「今日の晩飯は何にしようかな」
「……なあ、ケイ。少し聞きたいんだけど」
ルナとの出会いと別れから数日たったある日。ケイはレアードの入っている部屋に馴染んでいた。部屋と言っても、ここはネットカフェ。二メートル四方の空間のうち、半分強を革張りのウレタンマットが占め、さらに靴を置くために一角が低くなっているために二人が座ればもう狭い。しかし、もう半分のスペースは引き出しの上にテーブルが敷いてあり、一段高い。そこに荷物を置けるので、圧迫感は狭さほど無い。
そんな場所で、レアードはケイに一つ尋ねた。
「お前さん、学校には行ってないのか? 平日でもぶらぶらしてるとこ見るし、初めて会った日も休日じゃなかっただろ?」
「ああ、そのこと。俺は学校には通ってないよ。旅に出てポケモンリーグを目指すつもりだったんだけど、色々あってさ」
ケイ、この話を始めた途端顔から笑みを隠せない。これにはレアードも困惑する。
「なんで予定通りに進んでないのに嬉しそうなんだよ」
「そりゃだって、俺が有名になる姿を想像しちゃうじゃないか。それにしても、どうしてまた今になってそんな?」
「いやさ、さっき外で学生らしき集団がいたもんでね。どうやら卒業パーティーにでも行くみたいだったよ」
「ふーん。ま、俺のことなら心配いらねえよ。ポケモンリーグにさえ行けばなんとかなるさ」
そう言いながら、ケイは脳天気に食事のメニューを開く。そして壁にかけてある内線に手を取った。ネットカフェの個室にはホテルのそれと同様、フロントと連絡を取るための内線が用意してある。食事の注文もできるが、衛生上の理由から食事スペースに移動するか個室の扉を開けて食べなければならない。ケイ達の場合は、テーブルがいっぱいなので注文後に移動することとなる。
「ん、あれは……」
ふと、部屋の扉の隙間から、ケイの見覚えのある姿が垣間見えた。背中だけだが、グレーのパーカーを羽織り、色あせたジーンズのポケットに手を突っ込むその姿。それが食事スペースの方へ歩いていったのだ。ケイは一旦受話器を置き、追いかけていく。レアードもこれに続く。
「おいセギノール、こんな所で何してるんだ?」
「うわ! ケイ……と、そちらの方は?」
パーカーを着ていたのは男、ケイに声をかけられて飛び上がった。状況を把握しかねるレアードは、例の如く話に入っていく。
「お話の所申し訳ないが、お名前を教えてもらえるかな? 俺っちはレアード、旅のジャーナリストだ」
「あ、はい。私はセギノールと申します。初めまして」
セギノール、深々とお辞儀をした。視線が中々安定しない。口をモゴモゴさせてはいるがよく聞こえないので、代わりにケイが説明し始めた。
「あー、悪いなレアード。こいついい歳してこんな話し方なんだ。大学生なんだけど、たまにここに立ち寄るんだ。それにしても、今日はまた何かあったの?」
「えっと、いやあ……」
セギノール、埒が明かない。と、ここでレアードが手をぽんと叩いた。
「お、セギノール君って、もしかしてさっきすれ違った学生集団にいなかったか?」
「え!? さ、さあ……?」
「いや、隠さなくても良いだろう。ケイ、彼はもしかして?」
「そう言えば、今年で卒業のはずだな。だったら尚の事分かんねえ、なんで1人なんだ?」
ケイとレアード、両者の追求に、セギノールはあっさりと陥落した。とてもバツの悪そうな表情で頭をかきむしり、状況の説明を始めた。
「……2人の予想通り、私はひとりぼっちなんです。自宅通いの私と下宿住まいの同期とではどうしても生活リズムも違いますし、なにより私自身がこの口下手。でも4年間でただの1人も友達ができてないなんて、家族に言えるわけもなく、ここに来たというわけです」
