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  [No.210] 時越えの懐中時計 投稿者:紀成   投稿日:2011/03/01(Tue) 16:23:33   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

こんにちは。紀成です。
幻影狂想曲完結から約十日ちょっと。今度はファントムという女性が主役です。…主役なのかな。
とある地方の古い街に来ていた彼女は、事故に遭いかけた少女を助けます。何故か懐かれた少女に連れてこられた場所は…
そして、彼女の最愛の祖母から託された懐中時計とは…

短編掲示板を見てないと分かりにくい場所もあるかもしれませんが、それは見ていただけば。

では。


  [No.211] プロローグ とある老婆の語り 投稿者:紀成   投稿日:2011/03/01(Tue) 16:41:14   37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

これはね、私が今は亡きお母さんから十歳の時にもらった物なの。
お母さんもお母さんから、そのお母さんもお母さんから…って、代々受け継がれてきたのよ。もう千年近く経っているわ。
綺麗でしょう?でもそれだけじゃないの。これを付けているとね、辛い時でも楽になれる。哀しい時も楽しくなるの。
それでね、これにはある伝説があるの。昔、ここを治めていた王様の娘がすごく綺麗な人で、何人もの男の人が結婚を申し込んだんだって。でもあまりにも綺麗だったから、結婚には遠かったらしいの。
で、ある時そのお姫様が寝ていると声がしたの。今までに聞いたことの無い、深い声。男の人みたいだったの。
その人は、君をお嫁さんにしたいって言ったらしいわ。わけがあって姿を見せることは出来ないんだけど、もしなってくれたら必ず幸せにするって。そしてこの家が後まで安泰になるようにするって。
そのお姫様はそれに答えた。そして、書置きを残してその家を去った。もちろん、王様もお妃様も必死になって探したんだけど、見つけられなかった。
それでね、一年経ったある夜のこと。
眠っていた二人がふと目を覚まして、窓の方を見ると、青白い光が揺れていたんですって。驚いてガラスを開けたら、その光がお妃様の手の中へ入って、一つの時計に変わったらしいの。
青いダイヤモンドがついた、銀の時計。二人は娘が送ってきたんだと思い、それを家宝にしたそうよ。

それから、その家は代々続く大金持ちの家になったらしいわ。

リンネ。きっと貴方にもこれを持つ資格がある。私にもし何かあったら、私の部屋のドレッサーの一番小さな引き出しを開けて。
そして、これを持っていて。お願いよ。

いつか、これを託せるような人が現れるまで。


  [No.212] 時越えの懐中時計 キャラクター 投稿者:紀成   投稿日:2011/03/01(Tue) 16:54:43   40clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

ファントム

本名、火宮香織。現在18歳。灰色の髪に白い肌を持つ。美人。ゴーストタイプを手なずける。
今回は一人の少女を助けたことにより、再び厄介な人物と知り合ってしまう。白い仮面を付けている。

リンネ

本名は長いため割愛。10歳。名門の貴族の娘。祖母から託された懐中時計を常に持ち歩いている。
ファントムに助けられたことがきっかけで、彼女を家に招く。腰まであるロングヘアに、キャンディのような髪飾りを付けている。

ミカゲ

今作で…というかこちらで名が明かされることになる、アコーディオン弾き。パートナーはキュウコン。心喰人の生き残り。
目全体を覆う白い仮面を付けている。女性には紳士的で、その反面、目的のためなら手段を選ばない非常なところも。懐中時計を狙い、ファントムと対決するとかしないとか。


とりあえず、今はここまで。
ああ首が痛い…


  [No.213] 第一章 始まりはメインストリート 投稿者:紀成   投稿日:2011/03/04(Fri) 18:36:43   44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

何処かの地方、小さな街。古い建造物が残る、時代から取り残された場所。良く言えば歴史を重んじる場所、悪く言えば開発が遅れている場所。
この街に住む人々は、現代に有りがちな時間に追われて生活するということが無い。ゆったりしていて、余裕がある。ミヒャル・エンデが作り出した時間泥棒など、付け入る隙も無い。
不意に。メインストリートへ続く路地から、黒い人影がこぼれ出た。薄い春物のコートに、軍人が被るような帽子。そして一際目立つ、白い仮面。
だが、そんな異色を放つアイテムに気付く者はあまりいない。皆が皆、人影とすれ違う度にハッとして振り向く。男女関係無く。
何故か?人影の顔を見れば、分かることだった。綺麗に整った顔立ち。長い睫を持った鋭い瞳。そして歩く度に風に揺れ動く、灰色の髪。
誰かが振り向いた後、ボソッと言った。
「美しい」
飾り気も無い言葉だが、人影を表す言葉でそれ以外見つからなかった。
だが、当の本人はそんな彼等の視線など全く気にならないような様子だった。レンガ作りの道をひたすら歩き、何かを探しているような姿だ。
「嫌な感じだ」
冷静な、それでいていらついているような声がこぼれ出た。女性の声だ。
「回りを歩いている人間だけじゃない、もっと別の何かの気配を感じる」
彼女の言葉に答えるように、小さなてるてる坊主が集まってきた。暗がかかった、群青色の角が生えたポケモン。
カゲボウズ。
『それっぽいヤツはいないぞー』
『そんなヤツがいたらデスカーンがいきのねをとめてるぞー』
寄ってたかって自分に話し掛ける彼等に頷く。考え過ぎならいいのだが・・
『マスター』
姫をモチーフにしたような水・ゴーストタイプのプルリルが寄って来て深々とお辞儀をした。
『肩に力が入ってますわ。この街はまだ貴方様の噂は入って来てはいません。たまには神経を緩めて、お休みになってください』
そう諭されても彼女は辺りを見回すのを止めなかった。


ファントム。十八歳。出身地方不明、誕生日不明、血液型不明。
ある地方では、あぶく銭に浮かれた愚か者にバトルを仕掛け、金を掻っ攫っていく、変わった泥棒として知られている。ちなみに知られてはいないが、金の半分は美しい花束へと変わる。もう半分は孤児院などに名を隠して寄附するらしい。
一部の地方ではマスコミや警察に追われたこともあるようだが、そこは持ち前の体力と技術で綺麗に撒いてきた。
まあ彼女の頭を悩ませるほどの物はそうそういない。
・・一部を除いては。


