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  [No.411] wicked destiny 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/05/08(Sun) 00:23:11   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

カイナシティに暮らすおれ、ユウキとその幼なじみのカノン。
体が弱くて旅に出れず、コンテストの夢を諦めたカノンのために、神様のイタズラが奇跡を起こす。



でりでりです。
各種短編企画とかがないときの暇潰しのつもりで書いてます。あくまでPCSが本命なので毎週更新とかは期待しない方向でお願いします。
略称はWD

以下テンプレ。

ツイッターもやってます。「weakstorm」

私と霜月さんのサイト、「気長きままな旅紀行」
http://www.geocities.jp/derideri1215/
でりでりのブログ、「Over fresh」
http://moraraeru.blog81.fc2.com/

奥村翔botが登場!
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風見雄大botが登場!
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  [No.412] 1話 カノンとカノン 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/05/08(Sun) 00:23:43   116clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 港で栄えるこのカイナシティの北西に、ポケモンコンテスト、ハイパーランクの会場がある。
 おれん家の隣の家に住んでいるカノンはコンテストを見るのが好きで、たまにテレビで放映されるというのによく会場まで足を運ぶ。
「ペリッパー、吐き出す!」
 今もコンテスト会場ではたくましさを競っていて、ペリッパーは先程まで溜めたエネルギーを天井に目掛けて吐き出す。吐き出されたエネルギーは噴水のように周囲に撒き散らされ、赤、青、黄などたくさんの色で会場を彩る。
 圧倒的な力強くかつ繊細なパフォーマンスに会場の観客が皆揃って拍手する。隣のカノンもそれに違わず手を叩いている。ついでに目も輝いている。
「見た!? すごいよねぇあのペリッパー。素敵!」
 胸の前で雪のように白い手を合わせ、子供のように、胸元くらいまである長い黒髪を揺らしつつ興奮しながら話すカノンを見るのが、数少ないおれの楽しみだ。
「ねぇ、ユウキもそう思うでしょ?」
「……え、うん。そうだね」
 急に名前を呼ばれて振り返り、適当に頷く。この気の無い返事で察せるように、おれはそんなにコンテストに興味がない。ただカノンが行きたいと言うから一緒に見に来ているというだけだった。
 年頃の男子なら大概はポケモンバトルが大好きで、自分がチャンピオンになると言い出して遅くても十二歳くらいには街を飛び出し旅をする。
 おれも例外じゃなくポケモンバトルがコンテストよりも好きだ。でも、生まれて十六年してもまだ、カイナから出たことすらない。
 それはカノンも同じだ。冒険のない似たような繰り返しの毎日でも、おれたちはこんな暮らしが好きだった。
 ペリッパーのアピールタイムは終わり、今度はハリテヤマのアピールタイムのようだ。一つ大きな欠伸をしているうちに、会場がまたもや拍手で割れる。



「あー、凄かったね今日! あのハリテヤマの突っ張り、空を切る音が観客席まで聞こえてびっくりしたよ!」
 そう言ってカノンはハリテヤマの真似をして右手でなにもないところに張り手する。
 さっきのたくましさコンテストが終わればもう午後の五時。今日はこれから夕飯の材料も買わなきゃいけない用事がある。冒険をせずに家にいるおれは、家事などの一切を任されているのだ。
「今日このあとさ、市場で買い物するけど先に帰るか?」
「大丈夫、今日は調子いいの。それよりもアレ見てよ」
 カノンが右手人差し指でどこかをしきりに指差すので、つられて目線で追いかける。赤で装飾されたコンテスト会場のホールの隅の方に、笹の葉がひっそりと飾られていた。今日は七月六日。七夕の一日前だから、こんな粋なことをしているのか。笹の葉の傍には短冊とボールペンが置かれてて、自由に願い事をかけるようになっている。
「一緒に願い事書かない?」
「まあ別にいいよ」
 断る理由もないから、その願い事を聞き入れてあげることにした。
 カノンは水色の短冊を手に取って、おれに黄色の短冊を渡す。何を書こうか迷ってるうちにカノンは手早くペンを手に取ると書き始める。
 願い事、かあ。これと言って望んでることもない。さっきの通り、おれはこの暮らしに満足しているし、高望みはしていないから……。そんな風にぼーっとしている間にも、カノンはいつの間にか笹に短冊をくくりつけていた。
「もう書けたの?」
「うん、最初から書くこと決めてたから」
「へぇー、何書いたの?」
「えっ、その……」
 書けたことに対してご満悦だったようだが、その内容を尋ねるだけで急にもじもじし始めるカノン。そこからしばらく待っていたが、首を下に向けて何も言い出す気配がない。恥ずかしいことでも書いたのだろうか。
 そんな様子がじれったくて、くくられた短冊を覗き見する。
「あっ……、ちょっと!」
 それを見て、おれは思わず言葉を失った。
「勝手に見ないでよー」
「ご、ごめん」
 拗ねるカノンにハリボテの笑顔を見せてなんとか誤魔化す。
『コンテスト全制覇が出来ますように』
 カノンの短冊にはそう書かれていた。コンテスト会場はここカイナシティ以外にもシダケタウン、ハジツゲタウン、ミナモシティの計四ヶ所ある。
 さらにコンテストはかっこよさ、美しさ、賢さ、可愛さ、たくましさの五部門ある。これを全制覇するのはコンテストに挑戦する者の目標だし、それだけとても難しい。
 でも問題はそこじゃない。
 カノンは体が弱いのだ。
 スクールの体育でさえしょっちゅう休んでたのに、ここから遥か遠いハジツゲやミナモなんてとてもじゃないが行ける訳がない。
 それにこのカイナからさえ出たことがないのに。
 おれが旅に出ない理由もこれにあった。
 同年代の友人知人はほとんど全員街を発っている。おれまでいなくなったなら、カノンはこの広いカイナで一人ぼっちになってしまう。だからおれはカイナから離れずに――
「ねぇ、まだ決まらないの?」
「え、あー。ちょっと待って」
 カノンの声で現実に戻ってくる。眉を潜めて不満そうなカノンの顔がそこにあった。
「しょせん願い事なんだからそんなに迷わなくても良いのに……」
 しょせん願い事。そのカノンが何気なく言ったその言葉に胸が痛む。カノンはそう短冊に書いたのに、自分でそれが叶うなんて思っていないのだ。ただそうする様式に沿っているだけで、最初からどうせ絵空事だと諦めている。
 悔しい。ちゃんとこうしてやりたいことっていう夢があるのに、夢に向かって一歩も進めることが出来ないなんて、そんなのは……。
「おれも願い事決めたよ」
「人の見たんだからちゃんと見せてよね」
「はいはい」
 口ではそう軽くあしらったけど、おれの願いをカノンに見て欲しかった。
 ボールペンをすらすら動かして願い事を綴る。
「よし、書けた!」
「見せて見せて」
 黄色の短冊をそっとカノンに渡す。それを見るや否や、驚いたような、嬉しいような、そんなもどかしい表情を見せる。
「それくくってさっさと行こうぜ」
「う、うん……」
 こんな空気が気恥ずかしくて、急かすようにそう言うと、カノンが丁寧にそれを目立つ場所にくくりつける。
 小さな笹の葉のてっぺんには、カノンの願い事が叶いますように、とおれの下手くそな字で書かれた黄色い短冊がくくられてある。


 事件はその翌日の朝に起こった。
 目を覚ますと、自分の体に凄い違和感を覚えた。
 風邪を引いてて体がだるいとか、そういうのとは根本的に違う違和感。
 勢いよく上半身を起こしてみれば、背中に何かが触れた。手を後ろに回してみれば髪の毛? おれは刈り上げに近い短髪のはずだ。一晩のうちにこんなに伸びたのか?
 それだけじゃない。腕だってこんなに細くないし、白くない。これじゃあまるで……。
 慌ててベッドから飛び出し部屋に備え付けつあった小さな鏡の前に向かう。
 戸惑いながら鏡を覗けば……。
 予想通りだった。あってほしくない予想が、お見事と言わんばかりに的中していた。

 鏡の中には驚いた形相で肩を上下させているカノンがいた。

 思わず頬をつねれば、鏡の中のカノンも同じことをして痛がる。
 そんなバカな。もっとつよく頬をつねっても、やっぱり同じように鏡の中のカノンもそうする。いったい全体何が起きてるんだ。
 ふと大事なことに気付く。今こうなってるのは一大事だが、おれがこうなら『本物の』カノンはどうなっているんだ。
 一瞬血の気がひいたが、次の瞬間には寝巻き姿のまま部屋のドアを蹴飛ばすように乱暴に開けて走り出した。
 いつも通りの自分の家の廊下を駆けて、自分がよく身に付けていたサンダルをさっと履いて玄関の扉をあける。
 大きくなってしまったおれのサンダルに足を取られそうになりながらも、隣にあるカノンの家のインターホンを何度も何度も叩く。
 ドアが開いて、カノンのお母さんがカノン!? と驚いて叫ぶ間をすり抜けて、サンダルを蹴るように脱ぎ捨てて玄関傍の階段を駆け上がる。
 カノン、待ちなさい! ようやく我に返って大声を張り上げるカノンのお母さんを無視して、二階のカノンの部屋の扉をこれまた乱暴に開ける。
「……何なの?」
 ベッドの上では状態を起こしたカノンが眠い目を擦っていた。
 ちゃんと本物のカノンがいた。そのことに、ようやく一息つく。
 いや、よくよく考えれば余計に話は複雑なことになっている。
 そうしているうちに本物のカノンの目が覚醒したらしく、目の前のおれを見つめてたまらず茫然自失した。
「はれ……わたし!?」


 七月七日の七夕。優しい夏の風が薫る頃、神様のイタズラがおれとカノンの運命を大きく歪める。


  [No.445] 2話 カノンとユウキ 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/05/14(Sat) 09:44:30   88clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「はれ……わたし!?」
 『本物の』カノンがちゃんといた。当のカノンはおれがさっき鏡の前でやったように頬をつねったりしている。
 そんないつものカノンが見れて、とにかくすごく安心した。おれがこうなったことでカノンの身に何か起こっているか(例えばカノンがおれになっていたとか)という不安は拭えた。慌てて飛び出て全力疾走してきたその疲労がようやく体にどっと来て、ふいに膝から崩れ落ちる。
「えっ!? ちょっと、大丈夫?」
 ベッドから慌てて出てきたカノンが見えたのが最後、そのまま重い瞼が閉じる。



 目を開ければ、ふかふかなベッドの感覚と白い天井。ああなんて意地汚い夢だ。悪夢だ。
 おれがカノンになるなんて、笑止千万。まるで意味がわからんぞ。
 勢いよく上半身を起こしてみれば、背中に何かが触れた。
 そんなバカな。嫌な予感がした。続け様に腕を見る。細い。白い。ついでに胸にも二つの丘がある。夢じゃなかった。
 それだけじゃない、部屋を見渡せば、ここはおれの部屋ではない。
 ここはおれのよく知っている……、そう。カノンの部屋だ。
「あ、起きた?」
 タイミング良く部屋の扉が開き、まだ寝巻き姿のカノンがやって来た。
「急に現れたと思ったらすぐに倒れて……。とりあえず一つ聞かせて。貴女、誰?」
「……カノン?」
「そっちじゃなくて!」
 怒っているのやら戸惑っているのやら。おとなしいカノンがこんなに語気を強めて話すだなんて、やや意外。
「もしかしてさ」
 おれが答えるのを忘れているうちに、彼女は右手人差し指を立てて、口を開く。
「……貴女、ユウキなの?」
 おれは黙って頷いた。頭を動かせば長い髪も背中で揺れて、慣れない感覚がこそばゆい。
 とかそういうのは置いといて、カノンが石になったかのように動かなくなってしまった。
 気持ちは分かる。気持ちは分かるよ。おれだって今更ながらとんでもないことが起きたと承知している。なんでこんなに落ち着いていられるか自分でも怖いくらい。どうしてもここまで客観的に達観出来るか。たぶんあまりに現実味が無さすぎて他人事のように思えているのだろう。
 そんなことを頭の中でぼんやりと巡らせていると、硬直の解けたカノンの膝はガクガク震え、しまいにドタンと尻餅を着いてしまった。
 いい加減ベッドから降りて大丈夫かと尋ねたら、弱々しくそんな訳ないと言われた。ごもっともだ。おれもこうあるべきだ。
 カノンに手をさしのべて立たせると、いつもは少し下にあるはずのカノンの顔が、背が縮んだためか正面にあることに気付く。改めて自分の身に起きた変化を突き付けられて、ようやく不安になりだした。
 おれはいつまでこのまま、もしかしてずっとこのままなのだろうか。
 怖い。
 遅れてやって来た悪寒はお腹の底から全身に渡り、頭の中が乱される。
「……ねぇ、泣いてるの?」
「な、泣いてない」
 そう言い返してすぐに、頬に冷たい筋が走ったことに気付く。自分でも信じられなかった。いくら怖いといっても、どうしてこの程度のことで泣くのだろう。涙腺まで緩くなってしまったか。
「と、とりあえずこれで涙、拭こ?」
 カノンが水玉模様のハンカチを箪笥から引っ張り出しておれに渡そうとする。
「泣いてない!」
 意地でも認めたくないおれは、袖で涙をぬぐいながら頑なに拒否する。カノンは深く溜め息を漏らす。
「しっかり泣いてるじゃない。……やっぱりユウキね」
「え……?」
「そうやって変に強がるところ。ちょっと顔を上げて?」
 言われた通り顔を上げるとカノンがハンカチでおれの頬を拭く。
 不思議と抵抗する気にはならなかったが、あまりに自分が情けなくて余計に涙が溢れ出す。