「……それはまあ、何と言うか」
レアード、思わず目を背けた。大学とは自由なものであるが、その分セギノールのような極端な例が生まれても不思議ではない。しかしいざそのような例に直面すれば、誰しも戸惑いを隠せないものなのだ。
だが、この男は違った。何かアテがあるのか、それともこの現実を他人事と捉えているのか。ともかくケイは軽いノリでこう切り出した。
「仕事かあ。それだったらさ、今から俺の家に来ないか? 晩飯も食べて行きなよ」
「え、でも……」
「……ええい! 若い者は人の厚意に甘えとけ! 歳下とかそんなことは気にせずに!」
レアード、痺れを切らす。彼はケイに目で合図すると、そのままセギノールを引っ張り外に出るのであった。
「……と、言うわけでして。こうしてお邪魔しております」
しばらく後。3人の姿は別の場所にあった。どこかの家の食堂、年季の入った台所に特売のチラシが貼られた冷蔵庫。湯気を放つ炊飯器と鍋。鍋からは、粗挽きの大豆がほのかに香る味噌の匂い。今まさに、3人の食卓が開かれようとしていた。だが、今ここにいるのは4人である。4人目は、台所に立って背中を向けている。彼はセギノールの話に何度も頷いていた。
「うんうん、わかるぞお。仕事が無いってのは、辛えものだからな。みんな外に出て働いてんのに自分だけ仕事探しの日々……そんな昔なじみを何人も見てきたよ」
「へえ、じゃあ父さんに相談したのは正解だったな。何か良い案が出るかも」
4人目に対し、ケイが「父さん」と呼んだ。つまり、ここはケイの自宅で、3人に食事を振る舞おうとする4人目の男こそ、ケイの父親なのである。ケイの言葉にレアードも同調する。
「確かに、アキノブさんのご職業は弁護士だから、色んな人の事情を知ってるだろう。中には人手の足りない会社の話もあるかもね」
「……今でこそ、働き口が無いと嘆かれて久しいが、それは旅に出て結果が伴わなかった者の話。町に残り、学を磨いた者には、今でも相応の職がある。口にせんだけでな」
父・アキノブは茶碗に飯をよそい、鍋の味噌汁を人数分分け、テーブルに並べた。テーブル中央には漬物、納豆、卵と調味料が置かれている。いつでも食べられる状態が整った。
「あるよ、仕事の話なら。だけどちょっと遅かった、昼間に1人紹介しちまってな。そいつと枠を取り合っても良いってのなら、明日にでも連絡しといてやるが……どうする?」
「……ぼ、僕は……」
セギノール、しばし言葉が詰まる。食卓にいくばくかの沈黙が流れた後、小さい声が絞り出された。
「……ます」
「ん?」
「僕にその会社、紹介してください。やります」
「……あいわかった! それじゃ、辛気臭い話は終わりにして飯にしよう! 終わったら順に風呂に入ってくれよ!」
アキノブ、セギノールの返答を聞くやいなや合掌。すかさずケイもこれに続いた。セギノールとレアードは一瞬状況が掴めなかったが、共に真似して手を合わせる。
「はい、いただきます!」
さあアキノブの号令とともに戦場の火蓋は切って落とされた。食卓にある食べ物という食べ物は奪い合いである。勝手を知るアキノブ・ケイ親子は速攻で卵を手に取り器に割り、更に納豆も投入して混ぜる。程よく混ざった所で醤油を適量垂らして2,3周。熱々の白飯にかけ、がっついた。白身と黄身と、そして納豆白米と。織りなす味、食感、喉越し、全てがパーフェクトな上に栄養価も高い。ここに味噌汁と漬物が脇を固めるため最強である。レアードとセギノールも負けじと冷えた空腹の体に温かい食事を取り込む。温かい食事はそれだけでご馳走と、どこかの島では言われるそうだが、それは真実なのだろう。セギノールの目からは薄っすらと光るものが流れていた。