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  [No.1251] BW集 投稿者:   投稿日:2015/04/15(Wed) 23:16:01   90clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
BW集 (画像サイズ: 600×450 92kB)

長編板では初めまして。BW2未プレイ(これ大事!)のメルボウヤです。
故サイトで途中までアップしていた物や、長らくプロットだけで放置していた物を、マサポケ(特性:プレッシャー)の力をお借りし、一つでも多く完結させられたら…と思います。
連載と言うほど長くないし、短編板へ一息に投稿するのも至難の技という、要するに中途半端な長さの話を、まとめてここに置かせて頂く予定です。
完成度より速度を重視するので風景や心理描写は甘いと思われます。悪しからず…

どうでもよいですが、二度目の短編板への投稿は三年ぶりではなく二年ぶりでした。どっちにしろ遅っ


■読む前の注意など■
・捏造と俺設定がターボブレイズ(訳:火を噴いています最大出力で)。
 公式や、自身のBW世界、ポケモン世界を大切にしている方にはお薦め致しません、出来ません…。
・筆者はBW2をプレイしておりません(大切なことなので以下略)。
 2と辻褄の合わない箇所があっても目を瞑ってやって下さい…恐れ入ります。
・プレイヤーの分身ポジションは女主人公です。男主人公はデザインを流用しているだけで実質オリキャラです。
 名前は♀主が「リヨン」、♂主が「シュヒ」と言います。
・男女CP要素あり。主にチェレン×女主人公、男主人公×ベルで、基本的に女主人公はモテます。俺得。

上記以外の注意事は後ほど追加したり、それぞれの冒頭に表記する予定です。



――――――――――――――――――――――――――――――――――
■目次■

【チェレンとビレッジサンド】
 チェレン一人称。ギャグ。ナゾサンドとNにはもうこりごりだ。

【きみをすくうもの /巣食うもの/救うもの】
 カナワタウンを訪れたアデクと、ポケモン嫌いの少年シュヒ。

【早鐘】●現在進行中●
 先行く幼馴染みを追うベルは、白亜の塔で一人の少年と出会う。



――――――――――――――――――――――――――――――――――
■短編板に投稿したBWの話■

【よみがえるきずな】
http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=2371&reno= ..... de=msgview
 幼少時代のナズナ。イースターの日曜日の話。

【ギフトパス】
http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=3682&reno= ..... de=msgview
 サンヨウシティに住む少女メイと、三匹の小猿。


  [No.1252] チェレンとビレッジサンド 投稿者:   投稿日:2015/04/15(Wed) 23:22:16   65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



 十二番道路でポケモンが大量発生しているという電光掲示板の情報を頼りに、僕はソウリュウシティから東へ、十一番道路を進み、ビレッジブリッジを抜け……ようとしたけれど、思わず足を止めてしまった。
 なぜなら、十一番道路とビレッジブリッジを繋ぐゲートを出た瞬間に、なんだかおかしな物を目撃してしまったからだ。






  チェレンとビレッジサンド






 なんだかおかしな物を横目に見ながら橋を渡り切り、十二番道路へ続くゲートには入らず、橋の下に広がる草むらに下りると『ビレッジブリッジ名物 ビレッジサンド』と書かれたのぼりがはためいていた。
 のぼりの傍には、車体に木の実が描かれているピンクのキャンピングカーが停まっていて、正面に木製のベンチが幾つか置かれ、数人の客(ポケモンも混ざっている)が思い思いにそこに腰掛け、みんな笑顔でサンドイッチを食べたり注文したりしている。
 気になるのは、客の接待や誘導をしているのがどう見てもポケモンだし、その取り合わせがどこかで見たことのあるものだということだ。極めつけにどこかで見たことのある、と言うか見慣れ過ぎた人が、キャンピングカーの中から現われた。

 声をかけようとその人に近づく。相手もこちらに気がついて、ニカッと笑いかけてきた。

「おっ、チェレン! いらっしゃーい! 好きな所に座っといて〜」

 僕の幼馴染みの一人リヨンは、いつも身につけている、モンスターボールがプリントされたキャップと黒い上着の代わりに、ピンクのバンダナとエプロンをして、サンドイッチを運んでいた。

「……何してるのさ、リヨン?」
「何って、ウエートレスっしょ」
「…………」
「物言いたげにつっ立ってないで座りなって!」

 そりゃあ物言いたげにつっ立ちたくもなるさ。なぜウエートレス?
 否応無しに彼女に引っ張られて、僕は川沿い最前列のベンチに座らされた。メニューも渡された。
 頼むって言ってないけど……とりあえず、ありがとう。

「お礼にって木の実の詰め合わせが貰えるから、たまに手伝いに来てるんだ」

 なるほど、それで。

「橋のたもとにレシラムがいたから、まさかと思って来たんだけど、やっぱりきみだったんだね。そもそもレシラムを連れている人なんて、きみ以外にいないよね」
「うん、シロは客寄せ! かなり目立つっしょ?」
「行く人来る人一人残らずびびってたよ」

 シロというニックネームのレシラムは、ブリッジゲートを出てすぐの所で『向こう岸にビレッジサンドのお店があるよ! 来てね☆』と書かれた看板を首に掛けて佇んでいた。なんだかおかしな物っていうのはそれのことだ。
 彼女(性別不明だけど僕の受けた印象ではメス)は一応、イッシュ建国伝説に登場する伝説のポケモンなんだけど、リヨン的には関係無いんだろう。シロも若干微笑んでいた(ような気もする)し、まあ、いいか。

「じゃっ、注文が決まったら、ゼラールが持ってる注文票に書き込んでね!」

 と言ってリヨンが立ち去ると同時に、右の脇からゼラールがぬっと顔を出したものだから、思わず「うおっ」と言ってしまった。
 ゼブライカのゼラールは、注文票を鞍のように胴体に取り付けている。

「きみのトレーナーはなんて言うか……自由人だよね」

 そう声をかけながら首を撫でると、ゼラールは小さく鳴いて頷いた。

 メニューを開く。通常、木の実はポケモンの食べ物だ。それをこの店では人間の口にも合うように工夫して、『ポケモンと一緒に食べられるサンドイッチ』として売り出しているらしい。木の実の種類は多いから、その分メニューも豊富だ。しかもドリンク付きで全品一律五百円。これは迷う。
 とりあえずドリサンドだけは嫌だな……なんとなく臭そうで。

「お奨めとかあるのかい、ゼラール」
「ゼブルルルィ」

 ゼラールに訊いたら速答された。ゼブライカ語で。
 ごめん。訊いておいてなんだけど、なんて言ってるのか解らないや。

「そのゼブライカは『ウケを狙ってレンブサンドにしたらいいんじゃね?』と言ったのさ」

 困ってしまった僕を見兼ねてか、後ろの席の人がゼブライカ語を翻訳してくれた。

「なるほどね。ゼラールは、僕がアデクさんに『レンブさんに似てる』って言われたことを覚えてたのか。しかしきみ、ウケ狙いとか口調とか……意外と砕けたキャラなんだね」

 …………。

 ………………。

 ……………………。

「……と、いうか!」

 そこで僕はようやく後ろの席の人に振り向いた。

 モノクロのキャップにスペアミントの長髪、僕より二つか三つほど歳上の男。
 予想通りの人物がそこにいた。

「なんでいるんだ、N……?」
「ボクはこの店のリピーターだからさ」

 ……随分と早口なんだな。
 久々に彼の台詞を聞いて、初めて会った時と同じ感想を持った。
 文章として読んでいる人には分かり難いと思うけど、彼の話し方はとにかく早い。想像で読んでもらうしかなくて申し訳ない……って、僕は一体誰に向かって話しているんだろう。

「キミはこの店初めてなんだろ?初心者には無難にモモンサンドをオススメする。ドリンクはサイコソーダやミックスオレは邪道だ。パンの素朴な味わいとモモンのまろやかな甘さ繋ぎに使用されたソクノクリームの控えめな酸味という計算し尽くされたモモンサンドの数式を壊してしまう。美味しい水かモーモーミルクにしたまえ」(早口)

 Nは困惑気味の僕には構わず、異常にてきぱき説明をした。最終的には命令だし。モモンサンドの数式ってなんだよ。
 僕がおかしいのか? こんな光景はあり得ないと思う僕がおかしいのか?

「…リピーターって、」

 サンドイッチ屋に通い詰める元敵役のボスは嫌だ。信念を懸けた勝負に破れた者が、こんな所に何事も無かったかのように現われてもいいものなのか。僕は固定概念に囚われ過ぎなのか?

「リヨンにここで手伝いで働いているから顔を見せに来ないかと誘われてね。それから彼女がいる時は毎回来ている」(早口)
「……リヨンから、きみと連絡を取り合っているという話は聞いたことが無いけど」
「それはそうさ。ボクとリヨンの間ではなくゼクロムとレシラムの間での連絡だからね」

 (早口…ってメンドーだな。もういいか。
 なんかすごいね、その連絡網。さすが元々は一匹のポケモンたちだ。
 ああ、それでシロの隣にゼクロムまでいたのか。異様な風景になってるなビレッジブリッジ。今日だけは礼三さんの歌も霞み気味だ。

「ゼブルルル」

 Nの方を向いたままぼんやり考えていたら、ゼラールが唸った。

「ごめんゼラール。注文しなくちゃいけないね。えーと……そうだな」

 Nの言う通り……は、癪だからやめておこう。
 一ページにつき一種類、サンドの写真と説明書きの載ったメニューを眺める。しばらくぱらぱらと捲っていたら最後のページになった。まあ、これでいいかな。
 サンド名と、ドリンクのモーモーミルク、ベンチに書かれている座席番号を注文票に書き記す。

「うん。よろしくゼラール」
「ゼブルルッ」

 ゼラールは小さく頷いて、パカパカと軽い蹄の音をさせて次の客の方へ去って行った。

「フウン……ナゾサンドに挑むんだ。初めてなのにスゴいね」

 Nが呟く。
 ゼラール今バラしたな。意外と薄情だ。

「リヨンも相当面白いけどキミも面白いね。人間といることがこんなに面白いものだとは思わなかった」
「……僕を面白いと言う人はきみが初めてだよ」

 全く嬉しくないけれど。
 なんかすごく居心地が悪くなった(Nのお陰で)。こういう時にベルがいたら気楽なんだけど、そんなにタイミング良くベルが来る訳は無いよな。

「……ん?」
「ホロ〜」

 びっくりしたっ。
 いつの間にか僕が座っているベンチ左側の背もたれに、頭飾りの無いケンホロウ、リヨンのクックが停まっていた。
 クックの胸元には、首から吊るされた木目調の小さな箱。表面には『ありがとうございました! 五百円を入れてね☆』の文字。

「先払いと言う訳だね。はい、五百円」
「ホロウ!」

 五百円硬貨を箱に入れると、クックは高く鳴いて、ゼラールが注文を取っている客の方へ飛んで行った。
 シロといいクックといい……大分リヨンが自己流にアレンジしてるんだろうな。店長はタブンネくらい心が広いんだ、きっと。

 そんなことを考えていると、リヨンがキャンピングカーから出て来た。乳白色に橙色と桃色が混ざったような色の、ミックスオレだろうドリンクをトレーに二つ乗せて持っている。その後ろからリヨンの一番のパートナー、エンブオーのとんとんが、サンドイッチを乗せたトレーを持って出て来る。

「どもっお待たせしましたー、ザロクサンドでーす!」
「ぶおー」

 ふたりはチラーミィと一緒にいる、ミニスカートの女の子が座っているベンチへと歩いて行った。

「ありがとー!」
「ミィミー!」

 ふたりがザロクサンドとミックスオレを差し出すと、女の子とチラーミィが嬉しそうに受け取った。
 リヨンは何事にも全力投球だ。とてもプラズマ団のイッシュ制圧を阻止したトレーナーには見えない。

『ピュ〜〜イ♪』

 その時突然、後ろで軽快な音がした。

「なんだい? 今の」

 音の出所と思われるNをバッと振り返る。

「ウエーターを呼んだのさ」

 え、なに、ダメ? とでも言いたげな顔でNが言った。
 さっきの音はどうやら、Nが口笛を吹いて出したものらしい。

「ナッキッ」
「やあみもん。いつも早いねアリガトウ。テイクアウトなんだけど」
「ナキッ!」

 すぐにNの隣にリヨンのヤナッキー、みもんが軽やかな身のこなしで現われた。Nがテイクアウトと発すると、素早く手に持っていた注文票を彼に渡す。
 Nは慣れた手つきでメニューを捲っては書き込んで、を何度か繰り返して、みもんに注文票とメニューを返した。

「これでお願いするよ」
「ナッキ、ナッキー!」
「うん。十二個」

 じゅっ……じゅうに?!
 僕はとっさに心の中で聞き間違いだよねそうだよねと自問自答するが、さっきのNの動作を見る限りでは確実に十二個頼んだ雰囲気だったような。

「……きみ、あと十二個も食べるのか?」
「何を言う。そんな数をボク一人で食べられるワケが無いだろう?お腹が壊れるよ」

 僕の問いにNは心外だ、という表情で返してきた。
 そうだよね。じゃあなぜ十二個も。

「ボクのトモダチのポケモンたちが食べるんだ」
「ああ……そういうことか」

 まさかの大食いキャラなのかと思って焦った。
 公式のキャラクター、しかも敵のボスにそんな意味の解らない設定を付けたら駄目だろ! と、全力で否もうと思ってしまった。
 ……一体誰に対してかは僕自身でも謎だけど。

「ガマロ〜」

 みもんが去った後からリヨンのガマゲロゲ、うたが、のそのそとNのもとへやって来た。
 うたは両手で木箱を抱えている。その表面には『ありがとうございました! 大きなお金はこちらへ☆』という文字。

「はい、うた六千円入れるよ」
「ガ〜マロ〜」

 Nはうたに五千円札一枚、千円札一枚を見せて、折り畳んで箱に入れた。うたはにこにこNに微笑んで、踵を返しキャンピングカーの方へのそのそ歩いて行った。
 他の客の所にはゼラールとクックが回っているから……みもんとうたはN専属? もしかして。
 それにしてもNはリヨンのポケモンたちと、そのトレーナーの幼馴染みの僕よりも仲が良さそうで少し悔しい。やっぱりポケモンと話せるっていうのがポイント高いんだろうね。ポイントって意味が解らないけど。

「おおっ! チェレン! Nと仲良さげじゃん」

 声をかけられて、後ろに向けていた姿勢を戻すと、目の前にリヨンがいた。いつの間に。
 と言うか、今なんだか聞き捨てならないセリフを言ったよね。

「……仲良くしてるつもりは一切無いけど」
「照れんなよ! いいじゃん、友だちっぽくてさ。ねえ? N!!」
「照れてもいないよ」

 リヨンに話を振られたNは、美味しい水(メニューにはシロガネ山産とあった。シロガネ山は遠いジョウトとカントーの間に聳える山だ)を飲んでいた手を止めた。

「フウン。こういうのを人間はトモダチと言うんだ。なんだかカンタンだな」
「そーそ、簡単簡単!」

 あ、もうひけない。

「んじゃチェレン、もーちょい待ってて。ナゾサンドは他よりちょおっと手間が掛かるから! しっかしナゾサンドを選ぶとは、チェレンは結構思い切るなー。はっはっは」

 リヨンはそう言い残して、サンドイッチを食べ終わって席を立つ客に元気良く礼を言ったり、トレーを回収したりしながらキャンピングカーの中に入って行った。

 いや、ちょっと待って。
 手間が掛かるってどういうことだい。結構思い切るってどういうことだい。
 そういえばNもさっき、初めてなのにスゴいって言ってたな。

「……N」
「なんだいチェレン」

 ……名前呼ばれた……。
 じゃなくて。

「ナゾサンドって、そんなに……アレなのかい」

 アレってドレだよと自分でも思うけど、今はそんな小さなことには構っていられない。

「ボクは食べたことは無いがナゾの実の味はトモダチから聞いて知っている」

 僕の問いかけにNはそう答え、続ける。

「辛い味が苦手なポケモンは間違い無く丸三日は沈めさせられると」

 好きなポケモンからすればクセになるらしいけどね、とNは付け足す。

「人間用に刺激を抑える工夫はされると思うがそれでも辛いものが好きでない限り撃沈する結果に変わりは無いだろうさ」
「…………キャンセル、」
「代金を支払ったらキャンセルは無効」

 そう……なんだ。

 まさかそんなスペシャルメニューだとは思ってもみなかった。知らない名前だから珍しい木の実なんだなとは思ったけど、まさかそんな味だとはね。
 だけど、そんな危険極まりないものをこうも易々と売らないでほしいよ。百歩譲って売るのはよしとしても、一言くらい注意書きを添えておいてほしい。
 初心者は初心者らしくNの言う通りにモモンサンド、間違ってもドリサンドにしておけば良かったのだ、ってことか。
 後悔先に立たず。礼三さんの暢気な歌声が厭に耳を突く。

 いっそのことダイケンキに救助を要請しようか。僕の一番のパートナー・ダイケンキは勇敢な性格だから、辛いものが好きなんだ。
 そうと決まればダイケンキを出

「チェレンお待たせ〜! 当店一の激辛メニュー・ナゾサンドでーす!!」
「ぶお!!」

 来ちゃった。ダイケンキ出してないのに。
 リヨンはモーモーミルクのコップを乗せたトレーを、とんとんはナゾサンドの皿を乗せたトレーを持って、ゆっくりと、だが確実にこちらに近づいて来る。
 恐怖だ。

「なんせナゾサンドは激辛だからね、モーモーミルクとサンドのクリームにカイスエキスを混ぜてあるって店長さんが。少しは辛味が抑えられてると思うよ」
「ぶおー」
「あ。うん。ありがとう……」

 リヨンからモーモーミルクを受け取った後、小さく戦慄いている(気がする)両手で、恐る恐るとんとんからナゾサンドを受け取った。
 果たしてカイスの甘さで、どこまでナゾの激辛に対抗出来るのか。
 非常に不安だ。

「さっ、どーぞ召し上がれ!!」

 ゴクリ……唾を飲む。
 若干、周りの席の客から視線を感じる。やめてくれ。注目しないでくれ。

 しかも、すぐ隣からも誰かが僕を見ているような――

「ってリヨンなんで横に」

 左隣を向いたらリヨンがベンチに座っていて、とんとんもその後ろで僕をじっと見つめていた。

「もしチェレンがぶっ倒れたら、アタシたちが介抱するためよ。だから安心して食べなって!」

 ニカッと、リヨンは笑った。
 だからなぜそんな危険極まりないものを売って(ry
 リヨンの前で……いや、違うな。NとかNとかNとか、その他見知らぬ人たちの前でそんな格好悪過ぎる姿を晒す訳にはいかないよ。

 ……覚悟を決めよう。僕一人で、決して倒れること無く全て食べ切るという覚悟を。

「そーいやさあ、ダイケンキが辛いの得意なんじゃないっけ。一人で無理しないでダイケンキと一緒に食べたら? アタシも出来れば、チェレンにぶっ倒れてほしくなんかないし」

 今まさに腹を据えようとしていたところで、リヨンが言った。

 あ、ああ、そうだよ、ね。
 ダイケンキへの救助要請許可が下りたみたいだ。そもそも誰も禁止なんてしていなかったけど。
 それじゃ、心置きなくダイケ

「だがリヨン」
「ん? どうした、N」

 急にNが後ろから口を挟んできた。
 彼はごちそうさまと言って、すっかり空になったコップをトレーに置いた。サンドイッチの皿にも何も無い。何サンドを食べたんだろう。いや、そんなことはどうでもいい。

 このタイミングでの発言は嫌な予感しかしないよ。

「もしもチェレンがナゾサンドを単独で完食したならばキミはどう思う」

 N……? まさか、きみ……。

「そりゃスゴいよ! チェレン男前! カッコイイぜこの野郎! って思う!!」

 やっぱりそう来たかっ……!!

 リヨンにそこまで言われたら、僕がダイケンキに頼るに頼れなくなると判ってて言ったんだな。
 僕に対する挑戦と取っていいんだねN。僕も男だ、受けて立つよ……!!




 チェレンの インファイト!




「あ。」

 リヨンととんとんが呆然としている。
 僕がなんの前触れも無くナゾサンドに噛り付いたら、そんな顔にもなるか。

「……チェレン? 大丈夫?」

 もぐ……もぐ。
 ナゾの実ってこんな味なのか。なるほどね。

「……うん。想像していたより大したことは……、無いか、な……」

 もぐ……、もっ……ぐ。
 自分でも不自然だと感じるくらい機械的な動きでナゾサンドを食べ進めながら、僕はリヨンに返す。

「ホントに? 目が死んでるよ?」

 目が死んでるって、すごい表現だね。解らないでもないけど。

 いっそ『辛い』と言ってしまえば楽になれるんだけれど、僕は意外と負けず嫌いだということが旅の間に発覚したし、男はつまらない見栄を張ってしまう生き物なんだって父さんも言っていたし。

「いや。全っ……然、平気だ……か、らッ」

 誰に言い訳してるのか判断つかないが、とにかく、一度始めてしまった勝負を、簡単に投げ出す訳にはいかない。

 …………あ、大変だ。飲み込めない。

 それになんだか、目の前が暗くなってきた……




 バタンッ


「うおおおチェレンんんんん!!」

 痛い。僕は倒れたの、か?

 近くでだか遠くでだか、リヨンの叫び声が聞こえた。すごい声だ……。

「とんとん! チェレンをあっちの草むらまで運んで!!」
「ぶおおっ!!」


 リヨンととんとんの姿が見えたと思ったら、視界が暗転した。










     ――薄れゆく意識の中。


     僕は、

     インファイトという技は使うと能力が下がるんだったな


     なんて


     全く以てどうでもいいことを考えていた。






     ナゾサンドとNにはもうこりごりだ――。














――――――――――――――――――――――――――――――――――

「リヨン。店長さんに伝えてくれるかな。ナゾサンドのページには注意書きを添えておいて下さい、と」
「え? あったっしょ注意書き。黄色い吹き出しに赤い文字でさ、『激辛!! 食べ切った時アナタは勇者となるッ!!』って」
「……………………本当に?」
「うん。今度来る時に見てみ?」
「……いや。当分ビレッジサンドはやめておくよ」
「そう? まぁなんにしてもさ、次は間違ってもナゾサンドは頼まないようにしなよ! はっはっは!」
「………………。」


  [No.1253] チェレンとビレッジサンド(+α) 投稿者:   投稿日:2015/04/15(Wed) 23:27:33   56clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 ナゾサンド事件から一ヵ月くらい後。

 ポケモンリーグに挑戦しようと思ったら、レンブさんが体調不良で勝負が出来ないと、まさかの門前払いを食らった。
 仕方ないと諦めてチャンピオンロードに戻ろうとしていると、カトレアさんが大きなあくびをしながらリーグから出て来て、事情を説明してくれた。

 アデクさんがビレッジサンドの噂を聞きつけたらしく(八十パーセントの確率でリヨンからだろう)、四天王の皆さんに差し入れしたはいいけれど、辛いものが好きなギーマさんのサンドイッチと、強そうな外見に反して辛いものが苦手なレンブさんのサンドイッチを間違えて渡してしまい、レンブさんは一切合切疑わず(ナゾの実って激辛なのに全く赤くないんだ)、思いっきり丸齧りして、直後、体調不良を訴えたとのこと。


 アデクさん…………。


 シキミさんが小説のネタにしないことを祈るばかりだ。信じられないくらい辛いんだよナゾの実。経験者は語る。
 あれをトレーナーに渡されたら最後、勝負の合間、然るべき時に自ら食べなければならないポケモンは、本当に凄いよね。
 今後は効果だけでなく、風味も確認してから木の実を渡すことにしようと、心から思った。


 ……レンブさん、どうぞお大事に。










――――――――――――――――――――――――――――――――――

故サイトにて、拍手のお礼に使っていた話。初めて書き上げたBWの話でもありました。短編板でも良かったのですが、なんとなくこちらに…。
ビレッジサンド食べたいです。


20110116完成
20150415一部修正
(完成日時を表記し忘れていたので読んだ感想を初めて頂いた日にしておきました、というどうでもよい補足)

▼20110429

チェレンとビレッジサンド(+α) (画像サイズ: 492×699 99kB)


  [No.1254] きみを巣食うもの(一) 投稿者:   投稿日:2015/04/15(Wed) 23:34:54   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 カーテンは閉ざされ照明も点いていない、仄暗い子供部屋。南側に置かれたベッドの上に、水色のシーツが丸まっていた。そこから細く聞こえて来るのは、子供の啜り泣く声。
 夕闇に薄らと放たれるその声に誘われるようにして、二匹のポケモンが、わずかに開いたドアの外から部屋を覗いた。一匹は綿花に似た体の左右に、腕にも見える青葉を生やしており、もう一匹は赤い小さなとさかを持った、黄色の肌の蜥蜴。
 二匹は大きな音を立てないように室内へ滑り込み、ベッドに上ると、小刻みに震えている膨らみに寄り添った。

「めぇん、めぇん」
「ルグ、ルルッグ」

 二匹の呼び声に、山を模ったシーツがびくりと動く。
 程無くして山がおもむろに崩れ、ふもとから茶色が――茶髪の少年が、恐る恐るシーツの下から顔を出す。八の字を描く眉の下で、セピアの瞳が潤んでいた。
 少年と視線が合うと、二匹のポケモンはにこにこと笑う。

 大丈夫だよ、大丈夫だよ。

 少年のふっくらとした頬に涙が線を引く。ポケモンたちは彼を安心させるべく、優しく声をかける。
 けれどポケモンは、人間の言葉が話せない。人間は、ポケモンの言葉が解らない。

「…………なんで」

 だから少年は傷ついたような、疑るような眼差しで二匹に訊ねた。

「なんで、笑うの……? 悲しくないの……?」

 少年の顔面を支配する感情が、みるみる内に温度を変えていく。

「なんで? なんで笑ってるの?」

 胸中を巣食う彼らへの恐れも忘れて、怒りを孕んだ問いを投げる。

「なんで、どうして! どうして笑ってるんだよっ……!!」

 ポケモンは人間の言葉を話すことが出来ない。そう解っていながら、少年は二匹への詰問と苛立ちを治められない。
 そのような彼の心情を知る由も無いポケモンたちは、先程よりも笑みを濃くして少年の方へ両腕を突き出し、広げて見せた。

 大丈夫だよ、僕たちがいるよ。

 温かな気持ちを精一杯、人間である少年に対しては意味を成さない声に乗せて、紡ぐ。
 だけれど言葉という形に成り得ない慈愛は、二匹の想いを解せない、悲しみで裂けた少年の胸を深々と抉り、痛めつけることしか出来なかった。

「…………いなくなっちゃえ」

 二匹は少年を見つめた。少年の、シーツを握り締めた拳がわなわなと震えている。

「ポケモンなんて……」

 止め処無く溢れる大粒の涙が彼の服に、シーツに、染みを作っていく。
 今、その大きな双眸にあるのは悲痛でも恐怖でもなく、憤怒。
 少年には……少年独りきりでは、とても抑制出来ない烈しい憤りが喉から口へと伝い――いよいよ、噴き出した。

「メイテツもキューコも……いなくなっちゃえばいいんだ!!」

 涙が散らばる。

「いなくなっちゃえ!!」

 残暑の空気で満ちた部屋が、凍てつくように静まり返った。



 少年とポケモンたちは、互いをただただ見据えていた。



「……………………」

 やがて少年が睥睨を見限る。沈黙を保ったまま、シーツを胸元まで手繰り寄せて膝を抱え、面を伏せた。
 それを合図としたように、二匹はしょんぼりした顔を見合わせて頷き、ベッドを下りて廊下の方へと歩いて行く。
 最後に、来た時と同じようにドアの隙間から少年を見つめ……その場から立ち去った。








