学校といえば授業、部活、友人などなど楽しみにしていることは色々あると思う。
そして、その中に例外なく入っている、一年生の宿泊会といったような学校行事という名のイベント。
タマムシ高校の五月にはこんな学校行事があった。
グラウンドで色々な競技を展開させる体育祭。
[体育祭:開会式前]
五月の下旬も過ぎていき、少しずつ夏の雰囲気が伝わって来る中、
タマムシ高校の体育祭は雲一つない快晴に恵まれた。
グラウンドには学校指定である白いハーフシャツに紺色のハーフパンツの体操着に身を包んだ生徒たちが少しずつ集まっていた。
ちなみに白いハーフシャツの胸辺りにはタマムシ高校の校章模様があしらわれていて、
その近くにはそれぞれの名前が刺繍(ししゅう)されている。
1年F組の黒板に
天侯を操るとされているポケモン――ハクリューが描かれたイラストが貼ってあった。
背景には太陽をモチーフとしたかのような模様が描かれてある。
「やっぱ、オレとドーブルのおかげ?」
「ブルッブル!」
赤色のふちメガネが太陽の光を反射させながら日生川健太と
彼のパートナーであるドーブルは胸を反らしてポーズを決めていた。
「……私は……ポワルンのお守りに……お願いをしました……」
おそるおそる、
握ってあった,『ポワルンの晴れのときのフォルムのキーホルダー』を示しながら、
朱色のツインテールを持つ光沢しずくは恥ずかしそうに言った。
「……まぁ、どっかの馬鹿がポケモンにあまごいをさせなかっただけでも奇跡と言うべきかしらね?」
頭をかきながら開いたおでこに当たった太陽の光が熱そうである朝嶋鈴子。
「……まさか、お前……」
三人からちょっと離れたところから日暮山治斗が一人の少女に懐疑的な目を向けた。
「ウチが、念を込めて『にほんばれ』をしといたからな!」
その正体はロコン――けれど今は10代後半の人間の女子になっている天姫灯夢は
にかっと健康な白い歯を見せながら得意げに笑っていた。
[体育祭:開会式]
「宣誓! 私たちはスポーツマン・シップに乗っ取り、
正々堂々と戦うことを誓います!!」
グラウンドでマイクに乗せて響いているのは一人の代表者の熱い言葉。
鉄製の台に乗っていた代表者は背筋が一直線に綺麗に伸びていた女子で、
頭に巻いてある赤いハチマキが黒髪にその者の意思が強く映っているかのように風になびいていた。
そして空に上げられた右腕はヤル気に満ちているかのように太陽の光を受けていた。
タマムシ高校の体育祭は
各組、一年生二クラス、二年生二クラス、三年生二クラス編成の
フャイアー組、フリーザー組、サンダー組の三組(要するに赤組、青組、黄組)に分かれて様々な競技に挑み、
更に二年生による看板の絵の評価と
そして三年生による応援団をプラスして、
その合計点で雌雄を決するというシンプルなルールで展開されていく。
まぁ、個々の競技に関してはシンプルではないところもあるのだが……それは後に。
一応、補足する形で説明しておくと、グラウンドに設けられたコースは一周200メートルで、
それを取り囲むようにそれぞれの組の席、そして来賓席などがある。
そして、それぞれの組の席――選手席の後ろに例の二年生達が絵を描いた大きい看板があった。
フャイアー組はバシャーモが激しく溶岩を飛び散りさせながら飛翔している絵。
フリーザー組は吹雪を華麗にその身にまとったユキメノコが踊っている姿と、傍らにラプラスが歌っている絵。
サンダー組は何匹のピカチュウが電光石火をかましていて
「おれたちは止まらないぜ!!」というメッセージが込められている絵。
無論、その看板の絵達に健太とドーブルの目から、らんらんとしたものが放たれていたのは言うまでもない。
