなった頬で笑った。反則だ。
 
 彼女は国交サークル組の一年生。僕は二年生なのでひとつ下の後輩である。
 ミオ大学の規模自体あんまり大きくないので、可愛い子が入学してくるとそれなりに話題になり、どこのサークルも部活もこぞって勧誘しようとするのが毎年の春の光景だ。
 カオリちゃんは最初こそあまり目立った感じの子ではなかったが、後期が始まってすぐの一般教養の講義で一度見かけて、以来ちょっぴり気になっていたのだ。女の子は大学一年の夏に変貌する。僕の親友が言っていた言葉を思い出したものだ。その子が今、目の前でグラス片手に微笑んでいる。
 
 男なら分かりますよね? 気になっていた女の子を、今ちょっとしたジョークで笑わせることができている僕の気持ちを。
 
 しかも彼女、僕のこと「変わってますね」と何度も言ってくれるではないか。僕の性格を彼女が知っているのなら相当策士だが、その辺は考えても無意味なので、とにかく僕はその言葉に酔いしれることにした。今ならマキノ嬢にコールをふっかけられても喜んでグラスを空にします。

「さてさて宴も酣というところですが、とりあえずこの辺で一回絞めまーす! 二次会れっつごー!」
 
 会も終盤になり、マキノ先輩の号令で参加者みんなが湧いた。パラパラと席を立ち始める。
 
 数分後、僕たちは店の外でなんとなくたむろしてマキノ先輩の会計が済むのを待っていた。季節はもうすぐ秋、夜は長袖でないと少し肌寒くなってきたが、酒が回っていたのでそれほど寒くは感じなかった。
 
 さて、これからが勝負だ。一次会はいわゆる様子見。それなりに空気を読める大学生なら良い感じにペアが出来始めるとその二人を「意図的」に突き放す。そういうものだ。
 現に目の前で帰らされようとしているペアが一組いた。女の子の方がベロベロに酔っていて、男の腕を決して放そうとしない。恐らくあれはアロンアルファで接着されている。

「じゃあなジュン、その生き物ちゃんと送ってけよ!」
 
 周りはへらへら笑いながらその光景を楽しんでいたが、僕は全く別のことしか考えてなかった。

「カオリちゃん、二次会行く?」
 
 僕はさりげなく、少なくとも自分としてはさりげなく、訊いてみた。

「私、明日一講なんです。行きたいんですけど、ちょっと……」
 
 ここでミオ大に通う大学生の「常識」を説明しよう。
 ミオ大の学生は「ミオシティに一人暮らししているやつ」と「コトブキシティの実家から電車で通ってるやつ」に大きく分けることができる。僕は前者で、カオリちゃんは、一次会で得た情報によると後者である。
 コトブキからの通学者にとっては一講は地獄のように朝が早い。人によっては五時半起きらしい。真面目なカオリちゃんのことだから、講義はサボらずにちゃんと出席しているのだろう。
 問題は、カオリちゃんが帰るということは、他の電車で帰る組のやつと電車の中で約一時間、カオリちゃんはお話するということだ。あいつとかあいつとかにカオリちゃんと仲良くされたりするのは困る。
 
 しかしそんな焦りとは裏腹、合コンメンバーは徐々に「二次会組」と「帰宅組」に――さっきの即席カップルはどこかに消えていたが――分かれ始めた。
 まずい、気付けばカオリちゃんの連絡先も聞いてないじゃないか。

「よーし、じゃあ二次会行く組! こっちねー!」
 
 会計を済ませ、店から出てきたマキノ先輩が促した。帰る組と挨拶を交わし、二つに分かれていく。

 「――そしたら、またね」
 
 情けないことに、彼女に対して僕はそれしか言えなかった。呪いたくなるほどのチキン具合。
 別にいい。合コンなんてこんなもんだ。期待は酔いと一緒に膨らむだけ膨らんで、醒めると同時にしぼんでしまう。僕はそう思った。そう思うようにした。
 
 二次会組に合流し、「シュウの部屋空いてるでしょ?!」とマキノ先輩の声が聞こえてきて勘弁してくれと思いながらうなだれていた。
 
 そのちっぽけな背中を叩いたのは、他の誰でもない、分かれたばっかりのカオリちゃんだったのだ。少し、息を切らしている。
 
 心臓がひと跳ねした。

「あの、もし――もしシュウ先輩が嫌じゃなかったら、連絡下さい」

 手渡されたマリルの絵の描かれた青いメモ帳の切れ端には、アルファベットの文字列。
 その日、僕は久しぶりに「三日酔い」になりました。




「おれは今、殺意を覚えた」
 
 合コンから三日後、大学のサークル部屋で僕はケイタにこのたびの「素晴らしき出来事」を話した。

「確かにあの子は可愛い。下手にケバい連中よりもよっぽど。それゆえにお前には殺意を覚えざるを得ない。寝込みを襲ったらごめんな」
 
 ケイタは僕と同じ「ポケモンバトル・サークル」に所属する親友――とは、気持ち悪いからあまり口にしたくないが、まあ客観的に見て「親友」だ。別に腐れ縁と大して意味は変わらない。

 「ケイタ彼女いるじゃん」と僕はケイタに思い出させた。

「そう言えばな。まあでも、アイツはおれ無しでは生きられない。おれは別にアイツがいなくても生きて行ける」
 
 こういうやつなのだ。どうか、理解しなくてもいいから、認めてやってほしい。
 
 ケイタはモテる。何が良いのか分からんけど(確かに顔は良いけど)、悔しいくらいモテる。今の彼女は、僕はよく知らない子だが、同学年でもトップクラスを争うような子なのだ。 
 だから、僕の合コンでの「素晴らしき出来事」を聞いて殺意を覚えるような権利は彼には無い。

「連絡したのか? カオリちゃんに」

「うん。昨日の夜メールしたんだけどさ、なんつーか、すごく良い感じ」
 
 僕は部屋の隅にあるソファーに身を沈めた。
「敬語なのが萌えるよなー。タメ口でいいよって言ってるんだけど、『先輩に向かってそんな口きけないです』とかって!」

「分かった、お前変態だな」

「だいたいさ、赤外線でアドレスなんて交換できるのにわざわざメモ帳に書いて渡すとことか可愛すぎる。きっとみんなの前で恥ずかしかったんだよ」

「自分から訊いてあげなかったお前がよく言う」

「あの子さ、おれに『変わってますね』ってメールでも言ってくれるんだよ。やっぱ人にない物を持ってるおれみたいなのがタイプなんだ」

「甚だしい限りの思い上がりだ。それはカオリちゃんが、わざわざミスドで肉まん食べる奴みたいに物好きだっただけの話だ」

「ミスドの肉まんは美味いだろ?」

「勝負するか?」

「よし来た」

 まあ、こんな感じで毎回ポケモンバトルに興じるのが常だ。
 
 僕のガーディ、ヒートは小学生時代からの相棒である。
 大学に入るまでバトルなんて考えもしなかったのだが、入学したての春、サークルに迷ってるうちにマキノ先輩に引っ張られる形でバトルを始めた。つまり、トレーナーとしてはまだ二年も経っていない初級者である。
 ケイタは僕とは対照的に中学の頃からトレーナーとしてポケモンバトルをしてきたらしい。彼のレントラー、エルクは多分この大学でトップ・テンに入る実力を持っているし、ケイタの指示も的確で、状況判断もプロ顔負けだ。僕は、本当に悔しい限りだけれども、ケイタに勝ったことは一度も無かった。
 
 今日もあっさり先手を取られ、反撃に転じる前にバトルを制されてしまった。最近ヒートには本当に申し訳ないと感じている。
 
 自慢じゃないが、ミオ大学の我らがポケモンバトル・サークル「ヘル・スロープ」は、全国的にみても相当レベルが高いらしい。ケイタよりもお強い先輩たちが何人もいる。マキノ女帝だってあんなんだけど、彼女のゴローニャが負けるところなど想像もできない。
 
 こんなサークルに所属してしまった以上、それなりに強くならないといけない。そうは思うが、ポケモンバトルは中々奥深いもので、そう思うようにいかない。僕とヒートは誰にも負けないくらい心が通っている――とは言いすぎかもしれないけど、小学校からずっと一緒だったのだから、それなりに深い絆で結ばれていることは確かなのだ。なのに負けるとなれば、やはり僕の指示が的確でないのか。この辺りに関しては考えることが尽きないのです。
 
 学生の本分は学問、とは言うものの、人生三車線の国道ばかり走っていたのではつまらない。大学は長い人生で一番寄り道して、一番迷う時期なのだから、勉強なんてとりあえず後部座席に放り投げて、左手に見える細道目がけハンドルを切るのも良いじゃないか。
 
 というわけで、僕は久しぶりにイロコイに没頭した。傍目にはバカらしく映ったかもしれないが、全く気にしない。いや、気にならなかったと言ったほうが正しい。それだけ僕はカオリちゃんに熱中していった。
 
 僕とカオリちゃんの仲は、後でばちが当たるんじゃないかと思うほどうまく進んだ。毎週のように二人でコトブキに足を運び、ショッピングや映画を楽しんだ。大学でも時々会い、一緒に帰った。
 
 彼女はパンというマリルを持っていた。いたずらっ子なやつで、ヒートはいつもパンにちょっかいをかけられては、追いかけまわしていた。
 
 僕はいつの間にか彼女のことを「カオリ」と呼ぶようになったし、カオリの言葉からも段々と敬語が抜けてきた。「シュウ先輩」と呼ばれることは捨てがたかったけど、「シュウ」と呼び捨てにされるのも悪くない。
 
 でも、このついついにやけてしまうような日々の中で、ただ一度だけ、たった一度だけ、おかしな出来事が起きたんだ。 
 
 それはいつものように学校の門で待ち合わせをして、一緒に帰っている時だった。
 天気も良かったので、ボールを開けてガーディを出した。時々こうしてやらないとこれからの時期、運動不足になる。 
 ところがヒートはボールから出た途端、カオリに向かって吠え始めた。

「きゃっ!」と叫んで、カオリはカバンを取り落とした。

「おいヒート! やめろ! 何してんだ!!」
 
 ヒートは一向に吠えるのを止めない。仕方なく僕はヒートをボールに戻した。

「ごめん、大丈夫だった?」僕はカオリの肩に手をかけた。

「う、うん。大丈夫だよ。びっくりした……」

「ホントごめん。こいつはおれがちゃんとしつけとくから」

「あ、うん。でも……」カオリはまだ少し脅えているようだった。「――ヒートのせいじゃないよ……」小さな声でそう言って俯いた。

「どう考えてもヒートだろ、悪いのは。言い聞かせておくよ」そう言って僕は彼女のカバンを拾い上げた。

「……うん、ありがとう」どうも歯切れの悪い感じだった。
 
 あの日はとにかくヒートを憎んだ。全くなんてことしてくれるんだ。幸い怪我をさせることなく済んだから良かったが、この先またこんなことになるのは困る。しばらくカオリの前でヒートを出すのは控えよう。
 とまあ、トラブルはあったにせよ、焼け石に水だった。このこと以外は、実にうまく事が運んだのだ。
 
 初めてキスしたのはあの合コンから一カ月ほどた経った、季節はもうすっかり秋になった頃だった。ここは僕の部屋。
 キスした後、「おれたち、もう付き合ってるよね?」と訊いてみた。
 彼女はにっこりして、「シュウが嫌じゃなかったら、そうしてほしいな」と答えた。
 そして僕たちはもう一度唇を重ねた。
 
 という感じで、淡々と綴ってみましたが、実際は心臓は暴れまわるし脳みそは行方不明になるしで、まあ濃い一カ月だったんだ。
 充実してたということは胸を張って言えるし、これから来る寒ーいシンオウの冬も、彼女のおかげで乗り切れると思う。
 
 でも、この時死ぬほど幸せだった僕に、後々、本当にばちが当たったんだ。少々浮かれすぎた僕に、神さまは大人げなく嫉妬したんだ。




「やはり、あの時殺しておくべきだった」

 僕はまたサークル部屋でソファーに寝そべりながら、「キスしてから付き合った話」をした。
 
 ケイタは相も変わらず僕に殺意を抱き続けている。

「お前はここで死ぬんだ。どうせ今度はセックスしたことでも報告しに来るんだろう? もうたくさんだ」
 
 レントラーが本当にこっちに向かってきたので、僕は飛び起きた。

「落ちつけよ。エルクを差し向けることないだろ。てかそろそろ抑えつけようよ殺意。ケイタならできるさ」

「それはシュウ、君次第だ」

「おれが一体どうすればいいんだよ? 悪いけどセックスはするぞ」
 
 ケイタはこのノリに飽きたのか、エルクを戻し、手近にあったパイプイスに腰掛けた。

「ところでお前知ってるか? 最近の噂」

 ケイタは突然話題を変えた。よくあることだ。

「噂? どの噂だよ」

 大学には良いもの悪いもの、大小様々な噂が日々流れ続けているので、この訊き返し方は別に間違いではない。

「ロケット団、復活したろ? ちょっと前に」
 
 ああ、その話か。
 ちょうど夏休みも終盤という頃だった。テレビも新聞もそのニュースで埋め尽くされていた。なんでもカントーの刑務所が襲われて、捕まっていたロケット団のボスと大勢の部下が脱獄したとか。

「噂っていうか、ニュースで散々やってたし、事実なんじゃないの?」

「ロケット団復活は事実だ。問題はその影響。遠く離れたこのミオシティにもその影が差しているらしい」
 
 それが麻薬。ドラッグだという。

「あの手の犯罪組織や暴力団の資金源は大抵武器か麻薬だ。ロケット団が復活したことで、裏での麻薬取引量が跳ねあがってるらしい。さて問題です。ロケット団は仕入れた麻薬をどこに売って儲けているでしょう?」
 
 突然の出題に、僕は少し面食らった。

「どこに売ってるか? ――うーん、麻薬を欲しがってるところだろ? 他の暴力団とかマフィアに転売するんじゃないの?」

「まあそれもあるだろうけど。でも最終的には誰が使うと思う?」

「――ストレス溜まってて、日々辛いことばっかりの人」

「それでいて、麻薬に関する知識の乏しい人間だ。つまり、おれらくらいか、もっともっと若いやつが最終的にターゲットになる。特に、ろくに学校にも行かず、夜な夜な街に出歩いているような若者が餌食になりやすい」

「まあ、なんとなくわかるけど。でもそういう話は今に始まったことじゃないだろ?」

「だから言ったろ? このミオシティにも影響が出てるって。元々そういう麻薬の売買はこの街でも密かに行われていたらしい。もちろん普通に生活してたら絶対に気付かないけどな。しかしここにきてロケット団により急激に取引量が増加。経済学やってれば想像つくだろ? どうなるか」

「――供給が増えれば、価格は下がる」

「そうだ。そして価格が下がればお金の無い学生にとっては好都合だよな」

 僕は笑ってしまった。

「そんな噂があんのかよ? この大学内で麻薬売買? 嘘だー!」

「嘘かどうかはわからない。噂だからな」
 
 よく麻薬撲滅キャンペーンのポスターが学内でも貼られているのを目にする。
 しかし、そのポスターは僕に向けられたものではなく、僕の周りの人間に向けたものでもなく、どこかでもうすぐ麻薬に手を染めようとしている人に対して向けられているものだと思っていた。
 今もそういうお気楽な感覚であの手のポスターを見ている。僕だけでなく、多くの大学生がそのくらいの気持ちでしか見ていないだろう。
 そんな平和な田舎の大学も、麻薬と隣り合わせだというのか?
 
 ケイタとはこんな風に、かなり社会的な問題について話したり、哲学的な語り合いをすることがよくある。それもケイタが物知りだからというのもあるだろうが、僕自身そういう話は嫌いではなかった。「知的好奇心」がくすぐられる、と言いますか、とにかくちょっと高尚な気分になるんです。生意気とか思わないでください。
 そういう話も、帰りにはもうすっかり忘れてしまっていた。カオリと一緒に帰っていたからだ。

 ちなみにミオ大学は、市街地から坂をなんと三十分ほども登ったところに建っている。通称「地獄坂」と呼ばれているこの坂は、昔から学生の前に立ちはだかる敵だった。
 僕等はその坂を下っていた。

「ねえ、シュウってB型だったよね?」

「ああ、そうだよ。話したことあったっけ?」

「ううん。あのね、今だから白状するけど――」カオリはちょっとだけこちらの顔色をうかがうような動作をした。「友達からシュウがB型だって聞いて、あたしあの合コンの時、すごくシュウに好かれたいって思ってたから何回も『変わってますね』って言ってたの。覚えてる?」

 覚えてるとも。なるほど彼女は策士だった。僕がそう言われると喜ぶことを予測して言っていたのか。

「ごめん、B型の人ってそう言われるのが嬉しいって聞いたから。嫌だった?」

「いいや、それ事実。おれカオリからそう言われてめちゃくちゃテンション上がってたから――これはやられたな。まんまと術中にはまってたわけだ」

 今となっては許そう。むしろ下調べまでして好かれようとしていた彼女が健気で、いっそう愛おしくなった。全くやれやれだ。

 この坂からは海が見える。今日みたいに秋晴れの日には水面がキラキラと光り、こういう時だけ「坂の上に大学があって良かった」なんて思ったりしてしまう。それだけ眺めだけはきれいなのだ。
 しかし、漁港に停泊している船を見て、また麻薬の話を思い出してしまった。ああやって外国から密輸されたりしているのかな。
 遠くから眺める分にはこんなにきれいな街並みが、近くまで行くとドズ黒い部分が見え隠れする。そう考えると途端にげんなりした。

「どうしたの?」カオリが僕の顔を覗き込んだ。

「ううん。なんでもないよ」僕はそう答える。

 カオリの目の下に、少しだけ、クマが出来ていた。勉強熱心だからな、寝不足なのだろう。
 その日は、そんな風にしか思わなかった。


  [No.124] 【第二話】 投稿者:リナ   投稿日:2010/12/15(Wed) 00:41:38   73clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



 定期戦が近づいていた。
 
 我らがポケモンバトル・サークル「ヘル・スロープ」は週に一度の集会で、サークル部屋に集まっていた。
 総勢二十四人。これだけいるとさすがに狭い。
 突然なんだ? と思われましょう。説明はマキノ代表にしてもらいます。

「定期戦まであと一週間を切ったわ。今までコトブキ大には五年連続で勝ってるとは言っても、チーム戦では毎年三対二。辛くも勝利を収めてる状態よ。出場する選手は気を引き締めてちょうだい。ポケモンのコンディションも整えておくこと。それに学年ごとの個人戦は全学年制覇したのは三年前。今年も狙いに行くわよ」
 
 大体分かったでしょうか?
 毎年十一月の末にミオ大とコトブキ大で定期戦が行われる。これはいわゆる「早慶戦」のようなもので、ライバル同士の対決なのだ。
 大会の目玉はなんといってもチーム戦。毎年大体四年生か三年生から六人(ダブルバトル一回を含んだ、全五回戦なのです)選出されて、ちょうど卓球の団体戦の要領で順番に戦っていく。このチーム戦で、わが「ヘル・スロープ」は五連勝しているので、なんとしても六連勝目も収めたい、というところなのだ。
 その他に、個人戦がある。学年ごとのトーナメント形式になっていて、両チームエントリー数は無制限。僕も出場する予定だが、同学年でケイタがいるおかげで優勝など無理ということは最初からわかっている。なに諦めてんだって? いやいやしょうがないでしょ。

「それと、みんなに大ニュース」マキノ女帝はかなり興奮気味に言った。「今回なんと、会場にシンオウ地方のチャンピオン、シロナさんが来るそうよ!」
 
 部屋中が一気に沸いた。
 それもそのはず、シンオウ地方チャンピオンということは、このシンオウ地方で最強ということなのである。おまけにシロナさんは、時々女性誌の表紙を飾る「モデル」として活躍していることでも有名なのだ。女子がキャーキャー言うのは、そういうことだ。

「みんな! シロナさんの前で良いとこ見せちゃうわよ!」

「オーッ!!」と、全員が声を合わせた。

「驚いたな。チャンピオンがお出ましとは」
 
 次の講義があるので足早にメンバーが部屋を出ていく中、ケイタが呟いた。

「エキシビジョンとかやんのか?」僕はリュックを肩に掛けながら言った。

「さあ。でもちょっと期待しちゃうな」それからケイタは部屋を出ていこうとして、僕の方を振り向いた。「お前今日はもう授業ないだろ? ジム行かないか?」

 ジムとは当然、ミオジムのことだ。

「いいね」

 ということで僕たちは、大学から「下山」し、運河沿いに並ぶ店やホテルに混じって、ひときわ大きく目立っているミオシティジムを訪れた。
 ここのジムリーダーはトウガン。鋼ポケモン使いで有名だ。
 ジムは普通、ジムリーダーに挑戦するばかりではなく、そこに集うトレーナー同士での試合を通してトレーニングする場でもある。僕たちの目的は当然後者だ。
 もっとも、今週末に迫った定期戦の前に、ポケモンたちにそう無理をさせることはできない。最後の調整と言ったところだ。
 
 受付を済ませ中に入ると、ちょうどテニスコートくらいの大きさのバトル・フィールドが四つ、僕たちを出迎えた。そのうちの奥のひとつだけが今、試合の真っ最中だ。

「平日は人が少ないな。奥で戦ってるやつに声かけてみるか」ケイタはそう言って、スタスタと奥へ歩いて行った。
 
 奥で戦っていた二人のうち、一人はジム・トレーナーらしき男性で、使っているのはエアームド。対するもう片方は女性で、ピジョンを巧みに操っていた。

「おお、空中戦!」

 僕は感嘆の息を漏らした。
 お互いのポケモンは目にも止まらぬ速さで空中を旋回しながらヒット・アンド・アウェイを繰り返している。しかし、鋼タイプというのが効いているようで、エアームドの方が優勢のようだった。
 予想通り、最後はエアームドがとっても堅そうなその翼でピジョンを打った。ピジョンは痛そうな鳴き声を出し、弱々しく地上に降りた。

「勝負あったみたいだね」エアームドの男性が言った。

「あちゃー、ちょっと無理させすぎちゃったかな? 大丈夫、アズ?」女性の方はピジョンの方に駆け寄り、その翼を撫でた。

「お疲れ様でーす」僕たちは二人に声をかけた。

 ご紹介しましょう。男性の方はタカユキさん。やはりこのジムの在住トレーナーだった。良く見るとかなりガタイがいい。女性の方は僕たちと同じミオ大学の四年生で、名前はユリエさんだ。社会人かと思うほど、大人なオーラを持っていた。

 トレーニングしたいことを告げると二人とも快く付き合ってくれた。
 二人のポケモンを回復させた後、四人で総当たり戦を行うことにした。

 本当ならここでの全試合を分かりやすく解説したいところなんだけど、試合後の僕にはそんな気分にはなれない。
 だって、全敗しちゃったんだから。本番前にこれは落ち込むよ。

 ケイタのレントラーにはもちろん敵わなかった。他の二人の鳥ポケモンにもスピードで完璧に翻弄され、タイプ的にいけると思っていたエアームドに対しても、火の粉をかすらせることもできずに終わってしまった。ケイタは逆に全勝していた。

「へえ、じゃあ二人ともミオ大学の学生さんだったんだね」そう言ったのはタカユキさんだ。

 全試合が終了したあと、ポケモンの回復を待つ間、休憩室で雑談していた。一人社会人のタカユキさんは飲み物をおごってくれた。

「ケイタくんだっけ? どおりで強いわけだ。ミオ大のレベルが高いことは聞いているよ」

 そう言われているケイタの横で、僕は小さくなっていた。

「定期戦が近いので、エルクもかなり張り切って挑んだんだと思います」ケイタはそう答えた。

「『ヘル・スロープ』って言ったら、学内でもかなり有名だよね。二人とも、定期戦頑張って」ユリエさんの笑顔は癒される。

 訊けば、タカユキさんとユリエさんは恋人同士なのだそうだ。

 その後は四人で――ほとんど僕以外の三人が話していたが――試合の総評をしていた。タカユキさんから「焦り過ぎてるから、もう少し落ち着いて」とか、ユリエさんから「指示がちょっと多いかも。もっとガーディに試合を任せる感じでもいいと思うな」というアドバイスももらったが、実践でしっかり活かせるかどうかは……分かってます、僕次第ということは。

「ちょっと、お訊きしたいことがあるんですが」

 ケイタは突然タカユキさんに切り出した。

「ん、何だい?」

「――麻薬、ドラッグの売買が、最近ミオでも広まっていると聞きます。タカユキさんは聞いたことありませんか?」

 こいつまたその話か。どうしてケイタはこの話題にこだわるんだろう? 本当かどうかも分からない「噂」なのに。

 ところが、タカユキさんの反応は全然想像と違ったんだ。

「ミオ大の学生の耳にも届いているんだね。トウガンさんも、事の真相を突き止めようと、シンオウ警察と一緒に捜査に当たっているんだが――恐らく事実だ」

「何か、証拠みたいなものを掴んだんですか?」ケイタがさらに問いかけた。

「このミオにも、昔から手を焼いている暴力団がいるんだ。規模は小さいんだが、最近例のロケット団の傘下に入ったらしい。それが証拠とまでは言えないが、恐らくこのミオに今までの比じゃない量のドラッグが流れ込んでいる」

「ホントですか?!」

 僕は思わず叫んでしまった。
 この平和ボケの象徴のようなミオシティに、暴力団がいたこともびっくりだったが、その暴力団とあのロケット団が繋がった? ドラッグが流れ込んでいる? 信じられなかった。

「似たような話、聞いたことある」ユリエさんが初めて緊張した声を出した。「同じゼミの後輩の話なんだけどね、友達とミオの居酒屋で飲んでたら中年の男に声をかけられて、薬とかそういうものに興味ないかって言われたらしいの。その子は断ったんだけど、その男の話だと、大学生ならみんなやってるとか、自分も学生にいくつか売ったとか、そういうことを言ってたんだって」

「――でたらめだと信じたいな」ケイタが呟いた。

「恐らく、その男は暴力団の関係者だろう。トラブルにならなくて良かった」タカユキさんは続けた。「みんなも、ドラッグを使おうなんて思うことは絶対ないとは思うが、気を付けてくれよ。高校生や、君らのような大学生が一番狙われやすい」

 僕とケイタはミオシティジムを後にした。 

 なんだかトレーニングで全敗したことよりも、後の話の方が何倍も落ち込んだ。
 シンオウ地方でも随一の観光都市として、ミオは街を飾り、運河を中心に華やかな社交ダンスを優雅に踊っている。しかしその一方で、そのドレスの中身は黒々と変色し、触れたら粘つきそうなほどの混沌が絶えず渦巻いているのだ。

「なんか、嫌になるな。ピンとこないのに事実そういうことが起こってるのって」僕は呟いた。

「弟がいるんだ」

 ケイタは歩きながら静かに話し始めた。いきなりなんだ?

