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  [No.1293] ポケットとビスケット 投稿者:   《URL》   投稿日:2015/05/17(Sun) 21:01:21   32clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

ポケットをたたくと、ビスケットはどうなる?


  [No.1294] #01 ポケットな日常 投稿者:   《URL》   投稿日:2015/05/17(Sun) 21:07:33   40clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

窓の外の風景は、今日も今日とて変わることなく。

 「……ふう」

天気は曖昧、晴れのちくもり。あたしの気持ちも、たぶん曖昧。

窓際の席からぼーっと外を見つめていると、時間がいくらでもあるような気がしてくる。ホントはあと五分くらいで次の時間のチャイムが鳴って、数学の授業が始まることは分かってる。分かってても、ついついぼんやりしてしまうのだ。

それはたぶん、あたしがぼんやりすることに慣れているから。

 「あとは、数学と英語だったっけ」

お昼休みのあとの授業は、いつも眠気とのバトルになる。と言っても、本気で戦う気はあんまり無い。とりあえずは、テストの直前だけ起きてれば、あとはまあ、大体なんとかなる。大体なんとかなれば、それで大丈夫だ。あたしみたいなのは、それくらいでちょうどいい。

平坦で何もない、お決まりの世界で過ごす日々。大きな事件なんて起きなくて、いまいち代わり映えのしない毎日が、淡々淡々とテンポよく流れていく。

なんというか、ポケットの中にいるみたいだ。

小さなスペースという意味でも、広がりのなさという意味でも、本当にポケットみたいだ。

 「あ」

ほう、とため息を付いた直後だった。廊下を上靴で叩く音、誰かがパタパタ走ってくる音。こっちへ近付いてくる。

あれはきっと、あいつがやってきている。間違いなく、あいつしかいない。

 「おーい、サチコー」
 「いよっすネネ」

あいつとは、そう。ネネのことだ。

あたしの席の近くまでパタパタ音を立てながら掛けてきて、少し前でピタッと止まった。

 「ネネったら、相変わらず髪ボサボサだな」
 「だって、髪とかすのめんどくさいし。どうせぼさぼさになっちゃうし」

髪をばたばた振りながら、ネネはいつも通りの回答をするばかりなのだった。

ネネらしいと言えば、ネネらしい。

 



 

そう言えば、ネネのことをまだ話してなかった。だからちょっと話しておこうと思う。

ネネ。本名を「仲村渠寧々(なかんだかり・ねね)」と言う。正直に言って滅多に見ない名字で、他の子からはしょっちゅう「仲村さん」と間違って呼ばれている。ぶきっちょな性格だから、「仲村さん」と呼ばれても絶対に応えない。ちゃんとした名字で呼んでもらえないのが不満とかそういうんじゃなくて、単純に自分が呼ばれたと思ってないのだ。何回間違えられても同じなので、たぶん根っからなのだろう。

というわけで、名字よりはわかりやすいと思う「ネネ」と呼ばれることが多い。あたしも含めて大体の子が、ネネを「ネネ」と呼んでいる。

ネネは学校のすぐ近くにある、川沿いの古い団地で暮らしている。確か「リバーサイドなんちゃら」とかいう名前が付いていたはずだった。ずっと前、まだお母さんがいた頃ぐらいに家へ遊びに行ったことがあるけど、エレベータが全部の階に止まらないのだ。止まるのは1階・4階・7階・10階とか飛び石で、途中までエレベーターで行って後は階段を使う。ネネは5階に住んでたから、4階まで行って階段を一つ登らなきゃいけなかった。

 「ネネったら、服に葉っぱ付いてるじゃん」
 「えっえっ、どこどこー?」
 「取ったげるよ。ほら、これ」

制服に葉っぱがくっついてたら分かりそうなもんだけど、ネネはこういうところがニブい。いや、こういうところだけじゃなくて、こう、全体的にニブい。よく言えばおっとりしているのかも知れない。

悪く言うなら、ちょっと足りない。

 「サチコ、なんか元気が無い」
 「なんでもないって。あたしいっつもこんな感じだから」
 「ふぅーん」

ネネの言葉を右から左へ受け流しながら、ふと隣の席へ視線をチラリ。

目にしたのは、ニャスパーを抱いた同級生の姿。

 「いいなあ、城ヶ崎さん。ニャスパー抱っこしてる。かわいい」

城ヶ崎さん。本名は……確か、城ヶ崎絵梨香(じょうがさき・えりか)。同じクラスの知り合いだ。みんなからは、大体「城ヶ崎さん」か「絵梨香ちゃん」って呼ばれている。ちなみにあたしは「城ヶ崎さん」だ。特に何かこだわりがあるとかじゃなくて、「城ヶ崎さん」って呼ぶ人が多いからそうしてるだけだけど。

そんな城ヶ崎さんが住んでるのは、大通りから離れて坂道を登った先にある「ゆかり台」っていう台地の上だ。そこにある一軒家で暮らしてるらしい。あたしはちょっと前あの辺を散歩してるときに、あ、ここが城ヶ崎さんの家か、いいなあ、庭付き一戸建てだ、なんて思いながら前を通りがかっただけだから、中に入ったことはない。まあでも多分、城ヶ崎さんの様子を見てると、きっと中も片付いてそうだと思う。