 イッシュの北西に位置する森の中。ここに、イッシュ全域を網羅する鉄道の中心部であるライモンシティと、白熱のバトルサブウェイを陰から支える車両基地の町、カナワタウンはある。
 週末は観光客――とりわけ鉄道愛好家で賑わう場所だが、今日は生憎の月曜日。プラットホームに降り立つ人の数は疎らである。
 微睡みの中を思わせる、のどかな空気の漂う昼日中のこの町に彼らがやって来たのは、木々の緑が夕暮色へと衣替えを始めようとしている、初秋の日のことだった。


「カルカル〜!」

 駅舎と町とを繋いでいる、煉瓦造りの陸橋へ続く階段。共に行くトレーナーの歩みを、青い体のポケモンが短い足で追い抜いて行く。

「カブルモ、そんなに急ぐと転ぶぞ」

 カブルモと言う甲虫に似た格好のポケモンは、自分を呼んだ人物に振り向き、立ち止まった。彼のトレーナーである紅蓮の髪の翁――名はアデク――は老いてなお勇ましい風采で、周囲の景色に目を向けながら言葉を続ける。

「いい眺めだな。ほら見てみろ、転車台だ」
「カブッ」

 落ちないように気をつけろよ。橋の隅にてこてこと歩み寄るカブルモにそう言って、アデクは最後の段を上り、自身も縁へと進んで転車台を見下ろす。
 四方に広がる森林の中に一筋に引かれた線路を、遥か彼方まで電車が駆け抜けて行く。転車台の奥に構える車庫はその殆どが空で、それは彼らが今まさに、イッシュのどこかを元気に走っていることを知らせていた。

 そっと優しい風が吹いた時、アデクの耳に届いたのは、柔らかく澄んだ響きを持つ旋律だった。音を運んだ風の道を辿って見れば、若葉色のワンピースを着た少女が、橋の中央で横笛を吹いているのが目に留まった。
 その足下にはぴょんぴょん跳ねる、青い影。

「カブモ! カブッ、カブル!!」

 瞑目し、無心でフルートを奏でていた少女は、自分のすぐ傍で跳ねているポケモンに気がつくと、驚きに目を屡叩かせた。

「あーこらこらっ。すまんな、お嬢さん。演奏の邪魔をしてしまって」

 跳躍を繰り返すカブルモに慌てて駆け寄り抱き上げて、アデクは苦笑いをしながら彼女に会釈した。

「いえ! 可愛いポケモンですね」

 齢を重ねると――娘の場合は特に――虫型のポケモンが苦手になる者は多い。そのことも含んだ詫びだったのだが、少女はアデクの危惧とは裏腹ににこりと頬笑んで、甲虫のようなカブルモをそう表した。
 当のカブルモは少女の持つフルートに興味津々で、どう頑張っても届かない距離にあるそれに触れようと、短い手を伸ばしている。

「トレーナーさんですよね? カナワへは観光で?」
「ああ。電車の旅も楽しそうだと思って来てみたのだが、ここはよい所だね。心が落ち着くよ」
「カナワは“電車の眠る町”ですから。トレーナーさんも、ポケモンと一緒に寛いで行って下さいね」
「うむ! ありがとう」

 では、と軽く辞儀をして町へと歩き出す。
 再び辺りに広がってゆく音色に振り返れば、横笛を吹く手はそのままに、少女が微笑みで応えた。
 今度は小さく手を振って別れを告げる。彼のもう片方の腕の中で、カブルモが楽しそうに音に合わせ体を揺らしていた。

「フルートのメロディーは、電車のための子守歌……かもな!」


 橋を渡り終えると間も無く、カナワの町並みに出迎えられた。大通りこそ舗装されているが、少し脇道に入れば一帯が砂利道となり、短く刈り揃えられた叢(くさむら)の上に民家が林立していた。
 肩にカブルモを乗せたアデクは北に進路を取って住宅街を行く。その道々、生垣越しに見える庭先、公園や十字路など、至る所で人とポケモンが一緒に過ごしている場面を目にした。

 洗濯物を干す女性の傍へ、三段重ねの敷布団を軽々と運ぶドッコラー。
 所狭しと咲き誇る花々と、合間に植わったタマゲタケに水をやる少年。
 きゃっきゃと声を上げて追い駆けっこしている、幼い少女とチラーミィ。
 忘れ物を届けに来たコロモリを優しく抱き締めて、破顔する青年。

 人間とポケモンが共にあり、互いに楽しそうに、幸せそうに暮らしている。互いの存在を重んじ合い、互いに出来ることを為して、助け合っている。計られたものではない、自然な、ありのままの共存の情景に、アデクは感歎した。

「なんだか見ているわしらが和むな」
「カブ!」
「人とポケモンが分かち合える。本当に素晴らしいことだ」

 この町の人々とポケモンはよく知っている。同じ時間、空間を共に過ごすことの出来る喜びと尊さ。
 そして愛しさを。








 転車台と車庫へと向けて引かれている線路を左に見下ろしながら、町の北へと歩いて行くと、突き当たりの林野に白い案内板が立っていた。案内板には細かな文章と矢印が書かれており、左下を指している矢印が示す先には、石の下り階段が伸びている。

「ふむ。ここから転車台へ下りられるのか」

 まじまじと看板を見るアデクの背後で、カブルモは石段を凝視していたが、

「行ってみるか? カブル」
「カブモー!!」

 トレーナーの言葉を最後まで聞くこと無く、スタートのピストルが鳴らされた陸上選手さながらに走り出した。無論、前方、石造りの階段へ。

「おい、言い終わらん内に行くな!」

 転げ落ちるように駆け下る甲虫にアデクは、何故その短い足でそんなに素早く降下出来るのか、と疑問を抱きながら追い駆ける。

「おまえはちょっと元気が過ぎるぞ!」

 こちらのことも考慮してくれと思うが、カブルモは人間で言えばおよそ五・六歳。そんな気配りが出来る訳も無い。途中で何度かアデクを振り返っても、自分の有り余る気力を見せつけようとでもしているのか、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねてはぷいと背を向けて、たかたかと石段下りを再開してしまう。

「挑戦的だな……」

 若干、眉間に皺が刻まれる。だが渋面はすぐに和らいだ。
 以前では有り得なかった、あまりに平凡で、安穏とした時間。

(戦いに明け暮れるばかりでなく、こんな何気無い日々も目一杯に過ごせば、あいつも幸福な一生を終えられたのかも知れんな)

 彼女が真に望んでいたのはこれだったのかも知れないと思うと、とてつもなく愛おしく、大切にしなければならない時だと感じられる。彼女との日々をやり直せないなら、彼らとそうした日々を一日でも多く過ごそうと、誓ったのだから。

「……まったく!」

 どんどん小さくなっていく青い背中に溜息して、アデクもまた階段を下り始めた。




「ん? カブルモ?」

 石段を下り切り、黄土色の芝生を何歩か進んでみたものの、どこにもカブルモの姿が見えない。アデクは先程に続いて二度目の溜息を吐いた。今度は隠れん坊だろうか。

「おーいカブルモ! 隠れるのはいいが、あまり遠くへは行くなよー」

 他に相当する場所は見当たらず、まず間違い無いと思われる車庫の方へ声を投げた。

「やれやれ……」

 転車台を囲む頑丈そうな木の柵に腕を置き、頬杖をつく。しばらくすれば痺れを切らして戻って来るやもと踏んで、アデクは小憩を決めた。

 長年我が身を置いていた土地を離れ、人生で二回目となる旅を始めて一番最初に、新しく仲間にしたのがカブルモだった。自分自身は勿論のこと、彼の方も、連れ立つ流離いの旅路を楽しんでいるだろうことは、アデクの目にも瞭然だ。ならばこの先も共に歩みたいと、思うのではあるが。

「もう少し大人のカブルモが良かったか。素直で可愛いが、元気があり過ぎるのが難点だな」

 ふう。先の勝ち目の無い駆け比べを思い返してみたら、溜息が口を突いて出た。これにて合計三度目だ。

(しかし、あいつが電車に乗りたいと騒ぐから来てみたが……ここで皆に伝えることは、何も無さそうだな)

 彼女が自分に教えてくれたものを既に知っている、この町の人々には。






 一方カブルモはアデクの予測通り、転車台から横へ逸れた、車庫の裏側を歩いていた。
 ちなみに、今し方のトレーナーの警告は彼の耳にちゃんと届いていた。届いた上で、なおの続行だ。
 幾多の電車を休めるための車庫は堅固な造りで、その背には何か素敵な物が隠されているのではないかと、カブルモの好奇心を刺激するには充分な質量を持っていた。
 今のところカブルモの思う素敵な物は見つかっていないし、また見つからなかったとしても、別段彼は構わないと思っている。ここへ来たのにはトレーナーを困らせてやるためでもあったからだ。
 果たしてアデクは自分を見つけることが出来るだろうか? カブルモはそんなことを考えてうきうきとしながら、扇形の車庫の輪郭をなぞるように曲がって行く。

「……カブ?」 

 その時、進行方向に何かの影があるのを見つけた。足を止めてじっくり眺める。車庫の黒い壁に背を預けて座り込む、人間の子供だった。
 顔は、山なりに折り曲げた両膝の間にうずめているため見えないが、明るい茶髪の――体格や服装から察するに、九つか十くらいの少年だ。
 害は無さそうだと判断したカブルモは、警戒心皆無で少年に近づいて行った。

「カブモッ!」
「え……」

 正面までやって来たカブルモに呼びかけられ、少年が顔を上げる。己の目前にいるそれが、紛れも無いポケモンであるという事実を認識した直後。
 恐怖に、顔面を蒼白にさせた少年が発したのは、絶叫。
 その大声に気圧されて、カブルモは後ろへ引っ繰り返った。




「カブルモ?!」

 突如として辺りに響き渡った叫び声を聞きつけ駆け出したアデクは、車庫の裏手で仰向けになっている甲虫を発見すると、

「こら! 今度は一体何をしでかしたんだ?!」

 開口一番、叱りつけた。

「カルッ?!」

 無実の罪で叱られては堪らない。ぴょこんと跳ね起きたカブルモは、怒っていると言うよりは呆れているトレーナーを前に、顔をぶんぶん左右に振ったり、手足をじたばたさせたりして必死に無罪を主張した。

「違うのか? 子供の悲鳴が聞こえたが……」
「ポケモン、」
「む?」

 そこでアデクはようやく気がついた。大きなセピアの目を見開いた少年が、膝を抱え込み全身を戦慄かせている姿に。

「どっかにやってよ……。ポケモンはきらいだ……早くどっかにやって!!」

 甲高く叫ぶ少年。ポケモンは嫌い、という文句にショックを受けたらしいカブルモが、あんぐりと口を開けた。
 アデクは慌てて佩帯したモンスターボールを一つ取り、カブルモに向けボタンを押す。ボールから発された光がカブルモをしっかと捕らえ、内へ取り込んでいった。

「すまん! 虫タイプが苦手なんだな? 男児だのに珍しいなあ。大人になると苦手になる奴は多いが……」

 あやすように少年の前へ膝をついて詫びる。しかし次に彼から返ってきた台詞は、予想だにしないものだった。

「ちがうよ……ポケモンは全部きらいだ。ポケモンがいなければ良かったんだ……ポケモンなんて、いなくなればいいんだっ!!」

 これにはカブルモでなくとも衝撃を受けた。ごく限られたほんの一部ではなく、無限とも言える数のそれら全てを嫌いだと、彼は言ってのけたのだから。

「何があったか知らんが……ポケモンがいなければいいなんて、言ってはならんぞ?」
「きらいったらきらい!! ポケモンがいなきゃおれは……おれは一人にならなかったのに!! ポケモンのせいだ、ポケモンのせいでっ……!!」
「むう……、」

 相対する者を射抜かんばかりの眼差し。冗談を言っている人間の目ではない。少年が吐いたのは真実。故にアデクはそれ以上、少年に何も言えなかった。
 尋常ではない嫌い様。ポケモンの所為で、とはどういう意味なのか……。
 彼の身に何があったのかは判らないけれど、情緒の不安定になっている子供を、このような人通りの少ない場所に残してはおけないと感じる。自分を始め、多くの人間が愛して止まないと信じている存在を、嫌いだと言った子供であれば、なおのこと。

 アデクは密やかに、少年の隣に腰を下ろした。


  [No.1255] きみを巣食うもの(二) 投稿者:   投稿日:2015/04/15(Wed) 23:39:09   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



「失敬。ちょっと訊ねたいのだが」

 そのように言いながらアデクは町の大通り沿いに立地する交番の、硝子張りの引き戸を開けた。背中で苦しげに眉を歪め昏睡している彼と出会った時、空の頂点で輝いていた太陽が、今にも山の向こうへ隠れようとしている。辺りの景色はみな橙色に染まり、地面には黒く長い影が落ちていた。

「この子がどこの子か知らんか? 車庫の裏に一人でおったんだがちっとも帰ろうとせんで、この有様で」

 あの後。彼が帰路に着くまで付き添っていようと時機を窺っていたアデクだったが、結局この時間まで少年は蹲ったままだった。それどころか、いつしか彼は眠りに就いてしまっていたのである。

 交番には常駐の巡査が一人おり、旅人らしき男を視界に収めると付けていた日誌を畳み、椅子からやおら立ち上がった。室内を進むアデクよりわずかに年下であろう、口髭を蓄えた巡査――濃い灰色の制服の左胸に、キミズと刻まれたネームプレートがある――は示された少年を見るなり「ああ、シュヒくんだね」と言った。

「シュヒくんと言うのか。もう黄昏時だし、親御さんも心配しておるだろうに。すぐに迎えに来てもらわねばな」
「それは無理だねぇ。送り届けてあげないと……」

 眉を顰め怪訝な顔をしたアデクにキミズは一瞬言い淀み、旅人の背に負われた、シュヒと言う名の少年を見つめた。瞼がきつく閉ざされているのを確認して、重々しく口を開く。

「この子のご両親は先月……不慮の事故でね。亡くなったものだから」
「!!」

 思った通り瞠目したアデクを見て巡査はふ、と嘆息する。驚くのも無理は無い。

「ところで、あんたさんは旅のもんかい? 見たところトレーナーのようだけど……まさかシュヒくんの目の前で、ポケモンを出したりしなかったろうね?」
「あ、ああ……それが、わしのポケモンが彼を見つけてな。その、この子は何故あれほどポケモンを?」

 どうやらこの旅人は既に粗方のことは知ってしまったようだ。これ以上隠しても無意味かも知れない。諦めたように肩を竦め、巡査は滔々と語り始めた。

「彼の父親はカナワの駅員で、母親も駅舎の売店で働いておったんだがね」

 目の前のこの男に、自分の知る全てを一つとして隠さずに洗い浚い話さなければならない。そのような奇妙な感覚に衝き動かされながら。

「先月の第四土曜日……朝のちょうど九時半だったか。列車が発車直後に、線路に野生のポケモンが迷い込んでね。シュヒくんのご両親がそれを見つけて、助けるために線路に下りたんだ。ああ、ポケモンは無事に救われたんだが……二人がその場を離れるのも、列車が急停止するのも間に合わず、二人はそこで……」

 のどかな町と、少年を襲った惨事。誰にも予測出来得ない、突然の死別。誰かが悪いのではなくて、だからこそ、遣る方無い。

「親族はみな遠いカントーやホウエンに移住していてな。他に引き取り手もいない。町の者で大体の世話は出来るし、現にしておるつもりだが……やはり家に独りきりというのは、つらいのだろうね」

 出来るなら付きっ切りで見守ってやりたい。だがそういう訳にもいかない、と巡査は言う。自分はカナワの町民全員の平穏無事を守り、祈らねばならない立場だ。たった一人の町民だけに尽力など、きっと、したくてもしてはならない。それは何もキミズに限ったことではなく、少年の心情を気遣う者全てに言えることだ。

「両親が飼っていたポケモンたちがおるにはおるんだが……もともとポケモンが苦手な子だし、今回のことでまあ……あの通りだろう? 独りぼっちなんだよ、この子は」

 彼のことが気懸かりだと言っても、人にはその人の生活がある。優先すべきものがある。だからどうしたって、彼は未だ独りきりのままだった。
 彼をひたすらに愛してあげることの出来る、家族がいない限りは。

「シュヒくんにとっても、ポケモンたちにとっても、酷なことになってしまったよ」

 黒髪半白の巡査は悲痛を堪えるように、目を閉じる。
 アデクの心のどこかで、何かがさざめき立った。


「可能であれば、わしにこの子の面倒を見させてもらえんだろうか?」
「ええっ!」

 話し終えるや否やの突拍子も無い提案。キミズは呆気に取られた顔を一切取り繕わず、発言した男に向けた。空耳かと思い旅人の目を見つめる。しかし相手は至って真剣な眼差しで、こちらを見据えていた。

「子供がたった独りでいるのを、看過は出来んよ」

 眠り続ける少年を肩越しに窺うアデク。戸惑いを隠せず、キミズは頭を掻く。

「しかしなぁ。そりゃ、この子に付き添って世話をしてくれる者がおれば周りも安心だし、とても助かるのは確かだけども……」

 言ってキミズは一つ、咳払いをする。
 彼の危惧する所、言いたい事は、アデクも重々承知しているつもりだ。自分が彼の立場であれば迷わず指摘する問題が、己にはある。

「あんたさんとは面識が無いしねぇ。安易に承諾する訳にはなぁ……」

 すなわち、どこのシママの骨とも判らない人間には任せようにも任せられない、ということ。職業柄うんぬんではなく、見ず知らずの人間に急に信用しろと言われたとて、疑念を抱かずにいられないのは至極当然の心理だ。

「うむ、それはごもっとも。これしきのことで承知してもらえるとは、わしも思っておらんが……」

 想定していた返事にアデクは素直に頷く。それから、懐をまさぐって見つけ出した物を巡査へ寄越す。彼らの手の平に収まる程度のそれは、ポケモントレーナーの身分証明書、トレーナーカードだ。

「わしはこういう者だ。今は訳あってこの通り旅をしている。もしこれで認めてもらえぬなら我が友人、ソウリュウシティのシャガ市長に、確認を取ってもらっても構わない」

 受け取ったカードにキミズは首を捻りながら視線を落とす。アデクの渡してきたカードは一般トレーナーが所持する物とは明らかに異なる、繊細で華美な紋様と、烏鷺(うろ)の彩りを持つ代物だった。

 こういうのを職権濫用と呼ぶのだろうか――アデクは己の行為を少し疾しいと思った。けれどこうでもしなければ、こんな人間が“それ”だとは、とてもじゃないが信じてもらえない気がする。逸早く信用を得るには“それ”であることを知らせるのが一番の捷径なのだ。仕方あるまい。
 関係者に聞かれたらなんと言われるか判らない考えを頭の中で展開させているアデクを、キミズが目を丸くして見やった。

「こりゃ驚いた! あんたリーグチャンピオンなのかい。ここいらで一番強いトレーナーってことだろう? それは凄いなぁ」

 リーグチャンピオン。誰よりもポケモンを理解し、誰よりもポケモン勝負に勝利し続けた、その地方でただ一人のトレーナーに与えられる称号。ポケモントレーナーを志としない人間でも、余程の事情が無い限り、基礎的な知識として知る存在である。
 確かに、と言って巡査が持ち主に返したカードにはアデクの名と顔写真、そして“イッシュ地方ポケモンリーグチャンピオン”という記載が為されていた。

 道理で、とキミズは思った。なぜ自分はこの男に、何もかも白状しなければならないような気持ちになったのか。それは彼が纏っている荘重な空気のためだったのだ。内側から煥発する隠しようの無い彼の気高さに、自分は動かされたのだろう。
 キミズは寸分唸ったのちによし、と溢す。

「解った。町長には私から話をつけておこう」

 アデクを信頼の置ける人物と判断したのだろう。巡査は了承の相槌を打った。

「何かあれば、いつでも私に言っとくれ」
「ありがとう。巡査殿」

 アデクが顔の緊張を解かして感謝を口にすると、キミズは立てた右手をひらひらと横に振り、

「いやいや……。シュヒくんを、よろしく頼むよ」

 と、言った。


 少年の自宅までの道程を教わり、もう一度、駐在に謝意を伝える。
 シュヒを起こさぬよう用心しながら背負い直して、アデクは交番を後にした。


  [No.1256] きみを巣食うもの(三) 投稿者:   投稿日:2015/04/15(Wed) 23:42:52   52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 少年の住居は町の南にあった。陽の射す時間帯であれば、谷間の駅や果てしない線路を一望出来る小高い丘の上の、二階建ての家屋である。
 ドアに鍵は掛かっていなかった。両親の死を嘆くあまり頭が回らず、掛け忘れて行ったのだとしても不思議は無い。

 玄関ドアをくぐり、アデクはシュヒのそれを脱がしてから自分も靴を脱ぎ、段差を越えた。居間や台所を一通り確認したのち、二階へと進む。その後ろを、自主的にボールから出たカブルモがついて行った。
 たちまち二階に到着し、階段から見て一番手前のドアを開けた。薄暗い中、手探りでボタンを押して照明を点すと、青と緑、茶色といったナチュラルカラーを基調にした絨毯や壁紙、クローゼット、学習テーブル等が置かれた子供部屋が照らし出された。
 その窓際のベッドにシュヒを横たわらせて、水色のシーツを胸元まで掛けてやり、すぐに明かりを落とす。カーテンの隙間から射し込むわずかな月光を頼りに、アデクは学習テーブルの頼りなげな椅子に腰掛けて、物思いに耽った。

(イッシュの人々に伝えたい想い。彼には届くのだろうか……?)

 自分の力は不要だと思った矢先の出会い。少年が『嫌いだ』と拒む存在を好きになってもらいたいと願うのは、あまりに身勝手で愚かな考えだろうか。
 使命を胸に旅を始めてから、およそ一年。彼との出会いは、旅立つ切っ掛けをくれた彼女から与えられた、試練なのかも知れない。けれど使命だとか試練だとかそういうものとは一切関係無く、それ以上に素直に、この孤独な子供を救いたいと、そのために自分に出来ることがあるならなんでもしたいと、アデクは思う。

「カル?」

 アデクの膝の上できょろきょろと部屋を見回していたカブルモが、絨毯の上に、月明かりを反射する何かを見つけた。

「どうした?」

 床に降り、一点に駆け寄ったカブルモの上からアデクが覗き込む。赤い額縁の写真立てが落ちていた。

「カブカブ……カルルカブッ!!」

 拾おうとしたカブルモがバランスを崩し、ずるべちゃっという間の抜けた音とともに前のめり、倒れる。

「あー、こらこらこらこら……」

 アデクは呆れながら写真立てをカブルモごと持ち上げ、中の写真を見た。生後間もない赤子が眠る傍で、二匹のポケモンが添い寝をしている様が映っている。

「この赤ん坊はシュヒくんだな」

 トレーナーが傍らの箪笥の上に置いた写真立てを、カブルモは涙を溜めた目で恨めしげに見る。倒れた拍子にぶつけた所を擦りたいのだが手が届かず、見当違いの箇所を触っていた。

「お……?」

 箪笥の背と接する壁にはコルクボードが掛かっており、そこにも数枚の写真が画鋲で貼り付けられていた。それらはどれも今より幼く、涙ぐんでいるシュヒと、彼を囲み満悦の表情をした二匹のポケモンが映っていることで、共通している。

「モンメンとズルッグ……」
「……ぅ、うぅ……」

 写真のポケモンの名を確認するように口にした途端、小さな唸り声が聞こえて、アデクとカブルモはそちらを向いた。

「……父さんっ……母さ、ん……」

 窓側へ寝返りを打ち、苦しげに呟くと、少年は再び寝息を立て始める。

「……シュヒくん」

 両親を失った悲痛。湧き上がるポケモンへの嫌悪。きっと頭の隅では、ポケモンに当たったところで悲しみが癒えることは無いと、解っているのだろうに。

(この子のために、わしに何が出来る?)

