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  [No.165] 鈍色の時代に 投稿者:クーウィ   投稿日:2011/01/11(Tue) 15:57:53   45clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

私の名は『森の主(ヒーテル)』 嘗て、『小さいの』と呼ばれたことがあった――


月夜の森に木霊する詠声の真意を、読み解ける者はもういない。 
時代に押し流されゆく者達が示した、小さな決意。
歴史の狭間に埋もれた彼らの姿は、残された者の胸の内で熾火となって、今尚静かにその身を焦がす――。
 
 
 


【描いてもいいのよ】
【勿論批評してもいいのよ】

――――――――――

 こちらでは初めましてです。雑文メーカーで御座いまする(爆)
 今回初めて、少し長めの物語を書き込んでみようと思い立ち、かかる暴挙に打って出た次第に御座います。……とは言っても、恐らくせいぜい6話以上10話以内ぐらいに収まるレベルですので、まぁ中編と言った規模でしょうか。
 ただ内容がかなり寄っている上、テーマがテーマだけにかなり過激な描写も含まれますので、正直ちょっと不安です……。
 そこで今回は、危険な箇所は通常版と修正版を併用してみる予定となっておりますので、年少の方やグロ・ドロな表現が駄目な方は、出来るだけ修正版の方のみ目を通して頂けるよう、予めお願いして置きまする。
 
 著述スピードや放置の危険性、内容の方向性や世界観崩壊の危惧など、諸々の理由により随分迷いましたが、取りあえず試験的な意味も込めて。
 我がメモ張内にのたくられし書きかけ妄想、その四。 ……興味が御有りの方が居られましたなら、期待しないようにしてご覧下さい。 


  [No.166] 第一話  詠うキュウコン 投稿者:クーウィ   投稿日:2011/01/11(Tue) 16:00:29   66clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 豊縁はムロの町の、更に西に広がっている広大な大陸。その一角にあるとある国に、そのポケモンは住んでいます。
 国の南端に位置する山間の町の、郊外に広がる豊かな里山。――もう長い間そこに住み着いており、町の人間達からは『森の主』と呼ばれる彼女は、とても頭が良くて物知りな、8本尾のキュウコンでした。

 森のポケモン達にとって、キュウコンは頼れる存在でした。  
 何か知りたいことがあるならば、彼女は何でもたちどころに答えてくれましたし、天災や山狩りなどの良からぬ事が起こる前には、事前に誰よりも早く察知して、皆が被害に合わぬよう警告してくれたりするからです。  
 木の実の生り具合や寒暖の変化までピタリと言い当てることが出来ましたし、天候変化の予兆や里の人間達の動向を読み取る様は、アブソル達ですら敵わないほどに見事でした。
 戦いの手並みも驚くほどに優れており、例え人間が連れて来る鍛え上げられたポケモン達が相手であろうとも、全く引けは取りませんでした。
 彼女はどんな相手だろうとも、ある時は正面から力押しに立ち向かい、またある時は森の奥へと巧妙に誘い込み横の連携を断ちきって、タイプ相性や数の優劣もものともせずに追い散らし、同じ森の仲間達を守ってくれます。
 
 そんな彼女ですが、森のポケモン達には一つだけ、腑に落ちない点がありました。
 と言うのも、彼女は唯一つ、自分の過去に関する質問にだけは、全く答えようとはしなかったのです。
 キュウコンの持つ知恵の殆どは、普通に森で暮らしているポケモンが、持ちえるものではありませんでした。
 また、彼女の尻尾は8本しか無い上、更にもう一本の尻尾も半ばから千切られた様に短くて、その上胴体にも幾つか、何か鋭い物が掠めたような、古い傷跡があるのです。
 それでも容姿に輝きを失わず、不思議な威厳を保ちえている彼女に対し、森のポケモン達はほぼ例外無しに、深い敬意を抱いていましたが――反ってそれ故に、その生い立ちに関する興味のほどは、深く根強いものでした。
「昔は多分、優秀なトレーナーのパートナーだったんじゃないだろうか?」
「伝説のポケモンの友達だったのかもしれないよ?」
 キュウコンのいないところでそんな噂を重ねながら、森のポケモン達は歳を重ねてゆきました。  
 
 そんなある年、森を大きな嵐が襲いました。
 巨大な力が木々を薙ぎ払い、木の葉を引き剥がすようにして舞い飛ばす中でも、ポケモン達は皆予め、キュウコンに教えられたとおり岩穴や山陰に避難していたお陰で、ただの一匹として被害を受けることはありません。
 やがて嵐が過ぎ去り、流れ奔る雲が地平線の彼方へと見えなくなった頃。一匹の幼いコラッタが、眠っている母親や兄弟達の枕元をすり抜け、月明かりの踊る静かな夜の森へと、忍び出ていきました。
 今の時刻は深夜。殆どの住人達は避難した洞窟の中でそのまま眠りについており、辺りには他のポケモンの影すら見当たりません。
 それに森のポケモン達の間の掟で、嵐や地震などの大きな災害の前後には、お互い争ったり捕らえ合ったりしてはならない事になっていた為、普段は活発に動き回っている夜行性のハンター達も、今夜は鳴りを潜めています。
 空には満月にはちょっと足りないけれど、それでも十分に大きい立待月。辺りは嵐の過ぎた後だけあって、空気が澄み切っていてとても明るく、小さなコラッタの冒険心を満足させるには、これ以上の機会はありません。
 ……少しだけ立ち止まって、背後の洞窟を振り返った彼でしたが、それでも次の瞬間には勢い良く前に向けて走り出し、茂みの中へと潜り込んでしまいました。
 
 嵐の去った森の中は、やはり何時もとは違った雰囲気がありました。  
 生い茂る木の葉が吹き飛ばされてしまったお陰で、森の中には直接月の光が入り込み、生まれて初めて一匹だけで夜歩きしているにもかかわらず、道に迷う心配は微塵も感じられません。
 それ以外にも、普段なら足元を埋め尽くしているフカフカの落ち葉の層がびしゃぐしょになっていたり、所々の老木が傾いだり倒れたり、時には折れた太い木の枝が地面に落ちて来て垂れ下がり、彼ら小さなポケモン達の踏み分け道に、ちょっとしたアスレチックを配置したりしています。
 浮き浮きしながらそれらを乗り越え、踏み分けて進んで行きながらも、見る影もなく汚れてしまった自分の姿に、果たして家族のみながどんな反応を示すかが、若干気になって来始めた頃――彼は急に、開けた場所に抜けて出ました。
 咄嗟に何時もの習慣で、素早く辺りを見回しますが、元より嵐の過ぎ去った直後。別に警戒する必要もなかったのだと、小さなコラッタはほっと息を吐くと共に、すぐに興味深そうな目で、辺りを見回し始めます。
 そこは、森の奥深くに位置している、大きな木のある場所でした。 
 一本のトウヒの大木がそこにあり、周囲の木々はそれに遠慮しているように身を引いて、小さな広場を作っているのです。
 しかし、その森のシンボルとも言える大木に目を向けたところで、コラッタは大きく目を見張って、思わず小さな声を上げていました。
 何故なら、そこに悠然と聳え立っているはずの巨木が無残にも傾ぎ、更にその根元には、ぽつんと静かに佇んでいる、あのキュウコンの姿があったからです。
 思いもかけない光景に、ただただ呆然と立ちすくんでいる彼には全く気がつかないまま、やがてキュウコンは目を閉じると右の前足を上げ、そこに小さな緑色の玉を生み出し始めました――。
 
 
 手の内にあるエナジーボールを十分に大きく育ててから、キュウコンはそっと静かに、それを大木の根元に溶かし込みます。
『エナジーボール』は生命力を力として相手に叩きつける、草タイプの技。よって、工夫して使えば植物に活力を分け与えることも出来ることを、彼女は遠い昔に学んでいました。
「もうどうすることも出来ないだろうけど……これ位でも、少しは足しになるだろう?」
 技を解き放った後の空手を、そっと老木の木肌につけて――キュウコンは静かな口調で愛おしそうに、目の前の物言わぬ木に語りかけます。
 常日頃の落ち着いた、超然としている様にさえ思える物腰とは、全く違った姿を曝け出している彼女の心中は、この森での数々の思い出――遠い昔の出来事の大事な拠り代がまた一つ失われてしまう事への、哀しみと寂しさで一杯でした。
やがてその思いは、期せずして自然と彼女の口から、言葉として発せられる事となっていました。
「あなたはずっとこの森に生きてきて、色々なものを見たのだろう。……あなたはもう、一千年もの永き時を、生き続けて来たのだから。
 ……しかし、それに比べると私の命は、まだ始まったばかり。たかだか百年程度生きて来ただけの私の身では、この先の次の千年をあなたから受け継ぐ事は、とても難しい」
 小さく俯いた金色の獣は、しかしそれでもすぐに顔を上げ、言葉を改めて紡ぎ続けます。
「でもその僅か百年を、私は精一杯に生きて来ました。所詮は言い訳に過ぎないと、分かっていても……。今宵はせめてもの手土産に、その身の上話をお聞かせしましょう。
 あなたの生きた一千年と言う永き時と、これから次の時代を生きる私の過ごした時間を、摺り合わせる為にも。私が生きてきた時と同じものは、他ならぬあなたの中にも、刻み込まれているはずですから」
 言葉を終えた彼女は、続いて今度は語り部として、二人の聴き手――目の前の老木と、広場の片隅で小さくなって耳を澄ましている、その存在に気がついていない幼い客人――に対し、朗々と響く透き通った声で、詠って聞かせ始めました。
 
『私の名前は「森の主(ヒーテル)」  嘗て、「娘」と呼ばれたことがあった
 震える鼻先を、胸元に擦り付けて―― それが私の生まれた記憶 私の「時」の始まり―― 
 
 私の名前は「森の主」  嘗て、「お守り」と呼ばれたことがあった 
 突然の別れと、新たな仲間――  それが私に課せられた運命(さだめ)  私の存在する理由――
 
 時代は早瀬の如く流れを変えて、揺蕩う泡沫(うたかた)は沈む間も無く波間に消える
 求めらるるでもなく続く忌み火を、抱き消したのは遠き面影――』  
 
 月夜を背景に滔々と響く詠声は、小さなコラッタの心を揺さぶって、その場に釘付けにしてしまいました。……煌々と輝く立待月の下、哀しさと懐かしさを伴った透き通った声は、不思議な余韻を保って、森の中に木霊します。
 葉を失った太い枝の間から垣間見える星空を、見るとも無しに振り仰いで詠い続ける、一匹の獣。その姿を見守る者は言葉も無く、ただ静かな夜風が、古傷の上に掛かる柔らかい金色の毛を、そっと撫でていきます。

『私の名前は「森の主」  嘗て、「家族」と呼ばれたことがあった――』


  [No.170] 第二話  歴史の動かし手 1 投稿者:クーウィ   投稿日:2011/01/14(Fri) 01:46:06   72clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

※こちらは原文です。  ……過激な描写や出血表現が用いられる可能性がある為、中学生未満の方や残酷表現に敏感な方は、ご覧になることを見合わせ下さいますよう、予めお願い致し置きます――





「よし……。今日は、その辺にして置こう」
 見守る彼の指示の下、カイリキーが昨日ドック入りした潜水艦から運び出した最後の魚雷を、保管用のケースに収め終える。無事格納したのを見届けたところで、ハインツは作業場にいる仲間達全員に向け、今日一日の作業終了を呼び掛けた。
 するとその言葉に反応して、作業場のあちこちに散らばっていた工員達が一斉に手を止めて、彼の方を振り返る。種族は様々な、仕事仲間達一匹一匹の顔を順々に見回しつつ、彼はねぎらいの言葉と共に、翌日の作業予定を簡潔に説明していく。
 彼の前に居並ぶのは、全てが異種族の作業員達。手近に立っているのは、カイリキーとワンリキーの兄弟に、少し低身長気味のハッサム。右手に位置するのは、年老いて多少草臥れた感じのドンファンに、連れ立って此方に目を向けて来ている、オーダイルとヌマクローのコンビ。更に奥の方では、溶接作業を担当しているブーバーと補助要員のスリープ、それに補充で最近来たばかりのハスブレロが、ゆっくりと歩み寄りつつ、聞き耳を立てていた。
 
