港で栄えるこのカイナシティの北西に、ポケモンコンテスト、ハイパーランクの会場がある。
おれん家の隣の家に住んでいるカノンはコンテストを見るのが好きで、たまにテレビで放映されるというのによく会場まで足を運ぶ。
「ペリッパー、吐き出す!」
今もコンテスト会場ではたくましさを競っていて、ペリッパーは先程まで溜めたエネルギーを天井に目掛けて吐き出す。吐き出されたエネルギーは噴水のように周囲に撒き散らされ、赤、青、黄などたくさんの色で会場を彩る。
圧倒的な力強くかつ繊細なパフォーマンスに会場の観客が皆揃って拍手する。隣のカノンもそれに違わず手を叩いている。ついでに目も輝いている。
「見た!? すごいよねぇあのペリッパー。素敵!」
胸の前で雪のように白い手を合わせ、子供のように、胸元くらいまである長い黒髪を揺らしつつ興奮しながら話すカノンを見るのが、数少ないおれの楽しみだ。
「ねぇ、ユウキもそう思うでしょ?」
「……え、うん。そうだね」
急に名前を呼ばれて振り返り、適当に頷く。この気の無い返事で察せるように、おれはそんなにコンテストに興味がない。ただカノンが行きたいと言うから一緒に見に来ているというだけだった。
年頃の男子なら大概はポケモンバトルが大好きで、自分がチャンピオンになると言い出して遅くても十二歳くらいには街を飛び出し旅をする。
おれも例外じゃなくポケモンバトルがコンテストよりも好きだ。でも、生まれて十六年してもまだ、カイナから出たことすらない。
それはカノンも同じだ。冒険のない似たような繰り返しの毎日でも、おれたちはこんな暮らしが好きだった。
ペリッパーのアピールタイムは終わり、今度はハリテヤマのアピールタイムのようだ。一つ大きな欠伸をしているうちに、会場がまたもや拍手で割れる。
「あー、凄かったね今日! あのハリテヤマの突っ張り、空を切る音が観客席まで聞こえてびっくりしたよ!」
そう言ってカノンはハリテヤマの真似をして右手でなにもないところに張り手する。
さっきのたくましさコンテストが終わればもう午後の五時。今日はこれから夕飯の材料も買わなきゃいけない用事がある。冒険をせずに家にいるおれは、家事などの一切を任されているのだ。
「今日このあとさ、市場で買い物するけど先に帰るか?」
「大丈夫、今日は調子いいの。それよりもアレ見てよ」
カノンが右手人差し指でどこかをしきりに指差すので、つられて目線で追いかける。赤で装飾されたコンテスト会場のホールの隅の方に、笹の葉がひっそりと飾られていた。今日は七月六日。七夕の一日前だから、こんな粋なことをしているのか。笹の葉の傍には短冊とボールペンが置かれてて、自由に願い事をかけるようになっている。
「一緒に願い事書かない?」
「まあ別にいいよ」
断る理由もないから、その願い事を聞き入れてあげることにした。
カノンは水色の短冊を手に取って、おれに黄色の短冊を渡す。何を書こうか迷ってるうちにカノンは手早くペンを手に取ると書き始める。
願い事、かあ。これと言って望んでることもない。さっきの通り、おれはこの暮らしに満足しているし、高望みはしていないから……。そんな風にぼーっとしている間にも、カノンはいつの間にか笹に短冊をくくりつけていた。
「もう書けたの?」
「うん、最初から書くこと決めてたから」
「へぇー、何書いたの?」
「えっ、その……」
書けたことに対してご満悦だったようだが、その内容を尋ねるだけで急にもじもじし始めるカノン。そこからしばらく待っていたが、首を下に向けて何も言い出す気配がない。恥ずかしいことでも書いたのだろうか。
そんな様子がじれったくて、くくられた短冊を覗き見する。
「あっ……、ちょっと!」
それを見て、おれは思わず言葉を失った。
「勝手に見ないでよー」
「ご、ごめん」
拗ねるカノンにハリボテの笑顔を見せてなんとか誤魔化す。
『コンテスト全制覇が出来ますように』
カノンの短冊にはそう書かれていた。コンテスト会場はここカイナシティ以外にもシダケタウン、ハジツゲタウン、ミナモシティの計四ヶ所ある。
さらにコンテストはかっこよさ、美しさ、賢さ、可愛さ、たくましさの五部門ある。これを全制覇するのはコンテストに挑戦する者の目標だし、それだけとても難しい。