 上弦の月はただただ、たおやかな光を大地に注いでいた。








 明くる日。そろそろ八時になろうかという時刻に、シュヒは鼻を抜けた芳ばしい香りで目を覚ました。

「ん、…………?」

 食欲をそそる朝食の香り。これはウインナーの焼ける香りだろうか。

「母さん……?!」

 戻って来た。帰って来てくれた! もしかしたら自分はこれまでずっと長い悪夢を見ていて、今やっと目が覚めたのか。いや、どちらでも構いやしない。自分はもう独りではないのだ!
 次から次へと溢れ来る歓喜を胸一杯に満たして、シュヒは階段を駆け降りる。

「母さんっ!!」

 廊下と居間を仕切るドアを押し開ける。その向こうに待つのは出来たての温かな食事と、笑顔で出迎えてくれる、愛する両親――

「カブ?」

 ではなく、青い甲虫。

「わ……うわあああああ!!」
「!!」
「なんでポケモンがいるんだよーーーっ!!」

 食卓のカブルモを眼界に収めたシュヒは瞬間的に、飛びのくように後ずさった。対する甲虫も少年と同等に驚いて、盗み飲んでいたモーモーミルクのコップを危うく倒しそうになる。

「カブルモ?! いつの間にボールから出たんだ? 驚かれるから入っておれと言ったのに」

 コンロに向かっていたトレーナーが調理の手を止めて詰め寄ると、カブルモは申し訳無さげに頭を垂れた。

「昨日の……なんで、おれん家に」
「あ、ああ、すまんな! 朝っぱらから驚かせて。いやあ、宿が見つからんくてな、昨晩はこちらに泊めさせてもらったのだ」

 甲虫をボールに戻しながらアデクはそう返した。
 口から出たのは咄嗟の嘘だったが、事実カナワには、トレーナー用達の宿泊施設であるポケモンセンターは存在しない。町に一軒だけある宿屋は個人経営で部屋数はほんのわずか。運が悪ければ相部屋にすらならないので、宿所が見つからないと言うのも強ち間違いではなかった。
 そんな老翁の法螺は気にも留めず、シュヒはその台詞の後半部分に顔を蒼褪めさせた。

「か、勝手に……?」
「いや! 巡査と町長の許可を取ったぞ?!」

 実際の所、町長の方からは返答を貰っていないが、その後キミズから何も連絡が無いことが、つまりは問題無しという証拠だろう。
 カブルモの飲み止しのモーモーミルクを片付けて、アデクはコンロに向き直る。

「礼と言ってはなんだが、朝食を作っておるから。きみの母さんの味には到底及ばんと思うが……良ければ出来るまで待っておってくれ」

 セラミック鍋から薄く立ち上る、コンソメの香りを含んだ湯気。木杓子でその中身を掻き混ぜている男の背中に、少年は尖った声を投げつける。

「聞いたんでしょ。おれの父さんと母さんのこと。あれは全部ポケモンのせいだよ。ポケモンなんて……乱ぼうだし、何考えてるのか分かんないし……大きらいだ。父さんも母さんも、どうしてポケモンを好きだったんだろう。好きじゃなかったら……ポケモンを助けないで、死なないで、すんだのに。」

 両親がいなくなってから。同じ町に住む人々の、誰にも言わなかった――言えなかった想いが、少年の口を滑り落ちて行った。アデクは彼の言い分を黙って聞き、しばらく調理を続けたのちに開口する。

「一トレーナーとしても、なかなか耳の痛い意見だな」
「あっ」

 しまった、という声音になった。

「いやなに。気にせんでよいよ」

 煮込み終えたスープに塩と胡椒を少々加え、味見する。なんとかそれらしく出来たみたいだ。火を消し元栓を締めて、老翁は少年に振り向く。

「実はなシュヒくん。わしもつい最近、とても大切な奴を、病で亡くしたのだ」
「……!」

 驚愕と戸惑いが入り混じった複雑な相貌。随分と大人びた面持ちをするものだ、とアデクは思う。

「だからと言って、きみの気持ちが解る、などと言うつもりは無い。ただ、わしはそやつを失って初めて気づいたことがあってね。きみももしかすると、そのうち何かに気づくことが出来るかもしれんな」

 居間の入口に立ち尽くしていたシュヒを着席させて、アデクは作り立ての食事を二人分、テーブルに並べていく。トーストに野菜のスープ、ウインナーと目玉焼きに、注ぎ直したモーモーミルク。
 現在は幼子一人の家庭だ。目ぼしい食材は無いかと思いきや、冷蔵庫には惣菜の入った小鉢、新鮮な野菜や果物があった。他にも消費期限が長く設定されたパンなど一通りが揃っており、悩まずに調理が出来た。恐らくはそのどれもが、近隣の住民からの差し入れなのだろう。
 ただ、料理は久方ぶりだし得意な訳でもない。少年の口に合うかどうかだけが問題だった。
 改めて出来上がった朝食を眺め渡したアデクは、ミルクを目に留め、カブルモのことを思い出す。

「おっと、いかん。ポケモンたちにも食事をやらなければ。すまんが、先に食べとってくれるかね」
「……うん」

 シュヒが頷くのを見届けてから、アデクは洒落っ気の無い麻製の袋を担いで、そそくさと部屋を出る。ガチャ、ガチャリと、玄関ドアの開閉音が響いた。

(自分も先に食べればいいのに。変なおじいさん……)

 老翁が姿を消した場所から、ほかほかと湯気を立てる食事へ向きを戻し、シュヒは両手を合わせた。

「……いただきます」

 銀の匙でスープを掬い、一口含む。具は野菜だけ、しかも無駄にごろりと切り口が大きい。母の手料理とは全く異なるが、素直に美味しいと感じた。なにせ出来立ての食事を食べるのは久しぶりだ。
 母の手伝いをしていたとはいえ、子供がたった一人で、毎日三食を用意するのは困難である。そのためシュヒは、近所からの差し入れだけで足りない時はパンや果物など、調理する必要の無いもので凌いでいたのだった。
 匙を置き、こんがりと焼き目のついたトーストにバターを塗りながら考える。翁の言った“大切な奴”が、気になっていた。

(奥さん……、子供? 友達……かな。その人が死んで初めて気がついたことって、なんだろう)

 トーストを半分ほど齧り、目玉焼きとウインナーを二口、三口。よく咀嚼してモーモーミルクで飲み下したところで、外から聞こえてくる声に気がついた。
 窓際へ寄って硝子越しに庭を眺める。門の傍に、しゃがんだ赤髪の男の後ろ姿があった。

「こらこら、ちゃんと全員分ある。そう慌てるな!」

 老翁は袋から取り出したポケモンフーズを、三枚のプラスチック皿に盛り、自分の周りに集まったポケモンたちの前にそれぞれ置いた。
 少年の目の前に忽然と出没し驚かせてきた、青い体の甲虫。
 頭部がもこもことした体毛で覆われた、大きな角を持つ牛。
 ギザギザと角張った赤と青の肌に、翼を付けた二本足の竜。

 ぞくり。シュヒの背筋に悪寒が走る。

「よしよし。さあ食べなさい」

 自身の合図で一斉に食事にありついた三匹を、アデクは微笑ましげに見つめた。


(変だよ。ポケモンが好きなんて、ぜったい。)

 少年は目の前の光景から視線を逸らす。脚が、震えていた。
 当然だ。ポケモンを、ポケモンを愛しげに見る人間を、こんなにも近くに感じ、近くに見てしまったのだから。




 シュヒが今よりも幼い頃。駅舎の傍を散歩していた彼の頭上に、どこから現われたものなのか、小さな虫型ポケモンが乗っかったことがあった。いくら騒いでもちっとも離れようとしないそれに弱り果て、シュヒは泣き喚きながら両親の元にひた走った。

「お、シュヒはポケモンに好かれる天才か?! そのバチュル、タチバナさんでも手こずってるって聞いたぞ!」

 プラットホームで線路内の点検をしていた父親は、息子と、彼の頭に乗っているポケモンを見ても、にこやかに笑ってそう言うのみで、泣き叫ぶ息子からポケモンを引き離そうとはしなかった。

「あらあらシュヒってば、頭にバチュル乗せちゃって! あなたはポケモンに懐かれる子ね。お母さん羨ましいわ!」

 キオスクでせっせと商品を整理していた母親もまた、息子とポケモンを見るとにこにこと頬笑んで、そう言うだけ。やはり夫と同様に、息子とポケモンを引き離しはしなかった。




(父さんも母さんもポケモンが大好きだったから、おれがポケモンがいやだって言っても、助けてくれなかった。本当は……本当はおれよりも、ポケモンの方が好きだったのかもしれない)

 今まで幾度と無く推し量り、その都度そんなはずは無いと脳裏から振り払い、深くまで考えずにいたこと。

(だから……おれをおいて、死んじゃったのかもしれない)

 脚の震えは全身に広がっていた。








 シュヒは朝食を食べ終えると着のみ着のままで家を出た。
 行く当ては無い。とにかく誰にも会わずに、どこか、誰もいない所へ行きたかった。
 けれど家を出た時からずっと、シュヒの後ろをつけて来る者がいる。

「……おじいさん。なんでついて来るの」

 シュヒはぴたりと歩を止め、振り返らずに背後の人物に訊ねた。

「散歩がてら歩こうと思ったんだが、きみについて行けば、どこか絶景に出会えるかもしれんからな」

 問われた男も、その場に立ち止まる。
 キミズに懇請し宣言した以上、アデクはたとえ煩わしいと咎められても、出来る限り少年の傍にいようと、独りにさせないようにと、こうして彼について来たのである。

「そうか。まだ名乗っていなかったね、シュヒくん。わしの名前はアデクだよ」

 少年のつんけんとした態度を憂える風も無く、老翁は穏やかに笑いかける。

「……アデクさん。おれについて来たって何もないよ。どこに行ってもポケモンがいるんだもん……おれは行きたい所にも行けないんだ」
「ああ、それでこんな裏手を」

 二人が歩いて来たのは、住宅街から外れた段々畑の中の畦道だ。最も手前にある民家よりも森林の方により近く、辺り一面には収穫の時を待つ黄金の稲穂が揺れ、足下には雑草が生い茂っていた。
 町には住民と共に暮らすポケモンたちがいる。現代の人間の生活からポケモンの存在が無くなることはまず、有り得ない。少年のような、ポケモンを嫌悪する“少数派の人間”は自分たちの方から、苦痛や憤慨を要する景観から立ちのくしかないのだ。
 しかし、とアデクは周囲を見渡す。

「こういう場所はかえって危ないんじゃないかね? ほら、今にもそこの木陰から野生のポケモンが……」
「やめてよ!!」

 右手に繁茂した林を指差す老翁の、冗談混じりの発言を叫喚が掻き消した。
 少年が振り向く。眉を吊り上げてアデクを睨みつけ、己の胸中を巣食うものを、言葉に代えて曝け出す。

「それじゃあおれは、本当にどこにも行けないじゃないか! おれはずっとこの町から、家から、出られないじゃないか!! みんなみんな、ポケモンの味方で! 誰もおれのこと、守ってくれないんだっ!!」
「シュヒくん……」

 箍(たが)が外れて奔流となった激情は、尽き果てるまで枯れ果てるまで、留まりはしない。刺すような目つきを子供に突きつけられ、アデクはかける言葉を誤った、と悔いた。けれど。

「父さんも母さんもそうだよ! 本当はおれなんかより、ポケモンの方が大事だったんだ!! おれなんか、いなきゃ良かったんだ!!!」

 一度(ひとたび)そんな台詞を耳にしてしまったら。
 アデクの理性は、そう上手くは働いてくれなかった。


  [No.1257] きみを巣食うもの(四) 投稿者:   投稿日:2015/04/15(Wed) 23:46:09   57clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 パシィン――。
 肌と肌とがぶつかる、乾いた音。左の頬への強い痛み。何が起きたのか理解出来ないまま、少年は畦道に倒れた。

「そんなこと、誰が言ったのかね?」
「ッ……!」

 ひりひりと痛む頬を左手で押さえる。もう一方の腕で上体を支え、シュヒは自分を叩いた人物を仰いだ。

「いつ、誰が、きみのことを要らないと言ったんだ?」

 震える少年の前。片膝をついて彼を見据える好々爺はもう、それまでの穏やかな笑みは、携えてはいない。

「言われてもいないことを捏ち上げてまで……きみはポケモンを悪者にしたいのか? 自分を蔑みたいのか?!」

 眉間に眦に、幾つもの皺を刻んで、深く厳しい声でアデクは問う。

「大事なのは、きみのご両親がきみよりもポケモンを好きだったかも知れないと仮想し嘆くことではなく、二人が自分たちの命に代えてでもポケモンを助け生かした理由、その真意を探ることではないのか?」

 怯えた顔をしている少年の戦慄きを制するように、両の肩を掴み、アデクは続ける。二つの青藍はその彩の通りに冷ややかに、シュヒの目には映っていた。

「そうしたことで、きみに何かを伝えようとしたのかも知れないと……感じ取ることが、きみのすべきことではないのか?」

 そこでようやく言葉を切って、少年のセピアを見つめた。
 潤んでいる。しかしどれだけ待とうと涙は一滴も零れることは無いような、堅く張り詰めた瞳。

「……っ、」

 意識を取り戻したかのようにシュヒはさっと起き上がると、老翁の左肩を掠めて来た道を駆け出した。柔らかな草や土を踏みつける音が砂利を踏む音に変わり、数を重ねるにつれ遠退いていく。アデクはそれをすっかり無くなるまで、背中越しに聞いていた。


「……きつく言い過ぎたか?」

 赤い髪を掻きながら立ち上がって、誰に言うでもなく呟く。周りには稲穂が風にさらさらとなびく音だけが残っていた。
 頭に上っていた血が一気に冷めていく。同時に生ずる、脱力感。既にこの口が吐いた台詞を後悔していた。

(出会ったばかりの人間が言ってよいことではなかったかも知れない)

 いや、確実に言ってはならなかった。だが言ってしまったものは今更どうしようも無い。

(しかし口から出任せと言えど、あのようなことを言ってしまうほどに、ポケモンを嫌っているとはな……)






 チリン、チリン。つくねんとしていたアデクの耳に、文字に表すとそんな形の音が届いた。

「おおいアデクさん! 何しとるんだね、こんな所で」
「おお、巡査殿」

 声のした方へ目をやると、町並みから段々畑に下る緩い砂利の坂道を、キミズが黒い自転車を押して歩いて来ているのが見えた。先刻の音は彼の自転車の警鐘だったようだ。

「いやあ……わしはシュヒくんに嫌われてしまったかもしれん。トレーナーをしている時点で好意を持ってもらえるとは、端から思わんかったけどもな……」

 かも知れない、ではなく確実に嫌われたと思うのだが、事の詳細を知らないキミズにそこまで打ち明けることも無いかと、少し強がってみた。

「そうかい。やっぱりチャンピオンでも難航するか」
「だからこそ、とも言えるがなあ」

 こちらへと進む困り顔のアデクの述懐に、巡査も眉を寄せた。



「……あぁ、そうだ」

 暗くなってしまった調子を変え、巡査が切り出す。

「町長があんたさんを見たい、と言っておったけどね、私から断っておいた。事後報告で申し訳無いんだが」

 振られた話が見えず、アデクは瞬きした。町長と言えば、シュヒの面倒を見たいと申し出たことに対する返事を聞いていない。もし町長の意見が巡査と異なるなら、直談判に出向く覚悟もあった。が。

「あん人は悪い人じゃあないけど……むしろ、町の皆のことをよぉく考えてくれている、とても好い人なんだけど……町長と言っても私より若いものだからね。ミーハー……と言うのかな」
「? うむ」

 続くキミズの台詞を聞くと、これはそういう話ではないと解った。しかし相変わらず話は見えず、アデクは小首を傾げる。

「チャンピオンがカナワに来ているだなんて皆が知ってしまったら、あんたさんもシュヒくんも困るだろ? このことは口外しないようにと釘を打っておいたんだ。なんで、恐らくは……うん、たぶん……大丈夫だと思うよ」

 そこまで聞いてやっと話の筋が見えた。納得したアデクは面に笑みを刻む。

「それはありがたい。助かったよ」

 今の少年にとって良いこととは、激情を燻ぶらせることではなく、枯渇するまで吐き出させることだ。仮に自分の素性を知られたとしたら、彼はきっと遠慮をして、自分に何も話してくれなくなってしまうはず。ならば自分は、何の変哲も無い一トレーナー、通りすがりの一人の旅人と認識してもらっていた方が都合がいい。
 キミズの洞察力と機転に感謝と感心を抱く。若い頃の彼は優秀な警察官だったに違いない。

「私がこんな風に言っていたことは、町長にはどうか内密に頼むね」

 こっそりと発された言葉にアデクは、快諾の相槌と微苦笑を返した。



「みっぐぅー!」

 そこへ町の方からポケモンが一匹、畦道に佇む二人の男を目掛けて駆けて来る。茶色の体に黄色の横縞。先端の白い、長い尾を持った鼠だ。

「ご苦労さん。ミルホッグ」

 声をかけるキミズと同じ黒の警官帽を被った警戒ポケモン・ミルホッグは、巡査の業務の供であり、手分けして町中をパトロールしていると言う。主人兼、上司兼、相棒のキミズの元に辿り着いたミルホッグは、後ろ足で立って異常無しの意を込めた敬礼のポーズを取る。巡査もピシッと指を揃えた右手を額の横に添え、大鼠に応答した。

「そうそうそれと。ちょいと疑問に思ったことがあるんだけどね」

 思い出したようにそう前置きするキミズに、アデクはうん? と顔を向ける。

「あんたさん、チャンピオンなのにリーグにおらんくていいのかい」
「ああ……うむ。本来ならば一ヶ月以上の連休は、我々には認可されておらんのだが。規律を破ってでも、傍若無人に徹してでも、旅をしたいと思う理由が出来てしまって、居ても立ってもいられなくなった次第でな」

 答えたアデクは深く頷くと、真っ直ぐに空を見上げる。二人と一匹の頭上に広がる青は、夏の燦然さを儚く残す秋の空。

「旅をしたい理由?」

 巡査は不思議そうに首を傾げ、更に訊ねた。

「イッシュの人々に、今よりももっとポケモンを好きになってほしい。ポケモンと共に過ごせる喜びをもっと多く知ってほしい。それを皆に伝えるべく旅に出ようと、決意させてくれた出来事があったのだ……!」

 いずれ色づく樹木の葉の燃えるような紅を想起した時、その中心に彼女の姿を見つけた気がして、アデクは青藍を震わせた。








 抜けるような青さの秋空の下(もと)、シュヒはカナワの町中を走っていた。痛む頬に構うこと無く、擦れ違う人やポケモンに目もくれず、一目散にがむしゃらに脚を動かし、平凡な家並みを駆け抜けて行く。

 ――いつ、誰が、きみのことを要らないと言ったんだ?

 老翁の言葉が胸にこだまする。

 ――大事なのは、二人が自分たちの命に代えてでもポケモンを助け生かした理由、その真意を探ることではないのか?

 難しいことは解らない。けれど。

『シュヒくん、これ美味しく出来たから、良かったら食べてね』
『やあシュヒくん。時間がある時にでも、うちの子と遊んでやってくれよ』

 町の人は優しい。町の人は温かい。優しさや温もりは心を慰めてくれる。それがあるのは、とても嬉しくて幸せなことだと思う。

(でも、おれがほしいのは、そうじゃなくって)

 賑わう住宅街を抜けて、だんだんと人家が減っていく、丘の始まりに差し掛かる。少年は走るのをやめて、すっかりくたびれた脚を引き摺るようにして進んで行った。

 ――きみに何かを伝えようとしたのかもしれないと感じ取ることが、きみのすべきことではないのか?

 あの翁が少年に与えたのは、優しさでも温もりでもなく、厳しい叱責。悲しさと淋しさに囚われた心が求めるものとは程遠い。だからシュヒは、心に受けた痛みに苦しみ喘ぎ、彼から逃げ出した。けれども、彼の厳しさは決して自分を孤独の闇に突き落とすようなものではないということも、シュヒはどこかで感じていた。
 乱れた呼吸を落ち着かせようと胸に掌をあてがい、天を見る。

(父さんと母さんがポケモンを助けた理由。父さんたちは、おれに何かを伝えてくれてるの? ……)

 アデクが自分に言った何もかもを反芻する。

 険しく荒々しい言葉だった。だが、その中にも確かにあったのだ。闇の中で見えないけれど、真っ直ぐに引かれた、光輝へと繋がる一本の軌条。そこを正しく照らし、示してくれる導(しるべ)のような優しさ。
 力強い温もりが。




 とぼとぼと歩く内に、正面に自分の家が見えてきた。今は誰もいない家だ。ぼんやりとそちらへ進み、玄関ドアの前の段差に座り込む。

(おれがほしかったのは……)

 左の頬に触れた。まだ、じんじんと痛んでいる。だけれど不思議と、悲しくも苦しくもなかった。
 ぐちゃぐちゃな胸中を曝し、ぐちゃぐちゃな言葉を吐く。そうすることで誰かに、自分はどうしたらいいのかを訊ねたかった。助言が欲しかった。きっと自分は、その誰かを探していた。

(あの人になら訊けるかな。聞いてくれるかな)

 誰にも言えずにいた、己の過ちも。






「しかし難儀だな。ポケモンを嫌う者に、それらを伝えるということは」

 停めてある自転車の荷台にミルホッグが腰掛けるのを眺めつつ、アデクが言った。

「だねぇ。シュヒくんはポケモンを怖い生き物だと思い込んでいるから。ちょっとやそっとじゃ、揺るがないだろうね」

 巡査の台詞に耳を傾けつつ、右手で顎を持ち上げ難しい表情を浮かべて、アデクは続きを紡ぐ。

「恐れるようになった原因。それが判れば、あるいは……」
「それはあれだ。シュヒくんのご両親のポケモンたちが原因だよ」
「は?」

 予想外の返事にアデクは思わず、間の抜けた声を出してしまった。

「今は町長さんとこの、ポケモンブリーダーの娘さんが預かっているんだったかな。シュヒくんが生まれる前から、ご両親が飼っていたんだけどね。ほれ、シュヒくんの家にポケモンと映った写真がたくさん飾ってあるのを、あんたさんも見たんじゃないか?」

 言われ、はたと思い出す。幼い少年の隣に必ず映っていた二匹のポケモン、モンメンとズルッグを。

「彼らの存在が、少なからず現状に影響していると思うよ」
「ふむう。シュヒくんが生まれる前から、か……」

 キミズは自転車に手をかける。勤務先へ戻らねばならない時刻だ。視線を虚空に投げて思考する旅人に脱帽し、軽く頭を下げる。

「そいじゃまぁ、私はここらで失礼するよ」
「うむ! 引き止めてすまんかった。色々とありがとう」
「いーや。また何かあれば言っとくれ」

 そう言ってキミズは来た道を引き返し、幅のある砂利道まで自転車を押して行ってから、漕ぎ出した。ゆっくりと遠ざかって行く巡査の背中と荷台のポケモンにアデクは手を振る。ミルホッグがそれに応え、先刻の主人の真似をして帽子を脱ぐ。そしてふたりの警官を乗せた自転車はすぐに、民家と民家の影に隠れて見えなくなった。

 再び田畑の中にアデクは一人、立ち尽くす。

(生まれる前からポケモンがすぐ傍におったのに、恐れるようになったとは……)

 どうにも解せない。言葉も覚束ない頃から傍にいたのなら、怖がることなど無いはずなのだ。むしろ、通常よりも親しみが湧いたとておかしくはない。

(もう一度話せば何か判るかも知れんが。果たして口を利いてくれるだろうか……?)

 無精髭の生えた顎を擦りつつ、しばし黙考する。
 すると不意に、肩に引っ掛けていた麻袋がガサガサと音を立てて揺れ動いた。アデクはゆっくり袋を地面に下ろし、中から透明な円筒型のケースを取り出した。

「すまんすまん、おまえのことを忘れとったよ」

 ケースの底には白いタオルが敷かれている。その分厚い布の上で、子供の頭部ほどの大きさの“何か”が蠢いていた。

「よしよし。元気に育っておるようだな」

 アデクは頬笑んでケースを胸に抱く。その“何か”は、下部に燃え盛る焔を連想させる模様を持つ、ポケモンのタマゴだった。

「おまえは何を望むのだろうな? 戦いを繰り返して強くなりたいのか、誰かのために力を尽くしたいのか……」

 タマゴは男の声に返事するかのようにカタ、カタと間を置いて体を揺らす。

「うむ……! おまえが生まれて来る時を楽しみにしておるぞ。だから安心して、もう一眠りしなさい」

 言いながらケースを撫でる。容器越しに大きな掌の温もりを感じたのか、タマゴは最後にカタリと揺れると動きを止めた。ケースを丁寧にしまい直し、袋を右肩に担ぎ上げ翁は立ち上がる。
 町に戻るため、アデクは田畑の間の小さな土手から砂利の道へと移り、田園から歩み去った。








 自宅の玄関先。コンクリートの階段に腰を下ろしていたシュヒは悩み、迷っていた。
 自分のしたことを素直に人に伝えられるのか。何より、自分が生まれる前からこの町に住んでいた人々に言えなかったことを、昨日今日見知ったばかりの人に伝えていいものなのか。
 そして同時にこう思う。きっと彼にしか伝えることは出来ない。ありのままの全部を。それに自分はもう既に彼にぶつけてしまったのだ。ぐちゃぐちゃな心と、想いを。

 青い上着の、ファスナーが付いたポケットから鍵を出す。鍵穴に差し込み右へ回す。カチャリという快音と共に開いたドアを引いて、シュヒは家の中へ入った。ドアを閉じると迷わず靴箱の前へ進む。
 靴箱の上。そこにも、自室にある物と類似した写真立てが置かれていた。花畑の中央にシュヒ、その両隣に父と母。両親の足下には二匹のポケモンが映っている。写真の中の少年は薄く笑んでいた。
 写真から目を逸らし、靴箱の引き出しを開ける。求めた物は自らの手でしまった時と、全く変わらぬ状態でそこにあった。

「…………」

 引き出しからシュヒが取り出したのは、他よりも大きな額に入った、一枚の写真。
 この頃の自分に戻れるならば戻りたいと、強く願う。けれど、自分の力ではどうしようも出来なくなってしまった。ポケモンという生き物を怖い、と感じてしまう今は。間違っても言ってはならないことを言ってしまった、今では。

 写真立てのすぐ隣にある、梟ポケモンの形をした時計に目をやった。針は正午前を指している。不意に例の老翁の姿が、念頭に浮かんだ。彼は無事に今晩の宿所を見つけられるだろうか。もしかすると、今この時にも……彼はカナワを発とうとしているのかも知れない。
 そのような考えが脳裏をよぎった瞬間、シュヒは打たれたように家を飛び出した。施錠も、忘れて。




 靴箱の上に放られた写真の中で。
 幼い少年が、両腕で精一杯に二匹のポケモンを抱き締めて、無邪気に笑っていた。


  [No.1258] きみを巣食うもの(五) 投稿者:   投稿日:2015/04/15(Wed) 23:55:36   60clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 森を抜けて吹く風が温もった空気を涼ませ、滑らかな調べを引き連れ過ぎ去ってゆく。
 あの少年の元へ向かうべきか否か。散々迷いながら漫ろ歩いた末に、アデクは町の入口まで戻って来てしまっていた。

「…………」

 相変わらず人気の少ないプラットホームに目をやり、陸橋の欄干を背凭れに身を寛げる。若葉色のワンピースの彼女は、今日も同じ場所でフルートを奏でていた。
 昨日は優しい、と感じた子守歌の旋律が、今日は酷く哀しげに聞こえる。あの子供を優しく寝かしつけてくれる人はもう、いない。恐らくは、そうした考えが浮かんだからなのだろう。

(わしにあの子を救うことは出来ぬかも知れん。出来るとすれば……)

 彼を取り巻く環境を、少しでも心休まるものにしてやること。
 人だけでは豊かな音を奏でることは出来ないし、楽器だけではそもそも音を弾き出すことが出来ない。人と楽器の双方が合わさった時に麗しいメロディーが生まれるように、彼には彼以外の何か、誰かが無ければ立ち直ることは出来ない。そうした苦難は、齢を重ねれば多少時間が掛かろうと乗り切れないことは無いだろう。だが彼は、まだたった十ほどの子供なのだ。誰かが常に傍にいて、支えてやらねばならない。
 さすがに昨日初めて見知った者には無理な役どころであったようだが、そうかと言って諦めたくはない。直接の関与は不可能だとしても、彼の支えとなるものを見つけてやることは可能であるはずだ。
 涙する余裕すら無くした子供に力添えを。わずかでも彼に何かしてやりたいと思う気持ちに、変わりは無い。

 熟考に集中しようと目を瞑ったのはいいものの、徐々にうとうととし始めたアデクはふと、遠くに音を聞いた。

「――……ん」

 誰かを呼ぶ人の声のようだ。それだけで性別を判断するのは難しい、子供のソプラノ。陽光と微風に包まれ、半ば船を漕いでいる状態で聞くそれは、耳に心地好い、鈴の音へと変わる。

「……クさん」

 音はゆっくりと数を増し、だんだんとこちらに近づいて来る――。

「アデクさん!!」
「はっ!?」

 突然すぐ傍で鈴音、もとい子供の声が自分の名を叫ぶように呼んだので、大袈裟なほど体を跳ねさせてアデクは覚醒した。発声源を探して視線を彷徨わせると、眼界の左下で佇立する茶髪の少年と目が合った。

「こんな所で立ったまま寝ないでよ」
「シュヒくん……!」

 シュヒが呆れたような困ったような、微妙な顔でアデクを見上げていた。

「いつからそこに……」
「さっきからだよ」

 事実、少年は最初に声をかけた時からずっと、この位置で彼の名を呼んでいた。だが半分眠っていたアデクは、始めの方の控えめな声は遠くから呼ばれていたから小さく聞こえたのだと、錯覚していたのであった。
 シュヒの背後には、西に傾き始めた太陽が見える。彼を追って家を出てから、あれやこれや考え事をしながら町中をふらついている内に半日が経過していたようだった。

「さっきは言い過ぎたよな、澄まなかった。頬は痛むか? ああ、赤くなって……」
「いいよ、もう。平気だよ」

 申し訳無さそうに自身の頬へとアデクが差し伸べてきた手を、シュヒは軽く首を振ることで留めた。
 対話が途切れ、少年が視線を落とす。しばしの静寂。
 どう切り出すかと老翁が逡巡していると、シュヒがついと後ろを向いて、