メインストリートへ出たファントムは、楽しげな音楽が流れる場所へと歩いていた。煉瓦造りの建物と、嵌め込まれたガラス板がひたすら横に立ち並ぶ。白いスプレーで書かれた文字は、潰れていて読めなかった。
「そこのお嬢さん、お土産にキャンディはいかがかね?」
道端にキャンディ・ワゴンを出していた老人がファントムに声をかけた。群がっていた子供達の視線が一斉に彼女に集まる。
「もちろん、キャンディがお気に召さないなら、チョコレートもある。体が大きくなるケーキもある。さあ、EAT MEと書かれているだろう」
意味を知らない子供が首を捻る。
ファントムはため息をついた。
「生憎ルイス・キャロルは趣味じゃない」
「それでは何がお好みかな?冷たい干し葡萄がゆ、鶫の入ったパイ」
「キャンディを一つ貰うよ」
しつこくなってきた。このまま行ってもこの街にいる限り何処からともなく現れそうだ。諦めてワゴンに寄り、ポケットから小銭を出した。
「はい、ありがとうございます」
してやられたという感じだが、まあ良い。キャンディを受け取り、ポケットに入れようとして・・
視線を下に向けたファントムの目に、向こうの横断歩道が写った。このメインストリートで唯一の向こうの歩道へと行ける道だ。
そこを、一人の少女が走って渡り出したところだった。遠目からでも分かるくらい、少女の服は高価に見えた。高級感の溢れる緑と、黒ボタン。内側の生地がギンガムチェックなのが、袖の裾から分かった。
黒いローファーをリズミカルに動かし、風のようにかけていく。何を急いでいるのかー

走る少女の横から、乗用車が一台走って来た。信号が赤になっていることに気付いてない。そのまま少女に突っ込んで行く。
「お嬢さん!?」
ワゴンの主人が状況を把握する前に、彼女は走り出す。信号まで約三百メートル。普通なら無理だ。
そう、普通なら。

「っ!」
道を蹴る。硬直して動かない少女の頭を自分の胸の中に納める。足を腕で持ち上げる。
コンマ数秒。少女を抱き抱えたまま、ファントムは道路の端にそのまま突っ込んで行った。


タイヤが擦れた臭いと、排気ガスの臭いが混ざり合い、なんとも言えない空気が充満していた。
ファントムの目の前には、助けた少女が立っている。信号無視のドライバーは既に警察に事情を聞かれている。
「助けてくれてありがとう」
少女が頭を下げた。ファントムは帽子に付いた砂埃をフワンテに落としてもらっている。
「別に」
「ねぇ、貴方の名前は?ここら辺じゃ見ない顔ね」
名前を言って良いのか、一瞬迷う。だがまあ、顔は割れてないし大丈夫だろう。
「ファントム」
「ファントム?私、リンネ」
リンネは今のファントムの格好を見た。道路に擦り付けたせいで、黒いコートとパンツ、靴が茶色になってしまっている。
「ファントム、私の家に来てくれない?お礼もしたいし、その服を洗濯しなくちゃ」
「えっ」
突拍子も無い発言に、ファントムは驚いた。たがリンネはそんなこと微塵も気にしない。
「さ、行きましょ。ついでにこの街にいる時は泊まって行って」
リンネに手袋をした手を引かれるファントムの姿は、それはそれは滑稽な具合だったという。


  [No.243] 第二章 招かれる客と招かれざる客 投稿者:紀成   投稿日:2011/03/22(Tue) 13:05:01   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

リンネに連れてこられた屋敷は、見事な物だった。外装は綺麗に装飾され、堂々としている。庭にはパラソルとテーブル、椅子が二つ。
「服を貸してあげる。クリーニングしないと。そのコート埃だらけじゃない」
リンネを庇った時に擦れて付いたものだ。手袋とパンツ、靴にも汚れが付いている。
「一つ聞いていいかな」
「何?」
「何故見ず知らずの私を家に入れるの」
分からなかった。ここらでは知られていないにしても、自分は人を襲う者だ。それを知らないにしても、見ず知らずの旅人を自分の家に上げる神経が理解できなかった。
「見ず知らずじゃないわよ。貴方は何の見返りも考えずに私を助けてくれた。この街で私を知らない者はいないわ。言い寄ってくる子達は皆自分の会社の評判を上げたい者ばかり。私がこの地位を無くしたら、友達のポジションを取っている子も見向きもしなくなる」
ドアが開いた。廊下にメイドが十数人立ち並び、深々とお辞儀をする。
「お帰りなさいませ」
「この人を客人の間にお通しして。あとバスの用意を。服をクリーニングして」
「かしこまりました」

メイドの一人に案内されて、ファントムはバスルームに来ていた。温度を調節して、シャワーを頭から被る。ついでにカゲボウズ達も洗ってやる。
『くすぐったいー』
「じっとしてなよ。かなり汚れてる」
ドアの外でガタンという音がした。着替えを持って来たらしい。
しばらく浴びた後、備え付けのタオルで体を拭いて外に出た。