 「いいなー城ヶ崎さん。ニャスパーすごい可愛いし」
 「ありがとう。お父さんがプレゼントにって渡してくれて、いつも側にいてくれてるんだ」
 「ふさふさしてるー。毛並みいいね」
 「毎日たくさん毛が抜けちゃうから、ブラッシングしてあげてるの」

こういうのを、きっと「育ちがいい」って言うんだろうな。頬杖を付いて城ヶ崎さんをぼけーっと眺めながら、あたしはそんなことを考える。

城ヶ崎さんのニャスパーはおとなしくてかわいい。つぶらな瞳がすごくかわいい。あたしもあんなポケモン――というか、ニャスパーそのものが欲しくてしょうがない。あんな風に抱っこして、みんなに見せたりしてみたい。

けど、それはやっぱり、願望に過ぎないわけで。

 「ねえ、サチコ。サチコー」
 「んー……聞いてるよ、ネネ。どうしたの?」
 「今日も付き合ってほしい。見ててもらいたい」
 「いいよ、いつものっしょ」

願望と現実とで折り合いをつけるときは、いつもいつでも、願望が折れるものだと思う。ま、世の中そんなもんだ。深刻に考えるようなことじゃない。

今日もまた、ポケットの中の日常が流れてく。

 



 

学校の裏にある山。舗装されてない道を登ると、少しだけ開けた場所がある。あたしとネネは時々ここへやってきて、あたしたちだけにしか分からないあることをしている。

 「サチコ、ちゃんと見ててね」
 「ういうい。ちゃーんと見てますって」

ネネが茂みへ入って少しガサガサやると、煤けた布に包まれた何かを持ってきた。ちょうどネネが抱えられるくらいの大きさで、布にくるまれてるようなモノって言ったら、まあ大方想像はつくと思う。セットで小型のシャベルも持ってるのを見れば、ほとんどの人がピーンと来るだろう。

布を開いたネネがあたしに見せたのは、小さなジグザグマの死骸だった。まだ子供だったみたいだ。

 「これ、いつ見つけたの?」
 「きのう。バイクにはねられて、道端で転がってたの。だからひろってきた」
 「いつも思うけど、ホントよくやるよ。ネネは」

ネネは平然としてるけど、あたしは何回見ても慣れない。もう50回か60回くらいはこうやってネネからポケモンの死骸を見せられてるけど、全然慣れる気がしない。ましてやネネみたいに持ったり触ったりなんて、正直言ってとてもじゃないけどできる気がしない。

少ししてからネネがジグザグマの死骸を地べたに置いて、足を折って屈み込むと、サビだらけのシャベルでざくざくと地面を掘り始めた。もちろんお墓を作るためだ。ちゃんとそれっぽい大きな石も用意してある。ジグザグマを埋めた後に上から置いて、ここにジグザグマが埋まってるってことが分かるようにするためだ。

 「サチコー、今度算数おしえて」
 「数学だって。そりゃ別にいいけどさ、あたしより凛さんの方が得意じゃないの? そういうの」
 「うーん。凛さんいそがしいし、よくおでかけしてるし、ネネ、サチコがいい」
 「あたしもそんな得意じゃないけど、ネネに教えるくらいならなんとかなるかな」

ネネはポケモンの死骸を埋めるための穴を掘ってる間、必ずこうやってあたしとしょうもない話をする。この間先生に叱られたとか、外で遊んでる子供を見たとか、ポケモントレーナーに会ったとか、そういう本当にしょうもない話だ。世間的に言うなら世間話ってやつなのかも知れない。ネネがお墓を作るときはこうやって世間話がセットでくっついてくる。

なんでお墓作ってる最中に世間話をするのかは、あたしにはちょっと分からないし、たぶん知らなくてもいいことだと思う。

 「こないだねー、凛さんけんけん汁作ってくれたの。おいしかった」
 「けんけん汁って何それ。そんなの聞いたことない」
 「うーん。なんか、お味噌汁にいっぱい具がはいったみたいのだった。けんけん汁」

さっきまで勉強の話をしていたと思ったら、今はもう全然違う話になってて、ちょっと前に食べたものについてしゃべってる。ネネの会話はだいたいこんな具合で、つながりが乏しい。こういうのを、散漫って言い方をするらしい。

 「ネネさ、まあちゃんとスパッツ履いてるからいいけどさ、スカート全開で中丸見えなんだけど」
 「なんかヘン?」
 「フツーは見えないように隠すと思う。常識的に考えてってやつで」
 「凛さんからもおんなじこと言われた」
 「でしょ?」
 「でも、ここにいるの、サチコとネネだけだよ。サチコとネネだけ」
 「んー、あんまりそーいう問題でもないんだけどなあ。まいっか」

ネネがこうやってポケモンのお墓を作り始めたのはいつか。正直細かいところは覚えて無いけど、とりあえず少なくとも小三の時くらいからこうやってるのは知ってる。たぶん、もっと前からやってるはずだ。

きっかけはだいたいこんな感じだ。あたしが墓掘り中のネネに話しかけて「何してんの?」って聞いたら「お墓作ってる」って返されて、それで、なんでそんなことしてんだろって思って観察して、そうしたらいつの間にかネネの方から「お墓作るから見てて」って言われるようになって、今もそれに付き合ってる。あたしが側にいるのは、実は深い理由なんてなくて、ネネに頼まれたからってのが大きい。