「今日はおれん家、来ないの? また宿がないんじゃないの」

 少々ぶっきらぼうに、背中越しにアデクに問いかけた。

「……行ってもよいのかね?」

 驚きを隠せぬままアデクが返せば、少年は帰路への一歩を踏み出しながら、

「ごはん、作ってくれるなら」

 ぼそりと、そう言った。






「さっきは、おれも……ごめんなさい」

 謝る顔を見られたくなかったのだろう。先程まで自分の前を歩いていたアデクをシュヒは早足で追い抜いて、それから詫びの言葉を伝えた。

「おれの話、聞いてくれたのに、おれ……」

 ぽつりぽつりと家々の明かりが点り始める。垣根を越え、家路を辿る二人を微かに照らす。

「おれ、誰かにおれの話を聞いてほしかったんだ。みんな優しくて、いろいろ……ご飯を分けてもらったり……遊ぼうって言ってくれたけど……話は、聞いてもらえなくって」

 そのように細々と話す少年の小さな背中を、アデクは静かに見つめる。
 辺りに点る無数の光に誘われるようにして、周辺の街灯が道端に降り注いだ。

「では、わしで良ければ、きみの話を聞かせてもらうよ」

 背にかけられた言葉にシュヒは立ち止まり、ゆっくり振り返る。その顔には戸惑い、そして安堵の色が浮かんでいた。

「……聞いてくれる?」
「うむ。話してごらん」
「うん……」

 彼が隣までやって来たのを見計らい、翁の横に並んで少年も歩き出す。自分との歩幅の差を埋めるためだろうか、アデクの歩調はゆったりとしていた。

「あのね、おれ……本当はポケモンが、きらいなんじゃない」
「そうなのか?」
「きらいじゃ、ないよ。怖い……って、思ってるだけ……」
「そうか……」

 時折、民家から家族団欒の声が聞こえて来て、シュヒは俯いた。彼が今どんな顔をしているのか、どのような心境なのかは、わざわざ考えるまでもない。

「それに、おれ、ふたりに……」

 と、そこまで言ったところで、少年はぱたりと口を閉ざした。なんだね、と怪訝に様子を窺ってくるアデクに、少年はぶるりと首を振る。

「ううん。……まだ、だめだ」

 一度は上げた顔を再び俯かせて、シュヒは消え入りそうな声で答えた。

「ふむ。ゆっくりと気持ちを整理して、少しずつ話してくれれば、それで良いよ」

 気遣うようにそうアデクが優しく返すと、シュヒはおずおずと彼に視線を向け、

「アデクさ、……」

 中途半端な所で発言を止め、そして歩みも止めた。
 今度はどうしたのだろうか? 問いかけようとしたアデクに、シュヒは向きを彼の方に変えると、そっと口を開き。

「アデクじーちゃん。ありがとう」

 そう言って、静かに微笑んだ。

「!」

 しばし呆気に取られたアデクだったが、呼称の変化に秘められた少年の心に思い至ると、途端に頬を弛ませる。

「……ふふ」

 彼が自分を頼ろうとしてくれている。新たなその呼び名が、何よりの証だった。






「アデクじーちゃんはどうしてトレーナーになったの?」

 ピーラーと馬鈴薯をそれぞれの手に持ったシュヒが、隣り合って作業しているアデクに問う。相手は青菜を切る手を休めず、視線だけ少年に向ける。

「む? それはやっぱり、強くなりたかったからだな」
「強く?」
「ああ。ポケモンと共に強くなり、いずれは最強のトレーナーになる! 誰しも一度は夢見ることだろうよ」

 皮を剥き終えた馬鈴薯を隣に回しながら、少年はそうなんだ、と溢す。極力ポケモンと関わらずに過ごして来た彼にとっては、なかなか理解し難い解答ではあったが、翁ほどの大人がそう言うのであればきっとそういうものなんだろうな、と納得する。

「じゃあ……、アデクじーちゃんはどうしてポケモンが好きなの?」

 少年から受け取った芋に包丁を入れようとして、アデクは動きを止める。今度は顔全体を彼の方へ向けた。

「ふむ……それは簡単なようで難しい質問だ。人でもポケモンでも何でも、好きだと思う気持ちは、言葉にしなくとも自然と全身から溢れてゆくものだからなあ。強いて言うなら、人とは全く異なる生き物だから、か。わしらに出来ないことが出来る。そこが素晴らしいと思うのかもな」
「ふーん……」

 調理を終えると、アデクは卓上を片づけるようシュヒに言った。食卓に不要な物を適当な場所へと移し、絞った濡れ布巾で拭いていく。その最中、椅子に置かれてあるアデクの荷物袋から、不思議な物体が顔を覗かせていたので、シュヒは思わず見入ってしまう。
 唐突に動かなくなった少年を不審に思い、彼の目線の先を追って行ってアデクはああ、と合点する。

「そいつはポケモンのタマゴだよ」

 少年はへぇと息を吐き、初めて見た、と言って翁を見返した。小さな胸に好奇心が、静かに芽吹く。

「タマゴから生まれるポケモンって、小さいの?」
「うむ。人間と同じ、赤子だよ」
「そっか……」

 本能に掻き立てられるように、シュヒはケースにそうっと手を伸ばす。触れるか触れないかという距離まで近づいた所でしかし、突然タマゴがガタガタ震えたので、シュヒは心臓が飛び出しそうになるほど驚いた。

「ぅわあ動いたっ!!」
「はっは! 今の揺れ方だと、明日明後日孵るかもな」
「び……っくりした……!」

 バクバクと激しく脈打つ胸を押さえつけ、気を取り直し少年は作業を再開する。その横でアデクは、人知れず意味深長な笑みを浮かべていた。

(きっかけに、なるかも知れんな)








 翌日の昼下がり。シュヒは一人、庭に置かれたアイアンチェアに腰掛けていた。夏の名残と冬の気配、そのちょうど中間の最も心地好いと感じる陽射しと風とが、少年を柔らかに包み込んでいる。空は今日も高く青く澄み渡り、穏やかだ。
 しかし、今日はポケモンを全然見かけないな、とシュヒは思った。青い甲虫は勿論のこと、空にも木々にも原っぱにも。まるで少年に、平穏の時間を与えようと結託しているかのような静けさだ。
 それが少年の気持ちに余裕をもたらしたのだろうか。シュヒは隣の椅子に鎮座している、昨夜アデクが紹介してくれた筒型のケース、その中に入っているタマゴを何度も見やった。持ち主がこいつにも光を浴びさせてやろう、と言って置いて行ったものだ。ついでに変化があったら教えてくれと頼まれてしまったのだが、シュヒは嫌だとは言わなかったし、また、思わなかった。
 ポケモンが眠っているタマゴなのだから、怖くないと言えば嘘になる。実際、目の前でこれが突如として震えた時は、驚愕と同時に恐怖を覚えた。だが自分よりも小さく、何をするでもないこの命の宿を、見守るくらいなら出来るだろうと少年は思ったのだ。
 何より彼は、この命に興味を持った。ここからポケモンはどのようにして生まれ、また、生まれて来るポケモンはどのような姿形で、この世界を生きて行くのだろうかと。

 物言わぬタマゴを傍らに景色を眺めていると、何かの音が聞こえて来て、シュヒは耳をそばだてた。走ってこちらへと近づいて来る、人間の足音のように思える。

「シュヒくーん!」

 しばらくのあと生け垣の影から登場したのは、シュヒのよく知るチューリップの髪留めの少女だった。

「あっナズナさん。お帰りなさい」
「あら、そこにいたんだ。ただいま! はい、シンオウのお土産。ヨスガポフィンハウスの大人気スイーツ詰め合わせよ!」

 ナズナと呼ばれた少女は右手に持っていた紙袋をずい、と少年の前に差し出した。

「ありがとうナズナさん」

 すかさず礼を言えば、彼女はにこにこと人好きのする笑みで「いいのよ〜」と返答した。
 シュヒより七つ年上のこの少女とは、お互い今よりも幼い頃からの付き合いで、少年にとっては実の姉のような存在だ。ここ数日、シンオウ地方はズイタウンまで出かけていて、昨夜帰って来たばかりなのだと彼女は言った。
 受け取ったクリームイエローの紙袋には店のロゴと、桜花に似たポケモンのイラストが描かれており、中には菓子が詰まっているのだろう大きな四角のアルミ缶が一つ、入っていた。シュヒはそれを大切に隣の椅子に置く。
 少年の一連の動作を見守っていたナズナは、自分が渡した紙袋の手前にある物体に気づくと、目を屡叩かせて問うた。

「ねぇ。それってポケモンのタマゴでしょ? 一体どうしたの?」
「これ、アデクじーちゃんのなんだ」

 彼女が指した物に顔を向け、シュヒはそうとだけ答える。淡泊な受け答えにナズナは始めきょとんとし、それからすぐ、彼の言った名に眉根を寄せた。

「アデク……」

 呟いたとほぼ同時に玄関ドアの開く音。ナズナはシュヒよりも先にそちらに視線を走らせ、扉の向こうから現われる人物を見据えた。

「シュヒくん、タマゴの様子はどうだい」

 そして今度はアデクが、シュヒが返答するよりも前に、自分を注視している少女の姿を視界に認める。

「おお、お客さんか」
「町長さん家のナズナさんだよ」
「初めまして……。ポケモンブリーダーをしています、ナズナです」

 少年からの紹介を受け、ナズナは顔面に緊張の色を滲ませて挨拶する。

「そうか、きみが町長さんの。わしはアデクだ、よろしくな」

 非礼とも取れる彼女の面差しにしかし、翁はさもありなんと言った体(てい)でにこやかに返した。そののちシュヒへ視線を転じ、ポケモンに食事を与えるから中へ入っていなさい、と促す。
 頷き、少年が立ち上がる。タマゴのケースを胸に抱えて紙袋を手に、真っ直ぐ家へと入って行った。




「あなたが、イッシュリーグの?」

 少年がいなくなってすぐ、ナズナが訊ねた。アデクは少女を刺激しないよう柔らかく相槌を打つ。

「ああ、ポケモンリーグチャンピオンのアデクだ。初めまして」
「ごめんなさいっ!」

 と、突拍子も無く少女が思いっきり頭を下げたので、アデクは何事か咄嗟に解らないながらも、素早く面を上げるよう促した。
 曰く、父親から自分のことを聞き、巡査にも間違い無いと言われたのだがどうも信用ならず、ソウリュウシティの長に問い合わせてしまったとのこと。なるほどなとアデクが頷くと、少女は再度頭を下げた。

「いやいや、疑われてもしようの無いことだよ。それでシャガはなんと言っていたかね?」
「ええと、」

 有り体に伝えてよいものかと相手の面を窺いつつ、ナズナは電話越しに聞いたソウリュウ市長シャガの丁寧で確固とした弁を、覚えている限りの範囲で述べてみた。

「チャンピオンだからと言って、遠慮や気遣いは一切無用です。カナワの町の皆さんに多大なるご迷惑をおかけしてしまうでしょうが、飽くまでも通りすがりの一介のトレーナーと見做し、適当に面倒を見てやって下さい、と……」

 あまりにあんまりな台詞の数々だったので、強烈に脳に刻まれていたようだ。寸分狂わず再現出来てしまった。最後まで言ってから、ああもっとエルフーンの綿毛に包むような物の言い方をしないといけなかった、とナズナは後悔したのだが。

「ははははは! まあ、そうしてもらった方が、こちらとしても気楽で有り難いな」

 当の本人は怒るどころか高らかに大笑した上に甘受の意を表明したので、大いに肩透かしを食らった。

(よっぽどこの人、シャガさんに迷惑をかけているんだな……)

 ナズナはまだ見ぬソウリュウ市長に、思わず同情の念を抱いてしまうのだった。


  [No.1329] きみを巣食うもの(六) 投稿者:   投稿日:2015/10/05(Mon) 21:57:30   59clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク
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「シュヒくんはどうですか? 出来れば私も一緒にいてあげたかったんですけど」

 ブリーディングクラブの研修旅行があって。眉を八の字に歪ませ、そう言い加えた少女にアデクは小さく頷き、問う。

「うむ……わしは勘違いしておったのだが、彼はポケモンに対して恐怖心があるだけで、決して嫌っているのではないんだな?」
「私が見る限りでもそうだと……だってシュヒくんがもっと小さかった頃はテッちゃんとキューちゃん……あ、シュヒくんのご両親のポケモンです。ふたりとも、すっごく仲が良かったもの……」

 少女の返事を聞きながら、アデクは先頃まで少年が座っていたアイアンチェアに腰掛けた。ナズナも倣って隣の席に座る。それから面を伏せた。

「あの時からです。シュヒくんがふたりを……ポケモンを、怖がるようになっちゃったのは」
「あの時?」

 問い掛けられ、ナズナは言うか言うまいか躊躇するように視線を移ろわせたが、しばしの後ゆるゆると口を開いた。

「シュヒくんが四歳くらいの時だったと思います。私よくシュヒくんたちと一緒に遊んでいて」

 そうして彼女は、少年の過去を伏し目がちに語り始めた。




 それは今から六年前、シュヒと彼の家で飼われていたポケモンたちと共に郊外で遊んでいた時のこと。ナズナが少し目を離した隙に、少年たちの姿が見えなくなったのだという。
 地面に残されていたメイテツ――モンメンの綿を辿って行くと、田畑と林の境にシュヒたちがおり、その目前に巨大な百足のポケモン、ペンドラーがいた。
 カナワは森林に取り囲まれた町であるから、野生のポケモンが迷い込むことはままある。シュヒは遠くからこの蟲を見つけ、一緒に遊ぼうと近づいたのだろう。にこにこ見上げている少年の両隣でしかし、連れ合いの二匹は明らかに戦慄いていた。勝手に歩き出した彼を何度も止めようとしていたのかも知れない。
 ペンドラーは腹を空かせてでもいたのか、かなり気が立っていた様子で、ナズナがその場に辿り着き「逃げよう」と腕を引くより前にシュヒらに襲いかかった。怯んで一歩も動けない少年、それを瞬間的にモンメンとズルッグが庇い、反撃に出た――そこまでは良かったのだ。
 戦わせるために育てられていたのではないモンメンとズルッグの戦い方にはまるで秩序が無かった。今から逃げ出してもすぐに追い付かれてしまうと理解していたのか、必死に追い返そうと、自分たちの何倍もの大きさがある相手に滅茶苦茶にぶつかって行った。
 彼らが牽制する間、ナズナはたじろぎながらも、連れていたチュリネに眠り粉を指示した。敵が一瞬気を失った所に、二匹が渾身の力を振り絞って体当たりする。合間に何度かチュリネが敵の体力を吸い取って行った。
 巨大百足との相性は芳しくなく、どの攻撃も効果の程は望めなかったが、そこはやはり多勢に無勢。攻撃を続けるうちにペンドラーは苦し気に呻き出し、踵を返して森へと去って行った。
 大事に至ること無く追い払えたことに胸を撫で下ろした幼い人間たちに、前線で戦い抜いた二匹が振り返り――思わず息を詰めたナズナの隣で、シュヒが小さく悲鳴を上げた。モンメンとズルッグの体は完膚無きまでに切り傷だらけで、所々血が滲み出ていた。百足は全身に無数の棘を持っており、二匹はぶつかる度に体の至る所を刺されていたのだ。
 青い顔をして後退した少年に、二匹はけれど、笑顔で近づいた。今にも卒倒しそうな大怪我を負いながら、両腕を彼に差し伸べて。傷付いた肌が引き攣って上手な笑顔になっていなかった。それでもなんとしてでも、彼を安心させようと二匹は笑っていた。ナズナにはそのように見受けられた。
 しかし当のシュヒは、ゆっくりと歩み寄って来るポケモンたちから逃げるように後退りし――ついに彼らに触れられたという瞬間に、大声を発したのだった。紛れも無い、恐怖の叫びを。




「それからシュヒくんはポケモンを避けるようになったんです。ポケモンは怖い生き物なんだって、思い込んでしまったんでしょう……」

 じいと少女の双眸を見詰め、その語りに耳を澄ませていたアデクは、眉間に皺を寄せて短く唸る。

「そうか、そんなことが……。年端も満足にゆかぬ子供が見るものではなかったろうな」

 内に秘めていた――もしくは、二匹自らが眠らせていた野性。本能を剥き出しにして戦い、見るも無惨に傷ついた姿を見て、次は自分を傷つけるのではないかと、次は自分がこのような姿になるのではないかと、幼子が恐怖を抱くのは不自然なことでは無い。

「私の所為で、シュヒくんたちを危険な目に合わせちゃったから……シュヒくんのご両親に全部お話ししました。でも、ポケモンが戦ったのはシュヒくんを守るための手段だし、それを見てシュヒくんが怖がるのも当然だし……シュヒくんが、ポケモンは時には恐ろしい生き物だって理解した上で、またテッちゃんキューちゃんと解り合いたいって自分から望むまでは、私たちは見守ってやるしかないと言われて」

 いつかきっと、彼にも理解出来る日が来る。二人は彼を、本当の弟のように想っていて、だからこそ勝ち目の無さそうな相手にも立ち向かい、ボロボロになっても彼を守ったのだということを。

 なるほど、と老翁が無精髭の生えた顎に手を添えて頷く。

「シュヒくんは幼いながらに、自分がポケモンたちを傷つけてしまったとも、思ったのかもな。また、そこまでしてポケモンが自分を守ったのは何故か? それを知らぬが故に反射的にポケモンを恐れ、避けるようになってしまった……。ご両親の判断は正しかったのだろうね。我々がいくら必死に説いたところで逆効果だろう」
「アデクさんもそう思いますか」

 ナズナは安心とも不安ともつかない平淡な返答を溢した。直後、膝の辺りに据えていた両の拳を震わせ出す。

「でも……お父さんとお母さんを同時に亡くして、一人じゃ耐えられないくらい悲しいはずなのに。いつも一緒にいたポケモンたちとも、同じ悲しみとか寂しさとか解り合えないなんて……そんなのつら過ぎるって私、思って……!」

 妙に実感の篭った台詞だ。彼女も以前に、少年と似た経験をしたのかも知れない。そうアデクは思考した。
 途中から次第に涙声になり、話し終えると同時についに零れた一滴が、少女のチェック柄のスカートに小さな染みを作る。握り込んだ両手から肩へと伝染した震えを抑え込もうとすると、余計に視界が滲んでしまい、ナズナは堪らず二粒三粒、涙の粒を腿や手の甲に落とす。

「安心しなさい、ナズナさん。周りの者に手助けが出来ない訳じゃない。ほんの小さなきっかけなら、与えられるはずだよ。わしらはそれを考えようではないか」

 見兼ねて、出来る限り優しく、アデクは俯く少女に声をかけた。ナズナはポケットからハンカチを取り出して目元をぎゅっと押さえてから、顔を上げる。

「きみにとっても大切な“弟”を、助けてあげようぞ?」

 穏やかでありながら力強い温もりを湛えた二つの青藍に、心が奮い立たされるようだ。涙の筋が残る頬を綻ばせ、ナズナは明るく応えた。

「……はいっ!」








「して、メイテツとキューコはどうしておるのかな?」
「私がお世話しています。……どっちかって言うと、私のお父さんの方が張り切ってますけどね」

 家に置いて来た二匹をひっきりなしに構っているだろう父親の姿を想像し、ナズナは苦笑いするも、にわかに表情を改める。

「私、お父さんの影響でブリーダーになろうと思ったんです。お父さん、若い頃はトップブリーダーだったって……今は見る影も無いんですけど」

 言って、彼女は胸元で揺れていたモンスターボールをネックレスから外し、ボタンを押す。中から現れたのは白い肌に橙色の目を持った、人間の少女のような風貌のポケモンだ。

「この子は、お父さんが昔育てていたドレディアの子供です。ブリーダーになるって決めた次の年に、お父さんがプレゼントしてくれて。私も、お父さんのドレディアに負けないくらいの大きくて綺麗な花を、この子に咲かせてあげたいなぁ〜って思っているんです」

 呼び出された花飾りポケモン・ドレディアは、見知らぬ人間に目を留めると、葉っぱのドレスの裾をつまんでぺこりと頭を下げる。感心して問えばナズナが教えたのではなく、研修の際に見学したコンテスト会場で、ドレスを着たトレーナーが同じ仕草をしていたのを見て、自分で修得してしまったとのことだった。

「ドレディアは健康状態が直に見て取れるポケモンだ。育てるのは骨が折れるだろう?」
「はい。とっても」
「ブリーダーもトレーナーも、人間が思い詰めてしまうと、それがポケモンにも伝わってしまう。あまり気負うこと無く、ポケモンといかに毎日を楽しく暮らせるか、どうすればポケモンが笑顔でいてくれるか。それのみを考えておれば、まず悪い方向に転ぶことはない」

 そう話すと、アデクは「失敬」と一言置いてドレディアを観察し始めた。顔つきや目の輝き、葉っぱで出来た髪や腕やドレスの張りと艶、そして頭部に咲き誇る、トレードマークの赤い花冠。

「うむ。素人目から見ても瑞々しい花を咲かせておるし、優しい、いい表情をしている」

 ブリーダーがどのようにしてポケモンの容態を探り結論を出すのか、アデクもよくは知らない。だが長年のトレーナーとしての直感で推し測れば、そういった見解に落ち着いた。
 花飾りポケモンの前から立ち上がり、老翁は若きブリーダーへ語りかける。

「ドレディアはね、ナズナさん」

 呼ばれた少女は彼を仰ぎ見て、続く言葉を待つ。

「きみの心を映しているのだ。共にあるポケモンが何を望むか忘れるなよ。さすればきみもドレディアも、もっと成長出来るに違いないぞ」

 感極まってナズナは椅子からがばっと立ち上がり、一礼した。

「はい! ありがとうございます」

 目指す道とは違えど、この界隈に数ある山頂の一つに立つ男。そんな彼に助言を貰えるというのは、彼女にとって、光栄至福以外の何物でも無かった。


「カルーーーッ!」

 と。和やかな空気を突如として、青い甲虫が発破した。

「きゃあ!?」

 ボールが開閉する際には光が発されるため、ポケモンの出現に対してある程度心構えは出来るのだが、それでもナズナは中から飛び出して来た彼の勢いに盛大に驚き、仰け反った。

「なんだカブルモ、また勝手に飛び出してきおって」

 主人に呆れた顔をされても、幼いカブルモに慎みなど備わる訳も無く、相変わらず活発に跳ねるだけだ。

「この子はまだ子供なんですね? 元気いっぱい!」
「ああ。カナワに着いた時も凄いはしゃぎようだったよ。こいつのやんちゃっぷりには毎日骨を折らされておる」

 カブルモは椅子と揃いのアイアンテーブルを見上げて何やらカルカルと訴えている。机の上には主人が屋内から持ち出して来た荷物袋があり、それに目を留めたアデクは即座に合点した。少女との対話に夢中になって失念していたが、庭に出たのは自分のポケモンたちに昼食を摂らせるためだったのだ。
 すまんすまんとカブルモに謝り、急かされるまま支度する。昨日と同じプラスチック皿を三つ取り出してフーズを盛り終えると、残る旅の仲間を庭へ放してやる。新たに登場した二匹のポケモンに、ナズナはわぁと息を吐いた。

「バッフロンとクリムガンですよね。実物を見るのは初めてです、迫力ありますねー!」

 様々な人が行き交う都会暮らしならいざ知らず、トレーナーの関心を引く場所ではないこの田舎町では、彼らのような“見るからに上級者向き”のポケモンを目にする機会は滅多に無い。ナズナは物珍しげに、尚且つ彼らの機嫌を損なわせぬよう注意しながら凝視する。餌をがつがつと貪る二匹の姿は第一印象通りの荒々しさだが、獰猛さは感じられなかった。

「でも、優しい目をしていますね」
「こやつらとは長い付き合いになる。始めに比べれば随分大人になったものだ。こいつと違ってな」

 老翁は腕組みし、カブルモを顎で指した。

「カブ?」

 もりもりとフーズを頬張っていた甲虫は一瞬だけ手を止めて二人の方を向いたが、すぐに食事を再開した。




 やがて皿の中が空になり、三匹は名残惜しそうにしつつも顔を上げた。食べ終わった皿を片し、庭にある水道へと向かうアデクの後ろで、自分と変わらぬ背丈の竜にナズナが歩み寄る。

「ああ、クリムガンには素手で触ってはならんよ」
「はい! “鮫肌”ですもんね」

 アデクが袋から取り出した厚手の軍手を少女に渡す。ありがとうございますと礼を言い、ナズナは受け取った軍手をはめてクリムガンの肩の辺りに触れた。布越しでも地肌の刺々しさが詳細に伝わってくる。

「ブラシをかけても?」
「ありがとう。きっと喜ぶよ」

 腰に提げた鞄の側面から幅の広いブラシを抜いて、程々の力を掛けてゆるりと撫で下ろす。慣れない感覚に始めは硬直したクリムガンだったが、肩から腕、背中を辿り、尻尾に差し掛かる頃には目蓋を閉じてリラックスしているようだった。
 仲間が心地好さそうにしているのが羨ましかったのだろうか。芝の匂いを嗅いでいたバッフロンが自分も頼む、と言いたげに鼻を鳴らしながら近寄って来た。少女は頬笑み、頷く。
 仕上げに両手両足の爪を布でゴシゴシこすってやると、クリムガンの厳つい顔はすっかり緩み切り、傍で見ていた翁が「だらしないなあ」と笑った。

「はい、バッフロンの番よ」

 ブラシをハンカチで拭い、軍手を外した手で頭突き牛を招く。竜と入れ替わりで目の前へやって来たバッフロンの頭に、ナズナはおもむろに手を差し入れた。

「わ、頭ふわふわもこもこ。温かくて気持ちいい〜!」

 なんなんだ、と批難がましく一瞥する頭突き牛へナズナは誤魔化すように笑い、彼の胴体にブラシを掛け始める。しかし。

「カブー!!」
「わ!」
「カブルモ?」

 シュヒ宅の周りを散策していたらしいカブルモが家の影から現われたかと思いきや、何故だかバッフロンの頭部に突進し、体毛に埋もれて見えなくなった。

「ブモウ!!」

 邪魔をされたばかりか自慢のアフロの中に侵入された頭突き牛は、鼻息荒く頭を振り回す。青い塊がぼとっ、と地面に落下した。

「さてはカブルモ、おまえもブラッシングしてもらいたいか!」

 一昨日同様またもや顔面から倒れ込んだ甲虫を、アデクは片手で拾い上げてテーブルに乗せる。我が意を得たりと言う風に、甲虫はカルカル鳴いて飛び跳ねた。

「うふっ。もう少し待って。まだバッフロンの分が終わってないからね」

 ナズナは彼にそう伝えると、不貞腐れたように木陰に横たわってしまったバッフロンの手入れに取り掛かった。






「アデクじーちゃん、ナズナさーん」

 カブルモのブラッシングもあと少しで済みそうだというところで、リビングの窓からひょこっとシュヒが顔を覗かせた。

「どうした?」
 翁が訊ねると
「お茶いれるから来て!」
 との返事。

 時刻を確認すれば午後三時十六分。おやつの時間という訳だ。
 家に上がり、食卓へ赴くと少年は戸棚の前で茶器を選んでいた。アデクがそれを手伝い、ナズナは自分が持って来た菓子をシュヒから受け取った大きな陶磁器に移す。マフィンやフィナンシェ、バターサンドにラングドシャなど様々な甘味が並んだ。

「あっ、シュヒくん、紅茶を淹れてくれるのね」

 少年宅には多数の紅茶の茶葉があった。彼の母親の昔からの趣味で、ナズナも何度か呼ばれたことがある。シュヒは食器棚に並んだ中から、ビリジャンのパッケージの茶葉を取り出していた。銘柄など覚えていないし、まだ紅茶よりジュースが好きな年頃なので適当な選択であったが、奇しくもそれは、父親が好んでいたダージリンだった。

「おいしくないかもしれないけど……」

 本人が危ぶんだ通り、注がれた紅茶は渋い口当たりだった。しかし菓子と合わせれば丁度良い案配だったので結果オーライだ。
 各自思い思いの菓子をつまみながら話すうち、話題は自然とナズナの研修旅行のこととなった。
 ズイと言う草原の町で育て屋や牧場を手伝って勉学する傍ら、近辺の街へ遊びに行った時のことを、少女は話す。ヨスガシティの教会で、シンオウ地方の創世神話を聞かせてもらったこと。トバリシティに向かう途中突然の大雨に見舞われ、慌てて近くの喫茶店に逃げ込み、ホットミルクの温かさに和んだこと……。

「噂には聞いてたけど、ほんとシンオウは寒かったよ〜」

 腕を抱えて身震いして見せる少女にアデクが仰々しく相槌を打ち、シュヒが訊ねる。

「じーちゃんも行ったことあるの?」
「おうよ。もう五十年は昔のことだがな!」
「…………」
「五十年……」

 翁はそのように言って笑い、少年少女らは彼との年齢差をしみじみ思い知らされた。


 三人から離れたソファの上では、ケースの中のタマゴが小刻みに震えては、幽かな光を放っている。


  [No.1333] きみを巣食うもの(七) 投稿者:   投稿日:2015/10/13(Tue) 21:29:20   71clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 当初は夕方には帰宅するつもりでいたナズナだが、食事はどうするのかと何気無くした質問に対し、アデクに「自分が作る」と返されるや即刻予定を変更した。

(シュヒくんは知らされてないんだろうからしょうがないけど……チャンピオンに料理させるなんて、畏れ多過ぎるわ!)