客人の間で紅茶を飲んでいると、ドアが開いてリンネが入って来た。さっきの格好とは違う、フリルのついた黒いワンピースを着ている。そして首には鎖のついた懐中時計。
「ちょっと立ってみて」
リンネに言われ、ファントムは立ち上がった。今の彼女の服は、シルクのダークスーツだ。
「うん、似合う」
「わざわざこんな服持ってこなくても良かったのに」
「これが一番似合いそうだったの!他はドレスばっかりだから…」
外見は確かに地味だ。だが着ている心地がしない。やはりいつも着ている服がしっくり合っていい。
「ねえ、ファントムってやっぱりオペラ座の怪人からなの?」
「まあ」
「私ね、こんな立場だから沢山勉強しないといけなくて、それぞれの教科に家庭教師がいるの。フランス語、英語、ピアノ、ヴァイオリン、数学、絵画、そして歴史。歴史はその時代を反映したオペラを毎回見に行くの。だからエリーザベトもオペラ座も知ってるのよ」
またドアが開いて、ワゴンを押したメイドが入って来た。銀のボウルと、装飾された皿。ティーカップ。プチフールやケーキ、サンドイッチ、スコーンなどが盛られた小さな皿の塔。
「アフタヌーンティーをお持ちしました」
「紅茶は何があるの」
「本日はアッサム、ウバ、カモミールがございます」
「飲みたいのある?」
いきなり話を持って来た。紅茶はあまり飲まない。
「任せるよ」
「じゃ、ウバのミルクティ」
「かしこまりました」
メイドがテーブルの上に物を置いていく。見たことが無い品の数々に、側にいるカゲボウズ達が目を丸くしている。
「ありがとう。下がっていいわ」
「失礼します」
パタン、という軽い音と共にドアが閉まった。リンネが肩の力をフッと抜く。
「あー、疲れる」
「至れりつくせりだね。もっと簡単でいいと思うけど」
「仕方無いのよ。今の家の主人は私だから」
「へえ」
しばらくの沈黙。破ったのはリンネだった。
「聞かないの?私が主人の理由」
「別に。興味ないから。それより食べていいかな、これ」
「ええ」
ファントムは椅子に深く座って、ひと言呟いた。
「いいってさ」
待ってましたと言わんばかりにカゲボウズ達が飛びついた。ファントムも紅茶だけは死守する。
美しく盛られたプチフールが、スコーンが、瞬く間に消えていく。あっけに取られるリンネに、ファントムは言った。
「私は紅茶だけでいいから、食事はこの子達にあげてもいいかな」
「ちょ…」
リンネが部屋を出て行った。数分後、息を切らせて戻って来る。既に食事はひとかけらも無い。
「それは?」
リンネは右手に何か持っていた。双眼鏡のような感じがする。
「ホウエン屈指の大企業、デボン・コーポレーションの製品。見えない物を見るデボンスコープ。いつだったかパーティの時に来てた息子さんにもらったの」
「叫んだりしない?」
「…一応口を押えとく」
ゆっくり深呼吸。丸い目にスコープのレンズを押し当てる。ぼやけた世界がハッキリしてくる。
「!!」
声にならない悲鳴を上げるリンネ。彼女の目には、広い広い部屋にひしめき合う沢山のゴーストタイプが映っていた。
「私を追い出す?それでもいいよ」
柔らかい口調だが、その声はただではすまないような凄みがある。
「すごい…こんなに連れ歩いてるなんて」
「違う。勝手についてくるんだ」
「ボールとかに入れてるんじゃないの!?」
ポケモンを引き連れているのはそんなに珍しいだろうか。大げさに騒ぐリンネを、デスカーン達は呆れた目で見ていた。
「ねえ、このジュペッタ、キャンディ食べる?」
「まあ」
「あげていい?」
主人の顔から一転、子供の無邪気な顔になった。ファントムがうなずくとリンネはポケットからロリポップを取り出した。白い砂糖で文字が書かれている。
「薔薇は紅い。スミレは青い。お砂糖は甘く、貴方も素敵。
…マザー・グースだね」
ジュペッタの口のチャックを開けて、中に押し込む。口の中で動かしていたが、しばらくしておとなしくなった。
「ねえ、何でこんなに懐かれてるの?しかもゴーストタイプばっかり」
「私もよく分からない。気付いたらこうなってた」
もちろん、これは嘘だ。いつから見えるようになったのかも、そのきっかけも傷と共にはっきり覚えている。理由だけは未だに分からないが。
「こうして見ると、全部別種類が一匹ずつってワケじゃないのね。見分けつくの?」
「一匹しかいないのは強いもの。そして付き合いが長いもの。カゲボウズ達みたいに多いのは見分けはついてるよ。微妙に。
よく食べるもの、よく笑うもの、よく驚かすもの、よく喧嘩するもの」
「まるでサムシング・フォーね」
「マザー・グースが好きなんだ?」
うなずくリンネ。サムシング・フォーとは、花嫁が身につけると良いとされている物で、『何か新しい物』『何か借りてきた物』『何か古い物』『何か青い物』の四つを表す。
「失礼します」
メイドが部屋に入って来た。途端にリンネの顔が引き締まる。
「どうしたの」
「マルトロン伯爵がお見えになっておりますが、いかがいたしましょう」
「…」
その名を聞いたリンネの顔に戸惑いの色が浮かんだ。メイドが心配そうに見ている。
「また来たのね、あの男」
「お引取り願いましょうか」
「いえ、こちらに通して」
「かしこまりました」
ドアが閉まった。ファントムは立ち上がる。
「私、別の部屋に行って…」
「ううん、ここにいて」
思わず気の抜けた返事をしてしまった。私も客人だよ、一応。
「ファントムになら、話してもいいと思ったから。ここで私と一緒に、今から来る男の話を聞いて。ゴーストポケモンも、皆」
私はデスカーン達を見た。ハッキリうなずく。
「分かったよ」

「お久しぶりですね、レディ・ヴァルヴァローネ」
猫撫で声で最初の台詞を切り出した男は、すぐにファントムの存在に気付いたようだ。元々細い目がさらに細くなる。
「ちなみに、レディ・ヴァルヴァローネ。そちらの方は?」
「友人ですわ。ファントム…」
「ファントム・トループです。ミスター・マルトロン」
「ほう。随分歳の離れたご友人ですな。では、一つよろしいですかな」
声がブリザードのように冷たくなる。
「席を外していただけないだろうか。部外者に聞かれては…」
「お黙りなさい!」
部屋の空気が震えた。少女とは思えないくらいの剣幕だ。ジュペッタがファントムに耳打ちする。
『敵に回したくないタイプだな』
「…まあね」
敵に回そうなどとは最初から思っていないが。
「招かれざる客の身分で友人を貶すようならば、即刻お引きとり願いますわ」
「ほんの冗談ですよ。さて、本題に移りましょうか」
リンネが座った。握り締めている手が微妙に震えている。
「ご友人ならば、このヴァルヴァローネ家に伝わる品のことは既にご存知ですな?」
(品…?)
リンネがファントムの着ている服の裾を引っ張った。視線はそのままにして、手のひらに指で文字を書いていく。
書かれた通りにファントムは言った。

「青の金剛石がはめこまれた、懐中時計のことですね」


  [No.262] 第三章 時計とバラと変なピエロ 投稿者:紀成   投稿日:2011/03/31(Thu) 15:21:32   50clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