今までのペースだと一ヶ月に一回か二回、たまに三回くらいネネの立会人をして、ポケモンの死骸が土の中に埋められるのを見ている。言い方を変えれば、それだけたくさんポケモンが辺りで死んでるってことでもある。しょうがない。あいつらどこにでもいるし、見かけない日なんてないし、事故だってあっちこっちで起きてる。だから、しょうがない。そんなものなんだ、そんなもの。

 「できた」
 「おー、できたできた」
 「サチコー、この子埋めるよー」
 「ほーい」

ネネが額に浮かんだ汗をブラウスの袖でぐじぐじ拭うと、布の上に寝かされていたジグザグマの死骸を穴の中へ入れてから、側に置いてあったモモンの実を隣に置く。

モモンの実を一緒に埋めるのが、ネネのお墓作りの特徴だった。なんか意味あるのそれって聞いたら、ネネ曰く「お腹がすいたら食べられるようにしとく」らしい。モモンの実はそこら中に生ってて、あたしは食べないけど他の子は勝手にもいで食べてるのをちょくちょく見かける。それでも減らないから、こうやって一緒に埋めても問題ないわけだ。まあ、ネネがやりたいんだからやらせておけばいいって思う。

掘り返した土を死骸の上からどさどさ被せて、シャベルでぺたぺた地ならししてから、用意しておいた墓石っぽいものを上からぐいぐい押さえつけて、晴れてお墓の完成だ。ネネは「おわった」とつぶやく、というよりももうちょいハッキリ宣言して、屈んだまま両手を合わせて拝み始めた。ネネの手は泥まみれで、ブラウスにも土が飛んでいる。ついでに、スカートにも。

ネネは背が低くて体も小柄だから、しょっちゅう小学生に間違えられる。あたしと並んでたら、結構な割合で上級生と下級生だと思われてしまう。もちろん、あたしが上級生でネネが下級生だ。

 「サチコ、かえろう」
 「うし、帰るか」

ついでに口調も幼いというか、そもそも舌っ足らずだから、なおさらよく間違えられる。ここまでの会話で、ネネがどういう風に話すかっていうのはだいたい分かると思う。

山道を降りて、アスファルトで舗装された道まで戻ってきてからちょっと歩くと、なんてことない小さな公園に差し掛かる。すると、ネネが「あっ」と例によって大きめの声をあげる。

 「サチコ、ちょっと待ってて。おしっこしてくる」
 「ほいほい、いってらいってら。てか外で『おしっこ』言うなって」
 「よくない?」
 「あんまり」

そう言うと、言葉通り公園にあるトイレへ走っていくネネ。パタパタ全力で駆けていく様子が、ますます子供っぽい。

背丈とか体格とか言葉遣いだけじゃなくて、行動や考え方まで全部幼いから、ひょっとするとネネはホントに小学生のままなのかも知れない。小学生のまま、とりあえず制度的に中学へ通う年齢になっちゃった、的な。

 「サチコー」
 「あれ、ずいぶん早いじゃん。もう済ませてきたわけ?」
 「ううん。トイレットペーパー無かった。だからサチコ、ティッシュ貸して」
 「しょうがねーなー」

当のネネ本人は、そういう風に小学生に間違えられたり年下だと思われたりするのを、ちっとも気にしていないようだけど。

 



 

 「ただいまー」

誰もいないと分かっていても、とりあえず帰ってきたら「ただいま」って言う。そういうくせを付けておけば、いざ誰かがいる時に帰ってきても、挨拶もなしに入るんじゃないの、とかそういう系のお小言を言われなくて住む。小さな心掛けの積み重ねが、お小言の回数を減らすのだ。

部屋に入ってスイッチをパチン。微妙な間を置いてから、パッと部屋が明るくなる。カバンを机の上へ置くと、お弁当箱を出して台所まで持ってってから、部屋に戻ってベッドにぐったり。六時間授業のある日は、帰ってくるともう何もしたくなくなる。明日は五時間授業の日だから、ちょっとだけマシだろう。けど、帰ってきてから何もしたくないっていうのは、多分変わらない。

学校から30分くらい歩いたところにある15階建てのマンションの4階。それがあたしの家だ。二つある部屋のうちの一つがあたしの部屋で、もう一つの部屋は、今はほぼ物置と化している。お父さんもお母さんも、今はそんなに必要としていないモノが結構あるのだ。そういうのは目について何となく気になるから、目につかない場所へ置いてしまおう。ということで、向かいの部屋は気がつくとモノが増えている。

 「はー、しんど」

何にもすることがなくて、ついでにやる気も起きなくて、うつ伏せになったまま枕に顔を埋める。枕に巻いたタオルから微妙に汗が乾いたあとの匂いがする。制服から着替える気にもならなくて、とにかく帰ってきた時のカッコのまんま、ただただぐでーっとしている。

 「スマホあったらなあ。あたしも『ポケとる』できるのに」

手持ち無沙汰。思い浮かぶのは、みんなが学校の休み時間にいじくり回しているスマホ。あたしも欲しい欲しいって言ってるけど、サチコにはまだ早い、の一言で却下されてる。みんなはポケモンの絵を使ったパズルのゲームで遊んでて、なんかすごい楽しそうにしてる。あたしも楽しそうにしたい。