 彼の身分に遠慮をするなとシャガに、そしてアデク本人にも言われていたが、それはそれ、やはり礼儀を尽くして然るべきとナズナは考える。少年に出来ない分、自分が請け負うべきだとも。
 そうした経緯で急遽ナズナが夕食を振る舞うこととなり、今晩は三人で和やかに食卓を囲んだ。後片付けも少女が名乗りを上げ、その合間に男たちは順に湯を浴びる。二人が風呂から上がりリビングに出揃う頃には、時刻は八時を回っていた。

「今日はどうもありがとう」
「ありがとう、ナズナさん」
「いえいえそんな。また明日来るね!」

 玄関先で二人に礼を言われ、ナズナはそれぞれに一言ずつ返事をした。
 日中はまだ暑さが残っているものの、この時間帯ともなると不意に吹く風が寒くすらあり、秋の深まりをひしひしと感じる。檸檬色のカーディガンを羽織った少女は、もう遅いし送って行こうかとのアデクの提案を笑んで制した。湯冷めして風邪を引きでもしたら大変だ。婉曲にその旨を伝え、三人は就寝の挨拶を交わし合った。
 庭へ続くコンクリートの階段を下る。背後の扉が閉まり、屋内から零れていた明かりが周囲の闇に飲み込まれ、みるみる細くなってゆく。しかし完全に光源が無くなろうとしていたところに再び照明を当てられて、ナズナは何かと後ろを振り向いた。そこに、眉尻を下げたシュヒが一人で立っていた。

「ナズナさん。あの……」

 言い難そうに語尾を濁して体をよじる彼に、ナズナは「なーに?」と小首を傾げて訊く。すると彼は思いも寄らぬ二の句を継いだ。

「メイテツとキューコ……元気かなあ……」

 今も彼を巣食っているはずの、ポケモンへの悪感情。その原因を作り出したとも言える二匹を少年が案じている、と取れる言葉を紡いだのだ。彼女が二匹を引き取ってからというもの今日この時まで、シュヒが彼らの名を口にすることは一度たりとも無かったのに――。
 ナズナは目を丸くし、それからすぐに胸中で嬉しい吐息を溢す。少年の、歓喜すべき心境の変化だった。

(アデクさんのお陰だよね)

 やっぱりリーグチャンピオンともなると心の開かせ方も違うんだ、と密かに感動しつつ、返事を待つ少年に満面の笑みを向ける。

「うん! もうね、元気溌剌って感じ。昼間だって、シュヒくんの家に行って来るねって言ったら大騒ぎしちゃって、大変だったんだから……」

 不安げに顰められていた少年の眉が微かに、ほんの微かにだけれど和らぐ。それに気を良くして話を続けようとしたナズナの耳に、どこか遠くから、小さな声が届いた。

「あら……?」

 それは少女の耳にようく馴染んでいる声だった。間違い無い。今は彼らも自分と同じ家で暮らしているのだから、間違えるはずが無かった。だけどまさか、まさか……。
 彼には聞こえなかったらしい。「どうしたの?」と呼びかけて来るシュヒを無視して家の前の砂利道へ出ると、ナズナは自宅がある方向の暗闇を凝視する。

(私の聞き間違いなら、いいんだけど)

 けれど彼女の淡い希望は次の瞬間、いとも簡単に裏切られた。
 ナズナの行動を不審に思い、彼女が見つめる先を眺めたシュヒは、その奥にぼんやりと現われた影に釘付けになった。見てはいけないものだと頭では解っているのに、眼は体は、縫い付けられたように一点から動かなくなった。
 カナワを覆い隠す暗幕を潜り抜け、喜色を満面に携えて、まっしぐらにこちらへと走って来るそれは。

「めぇんめえーーん!!」
「ルルッグルッグーー!!」

 見紛うこと無き、モンメンとズルッグであった。

「ひっ……!!」
「わわわわ……お、落ち着いて! テッちゃん! キューちゃん!」

 遠くに見えたと思ったのも一瞬で、あっと言う間に二匹は二人との距離を詰める。ナズナは彼らの進行を止めるべく歩み寄りながら、シュヒに家へ入るように目配せした。が、顔面蒼白でわなないている少年が合図に気づく気配は無かった。

「どうしたんだ、二人とも?」

 少年の戻りが遅いのに疑問を感じたのか、それとも少女の上げた声で異変を察したのか。家から出て来たアデクは二人が向いている方に視線を巡らせ、開眼した。

「あの二匹は!」

 瞬時に状況を整理し、アデクは腰のモンスターボールに手をかけつつ硬直しているシュヒを己の背に隠す。これから解放する自身のポケモンをも、彼の目に触れさせぬために。
 まだシュヒは、到底ポケモンを――彼らを受け容れられる状態になっていない。下手に近づけさせられなかった。

「クリムガン、バッフロン。モンメンとズルッグを足止めしてくれ!」
「りむがぁ」
「ブモォッ」

 ボールから現われた大型のポケモンたちの迫力に、モンメンとズルッグは怖じ気づいて急停止する。

「ナズナさんは二匹を出来るだけ宥めてくれるかい!」
「は、はい!」

 どうして彼らがここにいるのだろう、父は一体何をしているのか、と心中で父親を詰っていたナズナは翁の声に意識と姿勢を正し、ボールを外して宙に投げた。果たして中からゆったりと登場したドレディアへ、簡潔に指示を下す。

「テッちゃんたちに“甘い香り”よ!」
「ディ〜」

 花冠から薄紅色の帯状の光を発生させ、風に乗せて標的へと送り込むようにドレディアは円舞する。対象となった二匹をすっかり包み込むと光はふわっと弾け、そこから甘い香りが一斉に放出された。
 彼女の挿頭す大輪の花はチューリップのはずだが、季節柄だろうか。その香りは金木犀にとてもよく似ていた。

「シュヒくん、家に入ろう!」

 甘い香りにうっとりとしている二匹を確認し、アデクはシュヒを抱き上げる。強引に頭を胸元に押さえ付け俯かせ、何も目に入らぬようにして。

「めぇん?!」
「ルググ!!」

 取り囲んでいた芳香が薄れ二匹が我に返る頃には、少年を抱えた老翁は玄関に入り込み、扉を閉じようとノブに手をかけているところだった。

「ルルグゥーッ!!」
「めええぇ〜ん!!」

 鮫肌竜と頭突き牛に進路を阻まれながらも、二匹は大声でシュヒを呼んだ。あらん限りの声で必死に呼んだ。だが、少年は最後までアデクの腕の中で顔を伏せて、一目でも彼らの方を窺うことは無かった。閉まりゆく扉の向こうへ少年は恐怖に縮こまったまま、消えてしまった。
 扉の隙間から伸びていた光輝が失われ、夜の闇が、一層暗澹と濃くなる。

「………………」

 何週間か前まで自分たちも共に暮らしていた家を前に、それ以上為す術も無く二匹は立ち竦んだ。少年だけでなく、沢山の思い出が詰まったこの家にさえ拒まれているように、今の彼らには思えた。

「テッちゃん。キューちゃん……」

 彼らが悄然とした面差しをしていることは、その小さな背中を見るだけで簡単に読み取れた。ナズナはドレディアを共に、二匹に歩み寄る。途方に暮れた顔で少女に振り返った二匹の頭を、ナズナは優しく優しく、思いを込めて撫でる。

「大丈夫。シュヒくんは、あなたたちを嫌いになったんじゃないのよ」

 隣でドレディアが、主人に同意してこくんと頷いた。
 気持ちは通じたのだろう。モンメンもズルッグもややあってから相槌を返してくれたが、表情は少しも晴れず暗いままだった。

「ドレディア。ふたりを家まで送ってちょうだい」
「ディディア〜」

 跪くため落としていた腰を上げ、同じく立ち上がった相棒にそう頼む。了解し、ドレディアは二匹の手を取ると暗い道を、慣れた足取りで歩き出した。
 無言で三匹を見送るナズナとクリムガンたちの傍らへ、再度外へと出て来たアデクが寄り添う。

「……どうもありがとう、ナズナさん」
「いえ……」

 家の中で一人、恐らく震えているシュヒの心情を測り、二人はしばし一言の言葉も交わさず、カナワの冷え冷えとした闇に身を浸していた。






 真昼さながらに目映く照射されたリビングのソファに、シュヒは膝を抱え込んで腰を埋めていた。顔面は未だ蒼白、体はがたがたと揺れ続け治まる様子が無い。
 忘れようとすればするほど鮮やかに、先の光景が蘇る。二匹の姿がくっきりと眼球に焼き付いて、離れなかった。
 当然のことだ。忘却に帰すには、自分と彼らの関係は近過ぎて長過ぎた。あの巨大百足や小蜘蛛や甲虫のように、輪郭だけの恐怖に変じさせることが叶うはずも無い。
 ポケモンが嫌いな訳じゃない。その気持ちに嘘偽りは無い。けれど怖れ戦慄く心と体は真だ。自分では治しようの無い、本能みたいなもの。
 やはり無理なのだろうか。あの頃に戻りたいと願うのは、所詮は身の程知らずの高望み、儚い夢物語なのだろうか……。
 見通しの利かない真っ暗闇。終わりの見えない無限回廊。そうした暗く長い思考からシュヒを掬い上げたのは、カタカタという音と仄淡い光だった。

「……?」

 音と光の出所を追って横を向く。そこに、焔を思わせる模様に縁取られた白いタマゴがあった。
 ずっと隣に確固として存在していたのに今し方まで、元より無かったように視界から隔絶されていた命の宿。それは静かに発光し、シュヒの体の震えと比例し揺れている。その様子を見ていると、不思議とシュヒの心は落ち着いてきた。
 けれど少年が平静を取り戻したのとは対称的に、タマゴの明滅はだんだんと間隔を縮め、振動は強く激しくなってゆく。こうなってくるとシュヒも平然と見守ってなどいられず、慌てふためいて庭へと駆け出す他、仕方が無かった。






「じーちゃん! 大変だよ早く来て!!」

 バタンッ、と勢いよく開け放たれた扉から焦燥感を丸出しにした少年が踊り出て、翁らの心臓は大きく飛び跳ねた。

「ぬおお?!」
「どうしたの?!」
「タマゴ! ポケモンのタマゴが、ずっとガタガタ言ってるっ! 生まれちゃうかも!!」

 シュヒはわたわたと両の腕をばたつかせながら、半ば叫びに近い声を上げる。

「そうか! すぐ行く」

 その返事を聞くと少年は踵を返し、再び家へと走る。それを早足で追い駆けかけて――アデクは、度重なる出来事に茫然としているナズナに振り返り、微笑んだ。

「“きっかけ”に、なるかもしれんぞ」

 どういうことかと質す前に翁は身を翻して駆け出して、少女も慌てて家へと飛び込んだ。








 リビングへ戻りシュヒの示す所を目視すると、なるほど確かに、タマゴは尋常ではない震え方をしていた。
 一度はポケモンがタマゴから孵る所を目撃した経験のあるアデクやナズナならともかく、初遭遇するシュヒなら大いに動揺を掻き立てられるだろう激しさで、明滅と震動を繰り返している。

「ひびが入ってる!」

 ソファに近寄りよくよく観察すれば、頂点には薄らと亀裂が走っており、ナズナは興奮して頬を上気させた。

「もう、すぐに産まれるな!」

 アデクはケースの中からタマゴを取り出し、フローリングに胡座をかいた。ゆっくりと、落ち着かせるようにタマゴの腹を撫でさする。

「よし、よし……」

 老翁の隣に正座し、ナズナは目を輝かせてタマゴを見つめる。それから離れた所でぼうっと成り行きを眺めているシュヒに笑いかけ、手招きした。

「シュヒくんもこっちおいでよ」
「でも……」

 おどおどと視線を彷徨わせ、アデクと目が合う。翁は微笑を浮かべて、弱り顔の少年へ深く相槌した。それだけで、シュヒの心にはわずかな勇気が湧く。
 タマゴの発光は益々強まり、ひび割れが大きくなる。次第に殻がパキパキと小気味良い音を立てて、少しずつ破られてゆく。
 シュヒは足の裏を床にこすりつけるようにして、じりじりと近寄った。自分でも信じられなかったが、この歩みの遅さは、ポケモンに対する恐怖感に起因するものではなかった。
 そうしてついに、タマゴはゴトンと強く震えて辺りに殻を舞い散らせると、一際目映い輝きを放った。


 光が収まった後、アデクの腕の中には最早タマゴの跡形は無く。

「……ルバ……?」

 白い毛皮と五本の赤い角を持った、虫型のポケモンが息衝いていた。


 わあ、と感激に吐息して幼虫に見入るナズナの隣で、シュヒは生まれ出た命の、想像を越えた有り様に目を見張った。アデクの手の平と変わらないくらいの大きさの、少し力を入れたら壊れてしまいそうな、あまりに小さな体。

「可愛い……けど、見たこと無いポケモンです。何て言うんですか?」
「こいつはメラルバ。虫・炎タイプのポケモンだよ」
「メラルバちゃん、かあ!」

 ナズナは教わった種族名を声に出して反芻し、幼虫の背中にそうっと触れた。少し湿った毛皮越しにトクトクと、命の脈動が伝わってくる。
 傍から少女と幼虫とを見比べていたシュヒが、ふと思いついて開口する。

「ナズナさん、この子は男の子、女の子?」
「女の子ね!」

 シュヒの突然の問いに戸惑うこと無くナズナが切り返し、アデクは目を屡叩かせた。訊けば彼女はポケモンの性別当てが得意なのだとか。

「ほう! それは実用的かつ面白い特技だね」

 感心され、少女ははにかみ頭を掻く。曰く、彼女の鑑定はポケモンドクターなどと違い、少し見ただけで当ててしまうという手軽さのため、ナズナの元を訪ねる町民も少なくないらしい。何を隠そうシュヒ宅のズルッグ・キューコも、ナズナが一目見て指摘したことで雌だと判明したという。腕白で力自慢なので、シュヒの両親もそれまでは雄だと思い込んでいたそうだ。

(そうか。おまえも……)

 アデクはふと懐かしむ目付きになる。半世紀ほど昔に出会った相棒も、今この手の中にいる命と“同じ”だった。偶然なのか必然なのかは知りようも無いが、ほんの少しだけ、別れの日の胸の痛みが去来して、瞼を伏せた。

「ラル〜」

 感傷に浸る翁など構わぬ風に、産まれたばかりのメラルバは、抱きかかえられた腕の中で短い足を忙しなく動かしている。生まれ着いた世界を一刻も早く踏みしめたい。そう体で表現しているかのようだ。そんな小さく幼い彼女の姿が、シュヒにはとても眩しく、どこか格好良く見えた。

「そうだ! 産まれたてのポケモンには栄養満点の木の実を与えなきゃ。すぐに持って来ます!」

 そのように発して膝立ちになった若きブリーダーを、翁は胸元の幼虫に考慮して緩慢に仰ぎ見た。

「有り難い。是非頼むよ」

 ナズナも彼と同じくゆったりした動作でリビングを出て、シュヒの家を後にする。少女が居なくなると途端に部屋には静寂が戻り、少年はなんとなく所在無さげに立ち尽くした。

「ルバァ」

 活発な性格らしい、なんとかアデクの腕の中から這い出ようともがいているメラルバに、自然とシュヒの目は引き寄せられていった。アデクはそのことに気がつくと幼虫をわずかに彼の方へ向け、

「シュヒくん。抱っこしてみるかね?」
「っ、……ううん」

 訊ねてみたが、相手の返答はやはり消極的なものだった。

「そうか」

 誘いを突っ撥ねた自身の台詞にシュヒは居心地が悪くなって、視線をふたりから逸らす。俯き、両足を交差させたり交互に浮かせたりして、与えられ過ぎた暇を埋めようと試みた。
 けれども、こんなことをしている場合じゃない、という思念が不意に湧き上がり口を引き結ぶ。今を逃したら次に言える日がいつになるか、判らないのだ。
 シュヒは充分に呼吸を整えてから、アデクに声をかけた。

「あのさ、じーちゃん」
「なんだね?」

 穏やかな面持ちで、アデクは傍らに立つ少年を見上げた。彼は自分の右手の上でもどかしそうに動いているメラルバの背を、もう片方の手で撫でている。それを寂しい色をした目で見据えながら、シュヒは話を継ぐ。

「おれも……生まれた時、この子みたいにすごく小さくて……何も、知らなくてさ? 今、じーちゃんとナズナさんがこの子にしたみたいに……父さんと母さんがおれをなでてくれたり、抱きしめてくれたり……したんだよね」

 少年が言い終えるや否や、アデクは今度は至極嬉しそうに顔つきを明らめて返事する。

「そうだよ! 沢山の人が祝福してくれたことだろう。それに、」
「いなくなればいいって、言ったんだ」

 メイテツとキューコも。
 そう続けようとしていたアデクは割って入った少年の、鋭く冷たい刃物に似た台詞に、口を噤んだ。

「父さんと母さんが死んだ日に、おれ……メイテツとキューコのこと、いなくなればいいんだって」


  [No.1396] きみを巣食うもの(八) 投稿者:   投稿日:2015/11/15(Sun) 20:10:15   57clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 アデクは言葉を失った。少年の発した言葉が、まるで見知らぬ国の言語であるかのように、すんなり飲み込むことが出来なかった。
 今にも決壊しそうな激情を理性で押し留め、それでも全部は抑え切れず、少年は辿々しくも烈々と心を散らす。

「だってふたりは父さんと母さんが死んだのに笑ってたんだ! おれが泣くとすぐ近よってきて、ずっとニコニコしてっ……。ポケモンなんて、乱ぼうだし、何考えてるのか分かんないしっ! いなくなっちゃえばいいんだって、言った……!!」

 自分の勢いに圧倒されたのか、声も無く、放心したようにただただこちらを見つめる老翁。それを好機と、シュヒは今まで他の誰にも言えずにいた己の過ちをぶちまける。今しか言えないだろう、この人にしか受け止めて貰えないだろう気持ちの、全てを。

「だからおれはもうふたりにも、他のポケモンにだって……きっと、きらわれちゃうから。それなら……“おれが、ポケモンをきらい”って言えばいいって思った」

 アデクは悟る。少年があの二匹を避けていたのは、ポケモンが怖いという理由からだけではなかった。後ろめたさがあったのだ。今度は彼らの心を傷つけてしまったのだという、苦い事実が。
 張り詰めたセピアの双眼がふるりと揺らぐ。泣いてしまうことさえ出来たら少しは楽になれるのにシュヒはまだ、落涙を許されない。もしくは少年自身が、それを許さない。

「でもね本当は……“ポケモンが、おれをきらい”なんだよ……!」

 それは違う、とアデクは言いたかったし実際、言おうとした。けれど少年の告解はまだ終わっていない。彼を救い出すには、彼の苦悩を全部受け止めなければ始まらない。口を挟むのは最後まで聞き終えてから、それからだ。

「きっとふたりはおれを……あの時のポケモンが、メイテツとキューコにしたみたいに、する……」

 多大な、思い違い。二匹は彼を傷つけるために近づいて来るのでは無い――アデクは少年の、先の台詞でそのことを確信していた。
 彼らは“弟”を独りにさせまいと、これ以上寂しい思いをさせまいと、常に傍に居ようと、笑顔で包み込もうとしていただけなのだと、そう思う。たとえその彼に嫌われてしまったとしても。
 ポケモンは時に恐ろしい生き物。それは全く以て正しい解釈である。どんなに小さなポケモンでも、その気になれば人間など一捻りで仕留めてしまえるだろう。
 だが同時にポケモンとは、とてつもない優しさを持った、非常なまでに美しい生き物でもあるのだ。時に人間如きの頭や心では、到底想像も理解も及ばないほどに、慈悲深い。
 守りたい、支えたい、救いたい。二匹は多分、たったそれだけを望んでいる。それだけを彼に伝えようとしている。けれど、ポケモンと人間は同じ意思の伝達方法を持たぬがために、少年はもう何年も何年も、彼らを誤解し続けている。
 言葉が通じないというのは、これほどまでに悩ましくもどかしいものだったのかと、アデクは真底悔しくなる。

「おれ……もうどうしたらいいのか、よく分かんないよ」

 悲哀と恐怖と後悔と。様々な感情の入り乱れで心が震え、肩から腕へ、握り込まれた拳にまでわななきが伝染していく。そんな風に揺らぎ続けるシュヒを、メラルバがじっと見上げた。彼女の水色の双眸に、少年の姿が焼きつく。

「ポケモンは怖いけど、きらいなんじゃない。でも、おれはポケモンにきらわれてっ……!!」

 面差しを悲痛に歪ませ、シュヒが瞼をきつく閉じた――その時だった。

「ルバッ」

 アデクの腕の中から突としてメラルバが跳躍し、少年の胸元に飛び付いたのは。

「!? うわあああっ!!」
「メラルバ、」

 案の定、戦慄き大声を上げて背中を仰け反らせるシュヒ。反して、アデクは幼虫の起こした思いも寄らぬ暴挙に、呆気に取られる。

「うわっわ、わ! じ、じーちゃ、たったた助けてっ……」

 今し方していた話の内容が内容だ。瞬く間に青褪める顔面と対照的に、シュヒの脳内で危険信号が真っ赤に点滅する。生命の危機すら覚えて、全身に冷や汗が溢れ出す。

「お、おれっ……ポケモン、にっ……!」
「ラルバ〜」

 少年がそれほどまでに自分を怖がっていると露ほども知らない産まれたばかりのメラルバは、彼の腹の辺りを小さな体でもぞもぞと這い回る。それも、とても楽しそうな表情で。

「じ、じじ、じーちゃん、ってば……!!」

 さっきから何度も助けを求めていると言うのに、翁はぼうっとメラルバに注視しているだけで、うんともすんとも答えてくれない。シュヒは恐怖に支配された心のすぐ隣にある腹を器用に立てて、声を絞り出すべく力を入れた。が。

「……あいつと同じ、だ」
「えっ?」

 今まさに腹から声を出そうとしたところで、アデクがこの場に不釣り合いな呟きを漏らしたので、思わず呆れた声に変えさせられてしまった。
 幼虫を捉えながらも、どこか違う者、遠い時を透かし見るような焦点の合っていない目をしていたアデクだったが、少年の微かな疑問の声にはっと意識を取り戻す。

「あ、いやいや。メラルバ、戻っておいで」

 そして先程までの反応の悪さを取り戻す鋭敏さで、メラルバを引き離してくれた。
 徐々にシュヒの顔色に赤みが差す。落ち着いて来ると少年は、少なからず非難を込めた目つきで翁を一瞥した。




「メイテツとキューコは、父さんと母さんが大切にしてた、大好きだったポケモンで……メイテツもキューコも、父さんと母さんが大好きで……それなのにおれ……いらない、なんて」

 しばし時が経ち平静を取り戻した少年は、先よりいくらか落とした調子で話し始めた。対峙する老翁は彼が溢す言葉の一つ一つを大切に拾い上げ、じっくり噛み締める。

「お、おれは……自分がいらないって、自分で思ったんだ」

 それは、以前にも耳にした沈鬱な台詞。あの時は頭に上る血を抑え切れず、出過ぎた真似をしてしまった。幼子相手に残酷極まる掌と言葉とを、叩きつけてしまった。
 しかし少年は、自分でも予期せず与えてしまった厳しい叱責を乗り越えて、それどころか、自分を頼りにやって来てくれた。その想いに、アデクはなんとしてでも答えたかった。だから。

「メイテツとキューコをいらないって言ったおれなんか、いらないんだ……」

 だから気休めでも綺麗事でも、間違った考えには間違っていると指摘し、真実を伝え、教えなければならなかった。孤独の暗中にいる子供を、温かな陽光の下へ導いてやらなければならなかった。

「シュヒくん。自分が要らない、と一番思っちゃいけないのは誰か、解るかね」

 少年の言葉が途切れた瞬間を見計らい、アデクは緩やかに問いかけた。悲しみを湛えたまま、けれど優美な答えを求める眼差しで、シュヒはアデクを見返す。

「自分自身、だよ。自分を要らないなんて、絶対に思ってはならない人は。何故なら“自分”を愛してくれる人が、ポケモンが、悲しむから。自分自身だけじゃなく、自分を産み、育み、守り、愛してくれる者にまで悲しい想いをさせてしまうんだ」

 穏和に答える彼の腕に捉えられている幼虫が、頻りにシュヒに近づこうと彼の方へ手を伸ばす。一人でには音を奏でぬあの楽器に、触れようとしていたカブルモと同じように。

「それは途方も無く、悲しいことだろう?」

 物悲しい微笑みを浮かべ、アデクは少年の顔を覗き込んだ。シュヒはすぐに返す言葉を見つけられず、青藍を前に口を閉ざす。


「……じーちゃん、」

 そうしてしばらくし、少年が何事か言いかけた頃。

「むっ! もう九時か。よい子は眠る時間だな」

 廊下側の壁に掛けられた時計へ目をやったアデクがそんなことを口走ったかと思うと、途端にシュヒを急き立て始めた。

「さあ、早く歯を磨いてベッドに入りなさい。夜更かしする悪い子はお化けのポケモンが拐いに来るぞ!」
「ヒイッ! そんな話、しないでよ。眠れなくなるよ!」

 ついさっきまでしんみりしていた空気が一瞬で払拭される、どころか、どんより寒々とした別物にすり変わってしまい、シュヒは即座に背筋を凍らせた。味をしめたのか、わざとおどろおどろしい顔と声でアデクは続ける。

「今頃はきみの部屋にあるぬいぐるみやテレビにも、お化けのポケモンが潜んでいるかもしれんぞ〜〜」
「やめてよ、やめてってば!!」
「もしかすると、きみの影の中にも」
「じーちゃんっ!!!」
「ははは! わしもきみの部屋で眠るから、安心しなさい」

 少年の焦る声に怒りが混同し始めたので、アデクはそれ以上彼を脅かすのはやめにした。怪談をするには時期遅れのきらいもあることであるし。

「…………」

 シュヒは今度は悪寒でガタガタ震える両腕を抱え込み、快活に笑い飛ばしたアデクへ、じとーっと恨みがましい視線を送りつけた。


「だがその前に、メラルバに食事を与えねばな」

 そう言い瞼を落とした老翁は、身を乗り出していた幼虫を持ち上げ、抱え直す。

「全ての命は、必ず誰かが待ち望んでいたもの。ゆめゆめ、天寿から外れた所で喪ってはならんのだよ。どんな色、形であろうともな」

 そのように言い含める声がとても温かで、手元の白い毛皮を透く指先がとても優しげで。シュヒは自身の胸が、心が、休まり温もってゆくのをじんわりと感じていた。


「ごめんなさーいっ、遅くなっちゃった!」

 とそこへ、留守にしていた明るい娘の声が、玄関の方から響き渡って来た。急いで靴を脱ぐ音がした後、廊下に繋がるドアからナズナが顔を覗かせる。男たちに会釈し、彼女はすぐさまリビングへ飛び込んだ。

「お父さんがメラルバちゃんを見たい見たいって騒いじゃって。メラルバちゃん! 今からご飯作るからねー」

 戻って来た彼女の右手には大きめのトートバッグが提げられている。少女は幼虫に言いながらその頭をそっと撫でると、テーブルへ移動し、鞄から諸々の品を次々取り出していく。

「世話になるね」
「いいんですよ! 私が役に立てるなら、いくらでも働きます!」

 台所また借りるねと少年に断ってから、持参した木の実数種類と乳鉢、乳棒とをシンクへ運ぶ。それらを水洗いしつつ、少女は嬉しそうに笑ってアデクに答えた。
 手際よく木の実を細かに切り、乳鉢で混ぜ合わせる作業にナズナが移行したと同時に、シュヒは翁の言いつけ通り歯を磨き終え、就寝の準備を整える。そうして二人におやすみなさいと声をかけ、階段がある玄関へ欠伸をしながら向かった。

「ラルバ〜、ラルバ〜」

 ドアの向こうに去って行く少年を見送るアデクの胸元で、メラルバが落ち着き無く体を揺らす。

「メラルバちゃん? どうしたの?」

 木の実のペーストを木製の器に入れ持って来たナズナが、彼女の動作に首を傾げた。すかさず、アデクが少女を呼びつける。

「ナズナさん、耳を貸してくれ」
「はい?」

 ふふ、と何かを秘匿するような含み笑いをする翁を不審がりながらも、彼のすぐ傍らに膝をついて少女は耳を傾けた。

「実はな……、…………」

 そうしてアデクは耳打ちする。
 しばらくののち、ナズナは彼の語った内容に驚きを隠せない様子でいたが、やがて真摯な表情でこくりと一つ、頷いた。








 カーテンは閉ざされ照明も点いていない、真っ暗な子供部屋。南側に置かれたベッドの上で、水色のシーツにくるまりシュヒが、ぶるぶると震えていた。
 理由は単純明快。先頃居間でアデクがした話の所為だ。

(ふつうのポケモンでも怖いのに……おばけのポケモンが出たらすっごく怖いよ。どうしよう……じーちゃんのいじわる……!)