ちなみにこんな愚痴を残した者がいた。
「……なんで、ロコンが描かれてないやねんっ」
その張本人の手から赤いハチマキの悲鳴が聞こえた。
[体育祭:二人三脚 〜ポケモンの愛を受け止めて〜]
50メートル走や100メートル走をサンダー組が制した後に行われる二人三脚。
「…………改めて、思うんだけどさぁ、このサブタイトルはなに?」
鈴子の呟きは恐らくタマムシ高校の全一年生の心情を示していた。
しかし、二年生や三年生の先輩たちはそろいもそろって必ず言う言葉。
「やれば分かる」
……先輩たちから向けられた微笑みが何を意味指すのかを一年生たちはすぐに知ることになる。
この競技はどうやら一年生限定の競技らしく、
二、三年生の先輩達は懐かしむように、けれど遠い目で見守っている感じだった。
ルールとしてはスタートしたら近くにある用意された二人三脚用の帯を取り、
コースを一周してゴールインするというシンプルなものである……はずだった。
「……なんで、毎回、毎回、おんどれとペアを組まなきゃいかんのや!?」
「……俺に文句を言うな! くじ引きの確率に文句を言え!」
まず、ルールとしてペアは必ず男女で組むこと。
これは気になるあの子と一緒に……という夢がありそうなルールだが……。
「おんどれ……ウチの足を引っ張ったら、しょうちせえへんからな!!」
「お前こそ、リズムをちゃんと合わせろよなっ」
「……ウチのリズム感を甘く見とるやろ、おんどれ」
「正直に言わせてもらうと、心配としか言えないんだが」
「おんどれはどこまでウチのことを馬鹿にすれば気が済むんや!?」
「いつも言いたかったけど、お前も同じことをしてるんだからな!?」
…………このように、組んだ相手によっては残念な結果が待っていたりすることもある。
まぁ、ケンカをすればするほど仲が良い……と言い換えることができる…………かどうかは不明だが。
「それでは、位置に着いて……よーい、スタート!!」
ピストル音が空に向かって放たれ、最初の組がスタートした。
スタートから10メートル進んだところにテーブルがあり、
そこに待っているかのように鎮座している各組の帯を手に取る。
治斗と灯夢はファイアー組なので赤色の帯を手に取る。
「おんどれは変なとこ触るかもしれへんから、ウチが巻くわ!」
「ひどい言いようだな! それっ!」
先程の口ゲンカで上昇した熱をそのままに、灯夢が二人の足を巻き始める。
灯夢の左足と治斗の右足が手早く結ばれて、走りだそうと――。
「な、なんかこれ、すごく走りにくくないか?」
「何やってるんや、おんどれ! やる気あんのか!?」
「そんなこと言われたって……!?」
「あっ! どあほ!!」
盛大に転ぶ音がグラウンドに響き渡る。
前のめりに綺麗に倒れていった。
しかし、それは治斗と灯夢だけではなかった。
他の組の方も見てみると短い悲鳴を上げながら転んでいた。
『こちら、今回の競技に使われている帯は
なんと、キャタピーやビードルたちといった
虫ポケモンたちの協力のもと作られていまーす!!』
拡声器から響いてくる電子音に乗ったカミングアウト。
そう、この競技に使われている帯は
ポケモンの『いとをはく』という技が100パーセント織りこまれている特別製の帯だった。
ポケモンの『いとをはく』という技とは相手の素早さを下げる有効な技――。
「……やっぱり、人間にも効くんだな……」
治斗がおでこをさすりながら呟いた。痛みの衝撃からか、うっすら涙を浮かべている。
足首をひねったわけではないが、
少しばかり重く締め付けられているような違和感が体の中では広がっていた。
「……おんどれ! なに弱気なこと言うとるんや!? 『いとをはく』ごときなんやねん!?」
片手で顔に着いた砂を払いながら灯夢は喝を飛ばした。