とりあえず動かすのにあんまり苦にならない首を動かしてそこら辺を見ると、ややくたびれ気味のピンク色のニンテンドーDSが転がっていた。最後に差してたソフトなんだったっけ、あっ思い出した、トモコレだ。友達に教えてもらってお母さんに買ってもらって、周りの友達とか、その時流行ってた芸能人とか、マンガのキャラとかを適当に登録して、恋人になったり別れたりするのを見てわいわい騒いでた。

最後に電源入れたのいつだっけ。もう一年くらい前のような気がする。あの中の住人は今どんな風になってるだろう。電源を入れるのがちょっと怖い。だから触らないでおきたい。

ぐだってると勝手に時間が過ぎて、気が付いたら7時を回ったくらいになって。

 「ただいまー」
 「あ……おかえりー」

お母さんが仕事から帰ってきた。今日も買い物してきたみたいで、ビニール袋が揺れる音が聞こえる。玄関でお母さんを出迎えると、お母さんからビニール袋を受け取って台所まで持っていく。

 「サッちゃんただいま。ポスト見てきてくれた?」
 「ごめん、忘れてた。ちょっと見てくる」

そうだそうだ、ポスト見てくるの忘れてた。いろんなカードが刺さってるポケットから宅配ロッカーのカードを抜いて、運動靴を半穿きしてエレベーターに向かう。目指すは一階、集合ポストだ。

ぐるぐる回して番号を入れるタイプの鍵をいじって、ポストのフタを開ける。中には封筒が3通と、赤白二色の住宅というか不動産会社のチラシ、それから。

 「あ、マッハピザ」

近くにあるピザ屋さんのチラシが入っていた。クーポン券付き、今なら二枚目半額。六分の一に切って、チーズがのびーって伸びた写真がでかでかと入っている。

おいしそうだ。

 「ピザ食べたいなー、チーズとツナとコーン載ったやつ」

そんなことを呟きながらチラシと封筒を持って帰ると、お母さんがもう晩ごはんの支度を始めていた。

 「ただいまー」
 「おかえり。何か来てたかしら?」
 「封筒が3つ。それからチラシが2枚」
 「ありがとう。テーブルの上に置いといて」

言われたとおりテーブルの上に郵便物を全部置いてから、テーブルの周りをうろうろする。

 「おかーさんおかーさん」
 「どうしたの、サッちゃん」
 「いきなりだけど、ピザ食べたい」
 「ピザ?」

ちらちらと視界に入るマッハピザのチラシが気になって気になって、つい口を付いてこんな言葉が出てきてしまった。

そう、あたしはピザが食べたい。丸くて大きい、チーズとツナとコーンの載ったピザが食べたい。

 「明日の朝ごはん、チーズ載せる?」
 「そういうんじゃなくて、電話で頼むやつ。丸いやつ」
 「マッハピザとかそういうの?」
 「そうそうそれそれ」
 「うーん。また今度にしましょ。サッちゃんの誕生日とか」

今日もまたダメだった。お母さんの必殺技「また今度」で終わってしまった。

お母さんの言う「今度」が来た記憶はほとんどない。あってもせいぜい、カレー食べたいって言ったら次の日にカレーが出てきたぐらいだ。それだって、晩ご飯の献立に詰まったからちょうど良かっただけだったし。

いつもこんな風に、来ることのない「今度」を待つことになる。スマホも、ピザも、他にもたくさん。いつも何かが欲しくって、けれどそれは「今度」という来ることのない未来に予約されてしまう。

台所を見て、並んでいる食べ物をチェックする。キャベツともやしとにんじん、パック詰めの鮭の切り身、それからお麩。たぶん、野菜炒めと鮭を焼いたやつと、それからお味噌汁ってところだろう。別に悪くはないけど、でも、楽しみってわけでもない献立。

 「サッちゃん、お皿並べて」
 「はーい」

お母さんから食器を受け取りながら、あたしはもう一度だけチラシに目を向ける。

 (ピザ、食べたいな)

あたしの気持ちとは裏腹に、お母さんはまな板の上でキャベツをトントンとざく切りにしていたのだった。


  [No.1302] #02 ベッドタウンは今日も曇天 投稿者:   《URL》   投稿日:2015/05/24(Sun) 20:22:11   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

雲の多い空。この季節は、大体こんな天候が続く。たまに晴れたかと思うと、午後になったらどんより曇ってたりする。

でもそうは言っても、雲一つないかんかん照りのお日様さんさんすっきり快晴って天候が、いつもいつでも最高ってわけじゃない。これくらい曖昧な天候の方が、日焼けもしないし、汗だって少なくなるし、面倒くさくなくていい。

何かこう、あれだ。物事をすっぱり一個の方向に倒してしまうのは、いろいろと面倒くさいことが多いのだ。すっぱり行った方がその時は気持ちいいかも知れないけど、後からごちゃごちゃして面倒になるのだ。