 考えまいとすればするほど考えてしまい、眠ろうとすればするほど眠れず……そうやって七転八倒してもう既に十数分は経過しているのだが、この様子では彼はまだまだ寝つけそうにない。
 この状態で他に出来ることも無く、こんなことになってしまった原因を作った老翁へ心中で悪態を吐いていた最中、ふと、少年の目線は眼界の右端にある低い棚に吸い寄せられていった。

「……」

 ベッドと相対する壁際の中央、カーテンの隙間から射し込む月明かりに照らされ、そのテレビラックは仄かに存在感を示している。電源が落ちた真っ黒な画面のテレビの脇には、カントーに住む親戚から貰ったピンク色の妖精ポケモンの人形が、ちょこんと並んでいた。

「…………」

 モンスターボールの中にならいざ知らず、縫いぐるみやテレビの中、それに影の中にポケモンが入るなど、非常に荒唐な話に思える。アデクを疑いたくはないけれど、果たしてそのようなことが現実に起こり得るのだろうか? 少年は悶々と思考を巡らせた。

 キィィ……

 そんな時、暗闇の奥で何かが軋むような音が立ち、シュヒの肩と心臓は大きく跳ね上がった。

「ヒイッ!!」

 ついに幽霊ポケモンが自分を見つけ、拐いにやって来たのか。鼓動を激しく打ち鳴らすシュヒの前に直後ゆらりと顔を出したのは、

「おや、シュヒくん……まだ起きとったのか?」

 少年が上げた大仰な悲鳴に、ややたじろいだ風なアデクであった。

「じっ、じーちゃん!」
「夜更かししても無事なところを見ると、お化けポケモンには見つからなかったんだな」

 そう朗らかに言いながら扉を閉め、翁はベッド上の少年へ歩み寄って行く。
 幽霊ポケモンでなかったことに深く安堵したのも束の間、言うに事欠いて、全く冗談になっていない冗談を放ったアデクにシュヒは憤りを覚えた。がば、と被っていたシーツを押しやって上体を起こすなり、食ってかかる。

「夜ふかししたくてしてるんじゃないよっ。じーちゃんがおどかすから眠れないんだ!」

 詰られ、アデクはすまんすまんと苦笑しつつ頭を下げた。

「でもさ……ウソなんだよね? ポケモンがさらいに来たり、ぬいぐるみとかテレビとか影とかにいるなんて」
「さあな。信じる信じないはきみの自由だよ」
「う……ウソだあ……」

 肯定でも否定でもない物言いに戦慄し、硬直する少年をゆっくりと寝床に横たわらせてやりながら、アデクは柔らかく笑んだ。

「さ。わしが傍におるから、もう大丈夫……早く眠りなさい」






「……アデクじーちゃんは電車に乗って、ここに来たんでしょ?」

 睡魔がやって来るまでまだ時間がかかりそうだと判断したシュヒは、脇で壁に凭れ掛かかって座しているアデクに、そのように声をかけた。話しかけられた方もその声色から、彼が未だ現(うつつ)にいることを知ると速やかに対応する。

「おうよ。ライモンシティからな」
「ライモンシティかあ。遊園地がある町だよね?」
「うむ。他にもミュージカルホールあり、スポーツスタジアムあり、ポケモンバトル施設ありの、それは賑やかで大きな街だ」
「うわあ……なんかすごそう」

 例の事件があってからこれまで、ずっとポケモン嫌いで通っていたシュヒが、カナワタウンを出ることは皆無と言ってもいいほど稀であった。ましてや娯楽都市など、彼がまともに行けば発狂は免れなかっただろう。ミュージカル演者はポケモン、スポーツ選手はトレーナー、バトル施設は言わずもがな。ついでに、遊園地の敷地内にポケモンジムがあるような街なのだから。
 でも、だからこそ。ポケモンとの間に深い溝を築かれていたからこそ少年は憧れ、夢見ていた。いつかはこの小さな田舎町を出て、様々な町へ赴き――そして様々なポケモンと出会い、触れ合える日が来ることを。

「トレーナーって……旅をして、ポケモンと一緒に強くなるんだよね。じーちゃんも、強くなるために旅をしてるって言ってたでしょ」
「……昔は、な」

 返って来た返事の意外さに思わず、シュヒは右隣の老翁に頭だけを向けた。今は違うのか、と問いたげな空気を醸す少年に諭すように、そちらへ視線を投げアデクは続ける。

「今のわしの旅の目的はね。イッシュの人々に、ポケモンと共に過ごす時間の大切さを、伝えることなんだ。それは、トレーナーとして強くなることよりも何倍も何十倍も大切で、ポケモンと共に生きる全ての人間にとって、最も大切なことなのだ」

 闇に溶け込み、二人は共に互いの表情を正確に捉えられない。だがアデクには少年が何度か目瞬きを繰ったことが、シュヒには老翁がゆるやかに瞼を閉ざしたことが、なんとなく理解出来た。

「もちろん、強くなりたいと思うことも大切だ。きみも、もし強くなりたいと願うなら、覚えておきなさい」

 ひんやりとした空気を揺らしてシュヒは身じろぎし、よく見えないなりに眼下にいる翁の顔を見つめた。青藍が、鮮やかに煌めいた気がする。

「真の強さとは心の強さ、魂の強さ。誰かのために何かを出来ることを言うんだ。目に見える強さは強い心魂のあるところに、後から勝手についてくるものだ。強さは一人きりでいては身につかない。無数の命に支えられ囲まれて、心が成長する時、手に入るものだということをな」
「………………」

 言葉を断った後もなお、少年は心を奪われたように茫然と自身を見据えている。アデクは口許だけで笑み、話を継ぎ足した。

「あいつが、気づかせてくれたことだよ」
「あの……病気で死んじゃったひと?」

 継がれた台詞の中に聞き覚えのある語句を見つけて、シュヒは問うた。翁が頷く。

「うむ。雄々しく気高く心優しく……共にがむしゃらに強さを求めた強い、強い奴だった」

 妻か子か、友人か。関係は定かでは無いけれど、彼が甚く大切に想っていたであろう人物。少年はその見知らぬ誰かを、とても眩しく思った。どんな人だったのかと、見てみたくなった。
 しかしアデクのその口振りはまるで、人間に対するものではないように思えて、シュヒはしばし悩んでしまう。それからわずかの間(ま)の後、閃いた。
 人間が、人間と同じくらいに愛情を注ぐ、人間ではない存在(いきもの)――それは、一つしか有り得なかった。

「ねえ。もしかして、その死んじゃったのって……」
「そう。あいつとは、人ではない。ポケモンだ。わしの初めてのパートナーだった、大切なポケモン」

 少年は途端、言葉に言い表せない万感の想いを、胸いっぱいに広げた。
 彼と出会ったばかりの頃ならば――初めて彼に、亡くした命の話を聞いた時にその実体を知ったらば、シュヒはきっと反発しただろう。その時の少年は“ポケモン嫌い”だったから。
 でも、今はそうではない。まだポケモンは怖いけれど、アデクを、アデクのポケモンへの想いを全面的に否定することは、今の少年には絶対に出来なかった。彼がいるから、自分は“ポケモン嫌い”の皮を被らずにいられるのだ。
 それに。そのポケモンがいたからアデクはカナワを訪れ、自分の元へ現われたと、そういう風にも言えるはず。見知らぬ翁の相棒に、恩を感じずにはいられなかった。
 相棒から教わったことをイッシュの人々に伝えるため、旅をしていると言う老翁。その教えをたった今、受け取った自分。彼と自分は掛け替えの無い、最愛の命を失った者同士だった。
 そうしてシュヒの思考は自然と、ポケモンを助けて命を落とした両親へと辿り着く。

「おれも……気づけるのかな。父さんと母さんが、おれに何か、気づかせてくれるのかな……」

 両親が命に代えてポケモンを生かした理由を探ること。遺された自分に、両親が何かを伝えようとしたのかもしれないと感じ取ることが、自分の取るべき行動ではないか。
 そうアデクに言われてから、シュヒは折に触れて思考していた。考えて解ける問題でないことはなんとなく理解していたけれど、何もしないよりは増しなはずと思索を続けてきた。自分も、翁が話してくれたような大切なことを両親の死から得られるのであれば、一刻も早くそれを知りたい。気づきたい。

「うむ!」

 力強く相槌を返しながらアデクは、ベッドに横たわる少年の頭へ左手を伸ばし、撫でてやる。すると間も無くシュヒの元へ睡魔が訪れて、彼はうとうとと瞼を上下させ始めた。

「おれ……ポケモン……と……」

 刻々と夢の世界へ誘(いざな)われながらも、少年は、現の世界から自身を見守る老翁へと、絞り出した声で想いを伝える。相手は何もかも心得ているかのように幾度も頷き、微笑んだ。

(きみは本当は、もうとっくに気がついているだろう)

 自らも辿り着けぬ、心の奥底で、きっと。

 ポケモンを悪者にしたくないがために、自身を悪者に仕立て上げた、優しい少年。ポケモンを不要だと言い傷つけた自分こそが不要だと感じ、責めた、悲しい少年。
 彼は間違い無くこの世界に祝福されている。そのことを、アデクは少年自身の手で気づかせてやりたいと切実に願う。

「きみが望むなら。きみを愛する者が助けてくれるさ」

 そう声をかけて、シーツが掛けられたシュヒの胸の辺りを、ぽんぽんと軽く優しく叩く。少年は安心感に口許を綻ばせて、小さく頷いた。

「……うん……」

 救いを求めたのがアデクでない他の人間だったら、ポケモン嫌いの分際で烏滸がましいことを、と見向きもされなかったかも知れない。
 身の程知らずの高望みだったろう。儚い夢物語だったろう。これまでの少年だったら。アデクに出逢わなかったら。あの時彼を、探しに行かなかったら……。
 彼ならなんとかしてくれる。自分の、ポケモンへの恐怖観念も必ず取り去ってくれる。決して高望みでも夢物語でも無くなるはずだと、今のシュヒは一寸の疑いも無く信じることが出来た。

「ゆっくりおやすみ。シュヒくん」

 翁の口からその言葉が紡がれたと同時に、少年は僅少に残っていた意識を手放した。明くる日への大きな期待と希望を、安らかな寝顔に目一杯に満たして。




「…………」

 少年が深い眠りに就き、健やかな寝息を立てるようになるまで、アデクはずっと見守っていた。眠れないから、ではない。今夜この家で眠るつもりは、翁には毛頭無かった。
 衣擦れの音をわざと立ててみる。少年が微動だにしないのを確認し、床から腰を上げる。
 自分に出来るのはここまで――そのようにアデクは感じていた。この孤独な少年を本当の意味で救うことが出来るのは、最初から自分ではないと決まっていた。自分には、単なるきっかけを作ることしか許されていなかった。始めから橋渡しという役割だけを、任されていたのだろう。
 荷物を背負いながらベッドを離れ、ドアノブに手をかける。それからドアの隙間から少年を振り向き一言、アデクは言った。


「さようなら。」

(きみの見る倖せな夢が、現実となることを、心から願うよ)


 微弱な音を立て、扉が閉まる。
 シュヒは夢の世界からいっときも戻らず、幸せな表情で眠り続けた。








『始発列車ライモン行き、間もなく発車致します』

 プルルルルルルル……


 闇明け切らぬ午前五時。
 一番線に停車中の車両の案内をする女声アナウンスが途切れると、発車を告げるベルが高らかにプラットホームに鳴り響いた。そこへ青い体の虫ポケモンと、赤い頭髪の老翁が前後して、階段を駆け下りやって来る。

「カブルー!!」
「おいおいカブルモ! わしを置いて行くな!」

 最寄りの乗車口から電車に飛び乗り、遅れてやって来るアデクに振り向くと、カブルモはぴょんぴょん飛び跳ねて見せる。

「カルッ!」
「おまえは……そんなに電車が気に入ったか!」

 額に薄く汗をかきながらなんとか時間内に電車に乗り込み、先にボックス席の窓際を占領していた甲虫の元へ進む。アデクも隣へ着席し、足下に荷物を置く。ややあってから扉が一斉に閉まり、やがて列車はゆっくりとゆっくりと前進を始めた。
 車窓から見える景色は、未だ夜色に染まっている。それでも、アデクには辺りに広がるのどかなカナワタウンの風景を、ありありと思い描くことが出来た。

 人とポケモンが互いに幸せに暮らし、互いに出来ることを為し、助け合っていた。哀しく理不尽な出来事に見舞われても、懸命に生きようとする命がそこにあった。
 平凡で、何処にでもあるような、小さな田舎町。けれどアデクはこの町を、この町に生きる彼らのことを、この先決して忘れないだろう。

 窓に張り付いていたカブルモが、不意に外へ向けて声を上げた。アデクもほぼ同時に窓の外に見えるものに気がつき、そちらへ大きく手を振る。線路に沿って点在する街灯の内の一つ、その傍に、自転車に跨がりキミズが立っていた。荷台にはミルホッグの姿もある。
 昨夜遅く突然来訪したアデクに快く寝床を貸してくれ、始発列車に間に合うよう取り計らってくれた相手だった。わざわざ見送りに来てくれたのだろう。巡査はにこやかに脱帽し、それを掴んだ右手を頭上でぶんぶんと振った。大鼠も倣い、帽子を脱いで振り回す。
 あっという間に車両はふたりの警官の脇を駆け抜けた。南へひたすら、一直線に。
 颯爽と走り去る六両編成の始発列車へ、キミズとミルホッグが揃って敬礼を捧げた。






 遠くで近くで、マメパトたちの囀りが聞こえる。淡く柔らかな朝の陽射しに包まれた部屋で、シュヒは一人、目を覚ました。
 ぼんやりとした目で辺りを見回す。昨夜そこにいたはずの翁の姿は無い。階下にいるのだろうと解釈して、服を着替えるべくベッドを下りようと体勢を変えた。
 ふと、少年は枕元に何かが置いてあるのに気づいた。目をこすりながら手に取れば、それは少しの文字が書かれた紙切れであった。

『メラルバをよろしく。
            アデク』

 たった一言、そうとだけ書かれたメモの傍らに紅白色のボールが一つ、置かれていた。


  [No.1431] きみを巣食うもの(九) 投稿者:   投稿日:2015/12/01(Tue) 20:17:33   46clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 朝。冷涼な空気に浸された台所の中央でシュヒは、数回目になる食事の支度に勤しんでいた。
 右手には小さな泡立て器を握り、傍らに使い終えたまな板とナイフを置き、そして正面には白いホーローのボウルを据え――ボウルの中には様々な種類の、半ば液状化した木の実が混ぜ合わされていた。




「木の実は私が育ててるのを分けてあげるから心配しないでね。何も難しいことは無いわ。木の実をさっと水洗いして細かく切って、少し塊が残るくらいに擦り潰したら、お水をちょっとだけ加えるの」

 数日前、一つのモンスターボールを手に弱り果てていたシュヒの元をナズナが朝一番で訪れた。事情を聞いても特に慌てる素振りも無く、少年が持ったボールの中にいるポケモンの、餌の作り方を教えてくれた。

 目を覚ましてみれば老翁は忽然と姿を消し、自分の元に生まれたばかりのポケモンが残されていた――。思わぬ展開に困窮せざるを得なかった少年だがしかし、嘆いたところで事実は覆らないことを解すや、戸惑いを隠せぬまま、無理矢理に納得したのである。

「他に困ったことがあったらライブキャスターに連絡して! すぐに駆けつけるわ。家に直接来ると、テッちゃんとキューちゃんが大騒ぎしちゃうもん」
「分かった……ナズナさん、ありがとう」

 彼女に手伝ってもらい作り上げた木の実のペーストを、幼虫が黙々と食べるのを横目に見ながら、少年は相槌し。

「シュヒくんは一人じゃないわ。私も精一杯手助けするからね!」
「……うん」

 消沈している少年を勇気づけようと声高に言ったナズナに、シュヒは再度頷いた。




「メラルバ、ごはん、だよ」

 完成した餌を載せた皿をフローリングに置き、シュヒは緊張した面持ちでモンスターボールのボタンを押す。
 昨夜までは、餌の時間には必ずナズナが傍についてくれていた。だから別段怖がることも無かったのだが、彼女は幼虫の聞き分けの良さを見て「もうシュヒくん一人でも大丈夫よ」と、少年にとっては不安でしかない英断を下したのだ。

 ボールの中に入れたまま放置していても、ポケモンが空腹になったり病気になったり、落命することは無いと聞く。告げさえしなければ、世話をしていなかったとしてもそうそう勘づかれることは無いのだろう。
 しかしシュヒはそうしない。そうすることは、出来ない。もうこれ以上、ポケモンとの間に刻まれた溝を深めたくないと願うから。何より、そんなことを一度でもしてしまったら……アデクに、顔向けが出来ないから。
 彼は自分を信じて、この幼い命を残して行ったのだろう。だからそんな卑怯な真似は出来なかった。したく、なかった。

「ルバ〜」
「わっ……こ、来ないで!」

 ボールから登場したメラルバは、目の前にシュヒが一人座っているのを見つけると、一散に彼に近寄って行く。それを少年は言葉と、両手をそちらへ突き出すことで留めた。

「おれのほうに来なくていいから! ごはん、食べて……!!」
「ルバ〜?」

 元より鈍い足取りをぴたっと止めて、幼虫は体ごと頭を傾げる。

「ご……ごめんね。まだ、怖いから……でも、きみが悪いんじゃ、ないからね……」
「……ルバッ」

 不思議そうにシュヒを見上げていたメラルバはその内、彼の言い分に了解したように鳴くと横に置かれている皿へと向かい、盛られた餌を食べ始めた。シュヒは困り顔でふぅ、と息を吐く。

(じーちゃんはどうしてメラルバをおれに……? おれは、メラルバを上手く育てられないのに……)

 ナズナが太鼓判を押した通り、確かにメラルバは聞き分けが良く、指示に忠実に従ってくれる。故にシュヒは、余計に彼女に申し訳無い心持ちになった。自分ではない他の人間と共にいる方が、彼女は幸せに暮らせるのだろうなと、そんな風に考えてしまう。
 アデクから与えられた信頼には答えたいし、その想いを有難いと、嬉しいと思う。と同時に、少年は自ら非力さを浮き彫りにさせる。
 自信が無かった。まだ自分は、ポケモンが怖い。老翁が居ない今、果たして自分はこの深淵を跡形残さず埋めることが出来るのか。
 判らない。解らない。

(じーちゃん……)

 考えるほど頭が重くなる。リビングの窓に寄りかかって両膝を抱え込み、間に顔をうずめる。初めてアデクと会った時と同じように、シュヒは縮こまった。硬い卵の殻の中に閉じ籠もるみたいに丸く、小さく。
 こうしていれば、彼が戻って来てくれると盲信しているかのように。




「ルバ〜ルバ〜」

 何事か訴えるような幼虫の鳴き声に、シュヒは顔を上げた。少し離れた所でメラルバが窓に張り付き、前足で硝子を掻いている。食事はどうしたのかと皿を見ると、綺麗に空になっていた。

「どうしたの……」

 そう溢してシュヒは、彼女の動きに注目した。じっと見ていると、なんとなく自分に伝えようとしている事柄が解った気がして、確かめるべく問うてみる。

「……外? 外に行きたいの?」
「ルバ〜ッ」

 窓に足を掛けたまま、幼虫は顔だけを少年へ向けた。正解と、いうことらしい。しかし答えが当たったことに喜びを感じる暇も無く、シュヒは表情を曇らせる。

「でも外には他にもポケモンが……」

 少しはポケモンが近くにいる環境に慣れたとはいえ、それは多分メラルバが、幼く小さく動作がゆったりとしていて危険性が少ないからだろう。屋外には彼女とは違い、体が大きかったり、動きが素早かったりするポケモンがきっといる。出来れば、そういったポケモンにはシュヒはあまり近づきたくなかった。が。

「………………」

 そのようなことを言っていてはいつまで経っても、溝は無くならないではないか。
 そう思い至って、シュヒは自身を奮い立たせた。






「メラルバちゃんは虫タイプだもんね。葉っぱも食べたいのかも知れないわ」
「そっか……」

 のそのそという擬音がぴったりな足取りで歩むメラルバの後ろを、シュヒとナズナが話をしながら横並びでついて行く。幼虫の声と足運びは常より心なしか軽快で、気分良さげだ。楽しそうな彼女の後ろ姿にナズナはうふふ、と頬笑む。

「今日は沢山散歩させてあげましょ!」

 外出したいと言うメラルバの希望に答えるために、シュヒは迷わずナズナに連絡を入れた。訳を聞いた若きブリーダーはすぐに少年の家へと飛んで来て、一緒に町中を散策しようと誘ってくれた。
 二人と一匹はまずカナワの中心街へ向けて進行し、途中で閑静な住宅街へと分け入った。郊外の方がメラルバは喜ぶだろうが、そうすると野生ポケモンとまみえる確率が高まってしまう。ナズナは幼虫よりもシュヒの気持ちを優先し、町中を選んだ。出会う数は多くなるけれど、町に暮らすポケモンであれば人間の指示を聞く分、安全だと判断したのだった。
 少年宅を出てからここまで、実に十匹以上のポケモンと擦れ違い、その都度シュヒはびくびくと肩を震わせた。しかし決して逃げ出したり、目を逸らしたりはしない。ポケモン、そして怯える自分自身に挑みかかるように、彼らを注意深く観察していたようだった。

「アデクじーちゃん、どうして何も言わないで行っちゃったのかなあ。まだ話したいこと、いっぱいあったのになあ……」

 民家の生垣を左に曲がった辺りでナズナの右隣から、そんな呟きが聞こえて来る。少女が振り向くと、発言者は寂しさを宿す双眼で、前を行くメラルバに見入っていた。
 突如老翁に去られた少年の胸には、裏切られた、などという冥(くら)い気持ちは一切無かった。ただどうして、どうしてと、純粋な疑問が蔓延っていた。彼が居なくなった状況にただただ戸惑い、そして怯んでいた。

 ――わしに出来ることは、もう無い。役目を終えた老兵は去るのみさ。あとはきみと、ポケモンたちに任せるよ。

 その時ナズナの念頭に去来したのは、昨晩、翁が自分に言った言葉だった。






「メラルバを、シュヒくんに譲ろうと思うんだ」

 耳許で囁かれた台詞に少女は驚き、ぱっと翁から距離を取ると彼の顔を凝視した。冗談かと勘繰るがアデクの面差しにそれらしき影はわずかも見当たらない。ナズナはしばらく瞬きを繰り返したのち、訊ねた。

「どうして、そんなことを……?」

 両親の遺したポケモンたちとすら満足に触れ合えぬ少年に、生後間も無いポケモンを譲渡するなんて、正気の沙汰とは思えない。彼が彼という人間でなければ、ナズナはきつく詰ったことだろう。
 しかも、彼は明日朝早くにシュヒに知らせぬまま、この町を発つと抜かすではないか。そんな馬鹿なことがあって良いのだろうか。
 不信感がありありと顔に表われた少女にアデクは、順を追って説き明かしていった。

 シュヒがメラルバのタマゴに興味を示し、しばしばその様子を窺う仕草を見ている内に、とある仮説が翁の中に浮かび上がってきたのだと言う。
 人に飼われているものでも、ましてや野に生きるものでもなく、もっとまっさらで、か弱く小さなもの――これからタマゴから孵るポケモンが相手ならば、シュヒの硬い警戒心も緩むのではないだろうか、と。
 実際、計らずもメイテツとキューコに遭遇して萎縮したはずの少年が、メラルバ誕生の瞬間には間近に居合わせることが出来た。そうして、生まれたばかりの幼く脆い命が周囲に与える力が、彼にも備わったのではないだろうか。
 このか細い命を守り支え、救ってやりたいと切に願う、愛しさという力が。
 メイテツとキューコも、産まれてすぐのシュヒを目にした時、その力を手に入れたのだ。どれだけ彼に嫌われ避けられ傷つけられても、二匹は少年を嫌わない、避けない、傷つけない。それは傍観する第三者がやめてくれと懇願したくなるほどに深く、哀しい愛情だ。
 かと言って、少年がポケモンを警戒していることは変わらないが、関心があるというのは強みだ。自分の存在を抜きにして、シュヒをメラルバに慣れさせようと、アデクは考えたのである。

