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  [No.311] エリと格闘の軌跡 投稿者:ライアーキャット   《URL》   投稿日:2011/04/24(Sun) 17:53:41   69clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
エリと格闘の軌跡 (画像サイズ: 800×800 47kB)

初めまして! ライアーキャットと申します。
趣味で小説を色々書いては誰にも見せずに秘匿していましたが、このたびこのようなサイト様に出会い、書きとどめていたポケモン小説を投稿させていただきました。

登場するポケモンはBWとそれ以前のもので、キャラクターや世界観はオリジナルとなっております。
ただ、ゲームの設定などがたまにネタとして入り込むことがありますのでご了承くださいませ。

それから、いわゆる人体への攻撃などの描写が作中には含まれています。苦手な方はご注意ください。

完結させられるかどうかはわかりませんが、頑張って書いていきたいと思います。宜しくお願いします。

感想、批評などありましたらご記入いただけると嬉しいです。

それでは、新米ポケモントレーナー『エリ』の旅におつきあい下さい!


【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】


  [No.312] 第一話:投げられて冒険開始? 投稿者:ライアーキャット   《URL》   投稿日:2011/04/24(Sun) 18:08:59   65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「はぁ……はぁ………一体、どこに……消えたのだ…………?」
暗い森の中を、一人の男が走っている。
丈の長い白衣を着て白い髭をたくわえた、老年の男。
足取りはとてもやみくもで、どこかの目的地に向かうようなそれではないようだった。
……はっきりしない走行なのは、目的のそれが止まっていないから。
もっと具体的に言えば、それは常に移動し、男から……いや、男たちから逃げているから。

「……ワン!」
「ハーデリア、嗅ぎつけたのか!」
男が立ち止まり、足元に目を向ける。
そこには一匹の生き物が居て、地面に向けた鼻をしきりに動かしていた。
人間ではなく、しかし人間と共存し、持ちつ持たれつの関係を築いている生き物。
この世界ではそんな生き物を……ポケモンと呼ぶ。
「ワンワン!」
ハーデリアと呼ばれたそのポケモンは、暗闇の先、森の奥に何かの存在を感知したらしく、一直線に駆けていった。

「待てハーデリア! 私を置いていくな!」
男は再び走りだす。
探していたものが見つかるかも知れない。なのにその表情は、さっきやみくもに走っていた時よりも、焦りがにじみ出ていた。
「ワン! ワン! ガウ……、ギャン!」
「ハーデリア!?」
男は自分のポケモンの身を、案じていたのだ。
探していたそのポケモンに――自分のポケモンが返り討ちにされないかを。

ハーデリアが暗闇の奥から………吹っ飛んできた。
その体は男の前の地面に叩きつけられ、力なく横たわる。
「クウン………」
「ちぃっ……! 相性が悪かったのだ。ノーマルタイプではやられてしまう!」
男は白衣のポケットから、赤と白に色が別れた小さなボールを取り出す。
「もう私に手持ちポケモンは居ない! 捕獲してくれるわ! 行け! モンスターボール!」
人間がポケモンを捕まえる際に使う、カプセル状の球体。
逃す訳にはいかないとばかりに、男はモンスターボールを幾つも暗闇に投げる。
しかし相手の姿も見えず、加えて相手の体力が万全の状態で捕獲など出来るはずもない。

「キ………ゲキイッ!」
今度はモンスターボールが返り討ちに遭い、逆に男の方へ飛んでくる。
男は捕獲される代わりに、跳ね返ってきたボールを体にぶつけられ、呻いた。痛みではなく、相手のあまりの手強さによる悔しさで。
「ゲキィ………」
やがて男の目にも見える位置――月の光が届いた地面に、そのポケモンは現れた。
人間に似た小柄な体躯ながら、ハーデリアを格闘の末に倒し、モンスターボールを自らの技で投げ返して、今度は男に向け、構えをとる。両手を開いて相手にかざし、いつでも素早い移動が出来るように、腰をかがめて足に力を込める。
それは柔道の構えだった。
そのポケモンが戦いの際に用い、尊重しているスタイル。
「ゲキイイ……!」
「もはやこれまでか……!」
男が目を閉じた時だった。突然新たに一匹のポケモンが出現し、柔道ポケモンに攻撃を加えた。
柔道ポケモンの体がひとりでに宙に浮き、見えない力に弾かれる。
それこそが、男を助けに現れたポケモンの持つ力。
超能力、『ねんりき』。
「ケエェェー……………シイィィィー………」
「親父! 大丈夫か!?」
念力ポケモンの後ろから、今度は人間が駆けつけてくる。
脱色して白い色になっている、ガサガサした見た目の髪。若々しさとたくましさを両立させた顔つきの、青年だった。

「ったく、無茶しすぎなんだよ。あいつが研究所から逃げ出したのを知った途端に走り出すなんて……机の上に手持ちポケモン入りのボール、全部置き忘れやがって」
「こやつは一筋縄ではいかんのだ。仕方ないだろう。近隣の街で暴れられたりしたら………」
「分かった分かった。 言い訳はいつでも聞くからよ、オトウサン」
「ぐっ……」
青年は男――自分の父親を軽薄にあしらいながら、本来は父親のものである念力ポケモンに命じる。

「さあ行くぜケーシィ。ちゃっちゃと奴を戦闘不能にして連れ戻すんだ。そしてきのみでもキズぐすりでもあげて元気にして……暖かい風呂でもベッドにでも入れてやろうじゃねえか。エリも心配している。手早く済ませよう」
青年とそのポケモンが、逃亡者たるポケモンと対峙する。互いに緊張が高まり、
技を出すタイミングを計る。
片方は自らの意思で、もう片方は人間の命令によって。

そして――バトルが始まった。





ポケットモンスターオリジナル 〜エリと格闘の軌跡〜



・第1話〜殴られて冒険開始?


「……そっか。無事に連れ戻せたんだね。良かったぁ……」
中身を飲み干したコーヒーカップをことりと置きながら、思わず安心してため息をついた。
いつも通りにごくごく普通に始まった朝の食卓の中で、私は『そのこと』がずっと気になっていたから。
正面に座っている私のお兄ちゃんは、パンを口の中に詰め込んで頬張りながら(みっともない)片手間みたいな適当さで昨日の出来事を話す。
「ま、結局ケーシィも体力を削られたから、最後はモンスターボールに頼らざるを得なかったがな。もぐもぐ……あくまで飼育の範囲内でポケモン育ててる俺らからしたら、ポケモン捕獲はちょいとした失態だよ。むぐむぐ」
「お兄ちゃん、せめて口の中のものを飲み込んでから喋って欲しいんだけど………」
「お前が朝からしつこく訊いてきたんだろうが。ったく、研究員でも何でもねえんだから、いちいちウチで飼ってるポケモンのことなんか気にすんなよな」
「だって心配なんだもん。お兄ちゃんやパパみたいなポケモン研究家でなくたって、ポケモンは大切なパートナーなんでしょ?」
『お前には関係ないだろ』みたいな態度に少しムッとしながら、私は私のパンを口にくわえる。
「ポケモン持ってない私にだって、それくらいは分かるよ」
「はんッ、そいつは結構なこってすなあ。可愛い妹め。……ごっそさーん」
皮肉を捨て台詞に、お兄ちゃんは席を立って、食器をそのままにそそくさと行ってしまった。「ちょっと! 今日はお兄ちゃんが食器担当でしょ〜!」という私の抗議を完全に無視して。

……はぁ。全くいい加減なんだから。それなりにいい顔してるんだから、ちょっとは性格直せばいいのに。まあ、髪を白く脱色するのはいまいちセンスが分からないけどさ。
「だから女の人にもすぐにフラれちゃうんだろうな〜……。長続きしてた人とも一年前から音信不通みたいだし」
ぶつぶつ愚痴をこぼしながらパンを食べ終わり、席を立つ。かっこいい顔で嫌な奴のお兄ちゃんに代わり、食器を洗ってあげる為に。
二人分のお皿とコーヒーカップを重ねて台所に「……あう、お皿が滑りそうで怖いなぁ」歩こうと「わっと、傾けちゃ駄目だよね」足を進めて「うわっ、落ちる落ちるバランスを」したんですけど「や、やっぱりテーブルにいくつか戻して……!」残念ながら「きゃーーーーー!」

ガシャガシャガシャーン!!

……駄目でした。
重ねたお皿を手で運ぶのって、やっぱり難易度高すぎるよね……。
「お皿二段とコーヒーカップ二段。合わせて四段。そんなシロモノを持って三歩も歩くなんて……やはり私には出過ぎた領域だったのです……」
「何をやっとるんだ、エリ」
がっくりとうなだれる私に、辛辣な声がかけられる。
名前を呼ばれたので、振り返えらざるを得ない。 私の名前はエリですから。
視線を移すと、そこには髭をたくわえた男の人がいつの間にか立っていて、呆れた表情でこちらを見下ろしていた。
………まあ、私のパパなんだけど。

ポケモン研究家、ランド博士。
町の人達からはそう呼ばれて、まあ、そこそこ慕われているみたい。
研究内容は『ポケモンの成長環境における能力値やわざの変化』とか何とか。お兄ちゃんはパパの助手をしていて色々手伝っているようだけど、私はそうでないからよく分からない。
そんなパパの顔にはいつも通り、夜遅くに研究所から帰ってきてそのまま寝ちゃった次の朝に浮かべている、疲れの抜けきらない感じな表情が張り付いていた。手入れした顔は、昔図鑑で見せてもらったハーデリアっていうポケモンの進化形みたいなんだけど、寝起きはそれが爆発したような別人モノに変貌しちゃって、娘の私でも少々分かりづらいのでした。
「パパ、ハーデリアの進化形って何だっけ」
「『ムーランド』というが……それがどうした?」
「ううん、何でもない」
ありがとうムーランドパパ。

「全く、またもや盛大に皿を割ってくれたものだな………おい、箒を探そうとするな。ワシがやる。お前では危なっかしくて見ていられない」
「私が何かやるたびにそういうこと言うけどさ、パパ、私だって色々頑張ってるんだよ。一人でできることだって増えたし」
「ほう。例えば?」
「三日前パパが近所の人から預かってたコラッタを、パパが留守の間の三時間守り続けました。一緒に遊んでなつかれました」
「なるほどそんな事があったな」
納得するパパ。
そして言葉を続ける。誉めて誉めて。
「遊んで家中を台風のように壊滅させてくれたよな」
「…………………」
「お前は駆けっこしていただけと真顔で言っていたが、何故にタンスやテレビが倒壊してるのかがなかなかの謎だったな」
「……二日前、隣町までキズぐすりを買いに一人でお使いできました。連れいったパパのケーシィも野生ポケモンに遭わせず戦わせずに」
「そうだな。そして爆睡したお前を細腕で必死に支えつつよろめくケーシィがテレポートしてきたな。キズぐすりは隣町との間の道路に無造作に置かれていたな」
「…………………………」
「せいぜいがんばるがいいさ。可愛い娘よ」
「パパーっ! 待って!」
背中を見せて立ち去ろうとするパパに、私は必死で叫んだ。
お皿をどうにかしてから行って欲しかったし………ううん、それよりも。
今日ばかりは、パパに自分を駄目な娘だと認定される訳には――いかないんだから。

「私は駄目な子だけど……何やっても失敗ばっかりだったけど、でも、でも……
ポケモンだけは、ちゃんと面倒見れるから……大切に、出来るから――!」
パパは背中を向けながら、何も答えない。
信用出来ないっていうんでしょう? 分かってる。分かってるよ。自分が何も出来ない子だってことぐらい。
だからこそ………小さい頃からパパやお兄ちゃんに見せてもらったり、短い時間を過ごしたりした、ポケットに入るあの子達とだけは、仲良くしたい。
私はポケモンが、大好きだから。

「フン………」
パパは仏頂面で振り返る。うん、やっぱり信用出来ないって顔だった。
「本当は恐ろしいくらいに、身震いするくらいに不安なんだが……ポケモンを連れ、旅をする。それが大人になる為の通過儀礼なのだからな。全く腹が立つわ」
「それじゃあ……!」
「ワシも親馬鹿ではない。可愛いかどうかは捨て置き、子には旅をさせよという言葉もある」
視線だけでなく体全体を私の正面に向け、町のみんなに博士と呼ばれているポケモン研究家のパパは、心配そうな寂しそうな、だけどあくまでも厳格な大人の視線で、私を射抜く。

「先に研究所に行って待っていろ。そこでお前に必要になるだろう物を渡してやる。勿論、お前のポケモンもな」
「うん。……ありがとう、パパ」
こんな私を、不安で堪らないのをこらえて――旅に出ることを許してくれて。
「? 何故礼を言う?」
「ううん、何でもない」
だから私も、その不安を打ち消せるような人間になりたい。ポケモンと一緒に生きて一緒に成長していく人間……ポケモントレーナーに。
私は食卓を離れる。「また新しい食器を買わねばならんな」という溜め息混じりの声が、後ろで聞こえた。



◆◆◆



人とポケモンが共存して、この世界は成り立っている。
そして私の住むこのミメシス地方では、子供は一定の年齢を迎えると、必ず自分のパートナーとなるポケモンを大人から授かり、色々な場所を旅して色々な経験を積んでいくことになるという。そうして初めて、その子供は大人となる為の準備を終了したことを認められる。
通過儀礼。
……今日が私の番。
私は今日から家族と離れ、旅に出る。友となるポケモンと一緒に。

「待たせたな。……もっとも到着が遅れたのはお前のせいな訳だが」
研究所の一室にて、パパは私を正面に姿勢を正す。
実の親子であろうと、今日は特別な日。お互いに緊張して、思わず改まった態度になってしまうみたいだった。パパも毛皮らしい(汚らわしいの誤字だけどムーランド似的な意味で間違ってないから無修正)顔を修正し、博士のイメージにあう井出達になってるしね。

「あー……何か気の効いた言葉でもかけてやろうかと思ったが、お前相手では小言ぐらいしか思いつかん。だから何も言わずにとっととイベントを済ませるとする」
「ものっそ適当な言い分ですね……」
脱力で思わず丁寧語になる私。

「先ほどからお前もあからさまにチラチラ横目で見とるが………そこの机の上にある箱の中にモンスターボールが入っている。それがお前のパートナーのボールだ」
部屋に入って、パパを待っていた時からずっと気になっていた箱に、私はようやく近づくことを許される。今よりもっと子供の頃、研究所の物に勝手に触るたびにすごく怒られまくっていた私は、待機していた間も遠目でしか見ることができなかった。
「モンスターボールは三つある。お前が選ぶがいい」
「三つ? 一つしか取っちゃ駄目なの?」
「馬鹿者。いきなり三匹のポケモンを育てられるような素質がお前にあるものか」
馬鹿って言われた。あうう。
いやいや、そんな事より選ばなきゃ。私の初めてのポケモンを。
箱の形は、いわゆるプレゼントボックス。立方体の上に蓋が乗り、リボンで封じられたもの。
そのリボンを、ほどく。
「研究所の敷地で育てているものをやりたかったが、あいにく今居るのは全員研究用でな。お前にやるポケモンはイッシュ地方という所から特別に取り寄せた」
「ウイッシュ地方?」
「それは某アイドルが両手を交差させて行うお家芸だ」
「ティッシュ地方?」
「それは某動画サイトで最近流行っている年齢制限必須っぽいポケモン動画に付けられるタグだ」
よく知ってるじゃないですかぁお父さぁん?
まあ戯言は置いといて。
「……開けるよ?」
蓋を両手で掴む。ボールを一つ手に取った瞬間から、私のポケモントレーナーとしての一歩が始まるのだ。
「もったいつけるな。――いけ」
私は、箱を開いた。

「…………………………、あれ?」
「では内容を説明するぞ。三つのボールにはそれぞれ炎、草、水タイプのポケモンが……」
「ねえパパ……ポケモンが居ないよ?」
「そうか。そしてポケモンの名前と分類名を上げると、まず炎は……って、何い!?」
私の指摘に、パパは遅ればせながら反応し、叩くように机の上に両手をつけて、箱の中を覗き込む。
その中に、モンスターボールは見当たらない。
三つあるというポケモン入りのボールが三つとも、無かった。
「何故だ!? 届いた時は確かにボールが入っていた! 中のポケモンも確認したぞ!」
「え、えと、まさか泥棒さんとか……?」
大変だ。
私の初めてが奪われた!
アクシデントに慌てふためくパパ。私は状況が飲み込めず、とりあえずきょろきょろと辺りを見回したりしてみた。棚やパソコンの脇とかにもモンスターボールが置かれてるから、その中に混ざったんじゃ「………あ!」
その時――三つのモンスターボールを見つけて、無意識に大声が出た。パパもこちらを振り返り………だから私の視線の先を見て、同じように声を上げた。

「探し物はこれか? 親父。エリ」
「お兄ちゃん!」
「アキラ!」
部屋の入り口に、お兄ちゃんが立っていた。白衣に着替えた姿で、うさんくさく気取ったポーズで。
パパの助手。研究員のアキラ。私のお兄ちゃん。
その片手には、三つのモンスターボール。

「へへ……朝メシ済ませてから、お二人さんが来るまでの間に先回りして、ちょいと見させてもらったぜ」
「お前、何を考えている! それはエリに渡すボールだ、さっさと返せ!」
「へいへい。お騒がせしてすいやせんっした。受け取れ」
お兄ちゃんはやけに素直に謝ってから、こちらにボールを下投げで渡そうとする。……けれど腕を下げた瞬間、何かを見つけたように目を丸くし、口元をニヤリと歪める。

「………お兄ちゃん?」
「返そう……と思ったが、気が変わったわ。いいこと思いついた」
「……?」
「今から俺が出すこの三匹を倒せたら、改めて選ばせてやるっていうのはどうだい?」
そう言って、意地悪なお兄ちゃんはボールを一つ、投げる。渡してくれたのかと思ったけど、それは私に届く前に空中で――破裂音と共に、割れた。中から赤い稲妻が飛び出し、床の上で輪郭を纏い実体化する。
「ツタアァアアーーーー、ジャッ!」
それは緑色の体をした細長い体のポケモン。手足はとても小さく、遠目にはヘビさんのようにも見えた。
「草タイプのポケモン………ツタージャだ」
パパが後ろから解説をしてくれる。ツタージャはお兄ちゃんの前にさっそうと立ち、私の方をじっと見つめている。……何かを待っているかのように。

「ほらほらエリさんよ、お前もさっさとポケモンを取り出せ」
「取り出せって……何? どういうつもりなの? お兄ちゃん」
「お前も知ってるだろうが。トレーナーはポケモンと遊ぶだけじゃねえ。互いにポケモンを戦わせて、強化したりもするんだぜ?」
「それは知ってるけど………え? これ、ポケモンバトルなの?」
「そうでなけりゃ何だってんだよ」
当たり前のことのように言うお兄ちゃん。

「で、でもお兄ちゃん、私が選ぶポケモン全部取っちゃってるじゃない。一つくらい返してくれなきゃ……」
「おいおい、何を言ってるんだ?」
下手っぴなお芝居をしているような軽い口調――気分が乗るとこの人はいつもこうなる――で、お兄ちゃんは私を笑った。
「お前の足元に偶然にもモンスターボールが転がってるじゃねえか。そいつを拾って中のポケモンを出してやれ。俺はそいつが誰だか全然知らないが、そいつでお前は戦ってみろよ」
「何を馬鹿なことを、何だそのボールは………、っ!?」
私が拾ったボールを見て、何故かパパはオーバーなくらいに目を丸くした。え……何? 色が紅白じゃなくて青と白に分かれている以外に、おかしなとこは見当たらないけど。
「ふざけるな! お前よりにもよって、あのポケモンを……!」
「落ち着けよ親父。こいつはエリに与える試練さ」
お兄ちゃんは目を細め、そこだけ笑いを消す。口で笑って目で無表情という器用なことができるのもこの人の特技。
「この三匹じゃ性格がおとなしすぎて、エリに振り回されてお終いになっちまうさ」
「な……! そんなのやってみなきゃ分からないよ!」
「俺は無理だと思うね。可愛い妹よ。……ならばだ。ちょっと難易度を高くして、トレーナーを鍛えるくらいのポケモンを操らせるくらいのことをさせなきゃ、エリには分からないと思うのさ。旅の厳しさって奴をな」
厳しさ……?
それとこのポケモンバトルと、どういう関係があるんだろう。
このボールの中に、その秘密がある………?
「エ、エリやめろ、そのボールの中に入ってるのはな、お前が気にしていた昨日の……」
「分かったよ」
私はボール握りしめ、お兄ちゃんを正面から睨みつける。
「お兄ちゃんの言ってることはよく分からないけど、私が馬鹿なのをいいことに意地悪してるってことは、分かった」
「正当な評価だよ。………そのポケモンでどこまで抵抗できるか見てやるぜ。来な」
「お兄ちゃんを見返して、私にもトレーナーぐらいはできるってことを――証明してやるんだからっ!!」
私はモンスターボールを投げ、ポケモンを召喚した。パパが理由不明の呻き声を漏らしたのと同時に、それは床に降り立つ。

「キィ……ゲキイィイイイィイ!」
「わ………見たことないポケモン!」
赤い体色に、小柄な人間のような輪郭。その上から白い服を着ていて、真っ黒な帯を締めていた。
この服は………えっと、昔テレビで見た『カラテおう』っていうトレーナーが着てたみたいな……………格闘モノの?
「ナゲキ――じゅうどうポケモンのナゲキ、だ」
「ナゲキ……?」
パパはどこかが痛いのを我慢しているみたいな表情でポケモンの解説をする。……何でさっきから苦しそうな顔つきなんだろう?

「ツタージャ、『たいあたり』だ!」
はうっ!? しまった!
自分のポケモン見つめてて、命令するの忘れてた!
バトルでのポケモンはトレーナーの命令があって初めて行動出来るのに!
ツタージャはお兄ちゃんを見て頷くと、体全体でナゲキに突っ込んできた。あわわ、攻撃を許した後じゃ、わざの指示なんて出来ないよ!

「ナゲ…………キイィッ!」
「ジャア!?」
と、思ったら。
ナゲキは何も命令をしていないのに、近づいてくるツタージャに拳を突き出し……パンチをくらわせた。ツタージャの小さな体が吹っ飛ぶ。
「『いわくだき』。岩をも破壊する勢いの攻撃だ」実況役になったらしいパパの解説がフィールドに響く。
……だからどうして、どこか神妙な顔つきなのさ。

「ツタアァア………ージャッ!」
「『にらみつける』だ、ツタージャ」
ツタージャは倒れたものの、素早く立ち上がり、ナゲキを鋭い眼光で射抜く。これは……ただの視線じゃない!?
「防御力を下げさせてもらったぜ。ポケモンの技は、何も攻撃だけじゃねえんだよ。再度『たいあたり』!」
ツタージャはまだまだ体力が有り余っているようだった。軽快なステップで床をジャンプし一一机や椅子、本棚にピョンピョン飛び移ってから、いきなり飛びかかってくる。
向かえうつナゲキは……あれ? その構えはもしかして、また『いわくだき』!?
「ナ、ナゲキ、駄目だよ! ツタージャの体力は、多分まだ半分以上ありそうだから………削り切れないっ!」
こっちの防御力が下がってるらしいし、ツタージャの方が若干、素早さも上に見える。攻撃を耐えられたらこっちが不利だ!
「ゲキイィイイイィ!」
ナゲキは再び、ツタージャの体をはじき飛ばした。『いわくだき』を使って。
ああ、でもツタージャはまだ平気。空中で一回転してから着地し、長い首を上げて――。
「ジャアァアァ……ッ」
――そして目を回して、その場に倒れ込んだ。
「え……倒れた? ていうか倒せた!?」
「これは……」
お兄ちゃんにも予想外のことだったらしく、不思議そうに首を傾げる。
どうして『いわくだき』の威力が、一度目より上がってるんだろう?
パパ、教えて!

「ポケモンの技には三種類が存在する。ダメージを与える技、痛みなくポケモンの体に影響を与える技、そして三つめは……ダメージを与え、体に影響を与える技だ」
「てことは、『いわくだき』は………」
「たまに相手の防御を下げる効果がある。……偶然それが発動して、結果的に技の威力が上がったという訳だ」
ありがとうムーランドパパ!
そしてナゲキ!
私は1人拍手をしつつ、MVPたる柔道ポケモン様に駆け寄った。相手のポケモンを倒したんだからこれ、でバトルは終わりだよね?
ナゲキは今私の存在に気がついたみたいに顔だけで振り向き、じっとこちらを見つめる。
「お疲れ様〜! すごいね! すごく強いんだねナゲキ! 私、感動したよ!」
そう言って、私はナゲキを両手で持ち上げようと、体に触れた。
「あ………バカ!」
「エリ、やめろ!」
「へ?」
何がですか? そう言葉を続けようとする前に、私の服……胸倉をナゲキが掴んできた。。

バチーーーーーーーーーーーーーーン!!!

「あ痛ーーーーっ!!」
床が消失し、体全体が反転するような感覚。次いで背中が壁……じゃなかった、床に激突する衝撃。
目に見えるのは、天井。じんわりと、じわりじわりと、衝撃の走った背中が痛く、なってくる。
………え? 何? 何ですか? 何が起こったのですか? ググれば分かりますか?
「ゲキィ……」
顔を横に向ける。床に倒れて、横倒しになった私の視界。
だから目の前に居るナゲキの全身も横に見える。パーにした片手を振り抜いて私を睨んでいる、その姿が。
「立てるか……エリ」
「あ………はい、今立ちますお父上様。……どっこい正一。あの、一体何が……」
「お兄様が説明しよう。お前はナゲキに投げ技を食らって倒れたのさ」
「だから私も心配だったのだ……」
ナゲキに………攻撃された?

「ナ、ナゲキさん?」
「ゲキイィ!」
「あでゅーー!!」
今度はハッキリと見えた。顎を蹴り上げられました。
……そんな攻撃、柔道にあったっけ?
「柔道は受け身の武術だ。積極的に相手を叩きのめすモノではない。……しかし訳あってそのナゲキは狂暴でな。人間の言うことを聞かんのだ」
「喜ぶといいぜ妹。そいつこそがお前の気にしてた、昨日の脱走者さ。会えて嬉しいだろう?」
額に手を当て俯くパパと、面白がるようにニヤけてる外道。

「ゲキ……ゲキィ…ゲキイィ」
ナゲキは辺りを見渡し、闘争心に塗りつぶされた視線を周囲にばらまく。……目が合った相手から撃沈させようと言わんばかりの挙動。
ツタージャを相手にしてた時、ナゲキは私の命令無しに技を繰り出していた。
あれはただ単に、トレーナーなんて要らないという態度の表れ、だった……?

「さあエリ、再度立ち上がれ。次のポケモンを出すぜ」
「え……えぇ!? まだあるの!? ツタージャを倒したのに!?」
「ポケモンバトルはな、相手の手持ちポケモンを全て倒すまで終わらないんだよ」
そうなんですか!? 一匹倒せばいいと思ってた!
だって全員倒しちゃったら、そのトレーナーさんどうするの!? どうしようもなくて目の前が真っ白になっちゃうんじゃないの!?
「エリ、エクスクラメーションクエスチョンマークと三点リーダを使い過ぎだ」
「パパ! 今ワタクシめは混乱しております!」
「親父(はいけい)見てないで対戦相手の方向けっつうの。いくぜニ匹目!」
お兄ちゃんはツタージャをボールに戻し一一ボールから光線が放たれ、ポケモンをフィールドから回収した――次のボールを投げる。

「ブィ〜♪」
「おぉっ! ブタさんだ!」
「よくこの状況で相手のポケモンに感心できるな……。ちなみにそいつはポカブ。ひぶたポケモンだ」
出てきたポケモン。見入る私。呆れるパパ。
「ゲキィ!」
そしてナゲキは先ほどと同じように、焼き、じゃなかった、ポカブに突っ込んでいく。
二度も最初の命令を忘れるようなお馬鹿な人間はもはや眼中にないようです……。

「ポカブ、『まるくなる』だ! ナゲキの攻撃に備えろ!」
「ブウ!」
丸っこいポカブの体が更に丸められた。か、かわいい。
そこにナゲキが組み付く。
「ナゲエェエィ!」
「ポ……ポカァ!?」
「え………え? 何かすごい!?」
ナゲキはポカブを抱いたまま、床の上をタイヤみたく凄い勢いで転がり始めた。ニ匹とも小さな体格。綺麗な球体の形でゴロゴロと。
例えるなら……地球さんの回転を倍速したみたいに。その位壮大な、絡み合い。
「………『ちきゅうなげ』か」
パパの呟きと同時一一相手の体位が上になった所で、ナゲキは回転の勢いを利用しポカブを投げ飛ばした。壁にぶつかったポカブはバウンドし、空中で一回転して綺麗に着地。
「相手の防御力に関係なく、固定のダメージを与える技だ。『まるくなる』で防御を強化しても、それは無視される」
「なら連発される前に攻撃すればいいだけだ! ポカブ、『たいあたり』!」
「またですか!? ナ、ナゲキ……」
そろそろ私も何か命令しないと! パパと違って私はモブキャラじゃないんだから!
あうう、でもナゲキがどんな技を使えるのか分からない! コマンドとか表示されればいいのに!
こうなったら頼りになる人に泣きつくしかない!
「パパぁ、ナゲキってどんな技が使えるの!?」
「ワシに訊くのか!? 自分で考えろ!」
「ガ………『ガンガンいこうぜ』!!」
「ねーよ!」
言ってる内に、ポカブはナゲキに激突する。素早く離れ、投げ技を防止するのも忘れない。

「『たいあたり』を繰り返せ! ヒット・アンド・アウェイだ!」
「ポカポカブー!」
離れては突撃の戦術が連続で行われる。吹っ飛びこそしないものの、ポカブの『たいあたり』はさっきのツタージャのそれよりも、ナゲキを大きく揺さぶっているようだった。
ナゲキはそれに対して……微動だにしない。
ただポカブの『たいあたり』を、直立不動で受け続けている。
「一体どうして……?」
もしかして、私の命令を待っている、とか?
おお、改心してくれたんだ!
「ナゲキ、『いわくだき』だよ! 反撃しちゃえ〜!」
「ゲキイィ……?」
「はうっ!?」
こちらを振り向くナゲキ。……恐ろしい目つきでした。す、すいやせん。
私を頼ってくれた訳ではないようです。じゃあ何で動かないの……?

「どうやらナゲキには、ナゲキの考えがあるようだな……」
「パパ……」
もう台詞を表示することでしか存在をアピールできてないですね……。
「お前のことは本当に信用していないようだ」
「………うう」
「まあ落ち込むな。お前だけではない。あのナゲキはここに来た時から、他者との関わり合いを避けていたのだ」
「そうなの?」
「奴が最初に使った技、『いわくだき』だが、あれはワシが『わざマシン』を使って覚えさせた技なんだ。研究の一環でな……その時も暴れて大変だったよ」
人間を信用せず、決してなびかないナゲキ。柔道を暴具に使用するほどの精神状態になっているポケモン。

――訳あって気性が荒くてな。

何が…あったんだろう。

「お前も知っている通り、この研究所は敷地内でポケモンを放し飼いにしているが、そこでも奴だけは遊ぶポケモン達から一匹離れ、一心不乱に体を鍛えているだけだったよ」
ナゲキに再び視線を向ける。……まだ攻撃を受け止めているまま、動いていない。
「ナ、ナゲキ……」
私は見ていることしか、出来ないのだろうか。
私の声は、ナゲキには届かない……? 受け入れてもらえない……?
ナゲキは私を必要としていない。
なら私は……。

「……………ナアァア!」
「ブウ…………ッ!?」
その時、またも私の意志――ナゲキへの干渉とは無関係に、決着がつく。
攻撃に全然抵抗していなかったナゲキが、いきなり全てを弾き飛ばすかのような闘気を放ち、ポカブを壁に叩きつけたのだ。
今度は綺麗に着地することもなく、ポカブは前後の足を床と平行に伸ばして、気を失った。
「ポカカ〜〜………」
「戻れ、ポカブ」
戦闘不能のニ匹目のポケモンをボールに回収し、お兄ちゃんはナゲキを見やる。

「……なるほどな。『きあいだめ』と推測したんで早めに倒そうかと思ったら、『がまん』だったか」
「ゲキ………」
「じゅうどうポケモンらしい、見事な受け身技だったぜ」
……お兄ちゃんが見ているのはナゲキだけ。当たり前だ、私は何の役にも立っていないのだから。
そもそもこのポケモンバトルにすら、参加出来ていない。
「さてナゲキ。三匹目を出すぜ。お前なら楽勝かな? それともここまでのダメージがかさんで苦戦することになるのかな?」
お兄ちゃんは意地悪にも、私を無視してバトルを続けようとしている。
片方のトレーナーが命令を放棄してポケモンに戦闘を一任するのなら……もうそんなのはポケモンバトルとは呼べない。野生ポケモンとの戦闘と同じ。
「…………っ」
このままじゃ私は――また失敗しちゃう。
ナゲキだけがどんどん相手を倒しているこの状況に流されてはいけない。私も何かやらなきゃ。
私はポケモントレーナーに、なるんだから。

「固まっているどこかの妹に、もう存在意義は無いだろう。じゃあ三匹目を出すぜ。ナゲキ……倒してみな!」
「ゲキーーー!!」
そして。
ナゲキはバトルの最中に……突然はじけた。
「むっ!? な、何だ!?」
「ナゲキ!?」
「う、うおおおっ!?」
その場に居た全ての人間が、ナゲキのいきなりの行動に驚く。
「ゲキゲキゲキー!!」
ナゲキはカンカンに怒った様子で、壁を殴り、机を倒し、拳を振り回して暴れ始めた。近づこうものならこっちが吹っ飛ばされてしまうような勢いで。
「どうしたのナゲ……きゃっ!」
それから……逃亡。窓に飛びかかり、ガラスが割れるものすごい音と共に、ナゲキは外に逃げ出した。

「……やれやれ。荒い武人だぜ」
「呆れている場合か馬鹿者!」
ケンタロス(でっかい牛ポケモンさん。昔テレビで見た)の大群が通り過ぎた後みたいに荒れ果てた研究室内。パパは焦り、お兄ちゃんはこの期に及んでまだ茶番癖を振りかざしている。
そして私は……。
「ちっ……! 昨日の再現のようだが、アキラ、奴を追うぞ! エリはここで………エリ!?」
ランド博士の慌てた声は、廊下を走る私の背中の方から聞こえてきたのだった。

「ゲキィーー!!」
「ピチュッ!? ピピチュピチュ〜〜!!」
「コラララッ! コラッタコラッタ〜!!」
「ビパパパ〜!! ビッパビッパ〜〜!」
疾走するナゲキ。驚いて逃げ惑うちっちゃなポケモン。
赤い柔道着のポケモンを、必死で私は追いかける。
たくさんのポケモン達が放し飼いにされている、研究所の広大なお庭。

その向こうには森がある。私が子供の頃から(今でも子供だけど)よく遊んだ森。ナゲキはそこへ向かっていた。
町の外まで逃げるつもり、なのだろう。

「ウッソウッソ〜!」
「ゲキィ!!」
「ウソウソウソ〜〜! キィイイィイイ……」
立っていたポケモンを投げ飛ばすナゲキ。
速度が一瞬緩んだのを見て飛びかかる。……そしてかわされた。私は顔面から転んだ。
「ううう………」
立ち上がる。走る。痛いけど、今はナゲキを追わなくちゃ。

――追ってどうしようというのか。
捕まえる? 連れ戻す? 人間を攻撃するくらい警戒しているポケモンを?
嫌がるのを拘束して、研究所に帰ろうと?

「考えちゃ………駄目だ」
私達はとうとう、森に入る。
小さな子供が一人で遊んでも危なくない、緩やかな地形の森。
騒ぎが届いていたのか、ポケモンの姿は見えなかった。だから私とナゲキが走っているだけ。
飛んだり跳ねたり、木と木の間を縫うように駆け抜けたり。

「ナゲキ! 待ってよ〜〜〜!」
大声を出す。
果たしてナゲキは………驚いたのか、急ブレーキをかけて、止まった。
そしてこっちを見る。
「ナゲキ……」
怖い目つきじゃない。不思議がるような、あるいは怪しむような、困惑に満ちた視線だった。
そりゃあ……そうだろうね。そんな目つきにもなるよね。
自分を追いかけている人間が出した声がとっても楽しそうなものだったら、変な奴だとも思うだろう。
「はーっ、はーっ………んっと、えっとね」
言葉が出てこない。
そもそも何が言いたくてナゲキに叫んだのかさえ、私自身も分からなかった。
行かないで?
話を聞いて?
こっちを向いて?
どれも違う気がする。
そう思うのはきっと――楽しいと思ったから。
久しぶりにポケモンと本気で追いかけっこして、楽しいと思ってしまったから。

「……ごめんねナゲキ」
私はこういうお馬鹿さんだから、ナゲキがどうして人を嫌うのか、どうしていきなり暴れて逃げ出したりしたのか、分からない。そんなナゲキに私は何かをしてあげられるのか、何もしてはいけないのかどうかも。
だけど……だけどね。

ナゲキに歩み寄る。……疲れちゃったのか、バトルのダメージが響いたのか、あるいはやっぱり私を変な奴だと思っているのか、ナゲキは逃げも暴れもしなかった。
私はその体を、ぎゅっと抱きしめる。
逃がさない為ではなく、まだ原因も分からないナゲキの憤りを一一少しでも落ち着かせてあげる為に。
「ゲ、ゲキィ! ゲキィイ!」
物理的干渉にナゲキは抵抗する。きっと昨日お兄ちゃんが捕まえようとした時も、こんな反応をしたのだろう。

背後の茂みがガサガサと音を立てた。……お兄ちゃんだった。
足下には貝殻を持ったラッコさんみたいなポケモンを従えている。これが三体目なのかな。
「う、おいエリ、何をしてんだ?」
「ナゲキを癒やしてあげてるの」
何かまずそうな顔つきをしている。多分理由は「痛っ……!」ナゲキの、抵抗。
直接抱きしめるのが危険な行為と言いたいらしい。だからお兄ちゃんもモンスターボールを使わざるを得なかった。

「ナゲゲイーーーーーーッ!」
「あ痛ーーーーーーっ!」
また投げられた。土の上に叩きつけられた。
私のお洋服に、めいっぱいの土が付く。

「言わんこっちゃない! 行けミジュマル! 『みずでっぽう』だ!」
「ミジュジュプ〜〜!」
ミジュマルと呼ばれたラッコさんはナゲキに向け、口から水を勢いよく吹き出す。
……服の汚れなんて、どうでもいい。
ナゲキの前に飛び込み、代わりに『みずでっぽう』を受ける。痛いくらいの水圧で顔面にかけられる水。前髪がちぢれ乱れるのが分かった。そしてそれもまた今の私には関係のないこと。
「どういうつもりだ……」
「お兄ちゃん、静かにして」
ナゲキの方に向き直り、片手は乱入者に突き出してストップのポーズをとる。
邪魔をしないでほしい。今私はナゲキと『話して』るんだから。

「ナゲキ、とりあえず休もっか」
「……………キ」
「この森、お日様の光を浴びてお昼寝するのにも向いてるんだ。そうすれば、痛みも疲れも無くなるの」
何をどうすればいいのか分からなくなった時、二つの方法があるという。
一つは、何をすればいいのか、誰かに訊く。
そしてもう一つは……一休み。頭を落ち着かせて、気分をリセットさせること。
昔、ママがそう教えてくれた。

とりあえずでもいい。私にはまだ、ナゲキの気持ちが分からない。だから今はせめて、ナゲキと一緒に休憩をしたいと思う。
だって『彼』は一一こんなにも傷だらけなのだから。
近くの大きな木に背中を預け、地面に座る。眠りはしないけど、久しぶりの運動はそれなりに疲れた。
ナゲキは『何を企んでいる?』みたいな目でこちらを見ている。私は完璧な無防備。リラックスするには力を抜くしかないから。

「ゲキ…………」
警戒のオーラ。だけど僅かに戸惑って、本気で敵意を出すことが出来なくて。
おずおずと近寄り、ナゲキは私の隣に、腰を下ろした。
信じられん、という人間の声が聞こえた気がしたけれど、今の私にはどうでもいいことだった。



◆◆◆



「馬鹿野郎、無茶しやがって……」
「それは死ぬ人に捧げる言葉だよ」
あと私は野郎じゃないよ。こういう時は女郎って言うんだよ。お兄ちゃん。

転んだ時にほっぺたとかを軽く擦りむいたみたいで、私は再び家に戻されて手当てを受けていた。
いつっ……心なしか傷口に当てられる薬漬けのガーゼの方が、転倒時より強い痛みを生み出している気がします。でも大人しく座ってないと、目の前で処置してくれてるお兄ちゃんに絶対からかわれるだろうしなぁ……。

「お前はいつもボーっとしてる割に、変な所ででしゃばり過ぎなんだよ。『カモネギも鳴かずばゲットされまい』って諺があるのを知らないのか?」
「ボーっとなんかしてないもん」
「ハンっ、どうかな。つい一週間前こんなことがあったじゃねえか。15匹のルージュラが……」
「そこまでだ」
お兄ちゃんにイラっと来た所でパパが仲裁に入って来た。……ていうか居たんですね。印象薄くて気付きませんでしたよ。

「まあともあれ、ナゲキも戻ってきたのだ。『ケンタロスに引かれてスズのとう参り』という諺もある。結果オーライだ。良しとしよう」
「親父も随分丸くなったもんだよな。お袋の賜物って奴か?」
「お前は変わらんな」
「あんたに似たんだよ」
「ふん」
「あの……ちょっと待って下さい、男共様」
ストーリーに関係なさそうな無駄な台詞の連弾に流れそうだったので、今度は私が水を差す。

「パパ、ナゲキはどうしてるの?」
「心配するな。あの程度の傷など、ポケモンバトルでは日常茶飯事だぞ?」
「『キズぐすり』と『PPエイダー』で処置はしといたぜ。……回復マシンを買える金がありゃ苦労はしねえんだけどな」
「ナゲキに会いにいっても、いい?」
「へへ、随分と気にしてるようじゃねえか」
パパに訊いているのに、何故かお兄ちゃんがニヤけつつしゃしゃり出てくる。
あの柔道ポケモンさんみたいに、私も格闘技とか習おうかな。主に変質者対策用に。

「………ねえ、パパ。相談があるの」
「何だ?」
「ナゲキを……私のパートナーにしても、いいかな?」
パパは眉根を寄せ、口を固く結ぶ。……ムッとしたように見えるけれど、それが決まった答えを口にする前にとるブラフだということを、娘の私は知っていた。
「好きにするがいい」
「……ありがとう」
三匹もポケモンを用意してくれて選択肢を与えてくれた博士を無視して、私は四匹目を選ぶ。
それは私が、ナゲキのことをもっと知りたいと思ったから。
ナゲキのそばで一緒に過ごして、心と心で近づきたいと思ったから。
それがいつになるのかは、今はまだ分からないけれど。



私はお兄ちゃんからナゲキ入りモンスターボールを受け取った。パパからはキズぐすりと空っぽのボールを五つ。あと子供の旅に必要なエトセトラを諸々に。
それらを詰め込んだリュックを背負って、家族に見送られ家を出る。
空は快晴。そよ風が気持ちいい。
……つまり、順風満帆ってことで。

「これからよろしくね、ナゲキ」
手のひらの上、ボールの中の私の友達に話しかける。
返事は無かったけど、きっと言葉は心に届いて、いつか形になるだろうと、そう思った。



◆◆◆



こうして新米ポケモントレーナー、エリの旅が始まった。

……所変わって、再びエリの家の中。
当分戻ってくることは無いだろう、彼女の家。

「じゃ、妹を尾行しにいってくるぜ、親父」
「……………」
余所行きには不向きな白衣のまま、エリの兄、アキラは玄関口に立ち、父のランドに軽やかな口調でそう言った。
「大丈夫だって。バレるような失敗(へま)はしねえさ。あいつはヤドンとサイホーンを掛け合わせたような精神の持ち主なんだからよ」
「……お前がエリにそういう評価を下しているのなら、確かに尾行は必要なのだろうな」
ランドは複雑そうな面持ちで息子を見やる。

『ワシも親馬鹿ではない。可愛いかどうかはともかく、子には旅をさせよという言葉もある』
親馬鹿ではない。……彼が娘に言ったこの言葉に嘘はない。
確かにエリは要領が悪く、家族から離れて行動させるには大きな不安がある。しかしだからといって、彼女の一人旅に何らかの制約を与えて安全を図ろうという気持ちはランドには微塵も存在していなかった。大体彼女は一人ではない。心強いパートナーもそばに居るのだから。
それよりも娘には――色々な経験をしてほしい。
世界を知って、自分のやりたいこと、夢中になれるものを見つけてほしい。
そのついでとして、せめて皿を割らずに洗い物が出来る程度には成長してもらいたいと、親として願っていた。
通過儀礼なのだから仕方がないというのも無くはないが、とにかくランドは、エリの旅に自身の心配を介入させる気は無かったのだ。
そしてそんなランドに対し、エリの旅を頑なに、旅の日が近づいてから今日まで否定し続けていた人間が、兄のアキラだったのである。

「……一つお前に訊きたい」
「何ですかオトウサン?」
「ワシはナゲキ入りのモンスターボールを机の上に置いた覚えは無い。棚に閉まったように記憶しているんだが」
「かつてない気性の荒さを持つポケモンだからな。ボール入りのまま転げ落ちたのかも」
「あのナゲキのなつかなさはワシがよく知っている。お前もそうだろう」
人を喰ったように笑うアキラに、あくまで堅い表情でランドは言う。

「お前が心配しているエリ。お前が反対しているエリの旅。人間を嫌っているナゲキをお前がエリに押し付けたのだとすれば……奴の冒険は、順風満帆ということにはならないかも知れん」
エリの旅には反対だと、アキラは繰り返し父親に言ってきた。送り出すというのなら研究者を辞めるとも。
エリはそれ位の不安に値する少女だと、少なくともアキラは思っている。
馬鹿にしているのでも見下しているのでもなく………ただ、兄として心配だったから。

それでも旅に出るというならどうするか。
……旅を困難にさせる仕掛けを打てばいい。
ツタージャ、ポカブ、ミジュマルを取り上げ、代わりにナゲキを使わせた。
初めから懐かぬポケモンを押し付け、トレーナーへの憧れの前に、多少脚色した現実を突きつけてやった。
トレーナーになった所で――お前はポケモンを操れはしないのだ、と。

バトル中に逃亡したのは想定外だったが。……いや想定外というなら、まさかナゲキがエリの説得に応じるとは思っていなかったが。
しかしアレはただの気まぐれに違いない。ナゲキの心はナゲキ自身のみで閉ざされている。他の存在の介入は絶対に許さない。それがアキラのナゲキに対する見解だった。
出来るはずが無い。
ポケモン研究者である自分と父親の力を持ってしても開けなかったナゲキの心を、あの妹に開けるはずが無い。
ナゲキの存在は必ずや、妹の旅に支障を及ぼすことになるだろう。そうすればやがて旅そのものを続けることが難しくなり、彼女は家に帰ってきてくれる。

エリには呆けやすい自らの頭に問いかけて欲しい。
自分はひどく無茶なことをしているのではないか。
何も考えずに世界に飛び出して、一体何が出来るというのか。

己の器を、思い知れ。
そしてさっさと帰ってこい。
その性格のせいで、辛い思いをする前に。

「………証拠はありませんぜ、親父。アナタサマがボールをしまったと記憶違いしただけなのですよ。きっと」
アキラはあくまで軽薄に笑い、ドアを開いて陽光の中に立つ。そのドアから手を離す前に、父親は最後の問いかけを発した。
この兄もまた、当分帰ってはこないのだろうから。

「お前は、エリをどう思っているのだ?」
「守るべき大切な妹だよ。兄が妹に対して抱く感情で、他に何があるっていうんだい?」

そしてアキラは扉を閉じ、通りへと躍り出た。これから兄の、妹への極秘監視の旅が始まる。
妹は町の入り口辺りまで行った頃だろうと推測し、その方角に向かおうと振り返った。

エリが立っていた。

「―――――え」
「……待ってたよ。お兄ちゃん」
呆れた様子の笑顔で屈み、上目で兄を見据える妹。
「お兄ちゃんがこっそり付いてくるんじゃないかなって気がしたからさ、ちょっと張り込んでいたんですよ。あと三分何も起こらなかったら出発してたんだけどね」
「………………」
『付いてくる気がした』。
その言葉にもまた、嘘は無い。
どんなに馬鹿でない人間でも、馬鹿の無為無策と勘だけはどうすることも出来ない。

「いいよ。付いてきたいのなら来ても」
「何?」
「パパには許可を取ったんでしょ? なら問題は………うーん、無いんだよね?」
「……俺に訊くのかよ」
「い、いいじゃないですか」
「………はは」
アキラもまた、呆れ果てた笑いを零す。
兄の器は妹より広い。故に見破られて逆上することも泣くこともしない。故に笑うしかないのだろうと自己分析し、彼はエリの頭をがしがしとかき回してやった。
「あ、あうあう、気安く触るな〜」
「上目で上から目線なんて矛盾した真似するからだ、生意気な奴め。………いいだろう。どこまでお前がポケモンをできるか、この俺が見届けてやる」
「あはは……不束者ですが、よろしくお願いします」
「ほざいてろ」

――こうしてエリとナゲキ、+アルファの冒険の旅が始まった。
不安より期待に胸を膨らませ、エリは鼻歌混じりにアキラより前を歩き出す。
………アキラはその瞬間に、影を落とした歪みある笑みを浮かべ、妹を見据えた。

……お前の旅、すぐに終わらせてやるからな……。



『投げられて冒険開始?』 終わり

to be continued


  [No.854] Re: 第一話:投げられて冒険開始? 投稿者:あつあつおでん   投稿日:2012/01/24(Tue) 18:03:32   55clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

ようこそマサポケへ。私は連載やってるあつあつおでんです、これからよろしくお願いします。

さて、早速1話を読ませてもらいました。批評してくださいということなので、ちょっと感じたことを書いておきます。

まず、長いです。私がいつも次回予告やコラム込みで2000〜5000字しか書かないからかもしれませんが、おそらく1万字はありますね? せっかく連載には「何話追加しても良い」という特徴がありますから、分割されたほうが良いと思いました。例えば、作中にある場面の区切りで次回に持ち込めば読者の興味を誘えるでしょう。

もうひとつは、人称についてです。場面の区切りで一人称や三人称と変わっていましたが、これは読者からすればちょっと読むのが大変になります。よほど何かしらの意図がないなら、その作品が終わるまで統一したほうが良いと思いました。

以上です。それではこれからも執筆頑張ってくださいね。連載は途中で止める人が多いですから……。


  [No.966] Re: 第一話:投げられて冒険開始? 投稿者:コメントありがとうございます!   投稿日:2012/05/03(Thu) 19:04:23   61clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

返信ありがとうございます! 遅くなってしまいすみませんでした……。
文章量の件ですが、この物語はどうしても1話1話が長くなってしまいます。その1話を更に細かい物語に分割してしまうと、物語がなかなか先に進まない事態となってしまいます。
その対策として、この小説は『一つの場所』『一日』を1話で終えるように区分しているのです。その為、文章を分けて投稿することは出来ません。今のままの方が上手く文章をまとめられるでしょう。
どこで物語を切れば読みやすいかはプロットで設定し終えているからです。
次に人称視点ですが、これもまた物語の都合上変更することは出来ません。
小説において、物語を語る担当者を主人公以外の第三者に一任することは普通です。
また、主人公以外の人間の思惑がどうしても介入してしまう都合上、主人公以外が物語の解説を行うことは仕方のない事なのです。
よって、両提案ともこちらの小説のお役立ての参考にすることはできません。ごめんなさい。
この小説は第三部最終回までおおよそのプロットを組んでおりますので、構成に何らかの無理が生じた時に変更を行おうと思います。
色々述べましたがコメントありがとうございました! 計画に不備が生じないかぎり執筆を続けていきます!


  [No.313] 第二話:準備は大切だよね? 投稿者:ライアーキャット   《URL》   投稿日:2011/04/24(Sun) 18:18:02   100clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

・第ニ話 準備は大切だよね?


「あ痛〜〜〜〜〜!!」
「ゲキーーー!」
「ぅを兄ぃ〜ちゃ〜〜ん!!」
「はいはいワロスワロス」
青空に悲鳴とポケモンの雄叫びがこだまします。
悲鳴は私。雄叫びは私のポケモン、ナゲキの声。
そして最後のいけ好かない台詞は私のお兄ちゃん、アキラ氏のものです。

「うう〜、また投げられた……せっかく『どうろ』に出たんだから、ポケモンをボールから出して歩こうかと思ったのに」
「手持ちの召還なんざ野生ポケモンと遭遇した時か『ひでんマシン』の技を使う時ぐらいでいいだろうが」
「それじゃポケモンが可哀相じゃないですか。こんな窮屈なボールに押し込められて………」
「いいんだよ。モンスターボールの中はポケモンが過ごしやすいよう調整された空間になってるんだから。大体お前にポケモン連れ歩かせたらどうなるか分かったもんじゃない」
「……、分かったよ。むぅ」
連れ歩けないのは少し不満だったけど、私はモンスターボールにナゲキを戻した。柔道着標準装備の赤ずくめ肌太眉こと私のパートナーが光につつまれ球体に吸い込まれる。そしてそれをリュックサックのバンドに付けられたフックにかけた。カチャリ。

パパから貰ったこのリュックは、ポケモントレーナーになりたての人用に作られた物らしい。バンドのフックは四つあり、つまり四つまで手持ちポケモン入りのモンスターボールを取り付けられる訳だ。トレーナーは手持ちポケモンを六匹まで持てるって聞いたことがあるけれど、初心者用リュックなのだから仕方がない。文句があるなら腕を磨いてボール六個装着用のベルトやホルスターを自分で買えという話のようです。
まあ、私もいきなり六匹ポケモンを捕まえて平等に育てられるなんて思ってはいないし。特に私とかは、ね。
…………。
ナゲキの他に、あと三匹までか……。

「四匹までしか持てないなら、何でパパはモンスターボールを五つも渡したのかな?」
「おいおい、ポケモンがそんな簡単にボールで捕獲出来る訳ないだろうが。アホかお前は」
アホですか。
そこまで言わなくても……(ToT)。
「ポケモンを捕獲するには、ダメージや状態異常で弱らせるのが基本だ。でないとボールの中で抵抗されて脱出されちまうのさ」
「そうなんですかー」
知りませんでした。勉強になりますね。
でもそうなると、やっぱり野生ポケモンとの争いは避けられないってことか………仲間にする為に戦うなんて、なんか不思議な感じ。
不思議ついでに、前々から気になっていたことを質問してみる。

「そういえばお兄ちゃん、そもそも何でポケモンはモンスターボールに入れないといけないの? 何かメリットがあるの?」
「利点は大きく分けて三つある。一つはポケモンの保護。ボールから出さなければ、例えば交通事故とかの危険からポケモンを守れる」
「ふむふむ」
「二つ目はポケモンの運搬。ゴローニャやカビゴンといった巨体、重量位のポケモンでもボールに入れれば持ち運びは容易い。ポケモン学会の『公式』説明によると、ポケットモンスターという名前の由来は、ボールに入れればポケットに入るサイズになるからなんだとさ」
公式っていい響きですね。
「ポケモン自体がポケットに入るからじゃないんだね」
「お前のナゲキがまず入らないだろうが」
「そっか。1メートル位あるもんね、ナゲキ」
「1.4メートルだ」
小数点以下までばっちり記憶しているお兄ちゃんなのでした。流石はポケモン研究家の息子。私も妹として1.5倍くらい鼻が高くなる心持ちです。
私はせいぜいお手伝いを時たまするくらいだったからなぁ……。その過程で色んなポケモンの簡単なお世話をさせてもらったり一緒に遊んだりして、お兄ちゃんやパパには及ばなくとも、ほんのちょっぴりくらいはポケモンのことは知っているつもりだったけど。
えっと、例えば、その………ほら、アレだよ。ピカチュウはねずみポケモンなんだよ?

「つまりモンスターボールっていうのは、ペット持ち運び用の持ち手がついたケージみたいなものなのかぁ……」
「そう言われると元も子もないけどな……ま、人間とポケモンがいつでも、どこでも一緒に居られる上では大切な道具なのさ。決して単なる捕獲マシーンじゃないんだぜ」

ポケモンを研究する者として思うところがあるのか、お兄ちゃんは遠くを見る目でモンスターボール談義をそう締めくくる。続けてその視線を私に向け、直後にニヤッといやらし〜い笑みを浮かべた。
「だから大切に使えよ?」
「あうう………」
バトル開始直後に『下手なでんじほう数撃ちゃ当たる』の容量でボールを連写しかねない妹に釘を刺す兄の図、なのでした。
さすがはお兄ちゃん、妹の行動パターンは大体把握してるってことですね。……だったらもっと、例えばパパに叱られたりしてる時に庇ってくれたりするぐらいの優しさも欲しいんだけど………ああもういいや、所詮は何でもねだりだ。
ありがとうアキラ。私に貴方サマにすがるような甘えを与えて下さらなくて。

「そ、そんなことよりさ。せっかくこうして町を出たんだから、今の状況とかを軽くおさらいしてみない? 現在地とか」
「そうだな。隣町に行くぐらいならお使いでやってるしな。そういう気分になってそうなお前にこの世界の広さを教えてやるにはいいかも知れない」
「うぐぅ……」
だから言い方が悪いってば。お兄ちゃんの意地悪。
下衆兄貴は私のしかめっ面を見てニヤりと口を歪め(こういう他人を苛んで悦に入る人間って何ていうんだっけ。ああそうだ、サゾヒストか)、白衣の内側に手を突っ込んで『何か』を取り出した。平べったい長方形をした、薄型テレビの超小型版っぽい物体。
what is this?

「ディスイズア『タウンマップ』さ。地方地図やタウン、シティ、どうろ、ダンジョン等々の名称が分かる。簡単な説明も載ってるぜ」
「ザッツクール!」
何故私は英語で喋っているのだろう。
答え:特に意味なし!

ボタンを操作するお兄ちゃん。画面が次々切り替わり、『ホウエン』『オーレ』『シンオウ』『イッシュ』などと文字が飛び交う。そして最後に、私達の暮らす地方『ミメシス』の名前が表示された。施設等々が図形、道路が太線、そしてお兄ちゃんの生首が現在地を表す記号として表されている。
……なんかお兄ちゃんが主人公みたいで嫌だなぁ。まあ主人公なんて面倒くさいだけだけどさ……うん、話を戻しましょう。画面を覗き込む。

「ん〜っと……私とナゲキと、ついでにお兄ちゃんが今居るのは、『1ばんどうろ』だね」
「そうだな。故郷の町を出た俺達は、とりあえず隣街に向かうべく、森へ通じる緑に覆われたこの道路を歩いているって訳だ」
説明口調乙。
隣町の名前は『ネクシティ』。ポケモンジムと呼ばれる、ポケモントレーナーの力を計る施設が存在している。私も昔はそばを通り過ぎる度に、中でどんなバトルが行われているんだろう、管理者たるジムリーダーという人はどれくらい強いんだろうとか想像を巡らせたものだった。
その隣町に通じる森というのは『クイネの森』。こっちは……どうでもいいや。野生ポケモンの飛び出す『くさむら』が多い為非トレーナーでもポケモン必須という嫌なダンジョンだし。まあ、この森を通らないとネクシティには行けないんだけど。
「あれ? お兄ちゃん、私達の後ろに表示されてる『プロロタウン』って町は何?」
「……俺達の町だろうが。自分の住む町の名前くらい覚えとけよ、阿呆」
「うう……」
相手からキツく言われると、謝罪すべきことをしでかしたとしても、謝罪する気が無くなってしまう時ってない?

「ま、他にも色んなスポットを回ることになる。長旅になるか短いお出かけになるかはお前次第だ。他にどんな場所を巡るのかどんなポケモンに出会うのかについては追々明らかになるだろう。乞うご期待ってことで、」
「色んなスポットがあるんだね〜」
「勝手にマップを取り上げて見るな! つうかいつの間に!?」
お兄ちゃんの両目を閉じての気取った話が長引いている間にです。
へぇ、『密林の研究所跡地』とか『ポツネン島』とか、知らないけれど興味深い場所がありますな〜。遠くに旅行したことなんて10歳の頃以来だからな〜。10歳の頃以来の……。

「………………」
10歳の頃……。

「何だよ。急に黙り込んで」
お兄ちゃんが眉をひそめて問いかけてくる。けれどタウンマップと私の顔を交互に見て――どうやら気付いたようだった。
……私は今、どんな表情をしているんだろう。

「……エリ」
「大丈夫だよ」
心配させる訳にはいかない。それに私だっていつまでも引きずってはいられない。そう思い、努めて淡々と声を出す。
「泣いたりしないから。……あはは、タウンマップって便利ですね。はい、勝手に覗いてごめんなさい。返します」
「……ああ」
懐疑的な面持ちながらも、お兄ちゃんは突き出したマップを受け取り、白衣の内側に戻す。戻す寸前に再度画面が目に入り、私にその地名を微かに映し出した。

『トラマ山』

…………………………。
しんみり。

「おい、本当に大丈夫なのか?」
「平気平気。悲しい顔なんてしたら『呆れられちゃう』からね。 それに立ち直ってきたのだって事実だもん」
「………ならいいけどな」
ぶっぎらぼうに吐き捨て、前をずかずかと歩き出す。大きな歩幅。私は笑顔を作って、小走りで兄の後を追った。

そう――もうあの時のことは気にしない。
覚えておきこそすれ、縛られたりしてはいけない。
私は前に進むのだから。心強いパートナーと共に。
勿論それは、お兄ちゃんではなく、ね。



◆◆◆



「…………!!」
何かさっきから、三点リーダの多い文章だと思いませんか? 三点リーダっていうのは『…』のことです。説明口調乙。いやそれはもういい。
そんな無意味なる乱文が頭の中に出現する位の驚愕が、全身を激しく駆け巡った。
私達は………私達はただ、道の真ん中をてくてく歩いていただけなのに、
「ペラップ〜……」
「ポケモンっ…………ゲットだぜ〜〜〜〜〜!!」
一匹のポケモンが地面に横たわっていた!クチバシや翼から、小さな鳥さんだと分かる体躯。音符みたいな風変わりな頭。
それが弱りきった様子で、目の前に居た。
空前絶後、前代未聞の大チャンス!