 ようやく落ち着いて話せるようになった。
 どうしてこうなったかを尋ねられ、おれは身に起きたことをありのまま話すことにした。
「朝起きたらこうなって……」
「それ説明になってないよー。んー、じゃあどうしてうちに来たの?」
「おれがこうなってたから、もしかしてカノンにも何かあったのかって思うといてもたってもいられなくて……」
 そういえば声までカノンそのままじゃないか。聞き慣れてたカノンの声が自分の口から発せられること、その気味の悪さに勘づいてまた不愉快な感情が走る。でも今度は泣かない。
「わたしを心配してくれたんだ? ありがとう。でもさっきどうして急に泣いたのよ」
「おれ、このまま戻れないのかなって思ったら怖くて」
「……泣いたらちょっとはすっきりした?」
「たぶん……」
 確かに嫌な気持ちはさっきより大分すっきりした。とはいえ根本的な問題は何一つ解決してない。
「それにしてもこれ本物? ドッキリじゃないよね」
 カノンがおれの両頬を横に引っ張る。
「ドッキリじゃない……と思う」
 これがドッキリなら仕掛人はさっさと出てこい。でもドッキリとかそんな生半可なものでこんなことが出来るわけないだろう。まだ疑うカノンはおれの髪の毛を引っ張る。
「痛い痛い」
「あっ、ごめん……」
 しかしカノンはこれに懲りず、胸にまで手を伸ばしてくる。
「ちょっ!」
「本物ねぇ……。どうなってるのかしら」
「おれが聞きたいくらいだよ。というよりよくおれって分かったね」
「わたしだって確証なんてほとんど無かったけど、玄関に脱ぎ散らかされたサンダルはいつもユウキが履いてるやつだし、その今着てるタツベイのダサいシャツが」
「ダサいって言うな!」
 そこまで言われるのは心外だ。なんでおれが分かったかを聞いたはずなのにけなされるんだ。口を尖らせると、カノンがニヤニヤしながら見つめる。
 ロクなことが起きたもんじゃない。
 そんなとき突然、部屋のドアがノックされる。
「あ、入って来て」
 カノンがそれに応えると、ドアが開いて見覚えのある男の人が後頭部を左手でポリポリと掻きながら現れる。
 五十を過ぎたため白髪がやや目立つが、優しそうな表情が印象的なカノンの父親だ。
「朝から大慌てで大変だったよ。なんだか騒がしいと思ったらカノンが二人いて、その片方が倒れちゃうし、その騒ぎを聞き付けてやってきたママも気絶しちゃうし」
「……ごめんなさい」
 まさか温厚なカノンの父親から開口一番愚痴を言われるとは思わなかった。申し訳なくて謝ると、ははは、謝らなくていいのにと言われた。謝らせたくなるような物言いだったのに、と心の中でそっと毒づく。
「えっと、それで結局君は?」
「ユウキです」
 ほおー、とそう感嘆したカノン父は、美術館の展示物を見るような目でおれをじっくり見る。若干恥ずかしいから、視線を横に逃がす。
「じゃあカノンの推理は当たってたんだね。……そうそう、それじゃあ早速だけど、ユウキ君に伝えることが」
「はい」
 伝えること……。もしかしてこうなったことに関して何か知ってるのか? 緊張のあまりついつい唇を舐める。
「君のお姉さんが、君がいないって慌ててうちにまで電話してきたよ」
「あー……」
 確かに起きると同時に家を飛び出たもんだから、おれがいなくて心配をかけてしまったか。もっともこの姿で戻ってどうなるかは分からないけど。いや、それでも下手に隠し通すよりも協力を仰いだ方がいいだろうか……?
「一旦戻ります」
 と意を決して立ち上がろうとすると、カノンが待ってと声をかける。
「それで戻っても信じてもらえないかもしれないし、お姉さんを呼んで事情を話した方がきっと良いんじゃないかな」
 すっかりいつもの平静を取り戻したカノンはそう提案する。分かった、そうするよとおれの了承なしで階下に降りていく父親を引き止めるのも億劫だし、カノンのことだから何か考えてくれているのかもしれない。ここは言う通りに従うか。
 このとき、カノンの目がまるで獲物を見つけた肉食獣のように爛々としていたことに、おれは早く気付くべきだった。


  [No.478] 3話 姉貴とお願い 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/05/27(Fri) 15:24:51   70clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「ちょっ、やめろ!」
「もー、暴れないでよ。女の子が女の子の服来て当然じゃない」
「おれは男だー!」
 ひらひらな服を片手に迫るカノンを振り切って、カノンの部屋から抜け出す。
 カノンは体が弱いから、ちょっと激しく動くだけで咳が止まらなくなる。それを活かして廊下を走り始めたと同時に、一つのことに気付いた。
 何かがおかしい。いや、確かにおれがカノンになった時点でおかしいを遥かに通り越しているくらいなのだが、それを一京歩くらい譲っても何かがおかしい。
 どうしておれは走れてるんだ?
 もし本当にカノンであるなら、朝にカノンの部屋に突撃した時のように全力疾走したら相当咳こんでいるはずだ。というかカノンの部屋に着く前に力尽きてる。実際にそれがカノンが旅に出れない最大の原因であった。
 いったい全体何なんだ。おれはどこまでがカノンでどこからがそうじゃないんだ。そもそものおれはどこに行ったんだ?
 またもや不安になるが、大丈夫。もう泣きはしない。
「捕まえた!」
 肩を叩かれたので振り向けば、ようやく追いついたカノンが悪魔も戦(おのの)く不吉な笑顔でおれを見る。く、なんでそこまでおれに女装させようとする。
 しかし救世主はやって来た。
「二人とも何してるの?」
 怪訝な顔したカノン父が階段を昇ってきたところだった。



 カノン父に促されて階下のリビングに行くと、見慣れた五つ年の離れた姉貴の姿があった。
 うちの家族は、おれが産まれてちょっとしてから母親を亡くし、漁師の親父がたった一人でおれと姉貴を育ててくれた。
 だからこそ家族の絆は強いはずだ。姉貴もきっとおれのことを心配してくれるはず。
 そう思って姉貴の前に現れたというのに、当の姉貴は……。
「あははは! ほっ、本当にカノンちゃんがふっ、二人もいるしっ、ぎゃはははは」
 他人の家のクッションをバシバシ叩きながら涙が出るほど大爆笑する姉貴を見ておれは言葉を失った。
 あはは、はぁ、はぁ、と姉貴がようやく息切れすると、おれの方を見てこっちがユウキだよね? と尋ねてきた。
「合ってるけどどうして分かったの?」
「そのダサい服が」
「うるさい!」



 昼時。相変わらず寝込んでいるカノン母をおいて、姉貴がカノン家で昼御飯を作る。
 あの後おれは姉貴にことの顛末を全て話した。ついでに走っても大丈夫だったなんてことも伝えた。
 が、なるほどともすごいともなるわけでもなく、そうなんだくらいで話題は切れた。謎が深まって喜ぶやつはいないわな。
 ダイニングに運ばれた野菜炒めと味噌汁の良い匂いに誘われて、四人でご飯を食べる。元より近所付き合いが盛んなので、こういうことはしょっちゅうあって……、ってくそう。髪の毛が邪魔で食べづらい。
 そんなおれを見かねたのか、隣に座っていたカノンがゴムでおれの長い髪を束ねて、いわゆるポニーテールにしてくれた。男としては微妙な気分だが、食べやすくなったことに感謝する。
 食後、姉貴はこのあとどうすんの? と尋ねてきた。
 どうしよう。そもそもどうなるのかすら十分にわかってないのに。
「明日には決めるよ」
「明日ァ? 何言ってんのよ」
「考えさせてくれよ」
「どうせ家でグータラするだけでしょ?」
 思わずムッとしたが、その通りだ。おれには職が無い。たまに市場で手伝いをするくらいでただのプータローなのだ。だが。
「考えさせてよ!」
 語気を荒くして言い放つと、姉貴は深く溜め息をついて勝手にしろと言ってきた。
 実はおれの中には、これは長い夢で一晩経ったら冷めるだなんて甘い考えがあった。
 甘いのは重々承知している。でも、なんだっていいから希望にすがりたかった。
「……じゃあさ、ユウキ」
 だんまりを解いたのはカノンだった。
「ん?」
「今日はうちに泊まっていきなよ」



 うちに帰っても姉貴にぐだぐだ言われるのが嫌だったから、おれはそれを快諾した。
 程なく姉貴が町内会の仕事があるからと行って昼飯を片付けてからすぐに去ると、カノンの部屋でおれとカノンはいつものようにぐだぐだ喋るだけだった。
 夕飯も食べて、一息ついた時だった。
「ねぇ、一緒にお風呂入ろ?」
「は!?」
「どうせ洗い方とかわかんないでしょ、つべこべ言わないの」
 一度言い出したカノンは中々折れてくれない。強制的に洗面所まで連れてこられる。
 ふと、鏡に目が向かう。やはり二人のカノンがいて、落ち着かない。だけど、表情のクセとかはやはりどことなくおれらしさが残っている気がして、なんとなく双子っぽいかななんて思ってしまった。
 もしそうならおれの方が誕生日が早いからきっと姉なのかな……。いやいや姉じゃないしおれ男だし。
 すると突然カノンに服を脱がされ、腕を引っ張られ、そのまま浴室に拉致される。



 ……あまりそこから後の記憶は思い出したくない。
 目を逸らし続けてきたものとの対面はめでたいものではなかった。
 昼といい風呂といい、どうもカノンはおれで遊んでいる節がある。現状に一番適応してるのはカノンなのか。
 ともかくもカノンのパジャマを借りたおれは、寝泊まりもカノンの部屋ですることになっていた。
 カノンの部屋にはベッドは一つだけだが、さすがに狭いので布団を押し入れから運び出して並べる。
 おれが布団に入ろうとしたら、ベッドで寝てと言われた。
 とにかく疲れた。
 あまりにもいろいろありすぎて精神的なゆとりが何もない。このままさっさと寝よう。もし次に起きたら元に戻ってるかもしれない。
 そう目をつむろうとしたそのとき、カノンが声をかけてきた。
「ねぇ。わたしなりに考えてみたの」
「何を?」
「ユウキのこと」
 ふーん、と返事をしたら、何よそれと怒られた。
「それで?」
「ユウキがこんなことになったのはさ、きっと必ず意味があってのことだと思うの」
「意味?」
 既に消灯して暗がりのこの部屋を唯一照らすのは空に散りばめられた天の川。ベッドから布団で寝転ぶカノンを見るにはどうやら光量が足りなくて、どんな表情かが伺えない。それでもしっかり言葉は聞こえた。
「お願いがあるの」
「お願い?」
 カノンがおれに一緒にコンテストを見に行こうだのご飯食べようだの、何かを誘ったり強要させたことは幾度となくあった。しかし「お願い」をされたのはきっと初めてだ。
「わたしの代わりに、旅に出てくれない?」
 カノンが泣いているのか、笑っているのかは分からない。でもその声は少し震えていた。
「旅にって……」
「わたし本当はちゃんと知ってるんだよ? ユウキがなんで旅に出ないか」
 カノンの声はだんだん震え出し、ついに立ち上がってティッシュを探して鼻をかんだ。
「わたしのせいでしょ? わたしがこんな体だから心配かけちゃって、ユウキをカイナに縛りつけてる」
「そ、そういう訳じゃあ!」
「たまに同級生が帰省してくる度に寂しそうな目をしてるの知ってるんだよ?」
 おれはただ言葉を失った。カノンに気を使わせないように努めてたつもりだったのに、あっさり看破されていただなんて。
「正直に答えて。本当は他の皆みたいに旅をしたかった?」
 自身が唾を飲み込む音が聞こえ、どう答えていいか悩む。刺激的な旅をしたいと思うことも何度かあった。それでも何の生産性も発見もない今の生活でも、カノンといれば幸せだった。だから……。
「おれは、このままでも良いと思ってる」
「……ダメだよそんなの。これはわたしにとってもユウキにとっても大事なターニングポイントなのかもしれないの。わたしたちに変われっていう暗示だと思うの。だからお願い、わたしの代わりに旅に出て!」
「カノン……」
「わたしは旅に出れないから……」
 ぽろりとこぼれたカノンの本音に思わず胸が苦しくなる。
 おれはカノンがどう悩んでこの結果を出したかは知らない。しかしカノンが本気でこう言っているのは分かる。カノンの覚悟も尊重したい。だったらだ。
「……おれはまだこれは長い夢じゃないかって信じてる。だから賭けだ。もしおれが元に戻らなかったら、カノンの言う通りこれは何かしらのきっかけだろうし、その願いを受ける。ただし元に戻ったら、今のはなしだ」
「うん……。それでいいよ」
 すっかりいつも通りの語調になったカノンの声を聞き、ほっと一息つく。
「それじゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
 静かになった部屋。ようやく目を閉じれば、眠りの世界が両手を広げて待ち受けていた。