…………虫ポケモンが聞いていたら憤慨しそうな言葉だったが。
とりあえず、灯夢とゆっくり立ち上がりながら治斗は答えた。
「そんなことを言われても、困るんだが」
「『いとをはく』を受けた感覚なんて、その内に慣れるもんやで?」
「お前と一緒にするなよっ!」
慣れるなんて……それは灯夢がロコンというポケモンで、
きっとまた昔という名の経験で克服しているかもしれないから、そんなこと言えるかもしれない。
どうすればいいか分からないといった治斗の顔を見て
灯夢はやれやれといった顔で溜め息を吐いてから真剣な顔つきになる。
「ったく、しゃあないな! ええか? おんどれは左足だけを動かせばええ。
おんどれの右足の分をウチの左足で動かす。おんどれはそのとき、右足を踏ん張っておけばええから、な!?」
灯夢の案が不意打ち気味だった為、驚いた治斗だったが
その案からポケモンである灯夢が今の状況を打開することができる唯一の存在だと分かったからである。
「ちょい、おんどれ! ウチの話、ちゃんと聞いとるんか!?」
「あぁ、ワリィ。それで……掛け声とか決めとこうか?」
「ん? あぁ、確かにそうやな。
オー、でおんどれは右足を踏ん張れや。エス、でお互いのもう片方の足を動かしていくで」
「なぁ……それって綱引きじゃあ……」
「細かいことを気にする時間はないやろ! 行くで!!」
灯夢の空手チョップが治斗の胸に入った。
スタートして殆どの組が何度も転んでいる。
「あいつら、また転んでるよ。これで何回目やら」
「おれたちも、あんなときがあったなぁ………………」
「そうそう、転びまくってマジ泣きしたやつもいたよねー」
特別製の帯に踊らされている一年生たちを見守りながら先輩たちが呟いていた。
「この競技ってある意味、一年生に対するタマムシ高校式の愛の洗礼だと俺は思うんだけど」
この一言にその場にいた先輩たちが真顔で頷いたのは言うまでもない。
「それにしても……あのファイアー組の二人、中々いい感じじゃない?」
とある女子の先輩は指を指しながら関心そうに呟いていた。
オー、エス。
オー、エス。
治斗と灯夢の『オー、エス』デュエットは最初はテンポが悪かったのだが、
徐々に治斗も完全とは言えないものの違和感に慣れてきたようであった。
決して速いというわけではないが、遅いというわけでもなく、
第一グループのトップを駆けていたのは治斗と灯夢で、
そして、そのまま一位のままゴールインを果たしたのであった。
他の組もちょっとずつだが慣れてきたようでコースの半分を超えていた。
一位のスラッグが立てられているところに治斗と灯夢は並んで座った。
「……なぁ、お前って『いとをはく』を受けても本当に大丈夫なのか?」
次のグループの雄姿を眺めながら治斗は呟いた。
灯夢は顔の向きは競技をやっている者たちの方に向けたまま、
だが言葉はしっかりと治斗へと向けられていた。
「んまぁ、動きにくくなるちゅうのは本当やけど、あれに比べればな、まだマシなほうやで」
「……あれって?」
「昔な、とある森の中を通り抜けようとして入ったときのことや。
いきなり、ウチの前にキャタピーやらビードルやらケムッソやらがな、
ウチに大量に『いとをはく』を浴びせてきたんや」
思いだすだけでも忌々しいといったように灯夢の顔が苦虫をかんだような顔になる。
「……なんか恨みとか売ったとか……?」
「あんなぁ……なんで、なんでもかんでもウチが何かしでかした風にゆうんや? おんどれは。
ちゃうで? 向こうが勝手にウチに因縁をつけてきたんやで?」
治斗を一回にらみつけてから灯夢が続ける。
「炎ポケモンが森の中に入ってきたら火事になるやろ! って勝手に言われたんや!