私は即座にリュックからモンスターボールを一つ取り出し握りしめる! そしてスローイング!
「いっけえぇ〜〜〜〜〜モンスターーボォオオーール!!」
「おい馬鹿! エリ、そのポケモンは……!」
後ろで誰か何か言ってるけどシカッティングでおk!! 私はポケモン捕獲ボールを倒れているポケモンに魂を込めて投げました! 真っ直ぐ一直線にそれは飛んでいき、

「ちょっと待ってー!!」
……突然横から出てきた人影によって、弾かれてしまいました。
「この馬鹿が」
「あうち」
ついでに私の後頭部も弾かれる。振り返ると、心底こちらを侮蔑するみたいな表情のお兄ちゃん。

「お前は二つの過ちを犯した。一つ、ポケモンに遭遇して、自分の手持ちポケモンも出さずにいきなりボールを投げる奴がどこに居る?」
「だ、だって……初めて野生のポケモンを捕まえるチャンスを賜ったものだから、ちょっと興奮しちゃって……それに」
「それに何だよ」
「何故かあんなに弱ってるご様子じゃないですか。トレーナー駆け出しのワタクシと致しましては色々手間要らずで千載一遇だなぁなんて」
「最悪な言い分だなおい!」
野生のポケモンなら、今までにも出かけた時とかテレビとかでちらほら見たことがある。でもただ見るだけなのと実際に相対して捕まえるのとでは全然感じが違った。……だから少々テンパってしまったのだと自己分析してみたりしたのですが。
何事も聞いたり見たりしただけで納得するより、実際にやってみた方がたくさんの感覚を覚えられる。そんな感じ。

「で、二つ目の過ちって何?」
「自分の過ちを他人に訪ねるなよ……しかも一つ目の過ちの謝罪をしてねえし。ボールは大切に使えと警告しといただろうが」
だっていちいち謝ってたら話が進まないじゃないですか。……じゃあいちいち誤るなってことにもなるけれど。

「二つ。こいつが決定的なんだが………もう説明するのも面倒だ。もう一度あのポケモンに目を向けやがれ」
「?」
小うるさい兄を視界から除外し、再び倒れているポケモンの方を向く。そのポケモンの前には先ほど投げたモンスターボールを弾いた1人の人間が立ち、私の出番はまだかとこちらを睨んでいる所だった。私の視線が向けられたことで会話の機会が成立し、その人間――1人の女の子は口を開いて宣言する。

「人のものを取ったら泥棒!」

その女の子は、どこかの学生さんみたいな出で立ちだった。いや、この服装は私もよく見かけたことがある。どうやら同じプロロタウン出身のトレーナーらしい。
服装、すなわち制服。紺色のブレザーに、膝上までの短いスカート。
つまり、ミニスカート。

「全く、きみ、どういうつもりなの? いきなり私のペラップにボールを投げてくるなんて」
「ご、ごめんなさい。まさか人間さんが居るとは思わなくって」
「何言ってるの? 私ずっとペラップのすぐそばに居たのよ?」
what? そうなの?
……全然気付きませんでしたけど。
「まさか全然気付きませんでしたけどとか言わないでしょうね」
「え、あ、いやその」
「この子は私のパートナーなの。それがこんなに弱っているのよ? 貴方のせいで何かあったらどうするつもり?」
トレーナーさんは予想以上にご立腹だった。唯一の、しかもどうやら危険な状態らしい手持ちポケモンにこんなことをされたら、それは当然の反応。
私はひたすら謝るしかない。けれど彼女は憤りを隠せないようで、憤怒の足取りで詰め寄ってくる。胸倉を掴まれるのかも知れない。

「すんませんね。こいつナチュラルなもんですから」
目を瞑ろうとした時、お兄ちゃんに背後から無理やり頭を下げさせられた。その口から飛び出すのは場違いに軽々しい響きの言葉。
「俺も止めようとしたんすけどね。普段ボーっとしてるくせに、突発的に何かやり出すと誰も止められない奴なんすよ。馬鹿でグズで猪突猛進の中途半端なオカチメンコ。『くろいてっきゅう』か『こうこうのしっぽ』でも持たせたい的なね。『ねらいのまと』でもいいけど」
…………………。
仰る通りで言い訳のしようもないけどお兄ちゃんには謝りたくなかった。あと後
半の固有名詞が何のことか分からないです。『くろいてっきゅう』って何ぞや?

「保護者の俺からお仕置きしときやすんで。許してもらえませんか?」
「………まあ、別にいいけど」
私ではなく、兄の方に怪訝な顔を向けて言うミニスカートさんだった。
「本当に、ごめんなさいでした」
「いいのよ。実は弱ってたのは……ああいや、じゃなくて……わたしも少し言い過ぎたわ。ごめん」
? 今何か言い直したような。
……まあいっか。
ミニスカートさんは「仲直りしましょう」と私に手を差し伸べてくれた。その手を私もぎゅっと握り、和解が成立する。良かった。

「それにしても。そばに居たわたしに気付かないなんて、よっぽどポケモンが好きなのね」
「あうう、そうなんです。実は今日初めてトレーナーになったものだから……通い慣れた道でもトレーナーとして通ると景色が変わって見えちゃって」
パパのポケモンを借りてお使いに通っていた時は、草むらに近づかないように極力気を使っていた。同じ道なのに自分のポケモンを持った今では、堂々と探索が出来るのだ。あの草に覆われた小道の向こうには何があるんだろう。この草が不自然に欠けた部分に何か落ちていないのだろうか。あの木になっている果実はポケモンでも食べられるかな。この木はポケモンの技で切れるのかも知れない。
自分だけのポケモンを持つだけで、世界はこんなにも一変するんだ。

「分かる分かる。わたしも親から近づくなって言われてた草むらに初めて入れた時、ああわたしは今冒険をしているんだなってすごく実感してた。見慣れてるモノでもちょっと視点を変えたり歩み寄ってみたりすると、知らない一面が見えてくるのよね」
ミニスカートさんは会話を弾ませる。けれど勿論、その冒険を成り立たせている大切な存在を忘れていたりはしなかった。再度自分のパートナーに目を向け、ため息をつく。
「……私のペラップ。野生ポケモンに深手を負わされなかったら、こんなことには……。私の腕が未熟だったから、攻撃を許してしまった……」
「ペ………ペララ……」
鳥ポケモンさんはペラップという名前らしい。私はその主と一緒にそのそばに座り込み、小刻みに震えている小さな体を改めて見据える。するとペラップは何かを伝えたいのかクチバシを開き、舌をちらつかせて声を出した。

「ペラララ……。【私ハ何故此処ニ居ルノカ】………」
「……え?」
あれ?
一緒、頭が真っ白になった。
えっと、今カタコトで台詞を紡がれたのは誰ですか?
「どうしたの?」
「い……今喋りませんでしたか? その鳥さんが!」
「ああ知らないの? ペラップはね、人間の言葉を真似できるのよ」
すごい! そうなんだ!
「じゃあ会話とかも!?」
「あはは、それは無理無理。あくまで声真似だからね。覚えた言葉を復唱するだけ。会話は成立しないよ」
さいですか……。でも喋れるなんてすごい!
会話は無理だそうだけど、何かしら交流はできるかもしれない。ちょっと話しかけてみよう。

「今の具合はどうですか?」
「【五臓六腑(ゴゾウロップ)ニ染ミワタル】……」
「貴方を倒したポケモンさんに一言」
「【流石ダナ! 英雄!】……」
「トレーナーさんのこと、どう思ってますか?」
「【問オウ、貴方ガ私のますたーカ】……」
グッジョブ!
発音磨いたらもっと凄くなれるねこれは!

「でも、こんなに弱っちゃってるんですよね……」
「ええ。回復系の道具も持ってないし、自然回復も間に合わない状態みたいで………」
それで途方に暮れていたって訳か……。

「そうだ、お兄ちゃん昔言ってたよね。ポケモンセンターっていう、ポケモンを回復させる施設があるって」
「ああ言ったな。『ポケモンセンターって何?』というお前の質問に。だがお生憎様だ。『何でミメシス地方にはポケモンセンターが無いんだ』ってのがその会話の最初の言葉だよ」
「うっ……」
そうだった。
私達の住むこの地方には、ポケモンセンターが存在しない。
その為ポケモンが傷ついた場合、傷を癒やす道具を使うか……そうでなければ自然治癒に委ねるしか、対策は無いのだ。旅に出る前、パパから耳にオクタンが出来る程に、『キズぐすり』は大切にしろと聞かされたことを思い出す。お兄ちゃんが私の旅立ちに反対していた理由の一つもコレだったっけ。
だけどこのペラップは、その自然治癒に頼っていては危険なほどに、心身共に衰弱しているのだという。安全な場所に運ぶ余裕も無いらしかった。
つまりペラップを助けたいならば、今、ここで手を打たなければならないのだ。

「本当に可哀想なペラップ………。嗚呼、一体どうしたらいいのかしら……………。」
制服のまま冒険の旅に出るという、現代の分類社会の日常における癒着性を体現したキャラクターみたいな彼女は、三度(みたび)相棒を憂鬱そうに見つめるのだった。私はリュックを下ろし、中から彼女の望むアイテムを取り出す。
「これが欲しかったんでしょう?」
「『キズぐすり』……。使ってもいいの?」
「そりゃあもう」
これだけお助けフラグ乱立されたら……ねぇ?

「本当に、貰ってもいいの?」
「『旅はみちづれ世はおんねん』って言うじゃないですか。トレーナーなら苦労はお互い様。困っている人を見たら刺し違えるのも人間の善行というものですし。ねぇお兄ちゃん」
同意を求めようと振り返る。けれど兄者は何やら神妙な表情で押し黙っていた。
普段無駄に饒舌なのに珍しい。私、何か変なこと言ったかな?
……ま、でもともかくこれで、問題解決だよね。

「ありがとう……助かったわ」
ミニスカートさんはキズぐすりを受け取る。影のあった表情に光が灯り、日差しの差したチェリムみたいな笑顔が広がっていった。それを見て、自分も同じように口元がほころんでいくのを感じる。いいことをするのはとてもいいことだ。他人を幸せにできれば、自分もそれを共有できる。
「あなた達はこれから、森に向かうのよね?」
「はい。まずはネクシティに行くことを優先したいと思いましたので」
回復手段に乏しい現状では、『どうろ』で手持ちポケモンを鍛えたり野生ポケモンを捕まえたりするよりは、まず自分が身を置ける場所を確保するのが優先される。戦いでポケモンが傷ついた時に戻れる場所が無ければ大変だからだ。ネクシティには『宿屋』という「トレーナー滞在用の施設」があり、プロロタウンにはそれが無い。
……いや、上記の文章はお兄ちゃんの受け売りなのですが。私はついさっきポケモンに目が眩んじゃいましたしね。

「わたしはもう少しここに留まってペラップを鍛えていくわ。傷つけちゃったのは私の不手際。今度はしくじらない」
「そうですか」
それでまた大ダメージ受けて立ち往生したりしてなとか思ったけれど、それがミニスカートさんの意志なら何も言うことは無しだよね。
「じゃあ、私たちはこれで失礼します。夜になる前に向かいたいので」
「ええ。……ここでお別れね。あなたの旅がなだらかにつつがなく進んでいく事を祈ってるわ」
言いつらそうな台詞を実になめらかに紡いでくれました。何かの茶番劇のように。
「では、さようなら……」

「待て」

突如聞こえた鋭い声。
見ると、それまで会話に参加していなかったお兄ちゃんが――何やら真剣な顔をしてこちらを見ていた。
性格には、名前も知らないミニスカートさんの方を。

「何? まだ何か用かしら?」
「冒険の途中のささやかな出会い、そして別れ……そんな物語のエピローグを邪魔して悪いが、」
兄はいきなり何を言い出すんだろう。
茶番劇のようにと言うのなら、こちらも芝居がかった物言いだった。もっともお兄ちゃんの場合、昔からこういう気はあったんだけど。
いわゆる、茶番癖。

「もしもこの出会いが偶然でなく、何らかの必然の上に成り立った誰かの筋書きというのなら……この俺は黙っちゃいられねえな」
「……………、あらあら、嬉しいわね。わたしとあなた達との出会いは運命だったって言いたいの? 白衣が似合うお兄さん?」
「え? え? どういうこと?」
私は状況が上手く飲み込めずうろたえるしかない。
どうしてこの二人は、そんな仮面をかぶったような尖った笑顔で、脈絡の無い会話をしているの……?
今度は私がお兄ちゃんと入れ替わり、背景に溶け込む番らしかった。私ことエリを差し置いて、アキラはミニスカートさんのペラップのそばに寄る。

「お前さんはペラップを鍛えるべく野生ポケモンと戦って返り討ちに遭った。キズぐすりは持っておらず、かといって自然治癒させるには精神もすり減っている。……そうだな?」
「………そうだけど?」
アキラは立ったまま上半身のみを傾け、ペラップを覗き込むように見やる。何かを物色するように視点を変えながら。
そして彼は言った。

「傷一つないよな。このペラップさんは」
「…………………」
ペラップのご主人さまは、沈黙した。
いや、絶句したのかも知れない。
「一体いかなるポケモンが、このペラップを倒したんだ?」
「え…………っと、け、ケーシィ、とか? ほら、精神攻撃みたいな」
「この辺りの『どうろ』にケーシィは生息しちゃいねえよ。もっと突っ込んだ言い方をするなら……この地方にも居ないさ。遠方から取り寄せたりしない限りな」
ポケモン博士の助手たる青年の語りに、制服少女の笑みがどんどんぎこちなくなっていく。
誰か私を物語に介入させてほしい。
「大体つい今し方、ノリノリでエリと会話していたポケモンがそんな重傷とは、俺には思えないぜ。お前はウソをついている。ペラップは無傷だな?」
どうだ? とお兄ちゃんは首を傾け、不敵な笑みを見せる。完全な演劇モードだった。……自分の演技に酔いしれる役者は役者じゃないとは言うけれど。
対するミニスカさんは、完全に沈黙していた。相手の突拍子もない推理モドキに引いているのか。
あるいは……。

そして――彼女は溜め息をつき、アキラとは対象的な、力の無い笑顔を浮かべた。

「……どうして、わたしがそんな事を? 動機は何?」
口調自体はとぼけて見せていたけれど、もう彼女は認めている。嘘をついていたことを。
ペラップに重傷者を演じさせ、私からキズぐすりをまんまと手に入れた。
そしてここからはこのシーンにおける主人公に見せ場を譲ってやろうという心境らしかった。
お兄ちゃんはミニスカートの質問に答える。

「簡単だ。キズぐすりを得る為さ。お前が困っていた本当の要因はそれだろう? お前は旅の必需品となる道具を一切持っていなかった。だから森へ至る前のこの道で立ち往生していたんだ」
……クイネの森。
ポケモンが現れる草むらが多い為に非トレーナーでもポケモン必須という、面倒なダンジョン。
そして隣町、ネクシティへの唯一の道。通行するには準備が居るスポット。

「………それで?」
「普通トレーナーってのは、他のトレーナーとのバトルに勝ちまくることで旅費を稼ぐものだ。だがお前は勝利できる自信も無かった」
「……そうね。そして誰かに普通にキズぐすりを恵んでもらう気にもなれなかった。そんな情けないことは出来なかった」
「ど、どうしてそれが情けないことなんですか? 困った時は誰かに助けを求めたっていいのに」
台詞が気にかかったので私も割り込む。……先輩トレーナーさんは何も答えてはくれなかった。代わりにどこか悲しそうな目をこちらに向けてくる。まるで何も知らない人間を哀れみ、かつその無知を羨ましがるかのように。
どうしてそんな顔をするのか、私には分からない。そこまで他人の気持ちを汲み取れるような頭は私には、無い。
だから彼女の無言は飲み込み、何とか会話を続けようと新しい言葉をかけることしか出来なかった。

「……貴方はまだ、隠してることがあります」
「あら、それは何かしら?」
再びの演劇モードに入る彼女。自白の場面なのに飄々と立ち回っているような笑顔の仮面。身も蓋も無い言い方をするならただの開き直りだけれど。
……茶番癖って何なんだろう。
どうして彼女らは、そうも不自然な自分を演じているんだろう。

「貴方が『キズぐすり』とかそういう道具を持っていない、そもそもの理由です」
「初めから持って無かったわ」
「それはあり得ませんよ。もしそうだったら、『どうろ』なんかで道具集めをする意味がありません」
ミニスカートさんの着ている制服。……見覚えがあるから私と同じ町の出身だと思った訳だけど。
「旅に出る前から道具が無かったなら、町の中で収集をしていたはず。何故なら『どうろ』は野生ポケモンが出る。トレーナーに勝負を挑まれる時もある」
トレーナーの場合は事情を説明すればいいかも知れないけど、野生ポケモンはお構いなしだ。
この世界はRPGとかじゃないんだから、草むらに入らなければ野生ポケモンに出会わない訳じゃないんだし。ポケモン達だって草むらから道端に出てくることもあるだろう。それで逃げられなくなったりでもしたら、本当に彼女のペラップが重傷を負いかねない。 「………目先のポケモンに我を失った割に、意外と鋭いところもあるのね」

「ただの勘です」「別に大した理由じゃないわ。ただこれもあんまり言いたくなかっただけ。……あたしの持ち物、盗まれちゃったのよ。泥棒にね。これもまたわたしの不注意の産物」
「……そうなんですか」
「あなたに分かるかしらね。そんな情けない目に遭ったから、誰にも助けを求める気になれない人間の気分が。分かってほしくなかったから、こうして『どうろ』で暗躍していたって訳よ」
「……」
事件、キズぐすり騙し取り。犯人、ミニスカートさん。トリック、手持ちポケモン偽装危篤。
動機、所有物盗難による手持ち無沙汰。
事件解決。めでたしめでたし。
…………………………。
どうしろってんですか。
開き直っちゃってまあ。

「ま、全てはわたしのせいよね。因果応報四面楚歌。悪かったわ。世界には危ない人間も割と多いし被害者も多い。ポケモンと子供の一人旅を推奨するような平和な世界でもそれは同じ。そして私は被害者から加害者となった」
訥々と語るトレーナーさん。何か達観したような表情ながら、その瞳は明後日の方向を向いた少し悲しげな形。
……全く、勝手にまとめてくれるじゃないか。

「キズぐすりは返すわ。騙してごめんなさい。全てはわたしの責任。貴女達を一件落着させて、これより退場するわ」
「……待ってください。ミニスカートさん」
私はこらえ切れなくなり、言った。
「あまりにも自分勝手すぎます。あまりにも芝居がかかりすぎてます。これで一件落着なんて……ミニスカートさんはそれでいいんですか?」
「わたしは構わないわ」
「じゃあ私はかまいません」
「おいエリ」
お兄ちゃんが怪訝そうに声をかけてくる。いきなり何を言い出すのかというような表情をしていた。
……こっちの台詞だっての。

「いきなり何を言い出すんだ? こいつが罪を認めて話が丸く収まろうっていうせっかくの機会なんだぜ?」
「話が丸く収まる? 冗談じゃないよ」
私はびしっ!とミニスカさんを指差した。こちらの感情なんておかまいなしに勝手に演劇を始めて、考えが追いつく前に終わらせる。
主導権が最初から最後まで、こちらを災難に引き込んだ人物にあるまま、終わる。
……私はそれを、すごく嫌な感じだと思った。
だから。

「何かすごく気分が悪いですから、ミニスカさん、私とバトルしてくださいっ!」
「………………」
「……………、……………」
私の兄と詐欺トレーナーの双方が沈黙する。
「……何? 私、何か変なコト言った?」
「ん………いいえ、理は通ってはいるわね。多分。用はわたしが悪事を勝手に初めて人を巻き込んで、挙げ句の果てに開き直って勝手に終わらせるのにムカついた……ってことよね?」
「Yesですよ」
なんでそんなに自分の行いに自覚的なんだ。何だろう…皆さん、それがかっこいいと思ってるんですか? それが茶番癖というものなんですか?

「貴方がキズぐすり共々所持品を失ったことは事実でしょう? 今からポケモンバトルをして貴方が勝ったら、そのキズぐすりは差し上げます。負けたら返して下さい」
「……あなたはそれでいいの?」
「会話をこれ以上冗長にするつもりはありません!」あんまりグダグダな描写を続けるのも悪いだろうし。誰に悪いかって? 推して知るべし。

「そう……じゃあそうさせてもらう。バトルを始めましょう。ああ、それから」
「まだ何か?」
「貴方とかミニスカさんとか呼ばれ続けるのもアレだし、遅ればせながら名乗らせてもらうわ。……わたしの名はサクラ。ミニスカートのサクラ」
「そうですか。私はエリです。新米トレーナーってことで宜しくお願いします」
「それはお互い様ね。じゃ、始めましょうか」
「はい」
私はボールをリュックのベルトから外す。ミニスカートのサクラさんもペラップに指示を出し、立ち上がらせた。ペラップはとっくに仮病のフリに飽きていたらしく、やる気満々で本来の鳴き声を鋭く発する。

「……お兄ちゃん、サクラさんの悪事を暴いてくれてありがとう。ちょっと話が長すぎだったけど」
「後半は余計だよ。ちょいとミステリー的雰囲気を演じてみたかっただけさ」
「それポケモン関係ないし……あとこういうのはミステリーとは言わないと思うけど」
「細かいこたぁ気にすんな。ミステリー風味のポケモンの話があったっていいじゃねえかよ。俺は主人公として、自分の考えに忠実に行動を起こしただけさ。演劇、好きだからよ」
「…………どうぞおホザきになられて下さい」
何度目になるか分からない溜め息をつく。
こういうのが主人公っていうんなら、私はそんなのにはなりたくないな。主人公補正っていうの? 多少弱点やクセがあっても清く正しく、自分の考えって奴を持ってるキャラクター。私はそんな器には収まりっこない。そういう意味では、確かに私は主人公なんかじゃないんだろうね。
だけれど、ただ一つ言えることがある。
これは私の旅だ。兄は付き添いに過ぎない。
たとえ兄が、私よりポケモンの知識も経験もある強い人だったとしても。

だからお兄ちゃん、どうかしばらく引っ込んでいて下さい。ここからは、妹の見せ場です。


「いけっ! ナゲキ!」
「ゲエエェッ、キィイィィイー!!」
ボールを地面に投げつけ、パートナーを呼び出す。
じゅうどうポケモン、ナゲキ。
二度目のポケモンバトルだ。

「ふうん、格闘ポケモンね。そんなタイプで大丈夫かしら?」
「大丈夫です。問題ありません」
「いやそれはどうかな」
ポケモン研究員の兄が横から口を挟む。
「『かくとう』VS『ひこう』か。タイプの相性的に不利な戦いだなこりゃ」
「タイプの相性って何?」
「………お前、マジで何も知らないんだな」
お兄ちゃんは心の底から見下すような目をよこして下さりました。
……確かに私はポケモンに囲まれた環境で育ったけど、バトルはテレビの中でしか見たこと無いんだよ。今日までトレーナーじゃなかったんだし。

「ポケモンにはそれぞれ『タイプ』っつう属性があって、複数のタイプの間には相性が存在するんだ。『ほのお』は『くさ』に強い、『くさ』は『みず』に強い、『みず』は『ほのお』に強い、ってな」
「へー」
つまりジャンケン的な?
「込み入ってくると、『エスパー』は『どく』に強い、『あく』は『むし』に弱いとかなってくるんだが……まあ大体のポケモンには弱点があるって訳だ。――そして『かくとう』は『ひこう』に弱い」
「何で? 格闘家気質のポケモンなら、普通は鳥とか一捻りで絞め殺せるんじゃないの?」
「知らねえよ、んなモン。『格闘家は地上戦しか出来ねえイメージがあるから空中戦を得意とするっぽい鳥が弱点』とか、そんな想像をポケモン作った神様が抱いたんじゃね?」
「そーなのかー」
まあ私はポケモン創った神様を尊敬してるけど。やっぱ偉大だよね。

「まあ、私とナゲキの間にそんな問題は無関係だけどね、だってナゲキは……私のパートナーだから!」
「ゲキィ〜〜!!」
「ぐほっ!?」
お腹を蹴り上げられた。
朝食べた穀物の塊が反転しそうです。
「ナ……、ナゲキ。何故………」
「お前になついてねえんだろうが」
両膝をついて、お腹を押さえて呻く私に、ナゲキは尖った視線を向けるだけ。
「うう………前回ので少し距離が近づけたと思ったんだけどな」
「そんなに甘くはねえよ。何せそのナゲキのなつかなさには、それなりの事情があるからな」
「その事情って、」
「ほら、ミニスカートさんのペラップが攻撃を始めるぞ」

「ペラップ、『つつく』!」
「ペラララッ! 【死ヌガヨイ】!」
「ナゲ……ッキィッ!?」
ペラップが鋭く嘴でナゲキの体を突く!
柔道ポケモンはそれだけで苦痛に満ちた表情を浮かべのけぞった。ポカブにぶちのめされてた時はこうはならなかったのに………これがタイプの相性って奴なの!?

「効果は抜群だ……ってな。おらダメトレーナー、指示を出せ。お前のターンだぜ」
「分かってますよ外野……! ナゲキ……、えっと、『めいれいさせろ』!」
「アホかお前は!!」
「ギャース!」
兄に殴られた! 妹涙目!
「……えっと、わたしは何をすればいいのかしら? このままだと勝負にならないんだけど」
「ううう……」
相手のトレーナーにも呆れられる始末……私、駄目な子なんですね。分かってたけどさ。

「ナゲキ………ナゲキ〜」
涙目ついでにパートナーに潤んだ視線を向けてみる。柔道ポケモンさんはチラッと私を一瞥して、プイっとそっぽを向いた。ぐはっ。

「ゲキイァッ!」
「ペラララララッ!?」
打撃音。疾走音。跳躍音。
まただ。また私を置いてきぼりにして、バトルが進んでいく。

「……ふうん、なつき度は致命的みたいだけど、戦意は充分のようね」
「………、はい」
「トレーナーには気の毒だけど、先輩としてバトルの厳しさを教えてあげるわ。ポケモンバトルは、信頼あってこそ成り立つものだということを!」
サクラさんがポケモンに命じる。ポケモンはそれに応え、忠実に相手へ立ち向かう。……それが当然のこと。
ペラップは猛然とナゲキに突撃し、そのくちばしを突き出してきた。

『みだれづき』だってさ。

小さくも鋭いくちばしが、ナゲキの体に何度もたたき込まれる。
「そんな、連続で攻撃をしてくるなんて!」
「『みだれづき』はそういう攻撃なんだよ。ノーマルタイプの技でタイプの相性はイーブンだが………痛手だな」
「ゲキッギギギ………!」
ナゲキはしばらく踏ん張ってはいたものの、たちまち衝撃に突き飛ばされ……地面に叩きつけられた。
相性なんてどうでもいい。ただ傷ついている今のナゲキが見ていられなかった。
あんなにも私のポケモンは細やかな裂傷に覆われているのに。

「………っ! ナゲキ!」
「そんな泣きそうな顔をしても駄目よ。……これは真剣勝負。どちらかが果てるまでの争い。 容赦はしないわ」
「ゲキイィイイ!」
ナゲキはすぐさま起き上がり、ペラップに攻撃を加える。受けた傷を倍返しにするような苛烈な一撃。後ろに居るお兄ちゃんが「『リベンジ』か」と呟かなければ、私は何をしたのかさえ分からなかっただろう。
私は自分のポケモンの技すら分からない。だから指示も出せないし、信用もされない。

「……っふう、バトルの破綻はともかく、ナゲキ単体はなかなかの強さね。トレーナーを無視していることが、逆に予測不可能の戦法をかもし出している。もっとも攻撃自体は猪突猛進。………より強い一撃を真正面からぶつけてやるわ!」
なかなかの強さ? 予測不可能?
嬉しくなんかない。トレーナー不在のバトルでそんな言葉を浴びたって。
だけど今のナゲキに、どんな言葉がかけられるっていうんだろう。
もういくら指示を出したって無駄なことは頭で分かっていた。歯がゆさよりも憤りよりも――どんどん傷ついていくナゲキに何も出来ない自分に、悲しさが募る。

「ペラップ、『ハイパーボイス』!」
「ペラララー!!【相手ハ死ヌ】!」
ペラップが思いっきり息を吸い込む。攻撃の内容なんて想像したくもない。
思わず、やめて、と言いたくなった。
自分で勝負を挑んだくせに。相手の開き直りが気に入らないから無理やりバトルに持ち込んだくせに。
私は………私はなんて……………、

「ペラララララララ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」

頭が爆発するような大音量の鳴き声。
思わず両耳を塞ぐ。目が圧迫されたのでギュッと閉じてこらえる。
目を開けた――絶望があった。

「キ……………ィ…………ッ」
「ナゲキ……!!」
ナゲキはボロボロになって倒れていた。擦り傷まみれで苦痛に目をむき、白かった柔道着も草の汁と土に染まって雑巾のよう。
そしてそんな体で、なおも起き上がり戦意を見せる。

「安心しろ。まだ数値化したら体力ゲージ黄色ってトコだろうよ。……ナゲキは防御力が高い。いくらでもボロボロになって、不屈の精神で立ち上がるのさ」
――アキラはなにをいっているんだろう。
「そうね。そしてまた苦痛を受けることになる。ペラップ、残りも奪うわよ。反撃を受けた所で深手にはならない。………だって相手の相性が悪いんだから」
サクラさん………。

とどめと言わんばかりのクチバシが向けられる。膝立ちになりながら、パートナーはそれを見据える。
決着が、

「駄目ぇ!」
ほとんど無意識で、私はナゲキに駆け寄っていた。
相手の鳥ポケモンから庇うように、その体を抱き抱える。
「駄目、駄目、駄目………っ!」
涙がとめどなく流れていた。サクラさんが怪訝な顔をする。
「………何のつもり? バトル中にそんな方法でトレーナーがポケモンに介入するなんて、わたしは学校では習わなかったわよ?」
「も、もう私の負けだよ! 負けでいいよ……っ! 気に入らないなんて言ってごめんなさい、本当に……ごめんなさい…………! キズぐすりでも何でもあげるから、ナゲキをもう攻撃しないで!」
「何言ってんだお前は」
お兄ちゃんが私のそばに立ち、責めるような目つきで言う。

「自分で仕掛けといて………。ポケモンバトルは真剣勝負だ。そんな甘ったれた考えは通用しねえ。泣いて謝れば降参できると思うのか? お前は神聖なバトルを有耶無耶にする気か?」
「でも………でも…………」
「でもじゃねえ。ナゲキを見てみろ」
そう言われて顔を下に向けた時、ちょうど振り上げたらしいナゲキの拳が「ごふっ!」顔面にぶち当たる。同時に腕の中の温もりが消えた。
「ゲキイーッ………ゲキイーッ………」
「ナゲキ……」
「コイツはまだ戦うつもりでいるぜ。自分のやりたい精いっぱいの抵抗をしようとしてるのさ。……お前は分からなかったのか? 研究所でナゲキが、人間になつこうとしなかったこのポケモンが、お前についてきた理由を」
「それは………」
あの時。
研究所から逃げ出したナゲキを追いかけて思い出の森に入った時。馬鹿な私は久しぶりの全力の追いかけっこに楽しくなっちゃって、ナゲキを引き止めることなんてどうでもよくなっていた。
だから何となく、その時も傷だらけだったナゲキをまずは癒さなくちゃと思って追いかけるのを止めて。一緒にひと休みしようとした時に、ナゲキは来てくれたんだ。
どうしてなのか、私にも分からないけど。お兄ちゃんはそれに、答えを出す。
「お前のポケモンになってやってもいいって思ったんだよ。ついて行きたいからついてきたのさ。お前の意味の分からん天然な言動に興味を持ったんだろうよ。お前はナゲキを……俺や親父と違って、束縛しなかったんだからな」
「…………………」
「だがお前は今、戦いたがってるナゲキを束縛しようとしてるんだぜ? ……早い話、それはパートナーへの裏切りさ」
ナゲキを見る。
肩で息をしながらも、戦意を失ってはいない。
それどころか、表情は不機嫌そうなままだったけれど――活き活きしているようにすら感じる。

「戦うというのは、傷つくということさ。相手を殴ろうとする時、相手も自分を殴ろうとしているのは当然のことだ。それをナゲキは分かっている。……だからちょっと不利になったからって戦いを止めさせるな。体を動かしたがってるナゲキに、存分に戦わせてやれよ」

私は本当に馬鹿だ。………今、やっと気がついた。
ナゲキにとっての喜び、それは怪我せずにバトルに勝つことではない。どんなに傷つこうが、絶対に勝利を手に入れる。そういう感情でナゲキは戦っているんだ。
自分のポケモンが怪我するのは見たくないなんて思ってる私とは訳が違う。

――何が『ここからは妹の見せ場です』だ。
言うことを聞いてくれるといいなとか勝てないならさっさと降参だなとかなるべく傷つけさせたくないなとか、私は何て弱虫なことを考えていたんだろう。ポケモンはそんな甘いレベルでバトルなんかしていないというのに。

戦うことに、傷を恐れるな。
それが自分でなく仲間の傷でも恐れるな。
勝ちたいとか負けたくないとか思う前に……戦いたいと思わなきゃ。

傷つこう。

「ナゲキ」
パートナーに呼びかけた。
ナゲキは振り返る。煩わしそうに。止めても無駄だとつけ離すような目で。
そう。ナゲキは私の言うことを聞いてくれない。
それなら。
ならどうするかを考えて先に進むのが、トレーナーだ。
「自分で戦いたいのなら、せめてこれだけは……受けて」
私はキズぐすりを射出した。霧のような薬がナゲキに振りかけられる。
「ゲキッ!?」
「じっとしてて。癒やしてあげるから」
優しく語りかけ、痛みをほぐしてあげる。それが、戦いの最前線に立っている相棒に対する、今、私に出来ること。
細やかな皮膚の裂け目が、急速に塞がっていくのが見える。さすがポケモン用回復薬。ポケモンセンターが無いこの地方での強い味方。

「ナ………ゲキイ……」
「うん。元気出たみたいだね。それじゃあ、頑張ってね」
ポケモントレーナーにあるまじき言葉だってことは分かってる。
だけど今は、これでいい。
後は精一杯、思う存分にやりたいことをやらせてやるだけ。
「ナゲキ、」
今のナゲキにトレーナーとして命令できることがあるなら、それはこの言葉がピッタリだった。
「好きにして」

柔道ポケモンは笑わない。
ただ、余計なことをと言いたそうな恨めしい目をして、背を向けるだけ。
それでも私は構わない。
ナゲキが私のポケモンで、いてくれるなら。
戦うニ匹から、離れる。
両者はまた戦闘体制に入った。

「好きにして、ですって? 随分と放任主義のトレーナーが居たものだわ。……ペラップ、復帰しようがこちらの有利は変わらない。倒しましょう」
「ペラ! 【いえす、ゆあ、まじぇすてぃ】!」
相手もカタコトで答えて、ナゲキが始動。
ペラップに組み付き、体ごと地面に押し付けて拘束する!
「ペ……!」
「キィイイイ!」
かなりの衝撃を受けたように見えたけど、そこはポケモンの戦い。ペラップは渾身の力でナゲキを押しのけた。ナゲキも起き上がりざまの攻撃を避ける為に素早く身を引く。
……と、あれ? ペラップの様子がおかしい。

「ペラップ、どうしたの!? うっ、ま、まさか……」
「ペ…ラ……!【動ケ! 動ケ! 動ケ!動ケーー!】」
鳥ポケモンさんは足を畳み、地面にへばりついて震えていた。何やら体が思うように動かない様子。アバラでも持ってかれた?
「やるなぁ柔道ポケモン。体ごと相手を押し倒して動きを封じる……今の技は『のしかかり』だ。こいつは相手ポケモンを『まひ』させる効果がある」
「ぐ………っ!」
お兄ちゃんの進言に、一生の不覚とばかりに顔を歪めるサクラさん。
無理もない。彼女にはアイテムが無いのだ。状態異常になった場合、即回復することが出来ない!
「【動ケ! 動ケ! 動イテクレ! 今動カナキャ、今ヤラナキャ、ミンナ死ンジャウンダ! 頼ムカラ! 動イテクレエェ!】」
「ナ……ナゲキ! 今だっ!」
私の声が聞こえていたか……聞いてくれていたのかは分からないけれど。
私のパートナーはただ純粋に、攻撃を施行した。

「ナアァアアアアアゲキィ!」
ナゲキはペラップに再度掴みかかり、同時に前転。相手と一体になってゴロゴロと地面を転がり、回転が最高潮になった所で手を離した。
私は馬鹿だけど、流石にこの技は知っている。前回の戦いで、ポケモン博士たる私のパパが教えてくれた。
『ちきゅうなげ』。

「ペラポオォオォオォォ!」
引力から解放され、盛大に吹っ飛ばされる鳥。サクラさんの体の脇をかすめて地面に倒れた……ううん、ぶち込まれた。
ペラップは土に逆さまにめり込み、足をばたつかせている。
「か、勝った!?」
「いや、ばたつかせるだけの元気があるってんなら……」
最後の攻撃を当てようと、ナゲキが迫り、飛びかかる。

……勝敗は、あっけなく決した。

「――ペラアァアアッ!!」
「ゲ………キィイイ……!」
攻撃する寸前に、ペラップは身を翻し、頭を地面から引き抜いた。
そしてその両の翼でナゲキを挟み……え………う、嘘!? これは……!

自分が今やられたのと同じように、ペラップはナゲキを組み伏せ一一猛烈に回転をしているっ!?

「こ、これは『ちきゅうなげ』!? ナゲキと同じの!? どうして? できるの!?」
「これは『オウムがえし』という技よ。相手の繰り出した技を真似して発動する」

ナゲキは、自分が繰り出したそれより遥かに高く遠く投げ飛ばされ、地面に激突した。

足をばたつかせもしない。地面から突き出た足は、くたっとなって……尽きる。

「ナゲキ!」
再び、ナゲキの下に駆け寄る。
今度は誰も、私を止めようとはしなかった。
勝負が決したから。
めり込んでいるパートナーを引き抜く。土まみれで傷だらけで、酸素をひたすら求める苦息。
せっかくキズぐすりを使ったのに。
負けてしまったら意味は無いと……いうことなのか。

「タイプの相性や連続攻撃。そしてレベルの違いによる『ちきゅうなげ』の力の差。何より、相棒との信頼関係の無さが、あなたの敗因よ」
サクラさんは腕を組み、得意げに勝者の言葉を放つ。そしてペラップをモンスターボールへと戻した。

「あなた、今、どんな気持ち?」
「…………」
「悔しい? 怒りを感じる? ……でもこれが戦いというものよ。戦いは終わらせる為にある。だから片方が痛い目を見て終わったり、みんなが苦しんだりするのは当然のことなの。それがポケットに入るモンスター同士の戦いでもね」
「………………、はい」
バトルを止めようとした私の姿と、それをたしなめたお兄ちゃんの言葉を思い出し、戦闘不能になったナゲキを抱きしめ……敗北感を噛みしめる。
これが、ポケモンというものか。

サクラさんはそんな私を見て、クスリと笑みを零した。敗者を嘲笑っているようには見えないけれど、それでもどこか浮ついた、楽しさを含んだ表情。
私は今、どんな顔をしてるのやら。

「ふふっ。そんな顔しないの。あなたがポケモンを大事にしてることは分かったから。だからわたしも優しさに免じて、あなたの宣言した商品のキズぐすりは取らないでおくわ」
「おっ……」
後ろでお兄ちゃんが急に変な声を出した。どうしたのか訊こうと振り返ると、何故かそっぽを向いて呆れ顔になった。
やっぱり人の気持ちって、分かんないな……。

「えっと……それはありがたいですけど。でもサクラさんはいいんですか? ペラップも一応……あの、傷ついてるんじゃ」
「この位なら何てことないわ。『まひ』状態は治せそうにないけど、体力はしばらく休ませれば自然回復する。それがこの地方における、アイテムも宿屋もそばに無い時の回復手段だしね」
「………そうですか」
「それでエリさん。あなたの気は、晴れたの?」
「……………………」

先輩トレーナーさんの問いに、すぐに答えられず、黙ってしまう。
結局この勝手な人に、私は何もできなかった。というか、こちらが怒ってポケモンバトルをけしかけただけ。ナゲキはサクラさんのポケモンに抵抗してみせたけれど、私は何もしていない。
……何てことだろう。サクラさんも私も、自分勝手なことをした点では同じなんだ。
サクラさんは開き直って、更に勝手に自分で自らの行いを畳もうとしていたけれど。

「………世の中って、開き直ったもん勝ちなんですか? サクラさんみたいに」
「そんなもの知らないわ。わたしは今のバトルに悔いがないかを『あなたに』訊いているのよ。あなたは果たして、開き直っちゃうのかしら?」
「まさか」
キズぐすりを騙し取られそうになって、それがバレたら自己完結を初めて、怒って戦ってみたら返り討ちに遭ってしまった。
正直くやしい。昔パパから聞いたマユルドってポケモンみたいな気分だ。やられるだけやられまくって全く反撃が出来なかった。マユルドは痛みを忘れずしっかり復讐するらしいけど、こっちはどうすりゃいいっていうんだろう。
やっぱり悔しさをそのまま……口に出すしかないか。
私はこのミニスカートや自分の兄みたいに、人格を演じるなんて器用な真似はできない。

「心残りありまくりです。貴方に負けてしまって、やりきれない気持ちでいっぱいです」
「そう。じゃあリベンジしてみる? 結果は同じだと思うけれど」
「ええそうでしょうとも。だからリベンジはしません。ただし」

ミニスカートのサクラ。宣戦布告した時よりも鋭く、勢いよく。彼女を指差して言ってやる。

「貴方を、『いつか』倒します。いつか私が強いトレーナーになって……ひこうタイプなんてひとひねりに出来るレベルになったら、私と戦って下さい!」
「ふふっ……いいわ。覚えておくわよ。新米トレーナーのエリ。私も今は旅立ったばかりの身分だけれど……。あなたにいつ再戦の申し込みを受けても即承諾できる程度には――強いポケモントレーナーになってあげるんだから………!」

何でもない、ごく普通の草原の道で、二人のポケモントレーナーが契約を結んだ。私が初めて戦って、敗北したトレーナー。
次に会った時が決着の時だと、無意識の内で私達は承諾したのだった。

「もうその辺でいいか、お前ら」ふいに、男の人の声が響く。……ああ、例によって忘れてた。私の兄の声であります。

「エリ、お前がこの女とそれなりの折り合いを付けられたってんなら、もうこいつと関わり合いになる筋合いはねえだろ。……だが、女。俺はお前に一言二言、言いたいことがあるぜ……?」

今まで外野に回っていたお兄ちゃんが、ふいに真剣な顔をして、サクラさんに歩み寄っていく。ついでに用済みとばかりに、すれ違いざまに私の肩を掴んで、後ろに弾き飛ばしやがりました。尻餅はつかなかったけれど、多少よろめいて後進する私。
……え? お兄ちゃん、何をそんなにキレているの? とは訊けなかった。兄も兄なりに、サクラさんの行いに意見したかったんだろう。

私はお兄ちゃんの意志を汲み取って、サクラさんから離れた。お兄ちゃんはサクラさんに詰め寄り何か話し合っていたけれど、私にはその声は聞こえない。距離的に。

やがて兄は戻ってきて、ただ一言「行くぞ」とだけ呟き、歩いていく。
私はそれを追いかけながら、一度だけサクラさんを振り返った。

「サクラさん、さようなら! また会う日まで!」
「さようなら」
サクラさんはクスクス笑っていた。



◆◆◆



抱えていたナゲキを地面に下ろし、2個目のキズぐすりを使う。
これで私の持っているキズぐすりは、残り三つ。
「ネクシティまで持つかなぁ……アイテム」
「森を抜けさえすればいいだけだから大丈夫だろう。シティには宿屋もあるしな。なに、金が足りなきゃそこいらのトレーナーをのせばいい」
「………私はさっき負けちゃったばかりなんだけどね」
血色を取り戻したナゲキをボールに戻し(『礼は言わない』とばかりにムスーっとしてました)、元通りリュックのベルトに装着して、顔を上げる。

『クイネの森』と描かれた木のアーチがそこにあった。つまり、森の入り口。
いよいよこれから、ダンジョンに足を踏み入れる訳だ。
小さい頃に通りなれた道ではあるけれど、トレーナーになってから改めて入り口に立つと、その趣は全く違って見える。
もうパパから借りたポケモンを連れてビクビクしながら通る森では……ないのだから。

「準備はいいか………つってもそんな用意もねえか。さ、行くぞ」
「うん」
アーチを潜る。気分を秘境探検家モードに切り替える前に、ふと気になったことを口に出してみた。
「そういえばお兄ちゃん。さっきサクラさんに何を訊いてたの?」
「ん………、ああ。お前が奴に思ったのと同じようなことだ。ちょいとした説教と…………あとは奴の処分」
「しょぶん?」
「仮にも窃盗をやらかした女だからな。とりあえず未遂だしお咎め無しで見逃してやったが」
「そうっすか」
被害者は私なんだけれど、まあ私もあの人には何もしないつもりだったし。保護者様が解決してくれたんなら、それでよしか。

「では、いきますかね」
初めてのトレーナー戦を経て、新米エリ、初めの一歩。



◆◆◆



森の中を大手を振って進むエリ。
未だ勝利を得ておらず、ポケモンからの信頼も皆無であるものの、その表情に大きな不安は見られなかった。
自分の本心を隠して演技をしたがる不可解な人間達への困惑も、これから彼女を待ち受ける様々な出会いの前に埋もれていくことだろう。

そしてそんな彼女に新たに様々な困惑を与えることが、エリの兄、アキラが自らに架した役割だった。
彼に妹へのトレーナーとしての信頼など存在しない。あるのはただ、彼女をただの妹に戻してやろうという気持ちのみ。
エリに自身の不完全さを自覚させ、不出来なトレーナーの役割から引きずり下ろす為に、アキラは行動する。
今回もそれはつつがなく遂行された。

アキラは思い出す。別れ際に交わしたサクラとの会話。
エリには嘘をついた。話の内容は、彼女への叱責と処分ではない。

「……これで良かったの? 研究員さん」
サクラはまず、そう言った。「まあまあ上出来だった」とアキラは答えを返す。

「でも、あなたも随分と回りくどいことをするのね。私を悪役に仕立て上げて妹さんを騙すことで、見知らぬ他人への嫌悪感を植え付けようとするなんて」
「本当はもっと露骨な手を使いたいんだがな。あいつもそれなりに精神が脆い。落ち込まれ過ぎても困るのさ。あくまで奴自身の意志で旅を止めたことにしないと、親父も納得しないだろうからな」
少しずつ少しずつ、世間の厳しさを教育……または捏造してやればいいとアキラは言う。

「しかしまあ、エリが反骨精神を見せつけたのは予想外だったがな。未熟故の無鉄砲。本当はお前の窃盗を俺が見抜いて、知らない人間に善意を向けることの愚かさって奴を教えてやろうって手筈だったんだが」
「私達みたいな演技者、茶番癖を持つ人間のことを、妹さんは理解できないんでしょうね。私が人に頼らず道具を集めていることにも違和感を感じてたみたいだし」
「俺が立ち回ることで、上手くいけばあいつを俺に依存させて、家に帰る決意をさせることもできるかと思ったんだがな……。やっぱそう上手くはいかねえな」

エリはあまり要領の良くない少女だが、その分頭の中は単純で、純粋な心を持っている。
サクラはそれに対して、まさに対局の性格だ。物心がついてから、自分を偽って生きてきた。
自分の失敗を他人に見られるのは恥ずかしいし、見下されるのは嫌だ。そんな風に他人に干渉される位なら、全てを自分1人で初め、自分1人で終わらせられる人間になりたい。なれないならばせめて、それを演じられる人間に。
アキラもまた、同じ性質を持った人間だった。だから直接思いを口に出さず、遠まわしに心に干渉してエリに旅を止めさせようとする。バレない限り、失敗することが無いからだ。
双方、素直を嫌う性格だから、こうしてつるむことが出来た。

「お前はよく演技してくれたよ」
「まんざら演技でも無いけどね。泥棒に所持品を盗まれたのは事実だし、そんなへまを他人に知られたくなくて道具の騙し取りを始めてたのも真実」
サクラは遠くで見ているエリに見つからないように背を向けながら、ブレザーのポケットから何かをチラリと見せる。
「この通り……冒険に必要なアイテムは大体手に入れられた。あなた達が去ったら時間を置いて、ペラップを万全な状態に戻して旅に出るつもり」
見せたアイテムを戻し、笑みを浮かべる。端的な仕事をやり終えたような爽やかな笑顔だった。
サクラの『準備』は、とっくの昔に終わっている。その最後でアキラに頼まれ、ちょっとした芝居を行っただけのこと。

「悪いな。ほぼ目的が達成されかけた所でこんな茶番を頼んじまって」
「別に? この年になってようやく通過儀礼を受ける気になってみたら出だしで躓いて、そこに偶然フィールドワーク中のあなたが現れただけのことでしょ。 それに何だか面白そうだったし。元カノの一人として、演劇くらいには付き合ってあげるわよ」
「相変わらずの皮肉屋だなお前は。それに俺を越えた大根役者だ。一体いくつになるまで学生気分でいるつもりだよ」
「あなたこそ、今の彼女と上手く行ってるの? 音沙汰無しだそうじゃない」
「何で知ってるんだよ」
「あら、本当にそうなの」
「ちっ、やられたぜ」
しばらくの間、ポケモンの入り込む余地が一切無い会話が続く。
今回の芝居で一時的につるんだ関係以上の感情が、かすかに表情から見てとれた。

「……それにしても、私が泥棒になんか遭わなかったら、トレーナーとしての旅が遅れることなんか無かったのよ」
「旅に出るのが面倒だからって、通過儀礼の日を繰り上げまくって今日に至ったお前にバチが当たったのさ。普通だったらとっくに終えてる年齢だろうがよ」
「一応わたしなりに調べてみたんだけど、どうやら泥棒の正体、以前からネクシティを騒がせている窃盗グループらしいのよ。三人組の奴。はぁ、ホント早く捕まらないかしら」
「いずれにせよ、俺らにゃ何もできやしねえさ。俺達はポケモンと共に生きてりゃいい。人間同士、あんまり仲良くすることもないだろ」
「まあね」
サクラのその返答が、会話の締めくくりとなった。アキラは彼女から去ろうとする。そこに彼女は、最後に言葉をかける。

「ねぇ、アキラ。これからもあなたは、こんな回りくどい方法で、妹さんを『説得』するの?」
「回りくどくて構わねえよ。本人に気付かれることなく、時には愚鈍に仕立て上げ、時にはこちらを優秀に見せて、あいつの心を掌握してやるさ」
エリはポケモンと仲がいい。
だが、どのポケモンとも仲良くできるだろうか? 人間とは仲良くできるだろうか?
仲良くできるだけの人間に過ぎないのでは?
そんな人間を、とても旅に出させる訳にはいかない。
誰が何と言おうと、瑣末なところまで自身の意志を浸食させ、アキラは目的を果たす。

ポケモンの物語を、人間の物語に変える為に。

「じゃあな、似非ミニスカート。再びこれで他人同士だ。年齢に不釣り合いなその身長が伸びることを、無関心に祈ってやるよ」
「ええ。あなたの嘘が妹さんをどうにかすることを、わたしもせいぜい祈っているわ」

アキラは去っていった。待っていたエリに話しかけ、そのまま森へと進んでいく。

その姿が見えなくなってから……サクラは再度ペラップを出し、盗品の回復薬を施してあげた。
いいキズぐすりと、なんでもなおし。

「ペラッ!【何度デモ蘇ルサ!】」
「さあて…………時間を置いて、いよいよわたしの冒険、再開ね」

遅咲きトレーナーの彼女は、希望を含んだ視線で空を見上げる。その表情が演技なのかどうかは誰にも、サクラ自身にも分からない。

旅立つ全てのポケモン使いは、こうしてそれぞれの矜持を胸に、無数の戦いの中に呑まれていく。
そうして物語は続いていく。
続くったら、続く。



『準備は大切だよね?』 終わり

to be continued


  [No.853] 第三話:生きることは食べること? 投稿者:ライアーキャット   投稿日:2012/01/24(Tue) 14:17:03   73clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

・第三話 生きることは食べること?


まるで空が緑になっちゃったみたいだ。
所々に開いた隙間から太陽の光が差してるのを見ると、どちらかというと雲が、かな?

まあ実際はどちらでもなくて、見てると首が疲れるぐらいばかデカい木々の群れが……空を葉っぱで覆っているだけなんだけど。

「きゃっ!」
そんな風に上を見ながら森の中を歩いていれば、足元がお留守になるのは当たり前。
ふいに何かにつま先をぶつけて私は躓いてしまった。前のめりに倒れそうになって咄嗟に体を翻したけれど、結局持ち直すことが出来ず、地面に尻餅をついてしまう。

「ん? ……おいエリ、何してんだ。鈍臭い奴だな」
前を歩いていたアキラ……私のお兄ちゃんが振り返って気付き、私の名前を言いながら歩み寄る。
ふと脇を見ると、大きな太い木の根っこが地面から露出していた。これに躓いたみたい。
「怪我はねえか?」
「う、うん。倒れる前に体を反転させたから……」
立ち上がる。………お尻は偉大なクッションだなぁ。衝撃を吸収してくれた。でも、地面の土にぶつかった代償は女の子的に大きい。

「あうう……嫌だなあ。汚れが目立っちゃう……」
「そんな白いの穿いてるからだ」
「はうっ!? お兄ちゃん、いつ私のスカートの中を!?」
「スカートの色のことを言ったんだがな!」
ああ、そっちですか。
うん。地面と接触したのはスカートの布地だけのようですね。ほっとしながら両手で軽く叩き、なんとなく周りを見渡した。

「暗いし……静かだよね。いつだってこの森は」
「それだけ、ここのポケモン質の生態系が安定してるってことだろ。………ま、辛気くさいとは思うがな」
ポケモン研究員のお兄ちゃん、アキラはそう解説してくれる。

じゃあ今私は木々だけじゃなくて、その生態系の群れの中を歩いてる訳だ。
やっぱり私達人間は自然に囲まれて生きているんだってことを、身に染みて実感できる。
ポケモンはどうなんだろう? 人間に囲まれて生きているのか………自然に溶け込んで生きているのか。

「クイネの森。一般人にとっちゃあ、プロロタウンとネクシティを結ぶ通路としか受け止められてねえが、研究家には生態系の宝庫として注目されてるんだぜ。ポケモン達の力関係。それに伴う繁栄や衰退を間近で実感できるんだと。だから『クイネの森』って名前がついた」
「……私はいつ通っても、何だか怖い気分にさせられるよ。トレーナーになってから初めて通る今でもね」

私は今日ポケモントレーナーになったばかりの新米の身。それまでは普通の人としてプロロタウンで過ごしてて、時々ポケモン研究家のパパの研究所に行っては、ポケモン達と遊んでいた。
特にお気に入りだった場所は、研究所の裏手に広がる森。いつも暖かい太陽の光に満たされていて、葉っぱが宝石みたいに仄かに輝いていたのを覚えている。
とてもその森が、今歩いているクイネの森と地続きだとは思えない。
太陽の光はとどき辛くて、ポケモンが飛び出してこない限りは静寂そのもの。空気はいつでもひんやりしてるし、それは時としてじめじめした湿気になって体にまとわりついてくる。

……駄目だ、緊張なんかしちゃ。
私はもう自分のポケモンを、パートナーを持っている。この怖さを感じる雰囲気を消してくれる心強い味方がいる。
なら何も怖がる必要はない。
さっさとこの森を突破して、ネクシティへ向かわなくちゃ。

「エリ……? どうした? 顔が暗いぜ」
でも………何だろう。この妙な感覚は。
体中から力が奪い去られていくような、魂に穢れが溜まっていくような、マイナスな気分。
ああ――そうか。

「……………いた」
「あん? 何だって?」
「お腹すいたーーーーーーー!!!」
内臓に渦巻くモヤモヤを声に乗せて叫ぶ。お兄ちゃんの髪が大声で若干逆立ちました。あ、何かガサガサという音と共に鳥ポケモンさん達が飛んでいく。名前分からない。

「いきなり大声だすな。唾がかかったじゃねえか馬鹿野郎……」
顔面を白衣の袖でごしごしする兄。でもすいたものはすいたんだ。大声出しても仕方がない。

「つうかお前、朝メシからまだほとんど経ってねえだろうが」
「うぅ……パンなんかじゃ今日の私のお腹はお昼まで持たなかったんだ……やっぱりお肉だよ!」
「はぁ?」
「牛肉とか鶏肉とか! 私みたいな育ち盛りにはそういった燃料が必要なのです! あぁ〜食べたいよぉ、唐揚げとかハラミとか!」
「…………色気より食い気とはよく言ったもんだぜ」
「ほっざけ〜〜!」
空腹をとにかく声でごまかしたくなる。そうしないとこの倦怠感は体中に充満してしまうんだ。

「はぁ……そんなに食いたけりゃ、そこいらの手頃な野生ポケモンでもいただいてろよ」
ポケモン研究者のお兄ちゃんはいきなりとんでもないことをのたまう。
「な、何言ってんですか! ポケモンをランチにしろと!? 猟奇的です! ご無体な! 牛や鳥はいいけどポケモンは駄目でしょう!」
「そうでもないぜ? ポケモンを人類が食したという事実は、歴史上確かに存在している。例えば……それ」
お兄ちゃんはいきなり私を指差す。え………何? どういう事?

「ま、まさかそんな、私が……」
「そうじゃねえ。お前の髪飾りだよ。そのポケモン。チェリンボだ」
言われて、思わずそれを触る。私は片側の髪の毛をポケモンを模したアクセサリーで結んでいる。
名前はチェリンボ。さくらんぼポケモン。
物心がつく前から、この髪飾りを付けている。
「俺は仕事柄、色んな地方に生息しているポケモンの図鑑を見ている。いわゆる『ポケモンずかん』だ。同じポケモンでも、地方によって違う情報が見れたりして面白い」
「……それは、知ってるけど」
私は年齢の都合上無職ですが、それでもあんたらポケモン研究者を昔から側で見ていたし。
しかし相変わらず、何かを説明しようとする時、回りくどい言い方をする人だな。何を言いたいのか、なかなか分からない。

「シンオウ地方のチェリンボの図鑑には、次のような一文がある。『ちいさな たまには えいようが つまっているだけでなく おいしいので ムックルに ついばまれたりする』。しかし、誰がチェリンボをおいしいと知ったんだろうな?」
「人間が食べたことがあるから……ってこと?」
「そういうこった。大体この世界に、どれほどポケモン以外の生き物がいると思う? 道に生えている草や樹木がせいぜい身近なポケモン外生物ってぐらいだろ」
「まあ、言われてみれば」
そういえば、今周りを取り囲んでるこの木々だって、ポケモンではないもんね。

「他にはせいぜい、ピカチュウの電撃で昏倒させられるインド像や、サントアンヌ号で捌かれる舌平目とか、まあそんな感じか。人間にとっちゃあ、ポケモンの方がはるかに多くて利用価値があるってことなのさ」
「ふ〜ん………」
昔お兄ちゃんに『コンパン』ってポケモンを図鑑で見せてもらった時、『小さな虫を食べる』とか書かれてて『その小さな虫もポケモンなのかなあ?』とか考えたことがあったけど……。ただの生き物より、やっぱりポケモンの方が生態系では上ってことなのかな。
だから人間とポケモンが中心となった世界が、ここに成り立っている訳なんだろうね。

「シンオウついでに話すと、シンオウ地方に伝わる伝承の中には、古代人がポケモンを食べていた歴史がはっきりと記述されているそうだ。……喰うか喰われるか。文明以前に動物として、人間とポケモンは関わり合ってきたんだな」
お兄ちゃんの喋りが若干長くなり、熱を帯びてきた。
兄は他人に何かを教える時、下手な役者みたいな言い回しになる時があるけれど、これは単に研究者としての知識の披露に夢中になってるだけなんだろう。
私もこれ位ポケモンについて熱烈に語れる位のトレーナーになりたいなぁ。リュックのベルト部分に装着されているモンスターボールを見ながら、そう思う。

「って、人間とポケモンの食文化について話したって、私のお腹は満たされないんですが」
「うるせえな。ネクシティに抜けるまで我慢してろよ」
「お兄ちゃん、昔話してた『きのみ』とかいう食べ物はここには無いの? あれって確か人間でも食べられるんだよね?」
「残念だが、今俺達が通っている人工の道に従う限り、そいつを拾えることは無いだろうな」
「うぐぅ……」
我慢するしか無いのですね………。
ここで立ち話しすんのだって腹の無駄だぜと言って、お兄ちゃんは再び歩き始めた。大股でずんずん行ってしまうから、私は少し早歩きをしないといけない。
……この人は私の旅の保護者って設定なのに、何故か私をリードしてあげてるみたいな言動が目立つ。なんか私の意志が蔑ろにされてるような………全然こっちの気持ちなんて考えてくれてない。ま、それがお兄ちゃんなんだけどね。

「クルルル……」
「へ?」
ふいに聞こえてきた音に立ち止まる。これは、ポケモンの鳴き声?
耳をすませると同時に、道の傍らにある草むらがガサガサと鳴りだして驚いた。お兄ちゃんも反応して目を向ける。
「な、何が出てくるの!?」
「いちいち慌てんな。お前はポケモントレーナーだろう?」
そうでした。リュックのモンスターボールを取り外し、構える。襲いかかってきたら、私のナゲキで撃退してやるっ!

そしてそのポケモンは、のっそりと姿を表した。

「ミルルゥ……」
「お、おぉっ!」
それは風変わりな姿をしている、つぶらな瞳でずんぐりむっくりな……芋虫のポケモンだった。
黄色い体を申し訳程度に、青々とした大きな葉っぱで包んでいる。よく見るとそれは白い糸によって体に貼り付けられているもののようだった。

「かわいい……」
よちよちと進んでくるポケモンに思わず戦闘を忘れ、歩み寄ろうとしてしまう。でもすんでのところで立ち止まった。
いやいや、実は可愛い顔して怖いポケモンかも知れない。それにもしかしたらどっかのペラップみたいに、どこかのトレーナーさんのポケモンなのかもと。

「……何してんだ? 早くナゲキを出すなり何なりしろよ」
「か、確認してるんだよ。私、このポケモンは初めて見るから……。それに近くにトレーナーが居ないかとかさ」
「トレーナー? ってまさかお前、サクラん時のヘマをしないように、そんな確認してんのか?」
「だってあの時はつい目先のポケモンに目が行って失敗してお兄ちゃんに小突かれちゃったし、その反省の為に………」
「…はぁ」
私にだって一旦立ち止まって考える力はあるんだよ。そう弁解しようとしているのに、お兄ちゃんは呆れた様子で息を吐くだけだった。

「お前は可愛いよ」
「そ、そうすか? 兄に言われても気持ち悪いだけですが」
「お前は本当に可愛いよ」
「そうですか皮肉ですかありがとうございます」
「草むらから出てきた以上、そいつは野生のポケモンだよ。で、トレーナーも居ない。安心したか? ポケモンに遭遇していちいちそんな確認していたら、攻撃的な奴に出会った時に痛い目を見るぞ。馬鹿」
「ぐっ……」
兄というかアキラというか、コヤツは私を叱る時、いつもキツめの言葉ばっかりを浴びせてくるんだよなぁ。私が悪いのは分かってるから甘んじて受けるしかない訳だけど、もう少し言い方を和らげてくれないかとも考えてしまう。………いや、それも甘えなのかな? 私が子供なだけなのかも知れない。

「ミルクルミルッ」
しゅんとしていると、野生ポケモンさんはいつの間にか私の足にすりすりと体をこすりつけ、物珍しげに頭を持ち上げてこちらをじっと見ていた。うーん、やっぱり可愛い。

「そいつの名はクルミル。さいほうポケモンだ。自ら生成した糸で葉を体に縫い付け、服の代わりにしているポケモンさ」
「へー。賢いんだ〜。………ねぇお兄ちゃん、このクルミルさん、戦いたくないって言うか…その、普通に触っても大丈夫?」
「何だ、戦闘しないのか? まあ、気性は荒くは無いし、人間を攻撃しても大事にはならねえから大丈夫だぜ」
「そっか〜」
研究員がそう言うんなら問題はないんだろうね。
ナゲキには悪いけど、このポケモンとは戦う気にはなれない。
私は安心して、クルミルを抱え上げる。
「プシュウゥウウーーーー!」
「ぶえぇえっ!?」
いきなり顔面に何かを吹き付けられた! 何これ!前が見えない!