「クソ真面目な奴でな、ちょっと壁にぶつかるとすぐにストレスをため込んじまう。なのにおれたち家族がそれに気付いてやれなかったせいで、あいつは覚醒剤に手を出した」

 僕はびっくりして目を丸くした。そんな話、聞いたことなかった。ケイタがこの話題にこだわるのは、そういうことだったのか。

「病院で治療受けて、今は退院して、なんとか大学受験に挑もうとしている。ただ、薬から完全に逃げ切れたわけじゃないんだ。いつまた手を出すか分からない。見守ってなきゃいけないんだ」

 ケイタは、少し後ろを歩いていた僕の方を振り向いた。

「少しはピンときたか?」

 僕は冷や汗で、背中がびっしょりだった。

「――ケイタ、お前どうするつもりなんだ?」

 太陽が傾いて、すごく眩しかった。ケイタは少し下を向いて笑った。

「考え中。でも今出来ることは、ミオ大学の連中を守ることだ。みんなバカだから、簡単に薬に手を出して、やめる時も簡単だと思ってやがる。そういうやつらは――守ってやらないといけないんだ」


  [No.125] 【第三話】-前篇 投稿者:リナ   投稿日:2010/12/18(Sat) 01:50:22   75clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



 「お気楽な大学生」でいるのは、もうやめよう。

 あの日、ケイタの話を聞いて僕は本気でそう思った。ケイタのいう「バカなみんな」に含まれるなど願い下げだった。だから僕はこうして土曜日にも関わらず、定期戦前日にも関わらず、大学のパソコン室で一人「ドラッグ」について色々調べているのだ。
 
 なんかすごく単純な人間だなと自分でも思う。けど、あの日は確かに心を動かされた。
 
 覚醒剤って、色々呼び方があるんだな。「シャブ」とかは聞いたことがある。「アンパン」って、ホントかよ。

 そして僕はこの日、知ってしまったんだ。

 それは、百科事典サイトの「覚醒剤」の項目のうち「ポケモンによる発見方法」という一項を見たときだ。

「一般に、嗅覚の発達したポケモンは覚醒剤やその他の薬物をその嗅覚により敏感に察知し、訓練すれば、薬物の発見を、吠えるなどして人間に知らせるようにすることも可能とされている。そのようなポケモンの代表例としては、ガーディが挙げられ、警察犬としても最も多く使用されている種である」

 しばらく動くことができなかった。

 まさか。

 携帯電話を取り出し、履歴で番号を呼び出して電話をかける。
 三回のコールで相手が出た。

<もしもし、シュウ?>

「――カオリか?」

<うん――どうかしたの?>

 僕の声の調子が伝わったのか、少し心配そうにカオリは尋ねた。

「や、その……」

 カオリの声を聞くと、途端に問い詰める気が失せてしまった。待て待て。考えてみれば早とちりっていう可能性もある。
 彼女がそんなはず――

<ねえ、どうしたの? 大丈夫?>

「あ、ああ。声。カオリの声、聞きたくなって」

 カオリは電話の向こうでクスクスと笑った。

<シュウそんなこと言う人だっけ? 変なのーっ! やっぱり『変わってる』ね>

「そ、そんな笑うことないだろ? 悪いかよ? 用事もないのに掛けちゃ」

<ううん、嬉しい。すっごく>

 ちょっとでもカオリを疑った自分を責めた。やっぱり、そんなはずない。

<あ、そういえばね! 明日バイトの休みとれたの! だから定期戦、見に行ってもいい?>

 定期戦は明日、コトブキのスタジアムを貸し切って行われるのだが、観覧は自由である。

「ホント? あーでもおれ弱いからさ。負けるとこ見られるの若干恥ずかしいんだよな」

<でも――見に行きたいんだもん>

 最近、彼女なりに味をしめたのか、少しわがままな口調でモノを言うようになった。言わずもがな、こういうのには僕は弱い。

「負けてうなだれるおれのこと見てガッカリしないならいいよ」

<どうかなー? あー、うそうそ! ガッカリなんてしないから! じゃあ見に行くね!>

 僕は最後に時間を伝え、一緒に帰る約束をしてから、電話を切った。

 そして、もう一度パソコンの画面を見つめた。

 考えすぎだ。そうに違いない。
 あの時はたまたまヒートが不機嫌で、カオリが香水でもカバンに入れていたんだ。きっとそうだ。

 そう、有り得ないんだ。"彼女が薬に手を出している"だなんて。

 あの子は「バカ」なんかじゃないんだから。




 僕にとって「波乱の幕開け」だった。

 定期戦個人トーナメント「二年生の部」第一回戦。僕はなんと勝ってしまったのだ。

 相手はコトブキ大二年のチャラチャラした男で、鼻にピアスまでしていた。彼の手持ちはグライガー。
 ミオジムで飛行タイプ相手に試合をしたこともあって、相手がスピードで上回っていても焦らずに対処できた。ヒートは相手が疲れたところを見て、ここぞというタイミングで火炎放射をヒットさせたのだ。
 相性や運に助けられたわけでもない、公式戦初めての勝利。応援席をふと見やると、カオリがマリルを抱いて、手を振ってくれた。

 逆に第二回戦は、相手のカメールにものの数秒で負けてしまった。これはしょうがないよね? うん。

 二年生の個人トーナメントを制したのはやはりケイタだった。しかも決勝戦でさえかなり余裕を持っての勝利だった。とんでもないやつが親友だったんだな。

「そう言えば、シロナさん来てないですね?」

 ふと思い出し、僕はマキノ先輩に訊いた。

「理由は知らないけど、遅れて到着するみたいよ。忙しい人だからしょうがないんじゃない?」

 ちょうど目玉であるチーム戦が始まろうというとき、シロナはやっと会場に姿を現した。
 僕の目には――あんまり大きな声で言うと女子たちに殴られそうだが――仕事で遅れたというより、たった今起きたような身なりだった。ほら、寝癖。
 それでも、確かにオーラがあった。
 シロナが座った席の近くにいた女の子たちの中には、興奮しすぎて泣きそうになっている子までいた。日本人に金髪って似合わないと思っていたが、取り消す。この人だけは似合っていると思った。寝癖ついてるけど。

「ただいまより、定期戦第二部、コトブキ大学対ミオ大学のチーム戦を開始いたします」

アナウンスを聞きながら、僕はカオリのいる応援席に向かった。回復の終わったヒートと一緒に階段を上がる。

「お疲れ様。カッコ良かったよ、すっごく」

「サンキュ。二回戦目は運が無かったな」

 僕はカオリの隣りに座った。ヒートの様子を見ていたが、大人しく僕の隣りの席におさまったので少しほっとした。前の方の席にシロナの金髪が目立っていた。

「なお、チーム戦の開始に先立ちまして、ただいまお越しいただきました、シンオウ地方チャンピオン、シロナ様より、選手の皆さまへメッセージを頂きたいと思います」

 会場に拍手が沸き起こった。

 シロナは関係者からマイクを渡されると、開口一番「寝坊しました! すみません!」と頭を下げた。
 多少なりとも緊迫していた会場は、一瞬にして笑いこけた。

「昨日遅くまで麻雀してまして、負けまくって飲みまくって、もう散々! ああ、ええと、選手の皆さんへのメッセージですよね……。とにかく、ポケモンバトルは簡単です。「かん」とか「りーち」とかわけ分からないルールは全くありませんから。勝敗を分けるのは、最終的には気持ちです。あなたの本気がポケモンに伝われば、ポケモンも本気であなたのために戦います。皆さんの本気、ここで見させてもらいますね。あとはそうですね、逆に張りきりすぎて、ポケモンたちにあまり怪我させないように、ほどほどに」

 会場は再び拍手に包まれた。さすがチャンプ、良いことを言う。それよりこの人、カンもリーチも分からないのか――

 なにはともあれ、チーム戦の開始だ。シングルバトルが四戦と、ダブルバトルが一戦。マキノ女帝を始め、先輩たちの中でも特に実力のある人たちが出場するので、かなり見モノである。
 対戦カードも、勝敗を分けるひとつのポイントである。
 相手の主力メンバーが前半にくるか、後半に来るかを見極めて、こちらは前半に主力を当てて、一気に攻め込むのか、後半に主力を回し、長期戦に備えるのか。裁量ひとつで結果を左右しかねない。
 選手層の厚いミオ大は、後半に四年生を回した。三年生の先輩二人が、一、二回戦に出てきて、マキノ先輩や他の四年生組はベンチに座っている。

「奥のフィールドの背の高い人が、三年で一番強いコウタロウ先輩で、手前のボブカットで背のちっちゃい女の先輩がマイ先輩。特にマイ先輩の試合は面白いからよく見ておくと良いよ」

 僕はバトルには疎いカオリに時々解説することにした。

 試合スタートの合図が鳴り響き、会場は喝采と叫び声に包まれた。
 コウタロウ先輩はいつもお馴染のキュウコン、対するコトブキ大の女の子はキングラーだ。

「あ、あれまずくない? キュウコンじゃタイプが――」カオリが少し身を乗り出した。

「いいや、気を付けるのはキングラ―の方だ」そう言ったのは、後ろの席にたった今座ったケイタだった。「や。お二人さん」

 そう、コウタロウ先輩のキュウコンはこういう場合、決して真っ向から勝負しようとしない。悪い言い方をすると「姑息な手段」で相手を弱らせていくのがあの人のキュウコンだ。

 一方で手前の試合では、マイ先輩のトゲチックと相手のトロピウスが対峙していた。
 先に動いたのはトロピウスだ。背中の大きな葉の面積をさらに大きく広げている。葉脈が、いつしか眩い光を放ち始めた。

「いきなりの大技だ。受け切れるかな」と僕。

 トロピウスが大きく振りかぶると、その口から巨大な光の束が発射された。
 ソーラービームがトゲチック目がけ飛んでいく。

「光の壁だ」ケイタが呟いた。

 ソーラービームがまともにヒットし、大ダメージは避けられないと思ったが、巻き上がった埃が晴れると、トゲチックの前にはひび割れた透明な壁が現れていた。
 ミオ大の応援席側から歓声が上がる。

「すごい……」とカオリはため息を漏らした。マリルをきゅっと抱きしめる。

「ほら、よそ見してたらもうキュウコンが勝ちそうだ」ケイタが奥のフィールドを指差した。

 コウタロウ先輩のキュウコンが相手のキングラ―を完全に制していた。キングラ―はまるで酔っ払いのように、左右だけでなく前後にもフラフラしているし、ところどころ火傷のあともあった。

「素早さで勝るキュウコンが、相手の技を見きりつつ、怪しい光のあと、鬼火。そんなとこだ」

「えげつね……」ほどなくして自分のハサミさえ支えられなくなったキングラ―を見て、僕はもらした。

 コウタロウ先輩の勝利が決まり、再びミオ大の応援席がドッと沸いた。

「あ、ほら! マイ先輩のトゲチック見て」僕は指をさした。

 トゲチックが両手の人差し指を左右に振っている。まるで何かを占っているかのように。

「あれ、何してるの?」と、カオリが不思議そうに尋ねた。

「見てれば分かるよ。さて、何が出るかな」

 マイ先輩の戦い方――それはとことん「運勝負」なのだ。
 トゲチックの人差し指が止まって、まっすぐ上を向いた。来る――

 トゲチックの身体が内側から赤くなり始めた。まるでストーブの奥に灯る炎のように。熱を帯び始めているのだ。
 次の瞬間、トゲチックから同心円状に爆風が巻き起こった。応援席までむせかえるような熱風が吹いた。

「ごほっ、ごほっ――運が無かった。よりによって自爆とは……」

 僕はむせながら言った。隣りでヒートが顔をぶるぶると振っている。

「え? じゃああの子死んじゃうの?」自爆と聞いて、カオリはびっくりしているようだった。

「大丈夫だよ。自爆って言っても、要は自分の熱エネルギーを放出するだけなんだ。それに『指を振る』は自分の保持するエネルギー以上のことは出来ないようになってる。例えばマルマインなんかが自爆したら、こんなもんじゃないよ」

 マイ先輩は、煤がついてぐったりしているトゲチックに駆け寄り、なにか語りかけた後、ボールに戻した。
 彼女は立ちあがると、袖で涙をぬぐった。

「マイ先輩は、いつもは凄い強運の持ち主なんだ」ケイタは暗い声を出した。「一時期、七割くらいの確率で相手の弱点の技が出てた。そんな戦法をとるのは普通は無理、かなりの『異端児』だよ――でも、偶然とはいえ、責任感じちゃうだろうな。先輩」

 今度はコトブキ大側の応援席が湧き立った。これで一対一。勝負はまだまだ分からない。


  [No.227] 感想です 投稿者:ふにょん   投稿日:2011/03/16(Wed) 00:54:27   73clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

伏線・・・上手ですね。  見習いたいくらいです。  まだここまでしか読んでいませんが、続きのほうも がんばってください 


  [No.235] Re: 感想です 投稿者:リナ   投稿日:2011/03/19(Sat) 15:47:46   58clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 はじめまして、ふにょんさん。

 お読みいただいてありがとうございます。
 「あからさますぎるかな」と思いながら張った伏線でしたが……お褒めの言葉、うれしいですw

 今後ともよろしくお願い致します(^^)


  [No.128] 【第三話】-後篇 投稿者:リナ   投稿日:2010/12/19(Sun) 14:24:25   72clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



 会場はぐんぐん熱を帯び、両チームの応援席から飛ばされる声援で、アナウンスがうまく聞き取れないくらいだった。

 チーム戦の第三回戦はダブルバトル。ミオ大のペアはユウスケ先輩とシン先輩の四年生コンビで、それぞれキリンリキとカポエラーを出した。相手はゴーリキーとライボルト。試合開始の合図が響いた。

「ライボルトがちょっと厄介かもな。スピードもあるし、大技も打てる」とケイタ。

 予想通り、相手のライボルトはのっけから雷を落とし始めた。無差別にフィールド上を電撃が襲う。

「なるほど。ライボルトが避雷針になって、そばにいるゴーリキーには当たらないのか」僕は感嘆した。

 ゴーリキーは攻撃にはいることなく、ライボルトのそばで身をかがめていたのだ。

「雷で相手を一掃出来たら儲けもんってことか。逆にこれを乗り切れば、ゴーリキーと疲れたライボルトだけだ」

 そう、守り切れればいい。それが最善だと、少なくとも僕とケイタは思った。

 しかしユウスケ先輩のキリンリキは切り返したのだ。雷鳴の轟く中、光の壁を自分ではなく、ライボルトの上に作りだしたのだ。ライボルトに落ちる予定だった雷は、光の壁のせいで向きがそれ、周りに散らばり始めた。
 ライボルトの避雷針のおかげで落雷から身を避けていたゴーリキーに、イレギュラーの電撃が直撃した。
 ゴーリキーはなにも活躍しないまま、その場に倒れ込んだ。

「味方に当たっちゃった……」カオリば茫然として呟いた。

「あの中でよくあんなこと思いつくな……」ケイタが少し呆れたように言った。

 守るという選択肢はあのコンビには最初からなかったのだ。戸惑うライボルトに、シン先輩のカポエラーは、憤怒を纏ったベイゴマのように高速回転したまま突進した。あっけなく吹き飛ばされたライボルトは、壁際で伸びてしまった。

 ミオ大学の応援席が歓声で爆発した。ユウスケ先輩とシン先輩はハイタッチして抱き合っていた。

「すごい迫力! あたしポケモンバトルがこんなに興奮するものだと思わなかった!」

 カオリが席の上で跳ねた。膝の上のパンも一緒になって飛び跳ねた。

「先輩たちも十分すごいけど、ジムリーダーや四天王、それこそ今日来てるチャンピオンのシロナさんなんてもっとすごい試合をする。前に四天王のオーバさんとゴヨウさんの試合を見たけど、自然災害を見てるみたいだった」とケイタ。

「今日見られるかな、シロナさんのエキシビジョン」と僕。

 これでミオが一歩リードする形となった。残り二回のシングル戦のどちらかが勝った時点で、こちらの勝利だ。

「次は、いよいよマキノ女帝の出番か」

 僕はドキドキしながら、フィールドを見守っていた。

 しかし、このあと起こる出来事によって、残りの二試合は「幻」となってしまうのだった。

 今でもこの時の空気の重苦しさは忘れられない。

 僕等が座っていた応援席の脇の階段を、後輩のマサノブが下りていった。トイレにでも行っていたのだろう。その時はそう思った。

 カバンを抱えていたけど。

 反応したのは、僕のヒート――ガーディである。

(そのようなポケモンの代表例としては、ガーディが挙げられ、警察犬としても最も多く――)

 ヒートはいきなり大音量で吠えはじめた。

 前の席に座っていた同学年の友達が弾かれたようにこちらを振り向いた。ヒートは吠え続けながらマサノブの方へ駆けていく。

(薬物の発見を、吠えるなどして人間に知らせるようにすることも可能とされ――)

「おいヒート! 待てっ!」

 僕は手を伸ばしたが、ヒートはそれをスルリとかわした。

「うわっ! お、おい! なんだよ?!」

 マサノブは突然の咆哮に驚き、階段の上で足をもたつかせた。ヒートは絶えずマサノブに向かって――マサノブの抱えるカバンに向かって――吠え続ける。

 今や会場中の視線がマサノブとヒートに注がれていた。なんであいつあんなに吠えられてるんだ? あのガーディ、誰のだよ? 早くボールに戻せ――

 マサノブは段差に足を取られ、横の座席に尻もちをついた。身体をかばおうと手をつき、そのせいでカバンがマサノブから離れる。

 そこからはスローモーションだった。階段を転がり落ちるカバン。それを追う人々の視線。マサノブの表情。

 そして階段の下でフェンスにぶつかったカバンからは、白い粉末がこぼれていた――

 静かなどよめきと、ヒートの声。

 そして僕はカオリの方を振り返ってしまった。

 その時の彼女の顔は、あまり覚えていない。
 頭が思い出すのを怖がっているのかもしれない。


  [No.129] タイトル決定! 投稿者:リナ   投稿日:2010/12/19(Sun) 14:27:41   58clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 タイトルが決定しました。



   ☆☆☆☆ 「スタンドアップキャンパス!」☆☆☆☆



 キャンパスにするか、カレッジにするかちょっと悩んでみたり。
 でもキャンパスのほうが響きが可愛くて楽しそうなのでこちらに。

 今後とも、よろしくお願いします。

 


  [No.139] 【第四話】 投稿者:リナ   投稿日:2010/12/21(Tue) 12:46:32   70clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



「覚醒剤。警察の話だと間違いないらしいわ。あなたたちの後輩もマサノブ君は、直前に誰かからあの覚醒剤を受け取ったようね」

 ここはスタジアム二階の小会議室。シロナさんは捜査の方を警察に任せ、マサノブの関係者――つまり僕たち「ヘル・スロープ」のメンバーをここに集めた。
 四天王やチャンピオン、それにジムリーダーはいわゆるポケモン協会が認定したトレーナーである。
 彼らは今回のような有事の際、任意で警察の捜査に協力することができる――のだと、ケイタがさっき教えてくれた。

 ほんの一時間前までは、手に汗握る試合を思う存分楽しんでいたのに、この凍りついた空気と落胆のため息の前では、まるでテレビゲームでもしていたみたいに思えた。セーブもしていないのに、リセットボタンを押されたのだ、僕たちは。

「マサノブ君は今、警察署の方で聴取を受けているわ。この定期戦が中止になってしまって、みんなの辛い気持ちは痛いほどよく分かる。でも今は捜査に協力して欲しいの。マサノブ君が薬をどうやって、誰から手にしたのか。本人は中身があんなものだったなんて知らないって言ってるし、私も彼のことを疑うつもりはないわ。捜査が進めば分かることかもしれないけれど、今回の事件、マサノブ君の『仲間』としてどう思うか、聞きたいのよ。言える範囲でいいから話してくれないかしら?」

 丸々一分間、沈黙が流れた。
 僕はシロナさんがどんなに気を使い、優しく接してくれても、責められているような気がした。

「私は――」一年生の女の子、ミサが口を開いた。わりとマサノブと一緒に行動しているグループの一人だ。「マサノブは本当のことを言っていると思います。普段マサノブとは一緒にいるけど、そんなことしてるなんて話一度も聞いたことなかった。お金に困ってるとか、背伸びするタイプとか、そういうわけでもなかったのに――」

「私もミサちゃんと同じ意見」少し強気な口調で、先程トゲチックで試合に出ていたマイ先輩が言った。「あいつは自分からそんなことに手を染める奴じゃない。誰だか知らないけどなんかうまいこと言ってあいつのこと騙したのよ――ねぇ、黙ってる人なんか言ったら?!」

「あんまり荒っぽくなるなよマイ」キュウコン使いのコウタロウ先輩だ。「みんな落ち込んでるんだ。うちのサークルの人間からこんな事件起こすやつが出ちまったこともそうだし、勝ってた試合が中止になっちまったこともそうだし――」

 なだめるように言うコウタロウ先輩だったが、マイ先輩は食いついた。

「は?! あんたまるで他人事みたいじゃない?! マサノブが無実だって考えないの?! あいつが戻ってきた時に『犯罪者だから』って言って迎え入れないつもり?! てかこんなことになってまだ試合のことなんか悔んでるの?! そんな場合じゃない――」

「おい、言いすぎだ! 今年で最後だった四年生のことも考えろよ!」

 コウタロウ先輩が声を荒げた。マイ先輩は少しひるんだが、目つきは鋭いままだった。

 とっさに僕はマキノ先輩を見た。

 無表情だった。先輩の顔から感情を読み取れないのは初めてだった。

「シロナさん」マキノ先輩は静かに言った。

「――何?」

「私たちに、謝らせて下さい」

 シロナさんは何も言わない。

「メンバー一人がしてしまったことは、サークル全体で責任を取ります。マサノブに全く罪は無かったとしても、こんな騒ぎを起こしてしまったことは事実です。けじめをつけて、もう二度とこんなことが起こらないようにしますから、どうか私たちに謝らせて下さい」

 そしてマキノ先輩は立ち上がり、シロナさんに深々と頭を下げた。
 
 また部屋がしんとなる。

 僕はいてもたってもいられなくなった。

 なんでマキノ先輩が頭を下げるんだよ――?

