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  [No.561] 七色列島物語 投稿者:サン   投稿日:2011/07/03(Sun) 13:20:27   59clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 ぴちょん。どこかで水が滴った。
 薄暗い世界は、まるで洞窟のように静寂に包まれていた。そこには鍾乳洞の中のように、波紋を残した尖った岩があちこちから突き出ている。終わりもなく、始まりもない、現世と分かれた不思議な世界。透明なガラス球のような球体が大小さまざまな大きさで宙を漂い、立ち込めた白い霧が悪戯好きな妖精となってきらきらと笑い誘う。

「アグノム……」

 青く澄んだ湖の畔で、誰かが呟いた。ほっそりと痩せたしなやかな体と、細長い顔に半開きになった海色の瞳。額には翡翠色の玉を下げた細い紐が真一文字に横切っている。
 傍らにたたずむ青い光が、その者に答えるかのように鈍く輝いた。

『まさか、こんなことになるなんてね……』

 光がゆっくりと“彼女”に近づくと、照らされたその体に小さな膨らみが二つ、陰影を残してよく映えた。光は慈しむようにして彼女の周りをくるくる回った。

『まだこんなに幼いのに……これも運命か』

 彼女の体の小さな膨らみ。それは、彼女に抱き抱えられた二匹の子供だった。何も知らない無垢な表情で、静かに瞼を閉じている。

「そんなに気を使わないで、アグノム。私、何となくこうなるような気はしていたの」

 そう言って、彼女は笑った。誰もが作り笑いだと分かるほど、悲しみを堪えた表情で。

「仕方のないことなのよ。これは竜の血をひく者の、遠い昔からのさだめ」

『…………』

「でもね」

 不意に、彼女の強張った頬をつたう一滴。

「できることなら、もっと、平和な時代に産んでやりたかった……!」

 彼女は声を震わせ、子供たちをぎゅっと抱きしめた。この上もなく強く。この上もなく優しく。

『……シア』

 光は黙って親子の様子を見守っていたが、おずおずと前に出た。

『悪いけど、もうあまり持ちそうにないんだ。子供たちを……』

「ええ……分かってる」

 眠り続ける子供たちに、彼女は静かに笑いかけた。

「ごめんね……」

 水鏡が割れた。波紋が幾重にもなり、彼女の足取りを湖に印しては消えてゆく。
 湖の中心まで来ると、青い光がゆらゆら揺れた。

『準備はいいかい?』

「ええ」

 悲しき宿命。逃れることは叶わない。でも、できることなら。どうか、この愛しき命たちに、今しばらくの平穏を。
 彼女は額についた宝石の飾り紐を引きちぎり、祈りを込めて二匹の子供の間に当てやった。
光が白みを帯びて輝きを増す。彼女の頬を濡らした涙がきらりとそれを反射した。

「ノウ、リオ……必ず、絶対生き抜いてね……!」

 ぴちょん。こぼれ落ちる一滴、そして――

ザパーン!

 大きな水音。白い光が二つの体を包み込む。眩い輝きが芽吹いたばかりの若葉に染み込み、全てを溶かして新たな息吹が生み出される。脈々と波打つ命の鼓動。立ち上るいくつもの気泡。二つの体の輪郭を、青く透き通らせて煌めかせ、アグノムの光は弾けて散った。遠ざかる水音。混沌とした世界が七色の本流に飲み込まれ、あちらこちらに飛散して、色の洪水が押し寄せる。
そして変化のときは唐突に終わりを迎える。
 闇色の濃淡を残した雲の隙間から、いくつもの光の矢が放たれた。
 柔らかな風、ひんやりとした草の感触、繋がれた、青と赤の小さな手。
 ゆりかごから投げ出された二つの命は、朝焼けの中、静かに始まりのときを迎えようとしていた。





―――――――――――――――
はじめまして!サンと申します。

はるか遠い昔に辺境の小説板に投稿していたものを
原型もわからなくなるぐらいに修正してみました。

いろいろぶっ飛んだ設定も多いし
広げた風呂敷をどこまで回収できるかわかりませんが
少しだけお付き合いいただけるとうれしいです!

【批評していいのよ】


  [No.573] 一、花風 投稿者:サン   投稿日:2011/07/08(Fri) 15:44:40   51clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「リオー! 早く早くー!」

「待ってよノウー!」

 青空の下に、甲高い元気な声が響き渡った。細い木々や家々の間を縫うように走る、二つの影。片や後ろを急かし、片や前の者を必死に追う。

 ここは人間のいない、ポケモンだけが住む世界。そこには気候も地形も全く異なる七つの島々が、一つの大きな島の周囲をぐるりと囲むように存在した。この個性豊かな八つの島々は、七つの島をそれぞれ色になぞらえて、七色列島と呼ばれていた。

 花の香がどこまでも広がる自然豊かなこの島は、七色列島の中心部、レインボーアイランド。見渡す限りの大草原がどこまでも続き、生き物たちの集う森が所々に点在する。八つの島々の中で最も広い面積を持つ島だ。



「マフィンさーん!」

 遠くから響いた声に、オオタチのマフィンは畑仕事の手を止め顔を上げた。見ると、長い耳をぴょこぴょこ揺らして、オレンの木々の間を小さなポケモンが走ってくる。
 黄色い体に青い頬。小さなねずみのような姿の電気ポケモン、マイナンだ。
 マイナンは目の前までやって来るなり、布地の肩掛けかばんの中から真っ白なビンを取り出して見せた。

「はいっ、モーモーミルクの配達だよ!」

「あらあら、どうもありがとう」

 ずっと走ってきたのだろう。すっかり泡立ったモーモーミルクを受け取って、オオタチはにっこり笑った。それから、すぐに何かが足りないことにふと気付く。得意満面のマイナンの後ろに目をやるも、オレンの木々が作り出す一本道が変わらぬ様子で丘の向こうまで伸びているだけである。

「ノウくん、いつも一緒の双子の妹さんは?」

 きょとんとするマイナンの代わりに、オレン畑の向こうから答えが聞けた。

「もうノウってば、置いてかないでよー!」

 どうやら妹は、木々の作り出す壁で兄とはぐれてしまったらしい。子供らしい甲高い声は今にも泣き出しそうである。青々と茂る葉が幾重にもなり、近くにいるらしい彼女の姿をすっかり隠してしまっている。

「リオー、こっちだよー!」

 マイナンが緑の垣根に向かって大声で叫ぶと、がさがさと木々を掻き分ける音が近づいて、やがて一匹の小さなポケモンが飛び出した。先に来たマイナンとは、ねずみのような容姿であるのは同じだが、彼女は黄色い体に赤い頬、プラスルだ。垂れ下がった右耳には、可憐な青い花飾りをつけている。
 その海色の瞳がマイナンたちを捉えると、ほっとしたようにプラスルの顔が緩んだ。

「あぁ……やっと追いついた。もうノウってば、急に走り出すんだもん」

「えへへ、ごめんごめん。あんまりいいお天気だったから、つい……」

 ピンク色の舌を覗かせて、いたずらっぽい笑顔を見せる兄、ノウに対して、妹のリオは小さくため息をつく。そんないつもどおりの双子の様子を見て、オオタチは微笑んだ。

「あら、そうだわ」

 マフィンはふと思い出したように呟くと、足元にある籠から何やら取り出した。

「うちの畑で取れたのよ。持って行ってちょうだいな」

 二匹は思わず目を輝かせた。薄桃色のマゴの実。内側に丸め込まれたその形が、秘めた甘さを物語る。つやつやとした表面が、早く食べてくれと言わんばかりに食欲をそそらせる。

「うわぁ……おいしそう!」

「ありがとうございます、マフィンさん!」

 一匹に一つずつ、それぞれ完熟した木の実を受け取ると、二匹とも大事そうにかばんの中にしまい込んだ。何度も何度も口紐の閉まり具合を確認して、最後にしっかりと結ぶとマイナンはぴょんと小さく飛び跳ねた。

「じゃあぼくたち行くね。リオ、帰ろう!」

 言うや否や、一目散に駆け出した。慌てたリオが声を上げる。

「あっ、待ってよノウ! さようならマフィンさん、またお店にも来てくださいね!」

 妹はぺこりと軽く頭を下げ、大急ぎで兄の後を追いかけた。取り残されたオオタチは、初めは呆気にとられていたが、はっと我に返り、両手で口を囲って声を張り上げた。

「気をつけて帰ってねーっ! モリアさんによろしくー!」

 聞こえたかしら、と呟くと、緑の木の葉が音を立てて笑った。
 片手の牛乳ビンに視線を落とすと、もうほとんど泡が消えかけている。遠ざかって行く二つの小さな背中を見つめて、マフィンはふぅっと息を吐いた。

「あの子たちがこの村に来て、もう随分経つのね」

 また風が吹き、オレンの木々がざわめいた。遥か向こうにそびえる名峰、アルカンシエルの頂から、穢れ無き真っ白な雲が流れてくる。

「……本当に、元気に育って」

 風の音の中で、子供たちのはしゃぐ声がいつまでも響き渡った。



 二匹は丘を越え、緑の坂道を尻で滑り、走って走って帰路を急いだ。風に吹かれてふわふわ浮かぶハネッコの群れの真下をくぐり、道行くジグザグマやコラッタたちと簡単な挨拶を交わして、何の前触れもなく地中から飛び出したディグダにつまずきそうになりながらも、その足取りは止まらない。
 ここシラカシ村はそう広い村ではないものの、プラスルとマイナンの小さな体で走り回るには充分すぎる。
 太陽はとうに南の空の頂点へと達し、草原全体を容赦なく照らしつけている。二匹は帰路を急いでいた。