「ア、アキラぁ〜」
「ははっ、『いとをはく』を食らったようだな。抱き上げられるとまでは思ってなかったらしい。警戒されたんだよ、お前」
「そ、そんなぁ………」
がっくし……。
抱き上げる為にしゃがみ込んで頭の位置が近くなったせいで、全ての糸をまともに受けてしまったらしい。私はクルミルを地面に置いて、両手で糸を取り去る作業に入るしかなかった。……すっげえ粘り気なんすけどこれ。うわ、髪の毛にまで絡みついてるよ、最悪だぁ……。

再び視覚が復活した時、芋虫さんは変わらず正面にちょこんと存在してました。きょとんとした顔で。
……まあ防衛本能なら仕方ないよね。「いきなり触ってごめんね」と謝罪し、ひとまず立ち上がる。

「しかし意外だな。いくらポケモン好きのお前でも、虫ポケモンは駄目なんじゃないかと思ってたんだが」
「んー、でもクルミルは大人しいんでしょ? それに可愛いし。でもま、私にだって苦手なポケモンとかは居るけどね。いつか前にテレビで見たアリアドスとかいうポケモンはちょっぴりゾクゾクしちゃったし」
けど、ポケモンそのものは大好きだ。小さい頃からポケモンに囲まれて、人よりポケモンの方に多く出会ったと言ってもいいという、そんな環境のせいなのかも知れないけれど。

「………………」
「? どうしたのお兄ちゃん」
「いや……『あんなこと』があってもまだポケモンを好きなままでいられるお前に、ちょいとホッとしただけだよ」
お兄ちゃんは気まずそうに頬をかいてそっぽを向きながら、どこか遠い目でそう言った。
私も沈黙する。………言葉の意味が分かったから。
森に入る前にタウンマップを閲覧した時、『トラマ山』のところで私が顔を曇らせたことを、まだ気にしているらしい。
……大丈夫だって言ったのにな。

「お兄ちゃんって変だよね」
「あん? んだと?」
「普段は散々私に意地悪するくせに、なーんか変なとこで私のこと心配してるっていうかさ。私のことを何にも考えちゃいないようで、でもそうでないみたいな……」
「何が言いたいんだよ」
兄は私の言葉を、ハッ、と鼻で笑う。
でもその時私は、あれ? と違和感を感じた。お兄ちゃんが目を逸らしたのだ。
芝居がかった言動をして他人の言葉をかわす癖に、何故か私の前だとより演技が下手になる。私はそれを、長い妹生活の中で知っていた。

「………お兄ちゃん、つかぬことをいきなりお伺いしますけど、何か隠したりしてません?」
「お前の喋りはいつも唐突だな。話題の曖昧さと急展開についていけねえ。誰がお前なんかに隠しごとをするかよ」
半笑いで一蹴するアキラ。けれど口角と下まぶたが一瞬ヒクヒクと震えたのを私は見逃さなかった。この反応は…と疑念が深くなる。
でもこの性悪兄貴が私なんかに一体何を? こうして一緒に旅をしながらする『隠しごと』なんて……。
私の心配云々のところで、態度がおかしくなってたけど。

「お兄ちゃん………もしかして、何かよからぬことでも、」
企んでいるの? と、ほとんど勘で判断したその挙動不審の理由を、兄に歩み寄りながら問いただそうとした――その時。

ひときわもふたきわもあるガサガサ音が、草むらを鳴動させ、こちらの鼓膜に激突してきた。
「ひっ! な、何!?」
「……助かっ、もとい、新たな珍入者のようだぜ。エリ」
何故かお兄ちゃんはホッとした顔をして、でもすぐに堅い目つきになり、草むらを睨む。私は怖くなってその腕にしがみつきかけ、ハッと気付いて、モンスターボールを握りしめた。
クルミルと違ってこの音は大きい。それだけ『違う』ポケモンが出てくるということ。
……否応無しに緊張してしまう。

「クルルッ!」
クルミルはまだその場に居た。また私の足に体をくっつけて……あれ? プルプルって震えてる。やっぱりこの子も怖いのかな。

「まずいな………その芋虫、ただ草むらから飛び出してきたって訳じゃなさそうだ。追われてる身って可能性がある」
「追われてるって、何に!?」
「『捕食者さま』たるポケモンにだよ。おらエリ、さっさと構えておけ。今度はモタモタする訳にも、いかなそうだぜ」
「……っ!」
追っ手がこの向こうに、居る。
私は今度こそボールをリュックから取り外し、投げた。草むらの手前の地面に落ちて割れ、ナゲキを顕現させる。

「ゲキ!」
「ナゲキ、目の前の草むらにポケモンが………」
ナゲキは『命令すんな』というようにギロリと目を向けてきたものの、すぐに飛び出してこようとする『相手』に視線を移し、対峙した。

ピタリと。草むらの揺れが止まる。

「………………」
一瞬、ポケモンは引き返したんだと思った。でも感じる。すごい気配を。こちらを狙う、鋭い眼光のような……。
ナゲキは来ない相手にしびれをきらしたのか、じりじりと距離を詰めていく。一歩、二歩、草の間から何かの両目が、

「ホロロォオオォオウ!!」

ナゲキの体が、恐ろしい勢いでふっ飛ばされた。私のパートナーが地面に叩きつけられる。同時にけたたましい鳴き声と共にはっきりと、相手は姿を私達に晒した。

黒い紋様に彩られた灰色の翼。胸元に立派な毛を蓄えた、それは大きな鳥。
何よりも目を引くのは、頭を覆い一部が垂れ下がった、鮮やかな赤い飾り付け。王さまみたいな風格すら感じられて……その迫力に足がすくんでしまう。

「ま……また鳥ポケモン!? かぶってるよ創造主!」
「こいつは『ケンホロウ』! よりによって、大型ひこうポケモンの一角に出くわすとはな………!」
お兄ちゃんの顔がこわばった。そんなに強いポケモンだっていうの!?
反射的にクルミルを持ち上げ、片腕で抱える。と、いきなりもう片方の腕を兄に引っ張られた。同時に走り出す。
「えっ、ちょ、お兄ちゃん?」
「ここは逃げるが先決だ。残念だがいくらナゲキでも、まだあいつにかないそうにはねえ。レベルが違う!」
研究者が言うならそうなのだろう。私も同意した。だけどまだ撤退する前に、やらなきゃいけないことがある!
「お兄ちゃん、離して! ナゲキを戻してないじゃないか!」
引っ張られた腕を振り払って立ち止まり、その手でモンスターボールを掴む。戻って、ナゲ「痛いっ!」
手を突き出した瞬間、何かが先っぽにぶち当たり………ボールをはじき飛ばした! ナゲキの住処と言ってもいいモンスターボールが、少し離れた地面に落ちてしまう。
「ハトーーーボーーーー!!」
その何かは、私の手に衝突しても落下することなく持ち直し……高く飛び上がってその場を大きく旋回し出す。ケンホロウより一回り小さい…………あれはさっき空を横切ったポケモンだ!
しかもそれだけじゃない。同じ姿をした鳥ポケモン達が木々の間をすり抜けて次々と空中に集まってくる! 葉っぱで覆われた空の下にいくつもの翼が舞い、枯れ葉のように羽が落ちてくる。
このままじゃここは鳥達のテリトリーになっちゃう! 一刻も早く逃げなきゃ!!

「ナゲキっ!」
パートナーに目を向ける。………お兄ちゃんに引っ張られたせいで、私はナゲキから少しだけ離れてしまっていた。
格闘タイプの柔道ポケモンは、いきなりの攻撃から立ち直って起き上がり、ケンホロウに対峙している。両腕を広げて…って、まだ戦う気でいるの!?
ナゲキが強いことはトレーナーの私が知っている。でもあんな怖そうなポケモンを前にして、今の力で勝てるのか……この瞬間にもどんどんと、新しくポケモンが上に集まっているというのに。
ボールを拾いに行きたいけれど、運悪くその真上の空中に追加部隊達は集中して飛んでいた。弾いた時と同じように何か攻撃されるんじゃないかと思うと、怖くて前に出られなかった。だからナゲキにも近寄れない。助けられない。
そうこうしてる内に柔道ポケモンは動き出す。鳥ポケモンに拳で攻撃を叩き込む。でもそれは相手も同じ。羽や体全体で反撃して………私のポケモンは次々と傷を受けていた。相手よりも多く。

「駄目だよ……ナゲキ、今度ばっかりは不利なんだ、戦っちゃ駄目」
避けなきゃいけない戦いだってある。私はパートナーを呼び戻そうと声をかけたけど、相手は聞き入れてくれない。……ううん違う、聞こえていないんだ。
声を振り絞って、しっかり気持ちを伝えなきゃ!

「ナゲキ――逃げてーーーー!!」
「………ゲキ」
ナゲキは反応してくれた。こちらに振り返った。
でも同時に…………ケンホロウが隙ありとばかりにナゲキに体をぶつける! 目にも止まらぬ風みたいな早さで! 「『でんこうせっか』か」というお兄ちゃんの声が聞こえた……。
ナゲキは再度ふっ飛ばされて、今度は倒れることなく受け身を取り着地する。でも落ちた場所は私からもっと離れたところ。ボールは弾かれた、ナゲキは自力で私のところまで戻ってくるしかない。……集まっている鳥ポケモン達の下をくぐり抜けて。

再度、私のパートナーはこっちを向いた。同時に地面にちらちらと視線を寄せる。私と自分の距離を確認しているのかも知れない。そして一瞬だけ、苦しげに躊躇う表情を見せて……、
「ちょ、ちょっと! ナゲキ!?」
ナゲキは逃げ出した。ただし、私のところにじゃなく、道端の茂みの中へ。そして木々の間に見えなくなってしまう。

「ナゲキ! 待って!」
「エリ!?」
後を追って走り出す。お兄ちゃんの驚きと叱咤の混じり合った声が響いたけどそんなの知らない。
ケンホロウはナゲキを追わずにその場に留まっていた。その前を通らないとナゲキを追いかけられない。けれどケンホロウは私に鋭い視線を向ける!
「ミルミルプシューーーー!!」
「ホロッ!?」
片腕に抱えていたクルミルが、鳥ポケモンに糸を吐きかけてくれた。糸は宙を細々と舞って輪っかみたいな形に変形してケンホロウの体に降りそそぎ貼り付く。輪投げの棒が縛られてるみたいに見えるのと同じ感じで、その行動を制限する。
「ありがとう、クルミル!」
がんじがらめになってもがくケンホロウ。糸の厄介さはこっちも自ら食らったからよく分かる。敵の脇を急いで通り抜けて、私は暗闇に躍り出た。



◆◆◆



「ナゲキ! 待って!」
「エリ!?」
アキラの声を尻目に、エリはなりふり構わずナゲキを追った。まだケンホロウがその場に居たにも関わらず、その方角に手持ちポケモンも無しに突っ込んでいったのだ。強い感情を持って何か行動を起こすと後先を考えず突っ走ってしまうのが、エリの悪い癖。
抱えていたクルミルによって彼女はケンホロウは突破できたが、アキラには危機感と不安が一気にのしかかる。

「あの馬鹿………森の順路を外れやがった!」
クイネの森は広大だ。しかも高く枝幅が広い木々により太陽の光があまり届かず辺りは薄暗い。あらかじめ敷かれた通路され通っていれば無事に出られるが、ひとたび道を離れた場合は安全の保証は無い。ましてや今のエリにはひ弱な芋虫ポケモンしか味方がおらず、そもそもその芋虫を追ってケンホロウは現れたのだ。
鳥は動き出す。捕食者として。
生態系が飽和化している、森の一員として。
クルミルを食べる為に。

「そうはさせるか!!」
アキラは白衣の内ポケットからモンスターボールを取り出した。ケンホロウがいくらクルミルを狙おうとそれは自然の摂理だから気にはしない。だがエリに危害が及ぶことだけは避けなければならない。エリを無傷で家に連れ戻すこと。それが自分の旅の目的なのだから。

「すまねえが、複数の手持ちで戦わせてもらうぜ。こいつらもまた一悪い意味でお前とはレベルが違うんでな!」
取り出したボールは三つ。指の間に挟んだそれぞれを、腕を振り上げて一度に投げる。

「出てこい! ツタージャ! ポカブ! ミジュマル!」
「ツタァアァアア!」
「ブイブイブ〜♪」
「ミジュッジュルルッ!」
彼の三匹の相棒が地面に颯爽と出現した。もともとはいずれかがエリのパートナーとなるはずだったのだが細かいことは気にしてはいけない。
この森に崖などの危険な地形は無い。だから今、エリに対して障害となるのはこの鳥達だけ。カタをつけてやる、と拳を握る。

「ホロウ……ッ!」
しかし、目的を阻む障害を許せないのはケンホロウも同じだ。体に巻きつくようにくっついた糸を翼を勢いよく広げて引き千切り、新たに現れた敵に刮目する。そして片方の翼を、空気を切断するかのごとく降り下ろした。
それは見えない刃を生み出し、空中を一直線に標的へと飛来する。

「カブ!?」
「ジュッ……」
「『エアスラッシュ』か……!」
風の刃はポカブとミジュマルの間をすり抜け、ツタージャに直撃した。「ジャ、」鳴き声を上げる間もなく小さな体が宙を舞い、土に半身を激突させる。

「許せツタージャ。お前が真っ先にやられるのは分かっていた……今だポカブ、ミジュマル!」
くさタイプのポケモンは、ひこうタイプに弱い。ケンホロウは本能でタイプの相性を見抜いたからこそ、ツタージャを一番に攻撃した。
だからこそ狙いが一点に絞られ、残りのニ匹から一瞬だけ、目を離す。それがアキラの付け入る隙。

「ポカブ、『ニトロチャージ』! ミジュマルは『みず……いや、『たいあたり』だ!」
ケンホロウが視線を移した時、もうニ匹は最初の位置には居ない。
自ら最初に攻撃をした時点で、後は相手の手番となる。ポカブとミジュマルはそれぞれ渾身の力で、相手に自身を頭からたたき込んだ。

「ロ…………!」
倒れる大型鳥ポケモン。アキラの相棒達はすかさず身を翻して跳躍し、主人の足元に戻る。一撃で倒せる相手ではないことを、ニ匹とも理解している。ケンホロウはよろめきながら、再び立ち上がるった。
しかしダメージはダメージ。先にナゲキが微量ながら与えた傷に更に加えられた痛打により、相手は体力の危険を感じて苦しげに目を細める。

その時、場に変化が起こった。
空中を乱舞していた中型の鳥達が、一斉に動き出したのだ。一陣の風のように一点を目指して飛びさって行く。……エリの走って行った方角に。
「ボーーーーー!」
「ポーー!」
「ハトーーーボーーーー!!」
それを見てケンホロウも気付いた。自分は今戦っている場合ではない。元々食事の為に獲物を追っていたのだ。
せっかく見つけたのに、早く捕まえなければ他の鳥ポケモンに先を越される。

「っ…! 待て!! ケンホロウ!」
アキラは制止するが、そこは野生のポケモン。人間などには聞く耳を持たず、本能を遂行するのみ。大きな翼で一気に浮上し、鳥達に続いてクルミルの……それを抱えているエリの追跡に発っていってしまった。飛翔に伴う強烈な風が吹きすさんだのを最後に、アキラの周りには再び静寂が戻った。

「くそっ……早くエリを捕まえねえと………!」
人間もまた迅速に行動を起こす。三体のパートナーをボール、そしてポケットに戻し、妹の飛び込んだ茂みへ走り出した。
そこでふと気付き、立ち止まって足下に目を向ける。

「おっと、あいつが地面に落としたボールも回収しておかねえとな。……自分が捕まったボールにしか、ポケモンは入りたがらないからな」



◆◆◆



走る。あてどもなく。ナゲキを探して、薄暗い森の中を。
もう周りに道なんて無い。あるのは隙間を塞ぐように群生して動きを制限する木々と、足元をひたすら悪くさせる根っこや茂みばかりだ。
……そりゃそうだよね。さっきまで私とお兄ちゃんが歩いてた道は人間が切り開いて作ったものだ。森が出来た時から道があった訳じゃない。確かお兄ちゃん、昔クイネの森は自然に出来たものとか言ってたし。

「クルルルゥ……」
クルミルが腕の中でもじもじしている。どことなく悲しそうにしているみたいに見えた。思わず連れてきちゃったけどどうしよう「あう!」
いきなり体が浮き上がり、地面が壁になって襲いかかってきた。今度は体をひねることも出来ず、胴体の前面を叩きつけてしまう。
「ミル?」
大丈夫? と言いたげに、うつ伏せに倒れた私の顔を覗き込んむ芋虫さん。衝撃でとはいえ、前に放り出したおかげで下敷きにさせずに済んでよかった………。「大丈夫だよ」と起き上がる。

「うぅっ……土だらけ。胸もお腹もお尻も汚されちゃったよ……今度は何?」
後ろを見てみる。と、石ころや根っこの代わりに目に飛び出してきたのは、

「………『きのみ』?」
私が躓いた物体は果実だった。近付いて恐る恐る手にとってみる。…………うん、草ポケモンとかと違う。きのみだ。
「なんの実だろ? 食べられるのかな?」
じー、っと観察してみるけれど、私にきのみの種類は分からない。お兄ちゃんならポケモン研究の過程でそこんトコも知ってると思うんだけど……。
お腹が空いてたことを思い出して、無意識に「じゅるり」とか効果音が漏れてしまう。上を見ると同じきのみが大量に実っている木があった。こっから落ちて来たみたい。

…、これはナゲキにとっておこう。傷ついてた訳だし、回復に役立つかも知れない。キズぐすりの節約にもなるし。握りしめる。
「それにしても……ナゲキはどこまで逃げちゃったのかな? まさか他の野生ポケモンとかに襲われたりしてないよね? 心配だなぁ………」

研究所で追いかけっこをした、今朝の出来事を思い出す。理由は知らないけれど、ナゲキは私に…じゃなくて、人間にあまり良い感情は持っていない。だから逃げてと言った時、私のところに逃げては来なかったんじゃないかとも思う。
………もしこのまま、ナゲキが帰ってこなかったら………。

「……ううん。そんなことない。私とナゲキはきっと仲良くなれるはずだよ。だから私も…早くナゲキに歩み寄らなくちゃ、」
「ミルルル〜〜〜!!」
クルミルがいきなり大声で鳴いた。体を上に向けている。ハッとして同じ方向を見ると………嘘!? さっきの鳥ポケモン達!?

クルミルを抱きしめて再び走る。何だか鳴き声がけたたましくて、ギラギラと目が光っていたから。よく分からないけど、あの野生の鳥さん達は怒ってる!
「ボーー! ボーー! ボーーーー!」
「ハトーーボーーーボーーーー!!」
私の肩とか背中とかに追っ手がぶつかってきた。思わず防御の為に頭を伏せて、そのまま走り続ける。前を見る余裕もない。「な、何で!? 何で私を狙うの〜〜〜!?」とか叫んでもお構いなし。痛い! 痛いってば! チクチクする〜〜!!

「ミルプシューーー!」
クルミルが突然糸を吹いた。放たれた攻撃はクルミルを抱きしめていた私の首をかすめて真後ろに飛んでいく。頭の上で何かが悲鳴を上げて、直後に地面に落ちる音。
「そ、狙撃手さんなんだね。クルミル」
「プシューーーーー!」
果敢な芋虫さんは私の腕を抜けて肩に乗り、何度も糸を発射した。私は急いで走っていて後ろを見る暇も無かったけど、それは百発百中で追跡者を束縛して次々と撃墜しているみたいだった。これなら逃げ切れるかも知れない!

「ホイホイホイ〜〜〜〜〜〜!!」
………………え? 何ですかこの声?

伏せた顔を上げる。目の前に木が「あでえっ!」ぶつかりました。道を走ってるんじゃないってことを忘れてました。幹にしがみつくようなポーズで固まってしまいます。体の前をまた打ちつけちゃったけど、今度もクルミルは背中に移動しててセーフ。

「あぁ……なんか頭の中でピコンピコンって音が聞こえるよぉ」
木の皮から顔面をひっぺがす。やばい………私、鼻血が出たみたいです…。

「ホイホイィイ〜〜〜〜〜」
「ホイイィ〜〜〜〜!」
「はっ!?」
突然、私の両脇をかすめるように何かが通り過ぎた。自動車みたいな猛スピードで。抱きついてた木から離れて背後を振り返ると……目に入ったのは、クルミルに撃ち落としきれなかった鳥ポケモン達が私の衝突をチャンスと見たのか地面に降り立とうとしてる所と、そこに突っ込む二つの、丸い影だった。

「ホイ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜………………ガッ!!」
丸い何かは着地寸前の鳥さん一匹をはね飛ばし、その後ろの同類にもぶつかった。密集して降りようとしたのが仇になり、一撃で何匹もが蹴散らされる。そして新しい加害者はそれでも止まらず地面を走った後、いきなりその体を横向きにして、土埃を上げつつ停止した。

それはずいぶんと変わった姿をした、ポケモン(だよね?)だった。
タイヤにそっくりな、平たくて丸い……よく転がりそうな輪郭。その前と後ろからそれぞれ二本ずつ突き出た、角みたいな器官。他にも小さなトゲみたいなのが生えていた。
側面は中心に穴が開いていて、そこから黄色い目が覗いている。体色は青紫と黒。回転面には赤いドーナツみたいな模様が並んでいる、ちょっと不気味なカラーリング。

「ボーー! ボーーー……」
「ホイイィ……!」
そんな三番目のポケモンに出会い頭にぶつかられた鳥さん達は、起き上がるとすぐさま浮上しその場から逃げ出した。だけど全滅した訳じゃない。攻撃を免れたのも残っていて。空中からタイヤポケモンさん(仮)を睨んでる。
………でも、それだけじゃなかったみたい。

「フシフシフシフシフシフシフシフシフシフシフシフシ……」
「フシフシフシフシシ………!」
周囲の草むら…道なき道を進んでたから全部草むらみたいなものだけど、周りから更に鳴き声が聞こえてきた! 続いて土の上にぞろぞろとまだポケモン達が這いずり出てくるっ!

これが、クイネの森。飽和状態の生態系。
トレーナーになる前から、お使いとかでたびたび通ったことはあったけど、こんなにも多くのポケモン達が住んでいたなんて……!

四番目の乱入者を見る。うっ、こ、これは……。
ひし形にも見える、固そうな赤い体。頭部とお尻の位置に、タイヤさんと同じ形の角。
体の下にはクルミルと同じくいくつもの脚が見えて……明かな虫ポケモンだった。
でもこっちは芋虫さんと言うより、その………ムカデ、みたいな…………。

「あう、あ」
ポケモンは好きだけど、この見た目は背筋を悪い意味で震わせる輪郭……! しかもそれが何匹も! 足元や向こう側の茂みから出て来て………この場を360度方向から取り囲んでるっ!?

「ボー! ボボーー! ハトーボーー!」
「ホイイイ〜……ッ!」
「フシフシフシフシ!」
ぞろぞろと辺りを覆いつくしていくムカデさん。エンジンをふかしているみたいに震えながら留まっているタイヤさん。そして最初よりも随分と数を減らしながら、未だ宙にて好戦的に虫達を睨む……鳥さん達。

数秒の間だけ、ピリピリと張り詰めた空気が流れて―――。
全員が動き出した。
全員が戦いを始めた。
クルミルを背中にへばりつかせた、私を除いて。

「フシシシシデイーーーッ!」
「ボオォオオーーー!!」
「ホイイイィイ〜〜〜〜〜〜!! ガッ! ガッ! ガッ!!」
徒等を組んで地面を埋め尽くしたムカデさんが、比較的地面に近い空中に居た鳥さんの数匹に飛びかかる。何匹もしがみつくから羽ばたき飛ぶこともできずに落ちて……土の上ですごい泥仕合みたいなありさまになっていた。さらにそこへタイヤさんが容赦なく突っ込み、虫達もろとも敵をはねる。
ふっ飛んで木にぶつかるとりポケモンさん。ぽろぽろと涙をこぼして飛び去っていっちゃった……。と思うそばから、ニ羽目、三羽目とどんどん、次なる標的が地上部隊に抱きつかれて落ちていく。
……私は唾が喉を通過するのを感じた。ここはもう戦場だ。このままだと私も巻き添えを受ける………でも大きく体を動かしたらそれだけでムカデの大群に睨まれて襲われそうな気がして、おまけに無数の足と触角が蠢く光景が怖すぎて、微動だにできない。

「ボボボボボボーーーーーーー!」
「ひゃあっ!」
まだ攻撃を受けていない空中の鳥達が、一斉に翼を地面に向けて羽ばたかせた。その瞬間、暴力みたいな強風が巻き起こる。吹き飛ぶ虫達。無力な人間の私はせいぜいスカートの前と髪飾りを手で抑えることしか出来なかった。クルミルも必死で背にしがみついている。

だけど同時に、風が当たった範囲のムカデポケモンが飛ばされて道が出来たのが見えた。……今なら脱出できる!
諸々の戦う生き物らに背を向けて、私は一気に地を駆け抜けた。
けたたましい鳴き声が、はるか後ろに消えていく。ふと思い出して、服の袖で鼻血を拭った。もう土で完全に汚れきっちゃったし、はしたないとは言えないと思う。

しばらく走り続けて立ち止まり、振り返る――もう虫さんや鳥さんは居なかった。
「クルミル、大丈夫? ケガとか無い?」
「クルルルッ」
クルミルが背中に居るのを確認して、ほっと一息をつく。

「!?」
バチバチ、と空気を切り裂く音。……まだまだ解放はされないみたいですね。
周りを見渡す。この森は暗くて深い。木々の向こう側、その奥を見ようとしても、暗闇が広がるだけ。
でも今度は違った。あれは、光……? 違う、稲妻? 電気の流れ?

「ゲキイィイッ!」
聞き覚えのある鳴き声! 同時に光が走った闇の向こうから、何かにはじかれるようにポケモンが飛んできて私の前に落ちた。それは――、

「ナゲキ!」
「ギ、キイィ…」
合流できて良かった。でも今の状況はそれを喜ばせてはくれなそうだ。
ナゲキは私の方を向かない。地面にぶつかった自分の顔を柔道着の袖で拭って、森の奥を見据える。

最初に、青い目が見えた。次にはじける電気の線と共に、足や丸い胴体が現れる。勿論、って言うか何て言うか……その数は一匹だけじゃない。新しい虫ポケモンの大群!

「も、もうやだぁ……」
「ミルル……」
「ゲキ……」
黄色のふさふさしてそうな体毛。6つの脚。今度は蜘蛛みたいだ。それもアリアドスとかとはまた違う、おっかない電気をまとっている。……でもあのお目々はちょっとつぶらで可愛いかも。

「バチュルルルル!」
「バチュルルルルルル!!」
蜘蛛さん達は一斉にナゲキに攻撃をかけた。口から電気のボールを発射して、それが雨みたいに降り注ぐ! ナゲキは攻撃を受けて目つきを鋭くし、反撃に跳躍した。目の前でまたもバトルが展開。

「ナ、ナゲキ! こんな沢山のポケモン相手に戦っていたの!? いくら何でも無茶だよ! お願い戻ってきて!」
「ゲキーーーーーーーー!!」
ああん、やっぱり言うこと聞いてくれないよぉ! 戦ってばかりでこっち向いてもくれない〜!
どうしよう。ムカデチームvs鳥チームとは訳が違う。これは1対無数の集中攻撃だ。ケンホロウ戦で体力が削れてるナゲキが不利なのは明らか。またもや絶望的な戦い。
………それでもこの柔道ポケモンは、逃げたりはしないんだろう。
柔道は自ら攻め込むんじゃなくて、襲って来た相手の攻撃を受け流す格闘技のはずなんだけど、ナゲキは自分に敵対する存在を許さない。どんなに追い詰められた状況だろうと全て倒してやるっていう、そういう覚悟を決めている。まだ出会ってから1日も経っていないけれど、何となく私のパートナーはそんなポケモンなんじゃないかって思う。
そして今は、それが災いしている時。ならトレーナーの私が何とかしなくちゃ……!

「ごめんナゲキ、戻って!」
どれほどナゲキがダメージを受けてるのかは想像もつかない。ましてや不利な状況だ。いくらポケモンバトルでも1対無数なんて度が過ぎている。そう思って、モンスターボールに戻そうと、リュックのベルトに手をかけた。と、……あれ!? ボールが無い! どうして!?
「――あっちゃあ………」
そうだ。ケンホロウ戦の時に鳥さんにはじき飛ばされたんだっけ。拾うの忘れてた……。ああもう、私のばかぁ〜!

そ、そうだ、いいこと思いついた! とっさにリュックを下ろし、中を探る。キズぐすり、これは後だ。お財布。これも今は必要なし。歯ブラシ。これ違う。櫛。これじゃない。整髪料。どけ。メリケンサック。これはまた今度解説。
あった! ポケモン捕獲用の空のモンスターボール!
これを新しく投げて、ナゲキをゲットする!
「いっけえぇ〜〜モンスターボーーールっ!!」

人とポケモンを結ぶ球体は、一直線に柔道ポケモンの背中めがけて投擲される。そして……。
ナゲキの体にぶつかって、何も起こらず、ぽとりと落ちた。
「え……な、なん――」
「…………………ゲキイィ?」
「あ、いやその、ナゲキ……違うの! 睨まないで! 私は攻撃した訳じゃ、」
「ナゲーーーーイッ!」
「あ痛〜〜〜〜っ!!」
ナゲキにボールを投げつけられた! 顔面ヒット! バランス崩してまた尻餅っ!!
「ぐあぁ……また鼻血が…もうスカートも完全に土気色にぃ………」
柔道ポケモンは倒れた私を一瞥して、戦闘に戻った。電気蜘蛛集団に組みかかり、全力でどんどん投げ飛ばしていく。

いや、ちょっと待って。……どうしてモンスターボールが反応しないの!?
これじゃナゲキを止められない!

「ど、どうしよう――どうしよう」
次は何が出来る? 何をすればいい!? 戦いを止める手段はもう無さそうだ。それならもう仕方ない。ナゲキが蜘蛛達を倒せるようにお祈りでもするしか無い? ううん、トレーナーならもっと力添えが出来るはずだ……!

「ヂュルルルビーーー!」
敵の軍団がまたも一斉攻撃に攻撃してきた。今度は不思議な色合いのビームを口から出している! 赤と青の、まるで信号みたいに明滅する光線!
それらがまたもやナゲキに全部ぶち当たる。
「ゲ…………………キ」
「待っててナゲキ、キズぐすりを……!」
モンスターボールが使えない以上、せめて体力を回復させるしかない。でも再びリュックを開こうとした所で、気付いた。
ずっと手のひらに握りしめていた、きのみ。
「……………」
ナゲキを見る。
もう私のパートナーは傷だらけだった。柔道着も破れ、ほつれている。膝に両手をつけてかがみこむその体はいかにも辛そうで……汗が滴り震えていた。
果たしてあんな怪我を、キズぐすりで完全に癒やし切ることはできるのか? ここまで相手が多かったら、ちょっとの回復じゃあ意味が無い。いわゆる、『オニスズメの涙』。『焼けイシツブテに水』。
もしかしたら、このきのみなら。

「ナゲキ! 受け取って!」
「ゲキィ!!」
再び憤怒の顔で振り返られました。警戒されてます。
「だ……大丈夫だから! 今度はおやつだよ。……それっ!」
名前の知らないきのみを、投げる。
ナゲキは………キャッチしてくれた。何だか嫌そうな表情だったけれど。
そして、手のひらの上のきのみを訝しげに見つめ、片側をかじる。
どうなるんだろう。
私はちょっとドキドキしながら、それを見ていた。
すぐに効果は現れた。

「ナ………ゲーーーーキーーーーイーーーーーーーー!!」
格闘ポケモンはいきなり吠えた。同時に…体に刻まれたいくつもの傷が消えていく。よかった、回復できたみたいだ。
「きのみさん……ありがとう! ナゲキ、がんばって!」
ナゲキはきのみの残り半分を地面に捨てた。そして野生ポケモン達に向かっていく。逆転劇の始まりだ!

「ゲキイィイイイ!!」
「あ………え?」
ナゲキは腕を振り回しながら、電気蜘蛛達に突っ込んでいった。
だけど…あ、あれ? 様子がおかしい。
それまでと違い、ナゲキは何故か一一やみくもに拳を振るっている。
敵軍の真っ只中に全速力で突っ込みながら、攻撃の意志が感じられない。
まるで、暴走しているかのような。
「ナゲキ…どうしたの!? ねえナゲキっ!?」
何が起きているのか分からない! 私のパートナーは叫び続けながら森の中を滅茶苦茶に疾走している。……木にぶつかった。さっきの私みたいに鼻血を出して倒れた。そして起き上がり、再び走り出して一一木々の向こうに消えた。
私とナゲキは再び、離れてしまった。

「何で………どうして…………」
私があげたきのみのせい? たしかに体力が回復していたのに……。食べたポケモンの体力を癒やして、引き換えに暴走させてしまうきのみなんてあるの!?
「ミル……ッ」
クルミルが背中で震えている。ハッとしてナゲキの消えた森の奥から視線を逸らすと電気蜘蛛が目の前に「ひっ!」……あわてて飛び退いた。

「バチュルルルル!」
「バチュバチュバチュ!」
「ババババババ!」
虫ポケモン達がいつの間にか周りを取り囲んでいた。これもさっきと同じ光景。ただ違うのは、囲まれているのはこの私だということ。
「あの…蜘蛛さんがた? もしかしてまさかと思うんだけど――私に遅いかかったり電気のボールをぶつけたりなんか、しないよね……ねぇ!?」
「バチュルルルル………!」
「や、やだ――!」
後ずさる。背中が木にぶつかって…脚の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。
野生ポケモンの群れはじりじりと、警戒心と敵意に満ちた目で私に近づいてくる。つぶらな青い瞳と黄色い毛が視界を埋め尽くしてくるみたいで、ぞっとした。
「た、すけて…ナゲキ………お兄ちゃん!」
叫んだ。でも助けなんて来ない。
どこかから足音が近づいてる気がする。だけどその音が本当だとしても、足音の主はこの子達が私を攻撃する前に間に合うことはないだろうと、何故だか理解できた。

「私、このまま、電気の蜘蛛達に……ビリビリのズタボロにされ、ちゃうの…………?」
嫌だ。ポケモンは大好きだけど、だからこそ、そんなのは嫌! でもどうすることも出来ない。狙撃手クルミルも撃退はできないだろう。鳥さん達より数が多すぎる。
急に頭の中が白くなってきた。ああそういえば、昔お兄ちゃん言ってたっけ。トレーナーの中にはバトルに負けると、目の前が真っ暗になるほどショックを受ける人も居るって………今の私もそんな状態なのかな。このまま意識を失って目覚めたら、家のベッドの上に居るのかな――元に戻ったナゲキがそばに居て――。

「う――う」
本当に私は、気絶しそうになっているんだと、思う…………どんどん頭が冷たく、なってって、からだ、うごか、ない。何だかとっても幻想で、どうしようもなく絶望系―――蜘蛛が電気をチャージし始めてる。
こわい…こわい、嫌!
「バチャチャーー!」
「嫌あぁああぁああーーーーー!!」
怖さと緊張が限界に達した。私は目をぎゅっと閉じ、両手を突き出す。
一瞬だけ、頭が真っ白になった気がした。


◆◆◆



アキラは森の中を駆けていた。
草をかき分けた跡と、柔らかな土の上に残るエリの足跡をたどって。
「ハトーボーどもはフシデとホイーガらに食い止められたみたいだが……野生ポケモンなんざいくらでも居る。早くエリに――っ!?」
ふいに彼の体がビクりと停止する。いつ敵に襲われてもいいように出しっぱなしで傍らに走らせていたポカブとミジュマルも、同様の反応をした。
「な、何だ今の音は!」
森の奥をアキラは見据える。いま、どこかで爆発のような音がしたのだ。
音の前に、かすかに妹の悲鳴も聞こえたような……。

「くっ………、エリぃ…っ!!」



◆◆◆



「う―――」
「ミ、ミルル…」
私は震えていた。目蓋を閉じたまま。
野生の蜘蛛ポケモン達に襲われたからというのもあったけれど、目をつぶった瞬間に恐ろしい……何かが爆発するようなすごい音が聞こえたから。
一体なんだろう。また怖いポケモンが現れたのか…。恐る恐る目を開くまで、ちょっとだけ時間がかかった。動かずにモタモタしてたら虫さんに攻撃されるのに――。

「え…………えぇっ!?」
けれど、目を開けた瞬間、今度は眼球が飛び出してしまうぐらい、刮目してしまった。今度は無意識に前に突き出していた両手からも力が抜け、だらりと下がる。

私の前方、数メートルくらいの幅を開けて立っている木。他の木と同じく空を覆うような枝葉を広げている大木。
その太い幹のど真ん中に、何故か風穴が開いていた。
こげ茶色の樹皮が丸く抉られ、乳白色の中身がぽっかり、くっきりと覗けて……向こう側が見えている。貫通している!

「な、何!? 何が起きたの!?」
驚いて立ち上がれども、誰も答えてはくれない。
私を取り囲んでいたはずの電気蜘蛛たちは、地面にひっくり返ったり、遠くに後ずさりしていて、どうしてか分からないけれど一一私の方を見て震えている。

その時、穴の開いた木がきしみ、傾き始めた。巨大な穴でもろくなったからそれは当然の反応。そして大木は……えっ? 私の方に倒れてくるっ!? 再び体が驚きで動かな………、
「ミジュマル、『みずでっぽう』だ!」

いきなり真横から大量の水が押し寄せてきて、木にぶち当たった。軌道が変わり、大樹は私の隣に倒れる。……ものすごい地響き!
「ポカブ、『ひのこ』!」
「ブイィー!」
「バチュチュッ!?」
続けて空気を舞い出す火の粒。電気蜘蛛達はパニックになり散り散りに逃げ出す。そしてポカンと固まる私を遮るように、三つの影が駆け込んでくる。

「お兄ちゃん!」
「やれやれだ。一人でつっ走るんじゃねえ」
ポケモン研究員のアキラが、ニ匹のパートナーに指示を飛ばす。ポカブは野生ポケモンに火を飛ばして撃退。ミジュマルは両手を広げて私の周りに目をくばりつつ、放水を行ってガードをする。
虫達は悲鳴みたいに金切り声を上げながら逃げていった。
静かになる森。
……頭の中には、爆発音の反響が未だに響いていたけれど。
お兄ちゃんはニ匹のポケモンを両手に握ったボールに戻して、私に向き直る。

「おい、怪我はないか?」
「あっ、そうだ、大丈夫クルミル?」
「クルルッ」
裁縫ポケモンは怖さのあまりに地面にひっくり返っていたけれど、呼びかけに頭を向けて元気に鳴く。良かった。
「お兄ちゃん、怪我は無いみたいだよ」
「いや、そうじゃなくてだな……」
「ハッ、そうだ! ナゲキ!」
ようやく混乱から立ち直ってきて、パートナーの姿を求める。……見当たらない! えと、んと、確かあそこら辺に!

「ナゲキ〜〜!!」
「だからつっ走るなよ、おいこら! 怪我はねえのかって……!」
兄の怒号が背中に響いたけれど聞いちゃいられない。あああ、地面はそこら中蜘蛛さんの足跡で滅茶苦茶だ。どこに居るのっ!? ……居た!
ナゲキは――地面にうつ伏せに倒れていた。周りの木々が凹んだり折れたりしている。体をあちこちにぶつけながら走ったんだ。

「……………ゲキ」
仰向けにして抱え上げると、弱々しい声が聞こえた。キズぐすりを取り出して吹き付ける。
「一個じゃ足りないかな? すぐにもう一個を、」
「……こいつは何だ?」
お兄ちゃんが後ろに立って、こちらを呆れた表情で見ていた。片手に何か持っている。半分食べられた……。
「それ、きのみだよ。私が拾ったの……蜘蛛さんに傷つけられてたナゲキに使ったの」
「だろうな。その蜘蛛さん……くっつきポケモンのバチュルには『きんちょうかん』って『とくせい』があってな」
「?……??」
「バチュルのとくせいの一つ『きんちょうかん』は、戦闘中にポケモンに持たせたきのみを食わせぬように封じる特殊能力だ。きのみを食わせるにはトレーナーが使うしかない。俺はそれを知っているから、お前がきのみをナゲキに使ったこと位は分かるさ」
「………相変わらずイジワルだね」
私の兄はいつも回りくどい。何が言いたいのか、いつももったいぶる。

「このきのみは、『ウイのみ』という。ポケモンの体力を回復できるが……味は渋い。故にその味が苦手なポケモンを『こんらん』させるのさ」
「じゃあナゲキは、そのウイのみが嫌いで……」
「嫌いな『せいかく』だったようだな」と、お兄ちゃんはウイのみを放り投げながら言った。「ポケモンにはそれぞれ、『せいかく』『とくせい』ってもんがあるのさ。バトルではそいつが勝敗を分けることがあるし――『ひんし』寸前の状態を招くこともある」
「…………う」
ナゲキを抱いたまま、その場に崩れ落ちる。

「また私は、失敗しちゃったんだね……。ナゲキは私を信じて、きのみを食べてくれたのに……!」
「お前のせいじゃねえさ。無知が祟っただけだ。……こんらん状態は戦闘が終われば回復する。見たところ『ひんし』は免れたようだし、キズぐすりを使っておけば問題はないだろ」
「………………………、うん……」
兄のフォローで、落ち込んだ心が少し軽くなる。…そうだ、トレーナーの私が情けないことしてちゃ、ポケモンに申し訳がたたない。
いい加減、ポケモンバトルのたびに落ち込むみたいな、弱虫なことはやめなきゃ。
手をぐっと握り、頭の中で強く、思う。
弱いままで終わりたくなんかない。
ポケモントレーナーとして以前に、人間として。
なんにも成し遂げられない弱い私を、ナゲキは望まないだろうから。
私に追いついて、背中をヨチヨチよじ登ってくるクルミルの感触を感じながら、私は閉じた唇の奥で歯を食いしばり、拳を握る。

「……全く、調子狂うぜ。俺は辞めさせたいってのに、そんなツラされちゃな…」
「え? お兄ちゃん、何か言った?」ボソボソとした声でよく聞こえなかったけれど。
「な、何でもねえよ。おら、とっととナゲキを治癒させてやれってんだ」
何故か私から視線を外してそう吐き捨てるお兄ちゃん。たしかさっきもこんな反応を………そうだ、私の旅に付いてきて何か企んでるんじゃないかって疑った時だ。
アキラは、何を考えているんだろう。
私の旅に同行したのは私のことが心配だから、で説明できるけど――私の側に付きながら何を考えているのかまでは、全然分からなかった。

まさか私にポケモントレーナーを辞めさせようって考えでも無いだろうし……。

……まあいいや。
お兄ちゃんが私に何か嫌〜なことをしようとしているんだとしても、私は妹として、兄ごときに好きにされるつもりは無い。これが私の旅である以上、保護者は私の護衛って身分なだけで、決して私を思い通りに出来る立場なんかじゃないんだから。

要するに―――私は考えるのを辞めたってことだけど。

底意地の悪いお兄ちゃんの脳なんて、私に見抜ける訳が無いんですからね。
自分の手持ちポケモンにすら言うことを聞いて貰えない駄目トレーナーが、何で人間の心の中の思いを酌み取れるって言うのでしょうか。

私は首を左右に振る。……ちょっと目の前のお兄ちゃんに対する考察に時間をかけ過ぎたね。今解決すべき問題を抱えてるのは人間じゃなくてポケモンだ。私のパートナーである、大切なポケモンの安否だ。
リュックをあさり、パパから貰った回復アイテム『キズぐすり』を取り出す。それをナゲキに吹き付けて、野生ポケモンになぶられた痛みを解消「ホロォオオオォオオォオオ!!」しようと、した、んだけど。

「――え………ッ! う、嘘でしょおっ!?」
「チッ………!」
ナゲキを癒やそうとした瞬間………野生のケンホロウが、飛び出してきた。嘘でしょっ!? ここまで私を追いかけて来るなんて!

「行けっ! ポカブ! ミジュマル!」
私の体は恐怖に固まっていた。その代わりと言わんばかりに、兄が再びベルトのモンスターボールを掴み投げる。直後に破裂音と鳴き声。

「ボッカポカブーー!」
「ジュマジュマッ!」
……何であと一匹――ごめん名前が思い出せない、私ってほんとバカ――が居ないんだろう。訊こうと思ったけれど、物凄く強いポケモン出現の前にシリアステイストな顔面を浮き立たせる兄貴様に声を出すことは出来なかった。

「『ひのこ』! 『みずでっぽう』!」
もはや兄は名前も呼ばずにポケモンへ指示を出す。けれどポケモン達は忠実に従う。ご主人様がポケモンのわざについて研究している人だからかな。

そして、ニ匹のポケモンは人間に従って攻撃した。火と水のニ方向のアタック。…それでもケンホロウは止まらない。

と――いきなり強敵の姿がかき消えて見えなくなった。え……何が起きたの!? そう思った瞬間、ミジュマルが見えない何かに突き飛ばされて、そこに消えた強敵が姿を現す。
「『でんこうせっか』か……ポカブ!」
ミジュマルは震えながら立ち上がろうとして倒れ、ぐったりした。残りの一匹にお兄ちゃんは指示を飛ばす。でもケンホロウも本気だ。どうして私を狙っているのかは知らないけど、邪魔者を容赦なく叩き伏せるだけの物凄い希薄を、私はこのポケモンから感じる…!
「え……何これ!? 何をする気!?」
「やばい……!」
そんなケンホロウの様子が突然変化した。お兄ちゃんの顔がサッとこわばる。
大型とりポケモンの全身が、光に包まれた。何か恐ろしい力が体内に溜め込まれているかのように。
「『ニトロチャージ』!」
トレーナーの指示により炎をまとったポカブがその体に突撃したけれど、全く無問題とばかりにケンホロウは揺るがない。そして……

「ケェエェェエエエエエェエエエエェェェエエンホロォオオオォオオォオオ!!」
光輝く相手は翼を広げ、一直線に地面スレスレを飛びながら…ポカブの排除と私達との距離詰めを、一気に行った。かわいそうな豚さんは一瞬点になって上空に吹っ飛び、土の上にぼたりと落ちる。

「あ………う」
「エリっ!!」
私の目の前に、追跡者。
ケンホロウは雄叫びを上げながら、両足を土埃が上がるくらい激しく地面に打ちつけている。

「畜生っ、『ゴッドバード』でポカブを倒して、獲物まで逃げられないようにするとは…」
倒れたパートナーを見ながらも、お兄ちゃんはニ匹をボールに戻さない。もうそんな余裕すら無いから。妹の私が野生ポケモンに詰め寄られているから。
あまりの怖さと威圧感に、私は目の前の相手から視線を逸らし、お兄ちゃんに助けを求めるしかない。ケンホロウはお兄ちゃんは眼中に無いみたいだった。
「お………お兄ちゃん、どうしよう! どうしようッ!?」
「…ケンホロウ殿は戦闘モードみてえだな。つまり今はバトル中な訳だ。お前が今すぐキズぐすりでナゲキを癒やしても、次の瞬間ケンホロウのターンになる。奴は全力でひこうタイプのわざを繰り出してくるぜ」
「嫌だよそんなのっ!! キズぐすり一個の回復力でも、ナゲキを元気いっぱいに出来るか分からないんだよっ!? 回復量が攻撃力を上回ったらどうするのっ!?」

私は馬鹿だけど、ナゲキより目の前のケンホロウの方が強いってことだけは分かる……だからこそ、最初出会った時はナゲキに逃げるように指示したんだ。
今のこの状況は完全にマズい。ナゲキは傷だらけだ。もう自力で逃げられない。かと言って、今すぐに私が全力でダッシュしたところで、この大型とりポケモンの目の届かない場所まで逃げられるのか。
つまり、『すばやさ』が足りないということ。
すばやさが足りなければ、野生ポケモンとの戦闘からは逃げられない。

「なら、方法は一つしか無い」
大股で近付いてくる強敵さんをバックに、お兄ちゃんは体ごとこちらを向いて言う。眉間に皺を寄せた、何かを我慢するような表情で。

「エリ。早く背中に引っ付いているクルミルを差し出せ。ケンホロウに」
「………っ? え?」
言葉の意味が分からない。無意識に首が傾く。
「な、何でいきなり、クルミルの話になるのさ」
「まだ気付かないのか。……これだからお前は馬鹿なんだ。いやそんなことはどうでもいい」ビシ、と真剣な顔付きでクルミルを指指すアキラ。
「そのクルミルは、ケンホロウの昼メシなんだよ」
「――――」
「だからケンホロウもハトーボーも、お前を追いかけて来たんだ。お前にしがみつくクルミルを食べる為にな」
「そんな……そんな……!」
「フシデとホイーガとバチュルはテリトリーの侵入者を迎撃しただけのようだが、まあそれはどうでもいい。そのクルミルを捧げてやれば、ケンホロウは落ち着くかも知れねえ」
「そんな事出来る訳ないじゃない! どうしてか弱いポケモンを犠牲にして私達が助からなきゃいけないんだよっ!!」
私は肩口まで登ってきたクルミルをつかみ取り、両腕をもって胸の前できつく抱きしめ身をかがめた。どんなトレーナーが道中で出会ったポケモンの命を野生ポケモンに与えるものか。でも私なんかよりはるかにポケモンを知っている白衣の人は、冷たい目つきを向けるだけ。
「何故そう思う。…もう一度言うが、だからお前は馬鹿なんだよ。馬鹿ってのはな、多くの人間が知っていることを知らず、多くの人間がやってることをやらない奴を指す言葉なんだぜ」
「ぐっ………!」
「はっきり言う。お前のクルミルを庇うその態度はエゴだ。だがケンホロウにはケンホロウの事情があるんだぜ。何故ならあいつは、お前がクルミルの姿を目に映す前から、クルミルを追っていたからだ」
お兄ちゃんが核心を突く一言を告げる。

そうだ………今アキラが親指で指差している先のポケモンは、自分のお腹を満たす為に必死でクルミルを狙っていたんだ。
でもそれを、この私が邪魔したんだ。
このさいほうポケモンを携えて、訳も分からず森を駆けた。ケンホロウより小さな中型のとりポケモン達も、私じゃなく芋虫さんしか眼中に無かったんだ。

私はどうすればいいんだろう。
クルミルを渡す? ……嫌だ。それはしたくない。でもそれが正しいの? 私は野生ポケモンさんのお昼ご飯を奪った悪い人で、今この瞬間、償いをしなきゃいけないの?

さいほうポケモンを見下ろす。葉っぱにくるまれた芋虫さんは、ぶるぶる震えながら私を見ていた。ケンホロウがお腹をすかせて困ってる捕食者なら、クルミルは食べられそうで困ってる被食者。
どちらの望み通りにしても、片方のポケモンが……駄目だ、選べないよ!

クルミルをきつく抱きしめて、その場にしゃがみこんでしまった。体全体で庇うようにする。いつも何にも出来ない私の、それが答え。
お兄ちゃんが何か怒鳴ってる。ケンホロウが大きく嘶いて足踏みする。小さな虫と同じように、もう私は震えることしか出来なくて―――

そして森がざわめいた。

「!? 何っ…?」
びっくりして辺りを見回す。その場の全員がそうした。そして見回さなきゃよかったとばかりに体をこわばらせた。
「またかよっ……」
「ホロウゥ…!」

「バチュチュチュチュ!」
あの電気ほとばしる蜘蛛ポケモンの群れがそこに居た!
「倒しきれていなかったのか…逃げた奴が仲間を呼んだのか……!」
焦りに顔を歪めるお兄ちゃん。私は何にも考えられない。頭が混乱して、だけどそれ故に体が固まる。
つまり、どうしていいか分からないということ。

ナゲキがボロボロで、お兄ちゃんのポケモンもギタギタで、しかも逃げられない。最悪だ…!
周りを取り囲んだ虫達は、一斉に金切り声をあげて一一口から光る糸を吐き出した。
「「バチュバチュバチュチューーーーー!」」
「ぐっ…!」
もう一度、目をつぶる。
また頭の中が、何もなくなっていくような気分がした。
だけど今度は、それが続くことは無かった。

「ホ―――ホロロオォオォォウッ!!」
「え…?」
……立ちふさがっていた大きな鳥さんの、悲鳴が聞こえたから。
目を開けて、見やる。

ケンホロウの全身に、光る糸が絡みついていた。

「ケーーーーンッ!」
「「チュルチュルヂューーー!!」」
「エリ、離れろ!」
お兄ちゃんが何か言ったけど、ポケモン達の雄叫びと…何が起きてるのか分からなくて、聞こえない「きゃっ!」直後に腕を引っ張られて、立っていた場所から無理やり離された。
私の身体が、ケンホロウと蜘蛛さん達の間から少しずれる。
すると邪魔者が無くなったとばかりに、大量の蜘蛛達が走り出す。一匹の鳥めがけて。

「ね、ねぇお兄ちゃん、虫さん達どうしたの!?」
「何でもねえことだ……ケンホロウがクルミルにしようとしていたことを、バチュルどもはやるだけさ」

電気蜘蛛さんはバチュルって言うんだ…。なんてことを、目の前で起きてるすごい戦いを前に、ぼんやり考えるしかない。

ううん、これは戦いじゃない。ケンホロウは電気の糸に絡みつかれて地面に倒れ、バチュル達に一斉に攻撃を受けている。噛まれて何か吸われてたり、連続で斬られたり切り裂かれたり、もう傷だらけだ。
人間がポケモンとやるような対等なものじゃなくて、何と言うか、強い者がただ得をするような。

「デンチュルルルーーラ!」
「ひっ!?」
「親玉か…」
私達から遠く離れた草むらから、また別のポケモンが現れた。バチュルを大きく、力強くしたみたいなフォルム。
「でんきグモポケモンのデンチュラだ。バチュルの進化系さ」
お兄ちゃんがつぶやく中、大きな蜘蛛さん…デンチュラは、のそりのそりとケンホロウに歩み寄っていく。私達の存在には気付いているのか、それともどうでもいいのか。
多分、どうでもいいんだと思う。
お腹が――すいているんだろうから。

バチュル達は出迎えるように鳥さんの体から地面に降りた。ケンホロウは震えながらも、側まできたデンチュラを睨み上げる。
「ホロゥ…ッ!」
「デンチュルルルーウ!」
親蜘蛛の口から、子分よりも濃厚で束になった光る糸が射出し、獲物を覆う。けれどバチュルと違い、糸は切らなかった。デンチュラは糸でケンホロウと繋がったまま、ゆっくり後退していく。

「バチュル含めて、あれだけのエレキネットを喰らったらもう終わりだろう。素早さを限界まで下げられて…逃げられない」
ポケモン研究員さんが述べるそばを、小さな稲妻放つ虫の群れが通り過ぎ、木々の間に消えて見えなくなった。……戦利品ごと。
「ホロローウ………ホロロロロローーウ……………」
引きずられながら叫んだ鳥さんの嘶きが、何だか悲しそうに響いていた。



◇◆◇



「クイネの森は、生態系の飽和故にポケモン同士の争いが絶えない」
キズぐすりでナゲキを癒やしていると、お兄ちゃんがぽつりと漏らした。
「それだけ野生の環境が充実してるってことなんだが…そのお陰で同族ポケモン同士には強い結束が生まれたのさ。他のフィールドじゃ見られないほどにな」
「他の場所じゃ、あんな風に襲われたりはしないの? 百足さんとかタイヤ虫さんとか、私色々大変だったんだけど…」
「そういう訳じゃねえがな。オニドリルとかデルビルとか、集団で敵を襲うポケモンは多い。ただお前の場合は、走ってくる人間に驚いて防衛本能を見せただけだろう」
「防衛本能?」
「お前の言う百足とタイヤ…まあフシデとホイーガだろう。フシデは狂暴な性格だし、ホイーガは襲われると即座に高速回転して走り回る」
アキラは私を見下ろして続けた。
「お前はポケモンを可愛いもんだとかカッコイい奴らだと思ってるのかも知れねえが………野生となれば人間に敵意を向けるのだって少なくはないってことなのさ」
「………………」
「人間は育てたり戦わせたりして、ポケモンと共存している。だが世の中にはポケモン同士の世界もある。そこでは日夜生存競争が繰り広げられ、喰うか喰われるかの命懸けの戦いが成されている」
ナゲキにキズぐすりを塗りつける手が止まる。
……私は物心ついた時から、ポケモン研究家のパパやその助手のお兄ちゃんを見てきた。ポケモンと仲良くして、人間はポケモンの為に、ポケモンは人間の為に役立ちたいと思うのが当たり前だと思っていた。

だから考えもしなかった。
ポケモンは元々、人間が居なくったって自然の中に生きていて、そんな野生のポケモンには……野生の生き方があるんだってことを。

「びっくりしたよ。まさかポケモンがポケモンを『食べる』なんて思いもしなかったし。私、パパやお兄ちゃんを見てきて…ポケモンは人間の為に居るんだって思い込んでいたのかも知れない」
思わずそう呟くと、お兄ちゃんは短く息をついて、私を見る目を細めた。
「………ガッカリしたか?」
「え?」
「ポケモンの世界が思ったものより荒々しくて失望したか? なら、旅を止めてもいいんだぜ?」
そう言って、薄く笑みを浮かべる。
……?
何だろう。お兄ちゃんがニヤニヤ笑いながら私を試すみたいな言葉をかけてくるのは珍しくないけど。
何だかこの表情、どことなくそれとは違うような……。
あれ? そう言えば私、この森に入った時あたりに、お兄ちゃんに何か訊きたいことがあったような…何か疑ってたような。
うーん、思い出せない。

「別にそんなことないよ」
考えた結果として、私は兄の質問にだけ答えることにした。
「野生ポケモンの世界は確かに……なんかショックだったけど、だからって私のポケモンに対する気持ちは変わらないよ」
「…」
「こんな所で―――この期に及んで旅を止める訳が無いじゃない。お兄ちゃんが心配しなくたって、私は旅を続けるよ」
だってそれが、この地方の通過儀礼なんだもん。
「…………………、そうか」
そこでアキラは何故か、どことなく残念そうな顔になった…気がする。どうして私の旅の付き添い人たるこの人が私にそんな顔をするのかは知らないけど。
やっぱ分かんないな、お兄ちゃんって。

「ゲキ……」
そうこうしてる内にナゲキが復活した。キズぐすりはすごい。ポケモンを速効で蘇らせてくれる。
「ナゲキ、ごめんね。ひとりで辛い思いさせちゃって。ホントは私がすぐにボールに戻してあげれば良かったのに」
軽く抱きしめる。ナゲキはむずがゆそうに手足を動かしたけど、疲れているのか激しめの抵抗はしてこなかった。
ともあれ……これでやっと、ボールの中で休ませてあげられる。抱いていたのを再び地面に下ろして………と、そこで思い出した。

「そうだ、お兄ちゃん」
「……何だ」
「ナゲキを見つけた時に私、ボールの中に戻さなきゃって思ったの。それでモンスターボールを投げたんだけど…」
「ナゲキのボールはお前が落としただろうが」
「うん。だからリュックにある空っぽのボールを投げたんだ。でもそのボール、ナゲキにぶつかっても何も起きなかったの。どうしてかな?」
「そりゃあ、ボールとポケモンの間に『契約』が果たされているからだ」
「けいやく?」
また何か、突然な言葉が出てきたね……。

「お前、サクラに会った時、あいつのペラップにボールを投げただろ。その時に奴が言った言葉、覚えてるか?」
「サクラさん…?」
初めて野生のポケモンを見つけたと思って、つい興奮してゲットしちゃおうとした時に、駆けつけてきた彼女。
確か……。
「そうそう、『人のものをとったら泥棒』って言ってた」
「そうだ。他人のポケモンを盗るのは当然犯罪だな。だからトレーナーはそういう輩は許さない。モンスターボールを投げて来たら弾いて相棒を守ってやる訳だ」
「うん。サクラさんもそうしたしね」
「だが今回みたいに、トレーナーがポケモンの傍に居られず、庇ってやれない場合もある。そういう時の為にトレーナーのポケモンには、野生ポケモンとは違う『見えないサイン』が付けられるのさ」
「それが、契約?」
「ああ。トレーナーがモンスターボールにより野生ポケモンを捕獲すると、捕まえたボールとポケモンは契約により結ばれる。自分の捕まったボール以外のボールではそのポケモンは捕獲できないという、まあコーティングみたいなもんだ」
つらつらと語る研究員。モンスターボールにはそんなシステムがあったんだ……前にもボールに関するレクチャーは聞いたけど、やっぱりコレ、ただの保育器じゃないんだなぁ。ナゲキにぶつけちゃったボールを拾い上げながら、私は思った。

「でもどうしよう……。ボールをもう一度取りにあの場所に行かなきゃいけないよね。そのボールでしかナゲキは収納できないんだし…」
「安心しろ。ボールは俺が拾ってある」
「おぉ、流石はお兄ちゃん!」
「自分の持ち物ぐらいしっかり管理しろよな」
兄が白衣のポケットから取り出したボールを受け取って、ようやくナゲキを戻してあげられた。リュックのベルトに装着する。
これからは絶対に落とさないようにしよう……盗まれたりしたら困るし、まして壊れたりなんかしたら、ナゲキを戻せるボールが無くなっちゃうもんね。

「さてと、早くこの森を脱出しないとね。でも、ここからどうやって出ればいいんだろう……」
逃げ回っているうちにすっかり慣れ親しんだ順路からは外れて、もうここが森のどこなのかも分からないんだけど…。
「お前は本当に不測の事態に備えねえ奴だな。俺にはこの森の地形や方角がバッチリ頭に入ってるよ」
「えっ?」すごっ。「 どうして?」
「俺は研究員だぜ? ポケモンの生態や生息状況、環境を調べる為にフィールドワークによく来るのさ」
すごいだろ見直したかみたいなドヤ顔が鼻につくけれど、お兄ちゃんはこういう所は侮れない。性格が悪くてもちゃんとやることはやっている。
むしろ小さい頃からポケモンと触れ合っているのに、いざトレーナーになったらこうして失敗ばかりな私の方が、兄よりずっと劣っているのかも知れない。

「……しかし前回の探索と比べると、また地形が様変わりしたな。居場所が分からなくなる程じゃあねえが…」
周囲を見渡して呟くアキラ。「そうなの?」と私も気になる。
「ああ。さっきは生態系の飽和による団結って言ったが、最近のこの森におけるポケモンの活性化は…それだけじゃ説明できないもんがあるかも知れねえ」
「何か違和感があるってこと?」
「確証はねえがな…」
お兄ちゃんは遠い目で森の一点を見た。私もつられて見たけれど、そこには何もない。森の景色が広がっているだけ。

「元々サバイバル意識の高かったこの森のポケモン達が、最近ますます気性を荒げている気がするんだよ」
「どうして?」
「知るか。個体数の減少とか環境の変動なら分かるんだが、目立った変化もねえし…俺には訳もなくポケモンが錯乱してるようにも思える」
「訳もなくって……」
何だか、不安になる。
私は専門家じゃないから何も分からない。私にとってクイネの森は、隣町に行く途中に通る鬱蒼としたフィールド以外の何物でも無かったし…こうして道を外れてさまよっても何か掴める訳でもない。
……まあ、強いて言うなら。
あの時、電気蜘蛛さん…バチュルの群れに追い詰められた時。何となく、正気じゃない目をしてたようにも、思ったけど。
でもやっぱり、それがお兄ちゃんの言う違和感かは分からない。さっき言ってたように単なる縄張り荒らしへの怒りかも知れないし。
お兄ちゃんも確証の無い臆測には付き合いたくないみたいで「ま、多分俺の気のせいだろうけどよ」と言って、私に振り向いた。

「ケンホロウは消え去った。ナゲキも無事回収。俺のポケモンは全滅だが…ネクシティに着きゃ何とかなるだろ」
「うん。だから後はさっさと森を出るだけだね」
「そうだ。……だけどな、エリ」
「へ?」
お兄ちゃんの顔が怪訝な形になる。首を傾げると、兄は私の足元を指差してきた。

「そいつをどうするか、決めてからだよな」
「あ……」

「クルルル…」
膝に擦り寄って来る、葉っぱをまとった小さな虫さん。
さいほうポケモン、クルミル。
思えばこの子が、今回のパニックの発端だった。
この子を狙ってケンホロウが現れ、私がそれをボッシュートして走り回ったばっかりに沢山のポケモンに襲われることになった。
……別にクルミルのせいとは言わないけど。

「どうするよ、そいつ。仲間にするか?」
「……うーん」
えっと、確か私がパパから貰ったモンスターボールは五つ…ううん、サクラさんに会った時にペラップに投げちゃったから四つ、か……。
「敵意はねえようだし、これなら戦わずして手持ちにも入れられそうだぜ?」
芋虫さんはきょとんとした風にこっちを見ていた。連れてって、とは言ってなさそう。どうするの、かな。
……この選択は、自分で決めなきゃいけないよね。

「ううん」
私は首を振った。
「やめとく。私はクルミルを守ったけど…それはクルミルが欲しかったからじゃないから」
ちょっと迷ったけど、この子は仲間にはしない。
このまま成り行きでゲットするのもアリかも知れない。でもパートナーはもうちょっと、こちらから歩み寄って関わった相手にしたい。
「ポケモンと仲良くなることと、ポケモンを旅の伴侶にすることは、ちょっぴり違うとも思うしね」
「…そうか。じゃあクルミルとはここでお別れだ。そこいらの草むらにでも逃がしとけ」
「うん」
植物にくるまれた小さな体を持ち上げる。そばにあった草むらまで運んで、下ろしてあげた。
「ミル…」
「ばいばい、クルミル」
虫さんは最初に戸惑い、次に気付いて…何度もこっちを振り返りながら、最後は植物の間に這っていって、いなくなった。

「うっし、じゃあとっとと行くか。まずは順路に戻るぜ」
「分かった。……」
先導者に付いていきながら、私も何度か草むらに振り返った。
もしかしたら、これが最後のお別れかも知れない。
ポケモンは人間の知らない所でも生きている。厳しい野生の世界の中で、食べたり食べられたりしながら。
あのクルミルも、ひょっとしたら私達が森を出た頃にでも、違うポケモンの生きる為の糧になっちゃうかも。
でもそれは……命の営みの一つなんだ。
野生を知らない人間としては、一応安全を祈るけれど。
がんばって、クルミル。そして野生のポケモン達。
私は自然の命の奪い合いには、もうちょっかいを出したりしないから。



◆◇◆



「見えてきたぜ、我らがお馴染み勝手知ったる隣街、ネクシティだ」
「そうだね」芝居がかったお兄ちゃんの喋りはどうでもいいけどね。
木々の群れが開けて、そこから覗く青い空。
高く伸びた自然物の次は、天まで届く人工物。
ミメシス地方一のビル群が連なる都市、ネクシティ。

「まずは道具買いからだが…お前、金は持ってるか? キズぐすりはあと三つしかねえだろ?」
「う、うん…」
旅立ちの時、私はお金は貰わなかった。買い物は私の自腹で済ませなきゃいけない。
「サクラさんに負けた時に半額払っちゃったから、ちょっと心許ない、かも……」
「俺は出さねえからな」
「うぅ…」
「……後は宿屋の予約だ。宿屋はポケモントレーナーなら無料で宿泊できるから問題はない。滞在は三日ぐらいかねぇ…」
「そんなに居なくてもいいんじゃない?」旅小説じゃないんだし。
「馬鹿。あの街にはポケモンジムもあるんだぞ。お前の今の実力じゃ三日は短いぐらいだ」
「んぐ」
「とりあえず予定はそんなとこだな。まぁ今日はそれだけやって…お前のポケモン鍛錬とジム挑戦は明日からだな」
「お兄ちゃん、もう一つ忘れてるよ。早く済ませなきゃいけない事が」
「……何だ?」
私はずっと兄に言いたかったことを口にする。

「お腹すいた」
「………」
「………(真摯)」
「あー分かった分かった! ショップで買い物したらメシにするさ。どっかにレストランがあるだろ」
「わーい」
こうして、諸々の問題を解決させて、私達は森を出る。
広がるのは人間の世界。つかの間の野生からの解放。
そして私はまた、人間を相手にポケモンを戦わせることになる。勝ったり負けたり楽しんだり、パートナーや自分の強さを知る為に。

……あ、そういえば。
「うっし、あれが出口のアーチだぜ。ったく、とんだ道草食っちまった。……おいエリ、何を突っ立ってんだ? 行くぞ」
「あ、うん!」
頭に浮かんだ疑問に首を振って走り出した。それはきっかけになったこの森を抜けるまで、心に張り付いて取れなかった。

何でバチュル達に襲われかけた時、あの樹は倒れたんだろう?