「そ、それなら僕のせいです! 僕がちゃんとガーディをボールに入れておかなかったから――だから僕が謝ります!」

 僕もまた立ち上がり、マキノ先輩の隣りでお辞儀をした。

「バカかお前、代表はサークル全体で責任取るって言ってるんだ」

 そう言いながらケイタが僕に並んでお辞儀した。泣きそうになった。

 マイ先輩もコウタロウ先輩も、最後にはメンバー全員が立ち上がり、シロナに向かって頭を下げた。

 僕の隣りでマキノ先輩が涙を流していた。床に雫が一粒落ちた。

「――もう! 大丈夫よ! ほらみんな、顔上げて!」

 僕等はパラパラと頭を上げた。マキノ先輩は最後まで頭を下げていた。

 シロナさんがちょっと呆れたように続けた。

「全くあなたたちは――」シロナさんは吹きだした。「最高のチームじゃない」

 僕たちはその後、スタジアムの関係者、それにコトブキ大学の学生に謝りに行った。
 マイ先輩やマキノ先輩は、最後の方なんてわんわん泣いて抱き合っていたし、事件にともなって中止と思われた打ち上げも、結局やる流れになっていた。
 「自粛」というかたちで、とても打ち上げなんてできないとマキノ先輩は最後まで言っていたが、シロナさんがあっさりと「なんで行かないの? こんな日は飲まないでいられないでしょ?」と言い、決行となった。なんて図太い神経だ。

 まあ何はともあれ、最後にはマキノ女帝の抜群のリーダーシップで、もしかしたら普通に優勝した場合よりも硬く、チームが結ばれたようだった。

 僕も、できればこのままみんなと打ち上げに行きたかった。打ち上げそのものも魅力的だったし、別のものから逃げたいがためでもあった。

 ――会ってしまったら、問いたださずにはいられない気がする。

 すっかり日も暮れ、人気もなくなり、薄暗くなってきたスタジアムのロビーで、カオリは一人、待ってくれていた。マリルがその周りを走り回っている。
 メンバーに挨拶し、冷やかされながら僕はカオリの方へ行った。

「ごめん、すっかり遅くなっちゃって」

 こちらに気付いたカオリはにっこり微笑んでくれた。

「ううん、いいの。それより……大変だったね」

「ああ、こんなことになるなんてな」

「打ち上げ、あるんでしょ? 行かなくていいの?」

「気にしなくていい、一緒に帰る約束してたろ?」

「――ありがと」カオリは立ち上がって、僕の左手を握った。

「腹減ったな、何か食いに行こう」

「うん――パン、おいで」

 僕の心はこの時振り子だった。数秒ごとに気持ちが揺れる。

 しかし結局、僕は振り子の糸を自分の手で引きちぎった。




 僕とカオリは肌寒いこのコトブキシティの夜の街を歩いていた。もう冬がすぐそこまでやってきている。

 チェーン展開の、割とリーズナブルなイタリア料理店で夕食をとった。メニューにはワインの種類が豊富だったが、二人とも飲みはせず、お互いに口数は少なかった。

 カオリを駅の改札まで送って行くこの道は、いつもデートの時は二人で歩く道だったが、いつもより無機質に見えた。

 僕の心は決まっていた。

「――カオリ」僕は切り出す。

「ん? なに?」

「ちょっと、話したいことあるんだ。ちょっと寒いけど……そこ、座らないか?」

 僕はコトブキのど真ん中にある、東西に細長い緑地の、いくつもあるベンチのひとつを指して言った。

 東端にはこのを緑地を見渡すようにしてテレビ塔が建っている。
 毎年十二月の半ばになるとイルミネーションが始まり、色とりどりの電飾が夜空に輝く。
 でも今は、デジタル時計を引っ掛けているだけの、ガイコツみたいな姿で、暗闇の中、寒そうに突っ立っている。

「――うん。いいよ」

 僕は少し乱暴にカオリの右手を引き、緑地に入った。カオリを座らせてから、僕も座る。

「どうしたの? シュウ。すっごく怖い顔してる」

「いつも、こんな顔だ」

 ちょっと突き放し気味に接しないと、心が折れそうだった。

「――なに? 話って」

 カオリは冷たくされたことで少し凹んだみたいだった。

「――お前、なんかおれに話すことないか?」

 カオリのことを「お前」と呼んだのは初めてだったかもしれない。

「話すこと――うーん、なんだろう?」

「もし、もしおれの考えてることが本当だったとしたら、お前は絶対おれに話さなきゃならないことがあるはずだ」

 カオリは面食らったようだった。しばらく口を開かなかった。

 正直この沈黙のあと、本当に何もなくても、やはりそうだったとしても、彼女が何もかも隠そうとしても、僕が一体どういう態度を取れるかは自分でもわからなかった。

 ただ、今は真実を知りたいのだ。

 真実を知らないと――守ってやれもしないじゃないか。

「――手、握って」

 長い沈黙のあと、カオリはそう言った。いつの間にか、僕は手を離していた。カオリの右手を握りなおす。

「シュウの考えてること、分かるよ」

 カオリは静かに話し始めた。

「あたしたちがまだ付き合う前、シュウのガーディ、ヒートがあたしに向かって吠えたことがあったよね。ガーディは鼻がすごく良いから――ちょっとした臭いに反応するから」

 カオリはさらに強く手を握った。

「今日、ヒートがまた吠えた。あの男の子が持ってた薬に向かって。そういうことだよね? 当たってるでしょ?」

 カオリは僕を見て、弱々しく微笑んだ。

「――ああ」

 風が、冷たい風が吹き始めた。街路樹がざわめく。

「もし、例えばの話だよ。あたしが薬を……覚醒剤とかそういうのを、吸ってたりしてたとしたら――」

 繋いだ手がじんじんする。

「シュウはあたしのこと、嫌いになる?」

 カオリが驚くほど澄んだ目で僕を見た。質問する目ではなかった。懇願する目だ。

 しかしカオリは糸が切れたようにすぐにその目をそらし、おどけて見せた。

「――はは! あたし何変なこと聞いてるんだろ? そんなの嫌いになるに決まってるよね? それ以前に逮捕されちゃうし!」

 声が割れていた。

「そんなドラッグ漬けの犯罪者が彼女なんて絶対嫌だよね? すぐ振っちゃうよね? こんな――」

 みるみるうちに、瞳から大粒の涙がこぼれてきた。

「――こんなあたし、嫌だよね……」

 最後の言葉はほとんど声がひっくり返って、空気が喉を通る音が聴こえた。

 握った手に込められていた力が、ゆっくりと、抜けていった。

 しばらくの間、僕の耳には、彼女の嗚咽しか聴こえなかった。

 テレビ塔が「22:00」を掲げた。

 ――真実は、一番そうであってほしくないものだった。

「カオリ……」

 やがて僕は彼女の肩に手を回した。

「ありがとうな、本当のこと言ってくれて。あと、ごめんな、こんな泣かせちまって。もう大丈夫だから」

 何が大丈夫なんだか自分でもよく分からなかったが、とにかく僕はカオリを慰めたかったんだ。

 だって、彼氏だしさ。

 僕を見上げて、彼女は恐る恐る言った。

「あたしのこと――警察に突き出さないの? 嫌いにならないの?」

 僕は笑ってしまった。

 僕は「自分」が好きになった。
 真実を知っても、自分が前と変わらずカオリを好きでいられていることが分かったから。

「当たり前じゃん。おれ、『変わってる』やつだから――そう言ったの、カオリだろ?」


  [No.142] 【第五話】 投稿者:リナ   投稿日:2010/12/26(Sun) 02:20:51   72clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

10

 起きたら、僕の腕にカオリの顔が乗っていた。布団を頭まですっぽり被って寝息を立てている。

 二人とも裸だった。

 まあ、言いたいのはそういうことです。

 少し寒かったので、僕はカオリの方に身を寄せた。シャンプーの香りがする。
 彼女も、ほとんど反射的に僕の背中に腕を回してきた。
 まさに幸福の極み。これ以上は絶対にない。そう言い切れる。

 昨夜は、あれ以上カオリを問い詰めることはしなかった。
 あの後、カオリにわんわん泣かれ、抱きつかれて、そして何度も謝られた。
 良くない道に走ってしまった事実そのものにおいて謝っているのか、それとも僕に迷惑をかけることについて謝っているのか。
 多分、どちらも含んでいたんだろう。もちろん後者に関しては、迷惑なんて塵ほども思わない――とかカッコつけて言ってみる。でも本当だ。
 
 僕はほとんど言葉を交わすこともせず、ラブホテルへカオリを引っ張って行った。
 ちょっと乱暴だったかなとも思うけど、二人の気持ちは一致していたと、そう思う。
 そんなこんなで(そんなこんなってなんだ?)今にいたる。

 思えば今日は月曜日じゃないか。まあ、講義はサボるけども。
 カオリも確か今日は二講があったはずだ。起こしてあげようとも思ったけど、もうしばらくこうしていたいので、なにもしないでいた。

「んー」カオリがわずかにうごめいた。そして目があった。

「……おはよ」寝ぼけた声。

 僕も「おはよう」と返してから、キスをした。

 そしてまたしばらく抱き合っていた。

「ねえシュウ?」

「ん?」

「この後、うちに来ない?」

 第二ラウンド。そう頭に浮かんでしまった自分は「最低」だと思ったよ。

「シュウがね、あたしのこと捨てないでくれて、すごく嬉しかった。ずっと怖かったの。いけないことしてるんだっていう罪悪感もあったし、もし本当のこと話したら絶対嫌われちゃうって思ってたから。でもそれって、あたしがシュウのこと信じてなかったってことだよね――」

 カオリは僕の腕の中に入ってきた。

「でももう怖がってばかりいたくない。シュウのこと信じる。だから全部、話したいの」

 なんだか反社会的な展開になってきた。
 けど、カオリが僕のことを信じてくれるのは嬉しかったし、例えば彼女を警察に突き出して「この人薬やってます!」なんてこと言えるはずもない。それならいっそ、舌を噛み切って死ぬだろう。

「――多分いっぱい迷惑かけちゃう。だけど――」

 カオリは少し言いづらそうにしていたが、やがて小さく呟いた。

「守られるならシュウがいい――わがままで、ごめん……」

 十万ボルトを、僕は急所にくらいました。

 僕たちはホテルを出て、地下鉄に揺られ、コトブキの北の郊外に位置するカオリの家に行きついた。
 来るのは初めてだ。この辺り一帯が立派な一軒家が立ち並ぶ住宅街だったが、彼女の家もまた立派な佇まいだった。
 カオリは玄関の鍵を開け、中に入る。そこまで来てやっと、彼女の両親のことに考えが及んだ。

 昨日彼女が家に連絡したような感じはなかった。多分とても心配しているんじゃないか?
 そんな心境の親御さんのところへ、朝帰りの娘が男を連れてくるというのは――世間一般的にはどうなのだろう?
 ところがカオリは「ただいま」も言わず、靴を脱ぎ、家に上がった。

「どうぞ」

 通された和室の隅に、仏壇があった。
 彼女の両親のものだった。

「――今年の夏、飛行機事故に遭ったの。結婚して二十周年でね、ヨーロッパに二人で旅行に出かけた時だった」

 僕は仏壇の前まで行った。手前に両親の写真が飾られている。母親の目が、カオリにそっくりだった。

 線香を一本立てて、お鈴を鳴らした。
 言葉の出ない僕には、そういう作法的なことしかできなかった。

「ありがとう」

 僕が合掌し終わると、彼女は少しだけ微笑んでそう言い、僕の隣りに正座した。
 少しだけ間を置き、やがてカオリは力強い声で言い切った。

「シュウ、あたし、今は吸ってない。誓って」

「信じるよ、もちろん」

「――両親の死がきっかけだったの」

 カオリはゆっくりと、話し始めた。

「国交サークルの先輩に――ミオシティの暴力団とつながってる人がいるの」

 やはり出てきた。ロケット団の傘下に入ったという、ミオの暴力団。

「その人は、普段は別に普通で、むしろ良い人。でもお酒の席になると、なんていうか、気持ちが大きくなっちゃう人っていうか。サークルの飲み会の時、その人は『おれに手出したら後ろ控えてるからな』とか、『欲しかったらやるよ。覚醒剤でもなんでも』とか普通じゃないことばっかり言うの。今もほとんどの人は冗談だと思ってる」

「そいつ、あの合コンの時来てた?」

「ううん、来てなかった」

 そんなやつ、来てたら気付くか。

「それでね、私も最初は冗談だと思ってたの。酔っぱらうとこういうふうになる人なんだなって、割り切ってた」

 しかし、偶然出会ってしまったのだという。その先輩が、カオリの全く知らない人たちと四、五人で、酔って街を歩いているのに。

「今考えれば、あの人たちは多分暴力団の人。先輩があたしに気付いて絡んできたの。そんなに人通りの少ない道じゃなかったから、乱暴なことはされなかったけど、最後に白い粉の入った小さい袋を渡された。『ちょっと前まではそれだけで一万も二万もしたんだぞ? いい機会だから持ってけ。また欲しくなったら言えよ。まあ次は金払ってもらうがな』とか、そんなこと言ってた」

 それが、今年の、九月の終わり頃らしい。ロケット団の復活が八月の終わりだから、一か月でミオの麻薬マーケットに影響を与えていることになる。

「すぐに捨てなきゃと思ったんだけど、捨てるのも怖かったの。本当だよ、使う気なんてその時は全くなかった」

「うん、わかるよ」

 そして、本当に酷いタイミングで、彼女の両親は飛行機事故に遭遇し、この世を去った。
 カオリは心に同時に二つ、風穴をあけられた。
 泣けども泣けどもその穴を埋めることはできず、そんなとき目に止まってしまったのが覚醒剤の粉末だった。

「――お母さんとお父さんが死んで、あたし、ものすごく弱ってたの。あんなもの使うわけがないって思ってたのに――もうどうでもいいって思っちゃったの」

 カオリはその先輩からもう一度だけ、覚醒剤を買った。それが例の、ヒートがカオリに向かって吠えた日のことだ。

「あのカバンの中に入れてた。でも信じて。あたし、あれは使ってない――ちょっと待ってて」

 カオリは奥の部屋へ行き、一分も経たないうちに戻ってきた。
 手には、ちょうど病院でもらう粉薬のような、白い粉末の入った袋。

 諸悪の根源は、拍子抜けするほど攻撃性を感じさせなかった。
 
 こんなもので、一体どれだけの人間が私腹を肥やしているのだろう。
 こんなもののせいで、一体どれだけの人間が苦しみ、堕ちてゆくのだろう。

 こんなもの、なんであるのだろう。


  [No.147] 【第六話】 投稿者:リナ   投稿日:2010/12/28(Tue) 00:03:13   71clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

11

 カオリは最初に手渡された覚醒剤しか使用していなかった。
 だから一安心、というわけではないが、今もずっと使い続けていて、もう抜け出せなくなっているわけではないと分かって、やっぱり「一安心」だった。
 ちなみにあの一袋は、僕が帰り道、少し遠くまで歩いて見つけた林の中に捨てた。

 しばらく僕は「これからどうする」か、漠然と考えながらも、いたって普通の日々を過ごしていた。
 十二月に入り、寝雪にこそならないものの、パラパラと雪が降り始める、そんな季節になった。

 ケイタに後から聞いた話によれば、定期戦の日の打ち上げは、まあひどかったらしい。
 元々定期戦は四年生にとっては最後の大きな公式戦でもあり、三年生にとっては就職活動が本格化する前のひとつの区切り、という位置づけだから、毎年それなりに荒れる傾向にある。
 事件がきっかけになって、一体感の増した「ヘル・スロープ」一同は、コトブキのダイニング・バーで一次会。ミオに戻って居酒屋で二次会。カラオケで三次会。その後はいくつかのグループに分かれ四次会と、とにかく凄まじかったという。
 上級生のほとんどは一次会の段階でトイレに駆け込む始末だったし、マキノ女帝などはカラオケで大暴れ。やっぱりそれなりに悔しかったんだな。
 マイ先輩とコウタロウ先輩は――これが実は一番びっくりしたのだったが――その日の二次会からずっと抱き合ってたらしい。「犬猿の仲」だとばかり思っていたのだが、何が起こるかわからないものだ。
 感動的な場面もいくつか見られたようだ。マキノ先輩はサークルのメンバー一人ひとり回って感謝を述べた。恩返しとばかりにコウタロウ先輩が「偉大なる四年生に捧ぐ!」と音頭をとり、三年以下全員がイッキした。

 この会に行けなかったのは、ちょっと残念だ。ただ内容の濃さはこちらも負けちゃいない。ベクトルは全然違うけどね。

 それはそうと、あの事件で渦中の人となってしまったマサノブは、本当に「無実」だった。

 サークル集会で彼が戻ってきた時、みんな真っ先に「おかえり」と言った。
 マサノブは泣きながら、何度も何度も謝った。

 本人の話によると、コトブキ大の友達(言い回し的には「悪友」にも近い感じだった)に、その日漫画を借りる予定で、その会場でカバンごと手渡されたのだという。
 その友達(話を聞いているうちにそいつのイメージが「ジャイアン」になった。いやごめん、ジャイアンに失礼だよね。映画では最高に良いやつだし)から「サークルのみんなで読んでくれよ」とまで言われたらしく、後から考えると腹立たしい話だ。

 大勢の人が集まるイベントごとの中で受け渡しを行おうとしたところを見ると、そいつはてんで「素人」だろうが、警察はそいつを、暴力団に繋がる人物で学生の間にドラッグを「ばら撒く」仕事を依頼されていたと見ている。
 とにかく、今までそんなものに興味を抱きもしなかった人間にまで影響が及んでいることは確かだった。

 悔しいが、カオリもそのうちの一人だ。

 こういう道を選んだ以上、彼女の罪の意識は消えるものではない。時間とともに薄れていく類のものではない。
 向き合って、考え抜いて、でも答えなど出なくて、考え続けるはめになる、そういうカテゴリーに属するものだ。
 頭の片隅には、常に「罪」が居座れるスペースを空けておかなければならない。

 と、カッコよく決まったように言ってみても、そう簡単にいかないのが人間だ。 
 それも、まだ十九歳の女子大生ならなおさらである。

 僕といる時も、カオリは時々暗い顔を見せる。 
 そのたび僕は優しい言葉を全力でかける。
 カオリはホッとしたような笑顔を見せるけど、本当に不安が拭いきれたわけではないことは僕にもわかる。
 僕には気休め程度のことしか出来ないのだ。
 そう彼女に言うと、それでも今まで不安をこぼす相手もおらずただ溜め込むばかりだった頃に比べると幾分楽になったと、やはり笑ってくれる。

「あの合コンね、友達があたしの落ち込み様を心配してくれて誘ってくれたんだ。シュウも来るって聞いて、行くことに決めたの」

 たとえ気休め程度でも、そばにいてくれる人は必要なのだ。そういう人のいない人間から先に、薬の海に溺れてしまうのだろう。

 そうそう、僕が付き合い始めた当初に気付いた、彼女の目の「クマ」は、あの時は勉強熱心なため寝不足なのだろうと思ったが、そうではなかった。
 だからと言って、今回のこととも関係は無かった。彼女が最後に薬を使ってから、あの時は一カ月以上は経っているのだから。

 なんてことはない、オール明けだったのだ。
 カオリの恋を応援していた彼女の友達がお祝いしてくれたのだとか。
 現実、「クマがあった」なんていう伏線は、その程度の理由で消化されるものだ。

 彼女に覚醒剤を手渡し、売った「ディーラー」は、カツノリといった。
 学食で一度カオリに「あの人だよ」と教えてもらったが、あまりぱっとしないやつだ。ミオに一人暮らししている人には多いが、いつもスウェット上下で登校しているようなやつだった。
 
 だが、僕たちにとってはあいつが一番危険人物なのだ。

「パイプ野郎め、そのうち必ずパイプカットしてやる」

 そう言って、ケイタはハイボールをグイッと飲んだ。ここは僕の部屋。二人で晩酌中である。
 
 僕はケイタに事の真相をすべて話した。
 最初は話そうかどうかかなり迷ったが、決め手は、彼の弟のことだ。同じ境遇を経験しているケイタなら、絶対に力になってくれると思った。
 それに、ケイタは口が堅いし。
 ちなみに「パイプ野郎」とは、カツノリが暴力団とミオ大をつないでいるという意味でケイタが名付けた「愛称」である。

「まあ、しかし――」ケイタはため息をついた。「したのか、セックス」

「そこは重要じゃない」

「いや、お前は今の一連の話の中で、セックスしたことを話すとき一番緊張していた」

「そ、そうかもしんないけど……。とにかくおれがしたいのはそういう話じゃないから。どうか離れてくれません?」

 ケイタはたばこに火を付けた。飲む時だけ吸うんだよ、こいつ。

「――まあいい。お前はカオリちゃんを守り通すと決めたんだな?」

「も、もちろん」

 こういう質問は、いざされると緊張する。

「なら、おれもできる範囲で協力しようじゃないか。ただな、押さえておかなきゃならないのは、おれたちがいくらカオリちゃん側について擁護しても、みんながみんな、理解を示してくれるわけじゃない。なんも知らないやつから見れば、ただの"やっちゃった人"だ。事実そうじゃないとしても、そう映るんだ」

「覚悟してるよそのくらい」

 ケイタはたばこの灰をアルミ缶に落とした。

「――その覚悟、試される時もそう遠くはないと思うぞ」

 それは、ホントにすぐやってきた。


12

「薬物根絶キャンペーンに、ご協力お願いしまーす!」

 次の朝、雪が降りしきる中を白い息を吐きながら登校した僕の目に入ったのは、ビラまきをしているボランティアサークルの集団だった。
 こういう学生団体もそろそろ動き始めるとは思っていたが、いざ目にしてみると、下手に事を荒立てられているみたいでなんだか腹が立った。

 いや、よそう。彼らはあくまで善意でこうした活動を行っているのだ。「薬物根絶」は、悪いことじゃない。

 ポケットに入れた手を出すのは億劫だったが、ビラの中身が気になったので手を出して受け取った。

「ありがとうございまーす!」保険のセールスマンのような口調の男子学生が快活な声を出した。

 ビラには、黒い背景に血で書いたような真っ赤な字で「知っていますか? ドラッグの本当の恐ろしさを」というフレーズが踊っていた。

「シュウ!」

 振り返ると、カオリがビラを片手に僕の方へ駆けてくるところだった。

「おいおい転ぶなよ!」地面は緩やかな坂になっている上に、氷が張っていた。「おはよう」

「おはよ――」カオリが僕に追いついて並んだ。「それ、シュウももらったの?」

 僕がさっきもらったビラをさして彼女は言った。

「ああ――余計なお世話だってな?」

「――うん」カオリも白い息を吐く。「でも『本当の怖さ』って意味では、私、知らないのかも知れないな……」

「そんなもの、知らない方がいい。だろ? あんまり気に病むなよ? 大丈夫だから」

「うん。ありがとう」

 ビラによると、今週の昼休み中に学食で「薬物使用禁止条例」の署名活動をするらしい。ミオシティの条例として、現行の法律よりも厳しい規制を設ける意気込みだそうだ。

 なるほど、ここまでされたら大学もこの話題で一時的に染まってしまう。僕たちとしては「肩身の狭い」思いを強いられることになるだろう。
 
 だけど、まだこの時の僕は甘かった。覚悟はあったはずなのだが。

 ごくごく自然な流れで、話題は薬物に及ぶ。もっとも暇な大学生にとっては、話題を提供してくれてむしろありがたいくらいなのだ。
 我がサークル内でもその話題にならないはずがなかった。

「この大学にも薬売ってるやつが何人かいるらしいんだよ」

 授業終わりになんとなく集まったサークル部屋。そう言ったのは僕と同学年のタツヤだ。
 今年に春に硬式野球部を辞めてうちに入ってきた彼は、投手だったらしく、モンスターボールを投げる際の「セット」が美しい。本人曰く「ボークが気になるんだよ」とのこと。

「硬野の連中が話してたんだけど、その手口がさ――」タツヤが話し続ける。「最初は薬をタダであげちゃうらしいんだ。『お試し用』みたいなことを言って。でもああいうのって依存性があるだろ? そのお試し用を使っちゃったやつはほとんどの確率でまた買いに来るらしいんだ。そうなっちゃったら中々抜け出せないんだって」

「嫌だなー、なんでそんなことする人がいるんだろ?」

 真面目な顔でため息をこぼしたのは、彼女もまた僕の同学年のヤスカ。
 最初に彼女を見た時、僕は彼女と仲良くなれるか不安だった。
 だって頭の右側、思いっきり刈り上がってたんだもん。怖かったさそれは。
 でも性格は全然刈り上がっていなかった。ボーイッシュなところもあり、今では同学年で一番話しやすい女の子だ。
 それにヤスカはコロコロ髪形を変えるオシャレっ子なので、今は刈り上げは消え、ナチュラルなブラウンの髪に、前髪だけブラックのパネルカラーを入れていた。

「――さあ。そういうやつらのやることなんて分かんないよ」とタツヤ。

「金になるからだよ」僕がヤスカの疑問を受けた。「ドラッグはほんの少しの量でも値段が張るから、暴力団の資金源なんだ。学内で売買してるやつは、十中八九、暴力団とつながってると思う。最近は薬も安くなって、学生でも手に入れやすいんだ」

 半分はケイタの受け売りだった。ケイタは今日、久方ぶりのデートらしいので、ここにはいない。

「暴力団とか――うち、絶対関わりたくない」とヤスカは言い捨てた。

「そりゃそうだ。てかさ、ドラッグとか使っちゃう側のやつらもよく分かんないよな。大変なことになるって分かるはずなのに」

 タツヤのそのセリフから、僕の血液の温度はみるみる上昇していくことになる。

「うちもそう思う! なんで手出しちゃうんだろね?」ヤスカも同調する。

「まあ、そういうのに手出すやつってほとんど不良だろ? 遊び半分なんじゃないの?」

「遊びで覚醒剤とか吸っちゃうんだ。バカみたい」

「ほんと!」

 二人はケラケラと笑った。

 この二人がカオリに向けて言っているわけではないことはもちろん分かっているし、特に深い感情を持って罵っているわけでもないことも分かっている。
 悪気はないんだ。でも、頭ではそう分かっていても、僕はそうやって割り切ることができるほど器用じゃなかった。
 
 僕にはこの二人が、カオリに向かって刃物を振り下ろしているようにしか見えなかったんだ。
 カオリもどこかで似たような会話を聞いている。そうに違いない。

 この大学に、カオリの居場所はどこにもない。

 笑い声が響く。

 僕たちは包囲された――

「二人とも、笑いすぎだろう」

 感情が凝り固まり、噴火寸前だった僕の前に、ずっと寡黙に漫画を読んでいたアキラ先輩が、静かに、そして重々しく言った。
 アキラ先輩は四年生で、副代表。定期戦では、あの事件が起こらなければ、残り二試合のうちのひとつに出場する予定だった。

「薬に手を出した人間はみんな遊び半分なのか? みんなバカで、何にも知らないから手を出すのか?」

 タツヤとヤスカは口をぽっかり開けたまま、押し黙ってアキラ先輩を見ていた。僕もじっと先輩を見つめた。

「全く薬に興味の無い人でも、毎日辛くてしょうがない人や、身内に不幸があったりしてどうしようもなくなった時、そういうものに逃げたくなるのかもしれないよな」

 僕は驚愕した。アキラ先輩は、なにもかもお見通しなのか? いやいや、そんなはずはない。

「――でも、分かんないっすよ。そんな追い詰められた人の気持ちなんて」タツヤが沈んだ声で言う。

「おれだって分からないさ。でも分からないなら、一概に指を指して笑うべきじゃないだろ? 『ドラッグに手を出した人』をひと括りにするのはよくない」

 と言ってから、アキラ先輩はにっこりした。

「とまあ、この手の話は全部本に書いてあったんだがな。ただ、今みたいにシビアな話が熱を帯びている時は、いつも以上に冷静に、よく考えて物事を判断しなきゃならないんだ。今のおまえらは残念ながら『その他大勢』に見えたぞ」

 僕はアキラ先輩の話にだいぶ救われた。

 大学全体の雰囲気はまさに「薬物追放」。そして、その中に、確かに僕は「薬物使用者追放」のニュアンスを感じ取った。
 僕自身も気付かないうちに意識が過剰になっているのかもしれないが、薬物使用者への理解が置いてきぼりにされて、とにかく「薬物にかんするもろもろを排除」しようとする風潮が先行していることは事実だった。

 そして、その風潮は、当然のように「正義」のかたちをしてるのだった。

 それを僕は「そんなの間違いだ!」と否定する気はない。正しい動きだと思う。
 
 ただ、アキラ先輩の言うように「よく考えて」欲しいのだ。

 カオリがどうして覚醒剤に手を出してしまったかを聞けば、だれも彼女を責められるはずはないんだから――
 ――いや、責めるかもしれない。「薬」とその「使用者」を混同し、どちらも絶対悪とする今の空気なら、そうさせるのかもしれない。

 「みんなバカだ」と言ったケイタの言葉も、今となっては本当にはまった言葉だと思う。でもアキラ先輩のように、思慮深く物事をとらえている人もいるのは確かだ。
 矛盾しているようだけど、二人とも秀逸で、的を得た言葉を残す天才だ。矛盾は世の常、甘んじて受け入れよう。


13

 そしてこの季節は、なにも息の詰まりそうな話題ばかりではない。

 十二月も半ば。街はクリスマスムード一色で、ところどころにツリーやイベント告知のポスターが配置され、クリスマスソングも街を彩った。

「なんでお前とプレゼント選びしなきゃならないんだ」とケイタは文句を言った。

 今日はケイタに付き合ってもらい、コトブキに足を運んでいた。

 去年は彼女なんていなかったから、この赤と緑が全部、リザ―ドンとフシギバナにでもなって、街中でやり合ってくれればいいのにと思っていたけど、今年は違う。良いイベントだ、クリスマス。宗教なんか考えずほいほい異文化を取り入れる日本、万歳だ。

 二十四、二十五日はしっかりバイトも休みをもらい、カオリと二人で最高の夜を過ごす準備は万端である。

「まあそう言わずにさ、実は女心が分かっていそうなケイタくんに、是非知恵をかしてほしいんですよ」

「女心は分かんないから良いんだ。分からないから考えるのが恋愛の醍醐味だ」

「それ、頂き。とりあえずロフト行こう」

 ああでもないこうでもないと言いながら、僕はプレゼントを選んだ。
 ケイタは僕の手に取るものすべてに文句を付けた。なんだかんだ口出しするんじゃないかこいつ。

 結局僕は、超無難なシルバーのチェーンにピンクのストーンが真ん中に入ったクロスのネックレスを、店員さんにラッピングしてもらった。

「――浮かれ気分のお前に、真面目な話をぶち込んでいいか?」

 ケイタは「浮かれ気分の僕」に切り出した。
 人でごった返しているマックで、僕はジンジャーエールをストローで飲みながらプレゼントを眺めていた。

「へ? あー、悪い。なんだ、真面目な話って?」

 ケイタはあきれ果てた顔を見せたが、すぐに表情を固めた。

「おれ、パイプ野郎を洗おうと思う」

 お忘れの方に言っておくと、「パイプ野郎」とはカオリに薬を渡したカツノリのことである。

「――それは、つまり……」

「カツノリ本人、もしくは周りの人間に探りをいれて、あいつがどこからドラッグを仕入れているのかを突き止める」

 ケイタは飲み物にもポテトにも、テリヤキチキンバーガーにも手をつけていない。

「それ、かなり危険じゃないか?」

「あいつら密売人のせいで大学がドラッグに溢れることの方が危険だ。カオリちゃんのような犠牲者が増える方がよっぽどな――仕入れ先、まあまず間違いなく暴力団絡みの場所だろうが、突き止められたら警察に摘発してもらう」

 本気なのだ。
 カツノリのようなパイプ野郎をとっちめるわけではなく、その供給源を経つ。例えるならこのジンジャーエールのストローをちょん切るわけではなく、コップごとゴミ箱に放るのだ。
 ボランティアサークルのように間接的に動いてても始まらない。
 ケイタは直接敵を討つつもりなんだ。

 でもそうなると、僕はあの定期戦の夜からずっと考えていたある疑問に衝突する。

「もしそれがうまくいって、暴力団が摘発されたら――カオリはどうなるんだ?」

 警察は、捕まえた暴力団に間違いなく尋ねるのだ。

(君たち、どんなストロー使ってたの?)
(そのジンジャーエール、"誰が飲んだの?")