 ――ここは秋津国から西に位置する大陸の、そのまた西の外れに位置する、中規模国家の一地方都市。古くから港町として栄えたこの都市は、近年始まった大戦争を待つまでも無く、近代以来ずっと軍港として発展して来た。
 特に国家元首に現カイゼルが即位して以来、徹底した海軍力拡張主義を取った彼の手により、元より戦略上の要衝であったこの都市は、更に一層軍事色を強め、港には軍艦の整備や偽装に使われる施設が、冷たく硬いコンクリートの地肌を連ね、整然と立ち並ぶ事となる。
 三年前に南方の田舎町で徴兵されて以来、ずっと各地で兵役に就いていたハインツは、一年ほど前に南方の国との戦い――「南部戦線」で負傷し、退役扱いとなっていたのであるが、優秀なポケモントレーナーでもあった彼には、最早戦局も傾いた昨今、故郷でゆっくりと療養して過ごす事は許されなかった。
 傷が癒えるか癒えないかと言う内にすかさず勤労召集を受けた彼は、故郷とは丁度真反対の位置にある北の端のこの都市に、ポケモン達による作業班の指図役として投じられ、今に至っている。元々工場やドックで働いていた男達は、次々と徴兵されて前線に送られてしまい、今では彼が指示しているようなポケモンのチームが、この町の機能を支えていた。 
「明日は今日と同じく早朝からの作業になる。……きついだろうから、しっかりと休んでおいてくれ」
 全員が人ならぬ者である目の前の工員達は、当然ながら一匹として、口がきける訳ではない。それでも、家族同然に付き合って来た彼の言葉を受け止める顔は真剣で、目付きも含め不満や不審の色はまるで無い。
 そんな彼らの表情を見る度に、ハインツはいつも心が揺れる。「喋れなくとも、言葉が通じる」――それ故に彼は、本来この様な使われ方をすべきではない生き物である彼らに対し、自分達人間にのみ当て嵌まる義務や責務を、命令と言う形で背負わせる事が出来るのだ。
 自分達が行うこの作業が、結果的に破壊や殺戮、あるいはその両方を、憎しみと共に振り撒く根源となっている事。……それを正確に自覚しているのは、彼だけであるにもかかわらず。
 しかし同時に彼は、自らの経験からも、この仕事が手を抜けないものである事を、深く理解していた。死と崩壊を呼び込むだけの、『兵器』と呼ばれる忌むべき道具――その一つ一つの出来と調整具合が、実際に命を懸けて戦っている同胞達の生命を、直接左右する事になるからである。
 その事を考えれば、如何に愚かな行いであろうとも、一国民としてこの国を挙げた生き残り闘争の一端を担う事は非常な名誉であり、また避けられない義務でもあった。何時も彼は、心が揺れ動く度にそう自らに念じ、合わせて戦局の不利に伴って各地で起こっている、いわゆる『サボタージュ』の動きに対し、控えめながらも批判の論陣を張る事を躊躇わなかった。
 
 中天に昇った月の光が、波止場の倉庫群を青白く照らす。彼が一日の報告書類をしたためている内にも、時は歩みを些かも止めず、しっかりと夜の何たるかを、地上に示し続けていた。

職場である簡易な修理工廠を出たハインツは、町の中ほどにある自らの仮住まいに向けて、退役の直接の原因となった左足―膝に南の敵国の弾片が、食い入ったままのそれ―を僅かに引き摺りつつ、満月から数夜が過ぎたばかりの、まだ月光あらかたな立待月に見守られながら、長い帰途についていた。
左手には、月の光さえ反射することの無い、漆黒の海。 ……停泊艦船から漏れ出た重油がうねる水面には、どろりとして真っ黒なメタンガスの泡が始終浮かんでおり、時折そういった環境を好むヘドロポケモン達がちらほらと、輝く月に誘われたように顔を出して、波に揺られている。
……しかし彼らは、ハインツに気がつくと一目散に逃げ出して、頭を素早く波間に沈め、水中に身を潜める。 ……まだ戦争が始まって間もない時期は、この急激な環境の変化に、廃液やヘドロを好む彼らはそれこそ爆発的に増え、同じく増え続けていた各種ゴーストポケモン達と共に、『銃後』の社会問題になりかかっていた事さえあったのだが……戦が激しくなって『総力戦』が叫ばれるに及び、凡そ『ポケモン』と名の付くものは見境無く捕らえられ、前線に送り込まれるようになってからは、流石の彼らも大幅に数を減らすと同時に、人間を見れば素早く逃げ出し、身を隠すようになっていた。

ハインツ自身も、現役時代に西部戦線に居た頃は、実際に後方から送られて来て、まだ人に馴染んでもいない新米ポケモン達を、現場の空気に慣らしつつ戦力化するのを担当していただけに、その辺の経緯には、非常に詳しかった。 ……どうしても人に慣れない一部のそう言ったポケモン達は、毒ガス兵器の材料として、用いられてすらいるとも聞く。

しかしそれもまた、このような情勢下では、止むを得ない事であった。  ……少なくとも、彼はまたそう信じ、自分を納得させていた。  


……他の事共と、また同じように――
 
 
 
やがて沿岸線を右に折れ、倉庫の間を通り抜けて住宅地に入り、宿舎として借りている、レンガ造りの家屋が近付いてきた時――漸く彼の表情に、柔らかな温もりが戻って来た。
彼が戸口に近付いた頃、静寂に包まれたまま、内部に闇が蟠っていただけのその家屋に、パッと淡い光が燈る。

ゆっくりと手をかけてドアノブをまわし、重い戸を手前に引き開ける。 すると、待ち兼ねたような勢いで、中から一匹のロコンが器用に尻尾をすぼめ、出来た隙間を潜り抜けて、彼の足にじゃれかかって来た。

「ただ今、クライネ」

帰路思った事に、仕事の途中に感じた事――それら今日一日の苦悩の一切を忘れる願いも込め、万感を込めて帰宅の挨拶を言葉にし、身を屈めて綺麗なオレンジ色をした毛並みに手を触れると、彼女は嬉しそうに彼の体に頬を摺り当て、次いで背中側に素早く回り込んで、肩に身軽によじ登る。
未だ子供である小柄な体は、如何に膝に欠陥を抱えている彼と言えども、それほどの負担にはなりはしない。 ハインツはそのまま相手の好きにさせるがままにしておいて、ロコンがしっかりと自分の肩に地歩を固めたところでゆっくりと立ち上がり、室内用の履物に履き替えた。
 
 
 
クライネは、まだ生後2年にも満たない、♀のロコン。 ……ハインツはこのたった一匹の同居人を、一年半前、南部戦線の山岳地帯で拾った。

当時の彼は、最悪の激戦地として恐れられていた西部戦線の塹壕地帯から、同盟国への援兵としてこの地域に派遣されて来た、増援部隊の一員として抜擢され、山深い故郷にも何処となく似た岩と針葉樹林の起伏に満ちた世界を、生まれながらにして備わっていたオドシシの様に屈強な足腰を持って、縦横に駆け巡っていた。
……心中最早二度と出られないだろうと諦めていた、狂おしいほどに狭い壁土と、泥濘の地獄。 ――そこから一転して、自分が生きて来た本来の世界に舞い戻った当時の彼は、未だにその身が覚えていた山野への適応力に対する感動に打ち震えつつ、文字通り水を得た魚が如き軽快さを発揮して、幾多の功績を上げる。

――山中で生まれ育った彼には、平地から登ってきた素人じみた敵の大群の移動経路をいかにして遮断し、どう防衛線の裏を掻き、何処で奇襲を仕掛ければ良いのかが、まさに手に取るように分かった。

 
そして、そんなある日――彼は、クライネを見つけたのだ。

その日彼らが通過する事となった山林は、敵味方両軍による事前砲撃により、徹底的な掃討射撃を受けていた。 ……そして、行軍を開始してから間も無くの事――彼らは砲弾によって根元から抉られたハイマツの残骸の程近くに、全身に無数の破片を浴びて既に息も無い、金色の毛皮を纏ったボロボロの骸と、その傍らで頻りに親の首の辺りに鼻先を潜り込ませ、早く行こうと促すかのように動かぬ体を押している、幼いきつねポケモンを発見したのである。

「騒ぐようなら、始末しろ」――そう口にした小隊長をそっと押し止めると、ハインツはゆっくりとその親子に歩み寄って行って、冷たくなってゆく親元から離れようとしない、まだ尻尾が一本しかない小さなロコンの体をそっと抱き上げ、連れ去った。
当然ロコンは、嫌がって暴れ出すも、幸い既に空腹やショックで憔悴し切った状態であった為に、按ずるほどには彼ら一行の行軍を妨げる事も無く、無事にその日の野営地まで、連れて行く事が出来た。

その夜、彼は夜通し眠らずに、怯えるロコンの横で付きっ切りで世話を焼き、泥を被った体を拭いてやったり、破片が掠った傷を手当してやったりして、どうにか彼女を落ち着かせた後、有り合わせの携帯食料を食べさせて、寝かし付ける事に成功した。
――昔から共に暮らしていた祖母の、ポケモンの子供の育て方についての知恵や、一緒に山歩きに連れて行ってくれた、山の番人であった祖父の教えが、小さなポケモンの恐怖心とショックを和らげるのに、彼の元々の性格とトレーナーとしての才能同様、非常に大きな役割を果たした。  

そして、眠れぬ一夜……自らに意図的に安息の時間を禁じた、長い夜が明けた時――最早そのロコンは、森の奥へと送り出そうとした彼の足元から、離れようとはしなかった。
 
 
――それから2ヶ月半の間、険しい山々を縫って転戦する彼らと共に、ロコンは常に行動を共にした。  

初めは厄介視していた小隊長や、単なるマスコットとして見、可愛がっていた隊の同僚達も、ロコンがきつねポケモンならではの優れた嗅覚や聴覚で、先んじて危険を察知する場面が増えるに及び、彼女に『チャーム(お守り)』と言う愛称を付けて、重宝がるようになって行く。
彼女は何時もハインツの傍らを離れず、彼が聞き耳を立て、遠くの情勢を確認する為に立ち止まって目を凝らす度に、自らも周囲の気配を確かめるように耳をそばだて、臭いを嗅ぐ事を常としていた。 ……それによって彼女は、度々チームの誰よりも早く隠されていた罠を見破り、また潜んでいた敵ポケモンの位置を特定して、小隊の危機防止に、大きな役割を果たして見せる。
――ロコンが部隊と共に行動するようになってからは、彼の隊では誰一人として、身を潜めていた森トカゲに襲われたり、樹木の陰に敷設された地雷の犠牲になるような者は、出る事がなかった。

……しかしそれでも、ハインツだけは知っていた。 彼女が身を置いている部隊の仲間達からも、寄り添われている自分自身からも……あの時彼女の一番大切な存在を奪っていった、悪魔の臭い―死を連想する無煙火薬と金錆びの臭いが、濃厚に漂い出で、こびり付いている事を――


だから彼は、それ以後もずっと相手のポケモンに対して捕獲用具を使わなかったし、敢えて彼女―ロコンに、特別な名は付けなかった。 ……常には同僚達と同じくチャームと呼んだし、直接構ってやる時は、『クライネ(小さいの)』と呼んだ。
――全ては、自らをして彼女の主人となる決心が付かなかったのと、心を込めた名前を付けて、必要以上に身近な存在になるのが、怖かったからだ。 ……自らの立場の危うさや、それによって浮き上がってくる相手のポケモンの運命を思うと、彼はどうしても暗澹たる思いと躊躇いを、振り払う事が出来なかった――  
 
 
  
「(しかし僕は、まだこいつと一緒にいる……)」

遅い夜食を意識して、ゆっくりと時間をかけて口にした後――これもまた同じく、慎ましいながらも心の篭った、彼お手製のポケモンフーズを十分に口にして、幸せそうに腕の中に抱かれているロコンと共に、静かに寝所へと足を運びつつ、ハインツは独り思いを反芻し、噛み締める。
 

 
結局、あれから半年後――彼は数名の仲間と共に斥候に出た所で、敵方の索敵網に引っかかり、迫撃砲での猛烈な制圧射撃で重傷を負って、前線を去った。


その日彼は、部隊の中から選抜された二人の兵士と共に、尾根の向こう側に集結しつつある敵の攻勢部隊を偵察すべく、本体から大きく突出した形で行動していた。

先頭を行くベテラン下士官の後に従いながら、ハインツら二名の同行者と同数のポケモン達は、起伏に富んだ高地に点在する針葉樹の林を縫いつつ、鋭い視線を配って進む。 
敵陣に浸透しようと試みている彼らにとっては、美しい緑野も高地からの見事な景観も、ただのフィールドに過ぎなかった。 ……風が吹き渡っていくなだらかな草原は、何の遮蔽物も得られ無い危険地帯と映ったし、光と影が織り成す奇岩と山肌のコントラストも、狙撃兵や弾着観測手が潜む可能性がある、厄介なオブジェクトでしかない。
開けた開豁地では飛行ポケモンの奇襲を警戒し、林の中を通り抜ける時は、頭上から忍び寄って来る可能性のある、樹上性の獣達の幻影がチラつく。 ――杖代わりにも使える山岳部隊用のライフルは、磨耗を防ぐ為銃床に鉄板が張られてはいるものの、地面に突いた時に響く音を考慮して、誰も歩行の補助に使おうとはしない。
常に中腰で進む一行の、その利き手の親指は、絶えず構えられた得物の安全装置(セーフティ)に掛かっており、時折その手は無意識の内に、腰の弾薬ベルトの中に入っている対携帯獣用の弾薬を、確かめるようにそっと押さえる。 ……人よりも遥かに強靭な生命力を持つポケモンを、一撃で戦闘不能にするべく開発されたそれは、鋼鉄の被帽と炸薬を充填された弾頭を持つ、言わば徹甲炸裂弾だった。

――行動中に不審なポケモンを見かけた時に、それが味方の所属ではなかった場合――彼らはほぼ百パーセント、岩タイプのポケモンの四肢すら吹き飛ばす威力を持ったそれを、躊躇いもなくライフルに装填し、見かけたポケモンを狙い撃った。 ……明確に野生の個体と見分けられない限り、所属の不明なポケモン達を野放しにして置くのは、余りにもリスクが大き過ぎたからだ。
恐怖が常に敵愾心と隣り合う世界では、『戦場』と区分されたその場に無関係の者が居る事自体が、既に許されざる罪であった。 ……例えそれが、如何に彼ら関係の無い野生のポケモン達にとって、理不尽な事柄であったとしても――