でも問題はそこじゃない。
カノンは体が弱いのだ。
スクールの体育でさえしょっちゅう休んでたのに、ここから遥か遠いハジツゲやミナモなんてとてもじゃないが行ける訳がない。
それにこのカイナからさえ出たことがないのに。
おれが旅に出ない理由もこれにあった。
同年代の友人知人はほとんど全員街を発っている。おれまでいなくなったなら、カノンはこの広いカイナで一人ぼっちになってしまう。だからおれはカイナから離れずに――
「ねぇ、まだ決まらないの?」
「え、あー。ちょっと待って」
カノンの声で現実に戻ってくる。眉を潜めて不満そうなカノンの顔がそこにあった。
「しょせん願い事なんだからそんなに迷わなくても良いのに……」
しょせん願い事。そのカノンが何気なく言ったその言葉に胸が痛む。カノンはそう短冊に書いたのに、自分でそれが叶うなんて思っていないのだ。ただそうする様式に沿っているだけで、最初からどうせ絵空事だと諦めている。
悔しい。ちゃんとこうしてやりたいことっていう夢があるのに、夢に向かって一歩も進めることが出来ないなんて、そんなのは……。
「おれも願い事決めたよ」
「人の見たんだからちゃんと見せてよね」
「はいはい」
口ではそう軽くあしらったけど、おれの願いをカノンに見て欲しかった。
ボールペンをすらすら動かして願い事を綴る。
「よし、書けた!」
「見せて見せて」
黄色の短冊をそっとカノンに渡す。それを見るや否や、驚いたような、嬉しいような、そんなもどかしい表情を見せる。
「それくくってさっさと行こうぜ」
「う、うん……」
こんな空気が気恥ずかしくて、急かすようにそう言うと、カノンが丁寧にそれを目立つ場所にくくりつける。
小さな笹の葉のてっぺんには、カノンの願い事が叶いますように、とおれの下手くそな字で書かれた黄色い短冊がくくられてある。
事件はその翌日の朝に起こった。
目を覚ますと、自分の体に凄い違和感を覚えた。
風邪を引いてて体がだるいとか、そういうのとは根本的に違う違和感。
勢いよく上半身を起こしてみれば、背中に何かが触れた。手を後ろに回してみれば髪の毛? おれは刈り上げに近い短髪のはずだ。一晩のうちにこんなに伸びたのか?
それだけじゃない。腕だってこんなに細くないし、白くない。これじゃあまるで……。
慌ててベッドから飛び出し部屋に備え付けつあった小さな鏡の前に向かう。
戸惑いながら鏡を覗けば……。
予想通りだった。あってほしくない予想が、お見事と言わんばかりに的中していた。
鏡の中には驚いた形相で肩を上下させているカノンがいた。
思わず頬をつねれば、鏡の中のカノンも同じことをして痛がる。
そんなバカな。もっとつよく頬をつねっても、やっぱり同じように鏡の中のカノンもそうする。いったい全体何が起きてるんだ。
ふと大事なことに気付く。今こうなってるのは一大事だが、おれがこうなら『本物の』カノンはどうなっているんだ。
一瞬血の気がひいたが、次の瞬間には寝巻き姿のまま部屋のドアを蹴飛ばすように乱暴に開けて走り出した。
いつも通りの自分の家の廊下を駆けて、自分がよく身に付けていたサンダルをさっと履いて玄関の扉をあける。
大きくなってしまったおれのサンダルに足を取られそうになりながらも、隣にあるカノンの家のインターホンを何度も何度も叩く。
ドアが開いて、カノンのお母さんがカノン!? と驚いて叫ぶ間をすり抜けて、サンダルを蹴るように脱ぎ捨てて玄関傍の階段を駆け上がる。
カノン、待ちなさい! ようやく我に返って大声を張り上げるカノンのお母さんを無視して、二階のカノンの部屋の扉をこれまた乱暴に開ける。
「……何なの?」
ベッドの上では状態を起こしたカノンが眠い目を擦っていた。
ちゃんと本物のカノンがいた。そのことに、ようやく一息つく。
いや、よくよく考えれば余計に話は複雑なことになっている。
そうしているうちに本物のカノンの目が覚醒したらしく、目の前のおれを見つめてたまらず茫然自失した。
「はれ……わたし!?」
七月七日の七夕。優しい夏の風が薫る頃、神様のイタズラがおれとカノンの運命を大きく歪める。