 ケイタは初めてポテトに手を伸ばした。

「おれだって鬼じゃない。なんとかしてから動き始めるつもりだ」

 その後はその「なんとかする方法」を二人でずっと議論していた。
 覚醒剤取締法では、覚醒剤の所持、譲渡、譲受、使用は「十年以下の懲役」と規定されている。
 カオリのケースでは、断り切れなかった譲受時の状況や、父母の死による精神的なショックという特段の事情がどこまで加味されるかが、量刑緩和の判断基準になる。
 実際、二十歳未満であれば「懲役」ではなく「保護更生処置」のようなものになるのだろうか。
 これを機に法律でも勉強してみようかな。

 そういう法的な話も怖いが、もっと怖いのは「薬物使用者」というレッテルを張られたカオリが、始まったばかりの大学生活をこの先楽しめるはずがないということだ。
 周りの人間は、みんなそういう色眼鏡をかけてカオリのことを見るのだから。

「ちょっとトイレ行ってくる」と僕。ジンジャーエールを一気に飲みすぎたのかもしれない。

 そして戻ってくると、ケイタが携帯を開いていた。

「おいお前、メーリス見たか?!」ケイタが早口で僕に言った。

 僕も携帯を出すと、メールが一件。サークルで登録してるメーリングリストだ。マキノ先輩が回していた。

 内容を確認した僕も、度肝を抜かれた。

「ホントかよ?!」

 文面を一言で伝えよう。「シロナさんが、僕たちの練習を見に、ミオ大学にやってくる」のだ。


  [No.148] 第六話までのあとがき 投稿者:リナ   投稿日:2010/12/28(Tue) 00:08:08   68clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。

 かなり走って書いてきたので見直してみると漢字ミスや誤字がちらほら――申し訳ないです。
 「スタンドアップキャンパス!」というかなり賑やかな学園生活を彷彿とさせるタイトルですが、扱う内容的にちょっとオモいですねw
 登場人物も煩雑になってきたので、ご要望があれば紹介ページお作りします。

 この第六話、ポケモンが一匹も出てきていないことにはさっき気付きましたw
 未成年の飲酒はいけません。イッキ飲みもいけません。ドラッグなんて「ダメ、ゼッタイ」。

 今後ともよろしくお願いいたします。
 良いお年を。


  [No.151] 【第七話】-前篇 投稿者:リナ   投稿日:2010/12/29(Wed) 22:14:44   63clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

14

 一面真っ白なグラウンドに僕たち「ヘル・スロープ」のメンバーは集合していた。
 この時期になると野球部も室内練習に切り替えるので、このグラウンドは足跡ひとつついていない。

 あくまで僕らは「サークル」なので、練習への参加は強制ではないし、ほとんど「幽霊」になっているメンバーも何人かいる。
 とくにこの時期はいわゆる「シーズンオフ」なので、集まりは悪い。十人集まればいい方かな。

 だが今日はどうだろう? こんなにメンバーが揃うのは定期戦以来じゃないか?

 しかも、メンバー各々が相当言いふらしたようで、明らかにサークル外の連中がグラウンドの入口にごった返していた。
 五十人から六十人はいるだろう。ガヤガヤと騒々しい。

 僕はカオリにこのことを話したら「友達に凄いファンの子がいるの! きっと喜ぶ!」と言っていた。
 でも授業があるらしいので、そのうち遅れてくるのだろう。

「なんじゃこりゃ……」女帝がその人ごみを見て唖然としている。

「てかシロナさん、また遅刻ですかね?」タツヤがダルビッシュの投球フォームを真似ながらぼやいた。

 予定時刻をすでに三十分過ぎているのに、シロナは一向に姿を現さない。
 勝手に集まったギャラリーから「ホントに来るのかよ?」と、これまた勝手な文句も聞こえてきた。

「また麻雀かしらね。あー寒!」

「マキノ先輩もこっち来ます?」

 僕やケイタ、メンバーの大半はコウタロウ先輩のキュウコンを囲んで暖を取っていた。
 尻尾の先に灯る九つ火がなんとありがたいことか。
 僕の場合、ヒートでも暖まれるんだけど、あいつ、火加減調節するのが下手なんだ。

 十分ほどして、ようやくグラウンドの横に白い国産車が一台止まり、黒のロングコートを着たシロナさんが姿を現した。どたばたと、グラウンドの方へ走ってくる。
 ギャラリーから歓声が上がった。

「本当に、ごめんなさい! 寝坊! 早めに着くくらいの気持ちでいたんだけれども――」

 人だかりを抜けてきたシロナさんは両手を合わせて謝った。なんだかまだ二回目なのに、見慣れた光景だなあと、僕は思った。ほら、寝癖も。

「いえ、むしろこんな遠くまで来て下さって真に光栄です」マキノ先輩はオトナに返した。

「寒いのに待たせちゃって、本当に申し訳ないわ――」シロナさんは、キュウコンに群がっていた僕たちの方を見ながら言った。

 ほどなくして、僕たちは二人ペアになってグラウンドに広がった。
 僕のペアは刈り上げっ子の(今は違うけども、刈り上げの印象が強烈なんだ)アスカになった。
 僕たちは降り積もった雪を踏みしめながら、ちょうど三塁ベースがあるあたりにスペースを取った。

「今から最長三十分! 終わったらお互いにフィードバックすること! あと、グラウンドは傷つけないように!」

 と、マキノ先輩が高らかに叫んだ。

 各々のペアが手持ちを繰り出し、練習試合が始まった。

 シロナさんはホームベースがあるあたりで全体を見回していたが、やがてゆっくりと一ペアづつ回り始めた。
 真っ白な雪原に黒のロングコート(に、金髪)が、すごく映えていた。

「久しぶりじゃない? うちら勝負するの!」

 ヤスカはそう言いながら、モンスターボールを投げた。

「そりゃそうだ。おれが避けてたからな……」

 彼女のボールから出てきたのはフローゼル。身体をしならせて、軽やかに二、三回雪の上を飛び跳ねる。
 こいつが僕がヤスカとの試合を避ける理由だ。

 渋々僕もヒートを繰り出した。ヒートは相手がフローゼルだと分かると、「マジかよ?!」とでも言いたげに僕の方を振り向いた。

「じゃあ分かった。今日だけうちのバロンちゃんは水タイプの技を使わない。あんまり早く終わってもつまんないしねー」

 そうきましたか。これは勝つしかない。

「お心遣いどうも。ヒート、ハンデがあるからって油断するなよ」

 先に動いたのはフローゼルだ。水中だけでなく、陸上でも身のこなしは素早い。
 あっという間に間合いを詰め、二本の尻尾でヒートの足元を払ってきた。
 ギリギリのところでヒートは身を引き、攻撃をかわす。

「距離を取れ! 相手の攻撃範囲になるべく入るな!」

 一定の間合いを空けつつ、ヒートは口から炎を放つ。
 しかし、フローゼルも軽やかに身をかわす。

「そう簡単には当たらないよーだ! バロン!」

 ヒートの炎による連続攻撃を避けきったフローゼルは、二本の尾をこっちに向けたかと思うと、スクリューのようにその尾を回転させ始めた。
 またたく間に雪が巻き上げられ、僕の視界が一瞬にしてホワイトアウトした。

「あいつ、頭良いな――」僕は腕で目をかばった。

 他のメンバーの試合にも影響が出ているのだろう。あちこちで悪態をつく声が聞こえる。ギャラリーもどよめいている。
 僕からはすでにヒートさえも見えなくなっていた。
 この吹雪に乗じてフローゼルは必ず攻撃を仕掛けてくる。方向は分からない―― 
 ただ僕にも全く策が無いわけでもなかった。

 真っ白な世界の中「ぎゃう!」という叫び声が聞こえた。
 ほどなくして、視界が段々と晴れ始める。

「バロン?!」ヤスカがフローゼルの元に駆け寄った。

 フローゼルはその尻尾に火傷を負っている。僕の妙案が成功したようだ。

「ちょっと迂闊だったねー、ヤスカちゃん?」

 ヒートは吹雪の中、炎の渦を起こし、自ら炎を纏っていたのだ。
 フローゼルだって、吹雪の中での戦闘に慣れているわけではない。相手のいるその場所に火柱が上がっていても、寸前まで分からなかったのだろう。
 そこへ攻撃しようとしたフローゼルは、思惑通り火傷というダメージを負った。

「もう、調子に乗らないでよ! 元々ハンデ戦なんだから!」ヤスカはイライラした声を出しながら、フローゼルをボールに戻した。

「でも、落ち着いた判断だったわ。普通視界を遮られたら慌てちゃうもの」

 練習試合を見て回っていたシロナさんが僕たちのところへ来ていた。先からギャラリーの視線を感じていたのは、別に僕のバトルが目を惹いたわけではなかったのか。なんだよもう。

「あ、ありがとうございます」と、ぎこちなくお礼を言う僕。

「フローゼルのあなたも戦略はよかった。雪面っていう状況を利用した奇抜な発想ね。ただ、フローゼル自身も視界を制限されちゃうことも考慮できたらもっと良かったわね」

 さすがチャンピオン、説得力がある。例えば、彼女の後頭部の髪がおかしな方向に跳ねていたとしても、説得力がある。

「はい、ありがとうございます!」ヤスカは褒められて感激していた。

「それとそう、あなたのガーディね――」シロナさんはヒートの頭を撫でながら、僕の方を見た。「ウインディに進化させるっていう気はないのかしら?」

 ウインディ――ガーディの進化系で、基本的には「炎の石」というレアメタルの一種のエネルギーを受けて進化する。
 進化系だけあって、ウインディの能力はガーディの比ではない。トレーナーなら、普通時期が来れば進化させるものなのだろう。

 でも、僕はあまりヒートを進化させることについて考えたことが無かった。
 小学校からの相棒の姿かたちが変わってしまうことにはそれなりに抵抗があるし、ウインディになってしまったらその大きさゆえに、気軽にボールから出せなくなる。
 僕にとって、ヒートの進化はまだまだデメリットの方が多いのだ。

「――そうですね、今のところは考えていません」僕は答えた。

「そう。確かに色々抵抗があるでしょうね――でもこの子は進化したがってるわよ?」

 僕は驚いて目を丸くした。

「ヒートが進化したがっている――分かるんですか?! そんなこと!」

 僕とヒートは心が通じ合っている――とは言っても、考えていることまで分かってしまうわけではない。そこまでいったら「超能力者」じゃないか。

「ふふ、なーんとなくね。でもこの子のバトルを見てると、『勝ちたい』ていう気持ちとか『もっと強くなりたい』っていう気持ちが伝わってくるような気がするのよ。妥協しないタイプっていうか、中途半端でいることに耐えられないタイプっていうか――」

 シロナさんは優しい目でヒートを見つめた。

「とにかく、今の自分には満足してない感じがする――まあでも、進化させるかさせないかはトレーナーが判断することだし、『石』だってそんなに安いものでもないから、最終的にどうするかはあなたの自由。ただ、私は考えてみてもいいと思うわ。ウインディ、強いわよ」

 そう言い残して、シロナさんはまた他のペアを見に行った。

 ほんのちょっとの間、僕はヒートを見ながら考えていた。
 こいつがウインディに――半ば想像しがたいが、よく考えたら炎の石さえあれば可能なことなのだ。
 
 ヒート――そういえばこいつの名前、「火」に「賭ける」で「火賭(ヒート)」と名付けたっけ。

 目の前の勝負に自らの炎をもって全力を賭ける。
 そういえばこいつ、なんだかんだ試合でなまけたり、手加減したりしたことは一度もないよな。
 
 こいつは今、どんなことを思ってるんだろう?
 「早く進化させてくれよ!」と、必死に叫んでいるのだろうか?

「迷うだろうけど、うちなら進化させるな。ガーディに生まれてウインディになれないのって、有り得ない話だけどうちらがどんなに頑張っても大人になれないみたいな感じだと思う」

 ヤスカがそんなことを言った。なるほど、その例えはもっともかもしれない。

 どこのペアもほぼ試合が終わり、それぞれお互いにアドバイスしたり、シロナさんの総評を聞いたりしていた。
 一目見れればそれでいいという輩だったのか、あんなにいたギャラリーは半分ほどに減っていた。残りの学生のうち何人かは色紙を準備して待っている。
 カオリとその友達も、授業が終わったようで、見に来ていた。「凄いファン」のその友達は、シロナさんのことをうっとりと見つめている。その虚ろな目ときたら、そのうち卒倒しそうなほどだ。

「みんなありがとう。定期戦でも見させてもらったけど、やっぱりミオ大学のレベルは高いわね。想像以上よ。本当に来てよかった」

 シロナさんはメンバー全員に向けてそう言った。

「さてと、みんなこの後暇かしら?」にっこりしてシロナさんが僕たちにそう聞いた。

「――あの、この後何かイベントでもあるんですか?」マキノ先輩が首をかしげる。

 シロナさんは見るからにテンションが上がっていた。

「ううん。ただみんなと飲みにでも行こうと思って。私今日はもう何もないから、ミオの美味しいお店、案内してくれない? そうそう、他の見に来てる子たちも一緒に。どう?」

 カオリの友達が、本当に卒倒した。


  [No.156] 【第七話】-後編 投稿者:リナ   投稿日:2011/01/01(Sat) 10:30:52   65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

15

 総勢約五十人の大所帯。
 この人数を収容することができ、さらにシロナさんのご要望である「飲み放題付き」の実現可能な店は、結局ここ「ミオ地ビール倉庫」しかなかった。秋に僕たちが国際交流サークルと合コンした、あの店だ。

「初めて飲んだけど、ミオビールってとっても美味しいわね。なんかコクがある」

 そう言いながら、シロナさんはビールで喉をゴクゴクと鳴らした。
 先からかなりのペースで飲んでいる。彼女、恐らく相当酒豪なんだ。

 「倉庫」と言っても、内装はコテージのような木造で、淡い光のランプが灯る。中々雰囲気は悪くない。
 店の約半分の席数を当日予約で押さえることができたのはラッキーだった。
 席ををいくつも繋げてもらって出来上がった十メートルほどの長テーブル二列を、僕たちは埋め尽くした。
 
 「埋め尽くした」のだが、それも乾杯から十五分ほどの間だけ。
 みんな、シロナさんの近くの席に座っていた人がトイレに立った隙にイスを奪い合い、さながら「イス取りゲーム」のようになっていた。

 僕の周囲は大体いつも話しているようなメンバーで固まっていた。カオリは友達がシロナさんの向かいに居座り続けてしまっているのでずっと僕の隣りにいたし、ケイタやタツヤ、ヤスカの二年生組も一緒に飲んでいた。

「噂のシュウの彼女、やっと話せた! へー可愛いじゃん」ヤスカがオードブルをつまみながら言った。

「ホント可愛い。どうしてシュウ? もっと上狙えるよ?」タツヤは相変わらず失礼なこと言いやがる。

「カオリちゃんは告白された時、寝起きだったんだよね?」とどめは君かケイタ。座席、移動してくれ。

 カオリはこの「ワルイ先輩たち」の話に、ただただにこやかに笑っていた。
 この手の話に「はい、ちょっと寝ぼけてて――」なんて切り返されるのも何気にショックだから、別にそれでいいんだけども。

 複数人での会話になると、僕は割と「いじられキャラ」である。別にそれが嫌なわけではないが、カオリの前でコテンパンにいじり倒されるのは、正直嫌だ。

「そういえばさ、全然話変わるんだけど、今日の練習試合おれ、マイ先輩と当たったんだけど――」

 話し始めたのはタツヤだ。なんだか申し訳なさそうな感じだった。

「おれ――勝っちゃったんだ」
 
 これにはカオリを除いた僕たち三人は仰天した。

「冗談だろ?!」僕は飲もうとしたビールを一度下ろしてから言った。

 定期戦では不運にも自滅し、負けてしまったマイ先輩だったが、タツヤごとき「ひとひねり」のはずだ。たとえ先輩のトゲチックが「指を振る」を使わなくたって、タツヤには先輩を負かすことはできない。

「嘘じゃないさ。でもなんだかいつもと様子が違ったんだ。『指を振る』を全然使わないだけじゃなくて、他の技も全部後手後手に回ってるって言うか――試合が終わった後も何も言わずにすぐ帰っちゃった」

 そう言えばこのゲリラ開催された飲み会の会場を見渡しても、マイ先輩は見当たらない。

「やっぱり定期戦であんなふうになっちゃったのがショックだったのかな?」とヤスカ。

 見渡してかわりに目に入ったのは、僕の知らない女の子と話しているコウタロウ先輩だった。

「それか、フラれちゃったか」と、僕。

「それはないと思うぞ」ケイタは僕の憶測を否定した。「マイ先輩が帰るところはおれも見た。その時コウタロウ先輩が止めに行って何か話してたけど、マイ先輩は普通に笑ってた。逆にコウタロウ先輩の方が真剣な顔してたくらいだ。多分原因は定期戦の方」

「あの人、試合終わった後泣いてましたもんね……」

 カオリがそう言ってからは、その話はそれ以上掘り下げられなくなった。

 その後は、お前は彼氏つくらないのかとか、クリスマスはどうするだとか、全くもって他愛の無い話でしばらく盛り上がっていた。

 しかし心配事というものは、忘れた頃にまた思い出されるものだ。

「でさ、カツノリのやつ大学で……売ってるらしいんだ……そう、あいつこの街の暴力団とさ……」

 隣りのテーブルで話しこんでいたグループから会話の切れ端が漏れ聞こえてきた。
 僕とケイタは目を見合わせた。

「あたし、カっちゃんが……おごってくれるからね、訳を聞いたらさ……何か……そうそう、かなり売れてるらしいの……」

 カオリも気付いたらしい。不安そうな目で僕を見た。僕はテーブルの下で手を握ってやった。

 やがて、隣りのグループの話題を持ち出した当人らしい男が席を立ち、店の出口へ向かって行った。手にはタバコが握られている。

 「灰皿――ああ、ここ禁煙なんだな、ちょっと吸ってくる」

 と、ケイタが立ち上がり、たった今店を出た男を追って外へと消えた。

 とりあえず、ここはケイタに任せるしかない。あいつならきっとうまく情報を引き出せる。

「なあ、シロナさんの周り、やっと空いてきたぞ。おれらも話に行かないか?」タツヤが提案した。


16

 僕たちが飲み物を持ってシロナさんのところへ行くと、マキノ先輩、アキラ先輩の四年生二人と話をしていた。

「あら! ガーディの彼! お疲れさーん!」シロナさんはほろ酔い状態でグラスを上げた。

 僕たちはとりあえず一人ずつ自己紹介をしたが、シロナさんはだいぶ名前の暗記に苦戦しているようだった。

「ガーディのあなたがシュウ君に、シュウ君の彼女のカオリちゃん。フローゼルのあなたがヤスカちゃんに、元野球部のあなたがタツヤ君ね――ごめんなさい、今日たくさん自己紹介してもらっちゃったものだから、覚えきれそうもないのよ。また訊き直しちゃうかもしれないけど、許してね」

 なんだか凄い。この短期間でチャンピオンと「御近づき」になれすぎている。

「今ちょうど定期戦のこと話してたのよぉー!」マキノ先輩、かなり"完成"している。「あの時試合に出れなかった私たちとねー、シロナさんが今度試合してくれるの。夢みたい――」

「悪いけど、手加減しないわよー!」とシロナ。

 マキノ先輩はびっくりするほどの大声でゲラゲラと笑った。

「そんなのあったりまえですよぉー! ガチンコ勝負です!」

 二人はなぜかハイタッチした。

「考えてみれば、あれはあれで良かったのかもしれないな」

 爆笑しながら会話するシロナさんとマキノ先輩を見て苦笑いを浮かべながら、アキラ先輩は言った。

「何がっすか?」とタツヤ。

「マサノブが受け取ってしまった薬がその日にああやって発見されてさ――」アキラ先輩は続ける。「そりゃ、マサノブは精神的にかなりきつかったろうし、おれたちも結局チーム戦に出場できず、定期戦は中止になった。でもさ、シュウのガーディが反応してあそこで発見されてなかったら、もしかしたらあの薬がミオ大に広まってたかもしれないだろ? もちろんマサノブがそんなことするとは思わないけど、別の誰かが売りさばこうとした可能性もあったわけだ」

 確かに、結果論としてはそうなのかもしれない。あの日チームはかなりの団結ぶりを見せたし、僕自身のことを言えば、カオリにあのことを問い正すきっかけになった。

「でも私は今でも悔しいんだからね」

 マキノ先輩、聞いてたのか。

「私、あの日に賭けてたのよ? この一年間の練習はあの日のためにやってきたようなものなんだから! もう、なんであれっぽっちの『粉』なんかに――」

 そう言いながら、マキノ先輩はグラスを握ったままテーブルに突っ伏してしまった。

「もう、飲みすぎよー代表さん」と、シロナさんが頭を撫でる。

「それに――」マキノ先輩はもう一度顔を上げた。「私、マサノブにあんな辛い思いさせたやつが許せない」

 そう言って彼女はビールをあおった。

「うちも、あんなものなければいいのにって思うな」ヤスカが頬杖をつきながら言う。「存在するなっていうのは無理なんだろうけど、でも人の人生ボロボロにしちゃうものでお金儲けするなんて、最低」

「でも買う人間がいる限り、このマーケットはなくならないだろ? 需要があれば、供給が生まれるんだ」

 タツヤがそう言って続ける。

「アキラ先輩にも言われたから、もう薬やってる人をみんなバカだなんて言わないけどさ、買い手と売り手の両者で利害が一致しちゃってるなら、この関係はそう簡単に崩れないよ」

 なるほど僕たちの代は、こういうムズカシイ問題について語り合うのが好きらしい。
 問題意識があるのは良いことだとは思うけど。

 無論、カオリは口をつぐんでいた。

「ああ。でもそこに依存性っていう事情が絡むことを忘れちゃいけない」とアキラ先輩。「買い手側の需要は"作りだされている"んだ」

 タツヤはなおも熱弁する。

「だからなおさら最初『なんで手を出しちゃうんだろう?』って思っちゃうんすよ。止めようと思えば止められるタバコなんかとは違うのに――」

「シロナさんは――どう思いますか?」

 ヤスカが質問した。みんなの視線がシロナさんに向けられる。
 僕も気になった。シンオウ地方チャンピオンの意見。

「うーん」シロナさんはグラスをテーブルに置いた。「ここで私がそのことについて話すのは、あまり意味がないわね」

 シロナさんは続けて、こんなことを言ったのだ。

「語るより、動きなさい」

 僕たち六人はそのままシロナさんを見つめ続けた。

 今思うと、その言葉は確かにみんなの心に響いてたし、無理やり寝かしつけていたものを起こすきっかけになったんだ。

「今、この大学で起きている問題に、みんなそれぞれ意見を持っていると思うわ。それはそれで素晴らしいこと。でも、それだけで何もしないなら語るだけ無駄よ。何にも考えてないのと一緒」

 マキノ先輩は、ぼんやりとした顔で聞き入っていたが、その瞳には炎が見えた。

「定期戦で苦い思いをしたみんななら、絶対に『動機』があるはずよ。本当は思ってるはず。何かしてやりたい。何かしなきゃって――こうして議論になるのはその証拠。自分の中にある『動機』に忠実に、何かしてごらんなさい。このチームのみんなが何かすれば、必ず何か変わるわ」

 シロナさんはにっこりと笑い、置いたグラスを顔の高さに持ち上げた。

「だって、私が認めたチームなんですもの」


17

「口の軽いやつだった。とりあえず、店を一件突き止めた」

 帰り道、ケイタが僕に報告した。
 突破口が開けたわけだ。

 家に着いた後、携帯を開くとマキノ先輩からのメーリスが流れていた。

<明日の昼集会、急で申し訳ないんだけど、できるだけ全員参加すること。大事な話があります。――マキノ>

「メール?」ベッドに腰掛けているカオリが僕に訊いた。今日は僕んちにお泊りなのだ。

「ああ、悪い」そう言って僕は携帯をベッドに放り投げ、カオリの隣りに座り、キスをした。

「――誰から?」

「あれ? 気になる?」

「……別にそういうわけじゃないけど」

 そう言って口を尖らせながら、カオリは僕の肩に頭を乗せた。
 お酒が入っているからか、不安なことを今は忘れていたいのか、カオリはいつもより甘え上手だった。

 今日この日、僕は確かに音を聴いた。

 それは、エンジンの音。

 僕がここまで走ってきた人生で、一度も聴いたことのないふかし方の、エンジンの音。

 そうか、今まで制限速度を守っていたからな。

 ここからはもっとアクセルを踏み込まなきゃ。

「立ち上がる時が来たらしいんだ。『ヘル・スロープ』がね」


  [No.162] 【第八話】 投稿者:リナ   投稿日:2011/01/04(Tue) 21:42:26   55clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