 「なんかテレビ観た? 昨日とか」
 「ううん、あんまり。エヌエッチケーのニュースだけ見て、それから消した」

空模様はもういいや。隣にいるのはネネだ。これもいつも通りの光景の一つ。

あたしの家とネネの家は離れてるから、待ち合わせして一緒に学校へ行くってことはほとんど無い。その代わり、通学路の途中で会ってそこから並んで行くってパターンが多い。ネネの方が学校から遠かったから、あたしよりも早めに家を出てるはずだ。この学校は、校区が結構広い。端から端まで入れると、一駅分くらいはあったはずだ。

 「ふーん。じゃ、何してたの?」
 「ネネはねー、凛さんといっしょに本読んでた」
 「えっ、本?」
 「絵本じゃなくて、普通の、文字の多い本」
 「そりゃいくらネネだからって、絵本は読まないでしょうよ。もう中学生なんだし」
 「けど、ネネ絵本も好き。『となりのせきのますだくん』とか」
 「あー、あの怪獣みたいな子が表紙になってるやつ」

だいたい想像が付くと思うけど、ネネはあんまり本とかは読まない。もちろん勉強のために教科書を読むのはあるけど、自分から進んで小説とかラノベとかを読むタイプじゃない。こないだあたしが図書室で借りて読んでた「イリヤの空、UFOの夏」を読ませてみたら、数ページで「もういい」って返してきたくらいだ。だから、ネネが「本を読んでた」ってのが、あたしにとっては結構意外だった。

 「ネネが本読むなんて、珍しいじゃん」
 「凛さんがね、ネネも本読んだ方がいいって言ってた」
 「そりゃま、読まないより読んだ方がいいけど。何読んでるの?」
 「うーん。えーっと、『霧のむこうのふしぎな町』って本」
 「あー、なんかそれあたしも聞いたことある。小四の時に読まされた、課題図書で」
 「おもしろいから、うちに帰ってから続き読む」

なんかこう、女の子が夏休みに旅行するんだけど、「不思議の国のアリス」かよってくらい変な人ばっか出てきて、読みながら「こんな変な人いないよ」って突っ込んでばっかだった。他の内容はほっとんど覚えてない。最後どんな結末だったかも忘れた。けど、ネネは面白いらしい。ネネの好みはよく分かんない。

とかなんとかやってたら、横から人影が。

 「おーっす、さっちーにねね子」
 「おはよ、ケイ」
 「ケイちゃんおはよー」
 「よぉねね子。ねね子は今日もちび助だな」

ケイだ。同じクラスの同級生。あたしやネネとよくつるんで、しょうもない話をしたりお弁当を一緒に食べたりしている。ごくごくふつーの友達だって思ってくれればいい。細かいことは置いといて、まあそういうことだ。ネネの髪の毛をわしゃわしゃぐじぐじやりながら、ケイがからりとした笑顔を見せる。

 「毎朝ぎゅーにゅー飲んでるけど、ぜんぜん背のびない」
 「牛乳飲むのはいいけどよ、ウチみたいにぐんぐん伸びたらそれはそれで面倒くさいぞ」
 「ネネ、ケイちゃんみたいにおっきくなりたい」
 「背が高くていいことなんてそんなにねーって。ま、ねね子が大きくなるなんて想像も付かねーけどな」

ちょっとだけ補足しておこう。ケイは、名字まで入れた名前を「五十嵐恵(いがらし・けい)」という。五十嵐、っていうなんか強そうな名字に負けない感じのぐいぐいキャラで、あとあたしよりも髪が長くてそこは女子っぽいんだけど、見てもらったら分かる通り口調がすごい男子っぽい。一人称が「ウチ」なのが、かろうじて女子っぽいと言うか。

あとはアレだ。いつも日に焼けて肌が真っ黒なのも、そういう印象を与えてるような気がする。なんで日焼けしてんのかっていうと、別に遊んでるわけじゃなくて、もっとマトモな理由がちゃんとある。

 「ケイー、朝練無かったの?」
 「今日はナシになったんだよなー。顧問が来れねーとかで。ウチ朝走らないとエンジン掛かんないんだよな」
 「えー。朝からグラウンド走るとか、考えただけでマジ鬱になるんだけど」
 「分かってねーなー。朝は体動かした方がいいんだぞ」

ケイは陸上部に入っている。元々体を動かすのがすごい好きで、さすがに最近はやらなくなったけど、小学生の頃は男子と一緒にあっちこっちを走り回って、イワヤマトンネルまで探検に行ったりしてたらしい。そこでイシツブテと殴り合ったとか、かなり無茶な話を聞かせてもらった。てか、無茶すぎるよ、イシツブテと殴り合いは。

陸上部でも結構よくできるみたいで、先輩とかと一緒に練習してるのをちょくちょく見かける。そう言うあたしは何にも入ってない。しいて言うなら帰宅部。さっきは小学校のときの話だったけど、もっと前から運動は得意だったみたいで、体育でも何やっても大体あたしよりうまい。あたしは体育嫌いだし運動苦手だしで、とりあえず平均よりちょっと下ぐらいが精一杯だ。どうやってもケイみたいには行かない。