青いダイヤモンド。ファントム自身、聞いたことも見たこともない。ましてやそれをはめ込んだ懐中時計が存在していて、しかもリンネの家に伝わっているなんて全く知らなかった。今日初めて会ったので、当然と言えば当然なのだが。
だがファントムの答えに伯爵は満足したようだ。
「よくご存知で」
「その懐中時計に、何か用でも?」
リンネが首にかけている鎖を外して、机に置いた。ジャラリという音と共に、銀色に輝く塊が現れる。
外蓋の中心に、見事な青いダイヤモンドがはめ込まれていた。ダイヤという宝石自体、希少価値が高い。誰かがこれ目当てに来てもおかしくは無いと思った。
伯爵の目の色が変わった。
「美しい。実に美しい。何故このような物を貴方のような少女が持っているのか、いささか疑問に思いますな」
「持つべき者だからこそ、持っているのです。お分かり?」
挑発的な態度を取るリンネ。それに構わず、伯爵は一気にまくし立てる。
「レディ・ヴァルヴァローネ。その懐中時計を私に譲ってはいただけないだろうか。金は幾らでも出す。こんな場所に置いていたら、それこそ宝の持ち腐れだ」
「何度も言っているはずですわ。これは決してお金という欲の塊なんかに換えられる者ではありませんの。母方の先祖から伝わってきた、この家の宝なのです。売るなんてしたら、主人のバチが当たります」
「主人?」
伯爵がハッと笑った。時計に目が眩んで、品格という物を忘れている。
「ご冗談を。今この家に貴方以外に主人は…」
「いいえ」
リンネがキッパリと言った。立ち上がり、そのまま窓に向かって歩き出す。
「この時計の主人は、私ではありません。そしてこの家―ヴァルヴァローネの血を継ぐ者でもありません」
そう言うリンネの目は、今までの物ではなかった。窓ガラスに映る瞳は、何とも言えない神秘的な雰囲気を醸し出している。
「何を言うのです。この家に伝わる品の主人が、この家の誰でもないと?」
「分かりました。少しだけ直しますわ。正確には、その主人から預かっているのです。返す時が来るまで」
伯爵は肩をすくめた。
「もし手に入れたいと思うのなら、命を捨ててもいいと思わなくては。盗もうものなら、たちまち主人の怒りに触れて殺されてしまうでしょう」
「そんなおおげさな」
「信じないというのなら、お引取りください。今でも主人は、私達のことをあるべき場所から見ているのです」
何か言いたげな顔だったが、伯爵はそのまま席を立った。チッと舌打ちをしたのが、ファントムには聞こえた。


「その懐中時計、欲しがってる奴が沢山いるんだね」
伯爵が帰った後、ファントムは再びリンネと話をしていた。リンネがため息をつく。
「元々こんなにしつこくは来なかったの。でも、父さんと母さんが仕事で家を空けるようになってからは、毎日のようにやって来るのよ…
多分小娘だと思ってるのね」
その通りだね、とは流石に言わなかった。だが本当だろう。小娘一人を言いくるめることなんて簡単だ。一番心配なのは誰かが先に懐中時計を手に入れてしまうこと。そうならないように、毎日足を運んでいるのだろう。
そしてあの品格を失った目。まるで虜にする魔力でもかけられているかのようだ。
「…そんなに価値の高い物なのかい」
「私自身もよくは知らないの。亡くなったお婆ちゃんが大事にしてた。そのお婆ちゃんは私のお父さんの母親で、その時計は女が持つ物なんだって。ずっと昔、すごい美人の一族の娘が神様のところにお嫁に行って、子供の代わりにそれを送ってよこしたからなんだって。
以来、その時計はずっと女の人が守らないといけないらしいの」
「それをさっきの伯爵とやらは知ってたり…」
「知らないと思う。あの伯爵は結婚してるから、もし知ってたら奥さんをよこすはずだから」
なるほど。結構勘の鋭い子だ。こんな子から騙し取ろうとするなんて、彼らは決定的な観察力不足に違いない。
「私、絶対にこの時計を守るの。その時がいつ来るかは分からないけど、必ず」
強い意志をたたえた瞳だった。これなら平気だろう。変な目に遭わせようと思う奴がいない限りは。


黄昏時の太陽が、部屋を赤く染めている。リンネは少し用があると言って自分の部屋に戻って行った。ファントムも用意された客用の寝室にいる。
『随分と大層なことになったな』
デスカーンが姿を現した。
「とりあえず、これで飲食と宿舎の心配はいらないよ。…問題は」
『この街に入ってからずっとだ。鋭い視線を感じる』
纏わり付くような視線。人数は一人だが、それでも相当の力の持ち主であることが分かる。
「嫌な感じだよ。何も起こらないといいんだけど」
「ファントムー」
ドアが開いてリンネが入って来た。ピンクのジャケットを着ている。
「夕食までまだ時間があるの。街を案内してあげる!」
「え」
「さ、これを着て」
リンネが差し出したのは薄手のトレンチコートだった。
「これは」
「私のお母さんの。同じくらいの背丈だから、直す必要は無いわよね」
あれよあれよという間にファントムは外へ連れ出された。