18

 集会にこんなに人が集まるのもまた、定期戦の前の集会以来かもしれない。

「私、昨日一晩中考えたんだけど――」マキノ先輩は静かに切り出した。「やっぱりやらなきゃいけない、私たちが立ち上がらなきゃいけないと思うの」

 静まりかえったサークル部屋で、先輩の決意の声が響いた。
 なんだか不思議な空気だった。
 窓は閉じられているのに、部屋に漂う風の流線が全部一方向に向いて、勢いを蓄えている。

「定期戦、私は本当に悔しかった。コトブキ大と決着をつけられなかったこともあるけど、それ以上に……」先輩はマサノブをちらりと見た。「それ以上に、うちのメンバーがあんなに辛い思いをさせられたことが、私は本当に悔しい。悔しくてたまらない」

 メンバーの何人かが頷いた。ヤスカが鼻をすすった。
 先輩が言葉を発するたびに風が集まって大きな塊を作っていく。

「ずっとそんな気持ちでいながら、別になにかできる訳じゃないと思いこんで、悔しさを押し殺してきた。けど――昨日聞いた何人かは分かると思うけど――シロナさんにね、『自分の中にある"動機"に忠実に、何かしてごらんなさい』って、そう言われて私、何もせずにはいられなくなった」

「前置きはそのくらいでいいぞ。で、何するんだ?」アキラ先輩がニヤリと笑いながら言った。

 マキノ先輩も笑った。企むような、不敵な笑み。

「潰す! この大学に薬なんてバラ撒いてるチンピラどもを!」

 僕たちが決起したその日から、それはもう目の回るような忙しい日々が始まった。

 まず、マキノ先輩を中心にプロジェクト内の役割が決められた。

 マキノ先輩曰く「圧倒的に情報が足りないわ」と言うことで、一、二年は基本的に情報収集に奔走した。

 もちろん、「学内で覚醒剤売ってるやつ、知ってる?」とか「ミオの暴力団のアジトってどの辺?」とか、露骨な聞き込みなど出来ないので、各々かなり苦労した。

 学食で、いかにも遊んでそうな学生の近くにそれとなく居座り、辛抱強く聴き耳を立てるものや、友達との飲み会でそれとなくそういう話題にもっていって、情報を引き出そうとするもの。ボランティアサークルのフリをして、アンケートを集めを演じつつ、「実際にドラッグを見たことがありますか?」といったギリギリ怪しまれない程度の質問を紛れ込ませるものまでいた。

 カツノリが「学内ディーラー」ということは(もちろんカオリの話は伏せて)メンバーで共有していたので、交代で帰り道、尾行した。
 ケイタが仕入れた、ドラッグの受け渡しに使われているという店に、客として来店し、調査するという計画も同時に進行していた。

 三、四年生は、集まった情報をもとに作戦を練っていった。

 サークル部屋には「捜査本部」さながら、ホワイトボードに重要人物の似顔絵が張り付けられ、その情報が重要度によって色分けされて書き込まれていたし、真ん中の机にはミオシティの巨大な全体地図が広げられていた。ケイタの聞き出した店のところには付箋が貼ってあった。

 当然メンバーの中には「こういうことは警察任せるべき」という意見もあったし、一年生の何人かは、かなり怖がっているみたいだった。

 ただ、僕たちは立ち止まらなかった。

 この勢いの理由をちゃんと説明するなら、定期戦でマキノ先輩が感じたような悔しさはみんなの中にもあったし、それによって「動機」がはっきりしていたからだ。

 でもね、もっとシンプルに、こんな危なっかしいことに踏み出せたのはなぜか、と言えば、「大学生だから」なんだ。
 仮にまだ飛べないとしても、巣から飛び降りたくなるのが、またそれが許されるギリギリのラインが、僕たち大学生だ。
 勉強をろくにしていなくても、大学ではそうやって成長できる余地があるんだ。今の僕たちはかなり特殊だけどね。

 ちなみにマキノ先輩が高校時代、同学年で逆らえるものなどいなかったほど「ワル」だったことも、確実に影響している。
 ――この情報は必要なかったかな? 本人は隠したいらしいんだ。みんな知ってるけどね。

 練習もいつにもまして熱が入った。

 僕はわりとレベルが近いタツヤと主に練習試合を重ねていた。
 日ごとに成長していく僕たちはお互いをさらに高め合い――と続けたいところなんだけど、実際はあまりはかどらなかったんだ……。

「おいポウル! 戻ってこい!」

 それもこれも全部、今日もまた試合早々に戦線離脱し、練習中の女子バスケ部の女の子を驚かしてケラケラ笑っているタツヤのムウマ、ポウルの所業である。

 まあ、なんだ――いわゆる「問題児」だ。

「本気になれば強いんだよ、これでも」首に付いているアクセサリーを引っ掴んでムウマを連れ戻しながら、タツヤが言った。

「本気になればだろ」と僕。

 ヒートが咳をするように小さな火の子をはく。「やってらんねぇよ」とでも言いたげだ。
 マイ先輩と戦ったときのポウルは一体どういう風の吹きまわしだったのだろう?

 タツヤとの練習は終始こんな感じになってしまうことが多いため、僕は時々ジムに通って相手を探すようになった。

 クリスマス・イブの前日(クリスマス・イブ・イブ?)、僕はジム・トレーナーのタカユキさんと久しぶりに手を合わせた。

 僕は勝てはしなかったものの、それなりに実力差は縮まっているとは感じた。
 前回は一度も当たらなかった火炎放射は使わず、火の子のような小技を連発することでエアームドの動きをある程度制限することができた。
 結局最後は一発でやられちゃったけど。

「相当動きが良くなってるよ。シュウくん自身も落ち着いた指示を出せていたしね」

 てな感じでタカユキさんに褒められて気分の良くなっていた僕の隣りのフィールドで、突然爆音が鳴り響いた。

「あっちゃー、だめかあ!」

 たちこめる砂ぼこりの中、声を上げたのはユウスケ先輩だった。

 定期戦ではシン先輩とタッグを組んでいたキリンリキ使いのユウスケ先輩は、一言で形容するなら――そう、「爽やかイケメン」である。

「ありがとう、ジーナ」

 今もほら、爽やかに「悔し笑い」を浮かべながらキリンリキをボールに戻している。
 彼は女の子から絶大な支持を得ており、あの笑顔の信者が近年後を絶たない。

 ただ、僕たちメンズは知っている。あの人は変態だ。
 
 男だけで飲むときは決まってユウスケ先輩を中心に下ネタが展開される。

 そういったものに嫌悪感を抱かれる方はあらかじめ注意してお読みください。

 頻出単語は「パイパン」。うん、なんか、好きらしい。
 あと「寝バック」。体位トークは彼の十八番だ。「騎乗位」もよく出てくるな。呆れるほど饒舌に語る。周りは終始爆笑。

 まあ、爽やかな笑顔でそういう話をすれば下ネタも「セクシー・トーク」とでも名前を変えるのだろう。
 ケイタもそうだけど、得だよね、イケメンは。

 ――止めよう。

 とにかく、隣りではユウスケ先輩と、ジムリーダーのトウガンさんが練習試合をしているところだったのだ。

「さすがにジャイロボールは防ぎきれんかったろう! いやあ、しかし気持ちの良い試合だった!」

 年中タンクトップ姿のトウガンさんはドータクンをボールに戻しながらガハハと笑った。汗びっしょりだ。

 僕はトレーナー・エリアに突っ立ったまま、そのバトルのスケールの大きさに圧倒されていた。

 もちろん個々の技の威力だってそりゃあもう相当なものだ。ジャイロボールやサイコキネシス、どれも訓練を積まないとまともに扱うことさえできない。

 でも何だろう? そういうものよりも、何か別のものに僕は圧倒されたんだ。
 
 実際に戦うのはポケモンなのに、トウガンさんはどうして汗びっしょりになっているんだろう。
 ユウスケ先輩だって、額にもうっすら光るものが見える。

 汗なんて個人差だとは思うけども、つまりそういうものに、僕は心を震わされたような気がした。

(勝敗を分けるのは、最終的には気持ちです。あなたの本気がポケモンに伝われば、ポケモンも本気であなたのために戦います――)

 定期戦で、シロナさんが言っていた言葉。良いことを言うなと思いながらも、ほとんど聞き流していたあの言葉。

 そういうことなんだ。

 声に出さずともポケモンに伝わる、気持ち。
 見ている人の心を動かすほどのバトルをつくり出す、気持ち。

 この人たちは、自分自身が汗をかいてしまうほど、本気だったんだ。

 ヒートはもう火の子も出ないほど疲れているのに、僕は息ひとつ切らしていないことに気付いた。


19

「シュウ? シュウってば!」

 どうやら僕は考え事に没頭するあまり、五感をシャットダウンしていたらしい。「聴覚」が強制起動させられ、「視覚」も起動するとカオリが目の前でふくれていた。

「んあ? あー、悪い。それで、応急救護でどうしたって?」

「もう! 自動車学校の話は二回もしたよ? シュウなんか今日ぼーっとしすぎ」

「――ごめん。ちょっと、考え事しちゃってて」

 クリスマス・イブ。恋人達の日と誰が決めたかは知らないが、イブの日に街がこんなにカップルで埋め尽くされるのは日本だけらしい。
 イベント事にあやかって盛り上がるのは好きじゃない。でもこのカップルだらけのコトブキ駅前のスタバに、僕たちもまたカップルとして来店しているのだから、そうやってぼやく資格はないだろう。
 僕たちはお昼になって混みはじめる前に、この店で三組しかない奥のソファ席を陣取った。

「考えごとって――サークルのこと?」

 我らが「ヘル・スロープ」が本格的に暴力団摘発に乗り出そうとしていることは、カオリにも話した。

「ああ、そんなとこ――すまん、クリスマスなのにな。もう忘れるよ」

 そう言ったものの、僕の脳には自動的に考え事が浮かんでくる。
 カオリも心配そうに僕を見つめながらカプチーノを飲んだ。

 昨日のユウスケ先輩とトウガンさんの試合を見て、「ヘル・スロープ」が動くのであれば、当然中途半端な気持ちではいられない、僕も本気にならなきゃと、そう思った。

 そして、エンジンをフル回転させるのなら、助手席にカオリが乗っていることも忘れてはならないのだ。

 もし僕たちがうまくいって、暴力団を摘発にまで持ち込めたら、カオリの身にも危険が及ぶ可能性がある。
 僕はカオリとこのことについて話したことはなかった。「ヘル・スロープ」が動くということを話した時もカオリは僕や他のメンバーの身だけを心配してくれるだけで、自分のことなど全く言葉に出さなかった。

 でも、彼女だって分かっているはずなのだ。この車、まだ助手席にエア・バッグが取り付けられていないことを。
 そして僕はまだそれを取り付ける術を知らない。
 彼女を守ると決めた以上は、なんとかしなければならないのだけど。

 スタバを出た後、僕たちは他のカップルと同じように、クリスマス・イブを楽しんだ。
 カオリの希望でコトブキ交響楽団のクリスマス公演を観に行った。往年のクリスマス・ソングから山下達郎などJポップまで、全十二曲がオーケストラ・アレンジになって演奏された。ユーチューブでなら見たことあるけど、やっぱり生演奏は迫力が違う。

 日が暮れてからは街のイルミネーションを眺めながら手を繋ぎ、ブラブラ歩いた。
 緑地の東端に建てられているテレビ塔は、あの時はガイコツのようにしか見えなかったのに、今はライトアップされ、夜空を彩る巨大なクリスマス・ツリーと化していた。

 夕食――いや、今日は特別に「ディナー」と呼ばせてもらおうか――は、定期戦の日に食べた安い店ではなく、夜景の見える、予約制の、一人五千円もするイタリア料理のコースだ。しかもワインが別料金。

 一回聞いただけでは絶対覚えられない名前の赤ワインを二人で一本空け、乾杯した。
 料理はどれも美味しかった。時々見たことないかたちの食べ物が出てきたけど、それらも含めて全部美味しかった。

「――じゃあそろそろ渡そうかな、プレゼント」

 デザートを頂いたあと、しばらくしてから僕が切り出した。

「一応、悩んだんだぞ――メリクリ」僕はケイタにあーだこーだ言われながら辿り着いたあのネックレスの箱を渡した。

「ありがとう!」カオリはワインでピンク色に染まった頬をほころばせた。夜景のプラス・アルファもあり、はしゃぎながら箱を見回す彼女に僕は見とれた。写真に収めておきたくなるような光景だった。

「開けてもいい?」と言いながらカオリはもう開け始めている。

 ほどなくして、あのクロスのヘッドと銀のチェーンが彼女の指に絡んで姿を現した。

「わぁー綺麗!」カオリは静かな店内で大きな声を出した。確かに、店頭で見たときより幾分か、綺麗に見えた。不思議なもんだ。

「着けてみてよ」

「うん」カオリは髪を後ろに流してからチェーンを首に回した。「――どう?」

 ネックレスはカオリの白い胸元に、居場所を得て喜んでいるように光り輝いた。

「完璧。やっぱりピンクにして良かったな、バッチリ似合ってる」

「ふふ、ありがとう。うれしいな」彼女は横の席に置いていたバッグを取った。「じゃああたしもあげるね――」

 そう言って彼女が取り出したのもまた、箱だった。磨かれた黒曜石ようなモノトーン・カラーのその箱は、アクセサリーにしては少し大きかった。

「メリークリスマス。開けてみて」

「ありがとう――なんだろうな」

 正直見当がつかないまま箱を開けると、滑らかなシルクのクッションの上に赤く輝く石が置かれていた。
 一瞬僕はあの世界的な魔法使い物語に出てくる「賢者の石」を思い出した。
 宝石とはまた違う、素朴な輝き。

「炎の石だよ」カオリが静かに言った。「もちろん、ヒートを進化させるために使ってくれていいし、そうしてくれたらと思って選んだの。でもそれはシュウに任せる。お守りみたいにしてくれても嬉しいし、文鎮とかにしてくれたって全然いいよ」

 僕はしばらくその石に見とれていた。「ウインディにしてはどうか」というシロナさんの助言を思い出す。
 予想だにしないところで、僕はヒートが進化するためのカードを揃えてしまった。

「初めて見るよ、炎の石。ありがとう。でもこれを文鎮にするのはちょっと贅沢だ」

 僕たちは笑いあった。

 その夜、世の浮かれている恋人達と同じように、僕とカオリは愛しあった。
 シーツの海の中で、僕は彼女の聞き取れない言葉と柔らかい肌、シャンプーの香りとほんの少しの汗の匂いに満たされた。

 カオリが眠りについた後、僕の頭にまた考え事が浮かんできた。再び上の空になって悩み始めるはめになる。

 ただ、こうしてカオリを抱いているとちょっと難しく考えすぎなのかもしれないと思うこともある。
 彼女は幸い、もう薬からは解放されているんだ。自分の力で悪魔の手を振り払ったんだ。
 それに僕たちには味方もいる。絶対に手のひらを返したりしない、信頼できる仲間がいる。

 大丈夫に、決まっている。

 しかし、顔も名前も知らない大勢の人々が、無機質に微笑んでいる絵が浮かぶのもまた事実だ。
 こっち指差してんじゃねぇ。何も知らないくせに。
 負の方向にはいくらでも考えられるのが人間の脳みそらしく、憎悪が凝り固まっていくのも恐ろしく早い。

 僕は庇うような気持ちでカオリを強く抱きしめ直した。
 彼女を離すわけにはいかない。守ると決めたのは僕自身だ。

「いってらっしゃい――」

 急にカオリが呟いた。
 どうやら、寝言のようだ。

「気を付けてね――絶対、絶対帰ってきてね――」

 もごもごしていて聞きとりにくかったが、そんなことを言った。どんな夢を見ているんだろう?

 そしてカオリが最後に言った寝言が、僕の胸に深く、それはもう深く突き刺さったんだ。

「――あたしなら大丈夫だから……」

 彼女が今日くれた炎の石。僕にはあれが彼女からのメッセージのように感じた。

(あたしのことなんて気にしてないで、悪い人たちを捕まえて。それができるのはシュウたちだけだよ)


  [No.164] 【第九話】 投稿者:リナ   投稿日:2011/01/08(Sat) 06:14:14   68clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

20

 明けましておめでとうございます。
 ということで、僕は新年を迎えた。今年もよろしく。

 ずっと言ってなかったけど、僕の実家はハクタイシティである。
 ミオからは電車で二時間半のハクタイは、正直言って何にもないところだ。
 最近ハクタイの「一番栄えているところ」に初めて百円ショップができて、それなりに重宝していると、母さんが言っていた。

 有名なものと言えば、開拓初期に、どっかの物好きが街のはずれにある森の中にぶっ建てた、古い洋館くらいだろう。
 洋館は元々その人物の別荘だったらしいのだが、その昔、家族もろとも洋館内で何者かに「惨殺」されたらしく、今では「観光スポット」というよりも「心霊スポット」として、パンフレットなどにも紹介されている。
 僕自身も高校生の時、友達と肝試しに行ったことがあるが、なんてことないただの洋館だった。建物内への立ち入りは禁止されていたので大した収穫もなく引き返したのを覚えている。

 年末年始、僕はハクタイに帰省し、実家でゆっくりと年を越した。年々減っていく「あけおめメール」に返信し、旧友と初詣に出かけ、年越しそばを食べた。
 まあ、説明するまでもなく、一般的な日本人の元旦ですよね。

 さて、ミオ大学に戻ろう。

 一月の中旬。年明け一発目の昼集会で一騒動、いや、二騒動起きた。

 まず、暴力団摘発を実行する者、つまり実際にアジト(いまいち現実味を帯びない単語だと思わない?)に攻め入る者は「二年生以上」となった。
 マキノ先輩とアキラ先輩で話し合った末の決断らしい。一年生はまだほとんど未成年だし、スタメンが大所帯になりすぎるのも動きづらくて良くない、という理由からだ。
 これには一年生からブーイングが起きた。中には胸をなでおろした一年生もいたようだが、「討ち入り」に闘志を燃やしていた何人かは落胆の表情を見せていた。
 後方支援だって大事さ、後輩諸君。

 そして二騒動目は、まるで初期微動の後に来る主要動のようにサークル部屋を揺らした。

「お前も、戦いには出てもらうわけにいかない」

 コウタロウ先輩が突然言い放った。
 「お前」と指されたのは、出入り口のドアのすぐ横で、腕を組みながら壁に寄り掛かっていたマイ先輩だった。

「――は?! それどういうこと?!」

 部屋が静まり返り、視線はコウタロウ先輩とマイ先輩の二人に注がれた。

「それは自分が一番分かってるんじゃないのか? お前、定期戦から練習試合で一度もトゲチックに『指を振る』使わせてないだろ? それに、一度も勝ててない」

 マイ先輩の顔から一気に血の気が引いた。

 上級生は全員、無表情でそれぞれの方向を見つめている。
 一、二年はそわそわしながら、コウタロウ先輩とマイ先輩に視線を行ったり来たりさせていた。

「それは――ティムがまたあんなことになったら――私……」

 僕はこんなガラス細工のようになったマイ先輩を初めて見た。

 マイ先輩は、その華奢な身体には不釣り合いなくらい大きくて強い精神を持った人だった。普段の態度もそうだけど、決して自分の考えを曲げない頑固者で、それだけに頼りになる先輩だった。
 そして、定期戦ではマキノ先輩と抱き合って泣いてしまうほど、熱いハートの持ち主でもあるのだ。

 そんなマイ先輩が今は、少しの衝撃で崩れ落ちてしまいそうな表情を浮かべ、壁際に棒立ちになっていた。

「――い、今はまだ調整中なの! 確かにちょっとスランプだけど、対決の時までには絶対――」

「無理だよ。今のお前じゃここにいる誰にも勝てない。トゲチックを戦わせることを怖がってるお前じゃ――」

「ちょ、ちょっと! コウタロウ先輩! 何もそこまで言うこと――」ヤスカが慌てて口を挟んだ。「あんな経験しちゃ、誰だって怖くなりますよ! もうちょっとマイ先輩の気持ち、考えてあげてもいいじゃないですか!」

 しかしコウタロウ先輩はなおも重々しい口調でマイ先輩に言い続けた。

「おれたちが行くのは『試合』じゃない。ルールなんて存在しないし、下手すれば命を落とす可能性だってある。お前がトゲチックを庇えさえすれば、そこで相手が『試合終了。私の勝ちですね』と言って見逃してくれると思うか? トゲチックの替わりに酷い目に会うのは、マイ、お前だ」

「わ、私は……」マイ先輩の瞳が充血して赤くなっていた。

「お前のことを守れなかったトゲチックはどんな気持ちになるだろうな? 最後まで信じてもらえなかったトゲチックの気持ちは」

「うるさい!! ティムのことは私が一番よく分かってるもん!」

 弾かれるようにして、マイ先輩は部屋を飛び出していった。

 僕たちは皆唖然として、ゆっくりと閉まるドアを見ていた。

「――なにもみんながいる前で切り出す必要はなかったんじゃないか?」と、アキラ先輩。

「いいえ、このくらいでないと」コウタロウ先輩は、口元だけで笑った。「今、あいつにとって大事な時期なんです。今までまっすぐだった軸が傾き始めてる――もうあんなマイ、見たくありません」

 コウタロウ先輩は、マイ先輩を見離したわけではなく、立ち直らせようとしているのだと僕は思った。
 そのためにコウタロウ先輩は、優しく慰めるよりもわざと突き離して、マイ先輩に自分で考える時間を与えようとしている。

 コウタロウ先輩は多分、マイ先輩の「まっすぐな心」に惚れたんだろうな。
 でも定期戦以来、マイ先輩が迷子になってしまったから、今までずっと道しるべになろうとしてきたんだ。
 けどそれはあんまりうまく行ってなかった。
 ここからはひとりで答えを見つけ出さなければならない。
 いや、答えは決まっているのだろう。答案にははっきりと書き込んだ。
 ただなかなか試験官に答案を提出できずに消しゴムで消したり、また書いたりを繰り返している。
 
 間違ったらどうしよう――

 昔みたいに直感で答えを書いて開始十分で試験場を退出するようなかっこいいマイ先輩に、早く戻ってきてほしい。

21

 高校時代の僕だったら、暴力団に殴り込みをかけるなんてこと絶対にできなかっただろう。
 あの頃の僕のままでいたとしたら、真っ先に戦線離脱していたと思う。

 小、中、高と、僕は浮き沈みのない平凡な日々を送ってきた。

 大きな問題は起こさないようにする。
 常識に忠実に歩く。
 自分に関係の無いことは、見て見ぬふりをする。
 手に負える範囲ならば、はみ出す。
 そして気付かれないようにまた自分の枠に戻る。

 こんな僕だったのに、どうしてか今は、目の前のことにものすごく燃えているんだ。

 焼酎をふっかけながらそんな話を恥ずかしげもなくケイタにした。ここは僕の部屋。

「お前を変えてくれた人が周りにいた、それだけのことだ。そういう人に出会うために大学はあるんだ」

 そうかもしれない。多分、僕の周りの人が一人でも欠けたら、今の僕はないと思う。

 だらしない僕にカオリはアドレスをわざわざメモ帳に書いて渡してくれた。あの時は人生における無数の細道のひとつとしか考えてなかったけど、カオリのことを知っていくうちにどんどん道幅が広くなっていった。今では毎日通る、馴染みの通学路みたいなものだ。

 我が「ヘル・スロープ」の代表、マキノ。最初に「女帝」などと影で呼び始めたのは大した考えが伴なったものではなかったが、今では尊敬を込めてそう呼たい。彼女の決断で、僕もアクセルを踏み込む決心がついた。

 そして、あまり言いたくもないが君だよケイタ。別にエピソードを思い出すつもりもない。僕の座右の銘はケイタの名言から選ばせてもらうとする。

 「僕と出会ってくれてありがとう」と言いたい人は他にもたくさんいる。本当に素敵な出会いが僕の人生には溢れている。

 こんな感傷に浸るキャラでいくつもりはなかったんだけどな。もっとクールに人生を謳歌するのが理想だ。
 ちょっと飲みすぎたことにしておこう。

「何はともあれ、いよいよだ。シュウ、お前しくじんなよ」

「分かってる。ヒートだっているし、敵はない」

 僕はウインディの入ったモンスターボールを見つめた。

 二月二日。決戦前夜。

 明日は節分か。ちょうどいい。「鬼退治」といこう。


  [No.167] 感想をば〜 投稿者:   《URL》   投稿日:2011/01/12(Wed) 01:01:24   57clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

はじめまして、きとかげと申します。
楽しく読んでいます。
「ドラッグ」と「ポケモン」という組み合わせの小説ははじめてですので、ここからどう発展するか、ポケモンがどう活かされるか、なんというか楽しみにしております。

「ドラッグ」という重いテーマなのに、語り口が軽妙で読みやすい。
でもテーマを軽んじてはない。そう感じました。
私の場合、重いテーマは重く、軽く書くときはギャグしかできないので、そのように書ける人は凄いと思います。

物語全体に漂う大学生らしさが好きです。
飲み会とかサークルとか、カオリさんへのプレゼントをロフトで買う場面とか、特にらしさを感じました。
でもなんといっても、麻薬撲滅キャンペーン後のヤスカとタツヤの会話。
きっと大学でそんなことがあったら、私も同じことを言うだろうな、と。
“みんな”の一人になって、浅慮なことを言ってるだろう、と切に感じるのです。
だからこそ余計に、シュウくんとカオリさんの行く末が気になります。
はっきりとしない“みんな”に対して、シュウくんはどうするのか、今から不安とドキドキで胸をくすぐられております。

でもその前にアジトへの突撃ですね!
彼女からもらった炎の石で進化だなんて、なんて幸せ者なんだと平時なら言えるところですが、とにかくご武運をお祈りします。

では、拙文失礼しました。


  [No.168] Re: 感想をば〜 投稿者:リナ   投稿日:2011/01/12(Wed) 17:16:58   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 はじめまして、きとかげさん。