『生きることは食べること?』 終わり

to be continued


  [No.1058] 第四話:出会いは戦いの始まり? 投稿者:ライアーキャット   《URL》   投稿日:2012/10/24(Wed) 10:43:07   60clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

・第四話 出会いは戦いの始まり?


「こらあぁああ〜! 待ちなさいよこの犯罪者ぁあ〜!」
この世界には二種類の生物が、手を取り合って暮らしている。
一つは人間。もう一つはポケモン。
ポケモンとはポケットモンスター……謎の多い未知の生物だ。一口にポケモンと言っても、その種類は千差万別に存在している。
そして人間も、世の中には色々なタイプが生きているのだ。

「あたしの財布を返しなさいよ〜!!」



◆◇◆



新米トレーナー、エリ。
手持ちポケモン、ナゲキ。
……所持金、44円。
道具、キズぐすり13個。
「不吉っ!」
そして懐しょぼっ!
大都会の真ん中で歩行中、私は哀を叫ぶ。

「あ、ありのまま、起こった事を話すよ! 『フレンドリィショップから出てきたら金欠になっていた』!」
「金を全部キズぐすりに費やすからだろうが……ちったあ残しとけば良かったのによ」
前を歩いている異性がぼやく。私がどんな感情でいようとも、コノヒトはだるそうな態度を崩さない。
「で、でもキズぐすりが三つしか無かったから、回復アイテムは多い方がいいと思って……!」
「どうすんだ、エリ。お前の求める昼メシを食おうにも、それじゃ金払えねえだろうが」
「ぐっ……!」
私の名前を呼ぶ白衣姿の兄、アキラの言い分はどこまでも正論だった。だからこっちも口を噤むしかない。目先にしか考えが向かない妹として。

「……あの〜、お兄ちゃん」
「駄目だ」
「まだ何も言ってないよっ!?」
「お前の心なんざ隅々まで丸裸だよ。メシを奢れって言うんだろ? んなこたあ御免だね」
「どうして!?」私はお兄ちゃんにすがりつく。「お兄ちゃんは、私の旅の保護者って設定じゃない!」
「設定って…いやともかくなぁ」
アキラは頭を利き手で掻き回す。面倒くさいなと思った時のコヤツの構えだ。
「これはお前の旅なんだぜ? この地方、ミメシス地方の伝統である通過儀礼…ガキにポケモンを与え、地方を巡らせる儀式だ」
「ん……っ」
「本来ならお前は一人でここに来るはずなんだぞ? それをこの俺がわざわざ付いて来てやってんだ。そして俺はあくまで監視役…んな細かいことまで面倒見てやる気は無いね」
ペラペラとまくし立てる野郎。何だか知らないけど、お昼ご飯のことを考えずにお金ん使っちゃった私のドジを批判したくって仕方ないらしい。
ま……それがお兄ちゃんなんだけどね。
だから私は溜息する。次の言葉を吐きやすくする為に。

「………あのさ。そもそもその通過儀礼の旅を、妹が信用出来ないって理由で引き伸ばした人って、誰?」
「なに?」
「私は旅に出たかったのに、パパに無理言って出発の日にちを何年も遅らせたのは誰だー! アキラでしょーがー!」
「逆ギレだとっ!?」
驚愕する兄貴。でも私の言ってることは真実だ。保護者同伴の旅なんて本来なら過保護もいい所だけど、残念ながら私はそうされるだけの自分の頭の悪さとかは…うん、それなりに自覚している。
いやいや、今はそんな事はどうでもいいんだ。今話しているのはこの旅の主導権の話なんかじゃない。つまりは、

「通過儀礼は、ミメシス地方に住む子供の成長の証となる儀式のはず! それを遅延させたお兄ちゃんは罰として、私の保護者を勤めていることを差し引いても――お昼ご飯を奢る義務があると思います!」
「何でそうなるんだ!」
ちょっぴり強引なのは百も承知。されど私のお腹もそろそろ限界。早く何か食べないと、パパの研究所に居たマダツボミってポケモン程度には痩せちゃいそうだ。甘える作戦に出ても良かったけど、空腹に加えてお兄ちゃんの意地悪にもう頭は絶えきれません!

「アキラー! 早くしないと私が貴方を食べちゃいますよー! そりゃもうクルミルをついばむケンホロウのように! お兄ちゃんだからって容赦なく噛み砕いちゃうんだからー!!」
「ええいうるせえ! 長ったらしい台詞垂れ流してるんじゃねえ! 通行人がこっち見てるじゃねえか!」
「見せてるんだよー!」
「バカヤローー!!」
…とまあ、こんな感じで争ったりして。
私はお兄ちゃんとしばしの間、お互いの価値観とか哲学とか人間の尊厳をぶつけ合った後、奇跡的に悪を打ち負かしランチゲットにこぎつけるのでした。
ゲームなら買い物だけにつぎ込めばいいお金も現実では色んな場所で使うもの。それは住み慣れた町を出て旅を始めるなら覚えた方がいい事だと思う。



◆◇◆



「ほくほく〜♪」
「ったく……ひとの金で喰えると思って……」
ご飯を食べられる時が近づいてるというだけで、先ほどまでの道中も随分空気が変わって見えますね。
さっきはお金を使いすぎた後悔で、嫌〜な気持ちで街を歩いてたけど…今は足取りもすごく軽くて、思わず鼻歌まで口ずさんじゃう。

「とりあえず一番近いレストランをタウンマップで調べた。そこに行く」
「うん。……それにしてもこの街、本当に広いよねぇ」
体をぐるっと一回転させて、周りの景色を見渡した。雲の上に届けと言わんばかりに天高く伸びたビルの群れ。クイネの森の木々が空を覆うようなら、こっちは突き刺さるみたいに立ち並んでいる。ガラス張りのビルに映った青空が何だか綺麗。

ネクシティ。
私の住む町、プロロタウンの隣街にして、ミメシス地方最大の都市だ。
小さい頃からよく訪れたことはあったけれど、いつ来ても道に迷っちゃいそうな位には大きい。

大通りを逸れて、少しだけ狭い路地へと入った。この先にレストランがあるらしい。うん、涎が溜まる。

「おら、前見て歩けよ。お前はただでさえコケたりぶつかったりが多いんだから」
「んぐ、分かったよ」
ポケモントレーナーとしては初めて訪れたこの街の景色を堪能してたのに、ホントに無粋なんだから。
そう溜め息をついて前を向き、ちょうど十字路になっている場所にさしかかった時。

「どけ!」
「きゃっ!」
「うおっ!」
いきなり右から人が飛び出してこっちに向かってきた。ガサガサした金髪の男の人。慌てて道を空けると、そのまますごい勢いで通り過ぎて行った。
「びっくりしたぁ…」
思わず後ろを向いて、去って行く男の人の背中をぼんやりと見やる。何をそんなに焦ってたんだろう「お、おいエリ!」
「えっ?」
前からお兄ちゃんの声が聞こえてきた。再び顔の向きを元に戻し、

「うわぁっ!」
「痛っ!」
……今度は、避けられませんでした。
急いでいた人はもう一人居たらしい。まともに正面衝突して、私はアスファルトに尻餅をついた。森に引き続き、お尻には済まないと思いました…いやそれはどうでもよくて。

「だ、大丈夫ですか!?」
同じように座り込んだ相手の人に声をかける。ぶつかった対向者……私と同年代に見えるその女の子は歯を食いしばると、いきなりこちらを睨んできた。

「っ何すんのよこの馬鹿!」
「え、えぇっ!?」
怒鳴り声を上げて立ち上がる女の子。私も一歩遅れて直立すると「へぶっ!」今度はビンタを食らいましたとさ。

「ああもう! 見失っちゃったじゃない! どうしてくれるのよ〜!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて……!」
「ふざけないで!」
ふざけるも何も……!と言おうとした所で両肩を掴まれて揺さぶられました。頭がくがく。

「おい、お前」
お兄ちゃんがそこでようやく割り込み少女さんを引き剥がします。
「何よアンタ!」
「こいつの保護者だ。名前はアキラ。で、このボケはエリという」
ボケとは何ですか。
「さあ名乗ったぞ。今度はお前の番だ」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」
謎の彼女はますます憤怒で顔を真っ赤にしていく。けれど何かを怒鳴ろうと口を開けた所で急に沈黙し、溜息をついた。

「……………」
何か、すごく気の強そうな人だなぁ…。目が若干つり上がりぎみだし。
髪型はロングヘアーで腰まで届き、片手にはバッグを下げている。下半身のお召し物がスパッツなのも活発って感じだ。ついでに言うならその右足の付け根あたりには、細くて長い長方形の箱がベルトにて装着されていた。
服装の色合いが暗めな辺り、私とは色々対局っぽい。

「ああ……もうどうでもいいわ…今更追いかけたってもう無理だし…」
「おい、何をブツついてやがる」
「逃げられた…それを怒ったってどうにもならないわね……だから今は」
女の子がまたこっちを睨む。そして右手を…さっきから気になってた右足の箱、フォルダーへと伸ばした。蓋を開いて中身に手をかける。

「あの男の捕獲を妨害したアンタ達に――責任を取らせるべきねっ!」
「なっ!?」
驚く間も無く、名前の分からない彼女は箱からモンスターボールを取り出し、投げた。
小さな影が中から現れ、地面に降り立つ。

「チョロニャーーーーー!」
四本の足を突っ張らせて高い声で鳴いたのは、尖った耳を持つ猫型のポケモンだった。

「おおっ! ちっちゃかわいい!」
お兄ちゃん、あのポケモン何!?
「しょうわるポケモン『チョロネコ』だな。……つうかお前、今の状況分かってるか?」
「へ?」
見知らぬ女の子がいきなりブチギレて…かわいい猫さんを出したという事態に困惑しておりますけど?

「ほらっ! アンタもポケモン出しなさいよ!!」
「えっ? なんで?」
「アンタ馬鹿じゃないの!? このアタシとポケモンバトルをしなさいって言ってんの!」
「えぇ〜〜っ!?」
ぶつかった女の子といきなりバトルするなんて、どんな超展開っ!?
私、何か恨みを買うような事したかなあ!?

「……エリ、いいからポケモンを出せ」
兄が肩を叩いてくる。呆れ顔だ。私になのか女の子にか。
「お兄ちゃん……」
「話が進まん。早くバトルしろ」
「…………」
でも、と言いかけたタイミングで目つきを鋭く研ぎ澄ますアキラ。
『でも私、ポケモンバトルには自信が無いよ!』って言おうとしたんですけど……。
ま、強制イベントって奴だよね。

リュックのベルトから、モンスターボールを外す。
それを投げる瞬間、お兄ちゃんの声が肩越しに響いた。
「安心しろ。この戦いはお前にとって、記念すべきものになるだろうぜ」

「――いけっ、ナゲキ!」

「ゲキィイイイイー!!」
一つの球体から始まる戦い。
私のパートナーが、光と共に現れる。

街中でのバトルに不慣れなのか、若干たじろぐ様子を見せながらも……その目はしっかり標的を見据えているようだった。

「……ナゲキですって!? 分が悪いわね……」
女の子の表情が歪む。
……って何で?

「いいからバトルを続けやがれ。分かりきった展開をいつまでもダラダラ続けられるとイラつくんだよ」
あからさまに不快そうな顔で文句を言ってくるお兄ちゃん。
んな事言われても……。
私はポケモントレーナーになってから一日も経っていませんもので。

「チョロネコ、『ひっかく』!」
「……えっ!?」
驚きの声を上げる前に、最初の一撃が叩き込まれた。
いわよる、『あっという間』。

チョロネコの(何気に)鋭い爪が、ナゲキの顔面を一閃した。

「――ギイィイッ!!」
「ナゲキ!?」
顔を覆ってしゃがみ込むナゲキ。
すぐさま駆けつけようと乗り出した私を、別の声が呼び止めた。

『戦うということは、傷つくということさ』
……そうだ。
そうだったよね、お兄ちゃん。

「ナゲキ、反撃だよっ!」
「ゲキッ!!」
すぐさま立ち直るナゲキ。
えっと……んっと……。
思い出せ、私。
ナゲキが使ってきた技から、今のバトルに一番向いている技を!

「……ナゲキ、『がまん』だ! その方がおっきいダメージをぶつけられ、」
「ナゲーーーーイィッ!」
私のパートナーは正面からチョロネコを殴りつけた。
岩をも砕くような拳の一撃。これは……。

「『いわくだき』、だな」
「えぇ〜っ!? 何で!?」
「『がまん』は相手から攻撃を受けまくってこそ引き立つ技だ。今のナゲキにはそれ程の余裕は無いんだよ」
「………」
「あいつの体力に、そんな余裕は無かっただろうが」
そうだった。
私達はこの町に来る前、ケンホロウと戦闘を行っている。
戦いの後にナゲキは回復させたけど、それでも完全復活じゃない。

「ニ、ニャー……ッ」
「チョロネコ!? ぐ……防御力が下がったのね」
相手の猫さんは苦しげだ。
ここから更にたたみかけて、『ひんし』にさせなきゃいけないのか……。

「『可哀想』とか考えるなよ」
「分かってるよ!」
お兄ちゃんは黙ってて下さい!

「えっと、ここから一番いい技は」
「こちらの反撃よ! チョロネコ、『すなかけ』!」
「チョロニャア!」
「ナッ!? ゲキィ!?」
チョロネコはナゲキに背を向け、後ろ足で砂を蹴り飛ばした! ……「って、そんなのアリ!?」
「攻撃ばかりがバトルじゃないのよ!」
どこかで聞いた言葉を初対面の女の子が口にする。そうだ、初めてポケモンバトルをした時に、お兄ちゃんが言ってた台詞だ。
勝負に勝つための、戦略。

「ゲキィ……!」
閉じた瞳から涙を流すナゲキ。そのままチョロネコに繰り出した拳は全然違う空中へ。
まずい、相手が見えなくなってる!

「『すなかけ』は命中率を下げる。攻撃力や防御力以上に、勝負に速攻で影響する変化技だぜ。どうするよ、エリ」
実況者アキラがニヤニヤしながら言ってきた。……第三者だからって本当に腹が立つね。
ううん、お兄ちゃんなんかに構ってる暇は無い。相手に集中しないと!

「見た所アンタ、どうやら手持ちに全く信頼されてないようね」
「ぐ……」
「相性が不利だと思ったけど……これなら行けそうだわ」
「え?」
相性?
「一気に決めさせてもらうわよ! チョロネコ、『みだれひっかき』!」
「ニャアァーッ!」

ナゲキの顔を薙ぎ払うように、チョロネコは前脚を振り回した。爪が顔面を走り回る!

「ゲキ……ッ!」
患部を抑えて飛び退くナゲキ。
どんどん怪我してくその姿に、私も不安が染み込んできた。
このポケモンにはどうやって勝てばいいんだろう。
サクラさんの時みたいな『好きにして』は通じない。
今度は私も考えなきゃ!

「おら、次の指示はどうした? もう白旗を作る気なのかよ」
「そんな物作りません!」
ああもう、お兄ちゃんの茶々がいちいちムカつくなあ!

「ゲキィッ!」
「ニャアッ!? ……フーッ…!」
ナゲキの攻撃を紙一重で交わすチョロネコ。
私の好戦的な格闘ポケモンは、両目を塞がれながらも闇雲に拳を振り回していた。
チョロネコは爪で戦っている辺り、相手に近づかないと攻撃できないみたいだし、上手く当たれば……!

「やっぱり一回じゃかすりやすいようね……。チョロネコ! もう一度『すなかけ』!」
「ニャアア!」
「えぇっ!? そんなぁ!」
私のパートナーの顔が、再度塞がれた。
呻き声を上げ、チョロネコに突撃するナゲキ。
けれど今度はそれよりずっと早く、相手は余裕で回避した。
下がっている……ナゲキの命中率が更に下がっている!

「能力を変化させる技は、使えば使うほど効果は重複するんだ。能力低下技もな」
ポケモンの技を研究する博士の息子が、ただただヤバい事を言ってくれる。

「チョロネコ、また『みだれひっかき』!」
「ニャア! ニャア!」
「ゲキキー!」
「パターンが決まったわ、『すなかけ』と『みだれひっかき』を交互に出させてもらうわよ!」

押されていくパートナー。
ダメージと共に刻まれる傷は、もう見るに耐えない重なり様で。
私はただオロオロしながら、迫り来る敗北に震えるしかない。

「ナ、ナゲキ……」
「おいこら」
頭に手が置かれた。お兄ちゃんだ。
「何をつっ立ってやがる。俺に見たくもない表情を見せんな」
「だ、だってこれ、このままじゃ、」
「お前はトレーナーだろうが。なんでナゲキに命令をしないんだよ」
「でもナゲキは、私の指示を……」
アキラは溜息をついた。

「馬鹿野郎。なんでそこで思考停止する。今日の朝からの連続失敗記録を塗り替えたいのか?」
「あう」
「確か1日のトータル失敗記録、最高は12回だったよな。あの時は呆れたぜ。最後はスカタンク共と密室に閉じ込められて……」
「そ、そんな話はどうでもいいでしょ!」
「いいかエリ」
性悪兄は、呆れた面持ちを崩さず語る。

「確かにあのナゲキは誰の言葉も聞かねえ。だがな、いつだって心が頑ななままの生き物なんて……人間にもポケモンにも居やしない」
「………どういうこと?」
「以上だ」
「はいっ?」
不愉快そうな目で私を一睨みし、お兄ちゃんは数歩下がった。
何だろう……て言うか何その顔。
そんなに私の優柔不断がムカついたのかな……?

「……畜生、助言なんざしたくねえってのに………俺はいつもコイツのシケた顔で……」
「え? 何か言った?」
「何も言ってねえ。バトルに集中しろ!」
「わ、わかったよ」
勝手なお兄ちゃんめ。
視線を外し、元通りバトルフィールドを見据える。
状況はどんどん悪化していた。宣言通り変化技と攻撃技を交互に出させる勝ち気女の子と、忠実にナゲキを翻弄するチョロネコ。
私は考える。何とかしてこの状況を変えなきゃ。
トレーナーとして、パートナーを勝たせてあげなくちゃいけない。

……そういえば、お兄ちゃんの言ってた言葉はどういう意味だったんだろう?
あの顔は茶番癖を露出させる時の気取った感じじゃなかった。ヤな人なりに、遠回しに何か言いたかったんだと思う。
まあ私のキョドっぷりが見ていられなかったんだろうけど…それはともかく。
え〜っと……。

「ゲキッ! ゲキィッ!」
「チョロネコ、回避! そして『みだれひっかき』!」
「チョロニャーッ!」
「ゲギイィ………ッ!」
「ふん、ご主人様はだんまりみたいね。駄目なトレーナーを持つと大変ね――ポケモンも!」

確か、いつも頑なな生き物なんて居ないとか何とか。
けど、それと現状とどういう関係が?
その生き物ってのはナゲキの事を表しているんだろうけど……でも頑なな理由っていうのは他でもなく、

「……あ」
――もしかして。
お兄ちゃんを見やる。
即座に目を逸らされたけど、その面倒くさそうな面構えは露骨に『気付くのが遅えよ』と語っていた。
よし……!

「ナゲキ! 聞いて!」
ズタボロになりつつある相棒に呼びかける。
相手の女の子が目を見開くのが見えた。
「……何を命令しようっていうの? 無駄だわ。その子はアンタの命令なんて、」
台詞を無視して、告げた。

「右上からチョロネコが接近中だよ!」

果たして。
ナゲキは言う事を聞いた。
何度目かのみだれひっかきを、初めて回避する。
「なっ……、どうして!?」
「よしっ………!」
良かった、当たってた!

「こっちのターンだよ! ナゲキ、チョロネコはやや左寄りの…大体三歩先!」
「ゲキー!」
もうナゲキは完全に砂まみれで、目がどこにあるかも分からない姿だった。
それでも私の指示を受けて、果敢に突っ込んでいく。
「二、ニャアッ!」
猫ポケモンは驚きながらも、寸前で攻撃から逃れた。

「な、何でよ……何でなのよ………、さっきは命令も聞いてなかった癖に、今更……!」
「それはね――状況が変わったからだよ!」
目を白黒させるロングヘアさんに、私は言う。
「確かにナゲキは、私が技の命令をしても違う技を出していた。私はその訳について考えてみたんだ」
「訳って……ポケモンがアンタになついてないだけじゃないの!」
「うん。それもあるけどね。でも一番の要因は………」
正直、あんまり言いたくなかったけれど。事実だから口にする。
「私が馬鹿なトレーナーだからだっ!」
「はああぁっ!?」
「私はナゲキの事をあんまりよく知らない。だから的外れな指示をしちゃったり、細かい所に気付かなくて……早い話、無能を演じちゃっている」
ナゲキの視点に立って考えてみればすぐに分かる。
ナゲキは私になついてない。つまり私を嫌っているという事。
自分より上の立場にいる嫌いな奴が、見当違いの命令をしてくる。
そんな命令、素直に受けられる訳が無い。
私もお兄ちゃんが嫌いだから、よく分かる。
人間なら従わなきゃいけない所だけど……しがらみとか義務なんて、ポケモンには人間程に仕込みようが無いものだ。
ましてや相手がお馬鹿さんなら、その拒否感は人間以上に行動となって表れるだろう。

「そんな私の指示なんて、聞きたくないのは当然だよね」
「じゃ、じゃあ何で今は聞いてるのよ!」
「言ったでしょう? 状況が変わったって」
「どういう意味よ!」
「馬鹿丸出しの指示なら的確な指示に変えりゃあいい。そういうこった」
アキラが後ろから発言してきた。

「だがエリのノータリンは救いようの無い末期ぶりだからな。そんな指示が出来る脳みそには変えられない。ならば指示の内容を変えるしかない」
「内容って……!」
「戦況も、味方していた事だしな」
……ノータリンとか最低な言い方だったけど、つまりはそんな話だった。
ナゲキの技とか戦いのスタイルがまだよく分からない以上(私のナゲキはどう見ても柔道してないし)、技の命令は上手く出来そうにはない。
なら命令の種類を違うものにしてみたら。
例えば――敵の位置を伝える事。
それ位、私にも見て分かる。
見て分かる内容なら、同時にそれはナゲキにも信じていい物として受け入れられる。
目を塞がれた状態なら、尚更。
だからナゲキは、私の指示に従ったんだ。
まともな付き合いが出来ないのなら、出来る事から始めればいい。
それは誰かの上に立つ人にだって、当てはまる。

「ゲキイィー!」
「ニャア……!」
かすりもしなかったナゲキの攻撃が、チョロネコに近づきつつあった。
けれどまだ何か足りない。相手は未だ回避に余裕を残している。

「ゲキキィー!」
「チョロネコ、かわして! くっ…まずいわ……」
どうやらナゲキは焦っているらしい。
もう随分ダメージが溜まっているはず。あんまり時間が残されていない事は明らかだった。
落ち着かせたいけど……ただそう言うだけじゃ聞き入れてもらえないよね………やっぱり。
ここから更に畳みかける方法は……。

頭を抱えつつ何とか考えようと四苦八苦。
と、後ろから不機嫌そうな舌打ちが聞こえた。

「……もう一つヒントを教えてやるよ、ノータリン」
「ノータリン言うな!」
「今のナゲキでチョロネコに勝てる技が、一つだけある」
え?
「ええ〜っ!? 早く言ってよ!」
「それを言ったってナゲキは聞かないんだろうが。 しかも今、奴は今まで以上に冷静さを欠いている」
「うっ……」
「ナゲキもその技を使えるはずだ。さてエリ、どうやってその事実をナゲキに伝えるんだ?」
いつもの極めて意地が悪い、人を試すような口調。いい兄か悪い兄かハッキリして欲しい。

ナゲキに既に組み込まれている、私の知らない技。それを伝える方法。
……決まっている。
技そのものはナゲキに任せる……私はただ、背中を押すだけ!

「ナゲキ、落ち着いて!」
「ゲキィイイ!」
これが落ち着いていられるか! そう言いたげに憤懣露わな目を向けるナゲキ。
そこに私は台詞を追加した。
「前が見えなくても繰り出せる、チョロネコを倒せる技! 君はそれを使えるはずだよ!」
「……ナゲッ!?」
私のパートナーは、そこでハッとした顔になる。
そして体の動きを停止させた。

「――スキありっ! チョロネコ、とどめを!」
「ニャアアアァアーー!!」
最後のつもりだろう、渾身の攻撃を相手が繰り出してきた。
やっぱりそれは『みだれひっかき』。
ナゲキはその全てを……受ける。

「ナゲキっ……!」
爪の軌道に呑み込まれる柔道ポケモン。
傷と痛みが、体を外と内から覆い尽くしたのが、見ているこちらにも共感できた。
でも。

「――ゲキ」
ナゲキは表情を変えない。
体制も直立不動を保って。
そこから先の動きは、まさに早技だった。

風みたいに素早く突き出された腕が、チョロネコを抱き寄せるように掴み取る。
そして、それは一瞬のことで……次の瞬間には。
猫さんは投げ飛ばされ、地面に叩きつけられていた。
きゅう、と唸って目を回し、起きあがらなくなる。

「…………、え?」
言葉を失う。
ナゲキはしんどそうに、肩で息をするばかり。
チョロネコの主は、愕然とした表情で立ち尽くしていて。
相手は反撃してこない。
ナゲキが勝った。
初めて私と力を合わせて――勝ったんだ。

「――ぃやったああぁああぁあああぁぁ!! 一本っ!」
不肖ポケモントレーナーエリ、初勝利です!

勢いよくジャンプしてしまう程の喜び。
初勝利ってこんなに気持ち良いんだなぁ……。

「く……やっぱり、駄目だった………」
紫髪の女の子は、肩を落としてひとりごちる。
「やっぱり?」
「ナゲキを出された時から覚悟はしてたけど、一撃で敗れるなんて……。やっぱり強いわね、タイプの相性は」
「へ?」
タイプの相性?

「へっ…て、アンタまさか知らなかったの!? チョロネコが格闘タイプに弱いって!」
「そうだったんすか!?」
「チョロネコのタイプは『悪』だ。悪を滅するは正義の拳。だから悪タイプは格闘タイプに弱いのさ」
お兄ちゃん、補足ありがとうございます。
「ちなみに、猫にとどめを刺したのは『あてみなげ』。相手の後手に回る代わりに必ず攻撃を当てられる」
そうなのか〜……。

「うぅ……何でこんな奴に…………。技の命令も出来ないような最低のトレーナーに、負けるなんて……」
最低は言い過ぎな気が。
そう声に出そうとした所で、まだ何か言いたい事があるのか、アキラが前に出てきた。

「ま、要するにだ。結局は戦い方の問題だったって訳だな。エリとナゲキは、根本的に戦う『手段』ってもんが違っていた」
その追補に、私も同意する。
ナゲキは私に頼らず、自分で相手を打ちのめす事にこだわっている。
対して私の『戦い』は、トレーナーとしてポケモンに指示や道具を出す役割だ。
その指示が下手で認められなかったから、私とナゲキの関係はギクシャクしていた。
「しかしだ。戦う根本的な『目的』は同じ、勝つことだろう。ならその一点で利害が一致する」
利害の一致は悪とつるむ基本的な方法だ……そう兄は嘯く。

つまり私が勝てたのは、パートナーの性格に合わせた命令が出来て、それにより『勝ちたい』という理想への手段が上手く噛み合ったから。そしてナゲキの精神をうまく鎮められたからって事か。

技の選択はナゲキに任せて、私はその五感を補助する。
これが今の私とナゲキに合った戦い方なのかも知れない。
でも。

「『いわくだき』……『ちきゅうなげ』……『がまん』……『のしかかり』……『あてみなげ』……」
インプットインプット。
いつか、ナゲキが私の技命令を信じてくれた時の為に。
ともあれ、バトルはこれで終わりだ。ナゲキをボールに戻してあげよう。

「さて敵よ、ニ匹目のポケモンはまだか?」
「はいぃい!?」
お兄ちゃんがおかしな事言い出した!
「え……ちょ、今のチョロネコで終わりじゃ、」
「奴にはもう一体手持ちが居る」
「何を根拠にですか……」
「あの女がホルスターに手を入れた時、予想よりも浅い所からボールを出していた。ボール一個分上の位置からな」
予想って。

「ぐ、くっ……」
女の子の私じゃない方は肩を震わせ俯いている。この意地悪な兄に見透かされたからか、はたまた敗北が原因か。
「……戻りなさい、チョロネコ」
傷ついたポケモンをボールに戻して、そして。

「もうやってられないわっ!!」
「キレた!?」
強気さんはモンスターボールをホルスターに収納する。言われてみると確かに、あと一体ポケモンが居るらしい。
けれど彼女が出したのは仲間でなく青筋だった。顔を真っ赤にして私に人差し指を突き出す。
「何でアタシがこんな馬鹿トレーナーとこれ以上戦わなきゃいけないのよ! 技を出せないからポケモンに技を任せるなんてそんなのアリ!? しかもそれで負けるなんてテンションだだ下がりよ!」
きー! みたいな声を上げて紫髪のコは地面を踏み鳴らす。あの、周りの人がこっち見てるんですけど。
「だからね、この勝負はもうナシ! アンタの周りくどいチート戦法によるまぐれ勝ちなんて認められないわ! 無効よ無効!」
チートとか言うな。
「……呆れたな。なんつー自分勝手な女だ」
さすがのチョウ悪兄貴もヒステリー系は苦手らしい。私にするのと同じ鬱な溜息を吐いている。
「ポケモンバトルに試合放棄なんてねえんだぞ? どちらかが全滅するまで戦うからこその勝負なんだ。大体、しかけて来たのはお前の方だろうが」
「ええそうよ! 原因はアタシ! なら片付けるのもアタシで無問題よね!? だから宣言するのよもう終わりだと!」
すごい論法だ。小論法だ。お腹空いてたの忘れてた。
私と同じ女の子トレーナーなのに、やっぱり全然正反対。
……人間って本当に、人それぞれ違うんだなぁ。

「最低なのはどっちなんだか。負けた分際でそんな暴論が通るとでも思ってんのか?」
「うるさいわね! 格闘ポケモンなんてものを出されなければ勝ってたのよ!」
「そうかねぇ? お前の戦い方にも問題はあったと思うが?」
「どこがよ!!」
あら? あらら?
お兄ちゃんとのーねーむ少女さんの間に何やら不穏な空気が……。
私の存在、置いてけぼり?

「相性が悪いって分かってたんなら、『すなかけ』と同時に『なきごえ』でも出すべきだったんじゃねえのか?」
「とっとと勝負をつけるのがトレーナーってもんでしょ!」
「随分と性急だな。バトルってのは戦略と勢い、そしてささやかな茶番あってこその楽しみだぜ?」
「はぁ!? 意味分かんない! ていうかアンタ何様のつもり? 人の戦術に口挟むんじゃないわよ! この伊達白衣!」
「何だとこの野郎! こいつは俺の普段着だ! 研究員として常に身につけている誇り高い衣服なんだよ!」
「ふん! 埃高いの間違いじゃないのかしら。 研究員ですって? いかにも埃臭い密室がお似合いの身分ね」
「うるせえ! こちとらフィールドワークだってやってるわ! お前こそ何だ、レギンスにBATTLEとか書いてる癖して最弱じゃねえか!」
「何ですってぇ!! どうせアンタなんて研究にかまけてポケモン鍛える暇もなく、手持ちは全員三段進化系の一段目にでも留まってるんでしょ!?」
「黙りやがれ! お前のポケモンだってどうせ二体目も格闘技に弱い奴なんだろ!? 一撃で倒されるような!」
「言ったわね〜!」
「やんのかコラ〜!」
「ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って!」
鼻先を突きつけ合う二人に割って入り、罵声を切り離した。

「二人とも私の為に争わないで!」
「アンタの為じゃないわよ!! 勘違いしないでよね!」
「ポケモン同士の戦いならいいけど、人間同士の喧嘩なんて見たくもないよ! って言うかこのまま無駄に言い合った所で話が進まなくてつまんないじゃないですかっ!」
「……なんか正論なのにムカつく解答だな」
「あ〜もう黙って!」
兄を指差す。
「お兄ちゃんはもう何も言わないっ! 周りくどく長ったらしい講釈はバトルの時だけにして!」
「おい」
「それから……え〜と紫髪さん!」
対戦相手(済)に指を移した。
「紫髪さんは、今のバトルを終わりにしたいんだよね? ならそれでも良し! 君は戦いを降りた! お兄ちゃんは言いたい事を言った! だからもうお終いですっ!」
両手を打ち鳴らして、試合終了チックに締めてみる。ていうか終われ。いつの間にか意地悪兄と強気ガールの戦いになっているこの展開よ。

「……はぁ、もうどうでもいいわよ……」
女の子トレーナーさんは頭痛ぎみに額を抑え、静かになった。
「全く、今日は踏んだり蹴ったりだわ……財布泥棒を追ってたら人にぶつかって取り逃がすわ、ポケモンバトルには負けるわ……」
「そうそう、それだよ。私、いまいち君の状況が分かんないんだ」
お帰りなさいませ本題。
いきなりバトルを挑まれて、いきなり下がられハイ終了じゃ、こちらもホトホト困ります。ていうか財布泥棒って何?
「……もしよかったら、説明してくれないかな?」
「どうしてよ? 説明したって、どうせアンタ達なんかにあの男は……」
「あの男ってのは、君の前を走ってた人のこと? まあとにかく、」
私は女の子の目を見据えながら言う。
「ぶつかって怒る程の鬱憤なら、話すだけでも楽になると思うよ? 聞くだけなら私達にも出来るし、もしかしたら他にも出来ることがあるかも知れない」
「…………」
「んっと……無理にとは言わないけど………」
「……………ふぅ」
怒れる彼女は俯きぎみだった顔を上げた。そして頬にかかった長髪を書き上げ、一層馬渕と眉を眉間へと傾ける。
「……まず一言。アタシは紫髪さんなんて安直なネーミングしてないわ。ちゃんとした名前があるんだから」
「うん。だろうね」
「アタシの名前はサヤ」
ようやく、ツリ目さんは名乗ってくれた。

「アンタ達にぶつからなかったら、あの泥棒は捕まえられたのよ――話が終わったら付き合ってもらうからね」



◆◇◆



「……踏んだり蹴ったりなのは俺の方だぜ、ったく」
お兄ちゃんがしかめっ面で愚痴っています。パパと兄貴様の研究所で見たことがあるグランブルってポケモンさながらに。
「なんでクソ妹の他に、お前の昼メシまで食わさなきゃいけねえんだ」
「アンタ達のせいでアタシは所持金無しになったのよ。当然でしょ」
サヤちゃんが両腕を組みながらそっけなくアキラに答えた。
「泥棒、かぁ……」
私は二人が険悪な会話をする中、周りを見渡しつつ呟くしかない。
強気な彼女は自分の事情を話した後、『お昼ご飯を奢りなさい!』という、頼み事にしては口調のキツいお願いをしてきた。
それで新たにサヤちゃんも加わって、今は再びレストランへの道中。
……まぁ食事代はお兄ちゃんが支払う訳だし、金欠たる私は全然構わないから良いんだけれど。
他人のお金で食べるご飯って美味いですよね。はい。

「おら女ども、メシ屋が見えてきたぞ」
「本当だ! わーい!」
「やっとお昼が食べられるわ」
レストランが視界に入り、自然と歩調が早くなってくる。
と、その時。
「あ、このポスター……」
道端の塀に貼られていた貼り紙に、自然と目が行った。
サヤちゃんもつられて顔を向け、「……ふん」と不快そうな声を出す。

「この人だよね。私もチラッと顔見たし」
「ええ、コイツよ。全くもって腹が立つわ」
その紙には紛れもない、私達がすれ違い、サヤちゃんがマジギレして追い求めていた男の人が写っていた。
そしてその人の真下にも――男の人が二人隣あって立っている。

『泥棒集団「モノトリオ」! 見かけたらすぐに通報を!』
写真の上には、そんな文字が書かれていた。

「このモノトリオの金髪の奴が、アタシの財布を盗んだのよ」
「けど、白昼堂々ってのも凄いよね。捕まるリスクなんて考えてないのかな?」
「コイツらはね、このネクシティでは名の知れた三悪党なのよ」
忌々しげにサヤちゃんは吐き捨てる。
「スリ、空き巣、強盗。ありとあらゆる盗みを奴らは働いているわ。お巡りさんに捕まった回数は数知れず。けど世の中に舞い戻るたびにまた悪さを繰り返すのよ」
「それは……嫌な人達だね」
「その癖、『自分達はルールに基づき、誇りを持って盗みを働いている』とか何とか、勝手な言い分を落書きやマスコミに残してるらしいわ」
「誇りねぇ……。じゃあサヤちゃんのお財布を真っ昼間から盗んだのも、」
「誇り高き泥棒に昼夜なんて関係ない――って所でしょうよ」
怒りがぶり返してきたらしく、サヤちゃんはポスターの金髪男を殴りつけた。
私も被害者たる彼女に関わった側として、三人組の顔をよく見ておくことにする。

バトルの後にサヤちゃんが話してくれた説明によると、モノトリオは個別に悪事を働き、三人で落ち合うのはいつも悪さをしていない時らしい。……それでお巡りさんも手を焼いているんだとか。
そして彼らは――ポケモンは使わない。
あくまで自分だけの力を駆使し、獲物から金品を掠め取るという。
だからさっきサヤちゃんも、私じゃ下手人をどうにもできないみたいな事を言ったんだろけど。
傲慢で厄介な泥棒トリオ。
世の中には本当に、色んな人が居る。

「いいわね? さっき話した通り、」
目つきのギラつく女の子は、ふいに私を瞳に写す。
「アンタ達はとりあえずご飯を奢って、それからあの盗っ人探しに付き合ってもらうんだからね」
「んな事する必要ねえだろうが」
横からお兄ちゃんが口を挟んだ。
「お巡りを呼べば何とかしてくれるだろ」
「それじゃあいつ財布が戻ってくるか分からないじゃない!」
またもサヤちゃんは意地悪男に顔面を突き合わせた。

「アイツらは盗品を共有しないってテレビで言ってたの! あの金髪が捕まらないと、他二人が牢屋に入ったって財布は取り戻せないのよ!」
「はぁ……マジでやれやれだぜ」
冗長な口喧嘩はもう嫌らしく、お兄ちゃんは呆れながら引き下がった。

「と、とりあえずさ。そこら辺はご飯食べながら話し合うとして。早くレストラン入ろうよ」
「……そうね。アタシも大好物のオボンパフェが食べたくなってきたわ」
「そうと決まればゴートゥーヘブンだね!」
「天に召されたくはないわよ!」

そんなこんなで……ようやく、ようやくお昼ご飯取り込みの場に到着しました。
外から見てもお店の中は空いているようで、速やかに席に付けそう。ラッキー(ポケモンでなく)。
ドアを開けて入店しようとすると、お兄ちゃんが立ち止まった。

「? どしたの?」
「………何でもない。吸いたくなっただけだ」
アキラはそう言って、着ている服……白衣の内側からタバコを取り出す。
「お前ら先に入ってろ。くれぐれもニ名とかほざくなよ」
「言う訳ないじゃない。アンタが今はアタシの財布なんだからね」
そっけなく返して、サヤちゃんはそそくさとドアを開ける。
「………」
「ちょっと、何アンタまで止まってるのよ? 行くわよ」
「あ、うん」
お兄ちゃんのいきなりアクションが少し気になったけど………まあ普段から脳内が理解不能な放蕩兄貴、理解しようとするだけ無駄だよね。
納得納得。アキラを置いて、私もサヤちゃんに続きます。

店員さんが寄ってきて人数を聞いてきたので、ニ名…じゃなかった。三名と答え(言い間違えた瞬間サヤちゃんに小突かれました)、お席へと導かれる。

「おっと、ごめんよ」
「あっ、こちらこそ」
ふいに入り口近くの席から立ち上がり歩いてきた人にぶつかった。何でしょう、今日はぶつかり記念日か何かですか。
そんな些細な交流もあったけれど、私達は奥のテーブル前に到着することが出来ました。
あ〜、やっとお昼ご飯が食べられる。

「まったく、何やってんのよ。アンタ人と衝突するのが趣味な訳?」
「あはは、ごめんごめん」
「そういえばアンタ、よく見ると服とかスカートとか汚れてない? クイネの森とかで木々に当たりまくったのかしら?」
「ぎくっ……!」
「何がぎくっよ……」
「うぅ、これは後々お洗濯するから大丈夫なんだよ」
「つまりアンタは清潔な服より食欲を先に取ったって訳ね」
「……サヤちゃんってもしかして意地悪なタイプですか?」
「言いたい事はハッキリ言うタイプよ」
「なーんだ」
そっかー良かった。どっかのお兄ちゃんとは違うんだね。

「って言うか洗濯って……アンタってこの街の人じゃないのよね? じゃあ、」
「うん。宿屋に泊まるつもりだよ」
お兄ちゃんから、それだけの設備があの施設にはあるって聞いた事がある。
ちなみにお食事も付いてるんだけど……。まぁ朝夕二回だそうなので、服よりも宿泊よりもレストランを取った事にはなりませんよね?

そんな事を思いつつメニューを眺め……ふと顔を上げる。
サヤちゃんが何やら神妙な顔になっていた。
どうしたの? サヤちゃん。

「……アタシも泊まるのよ。宿屋にね」
「え……えぇ〜っ!?」
「あの財布を盗られるより前にチェックインをしていたの。……やれやれね。アンタ達と同じ屋根の下に滞在することになるなんて、」
「やった〜!」
思わず身を乗り出して、紫髪さんの両手を握ってしまった。

「ちょ……何すんのよ!」
「私ね、正直少し心細かったんだよ! いくら保護者同伴の旅でも、あんな性格の悪い兄と一緒の旅に軽く嫌気が差してたんだ!」
「それがどうしたのよっ」
「嬉しい! 一日を共に出来る人がお兄ちゃん以外にも出来て嬉しいっ!」
繋いだ手を上下に振る。周りのお客さんがたからジトい視線を感じたけれど、正直どうでも良かった。
サヤちゃんは店内を見渡しながら恥ずかしそうに眉をひそめていたけれど、「離しなさいっ!」と強引に私から逃れ、赤面しつつ大きく息をつく。

「全く……変な奴」
「うん」よく言われます。
「アタシはアンタなんかと一緒に居たくはないし、アンタだって」
会話を遮るように、店員さんがお水とお絞りを持って来た。強気な女の子は渡されたコップの中身を一気飲みして、言葉を続ける。
「あんな最低男にまとわりつかれなくても、ポケモンが居るじゃない」
「……まあ、そうなんだけどね」
社会だろうが世界だろうが、世の中は人間だけのものじゃない。
人間とポケモンの営みによって、私達の日々は成り立っている。
そして私は恐らく、普通の人達よりも更に――その比率が大きいんだろう。

「………あら?」
「今度は何ですか」
窓にモルフォンでも貼り付いていましたか? ……想像すると結構嫌だね。
そんなツッコミ(ボケ?)を繰り出そうとしていたのだけれど…………サヤちゃんの口から放たれたのは、予想外の言葉だった。

「アンタ、モンスターボールどうしたの?」
「へ?」怪物球?
「ボールならリュックの中だけど」
「違うわ――手持ちポケモンのボールよ」
私のある一点を指差す彼女。

「どこにやったの……? さっきまでリュックに装着していた、ポケモン入りのボール!」
「―――え!?」
ハッとして、下を向く。
無い。
ナゲキを入れているボールが………リュックのベルトから無くなっている!

「なっ、ど、どうして」
「待って……バトルが終わってアタシと話していた時も、ここへ向かう道中でも。アンタのボールはあったわ。アタシが見ている」
サヤちゃんは考え込んで…やがて目を見開いた。

「となれば失ったのはついさっき。ねえアンタ!」
「なっ、何っ?」
「さっきアンタがぶつかった男、顔とかに何か感じなかった!?」
「何かって………あっ!」
馬鹿な私は、言われて初めて気がついた。

金髪じゃ無かったから深く考えていなかったけど―――チラっと見えたあの人の顔。
ポスターの顔!

「く……っ!」
立ち上がり、一直線に入り口へ走る!
見るとアキラの姿が無い。こんな時に何処行ったんだよ!? いやいやどうでもいい! 泥棒を追わなきゃっ!!

「――ところが、そうはいかねえんだよぉ!」

「わぶっ!」
そして……私はぶつかる。
本日三度目、そしておそらくは最後の衝突。
ひっくり返る私の体は、大柄な影に覆われた。
その影の持ち主は起き上がって見上げてみても――レストランの入り口への通路を塞ぐ程度にはでかい。

「こっから先はぁ、通さねえぜぇ?」
「……貴方はっ……」
サヤちゃんの顔が、先ほどとは違う理由で赤らむ。
二度目にここでぶつかった人とは違う顔だけど、この人も!

「俺はぁ! モノトリオの一人、『角刈りのコウカツ』様だぁ!」
泥棒三人組の一員が高らかに宣言する。
たちまち店内がざわめいた。お客さん達は外になだれ込み、店員さんは目を白黒させてどうすべきか困惑している。
けれど角刈りのコウカツは、人々を止めることも何かを要求することもなく……私とサヤちゃんに目を向けていた。

「くっくっくっ……一緒にメシ食ってた相棒がカモを見つけて鮮やかに盗み逃げしたもんだから、いつカモが気付くかと思って見ていたら……」
カモって。
いや、その通りかも知れないけど。
あんな見れば分かるようなスリに長らく気付かなかったなんて、本当に不覚だった。

「そこをどいて! 私達は貴方の相棒を追いかけなきゃいけないの!」
「させないぜぇ。お前らやお巡りが街中を探し回る前にあいつの逃亡を手伝うのも、俺の仕事って奴さぁ」
「……愚策だわ。 その前にアンタが捕まるわよ」
「どうでもいいねぇ。逮捕には慣れてるぜ」
コウカツはサヤちゃんの揺さぶりを鼻で笑う。
「プロの泥棒はなぁ、お巡りなんか恐れねぇのさぁ」
「プ、プロ?」
「捕まって牢にぶち込まれても、それを次の盗みへの糧に生かす。……くーっ! イケてるだろぉ?」
「………」

本当に自分勝手な理屈だった。
完全に考えが自身の中だけで完結してるから、周りの理解が得られない変なプライドに頭を塗り固められている……そんな感じ。
この人は、ううん多分残りの二人も――改心なんてしないタイプなんだろう。
つまり、話し合いは無駄という事。

「……ねぇ、サヤちゃん」
「ええ……きっとアタシも、今アンタと同じ事思いついたわ」
初めて考えが一致したわね………嫌だけど。
サヤちゃんはそう言って、コウカツに視線を定める。私も同様に。
コウカツの体は横にも縦にも大きい。
けれど、完全に通路を塞いでいる訳じゃない。
……それなら!
「行くわよ!」
「うん!」
「うぉっ!?」
一瞬のスキを見て、左右を横切るように走れば!

「くっ………ナメるなぁ!」
「「きゃあっ!」」
今度は、声が一致した。
更に二人揃ってはじき飛ばされ、床に倒れ込む。
でも………。
「……どうして?」
一瞬見えた……コウカツが片腕でサヤちゃんを突き飛ばす光景。それはいいとして。
じゃあ私の前に現れた小さな影は一体何?
泥棒のもう片方の手は、何かを床にたたきつけていたけど――。

「グレッグフフフフ………」
「……!?」
角刈り男の前に、一匹のポケモンが立っていた。
ジトりとした暗い目つきで、薄ら笑いを浮かべている。
藍色っぽい体色に、かなり軽快そうな手足。

「どくづきポケモンのグレッグルさぁ。俺の人間じゃねぅ方の相棒よぉ」
「そんな……。貴方達はポケモンを持ってないんじゃ無かったの?」
「こっちも最近色々あったんだぜぇ」
コウカツは相棒――グレッグルを見やりながら、影を灯して笑う。

「ポケモンなんざ居なくても盗みはできると今までは思ってたが………なかなかどうして、便利なもんだなぁ」
「……ふん。何があったか知らないけど、これで益々厄介者になったわね」
サヤちゃんは立ち上がりつつ、片足のホルスターに手を伸ばした。

「戦うの? サヤちゃん」
「当たり前でしょ。それともアンタ、あの盗まれた手持ち以外にポケモンが居る訳?」
「……居ないけど」
「じゃあ下がってなさい」
彼女はチョロネコ入りのボールを出し、それは片手に移して………もう一つをホルスターから取り出した。
お兄ちゃん風に言うならば、突っ込んだ手の深さは、容器の一番下に位置する。

「グレッグル…か」
強気な女の子の顔に、悔しさのような苦みが滲んだような、気がした。
「まあいいわ。今度こそアタシのムカッ腹、解消させてもらうわよ!」
二つ目のボールを、同じく床へと投げる。
サヤちゃんのもう一匹のパートナーが、跳躍する。

「ニュラララー! ギーーーニャッ!」
それは、またも猫さんなポケモンだった。体色はグレッグルに似た暗さ。ピンと生えた耳の片方は赤みがかり、尻尾と同じく長く鋭い。
チョロネコに負けず劣らずな切れ長の目つきで…前足の爪がすごく大きかった。
印象も体の各部位も尖っている猫ポケモンは、後足だけで床に立って標的を威圧する。

「かきづめポケモンのニューラか。…………くっくっくっ!」
「笑ってんじゃないわよ! ニューラ、『こごえるかぜ』よ!」
「ニュラアッ!」
サヤちゃんの猫は口から息を吹き出した。
それはグレッグルに届くまでに白くなり……あれは氷? 小さな粒を帯びる!

「グレッ?」
氷の欠片は標的の手足にまとわりついた。動きにくそうだ。

「『こごえるかぜ』は相手の『すばやさ』を下げるわ。しかも必ずね」
「先手必勝ってかぁ? 徹底的に追いつめるつもりらしいなぁ」
コウカツは表情を崩さない。パートナーに命令を与える。
「そこまで攻撃的なら………グレッグル! 『どろかけ』を使え!」
「グシャアアッ!」
グレッグルは同じく口から、黒い液体を吐き出した。
ニューラには直撃。その体を吹っ飛ばし、更に顔面を塗りつぶす。これって……!
「ニュラアァ…」
「相手の命中率を下げて、更にダメージを与える技……そっちも徹底的じゃない」
――『すなかけ』よりも強力な技だ! サヤちゃん、大丈夫!?
「……何よ。変な目で見てんじゃないわよ。アタシの敵はあの盗人なんだからね」
猫使いの彼女は私をいなして悪人に向き直った。

「けれどコウカツ。アンタの徹底さは偽物だわ」
「何を言ってんのか分からねぇなぁ」
「……っ!」
サヤちゃんの顔が一気に怖くなった。

「……本気でかかってきなさいよ!」
叫んで、ニューラに何か指示を出した。
受けた猫さんの体が、突然薄くなり……消える!

「ニュララアッ!」
「グゲルッ!?」
消えたはずのニューラが、グレッグルの背後から攻撃を加えた。

「ふん…『だましうち』か」
「『だましうち』は相手に必ず命中する技よ。アンタがおふざけで出させた『どろかけ』も、これで無駄ね」
「くくく、その割にグレッグルのダメージは『いまひとつ』みたいだがなぁ」
「だったら、この技はどうかしら!?」

ああ、目の前でバトルが続いていく。
こんな大事な時に、何も出来ないなんて。
サヤちゃんはニューラを使いこなし、戦いを進めていく。
対する相手のグレッグルは、重ねられる攻撃にやられっぱなしに見えた。
でも、コウカツの表情に――揺らぎは無い。

「ニュラァ……!」
「ニューラ、しっかり! 早く、早く倒さないと!」
「…ふぅ、そろそろ飽きてきたかな」
通せんぼうの泥棒一味は、だしぬけに気のない呟きを吐いた。
「お前、一番上のボールを無視して下のボールを割ってたよなぁ? つまり最初の手持ちは戦えないと」
「っ!」
「その位の目ざとさはあるぜぇ。……んじゃまぁ」
コウカツはパートナーに視線を飛ばした。……笑ってはいない目つきで。
それを受けたグレッグルの表情が、この上なくとろけた笑みを描く。

「お望み通り、本気でブチかましてやろうかねぇ」
「その前に倒すっ! ニューラ、『みだれひっかき』!」
ナゲキを刻んだのと同じ技が、とどめとばかりに放たれた。
グレッグルはそれを、受ける。

「『どろかけ』は無駄だったわね! この茶番男!」
「全くだなぁ。まぁ問題は無いけどな」
ニューラの全力を込めた連続攻撃が終わる。
倒れていなかった。
相手ポケモンは、立っていた。

「ありがとうよぉ……攻撃を当ててくれて」
そんな風に、コウカツとグレッグルの悪い笑顔が重なった時。

「グラララー!」
「ギニャアア………ッ!」
怒れる女の子は、笑われるままに勝負に負けた。
傷のツケを払わされるように。
攻撃に耐えたグレッグルが飛ばした、拳によって。
何かが砕けたみたいな音と共に、ニューラの体が跳ね上がる。
天井に激突して、そのままのスピードで床に頭から床に墜落した。
「ラ……」
震えながら上げた顔も、がくりと落ちて伏せられる。
完全な敗北だった。

「ご苦労さん。相棒。そして、お嬢ちゃん」
コウカツはポケモンをボールに戻した。
そして、呆然とするサヤちゃんに笑いかける。
「確かに『どろかけ』は無駄だったなぁ」
「………」
「一撃で倒せる事が確定だったとはいえ、遊び過ぎたぜぇ」
「え……ちょ、そんなはずないでしょう!」
あまりにも嘲りの過ぎた顔に、思わず怒声が漏れていた。
「何でサヤちゃんのニューラに一撃で勝てるなんて分かるのさ!」
「…………これもまた、相性よ」
力無く口を開いたのは、サヤちゃんだった。
「あくタイプはかくとうタイプに弱い。じゃあ他に格闘は何に強いのか。『ノーマル』『いわ』『こおり』…『はがね』ってのもあったわね」
「それって……」
「ニューラは悪と氷の掛け合わせタイプって訳さぁ」
高らかにコウカツは哄笑した。
「格闘に弱いタイプの重複。食らっちまえばそのダメージは計り知れないぜぇ。ま、数値化したら四倍って所かな」
「よ……!?」
「ちなみにグレッグルが出した技は『リベンジ』さぁ。攻撃を受けてから出せば威力が倍になる」
「ニ倍になった技のダメージが…更に四倍……」
「倒せない方がおかしいってもんよぉ……ハッハッハッハッ!」

始めから、勝てない戦いだった。
サヤちゃんもそれを分かって、格闘技を出される前に倒そうとしたんだろう。
コウカツは最初から最後まで、サヤちゃんを笑い物にしたんだ。
一回目に出来たはずの『リベンジ』を出さないで、弄んで……!

「貴方は、なんてひどい事を……」
「んな事言うなよぉ。これがポケモンバトルってもんだろうがぁ?」
「相手の不利を笑って、いつでも倒せるからって手を抜きながら希望を壊すのはバトルじゃない!」
「意外に言うねぇ。前側に付いてるボールをスられながら気付かない天然の割に、若い熱さを持ってるじゃねぇの」
「はぐらかさないで!」
「実にいいぜぇ、そういうツラはぁ!」
いきなりコウカツは叫び出した。

「俺は昔っからなぁ、人の困りヅラ、憎みヅラ、悔しがるツラを見るのが大好きなのさぁ! 特に生意気盛りなお前ら子供は格別だぜぇ」
「……最低な人だね」
「何とでもいいやがれよぉ! ポケモンを盗まれて泣きそうな癖になぁ! 実にいいツラだったぜぇ! バトルに負けたお嬢ちゃんの無意義さに満ちたツラも良かった! 俺様万々歳のブチのめし得よぉ! いい笑顔のポケモンが生み出すものはやっぱ違うなぁ! ハッハッハッハッ!」
聞く価値の無い冗長な言葉を垂れ流すコウカツ。
サヤちゃんはニューラのそばに座り込み、今は笑われる怒りよりも負けた悔しさに震えているようだった。
ほどなくして彼女もポケモンを戻し、ホルスターに収納する。

もう戦える仲間はいない。
目の前の泥棒が、希望を奪ってしまった。

「また……負けた。アタシが……」
鋭い敵意を滲ませていた女の子は、もう完全にその切っ先を折られていた。
「全く………この街に来てから、ついてない事ばっかりよ…………」
「そいつはご愁傷様だなぁ」
悪人の笑顔はいつまで醜くあり続けるんだろう。
「ま、俺様は有頂天だぜぇ。まんまとポケモンを盗まれた驚き・困惑・慌てヅラに、負け戦に手を出した代償の屈辱・後悔・憤怒ヅラまで見れたんだからなぁ」
「ぐっ……!!」
「睨むなよお嬢ちゃん。安心しろぃ。もうどいてやるからよぉ」
コウカツは私達を眺め下ろして高笑いした後、背中を向けて歩き出した。レストランの入り口へ。

「存分にボールを盗んだ犯人を探すといいぜぇ。ハッハッハッハ!」
サヤちゃんは拳を震わせて、勝者の背中をずっと睨んでいた。
……私の顔も、彼女みたくなってるんだろうと思う。
コウカツを捕まえる気にはなれなかった。ナゲキを盗んだのは、彼と一緒にいただろうモノトリオの二番目なのだから。
それに私もサヤちゃんも、悔しさで動けそうにない。
私からボールを盗った犯人も、コウカツの時間稼ぎで遠くに逃げただろう。
もう、これじゃあ。
私達が盗品を取り戻すことなんて――!