「ねぇリオ、何かいいにおいがしない?」

 ノウはひくひくと鼻を動かした。頬を撫でるそよ風に乗って、ほんのりと甘い香りが漂っている。
 隣を走るプラスルがすかさず答えた。

「これ、はなつめくさのにおいだわ。そろそろ咲き始める時期なのよ」

「ふぅん、よく知ってるねぇ」

 ノウが感心したように唸ると、リオはにっこり笑った。

「うん! わたしの一番好きなお花だもん」

 右耳につけた花飾りがしゃらんと音を立てた。赤い耳に青色の花はよく映える。いつもつけている、リオのお気に入りの耳飾りだ。

「おーい! ノウくーん、リオちゃーん!」

 丘の向こうから何やら呼び止める声がする。二匹が振り返ると、こちらに向かって走る小さなポケモンが三匹ほど。右からウパー、ニドラン♂にチェリンボだ。

「あっみんな!」

 返事のつもりで大きく手を振ってから、リオは彼らの様子にはっとした。三匹ともひどく取り乱しているように見えるのだ。何かあったのだろうか、横目でちらりと兄を見ると、やはり同じことに気付いたらしい。ぴくりと青い耳を動かすと、すぐさま彼らの元へと駆け寄っていく。

「おはよう! マルル、ランディ、それにチェルシーも。みんな、どうしたの?」

「ノ、ノウくん! 大変なんだよ!」

「UFOが……UFOが森の上に浮いてるんだ!」

 荒く息を切らしてウパーとニドラン♂が声をもらす。

「UFO?」

 後から来たリオが首をかしげると、チェリンボのチェルシーがまくし立てるように話し出した。

「なんだかね、青く光りながらふわふわ飛んでるの! 最初はアサナンが瞑想でもしてるのかなって思ったんだけど、動き方がなんだか不気味で……」

「ほら、あそこ!」

 一角兎ニドラン♂のランディが頭に生える小さな角を振りかざし、ある一点を指し示す。ノウは背伸びをして額に片手をかざし、よーく目を凝らしてみた。ここからそう遠くない森、青々と茂る深緑の木々の上に、ふわふわと浮かぶ見慣れぬ物体が。

「ほんとだ……何だろう、あれ」

「分かんないよう」

「大人を呼んできたほうがいいのかなぁ……?」

 ウパーのマルルが落ち着き無くぱたぱたと尻尾を地面に打ち付けた。チェルシーは不安げにつぶらな瞳を潤ませ、いつも陽気な立ち振舞いのランディも長い耳を背中にぴったりくっつくほどまで寝かせている。
 ノウとリオはしばらくの間、じっと空に浮かぶ謎の物体を観察してみた。森の上に浮かぶそれは、大人しく静止しているかと思えば何の前触れも無しに突然すぅっと動き出す。天に昇ろうとしたかと思えば、また不規則に右へ左へ行ったり来たり。おまけに青鈍色の淡い光をぼんやりと宿しているのだから、チェルシーの言うとおりなるほど確かに不気味である。

「あっ……」

 放心したように声を漏らしたのはリオだった。
 どこへ行くでもなく漂っていた物体は、突然糸でも切れたように落下を始めた。枝からちぎれた木の葉が右へ左へひらひらと舞い散るように、あるいは、日の入りの早い時期に空から舞い降りる白い天使たちのそのように、ゆっくり、ゆっくり、重力の赴くまま落ちてゆく。やがて鈍い輝きは力を無くし、ほうき星となって青空に溶けた。

「え……消えちゃった、の?」

「さぁ、森に落ちたようにも見えたけど」

 マルルとランディが首を傾げ合う。その間をおずおずとチェルシーが割って入った。

「ねぇ、やっぱりあれ、ポケモンだったんじゃないかしら?」

「ポケモン!?」

 とうとうノウの好奇心が発火した。

「ぼく、ちょっと見てくる!」

「ええっ!?」

 ノウが元気よく飛び出そうとした瞬間、首が曲がりそうになるほどの衝撃に止められた。ぐぇ、と苦々しい唸りを上げ後ろを見ると、ランディがノウのかばんをくわえて必死に踏ん張っているところであった。

「な……何、するんだよぅ……」

「ダメだよー! 危ないって!」

 すかさずマルルとチェルシーが回り込み、ノウの体を押さえ込む。

「そ、そうだよ。あれが何なのかも分からないのに!」

「それに子供だけで森に入るなんて! いくらなんでも危なすぎるわ!」

「わ……分かった……分かったからっ」

 生返事はしたものの、彼らの言葉はよく聞き取れなかった。なおも首の絞まり具合は緩む気配がない。ノウは涙目になっていた。なんとかこの状況を打破しようと、慎重に右手を伸ばしてニドラン♂の体を探り当てる。が、そのために後ろのめりになったのがいけなかった。

「あ」

 急にふわりと両足が浮いたかと思うと、一気に左肩が重くなる。頭がぐるりと回転し、視界いっぱいに大口を開けたばけもののような紫色の棘棘が広がった。

「うわぁっ!」

 思わずぎゅっと目をつむる。
 どしん、衝撃とともに、胸が押しつぶされそうになった。恐る恐る目を開ける。横たわるニドラン♂の顔が真っ先に目に入った。少しだけ首を動かすと、紫色の毒々しい棘がぎらりと光る。落ちた場所がほんの少しでもずれていたら。顔中の毛がぞっとそそけ立つ。

「ちょ、どけよ! 重たいってば!」

 腹の下でランディがばたばたと身もがきした。とはいえノウの体も満足に動けない。背中には、ウパーとチェリンボ二匹分の体重がのしかかっているのだ。しぼんだ肺から苦しい息を吐き出した。

「チェルシー……ちょっと、先、どいて」

「ごめん、待って、葉っぱが、ちょっと引っかかっちゃって」

「痛い痛いっ! えらは踏まないでっ!」

「おい気をつけろよ! おれの棘に触ったって知らないぞ!」

 すっかりぐちゃぐちゃになって揉める四匹の子供たち。そんな彼らの横を、小さな風が走り抜ける。ノウは、それを見た瞬間、全身に水を被ったような感覚に襲われた。他の子供たちも同様だった。
なぜなら。

「リオ……?!」

「リオちゃん! どこへ……」

 長い耳を揺らして走るそのポケモンは、ノウたちの呼びかけにも応じることなくまっすぐに森へと向かっていく。
 ノウは腹に力を込め、思い切り身を振るった。あっけにとられたマルルとチェルシーが背中から転がり落ちる。立ち上がり、ランディの口からかばんをひったくる。自由の身だ。

「おいノウ! お前まで」

「ごめんランディ、大人にはナイショにしてて!」

 振り返りそれだけ言うと、ノウは足を速めた。先を走るプラスルは、依然としてペースを緩める気配はない。
 妙な焦りを覚える。何か、急がないと、何かが手遅れになってしまいそうな、頭にこびりつく嫌な予感。
 追い風が足の運びを手伝った。

「ナイショ、って言ったって……」

 取り残された子供たちは互いにぽかんとした顔を見合わせた。風が吹き、遠く深緑の海が誘うように大手を振る。三匹はじれったいようにまごまごと口を動かし、困ったように足を踏みかえ、やがて――

「お、おれたちも行くよ!」

「ノウくーん! 待ってよー!」

「あっちょっと、ねぇ置いてかないでー!」

 村外れの森が大きくざわめいた。日の光さえ届かない臼闇の森の中へ、はなつめくさの香りと共に、風が冷たく吸い込まれていく。


  [No.636] 二、村外れの森 投稿者:サン   投稿日:2011/08/11(Thu) 17:21:16   66clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 森の中は、まだ日中だというのに驚くほど静寂に包まれていた。暗幕を被せたような臼闇の中には、生き物の気配など微塵も感じられない。ひなびた生白い木々の上からもつれるように不気味な蔦が腕をたらし、足元はたっぷり湿気った落ち葉が一歩進むごとにぐしょりと歪んだ音を立てる。
 ノウは、葉っぱをかき分けひたすら前にいるであろう妹を追いかけた。彼がどんなに走っても、とうとう森の入り口までに追い付くことができなかったのだ。幸い、少し先の方でがさがさという音がして、よくよく目を凝らせば草が手招きするようにゆらゆらと揺れていた。
 盛り上がった根っこの間を潜り抜け、腐った倒木はよじ登って乗り越えて、何度かぬかるみに足をとられながら、それでもノウは、遅れまいと必死に揺れる草を追い続けた。そんな悪路がずっと続いたものだから、歩き続けて十分と経たぬうちに手や足は擦り傷だらけ、顔は汗と泥にまみれてぐちゃぐちゃになっていた。
 ひときわ大きな葉っぱを潜ると、突然ぱあっと視界が開けた。何の準備もなしに新鮮な光にさらされて、ついノウは顔をしかめた。光に慣れるまでじっと待ち、ゆっくりと目を開く。澄んだ青空。太陽が活発に白い光を発している。
 こんな森の中にも開けた場所はあるのかとほっとして、視線を落とした。すると、妙な違和感を覚えた。
 野草の茂る小さな湿地に、何やら不似合いな黄色いものがちょこんと座っている。
 ノウは駆け出した。

「リオ!」

「あっ……ノウ」

 振り返った妹は、やはり泥だらけの顔をしていた。
 よかった、無事だった。
 ほころびかけたノウの顔は、リオの後ろにあるものを見て旗色を変えた。誰かいる。青い三角形の、頭とおぼしきものが、草に突っ伏している。