  [No.535] 4話 賭けと目的 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/06/16(Thu) 16:23:39   67clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 翌日の朝。目を覚ましたおれはゆっくりと上半身を起こして自分の体を確認する。長い髪、白い体、男にはない二つの丘。
 ああ、賭けに負けたんだな……。
 昨夜交わした賭けの約束、もしおれが元に戻ったらおれはカイナに残り続ける。そして元に戻らなかったらおれは旅に出る。しかしこうして現におれの姿は昨日と変わらずカノンのままだった。
 腹を括るしかないだろう。大勝負に負けてしまったんだから。そう考えると反発する気は萎れてしまい、どこか納得出来てしまった。確かにカノンは心配だ。だけど旅に出てみたいという気持ちもあった。この賭けの結果は百パーセント本意ではないけれど、カノンからの立派なGOサインだった。
 旅……かぁ。旅をしておれは何をしたいんだろう。
 中途半端な体勢を動かしてベッドに腰掛け、すやすやと笑顔でまだ眠るカノンを見つめながら、今後のことをぼんやりと考える。
 折角カノンがああまで言ってくれたんだから、カノンに胸を張れるような旅にするしかない。
『わたしは旅に出れないから……』
 昨晩カノンはぽつりとそう漏らした。カノンはこんなおれよりもずっと旅に出たがっていたのだろう。
 なぜならカノンには夢があった。コンテスト全制覇。体が弱くて旅に出れないカノンは、短冊にそんなことを書いても、おれにそう言っても、心の底では諦めていてただの絵空事にしていた。
 だったら……。



「わたしの、勝ちだね」
 カノンは目を覚ましてまずベッドに腰掛けたままのおれを一瞥すると、そう言ってから小さく欠伸する。
「はは……だね。おれ、旅に出るよ」
「あら。昨日あんなこと言ってたのに以外とあっさりなのね」
「約束だからな。それに、決めたんだ」
「決めたって何を?」
「おれがカノンの代わりにコンテスト全制覇をやってみせる」
 何をしようか考えた結果導きだした答えだった。おれは真顔できっぱりとそう言ったというのに、どうしてかカノンはいきなり俯いて顔を隠すと肩を揺らし、声が漏れる。
「ぷっ、あはっ、あははっ。ユウキがコンテスト全制覇なんて無理無理!」
 腹を抱えて笑い出したカノンに対し、さすがにやや怒った顔をしても仕方ない。
「し、失礼な! まだやってもないのに無理はないだろう」
 つい脊髄反射的にベッドから立ち上がってそう言った。
 一通り笑いきったカノンは目尻を拭って、一息入れる。
「だってユウキは今までコンテストに興味が無かったじゃない。コンテストが大好きで、それでいて本気で取り組んでも制覇出来ない人だらけなのに、そんなのじゃ結果も見えてるよ」
「まだやってさえいないぞ!」
「最初から無理だって分かることもいっぱいあるんだから」
 切なく笑うカノンを見て、おれはつい言葉を失ってしまった。
 ずっと近くにいたから分かる。カノンは確かに体が弱いから、旅に出れなかったり運動出来なかったりと「無理」なことがたくさんある。
 だけどカノンは何でもかんでも体が弱いからという言い訳をして無理だと言って遠退けて、いろんなことから逃げている節があった。
 きっとカノンが言っていた『変わるきっかけ』はおれに対するものだけじゃないはずだ。カノンがおれにこうして変わるチャンスを与えてくれたんだから、おれもカノンを変えてやらねばならない。
 いい加減カノンも変わらなくちゃならないんだ。そのカノンの消極的な殻を、おれがコンテストを全制覇することで突き破ってやる。これが、おれが考えついた結論だった。
「ふん。見てろよ、今にもおれは世にも轟くコンテストの有名人になってやる。お前がそこまで無理っていうなら絶対におれがなってみせてやる。不可能だって、可能に変えれることを証明してみせてやる」
 諦めてしまったら、たった一%でもあるかもしれない可能性が無くなってしまう。
 いくらおれがコンテストに興味がないとか下手くそかも知れないと関係ない。それを見せてやる。
「おれは本気だ。必ずやってみせる」
 カノンは困った顔を見せるが、それ以上は何も言わなかった。
 おれを本気にさせたのは、カノン、お前だ。



「そう、ようやくってとこねぇ」
 朝からカノン家にやってきた姉貴に旅に出る旨を伝えたら、うすら笑いでそう返してきた。
「でもあんた本当に大丈夫なの? その体で」
「体? もちろん、昨日も言ったけど走れるし」
「そっちじゃなくて、女の子なのよ今のユウキは」
 う、そうだった。旅に出るからと言って男に戻るわけでもないのだ。
「たぶん……」
 頬を軽く掻きながら力なくそう答えたら、姉貴はふふんと笑ってやけに嫌な笑みを作る。
「じゃあまずは形からでも女の子に慣れないとねぇ」
「え?」



「うん、やっぱり可愛いねぇ」
 身ぐるみを剥がされたおれは姉貴やカノンのなすがまま、人形のようにカノンの服を着せられていった。
 今のように絶賛する姉貴に対し、調子に乗ってそうかなと気取ると、カノンにユウキは何もしてないじゃんとツッコミを入れられた。
 白を基調としていて、黒の刺繍が入った膝上丈のワンピースに緑の薄手のカーディガンを羽織らされたおれは、改めて姉貴が用意した全身鏡の中の自分と対面した。
 やはり誰がなんと言おうがカノンが鏡の中にいた。昨日はあくまでも、自分の服を着たカノン程度であったのに、もうどこからどうみても正真正銘のカノンだ。
 なのだが、服の感触が馴染めない。太もも同士がすぐにこすれて妙にくすぐったい。足の半分以上が露出していてこのスカートの解放部分もあって、足下が非常に頼りない。
 おれ自身はパンツルックがいい、とせめてもの反抗をしたのだが、そもそもカノンはあまりそういう服を好んでいないためこういうものばかりで、なおかつ姉貴の「いずれ着ることになるんだろうだから今でもいいんじゃない?」という一言に妙に納得してしまったからであるが……。
「うん、外はまあ問題ないわねぇー……。後はぁ、そうね、中身」
 腕組みをした姉貴はおれを一通り眺めると、また何かを言い出した。
「中身?」
「そう。中身よ中身」
 姉貴の言いたいことが分からなくて首を傾げる。
「言葉遣いとかに決まってるじゃない」
「あーなるほど! って、えー……」
「さて、と。ちょっとお昼から用事入ってるから、カノンちゃん後はお願いね」
 はーいと軽い返事を姉貴は背中で受けて、部屋から出ていく。何の用事なのだろう。今日は火曜日で、姉貴の仕事は水曜日から土曜日のはず……。
 と、右手を顎に添えて考えていると、それとは関係ないものの大事なことを思い出した。
「あ、中身で思い出した。カノン、コンテストについていろいろ教えてくれない?」
 コンテストをやると言ったものの、今まで興味が無かったために大雑把にしか知らないのだ。
 かっこよさ、かわいさ、美しさ、賢さ、たくましさをそれぞれ競い、下から順にノーマル、スーパー、ハイパー、マスターランクがあることは知ってる。我が町カイナではハイパーランクコンテストが開催されているし、ルックスだけを見る一次審査と、実際にワザを繰り出す二次審査があるのは知っている。ただそこまでしか知らない。
「もう。そんなので大丈夫なの?」
「肝心なのはこれからこれから」
 はあ、とわざとらしくため息をついたカノンは本棚から背表紙にポケモンコンテスト大全と書かれた青い分厚い本を取り出して、おれに寄越すので片手で受け取ろうとする。が、
「重っ!」
 受け取った瞬間に腕ががくんと下がる。すかさず膝を曲げて空いていた左手でフォローを入れて、がっちり本を持つ。これくらいならいつもは片手で持てたはずなのに。
「大丈夫? だいたいのことはこれに書いてるはずよ」
 よいしょとベッドに座り込み、本を開けるもどこから読めばいいのやら。
「うーん、口頭でおれに説明を」
「わ、た、し」
 一瞬カノンの強い語気にびくんと背筋が立つが、何を意味しているか分からない。
「言葉遣い言葉遣い」
「あ、なるほど。口頭でお……じゃなくてわたしに説明してくれた方が良いなぁ。だなんて」
 む、むず痒い……。変な感じがしてなかなか言いづらいし、言ってからも妙な感触がまだ残る。
「だーめ。自分で頑張りなさい」
 悪戯っぽく笑うと、カノンはおれから遠ざかって部屋のドアの取っ手に手をかける。
「ちょっとお手洗い行ってくるね」
 そうしてドアの向こうに消えて、おれは分厚い本と共に一人残されるのだった。


  [No.537] 5話 不安と確認 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/06/19(Sun) 13:29:09   65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 ユウキ一人を部屋に残したカノンはトイレとは反対方向に廊下を進むと両親の寝室に入り、母のベッドに座って先ほどこっそり部屋から持ち出したポケナビを取り出す。
 慣れた手つきで操作をすると、ユウキの姉にコールする。十秒しないうちに応答があった。
『あ、もしもし? 急にどうかしたの?』
 ポケナビの向こうでユウキの姉が咳き込む音が聞こえてきて、それが気になりカノンは本題に入る前に様子を伺うことにした。
「あの、何してるんですか?」
『うちの倉庫整理。コホッ! 何年も放置されてたから埃が大変!』
「どうして倉庫?」
 と、カノンが尋ねるとポケナビ越しにドカスカと重い物がいくつか落ちる音が重ねて響き、カノンはつい開いている左手で左耳を塞ぐ。
『あー、あったあった。えっとね、あたしが昔旅に出てたときのお古で使えそうなのをあげようと思ってね。うーん。この鞄も洗えばまだ使えるかな』
 ユウキの姉も十一歳のときにホウエン地方を旅していたということはぼんやりと覚えている。実に十年も昔の話なのに、そんな昔のモノがまた新たに使い直せるのだろうか。と考えて、カノンは一人静かに笑った。
『それで何の用だったっけ?』
「あの、お姉さんはユウキがああなって本当はどう思ってます?」
 そう切り出すと、先ほどまで絶えず耳に入ってきた騒がしい物音がピタりと止んだ。静かになった電話口から、やがていつもより穏やかな姉の声音が聞こえてくる。
『そりゃあすごくビックリしたわ……。最初に聞いたときはまったく意味が分からなかったから、悪戯と思ったもん』
「うんうん。わたしも最初はいきなり目の前にわたし自身が現れてすごくびっくりしました」
 昨日の朝をリフレインする。騒がしさで目が覚めれば、すぐそこに自分がいた。ユウキの姉の手前だからびっくりしたと穏やかに表現したものの、あのときは体からみるみる血の気が引いて鳥肌も立ち、いうなればゾッとした。頭の中が真っ白になるほど怖かった。
「でも、すごく笑ってましたよね」
 カノンになったユウキを初めて見た彼女はあろうことか爆笑し、他人の家のクッションを遠慮なくバシバシと叩いていたのだ。それもあって身内の、しかも弟の不幸だというのに心配してる様子が見えなかったのが逆に気になっていた。
『だってユウキはさ、メンタルが強くないし、というよりは弱いから。……だから心配すると本人も暗くなるし、せめて笑ってあげて明るく接してやりたいじゃない』
 なるほど。と小さく呟く。この騒動が始まってから、確かに一度もそういう暗い素振りを見せていない。
『逆にカノンちゃんはどうなのよ』
「わ、わたしですか?」
 予想しなかった質問が突然飛んできたことに驚き、つい声が上ずる。
「わたしは……。今でも十分怖いです。どう接していいか全然分からなくって」
 どうしても不安が募って今のユウキを直視出来ない。だから一度傍から離れ、こうしてユウキの姉にすがっている。
『そりゃあ馴染みの顔が自分になったら――』
「それだけじゃなくてユウキはわたしと違って走ったり出来るじゃないですか。それがすごく羨ましくて、怖いんです。自分がまるで欠陥品みたいで、わたしって何なのかが分からなくなって……」
 徐々に心臓の鼓動が早くなり、息も少し荒れてくる。目がじんわり潤み、いつの間にか鼻水が出始める。熱くなった顔に冷たい涙が一筋流れる。
 深呼吸して息を整えなければ。このままでは発作が来る。咳が止まらなくなって、呼吸困難になる。
『だ、大丈夫?』
 自分の気持ちを伝えるにしてもほんの少しだけのつもりだったのに、今のがトリガーとなったのか。隠し通したかった負の感情のダムが決壊した。
「わたし……、ユウキに旅をしてって、持ち掛けたのは」
 ひどい声になっている。嗚咽が止まらなくて言葉が切れ切れになり、ちゃんと相手に聞こえてるかが分からない。かろうじて電話先から聞こえる『うん』の一言に、ただただ言葉を続ける。
「今のユウキが、傍にいるのが、怖くて、嫌だったから……! 旅にさえ出たら、もうしばらく会えなくなって、それで落ち着くかと、思ったからで、いろいろ言い訳、並べてユウキを旅に出るって、言わせて、でもそんな自分も嫌でっ!」
 胸の中に抱えていた感情が全て吐き出され、依然として涙鼻水は止まらないが、やがて呼吸や鼓動は落ち着いてきた。
 ユウキをいじって遊んでいたのは、少しでも自分の気を紛らわせたかったから。楽しいという気持ちを無理に植え付けて、少しでもそういう感情を見せたくなかったからだ。
 ユウキだって自分がいきなりあんなことになったから怖いはずなのに、そんなユウキに対してひどいことをしちゃう自分も嫌で嫌でたまらなかった。様々な感情がない交ぜになって、もうどうしていいかが分からない。
『誰だって怖いだろうし、辛いよ。でもね、本当に大事なのはそれを克服、超克することじゃない?』
 カノンはゆっくりと立ち上がり、ユウキの姉の言葉に耳を傾けながらハンカチで流れきった涙の跡を拭き取る。
『ユウキはカノンちゃんが提案した旅に出る、っていうことで今までの怠慢な状況を乗り越えようとしてるの。だから、カノンちゃんもユウキに負けないように、ね?』
「そう、ですね」
 傍にあった鏡にはまだ顔を赤くした自分が映っていたが、どこか清々しい気持ちが胸に広がった。
 ありがとうございますと礼をしてから通話を切る。この状況を超克するために自分が出来ること。その答えを考えながら、ユウキが待つ自室に足を運ぶ。