「んん? お前は誰なんだぁ?」
去り行く泥棒が、ふいに足を停止させた。
大柄な体が邪魔で見えないけど……何? 誰かが居るの?
居なくなってたお兄ちゃんが戻ってきたのかな……、

「キミこそ誰なんだい? 店員さんじゃなさそうだね」
けれど。
コウカツの向こうから聞こえてのは、耳にした事の無い声だった。
私はサヤちゃんと顔を見合わせる。……新たな困惑顔。
ううん、それは問題じゃない。
誰だか知らないけど、泥棒と鉢合わせしたんだ。危ない!

「あ、あの! その人は泥棒です!」
向こう側の誰かさんに呼びかけた。
「モノトリオのコウカツです! ポケモンも持ってます! 逃げて下さい!」
「モノトリオ?」
突然のお客さんは、緊張感の無い声で応える。
「女の子の姿がよく見えないけど……オジサン、彼女達が言ってる内容は本当かい?」
「ああそうさぁ! 有名人のコウカツだぜぃ! さぁボウズ、そこを通してもらおうか!」
「……ははっ。こんな所で出くわすなんてねえ」
声色とコウカツの言い分で、声の主は男の人と分かった。
そして『彼』はコウカツを通さず、黙ることも無かった。

「ま、一般人達が見ているんなら――キミは倒すしか無いね」

「う、うぉっ。何のつもりだぁ?」
コウカツが突然、後ろに下がってきた。
「おいおい、近付くんじゃねぃ!」
男の人が距離を詰めてきたかららしい。
店に入ってくる二人。ここに来てようやく………その姿が見えてきた。

「ご飯を食べに来て泥棒に出くわす。ボクもなかなか、ついてないや」
出し抜けな来訪者さんは、大柄な泥棒に比べれば華奢な身体つきの人だった。
お兄ちゃんより少し若いくらいの、中性的な顔立ち。
少し長めの髪を黄緑に染め、上下とも黒ずくめな格好をしている。
浮かぶ表情は、微笑。
コウカツとは違う余裕の面持ち。

「アンタは……!」
サヤちゃんが目を剥いて驚いた。
「知ってる人なの?」
投げかけた質問は無視される。
青年さんはモノトリオ一味の肩越しに私達を見て、何かを理解したように頷く。

「状況は分かった。モノトリオさん、どうやらキミはここで捕まらなきゃいけない」
「構わねえぜぇ。逮捕には慣れている。だがその前に……」
コウカツは再び、モンスターボールを取り出す。
「泥棒のカンが呼んでるぜぇ。俺様にそこまで余裕ぶっこく辺り――ボウズ、お前もトレーナーだろぉ?」
「うん、そうだよ。バトルする?」
「無論よぉ」
男の人の華奢な方も、ポケットからボールを手に取る。
そして再度私達に目を向け、呼びかけてきた。
「キミ達、安心するといい。後はボクに任せて、見ていてくれ」
「おいおい、俺様の後ろに話しかけるなよぉ。今のお前の相手は目の前だろぉ?」
「ああ、ごめんね」
「ったく……最近の若者って奴ぁ。まあいい。どこのガキか知らねえが、お前の顔も苦汁に染め付してやるぜぇ!」
「やれやれ……町では有名人のお尋ねものさんも、ボクの事は知らないか」
お客さんはコウカツの荒々しさに、あくまで影の無い形で…苦笑する。

「ま、構わないさ。形式上、ここではボクはキミを倒さなきゃいけないし、」
「ゴタクは終わりにしようぜぇ! 行けぃグレッグル! 笑顔をぶち壊しだぁ!」
泥棒はボールを振り下ろした。
緑髪さんも同じくボールを床に手向けながら、余裕に満ちた声調で告げた。

「それがジムリーダーの務めだからね」



◆◇◆



エリとサヤがレストランにて予期せぬ災難に見舞われていた頃。
コウカツのように茶番好きな彼も、一人の泥棒を視界に収めていた。
違っていたのは、二人が狭い路地にて追いかけっこに興じていた所だが。

「待ちやがれ泥棒が! エリのボールを返せ!」
「返す訳ねーし! 待てとか言われて待つ泥棒もいねーし!」
追われているのは、先ほどナゲキ入りモンスターボールをエリから盗んで逃げ出した男。
追うのは勿論……被害者の保護者である。

アキラはポケモン研究者だが、かといって運動の出来ない優男ではない。
フィールドワークの延長で、肉体的な疲労から逃げ回れる程度には鍛えてある。
だからそんな彼が、走りつづける泥棒との距離を詰めるまでに、そう時間はかからなかった。
モノトリオはネクシティを度々騒がせる三人組だが………その本質は愉快犯である。
泥棒をしていても、決して一流の泥棒ではない。
何度も逮捕され、刑期を終えて出るたびに再犯を繰り返す小悪党。
そんな彼らが最近唯一変わった事があるとすれば、それは――。

「くっ……! 追いつかれちまうし! ええいっ! 出でよ! 俺っちのポケモン!」
窃盗犯は片手に持つエリのとは別な、自らのモンスターボールを放った。
追っ手たる研究員の前方にて、モンスターが解放される。

「ワルルルルビーーィ!」
「うぉっ!」
出されたポケモンは間髪入れず、アキラに噛みつこうと飛びかかってきた。彼は慌てて距離をとる。
「ぜー……ぜー……どうだし。俺っちの人間じゃない方の仲間は。さばくワニポケモン『ワルビル』だしゃあ!」
「お前ら…ポケモンは持ってないんじゃなかったのか? そいつも盗品か?」
「気にすんなし! 色々あったんだし!」
泥棒は立ち止まり、アキラと目を合わせ息巻いている。
ワルビルは主人を脅かす男をうなり声で脅すばかりだった。近づけようはずもない。

「……しかし大したもんだしゃ。このモノトリオが一人『ロン毛のコウサク』に、一般人の身分で追いつくとはなぁ」
「お前の足こそ一般人並だったがな」
ポケモンを出している分、いくらか余裕を得ているコウサクに……アキラもまた軽口を叩く。

「それに、お前のスタートダッシュとほぼ同時に走れたから、見失わずに済んだ」
「ああん? どういう意味だし」
「レストランの窓が無駄にでけえのは、今回は幸いしたって事だよ」
それが、タバコ休憩を選んだ理由だった。
アキラはレストランに着いた時点で、窓から店内を何気なく見渡していたのだ。
そして、手配書に書かれていた泥棒のうち二人――コウカツとコウサクを発見した。
「白昼堂々盗みを働くだけはあるぜ。顔も変えずにメシ喰ってるとはな」
「俺っちらは気配を消すのと他人に目を背けさせるのが得意なんだしゃ」
ロン毛は嘯いてせせら笑う。

二人組を発見した時、アキラはあえてエリとサヤを入店させ、自らは警察に通報しようとした。
モノトリオの罪状には強盗もあったが、衆人の渦中でそんな暴挙が出来る程の凶悪犯ではない。……そう思っての判断だった。
少女二人の我儘を満たし、小物の悪党も同時に逮捕させる。
性悪で小狡い、アキラの策である。
もっともそれは愚策だったが。

「しかしまさか、エリのボールを容易く盗んでくれるたぁ思わなかったぜ。メシ時ぐらい仕事の事忘れろよ」
「俺っちのカンにピーンと来たんだし。あのぽやっとした方のガキは盗めるってな。……あの女二人、お前の妹だったのし?」
「赤の他人だよ。半分は兄やらせてもらってるがな」
「ほーう。よく知らないけど大変しゃなぁ」
「ああ全くだ」
善良な意地悪男と、軽薄な短絡男の応酬。
その間にもワルビルはアキラを見据えていた。
目の前のポケモンを突破せずして、エリのボールは取り返せない。
「………やるしかねえな」
研究員は自らのボールに手を伸ばす。
ツタージャ、ポカブ、ミジュマル。頭の中で適切な選択をした。
三体はクイネの森にてケンホロウと戦い、いずれも深手を負っている。
しかしそれでも三体だ。相手の手持ち一体に完敗する頭数ではない。
目ざとい彼はコウサクと向き合った段階で―――ポケットやベルトに他のモンスターボールが無い事実を認識していた。
こんな事なら、自分もキズぐすりを買っておけばよかったと後悔する。
だがどうにもならない。今の全てはエリの為に。

「出てこい! 俺のポケ」
「ワルルルルガーー!」
……台詞は途中でストップした。
ワルビルが再び大口を開け、アキラに突っ込んできたのだ。
「うぉああ! おいコウサク! そいつタチ悪すぎだぞ!」
「くっはははは! そいつはそうだし!」
紙一重で回避した彼を、悪人は笑った。

「そのワルビルにはなぁ……俺っちに敵対する奴をみ〜んな、噛み砕くよう教えたんだっしゃ!」
「何だと?」
「ちょっとでも不審な動きをしたらガブリだし! この意味、目ざといお前なら分かるしゃなぁ!?」
「………俺にポケモンを出させない気か!」
「ピンポンっしゃあ!」
コウサクは勝ち誇った。

「ポケモンは持ってるだけで、すんばらしいステータスになるんだし! 丸腰の人間を脅せるし、先に出すだけで抑止力にもなる!」
「ポケモンをセけえ事に使いやがって……!」
「戦略だし! お前はもう、こめかみにオクタンの口を突きつけられているんだっしゃ!」
能書きは意味不明だが、状況は極めてアキラの不利だった。
ポケモンを先出しして、後手に回ったトレーナーの動きを封じる。
愚策云々以前の犯罪的手段。
ポケモン研究家の息子としてアキラは憤るが、今相棒達を出そうものなら手に大怪我を負いかねない。
何よりワルビルは―――例え本能から来る悪意があろうとも、コウサクに従っているだけなのだ。
人間などの命令で、ポケモンに人間を襲わせたくは無かった。

「よーしワルビル、お前はここに残って白衣クンを威嚇し続けるっしゃ。俺っちはその間に逃げる!」
「最低のトレーナーめ!」
「これも仕事だし! このポケモン入りボールをお金と交換して儲ける為だしゃ!」
「くっ…!」

全速力の再稼動を試みるコウサク。ただし、今度は一人で。追っ手を背負わずに。
今逃がせば、エリに二度とナゲキが戻ることはない。
アキラは冗談じゃねえと歯噛みする。レストラン前で行った策と、これでは真逆だ。
エリの旅を辞めさせるキーであるナゲキを失い。
更にアキラの大嫌いな、エリの負の表情を見る羽目になってしまう。
一度の災難で、二の絶望。

アキラは覚悟した。
こうなったら全身をズタボロにされようとも、ワルビルの向こうに走るしかない。
ボールを一度に三つ投げて敵を攪乱一一その隙に、抜ける。

「……あらあら。アキラじゃなあい」
「ああん? 急に変な声出しやがって。馴れ馴れしく…………っ!?」
と。
その瞬間。
まさに手の負傷を受け入れて、エリから奪ったポケモンを出しエリから奪ったポケモンを持つ男の捕縛を行おうとした、その途端。

「うわっ! びっくりしたし! 誰だし!」
コウサクもアキラも、驚愕せざるを得なかった。
茶番を好む者には、実に予想だにしない展開だろう。

何の前触れもなく――女性が路地に現れたのだから。

「……ふふっ、クスクス」
何の前触れもなく。
その女性は本当に、その言葉を体現する形でそこに居た。
いくら男同士で顔を突き合わせていたにしても、アキラとコウサクには耳がある。
自分達に近付く足音くらい気付いてもいいだろう。
それすらも知覚させずに二人に接近したのが、この謎の女性だった。
「お前は……っ!」
その謎人物へ即座に警戒を見せたのはアキラの方だった。
「なあに? 二人とも。まるで私をオバケを見るような目で見て」
男の感情を鼻で笑える生き物が居るならば、それは女以外に他ならない。

「お前、何でこんな場所に――」
「嫌ねえアキラ。ワタシがプライベートでどんな街に移動しようが勝手でしょう?」
女性は柔らかな微笑みを滲ませつつ、ウェーブのかかった青紫の髪をかき揚げ、うろたえる男を細目で眺める。
それは優雅な動作だったが、左目の上馬渕から頬かけて切り傷がつけられているのが雰囲気に一石を投じていた。

「ちょっとした話し合いの為にこの街に来たんだけど………。騒がしい口喧嘩に興味をそそられて来てみれば」
「………………」
「大義の為に行動するキャラクターには、すべからく大きなイベントがあるものねぇ………クッスクスクス!」
「いやいや黙れし! この場をこれ以上ややこしくすんなし!」
突然の来訪者にツッコミを入れるコウサク。

「つうかお前誰しゃ! 白衣男クンから俺っちが逃げおおせるってのがこのシーンのシナリオだし! 邪魔するでねえし!」
「ねえアキラ。この人の台詞がよく分からないのぉ。解説してくれないぃ?」
「……かくかくしかじかだ」
「なるほどねぇ」
謎の成人女性は得心したらしく、腕を組んで首肯を繰り返す。

「とりあえず考察して分かったわぁ。そこのロン毛な男の人は――ここで目の前が真っ暗になる運命なのねぇ」
「訳が分からないし! お前もワルビルに襲われたいのし!?」
「ふふっ、怖い怖い。服をビリビリにされたくはないわねぇ」
青紫髪の女は気楽に構え、ワルビルを流し目で視界に移した。

ただそれだけで、気性の荒いさばくワニが萎縮した。

「お、おいワルビル、どうしたし?」
「私には分かるわぁ。その子…本能を刺激されるがままに生きている自分に、悩んでいるのねぇ」
「は、はあ?」
「ポケモンはみんなとってもいい子。でもそれ故に、人間の下における身の振り方に疑問を持つこともあるわ」
女性は深い笑みをたたえてそんな事を言いながら、ベルトにセットされたモンスターボールの一つを取る。
「あくタイプとなれば尚更――嫌われ者は大変ねぇ」
「ソルルル……」
ボールの中から微かに、彼女に応える鳴き声がした。
コウサクには不意打ちで現れたこの女性の言葉は理解できない。
しかしそれでも泥棒のカンなる力で一つの答えを導き出す。

「そ、そうか! お前も、あくタイプ使いなんしな!」
「…あら。アナタのお脳はエスパータイプ?」
「やっぱりそうか!」
人間は自身にとって都合のいい事実のみに飛び付く傾向がある。
「俺っちもワルビルを、あくタイプだから選んだんだし! 他の二人はどくタイプしゃが、やっぱ泥棒はこのタイプが最適し! 気が締まるんし!」
「ああそう。で、それがどうかしたのかしらぁ?」
「お前なら分かるっしゃろ? 同じあくタイプ使いなら! 俺っちらは分かり会えるはずし!」
今やコウサクの興味は、彼が同類と見なした女性のみに向いているようだった。

「だから俺っちを、ここで大人しく見逃して欲しいし!」
「…………」
「…………」
……謎の女性も、アキラも沈黙する。
むしろ謎なのはロン毛泥棒の思考回路かも知れなかった。彼に特に同情すべき点は無く、使用タイプが同じだからといって他者を同族扱いする義務も無い。
強引にでも逃げたがる、犯罪者の理論である。
だから勿論、答えも決まっていた。

「駄目ねぇ。ここから逃げたければ、ワタシを倒して行きなさい」
「……やっぱそうなるしか。いいし! やったろじゃねかーしゃ!」
青紫髪の女性は、先ほど取り外したボールをベルトに戻し、別のボールを片手に持つ。
「ワタシは人生二番目の相棒で勝負させてもらうわ」
「勝手にするがいいし! どの道俺っちにゃワルビルだけし!」
「そのキャラ作ってない? ボキャブラリーが少なくて心配だわねぇ……あぁそうそう、」
そこで女性は、忘れ物を想起したような軽い口調を紡ぎ出した。

「ワルビルがワタシを襲わないから、アナタはムリクリ理論で逃げようとしたのだろうけれど一一どうしてワタシは、ワルビルを止められたのだと思う?」
「ああ? 知るかし!」
「それはねぇ。ワタシがあくタイプの気持ちを分かったいるからよ」
そこで初めて。
笑みを絶やさなかった女性の顔つきに………僅かばかりの影が差す。
「ワタシは、この子達を深く理解しているつもりよ。けれどそれを、アナタみたいに利用したりはしない。ポケモンは、受け入れて、そして尊重しあうものだわ」
コウサクは気付かない。彼女の表情が微妙に変わった事に。
女自身も気付いていないだろう。無意識に出た変化だ。
気付いてる者が居るとするならば―――それは外野ターンに位置している、目の鋭いどこかの意地悪な男か。

「おいおいおいおい何だし何だし! ははっ! 俺っちとは違うんだしとでも言うんっしゃか? トレーナーの定義なんて何でもいいじゃんし! ポケモンと何かやって何かバトってれば、善悪関わらず人間はトレーナーっしょ?」
「そうでしょうね……ええそうでしょう。じゃ、初めましょうか」
卑怯な手は封じられ、ようやくバトル開始となった。
女性はモンスターボールを転がすように重力に託す。
落下中の生命入り球体を眺める、その瞳が映すは諦観か。
それは弾け一一光と共に闇をコウサクに見せつけた。


「え……? な!? なあぁぁ!? 何だし! 何だこのポケモンは! ひ、ひいぃいいい―――!!」



◆◇◆



「―――決着だね」
信じられない。
レストランにて開幕した、コウカツと青年さんとのガチバトル。
それがまさか……一撃で終わるなんて。

「嘘だろぉ………。俺様が、俺様のグレッグルがぁ……」
「別に落胆する事は無いよ。キミはきっと、運が悪かったんだ」
緑髪の男の人は爽やかな笑みを浮かべ、自らのポケモンをボールに戻す。
「どくタイプにして、かくとうタイプ……『サイコキネシス』の前には、ちょっとキツいものがあるよね」
「ぐぐ…悔しいぜぇ……」
「さあ。店員さん。そろそろ傍観者を辞めたらどうかな」
未だに固まっていたお店の方々に勝者が目をやる。
と、同時にみんな素早く動いて――コウカツを取り押さえた。そのままレストランの外に連れて行く。
とりあえず……サヤちゃんの仇は討たれた、みたい。
「やあ、災難だったね」
ヒーローさんが近付いてきます。

「えっと………助けてくれてありがとうございます!」
頭を下げる。
サヤちゃんは黙って彼を見つめていたけれど、ほどなくして「ありがとう」とだけ呟いた。

「ははっ、大したことはしてないよ。街を守るのも職務の一環さ」
気さくな笑顔を向けられました。
カッコいいと言うか優しいと言うか、善人の鏡みたいな人だなぁ……それはさておき。
「えっと………ジムリーダーって言ってましたよね?」
「うん。そうだよ」
青年さんは雑談口調で名乗りを上げる。
「ボクの名前はアイク。正真正銘、ネクシティのジムリーダーさ」
「アイク…さん」
「キミもトレーナーだよね。ボールホルダー付きリュックを背負ってるし。ジムに来た時はよろしくね」
「は、はい」
友達になろうよぐらいの軽さで戦闘フラグを立てられた。……いやまぁ避けて通れない道だけどさ。

「しかし、コウカツはお店を出る所だったようだけど……何があったんだい?」
「それが……」
私はアイクさんに事情を説明する。

「なるほど。その時居たもう一人にポケモンを……。ちょっと待ってて」
彼はポケットから何かを取り出した。
モンスターボール………じゃなくて、モニターの付いたパネル状の機械。
前にお兄ちゃんが使っていたタウンマップに似ているけど、サイズはそれより小さかった。

「ポケパッド、コールアプリだ。ネクシティ警察にコール!」
『了解』
青年さんがパネルに話しかけると、すごく棒読みな声が返ってきました。
それから、電話でよくある呼び出し音が響く。

「もしもし。アイクです。モノトリオが現れました。ボクのジムリーダーの名において、この街の封鎖をお願いします。コウカツは捕縛。残りの二人を捕まえて下さい」
持ち主はパネルをタッチして通話を切る。

「これで警察が総動員されるだろう。キミ達の財布もポケモンも、すぐに取り戻せるよ」
「あ…ありがとうございます」
「ん? ……浮かない顔だね」
青年さんは首を傾げる。
確かに彼の言う通り、ちょっと気分は優れなかった。
突然現れたこの人によって、問題は一気に解決された。
だけど、それでも。

「サヤちゃん、私じっとしてらんない! 私達も探しに行こう!」
「今更見つかる訳ないでしょ……と言いたいけど、いいかもね」
サヤちゃんはそう言って、アイクさんの顔をチラリと見やる。
ジムリーダーの彼は「反対はしないよ」と微笑んでくれた。

「行こう!」
レストランを出て……んー、とりあえず右!
それにしてもお兄ちゃんは、一体どこに消えたのかなぁ……。



◆◇◆



エリとサヤがレストランを出た時には、既に勝敗は決していた。
伏線も自己紹介も踏み越えて現れた、一人の女性によって。

「……クスクス。言ったでしょう? 運命だって」
対戦相手は答えない。
完膚なきまでに負傷したワルビルの後ろで、ロン毛のコウサクは気絶していた。
攻撃などはしていない。
女性が繰り出した一匹のポケモン――その恐るべき力と恐怖に倒れたのである。

「ザ………ザザ……ザザザザッ………」
「お疲れ様。さあ、ボールに戻ってゆっくりと休みなさい」
「ザ……ザザッ!」
彼女はポケモンを回収し、ベルトにセットし直す。
そこに取り付けられたボールは、六つ。
元よりコウサクには、勝ち目の無い戦いだった。
コウカツとは違い、バトルは一辺の油断も無く終わったが。

「ワ…ル…ビ」
敗者たるポケモンは、持ち主へと這いずる。
勝者はそれを、静かな目で見下ろしていた。

「自分の闘争心を利用して望まぬ命令をよこしたトレーナーを、信じるのね……否定はしないわ。それが貴方の望みなら」
人間よりも、ポケモンの心の方が大事だもの。
青紫の髪をなびかせ、女性もコウサクへと近付く。
そして、力無き片手からボールを取り上げた。
バトル前に見せた小さな影は、もはや欠片も見当たらない。
彼女の顔には、柔らかい笑みだけが浮かんでいる。

「アキラ、これよね?」
「………ああ」
エリのナゲキ入りモンスターボールが、兄の手に再び回帰した。
「クスクス。おかしな顔。ワタシのポケモンに見とれてた?」
「んな訳ねえだろ」
アキラは気のない風に答える。
「コウサクのリアクションが大袈裟すぎて引いてただけだ」

通りすがりの女性が繰り出したポケモン。
ポケモン研究員であるアキラは、当然それを知っていた。

「別段希少でも、神様の世界に片足突っ込んでる訳でもねえポケモンに……驚き過ぎだ」
「そうねぇ。でも、それなりに強〜い子よぉ」
間延びした口調を取り戻す女性。
ついでに微笑みが一瞬、意地の悪い形を描く。

「まぁ……少し前だったら、『災害指定』されてもおかしくなかったような――ポケモンかしら」
「…………」
「ふふっ。何はともあれ、お久しぶりね。アキラ」
「久しぶりだな………俺の最後の彼女」
音信不通だった、別れた異性と言葉を交わす。
「運命の再会ねぇ。会いたかったわぁ。ホウエン地方辺りの偉大なポケモンが、願いを聞いてくれたのかしら」
「やれやれ。茶番めいた脚色の好きな奴だな」
自分を棚に上げて相対するアキラ。

「ネクシティは大都会だ。ミメシス地方中から人がやって来るだろう」
「エンカウント率高しって奴ね!」
「そうでなくても……俺もお前も生きてんだ。生きていれば、再会する時もある」
「ええそうね一一失わなかった大切なものには、いつでも会うことはできるわよね」
「………っ」
「という訳でワタシは行くわぁ。こちらにもこちらの日常があるんだもの」
「……ああ。またの再会を、できれば祈るぜ」
「ええ。アナタもアナタの日常を送りなさい。大切なものを守りながらね。ヒーローさん」
青紫髪の女性は優雅な足取りで去っていく。
その姿が角を曲がって見えなくなってから、アキラはボールに目を落とした。

「ったく、本当に世話を焼かせるぜ……エリの奴。偶然的にも必然的にもよ………」
彼は歯噛みする。
思い返されるのは、街に来て最初の戦闘。
サヤがあくタイプのポケモンを出した時点で、アキラにはエリの勝利は分かっていた。
しかしそれでも彼女はナゲキを使いこなせず窮地に陥り――そして困惑の表情。

性悪で策士な彼はただ一つ、エリの負の表情には耐えられなかった。
本来の目的を忘れ、つい助言を与えてしまう。

「……そんな甘さも、捨てるべきだよな」
アキラはこれまで、当たり障りの無い形でエリの旅を辞めさせるつもりでいた。
ポケモン好きの彼女の心を傷つける形では終わらせず、あくまでトレーナーとしての自信を喪失させる方法を探していたのだ。
彼はそれを今、破棄する。

「圧倒的な傷を胸の中に刻んで、帰らせる。……そしてあいつを、救ってやるさ」
エリの側に居る彼に、これほど嵌る役割も無い。
例え彼女を傷つけ、故郷であるプロロタウンに足を引きずらせようとも…その隣にはアキラが居るのだ。
ポケモンの旅を諦めたエリを、彼なら慰め、心を元に戻してやれる。
エリの望みを絶つ者が、アキラの策を与えた他人なら。
そしてエリが――それに気付きさえしなければ。
結局は無傷で帰らせるのと、同じ事。

「お兄ちゃ〜ん!」
アキラの保護対象が帰ってくる。傍らにはツリ目少女も一緒だった。
「お兄ちゃん! あのね、私のボールが……はひっ!? この人はっ!?」
エリは物言わぬコウサクを指差す。
そして戸惑いの瞳で、泥棒と研究員を交互に見た。地に伏すワルビルにも視線を寄せる。

「………もしかして、お兄ちゃんがこの人を倒したの?」
「当たり前だ。俺がただレストラン前を離れたとでも思ってたのか?」
アキラは溜息と共に語る。
「何故かポケモン持ってやがったが、楽勝だったぜ」
「でも何か、この人気絶してない?」
「俺のせいじゃねえ。こいつが勝手にすっ転びやがったのさ。俺に恐れをなしてな」
「ふ〜ん……」
エリは半信半疑な様子でアキラを見ていたが、目の前にある状況から彼の言い分を否定できるはずもない。呑み込むしか無かった。
「あっ、じゃあ私のボールは」
「ほらよ」
アキラは盗品を持ち主に返す。
目を輝かせ、すぐに中身を召喚するエリ。
「ナゲキーーー! 会いたかったーー会いたかったーー会いたかったーー!」
「ゲキイッ!」
「ギ〜ミ゛〜に゛〜!!」
「はぁ……」
パートナーに投げ飛ばされるエリと、それを見て呆れ果てるサヤ。
アキラは天然な方を眺めながら、拳を密かに握るのみだった………。



◆◇◆



それから時間は流れまして。
「ふぁ〜! 夢にまで見た宿屋だよ〜!」
「安っぽい夢ね……て言うかロビーなんだから静かにしなさいよ」
レストランで腹ごしらえを致しまして、私達は無事宿屋に着くことが出来ました。

「でもでも! 私今まで宿屋に泊まったこと無いんだよ! だって今日トレーナーになったばかりだし! この街に宿泊する程の用なんて無かったし!」
「あ〜も〜、知らないわよ! そんなに顔近づけなくても聞こえてるわ黙ってて!」
「おいコラ女ども、ここはロビーなんだから静かにしろ」
チェックインを終えたお兄ちゃんが戻って来た。
「お兄ちゃん、何泊にしたの?」
「今日を入れて三泊四日だ。ま、もう今日は死に体みてえなもんだがよ一一お前が外に出たくねえと仰せだからな」
回りくどい言い方で回りくどい嫌みを言うアキラ。
今の時間帯は夕方。私は兄の言う通り、今日はもう宿屋から出ないつもりでいる。
……日付を跨がないとまたナゲキを誰かに盗まれるとか、そんな不安を感じたからなのは内緒です。
「まぁナゲキを鍛える手もあるけどさ………手っ取り早い場所ってクイネの森しか無いし。今行くと暗いから今日はもう駄目だもん。やる事無いよ」
「あら、そうでもないわよ」
意外にもサヤちゃんが割り込んで来た。

「アタシ、クイネの森なんかより良い鍛え場所を知ってるわ」
「えっ? 本当?」
「この街の外れ…って言っても宿屋からは近いんだけど、クイネの森に面した広い空き地があるのよ」
「空き地?」
「ええ。アタシも初めて見つけたんだけど……何か野生ポケモンがうろついているのを見たわ」
「そうなんだ」
それは丁度いいスポットですな。

「えっと、詳しい場所は?」
「アンタに説明しても理解しなさそうだから、明日案内してあげるわ」
「ありがとー!」失礼だけど!

「アタシはもう部屋に戻るわ。夜食の時間までまだあるし……アキラ、時間になったら呼んでちょうだい」
「何故俺が!?」
「アタシを不幸にさせた男だからよ」
「待ちやがれ! 全ての元凶はお前がぶつかったエリだろうが!」
「お兄ちゃん、ここはロビーなんだから静かにしなきゃ駄目なんだよ?」
「俺は悪くねぇえぇ!」
うろたえて叫ぶアキラ。珍しい。
カウンターの従業員さんが怒り顔でこっちを見ている………あれ? サヤちゃんも?

「……まぁそうよね。アンタにぶつかったせいでアタシは財布泥棒を見失った訳だし」
「あうう」
「その財布もすっからかんで取り戻すことになったしね」
「はぅう〜……」
頭が上がりません。思わず小さくなってしまします……。

あの後結局、モノトリオは全員お巡りさんに逮捕された。
そしてサヤちゃんの財布も、中のお金が空気な状態で戻って来た。
短時間で何にお金を使ったのかは、現在全力で捜査中とのこと。

「とにかく! アンタとアンタの兄のせいで被った災難、当分は償ってもらうんだからねっ!」
会話を強引に打ち切って去ってしまう勝気少女様。
私とお兄ちゃんだけがロビーに残されたのでした(受付の人除く)。

「ふう…長い1日だったなぁ……」
ポケモントレーナーデビューして、ナゲキがパートナーになって。
バトルに負けて悔しくなったり、森で野生ポケモンと戦ったり。
これからの旅も、そんなハプニングに巻き込まれるのかも知れない。
でも、やっぱり。
「――楽しかった!」
終わり良ければ全て良し、だよね!

「あー、自己完結中に悪いんだが……」
まとめにかかってる最中にお兄ちゃんに話しかけられる。
何ですかアキラ。空気も読まずに兄貴面するのですかい?
「三日間の期限が切れた後は、俺は金銭面での援助はしないからな」
「えっ」
「えっじゃねえ。俺が何度もお前の為に金を使うと思うな」
お兄ちゃんは全身で私に向き直り、目を細める。
責めるような眼差しだった。

「俺は保護者としてお前に付き添ってるが…至れり尽くせりをやるつもりはねえんだぜ。この旅の主役はお前だ。忘れた訳じゃねえだろう?」
「それは……」
「つう事だ」
一方的に会話を打ち切るアキラ。
「今日はお開きで、あと三日間。ま、せいぜい頑張るんだな」
兄も消える。この場から部屋へ。

「……何なのですか、全く」
えーっと。
今の私にはお金が無い。宿泊が終わっても金欠のままだったら、どこへも泊まれず色々困る。
つまり明日からの三日間で、私はナゲキを鍛え、ジムリーダーさんをのめして出発しなければならない……って事ですかい?
うーん、縛りプレイ。
「って言うかお兄ちゃん、何であんなに不機嫌そうだったんだろ」
宿屋に加えてお昼代まで押し付けたのが、そんなに不満だったのかな。
何だか、変な感じがする。
それだけが理由じゃないような……。

「まぁ、ともあれ」
人の事より自分の事。
お兄ちゃんの言った通り――そして私が自覚しているように、これは私の旅だ。
アキラの挙動にばかり目を向けてはいられない。

『……決着だね』
ジムリーダーのアイクさん、強かった。
至れるか、越えられるかは分からないけど。

「……やってみせるよ、お兄ちゃん!」

空気に向かって吠え立てる。
私達の戦いはこれからだ!



◆◇◆



エリ、アキラ、サヤ、etc。
千差万別なポケモンと同じ、多種多様な人間達。
それぞれは単なる生物でも、彼ら彼女らは複雑に縁を絡ませ、未来へと伸びようとする。
どんな人間だろうとそれは同じだ。
例えば――知らない場所の他人でも。

「……つー訳で、ガキからギッた金、入金しやしたぜ」

ジムリーダーのアイクが警察に通報し、ネクシティを封鎖する直前。
公衆電話にて何者かと会話する、男の姿。

『ゴ苦労様デス。コレデ私ノ指定シタ額の入金ハ――完了、デスネ』

向こう側より聞こえて来る声は実に奇妙なものだった。
これもまた人間の成せる技。
声調も声質も改変された、異質な音声。
相手の性別はおろか、年齢を特定する事すら出来ない。
そんな正体不明の相手に、男は緊張感も無く通話を続けている。
当然と言えば当然だ。
プロを気取る泥棒は、決して精神をぶれさせない。

『ソレニシテモ流石デス。想定デハ目標達成マデニ、モウ少シカカル物ト思ッテイマシタガ』
「俺らモノトリオに任せればこんな物です。特にこの俺、『金髪のコウケツ』様にかかればね」
サヤの財布を盗んだ男は、そう嘯いて醜く笑った。

「嬉しかったですぜ。単なる泥棒トリオだった俺らにポケモンなんて大仰なモンくれて、こうして仕事させて貰えたんですからねぇ」
『ソレハ良カッタデス。コチラカラモ、オ礼を言ワナケレバイケマセンネ』
相手の声が若干弾む。
純粋に嬉しそうな口調だった。

『我々ノ【団】ニ資金ヲ提供シテ下サリ、アリガトウゴザイマシタ』
「礼には及びませんぜ。金を送ったり、盗んだポケモン売りさばいたり。俺らの実力を発揮したまででさぁ」
コウケツもまた、親しい友人に向けるような喋りだった。
本当は――電話の相手には会った事すらもないのだが。

「非合法な団体さんで、スポンサーも少ないんでしたよね」
『エエ、マァ。アナタ方ニハ感謝シテイマス』
「それじゃあ、最初に貴方がたの『したっぱ』サンから受けた説明通り…貰ったポケモンはそのまま受け取りますぜ」
『ハイ。他ノ二人ニモ伝エテ下サイ。ドウカ大事ニ末永ク……ト』
「了解っ!」
金髪の泥棒が、そう言って電話を切ろうとした時だった。
突如、街中に警報が響く。
街頭スピーカーから聞こえてくる、ネクシティ閉鎖と、警察出動を伝える知らせ。
コウケツの軽い笑みに冷や汗が追加された。

「おやおや……仕事を完遂した途端に、何百回目かの街封鎖ですかい?」
『封鎖デスカ? …我々ノ仕業デハアリマセンヨ?』
「分かってますぜ。あんたらは部下を切り捨てたりゃしないんでしょう。ま、俺らは雇われの身分ですがね」
この場に留まり続けるのは損だと判断し、泥棒は会話の打ち切りを決断する。

「追われるのも捕まるのも、モノトリオにゃあ慣れっこですから。ではではさいなら。末永く」
コウケツは受話器を置き、どの方角に逃げようか思案を始めた。
そしてその思考を助けるように、

「居たぞ! モノトリオのコウケツだ!」
「逮捕する〜!」
「ガウガウ! ガディーガ!」
「はいはい、お出ましですな」
逃げる泥棒、追う警察。
知れた都会は人工迷路。犯罪者のゲームには相性抜群。
更にプレイヤーは一人ではない。
人外たる仲間が居るのだ。

「さあ、挟み撃ちだぞ! 覚悟しろ泥棒!」
「コウカツは逮捕の知らせが来た! コウサクもすぐに捕まえる! 観念するんだな!」
「お前はポケモンを持たない集団だ! ガーディに噛まれたくなければ投降するんだ!」
「ガウガウ!」
「はっはっは! さすが警察諸君!」
すぐさま泥棒は否定に走った。モンスターボールを取り出し、投げる。

「出てこい! ドガース!」
「ドガ〜〜ス……」
どくガスポケモン、ドガース。
球状の体を膨らませ、途切れ途切れに煙を吹いている。

「『えんまく』を吹き付けるんだ! 行けえぇ!」
「ドガアァ……ッス!」
コウケツの周囲に居た敵全員がドガースの吹き出す白煙を受けた。人間、ポケモン関わらずに。
「ぐおわぁ、ごほごほ! 前が見えんっ!」
「畜生、人間にも躊躇なく浴びせかけるとは!」
「ガディガー!」
「のわっ! こら噛みつくな! 標的はあっちだ!」

「ようし逃げるぞドガース!」
泥棒は気体に身を隠し、挟み撃ちの状況を脱した。
そのまま目的もあてもなく、喧騒の街を走っていく。

コウケツはこの後警察に捕まり、しかるべき罰を受ける事となる。
しかしそれを予期しながらも、彼は足を止めなかった。
失敗し尽くして、道を踏み外す行為自体を娯楽と捉えてしまった人間達。
法の裁きも正義の味方も、彼らには玩具でしかない。
退屈しのぎな人生の為に、自分以外の何かを糧として得るのは当然の事。
それが人を超えた不思議な生き物であったなら、どんなに今を楽しめるのか――。

悪人は天を仰いで歓喜する。
「ポケモンは最高の相棒だぜ!!」



『出会いは戦いの始まり?』 終わり

to be continued


  [No.1076] 第五話:かわいいは罪なのかな? 投稿者:ライアーキャット   投稿日:2012/12/23(Sun) 12:47:33   64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

・第五話 かわいいは罪なのかな?


「すー…すー…すやすや……」
「おいエリ、起きろよ」
「むにゃあ……戦車10タテは疲れますよぉ………」
「斬新な寝言ほざいてんじゃねえ」
「……ほぇ?」

目を明けると、見慣れない天井が見えた。
けれど同時に聞き慣れた声が届いて、意識をはっきりさせてくれる。

「あっ………お兄ちゃん」
「ようやく目ぇ覚ましたか」
私の兄、ポケモン研究員のアキラがそばに立っていた。
私は重い目蓋をこすりつつ、ベッドから体を起こす。

「さっさとそのシケた顔整えて食堂に来い。……ったく、10分も俺の呼びかけを無視しやがって」
「食堂って……え?」
頭を満たすのは、?マーク。思った疑問は素直に口へ。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「何だよ」
「ここ、何処?」私はエリだけど。
少なくとも私達の暮らしている街――プロロタウンじゃないよね?

「………はぁ」
私の質問に盛大な溜息をくれるアキラ。
そして昔研究所で見た『ゴルバット』ってポケモンみたいな目つきでこっちを見てくる。
「お前の頭は本当にハリボテだな」
「うっ……」
「脳みその代わりにドガースでも入っているんじゃないか?」
「うぅ〜……」
「俺達は昨日にプロロタウンを出て、今はネクシティの宿屋に滞在してるんだろうが」
「あっ」
そうでした。

「ようやく思い出したようだな」
「うん…もう大丈夫」わたしはしょうきにもどった!
「……言うのはこれで最後だ。朝メシが用意されてるから食堂に来い。ポケモンも忘れずにな」
お兄ちゃんはそれだけ言って、さっさと部屋を出て行った。
朝ごはん……か。

「エリの冒険――二日目、だね」
寝床を降りて、壁にかけられた鏡の前に立つ。
お気に入りの髪飾りで頭の片側を結ってから、隅に置かれたリュックに目を向けた。
ベルトに取り付けられたボール。私の、パートナー。
「さぁ…今日も一本取るぞ〜!」
クイネの森で汚れたお洋服も、洗濯済ませてピカピカ状態!
新規一転な1日の為に、まずはパジャマから脱しますか!



◆◇◆



「あ、エリ」
「サヤちゃん! おはよ〜」
着替えを終えて食堂に行くと、そこには朝食とサヤちゃんが居た。

「全く……朝からよくそんな大声が出るわね」
「ポジティブシンキングが取り柄ですんで」
「でしょうね。アンタには脳みその代わりに『いかりまんじゅう』とか入ってそうだし」
「ひどい事言いますね…」あといかりまんじゅうって何?

ともあれ、席についてお食事を開始する。
う〜ん、宿屋のご主人様はいい仕事してますな。
ちなみに、お兄ちゃんは離れた所で朝メシ様にがっついていた。お行儀悪い。

「んで、準備は万端なのよね」
「ふぁい?」
「ふぁいじゃないわよ! アタシがこの街に来た時に見つけた、野生ポケモンスポットに行くんでしょ?」
「あ」
そうでしたパート2。
……私って本当に物覚え悪いんだね。

「食べ終わったら早速行くわよ。アタシもアタシで、この子達を鍛えたいし」
「この子?」
「チョロニャー」
鳴き声につられて下を見ると、ポケモンがサヤちゃんの足に擦りよっていました。
彼女のパートナー、チョロネコ。

「ニュラニュー」
「ポカポカ〜♪」
「ツタァー!」
「ジュママ……ムグムグ」
「おおっ! 皆の衆」
更なるポケモンの声に目を動かしたら…サヤちゃん第二手持ちのニューラに、お兄ちゃんのツタージャ、ポカブ、ミジュマルも居る。
小動物ご一行は窓際に固まり、床のお皿に盛られたポケモンフーズに群がっていたのでした。

「って、あ〜っ!! 忘れてた!」
私のポケモンも朝ごはんへ誘わないと!
自分のブレイクタイムは一旦ブレイク。起立!
持ってきたモンスターボールを床へと投げた。

「行け〜! ナゲキ!」
「ゲキッ!」
柔道ポケモンさんがお出ましになられました。
「さぁ、ナゲキも食事タイムと洒落込むがいいよ」
相棒殿の背中を押してエサ場へ誘う。

「ゲキィイイー!」
「ぎゃあぁー!」
触んなとばかりに投げられた! 地面の感覚が失せる!
「ちょ…きゃあっ!」
「へぶうっ!」
落下した。……あれ? 痛くない。

「……ア、アンタ………」
「へ? ……サ、サヤちゃんっ!?」
食事中のサヤちゃんにぶつかって下敷きにしてしまったようです……。
ひっくり返った椅子、彼女のご飯。
恐怖に駆られて飛び退くも――もう遅い。
勝気少女さんのツリ目が一気に切れ味を帯びる。
紫色のロングヘアが逆立ったような錯覚を覚えて、

「………こんっのダメトレーナーがあぁああー!」
「許して〜〜!!」
「逃げるなあぁああ!!」
「うるせえぞお前ら! メシぐらい静かに食え!!」
ポケモンの不始末はトレーナーの不始末。

今日もナゲキになつかれぬままの1日が始まるのでした。とほほ……。



◆◇◆



サヤちゃんは私達と同じく、昨日にこの街に着いたらしい。
そんなサヤちゃんが私達に先んじて見つけたのが、
「この空き地って訳なんだね……」
ネクシティの郊外。
宿屋から出て数分の場所に、我々は来訪しておりました。

「なるほどな…。草むらは生え散らかしてるしクイネの森がすぐそこだ。野生ポケモンには事欠かねえだろうよ」
「でしょ? アタシも軽く手持ちを鍛えてたけど……大変だったわ。噛みつかれたり火を吹かれたり」
研究員と強気さんが喋っている中、とりあえず周りを見渡してみる。
都市の一部に空白みたいなスペースがあって、そこだけが自然の面影を残している。そんな風景だった。

「やっぱクイネの森って広いんだなぁ……。ネクシティの周りを包んでいるみたい」
「そいつは違うぜ、エリ」
呟きを耳ざとく拾うお兄ちゃん。
「そもそもプロロタウンとネクシティ自体が、クイネの森の中にあるのさ」
「そうなの?」
「俺らが突破したクイネの森は、ほんの一部に過ぎねえって訳だ。ま、あそこまで生態系が拮抗してんのはあの区域ぐらいなんだろうがな」
私達が突破した区域……か。
あそこは森の中心ってトコなのかな。二つの町の間だし。

「そういやあ、あの時お前を見つけたのも、あの森だったな」
「えっ?」
「今以上にガキだった頃、お前研究所の裏手にある森で遊んでただろ? あそこもクイネの森なんだぜ。末端だけどな」
「そうなんだ……」
言われてみればそうだった。私がトレーナーになるずっと前のこと……。
昨日突破した森とは違って、あそこは野生ポケモンは居ないけど素敵な場所だったっけ。
ううん、確か毎日遊びに来てたポケモンが一匹居たような――。

「ほらほら、余計なお喋りしない! ポケモンを鍛えたいんでしょ? 入るわよ!」
サヤちゃんの声で我に帰る。彼女はもう空き地を囲う柵を乗り越えていた。
大人しく、私達も続く。

「開発が中止されて、向こう十年は建物は立たないだろう敷地……いいスポットよね」
「……今更だけどさ、入っていいの?」
「看板も無いし構やしないわよ」
「そうなのかなぁ…」
草の生い茂る中を進む……うわ、足がチクチクするよ。レギンスなサヤちゃんは大丈夫なのかな……?
いつでも野生ポケモンに遭っていいように、リュックに装備されたボールに触れる。

「一一待て、静かにしろ!」
アキラが緊迫した声で叫んだ。
「聞こえる……足音だ。小型のポケモンか…」
「本当なの?」
「俺は何度もフィールドワークをしてるんだぜ? 間違える訳が……居たっ!」
お兄ちゃんは一点を指差した。そこは草むらの途切れた場所だった。
確かにそこから、草をかきわける音が聞こえた――急いで駆けつける。
居た! ポケモンだっ!

「コジョ〜〜〜〜!!」
「………!」

その野生ポケモンは、小型な体で踊り出て来た。
振袖…じゃないよね。長袖みたいに裾のなびく腕を広げつつ回転し、ガニ股ぎみな体制で地面へと降り立つ。
一瞬だけ俯いた頭は着地の直後に水平に向き、私達へとメンチを切った。
丸い耳。ツンと尖った鼻。そして。
キリッと尖りながらもつぶらな瞳。
ちっちゃいお姿で現れながら、それでも野生の本能をむき出しにして――ポケモンがこちらを睨んでいる。

か。
「かっわいいいいぃいぃぃいぃいいい!」

誰かの悲鳴が空き地に響いた。
その音源が何を隠そう私で、しかも悲鳴じゃないと知るには若干の時間がかかりました。

「あら。アタシが出遭ったのは火を吐く禍々しい犬なんだけど……。何なのコイツ?」
「……ぶじゅつポケモンのコジョフーだな」
私の後ろで人間二人が何か言ってる。
けれど私の両眼筋は、しばらく前方のお方から離れそうになかった。
このポケモン――可愛いっ!

「コジョッ! コジョー!」
コジョフーと呼ばれてるらしいポケモンは、三人の人間に動揺しているみたいだった。
私達から間合いを取りつつ、ステップを踏んで立ち位置を探っている。

「エリ、見とれてる場合じゃねえぞ! 生身でポケモンと戦う気か!」
「はっ! そうでした!」
私にポケモンの技とか出せる訳ないしね!
んじゃあ……行くよ! コジョフー!

「ナゲキ! 出てきて〜!」

破裂音と共に、投げたボールから相棒が飛び出した。

「ゲキイイイィイッ!」
私に攻撃しちゃう位に元気盛々な柔道ポケモンは、両の拳をぶつけ合いながら戦いの意欲を燃やしていた。
そんなナゲキに私は命じる。

「ナゲキ! そのポケモンは倒さないで! 弱らせるだけに留めるんだ!」
「ナ、ナゲィ!?」
「何ぃっ!?」
人間と人外のパートナーが同時にビビった。なして?

「お前…そいつを捕まえるつもりなのか?」
「……? そうだよ。別にいいじゃん」
何か不都合でもあるんですか?

「いや…いい。いいともさ。偏った所で好都合なだけさ……俺にはな」
「はい?」
意味わかんない。
っと、アキラの無駄口はどうでもいいんだ。コジョフーへ向き合わないと!

「コジョ〜!」
先手を打ったのはカワイ子様でした。
いきなりナゲキの目の前に距離を詰め、腕を広げる!
「ゲ……ゲキッ!?」
「えっ!?」
コジョフーは両手を勢いよく打ち鳴らした。
乾いた音が鳴り響いたけれど、ナゲキの体に触れた訳じゃない。
でもその『攻撃』を受けて柔道ポケモンは一一転んでしまう。
やばい、完全に出鼻をくじかれた!

「『ねこだまし』だな。相手を必ずひるませ、行動を封じる」
「そんなのアリ!?」アキラは物知りだなあ!
「ポケモン界にタブーなんざねえよ。……もっとも、この技は最初の一回しか使えねえがな」
「どうして?」
「二度も油断するポケモンはいねえからだ」淡々と、お兄ちゃんは語る。「ナゲキだって、同じ手は食わねえだろ」

言われて視点を変えると…私のパートナーは即座に体制を立て直し、反撃に移ろうとしていた。
「ゲキイィ、」
「コジョッ! コジョー!」
それよりも早く、コジョフーの手がナゲキの頬を打つ!
「どうして!? 二連続で攻撃してる!?」
「んな訳ねえだろ。『ねこだまし』は先制をとる技で……今の『はたく』は単にコジョフーが素早かっただけさ」
どうやら武術ポケモンさんは、軽快さをウリにしたテクニック系らしい。

遅ればせながらナゲキの『ちきゅうなげ』がヒットし、コジョフーをふっ飛ばす。
けれど小さな体は空中ですぐに向きを変え、墜落どころか余裕の着地。
あれ…? 目が光ったような……?
「ゲキゲキー!」
何故か相手は何もして来ない。ナゲキ、チャンスだ!
「コジョ…!」
「ナゲィ!?」
突き出した柔道ポケモンの両腕は空振った。
ううん、コジョフーが腕の中で……消えた!?

「フウゥウー……」
いつの間にか、標的はあさっての方向に回避していた。
でもあんな、ナゲキの動きを把握したような動きなんて……、

「お兄ちゃん、あれもコジョフーの技?」
「決まってんだろ。『みきり』って奴さ。相手の攻撃を予測し、必ず回避する」
「そんなの、」
「アリさ。ただこっちも連続使用は出来ねえ。理由は…言わなくても分かるよな?」
二度もひっかかったりはしないから、か。

「ゲキッ!」
「コジョジョッ!」
肉弾を交える小柄な二匹。
ナゲキが全力で投げを打つべく襲いかかり、コジョフーは要所要所で特別回避を発動していた。
力押し対、ヒット&アウェイ。

「ますます…逃す訳にはいかないね。コジョフー……!」
あの子を捕まえる為に、私は何をすればいいか。
体力自体はナゲキが削っていってるけど……。
そうだ!

「ナゲキ! 『のしかかり』だ! コジョフーの動きを封じるんだよ!」
困った時の過去頼み! サクラさんと戦った記憶が蘇った。
『のしかかり』には相手ポケモンを『まひ』させり力がある。コジョフーの守りを打ち破るチャンス!
……なんだけど。

「ゲキゲキゲキイィ!」
「ナ…ナゲキ?」
私のパートナーは攻撃の手を緩めない。ただ目の前の敵を倒そうと必死だ。
「――って、それじゃ駄目じゃん!」
今度は危険信号が頭に響く。
「ナゲキ! そのポケモンは捕まえる予定なんだ! あんまりオイタしちゃ駄目!」
聞いていない。ナゲキは声を聞いてくれない。
「そのコジョフーは……私のオキニなんだよおぉ!」

「ふうん…なるほどね」
何がなるほどなのサヤちゃん!?
「アンタのナゲキがなついてないのは昨日見たけれど……よっぽど好戦的な性格が原因って事らしいわ」
「好戦的って…」それは薄々知ってたけど。
「ただひたすら強さを求めていて、立ちはだかる者は全員敵」
気性の荒さ……柔道ポケモンという分類にはそぐわない、攻撃性。
「だから、その敵が味方になるなんて考えは――微塵も持ってないんでしょうね」
「うっ……!!」
そういう事か!
ナゲキにとって、全てのバトルは相手を排除する為のもの。
私がコジョフーを捕まえたいとか、そんなのに従う気は全く無い…!

「えっと……サヤちゃん。このままだとコジョフーは…」
「間違いなく『ひんし』になるでしょうね」
強気さんは喋りも目つきも冷静でした。
「野生のポケモンは『ひんし』になれば、バトルを放棄して逃げ出すわ。モンスターボールも『ひんし』のポケモンは捕まえられない」
「……『ひんし』で動けなくなった所を捕まえる事は出来ないんだね」
「駆け出しトレーナーの誰もが突っ込む疑問よね。……そう、出来ないのよ」
「ひ、ひえ〜!」
トレーナーの通った草むらには戦闘不能のポケモンがゴロゴロ転がってるんじゃないかとか、それを捕まえれば手持ちコンプ楽じゃねとか思ってたんだけど! そっかー出来ないのか!

「どうしよう……」
ここぞという時にナゲキを戻してボールを投げるのは簡単だ。でもその場合、失敗したらコジョフーは逃げ出すかも知れない。
自分の体がボロボロって時に相手がいなくなれば、その場に止まる必要が無くなるから。
手持ちポケモンが出ている時に投げるのがきっとセオリーなんだろう。
でもナゲキは今自立行動状態でコジョフーをのしてて、このままじゃ確実に捕獲のチャンスを失って……!

「……あー、もうっ!」
どうすればいいのかなんて…考えたって分からないよ! 直球勝負だ! ごめん言ってみたかった!
「こうなったら――ヤケだっ!!」
リュックを下ろし、中からモンスターボールを取り出す。
そして、そう長くはないっぽい戦い中のニ匹に向け……構えた。

「エリ、お前まさか……」
「エリ……アンタ、」
その通りですよお二人さん!
「観察――だっ」
観察、観察、観察。
タイミングを見計らう。コジョフーの体力がいつ、ボールを投げていい時を迎えるか……見る。
ナゲキはよく頑張っているようだった。もう相手は『みきり』さえ使っていない。それだけ追い詰められているんだろう。
今投げるべきか、もう少し傷だらけになってから投げるか。
間違えたら武術ポケモンは倒され、機会を失うことになる。これは一種の賭け!
「ゲキッ……ゲキッ!」
「コジョオォオフー!」
「グゲッ! ゲ、ゲキイ!」
「コジョ!? ……フー、フー、コジョー!」
ボールは三個もあるからチャンスは三回一一そうは思えなかった。
失敗して、次のボールを投げようとする間にナゲキがとどめを刺すかも知れない。
だから、この一球に全力を込める。
観察、観察、観察……!

「ゲキーーーー!」
「コ…………ッ!?」
「一一今だぁっ!!」
攻撃を受けたコジョフーの呻きが限界をきたした悲鳴に聞こえた。
……ような気がしたので! ボールを投げつける!
私の手を離れたモンスターボールは、正確にコジョフーに命中した。第一関門クリア!
続けてコジョフーを内部に取り込み地面に落ちる。一瞬で脱出はされないようだ。第二関門クリア!
「来い、来い、来〜〜い!」
ボールが揺れている。武術ポケモンが抵抗している。
ボタンがあったら連打したい気分に駆られた。
お願い、破らないで……!
「お願い……っ!」

野生ポケモンを飲み込んだモンスターボールは。

沈黙した。

揺れなくなって、静止した。

「……お、お兄ちゃん」
「何だ?」
何故私の体は揺れているのでしょうか?
「何故モンスターボールの揺れが止まったのでしょうか?」
「そりゃあ、決まっているだろうが」
ポケモン研究員さんは、答える。

「コジョフーの捕獲が、成功したからだよ」
ナゲキがこっちを見ている。
あ、怒ってる怒ってる。何かこっちに近づいて来る。
でも私は、多分パートナーとは正反対の気分だった。
「――やったー! コジョフーを捕まえたぞ!」

そして、ナゲキのスローイングを受けた。
限界をきたした悲鳴が、お腹の底から漏れた。



◆◇◆



「コジョー!」
「可愛い可愛いかーわーいーいー!」
「コジョ……」
「あーん、可愛いよ〜!」
「コジョ〜」
「ぎゅうぅうっ☆」
コジョフーを抱きしめる。ナデナデする。
毛並みからは土と草の匂いがしたけれど、それも野生から卒業したての初々しさがあってGOO! でした。

「ったく……宿屋に帰ってからずっとそんな調子じゃない」
サヤちゃんが後ろから呆れボイスをかけてくる。
「別にいいじゃない。可愛いし初ゲットだし可愛いし。サヤちゃんも抱っこしてごらんよ、ほらほら」
「嫌よ。洗ってもいない野生ポケモンなんて。不潔だわ」
「ひどいなー。野性味あふれる感じがしていいと思うんだけど」
「……天然女が何言ってんだか」
「何か言った?」
「脳みそがおポケ畑の女の子には脳みそ筋肉がお似合いって言ったのよ」
さいですか。

「あ、そうだ!」
『ねこだまし』並みに手をパチーン。
「……何を思いついたのよ」
「コジョフーにプレゼントをあげよう! 私のフェイバリット旅のお供だよ!」
リュックの中を探す。キズぐすり、これは後だ。お財布。これも今は必要なし。歯ブラシ。これ違う。櫛。これじゃない。整髪料。どけ。
……あった、これだ!

「テレレレン! メリケンサック〜!」
金属で出来た、多分世界で一番シンプルな武器を右手にて掲げる。
コジョフーは興味深げな眼差しで見上げていた。サヤちゃんは目を点にして開いた口が塞がらない様子(なんで?)。
「コジョフーにはこれを譲渡します」
「待て待て待て待て!!」
いきなり強気っ娘さんが止めにきました。
「脳神経がどんな配列になってたら旅のお供にそれ加えるのよ! つうか何故そんなモン持ってるか!」
「? いざという時に自分の身を守る為だよ。お兄ちゃんとか」
「お兄ちゃんとかっ!?」
益々サヤちゃんは驚愕に顔面を逆巻かせる。
……え、あれ? 私何か変なこと言ったかな??

「うん。お兄ちゃんの戯れ言は時々すっごいイラっとするからね。そういう時にすぐ近くに人を殴れる物があると安心するでしょ?」
「……………」
「あはは、やだなあ。本当に殴る訳じゃないよ。ただ想像するだけ。ほら、例えば想像してごらんよ」
すっごいイラっとした時。
頭の中で、その人を殴打する様を思い浮かべる。
ついさっき自分をひどく不快にさせた相手は泣いて詫びながら、頭を庇って地面にうずくまる。
「はう〜♪」
「………………………」
そういうのを想像すると、スッキリするよね!
そしてそんな想像を……実際に人を殴れる道具を所持しながら行えば。
「………はう〜♪」
「…………………………………」
はっ、いけないいけない。つい陶酔してしまってました。
……あれ? サヤちゃん、何で10メートルぐらい引いてるの?

「………天然ドS………」
サヤちゃんは両目に漆黒の影を落とし、何事かを小声で呟いたのでした。
私には聞こえません。

「……エリ、悪い事は言わないわ。そのアイテムはアンタだけの装備品にしなさい」
「えー、ポケモンに持たせちゃ駄目?」
「ポケモン協会はメリケンサックをポケモン用アイテムとは認めてないわよ! そんなバイオレンスなポケモンバトルとか子供泣くわ! 『ゴツゴツメット』なら分かるけど!」
「は、はぁ…」
ゴツゴツメットがどんな道具かは知らないけど……NGですか。

「あ、そうだ。サヤちゃん要る?」
「要る訳ないでしょうが!」
「あ痛っ!」直下型ゲンコツ!
とまあ、そんな感じで。
私とサヤちゃんは帰還も早々に、また宿屋のロビーでダベっていたのでした。

「あれ? ところでお兄ちゃんは?」
「アキラならまだあの空き地よ。都市内部の草むらは盲点だったとか言って、フィールドワークするんですって」
「へー」
何十匹ものコジョフーと戯れてるのかな〜。

「じゃーそれまで私は手の中のコジョフーとハグハグしてよーっと!」
「コジョー!」
「はぁ…こんな調子で大丈夫なのかしらコイツ……」

「…………ゲキ」
「へ?」
「ゲキ…………」
沈んだ声に振り返った。
ナゲキが私を眺めていた。
「えっ……あれ? なんでボールから出てるの?」
「エリ、忘れたの?」
サヤちゃんは腕を組んで嘆息した。
「アンタ、コジョフーを捕獲した後にすぐボールから出して愛でてばかりで――ナゲキはほったらかしだったじゃない」
「あ……」
そういえば私、ナゲキをボールに戻した記憶が無い。
「だからアタシが連れてきてやったのよ。何かコイツ、草むらから離れたがらずに抵抗してたわ」
「え、えっと……」
嫌な汗がこめかみを伝う。
胸のときめきが急激に引いていった。

「あ、あはは! ごめんねナゲキ! コジョフーがあんまり可愛いかったから忘れてたって言うか……」
「…ゲキィ?」
「う……」
私の馬鹿! それじゃナゲキを無い者扱いしたみたいじゃない!

