四つ子との出会い 夕
オレはカロス地方のエリートトレーナーである。ちなみに名前はトキサという。
オレは今、ミアレシティに来ている。
スタイリッシュなエリートであるところのオレは、ただ単純に野山洞窟に籠ってポケモン勝負に明け暮れるだけではない。ミアレガレットをモーモーミルクと共に優雅に食し、ブティックでは店員にちやほやされ、そして洒落乙なカフェでケーキを頂く。一流のエリートは一流のミアレっ子でなければならぬ。
そんなオレのおすすめの店は、ミアレシティはノースサイドストリート、フウジョタウン方面即ちミアレ東部にある『カフェ・バタイユ』である。バトル好きの集まるこのモチベーションの高いカフェは、シックで落ち着いた内装ながら常に熱気が満ちており、こちらにまで闘志がみなぎってくる。くそ、せっかく午後のティータイムと洒落こんでいたのに、尊敬する師匠の情熱を見ていてはオレも最早じっとしてなどいられない。オレはプリズムタワーに向かって、夕日に向かって走り出した。
ミアレシティ内周北東の広場、『ジョーヌ広場』。モニュメントは夕陽のごとき黄金に燦然と輝いている。
オレは早速首を巡らせ、闘志をぶつける相手、もといバトルの相手を探した。
そして、奴を見つけた。
広場の真ん中に、人が倒れている。
葡萄茶の旅衣を身にまとい、いかにも行き倒れた風である。
その若者のすぐ傍には、これまたぐったりとした雄ピカチュウが寄り添っていた。
そのピカチュウのトレーナーらしき人物はうつ伏せに倒れているが、黒髪、袴、ブーツ。それだけでオレはピンときた。クノエシティに大量発生する、なよなよしいジョウト地方のエンジュかぶれ共の一味だ。まああの派手派手しい一味とは打って変わってそいつは地味な配色の着物姿であったため、それに免じてオレはその行き倒れに、心優しくも声をかけてやったのだ。何せオレはエリートだから。
「おい、どうした、……大丈夫か?」
するとそいつは、ぐりんと顔を上げた。
「目と目が合ったらポケモン勝負ゥゥゥゥゥ!!!」
「ぴっぴかちゃアアアアア!!!」
灰色の双眸がギラギラと睨み上げてくる。鼻息も荒い。
その隣のピカチュウのドヤ顔が何故か無性に腹立たしい、そんな夕暮れの出会いだった。
やれやれ、とんだ新人に絡まれてしまったものだ。『目が合ったら勝負』なぞというのは、ようやく野生のポケモンに勝てるようになってきた程度の新人ポケモントレーナーだけが勇ましく口にする、お決まりの台詞である。
エリートであるところのオレは冷静に前髪をかき上げ、新人を余裕たっぷりに見下ろしてやった。
「新手のトレーナーおびき寄せ作戦か? まんまとかかってしまったよ、新人君。まあいい……オレはエリートトレーナーのトキサだ。所持バッジ数は既に八つ」
「俺はセッカだよ! バッジはいっこだよ!」
「ふ、そんなところだろうと思ったさ。……で? そのバッジ差でこのオレに挑むかい?」
「もちろん! 行くぜピカさん、今日こそ! きのみ以外のモン食わしてやっからな!」
「ぴっかっちゅアアアアッ!!」
オレは哀れになってしまった。食事にも困っているのか、この新人は。いくらカロス地方のポケモントレーナーに対する福利厚生が手厚いからといって、確かに経験の浅いトレーナーは旅にも苦労を強いられる。半ば本気で食い倒れていたのではなかろうか。ついそこまで想像してしまうほどにその新人トレーナーの目は飢えていた。
「おらっ来いやァァァ!!」
しかしこのセッカと名乗る新人トレーナーは、既に生意気にも賞金を見据えて戦闘態勢に入り、オレから間合いを取っている。相手との力量を推し量れないのも新人ならではの欠点だ。
果たしてこのバトルを受けて、エリートであるオレにメリットはあるか考える。この餓えた新人からは、賞金も経験値もろくに得られないに違いない。いや、待てよ。エリートトレーナーたるもの、後進のトレーナーの成長に寄与することも立派な責務。そう、それでこそエリート、一流のミアレっ子だ。
オレは鷹揚に頷いた。
「いいだろう、来いよ、新人。ポケモンは何体持っている?」
「よんぴき持ってるよ!」
「四体か。多くのポケモンをゲットしバランスよく育てることは大事だな。わかった、ではオレはこいつ一体で行く。バッジ数の差を考えて、ハンデだ。文句はないな?」
「いいよ! 俺、本気で行くから!」
オレは小さく失笑しつつ、ハイパーボールを掲げた。