「うわぁ! ねぇきみ、どうしたの!?」

 ノウはリオの傍らに身を滑り込ませた。
 見たことのないポケモンだ。ひょろりと頼りなげな体の割に大きな頭には、真っ赤な宝石が額を飾り、どこか高貴な雰囲気をかもしている。閉じられたまぶたは一向に開く気配がない。

「わたしが来たときにはもう、ここに倒れてたの。話しかけても全然返事がないし……どうしよう……」

 リオが不安を訴えるようにノウを見た。ノウは、無造作に投げ出されたか細い腕を手に取り揺さぶった。

「ねぇ、大丈夫!? 起きてってば!」

 うう、と呻き声がもれて、双子は顔を見合わせた。灰色の腕がノウの手の中で小刻みに震え、その細い先が助けを請うかのようにのたうった。リオが、それを包み込むようにぎゅっと握りしめてやる。

「ほら、しっかりして……!」

 やがて三角の頭が金色の瞳を開き、ぼんやりと顔をあげた。

「ああ、よかった! 気がついた」

 ノウとリオのほうっと吐いた息が重なった。青いポケモンは、まだ焦点の合わない目を何度か瞬き、かすれたような声で言った。

「こ……こは……?」

「ここはシラカシ村の外れの森です」

 リオが汗ばんだ手をそっと開いた。

「あなたは誰? どうしてここに?」

「ぼくは、アグノム……」

「あぐのむ?」

 ノウは口の中で反芻したその響きに妙な感覚を覚えた。どこかで聞いたことがあるような気がしたのだ。

「そうか、ぼくは、村の森に……」

 行き倒れのポケモン、アグノムは、ため息のようなかすかな声をもらして身じろぎした。ノウとリオは頭の方に回り込んで起き上がるのを手伝った。その際、ふと、虚ろだったアグノムの目が二匹をとらえた。ぼんやりと濁った瞳が何かに気づいたように見開かれ、次第に、その体が小刻みに震え始めた。異変を感じたリオがそっと顔をのぞきこむ。

「あの、どうかしたんですか?」

 アグノムは、何か信じられないものでも見るように、驚きをたたえた表情で双子を見つめた。わなわなと震える唇から、少しずつ言葉がもれる。

「ま……まさか、ノウ……リオ……」

「え? なんでぼくたちの名前知ってるの?」

「前にどこかで会いました?」

 二匹はきょとんとした顔を並べた。

「まさか……そんな、なんてことだ……」

 アグノムは思い詰めたように頭を抱えて独り言のように呟くと、ふらふらと宙に浮かび上がろうとした。が。

「あっ、危ないよ!」

 ノウが叫んだ途端、再び力無く地面に伏してしまった。慌ててリオが駆け寄った。

「まだ寝ていた方がいいですよ! そんなにふらふらなのに」

「ぼ……ぼくの、ことは、いい、から」

 アグノムは肺から息をしぼり出すように、苦しそうに顔を歪めた。

「ノウ、リオ……すぐに、ここから、離れ、るんだ……」

「え? どうして?」

「いいから……時間、が、ないんだ……きみたちが、ここにいてはいけない」

 ここにいてはいけない? それって、どういうことなんだろう。
 ノウがもう一度問いかけようとしたとき、突然、耳が裂けそうになるほどの咆哮が大気を揺るがした。この辺りで暮らす者の声とはまず違う、怒りを露にした、猛り狂った叫び声。何かが、この村に、森に、近づいてくる。
 ふいに、声が止んだ。辺りは不気味なほどに静まりかえり、冷たい風が吹き抜ける。
 ノウははっとしてアグノムを見た。アグノムは、鋭い眼差しで青空を睨みつけている。

「奴が、影が来る――!」

 そのとき、ざわめいた木々の真上から、巨大な怪鳥が姿を現した。煌々と輝く太陽を背に、その影は長い尾をうねらせ翼を広げて見せる。
 誰かがノウの肩をつかんだ。驚き振り返ると、リオが怯えた目をして怪鳥を見上げていた。

「逃げるんだ! 早く!」

 アグノムの声を合図に怪鳥が翼をきった。蛇のような頭がぬぅっと伸びて、こちらをめがけてまっすぐに突っ込んでくる。
 ぶつかる!
 ノウはとっさに妹の体を抱え込み、ぎゅっと目を閉じた。何らかの痛みを覚悟した。ぎゃおおぉう! 怪鳥が怒りの雄叫びをあげるのが聞こえた。恐る恐るまぶたを開けて、ノウはあっと声をもらした。怪鳥が藍色の淡い光にしめつけられて、苦しそうにもがいている。

「は……やく、今の、うち、に……」

 アグノムが、両手を怪鳥にかざしたまま二匹に唸った。だが、すでに限界の近いアグノムの力では、怪鳥の巨体を完全に縛り切ることはできなかった。
 怪鳥はむりやり念力を弾き返すと、間髪いれずに原始の力を解き放った。無数の岩が迫り来る。アグノムはぎりぎりのところで光の壁を展開させたが、それは威力を削ぐだけのものであり、直撃は免れない。アグノムは、次々と覆いかぶさるような痛みをじっとこらえていたが、畳み掛けるように怪鳥が距離を詰めた。振りかざした尾が鋭い一撃となって腹を薙ぐ。吹き飛ばされた勢いでアグノムは木に激突し、そのままずるずると倒れ込んだ。怪鳥が空中を滑るように飛び、追い討ちに迫る。

「だめ……お願い、やめて! これ以上やったら……!」

 こらえきれず、リオは駆け出した。
これ以上見ているなんてとてもできない。
 相対する二匹の間に飛び込むと、精一杯に手を広げた。
血走った目をした怪鳥がみるみるうちにリオに迫る。
 ノウは四肢に力を込めながら、じっと怪鳥を見つめていた。
 チャンスは一度きり。大した戦い方も知らない自分ができるのは、隙を見つけて叩くことだ。
 低空飛行を続ける怪鳥が、その長い首を伸ばして大口を開いた。
 ――今だ!

「えーいっ!」

 ノウは気合いとともに蛇の頭に飛びついた。怪鳥が戸惑ううちに大きく息を吸い、吐き出す代わりに、激しい電撃を弾けさせる。
 ぎゃおおぉう! 怪鳥がたちまち悲鳴をあげ、振りかざした頭の先から小さなマイナンが宙を舞う。

「ノウ! 危ない!」

 リオが悲鳴のような声で叫んだ。
 そのすぐ隣を、真っ黒な獣が風を残して駆けていった。


  [No.689] 三、黒犬 投稿者:サン   投稿日:2011/09/02(Fri) 19:59:26   44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 空中に放り出されたノウは、頭がくらくらして息が詰まりそうになった。あんなに地面が遠い。視界の端でリオが何かを叫んでいるのが見えたが、耳元で聞こえるのは風の唸りだけだ。なす術もないまま空気の塊の中を落ちていく感覚が、やたら新鮮に感じられた。
まぶたをきつく閉じようとしたそのとき、ノウは、自分の体がふわりと浮き上がるのを感じた。
いや、これは、誰かが背で受け止めてくれたのだ。
 風の音の中で、ノウは確かにその者のささやきを聞いた。

「しっかりつかまってろ」

「……え?」

 だん、と地を蹴る振動の後に、ノウは、風の中を飛んでいるような感覚に包まれた。青空がぐんと近づき、また遠ざかる。振り落とされそうになって、ノウは慌てた。なんとかつかみやすそうな白い出っ張りを探り当て、夢中でそれにしがみつく。するとそれを感じたのだろうか、ノウを背に乗せたその者は、更に力強く大地を蹴って駆け出した。
 あっけにとられたままに揺られていると、ふいに、あの怪鳥が空へと飛び上がるのが見えた。大きく首を仰け反らせたかと思うと、振り下ろした勢いに乗せて破壊光線が空を切る。ノウは急いでその軌道の先を目で追った。
 リオがいる! アグノムを庇い出たまま、恐怖のあまり立ちすくんでいる。
 妹の姿を確認したその瞬間、ノウの体が大きく揺れた。
 ノウを背に乗せたその者は、一瞬にしてリオの前へと躍り出るなり灼熱の炎を吐き出した。怪鳥の放った破壊光線と、火炎放射が真っ向からぶつかった。大気が歪み、生じた熱風が容赦なく周囲へと襲いかかる。
 ノウはもみくちゃになりながらも必死になって背中にしがみついて、激しい衝撃波をこらえようとした。
やがて煙が晴れるように熱が去ると、ノウを背中に乗せたポケモンは、川から上がった獣のようにぶるぶると身を震わせた。小さなマイナンは抵抗する間もなく地面に落とされる。

「いでっ」

 慌てて身を起こすと、自分を見下ろす獣と目が合った。
 その者は、闇夜を思わせる漆黒の体に、所々白骨を浮かび上がらせたような不気味な紋様をしていた。口元や腹には挑発的な朱色をのせて、こちらをひたと見つめる瞳は情熱的な色なのに、どこか冷め切った印象を受ける。
 と、そのとき、怪鳥が再び翼をきって急降下を始めた。
 獣は、少しの間じっとノウを見つめていたが、ふっと目をそらし、低い声で囁いた。