……ったく、迷惑な話やでほんまに」
炎ポケモンが間違えて火の粉などでちょっとしたボヤ騒ぎを起こしてしまうことは、そんなに珍しいことではなかった。
一見、偏見のようなキャタピーたちの主張だが、
炎が苦手な虫ポケモンや草ポケモンにとっては死活問題であるから、
一概(いちがい)に彼らを責めることは流石の灯夢にもできなかったのであった。
まぁ……だからといって、こちらから言い分を出す前に
いきなり『いとをはく』の洗礼を受けたというのは灯夢にとって、本当に迷惑な話だったと思うが。
「それで、『いとをはく』をやられて、その後はどうしたんだよ」
このときの治斗の頭の中では毛玉に包まれて顔だけ出しているロコンの姿を思い浮かんでいた。
……なんか可愛いのやら、滑稽(こっけい)やら分からなくなって思わず顔がにやけている。
「痛っ!」
しかし、灯夢の空手チョップが見事に頭にヒットし、治斗の想像が電波の如く途切れた。
「おんどれ……絶対、今、ウチのこと馬鹿にしたやろ……!?」
にらみを更に強く治斗にぶつけて、とりあえず黙らすと灯夢は口をとがらしながらも話を続けた。
「あれから大変だったんやで? あやつらはウチのことを糸まみれにさせた後、人気のいないところに置き去りにしてっ
……口も『ひのこ』が出んように糸を巻かれてしもうたからな、思いっきり、もがくしかなかったんや」
「出られたのか?」
「なんとかやな。のたうち回っている内に糸が少しずつほぐれてきたみたいでな。そいで助かったんや。
…………ただ、脱出するまで二日はかかったから、ほんまに死ぬかと思ったで」
いつの間にか灯夢の視線は競技の方に向けられていた。
そして、その茶色の瞳は遠く昔を見つめているような印象であった。
いつもは経験、経験と自慢話のように語る灯夢を見て、
傲慢(ごうまん)なロコンだという感じは治斗の中にあった。
まぁ……その印象が覆ることはこれから先もずっと叶わそうだが、
それでも灯夢がその経験に裏付けされた、『頼りになるところもある』ということを治斗は思った。
この二人三脚で灯夢が成してくれた結果がなによりの証拠である。
「後は……謙虚、さえあればなぁ…………」
隣から可愛いくしゃみが聞こえてきた。
[体育祭:大玉転がし 〜マルマインの機嫌を損ねるな!〜]
グラウンドに120人が一列に並んでいる。
「なぁ、これって本物のマルマインを使ったりするのかな?」
健太が面白そうなものを見つけたような眼差しをしているが、
本物のマルマインは約66キロあり、人の手の上に転がっていくには難があると思われる。
しかし、スタート時点に置かれている大きなボールは
半分下が赤色、半分上が白色のまさにマルマインの姿であった。
…………ただし、本物のマルマインではない。
この競技は一番前の選手が10メートル先にある大きなカゴの上にある
マルマイン色に染まった大玉を……そっと……下ろし、転がして、
列の一番前に戻ってきたら、大玉を……そっと上げて、
手の上で前から後ろへと転がしていき、
一番後ろに到達したら大玉を……そっと……下ろし、転がして、
20メートル先の赤いコーンをぐるりと一周回り、
再び上げた大玉を後ろから前へと手の上で転がしていき、
最後に一番前に大玉が来たら……そっと……下ろし、転がして、
10メートル先の大きなカゴの上に大玉を……そっと……乗せればゴール。
二回トライし、
最終的に各組の良いタイムを競いあうという競技である。
「……なんか『そっと』っちゅう言葉が強調されてるような気がするやけど」
灯夢のさりげない言葉は、すぐに恐怖という言葉に変換される。
最初にくじ引きで一番を引き当てたサンダー組が競技を開始して
大玉が列からこぼれ落ちた、
刹那(せつな)――。
爆発音がグラウンド、いや、タマムシ高校じゅうに響き渡った。
『そのマルマインさんは繊細な心を持っていますからね〜、
下手に荒い扱いをすると……どーーん!!! ……ですからね〜!!