黙々と進む先導役の軍曹は、一時も無駄にする事無く的確なルートを選び、随伴ポケモンであるワルビルとレントラーは、人ならぬ者ならではの鋭い感覚と積み上げられた経験とで、時々思い出したように配置されている設置式トラップの存在を、漏らす事無く読み取っていく。 ……しかしそれでも、息を殺して待ち受けていた、敵方の弾着観測手の目を逃れる事は、出来なかった。 

結局ハインツ達は最後まで、相手の位置も正体も、掴めないままに終わった。 ――ひょっとしたら、あの時の観測手は人間ではなく、ピクシーやルカリオのような、遠距離から相手を捕捉出来る能力を持った、ポケモンであったのかも知れない。
……しかし、それが何者によって齎されたものであれ――彼と彼らが不意を突かれた事だけは、確かな事だった。

彼らの一行が、幾らか視界の開けた低地に、足を踏み入れた時――唐突に耳に飛び込んで来た甲高い飛翔音から、土くれを巻き上げて第一弾が炸裂するまでは、文字通り一呼吸ほどの間もなかった。 ――最初の一発が着弾したのと同時に、膝に火の様な打撃を受けて倒れ込んだハインツの目の前で、周囲の戦友達はまるで粘土細工が引き裂かれるような勢いで、次々と吹き飛ばされていく。 

先頭に位置していた先任下士官は、彼を傷付けたものと同じ迫撃砲弾から飛び散った、鋼鉄のヘルメットをも紙の様に貫く榴散弾の弾片をまともに受けて、瞬時に首から上を失った。 その隣に位置していた同僚は、続けて直ぐ傍に落ちて来た第二弾の爆風に引っさらわれ、胸板に長靴を履いた足が楽々納まるほどの穴を空けられて地面に叩きつけられ、男の手持ちだったワルビルは、脾腹を両断されるほどに深く引き裂かれて、無惨な有様で事切れる。
何とかその場で地に伏せたレントラーのみ、暫くは無傷であったものの――やがて血走った目で辺りを見回す内、間を置かずに落下して来た一弾が頭部に突き刺さり、次の瞬間悲鳴を上げる暇すらなく、閃光と共に消え失せた。 ……傍らで命を失った地面タイプの僚友とは違い、苦痛にもがく時間が存在しなかった事だけが、彼の唯一の救いだった。

生気を失ったままに見開かれた砂漠鰐ポケモンの瞳と、湯気を立てながら広がっていく、夥しい鮮血。 ――それらを呆然と見やりながら、ベタベタの流血に塗れた己の膝を力無く投げ出して呻吟しつつ、次々と飛び来る砲弾に身を晒していたハインツが、無事に失血死を免れて生還出来たのは、遥か後方から真っ先に血の臭いを察知し、衛生兵を引き連れて傍らに飛び込んで来てくれた、ロコンのお陰だった。 
……場馴れた衛生下士官ですら、思わず目を剥く様な凄惨な光景が広がる中、ムッとする血生臭さに嗅覚を奪われ、飛び来る砲弾に聴覚を狂わされながらも、彼女は片時も彼の傍から動こうとはせず、寄り添わせた小さな体を、土煙と流血で汚されるままに任せ置いていた。

ロコンのその献身は、後方に位置していた部隊の他の連中をも、同時に動かす事となり――焦燥に歯を食い縛った衛生下士官に、慌しく応急手当を受けたハインツは、遅れて駆けつけて来た他の戦友達に担がれ、掌大の死神が飛び交うその低地を、辛くも脱出する事が出来た。 ……その後は、野戦病院での手術も無事成功し、片足に障害こそ残りはしたものの、逆にそれが理由となって、彼はその場で兵役免除・退役を宣告される。

――そして、その際も――ロコンは何があろうとも、彼の下から離れようとはせず、最終的には引き離そうとした軍医や同僚達の方が根負けして、『傷病兵の付き添い』と言う名目で、共に彼の故郷へと、帰る事となったのだった。


そんな目に合いつつ漸く戻った故郷も、確かに都会に比べれば、ずっと密やかなものではあったが――冷たく暗い戦争の影は、山間に佇む小さな町にも、しっかりと忍び寄って来ていた。
彼の父親は―前線にいた頃に、前以て手紙で知らされていた事ではあったが―既に東の国との戦いで戦死しており、近所の見知った顔も、随分少なくなっていた。
幼馴染も、同性別の連中は全て各地に散っており、残っていたのは、みんな異性の顔見知りばかり。  ……その彼女らも、殆どは既に相手を決めており、送り出した婚約者や夫の帰りを待つ身ともなれば、一様に表情は暗い。

中には意識して明るく装おうとするような者も、数人は居たが……やはり翳りを含んだその笑顔では、生来他者の感情に対して敏感な感性を持つハインツの目を欺く事は、到底叶わなかった。  ……それでも、何とか気丈に振舞おうとする幼馴染達の健気な努力は、反って負傷してリタイアせざるを得なかった彼の心に、言いようの無い感情を呼び覚ます。
――もう二度と、山野を駆け巡る事が叶わないのは、この上も無い苦痛だと思っていたのだが……故郷の有様と置かれている状態を見て、彼はこの時勢に『何もせずに静かに過ごす』と言う事が、下手な苦悩や障害よりも遥かに苦痛に満ちたものであると言う事実を、身を以って味わう結果になったのである。  
……だからこそ、現在の職務への勤労招集が掛かった時の心境は、正直な所ホッとしたと言うのが、本音であった。
 

 
「(そしてこいつも、またここまで付いて来てしまった……  ……別にあそこの空気や山並みが、気に入らなかった訳でも無いだろうに)」
 

 
――故郷(あそこ)で過ごした2ヶ月足らずの間、既に尻尾が種族名通りに6本にまで分かれ終わっていたクライネは、始終近くの山中に分け入って遊んでいた。
当初は、現地に元々住んでいるポケモン達の縄張りを犯してトラブルになる事を恐れたハインツが、不自由な体を押して、一緒に付き添ったものであったが……『実戦経験』で鍛えられた彼女の感覚や危機回避能力は、同伴するハインツですら舌を巻くほどのものであり、危ない目に合うような要素は皆無であった。
その内ロコンは、ハインツの家族―寡婦となってしまった母親や、共に家を守っている年老いた祖母。 既に婚約者の決まっていた妹に、幼い弟。 ……それに、未だに矍鑠としている山番の祖父にも良く慣れて、森に木の実を拾いに行くのに同伴したり、近所の子供達の遊び相手を務めたり、まだ小さな『火の粉』しか使えないながらも、釣ってきた魚を燻製にするのを手伝ったりして、すっかり家族の一員として、受け入れられるまでになったのである。

……だからこそ彼は、再び此方に赴任してくる時、命の恩人でもあるクライネを、何とか静かな山間の町に置いて来ようと、様々に苦心したのであるが――元より知能の比較的高いポケモン・ロコンである彼女は、幾度か試みた彼の不意の出発を尽く空振りに終わらせて、とうとう煤煙と火薬の臭い、それに喧騒と灯火管制が支配するこの地まで、彼にくっ付いて来てしまった。 


そして、そんなこんなで日々は過ぎ行き――やがていつの間にかハインツにとっても、このまだ幼いきつねポケモンは、鬱積する苦悩や空虚さを埋めてくれるただ一つの支えとして、彼の心の中に、動かしがたい地位を占める事となっていったのである――
 
 
  
寝所に足を踏み入れたハインツは、依然変わりなく、足に負担が掛からないようゆっくりと歩きつつも、今度は加えて意識して、極力足音を立てぬように気を配りながら、家の本来の所有者が好意で残して行ってくれた、小さなベッドに向けて近付いていった。  ……次いで、その縁の辺りにそっと腰を下ろしてから、大人しく運ばれるままになっていたロコンを、反対寄りに寝かせてやる。
既に満腹感と留守番による疲れから、大きな瞳を泳がせながら揺らめかせていた彼女は、やがて間も無しに大きな欠伸をしたかと思うと、とろんとした両の目を閉じて、静かな寝息を立て始める。
――現場監督にされる前の、兵隊に仕立て上げられる更に前――祖父から薫陶を受けた腕利きの猟師だったハインツの耳には、微小に過ぎる小さなポケモンの寝息も、しっかりと聞き取ることが出来た。

そのあどけない様子に、彼は声を立てずに優しく微笑むと、敏感なきつねポケモンの眠りを妨げないよう手は触れずに、静かにお休みを言う。  
……次いで、そっとベッドの下に手を入れると、そこに置かれている大きなトランクの中から、一枚の羽を取り出した。

彼は眠っているクライネの頭の上に、静かにそれ―薄い青を基調とした地に水色の文様が乗った、美しい風切り羽―をかざすと、柔らかな毛先の部分で優しくきつねポケモンの頭を撫でながら、古くから伝わる祝詞を呟く。
――寝る前には何時も必ず、欠かさず行っているその呪(まじな)いは、共にあるポケモンが健やかで丈夫に育つようにとの祈りを込めたもので、村にずっと伝わって来ていた、古い習慣であった。
無事にロコンを起こす事も無くそれを終えると、ハインツはベッド際に置いてある小さな二本の蝋燭の内一本を吹き消し、残り一本の小さな明かりを遮りながら、大切なパートナーの穏やかな寝顔を、静かに見守る。
 
 
 
……明日もやはり、予定は詰まっていたが――   今はただ、この一時を大切にしていたかった――


  [No.171] 第二話  歴史の動かし手 1 【修正版】 投稿者:クーウィ   投稿日:2011/01/14(Fri) 01:51:23   51clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「よし……今日は、その辺にして置こう」

ハインツが見守るその前で、カイリキーが昨日ドック入りした潜水艦から運び出した最後の『魚雷』を、保管用のケースに収め終えたところで――彼は作業場にいる仲間達全員に向け、今日一日の作業終了を呼び掛けた。

するとその言葉に反応して、作業場のあちこちに散らばっていた工員達が一斉に手を止めて、彼の方を振り返る。
種族は様々な、仕事仲間達一匹一匹の顔を順々に見回しつつ、彼はねぎらいの言葉と共に、翌日の作業予定を簡潔に説明して行く。

――彼の前に居並ぶのは、全てが異種族の作業員達。
手近に立っているのは、カイリキーとワンリキーの兄弟に、少し低身長気味のハッサム。  
右手に位置するのは、年老いて多少草臥れた感じのドンファンに、連れ立って此方に目を向けて来ている、オーダイルとヌマクローのコンビ。
更に奥の方では、溶接作業を担当しているブーバーと補助要員のスリープ、それに補充で最近来たばかりのハスブレロが、ゆっくりと歩み寄りつつ、聞き耳を立てていた。
 
 
  
――ここは秋津国から西に位置する大陸の、そのまた西の外れに位置する、中規模国家の一地方都市。
古くから港町として栄えたこの都市は、近年始まった大戦争を待つまでも無く、近代以来ずっと軍港として、発展し続けて来た。
……特に、国家の指導者に現『カイゼル』が即位して以来、徹底した海軍力拡張主義を取った彼の手により、元より戦略上の要衝であったこの都市は、更に一層軍事色を強め、港には軍艦の整備や偽装に使われる施設が、冷たく硬いコンクリートの地肌を連ねて、整然と立ち並ぶ事となる。

三年前に南方の田舎町で徴兵されて以来、ずっと各地で兵役についていたハインツは、一年ほど前に南方の国との戦い―『南部戦線』で負傷し、退役扱いとなったが――優秀なポケモントレーナーでもあった彼には、最早戦局も傾いた昨今、故郷でゆっくりと療養して過ごす事は、許されなかった。
傷が癒えるか癒えないかと言う内に、すかさず勤労召集を受けた彼は、故郷とは丁度真反対の位置にある北の端のこの都市に、ポケモン達による作業班の指図役として投じられて、現在に至っている。
――元々工場やドックで働いていた男達は、次々と徴兵されて前線に送られてしまい、今では彼が指示しているようなポケモンのチームが、この町の機能を支えていた。 
 
 
  
「明日は、今日と同じく早朝からの作業になる。  …きついだろうから、しっかりと休んでおいてくれ」

全員が人ならぬ者である目の前の工員達は、当然ながら一匹として、口がきける訳ではない。 ……それでも、家族同然に付き合って来た彼の言葉を受け止めるその表情は真剣で、目付きも含めて不満や不審の色は、まるで無い。

そんな彼らの表情を見る度に、ハインツはいつも心が揺れる。 ……『喋れなくとも、言葉が通じる』――それ故に彼は、本来この様な使われ方をすべきではない生き物である彼らに対して、自分達人間にのみ当て嵌まる義務や責務を、『命令』と言う形で背負わせる事が出来るのだから。
――自分達が行うこの作業が、結果的に破壊や殺戮、あるいはその両方を、憎しみと共に振り撒く根源となっている事……それを正確に自覚しているのは、彼だけであるにもかかわらず――

しかし同時に、彼は自らの経験からも、この仕事が手を抜けないものである事を、良く理解していた。 死と崩壊を呼び込むだけの、『兵器』と呼ばれる忌むべき道具――その一つ一つの出来と調整具合が、実際に命を懸けて戦っている前線の同胞達の生命を、直接左右する事になるからである。
その事を考えれば、如何に愚かな行いであろうとも……一国民として、この国を挙げた生き残り闘争の一端を担う事は、非常な名誉であり、また避けられない義務でもあった。 ……何時も彼は、心が揺れ動く度にそう自らに念じ、合わせて戦局の不利に伴って各地で起こっている、いわゆる『サボタージュ』の動きに対して、控えめながらも批判の論陣を張る事を、躊躇わなかった。
 