「ここにいろ」

「あっ、待ってよ」

 獣はたちまち黒い影となり、怪鳥に向かって駆け出した。

「あれは……デルビル……? なぜ、ここに……」

「アグノム! デルビルって、あの黒いポケモンのこと?」

 ノウは振り返り、木陰に倒れているアグノムの元へと駆け寄った。

「あのポケモンと知り合いなの? だから助けてくれたのかな」

「……いや、知らない……」

 アグノムは、深い眼差しで影を見つめたままだった。
 怪鳥が上空からノウたちを目掛けて原始の力を解き放った。デルビルは少しも怯むことなく岩の群れへと突っ込むと、鋼鉄と化した尻尾を駆使して全ての塊を打ち砕いた。休む間もなく怪鳥が地上へ迫り、翼の先に生えた爪を光らせる。ドラゴンクローだ。振り下ろした爪の先を、細い影がすり抜ける。影はそのまま跳躍し、怪鳥の喉元へ食らいついた。驚いた怪鳥が激しく羽ばたく。しかしデルビルは離れない。剥き出したその牙から、強力な電撃が音を立てて流れ出す。巨体がのたうち、雪のような羽がはらはらと散る。

「す、すごい……」

「うん……」

 ノウとリオは瞬きするのも忘れて、もつれ合う二匹のポケモンを見守った。
 あんなに大きな怪鳥が、潰れた悲鳴をあげてもがいている。
生まれて初めて見る、命懸けの戦い。入り混じる殺気、生死のやり取り。圧迫した空気が時間までも押し潰す。
 やがて唐突に羽音が消え、蛇頭が音を立てて地に伏した。その傍らで、のっそりと黒い獣が起き上がる。

「すごいや! あっという間にやっつけちゃうなんて」

「あのっ、助けてくれて、どうもありがとう!」

 ノウとリオが声を張り上げると、デルビルはふっと視線をこちらに向けた。

「お前たちは」

「ぼくはノウ! こっちは、妹のリオ」

「はじめまして、リオといいます」

「妹?」

 獣の眉間に僅かにしわがよる。

「お前たち、兄弟なのか?」

「兄弟っていうか、双子だよ」

「うん。生まれたときから、ずーっと一緒」

「……そうか」

 デルビルはまだ何か言いたげな顔をしていたが、小さく呟いただけだった。ノウとリオは、そんな黒犬に向かってぴょこぴょこと走り寄った。

「ねぇ、きみは? なんて名前?」

「……バウト」

「ばうと?」

 慣れない言葉を反芻する双子を見て、バウトと名乗ったデルビルは戸惑ったように瞬きを繰り返した。

「お前たちは、おれが怖くないのか?」

「え? どうして?」

 双子はきょとんとした顔を並べてみせた。曇りのない海色の瞳が、純粋に問いかけてくる。
バウトは小さくため息をつき、なんでもないと双子をおさめた。

「ねぇ、バウトはどこから来たの?」

 ノウが身を乗り出すようにして尋ねると、バウトは鼻面で地面にうつ伏せになっている怪鳥を指し示した。

「おれは、あのアーケオスを追っていたんだ。あいつの主に用があった」

「あるじ? あるじって?」

「それは、ひょっとすると……影の、こと、かい……?」

 青い精霊が苦々しげに右手で腹を抱えながら、ふらふらと飛んでくる。リオが手を差し出すと、あっけなくその中におさまった。息をするのも辛そうだ。

「影、か」

「バウト、と、言ったね……きみは、何故、奴を追っている……?」

「お前こそ」

 バウトは探るような目でアグノムを見つめ、言った。

「どうして奴に狙われていたんだ? あのアーケオスは、完全にお前のことしか見ていなかった」

「そ、れは……」

 腕の中でかすれた声を出したポケモンを、リオはなんとか抱き起こそうとした。そのときだ。彼女は、突然全身の毛を逆撫でされたような悪寒に襲われた。たちまち体が硬直し、吐き気がするほどの耳鳴りに視界がくらむ。そして、いやにはっきりと頭に響く、ねっとりとした悪意をまとう嘲笑い。

――ケケッ 全く……このオレの手を煩わせやがって

 そのとたん、地面に倒れ込んでいた怪鳥が雷に打たれたように痙攣した。バウトがはっと身構える。

「下がれ!」

 勢いよく飛び起きた怪鳥が、ささくれ立った翼を羽ばたかせ、喉も裂けんばかりに猛り叫ぶ。爪が閃き、牙が剥かれた。怪鳥は、恐ろしい形相で白目をむいたまま、がむしゃらに暴れ始めた。だが様子がおかしい。振り回される爪や尾はてんで的外れ、地面に三本筋の跡を残し、何もない空を裂くだけだ。怪鳥はただひたすらに吠え、地団駄を踏み、翼を荒げて暴れている。まるで、暗い水の中をもがき苦しむかのように――
 黒犬が怪鳥に向かって飛びかかろうと背中を丸めたその矢先、リオは、何かを伝えようと必死で声を張り上げた。

「違う……! そっちじゃない!」

 バウトは、肌にちりちりと熱を感じて、真っ赤な目を見開いた。いつの間にか左から、エネルギーの凝縮された球体が音もなく近づいていたのだ。

(これは、気合玉……!?)

 気づいたころにはすでに時遅く、あっという間に視界いっぱいが白熱する。獣の体は大槌で殴られたような激しい衝撃に吹き飛ばされた。

「バウト!」

 慌てて飛び出そうとしたノウの前に、運悪く鞭のような長い尾がのたうった。小さなマイナンは有無を言わさず薙ぎ払われる。
 地面に投げ出され、痛みに揺らぐ意識の中、ふとあげた目線の先に、かろうじて見えたもの。音もなくいっぱいに開かれた、怪鳥の爪。弱りきった精霊と、それを抱えた、無防備なプラスルの姿。鋭い凶器が頂点へと達し、振り下ろされる、その瞬間。

「やめろおおぉぉぉ!」

 ノウは叫んだ。と、同時に彼の体から、色という色が抜け落ちて――七色の光が溢れんばかりに流れ出した! 光は脈打ち、力強い波となり、七色の衣をまとったマイナンを中心に、波紋となって広がった。呆然と立ち尽くすプラスルとアグノムを通り越して、爪を振り上げたままの格好のアーケオスに吹き荒れる。怪鳥は翼を震わせ抵抗したが、光の波は止まることを知らずにあっさりとそれを押しのけ、弾き飛ばした。
 リオが、アグノムが、バウトが、皆それぞれ驚愕の表情で七色に光り輝くマイナンを見た。徐々に光が薄れていく。
 ノウは、小さな手を突っ張って四つん這いの姿勢を保っていたが、光が僅かな煌めきを溢して消え失せると、は、と短く息をもらして力尽きたように崩れ落ちた。


  [No.979] 四、精霊のお告げ 投稿者:サン   投稿日:2012/05/17(Thu) 16:26:30   47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「何だ、今の技は……」

 もはや気合玉で受けた痛みなど気にならぬほど、バウトはその光景に目を奪われていた。
 怪鳥は翼や足を広げたまま地面にひっくり返り、今度こそ完全に動かなくなった。
 あの巨体を弾き返した、見たこともない七色の光の波。ちっぽけなマイナンがあんな力を秘めているなど、到底信じられない。
 同じように、アグノムもまた驚きを隠せない様子でのろのろと呟いた。

「今のは……竜の、波動……まさか、血筋とはいえ……あの状態で……」

 慌てて兄の元へ行き抱き起こすプラスルをぼんやりと見つめながら、アグノムは苦い笑みを溢した。

(どうやらリオも、影の気配を感じた様だったし……なんだか昔の“彼女”を見ているみたいだ)

「ノウ、大丈夫!?」

「リ、オ……? ぼく、何が、どうなったの……?」

 震えるまぶたを瞬いて、ノウは静かに顔をあげた。

「えっと、わたしも、よく分からなかった……ノウがものすごい光に包まれて、そしたらあのポケモンが……あっ」

 当の怪鳥に目をやってから、リオは驚きのあまり言葉を切った。
 仰向けになったアーケオスの体から、みるみるうちに薄気味悪い紫の霧が湧き始めたのだ。
 夕闇の色をした霧は、この世の嫌なものを練り上げて作られたのではないかと思うほどに禍々しい気で満ちており、見ているだけで鳥肌が立った。言いようのない不安がリオの心の底を駆け巡る。この霧に触れたら――ほんの手の先でも触れてしまったら――何か自分ではどうしようもない、恐ろしいことになってしまう。そんな不気味な予感がして、リオはつい体を硬く強張らせた。

「なんなの、これ……」

 霧はますます濃く渦巻き、とうとうアーケオスの体が見えなくなるほどまで覆い被さると、上空に向かって煙のように立ち上っていく。すると、再びアーケオスの体がびくりと反応した。

「うわっ、まだ戦うの!?」

 慌てて起き上がろうとしたノウの背後で、アグノムがささやいた。

「大丈夫……もう、心配はいらないよ」

「え……?」

 やがて霧は完全に空へと消え去り、アーケオスがのっそりと起き上がった。寝惚けたように頭をかき、すっかり邪気の抜けた顔つきで辺りを見回す。

「うぅ、頭いてぇ……どこだよここ……」

 アーケオスは唸るような声で呟くと、鱗の隙間から覗く大きな目が何度も瞬きを繰り返し、ぶるりと一つ頭を振るった。それから足元に固まるノウたちに目を留めるや突如翼をばたつかせた。

「な、何なんだお前ら! どうなってんだよぉ!」

「へっ?」

 そのあまりの豹変ぶりにノウとリオはすっかり面食らってしまった。
 あれだけぎらぎらと鋭い殺気を振りかざしていたのに、今のアーケオスからは闘争心の欠片も感じられない。つい先ほどまで暴れていたポケモンとは思えない、ひどい怯えぶりである。