 感想ありがとうございます。
 しかもこんなに深く読み込んでくれるなんて、とてもうれしい限りです。

 語り口がラフなのは単に語彙力が乏しいからですねw
 良い感じの言い回しが浮かばない時は大抵口語に逃げます。

 大学のようなある意味閉鎖的なコミュニティに属していると、その中のでの「一般論」って気になるものなんですよね。タツヤとヤスカの会話はその提示という意味があります。
 普通はそれに溶け込むのが楽ちんなんですけど、それに反骨する人を描きたかったので、言及してくれてうれしいです。

 年明けはなかなか忙しいもので、今までより少し更新ペースが落ちると思いますが、これからもお付き合い下さい。

 追伸:アンノーンの「I LOVE U」素敵です。キュンとしましたw


  [No.172] 【僕の知らなかった話】-前篇 投稿者:リナ   投稿日:2011/01/14(Fri) 18:27:21   69clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

22

「そろそろ交代しよう。白目剥いてるぞ」

 アキラはそう言われてはっとした。座っていた座イスから転げ落ちそうになった。
 見上げると、ここの家主であるシンがマグカップを持って見下ろしていた。

「まずい、寝ちまったか――そうだな、バトンタッチするよ」

 二月二日の夜。時計は十一時を回った。
 今日の夕方からずっと当番だったアキラが久しぶりに座イスから立ち上がった。肩がゴキゴキと音を立てる。

「特に変わったところはなかったな。出入りしてる連中もいつも通りのメンツだ」

 一週間前から、彼ら「ヘル・スロープ」のメンバーは、交代で暴力団アジトの入口を監視していた。

 去年二年生のケイタが仕入れたある店。その店は暴力団がドラッグの受け渡しを頻繁に行っているらしく、今パソコンの画面に映っている雑居ビルにはそこから辿り着いたのだった。そのビルは、観光地化している市街の外れの地元人しか訪れないようなところに身を隠すようにしてひっそりと建っていた。
 出入りしている人間が店の方と顔ぶれとの一致していることや、何よりその風貌から、その雑居ビルが暴力団の拠点であることを割り出した。

 一見すると、消費者金融会社の事務所が一階に入っているだけの小汚いビルだが、この事務所こそやつらの本拠地である。
 善良な企業を装って、なんてことない、悪徳な高利貸しを生業としているのだった。まあ、よくある話かもしれない。

 その事務所の向かいに、スナックと居酒屋が身を寄せ合うようにして建っている。
 その建物のわずかな隙間にビデオカメラを設置し、ブルーシートの隙間からレンズだけをのぞかせた。ぱっと見はただの粗大ごみにしか見えず、間違ってもこんなものに興味を持つ人間はいないだろう。
 そのビデオカメラが撮影した映像をインターネット回線に乗せて、このパソコンに送られてくる、という寸法だ。

 こんなことができるのも、コンピューターや情報通信に詳しい四年生のシンのおかげだ。監視室になっているミオシティのこの部屋も、このパソコンも、ビデオカメラもすべてシンが提供している。

 一週間に渡る観察の結果――出入りしている顔ぶれからの推測なので一概には言えないが――暴力団の総人数は約二十人。年齢層は二十代から四十代と幅広く、何人かはモンスターボールを携帯しているのが見て取れた。

 客らしき人間を除き、出入りが頻発するのは朝と夕方だが、夜遅くまで出入りが絶えないことが多かった。
 入ってすぐ出ていく者が多いことを考えるとあまりその事務所に常在してはいないらしい。
 こういう道の方々はやはりオフィスワークではなく外でお仕事する場合が多いのだろう。どんな業務内容なのかは知らないが。

「やっぱり、一網打尽といくなら誘い出すのが一番やりやすいだろう」

 アキラは台所で水を汲み、一気飲みしてから言った。

「そうだろうな。町中でドンパチやるわけにはいかない」シンは、何か注視しなければならない時にだけかける眼鏡を拭きながらパソコンを見つめた。「暴力団だけあって相当やり慣れてるだろうし、できればこっちに有利な場所で、相手の戦力を分散しつつやりたいところだ」

 この手の会話は、実はこの一週間何度も繰り返された話だ。
 暴力団メンバーをできるだけ多く、どこかへ誘い出す。集団で戦いなれている相手に有利にならないよう、相手を二、三人ずつに分散し、小分けにして戦力を削っていく。

「問題はどうやって誘い出すかと、どこに誘い出すかだな――」

 アキラがそう言うのとほぼ同時に、玄関のドアが開いた。冷たい外気が部屋に吹きこんだ。

「お疲れさん! 差し入れ持ってきたよん!」

 現れたのは我がサークルの代表、マキノだった。頭に少し雪を被っている。ジャージにダウンジャケットという出で立ちで、手にはコンビニの袋が下がっていた。

「どうでもいいが、チャイムくらい鳴らせ」とシン。

「もう、冷たいのねシンちゃんは。おでんいらないのかしら?」そう言いながらマキノは部屋の真ん中に据えられたこたつに潜り込み、コンビニ袋を置いた。「はぁー、あったかーい!」

「お、それは激アツ。食ってから寝よう」とアキラ。

「――おでんはいる」全く抑揚のない声でシンはパソコンの画面を見ながら言った。「箸と皿は流しの横だ」

「言われなくてももう使わせてもらってまーす。この一週間でこの部屋の物、なにがどこにあるか熟知したから」

 そう言ってマキノはおでんを深皿に取り分けた。ダシのしみ込んだ大根やがんもが湯気をたてる。

「卵は一人一個なので、そこんとこ」

 おでんを頬張りながら、三人はミオシティの地図を広げ、作戦の最終調整をした。

 残る問題である「誘い出し方」と「誘い出す場所」は、マキノの一言で半ば強引にけりがついた。

「私が誘い出すわ、任せて」

「任せてって、それ大丈夫なのか?」アキラは眉にしわを寄せた。

「ええ、ちょっと乱暴な方法だけど、私とトレスクが必ずおびき出して見せるわ」
 
 トレスクとはマキノのゴローニャの名前だ。
 一体どこからそんな自信がくるのだろうと、アキラは異常に不安に思ったが、マキノのトレーナーとしての腕を見込むことにして、結局マキノに丸投げした。こんなんでいいのか、とも思った。

「あと、誘い出す場所なんだけど――」

 マキノは地図上の一点を、ゆっくりと指差した。

「ここがやっぱり一番だと思うわ。私たちが一番動きやすい場所でもあるし、逆にやつらは絶対来たことないと思うから」

「――ああ。おれもそこしかないと思う」とシン。

「おびき出すのは夜だ。ゼミ室で寝てるようなやつ以外、誰もいないしな」とアキラ。

「じゃあ、決まりね」

 マキノが指を指したのは、他でもない、ミオ大学のキャンパスだった。


23

 二月三日、水曜日、節分。早朝のミオシティジムでユウスケは最終調整をしていた。

「ジーナ!」

 ユウスケはキリンリキに最後の指示を出した。

 キリンリキの額のあたりに電流を帯びた球体が現れ、それがピンポン玉くらいの大きさからどんどん膨らんでいき、ついにはバスケットボールくらいの塊になった。
 キリンリキはその長い首をバットのように勢いよく振ると、その電撃の塊が凄まじいスピードで発射された。

「むっ!」

 相手をしていたジム・トレーナーのタカユキはその眩しさに眼を庇った。
 彼のエアームドに電撃波が直撃した。エアームドはよれよれと翼をはためかせ、やがて地面に着陸した。

「いやぁ、驚いたな! そんな技まで使えるとは!」

 タカユキは感嘆しながらエアームドをボールに戻した。

「最近習得したんですよ。電気属性の技は何かと便利なんで」

 ユウスケはタカユキにお礼と別れを告げ、ジムを後にした。

 決戦の日と言っても関係ない人にとっては今日はただの平日。駅前の道は通勤中の人でいっぱいだった。 
 ユウスケはその人の流れとは逆方向の大学に向かって歩いていた。
 コートの襟を立て、ポケットに手を突っ込む。今日もまた、一段と冷え込むらしい。
 昨日の夜はかなり雪が降ったらしく、除雪の済んでいない道は少し歩きづらかった。

 ユウスケは携帯を取り出し、ある番号に電話をかけた。
 二度コールしたが、相手はなかなか出ない。
 この時間に起きていることはまずない人だから、あまり期待しないで三回目の電話をかけた。

<――ふぁい?>

 明らかに電話によって起こされた、不機嫌な声。
 幸運にも、たった三回目の電話で相手は応答した。

「もしもし、シロナさん? 僕ですよ、ユウスケです」

<――何よ? こんな朝早くに>

「別に朝かけることでもなかったんですけどね、事を起こすのは夜ですし。でも、なるべく早めに確認しときたかったんですよ」

 電話越しに風が吹いているような音がした。恐らく、シロナのあくびだろう。

<大丈夫よ、準備は万全。あなたたちのこと、誰も傷つけるつもりはないから。『火を付けた責任』ってのもあるしね>

「そっちじゃないですよ、この前頼んだ件です。覚えてます?」

<この前……ああ。うーんと、あの子よね。ガーディの彼の彼女の――>

「カオリです」

<そう、カオリちゃん。ええ、ゴヨウに確認したけど、なんとかなると思うわ。刑事総務課長がミオ警察署管轄の摘発事件に関与するのはキツいと思ってたけど、意外とゆるいみたいね――でも、あんたがなんでそこまで心配するの?>

 ユウスケは少しだけ、言葉を探した。言葉が見つからなかったわけではなく、いくつかの言葉の中でできるだけ良い文句を使いたかったからだ。

「――同情ですかね。楽しくて、充たされた大学生活を、後輩には送ってもらいたいですから」

 電話の向こうでシロナはクスクスと笑った。

<へえー、変ったわねーあなたも随分>

「変わってませんよ。未だに僕は変態クソ野郎です」

<高校生の頃は変態じゃなかったわよ? クソ野郎ではあったけど>

「――そうですね、確かに昔はただのクソ野郎でした――それじゃあ本日はどうもよろしくお願い致します」

 ユウスケはそう結んで電話を切った。

 久しく忘れていた高校時代を、ユウスケは少し思い出した。
 たったひとつの不幸で黒く塗りつぶされてしまった、あの高校時代。
 あのまま自分には光の射す日々など訪れないと思っていた。

 しかし今は思う。「道を踏み外す」なんて、大した過ちじゃない。
 手を差し伸べてくれる人さえいれば、すぐにまた自分の足で歩けるようになるから。

 実に充実したこの大学四年間、通い慣れたこの坂道を、ユウスケは雪を踏みしめて上っていった。


  [No.178] 【僕の知らなかった話】-後編 投稿者:リナ   投稿日:2011/01/19(Wed) 01:35:54   66clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

24

 昼休みの学食はいつものように学生でごった返していた。

 奥の方のカウンター席で、カオリは一人お弁当を食べていた。
 水曜日の昼休みはいつもシュウと一緒なのだが、さすがに今日は「決戦当日」ということもあり、臨時の昼集会があると言って、「ヘル・スロープ」のサークル部屋に行ってしまった。

 今日ほど一緒にいたい日はないのに。

 本当は、暴力団と戦うなんてそんな危ないことやめてほしかった――。

 炎の石を贈った理由。それは、シュウに踏み出してほしいから。
 渡す時口に出して言えなかったけど、シュウには自分思うように歩いてほしいと、そう思った。
 自分のことで彼が思うように生きれないのは嫌だった。

 今日のことがきっかけで、自分が犯してしまった罪を償わなければならない結果になるかもしれない。
 でもそんなのは身から出た錆だ。
 逃げようなんて思わない。
 自分は今日までこんなに守られてきた。

 しかしどうだろう? 今自分の中に渦巻いている気持ちは決してそんな勇敢なものではない。 
 ――勇敢でないどころか、薄汚くさえ見える。 

 行かないでほしい。
 ずっとそばにいてほしい。
 あなたが危ない目に遭うなんて、耐えられない。

 ――そうじゃないんだ。本当はそんなキレイじゃない。

 行かないで、そばであたしを守って。
 ずっとそばにいて、あたしを充たして。
 あなたにもしものことがあったら、あたしはどうすればいいの?

 ――自分本位で、ドス黒い。
 
 薬をやったことだって、償わないでいいならそれに越したことはないと、心の奥底では思っている。
 逃げ切れるなら、逃げ続ける。
 守ってもらえるなら、守られ続ける。

 それが――本音。

 そういう女、ダメなの? 
 両親が死んだんだよ?
 普通誰だって絶望する!
 仕方なかった! 
 きっとあたしじゃなくても同じことになってる! 
 絶対そうに決まってる! 絶対! 絶対!

 ――強くなんてなれない。あたしはずっと弱いまま。か弱い存在。

 アタシニハ、マモラレルシカクガアル――

 この食堂にいる人間で、ただ一人とんでもなく邪悪な女が誰にも気づかれずここに座っている。

「――最低」

 カオリはお弁当にはほとんど箸をつけず、蓋を閉じた。

「随分暗い顔してるね、カオリちゃん」

 そこにいたのは二年生の先輩、ケイタだった。シュウの一番の親友。
 ケイタは軽く口角を上げ、カウンター席に手をかけて立っていた。

「あ――こ、こんにちは。あれっ? 今は昼集会中じゃ――」

「うん、ちょっと遅刻して行く」ケイタは表情を変えず続けた。「ちょっと大事な話があるんだ。いいかな?」


25

 昼集会は比較的あっさりと終わった。

 幽霊部員以外全員が集まり、いつもの口調で代表のマキノが今日の流れの確認、作戦の最終打ち合わせを淡々と行った。
 一年生は大学の近くに住んでいるミサの家に待機。救護係として、連絡を受けるとすぐに駆け付けることができるようになっている。
 心構えを話していたあたりで二年生のケイタが遅刻して部屋に入ってきて、代表に叱責をくらった。
 そして最後にマキノは「絶対に死なないこと!」と言って昼集会は解散となった。

「そっか、死ぬかもしれないのか――マジか……」ヤスカがぼんやりと呟いた。

 サークル部屋には二年のヤスカとタツヤがいつものように残っていた。三年のコウタロウも授業がないらしく、奥のソファーで日経新聞を読んでいた。
 他のメンツは授業があるか、四年生なんかはゼミ室にいるのだろう。

「――あんた憲法基礎は?」ヤスカがタツヤに訊いた。

「あの授業出席とらないし、今日はいいや――てか出ても集中して聴ける気がしない」

 タツヤはテーブルの上に顎を乗せ、力のない声を出した。

「だよね――なんかうち、怖くなってきた……」

「おれもだよ。実際とんでもないことしようとしてるんだよな――」

「暴力団ってさ、やっぱりピストルとか持ってるのかな?」

「――持ってるんじゃないか? 標準装備で」

「……そかあ」

 二人は同時にため息を漏らした。

 タツヤやヤスカも定期戦のことは悔しかったし、このまま黙って当たり障りなく大学生を過ごすよりも、何か行動を起こしたいと思っていた。シロナの話を聞いた後はいっそうその気持ちは強くなった。
 しかし事実、ここまでは勢いで来てしまった感が否めない。
 予想していた「行動を起こす」とは、ボランティアサークルほど温厚なものではないにしろ、ここまで直接的なものでもない、具体的には何も思い浮かばない「何か」をするような気がしていた。

 ――走り出してしまったからにはゴールを目指さなければならない。
 ピストルを持った人がスタート地点だけでなく、ゴール付近にもいるけど。

「そういえば――マイ先輩は来ないんですか?」

 ヤスカがパラパラと新聞をめくっていたコウタロウに訊いた。
 このサークル部屋で起きたあの事件以来、マイはサークルに顔を出したことは一度もなかった。

「――ああ、おれが来るなって言ったからな」

 コウタロウの言葉に、ヤスカは口をとんがらせた。

「もーう、先輩はそれでいいんですかぁ? 彼氏は彼女のこと慰めてあげるのが役目ですよ? マイ先輩、今すごくサビシイと思います」

 コウタロウは新聞をまた一枚めくった。

「あいつが弱い奴だったらおれもそうしたかもな」

「――強い人でもベッコベコにヘコんじゃう時だってあるんですよ?」

「強いならヘコんでも持ち直せる。誰かが助けたってそいつのためにならない」

「――はぁ。もう何も言いません」

 ヤスカは言い返すのを止めた。

 しばらくの間、サークル部屋は暖房の音と、時々窓に吹きつける冷たい風の鳴き声だけが響いていた。

「ヤスカ――」

 何の前触れもなく、タツヤが言った。

「ん?」

「――お前がやられそうになったら絶対おれ助けに行くから」

 ヤスカは驚いてタツヤを見た。コウタロウも新聞の隙間からそっとのぞいた。

「う、うん――ありがと」

 ヤスカは頭の中が熱くなっていくのを感じた。暖房は設定温度に達して自動的に止まっていた。

「だ、だからおれがやべぇ時もお前助けに来いよ?! そういう契約だからな?!」

 タツヤがやたらと早口で言う。そして「やっぱ授業出てくる」と言って足早に部屋を出ていった。

「契約って――もう、一言余計だっつうの」

「お前、何ニヤニヤしてるんだ?」と、コウタロウ。

 ヤスカは頬が浮つくのを止められないでいた。

「べっ、別にニヤニヤなんてしてないですよ?!」

「そんな顔でそんなこと言われてもなあ」

「――う、うち購買でお菓子買ってきます!」

 そう言ってヤスカも、ドタバタと部屋を出ていった。

 ――緊張感があるんだかないんだか。

 そう思いながらコウタロウは新聞に視線を戻した。

 まあ正直に言って、記事の内容はほとんど頭に入ってこない。

 あの時このサークル部屋を飛び出していったマイの表情が、新聞との間に割って入る。
 コウタロウはマイとあれ以来、ろくに連絡を取り合っていなかった。

 本当に、このまま来ないつもりなのか?

 コウタロウはため息をつき、冷めたコーヒーを一口飲んだ。

 そしてふと日経新聞の社会面に躍っていた見出しが目に入った。

<協会「戦力増強必至」>

 例のロケット団指導者脱獄事件の関連記事だった。

<ポケットモンスター協会(以下、協会)は昨日、全国のジムリーダー、四天王、チャンピオンなどの協会任命トレーナーに加え、民間トレーナーからの募集に踏み切ることを決定した。昨年九月に起きたロケット団員の集団脱獄を受け、本格的に戦力を確保する方針だ。社会人チームや大学等のサークルにはジムリーダーに匹敵する力を持ったトレーナーも少なくなく、今年から協会は全国のジム数を増やし、さらなる民間のレベルアップに繋げることも検討している>

 なるほど、要は協会は国民をあげての「総力戦」をも覚悟しているというわけだ。
 そして、記事はさらにこう続いていた。

<加えて協会は、既に各地方のレベルの高いチームや個人をチャンピオン自らが視察し、実力の見極めなどに踏み込んでいることを明かした。地方によっては「実戦形式」をとり、実戦下でどのくらい力を発揮できるかの見極めが行われるという>

 大学等のサークル。チャンピオン自らが視察。実戦形式。

 コウタロウの頭の中で報道と現実が一本の糸で繋がってしまった。


  [No.204] 【第十話】 投稿者:リナ   投稿日:2011/02/20(Sun) 15:32:59   68clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

26

「――本当に来るのか?」と、アキラ先輩。

「もちろん、必ず来るわ。素敵な『置き土産』をしてきたもの」と、マキノ先輩。

 時刻は午後11時半を回った。
 校門に詰めている警備員も見回りが終わったようでいそいそと家路につく。

 降り積もる雪が雑音を吸い取り、ミオ大学のキャンパスは静寂に包まれていた。

 僕らは校門からすぐのところにある学生会館の前の広場に集合した。
 夏の天気の良い日であれば、ベンチで昼食をとったり、授業の合間に一服したりできる場所である。
 しかし今の季節は真冬。おまけに今年一番の冷え込みが予想された今日は、昼間でも顔が痛くなるほど風が冷たかった。
 夜になり風はおさまっていたが、凍てつく空気が僕たちをその場に縛り付けていた。

 僕らが突き止めた暴力団の「アジト」は、例えばドラマなんかでよく出てくる人気のない港の閑散とした倉庫ではなく、街の外れにある何の変哲もない雑居ビルで、とても戦いを繰り広げられるような場所ではなかった。
 そこで僕たちは、夜のミオ大学にやつらをおびき出す作戦に出た。当然僕たちのホームであるこのキャンパスでは地理的に有利に戦えるし、夜中の大学というのは都心のオフィス街と同じで夜間人口が少ないもの。決戦の場としてはうってつけだった。

 僕ら「ヘル・スロープ」のメンバー九人は、ガタガタと寒さに震えながらこの広場に身を寄せあって立っているのだった。

 なかなかシュールな光景だと思う。こんな感じでうまくいくのだろうか?

 「アジト」にちょっかいをかけてきたのはマキノ先輩だ。
 彼女は相棒のゴローニャ、トレスクと共に入口で待ち伏せし、暴力団員を一人、滅多打ちにして置き手紙をしてきたという。
 普通大学生が出来ることじゃない。

 仲間が一人やられたとなれば必ず仕返しに来るはずだ。ヤクザとかってそのあたりの仲間意識はすごく強い――というのは勝手なイメージだが。

 僕はポケットに手を突っ込んで身を小さく縮めながら、カオリのことを考えていた。

 結局、カオリとは上っ面でしかこのことを話してこなかった気がする。
 今日カオリを見送った時も、彼女が僕の身を案じるばかりだった。「気を付けてね」と、何度言われたかわからない。

 そして彼女は、ずっと伏し目がちだった。

 まるで別れ話を切り出そうとしている恋人のそれのようで、その仕草に僕は緊張した。
 しかし結局最後も「気を付けてね」で締めくくり、暗い影を落としたまま彼女は背を向け、大学を下った。

「カオリちゃんか?」

 僕の思っていることを見透かすように、ケイタが小さい声で訊いた。

「――ああ。最後まで対策が思い浮かばなかったなと思って。せめてカオリとしっかり話し合うべきだったな」

「心配するな」ケイタは僕の肩を叩いた。「ヤバくなったらおれも一緒にトンズラしてやる。あ、それとも逃避行は二人っきりの方が良いか?」

 なんだよこいつ。こっちは気が気でないのに。

 そして突然、車の急ブレーキの音が鳴り響いた。

「――それより集中しろよ。お前が死んだら元も子もない」

 黒のバンが四台列になり、雪けむりを立てて大学構内に乗り入れてくる。

「分かってるさ」

 僕たちは全員モンスターボールを開けた。

 ケイタのレントラー、エルク。
 ヤスカのフローゼル、バロン。
 タツヤのムウマ、ポウル。
 コウタロウ先輩のキュウコン、メイヤ。
 シン先輩のカポエラー、メストリ。
 ユウスケ先輩のキリンリキ、ジーナ。
 アキラ先輩のトドゼルガ、レフ。
 マキノ先輩のゴローニャ、トレスク。

 そして僕、シュウのウインディ、ヒート。

 大小様々、属性もバラバラの総勢九匹が厳冬夜のキャンパスに出揃った。

「みんな――締まっていこう」アキラ先輩の緊張した声。

 僕たちからほんの十メートルほどのところに四台のバンは乱雑に止まり、バタバタとドアが開いた。
 黒のスーツを着込んだ男たちが意味不明に叫びながら次々に姿を現した。

 まるで刑事ドラマのワンシーンのように、暴力団のメンバーがガンを飛し、こちらに向かい合った。
 さすがにその光景には僕も息をのんだ。

 一番先頭に車から降りてきた男はサングラスに坊主頭という出で立ちだった。

「随分と豪華なお出迎えじゃねぇか? あァ?!」

 最後の「あァ?!」はびっくりするほど大きな声で、大学中に反響した。
 僕の隣りでヤスカがビクッと震えるのが見えた。

 白い雪を踏み荒らし躍り出た黒い集団は総勢約二十人。
 いずれもパンチの利いた顔ぶれだ。とても形容できたものではないので、平たい表現だが「ヤクザ顔」とだけ言っておこう。

 ただ、こんな田舎の暴力団だからなのか、全員が全員「立派なヤクザ」とはとても言い難かった。
 サングラスの男の隣りにいるやつはどう見たって中学生じゃないかと思うくらい童顔だったし、右端のやつなんてハムみたいに太っている。
 僕はほんのちょっとだけ、拍子抜けした。
 
「『お土産』はご覧になったかしら?」マキノ女帝が威風堂々と言った。

 黒い集団は一斉に罵声を飛ばした。それをサングラスの男が手を挙げて制す。どうやらこの男がリーダーらしい。

「ガキには手出さねぇ性分だったんだがなぁ。やられちゃだまっちゃいられねぇ。一体どういう要件だ?」

 男は言った。こちらが全員手持ちを繰り出しているので一定の距離こそ取っているが、今にも殴りかかってきそうな迫力だ。

 じっとマキノ先輩を睨みつけている。

「――この大学に薬流してるのはあんたらよね?」

 マキノ先輩も全く引かず、男を睨み返した。

「……あァ、そういうことかい――」

 グラサンの男はケラケラと笑った。周りの仲間も同じように並びの悪い歯をこちらに見せる。

「学び舎を脅かす悪を討つ、『正義の味方』ってわけだ。だがな、それで俺らを恨むのはお門違いだぜ? 実際に薬買ってんのはお前らだからな。欲しがってるやつに売って何が悪い?」

 うちの代表の背中がにわかに盛り上がったように僕には見えた。
 それに同調するようにゴローニャがグルグルと唸る。アキラ先輩のトドゼルガが白い鼻息をはいた。

 空気の流れが変わった気がした。

「あーそれがねぇ、悪いのよ。別に私は正義の味方ヅラするつもりもないし、正直言ってあんたらが誰にどう薬売ろうと興味はないの。知ったこっちゃないわ」

「あァ?」男は眉を吊り上げた。「じゃあ黙って家でお勉強でもしてな。なんでしゃしゃり出てくる?」

「――腹が立つ」マキノ先輩は言い捨てた。「癇に障んのよ。うちの後輩が面倒に巻き込まれてからは特に。あんたらさ、商売止めてどっか行ってくれない?」

 声を裏返して男は笑った。それを真似するのがルールだというように周りの仲間もまた一緒にゲラゲラと笑う。

「最近の学生さんは頭が悪いんだなァ! できるかよそんなこと!」

 いつの間にか風が吹き始めていた。ゆっくりと舞い降りていた粉雪が角度をつけ、無数の白い線になってゆく。
 マキノ先輩のコートが翻った。

「そうね――言ったって無理よね」

「当り前だろうが! 何様のつもりだ?!」

 マキノ先輩はアキラ先輩に目配せをした。

「あんたらをぶっ飛ばすつもりよ」

 それを合図に、アキラ先輩のトドゼルガが汽笛のような雄叫びを上げ、天を仰いだ。気候を司る聖獣が審判を下すように。 
 荒れ始めていた天候がさらに酷くなり、氷の粒が肌に突き刺さる。

「ガキが生意気言いやがる! 野郎ども!」

 男が号令をかけると仲間たちがいっせいにモンスターボールを取り出し、思い思いに放った。
 ゴルバット、ヘルガー、ドクロッグ、アーボック、ラッタ、シザリガーなど、ポケモンが次々に雪原に姿を現した。
 しかし僕にはそのポケモンたちのシルエットが少し垣間見えただけで、すぐにかき消された。

「クソっ! 急になんだ、この天気は?!」暴力団は口々に悪態をつく。

 もはやキャンパス一帯はトドゼルガの吹雪によって完全に覆われていた。
 僕の目の前も真っ白な雪で視界が遮られ、ヒートの尻尾がかろうじて霞んで見える程度だ。

 しかしそれは相手もこちらも同じ。
 加えてここは通い慣れた大学の構内だ。多少視界が悪くても僕たちは頭に地図を描いて動くことができる。

 作戦開始だ。

(鬼さんこちら! 手の鳴る方へ!)