 

中天に昇った月の光が、波止場付近の倉庫群を青白く照らす。 ……彼が一日の報告書類をしたためている内にも、時は歩みを些かも止めずに、しっかりと夜の何たるかを、地上に示し続けていた。

職場である簡易な修理工廠を出たハインツは、町の中ほどにある自らの仮住まいに向けて、退役の直接の原因となった左足―膝に南の敵国の弾片が、食い入ったままのそれ―を僅かに引き摺りつつ、満月から数夜が過ぎたばかりの、まだ月光あらかたな立待月に見守られながら、長い帰途についていた。
左手には、月の光さえ反射することの無い、漆黒の海。 ……停泊艦船から漏れ出た重油がうねる水面には、どろりとして真っ黒なメタンガスの泡が始終浮かんでおり、時折そういった環境を好むヘドロポケモン達がちらほらと、輝く月に誘われたように顔を出して、波に揺られている。
……しかし彼らは、ハインツに気がつくと一目散に逃げ出して、頭を素早く波間に沈め、水中に身を潜める。 ……まだ戦争が始まって間もない時期は、この急激な環境の変化に、廃液やヘドロを好む彼らはそれこそ爆発的に増え、同じく増え続けていた各種ゴーストポケモン達と共に、『銃後』の社会問題になりかかっていた事さえあったのだが……戦が激しくなって『総力戦』が叫ばれるに及び、凡そ『ポケモン』と名の付くものは見境無く捕らえられ、前線に送り込まれるようになってからは、流石の彼らも大幅に数を減らすと同時に、人間を見れば素早く逃げ出し、身を隠すようになっていた。

ハインツ自身も、現役時代に西部戦線に居た頃は、実際に後方から送られて来て、まだ人に馴染んでもいない新米ポケモン達を、現場の空気に慣らしつつ戦力化するのを担当していただけに、その辺の経緯には、非常に詳しかった。 ……どうしても人に慣れない一部のそう言ったポケモン達は、毒ガス兵器の材料として、用いられてすらいるとも聞く。

しかしそれもまた、このような情勢下では、止むを得ない事であった。  ……少なくとも、彼はまたそう信じ、自分を納得させていた。  


……他の事共と、また同じように――
 
 
 
やがて沿岸線を右に折れ、倉庫の間を通り抜けて住宅地に入り、宿舎として借りている、レンガ造りの家屋が近付いてきた時――漸く彼の表情に、柔らかな温もりが戻って来た。
彼が戸口に近付いた頃、静寂に包まれたまま、内部に闇が蟠っていただけのその家屋に、パッと淡い光が燈る。

ゆっくりと手をかけてドアノブをまわし、重い戸を手前に引き開ける。 すると、待ち兼ねたような勢いで、中から一匹のロコンが器用に尻尾をすぼめ、出来た隙間を潜り抜けて、彼の足にじゃれかかって来た。

「ただ今、クライネ」

帰路思った事に、仕事の途中に感じた事――それら今日一日の苦悩の一切を忘れる願いも込め、万感を込めて帰宅の挨拶を言葉にし、身を屈めて綺麗なオレンジ色をした毛並みに手を触れると、彼女は嬉しそうに彼の体に頬を摺り当て、次いで背中側に素早く回り込んで、肩に身軽によじ登る。
未だ子供である小柄な体は、如何に膝に欠陥を抱えている彼と言えども、それほどの負担にはなりはしない。 ハインツはそのまま相手の好きにさせるがままにしておいて、ロコンがしっかりと自分の肩に地歩を固めたところでゆっくりと立ち上がり、室内用の履物に履き替えた。
 
 
 
クライネは、まだ生後2年にも満たない、♀のロコン。 ……ハインツはこのたった一匹の同居人を、一年半前、南部戦線の山岳地帯で拾った。

当時の彼は、最悪の激戦地として恐れられていた西部戦線の塹壕地帯から、同盟国への援兵としてこの地域に派遣されて来た、増援部隊の一員として抜擢され、山深い故郷にも何処となく似た岩と針葉樹林の起伏に満ちた世界を、生まれながらにして備わっていたオドシシの様に屈強な足腰を持って、縦横に駆け巡っていた。
……心中最早二度と出られないだろうと諦めていた、狂おしいほどに狭い壁土と、泥濘の地獄。 ――そこから一転して、自分が生きて来た本来の世界に舞い戻った当時の彼は、未だにその身が覚えていた山野への適応力に対する感動に打ち震えつつ、文字通り水を得た魚が如き軽快さを発揮して、幾多の功績を上げる。

――山中で生まれ育った彼には、平地から登ってきた素人じみた敵の大群の移動経路をいかにして遮断し、どう防衛線の裏を掻き、何処で奇襲を仕掛ければ良いのかが、まさに手に取るように分かった。

 
そして、そんなある日――彼は、クライネを見つけたのだ。

その日彼らが通過する事となった山林は、敵味方両軍による事前砲撃により、徹底的な掃討射撃を受けていた。 ……そして、行軍を開始してから間も無くの事――彼らは砲弾によって根元から抉られたハイマツの残骸の程近くに、全身に無数の破片を浴びて既に息も無い、金色の毛皮を纏ったボロボロの骸と、その傍らで頻りに親の首の辺りに鼻先を潜り込ませ、早く行こうと促すかのように動かぬ体を押している、幼いきつねポケモンを発見したのである。

「騒ぐようなら、始末しろ」――そう口にした小隊長をそっと押し止めると、ハインツはゆっくりとその親子に歩み寄って行って、冷たくなってゆく親元から離れようとしない、まだ尻尾が一本しかない小さなロコンの体をそっと抱き上げ、連れ去った。
当然ロコンは、嫌がって暴れ出すも――幸い既に空腹やショックで憔悴し切った状態であった為に、按ずるほどには彼ら一行の行軍を妨げる事も無く、無事にその日の野営地まで、連れて行く事が出来た。

その夜、彼は夜通し眠らずに、怯えるロコンの横で付きっ切りで世話を焼き、泥を被った体を拭いてやったり、破片が掠った傷を手当してやったりして、どうにか彼女を落ち着かせた後、有り合わせの携帯食料を食べさせて、寝かし付ける事に成功した。
――昔から共に暮らしていた祖母の、ポケモンの子供の育て方についての知恵や、一緒に山歩きに連れて行ってくれた、山の番人であった祖父の教えが、小さなポケモンの恐怖心とショックを和らげるのに、彼の元々の性格とトレーナーとしての才能同様、非常に大きな役割を果たした。  

そして、眠れぬ一夜……自らに意図的に安息の時間を禁じた、長い夜が明けた時――最早そのロコンは、森の奥へと送り出そうとした彼の足元から、離れようとはしなかった。
 
 
――それから2ヶ月半の間、険しい山々を縫って転戦する彼らと共に、ロコンは常に行動を共にした。  

初めは厄介視していた小隊長や、単なるマスコットとして見、可愛がっていた隊の同僚達も、ロコンがきつねポケモンならではの優れた嗅覚や聴覚で、先んじて危険を察知する場面が増えるに及び、彼女に『チャーム(お守り)』と言う愛称を付けて、重宝がるようになって行く。
彼女は何時もハインツの傍らを離れず、彼が聞き耳を立て、遠くの情勢を確認する為に立ち止まって目を凝らす度に、自らも周囲の気配を確かめるように耳をそばだて、臭いを嗅ぐ事を常としていた。 ……それによって彼女は、度々チームの誰よりも早く隠されていた罠を見破り、また潜んでいた敵ポケモンの位置を特定して、小隊の危機防止に、大きな役割を果たして見せる。
――ロコンが部隊と共に行動するようになってからは、彼の隊では誰一人として、身を潜めていた森トカゲに襲われたり、樹木の陰に敷設された地雷の犠牲になるような者は、出る事がなかった。

……しかしそれでも、ハインツだけは知っていた。 彼女が身を置いている部隊の仲間達からも、寄り添われている自分自身からも……あの時彼女の一番大切な存在を奪っていった、悪魔の臭い―死を連想する無煙火薬と金錆びの臭いが、濃厚に漂い出で、こびり付いている事を――


だから彼は、それ以後もずっと相手のポケモンに対して、捕獲用具を使わなかったし――敢えて彼女―ロコンに、特別な名は付けなかった。 ……常には同僚達と同じくチャームと呼んだし、直接構ってやる時は、『クライネ(小さいの)』と呼んだ。
――全ては、自らをして彼女の主人となる決心が付かなかったのと、心を込めた名前を付けて、必要以上に身近な存在になるのが、怖かったからだ。 ……自らの立場の危うさや、それによって浮き上がってくる相手のポケモンの運命を思うと、彼はどうしても暗澹たる思いと躊躇いを、振り払う事が出来なかった――  
 
 
  
「(しかし僕は、まだこいつと一緒にいる……)」

遅い夜食を意識して、ゆっくりと時間をかけて口にした後――これもまた同じく、慎ましいながらも心の篭った、彼お手製のポケモンフーズを十分に口にして、幸せそうに腕の中に抱かれているロコンと共に、静かに寝所へと足を運びつつ、ハインツは独り思いを反芻し、噛み締める。
 

 
――結局あれから半年後、彼は単身斥候に出た所で敵方の索敵網に引っかかって、迫撃砲での猛烈な制圧射撃を受けて重傷を負い、前線を去ったが――その際にもこのポケモンは、膝の辺りを弾片で抉られて、血だらけになって呻吟していた彼を真っ先に見つけ、そのまま片時も傍らを離れようとはせず、最終的には引き離そうとした軍医や同僚達の方が根負けして、『傷病兵の付き添い』と言う名目で、共に彼の故郷へ帰ることになったのである。


しかし、漸く戻った故郷も、確かに都会に比べれば、ずっと密やかなものではあったが――冷たく暗い戦争の影は、山間に佇む小さな町にも、しっかりと忍び寄って来ていた。
彼の父親は―前線にいた頃に、前以て手紙で知らされていた事ではあったが―既に東の国との戦いで戦死しており、近所の見知った顔も、随分少なくなっていた。
幼馴染も、同性別の連中は全て各地に散っており、残っていたのは、みんな異性の顔見知りばかり。  ……その彼女らも、殆どは既に相手を決めており、送り出した婚約者や夫の帰りを待つ身ともなれば、一様に表情は暗い。

中には意識して明るく装おうとするような者も、数人は居たが……やはり翳りを含んだその笑顔では、生来他者の感情に対して敏感な感性を持つハインツの目を欺く事は、到底叶わなかった。  ……それでも、何とか気丈に振舞おうとする幼馴染達の健気な努力は、反って負傷してリタイアせざるを得なかった彼の心に、言いようの無い感情を呼び覚ます。
――もう二度と、山野を駆け巡る事が叶わないのは、この上も無い苦痛だと思っていたのだが……故郷の有様と置かれている状態を見て、彼はこの時勢に『何もせずに静かに過ごす』と言う事が、下手な苦悩や障害よりも遥かに苦痛に満ちたものであると言う事実を、身を以って味わう結果になったのである。  
……だからこそ、現在の職務への勤労招集が掛かった時の心境は、正直な所ホッとしたと言うのが、本音であった。
 

 
「(そしてこいつも、またここまで付いて来てしまった……  ……別にあそこの空気や山並みが、気に入らなかった訳でも無いだろうに)」
 

 
――故郷(あそこ)で過ごした2ヶ月足らずの間、既に尻尾が種族名通りに6本にまで分かれ終わっていたクライネは、始終近くの山中に分け入って遊んでいた。
当初は、現地に元々住んでいるポケモン達の縄張りを犯してトラブルになる事を恐れたハインツが、不自由な体を押して、一緒に付き添ったものであったが……『実戦経験』で鍛えられた彼女の感覚や危機回避能力は、同伴するハインツですら舌を巻くほどのものであり、危ない目に合うような要素は皆無であった。
その内ロコンは、ハインツの家族―寡婦となってしまった母親や、共に家を守っている年老いた祖母。 既に婚約者の決まっていた妹に、幼い弟。 ……それに、未だに矍鑠としている山番の祖父にも良く慣れて、森に木の実を拾いに行くのに同伴したり、近所の子供達の遊び相手を務めたり、まだ小さな『火の粉』しか使えないながらも、釣ってきた魚を燻製にするのを手伝ったりして、すっかり家族の一員として、受け入れられるまでになったのである。

……だからこそ彼は、再び此方に赴任してくる時、命の恩人でもあるクライネを、何とか静かな山間の町に置いて来ようと、様々に苦心したのであるが――元より知能の比較的高いポケモン・ロコンである彼女は、幾度か試みた彼の不意の出発を尽く空振りに終わらせて、とうとう煤煙と火薬の臭い、それに喧騒と灯火管制が支配するこの地まで、彼にくっ付いて来てしまった。 


そして、そんなこんなで日々は過ぎ行き――やがていつの間にかハインツにとっても、このまだ幼いきつねポケモンは、鬱積する苦悩や空虚さを埋めてくれるただ一つの支えとして、彼の心の中に、動かしがたい地位を占める事となっていったのである――
 
 
  