人通りはまだ衰えていない。さっきのキャンディ・ワゴンがあったら嫌だな、と一瞬思ったが幸いなことにカラフルなワゴンの姿は何処にも無かった。
「この街はね、一度産業革命で大きく発展して、でもその後石炭から別の物に変わったから酷くしぼんでしまったの。今ではお洒落な街として観光に力を入れてるのよ。昔ながらの街並みを再現して、色んなイベントが出来るホールやお買い物が出来る可愛いショップもあるし」
リンネが道を歩くたび、周りの大人達が声をかける。大体は『お嬢様』呼びが多いが、そんなことを全く気にせずに手を振り返す。慣れているようだ。
「ヴァルヴァローネ家は、この街では一番のお金持ちなの。だから色々厄介ごとも多いんだけど、それでも私は父さんも母さんも好き。家の広さの割りに使用人が少ないのは、お婆ちゃんの時に使えていた人の娘や息子しか雇っていないから。…結構治安が良いとは言えないし」
「信用出来る人しかってことか」
「うん。友達もあんまりいないけど、それでも私は楽しいわよ」
なんとなく無理をしているように見えるのは、気のせいだろうか。自分も同じような立場であったから、その気持ちは分からないでもない。リンネと違うのは、自ら壁を造り、その中で生活して来たということだが。
「生まれてくる場所を選べたら、こんなことにはならなかったかもしれないね…」
「え」
「いや、こっちの話」
だが、そうなれば彼らとも会わなかった。それに後悔は一度もしていない。今の方が昔よりかはずっと楽しいからだ。
「あれ」
リンネが立ち止まった。向こうから、何かがやってくる。人だが、いやにカラフルな服装なのが分かった。
「分かる?」
『…何かばら撒いてるな』
白い紙のような物をばら撒いている。黄色の帽子に、水玉模様の服。だぶだぶのズボン。白粉に青い涙。赤い口紅。
ピエロ、だった。仮面をつけている。
「さあさあ、紳士淑女の皆さん、お待ちかね!明日からいよいよ公開だよ、オペラ『おぞましい魔術師』マルトロン劇場で!」
マルトロン劇場。その名前には、聞き覚えがある。
「さっきの伯爵様の名前じゃないか」
「ね、そんなオペラの名前、聞いたことある?」
「いや、初めてだよ」
やがてピエロは二人の前にやって来た。驚いてファントムの後ろに隠れるリンネ。
「これはこれは、美しいお嬢さん。貴方のような人なら、きっと魔術師も歓迎してくれるでしょう。ほら、こういう風に」
手袋をしたピエロが指を鳴らす仕草をした。ポン、という音と共に真っ赤なバラが目の前に現れる。
「でも気をつけてくださいね、魔術師は女々しい物は好みませんから。守られる者ではなく、守る者にならなくては、八つ裂きにされることも…」
「っ!」
「これは失礼。では、楽しみにしていますよ!」
そう言うとピエロは優雅に一礼して、他の客にビラを配りに行った。ファントムももらったバラとビラを交互に見比べる。
「おぞましい魔術師、か…」
「ね、どうするの?見に行く?題名からしてホラーっぽいけど…」
「…」

宣戦布告された気がする。何故かは分からないが、なんとなく。
『行くか』
「何が起きるか分からないけどね… 面白そうじゃないか。魔術師の実力、見せてもらうよ」
ファントムの手の中で、バラがぐしゃりと握りつぶされた。


  [No.456] 第四章 会場と約束 投稿者:紀成   投稿日:2011/05/21(Sat) 17:03:16   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

『昔々、まだ英国で黒魔術が盛んだった頃の物語。

ロンドンの外れに、一人の男が住んでいた。その男は、どんな魔法でも使える、魔術師だった。
見える物を見えなくしたり、周りを一瞬で暗くしたり、そこにある物を消すことが出来た。
中でも得意だったのが、生き物を別の生き物に変えることだった。箱にポケモンを入れ、呪文を唱えるとそれは別のポケモンへと変わった。
人々はそれを見て、正に天才だとはやし立てた。
気を良くした魔術師は、師匠から禁忌だと言われていた術を使うことにした。

魔術師は、自分の住処に一人の少女を連れ込み、嬲り殺した後、箱に入れた。そして呪文を唱え、箱を開けた。
中には、元の姿が分からないくらいに体が膨れ上がった少女の遺体があった。魔術は、失敗したのだ。
魔術師はその遺体をビック・ベンの上からロンドンの街へ投げ捨てた。あまりの変わり様に、人々は愚か親さえも自分の娘だと気がつかなかった。
それからも魔術師は子供を攫っては殺し、別の生き物に変えようとしたがことごとく失敗した。やがて警察が嗅ぎ付け、魔術師は捕まり、死刑判決が下された。
だが、ギロチンで首を切られる直前に、晴れ渡っていた空がいきなり曇り始め、土砂降りの雨が降り始めた。
そして、魔術師がギロチンに首をかけた瞬間、大きな雷がそこに落ちた。

あまりの眩しさに人々は顔を覆った。次にギロチン台を見た時―
魔術師は死んでいた。まるで今まで殺した子供が復讐をしに来たかのように、その体には人の顔が沢山浮き出ていたという』

「ねー、ファントムまだ?」
「お待ちくださいまし、リンネ様。只今使用人共が服を選んでいるところです」
リンネの声が、廊下から聞こえてくる。せっかちな子供なのか、それとも子供は皆せっかちなのか。どちらでもいい、と思い、ファントムは鏡を見た。
「髪はどういたしましょう」
「そのままで頼むよ」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げるメイド。後ろでカゲボウズ達がケタケタ笑っている。何か言いたいが、一般人の前ではあまり目立つことは出来ない。
「リンネ様があんなに楽しそうなのは久しぶりです」
「あの子の親は」
「二年ほど前から別地方へ仕事に出かけております。まだ幼いリンネ様を残して―」
「そう」
わざと明るく振舞っているようには見えなかった。昨日の姿がこの二年で定着してしまったのだろう。そして今の姿が両親と一緒だった時の物。
「ファントム様はどちらからいらしたのですか?」
「何処からでも無いよ。好きに回ってるだけ」
「そのことを是非リンネ様にも話してくださいまし」
ファントムは後ろを向いた。メイドの笑顔に、偽りは見えない。
「リンネ様は葛藤なさっているのです。このまま大人になっていいのかと。ヴァルバローネの家宝である懐中時計を守るためだけに生きていいのかと」
「…」
「あ、今の話内緒にしてくださいね。使用人に心配されていると分かれば、リンネ様も…」
「分かったよ」


「ファントム!」
部屋から出てきたファントムに、リンネが駆け寄ってきた。
「すっごい!まるで別人」
今日のファントムは、ラピスラズリ色のシルクのドレスにグレーのジャケットを合わせていた。靴はハイヒールだ。
「普段こんなの着ないんだけど」
「何言ってるの!そのギャップがいいんじゃない」
リンネは黒い、リボンとフリルが沢山付いたワンピースを着ていた。髪はサイドで二つ結びにし、帽子を被っている。
「さあ、表に馬車を回して」
「馬車!?」
「既に準備は出来ております」
執事が頭を下げた。外は夕暮れの色を濃くしている。
「ディナーの予約は」
「マルトロン劇場前、リストランテ・アルビーノ。夜九時から」
「ありがと。さ、行きましょ」
慣れないハイヒールに戸惑いながらも、ファントムは表に向かった。