だからあたしは、ケイのことがうらやましい。ケイみたいな運動神経がほしいと思う。

 「そう言えば、ここ来る途中にまたラジオ塔の近くに人集まってたな」
 「あー知ってる。なんかまた変なものが落っこちてきたって。局の人が集まってなんかわちゃわちゃやってた」
 「大変だよな、わけわかんないものあったらすぐ呼ばれるんだから。ウチも一回呼んだことあるけどよ」
 「どういうので呼んだの?」
 「えーっと、ギギギギーってすっげー嫌な声で鳴くヤバそうなコラッタがいてさ、捕まえてもらった。ラジオ塔の近くで」
 「何それ気色悪い。何か変な幽霊でも取り付いてんじゃないのそれ。ラジオ塔の近くだし。だいたいあのラジオ塔って、ポケモンのお墓あったとこ壊して作ったやつでしょ?」

紫苑市はそんなに広くない、どっちかって言うと狭い町だけど、どういうわけかでっかいラジオ塔があって、結構遠くからでもラジオを聞くことができる。最近はインターネットのラジオも始めて、パソコンとかスマホとかでも聴けるようになったみたいだ。まあ、科学の進歩はすごいんだ、とにかく。

あのラジオ塔ができる前は、あたしがまだ幼稚園とかの時だったからよく覚えてないけど、死んだポケモンのお墓がずらーっと並んだ、七階だか八階だかの、今のラジオ塔よりちょっと低いくらいの別の塔が立ってたらしい。その名も「ポケモンタワー」。ひねれよ、って突っ込みたくなる。なんかこう、ポケモンの霊を慰霊するとか、そういう目的で作られたらしいけど、まあ辛気臭いし不気味だしってことで、そんなのじゃなくてもっとマトモなものを建てろって人が集まって、それでラジオ塔に建て直されたって寸法だ。

あたしもその気持ちは分からないわけじゃない。昔死んだ人のことより、今生きてる人のことの方が大事だっていうのは、なんか、うんそうだねって言いそうになる。

 「ポケモンタワーだっけ? んなもん無い方がいいに決まってんじゃん」

ただ、なんか、こう。

 「ポケモンの霊なんか慰めてるより、音楽の一つでも流してた方がぜってーいいって。ただでさえ葬式ん時みたいに静かなトコなんだから、ココは」

紫苑市は静かな町だ。本とかテレビがここを紹介するような時は、九割がた「静か」って単語が入ってる。実際住んでて静かだって思う。ただこう、静かというよりも、音が無いと言う方が正しい気がする。子供が外で遊ぶ声とか、誰かが話してる声とか、そういう音、確か生活音っていうのか、そういうのがほとんど聞こえてこない。みんな中に閉じこもって、外に出てきても一人でいることが多い。

それでも、この場所自体は大人気だ。玉虫市や山吹市にはその気になれば歩いてでも行けるし、道路も電車もちゃんと整備されてる。トンネルを抜ければ、縹(はなだ)市だってすぐ側だ。ちょっと遠出したいなら、海も山もある石竹市へ行けばだいたいオッケー。どこへでも行けて便利だから、紫苑市は住む場所としては大人気だ。

だけど、それは本当に人気があるって言えるのか、とも思う。例えば誰かが新品のゲームを持ってたとして、それが買うのがすごい難しいのだったら、持ってる子にみんな集まってくるだろう。大人気だ。でもそれは、その子自体が人気なんじゃなくて、ゲームが人気だから、って理由だと思う。紫苑市もそれと同じで、紫苑市がなんかいいとか紫苑市が好きだとかいう人はあんまりいなくて、あっちこっちへ行けるから好きって人がほとんどだと思う。

もし玉虫市とか山吹市とかがこの世に無かったら、人気なんか出なかったんじゃないか。玉虫市とか山吹市とかがあるから、ついでに人気になったんじゃないか。なんか、そんな風に思ってしまう。

 「ラジオ塔の方がさっぱりしてるし役に立つし、さっちーだってそう思うだろ? 他に何もねーんだし」
 「まあ、そうだよね。ここ、ポケモンジムも無いし」

ケイはポケモンタワーなんか無い方がいいって言う。死んだポケモンをどうこうするより、生きてる人の役に立つ方がいい。たぶん、そういうことを言いたいんだろう。実はあたしも、ケイとほとんど同じことを考えてる。正直、ポケモンタワーが無くなってよかった、そんな風にも思ってる。けど、ケイみたいに堂々と口に出して言うのはさすがにできない。死んだポケモンにこだわってる人だっているし、そう言う人に目をつけられるのは面倒くさい。

何かを考えるのは自由で、そもそもそれを縛ることはできない。だけど、思ったことをそのまま口に出していいかは別の話になる。何か言ったら、他の人から「そうじゃない」と言われることも受け入れなきゃいけない。そういうことを言う人は決まって面倒くさい。面倒くさいので、最初から関わらないようにした方が何かとお得なのだ。

 「あれ? ネネは?」

とまあ、朝っぱらからカロリーを使う考え事をぐだぐだやってると、いつの間にかネネがいなくなっていることに気付いて。

ちょっとばかり周囲を探してみると、学校の敷地内にある砂場に目が留まって、あ、もしかして、ってなる。その「もしかして」は、しっかり当たっていた。

 「よしよーし。いいこいいこ」

例によってスパッツ丸見えの無防備な姿勢でしゃがみ込んで、子供のカラカラをなでているネネの姿があった。それにしても凛さんはさすがだ。ネネはいくら言ってもあの座り方をやめないから、見えてもいいようにしておこうって寸法だろう。ネネ本人はカラカラと遊ぶのに夢中で、割とはしたないことになっていることにちっとも気付いていない。