寝所に足を踏み入れたハインツは、依然変わりなく、足に負担が掛からないようゆっくりと歩きつつも、今度は加えて意識して、極力足音を立てぬように気を配りながら、家の本来の所有者が好意で残して行ってくれた、小さなベッドに向けて近付いていった。  ……次いで、その縁の辺りにそっと腰を下ろしてから、大人しく運ばれるままになっていたロコンを、反対寄りに寝かせてやる。
既に満腹感と留守番による疲れから、大きな瞳を泳がせながら揺らめかせていた彼女は、やがて間も無しに大きな欠伸をしたかと思うと、とろんとした両の目を閉じて、静かな寝息を立て始める。
――現場監督にされる前の、兵隊に仕立て上げられる更に前――祖父から薫陶を受けた腕利きの猟師だったハインツの耳には、微小に過ぎる小さなポケモンの寝息も、しっかりと聞き取ることが出来た。

そのあどけない様子に、彼は声を立てずに優しく微笑むと、敏感なきつねポケモンの眠りを妨げないよう手は触れずに、静かにお休みを言う。  
……次いで、そっとベッドの下に手を入れると、そこに置かれている大きなトランクの中から、一枚の羽を取り出した。

彼は眠っているクライネの頭の上に、静かにそれ―薄い青を基調とした地に水色の文様が乗った、美しい風切り羽―をかざすと、柔らかな毛先の部分で優しくきつねポケモンの頭を撫でながら、古くから伝わる祝詞を呟く。
――寝る前には何時も必ず、欠かさず行っているその呪(まじな)いは、共にあるポケモンが健やかで丈夫に育つようにとの祈りを込めたもので、村にずっと伝わって来ていた、古い習慣であった。
無事にロコンを起こす事も無くそれを終えると、ハインツはベッド際に置いてある小さな二本の蝋燭の内一本を吹き消し、残り一本の小さな明かりを遮りながら、大切なパートナーの穏やかな寝顔を、静かに見守る。
 
 
 
……明日もやはり、予定は詰まっていたが――   今はただ、この一時を大切にしていたかった――


  [No.579] 第三話  歴史の動かし手 2 投稿者:クーウィ   投稿日:2011/07/10(Sun) 14:57:01   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

※こちらは原文です。  ……過激な描写や出血表現が用いられる可能性がある為、中学生未満の方や残酷表現に敏感な方は、ご覧になることを見合わせ下さいますよう、予めお願い致し置きます――





その日もハインツは、上空を厚い雲に覆われて光が全く届かない深夜の波止場を、長く続いている灯火管制により、すっかり闇に慣れてしまった夜間視力を頼りに、左足を引き摺って歩いていた。  

既に季節は秋を周り、冬の気配が近付き始めている。……以前よりもはっきりと足を引き摺っているのは、日々冷たさを帯びていく外気に、金属片を包み込んだ膝の傷痕が反応し、痛みが増しているからに他ならない。
それでも彼は、目下の所そんな痛みを嘆くような素振りは、毛ほども見せてはいない。元より、冷気が膝の傷跡を抉るのは、一年前に分かっていた事だった。


現在の彼を苦しめているのは、そんな自分の肉体を襲う苦痛ではなく、自らの元に配属されている、ポケモン達を巡る問題についてであった。
――最近特に顕著になって来た、戦局の急速な悪化に伴い、配属下のポケモン達に対して、抽出を仄めかす様な通知や指示書が、頻りに舞い込むようになったのである。
主なものについては、『貴工廠に所属している陸生ポケモンの、西部戦線への抽出が可能かどうか』と言った類の問い合わせや、『工廠勤務の水生ポケモン達を、再び艦上勤務に付かせたい』と言う打電などであった。……それら全てが、彼に言わせれば実現不可能である事がはっきりしているにもかかわらず、各地の徴兵オブザーバー達の呼び掛けや要請は、全く引きも切らない。

カイリキーとワンリキーの兄弟は、重度の閉所恐怖症であった。……彼らでは、塹壕戦が全てとも言える西部戦線での軍役など、到底望むべくも無い。
ハッサムは背が低くて、他の自然個体よりずっと小柄な上に、耳が遠かった。……この問題を克服する為に、彼は監督として配属された当初から、アイコンタクトと手真似で最低限の意思疎通が図れるように、ずっと努力して来たのだ。
オーダイルとヌマクローに至っては、元々は大型主力艦艇に乗船・配属されていた、生え抜きの軍用携帯獣だったが……数年前の大海戦で、乗艦を集中射撃で撃沈されて以来、海に出る事自体がトラウマになっており、『使い物にならない』というレッテルを貼られて行き場を失っていた所を、彼が自ら引き取って、作業員としての訓練を積ませて来たのである。……それを今更、レッテルを貼った当の本人達が再び引っ張ろうとしているのだから、話にならない。


しかし一方で、心の底ではまた違った感情が――理屈抜きの思いが渦を巻くのを、どうしても押し止められなかったのも事実だった。  
『失いたくは無い』――本当は、これが本音だったと言ってもいいだろう。

この一年ほどの間、とても短い期間ではあったが、それでも彼らはずっと苦楽を共にして、一緒に仕事に励んだ仲間達である。……主人でもない、ポッと出の見知らぬトレーナーである彼に対して心を開き、唯々諾々と指図に甘んじてくれた、掛け替えの無い仲間達なのだ。
ハインツはそれこそ臨時の現場監督に過ぎなかったが、それでも彼らの上に立つ者として―そしてまた、一人のポケモントレーナーとしても―自らの裁量下にあるポケモン達の身の上に対し、強い責任を感じるようになっていた。


――西部戦線(あそこ)は、正真正銘の地獄だった。
既に現場(そこ)を離れてから、二年以上が経過しているにも拘らず、ハインツは今でも度々、その光景を夢に見る。……夜中に汗びっしょりになって目覚めた時、彼は傍らで心配そうな表情を浮かべているロコンの心細げな鳴き声で、漸く我に帰るのだ。

一年が一日の如く推移する、塹壕戦の世界。変化に乏しく、死人ばかりが増え続けるあそこでは、全ての存在が消耗品だった。 
そこには人もポケモンも無く、更には兵器と生き物の区別すら無い。当事国中からかき集められてきたそれらは、皆平等に戦力表上の数字としてのみ表され、ただ唯一『敵・味方』と言う色分けだけが、絶対的な拘束力を持って、場に集う全てのものをより分けていた。

言わば駒に過ぎなかった彼ら自身を、最も的確に言い表したのは、同じ部隊に居たトーマスと言う名の古参兵であった。 
部隊に何度目かの攻撃命令が下ったその日、突撃の為に終結地点に移動している途中で、激しい戦闘の渦中で頭のおかしくなった負傷兵が、虚ろな目で淡々と泥団子を並べているのを目撃した時―― 一度思想問題で投獄された経験のあるその男は、離れた場所に居る士官達に聞こえないように、諦め切った口調で呟いた。
 
「あれが、俺達だ」

思わず視線を向けて来るハインツら同僚達に対し、彼は続けて、無作為に潰され始めた泥の塊の列をじっと見詰めつつ、尚も呟く。

「ただ砲弾の餌にされる為に集められて、前に追い立てられるだけの肉の塊だ。 ……人も獣も、砲門もタンクも関係ない。何もかも一緒くたに耕されて、泥土と一緒に混ぜこねられて行く」

全て潰された後、一塊に放置された泥団子を背中に、彼は皮肉に満ちた自嘲の笑みを浮かべると、吐き捨てるようにこう締め括った。

「所詮は消耗品さ。……だが同じ消耗品でも、ポケモンどもはちゃんと嫌がる。逃げようともするし、足を踏ん張って出撃命令を拒絶しようとするってのに、俺達はどうだ? 
 連中よりずっと頭が良くて、普段からトリだのブタだのと馬鹿にしてるクセに、命令とあらばこうやって、毎日無気力に歩き回ってる。 ……何の意気地もありゃしない。これじゃまさにブタ以下さ」

もし将校や下士官に聞かれたら、ただでは済まなかっただろう。……しかしそれ故に、敢えてそれを口にしたトーマスの言い分は、周囲の戦友達の奥底に、深く刻み込まれる事となる。

「とっととオサラバしたいってのにな」――最後にそう付け足した彼は、それでも結局、そこから出て行くことは出来なかった。
時を移さず参加した攻勢作戦に於いて、トーマスは顔面に敵の狙撃兵の弾丸を受け、泥濘に覆われた台地を朱(あけ)に染めて、悲鳴すら上げられずに息絶えた。 ……目鼻の区別も付かぬほどに破壊されたその顔面から、牛乳瓶を逆さにした時のような音を立てて鮮血が噴き出す中、飛び来る弾丸を避けてピッタリと地面に張り付いていたハインツには、彼に対してしてやれる事など何一つ無かった。 

無論、トーマスだけではなかった。 
その日一日の作戦期間だけでも、彼は両手の指に遥かに余るほどの、大勢の戦友を失っていた。

フランツもガイルも戦死した。 エドもマックスもオスターも、雨霰と降り注ぐ各種火砲に吹き飛ばされ、物言わぬままに土砂に埋もれた。
勇敢なエアハルト伍長は、顔面を掠めた砲弾の真空圧により両の眼球を吸い出され、無惨な有様で事切れたし、ハインツと仲の良かった、ハーモニカの名手だったクルトも、対携帯獣用の弾丸を腹部に受け、真っ二つに裂け飛ばされて死んだ。
平坦な穴だらけの数百メートルを前進し、奪回するだけの作戦で、千人近い人間とほぼ同数のポケモン達が、飛来する砲弾と驟雨のような機関銃弾に切り裂かれ、目的を遂げる糸口すら掴めぬままに潰滅した。

同じ小隊で戦死した連中には、誰一人として三十を過ぎていた者はいなかった。 半数以上が故郷に妻や恋人を残し、そして更に全員が、国に家族を残して来ていた。
その日の夜、ハインツはボロボロになって退却して来た元の陣地に於いて、直属の大隊長が夜なべして手紙を書いている様を、同じく作戦から生き残ったグラエナと共に、歩哨に立った折に目撃する。
『私は此処に、痛心ながらもお知らせしなくてはなりません……』 ――幾通もの手紙に同じ文言を書き連ね続けていたその中佐は、後に自ら前線に出て指揮をとり、敵狙撃兵の戦果報告書を飾る事となった。


例え作戦行動が一切予定されてなくとも、日々の暮らしは安穏からは程遠かった。

前触れも無く降り出す雨は、身を休める土壁の要塞を瞬く間に排水溝に変え、砲弾によって耕された前線より流れ込んできた水からは、腐敗した生ゴミの臭いが漂う。
汚水に踝まで浸かって生活する彼らは、始終『塹壕足炎』に悩まされ、捨て場の殆ど無い排泄物によって汚染された食品は、伝染病の流行に一役買う。
そんな折でも砲弾が降り注ぎ始めれば、溜まった泥水を掻き抱くようにして身を縮め、直撃弾によって負傷した者達の金切り声を、粘り付く硝煙の臭いの中に聞かねばならない。 しかしそんな避難場所も、時折集団で襲ってくる飛行ポケモンの群れに対しては、それ程役には立たなかった。
夜が来れば侵入して来る敵兵の影に怯え、朝が来れば強張った体を解しつつ用を足し、その際唯一得られる微温湯を使って、泥と油に塗れた両手を濯ぐ。
衛生状態の悪化から虱は体中に湧き、圧迫感と閉塞感に耐え切れず、心身に異常を来たして壕を飛び出した者は、瞬く間に狙撃兵の餌食となった。

人間がそんな有様なのだから、ポケモン達の置かれている状態は更に過酷だった。

糧秣は常に乏しく、地を駆ける者も空を羽ばたく者も、行動の自由は一切許されず、狭い穴倉の中でひたすら待機させられる。
聴覚の優れた者は、絶えざる爆音に脅かされ、嗅覚の発達した者は、常に漂う悪臭に苛まれ続ける。 繊細な者は心身を喪失させ、穏便な者は荒じ果てた環境にノイローゼを誘発させられたが、指揮統制は厳格を極め、命に反したり恐慌状態に陥った獣達は、多くの場合その場で処分された。
戦闘ともなれば真っ先に前面に立たされるが、優れた耐久力や強靭な生命力も、進化を続けた兵器の破壊力の前には既に抗するべくもなく、また高い能力や強力な特性を兼ね備えた者に関しては、重要オブジェクトとしてあっという間に攻撃が集中する。 開戦当初は主力を努めた大型ポケモンや、特殊能力に優れた人型のポケモン達も、最優先目標として徹底的に狙い撃たれるに及び、程なくして戦場から姿を消していった。 
例えそうでない者も、人とは違い輸血や鎮痛剤の投与等の緊急救命処置は受けられず、また帯電していたり、体温が非常に高い種族に至っては、手当てそのものが困難な為、応急処置を放棄される場合が殆どであった。


しかし無論、やられていたばかりでもなかった。
向かって来る敵方の兵も、基本的には皆、彼らが辿ったのと同じ運命に陥っていたし、首尾良く相手の陣地に突入出来た暁には、敵味方共に凶暴性を剥き出しにして、慌てる守備兵を悪鬼の如く狩り立てた。
ハインツ自身も、一旦攻撃が成功して白兵戦に持ち込めた時には、背を向けて二線陣地に逃げ込もうとする敵兵に対し、情け容赦はしなかった。

あの悪夢のような一日から、まだ日も浅かったその日―― 一方的に撃たれ続けて憤怒の塊となっていた彼は、燃え盛る敵愾心に導かれるまま敵方の交通壕に侵入し、共に罵声を上げて飛び込んで来た戦友達共々、つい先程まで集中砲火を浴びせて来ていた敵方の兵士を、情け容赦の無い白兵戦で一掃した。
目の前に飛び下りて来た味方の兵士に向け、反射的に銃弾を浴びせた敵方の下士官を、胸部への一発で無造作に撃ち殺すと、その後ろにいて戸惑ったように突っ掛かって来た若い兵士を、銃剣で貫いて蹴り倒す。 作業用の蛮刀を振るう別の兵士が、背を向けて逃げようとする狙撃兵の肩口に得物を一閃させると、皮肉を断たれて転がる男の口から、この世のものとは思えぬほどの高音が発せられた。

