自主断水が続いていたが、ついにこのおんぼろアパートにも水道が戻ってきた。
大家さんいわく「苦情が出たので」とのことだ。
俺は大家さんの決定なのでまったく苦にならないような顔をしつつ職場でコッソリ自分の下着を洗うスレスレの生活を続けていたもので、実は内心苦情言ったやつに「お前はエラい!」と一声かけてやってもいいかもしれんとさえ思っているのは秘密だ。
五月の生ぬるい日差しの中、とりあえず裏庭にタライを出して、汚れた制服を洗った。
この制服は俺の仕事先、つまりポケモンの”洗濯”を専門としているポケモントリミングセンターから貸与されているもので、たいがいの汚れは軽い水洗いで落ちるようになっている。
のだが、たまにポケットレベルでおさまらないモンスタートレーナーみたいなのが、昨日みたいにベトベトンを洗ってくれとか言ってくるから、洗濯機に放り込んでピッ、と済まされなくなることがあるのだ。そもそもなんだよベトベトン洗えって、あいつら洗ったら溶けてなくなるだろ。どうしろっつーんだよ。とりあえず悪臭と毒素に耐えるため仮揃えの防護服(本来はミツハニー駆除用らしい)を着て、ドロドロした中へ腕を突っ込み、中に溜まっていたドロとかタバコの吸殻とかを回収した。さすがに空き缶とか溶けた週刊誌を見かけたときには「こんなトレーナーで大丈夫か、お前」と声に出してしまった。ベトベトンはどろりと身体を床に伏しながらこっちを見上げ、なんとも問題なさそうな目で見つめてきたのだが。
それでもどうして制服には黒い染みができた。俺の汚い部屋にはとても持ち込めないようなかぐわしい香りが漂っていたので先月貸したレンタル自転車代1000円の催促代わりに、同じアパートに住むとある先輩の部屋先にかけておいた。1000円はマッハで戻ってきた。
放置しておくわけにもいかず、せっかくの洗濯解禁ということで、こうして洗っているのだ。
するとどこからともなく、ふよふよと効果音がする。
(来たな……)
だいたい予想はついていた。階段手すりに三匹、階段下に五匹、205号室の軒下に二匹、いや……まだだ、まだいた。自転車置き場の雨よけに二だか三匹。
晴天をもろともせず、姿を見せたにんぎょうポケモンども。
数を予想しながら振り返ると、意外にも居たのはいつもの五匹だけ。
ちょっと段差で足を踏み外したような期待はずれに襲われながらも、まあ楽でいいか、と思って手元に目をやれば、すでにタライには黒いひらひらが詰まっている。
(伏兵……だと……)
やられた。こいつらどんどん人をがっかりさせる方法を考案していやがる。たまに家に返ると部屋の中央あたりに黒団子みたいになって集まっており、人が戻ってきたのを見てそそくさと散っていくような動作を見せたので、もしかしたら何かを企んでいるのかもしれない。いや、まさかポケモンがそんな、なあ。
しょうがないので上から洗濯洗剤をまぶしてみた。
「ほれほれ」
ぎっしりしているカゲボウズが白く染まる。
「ははは、浄化せよ」
呟きながらごしごしやると、ぎゅっと目を閉じた一匹が手の平の中であっというまにつやつやした姿に変わる。どうやら近頃は近所の公園で水浴び程度で済ませていたらしい、だいぶ染みがついているものがいる。というかこいつら染みとかつくのか。触った感じたしかに布っぽいんだが、いったいカゲボウズというやつらはどういう生態の生物なんだろうか……まあ俺には関係ないが、こいつらは色落ちすることもないから材質にも気を使わないし。
ところでさっき「浄化」ってワードに反応して何匹かばつの悪そうな顔をしたのがいたので、「ナンミョーホーレン浄化せよー」と言いながらタライを掻きまわすといくつかまだ洗剤を頭にかぶったままのカゲボウズが飛んで逃げていった。
やっぱりいちおうゴーストタイプだからなあ、浄化とか言われると逃げたくなるんだろうかな。
残りをごしごしやりながらそんなことを考えていると、あら、と大家さんが通りかかった。
「世間は連休ですのに、いつもどおりお暇そうですね。」
…………。
あー、昼飯、隣町まで食いに行こうかな。
カゲボウズどもはタライのなかでにやつきながらつやを増している。
舌打ちしようとしたらよだれ垂れた。
溜め息が黒ずんだタライのなかへと吸い込まれるように消えた。
***
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】
彼が振り向いた瞬間に、いっせいにタライへ飛び込みぎゅっと収まるカゲボウズを想像してください。
ほら、ユートピア。