あっ、ちなみに爆発するとそのチャレンジは失敗ですから気をつけて下さいね!』
拡声器からはまるで他人事のように響き渡るカミングアウト。
グラウンドのサンダー組から当然のようにブーイングが入ってくる。
二、三年生も知らなかったということは、どうやら今年初めての競技らしい。
『ちゃんとパンフレットのルールにも書いてありますよね?
そっと……って。ちゃんとルールは確認しないとダメですよ〜!?』
確かに何かをにおわせていると考えてもおかしくないほどに『そっと』という言葉が強調されていたのは確かである。
言い返す骨を見事に砕かれたサンダー組は仕方なく二回目のチャレンジに移った。
無論、全員に緊張感が疾走したのは言うまでもない。
そして、一回目よりも少しばかり遅くなったというのも言うまでない。
「とりあえず、あの玉を落とさないようにすればいいのよね?」
「……な、なんか……怖い……ですね」
サンダー組の二回目のチャレンジも終わって続いてはファイアー組の番。
ちなみに配列としては三年生を前にして二年生を後ろ、そしてその真ん中に一年生という形になっている。
鈴子としずくが緊張しながら息を飲んでいる傍ら、灯夢は高笑いをしていた。
「だ〜いじょうぶやって! 爆発しても死ぬんわけやないんやからな!」
……灯夢は経験豊かな、齢(よわい)900を超えているロコンだ。
もしかしたら、マルマインの『じばく』や『だいばくはつ』を経験しているかもしれない。
そう治斗が思ったのとスタートの合図であるピストル音が響いたのは同時であった。
「……なぁ、治斗」
「なんだよ?」
隣の健太からの呼びかけだが、治斗の視線は間もなくやってくる恐怖の大玉に向かれている。
だから、治斗の目には映らなかった。
健太が何やらうずうずしているかのように体をちょっと震わしているのを。
「なんか、両手を挙げているところにボールがやって来たらアレをやりたくなるよな?」
「アレって?」
大玉の方に集中している治斗の頭に思考という時間は与えられるわけなく、
そのまま大玉が治斗たちのところに到着した――。
「トス!!」
アレとは恐らくバレーボール。
そして空中で綺麗に弧を描いた大玉は、
列の一番後ろをギリギリオーバーして、そのまま地面に――。
爆発音と数名の悲鳴が空に羽ばたいていった。
「うん、我ながら、いいトスだったんじゃねぇ?」
自分の役割をしっかりと果たしたかのような顔を見せている健太に
すぐさま牙を向けた者が一人いた。
「おんどれは、アホかぁぁぁあ!!??」
ファイアー組全員のツッコミという気持ちが灯夢の拳に乗り、
「ごふぅ!?」
深い殴打音が鳴り響いた。
「……とりあえず、邪魔者は消えたといったところかしら?」
「え……そ、そんな、朝嶋さん……そ、その、言葉は…………」
冷たいものを見るかのような鈴子の視線と
心配そうにオロオロしている、しずくの視線が交わる先には
地面に倒れて、けいれんしているかのいように体を震わせている健太の姿があった。
[昼休み]
引き続き快晴模様が広がる青空の下での食事は心地良いものである。
「うめぇ! うめぇうめぇ!!」
…………先程、灯夢の拳によって負傷を負ったはずの健太が箸を動かす速度を上げていた。
「……なんで、お前は……」
「それにしても宿泊会のときに治斗はすごいパンチを灯夢からもらってたよな? 本当に平気だったのか? あのとき」
「それはこっちのセリフだっつうの!」
例の恐怖の大玉転がしから一時間後、健太は戻ってきたのだが……
灯夢のパンチで受けたダメージもどこ吹く風といった感じに、けろっとしていた。
おまけに食欲も衰えていないのだから驚きである。
……健太は馬鹿なのか? それとも、なんかすごいヤツなのか?