一時駆けつけて来た敵方のシュバルゴによって追撃は停滞したものの、新たに戦列に加わったブーバーンが一撃で甲冑虫を焼き尽くすと、無事にハインツ達の小隊は、その陣地を乗っ取る事に成功する。
続いて彼は、蛸壺(個人用掩蔽壕)一つ一つに手榴弾を投げ込んでいく僚友達とは別に、小隊で生き残っていたただ一人のトレーナーとして攻勢支援の命令を受け、ブーバーンにワカシャモ、それにコータスと言った三匹の炎ポケモン達を率い、未だに抵抗を続けている防衛線の中枢部に対する攻撃に加わって、強固なコンクリート陣地を『火炎放射』で焼き討ちし、陥落させた。

孤立していたトーチカからの反撃は熾烈を極め、彼らが到着した時には、既に味方の兵は攻撃を中断して膠着状態に陥っており、強固なコンクリートの掩蔽壕の周りには、大勢の兵士やポケモン達が撃ち倒されて転がっていて、死体に混じって蠢く負傷者達はそこかしこで苦悶し喘ぎ、喚き散らしていた。
前面に現れた炎ポケモン達の姿に気が付くと、それを目にした敵方の兵士達は恐怖に慄き、新たに戦列に加わったハインツらの一隊に対し、ありったけの射線を集中して来る。

先ず盾になろうとしたコータスが、あっという間に対携帯獣弾で甲羅を割られて重傷を負い、悲痛な鳴き声と共に倒れ伏す。体内で燃え盛る高温のエネルギーが溢れ出し、周囲に凄まじい蒸気が立ち昇る中、余りの熱気に近寄る事も出来ず、止む無く手当てもなされぬままに放置されている石炭ポケモンの向こう側では、胸を撃たれた若い兵士が、魂を抜かれたような虚ろな声で、ひたすら「何で? 何で……?」と繰り返していた。 
続いて更に、周囲から続々と飛来する飛行ポケモン達の襲撃によって、息も絶え絶えの炎亀を何とか回収しようとしていたブーバーンが、奮戦空しく片腕を失い、血飛沫を風に流して昏倒する。それと同時に、再びターゲットを変えた敵陣地からの一弾が、ハインツの背後で送話器を片手に、味方砲兵陣地に対して煙幕射撃を要請している、将校の額を貫いた。大尉の階級章を身に付け、手に持った機械に向け喚き散らしていたその男は、瞬間声を失ったままレシーバーを取り落とすと、空いた片手で傷口を押さえ、「ああ、母さん……」と呟いた後絶命する。

最後にただ一匹だけ残ったワカシャモが、何とかハインツの援護射撃の下に『エアスラッシュ』を掻い潜り、中央のトーチカに直接猛火を注ぎ込んだ所で、漸く大勢が決した。……全身火達磨となり、絶叫と共に銃眼から転がり出てくる味方の最期に恐慌を来たした守備兵は、やがて抵抗を停止すると白旗を掲げ、その日の反攻作戦は、成功裡の内に幕を閉じる。


その日の功績により、ハインツは大隊本部から激賞されると共に、後に戦況に与えた影響の大きさを評価されて、鉄十字勲章を受賞した。……しかし既に、そんなものに対して名誉を感じるには、彼は余りにも多くのものを見過ぎていた。
ハインツだけではなかった。 同じ隊に所属していた殆ど全ての戦友が、戦功を賞する栄誉に対し、一様に冷めた感情を抱いていた。
――真に叙勲に値するのは、命運拙く戦いの渦中に斃れ、戦場の露と消えていった者達だけだった。……生者は『生き残った』と言う事実のみで十分であり、それ以外の何物をも、必要としてはいなかったのだから。 

懸命の手当ての甲斐も無く逝ってしまったコータスを陣地の片隅に埋葬し、かたわになったブーバーンを衛生兵に託した後、爆音も疎らになった塹壕の片隅でワカシャモと共に携行食を空けつつ、沈み行く夕日を見送っていたハインツは、陣地の元々の所有者達が遺していった様々な品物を前に、無常の思いを強くする。
陣営や所属は違えど、同じ兵隊。……そこに散らばる故人達の私物は、彼らが自分達の塹壕に大切に仕舞い込んでいるそれと、全く大差はなかった。

中でも記憶に残ったのは、土壁に刳り貫かれた狭い寝棚の一つに残っていた、一輪のスミレの花であった。
枕元に置かれたヘルメットの下に覗いている、そこだけ場違いな緑色の色彩に、興味を持ったハインツが重い鉄兜を取り除けた所に、それはあった。
書きかけと見られる手紙の傍らに置かれたそれは、押し花にしようと試みていたらしい持ち主の意向に反して未だに青々しく、今日の戦闘が始まる前に手折られたであろう事は、疑いようが無かった。

――今日の戦闘開始時刻は、早朝7時。 準備砲撃は6時頃から開始されたとは言え、そこから今のこの時点まででも、せいぜい半日程度に過ぎない。
ホンの数年前までは、仕事の為に家を出てから、帰宅の途に付く程度の時間。 一輪の花が萎れ切るにも足りないその間に、此処では数百のポケモン達が骸を晒し、数千に余る人間が死んだのである。

書きかけの手紙の隣には、持ち主と見られる青年と、手紙の宛先であろう若い女性が写った、一枚のスナップ写真。 ……ただ枯れ行くだけであろう小さな紫の花弁共々、この手紙や書き手が彼女の元へと届く事は、もう二度とない。 
言葉も無く文面を見つめるハインツには、その内容が理解出来ない事だけが、唯一の救いだった。

どんどん深く、陰鬱な沼の底へと嵌り込んで行くそんな彼を引き戻したのは、傍らに控えていたワカシャモの、囁きかけるような鳴き声だった。
戦いの際に上げる、耳を劈(つんざ)く様な金切り声とは似ても似つかない、か細く控えめな呼び掛け。思わず振り返ったハインツの顔を、彼は透き通ったオレンジ色の瞳で、真っ直ぐに見詰め返して来た。


――命懸けの毎日が続く中、厳しい環境と情け容赦の無いストレスに晒される兵隊達の中には、自らの心を意図的に閉ざしてしまう者も、少なくは無かった。 
彼らは現状を客観的に受け止める事を避け、必要最小限のものにしか心を動かさず、本能と欲求の赴くままに、飾る事も無く振舞う。攻撃命令が来れば黙々と動き、戦友の亡骸を見ても眉一つ動かさず、奪取した塹壕で見かけた敵兵の家族写真を血溜りに投げ込んで、転がっている死体から金歯さえ抜き取った。
無表情のまま、顔色一つ変えずに戦い続けるそんな彼らを、死んだトーマスは自らへの皮肉も込めて、『娼婦』と呼んだ。

「あいつらだって、国に帰れば『お父さん』だ」

敵の死体を蹴り転がし、腕時計を剥ぎ取る男を眺めつつ、彼は言った。

「体を売って生活してる盛り場の女が、家じゃ母親なのと同じ様にな。 ……好きもへったくれも無くこんな所に来て、毎日胸糞悪く殺し合ってる。国じゃあ定めし良き夫であり父親であっても、ここではただのケダモノさ」

ヘルメットに手を伸ばした彼は、防水カバーの上に巻いたバンドに挟み付けられた小さな箱から、ひしゃげたタバコを引っ張り出して火をつける。

「それで休暇で家に帰った日には、昔の自分を思い出せずに、家族の前でひたすら悩む。戸を開ける音にもびくびくし、夜風の音にも怯えた挙句、夜中に静かに眠ってられず汗びっしょりで飛び起きて、一緒に寝ているかみさんや子供を叩き起こす――」

トーマスの言葉は、決して誇張では無い。……事実、ハインツ自身にしてもそうだった。
その日一日にしろそれ以前の事にしろ、最早回数を思い出すのも不可能なほどに引き金を引き、人やポケモンを殺してきたにも拘らず、明確な理由をその中に見出せる事など、一度として無いと言い切って良かった。

確かに、撃たなければ殺された。襲われれば迎え撃った。殺らなければ仲間が殺られた。……しかし実の所は、そのどれもが、別に確たる理由になっている訳ではなかった。
本当の所、彼は殆ど無意識の内に、相手に銃口を向けていた。……単純に、対象が『敵』である――ただ、それだけの理由で。
構えた銃口の向こう側に見える者が敵ならば、それは最早標的以外の何者でもなく、早急に片付けるべき異物に過ぎない。『敵である』と認識する事それ自体が、以下に呆気なく対象を単なる『標的』に変えるのかを初めて自覚した時、ハインツは自らの冷淡さに対して、身の毛が弥立つほどの衝撃を覚えたものだった。 

そう……此処で彼らが従っていたのは、最早理屈や義務感などではない。戦場に赴かせ、其処に踏み止まらせるものこそ大義であったが、実際に彼らを戦わせるのは、もっとずっと単純なもの――体の奥底から湧き上がってくる、言いようの無い不気味な衝動こそが全てだった。
そこにいるのは、家族の盾になるべく立ちはだかる戦士でもなければ、身を以って国を守ろうとする愛国者でも、戦友達の為に義務を果たす兵士でもない。……ただ相手を傷つける事の出来る武器を携え、その使い方に習熟した、危険なケダモノが存在しているばかりであった。

理性と感情の気違いじみた満ち干の中、前線に張り付けられた兵隊達の殆どは、大なり小なりその場を支配する狂気に取り付かれ、平和な時代には決して表には出さなかったであろう、凶暴な本能を剥き出しにしていた。
嘗て生活していた世界は、最早別の惑星での事であったのかと思えるほどに遠く、不意に前線から故郷に舞い戻った男達は、昔の面影を捜し求める家族の前で、初めて自分の変遷を目の当たりにし、呆然として為す術を知らない。
束の間の休暇を終え、再び前線に戻って来た彼らは、その思い出を大切にしながらも尚一層孤独感を深めて行き、やがて更に無機質な感情の下に、『敵』に対して牙を剥くようになる。
『正気ではいられない』――  それこそが、彼ら前線の兵(フロント)に課せられた日常的な定めであり、また狂気に満ちた現実から己の自我を護る、最良の逃避でもあった。
後方から急遽補充されて来た新兵達も、経験を積む前に大半が殺されるのが常ではあったにせよ、生き残った者達は迅速に古参兵からやり方を学び取って、怯えと戸惑いに溢れた初々しい瞳を、『死体を見慣れた目』へと変えて行く。
――最前線(ここ)に生きている限り、嘗て平和な時代に生活していた時の感性で日々を送るのは、あまりにも負担が大き過ぎたからだ。


しかし、唯一つだけ――前線に貼り付けられた数々の兵種・兵科の中、下っ端の兵卒に至るまで、そう言った逃避や自閉が、許されない連中が居た。
……それが彼ら、ポケモントレーナーである。

トレーナーは何時どんな時でも、ポケモン達と正面から接している必要があった。
何故なら、彼らが率いている形状も性質も様々な生き物達は、基本的に皆、戦場で戦う理由とその意義を、主人である人間達と共有する事が出来なかったからだ。

人が持つ、国家や国土への誇り。生まれ故郷たる美しい祖国への帰属意識や、仲間と共にそれを護ると言う誓いに対して齎される奮い立つような高揚感も、野生で生き抜く事に特化した彼ら獣達には、全く無縁の事柄であった。
『己が生命を賭してでも、守り抜くに値する――』  そう言った考えをろくに持てない彼らを、過酷な戦場の空気に耐えさせる為には、それに値するものを、意図的に用意してやらねばならなかった。

『親』である飼い主から離れ、前線に送られて来たポケモン達。拠り所を失って、精神的に不安定になっている彼らに寄り添い、新しい親としての立場を確立するのが、彼らトレーナー兵の最初の仕事であった。
独力で主人の下に帰ろうにも、国や周囲の圧力が元で、その主人自身から別れを告げられ、送り出されて来た彼ら――その彼らの心の空白にアクセスして、命を賭けるに足るだけの信頼関係を築くのが、徴用されたポケモン達を兵力として運用する、最も確実な方法なのである。
力による強制的な動員は獣達の反抗を招き、過度な抑圧は彼らに残された最後の理性を狂わせて、思慮も見境も無い集団脱走へと駆り立てる。……こうしたポケモン達は、戦力としてマイナスになるのみならず、下手をすれば進撃して来た敵方のトレーナーに懐柔されて、最悪敵方の戦力に組み込まれてしまう恐れすらあった。 
古くからある拘束具や服従を強要する器具が、近代戦に於いて滅多に用いられないのも、これが原因である。また、もし味方であったポケモン達が敵方へと寝返った場合、そこから流出する情報は、しばしば決定的な形で、戦局を左右させる事となった。 
諜報関係を担う者達は、両陣営とも高い知性を持つエスパーポケモンを駆使して、確保した相手方のポケモンから、敵陣営の情報を探り出そうとする。 戦争の形態が変化し、情報戦の成果が戦況の変化に直結する様になって行くに従って、必然的に末端に位置する捨石の獣達も、管理体制の内にがっちりと組み込まれるようになっていった。