「えっと……ナ…ナゲキ」
「………」
柔道ポケモンはただ沈黙し、こちらを見定めているようだった。
何か私とコジョフーを交互に見てるような……目つきが尖ってきてるような……。
「ナゲキ……そ、そうだ! ナゲキも抱っこしてあげるよ! ほら、おいで。私の所に……」

「――ゲキイッ!」
柔道ポケモンは。
私のパートナーは、逃げ出した。
宿の玄関をブチ破り、外に飛び出す。
「ナゲキっ!?」
「うおっ!?」
同時に、破壊された扉の向こうから…聞き慣れた声。

「お兄ちゃん!?」
「おい……今のは何だ? ナゲキが器物損壊して外出かぁ?」
慌てた声ながらも落ち着いた足取りで…ううん、怒った足取りで踏み込んでくる。
「説明しろ! エリ!」
説明って、言われても。
「私にも分からないんだよ……お兄ちゃん」



◆◇◆



「嫉妬だな」
「えぇ…嫉妬ね」

お兄ちゃんとサヤちゃんの言い分は珍しく同じだった。
宿屋のご主人が戸を直している間でも、当事者(わたしたち)は現場でお喋りをし続ける。

「敵として戦ってた相手を主に奪われ、しかも自分以上に可愛がられる……あいつはその屈辱に耐えかねたんだな」
「アタシとしては意外だったけどね。アイツ、誰にも頼らないみたいな孤高オーラ出してたじゃない。なのに自分が注目から外れただけでスネるなんて…」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
長ったらしい会話な二人を私は遮る。

「だからって、何でみんなナゲキを探しにいかないのさ!」

ナゲキが逃げた直後――もちろん私は追おうとした。
けど止められたのだ。お兄ちゃんに。
そして何故だか、現状維持のままこんなシーンを続けている。

「さっきも言ったろうが、エリ」
噛んで含めるみたいな上から目線で、ポケモン研究員は言う。
「ナゲキの事は放っておけ。あいつはお前のポケモンなんだ。……腹が減ったら帰ってくるよ」

「………」
「あいつはどうあがいたって、人間の下でしか生きられねえさ」
「人間の……下」
「良くて庇護下、悪くて支配下だな」
お兄ちゃんの口調が上がって来た。
私には分かる…台詞に変な単語が増えてきた時、アキラはお喋りモードになるんだ。

「そもそもナゲキは、俺が見つけたポケモンなんだよ」
「見つけた? 仕入れたんじゃなくて?」
「ああ。クイネの森で見つけた。いつぞやの誰かさんと同じくな」
「……………」
「ま、プロロタウンで多様な野生ポケモンを見つけるにはあの森が一番だし、あそこはたびたび外来種がやって来る。それは不自然じゃねえ」
だが……と、お兄ちゃんは目線を遠くする。
「モンスターボールで捕獲できたからトレーナーは居ないんだろうが……ありゃあどう見ても訳アリなご様子だったぜ」
「どういう様子?」
「お前も知ってるだろ? あいつの気性の荒さをよ」
ナゲキの気性。
じゅうどうポケモンという分類ながら、それに反した攻撃性。
「仲間も無く…人間を見た途端敵意表明だ。何がしかの目に遭って森に逃げて来たのは明白だ」
「ちょっと待って、仲間って何?」
「あぁ悪い悪い。研究員でもない初心者トレーナーは知らなかったな」
いいから早く言えコノヤロウ。

「ナゲキはな、野生では群で暮らすポケモンなんだよ。四〜五匹で固まってな」
「群れ?」
「だが俺が見た時は一匹だ。仲間と喧嘩したのかとも思ったがそうじゃない。帯が違ってた」
「帯? あの帯のこと?」
「ナゲキ図鑑その2。野生のナゲキは、つる草を編んで作った帯を締める。……あいつは普通の黒帯だったろ?」
確かに……少し妙だ。
「仲間がいるはずのあの子は野生ポケモンではなくて、人工の帯を持っているのにトレーナーが居ない……」
「その癖人間になつかない。昨日の朝お前に話したよな? 研究所から逃げようとしたポケモンが居るって」
「えっ、ナゲキだったの!?」
「ああそうだ。俺が相棒のケーシィでカッコよく撃退したのは話した通りだからいいとして」
私の記憶にそんな音声は無いんですけど。

「あいつはしょっちゅう研究所で迷惑の元だったんだ。他の研究用ポケモンに喧嘩を売るわ備品を壊すわ……逃亡だって一度や二度じゃない」
「典型的な問題児って奴ね」
「……いい略し方を知ってやがるな、サヤ」
お兄ちゃんの言い方が冗長なだけだと思う。
とは言えサヤちゃんの言う通り……ナゲキは確かに、ただのポケモンじゃない。
強さとかじゃなく、その心が。
私はナゲキのトレーナーだ。パートナーを否定したりはしない。でも――気になりはする。
一体あの子に何があったのか。

「そういや、昨日の森での大騒動…あれもナゲキが逃げ出してから面倒事になったよな」
「あれは私が逃げてって言ったから……」
「だがあいつはお前からも逃げた。もしかしたらあの時、帰ってくる気は無かったのかも知れん」
「そんな事!」
「再会できたのは幸いだったと思うぜ」
「……っ」
ナゲキは私からも逃げたがっていた…?
そんな訳ない。だってナゲキは一度だけ――。
私に、近づいたんだ。
アキラ戦で逃げ出したナゲキを私が追って…研究所裏の森に入った時。
あの追いかけっこの後、私とナゲキは歩み寄れた。歩み寄れたと……思う。

「とにかく、そんなナゲキがコジョフーにヤキモチ焼いての逃亡だ。奴の気の小ささはこれでハッキリしたって訳だな」
「……アタシはアンタ達の事情なんか知らないけど。ま、問題のあるポケモンを無理に理解する必要は無いわよね。放っておくのも一つの手、か」
話が勝手に進んでいく。所有者をさしおいて。
それだけ私の意見が期待されてないって事だけどさ。ふんっ!
でも本当に…これでいいの?

ナゲキと私が離れ離れになったのは、数えてみればこれが四度目。
お兄ちゃんとの戦いで逃げられ、クイネの森で逃げられ、ネクシティに到着早々盗まれて……そして今。
だけど今回は少し違う。
ナゲキが自ら判断したのでも単なる私の不注意でもない。
私はナゲキを、傷つけてしまったんだ。
コジョフーばかりを見ていて、ナゲキの事をないがしろにしていた。
それが本当に、あの子が逃げ出した理由だって言うのなら。

「……………」
パートナーのことで頭が占められる。
私は立ち上がった。なるたけおもむろに歩く。
お兄ちゃんとサヤちゃんの反応を一一遅らせる為に。

「……ん? エリ?」
「ちょっとエリ………まさか」
「やっぱり行ってくるっ!!」
宿の主人様! ドアを開いたまま直しててくれてありがとう!
ナゲキと同じように、私は再び外に躍り出た。器物損壊はしなかったし、できなかった。



◆◇◆



「やっぱり行ってくる!!」
突然エリはそう叫び、開いていた玄関から駆け出した。
「エリ!」
続けて大声を出したのはサヤだが、意味はない。対象は既に外へ出た後。
「無茶よ……ミメシス地方最大の街なのよ? どこに居るのかも分からないのに……」
「……つくづく突飛な妹だぜ」
溜め息混じりにアキラが呟く。サヤ程には困惑していない。

「随分と冷静ね。兄の威厳が成せる技かしら?」
「エリのイレギュラーっぷりは、奴が今以上のガキだった頃から散々見てるからな」
エリは要領が悪く、トレーナーになる前から様々な失敗をしてきた。
しかしそれ以上に本人が自発的に行動した結果のトラブルも多く、保護者たるアキラとしてはそちらの方が厄介だった。

「だったら早く追うべきじゃないの?」
「問題はねえだろ。ここがクイネの森だったら慌てもしたが…ネクシティ、大都会だ。人外の脅威に晒されることもない」
勿論『このままエリがナゲキを見つけられず終いになれば、彼女の旅における意欲を大いに削れる』という打算も彼にはあったが、それを口にする事は無い。
故にサヤも、相手の発言のみを拾って返事する。

「そうかしら……アンタは知らないの? 『タムロ・ストリート』の事を」
「あん? 聞いた事はあるな。不良トレーナーの溜まり場だっけか」
「そうよ。お金渡したら何でもやりかねない、いかがわしい連中の場所。あそこにナゲキが行ったら」
「……お前、ネクシティの住人でもねえのに詳しいな」
「アタシがここに来ての下調べで見つけたのは、あの空き地だけじゃないのよ」
アタシはたどり着いた街のマップはよく見る派なの――そうサヤは嘯く。

「で、どうするのよ」
「………、いや。やはり問題はねえさ」
妹の安否を一瞬考えるも、そもそも自分の目的がエリに現実を見せつけることなのだと思い出し、アキラは放置を決め込む。
性悪兄貴の面目躍如だ。
それにタムロ・ストリート――ネクシティの一角にあるスラム地区は、そこまで危険な場所でもないとアキラは知っている。テレビやラジオが伝えるそこでの事件は大抵喧嘩や窃盗に止まり、強盗も誘拐も聞かれない。
「あいつは見かけほどガキでもねえ。……賞賛じゃねえぞ? むしろ性悪だ。エリはある意味、この俺以上にタチが悪いんだ」
「……ああ、そう。そうかもね」
サヤの脳裏でメリケンサックがチラつく。
「昔ほどのコミュ障じゃねえし、悪党にのされるこたぁねえだろ。何よりあいつにはコジョフーが……」
そんな風に、妹をけなしているのか擁護しているのか分からなくなりながら――。

アキラは目の前のコジョフーを見やりつつ、そう言った。

「………」
「………」
「コジョ?」
沈黙は2秒。
直後、二人は別々の方へ頭を向ける。
「アキラ! エリのリュックが床に!!」
コジョフーにプレゼントを渡そうとした時に置かれたままになっていた。
「ぐっ……もうここから遠くに行っちまったよな………!」
保護者の視線の先には――チェックインしてから賑やか過ぎだなお前達とでも言いたげな宿の主人が、ドアを直しているだけ。
前提も状況も全て変わった。
会話にかまけて小動物を無視していたばかりに。

「エリの奴……ポケモンも連れずに街に出やがった!」



◆◇◆



「確かタムロ・ストリートとかいう物騒な通りがあるんだけど……あそこには行かなくてもいいよね」
ナゲキがそんな場所でグレてるとも思えない。
不穏当な展開を予感させるフラグは、へし折っといてナンボの物です。
「と言う訳で来てみたんだけど……」
現在地は二度目の空き地さん。
柔道ポケモンの姿を求めてやみくもに駆けてきたけれど――行き着く場所はここしか無い。
でも、やっぱり。

「居ないよね……」
草むらは静まり返っている。
格闘家の怒号や、肉弾戦の音も聞こえない。
「ううん……聞こえないだけだ。隠れてるだけかも…!」
草の海に突入する。
空き地の向こうには、クイネの森の木々が並んでいた。
もしかしたら木の間に隠れて、ナゲキがこちらを見てるかも知れない。そんな期待がよぎる。
だから自然と、私の目は草むらの中よりも……目線の先にある森へ向いていた。

それが間違いだった。

「グルルル……」
凄みの聞いた低い音。
前ばかり向いて歩いていた私の背中に、それは不気味な響きでまとわりつく。
「え――え」
周りを見る……背筋が凍った。

「デルルルル……」
「ビルルルル……」
「ヘルルルル……」
ポケモンの群れがいつの間にか、私を360度から囲んでいた。
コジョフーとは全然違う、敵意全開な凶悪目線。
真っ黒な毛皮、剥き出しの瞳、真紅の炎をちらつかせた口。

「えっと……」
これと似た感じの光景に、つい最近私は出くわしたような……。
いやいや一一何ともないぞ! こんな情景。

「何故なら私には……ポケモンが居るから!」
リュックに装着されたベルトに手を伸ばす!
「って――うわあぁああ! リュックが無いっ!?」
そうだ! メリケンサック御披露目の時に床に置いたままだった!
コジョフーが…今唯一のポケモンが、宿屋に置き去りに!

「グルルル………ッ!」
「いや、あの一一」
野生ポケモン達がじりじりと距離を詰める。
ああ…私はやっぱり駄目トレーナーだ。バチュル&デンチュラに囲まれた時の二の舞になってしまうなんて。
あの時はたまたま大木が倒れてきたんで助かったけれど……。
「やだ……。な――なかよくしよ、ね…?」
声が震える。致命的大ピンチ。
ポケモン達の黒い体がそのまま闇に変わって、私を飲み込むような気さえする。
駄目だ駄目だ! 怖がるなエリっ!
森の時は運良く…本当に運良くお兄ちゃんが来てくれて助かった。今度は街中だし、お兄ちゃんやサヤちゃんも私がここに居るんじゃないかって探しに来るはず!
……問題はそれまでどうするか。
周りの野生さん達は今にも飛びかかりそうだ。多分チョイ悪系なんだろう。
悪に勝るは正義の拳。だからかくとうタイプはあくタイプに強いってアキラは言ってたっけ――いやそれは今関係ない! 頭の中がゴチャゴチャしている!

「デルガー……!」
「ビルガー……!」
「ひいっ」
どうすれば時間を稼げるの!?
周りは完全に包囲されている。その包囲網もどんどん狭まっていた。逃げる事は出来ない。
けどそれじゃあ……自分の身を守る方法なんて、一つしか無い!

「…………」
足元を見渡して――そばに落ちていた大ぶりの石を取った。
ポケモンを傷つけたくなんか無い。
バトルならそれは受け入れられるけど、人間である私が攻撃するなんて………嫌だ。
他に石は落ちていなかった。相手は何匹も居る。投げては使えない。
なら……手からみ出す大きさを持ったこの石の使い道は、
「そんな――できないよ。そんなひどい事……!」
カントー地方のサファリゾーンという場所では、ポケモン捕獲の手段として石を投げる戦術があるらしい。けどそれはポケモンを怒らせるだけの無害な小石だ。
こんな石、投げたら怪我させちゃう。まして今頭に浮かんだ使い方をしたら……!
「……み、みんなお願い! 攻撃してこないで! でないと私、この石でみんなを……」
ポケモンを石で殴るなんて私には出来ない。
メリケンサックを実際に使って兄を殴れはしないように。
でもやらなきゃやられる。目の前の凶悪なポケモン達はやる気満々だし…!

「ヘルルルルル――ガアァアアアァアッ!!」

「………っ!」
ごめんなさいっ!!
体中を恐怖が貫いた。目を瞑る。
体が反射的に、石を持つ手を振り下ろす――!


『やめろエリ。目を覚ませ』


「…………ルガァ!?」
耳に響いた漆黒さんの唸り。
けれど何故か…それが遠くから聞こえた気がして、私は目を開いた。
「――え? あれ!?」
襲って来たポケモン達が―――みんな消えてる!?
いや違う……!

「デ……ル……?」
「ビルルァッ!?」
黒の野生グループは、私から少し離れた所に固まって……輪を作っていた。
輪っかの中心には何も無い。

「ま、待って? まさか…」
ポケモン集団が遠ざかったんじゃなくて。
「私が……避けたの?」
あそこから、ここまで?



◆◇◆



「………ゲキ!?」
宿屋を飛び出したナゲキの行き先をあえて先に言わせてもらうと……何のことは無い。エリの予想通り、空き地だった。
柔道ポケモンはその端から行けるクイネの森の木陰に身を潜め、野生ポケモンに囲まれるエリを見ていたのである。
ナゲキにとってエリは信頼を置けない人間だ。しかし彼女は自身に執着を寄せている。
故に迷っていたのだ。出て行って助けるべきかどうかを。
助ければ自分はまた連れ戻されてしまうだろう。逃亡を企てた身としてそれは不合理であり、そしてこの格闘ポケモンにとっては屈辱だった。
ナゲキがエリを見捨てきれずに現場に留まっている辺りには、出会った頃を上回る心境の変化が伺えるが……。
ともかく、ナゲキはずっと見ていた。
だから、エリが漆黒のポケモンに襲われた直後に起きた事も――しっかりと目撃していた。

結論から言うと、エリがとったのは回避行動である。
飛びかかる敵にエリは石で対抗しようとしたが、直後何故か彼女はその腕を緩め。
その一撃を紙一重でかわした後、包囲する軍勢を跳躍にて飛び越し、離れたのだった。
エリは呆然としている。その場に居る全てのポケモンがどよめく。
言うまでもなく不可解な事態だ。エリは自分がそんな芸等を成し遂げた事に気付かなかった。つまりは無意識に回避したという事。
更に野生ポケモン達が回避した後でその行為を認識したのも疑問である。よほど素早く動かなければ、飛び越える前に気づかれてしまうだろう。俊敏性は相手の方が上だった。

一体いかなる力が働いて、エリは自身思考よりも早く攻撃をかわし、輪から脱出したのか。

エリもナゲキも、答えは知らない。分からなかった。



◆◇◆



「……あ、ありのまま、」
って、そんな場合じゃない。
何が起きたの? 追い詰められて私の隠されたパワーが開花したとか? そんな厨ニ病な。
でもそれ位しか考えられない。火事場のバカ何とかってのもあるし。人間は元気になれば以前に、ピンチになれば何でも出来る。
って言うかそれ以前に……ポケモンに襲われた瞬間、何か声が聞こえたような。
まるで頭の中に響いてきた、みたいな。
「あはは――まっさかぁ」
それこそアレな話だ。

「―――へルルルル!」
「どひゃあっ!?」
すいません忘れてました皆様!

またも敵意を燃やす黒ポケさん達。
でも状況が変わった。さっきは私を取り囲んでいたけど、今は全員前方に固まっている。
また配置につかれる前に……!

「……私は逃げ出したっ!!」
全力で背中を向けて走る!
「デルルル!」
「ビルビルガー!」
「ヘールルルルゥ!」
草村を疾走! 柵が近付く。あれを飛び越えさえすれば……!

「ヘルルル―――ボワアァアアアーーーッ!!」
「きゃあっ!」
熱い――っ!
思いっきりすっ転んでしまう。
見ると、ふくらはぎの辺りが軽く焼けていた。「うぐっ…!」熱と痛みがほとばしる。
立ち上がれない程じゃない。すぐに走ろうとするも…駄目だ、追いつかれる!

「コジョーーーー!」
その時。
私の頭上を飛び越して、小さな影が地面に降りた。
「コジョフー!」
野生のじゃない。怖い軍団に両手を広げて立ちはだかる様子……私のポケモン!

「……お前は何度同じ失敗を繰り返すんだ」
「間に合ったようね」
「お兄ちゃん! サヤちゃん!」
「一日一回、俺をピンチに駆けつけるヒーローになれってか? 冗談じゃないぜ。お前はどこのヒロインだよ」
「愚痴ってるヒマは無いわよ、アキラ。さあコジョフー! そいつらをブチのめしなさい!!」
「コジョッ!」
武術ポケモンが戦場を舞う。立ち向かう炎ポケモン達。
「コジョフー! 『おうふくビンタ』よ!」
「コジョジョ!」
「デルビッ…!」
一番に飛びかかった小さい漆黒さんは平手打ちに叩きのめされてふっ飛んだ。
「アタシ達も行くわよ!」
「言われなくても分かってらぁ!」
「出てきて! チョロネコ!」
「行けっ! ミジュマル!」
続けざまに加勢する味方。
野生ポケモン達は一瞬どよめいたけど、すぐに敵意の眼差しを取り戻して迎え打つ。
「ミジュマル! 『みずあそび』を使え!」
「ミジュプフーーッ!」
お兄ちゃんのラッコポケモンが空に水を吹いた。細やかな飛沫が辺りに降り注ぐ。
「デ…デルル……!」
「ビルルガッ…」
「これで炎の威力は弱まるぜ!」
「こっちも行くわ! チョロネコ、『みだれひっかき』!」
「チョロニャッ!」
「デビイッ!」
猫さんの爪が手近な野生ポケモンを捕らえ、ひっかきまわす。
「デルルガアッ!」
「『すなかけ』よ!」
別の方から走ってきたポケモンの目を塞ぐチョロネコ。相手は攻撃を外して見事に転んだ。

野生集団は一斉にたじろいだ。炎を奪われ、近づけば反撃される状況だもんね……。
「何匹か逃げていったけど、まだやる気みたいね」
「……多分、あいつが親玉だ」
お兄ちゃんはそう言って、軍団の一匹を指差す。私に炎を吐いた、ひときわ大きな黒いポケモンだ。
ボスポケモンは大きく唸り――いきなり大口を開けて飛びかかった!

「ヘルルグァーー!」
「コジョッ……!」
「コジョフー! 『みきり』!」
考えるより先に口が動いてた。
私の命令に、素早い武術家は流れるように反応する。
コジョフーは相手の攻撃を回避し、直後に跳躍して距離を開けた。
「ガァーーッ!」
大黒ポケモンは諦めない。更に追撃をかける!

「コジョーー!」
それを撃墜するのもまた、格闘ポケモンの力だった。
コジョフーは両手を相手にあてる。そして、
「ル……ガッ!?」
「……えっ?」
それだけで、ボスポケモンは遠くに吹っ飛んでいった。
地面に叩きつけられ、呻き声と共にぐったりと動かなくなる。
……何が起きたの? 突き飛ばした?
違う。さっき一瞬だけ見えた。手を中心に野生ポケモンの毛並みが波紋みたく震えて、その直後に身体が飛んだのを。

「い、今のは?」
「『はっけい』だな。相手に衝撃波を浴びせて攻撃する格闘の技だ」
お兄ちゃんはノックダウンした野生の親玉を冷静に眺めている。
「速攻な幕切れだったな」

代表が負けたからか、小さな黒ポケモン達は一斉に震え出して……逃げていった。
空き地の向こう側、クイネの森の木々が覗く暗闇へ駆け込んでいく。

「あのポケモン達よ。昨日アタシが此処で遭ったのは」
「俺もさっきのフィールドワークで見かけたぜ。ダークポケモンのデルビル。デカいのはヘルガーだな」
二人はそれぞれのパートナーをボールに戻す。

「どうやらこの草村は、かくとうタイプとあくタイプが勢力争いをしていたらしい。クイネの森に隣接する地域ではよくある事だ。森を追い出された奴が周辺に生息するポケモンと争う」
「……陣取り合戦なんだね」
「それが野生ってもんだよ」
デルビル達がみんな森へ消えていく。……多分あの子達が森を追われた側なのかな。
って事は、コジョフーはこの草むらの先住民だったって事なのかも知れない。

「…ゲキッ!」
「ギャンッ!」
ふいに群れの一匹が、森に飛び込んだ瞬間に弾き返されて倒れた。そこから別のポケモンが「ナ、ナゲキっ!」歩いてくる。

「ナゲキー! 会いたかったよ〜!」
抱きしめてほっぺたスリスリ。
意外なのかそうでないのか、ぶっ飛ばされたりはしませんでした。

「……臆病者」
静かな怒り声が飛んで来た。
サヤちゃんが怖い面構えで睨んでいた。
「サヤちゃん?」
「アンタも分かったでしょ? こんなタイミングでナゲキが現れるなんておかしいわ。アタシ達が戦ってる間、コイツは遠巻きに眺めていたのよ。……多分アンタが襲われている間もね」
「え………」
ナゲキを見る。罰が悪そうに目を逸らされた。

「ポケモンへの嫉妬でトレーナーの元から逃げ出して、トレーナー本人を助けないなんて…いくらなんでも度が過ぎてるわよ。しかもそれでいて、こうやってスゴスゴ戻って来て甘えている一一中途半端な子供みたい」
「そ、それはいくらなんでも、」
「アタシ、そういう奴が嫌いなのよ」
サヤちゃんはかなりご立腹なようだった。
……そりゃあ私も、今までとは違う状況でナゲキに逃げられてショックだったけどさ。でも怒っちゃいないのに。戻ってきてくれたんだから。

「自分の思い通りにいかないからって、嫌がらせみたいな真似をして……そんな事で目的が達成されると思ってる。アタシはそういう考え方大嫌い」
そう吐き捨てて、近付いてくる。
「おいサヤ、落ち着けよ」
お兄ちゃんが止めにかかる。……何故かそっちも罰が悪そうな顔だった。
「ナ、ナゲキ。とりあえず宿に帰ろう。それからお話すればいいよね」
「ゲキッ!」
ナゲキは首を横に振る。
「ナゲキ……?」
「帰りたくないみたいね……やっぱり自己中よ」
強気な女の子は、今や眉根を激しくしわ寄せして――ナゲキの腕を掴む。

「甘えないで! 何があったか知らないけど、アンタは人間の世界に生きているのよ! 孤立したくなかったら他人の言う事を聞きなさい!」
そう言って、ナゲキの腕を引っ張る。
けれどそこは格闘ポケモン。その体は微動だにしない。
「サ、サヤちゃん落ち着いて」
流石に見てられない。私にとってはサヤちゃんの態度の方が問題だ。
根拠は無いけど……そんな言い方は逆効果な気がする。
「わ、私のポケモンなんだし、そんなに気を揉まなくてもさ」
「アタシが気に入らないの! ……て言うかアンタも甘いわ。ナゲキがアンタを攻撃したりするのも厳しくしないからじゃないの?」
「それは……」
「サヤの言う通りだな」
今度は加勢してくるアキラ。
「一度そいつは価値観を正してやった方が懸命だろう。いい機会だ。ここは説教のターンだぜ」
「……それはポケモン研究員としての見解なの?」
「一個人としてだ。…研究者としては、こんな問題児には遭った事無かったんでな」
ニ対一。ナゲキを叱る方向で話は進んでいる。
ナゲキ逃亡直後と同じ、トレーナーたる私を置いていく展開だった。

私は反論できない。こういうメンタル云々の話になると、途端に何も言えなくなる。
ポケモンの心も――人の心も、私にはよく分からないから。
「ナゲキ! ほら、せめてエリに頭下げなさいよ!」
「ここは従っとけよナゲキ。……自ら戻って来た所だけは成長だが、まだ解しが足りないな」
多分…今のナゲキに対する反応は、お兄ちゃんやサヤちゃんみたいなのが正しいんだろう。
ナゲキに逃げられて、ちっとも怒りが湧いて来ないのは――私がポケモンを知らないからなのか。

だけど。
私は考える。……散々馬鹿だ言われて来た頭で。

何か違和感があった。
二人がこのままナゲキを叱るのは間違っている気がする。
甘いとかじゃない。何か……何か二人とも、間違った答えに取り付かれているって言うか……。
思い出す――困った時の、過去頼み。
そもそもナゲキはどうして私になつかないのか。何故人間になつかないのか。
好戦的で、気は短いけど力持ちで。言う事を聞かず。
でも丸っきり無視したりもしない…私のパートナーポケモン――。

「……ねえ、二人とも」
私も、サヤちゃんを見習うことにした。
思った事を素直に口にしてみよう。
話をする為に。

「今度は何よ?」
「あん? 止めても無駄だぜ、エリ」
私なりの考えで――ナゲキの弁護をする為に。

「ナゲキは本当に、嫉妬で逃げ出したのかな?」

「あん?」
「はぁ?」
予想通り、真っ白けな目で睨まれました。

「おいエリ、そりゃどういう意味だ?」
「態度から見たって、ナゲキがコジョフーに嫉妬してたのは明白でしょ。馬鹿じゅないの?」
「そりゃあそうだけどさ」私が馬鹿だって事も含めてね……。
けど言ってしまったからには、こちらも折れる訳にはいかない。

「私は違うと思うんだよ」
「……何でだよ」
「まずさ、ナゲキは私に懐いていない訳だよね。その理由は、私の事を信用していないから」
「そうね。当たり前じゃない」
お兄ちゃんとサヤちゃんが代わる代わる返答してくる。……私は負けない。
そして、言った。

「私に期待してない子が、私からの評価を気にすると思う?」

最初の違和感は、それだった。
嫉妬っていうのは、自分が受けたい評価を誰かが受けてる時に抱く物。

「私に誉められたいなんて――ナゲキが思ったりするのかな?」
お相手二人は、怪訝そうな顔のまま沈黙した。

「ナゲキは確かに、他のポケモンとは違う振る舞いしてるとは思うよ。けどその行動そのものは……純粋、なんじゃない?」
「純粋?」
「自分の伝えたい事はしっかり伝えたいって事。サヤちゃんもそうじゃない?」
「アタシはナゲキみたいな乱暴者じゃないわよ」
ソーカナー?
……まあそれはともかく。

これまで私は、色々とナゲキに抵抗されてきた。
抱きしめようとすると投げられたりパンチられたりするし、とにかくスキンシップには真っ向からそっぽを向く一一それが私のナゲキ。
それは裏を返せば、私への不信や嫌悪を素直にぶつけてくるという事。

「ナゲキがコジョフーに嫉妬してたんなら、あのロビーでの一件で攻撃の一つでもしてたはずなんだよ」
「……まあナゲキはあの時、敵をお前に奪われた訳だからな。コジョフーかお前をどつきまくってもおかしくねえ」
「つまりエリ、アンタはこう言いたい訳? ナゲキはキレたらすぐ攻撃する。だから逃げたのは変だって」
「その通りです」

ナゲキはコジョフーに嫉妬なんてしていない。
自分以外のポケモンを私が可愛がってるからって、逃げる事で反抗なんかしないんだ。
そもそもナゲキは私の可愛がり(暴力的じゃない方)を受け入れていなかったしね。

「でも……それじゃあ何で逃げたのよ?」
「ああ。説明してもらおうじゃねえか、脳みそドガース妹よ」
後で兄を妄想の中にて殴ろう。

「それはね、」
「「……それは?」」
「それは………」
「「それは………」」
私は大きく息を吸って、

「分からない!」
「「やっぱりな!!」」
珍しいね。サヤちゃんとお兄ちゃんのハモり。

「……ったく、それじゃ話が解決しないだろうがよ」
「はぁ……アンタって本当にノータリンね」
「散々な言い分ですな………」
「事実じゃねえか」
「でもね」
私は言う。もう一匹の仲間を差し示しながら。
「確かめる方法は、あるんだ」

そして…ナゲキに対峙した。

「ちょ、ちょっとアンタ、」
「エリ……お前、まさか」
「うん、ナゲキと戦うつもりだよ」

私を警戒している柔道ポケモンが何を伝えたいのかは分からない。
そして私が仲良くしようと言っても、ナゲキにそれは伝わらないだろう。

なら――お互いの想いをぶつけ合えば。
戦って、争い合って。それで見つかるものもある。
ポケモンの傷を恐れていた時……私はサクラさんにそれを教わったんだ。

「ナゲキ」
「ゲ…ゲキッ?」
「ここに、貴方の『敵』が居るよ」
貴方が全力で叩き伏せようとしながら、決着をつけられなかった相手が居る。
「……ゲキ……!」
「私は今から、この敵の味方をする! どうするナゲキ! 闘うのか、逃げるのか!」

ナゲキが逃げた原因は十中八九こちらにある。…私はそう思っている。
だからこそ、私は開き直る。
相棒から、想いを引き出す為に。

「…驚いたわ。聞いた事の無い話よ……」
「全くだ。自分のポケモン同士を戦わせるなんてな」
これは貴方の受け売りですよ――茶番癖のアキラ。
私は外野に黙ってもらうべく、口を紡ぐ。

「へえ……聞いた事無いんだ。ポケモントレーナーなら誰でも思いつきそうなのに」
「「……!」」
「ま、駆け出しのトレーナーなら誰もがツッコム所なんだろうけどさ」
自分の手持ち同士を戦わせれば――簡単にレベルアップ出来るんじゃないかってね!

「ナゲキ! 私達は分かり合わなきゃいけない! もっと高い所(レベル)へ至る為に……全部の気持ちをさらけ出そう!」
コジョフーは両腕を掲げて、『構え』の姿勢をとった。
相手のポケモンも、混じりっ気の無い敵意を表す。
「――コジョフー! ナゲキを倒すんだっ!」
そして渦巻く気持ちを……知るっ!

「ゲキイィッ!」
ナゲキが四肢を振り上げて飛びかかってきた。
けれど、素早さはこちらが上。

「コジョフー、『ねこだまし』!」
「コジョジョジョ!」
初戦のパクリじゃあるけれど!
武術ポケモンは、再びナゲキを罠にはめる!
「ゲギ! ッ!」
眼前で打ち鳴らされた掌に……転んでダメージ!

「ゲキイィイイ〜〜!」
肩を震わせてナゲキは吠えた。
うん、分かるよ一一二度も引っかかって腹が立ってるんだね。
その気持ちで立ち向かって欲しい。

「コジョフー、『みきり』だよ!」
血気盛んな相手ポケモンの攻撃は、またしても不発に終わった。
「フーフー!」
「ゲキッ…ギギギギギギ!」
投げ技を見切り、あらぬ方向へ逃れたコジョフーへ憤るナゲキ。
二回連続で使えない技……これにて終了っ!

「ええとっ……お、『おうふくビンタ』っ!」
「コジョー!」
コジョフーはナゲキよりも『すばやさ』が高い。
だからこれで事実上、三回連続の先制攻撃!
私のポケモンは、軽快に相手をはたき倒した。
痛みに痛みを重ねられて、ナゲキは倒れ込む。

「――ナゲキゲキ〜!」
それでも相手は、立ち上がった。
来て…ナゲキ……!
「ゲキイィイッ!」

柔道ポケモンはコジョフーに掴みかかり、密着したまま前に転がり始めた。
これは……、
「『ちきゅうなげ』……!」
回転が一番早くなった所で手を離すナゲキ。
小さな格闘ポケモンはもの凄い速さで飛んで――地面に突き刺さる。

「コジョフー、しっかり!」
「モゴゴゴ…コフーッ……!」
コジョフーはすぐさま顔を出した。

「受け身の技があるのに進んで攻撃技をしかける――ナゲキ、やる気だね」
「……ゲキィー!」
ナゲキは両の拳を握り締め、やにわに全身を震わせ始めた。
何だろう……これも何かの技?
「そうだ……『がまん』か!」
直感の赴くままに、コジョフーへ次の命令をした。

「コジョフー、もう一度『みきり』!」
「コジョ!」
『がまん』はお兄ちゃんとの初めてのポケモンバトルで見た事がある。……どうやら攻撃するとまずい技であるらしい。

「ゲキイィ……!」
「やっぱり!」
ナゲキは攻撃して来ない。これこそ『がまん』の特徴だ。

「……ふん。1ターン無駄にしたな」
「お兄ちゃんは黙ってて」
「しかしまあ……お前の言う拙い推理の説得力は出てきたようだ。そうだろ、サヤ」
アキラはサヤちゃんに目配せをした。いつも強気な目をした女の子は、戸惑った顔つきで頷く。

「そうね。ナゲキの奴……戦いに全力を傾けているわ」
そう言った瞬間、ナゲキが攻撃を繰り出して来た。既に『みきり』を解いていたコジョフーは防げずに殴り飛ばされる。
「……あれ?」
何か――違和感が頭をよぎった。
けれど考える前に、サヤちゃんの声が耳を突いた。
「嫉妬から来る攻撃性なら、少なからず行動にムラが生じるのに……ナゲキは目の前の敵を倒す事しか考えてない」
「サヤちゃん、そんな事が分かるの?」
「馬鹿にしないで。アタシだってそれなりにバトルを積み重ねて来たトレーナーよ」
戦ってるポケモンの感情位、アタシは即座に汲み取れるわ――サヤちゃんはそう言った。
私とは逆の考え方だった。

「ゲキイィ!」
「あっ、コジョフー!」
「コジョッ!」
ナゲキが更に追撃してくる。
でもそこは素早さの高いコジョフー。また何もしない内に叩かれたくないと、袖型の腕で迎撃する!
「ナイス『おうふくビンタ』!」
命令できなかった攻撃を自分から出してくれてありがとう!

「ゲキッ――!」
「フウゥーーッ!」
互いに力を出し切ってのバトル。
勝ち負け以外の思いなんて無い、ただ相手の打倒を願うだけの……にじみ出る闘志。

「……ねぇエリ、アンタはどう思うのよ」
「どうって?」
「ナゲキが嫉妬とか、そんな小さな感情に左右されない奴って事は分かったわ。けどそれじゃあ……」
「うん…そうだよね」
あの時、私から逃げ出したのは何故なのか。

「何だかんだ言って…ナゲキはアンタを嫌いながらも、結局は戻って来るのよね。アンタ側には原因は無い――のかしら」
「『言うことを信じない』っていうのが、ナゲキの私への抵抗だもんね」
「分からないわ……あの時コジョフーとの決着が付けられなかったのを不服に思ったとか?」
「それなら私をメタメタにするんじゃない?」自分で言っててアレだけど。
「見つけたのはこの草むら……野生ポケモンのスポット…」
「うん」
「ポケモンのゲットでバトルが中止になったから、自分で狩りに出かけたかったのかしら」
「あはは、狩りってサヤちゃん」
「分からないわよ。ナゲキが好戦的なのは間違いないし、」
私のスマイルはぐらかしを、あくまでサヤちゃんはサラリと流す。
「アイツはいかにも、自分の戦いの為だけに生きてそうな奴じゃない」
ですよねーと、その言葉に禿上がるほど同意しようとした。

その瞬間だった。

「――――」
え?
あれ?
サヤちゃんの台詞が頭の中で反響し出し、一つのメッセージに、変わる。
「…………!」

いやいや…待って。プリーズウェイトプリーズウェイト。
「そ、」

そういう事―――なの?

私に……ううん、人間になつかないナゲキ。
お兄ちゃんとの善勝バトルを蹴り、森に行こうとした私の相棒。
柔道ポケモンと分類されながら、自ら敵意をむき出しにする行為。
ケンホロウから逃げるよう告げた時に私の所へ戻らず、見つけた時に野生ポケと戦っていた理由。

何かが光を帯びて繋がっていく。
そしてそれは最後に――大きな壁にぶつかって消えた。
その壁を壊すことは、今の私には出来そうにない。
だけどこれで……今私の頭に浮かんだ考えが正しければ。
一応の答えが、導き出せる!

「……おいエリ、バトルに目ェ向けろ!」
「え? あ、」
はっとして場外の支持者に従う……うわっ! ナゲキの攻撃だ!

「ゲキイィイイーー!」
ナゲキはコジョフーに向けて拳を突撃させる所だった。
岩をも粉砕する勢い……これは『いわくだき』!

「ゴジョホーー!」
そして。
コジョフーは、予想外に飛ばされた。
パンチが叩き込まれた瞬間、その体はロケットもかくやの勢いで宙を舞い、遠く離れた地面に墜落する。
さっきと同じ……ううん、それ以上の激しさを伴って――半身が土にめり込むのが見えた。

「って、えっ!?」
それこそプリーズウェイトだよ!

「あれ…あの、お兄ちゃんさん」
『いわくだき』って、あんな強力な攻撃だったっけ?
コジョフーがチマっこい体躯なのを差し引いても、今のナゲキのパワーはかなりヤバげな響きがありましたような。
もしかして、今のは『いわくだき』じゃない?
いや違う。最初のアキラ戦で見て、パパが解説してくれた技と同じ見た目だ……ああもう。やり辛いな。
トレーナーの命令を伴わずにポケモンが発した技に関しては、こちらも見極めが大変だよっ。

「ナゲキっていつの間に、レベルアップしたのでせうか」
「あん?」
「『いわくだき』はこんなスマッシュ技並みの威力無かったでしょ!」
私が駄目トレーナーなせいで、ナゲキはロクなバトルを積んでない。ミニスカートさんに負け、野生のケンホロウにブチのめされ――散々な有り様だ。
そう思っていたけど、まさかナゲキがここまで強化されていたなんて……、

「いいや、それは勘違いだな」
けんきゅういん(♂)は腕を組みつつ頭を振る。

「お前はナゲキをそこまで強く育てたのかよ?」
「いや、それは…」
「訊くまでもなく答えはNOだな」
こっちの返事をぶった切って会話を続けて下さる兄貴。
「最早トレーナーの道にしがみつくしかない人間の底辺たるお前が、お仲間を短期間で育てられるはずがねえ」
「わかってるよそんな事はっ!」
こちとら貴方様を殴り倒す妄想を秘め続ける駄目乙女たい!!
くそう、これは本気でコヤツを弱らせなけりゃならないんじゃないんですか? 何か弱みを握れませんかね?
そんな風に、フツフツと怒りがこみ上げてくる中で……最悪の兄は眉一つ動かさずに口だけを稼働させるのでした。

「今の攻撃は単純に、お前の『運』が悪かっただけさ」
「運って……」
「『きゅうしょにあたった』」
アキラは棒読み風に言った。
「ポケモンは時折、相手の『きゅうしょ』に技を当てる事がある。それは莫大なダメージを生み出し、一気にその体力を奪うのさ」
「急所……」
いわゆる、『かいしんのいちげき』みたいな?
「ポケモンの急所が何処なのかほとんど解明されてない以上、急所を突くのはごく稀なイベントではあるがな……」
つまり私はそのレアイベントに巻き込まれたと?

「コ……ジョ」
コジョフーはまだやられてはいなかった。再び地中から復活し、ナゲキに向けて勢いよく走っていく。

「コジョフー、『はっけい』!」
すかさず命令。この機を逃す訳にはいかない!
「コジョハァーーッ!!」
片手を押し付け――0距離衝撃波!
柔道ポケモンの体がくの字に折れ曲がる。
「やったかっ!?」

「ゲキィィ!」
……やってませんでした。
体力を残したらしいナゲキは、すぐさま体制を立て直した。
そしてコジョフーの真上に飛び乗り、全体重を込めて押し潰す。

「の……『のしかかり』っ!」
何の技か気付いた所で、意味は無かった。

地面に亀裂が走った。
そして爆発みたいな轟音が轟き、私のニ匹のポケモンはクレーターを作って沈む。

壮絶な決着。
武術ポケモンは成す術もなく、最大の衝撃の前に気を失った。
お相手が体をどかしても……ピクリとも動こうとしない。
私の負けだった。

「…………」
私はモンスターボールを手に、コジョフーを光に変えて収納する。
そして、

「――質問タァアアアイム!」
お兄ちゃんに向き直りました!

「アキラさんに質問です! 今の『のしかかり』も『きゅうしょにあたった』なのでしょうか!?」
「そうだな。『のしかかり』はあんなに強力な技じゃねえ」
「言ったよね!? 『きゅうしょにあたった』は稀なイベントっつったよね!?」
「俺は嘘は言っちゃいねえよ」
アキラの取り柄は、こういう時だけ冷静を保てる所だと思う。

「一つあるんだよ。ポケモン技の急所率を上げる技が」
「え……? あっ!」
「『きあいだめ』さ」
さっき感じた違和感が崩れ落ちる。
つまりあれは……あの技は『がまん』ではなくて………。
「俺もお前と戦った時、『きあいだめ』を『がまん』と間違えはしたがな」
「……っ!」

おかしいなとは思ってたんだ。
『がまん』を使ったにしては、攻撃に転じるまでの時間が短すぎるって。
お兄ちゃん戦で見た時は、もっと長く動かなかったのに。
でもあれは『きあいだめ』だった。
そしてその後出した攻撃も……『がまん』の解除じゃなくて、別の攻撃。

「ポケモンの技には少なからず、見た目の似通った物があるのさ」
ポケモン研究員が解説を始めた。
「トレーナーが指示するポケモンバトルなら技名を叫ぶからバレバレなんだが……今回みたいにポケモンが勝手に戦う形式だと、何の技を使ったのか分からない時もある」
「似通った技……か」
パパの研究所で色んなポケモンを見て来た私も、戦うポケモンの姿には疎い。
例えば野生ポケモンが技を使って来た時、その名前が分かるトレーナーはどれ位居るんだろう?
『あいてのナゲキの○○!』みたいに、バトルの進行を解説してくれるナレーターは…ここには居ない。

「――ナゲキ、おめでとう」
「ゲキ……」
勝者に近付く。
今度は攻撃されなかった。疲れてるのかな?
私はナゲキを抱きしめて、言った。

「私、ナゲキの計画の役に立ったかな?」
「………」
パートナーは答えない。
けれどそれは、何より確かな肯定に思えた。

「サヤちゃん、お兄ちゃん」
「「ん?」」
……とうとう台詞が一体化してますけど。
「分かったよ。ナゲキがどうして私から逃げたのか」
「本当なの?」
というか、もうこれは今回だけの問題じゃない。
昨日と今日を過ごして――ナゲキに関する一つの『意志』が分かったんだ。

「まずおさらい。ナゲキは好戦的で怒りっぽい。私を信用してなくて、気に入らない時には攻撃をする」
「知ってるわ」
「日常の全てがバトルの引き金になってるような奴だな」
「そう、それだよ」
オトコの方を指差す私です。
「……どれだよ」
「好戦的ってさ……裏返せば、戦いに飢えてるって事にならない?」
戦いの無い状態には居られなくて、常に戦場を求めている。

「まあ、そうなるかもな。このナゲキは柔道を攻めの技に使うぐれえだし……戦えないなら喧嘩に飛び込みかねない位、」
そこまで言った時。
半端に思慮深い我が保護者は、眉をひきつらせて沈黙する。
「まさか……」
「うん。それこそが――ナゲキが逃亡した理由だ」
そして、今までの逃亡イベントに関する答えでもある。

「ナゲキはただ逃げていた訳じゃない。戦う為に逃げてたんだよ」
逃亡するからこそ、戦う。
『にげる』は本来、戦闘から離脱する為のものだけど…ナゲキは戦場に向けて逃げていた。
例えばクイネの森での一件。
ケンホロウから逃げたのは、状況が負け際になったからだろう。
ナゲキが戦うのは自分を鍛える為。『ひんし』になって戦うことすら出来なくなるのはご免だった。
本当は『ひんし』になった所で、私がボールに戻して休ませばいいだけなんだけど……格闘ポケモンの心がそれを許さなかったんだね。
事実、私があの後に再開した時――ナゲキはバチュル達と戦っていた。
マシな強敵に会う為に、私からもケンホロウからも逃げたんだ。

「だからひっくり返して、ナゲキが逃げる対象は『戦う』と『鍛える』に属さないものっていう事になる」
「俺とお前との最初の一戦はどうなんだ? あれはまずまずのバトルだったろ? なのにナゲキは放棄して逃げ出したぜ」
「まずまず? 多分ナゲキにとっては退屈だったろうね」
私は性悪兄貴の勘違いを正してやる。
「お兄ちゃん忘れてるでしょ。ツタージャ・ポカブ・ミジュマルの三匹は私のパートナー候補だったポケモンだよ」
それをアナタサマがパクりやがったんですよね。ビキビキ。

「なるほどそんな設定もあったな。盲点だぜ流石俺の妹だ」
あっけらかんとしてんじゃないよ………ったく。
「パパが新米トレーナーの私に選ばせるべく取り寄せたポケモン。……悔しいけど、ナゲキとは経験も実力も釣り合わない」
つまりシラケたって訳だ。
強い敵にのみ興味があって、弱い奴と戦い続けるのは苦痛。

ナゲキはそうやって、戦わずに済むフィールドから逃げて来た。
多分…パパの研究所に連れて来られるより以前から。

「そう考えるとさ……お兄ちゃん。あの時ナゲキが私に近づいた理由にも、一応の説明がつくんだよ」
「ああ――『裏手の森』での一件か」
「うん」
私が遊び場にしてた研究所裏手の森が、クイネの森の一部とは知らなかったけれど。
私があそこでナゲキを追いかけ、最終的に『ゲット』出来た理由。
ナゲキには、一つの思惑があったんだ。
「コイツはお前を見て思ったろうな。『この人間からは逃げられない』と。だが同時に閃いた訳だ」
「……その通りだよ」

『この人間に付いて行けば、戦いの日々が送れるかも知れない』と。
私はお兄ちゃんと『戦う』為に、ナゲキを使う事を選んだ。
研究用として安全に飼われていたナゲキにとって、それは劇的なチョイスだったのかも。

「って言うかお兄ちゃん」
「あんだよ」
「パパとお兄ちゃんって、ポケモンの技について研究してんだよね? ポケモンバトルはした事無かったの?」
「ほとんどねえな」
研究員はにべもなく首を振る。
「ポケモンの技はデータベース化されてるのも多くてな。今じゃ研究は資料整理とシミュレーションで事足りる位だよ」
「やってみなくちゃ分からない事もあるんじゃない?」
「『ほとんど』っつったろ? バトルの実験をする事もあるさ。だが俺らは研究者だからな。『実験材料』を過度に虐げる事は出来ねえ」
「……ポケモンを鍛える為の実験はしてなかった、って事だね」
ポケモンはどうすれば強くなるのか。強くなると、どんな技を覚えるのか。そして、その技はどんな力を持つのか。
ポケモン博士や研究員は、トレーナー以上に知っているんだろう。だから、強いてポケモン同士の真剣勝負をする必要は無かった訳だ。
ナゲキの望む環境では、無かったんだ。
だからこそ、私に味方する事を選んだ。

「ナゲキは常に戦いたがってる。少しでもグダグダな環境に置かれたら逃げ出すほどにね。それ位強さを求めているんだ」
以上、これが私の結論。
お兄ちゃんも、もう反論してこなかった。
代わりにと言っちゃアレだけど、サヤちゃんが手を挙げる。
「……アンタの見解は正しいと思うわ。けど、一つ疑問が残らない?」
「何が?」
「ちょっと異常じゃないかって事よ」
ナゲキに鋭い視線を寄せながら、彼女は言った。
「どうしてナゲキはそこまでして――強いポケモンを目指してるのよ?」
「俺もそれは気になってたぜ」
ポケモン博士の息子も同調します。……お二人さん今回は仲いいっすね。

「確かに、かくとうタイプのポケモンにとって肉体鍛錬は生態だ。ゴーリキーやドッコラーっつうポケモンは、人間の労働を手伝って体を鍛える習性がある」
「そうなの?」
人間社会に適応しても、ポケモンは本能を忘れないんだなぁ。所でドッコラーって何?
「だが……『おや』たるトレーナーに迷惑かけてまで経験値を積もうとなると異常だ。和を乱してまで己を貫くポケモンなんざそうそう居ねえよ」
「………」
この場合の『和』は人間社会を言うんだろう。
人間の下で生きるなら、まぁ仲良くしなけりゃいけないよね……。

「もしその『そうそう居ねえ』があるとするなら――何か訳があるはずだ」
「そうよね……エリ、それは分かるの?」
「それはね……」
「「はいはい分からないか」」
「反復技法ぐらい使わせてよ!」無粋な男女め!
お兄ちゃんは髪を掻きながらも、一息つくように呼気を吐く。
「ナゲキの心理がようやく分かったぜ……まさか馬鹿妹が説明つけるたあ思わなかったが」
「もう馬鹿呼ばわりは慣れましたよ」
「そうか。今度からは俺の妹と呼んでやる」
「勘弁してつかあさい!」
「アタシも驚いてるわ。相棒にもなつかれていないアンタが、心を見抜くなんて」
「別に大袈裟な事じゃないでしょ」
やめてよ照れくさい。

「私はポケモンが大好きだから、一生懸命知りたいと思うだけだよ。何でもね」
ポケモンは、人に色んな事を教えてくれる。けれど、伝えられない物もある。
なら――私達が考えてあげなくちゃ。

「ナゲキ」
人間から目を逸らして、パートナーだけを視界に映した。
不器用だけど生真面目で、果てしない強さを求めている子。
「私は貴方の願いを叶える力になりたい。ううん、ならせて」
「ゲキ……」
「貴方が強さを望むなら、私は傍に寄り添いたい。貴方の事をもっともっと知って、願いを叶えてあげたいんだ」
格闘ポケモンの本能では説明がつかない、ナゲキが強さを求める理由。
それは未だに分からないけど――分からないなりに、何かが出来るはずだとも思う。
私はこの子の仲間になれると、信じてるから。

無愛想な格闘家は、答えない。
ただ黙りこくって、品定めするようにこちらを見ている。

ナゲキは私に従わない。
けど、そんな関係でもいいじゃないか。
信頼が無い繋がりでも。傷付け合わず、付かず離れずの関係でさえあれば一一。


「……よーし! そういう訳で!」
握り拳を天へと掲げて!
「ナゲキの願いを叶える為に、本腰を入れて鍛錬を開始します! とりあえず、まずはこの草村を拠点にして、」

――ズキン。
「あ痛っ……!」
足腰の力が抜ける。「おいおい……いちいち混乱させてくれる奴だな」とアキラが近付き、そばに屈んだ。
「ヘルガーの炎がかすってたのか。一番優先すべきは、この傷の手当てだな」
「平気だよこの位。膝の擦りむきみたいな火傷なんだし……」
「ナゲキを鍛えてやりたいのは分かるが、まずは宿屋で大人しく処置されろ」
お兄ちゃんはそう言って、私の肩を素早く担いだ。

「いつまでもそうやって、ポケモン優先で生きてたら――いつか痛い目を見るぞ。お前」


そして……私達は一旦、宿屋に帰った。
時刻はまだ日当たり上々。
二日目が終わりを告げるには、まだまだたっぷり余裕がある。
だから火傷の手当てを受けた後に、私はもう一度この空き地に来てパートナーの育成を始めたんだけど……。

それはまた、別の話。
相棒の心に触れられただけでも、今回は大きな一歩だよねっ!



◇◆◇



エリの旅はまた、ここで一つの節目を迎えた。
それを強く感じているのはエリ本人。次いで保護者のアキラと、微妙な立ち位置の観測者、サヤと続く。

「ふむ、興味深いではないか」

……だがしかし。
ここに一人――『第三者』が存在していた。

またもや時間は少し巻き戻る。
エリがナゲキの抱えていた思いに気付き、それを口にした直後の光景。
その空き地での光景を、近くのビルの上から眺める男。

「我が輩は我が輩の聴覚と視覚に感謝するべきだね。そして偶然、あんな少女らを見つけられた運にもな」
男は風変わりな格好をしていた。
一言では名状し難い、良く言えば民族衣装的な……悪く言えば下手なコスプレ的な容姿。

「亜麻色のサイドテール少女――ボスの命令でこの街を視察に来たら…あのような逸材を見れるとは。いやはや、若者も馬鹿に出来ないものだな」

是非とも、我々の『団』に勧誘したいね。
男は顎髭をさすりながら、そう言った。

「……おっといけない。強制勧誘は禁止だったか。しかしポケモンの気持ちを察する心は大切だ。我々も見習わねばならんね」
だが――と、男は視線をずらした。

「それに引き換え、あの紫髪のロン毛少女はいただけないな。自らの主観に狂い、ポケモンを無理に引こうとしたのだから……」
男は目を細める。エリの演説に怪訝な表情を浮かべた、サヤという少女を凝視する。

「あれは我々が危険視するタイプの人間と言えるだろう」
呟き、屋上を後にする風変わり男。
同時にポケットを弄(まさぐ)り、小型の携帯端末を取り出す。

「さて、当初の仕事に戻ろう。我々の教義に基づき――あの紫髪少女から『徴収』を開始する」
男は携帯端末を開いた。


『可愛いは罪なのかな?』終わり

to be continued


  [No.1150] 第六話:つながりは消えないよ? 投稿者:ライアーキャット   投稿日:2013/11/18(Mon) 18:13:14   63clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

・第6話:つながりは消えないよ?


「ナゲキ〜! とどめだ〜!」
「ゲキィー!」
野生のコジョフーが、拳を受けてふっ飛び、地に伏せる。
攻撃を加えた格闘ポケモンは強く息をつき、肘を曲げた両腕を勢いよく脇腹へと引いた。

「ふぅ……これで27体目ぐらいだね」
大都会、ネクシティ郊外の空き地。
私は草村の中で、パートナーのトレーニングを続けている。
太陽は空の向こうに沈みかけていて、オレンジ色の光が辺りを埋め尽くしていた。
私の旅の二日目も、もうすぐ終わろうとしてるんだなぁ…。

「エリ」
馴染みある声が私の名前を呼ぶ。
「あ、サヤちゃん」
「アキラが呼んでたわよ。『そろそろメシの時間だ。戻って来い』ってね」
この街で知り合った鋭い目つきの女の子が、案内人さんみたいに片手を差し伸べてきた。

「う〜ん……あと5分……」
「学校に行きたくない子供みたく言うんじゃないの。…まあ私達は子供ではないけど」
「ナゲキの体力はまだまだ残ってるよ。私のコジョフーだって鍛えられるし……先に食べててってお兄ちゃんに伝えてくれない?」
「あら意外ね。食事を後回しにするなんて。アンタは天然であると同時に大食いキャラだと思ってたんだけど」
「否定はしませんけどさ……」
サヤちゃんしかりアキラしかり、何で私には皮肉ばかりのキャラクターしか集まんないんだろう。
思わず溜め息が漏れたけど、とりあえず周りを見渡ながら、私は話題を逸らす事にした。

「いや〜、さっきまでは見なかったけど…この草むらってわんさかコジョフーが居るんだね!」
戦えるだけですごい幸せな気分! 癒やされるというかテンション上がってきたというか。
私のゲットしたコジョフーだって可愛いけど、野生の皆さんもなかなかでキュンキュンです!
「もう離れたくない位だよ〜!」
「草むらに溶け込んで野生ポケモンの一員にでもなれば?」
「あ! 名案だねそれ!」
「ツッコミなさいよ!」
両手をポンと合わせたら怒鳴られました。
人間って難しいね。

「……とにかくさ、もうちょっとだけポケモンさせて。今はキリが悪いんだ」
「今度はゲームを辞めたくない子供みたいな事を……」
嘆息しつつ、伸ばした手を脇腹に当てるサヤちゃん。
「アンタ本当にポケモンが好きなのね」
「うん。ポケモンの為なら例え火の中水の中草の中森の中、土の中雲の中あのコのスカートの中だよ」
「あのコって誰よ」
「さぁ?」
ツリ目少女は頭を抑えて首を振った。

「はいはい分かりました。アキラによろしく伝えておくわ」
「ものっそ適当な言い分っすね…」
「アタシみたいに必死に生きてる人間には、アンタみたいなお気楽人種は理解できないの」
サヤちゃんは何故か鋭い目を更に研ぐ。

「アタシだって強くなりたい。ポケモンじゃなく、トレーナーとしてのレベルを上げたいのに……」
「え?」
「何でもないわよ! お腹が鳴り出すまで勝手にしてなさい! じゃあね!」
「あ、あの、サヤ様?」
思わず丁寧口調になってしまった私に構わず、紫髪の女の子は肩を怒らせて去ってしまった。

「……えーっと」
私、何か悪い事言ったかな?
正直、勝手にサヤちゃんが怒り出した印象しか無いのですが。

「ゲキィイイィイィ!」
「あ痛ーーーー!」
突然顎を殴り上げるポケモン!
「げふうっ! ナ、ナゲキ……」
「ゲキィッ! ゲキ! ゲキゲキゲーキ!」
「……うん、分かってるよ」
ズキズキする患部をさすりつつ、放っていた相棒に向き合う。

「ナゲキは強くなりたいんだよね?」
「ゲキッ!」
「そしてその為に、バトルの積み重ねを望んでいる」
「ゲキゲキッ!」
大丈夫。
私が望みを叶えてあげる。

「それじゃあ修行を続行するよ! ナゲキの体力が続くまでね! ……私の捕まえたコジョフーの出番も残してね?」
「ナゲーーィ!」
聞いているのかいないのか、ナゲキは草村に新たな野生ポケモンを見つけたらしく、拳をかざして特攻を開始した。
「よ〜し! 行け〜ナゲキー!」
強さを求める仲間の為なら、私はいくらでも頑張れる。
野生ポケモンは、またもや一匹のコジョフーだった。
格闘ポケモンは高みを目指すべく、新たなバトルを開始する。

そして草村に、一つの音が鳴った。
「あ……っ」
「ゲキ?」
ナゲキがこちらに振り返る。野生のコジョフーも、無言で視線を寄せて来た。
私はお腹を押さえて屈むしかない。
ほっぺたがちょっぴり熱くなる。

「……あはは、ナ、ナゲキ」
「………」
冷たい目をするポケモンに笑みを向けて、私は苦しい言葉を吐いた。

「このバトルが終わったら――ご飯食べに戻っていいかな?」



◆◇◆



「全く…! どうして世の中ってのは、馬鹿ばっかが気楽に生きられるのかしらね……!」
サヤは肩を怒らせながら歩く。
すれ違う通行人らが戸惑いの顔で立ち止まるが、瞼のツリ上がりが増した少女には最早周りなど関係ない。

程なくして、彼女は一軒の木造小屋にたどり着いた。
その名前を『宿屋』と言う。
サヤ及び、その知り合いたるエリ……そして『お兄ちゃん』の泊まる施設。

「――たーだーいーまっ!」
紫髪のムラ咲き少女は、扉を蹴飛ばして宿に帰還した。
ロビーのカウンターに立っていた主人がドアを見て冷や汗を漏らしたが、ズカズカと足踏むサヤに言葉を述べられるはずもない。
ツリ目トレーナーは誰にも声をかけられぬまま、殴り込むように食堂へ入室した。

「……また随分とシケた面だな、おい」
ポケモン研究員のアキラが怪訝そうに呟く。
テーブルの上には既に三人分の料理が並べられ、彼はその一つを目の前に待機している所だった。
そして、居るのは人間だけではない。
「ツタモグ! ツタモグ!」
「ガツガツブー!」
「ポリポリ……ミジュ」
床にはポケモン用のフードがいくつかの皿に盛られ、アキラの手持ち達が一足先に食事を遂行している。
サヤはその三匹を見やると、片足の太股に付けられているホルスターを開けた。

「……チョロネコ! ニューラ!」
取り出した二つのモンスターボールを投げる。彼女のパートナーが飛び出し、床へと降り立った。
ニ匹の猫型ポケモンは一目散にエサへと走した。
「お腹が空いていたのね。……全く。誰かサンが待たせるから」
「おい、エリはどうした?」
アキラの催促がサヤの耳を震わす。
その振動が不快だったので、彼女は溜め息をついた後に冷たく切り返した。

「待ってるだけ無駄よ。あんたの出来損ないな妹は、気の済むまでポケモンと戦いたいらしいわ」
「何だと?」
エリの兄は椅子から立ち上がる。
「必ず連れて来いって言ったはずだぜ? あいつは無理やり振り回さねえと勝手に動いちまうんだからな」
「アタシはアンタの召使いじゃないのよ!」
イラついていたサヤも声を荒げる。

「そんなに全員揃って食べたいなら、自分で呼んでくればいいじゃない!」
「……っ!」
アキラは乱暴な音を響かせ、席を立った。
そしてそのまま、無言で部屋から出ようとする。

「――随分、妹を心配しているのね」
それを止めるのもまた、勝気少女の呟きだった。

「兄が妹を心配して悪いのか?」
「悪かないわよ。でもアンタのは過保護すぎるんじゃないかしら?」
完全に気分を害した風なアキラに、サヤは鋭い両目を細める。
「大体ねぇ…保護者同伴で旅する事自体、アタシには信じられないのよ」
「………」
押し黙る白衣の男。

この世界――ミメシス地方の子供は、一定の年齢を迎えると旅に出る。
大人として認められる為の通過儀礼。
そんな儀式に保護者という救済措置を儲けるなど……前例の無い事だった。

「アンタにそこまで心配されて、付き添いを受けてまで旅してるエリは、よっぽど馬鹿って事なのかしら?」
「否定はしねえよ」
ぶっぎらぼうに答える保護者。
「……それ以外にも理由はあるけどな………何せあいつは…エリは昔………」
「何ブツブツ言ってんの?」
「独り言だ。いちいちツッコムんじゃねぇ」
アキラの口調はほとんどヤケになっていた。
サヤのイラつきが伝染したのか、それとも本来の性格からか。
だから、つい言い返してしまう。

「お前が指示通りエリを連れ戻してくれれば、こんなに心配せずに済んだんだがな」
「ふざけんじゃないわよ! 命令された覚えは無いわ!」
宿ここから歩いて数分の場所に居る妹を心配する兄。
そんな兄の過保護へ苛立つ少女。

――二人の口喧嘩は、その後十数分ほど続いた。
口加減の無い性分故に、その内容は徐々に単なる罵倒に終始した争いと化して行く。
床にて夕食にありつくポケモン達だけが、チラチラとソレを眺めていた。



◆◇◆



「……ツタッ」
「チョロニャ?」
「ツタ。ツタツタッ! ツタージャッ!」
「チョロニャ。ニャニャーロ! チョニャニャー!」
ツタージャが上げた鳴き声に反応し、チョロネコは食事の口を休め応える。
「ニャニャニャ。チョロニャ。ロニャー!」
「ブウゥ?」
出し抜けにポカブが『会話』へと割り込んで来た。
ニ匹は一瞬だけ視線を寄せたが、その表情が『ただ気になっただけ』という雰囲気であるのを読み取ると、彼を無視して『言葉』を続けていく。

「ツタ! ツタ! ツタッ! ツタアァージャッ!」
「チョロニャッ、ニャニャ、チョロンニャ」
「ポカポカブー♪ ポカポカブー♪」
「ニュララァッ! フーッ!」
「ポカブゥ……」
「ジュマ、ジュマル。ミジュジュジュッ――」

…………。
当然の事ながら、ポケモンの会話は人間と別次元である。
人の理解力や言語力――波長が噛み合うはずもない。
しかしサヤとアキラの益体も無い口喧嘩は未だ収まる所を知らず、その内容はどんどん低レベルになるばかり。

そんな人間同士のいざこざに比べれば、ここに居るポケモン達の話し合いの方がよほどマシな情景なのだった。
しかし、こちらの話は意味が分からない。
だから――波長を合わせる。
話を先に進める為に、ここからしばらくの間。
ポケモンの声を人間が理解できる内容に、翻訳する事としよう。
彼ら彼女らは、ポケモンの言葉でこんな会話をしていた――。