「それに。わしはこいつの意志も汲み取ってやりたくてな」

 と言って翁が指し示した先には、黙々と餌を食べる幼虫の姿。

「メラルバちゃん?」
「ああ。メラルバ自身が、シュヒくんを選んだのだ」
「シュヒくんを……選んだ?」

 少女は目をぱちくりとさせ、うむと頷くアデクに注視する。

「普通、人間とポケモンは、人間の方がポケモンを好きに選んで仲間とする。しかし、ポケモンの方が人間を好きになって、共生や道連れを求む時もあるのだ」

 新人用ポケモンを博士から貰う場合にせよ、野生ポケモンをモンスターボールで捕える場合にせよ、人間は自分好みのポケモンを自由に選択出来る。トレーナーでもそうでなくても、始まりはいつも、人間が持つモンスターボールによるものだ。
 だが稀に、立場が逆転する場合がある。新人トレーナーが新人用ポケモンの一匹に気に入られ、済し崩し的に相棒にする。野生ポケモンが勝手について来たり、その人間が持っていた空のボールに自ら入ってしまう。そんな奇妙な馴れ初めも発生し得るのだと。
 アデク自身、少々事情は異なるが、初めてのパートナーであったポケモンに選ばれた側だと言う。

 ナズナは先刻自宅から戻ってすぐの幼虫を思い起こした。二階へ去る少年に手を伸ばしていた仕草。今思えば、あれはまるで彼について行きたそうな動作ではなかったか、と。

「メラルバちゃん。シュヒくんと一緒にいたいの?」
「ルバァ!」

 問うと、メラルバは餌の容器からぱっと顔を上げて鳴いた。彼女がシュヒを気に入ったのはどうやら事実らしい。ナズナは驚きと感心の目をアデクに向ける。彼は続けた。
 シュヒには他の多くの人々と同等に、ポケモンと心を通じ合わせ、仲良く生きる権利がある。そうやって、この世界から祝福を受けていることを己の頭で知れば、倖せに生きてゆける方法も見つけられるはずだと。

「人間がポケモンと離れたいと望んでも、ポケモンがそれを望まないこともある。ポケモンが何を求め願うのか。言葉が解らないからこそ、しっかりと見極めなければな」

 長年の経験の賜物だろう。勝負だけでなく、ポケモンの気持ちすら造作無く捉えてしまうイッシュリーグチャンピオンを、少女は憧れの眼差しで見つめた。

「シュヒくんが助けを求めてきたら頼むよ、ナズナさん」

 遥か高みの存在からの直々の頼みを、今更断われるナズナではなかった。

「はいっ」

 きりっと顔つきを改める少女の肩をアデクは、よろしくな、と言いながら優しく叩いた。


「でも……、もう少しくらいカナワに居てもいいんじゃ? シュヒくんも、ちゃんとお別れを言いたいだろうし」

 それからふと口を開き、そう伺いを立てた少女に対し。
 アデクは屈託の無い青藍を向け、くだんの言葉で応じたのであった。






「きっと、他にも行く所があるんだわ。シュヒくんが会いたいって思うなら、絶対また会えるよ!」

 自身が漏らした言葉に明るい台詞が投げ返され、シュヒは左隣を振り返った。発言したナズナの双眸は力強い確信に溢れていて、シュヒの心はなんとなく慰められる。小さく頷き、微笑する。
 そこへ。

「なあなあお前ら聞いた?! なんか最近さ、カナワにチャンピオンが来てたらしいぜ!!」

 唐突にかまびすしい大声を脇から浴びせられ、二人は仲良く肩をびくつかせた。

「な……えええええ?! チャンピオンが?!」
「ねーよ!! チャンピオンがこんなヘンピな所に来るワケねーじゃん!!」

 辺りを見れば、いつの間にか二人と一匹の足は公園前にまで達しており、騒がしく会話している主たちは園内の一角にいた。雲梯の手前にある、半分地中に埋まった三つのタイヤ椅子を占領し腰かけた、シュヒより上、ナズナより下と思しき年齢の少年たちである。

「無くねーよ! マジだっつーの!!」
「こんな所に来てたらそれ既にチャンピオンじゃねーっつーの!」
「チャンピオンはリーグにいるからチャンピオンなんだよ!」
「いやマジでマジだから! 交番のおっちゃんがチャンピオンのトレーナーカード見たって言ってたんだよ!!」
「マジでマジかよ!」

 喧々囂々と言い合う三人の傍らでこちらもギャンギャンと、少年たちの相棒であろう三匹のポケモンが吼え立てている。シュヒもナズナも、彼らの勢いに飲まれてぽかーんと口を開けた。ポケモンはトレーナーに似る、というやつである。

「ナズナさん……チャンピオンって?」
「え? あ、ああ、えっとね、」

 騒ぎたくなるのも解るがあまりに騒々しくないか。思わずこめかみの辺りを押さえ付けていたナズナは、シュヒの質問にすぐに反応出来なかった。そんな誰でも知っているようなことを訊かれるとは、思わなかったからだ。
 これくらいの基礎的知識も持たない少年にポケモンを任せるなんて、やっぱり無謀だったのでは……と一瞬過った不安を笑顔で隠し、ナズナは答えた。

「チャンピオンって言うのは、ポケモンリーグチャンピオンのこと。その土地で一番強いポケモントレーナーなのよ。全トレーナーが憧れる存在ね」
「ふうん、すごいんだね。本当にカナワに来てたのかな」

 そう感想を述べる少年にナズナは空惚け、悪戯っぽく笑いかけた。

「さあ? どうかしらね?」

 あの少年トレーナーたち、ひいてはイッシュ中のトレーナーが、一目見れば夢中になり大騒ぎすること必至の存在が、先日までずっと自分の傍にいてくれたことを知った時、彼は一体何を思うのだろう。ナズナはその時が来る日が、少し楽しみになった。


 まだまだかしましそうな公園の脇を抜け、二人と幼虫は要所要所で小憩を挟みながら町を西へ、カナワ名物転車台を望む高台へと向かって行った。
 途中、ふと路地に目をやったナズナがあっ、と嬉しそうな声を上げる。

「ごめんシュヒくん、ちょっとメラルバちゃんとここで待っていてくれる?」

 彼女が手を振る先を見やると、三軒ほど奥の家屋の前に青年が一人立っており、彼もちょうどナズナに気づいて手を振り返したところだった。青年の隣には青い体に黒の翼を備えた大きな蝙蝠、ココロモリが羽撃いている。
 シュヒが頷くのを見届け、彼に再度謝ってから、ナズナは青年らの方へ足取り軽やかに駆けて行った。

「……メラルバ。待ってよう、ね」
「ルバ?」

 少女を見送り、シュヒは背後で下生えを嗅いでいる幼虫に声をかけた。呼ばれ、メラルバが縦長の水色を少年へ向ける。
 近くの家の低い煉瓦の塀に座り、シュヒは去った少女を伺う。何を話しているのかはさておき、青年と共にココロモリを囲み、少女はとても楽しそうに笑っていた。

(おれもポケモンが怖くなくなったら、友達が出来るのかな……)

 どこへ行っても人間の隣には必ず、ポケモンがいる。世界はきっとポケモンを中心に回っているんだと、シュヒは思う。人間の方が物理的支配力は優れているけれど、その人間の心、精神を、ポケモンが完全支配しているのだ。
 シュヒはポケモンと関わらないがために、両親やナズナ以外の人間とも交流しなかった。同年の子供たちは皆、ポケモンを忌避する彼をつまらない奴と判断し疎外した。大人たちも似たり寄ったりだ。表面上は優しく接してくれるが、一線を越えて関わろうとはしない。自分たちが愛して止まない存在を嫌う少年に、どう接すればいいのか解らないから。
 ポケモン、それは人間から切り離そうとしても決して切り離せない、影のような存在だ。人間の言動にいつでもどこまでも付きまとう。だからポケモンと触れ合えるようになれば、世界は一気に拡がろう。様々な人と巡り会い、孤独も癒やされよう。
 カナワの狭く暗い車庫から転車台に乗せられ、広い広いイッシュの彼方へ駆け出す列車のように、いつか自分も、ここから旅立てるだろう。しかしそれは、いつのことなのか。
 方法が解っていても踏み出せない一歩がある。とても小さいくせに、果てしなく遠い一歩がある。期待と不安が混ざり合い、静かな焦りが、シュヒの中で頭をもたげていく。

「ルバッ!!」

 そんな思案の闇から少年を掬い上げるように、メラルバが鋭く鳴いた。シュヒが驚いて目をやると、間髪入れずに彼女が突然走り出した。

「えっ……メラルバ?」

 六本の小さな足を駆使し、彼女に出来得る限りの全速力で、北に伸びる路地へ駆けて行く。このくらいの速度なら、シュヒほどの年齢であれば引き止めるのは容易だ。けれど、彼にはそれが出来ない。追い駆けるしか、今の少年に可能な術は無かった。

「どこ行くのメラルバ! ナズナさんがここで待っててって、」
「ラルバッ! ラルバッ!」

 呼び声にちっとも気づかぬ風で突っ走るメラルバに追い縋る内、シュヒの抱いていた焦りは元から無かったように雲散していった。


  [No.1457] きみを救うもの(終) 投稿者:   投稿日:2015/12/14(Mon) 22:07:35   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 幼虫を追って町の北へとやって来たシュヒの行く先に、だんだんと木々が増えてきた。家屋の数が減り、人の気配も消え失せ、静謐が一人と一匹を包み込む。
 速いとは言えないメラルバの駆け足。それでもシュヒは距離を詰めないまま、彼女の何歩か後ろを早足でついて行く。やがてふたりは民家の途切れた辺りにある、周囲の家が六軒ほど入りそうな広い畑の前へと到着した。

「……!」

 シュヒは目を見張る。そこが他所の農地とは違う、華やかな色彩で染め上げられていたからだ。一面の薄紅色。所々に深紅や白も見受けられる。
 温かな空気を涼ませる微風を受け、そよそよ揺れる沢山のそれは、秋にこそ咲き誇る桜。ふたりの眼前に広がったのは秋桜(こすもす)の花畑であった。

「ルバッ」

 可憐な群生に陶然とするシュヒを置いて、メラルバは嬉々として敷地内に這い進んだ。すぐにシュヒも踏み入り、前を行く幼虫に問いかける。

「秋桜の匂いがしたの?」
「ルバ〜」

 秋桜は香り高い花ではないが、そこは虫型ポケモン、人間の嗅覚では捉えられない微弱な匂いでも感知出来るのかも知れない。
 喜び勇んで花の傍へにじり寄る彼女の姿を見ていて、ふと少年は思いついた。

「そっか……メラルバは女の子だもんね。花が好きなんだね」

 そういう所は人間の女の子と同じなのかなと、何とはなしに微笑ましくなるシュヒであったが次の瞬間、幼虫が秋桜を茎ごとむしゃっと食い千切るのを見てショックを受けた。

「……ああ。食べるんだ……」

 ナズナとの散歩の道中で低木の葉をいくらか食んでいたのだが、物足りなかったようだ。秋桜って美味しいのかなと首を傾げたのち、シュヒはむしゃむしゃと花を食べているメラルバから、花畑へ視線を移した。

(もう秋桜の季節なんだ)

 それが、花畑を目の当たりにした瞬間に彼が抱いた第一印象だった。
 晩夏に訪れた無情な死別の後、周りの景色に目を向ける余裕など持ち合わせていなかった故に、少しも思い及ばなかった。今頃の時分に咲く、この可愛らしい花のことを。

 秋生まれだからなのか、毎年両親が満開になるのを楽しみにしていたからなのかは判らないけれど、シュヒは秋桜が好きだった。カナワに秋が来る度に父と母と、そしてあの二匹と一緒に秋桜狩に出かけては、畑の中に並んで写真を撮ったものだ。

(おれ、もう十才なんだ)

 今この時まで、自身の誕生日が過ぎ去ったことすら忘れていた。それほどまで沈んでいた自分に、何をやっているんだかと溜め息が口を突いて出た。それから、ふと考える。
 両親が亡くなり、二匹とも離れ、薄紅を想い愛でる心を失っていた自分を元気づけようとして、メラルバはここまで連れて来てくれたのかも知れないと。いや……彼女は単に食事をしに来ただけなのだけど。シュヒには何故だか、そう思えてならなかった。

 近頃の穏やかな気候に似つかわしい愛らしい薄紅色の花畑と、それらに包まれ無心に秋桜を頬張る小さなメラルバに、不思議と心が和む。相変わらず触れる勇気は起きないけれど、彼女とふたりきりでもあまり気負わずにいられている自分を発見して、シュヒは自信に似た感情が密かに湧き上がるのを感じた。落ち着いた心持ちで、話しかけてみる。

「食べたら、さっきの場所に帰ろ……」

 そのようにメラルバにかけたシュヒの台詞はしかし、言い終わらぬ内に前方からの突風に掻き消された。思わず目を瞑り、身を屈める。

「な、に……?」

 前屈みのまま、ゆっくり目を開く。眼前の地面に大きく色濃い影が、盛んに揺れながら落ちている。頭上からバサッ、バサッと強かに風を切る音がした。
 その影と音とをはっきりと認識したと同時に、シュヒの胸の鼓動がバクバクと打ち鳴らされ始めた。本能が叫喚を上げる。見るな、見ちゃいけない。見るな。見るな!
 しかし、そう思えば思うほど見たくなってしまうのが人間だ。頭のどこかでそんなことは無いと否定する自分がいて、無意識にそちらに同調してしまうからなのか。後悔するかも知れないと瞬時に思考出来るにも関わらず、その目で確認してしまうのだ。
 シュヒは嫌な汗を額に浮かせ、恐る恐る頭上を見上げ――そして見てしまったことを、悔やんだ。

「オオグルゥゥウ!!」

 白い冠羽を掲げる大きな猛禽が、小さな人間の視線に答えるように勇ましい鳴き声を轟かせた。

「あッ…………野、生の……!」

 引き攣った声音で、なんとかそれだけを絞り出す。

 町中でも体の大きなポケモンと出会したが、彼らと今目の前にいるポケモンとには、明確な違いがあった。体を張って生きている故の力強さ、頑健さ。人からの手入れを施されていない、ありのままの美しさ。野に生きる者のみが持つ、逞しい生命の輝き。

 市街地でも、目が合ったポケモンに近寄って来られたことが何度かあった。だがその都度、主人である人間が声と手で引き止めてくれたので難は逃れられた。しかし今相対しているあのポケモンは野生である。それはつまり、あれが自分をおびやかす行動を取った時、制止させられる人間がいないということ……。
 シュヒは全身から血の気が引いてゆく音を聞いた。

「メ、メラルバ、逃げよう!!」
「ルバ?」
「上、見てよ! でっかい鳥のポケモン! 逃げないとっ……!!」

 少年に促され、メラルバが上空を見やる。彼に言われるまで巨鳥が現われたことに気づいていなかったようだ。白い体毛に花弁をいくつもくっつけ、未だに口許をもぐもぐ動かしている彼女を、シュヒはどうにかして逃がさなければと咄嗟に思考する。

「そうだ! モンスターボールに入れば……!」

 ポケモンに触れられない少年に出来る、ポケモンを引き留めるもう一つの術。先よりも危機的な状況下でよくぞ閃いたと自身を褒めつつ、上着のポケットに手を突っ込む。――無い。ならばズボンかとそちらを探るが、少年の両の手は何も掴み出さなかった。必要無いだろうと判断し、自宅に置いて来てしまったのだ。

(ど、どうしよう……!)

 事態は今度こそ絶望的だった。

 メラルバに戦ってもらう? ……無理だ。ポケモンの戦わせ方なんて知らない。それにこちらが圧倒的に不利であるのはシュヒの目にも明らかだった。メラルバは少年の胸に抱え切れるくらいに小さいのだ。あんなに大きくて強そうな相手では一堪りも無い。
 なんとかして彼女を引き返させないと……。
 少年が目紛しく考えを巡らせている隙に猛禽、ウォーグルが、格好の餌を見つけたという風にぎらりと瞳を煌めかせ、急降下する。

「グルオオッ!」

 標的は無論。

(だ、だめ……)

 シュヒは幼虫に待ち受ける残酷な最期を想像して恐怖し、ポケモンの持つ野性と本能に戦慄し、それを見ているだけしか術の無い自分に落胆し、そして憤怒した。苛立ちで全身の毛が逆立つのを感じる。

 自分はなんて非力なんだろう。なんて無力なんだろう。
 なんで、自分は何も出来ないんだろう!


「……!?」

 苦悩するシュヒの目前の光景に覆い被さるようにして、不意に見覚えの無い映像が浮かび上がった。紫色の巨大な蟲の前に立ち竦む、幼い男の子の後ろ姿……そのイメージが、巨鳥と幼虫の姿にぴたりと重なり――溶ける。

 違った。
 何も出来ない訳じゃなかった。出来ないと勝手に決めつけていただけで。
 こんな自分にも、出来ることはまだあったのだ。

 気がつくと、シュヒはメラルバの元へ走っていた。まるで誰かの意思が乗り移ったみたいに他の全ての感情や思考を投げ捨てて、彼女を救い出すことだけに没頭し、全力で蹴立てた。
 守らなければならない。このか弱い生命を、自分が救わなければならない。
 それは他の誰かの意思でありながら、他の誰のものでもない、紛れも無い少年の本意だった。

「メラルバっ!!」

 秋桜を踏み散らかしながら滑り込み、幼虫を拾い上げ抱き竦める。襲いかかって来る巨鳥に背を向けてシュヒはきつく瞼を閉じた。
 今から逃げてもすぐに追いつかれる。だから、逃走は端から選択しなかった。
 自分はポケモンではないから戦えない。盾にしか、それも酷く脆く矮小な、一時凌ぎの盾にしかなれない。あの鋭い嘴と爪で瞬く間に傷だらけに、血だらけにされてしまうだろう。それでも。

(絶対にメラルバは渡さない、絶対にメラルバを守るんだ。だってこの子もおれと同じ、生きている。誰かに望まれて生まれた命で……、おれの、家族なんだ!)

 さっき見えたイメージは六年前、あの二匹の目に映った光景。今シュヒは、あの時の二匹と同じ行動を起こしていた。メラルバを守りたいと、そう強く願って。
 そうして解した。二匹もこんな気持ちだった、こんな気持ちで自分を守ってくれたのだと。

 あの日――血塗れになってまで我が身を呈したメイテツとキューコ。彼らは幼い自分を救うために、負けるかも知れない敵に挑んだのだ。彼らにとって自分はそうするに値する存在だったのだろう。

(メイテツ。キューコ。ごめんなさい。おれ、ひどいことをした。ひどいことを言った)

 風が背中に突き刺さる。頭のすぐ後ろにまで敵が迫っている。そんな窮地の中で、シュヒは一心に懺悔した。
 自分を愛してくれる者はまだ傍にいて、ずっと見つめて、見守ってくれていたというのに。彼らの気持ちを知らずに、知ろうともせずに、ただただ残酷に罵倒し強引に突き放してしまった。優しい……優し過ぎるポケモンたちに、ひたすらに謝った。

(こんなおれで、ごめんなさい)

 恩知らずな自分で澄まない、と。




 ザンッ!

 強く掴まれ、捕らえられた衝撃音がした。巨鳥の脚が頭部か背中か、いずれにせよ、自身を捕獲したのだとシュヒは感じた。
 たとえこのままメラルバと一緒に巣まで連れ去られてしまうとしても、犠牲になるのは自分だけにしなければと胸底から思った。彼女だけは絶対に逃がさなければならなかった。真新しい命を、こんなに早く喪わせる訳にはいかなかった。

「………………?」

 しかし。捕らわれたにしては何の違和も感じない。痛痒も浮遊感も、何もかも変化を覚えない。何故だろうかと確認しようとしたシュヒの耳を、直後けたたましい声が劈いた。

「グルオオオオオオ!!」

 悶絶を思わせる咆哮。次いでドッ、と重い物が地に沈み込む音。

「ラルーラルー」

 同時にシュヒの胸で幼虫が、彼を呼び覚ますように鳴いた。

 少年ははっとなって顔を上げる。聞こえたのだ。声が。巨鳥の叫びではなく、はたまた幼虫の呼びかけでもなく、それらにうずもれた遠い声に。潜み隠れた、その声に。
 振り返る。地面に腹這いになったウォーグルの背に、二匹のポケモンが飛びかかっていた。
 シュヒは、叫んだ。

「メイテツ!! キューコ!!」

 突然の背後からの奇襲に、猛禽は訳が解らないながらも翼をばたつかせて暴れた。振り向き、忽然と出現したポケモンたちを両目に認めると、素早く体勢を整えて両翼を振り上げる。
 打たれそうになるのをぎりぎりの所で避け、モンメンがふわふわした体を震わせて無数の綿を撒き散らした。彼の姿によく似た白い塊は見事、敵の攪乱に成功する。綿ばかりを攻撃していく巨鳥の足許を、ズルッグの蹴手繰りが捉えた。

「グルオッ!」

 が、猪口才なと言いたげにウォーグルは自身にまとわりつく小さなポケモンたちを、それぞれ強力な翼で打ち据える。

「ルグゥッ」
「めええっ」

 地面に叩きつけられ呻いたのもほんの数秒。二匹は息の合った跳躍で、再び巨鳥に向かって行く。

「だめだよ、また傷だらけになっちゃう!」

 少年の制止も聞かず果敢に突進した二匹だったが、すぐにまた痛烈な一撃を順々に食らう。効果は、抜群だ。

「だめだったらっ!」

 口ではそう言っても、彼らが戦い続ける訳を、戦い続けなければならない理由を、シュヒは痛感していた。

 そう、今は全てが理解出来る。両親が消えた日のことも、幼少の日のことも。なぜ彼らが自分に笑いかけていたのか。なぜ悲しみや寂しさを微塵たりとも滲ませなかったのか。完膚無きまでに傷つき、悲鳴を上げていたはずの身体を押し殺してまで、笑顔でいたのかを……。

 ウォーグルの中心から浮き出した緑光を、メイテツが吸収した。外傷を与えていないにも関わらず巨鳥は声をくぐもらせ、対する綿花はわずかに気力を取り戻し、青葉を振るった。
 項垂れた敵の側頭部目掛けて、キューコがジャンプし頭突きを食らわせる。ごおおんっ、という強烈な衝突音をシュヒは幻聴した。

「グルオァッ!」

 けれど巨鳥は倒れない。それどころか一層の敵意を眼差しに閉じ込め、小賢しい二匹のポケモンを仕留めにかかった。その視線が先に捉えたのはズルッグ。相手の素早さに対応し切れず回り込まれ、彼女は強靭な足の爪で深々と背中を、破壊せんとばかりの凄惨さで切りつけられた。
 秋桜の畑にぱたりと突っ伏す彼女を唖然と眺めていたモンメンに、猛禽の嘴が襲いかかる。まるで肉を引き千切るような苛烈さで、柔らかな綿に嘴の突きを乱射する。白い綿が血飛沫の如く、方々に飛散した。

「いやだ……いやだ。やめてよ……」

 幼虫を強く胸に抱いたまま愕然と戦いを見ていたシュヒが、囁いた。

「痛いよ、苦しいよ……!」

 刻々と傷んでいく二匹の痛苦を想うと、胸の痛みが治まらなかった。もし二匹の命が消えてしまったらと想うと、恐くて怖くて堪らなかった。
 独りきりだと思っていたのだ。自分は孤独なんだと思い込んでいたのだ。彼らが見てくれていたのに。彼らはいつだって、自分を独りにさせまいとしてくれていたのに。

 そう、今は全てが理解出来た。なぜ父が母が、ポケモンを助け死んでいったのかも。両親がアデクが、カナワの町民がイッシュの人々が世界中の人間たちが、ポケモンを愛して止まないのかすらも。

 両の翼を堂々と青空に広げ、猛禽が高く猛々しく鳴いた。直後、薄紅色の中から震えながら立ち上がろうとしている二匹に、突風の刃を投げつけた。刃は二匹と秋桜の花を切り刻み、風に姿を戻した後、花弁を巻き込みながら後方のシュヒとメラルバに吹きつけた。
 もう限界だった。二匹に立ち上がる体力は残されていなかった。限界のはずだったのに。それなのに彼らは傷だらけの体を起こして、上空の猛禽を睨めつける。
 その視線を受け止めたウォーグルが、二匹の方へと滑空する。二度と再起出来ぬよう、とどめの猛撃を食らわせるために。

「やめて……やめてよ……」

 呟き、シュヒは首をぶるぶる振った。目頭が熱かった。胸が圧迫されているみたいに苦しくて、呼吸が上手く出来ない。心が痛かった。二匹の体の痛みが、自分の心に移ったようだった。

 ウォーグルが二匹を鷲掴みにした。メイテツとキューコは最早、呻き声すら出せない。抵抗出来ずに、地面に押し付けられる。今度こそ、二匹は立ち上がれなくなった。

「メイ、テツ……キュー、コ……」

 少年の双眸から涙が溢れ落ちた。
 そして、彼は叫んだ。

「おれの家族をっ、いじめるなあっ!!」

 涙が散らばる。

 足元に力を込める。失いたくない。他の何もかもを失っても構わないから、家族だけはもう失いたくない。強い願いを以てシュヒの足が地を蹴った。その、瞬間。
 それまで沈黙を守っていたメラルバの目が、燃え盛った。

「ルバァ!!」
「!?」

 駆け出そうとしていたシュヒの腕から幼虫が飛び出す。驚愕し瞠目する少年、彼が辿るはずだった道をメラルバは走り出した。

「メラルバ行っちゃだめだ! メラルバーーーーッ!!」

 止めようと追い駆けるシュヒを突き放して、幼虫は疾走する。先程とは比べものにならない速さだった。五本の角から炎が噴き出し、燃え上がっていた。炎が燃焼すればするほどに、彼女の速度は増していった。
 その猛進に危険を察し、標的が上昇を始めるよりも速く、メラルバの猛火を纏った突進が、決まった。


「グルォオオ……!」
「……ラルバッ」

 空中で一回転し畑に着地した幼虫の前で、ウォーグルが腹から煙を燻らせながら蹌踉く。角から炎を上げたまま、メラルバは敵を見据えた。猛禽も、彼女を見返す。

「……………………」

 しばしの睨み合いの後。
 ウォーグルは唐突に翼を広げたかと思うと一瞬で遥か上空へ飛び立ち、枯れた声を響かせながら林の向こうの空へと去って行った。

「ラルバッ」

 猛禽の姿が完全に見えなくなった頃、メラルバが後ろの四本足で立ち上がり、誇らしげに鳴いた。








「ぁ……うっ、うぅ……」

 べしゃりと頽れる音と共に噎び声が、弱々しく辺りに流れた。

「ああああ……」

 巨鳥が去った空に困憊した目を投げていたモンメンとズルッグが、憂苦の眼差しでシュヒを振り返る。少年は地べたに座り込み、全身を震わせ泣いていた。

「うああああああ……!!」

 大きくなった泣き声に誘われて、メラルバがのそのそと歩き出す。何も出来ず、蹲ったまま少年を見つめている二匹の所まで。かと思うと彼らの脇を通り過ぎ、俯き泣いている少年目指して、更に進んで行く。二匹は慌てて傷だらけの体に鞭打って歩み寄り、幼虫の進行を両側から制した。

「ルグッ!!」
「ラル?」
「めえっ!!」
「ラル〜?」

 彼に近寄っちゃいけない。彼はまた恐怖した。自分たちの戦う姿を見て、心に傷を負ったんだ。

 そのように幼いメラルバに訴えようとした二匹の動作を、急に立ち上がった少年が留めた。思わず体をびくつかせた二匹の間で幼虫が嬉しそうに鳴き、制止を振りほどいて少年の胸に飛びついた。