黄昏時の街は、昼とは別物だ。街灯が点々と灯り、夜への道を歩いている気がする。
(そういえば、今日は変な視線を感じないな)
「ファントム、席は何処?」
リンネに言われ、ファントムは鞄からチケットを出した。ちなみにこの鞄も、リンネが選んで持たせた物だ。
「D列、五番と六番」
「結構前ね」
「懐中時計はきちんと持ってるの」
「ええ!」
リンネが服の下から懐中時計を出した。青いダイヤモンドが変わらず光っている。
「こんなオペラを見た後で食事なんて出来るかな」
「大丈夫よ!私、三半規管強いもの」
「…そういう問題じゃないから」
久々に無駄話をしたな、と考えていると馬車が止まった。
「到着いたしました」


マルトロン劇場は、街の一等地に作られていた。灰色の城のような外観に、車が止められるように円形の駐車場が設置されている。
空はすっかり夜の気配を濃くしていた。
「あ、リンネだ!」
馬車から降りるリンネを見つけて、数人の少女が駆け寄ってきた。皆が皆、小さなドレスに身を包んでいる。リンネも苦笑しながら彼女らに手を振った。
「こんばんわ、リンネ。貴方もオペラを見に来たの?」
「…まあね」
「すっごく気になるのよね、これ。この後ディナーが入ってるけど、大丈夫かしら」
「大丈夫よお、アンタなら。胃袋が大きくて、魔術師さえも飲み込んじゃうから!」
キャハハと笑う子供達の声が耳に障った。従者がファントムに呟く。
「リンネ様をよろしくお願いします」
「分かった」
ゼブライカとギャロップに鞭を振るい、馬車は元来た道を走っていった。まだ彼女達の話は続いている。
「ね、リンネ。今度うちの屋敷で舞踏会をやるの。お父様が是非って」
「クラスの子が皆来るのよ!」
「そう。お誘いありがとうね。でも今日はオペラを見に来ただけだから。
…ファントム!」
呼ばれたファントムはリンネの横に立った。見上げてくる子供達が可笑しい。
「数日前からうちの屋敷に泊まってるの。とってもバトルが強いのよ!」
「ちょっと、余計なこと」
「へえー。じゃあ今度の舞踏会に連れて来てよ。私のお父様とお兄様も強いのよ。多分、この街で一番」
一人の少女が意地悪く笑う。だが、リンネは涼しい顔をして、
「ファントムはね、ゴーストポケモン達のお姫様なのよ!どんなポケモンだってファントムの前には適わないんだから!」
「…」
やはり、子供なのだろうか。
「じゃ、二日後の舞踏会に来てよ!コテンパンにしてやるから」
「戦うのは君じゃないだろ」
いつの間にか、言葉が零れていた。少女達が驚いてファントムを見る。
「レントラーの威を借るスリーパー。もし君の父親と兄が負けたら、君…今の余裕を保ってられるかな?」
唖然とする彼女を置いて、ファントムはリンネと共に劇場へ入って行った。

「…参ったな」
ファントムは頭を抱えていた。リンネが笑う。
「まさかあそこで来るとは思わなかったわ!お腹痛い…」
「柄にも無く子供みたいなことになったな」
ムウマが擦り寄ってくる。喉を人差し指で撫でた後、ムウマは別の貴族が持っているポケモンをからかいに行った。
「さ、とりあえず楽しみましょうよ」
「うん…」
ファントムは辺りを見回した。また、変な視線を感じる。しかも今回は場所まで特定できる。
(舞台袖から…)
まだ決まった訳ではないが、今回の件…リンネと自分を見張る何かによる計画な気がする。そして勘が正しければ、進展は…
おそらく、今からだ。


  [No.692] 第五章 オペラ『おぞましい魔術師』 投稿者:紀成   投稿日:2011/09/03(Sat) 18:19:46   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

黒いローブを着た男が登場し、ヴァイオリンの音色が流れ出した。それに合わせて数人の男女が登場し、歌いだす。
『おお!我らが魔術師、レオーネ卿よ!その力でこの世界に巣食う悪を根絶やしにしてください!』
舞台の中心にいる男が杖を掲げた。
『我は英国一の魔術師。皆が皆、我を崇める。私に出来ない術など無い。その気になれば、この者達が言うように悪を抹殺することも出来るだろう。
だが、私はそんな無粋なことなどしない。私はただ、魔術を極めたいだけなのだ』
男が杖を一振りした。途端に、美しい光の帯が会場と舞台を包み込む。
「どんなトリックなんだろうね」
「それを言ったら、楽しみが無くなるよ」
リンネには悪いが、ファントムにはオペラを楽しむ余裕は無かった。今は視線を感じないが…いつ何が起こるか分からない。油断は出来ない。
『今宵もまた、私の魔術に魅せられた者達が集まってくる。金と名声は黙っていても手に入る。私はそんな状況にいる。
今の私になら、禁忌を犯しても誰も罪に問わない。問うことが出来ない』
上空から檻が現れた。綺麗に細工してあり、薄い布がかけられている。
『ご存知無いかもしれないが、私の得意な魔術は合成だ。ポケモンとポケモンを合わせたり、また鉱物と生きる物を合わせることも出来る。
…なら、人間と他の何かを合わせればどうなるだろう?』
舞台袖から語り手が出てきた。
『ああ、哀れな魔術師。お前は自分の力と他人からの賞賛に酔いしれてしまった。いつもならそこで過ちを考えていると気付くはずなのに、今の彼には忠告してくれる友人すらいない。
皆が皆、尊敬すると同時に彼を恐れた。もし何か言えば、自分の命が危ない―そう考えた』
語り手が退場する。そこで一旦舞台が闇に包まれる。そして…