『んで、うるさいブタが黙った所で訊きたいんだけどさ〜』
ニューラが耳をピクつかせながら、アキラの手持ちポケモンらに質問した。
『私らのサヤたんに、あんたらのマスター殿は何を血管チョチョ切れてる訳?』
アキラのポケモン……ツタージャ、ポカブ、ミジュマルは、何も答えない。
くさへびポケモンは腕を組んで考え込み、ひぶたポケモンは笑顔で鼻歌を歌い、ラッコポケモンはホタチを磨くだけ。

『なんかサヤたんが侮辱されてるゲなテイストっぽい感じで、私まで超ムカなんだけど』
『……んな事言われましチもねぇ』
御三家で最初に口火を切ったのは、草タイプのポケモンだった。
『あの二人が何を吠え合っているのかなんて、オレっチらにも分からんでっシャ』
『ま〜そ〜だけどさ』
『オレっチらポケモンは、人間の簡単な命令は分かっチも、会話全部を理解なんてドダイトス無料っシャろ?』
『それ、土台無理って言いたいの?』
『ドヤアアアア』
『ぜったいれいど喰らって死んじゃえ』
『それは言い過ぎですチ!』
『はっはっはっ! 見事に切り捨てられましたなぁ! ブー!』
落ち込むツタージャを陽気に笑い飛ばすポカブ。

『猫ポケモンだけにバッサリが上手いって感じですかなぁ? おやおやこれは失礼! こちらまで下らないことを! ブー!』
『いや鬼級マジマジ1000%に下らないしあとウザ苦しいから黙ってよブタちゃん』
『ポカブゥ……』
『つか何で♂ってどいつもこいつもツマンナイ事しか言わないんかしら。ねえチョロぷー』
『そのニックネームでアタイを呼ぶなっつってんだろ』
チョロネコがおしゃべりなニューラを牽制する。

『どうでもいいよアタイは。サヤの姐貴は熱しやすく冷めやすい。ほっときゃ治まるさ。アンタの方がよっぽどツマンナイ事ばかり言ってんじゃないのかい?』
『え〜? そんな事ナイナイ99ナインティナインだよ! 「さいみんじゅつ」使った後に「きあいパンチ」ぶち込んでくるニョロゾくらいナイナイだよ!』
『アタイとしてはディグダが「ひっかく」を覚える事実の方がナイナイなんだがね……いやそれはどうでもいい。とにかく』
チョロネコはフードに口を付けつつ、話を続ける。

『アタイらはアタイらでメシ時を楽しんでいればいいのさ』
『ふい〜ん。チョロぷ〜は落ち着いてるねぇ』
『次そのニックネームで呼んだら首を掻く』
『アイワカリェシタダァシェイリエス〜』
『しかし、ポケモンフーズってのは美味いモンですチなぁ。人間は本当に素晴らしい生き物でっシャ。ミジュマルもそう思うチしょ?』
『我には無用な感慨なり』
最後の一匹はつれない態度だった。ただ黙してエサを口に運んでいる。
『世界の優美、浮世の愉悦。太極の流れを見据えるほど、我はまだ成長してはいない。ホタチ二刀流を得るレベルとなるまで敵を斬る。それだけだ』
『……ねぇツタージャ、このソバカスラッコは四六時タイムズでこんなチャンネルなの?』
『そうっシャ。あとミジュマルのアレはソバカスでなくヒゲだと思うチけど』
『あっそ。顔に似合わない性格だねぇ』
ほどなくして、皆は食事を終えた。
人間の喧嘩は終わっていなかった。

『本当に何を争ってるんっシャがねぇ』
『だから、どうでもいいじゃないかい』
『ご主人様が喧嘩してんのにドライっチなぁ』
『アタイらには何も出来ないじゃないか。人間は人間同士、ポケモンはポケモン同士。平和な時は別々に過ごすのが一番いいんだよ』
『アハハ、チョーウケる! それじゃあチョロにゃん、人間とポケモンが一緒になれるのはバトルの時だけになっちゃうじゃん!』
『ああそうだね。皮肉なもんだ』
ニックネームを替えて来た事への突っ込みを辞めるチョロネコ。

『それに、姐貴はアタイらに少し遠慮してる所があるからね。アタイらは空気を読んで、一歩前に引くって訳さ』
『遠慮? どういう事っシャ?』
『どうでもいいだろ』
しょうわるポケモンは空になった皿を放置し、部屋の外へ歩き出した。

『ブー? 何処へ行くのですかな?』
『腹ごなしに外へ行くんだよ』
『それはいいですなあ! こちらも腹が膨れて来た所で! お供しましょう! ブー!』
『アンタとアタイの腹を一緒にするなよ豚。湯で煮られとけ』
『ポカブゥ……』
『ブタちゃんのアホポカリンな戯言はともかく、私もゴーイングブチかましちゃおうかな! 食っちゃ寝生活が続いてたし!』
『じゃあオレっチも運動するっシャかな』
『な、ならばこちらも! ミジュマルは如何ですかな? ブー?』
『我は暫しホタチを研ぎ、この室内から外界の音に耳を済ます修行に入る。喧騒の嵐故、良い鍛錬となるであろう』
『はいはいヒゲラッコちゃんのチンプンな漢文は捨ておきマッショイ!』
ニューラが活発にチョロネコを追い越し、部屋の入り口にて鳴き声を上げた。

『チョロにゃん、ヘビオちゃん、ブタちゃん! 早くお庭で遊ぼうよ!』



四匹のポケモンは庭へ駆け出す。
都会の中とは言え、此処は休息の為の場所。リラックス効果があると踏んだ宿の主人により、入り口の前には芝生や木々が控え目に茂り、ちょっとした自然のスペースを構成している。
空を見上げれば無機質なビル群が立ち並ぶ中、この土地は楽園のような存在だった。
だからこそ、ポケモン達も伸び伸びと遊ぶ事が出来る。

『わっはっは〜! さあ皆さん! こちらを捕まえてごらんなさい! ブー!』
『ソロで走ってるブタちゃんはシカッティングするとして、チョロにゃん。何して遊ぶ?』
『次そのニックネームで読んだら新しい技を覚える』
『いやそれは無理でしょチート乙』
『アタイは腹ごなしと言ったんだ。せいぜいそこら辺でゴロゴロして胃袋を慣らすさ』
『じゃあ私もやっぱりオネンネしてようかな〜』
チョロネコとニューラはそれぞれに気怠げな鳴き声となり、やがて身体の動きも緩慢になっていく。

『ありゃりゃ、言い出しっぺが寝ちまっシャっチ。ミジュマル連れて三匹で遊ぶべきだったシャかねぇ』
『こちらを捕まえる者は居ないのですかな? ブー!』
そんな♀勢を複雑そうに眺めるツタージャと、無視に気付かず駆け回るポカブ。
とても平和な夕方だった。

『……カブッ!?』
そんな中、ひぶたポケモンが何かにぶつかる。丸い身体がひっくり返った。短い足を必死にバタつかせて起き上がる。
『な、何ですかな?』惑と共に上を向くと。

「ここだな――あの人の言ってたトレーナーの宿屋は」

そこには、一人の男が立っていた。



◆◇◆



その男は風変わりな服装――この都会では間違いなくコスプレの類と疑われても仕方がない、民族衣装めいた格好をしていた。
年は若く、青年と呼称して良い面構え。
ポカブは首を傾げる。
こんな姿の人間は見たことが無い。

謎の男は顔を歪め、不愉快そうに頭を掻いた。
「ったく……面倒くせえ。あの幹部サマに呼び出されて来たはいいものの、任務があんなつまんねえ内容だなんてよぉ」
「ポカポカプー! カブー!」
記述し忘れたが、再び人間中心で話が進みそうである為、ポケモンとの波長合わせを打ち切る事とする。

ポカブは未知の人間に戸惑いながらも、人なつっこく親睦を深めようと試みた。
人間に悪い者は居ない……トレーナーという主人に所有されたポケモンの大多数が抱く考えに基づいて。
……不幸にも、今回はそれが仇になったのだが。

「どけっ!」
「ポギャン!?」
男は足元にまとわりつくポケモンを蹴り飛ばした。
ポカブの体は軽く丸い為、キックを入れるとよく飛ぶのである。

ここに来てようやく――他の面々も異常に気付いた。
ツタージャが目を瞬かせる。
チョロネコとニューラも、急速に休息から覚めた。

ポカブは地面に墜落して――しかし、即座に起き上がる。
人間程度の攻撃にダメージを受ける生物ではない。
しかし…それでもショックは大きかった。

「ポカブゥ……」
「けっ! 痛くも痒くもない癖に、そんな顔すんなよ。面倒くせえ」
言葉通り、心底倦怠感に包まれた顔で再度頭を掻く青年。
何者なのかはともかく、彼が人間の中で余り誉められた人格を所有していないのは疑いようもなく間違いなかった。
「こんな豚野郎はどうでもいいんだ。……あー、マジで面倒くせえな。早いトコ標的を見つけて、あのヒゲオジサマに金でも貰わにゃあ……」
青年はブツつく。誰にともなく。
そうしながら周囲をしきりに見渡し――やがて一方向に視線をロックした。

「おっと……」
目を見開いたその先には、ニ匹の猫ポケモン。
後ろ脚を折りたたんで地に付けつつ、前脚を突っ張って腰から上を起きあがらせたチョロネコとニューラ。

「へへ、コイツらだな。幹部サマが言ってたポケモンは」
「ニュラッ!?」
「チョロフゥウウウ……!」
猫達はポカブとは違う。即座に警戒を露わにした。
言葉が分からないなりに、雰囲気で青年を敵と認めたのだ。

「フン……やっぱ一筋縄じゃあ行かねえか。あ〜面倒くせえ」
男はぶつくさ文句を言いながら――ズボンのベルトに付けられたモンスターボールに手をかける。

「とっとと任務を済ませて、『組織』からガッツリ金貰ってやるよぉ!」
怪人物はボールを投げる。
ゲットする為の物ではない。捕獲済みのポケモンにモンスターボールは効果が無い。
勿論、バトルの為だった。

「……スィイイィイイイ〜〜〜プ!」
青年のポケモンが現れ、後ろ脚だけで地面に立つ。

長い鼻は途中で力無く垂れ下がり、両目も緩んで細まった形状。
茶色の下半身に対して黄色の上半身から伸びた前脚は前に突き出され、ゆらゆらと謎めいた動きをしていた。
どことなく眠たげな顔つきにして、見る者をも眠気に誘いそうな動作……。

さいみんポケモン、スリープ。

「スリープ! ニューラに『さいみんじゅつ』を使え!」
「スイスイスイ〜〜〜!」
「ニャラララ!?」
蠢いていた前脚の動きを止め、スリープは念を込める。
それは体中から不思議な力となって滲み出し、標的の肉体に干渉していく。

「ニュ………ウゥッ……ラ…………!」
ニューラの足元がふらつく。目蓋が激しく震え、重くなる。
そして――小さな身体が倒れた。
催眠術にかけられ、深い眠りに陥ったのだ。
先ほど自身が実行しようとしていた行為が、皮肉にも完遂した瞬間だった。

「あくタイプにエスパータイプの技は効かない……だが『へんか』技なら話は別さ」
「チョッ…!? ニャニャニャー!」
残る戦闘要員が飛びかかる。
片方の爪を突き出し、素早くスリープの背後をとった。
「スィプッ!?」
「チョロニャア!!」
避けようとしたスリープの身体を突き飛ばすように、強烈な斬撃が背中を裂いた。
謎の男がよこした使客は、それで容易く地面に伏せる。

「ちっ……『おいうち』か――!」
怯える相手を痛めつける技。
スリープが回避ならぬ『逃げ』を選択していたならば、ダメージは更に跳ね上がっていただろう。

「スィスィ………プフゥーー!」
そのような事態にはならなかった為、スリープは即座に立ち上がったが。
「チョロロ……!」
「はんッ! 残念だったな。『おいうち』は普通に使っちゃ威力が低い」
敵ポケモンの主人が余裕げに笑う。
「――そして今のお前には、それ以外の有効な技が無い!」
人間の唐突な指差しに、猫はたじろぐ他無かった。

「あくタイプにはエスパータイプの技が効かず……エスパーにはあく技が常に『こうかばつぐん』となる」
「チョロニャ……」
「だが今のお前には、『おいうち』以上のあく技は無い!」

彼は彼なりの知能に基づき、戦術を組み立てていたのだ。
「ニューラはお前よりはるかに攻撃力が高い。だから最初に眠らせた」
男は相棒に指示を出す。『さいみんじゅつ』だ。
「弱い力と技しか持たないお前は、後回しで倒してやるのだあぁあ!!」
「スィーーーープ!」
第二の念波がチョロネコを襲う。

「ニャ…!?」
相手の余裕綽々な態度に呑まれ、回避が遅れた。
「くっくっくっ……コンプリートだ」
ニ匹の子猫が地に伏し眠る。
謎の青年は腕を伸ばし、その身体を抱き上げた。

「俺のミッションはコイツらを倒す事じゃねえ……攫さらう事だからな。華麗な任務遂行って奴よ」
「カブッ……!」
「ツタツタ……」
沈黙する外野席。
得体の知れない襲撃者に♂達はたじろぐばかりだった。指導者が居ない事も重なり何も出来ない。猫達も救えない。

「俺って凄いだろ! 誰か誉めろ!!」
だから、フィールドの空気を震わせるのは――勝者の宣言のみ。
「あ〜、そうだった。ここに人間は俺しか居ないんだった。面倒くせえな。チヤホヤされていい気分になりたかったのによ」
「……ポカポカー!」
突然、ポカブが走り出す。決意をたたえた表情で。
ただし――宿屋に向かって。
「ツタァ!? ……ツタタター!」
ツタージャは一瞬目を丸くしたが、男と宿を交互に見て…結局同様の行為を始めた。

「はっはっは!! 情けねえ奴らだぜ!」
獲物を腕に収めたまま、男は笑う。
モンスターボールには入れられない。後はこのまま立ち去るだけ。
「さて――っつー訳でトンズラしますか」
誘拐の本分は迅速性だ。男は敷地から去るべく、スリープを戻そうとする。
だが、

「……えっ!?」
「うおっ!?」

振り返った所で――第三者に鉢合わせた。
宿屋にやって来た…否、帰ってきた一人の少女。
チェリンボのアクセサリーで結われた、サイドテールの髪。モンスターボールがベルト部に装着された独特なリュック。
それは紛れもなく、男が手にしているポケモンの持ち主がエリと呼ぶトレーナーに他ならない。
男の手は固まった。
お陰でスリープを戻すタイミングを逃してしまった。
今戻せば、少女は理由を問うて来るかも知れない――こんな所でポケモンを出して、何をしていたのかと。

「な…え? 貴方は誰?」
エリは宿の前に居る怪しげな男へ、純朴に問う。
焦るのは悪人の方だった。相手は子供。丸め込みの台詞を即座に考える。
「お、俺は相棒をあやしてただけだ!」
「相棒?」上目使いに男の抱えるポケモンを見やるエリ。「そのチョロネコと…ニューラがですか?」
「そ、そうだ! こいつらはワガママでな。時々ボールから出して抱きしめてやらないと、すぐ引っ掻いてきちまうんだよ」
ポケモンは人間と違い、同じ個体を並べても外見ではその差が分かり辛い傾向にある。
エリは知り合いに同じポケモンを持つ者が居る事を知りながらも、ニ匹の猫がそれと同一ポケモンであるとは見抜けない。
故に彼女が「そうですか〜。大変なんですね」と普通に気付かず労ったのも、当然と言えば当然だった。

「そ、それじゃあ俺はこの辺で!」
「あ、あの!」
走り出そうとした所で、再度のアクセス。
「その…後ろのポケモンも、貴方のですか?」
「へ? あ、ああ。そうだな」
何故がっついて来るのかと、内心で男は歯噛みした。
「そのポケモンもボールから外に?」
「いやいや! このスリープは根暗でな! 日光を浴びせたかっただけさ。今戻す所だ」
苦しい言い訳だったが、出していたポケモンを不自然でなく戻すのには好都合と判断し、男はボールを取り出す。
そして、用済みとなった相棒をボールに帰らせた。
鈍足なスリープと共に逃げる手前が省けて良かったと胸をなで下ろす。
しかしそこで――彼は気付いてしまった。
「あ、でも」
瞬間、男のこめかみを嫌な汗が伝う。
「もうすやすや眠ってるみたいですね」
焦りがこみ上げ、策を考える頭を急速に鈍らせていった。

「そのチョロネコとニューラも、戻した方がいいんじゃないですか?」

「……!」
戻せる訳が無い。
ニ匹のポケモンが入るべきボールは、本来の主が持っている。
そしてそれ以外では、いかなるボールでも人のポケモンは戻せない。
ポケモンはモンスターボールで捕獲されると、そのボールとの間に『契約』を結ぶからだ。

「? どうしたんですか?」
「いやいや…実はこいつは戻せな……い事は無いんだが、えっと、」
男は三つのミスを犯した。
一つ…彼は少女を無視してでも現場から走り去るべきだった。
二つ…彼はもっと冷静に思考する心の余裕を持つべきだった。
そして三つ…彼は知らなかった。

「……あ、あの」
「…………」
いくらエリに考える力が足りずとも――ここまで来たら気付かれない訳も無い。
彼女もまた、味わった事があるのだから。
ポケモンを泥棒に盗まれるという経験を。
その記憶と、目の前の男の不自然な態度、そして友人のと同じ手持ちを所有している事実……。
「もしかして、貴方……」
「くっ……!」

彼は行動するしかなかった。
「スリープ! 『ねんりき!』」
早撃ちのように、悪人は再びスリープを素早く繰り出し、命じる。
「うわっ!」
瞬間、エリに向けて念波が放たれた。
辛うじて身をかわしたが……その事実を以て、少女は事の真相を悟る。

「やっぱりそれ、サヤちゃんのポケモンなんだね――この泥棒!」
「泥棒強盗大いに結構さ! 俺は犯罪の現行犯! 目撃者はタダじゃおけねえ……!」
「させないよ!」
照準を当てられても、ターゲットにはあがく手がある。
標的は護衛を繰り出した。

「行けっ! コジョフー!」
「コジョーーーー!」
格闘する小動物がボールから飛び出し、犯罪者に向き合った。

「ポケモントレーナーになる前は気付かなかったよ。ネクシティにこれほど悪人が居たなんて!」
「大都会=路地多発=隠れ場所には困らない…後は分かるな!?」
「了解だよ!」
人間は発達すればするほど悪になる。それだけの話だ。
ゴタクはここまで。ここから先はモンスターに体を借りたガチバトル。

エリは相棒に指令を下した。



◆◇◆



「コジョフー、『ねこだましっ』!」
私のアイドルが必中の技を出した。何があろうが最初はコレに限る!
「ったく……ありのまま今起こった事を話したい所だよ」
ここ最近、というかポケモントレーナーになってからアグレッシブなイベントが多すぎる。
デビューして初めてのバトルには負けちゃうし森ではパートナーとはぐれちゃうし都市このまちじゃその子を盗まれて今また友達のポケモンが盗まれて……以上ここまでが昨日&今日の出来事とか。
「はぁ……忙しいね全く」
とりあえずの感想を述べて、目下排除すべき敵サンをギロリ。

何処のどいつか知らないけど、怪しい服装の人がサヤちゃんのポケモンを盗もうとしている。
絶対泥棒なんかに負けたりしない!
泥棒には勝てなかったよってフラグではなく!!

「てな訳でコジョフー! 今度は『はっけい』だっ!」
「コジョジョーー!」
相手ポケモンは『ねこだまし』で動けない。素早いこの子で追撃する。
両手(いやホント手なのか前足なのか)を押し付け――衝撃波っ!

「スイイイ……ッ! ップ。フフフフ……」
「あ、あんまり効いてないっ!?」
「ケッ! 微々たるダメージだよガキが! かくとうタイプがエスパーに弱い事も知らないのか! ああん!?」
ああんっ!
そうですかエスパータイプですか!
確かお兄ちゃんが持ってたケーシィ、あとこの町のジムリーダーが持ってるタイプだったっけ……。

「スリープ! 『さいみんじゅつ』!」
「スィイイィイ!!」
対するポケモン――スリープというらしい――は、突然両手の指をくねらせた(いやホント以下略)。
「コジョーー!」
それが何を意味するのか考える前に、コジョフーが勢いよく横に飛ぶ。

「くっ――『うまくきまらなかった』か!」
よく分からないけど、何かを避けたらしい。
……すかさず命令だね!
「コジョフー! 『おうふくビンタ』だっ!」
ノーマルタイプの技を命じた。

『戦った時に思ったけど………アンタって、タイプの相性を何も知らないでしょ?』
昨日の夜に聞いた、サヤちゃんの声が蘇る。
宿屋で寝ようとした時に、ポケモンのタイプに関する話を教えて貰ったんだ。
エスパータイプには、かくとうタイプは『いまひとつ』なんだよね……!

「ちぃっ――!」
コジョフーの平手打ちを叩き込まれてフラつくスリープ。
体力はまだまだ残ってるみたいだった………技が来る!

「眠らせていたぶろうかと考えたのが間違いだったぜ…」
名称不明の男サンが吠える。
「やっぱり格闘ポケモンには、攻撃技のエスパーをぶつけなきゃあな!」
勢いよく命令を下す誘拐犯。
僕しもべは忠実に従い、目をカッと開いて前脚を突き出した。

「スイィイーープ!!」
「コジョオッ!!」
水溜まりの波紋みたいな光が一直線にコジョフーへ当てられた。
今度は――避ける事に失敗する。
吹っ飛ばされて地に落ちる、私のポケモン。

「『さいみんじゅつ』は命中率が低い。だから簡単に避けられたんだろうが……『サイケこうせん』はそうはいかねえ」
「くっ、コジョフー!」
カンフーポケモンはゆっくりと立ち上がった。
「………?」
けれど何か、様子がおかしい。

「コ〜〜〜ジョ〜〜〜〜……」
目を回し、おぼつかない足取り。
頭の上に鳥さんがピヨピヨ回っているみたいな…クルクルパーの様相。
「コジョフーしっかり! もう一度『おうふくビンタ』を、」
「コフ〜〜〜!」
小さい友達は、私の言葉を聞かなかった。
コジョフーは近くにあった岩へ突っ込み、自分の頭を激突させた。

「コジャアァアアア!」
と思ったら、おでこを抑えて泣きわめく。
「いや当たり前でしょ何やってんすか!」
「混乱しているんだよ。『サイケこうせん』は運の悪い相手を『こんらん』状態に変えるのさ」
「何だってえ!?」
あのクイネの森で私がナゲキに仕掛けてしまった最悪の事件! 自分で自分を攻撃してしまう状態異常が再び!?
いやいや、そんな説明乙な事してる場合じゃない!

「一度ハメれば後は単純作業だ! スリープ、もう一度『サイケこうせん』!」
「スイィイーーー!」
「コジョオオォア!」
波紋の光に染まる仲間。
ヤバイヤバイ! マジマズでヤバイ!

「オラどうだ! 低レベルでエスパー技を喰らい続けた感想はよぉ!!」
コスプレ男は私じゃなく、コジョフーに言葉を吐き捨てていた。
心底楽しそうな表情。
バトルを楽しむのならいい。けれど彼の顔に浮かんでいるのは……違う。
苦しみや痛みを容赦なく与えて、それを愉快に思う感情だった。
しかも自分自身じゃなく、ポケモンにそれをやらせるなんて――!

「……っ、コジョフーお願い! 自分を取り戻して!」
こんな奴に負ける訳にはいかない。サヤちゃんのチョロネコとニューラが攫われちゃう。
でも…そんな思いが簡単に通じるほど、バトルは甘くないようだった。

「コジョオオ〜〜〜! ゴフッ!」
「ハハハハ! また自滅しやがったぜ! スリープ! 行けぇ!」
「スィアアアアアッ!」

三度目のサイケこうせん。
螺旋に呑まれ、倒れ込むコジョフーの体。
「勝負は決したな。こいつらは貰って行くぜ」
誘拐犯が行っちゃう……そうはさせない!
「今度はナゲキを、」
「コ……ジョ……」
もう一つのボールを掴んだ時――小さな戦士が再び起き上がった。
苦しみに歪んだ顔をしながら。

「コジョフー、もう無茶だよ!」
「コジョー!」
まだやれる、そんな目つき。
でも……あの反応から見て、サイケこうせんは多分エスパー技だ。つまり『こうかはばつぐん』という事。
そんな物を受け続けて、混乱までして……!

「その通りだなぁ。もう諦めろよ、面倒くせぇ」
嘲り笑うポケモン攫い。
「そんな雑魚で何が出来る。俺の邪魔をすんなよ。この誉められるべき完璧な俺を」
「何が………完璧だよ!」
どうしようもない状況で、私は怒鳴るしか無かった。
「貴方…ううん、君は最低だ! 何が目的か知らないけど、人のポケモンを盗むなんて最低だよ!」
「はっはっは! いいんだよ俺なら。こっちは慈善事業でやってんだからなぁ」
勝利を確信した犯罪者は怯まない。

「この猫どもの事情なんざ知らねえが……こいつらも幸せなんじゃねえのか?」
「何を言って……!」
「俺はポケモンを誘拐しに来たんじゃねえ――救ってやりに来たんだ」
妙にはっきりした声色で、悪人は言った。

「『上』からの命令でな」
「上……?」
意味の分からない言葉。
何なの? コイツもモノトリオと同じ、変なプライドの持ち主って奴?
けれど――いずれにしても。
ポケモンを奪って、バトルを弱い者いじめみたいに楽しみ、敗者を嘲笑する。
そんな奴に、救うとか何とか言われたくない――!

「ふざけないで………下さい」
「あん?」
前の泥棒以上の怒りがこみ上げて、思わず口調まで変わってしまった。
けどそんな事はどうでもいい。早くナゲキを出して、もう一度……。
「その子達はサヤちゃんのポケモンです……それも所有物なんかじゃない。大切なパートナーなのですから――」
「…関係ねえな。俺は上に言われた事をするだけだ」
コイツにも心というものはあるらしい。こちらの顔を見て、声の調子が若干落ちている。
私は少し深呼吸してみた。腹が立った時にはやれとアキラが教えてくれた方法。
落ち着いた。いつもの口調で喋れそうだ。

「だから……君から絶対にその子達を取り戻すよ」
「ふん。コロコロ喋り変えやがって。お前はアレか? 二重人格って奴なのか?」
「私の事なんてどうでもいいでしょ。今はポケモンバトルをしてるんだから」

ナゲキ入りボールを、リュックのベルトから取り外す。
「コジョフー、無理は禁物だよ。ボールに戻って」
「コジョ……」
「大丈夫。貴方だけじゃないんだから」
目の前の男を、強く睨んだ。

「コイツが許せないのはね」
「諦めろっつったはずだがな?」
「諦められない戦いもある」
「ああ、面倒くせえ話だ」
スリープを戻そうとしたんだろう、誘拐犯はモンスターボールを持った手を下げる。
……どっかの目ざとい兄の真似じゃないけど、ベルトに他のボールが見当たらない辺り、敵の手持ちはスリープだけらしい。
まだ、不利な状況では無いはずだ。
「いいよ。お前を完璧にやっつけて分からせてやる。ああついでにお前も眠らせておかねえとな。それともさっきみたいに『ねんりき』をブチ込んで……」
そんな風に、聞きたくもない醜悪な言葉を吐きながら男は対峙して。

「う――ぐおぉおおああ!!」
……直後に悲鳴を上げた。
「い、痛ぇ! いでいでいで!! や、止めコラァ!」
「――チョロニャアア!!」
犯罪者の顔面を引っ掻き回し、猫の片割れが地面に降り立つ。
「チョロネコ!」
「な、何でだよ! 『さいみんじゅつ』で眠らせたはずじゃあ……!」
もう一匹のニューラはまだ眠っている。だけどその子を抱えているから、敵は顔を手で覆えない。

傷だらけの顔面。
ざまぁ…と言えるほど、形成逆転ではないけれど。
「そ、そうか! 『さいみんじゅつ』が解けやがったのか! 時間が経ち過ぎて――畜生! お前のせいで!!」
私を指差しながら、理性のタガが外れたみたいに怒鳴ってきた。

「許せねえ! スリープ! あの女に『サイケこうせん』を……」
「ミジュジュマー!」
「ぼほわ!?」
不意に真横から水流が飛び、野郎に当たる。

「ポカポカブー!」
「ツタァアアアー!」
「おいエリ! 何があった!」
「そのコスプレ男は誰よ!」
サヤちゃん、そしてお兄ちゃんとその仲間達。

「っ!? ちょっとアンタ! そのニューラはアタシのよ!」
「……ああ分かってるよ。所有者さん」
下手人はこの期に及んで、ポケモンを持ち主に返そうとしない。
そして、スリープの方を見やる。

「………これは正式なバトルじゃねえ……使えるかも知れねえな……野生ポケモンに遭うのが面倒くさくて持たせてたんだが……」
「何ブツブツ言ってんの!? 返しなさいよ!!」
誰よりも強気な彼女は男に掴みかかった。
ううん、掴みかかろうとした。

「――『にげる』!」
自分のポケモンに言うように、犯罪者は高らかに叫んだ。
……こんな衆人監視の中で逃げようと!?
そんな風に思う暇こそあれば、

「スィイイイイプ!」
その暇へ殴り込むみたいな勢いで、スリープはどこからともなく玉を取り出し………地面に叩きつける!
いきなり、辺りに煙が巻き起こった。
ありえない量。爆風みたいだと言ってもいい勢いで、視界を埋め尽くす。

男の足音が聞こえる。この場から逃げ去る泥棒の足……。
煙が止んだ。

「なんなの今の技!?」
「技じゃねえ。『けむりだま』だ」
混乱を抑えた声調で兄が言う。
「『きのみ』と同じように、ポケモンには道具を持たせる事が出来る。『けむりだま』は戦闘から必ず逃げられる」
「…色んな道具があるんだね」
「トレーナーとのバトルは逃げられないんだが……泥棒の抵抗は例外だったようだな」

「エリ、どういう事だ?」
……かくかくしかじか。
「なる程、合点がいったぜ。サヤと『お喋り』してたらポカブとツタージャが飛び込んで来たから何かと思ったんだ」
「納得してる場合じゃないでしょっ!」
叫ぶのは紫髪のトレーナー。
「アイツを早く追わないと……ニューラが、アタシの大切な……!」
声に詰まるサヤの目に、薄く涙が浮かんでいた。

『こっちは慈善事業でやってんだからなぁ』
『俺はポケモンを誘拐しに来たんじゃねえ――救ってやりに来たんだ』

……やっぱり、悪党はアイツの方だ。

「チョニャ!? …チョニャニャニャ!」
チョロネコが地面に顔を寄せた後、いきなり走り出す。
「チョロネコ……? 分かるのね? あの男の臭いが!」
「チョロニャー!」
サヤちゃんも後を追って駆け出した。
そういえば、お兄ちゃんから聞いた事がある。臭いに敏感なのは何も犬だけじゃない。猫もそれなりに鼻が良いと。
獲物を探したり天敵に気付く為に、嗅覚の鋭いポケモンは多いらしい。

私も、行かなきゃ。
私は今度こそ本当に、コジョフーをボールに戻した。

「おいエリ!」
「お兄ちゃんは警察に通報して! 私達はアイツを捕まえ…られなくても、ニューラを取り戻して来るから!」



◇◆◇



宿屋の敷地から出る。標的の姿はとっくに消えてたけど、チョロネコは確かな足取りで進んでいた。

「絶対に許せない! よくもアタシのポケモンを……!」
サヤちゃんの足も速かった。チョロネコと合わせて、私が置いてかれそうな速度だ。
初めて会った時(昨日)も、泥棒を追ってる最中だったよね…。足には自信があるのかな。

「ずっと一緒に居て…やっとわだかまりも解けかけてきた。好きになれてきたっていうのに……」
「えっ?」
………何か違和感のある言葉が混じっている?
不自然な台詞に疑問が湧いたけれど、こんな時に考えてもいられない。

前の一人と一匹はどんどん走り続ける。住宅街を抜け、ビル群に突っ込み、路地裏へ周り込んで――。
「あっ、居た!」
「待ちなさい! とっとと止まってニューラを返せっ!!」
「うおおおおお!」
謎の服を来た男も必死だ。犯罪者だもんね。

しばらく追いかけっこを続けた後……相手は正面のビルに入っていった。入口のドアが閉じられる。
ほぼ直後にそこへなだれ込んだけれど、

「開けなさい! 開けなさいよっ!! ……チッ。鍵をかけられたわ」
「でもこれで、追い詰めたんじゃないのかな?」
私はビルを見上げる。
そんなに大きくは無い。三階建てで、何かの事務所っぽい雰囲気だ。外側の壁に付けられた看板には何も書かれていない。多分空き物件って奴だろう。
「ここがアジトって事なんだよね?」
「どうでもいいわ! アタシはニューラを取り返したいんだから。ついでに殴ってやんないと気が済まない!」
怒りの形相で扉を叩き、蹴飛ばすサヤちゃん。
そこでふと何かに気付き、「ごめんなさい。チョロネコ」と相棒に向き直る。

「謝るのが遅れたわ……アンタとニューラを見ててやれなくて、ごめんなさい……。アタシ、トレーナー失格よね………」
「大丈夫だよ、サヤちゃん。チョロネコもニューラも、そんな事思ってないって」
「何で分かるのよ……」
「何となく、だけど」
「アンタ……」
あ、ヤバい怒られる。
そう思ったけど、ツリ目さんは溜息をついただけで何も言っては来なかった。

「――まあいいわ。アタシはニューラにも謝らなくちゃいけないんだもの。さっさと突入して救出しましょう」
「そうだね……でも――う〜〜んっ!」
私は扉の取っ手(ノブじゃなかった)を掴んで引っ張る。当然の如くびくともしない。

「駄目だ、全然開かない」
「いいえ。問題は無いわ」
「どうして?」
「……アンタのボールは何の為にあるのよ」
そーでした!

「行け! ナゲキ!」
「ゲキィイイイー!」
パートナー召還っ!

「ナゲキ、この扉を壊すんだ! 何か投げ飛ばす勢いで!」
そしてお願いするけれど、
「……ゲキ?」
途端に、ナゲキの表情が曇る。なんか不満げな……。
「あっ――そうか」
バトルに関する命令…しかも利害が一致しないとナゲキは受け付けないんだっけ。
けどコジョフーはボロボロだったし……。

「あのその…そう! この扉の向こうにね! ナゲキの実……練習台が居るんだよ!」
「ゲキ………」
「つ、強くなりたいんだよねナゲキは! さあ行ってみよう! 目標に近付くんだ!」
「ゲキ……………」
すげー疑り深い目で見られた。
まだまだ私、信用されてませんorz

「ナゲキ! 早くこの扉を壊しなさい!」
切羽詰まったサヤちゃんが声を上げる。
「ご、ごめんナゲキ! 今は緊急事態なんだ! チョーホーキテキソチを認めてはくれないかな!」
「ゲキィ……」
「認めてもらうわよ! それともこんなドア一つ、アンタは壊せないのかしら?」
「サヤちゃんの言い方はアレだけど、私からもお願い!」
「ゲ………キ」
「ナゲキ!」
「ナゲキ!」
「やりなさいよ!!(怒)」
「おねげーします!!(涙)」

「ゲキィイイイイィィイ〜〜〜〜!!」

うるせえとばかりに、柔道ポケモンは能動的攻撃を見せた「って、ええ!?」私の方に突っ込んで来るんですがドア前の私に、

「ぎゃーーーー!!」
ロクでもない効果音と共に、扉ごとやられました。
体が地面から自由になり……ぐえっ! 滅茶苦茶…………痛い………。
「さあ、寝てないで行くわよ!」
「はい……」
「ゲキゲキー!」
「チョロニャアァアア!」
奥に進む紫さん。赤&紫頭のポケモンさんも我先にとドタドタ上がる。
倒れた扉から起き上がり、私も往きます。

「……ホコリ臭いビルね。何年借り手がついてないのかしら」
口元を抑えながらサヤちゃんは階段を上る。その後ろにはチョロネコ&ナゲキ。最後尾を私。

結局、1階には誰も居なかった。それならアイツは上に居るに違いない。
――って言うか、私がスクリームしながら転がり込んだのに何も動きが無い辺り、
「ポケ攫いは3階に居るわね」
ですよねー、という訳だ。

「1階に裏口が無かった以上、あの泥棒は袋のコラッタだわ」
「袋のコラッタ?」
「……アンタは『ことわざ』って物を知らないの?」
「ああそれなら知ってる」
お兄ちゃんがウザい位に吐きまくっていましたので。
「そう。じゃあ説明はいらないわね」
ひでえ。
「サヤちゃんってお兄ちゃんに似てる……」
「何か言った?」
心臓ブチ抜き視点で睨まれた。
口笛を吹きながらそっぽを向く私です。

「ニャー! ニャー!」
チョロネコが唐突に叫ぶ。廊下の奥に立って振り返りながら。

「な、何?」
「……階段へ曲がる角ね」
「ゲキィ…?」
3階へ向けて開けられた入り口。
ギリギリまで近づいて――私達は耳を澄ませた。

「……取り逃したと言うのかね?」
「いやそうじゃなくて! 邪魔のせいなんすよ!」
恐る恐る顔を出す。
誰も居ない階段――その上から声が聞こえた。
3階で喋ってるダレカサンの会話が、ここまで響いて来てるらしい。

「――ゲキィィイ!」
「ナ、ナゲキ!? 待って!」
柔道ポケモンが怒号と共に階段を駆け上がる。
「エリ! 行くわよ!」
「へ、へい!」
「ニャニャニャー!」
一気に突入モードですか!?

「……な、何だね?」
「畜生! ビルに入るトコ見られたか!」
3階にゴールして――そんな声が伝わって来る扉を、ナゲキがブッ飛ばした。
ドタドタ部屋になだれ込んで……っと、と! 危ない転ぶ!
両足にブレーキをかけて、サヤちゃんの背中にぶつかるのを避ける。
顔を上げて、私は目の前の光景を見た。

椅子とか机とかが全部壁際に寄せられている室内。
そこに、男の人が二人立っている。
片方は……さっきの野郎。ニューラを両腕で抱き寄せて、パニクった顔を浮かべている。
そして、もう一人。

「……やれやれ。そう言えば良いのかね?」
見たこと無い人、パート2。

「ああもう――世の中にはふざけた男が多いのね!」
頭に血が上った面構えのサヤちゃん。ふざけた男(新規)をビシッと指差した。
「アンタ達は何なのよ! 揃いも揃ってそんなカッコして!」
「ふう……厄介な事になったものだ」
二人目の新キャラは息をつき、苦笑いを浮かべてこちらを見た。
泥棒男を青年の部類に当てはめるなら………こちらは『壮年』って感じの大人。
青年サンに比べて少し派手な衣装を着込み、鼻の下と顎に口ガサツさのある髭を生やしている。

彼は随分と余裕げに見える態度で、口を開く。
「吾輩の名前はバンと言う」
エキセントリックな一人称をぶっちゃけつつ、傍らの奴を示して、
「君達が追っていたこの男は…まあ『したっぱ』だな」
「そういう事を訊いてるんじゃないわよ!」
髭面の人――バンに噛みつくように怒鳴るサヤちゃん。
開き直りみたいな対応が気に食わなかったらしい。
………私も同じだけれど。

「やれやれ、気の荒い少女だ」
彼は無駄に大らかな態度を崩さず、両手を広げる。
「吾輩の調査通りだな。サヤ。君はポケモンを持つ資格が無い」
「……どういう事よ」
下っ端と同じ、断定的な喋り方。
私はさっきから言葉が出ないし――サヤちゃんも勢いを削がれたようだった。

「ていうか、何でアタシの名前を…」
「吾輩が君達を調べていたからだよ。エリ。君もまた同様にね」
両肩が跳ね上がる。
知らない人から名指しされるのがこんなにビックリするなんて思わなかった。

「昨日の事だ。吾輩達のボスから連絡があった。『モノトリオが警察に捕まった』とね」
「…あの泥棒、アンタ達の手下だったの?」
「野良のアウトローを吾輩達の『団』が雇ったのだよ」
「『団』って…」
「フリーのままなら問題は無かったのだがね。そもそも彼らは逮捕歴も多い。しかし吾輩達の仲間である時に捕まったのなら話は別だ」
「……つまりさ。君達と手を組んだモノトリオがやられて、それで君が調査に来たって事?」
回りくどい喋りだったので、まとめてみる。
この人も舞台役者みたいな立ち回りが好きらしい。冗長で困るね。

「その通りだよ、エリ」
こっちの名前も知っているようです。

「ボスは逮捕直前にモノトリオと話していたらしいのだが、どうにも要領を得なかったようでね。吾輩がやって来たのだ」
バンの目つきが急に鋭くなる。私達をゆっくりと指差す。

「彼らが捕まるきっかけを作ったのは――君達だね?」
「そんな探偵みたく言われても……」
諸手を挙げて否定のポーズ。
逮捕したのはお巡りさんだし、三分のニはお兄ちゃんと……ジムリーダーの青年さんがやってくれたんだし。

「それで仕返しに来たって事? それじゃとばっちり臭がプンプンだなぁって……」
「無論違うさ。ここからは吾輩個人の話でね」
わざとらしく咳き込むバン。

「君達を見つけたのは偶然でね。今日の昼の事だったよ」
私が郊外の空き地に居た頃だ。
もっと言うなら、野生のデルビル達と(私以外が)戦ってた辺りかな。

「君達がモノトリオと戦っていたのを知ったのもその後だ。しかしもうその時には、吾輩の興味はそこには無かった」
「…何よ。ハッキリ言いなさいよ」
「そう。君に関心があった」
隣りに立つ紫髪の少女に、視線が向けられる。

「君はあの空き地で、嫌がるポケモンを無理矢理連れて行こうとしたね?」
「それが何だって言うの?」
「ポケモントレーナーとして、不適切だとは思わなかったのかね?」
「あれは、ナゲキがワガママだったからよ! アタシのポケモンじゃないけど、エリの為にもならないし、」
「君自身はどうなのだ?」
「は、はぁ?」
バンは次々に質問を告げて来る。
あの強気で物怖じしないサヤちゃんが押されていた。
私もどうしていいのか分からない。

「調べさせてもらったよ。君には本当に、トレーナーをやる資格はあるのかね?」
「な…っ」
「ニューラとチョロネコ。君は二匹を扱い切れていないようだね。そしてバトルでも連敗を重ねている」
こちらのチョロネコと、下っ端が抱えるニューラを交互に見ている。
サヤちゃんの足元に居る方の猫さんは、固い顔つきで主を見上げていた。

「その原因に――君は気付いているのだろう? 手持ちにも真剣に向き合えない。そのモヤモヤを怒りと焦りに転換するから、勝率も上がらない」
「なん……ですって…」
「分からないなら明瞭に言おうか。サヤ――君には自分のポケモンが居ない」
耳を疑った。
理解が追いつかず、質問攻めされている側に目を動かす。

「そもそも、そのチョロネコとニューラは……」
「――ゴタクは、もう結構だわ」
けれど言われている側も……既にいっぱいいっぱいみたいで。

「アンタも、ポケモンを持っているんでしょう? バン」
「サヤちゃん、まさか」
「本当なら力づくで取り返したいけど…それじゃそこに居るゴミ男と変わらない。アタシと勝負しなさい!」
強気少女が歩み出る。チョロネコも臨戦態勢だ。
そして相手も――それを拒んでいない。

「いいだろう。今一度、機会を与えようではないか。君と戦えば、確かめられるものもあるだろうからね」
バンは隣りの男に振り向く。

「おい。そのニューラを返したまえ」
「え? でも、」
「君とは後で『お喋り』をしなければならん。――話題を増やさせるつもりかね?」
「……分かりましたよ」
舌打ちして、下郎は持っているニューラを軽く叩く。捕らわれの猫さんはすぐに目を覚まし「ぎょあああ!」ポケ攫いを引っ掻いてこっちに帰還した。

「さあ、確かめさせてもらおうか! 君とポケモンの『つながり』というものを!!」
無精髭の男は、不敵な笑みを浮かべて。

モンスターボールを二つ投げた。

「っ!?」
はじける音。光の中から出てくる――二匹のポケモン。

「ベ〜ド〜ベ〜ダ〜……!」
「エアァアッフィーー!」
妙な姿のコンビだった。
寄り添っているにしては、繋がりが無さそうな外見。

片方はドロドロの体で、見るからに毒々しい色合いをしている。
というか出て来た瞬間から、このポケモンを中心に胸が焼ける臭いが立ち込めて来ていた。
大きな目と短い手を出してるけど、間違いなく危ない部類っぽい。
対して隣りに居るのは…ギラギラ輝く翼を持つ鳥さん。
全体的に銀色に光を反射していて、けれど重そうな印象は無い。むしろその堅そうな体躯はとてもしなやかなボディラインで、今にも高速で突っ込んで来そうな飛行機っぽい輪郭だ。

「ヘドロポケモンのベトベターと…よろいどりポケモンのエアームドだ」
「――ふうん」
はわわ……。
バンとサヤちゃんは早くも戦闘モードに入っているようです。
だけど付いて行けてないキャラが一名。
「何でポケモンを一度に二体!?」
私です、ハイ。

「ふむ。見所のある君にも、それは分かってなかったようだね」
「見所って……」
君に私の何が分かるってんだよ。
「ダブルバトル――2vs2で行うポケモンバトルさ」
オジサンが親切にも…嫌みにも話してくれた。

「さてサヤよ。チョロネコとニューラにてかかって来い」
「言われるまでもないわよ!」
鋭く尖った両目で、トレーナーは叫ぶ。
猫ニ匹が低く嘶いななき、戦闘が始まった。



◆◇◆



再び、ポケモン達の声。
激戦に駆り出された、チョロネコとニューラの会話。

『随分と眠りこけてたじゃないか、ニューラ』
『どーせみんなが助けに来るのは分かってたからね〜』

軽口を叩きつつ、猫達は主の命令に機敏に動く。

『「こごえるかぜ」!』
ニューラが冷気をまとった息を吐いた。
それは敵側ニ匹のポケモンを同時に襲い、その体に氷の粒を貼り付ける。

「すごい! 一度にニ匹を攻撃した!」
「ダブルバトルでは、そういう効果を発揮する技があるのよ」
「ふむ、『すばやさ』が低下したようだね。」
人間は人間で掛け合いに忙しい。
バンは冷気に震えるエアームドへ告げる。
「だが、まだこちらが俊敏だ! エアームド、『はがねのつばさ』!」
鉄の翼が舞い、旋風を帯びて光輝く。

『ギニャッ!』
二枚の凶器は――ニューラの身体を挟むように打ちつけた。
『っ痛ぅ……気持ちがいいね』
『トンチキな事言ってんじゃないよ』
かぎづめポケモンは強がるが、顔に滲む痛みの色が全てを物語っている。

「どうだね。ニューラは『こおり』タイプ……『はがね』技には弱い」
「うるさい!!」
サヤは全身を強ばらせながら怒鳴った。
チョロネコは彼女のそんな表情に、内心で溜息をつく。

――嫌う人間が余裕な態度だと、すぐカッとなって焦り出す。
――それがサヤ姉貴…あんたの欠点の一つさね。

「チョロネコ! 『ダメおし』!」
『あいよっ!』
人間の耳には「チョロニャー!」としか聞こえないが、チョロネコは返事をして行動する。
氷の粒が食い込んだベトベターに襲いかかり――その部位を抉るように爪の一閃を喰らわせた。

ベトベターの身体…ヘドロの塊が千切れて飛び散る。
「『ダメおし』は、相手がダメージを受けた直後に使用すると威力が高い。ダブルバトルには持って来いよね」
「おぉっ! サヤちゃん凄い!」
敵の不愉快な話し方に顔を歪めつつ、サヤは精神の平穏を保とうと相手に言う。
何も分からずに誉めるエリはともかく……敵の男、バンは神妙な面となった。

「――追補するなら、通常のバトルでは『はんどう』や『へんかわざ』のダメージで威力が上がるのだがね。まあ、今の状況には関係ないか」
「余計な事言ってないで、アンタも指示をしたらどうかしら」
「???」
彼の言葉の意味を知っているサヤと、付いて行けなくなってきたエリ。
バンは真っ直ぐにサヤを見つめている。
彼女の『繋がり』を試す為に。

「ベトベター!」
四体の中で最も鈍足なポケモンに、持ち主はようやく指令を下した。

ベトベターはその内容を受け、両手を繰り出す。

『ひょえっ!?』
『こいつは…!?』
猫は身の危険を感じて避けようとするが………適わなかった。
ヘドロはそれを許さない。

「――『ヘドロウェーブ』!」
うねりたゆたう汚泥の波。
最後に出された敵の技は、それに相応しい最悪な物。
その場に居た全ポケモンが呑まれた。

『いや〜ん!!』
『くっは、汚ねぇ……!』
紫の波が引く。
サヤの仲間は、粘りつく毒物にまみれていた。

そして双方、様子がおかしい。
『ちょっ――レッグがブルブルテイストなんスけど』
『ヤバいね、これは多分……』
「ニ匹は『どく』状態になった」
優越感溢れる笑みで、バンはのたまう。

「サヤはどうする?」
「――ぐっ!」
挑発に安々とかかる少女。
これまでに無い程、ツリ目がきつい光を帯びる。

「ど…毒状態って……?」
「チョロネコ! ニューラ!」
初めて見る状態異常に呆然とするエリをよそに、サヤは怒号めいた激励を発した。

「毒がアンタ達を『ひんし』にする前に――勝負を決めるわよ!」
ポケモン側からしてみれば酷な注文。けれど今の彼女に毒を治すアイテムは無い。
他に手段は無かった。追い詰められた状況。

「ニューラ! もう一度『こごえるかぜ』!」
『…了解っ!』
二番煎じの冷気攻撃。
エアームドもベトベターも逃れる術は無かったが一一バンは笑う。

「その技に頼っている場合かね?」
「………っ」
同じ二体同時攻撃でも、ヘドロウェーブの方が威力は高い。
エアームドはニューラに有利な技を持っている。
そして、
「『こごえるかぜ』は威力の低い技だ。どちらか一方にもっとダメージの付く技を使わなかったのは…失敗ではないのかな?」
「それはどうかしら!?」
相手が動きを見せる前に、彼女は命じた。

「チョロネコ! ベトベターに『みだれひっかき』!」
『あいよっ!』
「むっ!?」
バンが違和感に刮目する。そんな動作よりもニューラの行動は早かった。
前のターンでニューラより早く行動したエアームドよりも。
かぎ爪がヘドロを千切り飛ばす。何度も『肉体』を破壊され少なからず苦しがるベトベター。

「むむ……吾輩のポケモンが後手に回ったか」
「ええ――『こごえるかぜ』でね」
二段階下降を受けた事で、エアームドの素早さがチョロネコを下回ったのだ。

…勿論、それが勝機を意味する訳では無い。
まだまだ活発そうな彼方と…身体を蝕まれていく此方。

「エアームド! 再度ニューラに『はがねのつばさ』だっ!」
「フィフィフィー!」
鋼鉄の鳥が舞い降りて叩く。効果は抜群だ。苦悶に歪む猫。
同じくヘドロウェーブへ飲まれたにも関わらず、エアームドに異変の色は無い。

「どうして……?」
「『はがね』タイプには『どく』タイプの技が一切効かないのだよ、エリ」
塩を贈るような丁寧な解説も、ここまで来ると過剰供給だ。
「『ヘドロウェーブ』は味方ポケモンも攻撃する……ならば鋼を仲間にしておけばいい。こういう戦術もダブルバトルならではだね」
相変わらずの余裕な表情で、最低速のヘドロを指さす。

「ベトベター、『ちいさくなる』だ!」
「ベシュルルルル!」
指示を受けると同時に、ベトベターの体が収縮を始める。やがて凝視を強いる程に凝視を強いる程に小型化され、小回りもいくらか上がったように見えた。

「さて、このベトベターに攻撃を当てる事は出来るかな?」
「調子こいてんじゃないわよ!」

外野たる天然少女と違い、強気娘は焦っていた。
サヤは思った事を即座に喋るのが人間の素直なあり方と思う者だ。つまり、バンとは相容れないという事。

素直すぎる人間は、素直じゃなさすぎる人間と相性が悪い。
それはさながら、ポケモンのソレと同じように。

「ニューラ、『いやなおと』! チョロネコは『みだれひっかき』を使って!」
ニ体へ同時に命令を下す。バンの手持ちを両方出し抜いたからこその、それは速攻。
「対象は――両方ともエアームドにっ!」
『Lets,GO! ABOOOOON!!』
『喰らいなぁ!』
猫娘コンビが、跳躍を以て敵を討つ。

ニューラは両前足の長い爪をくっつけ、勢いよく擦り合わせた。
「ムドドドッ!?」
「ぬぅ……っ!」
黒板を引っ掻いた時のような、背筋を逆撫でさせる音。
ポケモンはもとより、人間達も耳を塞ぐ。……エアームドのみ、そのポーズは不可能だったが。

「ぎゃー! 気持ち悪い気持ち悪い! サヤちゃん止めさせて〜!」
アホの子一名も耳塞ぎを忘れていたが、それはどうでもよかった。

「ェェィ……ァァ」
『誰も貰い泣きしないよ!』
哀れな鳥へ込められる爪。
何番煎じであろうと関係ない。これは様式美ではなく戦闘なのである。
ニ匹の連携は…見事に決まった。

「ドゥエアアッ!!」
鋼の体に亀裂が走る。
軽量化されたにしても異質な勢いで、敵は壁まで吹っ飛ばされた。

「どんなに固いポケモンも『いやなおと』の前では形無しね」
「ふえ…? あれ技だったの?」
「当たり前じゃない。ていうかアンタはちょくちょく口出さないの!」
敵&外野たる少女のやり取りに「くっくっく」とバンは笑む。

「『いやなおと』はポケモンの防御を下げる。それも『がくっと』な。『ちいさくなる』で回避率を上げたベトベターは狙われずに済んだがね」
「……ヘドロポケモンは後で集中攻撃してやるわよ」
サヤはエアームドに視線を定めた。
ニューラに深手を負わせる技を持ち、こちらの攻撃を固い体で軽減させる鎧鳥こそ――優先対象。

「か、回避率……?」
「命中率の逆バージョンだよ。相手の攻撃を当てにくくするんじゃなく、こっちが攻撃を回避する為の比率さ」
「ほほう」

――ったく、呑気でいいわね。
紫髪の少女はいまいち、バトルに集中できていなかった。理性的に戦いだけを見据えようとしても、感情面が気を散らしに来る。……因果な性格だった。

「余計な事くっちゃべってんじゃないわよ!」
外野が腹立たしい。外野に声をかける対戦者も腹立たしい。
「いちいち反応しない事だよ。君はポケモンバトルで負ける度に要らんストレスを背負うタイプかね?」
「くっ……!」
敵も外野も、周囲の全てから茶化されるという環境。

――落ち着いて。アタシ。
旅を始めた時から…こんな日常だったじゃない。
いつまでも感情的にあり続ける程、自分は愚かではないはず……。

「チョロロ…」
「ラ……ッ」
「!?」
パートナーの鳴き声が、サヤを雑念から引き戻す。

「やはり攻撃的な人間は、ポケモンにもそれを強いるのだな」
この場を制圧している男は、あくまで事実を述べるのみだ。
「チョロネコとニューラには――もはや体力が残されていない」
感情に溺れやすい少女は、そこで再び相棒を見やる。

彼女の味方たる猫ポケモンは、汗を足元に広げて立っていた。
愕然とする。……ピンチに追い込まれたからではない。
自分の心を静めてばかりで、肝心のパートナーが意識から外れていたからだ。

「どうしたのだね? 今さら『どく』状態に気付いたような顔をして」
「し、知ってるわよ!」
「君はポケモンを気にしているのかね? それともポケモンの世話をしている自分を気にしているのかね?」
「今は戯言ほざいてる時じゃ、」
「君は自分の性格を自覚している。それに縛られ、バトルに支障が出ているのだろう。育成にもね」
敵は目を細め、サヤを俯瞰するように眺め出した。
「我輩もそれを知っていた。故に分からせてやろうと思ったのだよ―――感情的な人間に、ポケモンバトルは向いているのか」
「うっ……!」
耳を貸す必要は無い事を、当然サヤも分かってはいた。
しかし、一蹴が出来ない。分、か、っ、て、い、る、か、ら、だ、。
バンに言われるまでもなく…自分の性格を。ポケモンとの相性の悪さを。
自身の感情にばかり振り回される、愚かさを。

「お前の負けだ。早くポケモンを苦痛から救ってやりたまえ」
「す、救えって……」
『駄目だ姉貴! んな奴に耳を貸すんじゃないよっ!!』
『チョにゃん子クラブ(会員一名)へ同意ですぜ! あっしらはまだ戦えまさぁ!』
猫ポケコンビが必死に呼びかける。しかし一一それは届かない。
人間ではない生き物だから、言葉が相手に理解される筈は無い。
故に、サヤは決断した。

「………きるの?」
「んむ?」

「降参――出来るの?」

『姉貴イィィ!』
『アドモアゼエェエル!!』
飼い主は最も、妥当な決断を下したのだった。
厳密には、心弱く臆病で打算に満ちた…もう少し頑張れば打ち破れたかも知れないチャンスを蹴って。

このまま毒に蝕まれ続ける仲間を戦わせるのは本位ではない。
この地方にポケモンセンターが無い以前に、治せない状態異常に苦しむ様を見たくはなかった。
彼女は勝利より……過程を選んだのだ。
痛みに勝った先より、その前の苦しみに膝を折って。
サヤはポケモントレーナーとのバトルから『にげる』道を選んだのだった。

「『駄目だ。勝負の最中に、相手に背中は見せられない』」
「……っ!」
「君の脳裏にも、少なからずそんな単語がよぎったのだろうが……」
バンは顎に拳を添えて考える。
元々――彼の目的は、
「我輩の目的は、トレーナーとしての不適格度君に分からせる為だからな。分かってくれたならば良いのだよ」
顎髭男は唇を歪める。
勝利の形に。優越感の形相に。

「戻れ! エアームド! ベトベター!」
こうして、戦いは終わった。
感情を優先した少女と、それを窘める為に『挑んであげた』男性。
「サヤ、貴様の負けだ」
「う……ぐ―――」

バンは顎で少女を差し、鼻から嘆息してほくそ笑む。



◇◆◇



「――ちょっと待ったあぁぁああぁあぁ!!」
沈黙を打ち破り、ただシャウトする。

「………何だね? エリ君」
髭面男は不可解げに振り向くが、それに構ってはいられない。
何故なら。

「認めてたまるか! こんなバトルっ!!」
見ている私が、我慢できなかったからだ。

「バンッ!」
「効果音かね?」
「キミだよっ!」
思いっきり野郎を指差してやる。もうマナーとかどうでもいい。
「『ヘドロウェーブ』とか『はがねのつばさ』とか、キミが戦略に長けているのは分かったよ。だけど……」
ポケモンバトルはゲームじゃない。
戦闘の最中、トレーナーが何も考えていないとでも? 天からの操り手を待っているとでも!?

「この戦いに負けるイコール…サヤちゃんがトレーナー失格なんて、間違ってる!」
「………ふむ」
「キミはサヤちゃんを負かす事で、無理やりゴリ押ししたいんじゃないの? 自分の意見を!」
「残念ながら的外れだな」
余裕ぶりつつ髭を撫でるバン。
「感情的な人間は、トレーナーに向いていない。あくまでソレを教えたかっただけだが?」
「く――!」
ムカムカする。
ここには居ない、どこかの誰かに似ているから……その態度にムカムカする!

「ここからは――妹の見せ場です!」

私は、モンスターボールを構えた。
「エ……エリ?」
「サヤちゃん」
一番の被害者は、屈服の事実から立ち直れないようだった。けどソレじゃ駄目だ。
「サヤちゃん。ポケモンを戻して下さい」
「え、えぇ……え?」
「『え』が多いですよ」
「いや、そうじゃなくて――アンタ」
「たまにこうなるんですよ」
言われる前に言った。昔パパにも兄にも言われた事だから。
特に最近――お兄ちゃんには連発してたしね。

「久しぶりに頭に来ちゃいましたので……。キレたら態度を変えるのは普通でしょう?」
「ククク。それが君の本性かね?」
「たまに出る敬語口調を本性とか決めつけないで下さい。私にも身に覚えが無いんですから」
不思議な気分だ。
サヤちゃんを傷つけたコイツにイライラしてるのに、何故かウキウキな感情が湧いて来る。

「もう一度言います。サヤちゃん。ポケモンを戻して下さい。『どく』状態なのですから」
「………」
目を白黒させつつ相棒を戻すサヤちゃん。これで良し。

「これで勝負は仕切り直しです。私とバン、貴方のね!」
「キャラ変わり過ぎでは無いのかね?」
「既に説明した事は繰り返さない。私の主義ですよ」
「了解、かな。では君の参加を認めよう」
サヤちゃんがバンに言いくるめられ、トレーナー失格なんて認めない。
私がコイツを倒してみせる!

「行けっ! ナゲキ、コジョフー!」
怒りのままにボールを投げた。
そして、直ぐに気付く。

しまった……コジョフー!

宿屋の前で戦った男。
私の仲間二番手は、そいつのポケモンにやられていたのだ。
正確には大ダメージに『こんらん』。

「こんな状態じゃ戦えない……!」
「コフウゥゥウウウ!!」
「って、あれ?」
コジョフーは、元気いっぱいに召還された。

床に降り立ち、相手を睨んで構えを見せる。
「コジョフーは『こんらん』してるはずじゃ……」
「『こんらん』?」
何故か敵が反応して来た。

「ああ。そういえば隣の部下から聞いたよ。スリープに混乱させられ、ダメージも受けたそうだね」
「ハイオカゲサマデ」
「しかし問題は無い。『こんらん』はポケモンをボールに戻せば、すぐに治るのだよ。それに加えてコジョフーには『とくせい』の力もあるしね」

「『とくせい』?」
首を傾げかけて…引き戻す。
そういや、お兄ちゃんがクイネの森でそんな事を言ってたっけ。
混乱と言い特性と言い、あの森って勉強になるんだなぁ。

「『せいしんりょく』の可能性もあったが、どうやら違うらしい。コジョフーの特性
『さいせいりょく』は、戦闘から引っ込むと体力が回復するのだ」
「え?」
「つまりコジョフーは、状態異常から逃れた上に傷まで癒やして出て来たのだよ」
「えぇ〜っ!?」
何その強くてニューゲーム! 『とくせい』凄ッ!!

「……君も口調が戻ってないかね?」
「え? あぁ、うん」
なんかモチベ下がったの。
敬語キャラとは何だったのかね。
「そんな事はどうでもいいんだ! 大事なのは私でなくポケモンでしょ!」
「君のポテンシャルにも興味はあるんだが…ここはお手並み拝見と行こうか!」
バンは再度エアームドとベトベターを呼び出した。

「時にバンさんや」
「連中には回復特性は無い」
「ありがとう」もう用無しですね。

「ゲキィイィィ!」
「コジョオオ!」
「ムドアァッ!」
「ベ〜ド〜ベ〜ド〜…」
「サヤちゃんに代わって、オシオキだよっ!」
「やれるものならやってみたまえ!」
謎の髭親父、二戦目開始!