「ねぇ、あの……ちょっと待って、落ち着いてよ……」

「ひぇぇ、勘弁してくれー!」

 巨体に似合わぬ情けない声をあげると、アーケオスはたちまち翼を震わせ飛び立とうとした。
 が、そのとき。鋭い風が吹き抜けて、アーケオスの後ろから、黒犬が翼を押さえ込むようにして噛みついた。ぎゃあ、という悲鳴とともに、勢い余ったアーケオスがつんのめって倒れ込む。

「答えろ。貴様の主はどこだ」

 背中を銀色の輪がついている前足でしっかり押さえ、翼に白い牙を食い込ませた獣は、低く唸りながらそう言った。
 抵抗すればもっとひどい目に遭うことを悟ったのだろう。アーケオスは顔を歪ませながらも身動き一つせず、肺から搾り出すようなうめき声で言った。

「し、知らねぇよ……なんだよ、主って……」

「知らないわけないだろう」

「ほ、本当に知らねぇって……!」

 獣が顎の力を強めたらしい。アーケオスがまた悲鳴をあげた。とても何か隠しごとがあるようには見えない。
 そのあまりの光景を見ていられず、リオはぎゅっと目をつぶった。

「ねぇ、何もそこまでしなくても……!」

 ノウが叫んでも、バウトは見向きもしなかった。
 自分の何倍も体格差のあるアーケオスを押さえつけている力は相当なものらしい。駆け寄ると、バウトの肩の辺りの筋肉が大きく盛り上がっているのが分かった。そのせいだろうか、決して大きなポケモンというわけではないのに、ひどくいびつな形をした、巨大な生物に見えてしまう。

「やめるんだ! 彼は何も知らない」

 アグノムが痛みを堪えた表情でどうにか声を張り上げると、ゆっくりと唸り声が消えていった。前足は獲物を押さえたままの状態で、ようやくバウトは顔を上げた。

「どういうことだ」

「言った通りの意味だよ……彼は、本当に何も知らないはずだ」

 バウトは何も言わず、ただ探るような眼差しでじっとアグノムを見つめた。
 緊張した空気が両者に漂う。
 が、アグノムの表情から何かを悟ったのだろう。バウトは立ち上がると、何ごともなかったかのようにひょいとアーケオスの背から飛び降りた。
 背中の圧迫から解放されたアーケオスはよろめきながら起き上がると、少しの間、戸惑うように黒い獣と青い精霊とを見比べていたが、誰も何も言わないのを見るとそそくさと飛び去っていった。次第に小さくなっていく怪鳥の姿を、双子は並んで見送った。

「なんだか……さっきとずいぶん様子が違ったね」

「う、うん、あんなにおっかなかったのに……」

「今のが、あのポケモンの本来の姿なんだ」

 アグノムが暗い光をたたえた瞳でアーケオスの姿を見上げた。

「アーケオスって種族は、もともとは、ああいう性分なんだよ。気が小さくて……争いも、あまり好まない。さっきまで暴れていたのは、あのアーケオスの意思じゃない……」

 バウトはちらりと興味なさげに空を見上げただけで、すぐに視線をアグノムに戻した。

「どういうことなんだ。あいつは何も知らないで、お前を攻撃していたって言うのか?」

「きっと自分が何をしていたのかも、覚えていないはずだよ……彼は、操られていただけだから」

「操られてた?」

 リオは顔を曇らせた。不意に、あのときの不思議な声を思い出したのだ。
 誰の声かは分からなかったけれど、あのアーケオスが苦しむ様子をまるで嘲笑うかのようだった嫌味な声。
 そういえば、あれが聞こえてからアーケオスの暴れ方が激しくなった気がする。

「じゃあ、さっきのあの声は……」

「声? 何の?」

 リオの言葉にノウが首を傾げた。

「聞こえなかった? すごく嫌な感じの、笑い声みたいな……」

「えー、そんなの全然聞こえなかったけどなぁ」

「本当? おかしいな……」

 謎の声を思い返しているうちに、リオは改めてぞっとするものを感じて身震いした。不気味な抑揚が何度も頭の中に繰り返し、ねっとりとこびりついたように離れない。

「リオ……きみの聞いたその声が、あのアーケオスを操っていた、影のものだ。ぼくにも、聞こえた」

「影?」

 リオは重々しげにアグノムを見た。

「影って、一体何なんですか? ポケモンなの?」

「今は、そう呼べる存在ではないのかもしれない。生き物でさえ……ないのかもしれない。奴は……心が不完全なんだ。真っ暗な闇しか、知らないから」

 リオは、はっとしたようにアグノムを見た。その言葉の中に、これまでの彼の口調とはほんの僅かに違う響きを感じたのだ。
 それまで暗く沈んでいたアグノムの顔には、苦々しげな笑みが浮かんでいた。だが、リオがその表情の意味を考える暇もないうちに、すぐにまた真剣な表情に戻ってバウトに向き直った。

「……遅くなってしまって申し訳ない。きみが割り込んでくれなければ、きっとぼくもこの子たちも命はなかった。助けてくれてありがとう」

 突然の感謝の言葉に、バウトが少し戸惑ったように目を見開いた。

「……別に、助けるつもりで来たわけじゃない。礼ならさっきもあいつらに言われた。そんなことより、お前は奴を影と呼んでいたな」

 アグノムは頷いた。

「奴が、表に出てくることはほとんどない。大抵他のポケモンを操って、自分の思い通りに動かしてしまうんだ。あのアーケオスのようにね」

「だから影って呼んでるのね……」

 リオは自分の胸にぎゅっと両手を押しやった。
 あのアーケオスというポケモンは、すごく苦しそうだった。喉が潰れそうになるほど叫んで、訳も分からないまま、暴れさせられる。そんなひどいこと、もし自分だったら、たとえ同じ力を持っていたとしても胸が張り裂けそうになってしまってとてもじゃないができないだろう。アグノムは、心が不完全だといっていた。だからそんなことが平気でできるのだろうか。

「さっき、彼の体から空へ流れていった霧のようなものを見ただろう? あれが心の負の感情に取りついて大きくなると、ついには意思を無くして操られてしまうんだ。だから、心に隙ができてしまったポケモンなんかは、あっという間に奴の手のひらの上さ」

「そんな……そんなのずるいよ! 自分で戦えばいいのに」

 ノウが息巻くのを、アグノムは静かな眼差しで見つめていた。

「……もちろん、奴も全てのポケモンを操れるわけじゃない。強い心を持つポケモンは意思を無くすことなんてまずないし、さっきみたいに、強い攻撃を受けて急に解けることもあれば、何かのきっかけで自然に解けることもある」

「そうまでして、奴は一体何がしたいんだ? お前を狙っていたことと関係があるのか?」

「それは……」

 それまで淡々と話していたアグノムが初めて口ごもった。瞳に迷いの色が浮かんでいる。やがて考え込むように目を閉じて、小さなため息をもらすと、独り言のように呟いた。

「……奴は、きっともう、ぼくを狙ってくることはないよ……」

「何故そう思う」

「……奴が、ずっと探し続けていたものを……見つけてしまったから」

「探しもの?」

 鋭く聞き返すバウトに対し、アグノムは苦々しげに言った。

「……すまない。それが何なのかは、今は言えない……ただ一つ言えるのは、奴がやろうとしていることは、この世界を危険な道に導くかもしれないことなんだ。それだけは、なんとしても阻止したい……」

 そう語るアグノムの表情はどこか儚げで、空気に溶けて消えてしまいそうな感じがした。
 それを見てバウトが胡散臭そうに鼻を鳴らした。

「いちいち回りくどい言い方をする奴だな。お前はおれに何をさせたい?」

 アグノムは驚いたように目を見開いたが、静かな口調で答えた。

「……何をするのか、決めるのはきみの意志だ……ただ、すまない。ぼくにはもう、時間がないんだ」

「え……ちょっと、アグノム……?」

 今目の前に見える光景が信じられなくて、ノウはつい目を凝らした。気のせいじゃない。本当に、アグノムの体が透き通って薄れている。それに、彼の体から青白く光る小さな球が、一つ、また一つと、泡のように空へ浮かんでは消えていく。

「だから、ノウ、リオ」

 二匹は突然名前を呼ばれてびっくりした。
 アグノムの体からは、なおも光の球が蒸気のように立ち上り続けている。自身の変化に少しも動じる様子もなく、アグノムが真剣な顔つきで双子に向き直った。金色の瞳の向こう側に森の木々が透けて見える。

「ノウ、リオ。これからぼくが言うことを、よく聞いて欲しい。信じられないかもしれないけれど、これはきみたちにしかできないことなんだ。もう、残された時間は少ない……できるだけ早くここを出て、旅に出るんだ。儀式に必要な透明な羽は、橙の島にあるはずだ。それを持って、三つの祠を巡って……後はきっと……祠の彼らが、教えてくれる」

「え? え……? 儀式って……?」

 青い光の球はどんどん数を増していき、もう数え切れないほどの光の粒がアグノムの体を包んでいる。光の勢いが増すほどに彼の体は薄れていく。それにつれて、アグノムの声もまたかすれたように小さくなって、ひどく聞き取りづらかった。

「すまない……本当は、もっと詳しく教えてやりたいけれど……今のぼくには、これが限界だ。シアも……きみたちのお母さんも、いつか、こうなるときが来るって……分かっていたのかもしれない……」