 僕らは打ち合わせ通り、二人ペアになってその広場から離脱していった。

「なめた真似しやがって! 野郎ども! 絶対に逃がすんじゃねぇぞ!」

 暴力団たちは凄まじい叫び声を上げた。がむしゃらに僕たちを追いかけ始めたようだ。

 僕はケイタと共に第三講義棟へ向かって疾走した。

「どこ行きやがった?!」暴力団の一人がわめいた。

 雪を踏みしめる音が背後から無数に聴こえる。

「じきに吹雪が晴れる。タイミングが大事だ」

 ケイタが傍らを走るレントラーを横目で確認しながら言った。

「大丈夫、任せろって」

 相手の戦力をここで分散する。

 視界を遮ることで僕たちは距離を取りやすくなる。相手が均等に戦力を配分してくれればこっちのものだ。
 「ルアー」を使い、上手く誘い出さなければならない。

 予想通りキャンパス全体を覆っていた吹雪は次第に治まっていき、後方に黒い塊とポケモンの群れが四方八方へ広がっていくのが僅かに見えた。

「ヒート、頼む!」

 少し前を走っていたヒートが急ブレーキをかけ、その場で後ろを振り返った。
 ヒートは大きく振りかぶり、天に向かって思いっきり炎を吐き出すと、炎の明かりで辺りは煌々と照らし出された。

「いたぞ! あそこだ!」目標なく散らばっていた黒い影の一人がこちらを指差して叫んだ。

 他のペアも次々に「ルアー」を投下した。

 広場を挟んで反対側ではコウタロウ先輩のキュウコンがヒートと同じように炎で周りを明るく照らしている。体育館の方では心配だったタツヤのムウマがちゃんと「怪しい光」を天高く打ち上げていた。ユウスケ先輩のキリンリキは研究棟の影で電気の塊を発射していた。

「挑発なんてガキには十年早いんだよ! 野郎ども! ここにまた全員引っ張りっ出してこい!」

 リーダーのグラサン男は広場のど真ん中で仲間に単純明快な指示を出した。
 暴力団の面々は怒り狂いながらそれぞれ「目印」に向かって走っていく。
 僕とケイタの方には四人の男がそれぞれの手持ちを連れて駆けてくる。

「入れ食いだ――よし、ポイントまで誘うぞ」

 ケイタがそう言ってまた走りだした。僕とヒートもその後に続く。

「あの野郎! まだ逃げんのかコラァ!」追ってきた四人の男のうち一人が叫んだ。

 僕たちは四人を引きつけたまま第三講義棟の裏へ回った。


27

「やっとやり合う気になったか? ったくこんなとこまで走らせやがってよォ?!」

 第三講義棟の裏は狭い路地になっている。昼間でもあんまり人は通らないので、除雪こそされているものの歩きやすい路とは言えない。
 しかし今、この路地こそ僕たちの「バトル・フィールド」である。

 相手は四人。繰り出しているポケモンはザングースと、ラッタが二匹、そしてシザリガーだった。

「さて、始めようか」

 ケイタそう言うと、レントラーが前足を伸ばし体制を低くした。その身体には電流を帯び、パチパチと音を立て始めた。

 四対二。数では不利ということは自明だった。
 しかしそれも戦いようによる。

「覚悟決めやがれ! 野郎ども!」

 四人がそんな感じで叫び声を上げると同時に、四匹ともこちらへ襲いかかってきた。
  
「まずは相手の主力、シザリガーを速攻で仕留める。援護頼むぞ」とケイタ。

 足の速いラッタが一気に間合いを詰めてきた。

「ああ、頼まれた! ヒート!」

 二匹のラッタが鋭い前歯を剥き出しにして飛びかかってくるのを、ヒートは炎の渦を吐き出してけん制した。
 続けざまにザングースが爪を長く伸ばして、ヒートの首元目がけて切りかかってくる。
 ヒートは身を屈めてそれをかわし、頭突きでカウンターを仕掛けたがザングースもバックステップでそれをかわした。

「あんまりもたねぇぞ! ケイタ!」

「もう少し踏ん張ってくれ」

 レントラーは後方で身動き一つしない。蓄積されていく電流がバチバチと弾け飛ぶ。

 ザングースの二回目の攻撃がヒートの前足をかすめた。
 ヒートは唸り声を上げ火炎放射で応戦するが、すぐに相手は距離を取り、簡単には当たらない。
 ワンテンポ遅れてシザリガーが大きなハサミを振り下ろしてきたのを、ヒートは間一髪でかわした。

「あんまりチームワークがよろしくないんじゃねぇか?!」暴力団の一人が嘲った。

「まだか?! ケイタ!」

 僕が訊くのと同時に、レントラーの目が黄金色に輝き始めた。

「充電完了だ! どけてろ!」ケイタが叫んだ。

 レントラーの発する電流の熱エネルギーで、周りの雪はほとんど融けきっていた。
 夜ということを忘れてしまうほど、辺りは明るかった。

「エルク!」

 レントラーの身体から解き放たれた電流は、凄まじいスピードでシザリガー目がけて一直線に突き進む。
 バチンと耳をつんざくような音がして、電流はシザリガーに直撃した。

 光で一瞬視界が眩む。
 目を庇った腕を避けると、甲羅にヒビが入り、黒く焦げ付いたシザリガーはその場にドサリと倒れた。

 辺りには唐突な静寂と、生き物の焦げる臭いが漂う。

「――まず、一匹だ」ケイタは息を切らしながら呟いた。

「てめぇ……!」シザリガーの主人はその黒い塊をボールに戻す。

 僕はこんなに本気になっているケイタを久しぶりに見た。

(薬から完全に逃げ切れたわけじゃないんだ――)

 ケイタが弟の話をしてくれた時のことを僕は思い出した。

 相手の主力が倒れたことで戦況は逆転しつつある――そう思ったが、ザングースやラッタたちは鼻息荒く怒り狂っていた。

「数でまだこっちに分があるんだ! ひるむんじゃねぇ!」

 再びザンクースが後ろ足で立ち、毛を逆立ててヒート襲ってきた。長い爪が空を裂く。

 二匹のラッタはレントラーにターゲットを替えていた。

 素早さで劣り、放電した直後のレントラーはラッタたちにかなり押されている。

「エルク、落ち着いて狙うんだ!」

 レントラーは攻撃を見切りながら時折電気ショックを浴びせようとするが、ラッタたちはゴムボールのように身軽に跳ねてそれをかわし、鋭く尖った前歯で何度も首元を狙っている。
 早く加勢しなければ危ない。

 しかしザングースも猛攻を止めない。
 まるでカンフー映画の俳優のように、爪の攻撃に加えて回し蹴りを織り交ぜてくる。
 攻撃のパターンが読めず、かわすだけで精一杯だった。

 肉弾戦では分が悪いか――

 次の瞬間、ザングースの回し蹴りがついに顔面に直撃し、ヒートは真横に倒された。

「ヒート!」

 ヒートはすぐに立ち上がって身体についた雪をブルブルとはらった。
 致命傷にはならなかったが、このままでは確実にあの長く鋭い爪にやられ、大ダメージを負うことになる。
 
 戦法を変えなければ――

 しかしあの身軽さだ。火炎放射などの遠距離攻撃もかわされてすぐに間を詰められてしまう。
 大技の後に隙ができればダメージは避けられない。

 考えろ。何か策があるはずだ。

「もう一発かましてやれ!」ザングースの主人はそう叫んだ。

 ザングースは素早く間合いを詰め、爪を光らせる。

 ――この手でいこう。

「ヒート!」

 振り下ろされたザングースの爪は、ヒートの左肩に襲いかかる――

 その瞬間、ヒートの身体が一気に炎で包まれた。
 地鳴りのような轟音とともにその炎はみるみるうちに巨大化し、ザングースを飲み込む。
 
 しかし爪は左肩をわずかに切り裂き、ヒートは痛みで顔をしかめた。

「おい、ジャッキー!」ザングースの主人がわめいた。

 ザングースは悲痛な叫び声を上げてもがいた。
 やっとの思いで炎から抜け出すと、無茶苦茶に雪に突進して体温を冷まそうとのたうち回った。
 そして、やがて動かなくなった。

 それを見届ける前に、ヒートは炎を纏ったままラッタたちの方へ突進した。
 ラッタたちは慌てて左右に飛び退く。

「や、やべぇ!」相手の一人が腰を抜かした。

 オーバーヒートは戦況をひっくり返した。

「たたみかけるぞ! ケイタ!」


  [No.307] 【第十一話】 投稿者:リナ   投稿日:2011/04/23(Sat) 03:08:54   68clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

28

 いつの間にか雪が止んでいた。

 冷気で研ぎ澄まされた夜に聴こえるのは積もった雪を踏みしめる音。不規則に喉を通る四つの白い息は、現れては雲散霧消していく。

 僕とケイタは追ってきた四人の暴力団メンバーを「ノックアウト」し、用意していたロープで縛りあげた。凍死されても困るので、あらかじめ決めておいた備品用の倉庫まで四人を運ぶ。ヒートとエルクの背中に二人ずつ乗せて倉庫まで歩いていた。

 寒さはほとんど感じなかった。冷たい空気が喉に入るのが苦しい。
 
 背中が汗ばんでいた。

「大丈夫か? ヒート」

 最後にザングースから受けた傷はそれほど深くはなかったが、ヒートの前足の動きはいつもより鈍かった。

「すまん、無理させちまった――」

 オーバーヒートは、正直使うつもりはなかった。大技なゆえに隙が生まれやすいし、今回のようなタイミングで使うのは危険だということは分かっていたからだ。しかし、実戦で初めて火炎放射などの「使いやすく便利な技」だと思っていたものがいかに見切られやすく、歯が立たないことがあるのを思い知った。ケイタのように最初から全力で技を放つのは、力を図り合う段階を省く意味ではとても有効な策だったのだ。
 まだまだ僕は「試合」と「戦い」の違いを把握できていない。実戦では「様子見」なんてしてるうちに体力を削られ、どんどん不利になる。

「予想はしてたが、やっぱりこいつらそれなりに戦いなれてやがる――他が心配だな」

 ケイタがそう言った瞬間、遠くで土砂崩れのような音が響いた。

「――急ごう」


29
 
 倉庫の前でタツヤにはち合わせた。

「おーい! ――よかった、そっちも勝ったんだな!」

 タツヤがこちらに気づき、駆け寄ってくる。いつもは浅黒いタツヤの顔が今はびっくりするほど蒼白に見えた。でも彼のムウマ、ポウルは相変わらずケラケラと頭上を飛び回っていた。アキラ先輩のトドゼルガ――レフの背中には三人の暴力団員がうめいていた。

 しかしアキラ先輩の姿がない。

「タツヤ、お前一人か? アキラ先輩一緒じゃないのか?」

「それが――」タツヤが険しい顔で言った。「先輩、相手のズバットに思いっきり腕噛まれちゃったんだ。応急手当はしたし、携帯で一年呼んでおいたから今は大丈夫だと思うけど――かなり血出てたし、今回はもう戦えないと思う」

 真っ白な雪に鮮血が滴っているのを想像し、僕は目が眩みそうになった。
 先輩が一人戦線離脱。これは思った以上に衝撃があった。

 とりあえず僕たちはノックアウトした暴力団員を倉庫に詰め込んだ。
 
「でも、実際運が良かった――もっと大変なことになるところだったんだ」

 タツヤが言う。

「――かなり強敵だったのか?」と僕が訊き返すと、タツヤはかぶりを振った。

 バトル自体は苦戦を強いられたというわけでもなく、けりがついたという。相手のズバットやゴルバットはその身軽さこそ厄介だったものの、最終的には相性で押し切ることができた。それもひとつ「運が良かった」のだが、その後ヒヤリとする出来事が起こった。
 
 バトルの終盤、ポウルが放った「怪しい光」が、ポケモンだけでなくその主人にもその効果が及んでしまい、三人とも錯乱状態に陥ったという。
 そしてあろうことか拳銃を取り出し、自らのこめかみに突きつけた――

「でも運が良かったんだ。その拳銃、三つとも弾が入ってなかったか、壊れてたみたいなんだ。引き金を引いても銃はうんともすんとも言わなかった。ホントに焦ったよ……」

 何も知らずに笑っているポウルを見て、僕は本気で恐ろしくなった。こいつ、人に自殺させることができるのか――
 それにしても、どこまで間抜けな暴力団なのだろう? 三人揃って撃てもしない拳銃を携帯しているなんて。

 その時、学生会館の方から女の子の声で悲鳴が聴こえた。

 僕らはギクリとして互いに顔を見合わせる。

「おい今の、ヤスカじゃないか?!」

 学生会館の裏ではヤスカとコウタロウ先輩が相手と対峙しているはずだ。

 ――何があった?

「クソッ!」

 タツヤが突然走り出した。ポウルもふわふわとその後を追って行く。

「おい、タツヤ!」

 僕が叫んでもタツヤは振り向きもせず、やがて講義棟の角を曲がって見えなくなってしまった。

「あいつ、大丈夫かよ――」無鉄砲に走り去っていったタツヤに僕は舌打ちした。

「――追ってくれるか? おれはユウスケ先輩とシン先輩の方に加勢する」

 ケイタは倉庫の鍵がかかっていることを確認しながら言った。

「了解」

 レフには倉庫の前で待機してもらうことにした。指示できるトレーナーがいないと戦力として数えるのは難しいというケイタの判断だ。

 僕はケイタと別れ、学生会館の方へ走った。傍らのヒートの息が荒い。

「踏ん張ってくれヒート――おれも最後まで諦めないからさ」

 ヴォン! と、ヒートは低い声でうなった。


 30

 状況は最悪だった。

「おっと、また加勢かぁ? ったく他の連中は何やってやがんだ――まあ、何人来たところで変わりはしねぇがな」

 僕が辿り着いた時にはコウタロウ先輩のキュウコンも、タツヤのムウマもおらず、踏み荒らされた雪の上のモンスターボールの中だった。ヤスカのフローゼルはかろうじて雪の中に立ちつくしているが、行動を起こせる状態ではない。右腕に大きな生傷があり、血が滴っていた。

「お前もポケモンをボールに戻せ! 足元に置いて十歩以上下がれよ? 状況見れば従わねぇわけにはいかねぇよな?」

 ヤスカが五人いる相手のうち一人にはがいじめにされていた。必死に抵抗しようとしているが、首元に相手のドクロッグの腕が押し付けられ、身動きがとれない。

「――言う通りにしよう」コウタロウ先輩が悔しさを滲ませながら僕に言った。

「――はい」僕はヒートをボールに戻し、指示どおりにした。

「ごめん――」

 ヤスカが目を真っ赤にして、かすれた声で言った。タツヤが低い声でうなる。

「さてさて、俺らとしてはお譲ちゃんから早速いただきたいところだが――その前にお譲ちゃんには野郎が目の前でボコられるのを見てもらおうか? レディーファーストじゃなくて悪いな」

 にやにやと勝ち誇った笑みを浮かべながら、相手とそのポケモン達がじりじりと近づいてきた。フローゼルが残る力を振り絞って飛び上がったが、相手のビーダルに簡単に跳ね返され、雪の中に叩きつけられた。

「バロン! ――お願い! 止めて!」

 ヤスカの叫び声が構内にこだまする。

「ケンカ売ってきたのはてめぇらだろうが?! 寝ぼけてんじゃねえ!」

 ヤスカを人質に取っていた男が罵声で返す。ヤスカは「ヒッ!」っと小さく叫び、静かになった。

「どうしようもないのかよ!」タツヤが後ずさりしながら焦りをあらわにする。

 ポケモンが使えない。ヒートに頼れない。情けない話だが、それだけで足がすくんだ。僕一人の力などたかが知れていることは知っているはずだったが、それでも何も出来ない無力感に絶望した。

 本気でマズいと思った――

 その時だ、奇妙な事が立て続けに起こったのは。

 まず、にじり寄ってきていた暴力団たちを、突然無数の小さな星が襲った。星たちはどこからともなく現れ、彼らに降り注ぐ。続いて数え切れないほどの尖った岩が出現し、まるでひとつひとつが意思を持っているかのごとく、男たちとポケモンに突進した。彼らは驚き、わめき、悪態をついた。

「な、何だ?! 何が起こってるんだ一体?!」

 僕らは唖然としてそれを見ていた。そして最後に起こった出来事に目を疑った。

「うわっ?! ど、どうなってんだ?!」ヤスカを人質に取っていた男驚愕の声が聴こえた。

 彼がはがいじめにしているのは、ヤスカではなく同じ仲間の暴力団員だったのだ。既に意識がないようで、完全にのびてしまっている。確かについ何秒か前までヤスカが捕まっていたはずだったのに――いつすり替わったのだ?

「――運が良かったみたい。いつもより」

 聴き覚えのある声だった。相手の背後に小さな人影が現れた。

「あ――」驚いて僕は間抜けな声を出した。タツヤも同じだった。

 そこに現れたのは他の誰でもない、マイ先輩だった。「トリック」ですり替えたヤスカに肩をかしていた。傍らにはトゲチックのティムが、小さな羽根をはためかせている。

「マイ――」コウタロウ先輩が呆れたように言ったが、僕には必死に喜びを隠しているように聴こえた。

「ごめん、遅れた――てかぼやっとしてる場合じゃないでしょ?!」

 言う通りである。人質は救出した――反撃開始だ。

 僕ら三人は一斉に地面のモンスターボールに走った。


  [No.574] 【第十二話】 投稿者:リナ   投稿日:2011/07/09(Sat) 00:08:40   61clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


31

 相手がトゲチックの「指を振る」で発動したスピードスターやロックブラストで翻弄されている隙に、僕たちは手元から離れていたボールを取り戻すことができた。僕はすぐにボールを放ると、現れたヒートはたてがみをなびかせ、夜空に向かって高らかに吠える。しかし、ザングースに傷付けられた左肩を庇い、明らかに立ち方が不自然だった。あまり長くは戦わせられない。勝負は短時間で決めなければ――
 ヤスカは雪に足を取られそうになりながら傷ついたフローゼルに駆け寄り、労いの言葉をかけた後、モンスターボールに戻した。フローゼルはさっき、目を覆いたくなるほど酷いやられ方をしていた。おそらく、体力は残っていなかったのだろう。

「ヤスカ! フローゼル連れてここから離れろ!」タツヤがムウマをボールから繰り出しながら叫んだ。

「う、うん――ごめん」

 ヤスカは言われた通り、積もった雪の中をもがくようにしてこの場から離れていった。
 マイ先輩も含めて、こちらは四人。相手は五人――事実、まだ状況は好転したとは言い難かった。
 数で負けているだけじゃない。位置関係が問題だった。学生会館の裏の細い通路で、僕たち男三人は東側、マイ先輩だけ西側だ。相手を取り囲むようにして構えており、一見すると非常に有利に見える。しかしこの陣営でいくと、むしろ相手はどちら側にどのポケモンをぶつけるかを自由に選択することができる。自らに不利になるタイプの相手は避けることが可能だし、弱点も突きやすい。
 そしてヒートやコウタロウ先輩のキュウコンがいる僕らの方には当然水タイプ――ビーダルとゴルダックがにじり寄ってきた。

「へへ、悪いがまだ終わっちゃいねえ。相性ってもんがポケモンバトルにはあるよなあ? それにそのウインディ、へばってんじゃねえか」

 ビーダルの主人が罵った。ヒートは正直、立っているのがやっとのように見えた。
 相手のグラエナは白い毛を逆立てて、ムウマを睨みつけている。こちらも、相性が最悪。残りの二匹――ドクロッグとアーボックはマイ先輩のトゲチックに狙いを定めていた。予想通り、タイプの相性が相手に有利になるようにカードを組まされてしまった。

「落ち着いていこう。勝機はある」コウタロウ先輩が言った。九尾の先端に青白い炎が灯り、低い姿勢のまま敵のを待ち受ける。

「――はい」
 
 僕とヒートは相手のゴルダックとビーダルに対峙していた。ヒートは足で雪を踏み固め、助走をつける仕草をした。あまり何度も使えない技だが、スピードを重視するとベターだ。ヒートはばねのように後ろ足を使い、風を切るような早さで相手に突っ込んだ――
 神速――技はゴルダックの左腕をかすめ、ビーダルに直撃した。ゴルダックは少しよろけただけだったが、ビーダルはどてっ腹に重い衝撃をまともに受け、後ろへ吹き飛ばされた。

「クソッ! ありかよそんな速さ!」相手の一人がうろたえた様子で言った。

 ビーダルは雪を巻き上げて地面に転がったが、すぐに顔を振るって立ち上がる。まだ決定打とまではいかない。
 ゴルダックは背後から手のひらをヒートに向けたかと思うと、勢いよく水砲を発射した。

「ヒートっ!」

 寸前のところで気が付いたヒートはギリギリのところで身をかわす。そのまま雪の中に倒れそうになる。脚がぐらつき、息を荒くしていた。

「シュウ、下がってろ」コウタロウ先輩が叫んだ。

 メイヤの九つの尾の先端から放たれた炎はゴルダックを取り囲み、手を取り合うようにして数珠状に繋がり、青白いの火柱になって寒空に燃え上がった。踏み荒らされた雪の絨毯が明るく照らし出される――
 しかし、うず高く巻き上がらんとした炎はゴルダックの水鉄砲により途中で鎮火されてしまった。

「――駄目か」コウタロウ先輩が苦虫を噛む。

 一方、タツヤのムウマは相手のグラエナ攻撃を余裕綽々でかわしていたが、なかなか攻撃に転じない。あれこれ指示を出しているタツヤの声を無視し、噛みつこうとしているグラエナを嘲笑って、ただふわふわと空中を漂っていた。
 マイ先輩とトゲチックのティムは毒針をもった蛙と毒の牙をもったコブラを二匹同時に相手にしていた。壁技でなんとか持ちこたえているが、なかなか攻撃に転じられずに、やはり苦戦を強いられていた。

「ヒート、もう一発いけるか?!」

 そう叫んだ僕に対しヒートは身体を震わせて精一杯「ヴォン!」と吠えた。もう一度「神速」のために足を踏みしめ、助走を取ろうとしたが、ゴルダックが水鉄砲で邪魔をする。かわすために後ろへ飛んだヒートの足元がまたぐらついた。

「――シュウ、ヒートを戻せ」

 コウタロウ先輩がそう言った。その目は、ビーダルの攻撃をけん制し、今はゴルダックに怪しい光を浴びせようとしている彼の九尾から一瞬たりとも離れない。

「でも!」

「これ以上は危険だ。それはお前が一番わかってるはずだろう。それに、戦えないやつが残ってもマイナスにしか働かない」

 僕は反論できなかった。
 正論――ここで先輩に噛みつくのはただのわがままだ。事実ヒートはもはや精神で身体を支えているようなものだった。この凍えるような寒さも、恐らくヒートの体力に追い打ちをかけている。
 他のポケモン達の動きはまだほとんど鈍っていない。キュウコンは相手の水タイプの技をかわしつづけているし、トゲチックは指を振るで発動したラスターカノンをアーボックに浴びせていた。

「急げ! やられちまうぞ!」

 ビーダルが雪をかき分けながらこちらに向かってくる。

「――すまんヒート、ボールに戻って――」

 しかしその瞬間、ヒートは雄叫びを上げると、僕の言葉を無視し、ビーダルに正面から向かっていった。

「おい! よせ!」

 僕が呼びとめるも、ヒートはビーダル目がけ、渾身の力で突進していく。

「はっ! 飛んで火に入るなんとやらだな。ビーダル、水鉄砲だ!」

 ビーダルの主人が意気揚々と指示を飛ばした。ビーダルは前足をついてヒートに狙いを定める。
 僕は慌てて取り出したモンスターボールを取り落とした――

 ――その時、ひらりと天から舞い降りたのは、蝶だった。
 蝶はダイヤモンドダストのようにきらきらと光る風を巻き起こし、ビーダルを包んだかと思うと、鳴き声のようなかん高い音を立てて風は竜巻に変わり、ビーダルを雪もろとも吹き飛ばした。僕らも相手の暴力団も、あっけにとられてその光景を見ていた。

「ほらー! やっぱりヤバい感じじゃないですか!」

 どこか気の抜けたような、聞いたことのない若い男の声が、遠くの暗がりから聞こえた。
 そしてその後聞き覚えのある女性の声が耳に入ったような気がしたのだが、僕はその後の出来事のせいで、声に注意を向けることができなかった。

「シュウ!」タツヤの悲痛な声が僕を呼んだ。

 相手のゴルダックが手のひらを、僕に向けていた。

「トレーナーを狙っちゃいけないルールはなかったろ?」ゴルダックの主人が不気味な笑みでそう言った。

 強烈な念力が僕の身体を襲った。空気に殴られたような感覚で後ろへ吹き飛ばされ、僕は思いっきり雪を喰った。頬に切り付けられたような痛みが走った。
 すぐに立ち上がろうとしたが、身体が重たい。僕はゆっくりと意識が遠のいていくのを感じた。何人かの声が僕の名前を呼んだり、叫び声を上げたりしている。
 オレンジ色の毛をまとった前足が視界に入った。身体が揺すられている気がしたが、その感覚もやがて消え去り、目の前の景色も黒く塗りつぶされた。