「エリ、さっきのって……」
「ゴメン、今はバトルだから!」
「……ったく」
外野には構ってられないよね!
「それは、さっきのアタシの台詞よ!」
「ごめんねっ!」
謝罪をサヤちゃんに、命令をポケモンに!

「ナゲキ! 目の前の奴は敵だ!」
「……ゲキ?」
利害が一致しなければ、私はナゲキに拒否されてしまう。
「そのポケモンを倒さないと、ナゲキの旅も阻まれちゃうんだよ!」
「ゲキイィイィィ!」
まんざら嘘でもないけれど、パートナーを煽るのは複雑な気分だった。

「ナゲキはベトベターに攻撃して!」内容は自由でいいよ!
「そしてコジョフーは――ベトベターに『はっけい』!」
「ほう」
バンは少しだけ目を見開いた。

「片方を集中攻撃かね」
「サヤちゃんのバトルを見て、大体の雰囲気は分かったからね!」
ポケモンの技が一体を叩く物か、複数体を巻き込む技に分かれる。これがダブルバトルであるらしい。
けど私には、その技の判別なんて付かない。だからこそ……!
「複数攻撃の技が分かんないなら、片一方を叩くのが良い!」
しかもベトベターは…『ヘドロウェーブ』だっけ? 相手を丸ごと呑む技を持っている。
早く倒すのが吉! だよね!

「――まだ早いがね!」
「えっ!?」
こちらよりも先んじて、エアームドが迫って来た。
「エアームド! 『エアカッター』だ!」
「エアァァムドォ!」
鉄の翼が宙を掻く。
その鋭さは空間にも伝わり、大気そのものをこちらに向かって刃のように押し付けてきた。
「ゲギギギッ!」
「コジョ! ……オオォ」
「なっ…! この技もっ!?」
「一度に二体を攻撃出来るのだよ!」
「……っ!」
しかも今度は、味方を巻き添えにすらしない。
ダブルバトルって、こんな奥が深いの!?
「追補すれば、今のは『ひこう』タイプの技だ。『かくとう』タイプには手痛いと言えるね!」
「ペラップやケンホロウに続く、私には最悪な技って訳か……」
ベトベターに絞ったのは失敗だったかも。
いや、ベトベターだってタチの悪い技を持ってるんだ。相手を『どく』にするなんてトラップを。
「次は――こっちだよ!」
ナゲキとコジョフーのターン。
二匹の身体が、力の限りにヘドロを打つ!

「ベ……ドォッ!」
「よっしゃあ! 二人力!」
ガッツポーズ!

「……残念だったね」
へ?

ベトベターが、ぐぐぐっと体を縮めた。
「……ベトオォオオ!」
一気に体を膨らませるヘドロポケモン。
めり込んでいた私の手持ちは、成す術無くはじき飛ばされる。

「ふえぇっ!? 全然効いてないっ!」
「これもまた『タイプ』の相性だ! 『かくとう』タイプの技は『どく』へのダメージが半減するのだよ!」
「何いぃっ!!」
何でだよっ! 格闘家もヘドロには触り辛いからか!?
「ま…まずい……」
事実上、集中攻撃のチャンスをフイにした!
相性の悪いベトベターに、痛恨の攻撃を持ってるエアームド。

「ど、どうすれば……!」
「悩んでばかりも居られんよ」
「ひいっ!」
「クヨクヨしてたら負けるのだからね……ベトベター! 『ヘドロウェーブ』!」
「で、出た〜〜!」使える技は何番煎じでも臆せず連敗しちゃう奴〜〜〜!!

「ベ〜〜ド〜〜ベ〜〜ダ〜〜!」
再び生まれる毒の奔流!
「ゲッキ……!」
「ジョオオオ!」
埋もれて浸かる私のポケモン。エアームドは平気の平左だ。

「さて、どうなるかね」
「……!」
「君には是非ともサヤの二の舞になってもらいたくないものだがな」
…このオジサマは何故に私を買い被るんだろう。
何か説明してた気がするけど、ぶっちゃけ言って覚えてない。
ヘドロの波が引いていく。

「ゲ……キ」
「ナゲキ!」
毒に侵されたのは、ナゲキの方だった。
肩と片足を落として歯噛む。
コジョフーは『感染』をはねのけたようだったけど――そこに希望は見いだせない。

サヤちゃんの敵(かたき)を討つ為にバトルを挑んだっていうのに……!
このままだと私も、毒タイプにやられちゃう!

「――ゲーーーキーーー!!」
「ファッ!?」
柔道ポケモンが出し抜けに激昂し、叫び声にて大気を震わせる。
まさか、いつぞやの発狂!?

「……ああ、そっちだったのね」
「知っているのかサヤちゃん!」
「土壇場で発動したみたいよ。ナゲキの持つ『とくせい』が」
「ナゲキの…?」
見ると、ナゲキは得体の知れない気迫を放ちながらも…冷静さを保っているようだった。
反対に、敵の親玉は見る見るうちに苦しげな笑みになる。

「フ、フフ――吾輩とした事が…エアームド! 再度『エアカッター』!!」
相手にはピンポイントな攻撃技が少ないらしい。
私のポケモンが…また傷つく。けれど、耐えてくれた。

「……愚かね。アタシなら『はがねのつばさ』をナゲキに叩き込むわ」
「そうなの?」
「ダブルバトルにおいて、複数のポケモンを攻撃できる技は…タイマンよりも威力が下がるのよ」
サヤちゃんも色々と物知りなんだなぁ。

「コジョジョ! コジョジョ!」
「うおっと!」
バトル中の私語はフラグだったね!
「コジョフー! ベトベターに『おうふくビンタ』!」
サヤちゃんの教えがココで役に立つ。
確かこの技は…ノーマルタイプだったよね!
「コォジョジョジョジョ!」
「ベッベッ……!」
5連コンボだドン!

「ナゲキ――!」何だか分かんないけど「出来るんだよね?」
「―――ゲキ!」
「やっちゃえ〜〜!!」輝く気迫を撒き散らしながら、私の相棒は駆けだして行った。
ヘドロの塊を前に飛び上がり、空中から胴体を晒して墜落する!

「ゲッキイィィ!」
「ベエェエッ!?」
『のしかかり』だ。
ドロドロしたベトベターは一瞬でペチャンコになり、直ぐに元に戻る。
でも!

「ベ……タ……」
「『まひ』状態か――!」
その体は、瞬く間に力を失っていた。

「…運のいい少女だね。吾輩が見いだしただけの事はある」
「捨て台詞はソレでOK?」
「どうやら君には……ポケモンの運を引き出す力があるらしい」
OKですねっ!

「エアームド! ナゲキに『はがねのつばさ』だっ!」
「ムドエアッ!!」
「もう遅いよ」
何故だろうか。
ナゲキなら大丈夫。そんな結果があらかじめ見えたような気がした。

「ゲン…キイッ!」
「上出来っ! コジョフー!」
二番煎じはコッチも同じ。
繰り返しでも、積み重ねれば溜まるもんねっ!
「ベトベターに『おうふくビンタ』! そして……」
言うまでも無いというか、そもそも言えないというか。
パートナーは目配せをした時点で、動いていた。

コジョフーが平手のメッタ打ちを繰り出す。
ナゲキが続けて体を掴み、地球みたいに回転して投げ飛ばす。

ヘドロポケモンを、倒した。



◇◆◇



「戻れ。エアームド」
「エムドッ!?」
「はっ!?」
「ふぇ?」
突然、相手はポケモンを回収する。
ボールに消えれば皆同じ。それがポケモンクオリティ。

「ご苦労だった。ベトベター。ゆっくり休め」
「どういう事だよ!」
動かぬヘドロも戻した男に、とりまクレーム宣言。

「ポケモンを戻したら試合無効とでも言うつもり!? 男ならキッチリ負けろっ!」
「うむうむ若いな。しかし感情的でもない。だから吾輩を追い詰められた」
ニヤけながら拍手をくれる髭。
「強いて言うなら、君はエアームドを集中攻撃すべきだったがね……エアームドは『はがね』と『ひこう』。格闘技は等倍だ」
「わけがわからないよ」
「最後まで闘いたかったのは吾輩も同じなのだが――どうやら時間切れのようだ」
野郎は耳に片手を翳した。
窓の外から、聞こえてくるサイレン。

「ネクシティ警察だ! 神妙に縛に付けい!」
大勢の足音を連れ、国家権力が現れた。ついでに――通報者も。

「久しぶりだな、エリ」
「お兄ちゃん!」数分ぶりだけど!
「野郎ども――もう終わりだぜ」
勝ち誇るアキラ。通報しただけの癖に。

「貴様ら………『シナプス団』か!」
お巡りさんの一員が、食いしばった歯の間から絞り出した。

「シナプス団??」
「何よそれ」
頭を捻る少女が二人。

「君達が知らんのも無理は無い。吾輩達の任務は気密性があるからな」
「俺は知ってるぜ」
誇らしげなツラの男が二人。

「ミメシス地方の『不』愉快犯。何か分からない目的の為に何か分からない事をする犯罪組織。……親父からそう聞いている」
「パパが?」
「ポケモンに関わる玄人の中では有名な話さ」
私とサヤちゃんは素人と言いたいらしい。

「否定はせんよ。まだまだ我々の『ボス』の思想は、君達に広まっていないのだからね」
「うわあぁぁ!」
バンが演説を始めようとした時、何者かが悲鳴を上げた。

「えっ!? 誰っ!?」
「誰じゃねえよ! 俺のスリープをボコしといてソレはねえだろ!」
「アアハイハイ」名無しのポケ攫いサンね。

「で、何だね? 不甲斐ない部下よ」
「え――っと、バンさん」
かませ…ううん。『シナプス団のしたっぱ』は、懐から何かを取り出す。
「コイツが震えたモンで……ボスからの連絡かと」
「吾輩達の状況も、予測済みか」

「………ボール?」
悪人の若い方の手にはモンスターボールっぽい球体が。
バンはそれを取り上げ、床へと投げつけた。

「シナプス団の通信機器――『ホログラムボール』だよ」
球体が二つに割れ、上方へと閃光を放つ。
けれど…そこから出てきたのはポケモンじゃなくて―――、

『初メマシテ。皆様方』
「なっ……!?」
二人の犯罪者なんてメじゃない、妙ちきりんな存在だった。
チカチカと体を点滅させる、平べったい何かが立っている。

「アンタ、立体映像ね」
「……貴方が、シナプス団のボスなの?」
「シナプス団のボスは、通称『ニューロン』と呼ばれている。貴様がソレか!」
お巡りさん達の怒号に、ニューロンは頭を下げた。
けれど――分からない。

「貴方は何者……? 大人なの? 子供なの? 男の人? 女の人?」
『個人情報ハ勘弁シテ下サイ』
ニューロンは、容姿も声色も意味不明だったのだ。
まず全身がスッポリ隠されている。胴体は丈の長いローブに。顔はモニターの張り付いた被り物に。
そして被り物の機能か、声まで改竄されていた。
性別も年齢も考えられない、ゴチャゴチャの声色。

『我々しなぷす団ノ思想ハ、「ぽけもんト繋ガル事」ナノデス。サナガラ脳内回路(しなぷす)ノ様ニネ』
「それがどうして……ポケモンを奪う事に繋がるのっ!?」
『ぽけもんト繋ガレナイ人間ハ、ぽけもんト関ワルベキデハ無イノデス』
人間な事以外分からない『ソレ』からは、表情も気持ちも読めなかった。

『えりサン。なげきガ逃ゲ出シタ時、貴方ハ「一休ミ」で暴走ヲ止メマシタネ』
「!?」
何で、それを。
『シカシ、さやサン。貴方ハ暴走スルなげきヲ無理ヤリ連レ帰ロウトシタ』
「そ、それがどうしたのよ!!」
サヤちゃんは紫髪を振り乱して怒鳴り散らす。
『自分ノ考エヲ押シ付ケ過ギル――貴方ハ本当ニ、ぽけもんガ好キナンデスカ?』
「アンタなんかに何が分かるのよ!? 」
『分カリマスヨ。少ナクトモ資料上ハネ』

声が改造されてる所を差し引いても、ニューロンの言葉は無機質だった。
そんな口調だからこそ、こっちも黙っていられなくなる。

「何言ってるのさ! サヤちゃんは大事なポケモンの為に、ここまで追って来たんだよ!?」
『ソレハ「あぴーる」デハ無イデショウカ』
ホログラムは音量を変えず、言った。

『他人ノぽけもんトイウ理由デ愛情あぴーるヲ行ウノモ、愚カデスガネ』

「――え?」
彼女を見る。
その顔面は、真っ青だった。

『元ノ所有者ガ誰ダッタ所デ、ソンナ過去ハ瑣末ナ物デス。シカシ彼女ハ、ソレヲ気ニシ過ギタ』
「サヤ………ちゃん?」
意味が分からず語りかけても、当の本人は黙ったまま。
ただ、震え続けるだけ。

「チッ……! んなこたあどうでもいい!!」
お兄ちゃんが空気を震わせる。

「俺はなぁ! 勝手に空気を自分に傾けて、散々他人を振り回しまくる人間が大嫌いなんだよ!」
アンタが言えた事かよっ!!
真面目に言ってるっぽかったので仕舞っとくけど!

「シナプス団ニ名! 若僧に…あと訳分からない髭男爵! 逮捕する!」
二人の犯罪者に向けて、警察諸君は特攻した。
そして――。

「―――フッ」

特に何も無く、二人は逮捕された。



◇◆◇



「ふぅ……っ」
宿屋に帰還すると同時に、ロビーにて倒れ込む私。

「おい。こんな所で寝るな」
「実は私はカビゴンなんだよ」
「ふざけるな。お前は人間だ」
「ぐえっ!?」
飛び起きる! 兄貴を睨む! 叫ぶ!

「妹の腹を蹴る兄が居るかっ!!」
「小突いただけだろ! オーバーリアクションとは図々しい!」
「誰も現場を見てない! 私の証言こそが真実!」
「こうやって冤罪は生まれるんだな!?」
「はいはいアタシが見てるわよ」
兄妹喧嘩に割り込む紫少女。
サヤちゃんは何時も通りのツリ目で、呆れ混じりに溜息をついた。
お兄ちゃんは即座に青筋を立てる。

「――今回はお前のせいで散々だ。警察の事情聴取に付き合わされたり……」
「通報者のアンタが一番長かったわね。被害者であるアタシよりも」
「警察署って以外にリラックス出来たよね〜」
「臨機応変な女共が………」
保護者(自称)は頭を掻き、廊下の奥へ駆け足にて歩いていった。

「風呂に入る! こんな時間だからな!」
「ふろてら〜」
手を振った後で、窓越しに空を見た。
……うん。確かに真夜中だよね。

ネクシティ滞在二日目。それも程なくして終わる。
アキラは言っていた。この宿屋に宿泊できるのは四日間。
明日と明後日の午前中が過ぎたら、私には夜過ごす場所が無い。

「ねえ。訊かないの?」
耳を刺す声に視線を放つ。言うまでもないけど…サヤちゃんだった。
ロビー受付の人は居ない。おあつらえ向きのタイマン状況。

「アタシのポケモンについて」
「訊かないよ。話したくないんなら、」
「じゃあ、勝手に呟くわね」
どうやら一本道のようです。
バレたのに相手が干渉して来ない――彼女にはソレが嫌だったのだろう。

「ニューロンが言った通り、チョロネコとニューラには『元主(もとあるじ)』がいたの」
「…そんな真剣にならなくていいんじゃないかな」
あえて細かい事を言うなら………自分だけのポケモンなんて、そうそう得られるモンじゃない。
野生から手に入れたり、他人から貰ったり。
ポケモンを最初から自分のモノと考えるのは、たまに間違った思惑を生む。

「何となく分かったよ」
所有権にこだわってたら、パートナーの扱いに悩むのは必然だ。

「サヤちゃんは他人のポケモンしか持って無い事を、気にしてたんだよね?」
「ええ――その通りよ」

サヤちゃんは尖った目の下瞼を震わせて、絞る。

「通過儀礼の旅は、他人からパートナーのポケモンを貰う事から始まる。……でもね。アタシはニ匹のポケモンを貰ったの」
「それが、チョロネコとニューラ?」
「そうよ」
ニ匹渡されるなんて珍しい。
けど、それ位で負い目を持つ事なんて……。

「くれたのは近所のオジサンだったわ。アタシの同級生の父親よ」
「同級生? って事は」
「ジュニアスクール時代の話って訳」

ポケモントレーナーの中には、バトル以前に勉強で能力を高める人も居る。そういった人の教育機関は『トレーナーズスクール』と言うそうだ。
それに対し…トレーナーになる前からポケモンを学ぶ機関を、この地方ではジュニアスクールと呼ぶ。
一定の年齢に達した誰もが自分のポケモンを手にする、ミメシス地方独自のシステム。

「チョロネコとニューラは、その同級生のポケモンだったの」
「それって変じゃない? トレーナーデビューする前からポケモンを持ってたって事じゃん」
「『彼女』は誕生日プレゼントに父親から買って貰ったって言ってたわ。それ位に裕福だったって事ね。そして、だから威張りんぼだった」
「………」
「ジュニア時代で既にポケモン持ち。それを『彼女』は自慢しまくってた。アタシは気に食わなくて何度も突っかかったわ。どうにもならなかったけど」
「けど、それがどうしてサヤちゃんの手に?」
「言ったでしょ。『彼女』の父親がくれたの。それだけよ」
紫少女は顔を逸らした。長髪が翻り、表情が見えなくなる。

「いつもアタシが近くに居たのを、親御サンも把握してたらしいわ。その縁で通過儀礼の日…チョロネコとニューラを渡されたってだけ」
それで、サヤちゃんの話は終わった。
いかなる問いも黙殺とばかりに、唇を固く引き結んでくる。

元々……深入りするつもりは無いけれど。
「―――――よ」
「えっ?」
だけど、これだけは伝えたい。
好きじゃない人のポケモンを貰った。
だから好きになりきれず、それが派生して一一他のポケモンにもキツい態度をとってしまう。
そんな自分を責めたって、

「つながりは消えないよ?」
「……エリ」

「トレーナーが大切に思ってくれるなら、ポケモンも答えてくれるんじゃないかな。」
ポケモンは本質的な意味で――誰かのモノになんて成らない。
人間が、モノ扱いされる事を嫌がるように。

けれど……『大切なモノ』には成れる。
「前のトレーナーなんて、気にしなくていいんじゃない?」
「………」
「その人がどんなヤツだった所で、サヤちゃんは新しい『つながり』を作れると思うんだ」
アイツらと同じ言い回しになったのは皮肉だけれど。

「大丈夫。分かり合えるよ。サヤちゃんがポケモンを諦めない限り」
「……つながり……」
「サヤちゃんは、シナモン団なんかに戸惑う必要なんて無いんだ!」
「それを言うならシナプス団よ」
「What!?」
決め台詞でミスっただと!?

「ったく……アンタはマジで最後までキマらないキャラね………」
「記憶力が無いとはよく言われるんですげどね……」
「――ふふっ」
え?

「あははは……負けたわ。アンタってホントおかしい奴ね。ここまで笑いの種になるなんて」
「なぬー!?」
「アンタみたいなアホの子を見ていると、自分が必死になってるのが馬鹿みたく思えてくるのよ」
「おいどういう事だ説明しろサヤ!」
せっかくサヤちゃんの悩み事を解いてあげようと思ったのに〜!

私だけがハズくなるなんて有り得ない。
紫髪の少女を、ただひたすらしがみついてポカポカする。
まあ――彼女が綺麗な笑顔を浮かべてくれただけでも、ホッとするべきかも知れないけどさ。



◆◇◆



「テコ入れが――必要だよな……」
少女二人が絡み合っている中、男は湯船の中で呟く。

「この街に来て速攻、泥棒にポケモンを奪われる。今日はポケモンに空き地へ逃げられ、他人の事情に首突っ込みで無茶する始末だ」
妹が通過儀礼の旅に向いてない事ぐらい、アキラは昔から知っていた。
「6年間、奴の旅立ちを阻止し続けた。それが失敗した以上――もう手段は選んでいられねえ」
彼は決意する。全ては不出来な妹の為に。

「明日、動くか」

誰にともなく、湯気を乱して男は叫んだ。

「あいつの『願い』を潰してでも、プロロタウンに連れ戻してやる。あの忘れんぼうな妹に……うろつかれては困るんだ!」

『つながりは消えないよ?』終わり

to be continued


  [No.1159] 第七話:お金稼ぎは大変だね? 投稿者:ライアーキャット   投稿日:2014/02/13(Thu) 20:32:26   52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



・第7話:お金稼ぎは大変だね?


「――いつ来てもゾーっとすらあ」

白衣を着た青年が、閑静な街を歩いている。
街と言っても、そこはあくまで地区の一つ。ビル群の立ち並ぶ全景と、同じではない。

そこは居住区を切り抜ける通りの中で、最も荒れた場所だった。

「っと、アイツとか良さげだな」
風に吹かれてくっ付いた怪しい露天のチラシを剥ぎ取り……白衣青年は道端で眠っている男へ近付く。

「おい、ちょっといいか?」
「ウィー、ヒック……何だテメエ。オレを誰だと思ってやがる〜……」
見るからに自暴自棄。残る人生全てをアルコールにでも費やそうかという若者。
「俺の名はアキラ」
白衣は名乗り、所持金の一部を酔いどれに渡した。

「あぁん!?」
「ベルトにモンスターボールが付いてるのを見たもんでな。俺に頼まれてくれないか?」
「か、金くれんのか?」
「あるポケモントレーナーを――ド派手に倒してくれるんならな」
アキラは言う。

「名前はエリ。俺の妹だ」



◇◆◇



青い空。白い雲。直視できないギンギン太陽。

「いらっしゃいませいらっしゃいませいらっしゃいませいらっしゃいませいらっしゃいませいらっしゃいませ〜〜〜〜!!」
「ちょっとエリ! 挨拶ばっかしてないで手伝いなさいよ!」
「ふええ、こんな忙しいなんて思わなかったよ〜!」
サヤちゃんから押し付……渡されたトレーを両手に、私は神様の元へ走る。

「お客様! 『ハナダシティ風、遺伝子組み換えベジタブルサラダ』です!」
「馬鹿! それ隣の席!!」
「失礼いたしやした!」

どうしてこうなった。
私はただ、お金を稼ぎたかっただけなのに……。

『そういえば、仕事募集の広告があったわね』
ネクシティ滞在、三日目。
街で偶然出会ったツリ目少女が、私に勧めてくれたのだ。
『へ? 出し抜けに何を?』
『アンタが朝から「宿屋の金とかを兄貴に頼っているのが悔しい」「キズぐすり代を楽に貯めたい」とか愚痴ってたんでしょうが』
そうですけど……。

そして一気に「なう!」
日雇いのバイトをしてみた訳です。
面接無しの即日勤務ってマジスゴイよね。

「アシタバ! ランドウ! 19番入っていいよ!」
「はい!」
「へい!」
休憩の許可が出ました!
店長と入れ替わり、私とサヤちゃんはワゴンに潜る。

「……凄いよね。野外のワゴンレストランなんて」
「イッシュ地方のワゴン屋さんをモデルにしたらしいけどね」
車で移動し、手頃な場所に停車して座席を展開する飲食店。
今回ネクシティでのオープンに立ち会えたのは本当に運が良かったなぁ……。

「危惧してはいたけど、アンタって本当にドジなのね。ポケモンに必死な癖して、他人にはダメダメなんだから」
「面目ない」
サヤちゃんは深く大きい溜息をつく。

「アンタ、一体何がしたいの?」
「えっ?」
「通過儀礼のこの旅で、何か目指してる物があるかって訊いてんの」

何故か目の鋭さを濃くする彼女。
何となく、分かってきた。
サヤちゃんは凄く真っ直ぐな子。――こういう目をした時は、シリアスの合図なのだと。

「ちなみにアタシの目標はシンプル。この地方に居る『五人』のジムリーダーを倒して……ついでにポケモンリーグも制して、最強になる事よ」
「あの、ちょっと待って?」
「あん?」
「それって、通過儀礼の建前と同じじゃないかな」

この地方――ミメシス地方の通過儀礼。
一定の年齢を迎えた子供は『ポケモントレーナー』となり、ポケモンと旅をしなければならない。
けれど旅と言ったって、何をすればいいのか分からない人も居る。
そんな人達に用意されたのが『ポケモンジム』だ。
なまじ風習で押し付けられた旅。どうすればいいか分からない人は、とりあえずコレを目指せばいい。
各地のジムをバトルで制し、あわよくばポケモンリーグで優勝する。
それが通過儀礼に目標を持たない人への措置と聞いた事がある。

「アタシをただ旅したいだけの連中と一緒にしないで」
サヤちゃんは紫髪の乱れを厭わず、首を振る。
顔つきに嫌悪が見て取れたのは強気な彼女らしいと言うべきか。

「アタシ昔、告った奴にフラれたの」
「…はい?」
「つい最近顔を合わせちゃったけどね。アイツを見返す為に、アタシはトレーナーになったのよ」
「はあ」
「な、何よその反応! 『しきたりだから』って理由よりマシでしょ!?」
「いや、あまりにも唐突な話だもんで」
居たんだ。サヤちゃんが告れる相手。
でもまあ……彼女らしい理由ではある。
実際、自分なりの目標を持って旅に出るトレーナーって、結構少ないらしいしね。
みんなポケモンの世界を見たいってだけで旅に出て――いつかは飽きる。

「ほら、アンタも言ってみなさいよ! アタシがバラしたんだから!」
「んー……」
「まあどうせ、アンタみたいな天然は目的も無くフラついてるんでしょうけど!」
「違うよ」
別にカチーンと来た訳じゃないけれど。
私もまた、サヤちゃんに打ち明ける事にした。

「私にだって、目標くらいある」
「……随分ハッキリした響きじゃない」
何かを感じ取ったのか、ツリ目少女の双眸が深まる。………静聴モードに入ったらしい。
私は人差し指と中指をピンと立て、残りを畳つつ彼女に提示した。

「――ピカピカピカリン?」
「サヤちゃんがボケただと!?」
シリアスブレイク禁止!!
今のトコ全部カットしといて!

「私にはね、二つの目標があるんだ」
「え……?」
「一つは、自分に自信を持つ為」
私は今まで生きて来て、何一つ上手く行かなかった。
けれど、それはポケモン以外での話。
通過儀礼の旅で初めて、私達はポケモンを貰える。

「他の全てがダメダメでも、一人前のトレーナーになれるなら――それは誇りに出来るんじゃないかって」
トレーナーになる前から、一つだけ苦手意識を持たずに関われたのが…ポケモンだった。
自分が好きだと思える物なら、どんなにキツくても極めたいと思える。
そして、『目指した先』を見たい。
それが一つ目の理由だった。

「この子達も、付いて来てくれるから」
私は身に付けているエプロンから、自分のモンスターボールを取り出す。

「ちょ、ちょっとアンタ! 何で勤務中にソレ忍ばせてんのよ!」
「モノトリオの悔しさが尾を引いておりますんで」
サヤちゃんはバッグに仕舞ってたみたいだけど、私はどうしても出来なかった。貴重品は肌身離さず持たなきゃ。

「……知らないわよ。店長にバレても」
「バレない物はネタバレじゃないんです!」
「はぁ………」
ツリ目をゲンナリさせて俯く彼女。
「アンタってホント幼稚よね」
「ごめんなさい」
「大体、その髪飾りは何よ。いつまでもそういうのを付けてるから……」
サヤちゃんは私の付けているチェリンボの髪飾りに触れる。


ばしっ


「っ!?」
私は、その手をはたき落とした。
一瞬だけ頭が冷え――そして我に帰る。

「な……何すんのよ!?」
「え? あ」
気がついたら睨まれていた。

「ご、ごめん! 何か手が出ちゃって」
「たかが髪飾りに触れただけじゃない!」
「そうなんだけど、これは大事な物なんだよ」
頭の上のチェリンボを握りしめる。

「笑うかも知れないけど……私の宝物なんだ」
「……そのチェリンボが?」
「うん。ずっと前からね」
さくらんぼポケモンのチェリンボ。
まだ本物は見た事が無いれど、それがアキラに教わり、私の知った初めてのポケモンだ。
それを象ったこの髪飾りは、今でも手放せずに居る。

「お風呂に入る時ぐらいだよ。外すのは。他の人に触られるのも嫌」
「そこまで拘るのは何で?」
「分からない」
『何故だか拒否反応が出る』。それだけだ。

「……ったく、意味分かんない」
ツッコミにも疲れたのか「まあいいわ」と投げやりに言って、話題を戻して来る。

「で? もう一つの理由は何なの?」
「あー」
「ちょっと! ここまで来て隠す気?」
隠すと言いますか……。

「二つ目の理由はね――まだ誰にも言ってないんだ」
「誰にも?」
「パパにも、お兄ちゃんにも言ってない。つまり、私を知ってる人みんなに言ってない」
要するにシークレットなのです。

「歯切れが悪いわね。この際だから言いなさいよ」
「うーん……けどなぁ」
私の家族に関わる事だし。

でも二つの秘密と言っちゃった以上、吐かなきゃ尋問が終わらなそうだ。
サヤちゃんになら、教えてもいいかも知れない。

「…お兄ちゃんには内緒にしてね?」
「誰が言うもんですか。あんな邪魔者に」
「うんうん」
そういえば、今日は朝からアキラの姿が見えませんでしたな。
私が起きた頃からどっかへ出かけてるみたいだし。良い事です。

とまあ、そんな訳で。
意を決し――口を開く。

「いつまで休んでんだい!!」
「うぎゃあ!」店長っ!?
「休憩時間終わりだよ! さっさと持ち場に戻りな!」
「へいへ〜い!!」
出鼻というか出口を挫かれ、私達は会話を中断する。流石のサヤちゃんも仕事を優先し「エリ! 行くわよ!」と叫ぶしか無いらしい。
その台詞の前に舌打ちが含まれてた気もしたけれど、確かめようなどあるはずも無かった。



◆◇◆



「えっ……私の記憶力ヤバ過ぎ?」
「エリ! その料理は10番テーブル!」
「アイアイサー! おまちどうさまです! 『カロス風リザレクション煮込み野菜・リーサルウェポンソース和え』です!」
「馬鹿!! アタシが言ったのは右手の料理! そっちは11番テーブル!」
「なぁ〜にぃ!?」やっちまったなあ!!
分からない。席の番号が覚えられない。

「ランドウ! 次の料理だよ!」
飛んでワゴンのアルバイトガール!
「このワゴンは色んな地方を股にかけてるんだ。しっかりしな!」
「ぐえっ!」
重量級のメシ付きトレーを持たされた! しかも両手に!
「44番テーブルだ! しくじんじゃないよ!」
人気店ってやっぱ凄いんだなぁ……。
愚痴る暇も無く、ワゴンの調理場からオキャクサマのテーブルに歩く。

「あ、落ちる」
重い。さすがに骨付き肉は重い。
『マサラ風・インド象の蒸し焼き料理』は流石に重い!

「ぎゃ〜〜!!」
我慢した分のエネルギーを悲鳴で吐き出し俯せに倒れ込んだ。
肉の乗ったトレーだけを辛うじて上げる!
「ふぅ……」
平和は守られた。

「ゲキィーー!!」
「おぼあ!?」
弾き出される私のポケモン!
モンスターボールは、倒れた衝撃を見逃さなかった。

「………ゲキ?」
じゅうどうポケモンは周囲を見渡し――見る見るうちに険しい目つきになった。
冷や汗が止まらない。トレーナーたる私には、ナゲキの気持ちが大体分かったからだ。

人がいっぱい居る。

ポケモンを出してる人も居る。

なるほど、敵襲か!

「ゲキイイイイイイ!」
「ぎゃああぁあ! 駄目ええ!」
戦闘狂さんは一気に暴れ出した。 テーブルを飛び跳ね、お客様を無差別に襲う!

「ナゲキ〜! ボールに戻っ」
「ゲキゲキゲキイ!!」
「あばばばば!!」
全身に拳が多段ヒット! なにその技攻略本プリーズ!

「こらぁランドウ! なんでポケモン持ってんだい!!」
「店長すみませんごめんなさい!」
「ゲキイ〜!!」
「あでゅー!」
投げられた。料理は守れなかった。肉が彼方に飛んでライスが「ふげ!」頭に落ちる。

「何やってんのよ馬鹿!!」
「馬鹿でごめんなさ〜い!」
「早くナゲキを戻しな! 商売上がったりじゃないかい!」
「んひいぃいい〜!!」
モンスターボールを連打して光を放つ。その全てをかわして跳ね回るナゲキ。私のヘマで給与がヤバい!!
「――おうおう、随分と騒いでるな〜ぁ」

お客人が全員、遠巻きに避難した中。
一名様が……悠々と近づいて来た。

「い、いらっしゃい――ませ?」
「おう。ランドウ・エリ」

ゾッとした。
こんな薄気味悪い笑顔、私は今まで見た事が無い。
いや、それよりも
「だ…誰ですか! 貴方は!」
私が知らない人間の癖に、何で私を知っている!!
「ゲェップ」
そして下ネタかよ!!

「俺の名前はカズキだ。だがそんな事はどうでもいいだろう」
イカつい強面の男はそう言って、髪の無い頭をボリボリと掻く。
「エリ! ソイツは『スキンヘッズ』よ! 荒くれ者の凶悪トレーナー!」
「なんですと!?」
一気に距離をとる。けれど目は離さない。

凶悪だろうが何だろうが、コヤツには訊きたい事があったからだ。
「……ねえ。何で私を知ってるの?」
「ヒック。ウイ〜」
「とぼけないで下さい!」
ついつい丁寧語になるクセが出るが、もう気にしてはいられない。

「どうでもいい。世の中なんてどうでもいい。細けえ事をイチイチ気にして生きてる奴こそ馬鹿なんだ」
「はっ!?」
「例えば目の前のサイドテール女とかな。くだらねえ事に振り回され過ぎだろ。何で小さなトラブルにヤキモキしてんだ?」
男は赤い顔のままニヤけを濃くする。

「う――ぐ」
人間。人間。ポケモンではない者。ポケモンを操り支配する者。人間はダメダメ。愚かで劣悪。こんなのが万物の霊長で良いんですか?

余りのキモさにナゲキを見やると…いつの間にか暴走をやめていた。
ズケズケと入り込んで来た人間に『どうしろと?』と考えているみたいに。

「お前みてえな駄目人間を見てるとイラついて来んだよ……ヒック。もっと世の中が
どうでもいいって事に気付いて気持ちよくなろうぜぇ。ウイ〜」
「――ありがとう」
「あ?」
何か鬱な事を考えてた気がするけど…思い出せない。
コイツがムカつく戯言を宣ってくれたから。
自分の心より―――目の前の野郎へ集中出来る!

「ごめん、ナゲキ!」
「ゲ――!?」
固まってたナゲキをボールに戻した。
エプロンのポケットに仕舞い……『もう一つ』を取り出して突きつける!

「決めたよ――キミは速攻で倒す!」
「コジョオォオオーッ!」
呼び出される第二のポケモン。
小さな体で屹立し、澄んだ瞳で相手を射抜く。

「トレーナーって事は、ポケモンを持ってるんでしょ!? 勝負だ!」
「ウイ〜、めんどくせえ」
「何を今更……!」
「バトルじゃねえ。お前がだよぉ」
カズキはズボンのベルトに手をかける。……モンスターボールは一個か。
「なんつ〜か……行け。ポケモン」

「テッスィィィィーーン!」

DQN唯一の手持ちは、とても奇妙な姿をしていた。
高速回転しながら、地面に降り立つそのフォルム。
ツヤのある銀色の体表から、緑色のトゲがビッシリと突き出した――楕円形のポケモン。

「とげだまポケモン……『テッシード』だわ」
「つ…強いの?」
「強いぜゲップ。こいつがお前を破滅にグエエェーップ」
「下ネタ辞めて下さい!」サヤちゃんとシリアスな会話してたのに!
「上半身から出してんだから下ネタじゃないだろ〜が」
「コジョフー、『ねこだまし』!」
こんなヤツ相手にしても意味が無い。今はポケモンバトルだ。

「コジョア!」
「テッシ!?」
両手(両足?)の打ちつけが、テッシードを動揺の渦中に叩き込んだ。
銀色の体に覗く無機質な両目ですら――このビックリからは逃れられない!
トゲ玉は飛び退き、もんどり打って転がった。

「コ――ジョ!?」
「ん?」
コジョフーが体を抑えてうずくまる。けれどすぐさま、キリッとした眼差しで立ち上がった。
え……? 何今の?
……まあいっか。

「さあ、先手は奪ったよ!」
「何調子に乗ってんだぁ? 見てみろよ、おら」
カズキはニヤけ面のまま、なかなか起きれないテッシードを指差した。
その体は…「嘘っ!?」ほとんど傷ついてない!

「テッシードは『はがね』と『くさ』タイプ。ノーマルタイプの『ねこだまし』は気休めだわ」
「早く言ってよサヤちゃ〜ん!」
「アタシはアンタの生主じゃないのよ!!」
生主って何スか!?

「内輪揉めは負けフラグだぜぇえ」
嫌悪極まる吐息を漏らし、スキンヘッズは嘲り笑う。

「けど――『はがね』なら容赦しないよ!」
一昨日の夜、私はサヤちゃんからタイプの知識を聞いたんだ!
はがねタイプは、かくとうタイプの技に弱い!

「コジョフー、『はっけい』!」
ぶじゅつポケモンが掌(掌?)をブチ当てた。
相性の良い強敵がもんどり打つ。

「テ……ッシイ――!」
そして、再び直立。
けれど今度は…ぎこちない動きだった。というか、フラフラしている。
これは………『こうかはばつぐんだ!』だけじゃない?

「『まひ』状態になったようね」
「えぇっ! はっけいにそんな効果が!?」
ナゲキの『のしかかり』と合わせて麻痺麻痺コンビだねっ!

「ともあれ、これで私が有利だ!」
「ぐははははは!」
ニ連続の攻撃なのに、酔いどれ野郎は笑みを崩さない。
「……そんなに酔っぱらってるの? この『はっけい』を繰り返せば、」
「礼を言いたいんだよぉ、俺はぁ」
男の気迫に、ネットリとした不気味なムラが混じった気がした。
つまり…余裕。場の空気が丸ごと全部、アイツに呑まれてしまったような――。

「ありがとよ、テッシードを麻痺らせてくれて」

途端――変化が起こる。
テッシードが、不意に飛び上がった。
フワフワ、ノロノロと……空中を飛んで来る。
コジョフーに向けて。

「コ、コジョ?」
「コジョフー!」
嫌な予感しかしない。にも関わらず動かない味方。
あまりにも遅過ぎて、どうしていいのか分からない!

「さっすが俺ポケ。命令しなくても分かるみてえだな」
「こ、これは……」
「『ジャイロボール』」

トゲの球体が小さな体に食い込んだ。
吹っ飛びもせず、コジョフーは患部を抑える一一ただし苦痛を浮かべながら。
ゆっくりと地面を転がり、主の足元へ帰還す鋼ポケモン。

「テッシードは『ぼうぎょ』は高いんだが、『すばやさ』がカラッキシなんだわ。――だが『のうりょく』の低いポケモンが弱い奴とは限らねえ」
「その一例が……この結果って事?」
「そう! 『ジャイロボール』はな、『すばやさ』が低ければ低い程強まるのさぁ!!」
「要するに、相手の素早さが高い程って事か……!」
タイプは問題なくとも――コジョフーには相性が悪い!
「んでもって、麻痺は行動不能と同時に『すばやさ』が下がる効果がある! 更なるジャイロボールの強化! ざまぁねえなサイドテールよぉ!」
響く哄笑。戦おののく私。瞬く間に青ざめるお客様カスタマー。

「落ち着きなさい。テッシードが痺れて動けないのは変わりないわ」
「――ありがと。サヤちゃん」
ヤバげな技を喰らった所で何だってんだ!

「コジョフー! 再び『はっけい』だあ!」
「コジョー!!」
相性の良い技を繰り返せば、怖くない!
「テシ……ギュウーン!」
「うおぉ!?」
飛ばされながら地面を滑って持ち直した!?
驚く間も無く…テッシードが再び動き出す。のろのろと――。
「な、何で動けるのっ!?」
「『まひ』は確率なんだよ。馬鹿だなぁ」
「うぐぅ!」
そういえば、のしかかりを喰らったペラップも最後は動けてたっけ……!

「テッシード、次は分かってるな!?」
「ギュウーン!」
再び、変わる空気。

「テ〜〜シ〜イィ………」
「え? え?」
何が何だか分からない。
とげのみポケモンの体が膨れ上がる。トゲは長めに、体格は無骨に。機動力だけは鈍そうな雰囲気で――。

「ギュフウウウッ!」
――少しだけ、鈍重さを増した輪郭に変貌した。
「『のろい』だよ」
「呪い?」
「むしろ『鈍のろい』さ。テッシードの場合はな」
今にも吐きそうなフラフラの癖に、表情だけは勝ち誇っている。
そんな男に喋らせたくないとばかりに、背後で舌打ちが聞こえて来た。

「『のろい』。タイプは『???』……いえ、今は『ゴーストorノーマル』だったかしら」
「何そのミステリ過ぎる技!?」
「ゴーストタイプとソレ以外のタイプでは、効果が変わる技なのよ」
「ゴーストタイプだか何だか知らないけど、サヤちゃん説明ヨロ!」
「俺様が説明してやる」
目を背けてた奴がほざきやがりました。

「『のろい』のノーマル効果は、『すばやさ』を下げる代わりに、『こうげき』と
『ぼうぎょ』を上げるのさぁ!」
「……!?」
ジャイロボールとのコンボ――!!

「一匹でも、技と技で『連携プレー』が出来る。それがポケモンバトルだ! 馬〜鹿!」
「コ、コジョフー……! 『はっけい』を続けて!」
「コジョオオオオ!!」
突撃する俊足の武術ポケモン。
鈍足が俊足を上回る。これが戦いの奥深さなんて………感じている暇は無かった。



◆◇◆



「―――――」
戦闘に熱中しているエリには、彼の視線は届かない。
闖入ちんにゅう者に追い出され、遠巻きに見つめる客の人々――それに紛れ込んだアキラ。

「エリを倒せよ、やさぐれ野郎」
必死な表情の妹が追い詰められる時は近い………アキラが望んだ光景だった。
目の前で着々と進む展開。『のろい』を繰り返すテッシードに、効果抜群にも関わらず弱まり続ける『はっけい』。
コジョフーの体は攻撃を当てるたび細やかな傷が付いていたが、抜けた少女は気付いていなかった。

「一つヤバいのは、エリを追い詰め過ぎる事だが……」
兄は唇を噛み、拳を固める。
「問題ねえ。その為に俺が居る。あいつを良いタイミングで助けりゃ、皆が助かるってもんさ」

お前の旅、すぐ諦めさせてやるからな。

それがエリに付き添ってきた男の、変わらぬ思考だった。



◆◇◆



「あわわ――」
「コー……ホー」
「テシイィ!」
それから数分。

目の前には針の隕石が立っていた。
極限まで膨れ上がり、鈍重となった体。
そして――傷だらけのコジョフー。
何だか、攻撃のたびに傷が増えているような……。

「『とくせい』のダメージが増えているようね」
「え……?」
「テッシードの特性『てつのトゲ』よ。その効果は…触れた敵にダメージを与える」
「なっ! ちょっ」
「早く言ってよって? ………どの道避けられない事だったわよ」
サヤちゃんは怒りに震えている。元々怒りっぽい彼女だ、相当我慢しているようだった。
「今のコジョフーは相手に触れる攻撃しか覚えてないし、テッシードの守りも固い。後は単純な――体力の問題だわ」
「――っ! コジョフー、お願い! 頑張って!」
言ってから唇を噛む。……苦しげな仲間にそれしか言えない自分が嫌だった。
この街で購入した『キズぐすり』を使っているけれど、もう追いつかない位に相手は強化されてしまったのだ。そろそろ個数も底を付きかけている。

「コジョフー! 『はっけい』だあぁあ!」
単調だろうが…それしか無い。
同じパンチでも、繰り返してれば石壁を壊せる!
「コ――ジョアアアアア!!」
コジョフーは全身全霊で突撃して、

相手の目の前で停止した。
『はっけい』の姿勢のまま、停止した。
そして……私を見やる。

「な……どうしたの!?」
「―――PP切れね」
かつてないサヤちゃんの低い声。

「『パワーポイント』、縮めてPP。ポケモンの技にはそれぞれ、繰り返せる回数が決まっているのよ」
「はっけいが………切れたって事!?」
テッシードに抜群の効果を与える、唯一の技が――!

「そんな……!」
「諦めるのは早いわよ! 他に格闘技を覚えてれば解決だわ!」
「コジョフー! 『はっけい』以外の格闘技を!!」

「………コジョ?」
格闘ポケモンは両目をパチクリさせ、首を傾げた。
つまり、心当たりが無いという事。
今のコジョフーには、はっけいだけが頼りだった……!

「お〜い〜。どうでもいいけど早くしてくれよぉ」
カズキは地面に寝っ転がり―――鼻掃除の最中だった。
こんな奴に……負けてたまるか!!

「コジョフー…『おうふくビンタ』!」
そう。
同じパンチでも、繰り返してれば石壁を壊せる。
そうでなければいけない。

「コ………グッ!!」
たとえ殴る度に、怪我をしようと。
「テシッ!! …ィヒヒヒ」
サクラさんとの戦いで、学んだんだ。
「はいはい。倒してみなぁ」
戦うっていう事は、傷ついてでも立ち向かう事なんだって!

「エリ、駄目みたいよ」
「え――?」
コジョフーが、ビンタしながら力尽きた。
さっきよりも明らかに増えてる、傷を抱え込んで。

「………………ジョ」
潤んだ色彩で向けられる目。

『ごめんね』。

「コジョフー!!」
思わず駆けつけ、抱き上げた。
……生きている。あくまで『ひんし』。
瀕死。

「コジョフーを倒した。これでテッシードも経験を踏んだな」
「ッ!」
「そんな目で見るんじゃね〜よ」
カズキはくぐもった笑みを浮かべる。――そういうのが本当に気持ち悪い。

「まさか『ポケモンをココまで追い詰めるなんて!』とか言わね〜よな?」
「………言わないよ」
「んじゃ、ありがたく優越感を頂くぜぇ」
今までで一番大きく、敵が笑う。………そこら中に下劣な声が拡散した。
「正直言うとさ。俺はお前に感謝して〜んだよ」
「…………………………」は?

「俺ってさ、以外にイケる奴なんだなって。このくだらねえ馬鹿げた社会にも、もしかしたら一発かませる男なんじゃないかって。気付かせてくれたろ?」
「……………」
「だって、俺より下な人間なんだから」
男は上半身を揺らして吹き出す。

「下には下が居るもんなんだなぁ。けどさぁ。飲んだくれの俺より無能な人間ならさ〜」

いっそ、目立つなよ。

そいつは確かに、そう言った。
人は笑顔を凶器に出来るのだと…心底理解した瞬間だった。

「自分を変えれば世界が変わるっつ〜だろぉ? じゃあさ、それも出来ずに生きてるお前は世の中への影響力ゼロじゃん」
「う…うぅ……」
「ポケモンも自分も駄目とか、生きててもしょ〜がねえだろ。俺はポケモン無しでも本気出せば何でも出来る男だけどな」
こいつの戯言なんて聞くに値しない――そう分かってても胸が締め付けられる。
私が失敗ばっかの人間だったのは本当だから。
それをどうにかしたいと思いながらも、ポケモンに希望を託したいとしか考えられなくて。

「仲間が居れば、強くなれるとでも思ってたのかぁ?」
結局……押し付けだったの?
私が勝手に、ポケモンに期待してただけ?
だったら、もう――こんなトレーナー程度に勝つ事だって……。

「ふざっけんじゃないわよ!!」

サヤちゃんの一括が、大気を打ち砕いた。
その目元は…この上ない熱気に彩られていた。

「あ〜……。客の手前、今回は自重しようとしたけど――やっぱ駄目だわ」
「あ、あの…サヤさん?」
「エリは駄目駄目で、何も出来なくて―――確かにクズな人間だわ!!」
私の指摘を意に介す事なく、少女は指先で野郎を射抜いた。

「だけど、エリはポケモンを頑張ってる!」
「あ?」
「駄目人間が縋(すが)りつく相手は最後の希望なんだと思った? 違うわ! それは最初の希望!」
白けた顔の酔いどれ男に、紫髪が佇んで放つ。

「常に前を向いていれば、今は駄目でも未来には勝てるのよ!」
「ほじほじくだらねぇ」
「エリ!」
「は、はい!」
誰が誰と話してんのか分からなくなるね!!

「アタシは憤怒寸前なんだからね……さっさと次を出しなさい!」
いっそ貫いてくれと言いたくなる程の指。
「余裕ぶった奴がどんだけ愚かか、コイツにお見舞いさせなさい!!」
「分かりました!」ビシイと敬礼。

ありがとう…サヤちゃん。
カズキとは逆に――良い怒りをくれて!

「行けっ! ナゲキ!」
「ゲキイイイイイ!」
真打ち召喚っ!
コジョフーの戦いを、決して無駄になんかさせない!

「ほらほら〜。そうやって下んねえ事に燃え上がる。全〜部どうでもいいと思えれば楽に生きられるってのによぉ」
「それはキミみたいな奴だけの理屈だよ。 みんな同じ考えで生きてると思うなっ!」
「分かった分かった。で? 俺にどうやって勝つの?」
私達が何を言っても、こういう奴には届かないらしい。
ならばせめて、石くらいは投げようと思う――抵抗の一石って奴を!

「コジョフーはテッシードを倒し切れなかった。けど攻撃は出来てたよね?」
「ああ。無意味な抵抗だったよなぁ?」
「意味はあるよ。テッシードの体力は減らせたんだから!」
彼の相棒を指先で射抜いた。
「ナゲキの攻撃から、キミはパートナーを守れるかな!?」
「ああ。問題ねえ」
いとも簡単に、テッシードを操作する男。

「テッシード。ナゲキが動いた後に『のろい』を行え」
「テシッ!」
彼のポケモンは何処までも、主人に忠実なようだった。
「はははは。ほら、攻撃しろよ。お前のポケモンが動いた後に、こっちは動いてやるからよ」
「……………」
……馬鹿だね。カズキ。
そんなの、分かりきった事じゃないか。
既にテッシードの素早さが『のろい』で下がりまくっているのを、さも挑発材料みたいに扱う。
相手の神経を逆撫でするのが――知的な作戦だとでも思った?

「ゲキイィ」
「うお!?」
いきなりナゲキが突っ込んで行く。
その全身で棘だらけの相手に掴みかかり……回転!

「ゲーーキイィイ………ナゲエェィ!」
「テシイィ――ドッ!?」
ローリングからの投擲。『ちきゅうなげ』だ!

「へ…へへ。何だよ。なついてないのかよ。つくづく無能な奴だな!」
「否定はしないよ」キミに言われたくないけどね。

ナゲキは私の命令を聞かない。私に出来る事は、アドバイスを与えるだけ。
トレーナーとして助けられるタイミングを―――見極める!

「ゲキ…イィ!」
「テッシード! 『ジャイロボール』!」
男は簡単に二言を発する。動揺がバレバレだよ。
でもこれが、ワンパターンにして強烈な一撃には変わらない……!
「避けて! ナゲキ!!」
「ゲキッ!」

ナゲキは、避けなかった。
傷ついた体のまま、四肢を構える。……受け止める姿勢!?

「避けろなんて命令を、ポケモンに出来ると思ったのかぁ!」
「テシイィイイーー!」
「ナゲキ…!」
激突。
表情を歪ませる格闘ポケモン。テッシードは即座に離れた。

「――ゲキイ!」

元気な復帰。
目の前で起きた事を、そう表現するしかない。
ナゲキは…倒れなかった!

「……ポテンシャルの違いね」
ホッと息をつくサヤちゃん。
「『ジャイロボール』は自分が遅ければ遅いほど…相手が早ければ早いほど強くなる、つまりそれは」
「あっ!」

ジャイロボールの正確な力は――相手と自分の素早さの差と同じ!

「ええ…逆に言えば、相手と自分の速さが縮まれば弱くなるって事よ」
「ナゲキはコジョフーほど早くない……だから威力が下がったんだね!」
「馬〜〜鹿! それで勝ったつもりかぁ!!」
カズキは口角泡を飛ばした。

「お前の方はどうすんだよぉ。既に『のろい』を繰り返して、こっちは最強のテッシードなんだぞ!!」
「『こうかばつぐん』って事には変わりないよ! こっちだって攻撃し続ければいい!」
「ほうら! やっぱり馬鹿トレーナーだ!」
人間が語らっている間も、互いの相棒は戦っていた。
お互いに、主人の命令を聞かなくても動けるポケモン。

ナゲキが『のしかかり』を繰り出す。こうかはいまひとつ。
テッシードが『のろい』を使う。膨張。
ナゲキが『いわくだき』を繰り出す。こうかはばつぐんだ。
テッシードが『のろい』を使う。膨、
「テ………テシ?」
テッシードが横転した。膨らみ過ぎた体が、更なる変化を拒んでいる……?
「チッ。これ以上、能力が調整できねえ」
「チャンスだよ! ナゲキ!」
もう『のろい』は使えない!

「ゲキイ……!」
思いが通じた訳ではないけれど。
柔道ポケモンが、再び構える。相手の全力を受け入れる体制。

「諦めたか! トレーナーが駄目ならポケモンも落ち目! 沈みやがれえぇ!」
「テースイィイイイイ!!」
最大威力のジャイロボール。 ナゲキは避けない。

またも、全力で受け止めた。
そして………今度は相手に下がらせる事なく、

「ゲキイィイイ!」
「ギュウウウン!!」

『リベンジ』。

テッシードの体は…地に墜ちたのだった。



◆◇◆



「……勝ったと思ったろ?」
カズキのニヤケが、私に訪れた嬉々的感情を危機感へと省略する。
地面を転がって足元に来た仲間に、彼は手を差し伸べたのだ。

「回復しろテッシードおぉ!」
そして――スプレーを吹きかける。
「あれは…!」
私もこの街で買いまくった『キズぐすり』! いや、外装の色が違うような……。

「『いいキズぐすり』さ」
相手ポケモンの負傷が、見る見るうちに塞がっていく。弱々しい目つきが鋭く戻り、テッシードは再び大地へ屹立した。

「これで文字通り…無価値って訳さ。イタチの頑張りがな」
「イタチじゃないよ! オコジョだよ!」
やられた仲間を侮蔑されてたまるか!

「大丈夫! どんどん侵攻だよナゲキ!」
「ゲキゲキゲキイ!!」
体力を元に戻されたって、また奪いに行けばいい!

「何で諦めね〜かなぁ。そんなんだから話が冗長になるんだぜえ?」
テッシードの身を叩くナゲキに、持ち主は笑顔を返すのみだった。

「『ディフェンダー』!!」
カズキがポケモンに長細い容器を押し付ける。
「テッスイィイイイ!」
「なっ…ふええ!?」
テッシードの体が更に輝きを増した。
いや、ハッキリ言うならば……硬度!

「『ぼうぎょ』を更に上げさせてもらった! もう何をしたって傷つかねえんだよぉ!」
「そんな訳……あるかぁ!」
カズキが『どうぐ』を使った事で、テッシードの動きが止まった! チャンス!

「ナゲキー! 押しまくれぇ〜!!」
「それは無いな」
棘玉ポケモンが、先に動いた。
のろのろと…ああもう確定だ。『ジャイロボール』でナゲキに突撃!
そして、1テンポ遅れての迎撃。柔道ポケモンが相手を投げ飛ばす。

「なるほど…『あてみなげ』ですか……」
「くっくっく――! 何もかも思い通りで詰まらねえぜ!」
「ま、まだ分からないよ!」
「いいや分かる」
怖気が迸る笑いを吐く野郎。

「度重なる『のろい』で攻撃と防御アップ。威力は下がったが健在なジャイロボール。そして特性『てつのトゲ』の追加ダメージ。……無理だろ。ここまで積み上げたポケモンをブチ倒すなんて」
「……………」
「能力を上げれば! どんなポケモンにも勝てる!!」
男は勝利を放った。
酒瓶の小さな一滴を、下品にも舌の上に垂らしながら。

「ま、負ける訳――無いじゃん」
考えろ考えろ考えろ。
ナゲキが攻撃する度に、『てつのトゲ』で微量のダメージを受ける。
加えてステータスの強化により、テッシード自身のダメージは微々たる物。
けれど、相手は鋼タイプ。格闘が有利である事には変わり無い!!

「負ける訳……」
――段々と、自信が無くなっていった。
何で私、こんな奴に追い詰められてるの?
相手の『へんかわざ』連発を許したから? 『とくせい』に気付かず攻めさせたから?
………多分違う。私が最初から、ナゲキを戦わせなかったからだ。
手早く解決させようとせず、じっくりと力を入れて戦う方を選んでいれば―――こんな事にはならなかったのに!
コジョフーを倒される事も……無かったのに。

「おい! 早く命令しろよ鈍臭いなぁ! おっと失礼。女に臭いとは失礼だったかな?」
「………っ!」

思いついた。
こんな最低畜生的状況をひっくり返す展開を。
誠に不本意な話ですが――私はカズキにも感謝しなければならないようですね。

「――とう」
「は?」
「ありがとう。エネルギーをくれて」
お陰でキミを倒せそうだわ!!


「ナゲキ! テッシードの戦略を見てた!? そこにヒントが有る! 貴方が勝つヒントが!」


「ゲ、ゲキ??」
パートナーは首を傾げるだけ。
遅れて響く敵の侮蔑。
「ガーッハッハッハ!! 意味分かんねえ考察できねえ推理も思考も無意味な台詞だ! ゲェップ! そんなんがポケモンに通じるか!!」

「通じるよ」
少なくとも、私は信じているから。

「………ゲェーーキィーーイーー………」
私もナゲキも―――根っこの所では通じている。
「キーーイーーー……!」
互いに変わりたいと思っている。そう信じているから。

「イィィィイィイ!!」
「いい!?」
パートナーは突然叫び…猛烈に体を動かし始めた。
私は……分からない。ナゲキの技が分からない。
そして同時に、分かるのだった。

「『ビルドアップ』…!」
サヤちゃんがナゲキの叫びに返信する。

「アンタの意味分かんない台詞は、ナゲキにコレを使わせる為だったのね!」
「違うよ」首をふるふる。
「私は――ただ賭けただけ。『ビルドアップ』なんて知らなかったから」

テッシードが力を上げ続けるならこっちもパクッてやればいい。
それがカズキの戯言より得た、この戦いの必勝法!
「ナゲキ! その技を連発して!」
「は…はっ!? 何だよそれ! たまたま有利な技が出たからって!!」
男がホザき、そのポケモンが彼の思惑を察して動き出す。
積み重ねられたジャイロボール。
私と同じ、一点張りの攻戦一方。

「……駄目だよ」
ごめん。テッシード。
トレーナーの命令を聞かず……けれどソレを先読みして動ける存在。
私もいつか、同じ絆をナゲキと結びたいと思う。
でも。

「私はキミを許せないね――カズキ!!」
相手ポケモンではなく、トレーナーを『倒す』為に。
ナゲキは動く。私は見守る。



◆◆◆



以下省略。

私とカズキとのバトルを締めくくる台詞を述べるなら…うん。この言い方に尽きるのでした。

「は……はあぁ!? お、俺が…てか俺様が………?」
可哀想な男が地に膝を付く。側には『ひんし』の棘玉ポケモン。

………『ハブネークに足』だけれど、一応。
ナゲキはビルドアップを連発し、能力値を極限にまで上げた。……サヤちゃん曰わく、『こうげき』と『ぼうぎょ』を同時に上げる技だったらしい。
ただでさえ弱体化したテッシードのジャイロボールは、こちらの守りを高めたポケモンの前に完全タジタジ。
終盤に至っては…ソレのPPが尽きてしまうという有り様だった。
最後は攻撃力MAXな『いわくだき』の前に撃沈。

「せ……せっかくPPを増やしたのに! 『ポイントマックス』とか貰って――キズぐすりもディフェンダーもよぉ!
「誰から貰ったか知らないけど、これでもう終わりだよ!」
迷惑客を指差し一喝!

「こ、この!」
カズキは顔を歪めて立ち上がった。ヤバい……来る!

「この役立たずがっ!!」
男は全力で蹴りを喰らわせた。
仲間であるテッシードに。

「うおおおお使えねえ!! テッシードって使えねええええ!!」
「ちょ……やめなよ! 何してるんだよ!」
「うるせぇ! コイツとは10年来の付き合いだったんだ! それが駄目ポケだったなら蹴るしか無いだろが!!」
「テ………シ!?」
「うおお痛え! 足が痛え!! ご主人様に刃向かうんだな! 俺を有り難がらねえんだなあ!?」
「やめなって言ってるでしょ!」
パートナーを連続で蹴り続ける男を止める。彼の靴先は『てつのトゲ』でボロボロだった。――けど、ポケモンの心はソレ以上に傷付いたはずだ。

「おい!! 出て来やがれ! アキラ!!」

力が抜けた。
足が意志に逆らい……沈む。

「お前のせいだ! お前が俺に命令しなけりゃ、俺は屈辱を味わわずに済んだんだよぉ!!」
「な――」何を言って、
「ストリートで沈んでても気楽だったのに、無理やり俺を呼び出した! 出て来いアキラーー!」

「ネクシティ警察だ!! 神妙にしろ!」
スーツ姿で駆けつける人々。お客さんの誰かが呼んだらしい。
「アキラアァアア! お前みたいな男をゲスって言うんだ!! 都合悪い時に黙るんだからな! コラアアア!!」
散々レストランを乱してくれた野郎は、公的な正義の味方によって引きずられていく。

「お兄ちゃん! ううん、アキラ!」
私は呼びかけざるを得ない。
「どういう事!? 何処に居るの!? 居るなら出て来て説明してよ!!」
「ああ」
凛とした声に、ギャラリーが分かれた。
その中心から…見知った家族が歩んで近付く。
いっつも上から目線で意地悪で、コチラをかき乱してくれた男。

「まだ俺の企みに気付かないとか……流石に馬鹿な妹は違うな」
「――ゴタクはいいから」
彼の嫌な性格なんて、大昔から知り得ている。


そう。初めて見た時から。


「そんな態度を貴方が取るなら、私の目的はどうなるの!」
『けんきゅういん』のアキラ。
ポケモン研究家の息子に生まれ、適当適切に生きて来た男。

「私の本当の旅の目的はどうなるの!?」
「――どうにもならない」
気のせいだろうか……お兄ちゃんは下唇を苦しげに噛んだ。
「お前は…駄目なんだ。囲われてなければ………いけない奴なんだ」

私は逃げ出した。
これ以上アキラと話したく無かったし、理解したくも無かったから。

「う―――――うっ」
馬渕から零れ落ちる雫。
走りながらも、考え続ける。
馬鹿な私なりに。


「アキラの馬鹿あぁ……!」



『お金稼ぎは大変だね?』終わり

to be continued