けれどもそうした体制は、必然的に管理者であるトレーナーとポケモン達との距離を、急速に縮める事ともなったのだ。
拠り所を失ったポケモン達は本能的に管理者達に服従し、常に命の危険に晒され続けるトレーナー側は、自らの命綱ともなり得るポケモン達に、課せられている責務以上の情を掛ける事を惜しまない。 
元より明日をも知れぬ運命を背負った人間とポケモンは、異常な環境下で生き残るべく力を合わせる内に、娑婆の世界では到底考えられないほどの短期間で、言葉には出来ぬ深い絆で結ばれていく。……良きパートナーと巡り会えたポケモン達は、命の危険も顧みず進んで戦闘に加わり、彼らと正面から向き合う事を強要されるトレーナー達は、日々の暮らしの中で交わされる素朴な心の交流によって、逆説的に自らの正気と自我とを保った。

翼に保持している缶詰に口を付けようともせず、自らを心配そうに見つめて来る暖色の闘鶏に対し、ハインツはそっと手を伸ばすと、土埃で薄っすらと汚れているその背中を払ってやりながら、寂しげながらも微笑んで見せた。尚も視線を外そうとしない相手に向け、食事を再開するように促してから、彼は自らもまたゆっくりと、手に持ったスプーンを使い始める。
漸く食べる事に意識を戻した若鶏の瞳は、同じ場に集う人間達のそれとは違い、未だに光を失ってはいない。……己の焼き焦がした屍の臭いを嗅ぎ、羽毛や蹴爪を鮮血で汚しても、大義の意味すら弁えぬ彼らは、決して現実から目を背けなかった。

缶詰に嘴を突っ込む、言葉無き戦友の傍ら、ハインツはもう一度込み上げて来た思いを振り払うと、新たに生まれた苦悩と迷いとを、静かに闇の底へと押し沈めた。
明日も明後日も戦いは続く。……どの様な結末が訪れようとも、直向きに生きる彼らの重荷になる事だけは、絶対にあってはならない――それだけは確かだった。


長く取り留めも無い回想を終えたハインツの足は、何時しか港の外れに差し掛かったまま、そこでピタリと歩むことを忘れて立ち尽くしていた。
――あれから幾許もなくして彼は南部戦線へと転属となり、共に戦った戦友達とも、二度と会う事は無かった。かの会戦はその後も規模を拡大し続けた後勝敗も定かではないまま終息し、敵味方両陣営の死者・行方不明者は、最終的に三十万人を越えたと言う。
あの時のワカシャモについても、当然その消息は不明のままだった。……負傷者も含めれば百万人を越えたとすら噂されているその損害の中に、ポケモンの損耗は一切含まれていない。
共に意思を持って戦っている存在であるとは言え、所詮彼らの扱いは砲門や車両、航空機のそれに近い。即ち、撃破した数は『戦果』として大々的に報じられるが、自軍の側の損失については、人間の犠牲者とは違って明確にカウントされ、報じられる事は無いのである。
……元々、人間自体が消費される『資源』として認識される世界に於いて、更にその下で捨て駒として戦っている彼らに、一々心を砕く必要があろう筈も無い。

そこまで心の内が推移したところで、ハインツは苛立たしげに首を振ると、大きな溜息を吐いて踵を返した。
鬱屈した気持ちを引きずって家に帰ったところで、気が晴れるとは思えない。……住居とは反対の方角に進路をとり、町の中心に向けて歩む彼の心は、たった一匹の同居人の元へと帰り着く前に、何らかの捌け口を見出す事を求めていた。
――こう言う時は、一杯やるに越した事は無い。影すら映らぬ冷たく暗い石畳の上に、乾いた靴音を残しつつ、胸に蟠りを抱いた元兵士は、ひたすら目標に向け行軍し続けた。




――――――――――

放置加減にてめぇでワロタ(爆) ・・・じぇーんじぇん更新出来ず。
なんか、書きたい事が全然表現出来ないのですよこれがどうしたことじゃいかなるもののくわだてぞであえぇ(乱)

結局破れかぶれの更新。・・・なので、風呂敷を思いっきり広げたは良いが綺麗に畳める気が全くしないなんだこりゃ(汗)


もし読んでおられる奇特な方がおられても、現時点では何を書きたいのか把握しておられる方は多分おられないと思ふ。 ・・・なので、今後お話が変な方向に転がって行っちゃっても、どうか怒らないで下さいとだけ(汗)
まぁ、早くもグダってるから怒髪天をつかれても全く文句は言えんのだが・・・  


とりま、今更雑文を上げちゃってゴメンなさい、と言う事でした(汗)


  [No.580] 第三話  歴史の動かし手 2 【修正版】 投稿者:クーウィ   投稿日:2011/07/10(Sun) 14:58:57   36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


その日もハインツは、上空を厚い雲に覆われて光が全く届かない深夜の波止場を、長く続いている灯火管制により、すっかり闇に慣れてしまった夜間視力を頼りに、左足を引き摺って歩いていた。  

既に季節は秋を周り、冬の気配が近付き始めている。……以前よりもはっきりと足を引き摺っているのは、日々冷たさを帯びていく外気に、金属片を包み込んだ膝の傷痕が反応し、痛みが増しているからに他ならない。
それでも彼は、目下の所そんな痛みを嘆くような素振りは、毛ほども見せてはいない。元より、冷気が膝の傷跡を抉るのは、一年前に分かっていた事だった。


現在の彼を苦しめているのは、そんな自分の肉体を襲う苦痛ではなく、自らの元に配属されている、ポケモン達を巡る問題についてであった。
――最近特に顕著になって来た、戦局の急速な悪化に伴い、配属下のポケモン達に対して、抽出を仄めかす様な通知や指示書が、頻りに舞い込むようになったのである。
主なものについては、『貴工廠に所属している陸生ポケモンの、西部戦線への抽出が可能かどうか』と言った類の問い合わせや、『工廠勤務の水生ポケモン達を、再び艦上勤務に付かせたい』と言う打電などであった。……それら全てが、彼に言わせれば実現不可能である事がはっきりしているにもかかわらず、各地の徴兵オブザーバー達の呼び掛けや要請は、全く引きも切らない。

カイリキーとワンリキーの兄弟は、重度の閉所恐怖症であった。……彼らでは、塹壕戦が全てとも言える西部戦線での軍役など、到底望むべくも無い。
ハッサムは背が低くて、他の自然個体よりずっと小柄な上に、耳が遠かった。……この問題を克服する為に、彼は監督として配属された当初から、アイコンタクトと手真似で最低限の意思疎通が図れるように、ずっと努力して来たのだ。
オーダイルとヌマクローに至っては、元々は大型主力艦艇に乗船・配属されていた、生え抜きの軍用携帯獣だったが……数年前の大海戦で、乗艦を集中射撃で撃沈されて以来、海に出る事自体がトラウマになっており、『使い物にならない』というレッテルを貼られて行き場を失っていた所を、彼が自ら引き取って、作業員としての訓練を積ませて来たのである。……それを今更、レッテルを貼った当の本人達が再び引っ張ろうとしているのだから、話にならない。


しかし一方で、心の底ではまた違った感情が――理屈抜きの思いが渦を巻くのを、どうしても押し止められなかったのも事実だった。  
『失いたくは無い』――本当は、これが本音だったと言ってもいいだろう。

この一年ほどの間、とても短い期間ではあったが、それでも彼らはずっと苦楽を共にして、一緒に仕事に励んだ仲間達である。……主人でもない、ポッと出の見知らぬトレーナーである彼に対して心を開き、唯々諾々と指図に甘んじてくれた、掛け替えの無い仲間達なのだ。
ハインツはそれこそ臨時の現場監督に過ぎなかったが、それでも彼らの上に立つ者として―そしてまた、一人のポケモントレーナーとしても―自らの裁量下にあるポケモン達の身の上に対し、強い責任を感じるようになっていた。


――西部戦線(あそこ)は、正真正銘の地獄だった。
既に現場(そこ)を離れてから、二年以上が経過しているにも拘らず、ハインツは今でも度々、その光景を夢に見る。……夜中に汗びっしょりになって目覚めた時、彼は傍らで心配そうな表情を浮かべているロコンの心細げな鳴き声で、漸く我に帰るのだ。

一年が一日の如く推移する、塹壕戦の世界。変化に乏しく、死人ばかりが増え続けるあそこでは、全ての存在が消耗品だった。 
そこには人もポケモンも無く、更には兵器と生き物の区別すら無い。当事国中からかき集められてきたそれらは、皆平等に戦力表上の数字としてのみ表され、ただ唯一『敵・味方』と言う色分けだけが、絶対的な拘束力を持って、場に集う全てのものをより分けていた。

言わば駒に過ぎなかった彼ら自身を、最も的確に言い表したのは、同じ部隊に居たトーマスと言う名の古参兵であった。 
部隊に何度目かの攻撃命令が下ったその日、突撃の為に終結地点に移動している途中で、激しい戦闘の渦中で頭のおかしくなった負傷兵が、虚ろな目で淡々と泥団子を並べているのを目撃した時―― 一度思想問題で投獄された経験のあるその男は、離れた場所に居る士官達に聞こえないように、諦め切った口調で呟いた。
 
「あれが、俺達だ」

思わず視線を向けて来るハインツら同僚達に対し、彼は続けて、無作為に潰され始めた泥の塊の列をじっと見詰めつつ、尚も呟く。

「ただ砲弾の餌にされる為に集められて、前に追い立てられるだけの肉の塊だ。 ……人も獣も、砲門もタンクも関係ない。何もかも一緒くたに耕されて、泥土と一緒に混ぜこねられて行く」

全て潰された後、一塊に放置された泥団子を背中に、彼は皮肉に満ちた自嘲の笑みを浮かべると、吐き捨てるようにこう締め括った。

「所詮は消耗品さ。……だが同じ消耗品でも、ポケモンどもはちゃんと嫌がる。逃げようともするし、足を踏ん張って出撃命令を拒絶しようとするってのに、俺達はどうだ? 
 連中よりずっと頭が良くて、普段からトリだのブタだのと馬鹿にしてるクセに、命令とあらばこうやって、毎日無気力に歩き回ってる。 ……何の意気地もありゃしない。これじゃまさにブタ以下さ」

もし将校や下士官に聞かれたら、ただでは済まなかっただろう。……しかしそれ故に、敢えてそれを口にしたトーマスの言い分は、周囲の戦友達の奥底に、深く刻み込まれる事となる。

「とっととオサラバしたいってのにな」――最後にそう付け足した彼は、それでも結局、そこから出て行くことは出来なかった。
時を移さず参加した攻勢作戦に於いて、トーマスは顔面に敵の狙撃兵の弾丸を受け、泥濘に覆われた台地を朱(あけ)に染めて、悲鳴すら上げられずに息絶えた。飛び来る弾丸を避けてピッタリと地面に張り付いていたハインツには、倒れ込んだ彼に対してしてやれる事など何一つ無かった。 

無論、トーマスだけではなかった。 
その日一日の作戦期間だけでも、彼は両手の指に遥かに余るほどの、大勢の戦友を失っていた。

フランツもガイルも戦死した。 エドもマックスもオスターも、雨霰と降り注ぐ各種火砲に吹き飛ばされ、物言わぬままに土砂に埋もれた。
勇敢なエアハルト伍長も、ハインツと仲の良かった、ハーモニカの名手だったクルトも、見るも無惨な有様で倒れ、顧みられる事もなく命を落とした。
平坦な穴だらけの数百メートルを前進し、奪回するだけの作戦で、千人近い人間とほぼ同数のポケモン達が、飛来する砲弾と驟雨のような機関銃弾に切り裂かれ、目的を遂げる糸口すら掴めぬままに潰滅した。

同じ小隊で戦死した連中には、誰一人として三十を過ぎていた者はいなかった。 半数以上が故郷に妻や恋人を残し、そして更に全員が、国に家族を残して来ていた。
その日の夜、ハインツはボロボロになって退却して来た元の陣地に於いて、直属の大隊長が夜なべして手紙を書いている様を、同じく作戦から生き残ったグラエナと共に、歩哨に立った折に目撃する。
『私は此処に、痛心ながらもお知らせしなくてはなりません……』 ――幾通もの手紙に同じ文言を書き連ね続けていたその中佐は、後に自ら前線に出て指揮をとり、敵狙撃兵の戦果報告書を飾る事となった。


例え作戦行動が一切予定されてなくとも、日々の暮らしは安穏からは程遠かった。
また人間がそんな有様なのだから、ポケモン達の置かれている状態は更に過酷だった。


しかし無論、やられていたばかりでもなかった。
向かって来る敵方の兵も、基本的には皆、彼らが辿ったのと同じ運命に陥っていたし、首尾良く相手の陣地に突入出来た暁には、敵味方共に凶暴性を剥き出しにして、慌てる守備兵を悪鬼の如く狩り立てた。
ハインツ自身も、一旦攻撃が成功して白兵戦に持ち込めた時には、背を向けて二線陣地に逃げ込もうとする敵兵に対し、情け容赦はしなかった。

別の日に上げた功績とその戦い振りにより、ハインツは大隊本部から激賞されると共に、後に戦況に与えた影響の大きさを評価されて、勲章を受賞した事もある。……しかし既に、そんなものに対して名誉を感じるには、彼は余りにも多くのものを見過ぎていた。
そしてそれは、ハインツだけではなかった。同じ隊に所属していた殆ど全ての戦友が、戦功を賞する栄誉に対し、一様に冷めた感情を抱いていた。
――真に叙勲に値するのは、命運拙く戦いの渦中に斃れ、戦場の露と消えていった者達だけだった。……生者は『生き残った』と言う事実のみで十分であり、それ以外の何物をも、必要としてはいなかったのだから。 