「さっぱり頭に入らないや」
 分厚い本をベッドの隅に投げ、重力に任せてベッドに倒れこむ。
 と同時にノックも無くドアが開くので、何もしていないのにまるで悪事のバレた子供のように驚き、体を起こす。
「びっくりした。カノンかよ。せめてノックしてから来れば」
「ここわたしの家だしわたしの部屋。なんでノックする必要があるのよ。あと言葉遣い、お姉さんに言われてるでしょ」
 カノンは頬を僅かに膨らませると、勉強机の椅子を引っ張り出して、そこに座る。
「だって恥ずかしいじゃん」
「わたしがおれとか言ってるみたいでこっちも恥ずかしいよ」
 それもそうか。妙に納得してしまい、二の句が告げずにいると先にカノンが切り出す。
「……ねぇ。本当に旅に出るの?」
「何を今さら。当たり前だろ……、いや、当たり前よ……」
 カノンがおれの語気が弱まるサマを見てクスリと笑うので、逃げるように熱を帯びた顔を背ける。
「た、旅に出るって言っても今日明日は出ない、よ。少なくともハイパーコンテストを一度は観戦してからのつもり」
「そう……。別にポケモンバトルのチャンピオンを目指すとかでもいいのに、本当にコンテストでいいの?」
 再度おれの意思を確認するような質問にわずかにげんなりし、不平を言うつもりでカノンを見れば、至って真剣な表情がそこにあって気圧されてしまった。
「やると言ったからにはやる。男に二言はないから」
「今は女だけどね?」
「一言余計!」
「それで、コンテストをやる気になったのはどうして?」
 カノンが矢継ぎ早に質問からまるで尋問されているようで、あまり気分が良いものではない。何が目的なんだ。
「それは……」
 頭の中で必死に言葉を探す。右手人差し指で掛け布団をとんとんと叩いて落ち着かせようとする。
「カノンが夢を諦めていたから。そもそも特に夢もやりたいこともなかったおれ、じゃなくてわたしが出来ることってこれくらいだし……」
「どうしてわたしのため? 自分の好きにして良いのよ?」
「それは、カノンにもう何も諦めてほしくないから。お、わたしがコンテストを全制覇することで勇気をあげたいから……」
 ふいに部屋の空気が止まる。ようやく冷めた頭になって、言ってしまったなと自責の念が募る。口にするとなんと無力か。
「本気なのね?」
「う、うん」
 力強くレスポンスすれば、学習机の引き出しからカノンは一枚のカードを抜き出しておれの前にやってくると、そのカードを目の前に提示する。
「じゃあ……、これを持って行って欲しいの」
「へ、でもこれって!」
「今の言葉だけでもユウキの覚悟と、勇気が伝わってきたの。だからわたしからの餞別。ユウキに、『わたし』をあげるわ」
 無理やり手の内に握らされたそれは、カノンの身分証明書もといトレーナーカードだった。


  [No.546] 6話 決心と心残り 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/06/24(Fri) 11:00:48   70clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 トレーナーカード。それは十歳になったとき、ポケモン協会から各自に配られるモノだ。トレーナーカード一枚だけで身分証明書にもなり、各種大会への出場権にもなるし、ポケモンセンターのような公共施設などでも宿泊出来るようになる。まさにトレーナーには欠かすことの出来ないカードだ。
 そしておれはカノンにその大事な「カノンの」トレーナーカードを無理やり握らされている。
「ちょ、ちょっと、どういうつもりだよ! こんな大事な物をおれに――」
「今から貴女が本物のカノンになるの」
「はぁ、何言ってるんだ?」
 カノンはようやくおれから手を離すが、思わぬカノンの提案に呆気にとられたおれはトレーナーカードを返すことさえ忘れていた。
「コンテストに出場するために必要なコンテストパスを作るときにも、旅をするにもこれは必要でしょ? ユウキのトレーナーカードじゃどう考えても身分証明出来ないじゃない」
「いや、そりゃあ……、確かにだけどカノンはどうするんだよ」
「言葉遣い。わたしは……わたしで何とかするから気にしないで。とにかく、これから貴女がカノンだから。カノンのコンテスト全制覇の夢は一度諦めたけど、体が良くなって再び追いかけれるようになりました! ってことでさ」
 極めて明るく微笑みかけるカノンにどう言葉を返せばいいか分からず、眉をひそめる。
 これは本心からなのか、それとも強がりで言っているのか。
 聞いてはいけないような気がして、ベッドに腰掛けたまま硬直してしまった。
 すぐ目の前にカノンがいるのに、その心は闇の中に紛れているようでさっぱり伺えない。
 いつも一緒にいたはずなのに、この妙な心の距離感が苦しかった。



 あの後すぐに、おれのポケナビに姉貴から一度家に戻ってこいと連絡が入った。
 じゃあまたねとぎこちない挨拶を交わして、カノンの部屋からすぐ隣の我が家に着くまで僅か二分程度の道のりを歩くおれの足取りはひどく重かった。
 別にカノンのトレーナーカードを貰わずとも何とかする方法はあった。トレーナーカードは国ではなくポケモン協会が発行するものである。ポケモン協会に直接紛失したと言えば、住所年齢性別氏名を書いて、手持ちのポケモンを見せてトレーナーであると証明出来ればその場で即発行してくれる。だから戸籍のようなものには直接のおれの存在は無いものの、それでもトレーナーカードは発行出来る。
 本来トレーナーカードはあくまで会員証程度のものだったのに、ポケモン協会の肥大化と同時についには今のように身分証明を成せるようになった、らしい。なのにいまだにトレーナーカードの作成手順は甘く、それを利用しようと思っていたのにどうしてカノンは自分のトレーナーカードをおれに渡したのか。
 意図がまるで汲めない。カノンはおれにどうして欲しいのか。
 悩みを抱えたまま我が家に入る。ただいま、とか細い声をかければ、玄関まで迎えに来た姉貴が心配そうにどうしたのと声をかけてきた。
 事を伝えようか迷ったおれはちらと考えた挙げ句、ずっと手にしていたカノンのトレーナーカードを姉貴に見せた。
「カノンにいきなり渡されて、これから貴女が本物のカノンって言われてさ……」
「そっか。カノンちゃんはそう決めたのね……」
「姉貴は何か知ってるのか?」
 予想していなかった反応に、廊下を歩きながら顔を明るくして今の体より五センチ程背の高い姉貴を見上げると、軽く頭を小突かれた。
「言葉遣い直しなさい。あと姉貴って言わないの。お姉さんとかお姉ちゃんとか言いなさい」
「……ねぇ、何か知ってるの?」
「あ、今意図的に『お姉ちゃん』を抜かしたなあ?」
 ふと姉貴の腕が顔の側まで伸びてきて、今度は頬っぺたをつままれ強く横に引っ張られる。
「ひ、ひはひ!」
「お姉ちゃんって言うまでダーメ」
 悪戯っぽく笑う姉貴。抵抗するも力業で勝てる相手じゃない、ここは従うしかないか……。
「ほへーはん!」
「あ、ごめん。このままだと何言ってるか分からないわね。はい、もう一度言い直して?」
 頬っぺたから姉貴の手が離れ、患部を優しくさすりながら姉の横を通り抜けてリビングに向かおうとする。
「あ、こら! 逃げるな!」
 おれの予想より早く姉貴の手が再び頬っぺたに伸びる。さっきのでさえ結構痛かったのに!
「ご、ごめんなさいお姉ちゃん!」
 あと一秒でも遅かったらどうなったか。姉貴はよろしい、とにっこり笑ってそう言うと、先にリビングに向かった。都合のいい姉貴である。
 安堵と呆れ混ざりの溜め息を一つついて、頬っぺたをさすりながら姉貴の後を追った。
「それでさっきの事なんだけど……」
「ああ、そうね」
 リビングのソファーに隣り合うように座って、肝心の話を催促する。
「カノンちゃんもあんたの事で悩んでてさ――」



 姉貴の口からカノンが今日相談してきたという悩みを打ち明けられる。すっかりあんな態度だったから、そんなに苦しんでいたなんて知らなくて少し面食らってしまった。
「だから、辛いことは誰にでもあるけど越えなきゃダメだって言ったんだけどね。あ、もちろんあんたもね」
「一言多いよ」
「まあ、あんまりこういうのは他人には言わない方が良いかもしれないけど、二人がギクシャクするよりは良いかなと思って。きっとトレーナーカードを渡したのはカノンちゃんなりの、今の自分の状況を打ち破ろうとする決意の現れじゃないかな?」
 手元のトレーナーカードを見つめる。決意、か。
『わたしたちに変われっていう暗示だと思うの』
 昨晩カノンはああ言っていた。変わる……、まさかここまで物理的に変わろうとしていたとは完全に予想外だけど、カノンの決意を尊重してこれは受け取っておくことにする。
「さて、旅に出るユウキ、じゃなくてカノンのためにプレゼントよ」
 姉貴はリビングの隅で寂しそうにしていた赤の刺繍が至るとこに入ってる白の斜めがけの鞄を指差す。
「お下がりだけど、別にいいでしょ? 見た目は小さく見えるかもしれないけど、実際に開けてみれば大きさは分かるわ」
 ソファーから立って、言われた通りに鞄を開ければ成る程。確かに、見た目以上に幅が広い。内にファスナーもあって小物はそこにまとめれそうだ。
「若干どころか十年前だからかなり古いモデルだけど、それでも別に大丈夫よね」
「うん、ありがとう」
「まあこれで我慢してもらえないとこの後が大変だから……。さ、買い物行くわよ」
 小さなポーチを手に取った姉貴はリビングを発とうとする。が、ちょっと待った。
「買い物?」
「ばか。鞄だけで旅に出れる訳ないでしょ」
 それもそうか。今貰ったばかりの鞄を担ぎ、リビングの壁掛け時計に目をやる。まだ午後四時過ぎ、街はまだまだ元気だろう。
「って、ちょ、ちょっと待って! おれ、この格好で街に出るの?」
 慌てて廊下に出た姉貴にそう言うと、姉貴は腰に手を当てて頭を項垂らせる。
「別に何もおかしくないじゃない」
「いや、正直恥ずかしいし……」
「旅に出たらどうせ避けられない事なのに何うだうだ言ってるの!」
「そ、そうだけど」
「だったら早めに馴れとくべきじゃない」
 反論の余地がまるでない。だがおれはおれなりに葛藤しているのに、あまりにも配慮がないというかなんというか。
「さっさと行くわよ?」
「あ、ちょっと待って。せめて準備くらいさせて」
 姉貴の文句を背中で弾き、すぐそこの階段を昇って二階の自室に一日ぶりに戻る。たった一日居なかっただけだというのになんだか懐かしく感じるのは相当密度の濃い時間を過ごしたせいなのだろうか。
 壁際にある机に歩み寄り、広い机にぽつんと目立つように置かれたモンスターボールをそっと手に取る。
 ジグザグマ。六歳の時に初めて出会った唯一の手持ちポケモンだ。ずっと遊んできた仲の良いポケモンで、おれたちの絆は確かなはずだ。
 だが、不安が一つだけある。ジグザグマは異常なまでにカノンのことが嫌いなのだ。
 吠えるのはもちろん、外であれば砂かけをしたり、体当たりなんてかますことがある。
 どうしてそこまで執拗にカノンを嫌うか――姉貴には嫉妬じゃないの、と言ったが――分からず、カノンに会うときは極力ジグザグマを出さないようにしていた。
 しかし現状はおれがカノンだ。おれが体当たりをされたりしてしまうかもしれない。言うことを聞いてくれるかがとても不安だ。
 ふと階下から姉貴の急かす声が聞こえ、迷った挙げ句とりあえずモンスターボールを持って玄関に向かった。