まあ、楽しそうならいいか――って訳にも行かなくて。

 「おいこらねね子! なぁにやってんだ!」

お隣のケイがいきなりダッシュして、砂場にいるネネとカラカラのところまで追いついた。また始まった、ため息をつくあたし。この光景は、今日が初めてなんかじゃない。

 「あ、ケイちゃん」
 「『あ、ケイちゃん』じゃねーよ。いい年こいてカラカラなんかと遊んでたら、笑われんぞ」

屈んでいたネネの腕を引っ張って立たせて、ついでにカラカラを追い払う。

 「ほら、向こう行け向こう。学校は野生のポケモン立入禁止だぞ」
 「またねー」
 「だから『またねー』じゃねーよ。お前何回言えば分かるんだっての」

ネネが抜けているのも、抜けているネネにツッコミを入れるケイも、まあいつもよく見る光景だ。ケイの言う通り、ネネは何回言ってもポケモン、特にカラカラと遊ぼうとするのをやめない。で、ケイはそれが嫌だから、何回でもネネに突っ込む。とまあ、こんな具合だ。

 「お前さー、ねね子さー、なんでカラカラと遊ぼうとすんだよ」
 「だって、さよりさんといっしょに遊んで、たのしかったし」
 「さよりさんってあれだろ? 二年くらい前にラジオ塔から飛び降り自殺した変な高校生じゃん」
 「あー、あの人か……ネネと一緒にいるときに会ったことあるけど、まあ変な人だった」
 「だろ? だからネネにも遊ぶなって言ったんだよ」
 「うーん。さよりさん、いろいろおしえてくれた。いい人だった」
 「んなわけねーよ。あんまり変な影響受けてると、フツーのオトナになれねーぞ」

ネネとケイが言い合う様子を見ていると、今度はまた別のクラスメートがやってきて。

 「おーい! ケーイちゃーん! おはよーさーん!」
 「朝から声でけーよトウカ。相変わらず元気でいいよな」
 「だってほら、みんな元気な方がええやん! 元気無くてしょぼーんってしてるより絶対ええって!」
 「橙ちゃん、おはよう」
 「あ、さっちゃん! おったんやな、おはようさん!」

トウカ、あるいは橙ちゃん。本名を「假屋崎橙花(かりやざき・とうか)」という。あんまり無い名字だから、まあ大体はあだ名で「橙ちゃん」「トウカ」「花ちゃん」辺りで呼ばれる。元々静都の小金市に住んでたから、見ての通り譲渡弁で話す。確か中学一年のときに引っ越してきて、あっという間にここに馴染んでしまった、ような気がする。いろんな小学校から一つの中学に集まるわけだし、タイミングとしてはちょうどよかったんだろう。

で、元々の元気のよさとテンションの高さで、今はクラスを引っ張るようなキャラとして通っている。中一の時もあたしと同じクラスだったんだけど、遠足とか運動会とか、そういうイベントになると大体中心にいた。

 「なあケイちゃん、今度の土曜日さ、どっか遊びに行けへん? うちケイちゃんと遊びたい!」
 「土曜ってお前、ウチ部活あんだけど」
 「せやったら、終わってからでええから。な? お昼から。決まりやな!」
 「まーだ行けるって言ってねーだろ」

そしてこんな感じで、わりと強引なところにもある。だから、他の子と意見がぶつかったりするのもしょっちゅうある。

実を言うと、あたしは橙ちゃんのノリに付いていくのがちょっとツラいと思ってる。元々イベントとかあんまり興味ないし、何かに盛り上がるっていうのがイマイチ苦手だった。それでもって強引なところもあるから、面倒くさいと思うこともちょくちょくあったりする。

 「あっ、よっちゃんや! おーいよっちゃーん! おーい!」

興味があっちこっちに移るのも、橙ちゃんの特徴だ。気持ちが切り替えが早いとも言えるし、飽きっぽいとも言える。

 「よっちゃんおったわ、ケイちゃん行くで!」
 「おい、ちょっ、トウカ待って、待てって!」
 「あー、行っちゃった」

ケイを引っ張っていく橙ちゃん。残ったのはあたしだけ。

ネネは? と言うと。

 「じゃあね。今度また、ネネとあそぼう」

取り残されていたカラカラを抱いてわざわざ敷地の外まで持っていってから、また遊ぼう、なんて言っていた。

 



 

はぁー、とため息をつきながら、教科書とノートを机の中へ押し込んで、横にできたスキマにペンケースを突っ込んで。お弁当以外を全部出したカバンを横のフックに引っかける。まあいわゆるルーチンワークってやつだ。一年とちょっとも同じこと繰り返してたら、体だって覚えてくる。

木製の椅子をぎしぎし言わせながら座ると、ちょうどいいタイミングで前の席に座ってるクラスメートがやってきた。

 「おはよー、ゆみ」
 「おはよう、幸子ちゃん」

この子はゆみ。眼鏡にツインテの、なんとなく勉強ができそうな感じに見える子って言えば、どんな感じが伝わるだろうか。あと童顔、だってよく言われるらしい。気にしてるって聞いたような気がするけど、年取ってるように見られるよりはいいと思うけどなぁ、あたしは。