 一言一言が風の音で消されてしまいそうな中で、ノウとリオは、アグノムが口にした名を確かに聞いた。二匹の顔がみるみる強張る。

「アグノム、今、何て……」

「おかあ、さん……?わたしたちの、お母さんを知ってるの!?」

 二匹が発した震えるような声からは、藁にもすがるような響きを含んでいた。その悲痛とも言える響きに、まだ何か言いたげだったバウトもつい押し黙った。
 聞きたいことは山ほどある。それなのに、何も言葉になってくれない。緊張で膨れ上がった空気がどんどん喉の奥に詰まっていく。
 果たしてそんな二匹の様子を、アグノムは、見止められただろうか。今の今まで彼がいたところは、もう小さな光の群れと化していて何も見えない。それでも彼の声だけは、遠い波音のように聞こえてきた。

「きみ……の、お母……は、まだ……会えない。でも……ずっと、き……たちを……」

「待って! ねぇ、待ってよ!」

 アグノムの声が消えていく。
 必死に伸ばした小さな手から、最後の光がすり抜けて宙に溶けた。




―――――――――――――――
お久しぶりになってしまいました……
何でこんなに時間かかったんだろう。多分アグノムのせいだ(←

すごい遅筆で申し訳ないですが、まだまだ書きたいこといっぱいあるので
これからもちまちま間を空けながら続きを投稿していきたいと思います。

少しでも気が向いたときに読んでもらえるとうれしいです。


  [No.996] 五、義母と実母 投稿者:サン   投稿日:2012/06/09(Sat) 19:03:50   44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 リオが全身の力が抜けたようにぺたんとその場に座り込んだ。
 何がどうなっているのか、さっぱり分からない。

「何者なんだ、あいつは」

 バウトは鼻面を突き出して匂いを嗅ぎ分けた。さっきまでは、わざわざ嗅ぎ分けずとも感じたアグノムの匂いが消えている。そこにいたという匂いははっきり分かるが、それで終いだ。まさか本当に、存在自体が煙のように消えてしまったとでもいうのだろうか。

「……アグノムは」

 ノウは、アグノムが消えたところを呆然と見つめたまま呟いた。

「何で、あんなこと言ったんだろう」

 アグノムは言っていた。お母さんは、いつかこうなるときが来るのを分かっていたのかもしれない、と。こうなるときっていうのは、どういうことなんだろう。まだ会えない、って、どうしてなんだろう。旅に出ろとか、儀式がどうとかとも言っていた。考えれば考えるほど、頭の中がぐちゃぐちゃにこんがらがって足元がぐらぐらする。

「……多分、わたしたち、昔アグノムに会ったことがあるのよ」

 リオがぽつりと言った。

「アグノムは、わたしたちの名前、知ってたでしょ? お母さんの名前も……シアって言ってた。きっと、お母さんとアグノムは知り合いで、それでわたしたちのことも知ってたのよ」

 ノウはあんぐり口を開けた。考えてみればそうだ。初対面のはずが、自己紹介をする前に、アグノムの方からノウたちの名を口にした。さっきの口ぶりからしても、リオの言うことはあながち外れてはいない気がする。
 それに、もう一つ大事なこと。

「お母さん、シアって名前なんだね」

 ノウの胸は、まるで宝物でも見つけたみたいにときめいた。それで緊張が解けたのだろう。とたんにお腹がぐうと鳴った。
 リオがぽかんとした顔でノウを見た。不安げに曇っていた彼女の顔がみるみる緩み、ノウとリオは、どちらともなく弾けたように笑い合った。

「あははっ! もうノウってばー。今大事な話してたのに、それはないでしょ」

「だってさあ、しょうがないよ、お腹空いちゃったんだもんっ」

 ノウはわざとらしくぷくっと頬を膨らませて見せたが、すぐにまた吹き出してリオと一緒に笑い転げた。ずっと緊迫した空気が続いて忘れていたけれど、ミルクの配達の途中だったのだ。もう日はとっくに南の空を通り越している。

「とりあえずさ、リオ。帰ろう。お腹空いたし、モリアさんが心配してるかもしれない」

「……うん、そうだね。ここで考えててもしょうがないよね」

 リオは頷き立ち上がると、ふと何かを思い出したようにぽんと手を叩いた。

「そうだ。バウトも家においでよ。お昼、一緒に食べよう?」

「え? いや、おれは……」

 慌てて辞そうとする獣の前足を、すかさず小さな手が捕まえた。

「いいねそれ! 助けてくれたお礼したいし!」

 言うなり、ノウはバウトの返事も待たずにふいと森へ向き直り、片手で彼の前足を掴んだまま、もう片方の手を高々と空に突き出した。

「じゃー、しゅっぱあぁぁつ!」

 そう高らかに宣言し、歩き出そうとした。が。元気よく上げた足が空中でぴたりと止まる。

「あれ? ノウ、どうしたの?」

 不思議そうに顔を覗き込む妹に、ノウはひきつった笑顔を向けた。

「……リオ、ぼくたち、どっちから来たんだっけ?」

「……え」

 リオは思わず凍りついた。ぎこちなく辺りを見回すも、取り囲むうっそうとした森は、どれも似たような景色ばかり。やたらひょろひょろした白い木が、うんざりするほど奥の方まで立ち並んでいる。

「……シラカシ村は、どっちだろうね!」

「……どっちだろうね……」

 やけっぱちな元気を振りまくノウに、リオは今にも泣き出しそうになった。今更になって、どうしてこの森に足を踏み入れてはいけないのか分かった気がしたのだ。それが分かったところでどうしようもなく、迷子という言葉が頭の中でぐるぐる踊り始める。
 そんな二匹の様子を見かねて、ずっと黙りこくっていた黒犬が長々とため息をついた。

「全く……しょうがねぇ奴らだな」

「え? バウト?」

「お前らの匂いを辿ればいいんだろう? こっちだ。ついて来い」

 バウトは慣れた風に少しだけ地面に鼻をつけると、すぐに顔を上げ、すたすたと歩き出した。その足取りは確かなもので、ノウとリオは少し顔を見合わせてからその後をついて行った。
 相変わらず森の中は薄暗く、道らしい道などないためひどく歩きづらかったが、バウトがゆっくり歩いてくれているおかげで来るときよりは楽に感じられた。

「すごいね! バウト、よくこっちだって分かるね」

 目の前に突き出た枝を振り払いながら、ノウが感心したように前を行く獣に声をかけた。

「別にすごくも何ともない。お前らの匂いを嗅いでいけばいいだけだからな。これぐらい朝飯前だ」

「え? 今はお昼だよ?」

「もうノウってば。そういう例えだよ。お昼だからって関係ないよ」

「えー、そうなんだ。変なのー!」

 けたけた笑う双子の声を聞きながら、バウトは今自分がしていることの意味を考えていた。何の義理もない、今日出会ったばかりの子供である。助けるつもりなど毛頭なかった。成り行きで、と言えばそれらしく聞こえるが、それだけでは納得できない自分がいる。
 あのとき。暴れ狂うアーケオスに振り払われた小さなポケモンの姿を見たあの瞬間、考えるより先に、体が動いていた。
 そして今も、結局はこの子たちを助けている。
 自分が見ず知らずのポケモンを好意だけで助けようとするほど出来のいい性格とは思えない。彼らの何かが、自分を惹きつけているとしか思えなかった。
 それからもう一つ気になること。あまりにも堂々と宣言されて、逆に聞く気を無くしてしまったが、あの二匹は双子だと言っていた。

「お前らの方が、よっぽど変だろうが」

 少し後ろをはしゃぎながらついて来る二匹には聞こえぬよう、バウトは独り呟いた。



 バウトの嗅覚は大したものだった。時折確認するように地面に鼻を近づけるだけで、見通しの悪い森の中を少しも迷うことなく進んでいく。すると、とうとう光を遮る木々がなくなり、目の前に緑の草原が広がった。森を抜けたのだ。
 二匹はたちまち手を取り合って歓声をあげた。ここまで来れば、村までの道ははっきり分かる。今度こそはとノウが張り切って先頭に立ち、気の進まぬ様子のバウトを無理矢理引っ張って歩き出した。
 レンゲの紫と、シロツメクサの綿毛のような白い花が点々と咲く野原を行く。途中いくつもの家々が見えてくると、ノウとリオは、バウトの前へ後ろへぴょこぴょこ跳ねながら村の観光ガイドを務めた。

「あそこはね、ニドキングのゴランさんのお家だよ!」

「あっちにあるのは、白ぼんぐりがなる林なの。ぼんぐりはそのままだと渋くて食べられないけれど、ちょっと湯がくとおいしくなるのよ。この村の名産品なの!」

「でね、あれはねー、村長さんのお家でね、あっちはー」

「あー、分かった、分かったから。もういい。十分だ」

 目まぐるしく解説する二匹にすっかりもみくちゃにされたバウトは頭を振って、なんとか二匹を収めようと言葉を探した。

「それより、お前らの家はどこなんだ」

「もうちょっとだよ!」

 なだらかな丘を進んでいくと、思わずとろけるような、ほんのりとした甘い匂いとともに、一際大きな赤茶色の家が見えてきた。戸口の前に誰かが立っている。

「あっ!」

 ノウとリオはほとんど同時に走り出した。つんのめりながら一気に丘を駆け上がり、一直線にそのポケモンへと向かっていく。どっしりと構えたポケモンの太い両腕が大きく左右に広げられ、無遠慮に飛びついた小さな双子をすっぽり抱き止めた。

「ただいまぁっ! モリアさん!」

「おかえり! ノウ、リオ」

 ミルタンクのふっくらした腕の中、ノウとリオは大きく息を吸い込んだ。彼女の桃色がかったふくよかな体からは、いつもほんのり甘い乳の匂いがする。
 しばらくの間、二匹はヘラクロスみたいに彼女にひっついていたが、背中を軽く叩かれてようやくその柔らかいお腹から体をもぎ離した。ミルタンクは二匹の肩に固い蹄のついた手を置いたまま、見回すようにそれぞれの顔を覗き込んだ。

「ずいぶん配達に時間かかったねぇ。何かあったのかい? ……おや、そちらは?」

「新しいお友だち!」

「と、友だち?」

 声を裏返すデルビルに対して、ミルタンクはにっこりと満面の笑みを浮かべた。

「そうかい! ありがとうね、この子たちと仲良くしてくれて。あたしはモリアっていうんだ。まぁ……この子たちのメンドウ見てるもんさね。それにしてもなんだい、全員泥だらけじゃないか。泥んこ遊びでもしていたのかい?」

 ノウとリオはどきりとして顔を見合わせた。村外れの森に行ったことを白状したら、きっと怒られる!