変わって、ロンドンの町並みが現れた。十九世紀より前なのか、ビックベンの姿は無い。テムズ川のほとりを、一人の少女が散歩している。髪の長い、美しい少女だ。
『今日はとてもいい天気。神様、このように素晴らしい世界を創造してくださり、感謝いたします』
祈りの仕草をする少女。するとそこへ、この場に不釣合いな男が現れる。
『そこのお嬢さん』
『あら、レオーネ卿。ごきげんよう』
『ああ、ごきげんよう』
男も少女と共に川に映る景色を見る。
『この街はとても美しいな。天国も、このような場所なのだろうな』
『ええ。ロンドンの町並みは素晴らしいですわ』
『だが、もっと美しい物がある。…何だか分かるか?』
『ええ?』
男が笑って言った。
『実はな、新しい魔術が完成しそうなんだ。それは』
男は川べりに落ちている石を拾い上げた。
『この石を、宝石に変えることが出来るんだ。大きさも種類も様々。しかも一旦変えれば、何をしても石っころに戻ることは無い』
『まあ!それは素晴らしいですわ!ロンドン、いえ、世界中が驚嘆なされることでしょう!』
『そこで、だ』男は少女に言った。『君にその魔術の証人になってもらいたいんだが…』
『私が、ですか』少女は目を丸くした。
『そうだ。私のような胡散臭い魔術師がいくら説いたところで、所詮は認められやしない。ましてや、価値の無い物をある物に変える術など、今まで誰もが挑戦しては玉砕してきただろう。
だが、君のような美しくてしかも人望もある女性の言葉なら、皆耳を傾けてくれるだろう』
最後の言葉が気に入ったらしい。少女は言った。
『是非、お願いしますわ』
二人は歩き出した。そこで再び語り手が登場する。
『世の中で一番騙しやすいのは、プライドに包まれた人間だと言う。この少女も見た目は愛らしいが、中身はプライドを詰め込ませたビロウドの人形に過ぎないのだ。
そんな人形を騙して連れて行くことなど、この魔術師にとっては容易いことだった。この男は人の心をよく分かっていた』
古い屋敷のセットが現れる。少女一人が舞台に現れ、辺りを見回す。魔術師の姿は、無い。
『レオーネ卿?どこにいらっしゃるのですか?』
『すまない、お嬢さん』
舞台袖から声がした。少女が安堵の息を漏らす。
『ああ、よかった。どうなされたのです?』
『いや、何しろ石が重くてね。すまないが…手伝っていただけないだろうか』
『ええ、分かりましたわ』
少女が舞台袖に消えた。そして―

『いやっ!何をするの!?離して! …ぎゃああああああああああっ!』

リンネが震えた。それくらい、少女の断末魔が激しい物だったからだ。周りを見ると、ほとんどの客が顔から血の気が引いている。
やがて、大きな箱と胸にナイフが深深と刺さった少女を担いだレオーネ卿が舞台に登場した。左手には杖を持っている。
彼は少女の遺体を箱に入れると、側に置いてあった薬品のビンを開けて注ぎ、蓋をした。杖を高々と上げ、叫ぶ。
『この肉体を別の物に変えよ!』
舞台袖からドライアイスの煙が噴出した。舞台が見えなくなる。霧が晴れた時、男は箱を開けて中の物を取り出した。
ヒッ、という悲鳴が周りから上がった。ファントムも思わず口を押えた。
そこには、元の姿が何か分からないくらいに膨れ上がった肉体があった。それを見たレオーネ卿は、激しく頭を掻き毟った。
『何てことだ!失敗だ。こんな物、捨ててしまえ!』

場面が変わって、ロンドンの穏やかな昼下がり。カフェで新聞を読む男、優雅にテムズ川のほとりを散歩する貴婦人、新聞売りの貧しい身なりをした少年。誰もが自分の時間を過ごしていた。
不意に。新聞売りの少年が上を見上げた。そのまま右手でビックベンを指差す。
『ねえ!何かぶら下がってるよ!』
その言葉にバスケットに花を沢山入れた少女が上を見る。はじめは子供の戯言だと思っていた大人達も、次第に皆に釣られ上を見上げた。
『あれは…なんだ』
『袋?』
『いや、何故あんな…ビックベンの針に袋がくくりつけてあるんだ』
カチ、という音がした。長針が少し下がる。一分を刻んだのだ。
そして―

『あっ!』
少年が声をあげた。くくりつけられていた物が、針からずり落ちて…
グシャリ、と石畳の道に落ちた。
『キャアアアアッ!』
貴婦人が叫んだ。袋ではなかった。体がこれ以上に無いくらい膨れ上がった…人間だったのだ。

騒然とするテムズ川周辺を、レオーネ卿は遠くから見つめていた。
『あの姿では、親すらもわが子だと分かるまい。自分の醜さに絶望した女が自殺した― 少々無理があるが、それで片付けられるだろう。
いや、そんなことより重要なのは次の材料だ。遺体では駄目だった。ということは、生身の人間の方がいいのか―
…そうだ』
レオーネ卿は何かを思いついたように、走り出した。

再びレオーネ卿の自宅。さっきとは違う箱が用意されている。薬のビンは、そのままだ。
『おそらく遺体という理由だけではなく、心も必要だったのだろう。あの女は高慢でプライドが高く、煽てれば簡単に付いてくるような奴だった。
もっと美しくて、純粋な心を持った人間を』
ここでレオーネ卿の役者は一旦舞台から降りた。驚く観客達。ファントムは側にいたデスカーン達にそっと耳打ちした。
『               』
やがて男はファントム達が座っている列に入って来た。リンネをちょっと見た後、ファントムを見て言った。
「貴方が相応しい。共に来てもらおう」
「…構わないよ」
ファントムは立ち上がった。デスカーン達はそのまま待機している。リンネが不安げな表情を浮かべている。左手を少し振った後、ファントムは階段を降り、舞台にある箱へと向かった。
白い箱だ。光の加減では灰色にも見えるかもしれない。もう一度客席を見た後、ファントムは箱に潜り込んだ。思った通り、舞台に扉があって箱の下から出入り出来るようになっている。音を立てないようにそっと下へ移動した。上で派手な音が聞こえた。爆発音だ。
「さてと…」
ファントムは身を屈めた。真っ暗で何も見えない。お供は皆リンネの側で待機するように言って来た。
「こんな手の込んだことをするのは誰だよ…」
埃が服に纏わり付く。上ではまだ舞台が進行していた。うんせうんせと両手足を動かし、やがて小さな扉に当たった。
「ここか」
スライド式だった。そっと開けると、小さな灯りが見えた。誰かの話し声が聞こえ、ファントムはより一層身を屈めた。
「本当に出来るんだろうな」
「ああ。私の言う通りにしていれば、必ず時計は手に入る」
時計。一人の声はそう言った。おそらくリンネの持っている懐中時計のことだろう。全く、いい大人がみっともない。
「だが側にいるあの女が厄介だ。隙が無い」
「普通の方法では、返り討ちにされるだろうな。今夜は下見だ。時計は手に入らん」
どうやら自分を引き剥がしてリンネから時計を奪うつもりでいたらしい。
「思った以上に厄介な相手だ。…お前、近いうちに舞踏会は開けるな?」
「それは勿論」
「私の言う通りにセッティングしろ」
「…分かった」
一人の男がこちらに向かってくる。だがファントムには気付かない。そのまま通り過ぎて行った。
「…」
やがてもう一人の男も別のドアから出て行ったようだ。ファントムは立ち上がると、裏口から外に出た。