  [No.578] 7話 ジグザグマと傷 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/07/10(Sun) 10:44:14   53clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「疲れた」
 誰に向けたモノでもないが、そう呟いてベッドに倒れこむ。すると、白い天井が視界いっぱいに広がる。
 部屋に先ほどつけた冷房の冷気が行き渡るまでじっと出来ず、何を思った訳ではないが立ち上がるが、足元に広がるそれを見てややげんなりする。
 大量の紙袋。先刻まで姉貴と出た買い物での産物だ。思い返すだけで顔から火が出そうになる。
 別に体は女なんだから何も問題はないはず。といえど心は健全な十六歳の男子。姉貴にランジェリーショップにつれられて、慣れない雰囲気に心臓が口からこんにちはしそうになった。
 立場的に堂々と胸を張って良いのだが、最後の砦、男心の意地がおれの心をたしなめた。きつめの照明をそのままそっくり照り返す真っ白い床を眺めながら、より眩い店員の笑顔や商品から目をひたすら逸らした。
 のだが、結局は姉貴にどやされてしまい姉貴の手を借りて強制的に試着、購入に至る。続く婦人服売り場でも似たような感じだった。姉貴からしたらさぞ嬉しかっただろう。終始笑顔だったのが証拠だ。でもこちらへの配慮がまるでない。辱しめにあっているようで、一人で顔を赤くしていた。……姉貴だから仕方がないか。
 帰り道、共に外食をして帰宅すれば、もう午後九時を過ぎていた。それなりに歩いてスタミナを使ったのもそうだけど、それ以上に精神的に限界だった。
 お風呂も昨日よろしく、姉貴が何年かぶりに一緒に入ろうなんて乱入してきた。いまだにこの長い髪の洗い方とかが分かっていないので助かった点は無いことはないが、姉貴に振り回されるのはもう疲れた。
 改めて、引き返せないところまで来てしまったんだなと思う。別に今さら引き返せるなんて考えは無いのだけど、あまりのてんやわんやっぷりについそう思ってしまう。自分の身に起きてることなのに、まだ何だか遠いような……。
 そうだ、遠いで思い出した。ジグザグマだ。ポケットに入れっぱなしにしていたモンスターボールを取り出す。さっき述べたばかりだが、買い物はあまりにてんやわんやだったのでジグザグマを出す余裕がなかったのだ。
「おいで、ジグザグマ」
 モンスターボール中心部にある丸い開閉スイッチを優しく押す。ボールが口を開けて、白い光を放ちつつ、中にいるジグザグマを目の前に出現させる。
 とりあえずまずは姿形がカノンでも、おれと認識してくれるかどうかからだ。
 ボールから出たジグザグマは、ぶるぶると体をしばらく震わせる。その間に目線を合わせるために腰を下ろして屈むと、ジグザグマとパッチリ目が合った。と同時にジグザグマの愛くるしいはずの顔が歪み、耳を突き破るかのような轟音が飛んでくる。吠えられた、うるさい。
 そしてそれだけでは終わらない。あまりにも唐突だった。おれの腹部を目掛けてジグザグマが飛び掛かってきた。飛び掛かってきたのは今現在見ているから分かっている。なのに反応出来ない。ストロボ写真を見ているような不思議な感覚。徐々に近づくそれに対してただただ念じるのみである。おい。来るな。バカ。待て。やめろ。ちょっと、ちょっと!
 くぐもった音と同時に、腹部に苦しい振動が走る。バランスが崩れ、ベッドに腰をぶつける。痛い。前も後ろも。そして休む間も無くひたすら吠え、唸るジグザグマ。
 おたおたしてるとまた突進を食らう。お腹を抑えながら立ち上がり、やられる前にと先手を打つ。
「おれだよ! いろいろあってカノンになったけどおれ! ユ、ウ、キ!」
 グウウウ。カアアア。グウウウウウ!
 そんな気はしてたけど、やっぱり聞いてくれていないや。
 ジグザグマが再び小さな体を弾丸のように、おれ目掛けて発射する。
 しかも口を開いて牙を見せる素敵なオプション付きだ。
「のおぉぉぉぉぉぉ!」



 どんな気分の沈んだ夜の後にも明るい朝日は拝めるものと、何かのドラマで言っていた。
 確かに朝日は明るい。しかし気分は上がらない。  目が覚めて、ベッドすぐそばの棚の隅に置いてあるモンスターボールを見て、ひどくげんなりする。
 げんなりした際項垂れて、視線が落ちたときに、右腕に雑に巻かれた包帯が目に入りさらにげんなり。
 あのあと見事にジグザグマに噛み付かれた。脊髄反射的に右腕で顔を庇おうとし、結果として右腕でがっちり牙を受け止めてしまった。ばっさり腕から血が出たぜ。とはいえジグザグマの顎の力は、クチートや大型ポケモンに比べれば大したことはなく、ポケモンバトルのために鍛えたなんてこともない。お陰で少しすれば血は止まった。もちろん、二度目を起こさないようにジグザグマはボールに戻した。
 かれこれジグザグマと七年はいるが、あんなことをされるのは過去を振り返っても一度となく、不可抗力とはいえ自信を無くしてしまう。
 肩を落としながら一人、モンスターボールを手にもって、朝食を摂るためダイニングに向かう。
「おはよう」
 姉貴は仕事が朝早くからある。毎週水曜から土曜まで市場で働く姉貴は毎朝五時半起きで、一時間すれば出ていってしまう。普段おれは姉貴が家を出た後にのんびり起きるのだが、今日は有事なのでおれも早くに起きたのだ。今も姉貴は食べ終わった自分の朝食の皿と、自分のポケモンのポケモンフーズを入れていた皿を洗い終わったところのようだ。
「お、珍しく早いね。ってどうしたのそれ!?」
「いや、激しい闘いが」
「全然伝わらないから」
 おれの雑に巻かれた包帯に驚いて、動きが止まった姉貴。何かを語る前に、俺はそっとモンスターボールを姉貴に渡す。
「あぁ、そっか。ジグザグマはカノンちゃん嫌いだからねぇ」
「酷い目に遭ったわ……。とりあえずご飯食べさせてあげて。姉貴にはなついてるし」
「姉貴じゃなくて?」
「お願いしますお姉ちゃん」
「よろしい。ジグザグマの視界に入らないように」
 ぐぅ、一晩したら『お姉ちゃん』の件は忘れてるかと期待したら、なかなかしつこい。しかし視界に入らないように、ねぇ。
 やっぱりどうしてジグザグマはおれ、というよりカノンを嫌っていたかを知らないと、どうしようもないのだろうか。
 廊下でぼんやり待機していると、もういいよと姉貴の声がしてダイニングに入り直す。
「いつも通りガツガツ食べてたよ」
「ありがとう。……なんでジグザグマは怒るんだろう」
「それを調べるのはいいけど、そんな可愛らしい肌にこれ以上生傷つけないようにしなさいよ?」
「はいはい」
「それじゃあお姉ちゃんはもう行くから」
「行ってらっしゃい」
 自分でお姉ちゃんとか言いやがって。と、小さく毒突いてやや駆け足な姉の背を見送る。
 旅に出て、野生のポケモンを捕まえるにしろそれらから身を守るにしろ、自分のポケモンは必要だ。それがこの調子だと非常にまずい。
「参ったなぁ」
 深い溜め息のおまけに、ポロっとそんな言葉がこぼれた。悩みの種は絶えない。



 朝ごはんを軽く食べて、昨日買わされた服に着替えて家を出る。この体になって、前よりも明らかに胃が縮んだような気がする。いつも食べれた量の、良くて四分の三程度しか入らない。そんな目立たない変化にも気付けるくらい、余裕は出たのかもしれない。もうこの体になって早くも三日が経ったのか。
 今日はカノンにコンテストについての『いろは』をきちんと学ぶために、またまたカノンの家に向かう。あまり気乗りはしなかったが、ジグザグマのボールも持ってきた。
 家を出て隣の家の、カノン宅。慣れた手つきで呼び鈴を鳴らす。
 『いろは』と言っても基本教養なレベルは流石に俺でも分かる。
 時間があれば、ジグザグマについても相談するだけしてみよう。
「はいはいお待たせお待たせ〜」
 そうこう考えているうちに、カノンののんびりした声と共に、しっかりした造りの扉が開く。
「さ、入って入って」
「カノン、お前……」
 違う。
 扉から現れたカノンのシルエットを見て、反射的にそう思った。
 前に会って一日も経っていないのに。確かにカノンだが、これはカノンじゃない。
 そんなこちらの反応を楽しんでいるのか、カノンはにやにやと笑みを浮かべる。わざとらしく「どうしたの?」と尋ねるカノンに対し、むしろおれから尋ねたい。どうしたんだよ、カノン。


  [No.586] 8話 新カノンと旧カノン 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/07/17(Sun) 11:21:26   60clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「さ、入って入って」
「カノン、お前……」
 違う。
 扉から現れたカノンのシルエットを見て、反射的にそう思った。
 前に会って一日も経っていないのに。確かにカノンだが、これはカノンじゃない。
「カノン、お前まさか髪切った?」
「そのまさかよ! って、それ以外に何かあるの? いろいろ大事な話もあるから上がって上がって。ここで話すのも暑いからね」
「あ、ああ……」
 先に屋内に戻るカノンをぼっーと見つめ、閉じていく扉に肩をぶたれて正気に戻る。
 髪切ったのはおれだって見れば分かる。でも小さい頃から髪を伸ばし続けていたカノンが、ある日急にボブカットになっていたのだ。なんだか既存の価値観だか先入観だかをぶっ壊されたような気がして、呆気に取られていた。
 しかし、それらの崩壊はこんなものでは終わらなかった。
 遅れて家に入り、二階へ続く階段でようやくカノンに並ぶ。
 改めてカノンの顔を見ながら、本当に人は変わるもんだなあとしみじみしていた矢先だった。
「さっきからそんなに見なくても……」
「いやあカノンも髪切るだけでこんなに変わるんだなって」
「あのさ」
「ん?」
「カノンは貴女でしょ。わたしはもうカノンじゃないんだから」
「……は?」
 思わず階段を昇る足が止まった。
 カノンじゃない? どういうことだ。じゃあなんなんだ。いろんな疑問が頭のなかでごちゃごちゃに混ざりゆく。階段を昇りきったカノンは左足を軸に軽やかにハーフターンし、にこやかな表情で一枚のカードを見せつけた。
「わたしは昨日付けで名前が変わったの」
 カノンが見せつけた一枚のカード――新品のトレーナーカードだ――には、ボブカットのカノンの証明写真があり、その隣の名前欄には『ユナ』と綺麗に印字されていた。