治斗の悩みが一つ増えたかもしれない今日この頃である。
「それにしても……これ、本当にいただいちゃっていいの? 日暮山君?」
鈴子も箸を動かす速度を上げながら尋ねていた。
今、この状況を説明すると、
青空の下、中庭にて、広げたブルーシートの上に
治斗、灯夢、鈴子、しずく、健太の五人が座り、
漆黒に漆塗り(うるしぬり)された五重箱を囲む形になっている。
「いいよ、いいよ。楓山さんも皆で食べて下さいって言ってたし」
灯夢が気にしないでいいといった感じに手を振り、笑いながら答えていた。
実は大家代理――治斗と灯夢が一室借りているアパート『楓荘』の楓山幸が体育祭のことを聞き、
なんと応援する形で立派な五重箱の弁当をこしらえてくれたのだ。
きんぴらの煮付けや、
ほうれん草のソテー、
唐揚げや、
デザートには角切りされたモモンの実や
その他諸々、
なにせ五重箱であるから種類が豊富にありすぎて、
それぞれの品目を語っている内に料理が冷め過ぎてしまう。
「いいよな〜、こんなにウマい料理を作れる女の人がいてさ……その内、その楓山さんと治斗が恋に落ちてからの……」
「んなわけ、あるか!!」
健太の勝手な妄想を止める為に治斗はわざと声を荒げた
「……なんか、どこかで聞いたことのあるような……ないような……」
健太の勝手な妄想に何か引っかかるらしい鈴子であるが、
……何に引っかかったのは、ご想像にお任せする。
「なぁ、治斗。今度お前の部屋に行ってもいいよな?」
健太の不意打ちにも似た訪問希望に治斗は思わず口の中に入っているお茶を吹き出しそうになり、
慌てて飲み込んだ後は、むせて、ゴホゴホとせき込んでしまう。
灯夢のほうも若干、目を強張らせた。
……実は治斗と灯夢が同じ屋根の下の同じ部屋で生活していることは二人だけの内緒にしていた。
「う〜ん、確かに気になるわよね」
「……わたしも……ぜひ……行ってみたい……です」
興味深そうに治斗を眺める鈴子と珍しく積極的なしずく……はさておき。
内緒の理由はただ一つ。
「なぁなぁ! いいだろ!? いいだろ!?」
コイツ――健太みたいなヤツにばれたら、なにかと面倒なことがあるかもしれないからである。
……まぁ、一緒に住んでいることになにかと言われても恥ずかしいし、
なにより、灯夢の正体がばれてしまう可能性が比較的に高そうであった……というのもあったりなかったり。
ちなみに、登下校も最初だけはなんとなく一緒にしていた治斗と灯夢だったが、
疑惑をかけられるかもしれないと思いついた、それ以降からは別々に登下校をしている二人である。
「俺の部屋は散らかっているからダメだって!!」
恐らく部屋に来ないで欲しいときによく使われていそうな言葉から始まり、
延々と昼休みが終わるまで、言い訳を語り続ける羽目になった治斗であった。
一方、灯夢はというと、あとはコイツに任せておけば大丈夫かと開き直り、
のんびりとデザートのみたらし団子を食べ始めるのであった。
そして治斗のほうは今日一番に、どの競技よりも体力を使う時間帯となったのであった。
[体育祭:借り物競走 〜おたくのポケモンちゃん、いらっしゃい♪〜]
……今度こそは裏も何もない(ハズ)の競技、その競技名、そのままである。
ざっとしたルールはスタートした選手がグラウンドの真ん中に放置されているいくつかの封筒を
一つだけ取り、封筒の中にある手紙に書かれている『お題』に沿って誰かからソレを借り、
その『お題』の理にかなっているかどうか審査してもらう場所へと向かう。
OKが下れば、後はゴールインするだけである。
「サブタイトルからして…………どなたかのポケモンを……借りてくるという……ことですよね……?」
しずくの呟きに反応した一人の先輩が――。
「…………今年はケガ人が出なきゃいいけどな…………」