 「ふわ……あぁ……今日も学校かぁ」
 「ゆみったら、今日も相変わらず眠そうじゃん。また遅くまで勉強?」
 「そうだよう。塾で宿題どっさり出されちゃうから、ヤになっちゃうよ」
 「あー……まあ、ゆみは塾通ってるからね」
 「うん。けど、週に三日もあったらさ、それだけでヘトヘトになっちゃうよ」

ゆみはお父さんとお母さんに言われて、駅前にある学習塾に通ってるらしい。今からレベルの高い高校に行くための準備をしてて、それで週に三日も遅くまで塾に缶詰になってるそうだ。そりゃあ眠くもだってなるだろう。学校のほうが疎かになってもしょうがない。

そんな風なので、ゆみはクラスでも一番目か二番目に賢い。頭がいい。テストでも大体の教科は90点くらい取るし、極端に落ちたりもしない。学校のテスト勉強と塾でやってることは全然かみ合わないから、テストの前にはテスト用の勉強をしてるわけで、二倍くらい忙しくなる。それでも安定してるってことは、つまり元々頭がいいってことだ。

前に一度国語で86点だったことがあるって言われて、ものすごく落ち込んでたのを見たことがある。ちなみにあたしはその時76点で、これが70点以上取れると思ってたから心の中でガッツポーズしてた。86点で落ち込むゆみにどんな言葉をかけたらいいのか、いくらなんでもちょっと別世界過ぎて、正直よく分かんなかった。とにかく、勉強がすごくよくできるのは間違いない。あたしと違って。

だからあたしは、ゆみのことがうらやましい。ゆみのようによく回る頭がほしいと思う。

 「ゆみさー、いつも思うんだけどさー、ホントによく塾とか通えるよ」
 「疲れるだけだよ。言われたことやるだけで、精いっぱいだし」
 「あたし小三か小四の時に進研ゼミやってたけど、三ヶ月ぐらいしか続かなかった」
 「うーん……塾行ったら、勉強以外のことできないしね」
 「あー、それはありそう」
 「それで家に帰ってきたら、疲れて寝ちゃうだけだし。親が勉強しろ勉強しろって、いつもうるさく言ってるから」

ゆみの顔を見ながら、なんとなく会話を続けてみる。

 「ゆみの親、なんで勉強しろって言うんだっけ? なんか前も聞いたかもしんないけど」
 「わかんない。勉強しないと大変だって言うだけだし。けど、なんとなく分かるかも」
 「どういう感じ?」
 「たぶん、トレーナーやってて苦労したからだと思う。どっちも長いことトレーナーやってて、二十歳くらいまでがんばったけど、結局ダメだったって」
 「そういえばそれ、聞いたことあるような」
 「それからあきらめて働こうとしたけど、どこも雇ってくれなくって、やっと見つけたのが今の仕事だって」
 「だからかー。ゆみにはいい高校へ通っていい大学に入って、それでいい会社へ行って、的な」
 「それで、自分には同じようにはなってほしくないんだと思う。ポケモンにも関わるな、って何回も言われてるし」

面倒くさそうにため息をつくゆみを見ていると、ふと、ゆみが小学生の頃を思い出して。

そういえば、ゆみは飼育係……生き物係だったっけ、とにかくそれっぽいのをやってた。小屋の中でオタチとスバメを飼ってて、クラスで決めた飼育委員が週代わりで面倒を見てたっけ。中学になってからそういうの無くなったからすっかり忘れてたけど、ゆみは確か自分から生き物係やりたいって言って、無言で押し付けあってたみんなをしれっとびっくりさせてた気がする。

 「しずえさん、今日も朝から黒板消しきれいにしてる」
 「毎日マメだねー、しずえさん」

なんとか係じゃなくて、なんとか委員会なら中学にもある。その代表だって言ってもいい学級委員をしてるのが、我らがしずえさんだ。

 「んー。あのさ、ゆみ。しずえさんの苗字、あれなんて読むんだっけ?」
 「えっと……思い出した。『まじきな(真境名)』だよ。あんまりない苗字だよね」
 「うん。あたしが知ってるの、しずえさんだけだし」

しずえさん。ゆみから教えてもらったとおり、苗字は「真境名」だ。これも滅多に無い苗字だ。あたしのクラスはこんな一風変わった苗字の人がやたら多い。教師がわざと集めたんじゃないかってネタにされるくらいだ。

ところでなんで「しずえさん」なのかって言うと、単純に名前が「静枝(しずえ)」だからっていうのと、ちょっと前に出てみんな買ってたとび森で同じ名前のキャラが出てきて、それがこっちのしずえさんみたいに働き者だったから、これピッタリじゃん、っていうのが理由だ。

 「しずえさん、いかにも学級委員って感じだよね」
 「真面目そうだからね。自分とは違うよ」
 「えーっ、ゆみだってマジメっしょ」
 「意外とそうでもないよ。よく真面目っぽいって言われるけどね」

そんなこんなで時間を潰していると、いい具合に時間になる。さあ、そろそろ朝の会だ。

今日もまたいつもと変わらない、昨日と同じ一日が始まる。