「カノン……じゃなくて、ユナもなんだかんだで結構楽しんでるよな」
「そりゃそうでしょ。あ、あと言葉遣いもうちょっとどうにかしてよぉ」
 深く息を吸って、はぁ、とはっきり聞こえるように息を吐いた。
 クーラーで適温になったカノン、いや、ユナの部屋で、おれはベッドの上に。ユナは椅子に座っていて、今この部屋の中で動いてるのは何が楽しいかはわからないが、尻尾を使ってぴょんぴょん飛び跳ねるユナのルリリだけだ。
 ルリリは定期的にユナか、俺の方に飛んでくる。抱き締めて撫でてやるとこれまた何が楽しいかはわからないが、満足気な表情になる。
 おれがこうなる前は、ルリリはおれにそれなりになついていたとはいえ、ここまでスキンシップを求めることは無かった。やっぱりおれがカノンになったから、なのだろうか。ジグザグマがこれくらいなら良かったのに。
「おれ……、わたしとかこうなってからロクなこと全然起きてないわ。ユナ? が楽しそうな気持ちが全然分かんない」
「変化がある、っていうのは案外楽しいものなのねぇ。わたしずっと髪型一緒だったから、切り終わって鏡を見たらこんなわたしもあるんだなって新鮮な気がして。名前も変わって、心機一転したって感じ? もちろん病気がちなのは変わりないけど、違う自分になれる気がして」
「そう」
「まあユウ、カノン程変化はしてないけど」
 一々嫌なところを突いて来やがる。あと名前も言い直さなくていいのに。
 カノンじゃなくてユナは立ち上がり、昨日の青くて分厚い冊子をおれに渡して部屋に備え付けのテレビを点ける。
「にしてもなんでもやってみることねぇ」
「何が?」
「ユ、カノンがわたしに勇気をくれるって言ってくれたから、こうやって踏み出してみたんだけどさ。変わるって良いことだね」
「だねぇ」
「今ならわたしも、何か新しいことが出来そうな気がしてさ。旅には出れないけどいろんなことに挑戦しようと思うの」
「おっ、良いね良いね。楽しみにしてるよ」
 単純に嬉しかった。いつも塞ぎこんでいたカノン、違うくてユナがこう前向きに言ってくれることが。
 ユナはニコッ、と可愛らしい笑みを浮かべると、DVDを突っ込んでテレビのリモコンを持ち、おれの隣に腰かける。
 DVDを読み込んでいる間、ユナは跳ね続けるルリリを抱き上げて、頭をそっと撫でる。
「で、コンテストの話をするけど、まずこのホウエン地方のどこにコンテスト会場があるのかは知ってるよね」
「こことミナモでしょ?」
 ここ、カイナシティは地元だし何度も訪れた場所だ。愚問である。そしてもう一つ、ホウエン地方東部にあるホウエンで一二を争う大都市、ミナモシティはコンテストのメッカと言われている。これはテレビの受け売り。
 どうだ、答えてやったぞと得意気にユナの顔を伺うが、そこには失意の表情しか無かった。
「それだけ?」
「え? まだあるの?」
「シダケとハジツケもあるわよ」
「辺鄙なとこにあるんだね」
 あは、あははとぎこちなく笑って、今のミスを誤魔化そう。
 シダケタウンはホウエンの中部にあり、自然に囲まれた観光地だ。たまにテレビの旅番組で取り上げられる。
 そしてハジツケタウンはホウエン北部。近くの煙突山という火山が年中火山灰をめいいっぱい噴出しているせいで、町自体が火山灰に覆われていると学校でかつて習った。正直この町のことは良くわからないが、まず町へのアクセスが大変だというのは聞いたことがある。
「その調子だと不安ね」
「大事なのはこれからだよ」
「相変わらず調子は良いのね」
 どっちだよ。
 そのあとも会場に関する細かい話をユナから聞いた。会場によってどのランクのコンテストが開かれるかは知ってはいたが、カイナがハイパーランクということしか知らなかった。ユナが言うにはシダケがノーマル、ハジツケがスーパー。そしてミナモはノーマルからマスターの全てのランクを開いているとのことらしい。やりよる。
「じゃあ最初からミナモに行けばいいんじゃない? ここから連絡船頻繁に出てるし」
「旅する、が一番の目的じゃなかったの?」
「あ、そっか」
「それで大丈夫なの? ま、そんなことよりもとりあえず、ちょっと古いけど実際のマスターランクコンテストの映像観てみようよ」
 ユナがすっかり忘れられていたDVDのリモコンを一つ押せば、だんまりを続けていたテレビが急に騒がしくなる。それと同時にずっとユナが抱いていたはずのルリリが、テレビのすぐ前に移動して、テレビにかじりつきながら飛び跳ねる。じっとしてるならまだしも飛び跳ねられると視界に入ってくるからテレビが見辛い。
「この『ダンディー・ダディ』っていう人に注目して観といて」
 やや古ぼけた映像の中でどのポケモンよりも際立って目立つ、深緑のスーツに時代錯誤な髭の男。いつかテレビで見たことある気がする。
『マスターランク、たくましさ部門。ダンディー・ダディは往年のパートナーであるギガイアスを引き連れて出場しました』
 女声のナレーションが入る。実況とは違うな、と思えば床に落ちているDVDのケースに『ダンディー・ダディの道vol.4』と記載されていた。ドキュメンタリーなのだろう。
 さてDVDは二次審査、ワザによるアピールに入る。アピール前にダディはギガイアスをそっと撫で、力強い声で岩石封じを指示する。ギガイアスの咆哮が轟き、次いでコンテスト会場の地面からゴゴゴゴゴと巨大な、ギガイアスを縦に並べて三匹分はありそうな程の岩山が現れる。ギガイアスも、ダディも姿が岩山に隠れてしまった。これではアピールにならないのじゃないか。そんな予想をひっくり返すように、『岩砕き』と凛とした声のあと、とんでもないことが起きた。
 唸るような音がして、これ以上なく綺麗に岩石封じで生み出された岩山が真っ二つ、綺麗に等分にされて割られていた。しかしより驚くべきはギガイアスが割った岩から数メートル離れていた岩も、ギガイアスの岩砕きの衝撃を受けたことで真っ二つに割れていたのだ。
 なんだこれ、と知らず知らずテレビに食いついていたおれは無意識のうちに呟いた。跳ね回っていたルリリもいつの間にかじっとしている。
『さあ、ストーンエッジ!』
 割れた岩山の隙間から、カメラ目線でダディがどやすと、ギガイアスは足元の小石一つを弾丸のように岩山目掛けて放つ。音も無く岩山が削れ、ギガイアスはさらにその削れた岩山も操って岩山を削り、さらに岩山を削っては操る。一分しないうちに割れた岩山どちらとも、元の更地になっていた。畳み掛けるようにダディのロックカットの指示を受け、ギガイアスは上空で小石サイズまで削られた大量のそれを、さらに各々のサイズを削るようにぶつけていく。
『フィナーレだ。岩雪崩!』
 ギガイアスは小石同士をぶつけるのをやめ、浮かべた小石を一つの銀河のように広げていく。ダディがギガイアスに近づいたと同時、浮かべた小石が雨のように降り注ぐ。さすがに小石と言えどあんなに大量に降ってきたら危ないっ、そう息を飲み、呼吸を忘れた。
 しかし互いに身を寄せあった一人と一匹を避けるように、小石は辺りへ降り注ぐ。あんな量の土砂に、掠りもしないだなんて。
 アピールが終わり、ダディがお辞儀をすると共に、テレビからは耳が破裂しそうなほどの拍手と、ひたすらそれを賛美するナレーションの声。
 すごい。コンテストってこんなことをするのか。
 大してコンテストに興味を持っていなかったはずのおれが、いつの間にか手に汗していた。
 ドキドキとワクワクと驚きが、興奮を触媒にして目まぐるしく渦巻いて行く。DVDは他の人の演技を飛ばし、関係ないインタビューに移っていたが、それでもまだ心臓がばっくんばっくんしているのがわかる。ってちょっと心拍数大丈夫なのかおれ。内に秘めた感情が、おれというキャパシティをオーバーしているんじゃないか。もはや何がなんだかよくわからない。
 そんなおれの視界に、ひょいとカノンの顔が覗き込んだ。
「このDVDを初めて見たとき、わたしもそんな顔だったよー」
「そ、そう、だったの……?」
「DVDも良いけど、やっぱり折角だし本物のコンテスト、観に行かない?」


  [No.590] 9話 特色とトラウマ 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/07/23(Sat) 12:34:37   69clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「んー! やっぱ本物は凄かったねぇ」
「先週とは大違いじゃない」
「いや、だってあの時は……」
「ふふっ、冗談冗談」
 美しさハイパーランクを生観戦し終わった夕方、余韻に浸りながらおれとカノンもといユナは、コンテスト会場に内設してあるカフェテラスで、先程のアピールの感想を言い合うことに。
 ギガイアスのDVDを観た後も、カノンにダンディー・ダディのドキュメンタリーや、他の人のDVD、昔テレビで放送されていたコンテストの録画映像を四日間程見せられ続けた。
 お陰でコンテストのアピールがどんなものか、というのは理解出来た気がする。……まだ自分があんなことをするヴィジョンは見えてこないけど。
 ちなみにギガイアスのDVDを観たあの日にコンテスト会場に行かなかったのには大きな理由がある。
 平たく言えば、その日(水曜日)はコンテストを開催されていなかったからだ。
 コンテスト会場のある街によってどの曜日がどうとは違ってくるが、カイナシティのコンテスト会場では、ポケモンコンテストは日曜日の午後三時から開催されるのみである。
 火、木曜日はバザー会場となり、月、水、土曜日はポケモンバトルを楽しむ施設、バトルテントに様変わりする。金曜日は設備メンテナンスのために休館だ。
 何故、こんなにコンテストやらバザーやらバトルテントが入るか。その答えは単純明解。そもそもここは元々はただの市民会館だった。そこでバザーをやっていたところにコンテストが入り、続いてバトルテントが入ってきたのだ。と、ユナがさっき説明してくれた。
 今いるカフェや売店、木の実ブレンダーなどを除き、この会館は曜日によって姿を変えるのだ。
 最も、ここまで目まぐるしく姿を変えるのはカイナのみだけらしいけど……。
 ちなみに日曜日でコンテストをやっていない時間はステージを練習用に有料貸し出ししているらしい。中々あざとい。
「そういえばジグザグマとの進展あった?」
「ほんとダメ。早ければ今週には旅に出るつもりだったのに、お陰で無理そう……」
「ワガママ姫ね、ジグザグマも」
「ケガ増えるだけで、どう考えてもワガママの度を過ぎてると思うんだけど」
「そもそもどうしてカノンのこと嫌うんだろう」
 この数日、姉貴とユナにカノンと呼ばれ続けたせいか、もうそう呼ばれても躊躇いが無くなってしまった。慣れは恐ろしい。
 同じくジグザグマに異様なまでに敬遠されることにも、慣れて来てるかもしれない。
 しかしこうなった原因はユナ、お前がジグザグマに嫌われていたからだ。何ちゃっかりおれに押し付けてるの。
「最初はもしかしたら匂いで嫌ってるのかなって思ったから、姉貴の香水使わせてもらったんだけど全然ダメでさ」
「じゃあ、見た目?」
「お面被ったりしたけどやっぱりダメ」
「お面はさすがに雑じゃない?」
「だからってさぁ」
「もしかして声とか?」
「それだと完全にどうしようもないだろ」
「カノン、言葉言葉」
 ついつい忘れていたけども、一々言われることの煩わしさにちょっとだけむっ、としてしまった。
 名前に関しては慣れたけど、やっぱりこういうのには慣れられない。
「どうしようもない……じゃない」
「わたしも手伝うからさ、今から109番水道行って様子見せて?」
「まあ、いい、けど……」
 別にそうしてもいいんだけど、不安がどうしても残る。
 ほぼ、というよりは完全に同一人物が二人いることにジグザグマはパニックでも起こすんでもないだろうか、なんて空になった紅茶のカップを覗き混みながらぼんやり考えた。



 109番水道はカイナの南に位置する。ホウエン特有の広い海に、相当広い砂浜。たくさんの海の家が並び立ち、民宿もある。丁度今くらいのサマーシーズンには、地方を問わずして観光客が大量にやってくるのだ。
 カイナシティ北西のコンテスト会場を後にしたおれ達は、バスを使って109番水道近くのバス停で下車して海を眺めた。
 これから沈もうとしている太陽が、水平線に溶けながら空を、海を橙色に塗り替えていく。海水浴に来た人々の喧騒さえ飲み込んでしまうような、この圧倒的な雄大さが心をぐっと捕らえて、それでいてあまりに単純過ぎる風景なのに、何も考えられなくなるようなこのインパクトがたまらなく大好きだ。
「夕陽が眩しいねぇ」
「ほんっとに、この風景綺麗よね! わたしここより良い風景ないんじゃないかなって思うんだ」
「カイナしか知らないクセに?」
「カノンもじゃない。それよりさ、早く久しぶりにジグザグマ見せて見せて」
「うん。とりあえず移動しよう」
 コンクリートから砂浜に降り立ち、有事を考慮して出来るだけ人通りの無さそうな方へ向かう。
 海の家みたいな建造物が付近になく、海からそこそこ距離が離れていてかつ人が周囲にいない。全ての条件をクリアするために、五分近く歩くハメになってしまった。
「ユナこれだけ歩いたけど大丈夫?」
「流石にこれくらいは大丈夫よ。無理なら無理ってちゃんと言うから」
「じゃあ……。ジグザグマ!」
 ポーチからモンスターボールを取り出し、空に向かって放り投げる。モンスターボールは緩やかに宙を舞いながら、最高点で白い光と共に中にいるジグザグマを砂地に出させた。
 グウウウウ。早速おれを見るなり唸り声を上げるジグザグマ。
「あ、もう。カノンがビビっちゃ駄目じゃない」
「だ、だって! って、うわっ!」
 散々ボロボロにされた辛さが分かるか! と逆ギレしてやろうと思った矢先、顔面目掛けて砂浜の砂が飛んできた。くっ、ジグザグマか。ジグザグマのせいか。両腕で急設したバリケードで顔を守る。うわっ、服の袖を通して中に入ってくるし。「ユナ、なんとかしっ、ゲフッ!」口の中の感触がジャリジャリと。砂利だけに!(後から考えたら砂利では無かった)
「はい、もう大丈夫」
 そんなユナの声に被さるように、ジグザグマのカアアアアアと凄まじい威嚇が聞こえた。大丈夫なのかさっぱりわからん。ユナを信じて恐る恐る目を開くと、ユナにお腹回りを掴まれて両手足をバタバタさせるジグザグマが。こいつ本気でおれしか見てない。もちろん負の意味が十二分にこもった視線を伴って。
「わたしの事無視するくらい嫌われてるのねぇ」
「もうさ、どうしろと。本気で凹むよ」
「な、泣かなくても」
「まだ泣いてないし、泣くつもりじゃない!」
 目にゴミが入っただけ、と言いかけたけど、あまりに下手な言い訳過ぎる。そもそも目を守るために両腕バリケードをしたのに、とすぐに看破されそうだ。
 確かに砂は痛いしケガも痛いけど、それ以上に今まで信頼しあったはずのパートナーにここまでされるのが辛かった。
 一週間前までは共にこの砂浜を駆けたのに、一緒にお風呂に入ったりしてやったのに、もうあんなことは出来ないのだろうか。
 確かにジグザグマをどうかしてやりたい。一緒にいたい。でもジグザグマはそれを望んでないだろうし、おれも正直ジグザグマが若干トラウマになりつつある。
 だからコンテストの勉強をすると言ってユナに借りたDVDを見て、ジグザグマとあまり対面する時間を増やさないようにしていた。……かもしれない。
「まあ確かにわたしも涙腺脆いけども……。きっとなんとかなるって」
「それでなんとかなったら簡単なのに……」
 本音だった。簡単じゃないからここまで辛いんだ。ハードルは高い方が良いなんて言ったやつをグーで殴りたいくらいに辛い。
 そんなとき、突如背後から砂を踏む足音がした。
「騒がしいから何があるかと来てみたけど、そこのジグザグマすごい気が立ってるわね。何か手伝えることがあるなら手伝いましょうか?」
 声の方に振り返ると、一人の背の高い女性のシルエットが見えた。足も手も白くその上すらりと長い。ウェーブがかっている長い髪も素敵で、ショートパンツにおへそが見えるくらいのタンクトップがスタイルに合っている。ここまで容姿端麗という言葉が似合う人は初めてだ。
 いや、見たことある。つい最近、この人を何かで見たことがある。そのときも似たような事を思っていた。デジャヴってやつだ。その答えはユナが示してくれた。
「エレナさん……ですよね?」
 まだ吠えるジグザグマをその腕からポトリと落としてしまいそうな程恍惚としているユナの言葉で、全て思い出した。
 一昨日ユナに貸してもらったDVDで見た。一級ポケモンブリーダーで、モデルでもある、かつての最年少コンテスト全制覇者、エレナ。
「そう、私がエレナよ?」
 これが、おれと彼女との最初の出会いだった。