「ラルバ!!」

 飛びかかって来た彼女の体を、シュヒは静かに受け止めた。怖がりも、避けもせず。それどころか慈しむように優しく、温かく。

「メラルバ。ありがとう……ふたりを……おれを……守ってくれたんだね」
「ルバァ〜」

 か細い声で礼を言い、涙を溜めた顔をメラルバに近づける。メラルバは幸せそうに、彼に何度も何度も頬ずりをした。

「………………」

 それからシュヒは、信じられないものを見るような目で自分を凝視している、モンメンとズルッグを見た。こうして彼らと視線を交わし合うのは、あの日以来だった。

「メイテツ……キューコ……」

 無言の視線の交錯を断ち切り、シュヒは彼らの名を呼ぶ。

「ごめんね……ごめんなさい……おれは、おれはっ……」

 セピアの瞳から、涙がぽろぽろと溢れ落ちて行く。肩、腕、脚、唇、声、心、全てが震えて止まらない。
 恐かった、怖かった。以前とは違う恐怖だった。大切なものを失ってしまうかも知れないという、心身が千々に砕け、張り裂けそうになる暗然たる恐怖だった。二度とあってはならない恐怖だった。

「全部、分かったんだ。ふたりの気持ちも……。おれ、ふたりに……ひどいこと……ずっと、ずっと……っ!」

 少年の涙が、胸元のメラルバの体毛に落ちては跳ねて、じんわりと染み込んでいく。
 なぜ、どんなに憎まれて嫌われて避けられても、いつでも自分のことを想い、どこにいても駆けつけて来てくれたのか。簡単なことだった。簡単過ぎて、当たり前過ぎて、ずっと気づけなかった。

「ごめんなさい……!!」

 限りの無いその慈愛に殉情に、気づくのがこんなにも遅くなって。




 メイテツとキューコは顔を見合わせた。戸惑いと躊躇いが動作を制限していて、二匹はしばらく脳内に思い描いた通りに、体を動かせずにいた。
 二匹のぐずついた様子にシュヒは一瞬だけ表情を曇らせたが、直後何か思いついたように顔を上げて、胸に抱いていたメラルバを地面に下ろした。そうしてから緩やかに両腕を開き――微笑んだ。

「……!!」

 途端に二匹の表情が明るみ、彼らは金縛りから解放された。迷わず、少年の元へと駆け出した。
 満面の笑顔でシュヒは二匹を抱き止める。どうして今まで出来なかったんだろうと不思議なほど容易く。二匹の、傷だらけだけれど強い強い命の温もりが、とてつもなく愛おしくて、全身が温かくなった。

「メイテツ、キューコ、おれを守ってくれて、ありがとう……」
「めえん!」
「ルグー!」

 いいんだよ。気にしないでいいんだよ。

 シュヒにはにこにこと笑う二匹が、そう言ってくれている気がした。言葉は解らないけれど、彼らの気持ちが自然と、触れ合った体を通じて伝わって来る気がした。
 二匹にも、自分の気持ちは伝わっているだろうか。いや、きっと伝わるはずだ。だって自分たちは同じ場所で育った、家族なのだから。

「おれを……愛して、くれて……」

 兄と姉として、弟のように。時に父と母として、息子のように。
 居なくなった父と母の代わりに、愛してくれて。




「…………う」

 微かな声と、ぽつりと額を打った水滴に促され、メイテツとキューコは少年の顔を仰いだ。微笑を浮かべていた表情が歪められ、閉じかけた双眸から落ちる涙が数を増す。

「う……う、うっ……うぅっ。父、さん……っ。母さ、ん……!」

 少年の口からぽろ、と紡がれた言葉に、二匹の面差しもにわかに歪んだ。

「うあぁ、うわあああん! おとおさあああん、おかあさああああん!!」

 拭っても拭っても拭え切れない悲しみと寂しさが、滂沱の涙となって決河する。二匹はシュヒの体を強く強く抱き締めて、声も無く悲泣した。

「うわああああん……!! うわあああああぁぁぁ……」

 涙塞き敢えず吼え続けるシュヒに共鳴し、二匹も悲哀を苦痛を流し続けた。どんなに苦しくても、あの日以来ずっと流すことの出来なかった涙が、二匹の前で止め処無く流れ出て行った。






「シュヒくーん! メラルバちゃーん!」

 町中に大声を響かせながら、ナズナは走っていた。
 自分が目を離した数分の間に、少年と幼虫の姿がどこにも見えなくなっていたのだ。まるで六年前の日が再現されたようで、ナズナの心は大きく震えた。また自分は同じ失敗を犯したのか。自責の念に囚われながら、ドレディアと手分けして必死に奔走していた。

 しばらくして交差点で相棒と鉢合わせ、互いがまだ探していない北の郊外へ共立って向かう。少年たちの名を呼びながら黄金の田畑の間を進む内、微かに泣き声が聞こえてきた。彼の声に違い無い。足取りを早めた。
 前方にゆっくりと薄紅の畑が覗き出す。少年の涙混じりの叫びは、そこから聞こえていた。近づくと花畑の真ん中に彼の姿を見つけられた。幼虫も傍らにいる。

「シュヒく……」
「うわああん……うあああぁ……」

 呼びかけかけて、ナズナは思わず足を止めた。言葉を失い、目の前の光景に見入った。
 秋桜畑の中で。メラルバが見つめる先で、少年はずっと避けていた二匹のポケモンを抱き締めて、泣き崩れていた。




 ――ナズナさん。

 ――恐らくシュヒくんを本当の意味で救うことが出来るのは、彼らだけだよ。どんなに時が経とうと、いつになろうと、彼を救えるのはシュヒくんを家族のように愛している、あの二匹だけ。


 別れの前夜、翁が最後に残した言葉が、ナズナの耳許に鮮やかに甦った。


 ――同じ者を愛し、同じ場所で同じ時間を過ごし、同じ思い出を持った、家族だけなんだ。彼らと同じ悲しみを分かち合えた、その時。

 ――初めて、彼は救われるんだよ。






 カナワの町並みの中を、楽器の音色が瀏亮と風に乗って滑って行く。それは徐々に空気に溶けて薄れながらも、少年たちの元へと流れて行く。
 駅舎と町とを繋ぐ陸橋の中心で、若葉色のワンピースの少女がフルートを奏でている。

 深い深い愛情に満ちた、優しく、温かな子守歌を。








《おしまい》


――――――――――――――――――――――――――――――――

・秋桜は美味しくないと思います(開口一番)。
・やっとこさ完結したよ(感涙)。秋桜畑は当然絶え果てているよ(号泣)。それどころか巷は絶賛クリスマス&正月ムードだよ(慟哭)。ええい六つ子めコノッコノッ(責任転嫁)! ……年賀状描かなきゃ……
・始めはただ単にポケモン嫌いな少年のちょっと胸糞悪い話にしようとしていたんですが、よくある路線変更。自分自身がブラックな反動なのか、ピュアでイノセントなキャラクターと話しか書けません(人´∀`*)単に現実逃避しているだけとも言う。
・ポケモンが苦手なのにポケモンに好かれる人…ってどこかにいたなと思ったら、バトナージのリトルパパでした。多分ミルクの匂いがするからだとオレは睨んでる(by.ダズル)。
・気づけば虫だらけ。イッシュは虫の一大生息地ですか。ところで虫タイプ使いの女性ジムリーダーか四天王はまだですか(BW2とXYにいたらすみません)。
・アデクについては、こんなじーちゃんだったら素敵だ!と思いながら書きました。燃え自己供給。どなたか私にアデクの話を下さい。あわよくばゲーチスも。←
・(九)と(終)は繋がった状態で書くつもりでしたが、途中で出来てる所まで先に投稿した方がいいかと思い立って切り離しました。一気に書くにはやはり長かった。
・もっとさくさく進めたいのに何回も見直してねちねちいじってしまう癖も、数をこなせば改善出来るでしょうか。ゼクロム教信者(理想高過ぎの意)脱したい。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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【きみをすくうもの】

(一)〜(四)
 2011.4.29完成
 2015.4.15修正
(五)
 2015.4.15完成
(六)
 2015.10.5完成
 絵/2011.10.30完成
 ポケモンと手を繋ぐ子供は可愛いと思いませんか?
(七)
 2015.10.13完成
(八)
 2015.11.15完成
(九)
 2015.12.1完成
(終)
 2015.12.14完成
 絵/完成日失念
 十歳前後を描くと実際より幼くなったり老けたり、ブレてしまう確率が他の年代より高い。難しい。
(+α)
 2015.12.14完成
 絵/2011.4.29完成
 バッフロンが小さ過ぎることには目を瞑って頂きたい(泣笑)

・2015.12.1 題名を変更(君→きみ)
・2015.12.14 全編を微修正

きみを救うもの(終) (画像サイズ: 435×470 83kB)


  [No.1458] きみを救うもの(+α) 投稿者:   投稿日:2015/12/14(Mon) 22:11:26   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 春の足音がもうすぐ近くにまで聞こえて来た、晩冬の空の下。
 庭に広がる木の実畑を眺め歩いていたナズナとドレディアの方へ、砂埃を立て突っ走って来る影が三つあった。

「ナズナさんっっ!!」

 背中にメラルバをくっつけ、モンメンとズルッグを引き連れて突然木々の影から勢い込んで飛び出して来た馴染みの少年の、切羽詰まった顔と声にナズナは大いに動揺した。彼女の隣のドレディアも大層驚き、持っていた摘花を落としてしまう。

「なに?! どうしたのシュヒくん?!」

 すわ非常事態かと慌てて問いかけた少女へ、シュヒは必死の形相を顔面に貼り付けて、

「アデクじーちゃんって! ポケモンリーグのチャンピオンなんだって!!!」

 そう、返した。

「……………………」

 ナズナはしばし、少年の発言を読み解くため黙考し――理解するや、きょとんとさせていた面差しを一気に弛緩させ、破顔した。

「うふふふふ! シュヒくんやっと解ったんだ〜!!」

 今度はシュヒがぽかん、とした顔つきになる番だ。

「えっ? ナズナさん知ってたの?」
「実は会った時からね。キミズさんに話を聞いた時は私も、まさかー!? って思ったよ」
「そんな前から知ってたの……!」

 彼女の返答に、少年は少々たじろいだ。






 事実が発覚したのはつい先刻。散歩中に通りかかった交番の前で、キミズ巡査と、町長でありナズナの父親であるコウジの会話を、なんとなく聞き流していた折りであった。

「まさかチャンピオンが、こんなちっちゃな町に来てくれたとはな〜」
「すまんね。会わせることが出来なくて」
「いやぁまあ、僕口軽いですからねぇ、仕方無いですよ。ああいう事情があったんじゃ余計にね。でも一目でいいから見てみたかったよなあ」

 二人は昨秋カナワを訪れていたというチャンピオンの話に夢中になっており、シュヒたちには気づくのきの字も無かった。町長の言い方を聞く限り、チャンピオンと直接話したのは巡査他若干名であるらしい。シュヒは、町長の口から漏れて町中の噂にならなかったのはナズナが厳しく注意したからなのかな、と考え、どんな事情があったら噂になっちゃ駄目なんだろう、と疑問に思った。みんなに騒がれずにのんびりしたかったのかな、と適当に自分の中で結論づけ、それ以上は深く考えなかったが。

「トレーナーカードならデータを残してあるけど、見るかい?」
「さすがキミズさん、抜け目が無い。見ます見ます!」

 屋内へ入り、ノートパソコンの画面を覗き込む二人。キミズはチャンピオンが提示したトレーナーカードを念のためスキャンし、保管していたようだ。これを使ってリーグ本部に、彼が本人であるかを確認したのだと説明していた。

「ほおっ、なかなかお歳を召してらっしゃるんですね」

 証明写真でもあるのだろう。コウジがふむふむ頷きなから、そう述べた。
 シュヒは周囲の者ほどチャンピオンに興味は無い。長い間ポケモンに関する事柄と無縁であったから、チャンピオンという名の持つ魅力が、彼にはピンと来ていなかった。とりあえずチャンピオンが凄いのは解るが、どれほど凄いかは正直よく判らない。だからシュヒは二人に話しかけも、覗き見もしなかった。

 交番前の生け垣に腰を下ろし、彼らの話をバックミュージックにして少年たちは休憩する。ナズナがクラブで作ったと言って譲ってくれた三色のポフィンを提げていた袋から取り出して、緑色の物をメイテツに、黄色い物をキューコに渡す。そうして残った赤い物を半分に千切って幼虫に食べさせていた時、決定的な言葉が耳に飛び込んで来たのだった。

「イッシュ地方ポケモンリーグチャンピオン、アデク、か〜! また来てくれると嬉しいんだがなあ」

 その刹那の少年の驚きたるや、一体全体、いかほどの物であったか……。






「アデクじーちゃんがチャンピオンなんて……おれ全然知らなくって……」

 知っていたらそれらしくしたのに。少年は眉根を寄せて俯いた。
 怒らせてしまったり、悲しませてしまったり、それに食事まで作ってもらったり、謝りたいことばかりしてしまった。今更悔いてもしょうがないのだけれど、シュヒは自分の仕出かしてきた所業を思うと、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方が無かった。

 あの老翁の纏う雰囲気が他の人間と違っていたことは、少年もなんとなく感じていた。それが王者故のオーラだったのかまでは不明だが、そもそもそれ相応の力を持っていなければ、自分の家に泊めるなど巡査が承諾するはずが無かっただろう。

「じーちゃんがイッシュで一番強いポケモントレーナー、なのかぁ……」

 チャンピオンという漠然とした言葉が、アデクという確然とした形を持ったことで、ようやくシュヒもチャンピオンに興味が湧いてきた。あの人が頂点に立っていて、みんながあの人に憧れているなら、イッシュのポケモントレーナーは好い人ばかりかも知れないと、そう思った。

「キミズさんの他には、私たちがアデクさんと沢山お話をしたってこと、出来る限り内緒にしておこうね? なんだか大変なことになっちゃいそうだもの」

 レーちゃんのこともね。ナズナはメラルバの頭を撫でながら、そう言い足す。

「うん。内緒だね」
「めぇん!」
「ルッグ!」

 少女に頷いて見せ、シュヒは両隣のメイテツとキューコを見やった。少年と視線を交わした二匹が、にっこり頬笑む。

「ラル〜!」

 それから少し遅れてレール――シュヒが付けたメラルバの名前だ――がご機嫌な声を上げて、二人と二匹は高らかに、和やかに笑い合った。

きみを救うもの(+α) (画像サイズ: 678×482 121kB)


  [No.1459] 早鐘(一) 投稿者:   投稿日:2015/12/14(Mon) 22:14:24   49clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:タワーオブヘブン】 【ベル



 進路を阻むようにぼうぼうと、胸の辺りにまで伸びた草藪。
 しばしばそこから飛び出して来る、野生ポケモンとの戦闘。
 それらをどうにかこうにかいなしながら、ベルとジャノビーは爪先上がりが続く七番道路を歩いていた。

「ジャビー!」
「……」

 トレーナーである自分を差し置いて、叢(くさむら)の中をさっさと進んで行く草蛇の呼び声を、ベルは敢えて無視した。どうせ咎めたところで彼は待ってなどくれない。これまでの経験で、彼女はそのことをよく知っていた。

 季節は秋も終盤。時折落ち葉を巻き込んで吹く風が、外気に晒されている顔や指先を打ち、身が縮こまった。

 草に足を取られぬようにと下にばかり向けていた視線を、おもむろに持ち上げる。するとベルの緑色の双眼は、広葉樹の紅葉と針葉樹の常緑、そして快晴の蒼穹を貫く人工的な白を捉えた。

「あっ! あれがタワーオブヘブンね!」

 瞬間、限良く途切れた藪から抜け出て、前方を行く相棒を追撃する勢いで駆け出す。綽々と歩いていたジャノビーは土を蹴る音に主人の到来を察し、弾かれたように走り出した。


 タワーオブヘブン。正しき魂、ここに眠る。


 気魂浄化の白亜の塔は神々しい佇まいで、たもとに辿り着いた少女とポケモンとを出迎えた。

「真っ白で綺麗な塔だね……」
「ジャビィ」

 高楼に満ちる柔らかな気配にベルはほうと溜息しながら、ジャノビーはゆるゆると伸びをしながら見上げ、開け放たれたその扉をくぐった。






 薄暗がりの中、蝋燭に灯る炎がひらひらと揺らめく。
 明かり取りから注ぐ光の束が、整然と並ぶゼニスブルーの墓標を照らし出す。
 そんな、慎ましい美しさに陶然とするベルを後目に、出入口の傍に螺旋階段を見つけたジャノビーは素早く欄に飛び乗り、するすると上り始めた。

「ちょっとジャノビー」
「ジャビビビー!」

 気づいたベルがすかさず声をかけるが、止まるはずもない。それどころか彼は「捕まえられるものなら捕まえてみせろ」とでも言いたげに蔦葉の尾を振り振り、速度を上げる始末だ。

「もおお……」

 生意気で高飛車な相棒。勝負以外の場面ではとことん言うことを聞いてくれない相棒。
 今に始まったことではないので早々に諦めるとして、ベルは自身も階段を上ることにした。




 そもそもこの塔に立ち寄ろうと思ったのは数日前、電気石の洞穴でのアララギの護衛を終えた際に、彼女から聞いた話が切っ掛けだった。
 先行く幼馴染みたちと合流したいと伝えたベルに、アララギは旅の参考までにと、洞穴とフキヨセシティを越えた先に聳えるタワーオブヘブンの存在、更にその塔にまつわる昔話を聞かせてくれた。


 伝承とするには新し過ぎる、今からざっと五十年前の話だ。


 当時イッシュにはトルネロスとボルトロスと言う、姿のよく似た二匹のポケモンがいた。彼らは相当な乱暴者で、旋風と雷撃で民家や田畑を荒らしながら、昼夜イッシュ中を飛び回っていたそうだ。
 そんな二匹の横行を見兼ねた“陽魔使い(ようまつかい)”と呼ばれる人々がある時、大地の力を操るポケモン・ランドロスの協力を得て二匹を退治し、タワーオブヘブンへと封じ込める。封印はその時代、塔を守護していた祈祷師が手懸けた特別なモンスターボールに因るもので、効果は短くとも半世紀は持続するとされた。
 封印のモンスターボールは現在もタワーオブヘブンにて厳重に、そして密やかに安置されていると言う。

 二匹が封じられてから五十年の月日が経った今。不謹慎かも知れないし、少し怖い気もするけれど、彼らと出会えることを楽しみにしているのだと、アララギは語ったのだった。




 階段を上る途中、ベルは眼下にある空間の突き当たりに小さな祠が祀られているのを見つけ、足を止めた。
 そこに封印のモンスターボールがある。二匹が封じられている。そう直感し、確信した。
 アララギと同じくベルも、封印されたポケモンたちを見てみたい、彼らに会ってみたいと思い、ここへ来た。しかしこうして現場に来てみれば、今この瞬間にも二匹が永き眠りから目を醒まし、襲い掛かって来るのではないかと、想像せずにはいられない。

(あたしがここにいる間に封印が解けませんように……)

 そう切に願いつつ、ベルは足取りを早め階上へ急いだ。






 二階に着くとジャノビーが床に転がっていた。
主人が来たことを知ると、いかにも退屈だったと言う視線を、そちらへ向ける。

「ごめんごめん……って言うか、あたしを置いて勝手に登ってっちゃうジャノビーがいけないんでしょ!」
「ジャビ?」

 のろいお前が悪いんだろ、と、草蛇は目つきに意見を込めて応じた。




 緻密に整列していた一階とは違い、所々に密集していたり疎らになっていたりと乱立する墓標の合間を、縫うようにしてふたりは進み行く。
 前の階と異なるのは墓石の配置だけに留まらなかった。一階の気配はそれこそ、魂の清められた落ち着いたものだったのに対し、ここには未だ無数の魂が辺りを遊び回っているような、強い生命力を感じるのである。
 次第に自分を取り囲む空気が不気味なものに思えてきて、ベルは温度とは関わらない寒さに、たびたび体を震わせた。

 墓参(ぼさん)に訪れていた何人かのトレーナーと親睦の勝負を交えたり、初見の野生ポケモンを捕獲したりしながら、少女と草蛇は足早に上方を目指す。そうして塔を上り進める内に、ベルはある物音に気づいて耳を澄ませた。

「……何か音が聞こえるよね?」

 微弱にだが、間を置いてゴーン、ゴーンという音が塔の中を反響していた。訊ねられたジャノビーが上を示し、主人は頭上を仰ぐ。

「上? ……あ! そう言えば頂上に鐘があるんだったね!」

 アララギとの会話では、封印されたポケモンの話が前面に出されたため失念していたが、もともとこの塔は頂きの鐘によって名が知られているらしい。

「ジャビィ〜……」

 納得したトレーナーにジャノビーが半眼を寄越す。のんきな奴め、とでも言いたげだ。
 そんな顔つきをした相棒を見てベルは、これほどまでに何を言いたいのかが手に取るように解るポケモンはいないだろうな、と考え、がっくりと肩を落とした。意思の疎通が出来ているのだとしても、とても喜べない。

(まあ、それは置いといて……)

 気を取り直し、最上階に向けて歩行を再開する。
 絶え間なく響く壮麗な鐘声に、一歩ずつ一歩ずつ、近づいて行く。








「わぁ……いい景色〜」

 最後の段を上り終えたふたりは露天へと躍り出るやいなや、視界に広がった風景に顔を綻ばせた。
 今いる高殿以外に近くに建造物は無く、燃える彩りの森林やフキヨセの街並み、のちのち越えることになる鉱山などがすっかり一望出来る。
 胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだジャノビーが嬉しそうに笑う。ベルもそれに倣って、両腕を振り上げ大きく深呼吸をした。

 その時、残響として聞こえていた鐘の音が再び音量を強めた。振り返って見れば、成人と変わらぬ背丈を持った黄金の梵鐘が、高台に据え置かれているのが目に入った。
 屋上の中心へと向かう。歩数を重ねて行くと、ベルは鐘の傍らに人影があるのを見て取った。

「ジャビィ」
「!」

 ジャノビーの声に反応し、鐘を鳴らしていた人物がふたりの方を振り向いた。黒い鍔のキャップを被った優しげな、セピアの瞳の、ベルと同年代の少年だ。

「あ……こんにちわあ!」

 少年の人の好さそうな雰囲気に胸を安らげ、ベルの方から、歩み寄りつつ声をかける。

「やあ、こんにちは! きみもお墓参り?」

 対する少年もにこりと頬笑んで、自身へと近づいて来る少女に答えた。

「うん! ……あ、違うかな? えっと、ここにいるポケモンはどんなのかなーって見に来たって言うかあ……」
「そっか、仲間を探しに来たんだ? ヒトモシもリグレーも可愛いよね」

 自分が示唆したもの――封印された二匹のポケモン――とは違う名を出されたが、そのように返して来た少年に、ベルの表情は花が開いたように明るむ。

「そうなの! お墓が沢山あるからちょっと怖かったんだけど、可愛いポケモンがいてときめいちゃったんだあ」
「うんうん。初めて見るポケモンと会えるとドキドキするよね。俺、毎日ドキドキしっぱなしなんだ!」
「そうそうっ、ときめきでドキドキだよねえー!」

 たった数十秒の対話で、ベルと少年は意気投合したようだ。初対面とは思えぬ打ち解けっぷりである。

「えへへへー」
「あはははは」

 花が舞っていそうな和やかな空気を醸し出す二人を、ジャノビーが不思議そうな顔をして見やった。

「あ、俺カナワタウンから来たんだ。名前はシュヒ。よろしくな!」

 そう言って少年、シュヒが、右手を差し出した。

「あたしはベル。カノコタウンから来たの。よろしくねぇ、シュヒくん!」

 彼の意図を覚り、ベルも右手を差し出す。

「シュヒでいいよ。俺もベルって呼ぶから」
「じゃあシュヒ、ね」

 互いに伸べた手を結び、軽く二三度振ってから、どちらからともなくほどいた。
 直後、少年が何事か思い当たった様子で口を開く。

「ん? カノコタウンって……リヨンとチェレンと同じ?」
「え、二人を知ってるの?」

 思い掛けない名前を出されベルは目を丸くするが、すぐに立ち直り答えた。

「リヨンとチェレンとあたしは幼馴染みでね。三人で一緒に旅に出たの!」
「へえ!」

 得心したシュヒが更に続ける。

「二人とはライモンシティの辺りで会ってさ。色々お世話になったんだ」

 そう言う、少年の台詞を受けた瞬間。先程までの笑顔と打って変わって、ベルの面差しににわかに陰りが出来た。

「……そうなんだ。全然知らなかったなぁ……」




 ライモンシティ。様々な娯楽施設が建ち並ぶ、華やかな一大レジャー都市。
 だがベルにとっては父親との確執、カミツレとの出会いと助言、幼馴染みたちとの縮まらぬ差異、そして何より自分の生き方――改めて自分という存在に対して、様々な考えや想いを交錯させた場所だった。
 ホドモエシティを発とうとしていたリヨンに再会するまで、ベルは自らに問うために幼馴染みたちから距離を置いていた。その間に彼女たちはこの少年と出会い、言葉を交わしたと言う。

 そういった何でもないような事柄でも、自分はあの二人に追いつくことは出来ない……。ベルは己が少しばかり落胆するのを感じた。




「リヨンもチェレンも、ポケモンと一緒にどんどん強くなってくの。あたしは……二人に置いて行かれちゃってるみたいで……ちょっとつらい、かなあ」

 知らず知らずの内に落ちていた視線。それを上げると、きょとんとした表情で自分を見据えるシュヒと目が合った。瞬間、胸に秘めていた苦悩を今し方、吐露してしまったことに思い至る。

「あっ、なんでもない。独り言だよ!」

 ベルは慌ててかぶりを振った。己の不注意とは言え、出来れば隠しておきたかった心情を聞かれてしまったことに気恥ずかしさを覚えて、シュヒから目を逸らす。

「ジャビビィ〜」

 結果、小馬鹿にしくさった笑みを浮かべる相棒を見る羽目になった。


「……もう、ジャノビー! そういう顔するのやめてってばあ!」

 彼の生意気な表情に、一度沈んだ心が元気づけられたような気がした。あまり好ましくない方法ではあったが。

「ベルのジャノビーっていい顔するね。人間みたいだ」
「そうかなあ……」

 草蛇を覗き込んだシュヒがそんなことを口走り、ベルは心底困った顔になった。当のジャノビーは何故だか満足気に笑っている。

「勿論ベルもさ。ポケモンといるのがとっても楽しい! って、そういう顔。すごく可愛いよ」

 彼があまりにもさらりと言い退けたものだから、少女もつられて、さらりと聞き流しかけた。

「かっ、かわッ?!」

 言われた言葉の意味を理解した瞬間、ベルの顔は真っ赤に染まった。クリムガンみたいな顔色だなぁ、と少年は密かに思う。

「な、何、それ。シュヒって、そういう人なの……?」

 冗談でなく湯気が出ていそうな頬に手を添えて、計らずも上目遣いで訊ねる。

「ん? そういう人って、どういう人?」

 しかし少年は事も無げにけろりとした表情で、ベルの問いに問いで返した。
 本当に解っていないのか、演技なのか。判断が難しい。

 ベルは幼い頃、リヨンに真っ向から「可愛い」と言われて顔を真っ赤にさせていたチェレンのことを思い起こした。あの頃の彼の気持ちが、今は解る気がする。
 もっとも女子に可愛いと言われてしまっていたチェレンと、男子に可愛いと言われた自分とでは、同じ恥ずかしさでも若干の違いが生じるであろうが。

 そこまで考えて、ベルははたと気がついた。
シュヒの率直な物言いや、羞恥を微塵にすらも感じていないような大胆な素振り。それがとても、リヨンに似ていることに。


「ジャビビビィ〜」

顔に集まった熱がなかなか冷めず、どうしようかと迷いあぐねる主人を、草蛇は嘲笑いつつ見上げていた。