その日、懸命の手当ての甲斐も無く逝ってしまったコータスを陣地の片隅に埋葬し、かたわになったブーバーンを衛生兵に託した後、爆音も疎らになった塹壕の片隅で何とか生き残ったワカシャモと共に携行食を空けつつ、沈み行く夕日を見送っていたハインツは、陣地の元々の所有者達が遺していった様々な品物を前に、無常の思いを強くする。
陣営や所属は違えど、同じ兵隊。……そこに散らばる故人達の私物は、彼らが自分達の塹壕に大切に仕舞い込んでいるそれと、全く大差はなかった。

中でも記憶に残ったのは、土壁に刳り貫かれた狭い寝棚の一つに残っていた、一輪のスミレの花であった。
枕元に置かれたヘルメットの下に覗いている、そこだけ場違いな緑色の色彩に、興味を持ったハインツが重い鉄兜を取り除けた所に、それはあった。
書きかけと見られる手紙の傍らに置かれたそれは、押し花にしようと試みていたらしい持ち主の意向に反して未だに青々しく、今日の戦闘が始まる前に手折られたであろう事は、疑いようが無かった。

――今日の戦闘開始時刻は、早朝7時。 準備砲撃は6時頃から開始されたとは言え、そこから今のこの時点まででも、せいぜい半日程度に過ぎない。
ホンの数年前までは、仕事の為に家を出てから、帰宅の途に付く程度の時間。 一輪の花が萎れ切るにも足りないその間に、此処では数百のポケモン達が骸を晒し、数千に余る人間が死んだのである。

書きかけの手紙の隣には、持ち主と見られる青年と、手紙の宛先であろう若い女性が写った、一枚のスナップ写真。 ……ただ枯れ行くだけであろう小さな紫の花弁共々、この手紙や書き手が彼女の元へと届く事は、もう二度とない。 
……言葉も無く文面を見つめるハインツには、その内容が理解出来ない事だけが、唯一の救いだった。

どんどん深く、陰鬱な沼の底へと嵌り込んで行くそんな彼を引き戻したのは、傍らに控えていたワカシャモの、囁きかけるような鳴き声だった。
戦いの際に上げる、耳を劈(つんざ)く様な金切り声とは似ても似つかない、か細く控えめな呼び掛け。思わず振り返ったハインツの顔を、彼は透き通ったオレンジ色の瞳で、真っ直ぐに見詰め返して来た。


――命懸けの毎日が続く中、厳しい環境と情け容赦の無いストレスに晒される兵隊達の中には、自らの心を意図的に閉ざしてしまう者も、少なくは無かった。 
彼らは現状を客観的に受け止める事を避け、必要最小限のものにしか心を動かさず、本能と欲求の赴くままに、飾る事も無く振舞う。攻撃命令が来れば黙々と動き、戦友の亡骸を見ても眉一つ動かさず、奪取した塹壕で見かけた敵兵の家族写真を踏み躙って、遺体から金目のものを剥ぎ取った。
無表情のまま、顔色一つ変えずに戦い続けるそんな彼らを、死んだトーマスは自らへの皮肉も込めて、『娼婦』と呼んだ。

「あいつらだって、国に帰れば『お父さん』だ」

敵の死体から腕時計を剥ぎ取る男を眺めつつ、彼は言った。

「体を売って生活してる盛り場の女が、家じゃ母親なのと同じ様にな。 ……好きもへったくれも無くこんな所に来て、毎日胸糞悪く殺し合ってる。国じゃあ定めし良き夫であり父親であっても、ここではただのケダモノさ」

ヘルメットに手を伸ばした彼は、防水カバーの上に巻いたバンドに挟み付けられた小さな箱から、ひしゃげたタバコを引っ張り出して火をつける。

「それで休暇で家に帰った日には、昔の自分を思い出せずに、家族の前でひたすら悩む。戸を開ける音にもびくびくし、夜風の音にも怯えた挙句、夜中に静かに眠ってられず汗びっしょりで飛び起きて、一緒に寝ているかみさんや子供を叩き起こす――」

トーマスの言葉は、決して誇張では無い。……事実、ハインツ自身にしてもそうだった。
その日一日にしろそれ以前の事にしろ、最早回数を思い出すのも不可能なほどに引き金を引き、人やポケモンを殺してきたにも拘らず、明確な理由をその中に見出せる事など、一度として無いと言い切って良かった。

確かに、撃たなければ殺された。襲われれば迎え撃った。殺らなければ仲間が殺られた。……しかし実の所は、そのどれもが、別に確たる理由になっている訳ではなかった。
本当の所、彼は殆ど無意識の内に、相手に銃口を向けていた。……単純に、対象が『敵』である――ただ、それだけの理由で。
構えた銃口の向こう側に見える者が敵ならば、それは最早標的以外の何者でもなく、早急に片付けるべき異物に過ぎない。『敵である』と認識する事それ自体が、以下に呆気なく対象を単なる『標的』に変えるのかを初めて自覚した時、ハインツは自らの冷淡さに対して、身の毛が弥立つほどの衝撃を覚えたものだった。 

そう……此処で彼らが従っていたのは、最早理屈や義務感などではない。戦場に赴かせ、其処に踏み止まらせるものこそ大義であったが、実際に彼らを戦わせるのは、もっとずっと単純なもの――体の奥底から湧き上がってくる、言いようの無い不気味な衝動こそが全てだった。
そこにいるのは、家族の盾になるべく立ちはだかる戦士でもなければ、身を以って国を守ろうとする愛国者でも、戦友達の為に義務を果たす兵士でもない。……ただ相手を傷つける事の出来る武器を携え、その使い方に習熟した、危険なケダモノが存在しているばかりであった。

十年一日の進捗の無い塹壕戦と、時折訪れる、驚異的な死傷率の攻勢作戦。
理性と感情の気違いじみた満ち干の中、前線に張り付けられた兵隊達の殆どは、大なり小なりその場を支配する狂気に取り付かれ、平和な時代には決して表には出さなかったであろう、凶暴な本能を剥き出しにしていた。
嘗て生活していた世界は、最早別の惑星での事であったのかと思えるほどに遠く、不意に前線から故郷に舞い戻った男達は、昔の面影を捜し求める家族の前で、初めて自分の変遷を目の当たりにし、呆然として為す術を知らない。
束の間の休暇を終え、再び前線に戻って来た彼らは、その思い出を大切にしながらも尚一層孤独感を深めて行き、やがて更に無機質な感情の下に、『敵』に対して牙を剥くようになる。
『正気ではいられない』――  それこそが、彼ら前線の兵(フロント)に課せられた日常的な定めであり、また狂気に満ちた現実から己の自我を護る、最良の逃避でもあった。
後方から急遽補充されて来た新兵達も、経験を積む前に大半が殺されるのが常ではあったにせよ、生き残った者達は迅速に古参兵からやり方を学び取って、怯えと戸惑いに溢れた初々しい瞳を、『死体を見慣れた目』へと変えて行く。
――最前線(ここ)に生きている限り、嘗て平和な時代に生活していた時の感性で日々を送るのは、あまりにも負担が大き過ぎたからだ。


しかし、唯一つだけ――前線に貼り付けられた数々の兵種・兵科の中、下っ端の兵卒に至るまで、そう言った逃避や自閉が、許されない連中が居た。
……それが彼ら、ポケモントレーナーである。

トレーナーは何時どんな時でも、ポケモン達と正面から接している必要があった。
何故なら、彼らが率いている形状も性質も様々な生き物達は、基本的に皆、戦場で戦う理由とその意義を、主人である人間達と共有する事が出来なかったからだ。

人が持つ、国家や国土への誇り。生まれ故郷たる美しい祖国への帰属意識や、仲間と共にそれを護ると言う誓いに対して齎される奮い立つような高揚感も、野生で生き抜く事に特化した彼ら獣達には、全く無縁の事柄であった。
『己が生命を賭してでも、守り抜くに値する――』  そう言った考えをろくに持てない彼らを、過酷な戦場の空気に耐えさせる為には、それに値するものを、意図的に用意してやらねばならなかった。

『親』である飼い主から離れ、前線に送られて来たポケモン達。拠り所を失って、精神的に不安定になっている彼らに寄り添い、新しい親としての立場を確立するのが、彼らトレーナー兵の最初の仕事であった。
独力で主人の下に帰ろうにも、国や周囲の圧力が元で、その主人自身から別れを告げられ、送り出されて来た彼ら――その彼らの心の空白にアクセスして、命を賭けるに足るだけの信頼関係を築くのが、徴用されたポケモン達を兵力として運用する、最も確実な方法なのである。
力による強制的な動員は獣達の反抗を招き、過度な抑圧は彼らに残された最後の理性を狂わせて、思慮も見境も無い集団脱走へと駆り立てる。……こうしたポケモン達は、戦力としてマイナスになるのみならず、下手をすれば進撃して来た敵方のトレーナーに懐柔されて、最悪敵方の戦力に組み込まれてしまう恐れすらあった。 
古くからある拘束具や服従を強要する器具が、近代戦に於いて滅多に用いられないのも、これが原因である。また、もし味方であったポケモン達が敵方へと寝返った場合、そこから流出する情報は、しばしば決定的な形で、戦局を左右させる事となった。 
諜報関係を担う者達は、両陣営とも高い知性を持つエスパーポケモンを駆使して、確保した相手方のポケモンから、敵陣営の情報を探り出そうとする。 戦争の形態が変化し、情報戦の成果が戦況の変化に直結する様になって行くに従って、必然的に末端に位置する捨石の獣達も、管理体制の内にがっちりと組み込まれるようになっていった。

けれどもそうした体制は、必然的に管理者であるトレーナーとポケモン達との距離を、急速に縮める事ともなったのだ。
拠り所を失ったポケモン達は本能的に管理者達に服従し、常に命の危険に晒され続けるトレーナー側は、自らの命綱ともなり得るポケモン達に、課せられている責務以上の情を掛ける事を惜しまない。 
元より明日をも知れぬ運命を背負った人間とポケモンは、異常な環境下で生き残るべく力を合わせる内に、娑婆の世界では到底考えられないほどの短期間で、言葉には出来ぬ深い絆で結ばれていく。……良きパートナーと巡り会えたポケモン達は、命の危険も顧みず進んで戦闘に加わり、彼らと正面から向き合う事を強要されるトレーナー達は、日々の暮らしの中で交わされる素朴な心の交流によって、逆説的に自らの正気と自我とを保った。

翼に保持している缶詰に口を付けようともせず、自らを心配そうに見つめて来る暖色の闘鶏に対し、ハインツはそっと手を伸ばすと、土埃で薄っすらと汚れているその背中を払ってやりながら、寂しげながらも微笑んで見せた。尚も視線を外そうとしない相手に向け、食事を再開するように促してから、彼は自らもまたゆっくりと、手に持ったスプーンを使い始める。
漸く食べる事に意識を戻した若鶏の瞳は、同じ場に集う人間達のそれとは違い、未だに光を失ってはいない。……己の焼き焦がした屍の臭いを嗅ぎ、羽毛や蹴爪を鮮血で汚しても、大義の意味すら弁えぬ彼らは、決して現実から目を背けなかった。

缶詰に嘴を突っ込む、言葉無き戦友の傍ら、ハインツはもう一度込み上げて来た思いを振り払うと、新たに生まれた苦悩と迷いとを、静かに闇の底へと押し沈めた。
明日も明後日も戦いは続く。……どの様な結末が訪れようとも、直向きに生きる彼らの重荷になる事だけは、絶対にあってはならない――それだけは確かだった。


長く取り留めも無い回想を終えたハインツの足は、何時しか港の外れに差し掛かったまま、そこでピタリと歩むことを忘れて立ち尽くしていた。
――あれから幾許もなくして彼は南部戦線へと転属となり、共に戦った戦友達とも、二度と会う事は無かった。かの会戦はその後も規模を拡大し続けた後勝敗も定かではないまま終息し、敵味方両陣営の死者・行方不明者は、最終的に三十万人を越えたと言う。
あの時のワカシャモについても、当然その消息は不明のままだった。……負傷者も含めれば百万人を越えたとすら噂されているその損害の中に、ポケモンの損耗は一切含まれていない。
共に意思を持って戦っている存在であるとは言え、所詮彼らの扱いは砲門や車両、航空機のそれに近い。即ち、撃破した数は『戦果』として大々的に報じられるが、自軍の側の損失については、人間の犠牲者とは違って明確にカウントされ、報じられる事は無いのである。
……元々、人間自体が消費される『資源』として認識される世界に於いて、更にその下で捨て駒として戦っている彼らに、一々心を砕く必要があろう筈も無い。

そこまで心の内が推移したところで、ハインツは苛立たしげに首を振ると、大きな溜息を吐いて踵を返した。
鬱屈した気持ちを引きずって家に帰ったところで、気が晴れるとは思えない。……住居とは反対の方角に進路をとり、町の中心に向けて歩む彼の心は、たった一匹の同居人の元へと帰り着く前に、何らかの捌け口を見出す事を求めていた。
――こう言う時は、一杯やるに越した事は無い。影すら映らぬ冷たく暗い石畳の上に、乾いた靴音を残しつつ、胸に蟠りを抱いた元兵士は、ひたすら目標に向け行軍し続けた。