  [No.592] ちょっと安心した 投稿者:キトラ   《URL》   投稿日:2011/07/23(Sat) 22:10:47   60clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

前回あたりからカノンがこの不思議な事件の黒幕なんじゃないかと思ってどうなるかと思ったら、お互いに明るく過ごしているようで、安心しました。
カノンはDVD集めて部屋でコンテスト見てたんですね。あまり出れないというのが強調されてました。


  [No.595] Re: ちょっと安心した 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/07/24(Sun) 12:42:05   65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

感想ありがとうございます!

> 前回あたりからカノンがこの不思議な事件の黒幕なんじゃないかと思ってどうなるかと思ったら、お互いに明るく過ごしているようで、安心しました。

まあ、こうなったのもカノンの短冊に書いたお願いが発端ですので、そうなのかもしれませんがw

> カノンはDVD集めて部屋でコンテスト見てたんですね。あまり出れないというのが強調されてました。

いわゆるコンテストオタクなので通販などを利用して集めていたようです。
これからも、何卒よろしくお願いします。


  [No.804] 10話 環境と緩急 投稿者:照風めめ   投稿日:2011/11/04(Fri) 07:33:56   64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 何事か、思わず目を大きくして驚いた。
 一昨日テレビで観ていた人が目の前にいる。コンテストだけじゃなくて、それ以外にもメディアや雑誌でも活動していて、おれでさえ今回の件になる前から知っている人だ。
 偉そうな口を言えたものではないが、観光地なだけあって取材に来る有名人も多くそれを遠巻きで見ていたことはあったが、その有名人に話しかけられることなんて今の今まで一度もなくて、初めてのことに胸の鼓動が高ぶった。
 このチャンスにいろいろコンテストについて話をしてみたいが、ジグザグマのグウウウウという唸りが現実に引き戻す。そうだった。優先順位は決まってる。
「あの、ジグザグマをどうにかしてやってください!」
 つい反射的に、頭を下げて頼み込む。揺れたおれの長い髪から、さらさらと髪にまとわりついていた砂がいくつか零れる。まだ口の中が砂のせいでじゃりじゃりとした感覚を残し、非常に気持ち悪い。
「……はいはい、ちょっとそこのジグザグマ見せてくれるかな?」
 エレナさんはユナが抱えてるジグザグマの様子を伺う。が、当のジグザグマはそんなエレナさんをスルーし、牙を立てておれを威嚇し続ける。
「わっ。ぜ、全然こっち見ないわ、ここまでなのは私も初めてねぇ。トレーナーさんはどっち?」
「わ、わたしです」
「一度ボールに直してもらえる?」
「あ、はい」
 ポケットから取り出したモンスターボールに、ジグザグマを吸い込ませる。ようやく威嚇の吠えがなくなり、ただただザザァと遠くで波の音がする。
「うーん、どうしようかしら。二人はこれから時間ある? さすがにパッと見ただけでは解決出来ない感じだから、普段どうやって育てたかとかの経緯が聞きたいし」
「お、お願いします! ユナはどうする、先に帰る?」
「わたしも一緒にいて良いですか?」
「ふふっ、もちろんよ。仲が良いのね。貴女達は双子かしら?」
「えっ、あの――」
「そうです。わたしがユナで、こっちが姉のカノンです」
「え?」
「そう、やっぱり。髪型が違うから印象はちょっと違うけど、ちゃんと見れば凄く似てるものね。そうだと思ったわ!」
 ちょっと待て、いつの間に双子になったんだ。っていうかおれが姉なのかよ。問い詰めようとユナに近付いたとき、余計な事は言うな、と目で言われた。
 まあ確かに似てるどころか完全に顔が一緒なのに、他人と言うのも難しいか……。
「とりあえずカノンちゃん、だっけ? 砂だらけだし、何とかしないと。一旦私がいるホテルにいらっしゃい?」
「いいんですか?」
「もう日も落ちるし、女の子だけで夜中に外にいるのは何かと危ないでしょ?」
「はぁ……。そう、ですね」
 女の子、ねぇ。それに自分が含まれてるというのは、もやもやしたような、複雑な気分でもあった。



「バスルーム貸してくださってありがとうございます」
「気にしないでいいよ。砂だらけだったからねぇ、着替えもサイズ合うかわからないけど……」
 エレナさんが宿泊しているという、109番水道とカイナシティの狭間に位置するかなり大きなホテルに案内されたおれたち。ホテルに行くなんてまずないことだし、ましてやスイートルームなんてものを見せつけられて威圧されてしまう。
 エレナさんに渡された、肩紐の丈の短いキャミソールワンピを身に纏い、ソファーに座っているユナの隣に腰を降ろす。大衆の前にそれを晒している訳ではないが、肌が大分露(あらわ)になっているのはなんだか恥ずかしい。
「可愛いね! うん。足も白くて綺麗」
「エレナさんに綺麗って言われるなんて凄いじゃない!」
「うん、ありがとう……」
 おれが褒められることは間接的にユナを褒められることでもある。おかげでユナの方が嬉しそうだ。
 ……が、そんな悠長な事を考えてる場合じゃない。
「あの、本当にいいんですか?」
「何がかしら?」
「ジグザグマをわざわざ見てもらって。……お金も今は無いし」
 エレナさんは体を小さく揺らしてクスリと微かに笑う。女になった訳だけど、エレナさんの陶器のように綺麗な白い肌や、優しげな瞳に吸い込まれてしまいそうになった。
「困ってる人を助けるのに理由はいらない、ってやつよ。気にしないで。じゃあジグザグマについていくつか質問させてもらうわ」
「……はい」
「ジグザグマとは昔からこうなの?」
 昔から。いいえ、と言うのは簡単だけど、ただそれとは事情が違いすぎる。かと言ってそんな突飛な話を言えるはずもない。
 と迷っていると、ユナが先にはい、と答えた。
「本当は幼なじみの男の子のポケモンだったんですけど、ちょっといろいろあって男の子はいなくなって、預かることになったんです。あっ、でも前からジグザグマはわたしのことそんな好きじゃないみたいだったんですけどカノンが預かってからカノンにすごい攻撃的で」
 エレナさんは右手を顎に添えて、真剣な様相で軽く頷く。その挙動にも気品があって、つい目が行ってしまう。
「……じゃあ、ちょっと根掘り葉掘り聞かせてもらうわね」
 そこからは本当に矢継ぎ早にジグザグマの生活について、例えば件の前後での体調変化や食生活についてなどを質問される。ユナが答えれるならユナが先に答えて、細かいところはおれが答える。それを繰り返しているうちに、やがてエレナさんの口が止まった。
 少しの間待っていると、俯いていたエレナさんがパッと顔を上げてこっちを向く。
「一番現実的にありえそうなのは環境ね」
「環境?」
「そう。環境。今まで慣れていたトレーナーから、違うトレーナーに預けられたことによって環境が変わり、気が立ってるんじゃないかしら」
 例えて言うなら、引っ越ししてから慣れるまでは落ち着かないのと同じこと、とエレナさんは表情を緩めて続ける。
「だいたい……。あの様子だと数ヶ月くらいは」
「数ヶ月もするん……ですか」
「何かあるの?」
 気落ちしたおれに変わって、ユナが割って入るように口を開く。
「実はカノン、今週中に旅に出るつもりなんです」
「旅! いいじゃない。……あっ、手持ちがジグザグマだけとか?」
「そうなんですよー。だからちょっと気落ちしたみたいなんです」
「うーん。逸る気持ちも分かるけど、ここはじっくりした方が貴女のためにも、ジグザグマのためにもなるわ。旅をしながらだと、ほら、常に環境が変わった状態でしょ? ポケモンは自然の力とか保護色みたいなワザにも性質が現れてるけど、人間以上に環境の影響を受けやすいの。だから一流トレーナーだってアウェイで戦うときはフルパワーを出せないポケモンがいたりするのよ」
 分かりやすく、もっともだ。もっともだから、何も言い返せない。
 ユナも心配そうに顔を伺う。目が合って、そっと笑みを作ると、ユナも静かに笑ってくれた。
「旅するからにはやっぱりチャンピオンとかを目指すの?」
「いや、コンテスト全制覇です」
「全制覇かあ。もちろんチャンピオンも目指すのは大変だけど、それ並に全制覇も厳しいわよ。覚悟はある?」
 すっ、とエレナさんの目が鋭利な刃物のようにおれを射す。喋り口調は先程と同じように柔らかかったが、こちらを見る表情は一番の真剣さが宿っていた。
 覚悟。具体的にはなんなんだ。分からない。緊張してきた。手が汗ばむ。
 でも全制覇をしたい、してやりたい気持ちに違いはない。これが覚悟なのだろうか?
「絶対全制覇します」
 乾いてシールのようにひっついた口を開け、語気を強めて言い放つ。程なく、エレナさんは小さく頷いた。
「良いわね。貴女の意気込み、伝わったわ」
 どうやらまずいことを言った訳ではないようで、そっと胸を撫で下ろす。
 入れ替わるように、ユナが身を乗り出してエレナさんに質問する。
「エレナさんは最短全制覇記録出してますよね。何かコツってあるんですか?」
「ちょっと待って、最短全制覇記録って?」
「最初にノーマルコンテストに参加してから、マスターコンテスト全部門制覇までにかかった日数のことよ。私はだいたい八年ちょっとくらいだったわ」
「は、八年!?」