  [No.575] 【最終話】 投稿者:リナ   投稿日:2011/07/09(Sat) 00:10:02   79clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


32

 左手が、温かかった。誰かが僕の左手を相当強く握っているらしい――この手の大きさやかたちには、覚えがあった。
 ――だんだんとシャットダウンされていた五感がよみがえってきたようだ。触覚、聴覚――強烈な明かりがまぶたをすり抜ける。

「うー」最後に痛みがよみがえり、僕は目を開けた。

「シュウ? シュウ! よかった! ――大丈夫?!」

 蛍光灯の明かりにに目をぱちぱちさせながら、僕は声のした方を見ると、カオリが僕の左手を握りしめ、目を赤く腫らしていた。
 真っ白なベッドの上に僕の身体は寝かされていた。病室のようだった。

「んあ、眩しい――カオリ、か?」

「うん――よかった気が付いて。もうホントに心配だったんだから」

 カオリは僕の手を握ったまま、両手をおでこに寄せた。

「――すまん。ここ、病院?」

 僕はゆっくり身を起こし、室内を見つめた。飾り気のない正方形の部屋にベッドが一つだけ。僕の寝ているベッド意外大きな家具はなく、脇に据えられた質素な棚が壁にほとんど同化しているくらいだった。白いカーテンの隙間を覗くと、まだ夜の闇がとっぷりと居座っていた。そんなに長く眠っていたわけではなさそうだ。

「そう、ミオシティの市立病院だよ。シュウが気を失ってたから、シロナさんが救急車を呼んで、それで――」

 カオリの口から予想外の名前が出た。「シロナさんが? どうして?」

 カオリは少し困った顔をした。「うーん、話すと長くなるんだ。待合室にシロナさんたちがいるから、今呼んでくるね」

 そう言ってカオリは病室を出ていこうとした。だがすぐにこちらを振り返り、照れくさそうに笑いながら戻ってきた。

「シュウ――まだもうちょっとだけ、目を覚まさなかったことにして」

 そう言ってカオリはおもむろに僕に覆いかぶさり、唇を重ねてきた。僕の胸の上に心地よい体重がかかる。激しく動くカオリの身体や指に、僕は応じないわけにはいかなかった。病室にはそぐわない水っぽい音を立てながら舌を入れ合い、両手を握り、髪を触り、お互いの体温を確かめた。

「――生きててよかったな、マジで」

 唇が離れたタイミングを見て、僕は言った。カオリは泣いていた。

 唐突にノックの音が病室に飛び込んだ。カオリは慌ててベッド横のスツールに座り直し、髪を整えた。

 ガチャリとドアノブを回す音がして、女性と青年が一人づつ、病室に入ってきた。女性の方は僕が起き上がっていることを確認すると血相変えて駆け寄ってきた。

「シュウくん! 気付いたのね!」黒のロングコートに金髪、そして――寝癖。

「シロナさん――どうしてここに?」

 シロナさんは質問に答えず、突然両手を合わせて謝りだした。

「本当に――本当にごめんなさい! こんな目に遭わせるつもりはなかったのよ! もっと早い段階で駆けつけるつもりで――」

 何度も何度も「ごめん!」を連発するシロナさん。合わせた両手で何度もおでこを叩いている。

「いや、僕には何が何だか――むしろ謝るのは無茶をした僕らだし。一体どういうことなんですか?」

「シロナさん、とりあえずちゃんと説明しましょうよ―」

 シロナさんと一緒に入ってきた細身の青年がのんびりと言った。どこかで見たことのあるような気がしたけど、なかなか思い出せなかった。その声は、僕が気を失う寸前に聞いた声と同じだった。そう、あの時突然蝶が現れて――

「あ、ヒートは?! 他のメンバーは無事なんですか?!」

 何をぼんやりしていたのか、まず最初に訊くべきことを完全に忘れていた。一気に僕の胸の辺りに不安が舞い戻ってきた。
 僕が気を失った時、まだ相手のポケモンは残っていたし、戦況はかなり厳しかった。ヒートも満身創痍で、ほとんどあと一撃で瀕死に追いやられてしまいそうな状態だった。シロナさんよりはよっぽど冷静な青年はにっこりして言った。

「心配しないでください、みんな大丈夫ですから。ウインディや他のポケモンは今センターで治療中ですし、お友達はこの病院の大部屋で休んでもらってます」

「――そうですか、よかった。ありがとうございます――あの、あなたは?」

「あ、僕ですかー? 名乗るほどの者でもないんですけど、でもこれから説明するにあたって立場くらい言っとかないと失礼ですねー」彼はポリポリと頭を掻いた。「どうも初めまして。シンオウ地方ポケモンリーグ、四天王のリョウと言います。よろしくお願いしますねー」

 見覚えがあったのは、そういうことだった。四天王と言えば毎年のポケモンリーグの中継では必ず見かけるし、しょっちゅうテレビにもゲスト出演している。彼はその中でも虫ポケモンの使い手、あの時現れた蝶――アゲハントは彼の手持ちだった。

「そうね――まずどこから説明しようかしら」シロナさんは病室の隅からスツールを持ってきてベッドの横に座った。「話がかなりこんがらがってるわね」

「とりあえず、協会の話からじゃないですか?」リョウさんが助け船を出す。

 協会とはもちろん、非営利団体で最大規模のポケモン協会のことで、彼らのような協会付属のトレーナーは協会の従業員ということになり、様々な規則のもと日々動いている。しかし、今回の僕らが身勝手にも起こした「暴力団討伐作戦」とポケモン協会の接点は、どう考えてもなかった。

「結論から言うとね――」シロナさんがゆっくりと告げた。「あなたたちを試験していたの」

「試験――ですか?」当然ピンとくる言葉ではなかった。

「去年の八月に、ロケット団が大脱走しちゃったの覚えてます?」

 リョウさんが唐突に訊いてきた。僕は頷いた。確かちょうど去年の秋、その話をケイタとしていた記憶がある。カントーの刑務所から、大勢の団員とそのボスが逃げ出した事件だ。

「あれ、逃がしちゃったの僕らなんですよ――いや、僕らが手引きしたとかじゃなくて、脱走を止められなかったって意味ですよ」

 リョウさんの話によると、ロケット団に関する別件の事件を追っていた中で、最終的に事件の解決が遅れ、去年の大脱走の引き金を引いてしまったのだという。そして、ポケモン協会はそのことを重く受け止めて、いくつかの命令を協会付属トレーナー各位に下した。

「四天王、チャンピオンの僕らは、平たく言うと強いポケモントレーナーや団体を協会の味方につけなきゃならないんですよー。あ、新聞とか読みます? 昨日の日経に出てたんですけど」

 彼はポケットから財布を取り出し、小さく折り畳んだ新聞のスクラップを財布から引っ張り出した。僕はその記事を受け取り、読んだ。

<協会「戦力増強必至」>

 見出しにはそう書いてあった。内容を見た僕は驚愕した。

「――つまり、『民間のレベルアップ』を図るために、協会は実戦形式の『試験』を認めているんですね。そしてその試験官が、シロナさんやリョウさん――」

「――ごめんなさい、黙っていて」シロナさんが暗い声で言った。

 なるほど、全てが繋がる。我らがポケモンバトル・サークル「ヘル・スロープ」は、全国的に見てもレベルが高い。協会の基準がどんなものか知らないが、選考に組み込まれる可能性は十分にあった。コトブキ大との定期戦でシロナさんが来たのも、僕らのバトルを「視察」しにやってきたのだろう。そして僕らの練習を見学しにはるばるミオシティまで訪れ、飲み会では僕らに火を付けた――

「コウタロウ君――だったかしら? 彼だけは気付いていたみたいね。私たちがこの戦いを管理しようとしていたこと」

「――あの暴力団たちは? まさか全部偽物?」僕は勘ぐった。

「いいえ、あいつらは正真正銘、ロケット団傘下の暴力団『ナギナタ組』。実際、あなたたちにハンデ無しにあいつらと戦ってもらうのは危険すぎたわ。だから私のミカルゲが事前に彼らの拳銃を『封印』しておいたり、もし危なくなったりしたら私とリョウが駆けつけられるように控えていたの」

 そうだ。タツヤの話では、暴力団が混乱状態に陥り拳銃を取り出したものの、結局不発に終わったということだった。あの時は弾切れもしくは故障で運が良かったと思っていた。
 なるほど、最初から僕らは守られていたのだ。

「結局かなりギリギリまで手を出さなかった結果、随分な目に遭わせてしまったんですけどね――ホントに申し訳ない」

 リョウさんが恐縮した面持ちでそう言った。
 僕が気絶したその後は、シロナさんとリョウさんが助太刀する形になり、あっという間に相手を制圧したらしい。他の場所で戦っていたユウスケ先輩やシン先輩、それにマキノ先輩やケイタも、苦しい戦いを強いられていたものの、結果的に自力でその場を制圧することができたのだという。

「このことは、もうみんな知ってるんですか?」僕はシロナさんに訊いた。

「ええ、シュウくんが目を覚ます前に私たちが説明したわ」

「――みんな、どんな反応してました?」

 シロナさんは少し切なそうに微笑んだ。

「静かに最後まで説明を聞いてくれたわ。激昂したりすることもなく、無表情で。でも、内心ではやっぱり怒りもあったと思う――」

「メンバーの皆さん、感謝してました」そう言ったのはカオリだった。「シロナさんが話し終わって部屋を出た後はしばらくみんな静かでしたけど、定期戦の事件をきっかけにして、実際に踏み出したのは自分たちだって言ってましたし、むしろそういう機会を与えてくれたんだって、感謝してました」

「――私が考えていた以上に、大人なのね。黙っていた私たちが本当に愚かしく感じるわ」

 シロナさんはそう言って目を伏せた。僕の中には不思議と怒りはなかった。いや、そんな感情を持つのはお門違いだって思うくらいだ。みんなが言っていた通り、暴力団との対決という選択肢を選んだのは、シロナさんや教会の人間ではなく自分たちなんだ。マキノ先輩を始めとして、メンバーは全員、定期戦の一件から何かしなければという衝動に駆られていたし、火付け役がシロナさんだったとはいえ、その動機は最初からみんなの中にあったものだった。その動機に従うことにしたまで。今夜のことは、その結果というだけに過ぎない。
 僕はみんなに会いたかった。もちろん、ヒートにも。今夜のことを話したい。他の場所で戦っていた先輩たちはどんな戦況だったのか、詳しく知りたい。そう思った。

「話はまだ続くの」シロナさんが再び口を開いた。「実は今回『ヘル・スロープ』に注目しようと思ったのは、単に全国的に実力があるというだけではないのよ」

「――と言うと、どういう?」

「私、ユウスケとはちょっとした知り合いでね、彼の伝手があってみんなの存在を知ったってわけ」

「ユウスケ先輩ですか?」

「ええ。彼だけは今回のこと最初から全部知っていたわ。それでね、彼がみんなを『試験』にかけるかわりにある条件を満たしてほしいと言ったの。この話はさっきもしたんだけど、カオリちゃんも関わってくるわ」

 シロナさんはスツールにちょこんと座っているカオリの方を見た。カオリは居心地が悪そうに口元だけで微笑んだ。
 僕の頭に不安がよぎった。

「カオリが関わっているっていうのは、一体――」

「――うーん、途中誤解を生む話し方になってしまうかもしれないけど、つまりそう、私たちは全部聞いたわ。ユウスケから」

「全部って――」

「全部よ。カオリちゃんが去年犯してしまったことも、全部」

 少しの間、病室に沈黙が流れた。僕が最も恐れていたことだった。今回の事件で警察が捜査の手を伸ばし、カオリの身にまで危険が及ぶ――絶対に避けたかったことだった。
 しかしカオリのことはケイタにしか話してないはずだった。なぜ、ユウスケ先輩が知っている?
 そして、カオリはなぜ笑っているのだ?

「――何が、何だか」僕は間抜けな声で呟いた。

「あんまり詳しいことは言えないけど、ユウスケもあれで昔は荒れててね。カオリちゃんのように辛い経験も、何度もしてきたの。そしてこれは私も最近知ったことなんだけど、ケイタくんも弟さんのことで色々あったみたいね」

 去年の秋のこと、ケイタが夕暮れの坂道で突然弟のことを話してくれたのを思い起こした。シロナさんは続ける。

「シュウくんからカオリちゃんのことを聞いたケイタくんは――多分、迷っただろうけど――そのことをユウスケに相談したらしいの。そしてユウスケは今回の『試験』の条件として『カオリちゃんの身に捜査の手が及ばないこと』を要求した」

 カオリは両手を膝の上で合わせ、真顔でじっと話を聞いている。その手は少しだけ震えていた。

「――そうだったんですか」

「ええ、私、心から友情ってすごいと思った。意外とできないことよ、友達のために行動を起こすって」シロナさんは優しい笑顔で続ける。「同僚にゴヨウっていう、シンオウ警察の刑事総務課長をやってる男がいて、さっき摘発が終わったって連絡が入ったわ」

「それって――」

「本当はいけない介入ですよー」リョウさんが僕の疑問を先読みした。「ゴヨウさんがちょっかい出して、捜査の範囲を限定させることにまんまと成功してしまったということです。駄目ですよ、公言したら」

 緊張感のないその声で、僕は思わず噴き出しそうになった。

「じゃあカオリは罪を問われたりしないんですね?」

 その問いはなぜか、クスクス笑いで返された。僕は大真面目にそう訊いたのだが、おかしなことにカオリさえも口元を押さえている。

「実は、話には続きがあってね」

 怪訝な目つきをしていた僕に、シロナさんが言った。

「プラシーボ効果って知ってます?」リョウさんがまた唐突な質問をした。

「えっ? 何効果ですか?」当然僕は聞き返す。その言葉には全く聞き覚えがなかった。

「プラシーボ効果です。例えばですね――」リョウさんは少し考える仕草をしてから続けた。「船酔いに困っている船乗りさんがいるとします。彼に『この薬、船酔いにすっごく効くんですよ!』と念を押してある薬を渡すんですよ。そしてその船乗りさんはその薬のおかげでその日、船酔いせずに済んだんです。だがしかしですね、実はこの薬、錠剤の形をしたただの飴だったんですよ。つまりこれがプラシーボ効果なんです」

「はあ――つまりどういう効果ですか?」

「平たく言えば、『思い込み効果』よ」シロナさんが引き継ぐ。「『その薬が本物で、絶対効き目がある』って本人さえ信じていれば、その思い込みで本当に本人の身体に効果が現れるの。不思議でしょ?」

 なるほど。いや、そんな話を聞いたのは初めてだったが「病は気から」と言うくらいだし、そういうことがあっても不思議ではない。けど――

「その現象が一体どうしたんですか?」

 さっきから僕、質問ばかりしているような気がする。でも彼らは始終ニヤニヤしているし、カオリも今は赤くなっていた目も治って、むしろ朗らかに見える中で、僕一人だけなんにも分からない状況なのだ。

「ですから、それが薬だと思い込んで飲んでいただけなんですよー。ね? カオリさん」

「思い込んで――」リョウさんが「薬」と強調するように発音し、カオリに目配せするのを見て、僕は頭を弾かれた。「えっ?! まさか!」

「ほんの一時間前にゴヨウから連絡が入ったのよ」シロナさんが呆れたような笑みをこぼした。「押収した白い粉末、全部偽物」

 僕の脳みそは頭の中から離脱してしまったようだった。胸がドキドキと大きく鼓動し、手足の感覚が変になって力が入らない。

「――カオリ、本当?」震える声で確かめる僕。

「もう確かめようがないけど、多分そう。私――」

 なんだか決まりが悪そうに、カオリは口元だけで笑った。

「ホントは覚醒剤なんて使ってなかった」


33

 噂というものは、どんなに頑丈に蓋をしても漏れて出てしまうものらしい。
 僕らがキャンパスで繰り広げた死闘の話は、またたく間に大学中に広がった。地方新聞には暴力団摘発の記事がでかでかと載っていた(当然、僕らのことは伏せられていた)し、別記事で協会のことも出ていたため、みんな好き勝手に憶測を繰り広げ、あることないことひっくるめてごちゃ混ぜの状態で、今回の話は縦横無尽に拡散していった。

 僕らは日常の生活を取り戻すのにしばらくかかった。「ヘル・スロープ」のメンバーは、一時期廊下ですれ違うだけで振り向かれるし、数ある噂の中で「あのサークルの代表が一人でアジトに乗り込んだらしい」という極論も出回っていたこともあってか、マキノ先輩は学食に顔を出しづらくなってしまった。就職活動中の三年生は、面接の中でその話を持ち出されることもしばしばあったらしいし、ケイタはなぜか彼女と別れた。本人は、全く関係ないと言っていた。

 僕とは他のところで戦っていた先輩たちの話も聞かせてもらった。シン先輩のカポエラーは相手のニドリーノの毒針を受けてしまったらしく、ケイタが駆け付けていなかったらまずいことになっていたらしい。ユウスケ先輩からはシロナさんとの話を聞き出そうとしたが、「腐れ縁だよ」と軽く流されてしまった。マキノ先輩は、自分のゴローニャに傷一つ付けずに相手のリーダーのゴーリキーに勝利したと言っていた。たとえ少しだけでも、心配して損だった。
 
 暴力団「ナギナタ組」は、二年前から覚醒剤の偽物を売りさばいて利益を上げていたらしい。このミオシティを拠点に、主に学生を食い物に、約一千万円もの儲けを出していたという。
 偽物だと分かって、事実僕は心から安堵したが、ケイタはそうではなかった。

「周りの目は結局変わらないさ、悲しいけどね。カオリちゃんの罪の意識も、全部帳消しになったわけでは決してないと思う。それはお前が一番分かるだろ?」

 もちろん「偽物だったから、一件落着」というわけにはいかない。当時はカオリ自身も本物だと思って使ってしまったのだから、彼女の心の片隅にはしこりが残る。
 ただ、それは問題ではないのだ。カオリが恐れをひた隠して見せる笑顔も、時々油断して見せる不安げな顔も、僕は目を逸らさずに見つめることができる。ゆっくりと丁寧に話しだす彼女の声も、耳を傾けてやれる。
 時間はかかるだろう。別にいい。かかるのが時間だけでいいなら喜んで費やす。
 僕がいるんだから、カオリは大丈夫だ。

「訊いたんだ、シロナさんに最後。おれたち試験に合格したのかって」

 僕は例の如く、ケイタとサシで飲んでいた。ここは僕の家。雪解けも進み、この街の坂に沿って設けられた排水溝を勢いよく流れ落ちる、そんな季節だった。

「そしたらシロナさん、『一次審査は通過』だってさ。二次審査の話とか来たか?」

「いんや。あの後協会からは音沙汰ないな。コトブキの方の暴力団に手を焼いてる話は聞いたが」

 僕らはこの一年で、一度だけ本物の覚醒剤を見た。それが去年の秋に行われた「定期戦事件」での、例の下りだった。
 あの薬を受け渡ししようとしていたコトブキに拠点を置く暴力団は、ミオの暴力団ともパイプが繋がっており、今回の摘発で協会に敵意を剥き出しにしていた。

「またあんな戦いしなきゃならないのかな」

 僕はモンスターボールに入ったヒートを見つめながら、ビールをあおった。

「あんなもんじゃ温いって言われるくらいの戦いが待ってるかもな。命がいくつあっても足りない。事実、母体のロケット団が今回の事件をきっかけに動きだすっていう噂もある。本当かどうかは知らないけどな」

 ずっと昔に、たった一人でそのロケット団を壊滅状態に追い込んだポケモントレーナーの少年がいたという、もはや伝説じみた話を思い出した。命さえ賭けなければならないような、「本気のポケモンバトル」は、少し前なら僕らよりもっともっとレベルの高い方々が興じているものだと思い込んでいたが、今は少し違う。本の中の登場人物程度の感覚で知っていたロケット団は、案外すぐ近くにいる。僕もまたヒートと共に腹を括らなければならない状況も、やってくるのかもしれない。僕はちょっとだけ、汗をかいた。

 もうじき、この街も一足遅く春を迎えて、僕らは三年生になる。大学生活も、とうとう折り返し地点だ。

「――ケイタ、夏にみんなで海行こう」

「良いね。ナンパしようナンパ――あ、お前とタツヤはダメか」

 ケイタはわざとらしくため息をこぼし、缶を空けた。

「それから、ポケモンバトル。付き合ってくれよ」僕は続けてケイタに言った。

 彼はゆっくりうなずく。

「お安い御用だ」

 お互いに二缶目のプルタブを空けた。

 ミオシティを包む晩冬の夜が、ゆっくりと更けていった。


  [No.576] ――あとがき―― 投稿者:リナ   投稿日:2011/07/09(Sat) 00:13:08   56clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 ――あとがき――

 ……なにはともあれ、完結です。
 いや、かなりダメダメです。後半なんてやっつけ仕事感丸出しだし、なんか伏線回収し忘れありそうだし――とにかく、次からはプロット書こうと思った。
 こんなモノを最後まで見てくださった方、本当にありがとうございました。



 【メンバー紹介】
 
 マキノ♀  (四年)/ ゴローニャ♂(トレスク)
 アキラ♂  (四年)/ トドゼルガ♂(レフ)
 ユウスケ♂ (四年)/ キリンリキ♀(ジーナ)
 シン♂   (四年)/ カポエラー♂(メストリ)

 コウタロウ♂(三年)/ キュウコン♀(メイヤ)
 マイ♀   (三年)/ トゲチック♂(ティム)

 シュウ♂  (二年)/ ウインディ♂(ヒート)
 ケイタ♂  (二年)/ レントラー♂(エルク)
 ヤスカ♀  (二年)/ フローゼル♂(バロン)
 タツヤ♂  (二年)/ ムウマ  ♂(ポウル)




 ☆テーマについて☆

 基本的に、読んで下さった方が感じてくれたものがあればそれがそのままテーマとしてもらっていいと思っています。下記については筆者側として「こんな軸で書きました」とか「味わいどころはココ」と思うところをつらつら述べた感じです。

 ■メインテーマ

 「動機-motive-」

 戦うことを選んだ動機、守ることを決めた動機。感じてくだされば幸いです。

 ■サブテーマ

 1「情報化社会におけるメタ認知」

 今日、インターネット・通信技術の発達により簡単に情報が端末から引き出せるようになりました。昔に比べて「知ろうと思えばすぐに知れるモノ」が膨大になっています。
 加えてその膨大な量の情報に「質のバラツキ」が顕著に現れてきました。特に掲示板やSNSなどでは誰もが簡単に情報をばら撒ける環境にあるため、そこから「事実」を見極めるのは困難です。

 大学などの閉鎖的なコミュニティにおいても同じことが言えます。その中で流れる「噂」は本当である確証はどこにもない。みんな言ってるけど、みんな知らない。しかし「噂」は、不思議なことに基本的に「事実」であることが前提で認識されている嫌いがあります。「あくまで噂なんだけどね――」と注釈をつけて話しても、どこかで「まあ、事実だろうな」と思っていることが多い。それが一般論で、それを信じていれば居心地が良いからです。
 つまり事実である一次的な情報なのか、事実に対する批評を含めた二次的な情報なのかがごちゃごちゃになって認識されています。「薬やってるやつって不良でしょ? ちょっとイライラしたら衝動的にヤッちゃうんでしょ?」と、よく考えずに「知っちゃう」のです。

 なんでこんな風になるかっていうと、やっぱりそういう風に小さい頃から育ったからなんですよね。学校で習うことって「事実」じゃないですか。そうでないものがあるにせよホンモノの顔をしてます。今は小学生もインターネットで情報を取り入れることができて、同時に学校でも情報を取りれてるんです。ごっちゃになって当り前ですよね。しかもより魅力的な情報を振りまいているのは前者です。そりゃ「ググれば済みます」とも言いますw
 このままだと、その子からは何も生まれないんです。考えなくなっちゃったから。

 「自分は薬物について知っているということを、把握しようとする」との立場がアキラ先輩です。「おれってこう認知してるけど、その認知自体についてちょっと考えてみよう。もしかして『正しく認知していない』かもしれない」と思考することができるかできないかです。
 これが「メタ認知能力」というものらしいです。

 「メタ認知」っていうのは「認知」していることを「認知」していること、つまり「自分は〜について知っている、ということを把握し得ている」ということです。ちょっと興味を持って難しそうな本を読んでみたことはあるんですが――まあ学術的なことはほとんど頭に入ってきませんでしたw
 なので本稿では「あんまりむずかしくかんがえず」それっぽく織り交ぜるにとどめることにしました。専門家の方がご覧になると色んな批評が飛んできそうですw

 カオリやシュウは図らずも先に述べた「情報のごちゃごちゃ認識」の当事者になってしまいました。またなってしまったからこそ「考える」ことができました。その意味で思考面での個性が出せたんじゃないかなと思っています――思ってるだけですw

 でもまあ私自身ニュースとかに一喜一憂して考えもせず飲み込むことが多いのです。全く説得力ありませんね(>_<)



 2「ミソジニー(女性嫌悪)」

 カオリって男性にとって都合の良い(ように映るように描写したつもり)女じゃないですかw
 多分性格的にも「かわいい」部類に入ると思うんです。多分。

 一方でマキノ先輩はリーダーシップを持ってチームを引っ張ることができる「かっこいい」女、キャリアウーマン的なイメージで書きました。

 どっちがお好きですか?w

 もし仮に「女性らしさは魅力的だからカオリが好き」とするとしたら、マキノ先輩は女性らしくないのでしょうか。
 ここで言う「女性らしさ」は、男性側のミソジニーとしての見方で「女ってのはこうでしょ?」という、ぶっちゃけると「偏見」です。

 逆に女性視点のミソジニーもありますよね。「あの子、男の前だけあんな顔して! イライラする!」なんてことは、無きにしも非ずw なんで男はあんなのに騙されるんだっ?!w

 そう言った女性に対する価値観の相違が表現できたらと思いましたが――あんまり物語の中で言及できなかったのでいまいちピンときませんね、ごめんなさい(>_<)


 ――――――――――――――

 【書いてもいいのよ】【描いてもいいのよ】【てか何してもいいのよ】