夕暮れのジョーヌ広場には、トリミアンを散歩させる粋な老紳士、ショッピングの休憩中らしき麗しきレディたちや、絶賛トレーナーを目指して勉強中なのであろう学校帰りの学生たちが集っている。ギャラリーとしては十分、カロスリーグに向けてのポケモンの調整のためにも、悪くない舞台だ。
ハイパーボールを投げ上げる。高度、回転共に申し分ないスローインである。
「よし行け、ファイアロー」
眩い光と火の粉とを纏って現れたオレのファイアローは、むやみやたらと吼えることはしない。ただひと羽ばたきで華麗に舞い上がり、天空からひよっこトレーナーを睥睨するのみである。周囲から歓声が上がる。ポケモンコンテストに出場したとしても遜色ないこの存在感、この熱気。素晴らしい。
「どうだ、これほど立派なファイアローを見たことがあるか、新人? こいつはハクダンの森で野生の群れの次期ボスにも目されていた、最高のポテンシャルを持つ個体だ」
「超かっこいい!!」
新人は鼻息も荒く、天に君臨するオレのファイアローに見とれている。その羽ばたきごとに羽毛が熾きのように赤く燃え上がり、ああ良いじゃないか今日も燃えているな、ファイアロー。新人にお前の華麗さを見せつけてやれ。
「さあ、どうする新人? その電気タイプのピカチュウなら、飛行タイプを持つファイアローには相性がいいぞ?」
「ぴかっグ……」
「ごめんピカさん、俺ももう腹減ったよ、ピカさんは落ち着いて、な、よし、行くぜ……」
袴ブーツの新人は肩の上のピカチュウを押しとどめ、そして袴を締める帯の上につけていたベルトから、団子サイズの赤白のボールを一つ手に取った。
新人が身につけている残り三つののボールも、いずれも安価な標準のモンスターボールである。そこからも新人であることが窺える。大したポケモンは持っていないだろう。
さて、ピカチュウを出さないとなると、最初は何で来るか。キャタピーだのコフキムシだのを出された日には泣くしかないな、なあ、ファイアロー。
新人は視線を落とし、両手で団子大のボールを包み込むようにして持っている。緊張しているのかもしれない。
新人が視線を上げた。オレを見据える。
いや、違う。
違和感が脳裏をかすめた。違う、これは、新人の目ではない。
手練れの目だ。ポケモンの信頼に値する目だ。
エリートトレーナーにも劣らぬ、自信を湛えた目。
袴ブーツははモンスターボールのロックを解除する。それを両手で大切そうに包み込んだまま、その中で時を待つポケモンを静かに解放した。
「……さあ、行くぞ、アギト」
そうして餓えた新人が繰り出したのは、ガブリアスの巨躯だった。
オレは混乱せずにいられなかった。
しかし、良質なバトルの予感に、ジョーヌ広場はにわかに色めき立つ。
新人トレーナーの前に現れたのは、シンオウ地方のチャンピオンも主力として扱っているというドラゴンポケモン、それを探すのも育てるのも並大抵の努力では足りないと聞く。つまるところ、ガブリアスは、とても新人の持てるポケモンではない。
オレは激しく狼狽した。
「……あ、あー、それ、知り合いのトレーナーから交換してもらった、とかか? はは、でもバッジ一個だとなー」
こちらが言い終わらないうちに、新人はがっくりと項垂れた。
「なあおい、こっち腹減ってんだけど……もう行くよ? ストーンエッジ」
ガブリアスは速かった。
さすがはマッハポケモンだ。尖った岩を生み出し、空中のファイアロー目がけて放つ。指示から技の溜め、発動までが速い。やはり並みのポケモンでない。
「……ファイアロー!」
色々な意味で予想外すぎる急襲に、オレはその名前しか叫ぶことができなかった。
ファイアローはそれが攻撃の指示か回避の指示か、判断しかねた。もちろんオレも、そのいずれかの意味を持たせてファイアローの名を呼んだわけではない。ファイアローの迷いはオレの迷いなのだ。
まさか、まさかガブリアスが、新人トレーナーの指示を素直に聞くとは思えなかったのだ。混乱した。トレーナーは迷ってはならないというのに。
あっけなさすぎた。
岩の塊の直撃を何発も受けて、ファイアローはオレのせいで地に落ちた。
油断、という言葉すらすぐには頭にも浮かばなかった。
崩れ落ちたファイアローをボールに戻すことも忘れて、オレは喚く。
「……な、なんだ今の、偶然だろう! 何だ、そのガブリアスは!」
「アギトですぅー」
「くそっ、大方ガブリアスの『ガブリ』という語感から噛みつきを連想して顎の別名のアギトって名前にしたんだろ! わかるぞ! オレはエリートだからな!」
「こいつ捕まえたとき、こいつフカマルでしたけど」
「フカマルの顎もすごい!」
「知ってるぜー」