「ファントム!」
リンネが駆け寄ってきた。埃だらけの服装に一瞬怪訝な顔をしたが、何か考え付いたかのようにぽんと手を叩いた。
「下を通ったの?」
「まあ。で、あの後どうなった?」
「また失敗。多分あれは人形だろうけど、今度は関節という関節が無くなってて…オクタンよ、あれじゃ」
リンネがため息をついた。時刻は八時半。予約したレストランの時刻まで、あと三十分。
だがこの格好では…
「なんとか出来ないかな、この埃」
「じゃあ服屋に行きましょうよ!私がコーディネートしてあげる」
「いや、ブラシとかあれば…と思ったんだけど」
リンネはファントムの話を聞いていない。そのまま高級ブティック店がある通りに走っていった。

一人の男が、街を見下ろすことの出来る時計塔の上でアコーディオンを弾いていた。
「怪人ファントムに気をつけろ、夜道でお前を待ってるぞ…か」
月光が男の白い仮面を照らす。


「さあ、楽しいゲームの始まりだ」


  [No.693] 第六章 マスカレードの招待状 投稿者:紀成   投稿日:2011/09/03(Sat) 19:00:58   41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

オペラを見て、リンネに連れられて服を変え、そのままレストランでディナーをし、馬車を呼んで屋敷に戻り、シャワーを浴びて床についた――
そこまでははっきりと覚えている。瞼が重い。確か寝る前に時計を見たら午後十一時半だった。リンネはこんな時間までいつも起きているのだろうか。
「ん…」
見慣れない高い天井が目に入り、ああ、ここはリンネの屋敷だったと思い出す。天蓋付きのベッドにはゴーストタイプ達が折り重なりあって眠っていた。カゲボウズ達は涎を垂らし何か言っている。旨い感情を食べている夢でも見ているのだろうか。
備え付けの時計は、午前八時を差していた。久々にゆっくり寝た気がする。ずっとずっと、なるべく同じ場所に留まらないようにしてきた。ホテルもなるべく遅くに来て、早くに出て行った。
「…」
ファントムはベッドから出た。カゲボウズの一匹が落ちた気もするが、気にしない。
カーテンを開ける。バルコニーは濡れていた。しとしとと雨が降っている。空はどんより曇り空。今にも雷が落ちてきそうだ。

コンコン

ドアを叩く音がした。女性の声がする。
「ファントム様、起きていらっしゃいますでしょうか」
メイドの一人だろう。ファントムは欠伸をした後、そっとドアを開けた。
「おはようございます。起こしてしまいましたか」
「大丈夫。さっき起きたところ。…どうかした?」
「貴方様宛ての手紙が届いております」
「!」
メイドが手紙を取り出した。薔薇の印が押された蝋で蓋をしてある。白い封筒。差出人は、無し。
「リンネお嬢様にも同じ物が届いているのです」
「渡してもいいと思うよ」
「えっ」
ファントムは封を切った。中から招待状と手紙が現れる。
「わざわざ送って寄越したんだ。隠していたと知ったら、怒るだろう」
「ですが…」
「私がいる。あんな愚かで脆弱な貴族気取りに、時計は渡さない」
メイドは呆気に取られていたが、やがて深くお辞儀をした。
「ファントム様。リンネ様をよろしくお願いします」

『マスカレード?』
デスカーンが意味が分からない、というような声を出した。ファントムは呆れて自分の仮面を指す。
「仮面舞踏会のこと」
『お嬢さんにも来てるのか、それ』
「ああ。おそらくそこで時計を奪うつもりだと思うよ。昨日は下調べって言ってたし」
招待状には、自分の名前が書いてあった。昨日名乗ったのをそのまま使ったのだろう。こう書いてあった。

『去る○月○日、午後六時より我がマルトロンの屋敷で仮面舞踏会を開催いたします。
なお、舞踏会の他に様々な遊戯などもご用意しておりますので、是非ご参加ください』

遊戯、の部分が気になった。貴族の言う『遊戯』とは一体どんな物なのか。嫌な予感がするが、ここで引き下がっても相手の思う壺だ。
『ファントム、一つ聞いてもいいか』
「何」
『…踊れるのか?』
冷たい風が、彼女らの間を駆け抜けた。しばらくの沈黙の後、ファントムが立ち上がる。
「日本舞踊は今でも染み付いてるけど、流石にワルツはね…」
ああ、火宮の時にお稽古事であったからな、とデスカーンは言いかけたが、慌てて口を塞いだ。彼女にとって、火宮家の人間でいたことは最低の歴史なのだ。
「参ったな」
『舞踏会は二日後。今から練習するのは流石に――』

『マスター、基礎程度なら私が』

そう言って手を上げたのは、プルリルとブルンゲル達だった。意外な相手に、ファントムが目を丸くする。
「踊れるのか」
『まだ貴方に付いて行く前、街の映画館でよく見ていたんです。それを見るうちに、覚えて』
「…お願いしようかな」


「ファントム、朝ごはんー…」
ドアを開けたリンネが見た物は、ブルンゲルとワルツの練習をするファントムだった。相手のステップに合わせてこちらもステップを踏む。
「…何やってるの」
「リンネ、招待状は渡された?」
「ええ。さっきメイドから。ファントムも貰ったって言われて、朝ごはん呼ぶついでに話そうと思って。
…それってもしかして」
「生憎全く踊れないんだよ。だから少し練習しておこうかと思ってね」
リンネは部屋に入った。カゲボウズ達に向かって飴玉を投げる。寄ってたかって奪い合う彼ら。
「扱い慣れて来たね」
「何かファントムと一緒にいたら、見えるようになっちゃったみたい」
「それは言えてるね。見える者と一緒にいればこちらも見えるように――っと!」
バランスを崩した。倒れるところをブルンゲルが支える。ありがとう、という言葉と共にリンネを見た。
「リンネは踊れる?」
「しきたりだから」
「そっか」


室内でダンスの特訓が続く。時計を守る以前の問題になっている気がするが――
大丈夫だろうか。