「えーとね、うん……まあ、そんな感じ」

 ノウが適当に言葉を濁すと、モリアはひょいと眉をあげたが、特にそれ以上何かを聞いてくることはなかった。

「……ま、何でもいいから三匹とも、家にあがる前に、よーく泥を落としとくれよ。お店は清潔が第一だからね!」

「お店……?」

「ぼくたちの家、モリアさんのミルクを売ってるんだ!」

「とってもおいしいって評判でね、わざわざ遠くの方から買いに来るポケモンもいるのよ」

 ノウとリオは体についた泥を払いながらバウトに説明した。するとそれを聞いていたモリアがこれ見よがしに胸を張った。

「ま、当然と言えば当然さね。あたしの自慢のミルクは栄養満点! 味も美食家たちのお墨つき! この村のポケモンが病気ひとつせず元気に暮らしていられるのは、みーんなあたしのモーモーミルクのお陰、ってとこだろうねぇ。……さっ、お腹空いてるだろう? 全員入った入った! モリア特製ごろごろ野菜のクリームシチュー、たんとおあがり!」



 木材を組んで作られた卓の上には、やはり木でできた赤茶色の椀が三つ、ほかほかと盛んに湯気を立ち上らせていた。木椀に盛られたシチューはよく煮込まれていて、大胆に分厚く切られたじゃがいもや玉ねぎなどの根菜は、とろとろに柔らかく、素材の甘みがしっかり引き出されていた。彩りのために入れられたリンドの実は、口の中で噛み潰すと独特の青臭い苦みが舌を焦がしたが、すぐにシチューのほのかな甘さが優しくそれを包み込んでくれた。
 すっかり腹ぺこだったノウはさっそく椀を持ち上げて、愛情のたっぷりこもったシチューをスプーン片手にかきこんだ。どろっとした熱いものが喉をくだって、たちまちお腹の中を満たしていく。あまりに勢い込んで食べたので、半分も減らないうちに舌をひーひー言わせるはめになってしまった。
 その様子を見ていたモリアが腕組みをしながら、呆れたようにため息混じりの声を出した。

「せからしいねぇ、ノウ。もっとゆっくり食べられないのかい?」

「らって、おいひいんらろ」

「ノウってば。何て言ってるのか分からないよ」

 マイナンが舌をひらひらさせながら何か喋れば、プラスルは口元を片手で押さえてくすくすと笑い出す。
 モリアはやれやれ、とでも言うように頭を振り、バウトに目を向けた。

「二匹ともまだまだやんちゃざかりでね、いっつもこんな調子だよ。お宅に迷惑かけなかったかい?」

「いや……そんなことは……それより、申し訳ない。ごちそうになる」

「ははっ! これぐらい、気にしないどくれよ。まだまだおかわりもあるからね。遠慮せずにじゃんじゃん食べとくれ! ……にしても、今どき珍しいねぇ。どこかへ落ち着かずに一匹で旅をしているなんて。バウト、っていったかい? そもそも炎ポケモンが赤の島以外にいること自体そんなにないだろう。どっから来たんだい?」

「…………」

「あっ……ひょっとして、何かまずいこと聞いちまったかね」

 何も言おうとしないバウトを見て、モリアはさっと組んでいた腕をほどいた。

「悪かったねぇ、あたしのつまらない癖だよ。気にせず、食べとくれ」

「ああいや、そういうんじゃない。ただ、少し言葉が詰まっただけだ」

 バウトは少し苦いような笑みを浮かべた。今さっき初めて会ったばかりの相手にあまり軽々しく話したくないということもあったが、正直、モリアのひっきりなしに続くお喋りに少々面食らってしまったのだ。

「自分でも、よく分からない。どこからどうやって来たのか、うまく説明ができないんだ」

「ふぅん……? ま、このレインボーアイランドはやたらだだっ広いからねぇ。そのぶん他の島より土地が豊かで、食べることにはそうそう困らないけれども。……じゃ、あたしはそろそろ店に戻るよ。ノウ、リオ! 二匹で後片づけ、ちゃんとできるね?」

「うん!」

「よーし。それじゃ、任せたよ!」

 モリアは豪快に二匹の頭をくしゃくしゃと撫で上げると、家の奥へと消えていった。
 ノウとリオは、体の奥底からほっと安心するような温かさが込み上げてくるのを感じて、ついつい笑顔になった。守られている、愛されているという自覚が、胸をうずかせ、こそばゆいような嬉しさが溢れ出す。

「モリアさんはね、ぼくたちを拾って育ててくれたんだよ!」

 自慢せずにはいられなくなって、ノウはいかにも嬉しそうにバウトに言った。続いてリオが、やはり感情を抑え切れぬ様子で言葉を繋ぐ。

「わたしたち、村の近くの崖のところに倒れていたんだって。それをこの村のポケモンが見つけてくれてね、モリアさんの家に来たの!」

「本当のお母さんのことはね、全然覚えてないんだけど……でもね、ぼく、モリアさんに抱っこしてもらったときとかね、なんとなくだよ? なんとなく、お母さんの抱っこもこんな感じだったかなぁって思うんだ! 変だよね、何にも覚えてないはずなのにさ!」

 それでか、とバウトは思った。アグノムが二匹の母の名を口にしたとき、異常に反応していたのは。
 それにしても、育ての親とはいえ似るのだろうか。二匹の代わる代わるに話し出すタイミングはまさに息が合っていて、なかなかこちらが口をはさむ余地が見つからない。だが、そんな二匹のマシンガントークも、あのミルタンクのやたらなお喋りを思い出せば、何故か納得できてしまうのだ。
 ひとしきり食事を済ませ、お腹が膨らむと気持ちも落ち着いた。今なら、じっくりと考えることができそうだった。
 リオはさっそく切り出した。

「ねぇ、ノウ。これからどうしたらいいのかな」

 とにかく、気になることはたくさんある。アグノムが言ったことは断片的過ぎてよく分からなかったが、何か大事なことを伝えようとしていたのは、十分察することができる。そしてそれは、自分たちに関係のあることなのだ。
 ノウは少し唸ったあと、困ったように頭をかいた。

「うーん……ちょっとすぐには分かんないや。バウトはこれからどうするの?」

「おれは、またあの影とかいう奴を追う。この辺りで奴のしっぽが掴めなかったら、また手がかりを探しながら旅を続けるつもりだ。」

「……旅かぁ」

 リオはぼんやりと呟いた。
 アグノムも旅に出るようにと言っていた。もしその通りにして旅に出たら、お母さんや、ひょっとすると、お父さんの手がかりも何か分かるかもしれない。でも、わたしもノウも、お母さんとお父さんの顔すら覚えていないもの。それに、何の当ても無しに村を出たら、迷子になっちゃうかも分からない。とにかく今は、分からないことが多すぎる。
 リオは深いため息をついた。
 こういうことを考えていたんだとノウに告げたら、きっと目を輝かせてすぐにでも行こうと言い出すだろう。両親に会いたいと願う気持ちはずっと同じだったはずだ。しかし、兄とは違って、何の準備もしないで未知の世界へ飛び込もうとする勇気だけは、リオにはどうしても絞り出せそうになかった。
 誰かの言葉が欲しかった。臆病な、自分の背中を後押ししてくれる……
 そこまで考えて、ふと、あるポケモンの姿が頭に浮かんだ。そうだ。彼ならば。