警戒するかのように独り言をこぼしていた。
「位置について……よーいドンッ!!」
ピストル音が昼下がりの空に放たれたと同時に第一グループの六人が走り出した。
ファイアー組では、しずくが封筒を拾い、中の手紙を読んでみる。
そして、すぐに来賓席のほうに走って行った。
「……あ、あの……強いポケモンを……持っている方っていっらしゃいますか…………?」
しずくの声の音量は比較的に小さいのだが、『お題』が書かれた紙を前に出しながらだったので、
どうやら伝わったらしい。
「じゃあ、おれの自慢のマタドガスを連れていきなよ!」
一人の30代と思われし男性が率先してしずくに近寄ろうとする。
しずくの視線はその男性のほうに向かれていて分かってなかったが、他の五人もまだ何も借りていないところから、
このまま行けば、しずくが一位を取れるかもしれない――。
「いやいや! オレのペルシアンのほうが強いって!!」
別の男が手を突然挙げながら。
「ちょっと!! わたしのカゲボウズちゃんのほうが強いに決まっているでしょ!?」
今度は大人のおねえさんが立候補。
「僕のニドクインが――」
「あたしのアーボックだって――」
「自分のスピアーの針には誰にも――」
次々と自分のポケモンを推してくる状況にしずくは戸惑ってしまう。
一体、誰のポケモンを借りていけばいいのかという問題もそうなのだが、
それ以上に異様な雰囲気が辺りを包みこんでいっているような気がしてならなかった。
残念ながら、「どうぞどうぞ」というオチにはなりそうになかった。
「てめぇ、そこまで言うならポケモンバトルで決めようじゃないか!!」
「言ったわね? 痛い目にさせてあげるんだから!!」
「なに話を勝手に進めているんだよ、おまえら! 上等じゃねぇか!!」
……絶対にならない。
皆、自分のポケモンが大好きなのである。
そして自分のポケモンが一番! なのである。
…………だからこその本気がここで生まれて、
それで去年はヒートアップしすぎてケガ人が出たというわけである。
「あ……あの……う……」
一人、置いてかれている感が漂っている、今にも泣きそうなしずくであった。
…………結局しずくはあの状況をどうにかすることはできずに、そのまま最下位に。
そして続く第二グループでは治斗が走ることになっていた。
「……大丈夫かな、あそこ、まだバトルしているんだけど」
依然とポケモンバトルを繰り広げている人たちを眺めながら、
そして、どうしようもない不安を胸に抱えながらもピストル音を捕えたその体は走り出した。
封筒を拾い、『お題』を確認してみる。
「……………………絶対、これ、意図的に、ああいう状況を作ろうとしてるだろ……!?」
思わず疑いを込めた溜め息をつく治斗だったが、このまま立ち止まっていても仕方がないので、
諦めて、
でも意を決するかのように、
来賓席へと走って行った。
「すいませーん! どなたか、すごく可愛いポケモンをお持ちでしょうかー!?」
治斗の声が人々の中へと消えていった後――。
「なら、わたくしのプリンちゃんを……」
快く立候補してくれたのはいかにもセレブそうな高価な服を着ている女性が――。
「ちょっと待ってよう! アタシのカゲボウズちゃんのほうがかわいいよう!!」
横槍のごとく一人目。
「あら、わたしのエネコのほうが毛並みも美しくて可愛いですわ」
納得がいかないような感じで二人目。
「な〜に言ってんのよ! 私のオタマロちゃんをよく見てってば! ちょーう渋かわいいべっ!?」
我慢ならないといった感じで三人目。
「フン! しぶ可愛いなら、アタイのイシツブテのほうが100倍いいね!!」
対抗心を『だいもんじ』のごとく燃やして四人目。
他にも次から次へと、自分も負けじと立候補してくる人たちに治斗もたじろぎそうになる。