  [No.821] 11話 焦燥と尚早 投稿者:照風めめ   《URL》   投稿日:2011/12/14(Wed) 10:59:43   65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 エレナさんのホテルの一室を出て、午後九時過ぎのカイナの街をユナと共に並んで歩く。
 あの後晩御飯をご馳走してもらったり、コンテストの話をしてもらったり、砂だらけになったおれの服を袋に入れてもらったり、さっきの着替えをそのまま頂いたりと至れり尽くせりなエレナさんの優しさには頭が上がらない。いつかまた会おうね、とまで言ってもらった。
 しかもエレナさんはおれ達の質問やコンテストの成功談や失敗談を包み隠さずに教えてくれたが、やはり気掛かりが残る。
「八年かぁ……」
「気にしすぎじゃない?」
「気にするよそりゃ」
「どうしてよ」
「そんなにかかるなんて思って無かったから」
「何事も為すには時間がかかるのは普通じゃない?」
「他人事みたいに言わない。まあ、でもおれらの歳以下でチャンピオンになった奴もいるのに」
「おれ?」
「あ、ごめん……」
 互いに口が止まり、大通りを歩くおれ達の足音だけが静かな通りに響く。
 エレナさんは一年半ほどでハイパーランクを全階級クリアしたが、そこから一年はマスターランクでは結果が出ず、思いきって三年半をブリーダーの勉強に充て、国家資格のA級ポケモンブリーダーを取得。そこから二年弱でマスターランクをクリアし、全制覇者となった。らしい。
 ブリーダーの勉強は大きな寄り道だが、それでもそれが結果を残す糧になった、とエレナさんは言っていた。
 そもそもコンテストはお金がかかる割にはマスターランクで、かっこよさでもかしこさでもとにかく何れかの階級一つはクリアしない限り、収入が少なく赤字続きになるらしい。詳しい事は後程自分で調べてみることにする。
 今言ったように赤字続きな上資金が尽き、途中で社会人を兼任しながらコンテストをやる人もいるらしい。ただでさえマスターランクの異常なまでの難しさも相まって、それ故コンテスト全制覇は時間がかかると言われる。エレナさんの実家はお金に恵まれていたらしく、あまりそっちでは悩まなかったらしいが。
 ともかくただでさえ膨大な時間がかかるのに、さらにジグザグマの件も被さってしまう。
 時間がかかればかかるほど、一つの懸念が生じるのだ。
「これがいつまでか分からない」
 手のひらを見つめながら、突発的にそう小さく呟く。ユナは、えっ? と聞き返した。
「わたしがいつまでカノンなのかの保証が無い」
「あっ……。そういえばそう、よね」
「戻れるかもしれないし、戻れないかもしれない。戻るにしても、いつ戻るかも分からない」
「だよね。そもそもどうしてこうなったかも定かじゃ無いんだもん」
「だから出来るだけ早く。それこそ八年よりももっと早く制覇していかないといけない」
 と、言い終えたと同時に我が家まで辿り着いた。
 二人揃えて足を止めて、互いに顔を見ず、ただただじっとする。
 運命はにべもない。明日や明後日くらいに元に戻っていたらまだしも、ある程度、コンテストをいくらかクリアしてから元に戻ると全てが水泡に帰す。コンテストの記録はカノン名義であってユウキ名義ではないからだ。
「わたし、帰るね」
「あ、ごめん。おやすみ、ユナ」
「おやすみなさい」
 棒立ちしたまま、ユナが自身の家に入り見えなくなるまで、ただじっとその背中を見つめていた。



 ユナに呼び出されたのは翌日の昼過ぎだった。いつものように、ユナの部屋に上がり込み、落ち着きのないルリリを傍目に何かお菓子でもつまみながら喋る。
 今日はやはり昨日のエレナさんの話になった。雑誌のグラビア撮影でこっちに来るんだね、のような昨日の話を反芻するものであったり、エレナさんすごくスタイル良くて綺麗だったね、とエレナさんを賛辞するものだったり。
 過去にどこかで起きたことをただただ言い放つ、まるで進歩のない会話。それは進歩の無かったおれたちのようで、中途半端な居心地の良さがあった。
 空気が変わったのは互いに喋り、語り尽くして口数が減ってきてからだ。
 不意にユナが目をおれから反らし、小さく下を向いた。憂いのような、そんな表情だった。
「出発予定日って二日後だよね」
「うん」
 果たしてユナは何を言いたいのか。再び黙りこくってしまった。
「ジグザグマはどうするの?」
「どうするもこうするもないよ。時間かかるけどなんとかするしかない」
 そう、とだけ返事したユナは、やがて意を決したかのように真剣な面持ちでこちらを見る。
「――しない?」
「はぇ? い、今なんて言ったの」
「わたしのルリリとジグザグマ、交換しない?」
 驚き、というよりは戸惑いだった。予想外のその提案に、おれはどんな表情を浮かべたんだろう。口をパクパクさせていると、更にユナからもう一刺し。
「どっちにしろ最初からルリリは渡すつもりだったの。ルリリは小さい頃に、いつか旅に出れたらコンテストに一緒に出たい、って思って捕まえてもらったポケモンだから、代わりにお願いしたくて……。それにわたしは貴女で貴女はわたしでしょ?」
 名前が上がった当のルリリは事情を分かっていないのか、おれとユナを交互に見ている。ユナはそんなルリリを抱き上げておれに近付き、ルリリを押し付けてきた。
 仕方なく腕の中にルリリを収める。じっと目を見つめあっていると、やがてルリリはニコリと笑みを作った。
「代わりにジグザグマはわたしが面倒を見る。わたしに慣れれたら、カノンにも慣れれる筈よ。だって」
「わたしは貴女で貴女はわたしだから?」
「そういうこと」
 単に語呂がいいから気に入っているだけに違いない。カノンはそれに、と一つ置いて続ける。
「時間がない、でしょ? もっとも時間があるのかないのかさえも分かってないけど」
「うん。分からない以上、早い方がね」
「あともう一つ。今度はわたしからの発表!」
「発表?」
 ユナは振り返って自分の机の上に広げてある本を手にとる。本を畳んでこちらに体を戻すと、本の表表紙をこちらに向ける。
「わたし、ブリーダーになるわ」
 基礎からのブリーディング。まだ新品の本だ。今朝にでも買いに行ったのだろう。
「とりあえず、C級ブリーダーを目指すつもり。C級なら筆記だけでも受けられるらしいし。そのうちちゃんと自分でもポケモン育ててA級ブリーダーまで目指したいな。あ、C級がブリーダーの中で一番下でA級が一番上ね」
「それはいいけどどうしてブリーダー?」
「わたしも何かやりたいことを見つけないと、って前から悩んでて、それでエレナさんとカノンの言ってた事を思い返して昨日ずっと考えてたの。わたしがブリーダー、カノンがコンテスト。二人で分担したら早くなれるじゃない」
 エレナさんは一度ブリーダーの資格をとるために遠回りをしていた。が、その役割を初めから二人でやれば、ということか。なるほど。
「それにジグザグマについても役に立つかもしれないしね」
「そっか。そういうことならお願いするよ」
 重荷が一つほどけたような気がして、やがて顔が綻ぶ。ユナもそっと笑い返した。
「うちのルリリをよろしくね」
「こっちこそジグザグマをお願い」
 ユナはルリリをモンスターボールに戻す。ようやく腕が自由になり、スカートのポケットからジグザグマのボールを取り出すと、互いにパートナーのボールを右手に乗せて差し出す。そして、新たなパートナーのボールを左手で受けとる。
「もうすぐだね」
「うん」
 出発予定日までは僅か二日。こうしてユナといられるのも、あって十時間くらいだ。
 胸の高ぶりと共に、どことない寂しさも混じるけど、旅とはそもそもこういうものなのかもしれない。
 もう後戻りは出来ない。


  [No.894] 12話 船出と後悔 投稿者:照風めめ   投稿日:2012/03/11(Sun) 18:49:37   61clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 姉貴からもらったお下がりの大きなバッグに、用意した荷物を順に積めていく。形の大きいものから下に敷き詰めて、詰め方も工夫しながら出来るだけスペースを考えて行く。入れたり出したりを繰り返して、ようやく納得が行く形になった。
 カイナから最初に目指すのはノーマルコンテストの会場があるシダケタウンだが、その道中にキンセツシティを経由する。徒歩だと平均一日半かかると言われているから、着替えは一日分だけでいい。なんせ筋力が大きく落ちているのだから多くは持っていけない。
 そして棚から他に必要なものを探していると、背後でドサッと嫌な音がした。振り返ればバッグがもぞもぞ動いている。
「ちょっ! あぁ、ほんと勘弁してよぉ」
 いつの間にかバッグに潜り込んで暴れていたルリリをひっぺがす。せっかく整頓したバッグの中身がぐちゃぐちゃに散乱している。
 ルリリがユナの元にいた頃から分かっていたが、このルリリは非常に陽気な性格で、なおかつお調子者だ。目を離すと尻尾を使ってあちこち跳ね回って遊んでいる。
「ほんとお願いだからバッグだけはやめて。……はぁ、また詰め直しかよ」
 仕方なくルリリをモンスターボールに戻す。早くなついてもらうためにボールから出していたんだけど、この調子だとなつく以前の話だ。
 静かになった部屋で、もう一度荷物を詰め直す。一度やったことの繰り返しなだけなので、思ったよりは苦労をしなかった。
「荷物の準備終わったよ」
 階下まで降りるとパソコンに向かい合ってる姉貴がいた。パソコンから伸びているケーブルの先には……ポケナビ?
「お疲れ様。今こっちも終わるからちょっと待ってて」
「何してるの?」
「ポケナビにガイドマップとか使えそうなアプリケーションを片っ端から突っ込んでるの。ただのマップじゃなくてどっちに進むべきかとかも示してくれる地図とか、あとはポケモンのコンディションを簡単に見られるものとか……。お、終わった終わった! えっと、使い方はまた追々教えるから」
「追々ってもう明日じゃん」
 眉をひそめてそう尋ねると、姉貴は笑ってこう言った。
「言わなかったっけ? しばらくの間だけカノンだけじゃ不安だから付いていくの」
「えっ? 聞いてないけど」
「じゃあ今聞いたね」
「今聞いたね、ってむちゃくちゃな」
「あんたも一人よりは安心でしょ。いろいろ手助けしてもらった方が気も楽だし」
「そ、そうだけど……」
 強引にも限度があるだろうに。気の楽さで言えば一人の方があるだろうけど、それでもまだ一応先輩トレーナーの姉貴がいると困ることも少ないだろう。もっとも、いくら頭の中で考えたところで姉貴が一度こんな風に言い出したらおれの話は一切聞かないんだけどね。
「じゃあ明日だし、先に寝るね」
「はいはい、おやすみ」
 その日の夜は、緊張よりも疲れが勝って案外すぐに眠れた。



 カイナシティ北部、110番道路との分岐点。街と道路の境に位置するアーチの下。おれと姉貴を日傘を持ったユナが見送りに来てくれた。
「無理して見送らなくてもいいのに」
「しばらく会えなくなるんだから顔見て見送りたいなって思って」
「顔なら同じ顔なんだから鏡見れば良いのに」
 とふざけたことをいっていると、コツンと姉貴が優しく頭を叩いた。
「せっかく来てくれたのにそんなこと言わないの」
 手を口に当てて笑うユナをよそに恨めしげに姉貴を眺める。おれが男だったときは本気で殴ってきたのにこの差はなんなのか。姉貴を見上げることには慣れたもののこの扱いの差は未だに慣れない。
「どうせすぐにハイパーコンテストのために戻って来るから、そんな顔しなくても大丈夫だって」
「うん……。何かあったら電話してきてね!」
「そっちこそ」
 と、そこまで言うと互いに次の言葉が出ない。体調に気をつけて、勉強頑張って、応援してくれ、等々パッと浮かんでも何を今言うべきなのかが分からない。本当に言いたいことはある。それは分かっている。今言わなければいつ言えばいいか分からない言葉があるんだ。……でも心のどこかにひっかかって出てこない。
 そんなおれに気付いてか、ユナも喋り辛さを感じたらしく徐々に頭が垂れてくる。
「もう、そんな辛気臭い雰囲気にしちゃダメよ二人とも。こういうときはシャキッとする! 行くなら早く行くよ」
「えっ、ちょっと!」
「ちょっと何よ」
「いや、そのぉ……」
「男でしょ、言いたいことがあるならはっきり!」
「女なんだけど」
「それもそうね。って遊んでる場合じゃなくて! うだうだしてないで言いたいことはちゃっちゃと伝えてさっさと行く! 待たされる身にもなりなさいよ」
「えっと……、それじゃあまた後でね。アサミさん、カノンをよろしくお願いします」
「あたしがいるから大船に乗ったつもりでいて大丈夫よ。ほら、カノンも」
 ふいに名前を呼ばれた姉貴はバシバシとおれの肩を叩く。そんな様子を見て、くすりとユナが笑った。
「えっ、うん。また後で」
 ぎこちない挨拶を交わして、先に歩き出した姉貴の後をついていく。曲がり角を曲がってユナの姿が見えなくなるまで、何度か振り返って手を振った。ユナの姿が見えなくなってから、改めて本当に旅に出たんだななんて気がした。
 そんな様子を見たからか、姉貴が溜め息混じりにこう切り出す。
「あたしが付いてきて正解だったでしょ? あたしがいなかったら五年はそこにいたわ」
「五年って……。だって本当に何て言えばいいか分からなくて」
「そんなの行ってきますとかでいいじゃない」
 あんまりな姉貴のそれに、そういう意味じゃない、と返しかけたが、姉貴に話す気にならなかったので黙っておいた。
 何度か振り返り、離れていくユナとカイナシティが小さくなっていく。
 今まで生まれてきてからずっと過ごした街が遠ざかる。スクールの友人と灯台の下で遊んだこと。姉貴と市場で買い物したこと。バトルテントで張り切ったこと。二階にあったおれの部屋。ユナと過ごした毎日。煩雑に愛しい大切な記憶が立て続けにフラッシュバックしていく。一つ一つ浮かぶ度に、懐かさと寂しさが綯(な)い混ぜになって胸が締め付けられていく。
 ……結局、大事なことを伝えられないままだった。本当なら次のユナ、もといカノンの誕生日に告白するつもりだった。おれがこうなった以上叶わなくなったその悔いをせめて、とさっき言いたかったのに、やっぱり言えず終いだった。
 曲がり角を曲がって街が、ユナが見えなくなる。何かが欠けたようなぼんやりとした不安に駆られながらも、姉貴に促されて見知らぬ土地を歩み出す。