「……そうだよ。ノウ、あのおじいちゃんに会いに行こう! アグノムが言いたかったことも、何か分かるかもしれない」


  [No.1002] 六、忍び寄るもの 投稿者:サン   投稿日:2012/06/28(Thu) 21:24:06   50clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 青々と茂った背中の巨木は、朝からたっぷり光を浴びてますます葉を艶めかせた。春の陽気に誘われて見晴らしのいい丘の上で日光浴をしていると、どこからともなくムックルたちがやってきて、思い思いの枝に羽を休め始めた。
 何とも平和な午後だった。
 グレスは足元でまばらに散りばめられた色とりどりの花を見て、にっこりと微笑んだ。どれも小さいながらも美しい、可憐な花々である。実のところ、今年もこの光景を見られるものか、グレスは少し心配していたのだ。
 グレスは齢三百を超える大きなドダイトスだ。他のどのポケモンよりもたくさんの春を経験してきたのだから、今年の春がいやに遅いことは彼の不安を駆り立てた。
 このレインボーアイランドは、七色列島の中で最も豊かな四季の巡る島だ。その恩恵を受けて、他の島々より遥かに多くの種類のポケモンたちが暮らしている。
 島の中心に大きくそびえる霊峰、アルカンシエル。それがこのレインボーアイランドの象徴であり、島の名の由来でもあった。灰褐色をした山肌は悠々と天を突き破り、遥かな頂には七色の虹が橋を架ける。その虹は、何故か昼であろうと夜であろうと、雨が降ろうと雪が降ろうと、何が起きても輝き続けた。聖なる山と呼ばれた由縁である。
 そこには神々に最も近い存在の竜たちが住むと言われているが、何とも確かめようがないので分からない。不思議なことに、山には近づくことはできても登ることはできないのというのだ。山頂目指して山道を歩いているとたちまち深い霧にもまれてしまい、登っているのか下っているのかも分からぬうちについにはふもとへ出てしまう、といういわくである。そのような少々不気味な匂いの漂う噂がある上に、そもそも神聖な山に登ろうという輩自体が少ないため、真偽は定かではない。
 そのアルカンシエルの頂から虹が消えたのは、いつの頃だったか。威風堂々といった様子で空を割る雄大な姿そのものは変わりないのに、虹が消えた山頂には、代わりに真っ白な雲が帽子のように被せられるようになった。もちろん、こんなことはグレスの長い生涯の中で初めてのことである。
 七色の神鳥を崇めるこの七色列島で、山の虹が消えたなど、不吉な予兆にしか聞こえない。他所の島では近ごろ木の実の出来が悪く、腹を空かせたポケモンが食料を強奪するというおっかない話も聞く。また、とある島が何ヶ月もの間ひどい吹雪に襲われたとか、あるところでは干ばつ、またあるところでは水害と、ここ数年の異常気象は目を見張るものがある。
 幸い、この島ではまださほど悪い噂は聞かないものの、これはやはりというか、何かとてつもなく恐ろしいことが起こる前触れではないだろうか。例えば、そう、古くから伝わる、あの伝説のように。
 グレスはつかの間目を閉じた。希望がないわけではないのだ。ただ、今はまだ、黙って見守らねばならない。あの子らは、その身が持つ意味を何も知らない。全てを伝えるには、まだ、あまりにも幼すぎる。
 グレスは胸につかえる重苦しい気持ちを吐き出すように大きく息をついた。すると、背中の木が揺れたのだろう。ムックルたちが次々と不満げに鳴き出した。

「おお、すまんね。チビどもや」

 しわがれた声でそう言うと、ふと、あの子らが村に来た日のことを思い出した。あれは確か、山から虹が消えた翌日のことだったか。崖っぷちに横たわる産まれたばかりの二匹の幼子と、それを頑なに守ろうとして行方知れずになった獣の姿。今でもありありと思い出せるのは、それだけあの出来事がグレスの中で印象深かったということなのだろう。
 すると――

「おーい、グレスじいちゃーん!」

 甲高い子供の声がして、グレスははっと顔を上げた。驚いたムックルたちが一斉に飛び立っていく。幾重にも重なる羽音を聞きながら目を凝らすと、丘の下から、何匹かのポケモンが駆け上がってくるのが見えた。一、二匹……いや、少し離れたところに三匹目。
 グレスは最後尾をゆっくり走るそのポケモンに目を止めるや、驚きのあまり釘づけになってしまった。先ほど思い起こしていた記憶の中の姿と何ら変わらない、そして、この島ではまず見ることのないそのポケモン。

「デルビル……なんとお前さん、生きておったのか!」

 グレスが叫ぶと、デルビルは驚きの表情を浮かべた。先に丘を上り切った二匹は、一体全体何のことかときょとんとする。
 二匹のうち、青色の耳をした方が何か言おうとしたとき、ずっと後ろにいたはずのデルビルが風のような速さで走り寄るなり間髪入れずに口を開いた。

「お前、おれのことを知っているのか!?」

 そのあまりの勢いに、さしものグレスも顎を引いた。

「んん……? 何じゃお前さん、あのときのデルビルではないのか? わしはてっきり……」

「バウト、おじいちゃんと知り合いなの?」

 先着組の赤い耳の方がデルビルを見上げると、彼ははっとしたように我に返り、何ともばつの悪そうな顔をして半歩退いた。

「あ……いや、すまない。おれの勘違いだ。……とりあえず、こいつらの話聞いてやってくれ」

 グレスは訝しげに瞬きをしたが、特に話を掘り返そうとも思わず、デルビルが鼻先で指し示した二匹に視線をやった。

「ノウ、リオ、わざわざこんなところまで。一体どうしたんじゃ?」



 同じころ。

「ねぇランディ、もう戻ろうよぉ。お腹空いたよぉ」

「そうよ、もうそれがいいわ! なんだか怪物みたいな声も聞こえたし、ノウくんたちもきっと引き返してるわよ!」

「うっさいなー、マルル、チェルシー。今そうしようと思ってたところだよっ」

 薄暗い森の中、三匹の子供たちは互いの不安や苛立ちをぶつけるように言い合っていた。
 好奇心につられて足を踏み入れたはいいものの、どんなに歩き続けても、森の表情は変わらぬまま。不健康そうな細い木々が見渡せるずっと先の方まで立ち並び、真っ直ぐ歩いてきたはずなのに、まるで堂々巡りをさせられているかのようである。幾重にもなった頭上の木の葉は意地悪く、日の光をすっかりしっかり遮ってしまっているため、時間も方角もさっぱりだ。木に登って太陽の向きを探ろうとも試みたが、どれも背伸びをしているみたいに垂直でとっかかりがない上に、つるつるの木肌が邪魔をして、もともと木登りの得意でない三匹にはどうすることもできなかった。
 足取りは不安とともに重くなり、口を開けば八つ当たりめいた不満が何よりも先に飛び出した。
 先頭を歩いていたランディは立ち止まり、むっつりとした顔で後ろにいたウパーとチェリンボを見回した。

「だいたい、何もないじゃんかこんなとこ。UFOも見失っちゃうしさ。これで大人たちにここへ行ったことがばれたら、おれたち怒られ損だぞ!」

「いいよぉそんなこと……それより早く帰ろうよぉ」

 マルルがすっかり疲れた様子でそう言うと、ランディはニドラン♂特有の小さな針を尻尾の先までぴんと尖らせて声を荒げた。

「よくないっ! そもそも、ノウの奴が言い出しっぺだろ。リオも勝手に飛び出してったしさぁ。あいつらマジどこ行ったんだよ」

 突然冷たい風が吹き抜けて、大きく木々がざわめいた。緑の木の葉が不気味に踊り、からかうように擦れ合う。
 三匹はごくりと息を飲み込んだ。さっと青くなった顔を見合わせて、互いに互いを勇気づけるよう頷き合う。

「……よし。じゃあ、戻るぞ。おれがまた先頭を歩くから、お前らしっかりついてこいよ。……番号! いちっ!」

「にぃ!」

「さん!」

「よん」

「……よん?」

 ランディは声につられて振り返った。マルルとチェルシーも同じように後ろを見た。
 にぃっと笑った真っ赤な瞳と目が合った。

「……え」

 子供たちは、最初、呆然とそれを見つめた。
 いつの間にか隊列の一番後ろに、見たこともない、真っ黒で大きな布のようなものが加わっているではないか! 真っ赤に充血したみたいな目がぱちぱち瞬くと、見る間に三日月型に布が裂け、ニタリと白い歯を覗かせる。
 ランディの全身の針がぞっとそそけ立った。

「うわああぁぁぁ! で、出たあぁぁぁ!」

 子供たちはありったけの声で叫ぶと、たちまち弾けたように駆け出そうとした。が、皆恐ろしさのあまり足がすくんで動けない。
 そいつはケケッと不気味に笑うと、ふんわり宙に浮き上がり、腰を抜かした三匹の前へ音もなく着陸した。

「まぁ、そんなビビるなよ。まだ何もしてないだろ?」

 声は、さほど気味の悪い感じはせず、どちらかといえば陽気ささえ感じさせる軽い調子だった。それでも、その声色には得体の知れない響きがあった。一本残らず逆立った全身の針が、信用してはならぬ、と告げている。
 ランディは空気を食べるかのようにぱくぱく口を動かした。何かを叫ぼうとしたはずだった。こんなお化けがいるなんて聞いてない、来るんじゃなかった、と。だがしかし、まるで水の中にいるみたいに、自分の言葉がぼやけて聞こえる。いや、そもそも、言葉を言えてすらいないのだ。何か言おうとしても、舌がもつれて、あーとかうーとかいう唸りしか声にならない。
 心の奥底に風穴を開けた恐怖が何もかもおかしくさせる。
 マルルは地面に尻餅ついたまま、狂ったように小さな足をぱたぱたさせて、チェルシーは顔を萎びた果実みたいにひきつらせ、つぶらな瞳からは今にも涙が溢れんばかり。
 真っ黒な布の奴は、やれやれとでも言うように両の手のひらを上にかざした。

「いいから、まぁ、ちょっと聞いてくれよ。お前ら、あのガキどもの知り合いか? あのマイナンとプラスル――ノウと、リオ、だっけか?」

 特に返事を待つつもりもないらしく、布は続ける。

「実はおれもあいつらのこと探しててさ。お前らも探してんだろ? ……だったら、ちょっと手伝ってくれよ」

 その瞬間、景色が歪んだ。真っ黒な布の体から、薄気味悪い紫の霧のようなものが噴き出して、たちまち辺りを包み込む。霧は、ゆっくり、ゆっくり、三匹の周囲を煙のようにたなびいて、近づいてくる。
 何も言えぬまま、ただただ恐怖を湛えた瞳で見上げる小さな子供たちに向かって、布は、いかにもわざとらしい、優しくあやすような口調で言った。

「ケケッ! なぁに、ちっとも痛くねぇさ……ほんのちょっと大人しくしてるだけで、すーぐ終わるからな」

 真っ赤な瞳が怪しく光る。
 微かに残った意識の切れ端で、ランディが最後に見たのは、夕闇色の霧の中、白い三日月がにぃっと笑うところであった。