ぴちょん。どこかで水が滴った。
薄暗い世界は、まるで洞窟のように静寂に包まれていた。そこには鍾乳洞の中のように、波紋を残した尖った岩があちこちから突き出ている。終わりもなく、始まりもない、現世と分かれた不思議な世界。透明なガラス球のような球体が大小さまざまな大きさで宙を漂い、立ち込めた白い霧が悪戯好きな妖精となってきらきらと笑い誘う。
「アグノム……」
青く澄んだ湖の畔で、誰かが呟いた。ほっそりと痩せたしなやかな体と、細長い顔に半開きになった海色の瞳。額には翡翠色の玉を下げた細い紐が真一文字に横切っている。
傍らにたたずむ青い光が、その者に答えるかのように鈍く輝いた。
『まさか、こんなことになるなんてね……』
光がゆっくりと“彼女”に近づくと、照らされたその体に小さな膨らみが二つ、陰影を残してよく映えた。光は慈しむようにして彼女の周りをくるくる回った。
『まだこんなに幼いのに……これも運命か』
彼女の体の小さな膨らみ。それは、彼女に抱き抱えられた二匹の子供だった。何も知らない無垢な表情で、静かに瞼を閉じている。
「そんなに気を使わないで、アグノム。私、何となくこうなるような気はしていたの」
そう言って、彼女は笑った。誰もが作り笑いだと分かるほど、悲しみを堪えた表情で。
「仕方のないことなのよ。これは竜の血をひく者の、遠い昔からのさだめ」
『…………』
「でもね」
不意に、彼女の強張った頬をつたう一滴。
「できることなら、もっと、平和な時代に産んでやりたかった……!」
彼女は声を震わせ、子供たちをぎゅっと抱きしめた。この上もなく強く。この上もなく優しく。
『……シア』
光は黙って親子の様子を見守っていたが、おずおずと前に出た。
『悪いけど、もうあまり持ちそうにないんだ。子供たちを……』
「ええ……分かってる」
眠り続ける子供たちに、彼女は静かに笑いかけた。
「ごめんね……」
水鏡が割れた。波紋が幾重にもなり、彼女の足取りを湖に印しては消えてゆく。
湖の中心まで来ると、青い光がゆらゆら揺れた。
『準備はいいかい?』
「ええ」
悲しき宿命。逃れることは叶わない。でも、できることなら。どうか、この愛しき命たちに、今しばらくの平穏を。
彼女は額についた宝石の飾り紐を引きちぎり、祈りを込めて二匹の子供の間に当てやった。
光が白みを帯びて輝きを増す。彼女の頬を濡らした涙がきらりとそれを反射した。
「ノウ、リオ……必ず、絶対生き抜いてね……!」
ぴちょん。こぼれ落ちる一滴、そして――
ザパーン!
大きな水音。白い光が二つの体を包み込む。眩い輝きが芽吹いたばかりの若葉に染み込み、全てを溶かして新たな息吹が生み出される。脈々と波打つ命の鼓動。立ち上るいくつもの気泡。二つの体の輪郭を、青く透き通らせて煌めかせ、アグノムの光は弾けて散った。遠ざかる水音。混沌とした世界が七色の本流に飲み込まれ、あちらこちらに飛散して、色の洪水が押し寄せる。
そして変化のときは唐突に終わりを迎える。
闇色の濃淡を残した雲の隙間から、いくつもの光の矢が放たれた。
柔らかな風、ひんやりとした草の感触、繋がれた、青と赤の小さな手。
ゆりかごから投げ出された二つの命は、朝焼けの中、静かに始まりのときを迎えようとしていた。
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はじめまして!サンと申します。
はるか遠い昔に辺境の小説板に投稿していたものを
原型もわからなくなるぐらいに修正してみました。
いろいろぶっ飛んだ設定も多いし
広げた風呂敷をどこまで回収できるかわかりませんが
少しだけお付き合いいただけるとうれしいです!
【批評していいのよ】