袴ブーツの新人は、のんびりとガブリアスを安っぽいモンスターボールに収めた。それをベルトに戻すと、次は鞄からガチャガチャと小型の算盤を取り出した。そして何やらパチパチやっている。
そしてエセ新人はにっこりと笑って、算盤を水平にこちらに差し出してきた。
「はい、あんたがバッジ八個のエリートさんで、俺がバッジ一個の新人なんで、ポケモン協会規則に基づき、賞金はこんだけっすねー」
それは通常の賞金のやり取りでは有り得ない、破格の金額だった。それはそうだろう。バッジ一個の新人がバッジ八個のエリートを打ち負かすなど、大金星もいいところなのだから。
しかしとても納得がいかない。
「……詐欺だ!」
「いや、ほんとに俺が持ってるバッジは一個ですって。トレーナーカード見ます?」
そうして袴ブーツがこちらに見せたトレーナーカードは、確かに彼がバッジを一つしかもっていないことを証明していた。オレはとうとう頭を抱えた。
「……なんで……ガブリアス……?」
「ねえ賞金くださいよーねえねえねえ」
気づくと、ピカチュウ連れの袴ブーツは馴れ馴れしくオレの肩に縋りついている。
「ねえねえねえおなかすいたっすー!!!」
「ぴかっちゃアアアアアアア!!!」
「ええいうるさい!!」
それが奴との出会いだった。
それからオレは賞金を支払う代わりに、セッカと名乗るエセ新人トレーナーを、サウスサイドストリートの『レストラン ド フツー』に連れて行ってやった。
奴はさらにダブルバトルをしなければならないことに辟易していたが、それでもピカチュウとガブリアスの二体で、完璧に二手ずつで三連戦を勝ち抜きやがったのである。
普通においしい料理を腹いっぱい詰め込み、さらにバトルの賞金とお土産のちいさなキノコを十五個も貰ってセッカはほくほくとしていた。
その向かい側でオレはげんなりしていた。
「……今度腹減ったら、こういうとこ来いよ。お前、『リストランテ ニ・リュー』とか『レストラン・ド・キワミ』とかも行けんじゃね……?」
「おすし食べたい!」
「ローリングドリーマーか……金欠ならあそこはやめとけ……ありゃモノホンの金持ちしか行けん」
ピカチュウとガブリアスの他にも、セッカの手持ちだというフラージェスとマッギョという何とも珍妙な組み合わせのポケモンが、おいしそうにポケモン用の料理をほおばっているのをオレは眺めた。
「……こいつらも、強いの?」
「ユアマジェスティちゃんとデストラップちゃんのこと? 強いよ、普通に」
「……すげぇ名前だな……」
フラージェスの方はニックネームというよりかは敬称だし、マッギョの方は間抜け面に似合わぬデンジャラスなニックネームである。そしてガブリアスは『アギト』、ピカチュウは『ピカさん』だという。適当にも程がある。
しかしライバルトレーナーのポケモンのニックネームなどはほとんどどうでもいい。
オレはセッカの手持ちのポケモンを観察した。
セッカの一番のパートナーらしきピカチュウは、どこにでもいそうな愛らしいぽっちゃり体型だが、先ほどの店内でのダブルバトルではなぜかすべての雷を百発百中でぶち当てていた。何をどうしたらそのような芸当が可能なのか教えてほしい。
そして先ほど度肝をぶち抜いてくれたガブリアス。実物はテレビなどで見て想像していたより大きく迫力があった。2mくらいあるのではないか。首が太い。肩がごつい。胸筋と腹筋がやばい。鮫肌は欠けることなく鋭く整っているが、激戦の中でついたらしき幾つもの傷跡が体中で黄金色の威圧感を放っている。まさしくエース級の一体だろう。
オレンジ色の花のフラージェスは、花弁の一枚一枚、葉脈の一筋まで瑞々しく、そう、たとえ動かぬ花でさえ一流の園芸家でなければ、これほど美しく保てないだろう。微かに芳香を周囲に漂わせ、姿勢一つをとっても気品が漂っている。
そしてそのパーティーの中で異彩を放っているのがマッギョだった。オレもクノエシティ方面の14番道路の沼地でたまにマッギョを見かけたことはあるが、改めて見ると平たい。泥の中から見上げるような澄んだ目は茫洋としているくせに、唐突にニヤつくので怖い。
しかし、どれもこれもよく育てられている。これは日々まじめに修業を積み続けているトレーナーのポケモンだ。畜生、何がバッジ一個だ。ブリーダーにでもとっとと転向しやがれ。
オレは腸が煮えくり返っていたというか、未だに釈然としないでいた。普通においしい料理をフォークでつつきつつ、オレは惨めにぼやく。
「……セッカ、なんでお前さ、バッジ集めないわけ?」
「あんたみたいなトレーナーを狩るためだよ」
言いきりやがった。