置いてかれる感覚……光沢さんの気持ちが分かるなぁ……といった感じで半ば諦めを込めた溜め息をもらした――。
「えっ?」
刹那(せつな)――。
治斗は自分の太もも辺りから何かぶつかった感覚を受けた後、
思いっきり転んでいた……いや、正確には6〜7メートルぐらい吹っ飛ばされていた。
はたから見ればド派手に転ばされたはずなのだが……
先程の自分のポケモンを立候補してくれた人たちは熱い口論を交わしているようで、
治斗のことなんか忘れてしまっているようだった。
それはなんだか治斗にとっては残念なお知らせであったが、
治斗の上に乗っているもの――ロコンにとっては都合が良かったかもしれない。
「!! おまっ、まさか……灯夢、なのか……?」
赤茶色の頭の巻き毛から踊っている白銀色のかんざしがまさしく証拠だった。
ロコン――灯夢は肯定を示すかのように笑顔で一言鳴くと、
治斗を押し倒したまま、その可愛らしい顔を治斗の耳元に寄せた。
「……おんどれ、ウチを連れていくんや……ええな?」
流し目で治斗を覗く(のぞく)その瞳は鋭利な刃物のように光っていた。
逆らえば、この場でゼロ距離『かえんほうしゃ』か、首元に『かみつく』だろう。
背中に冷や汗を若干、流しながら、とりあえず、治斗は黙ってうなずくと灯夢はすぐに治斗の体の上から下りた。
それに続くように治斗も立ち上がり、辺りを確認してみると……。
先程の自分のポケモンを立候補してくれた人たちは依然と熱い『うちの子はねぇ……』を繰り広げていた。
そして、他の選手がまだ何も借りられていないところから、このまま行けば自分が一位になると判断し、
すぐさま、灯夢と走り出した。
……もしかして、灯夢はこの時を待っていた、かも……?
そんな疑問を胸に抱きながら。
[体育祭終了後……楓荘の一室にて]
なんとか無事に……かどうかが分からないところが所々にあったのだが、
とりあえず体育祭は熱気に包まれている中、閉幕した。
優勝組はサンダー組で、徒競争系の競技で大勝したことや看板の絵で高得点を取ったことが大きかった。
二位はフリーザー組で、応援団では一番の高得点だったが、いま一歩届かず。
「あん! もう、悔しいったらありゃしないで!!」
「……だからって、そんなにみたらし団子をヤケ食いするなよ」
そして治斗と灯夢の所属していたファイアー組は残念ながら最下位であった。
看板の絵の得点がイマイチ伸び悩んだのと、全学年でやる競技に負けてしまったのが主な敗因である。
とにかく勝負に負けて悔しい灯夢は帰り道で購入した大量のみたらし団子を
皿の上にこれでもかというぐらいに山積みした。
……仮にみたらし山と呼ばれる、その山は五合近くまで削り取られていた。
「これから一応打ち上げもあるんだからさ、あんまり食いすぎんなよ?」
「おんどれはちょい黙っとれや! ウチは、モグ。 みたらし団子をなぁ、モグ……んっ!?」
灯夢(元のロコンの姿)の手が突然止まったと思いきや、徐々に灯夢の顔が青ざめているような……。
治斗は慌てて灯夢に緑茶を差し出した。
乱暴に治斗の手から緑茶を奪った灯夢は急いで大きな音を立てながら流し込んで、大きく一息つく。
「……し、死ぬかと思ったで……」
「だから言わんこっちゃない」
とりあえず、危機的状況がくれた効果だからか
頭が冷えて落ち着きを取り戻した様子の灯夢を見ながら治斗は思いついたかのような顔になった。
「なぁ……借り物競走のときのことを覚えているか?」
先程の嵐のように俊敏にみたらし団子を取る小さな手はそこにはなく、
ゆっくりとみたらし団子を再び食べ始める灯夢は当然と言いたげに首を縦に振った。
「可愛いポケモンを探していたときさぁ…………」
助けてくれたんだろ? という治斗の言葉の前に灯夢が割って入ってきた。
「ウチが一番、可愛いに決まっとるやろ?」
……改めてお礼を言おうとした治斗の顔が若干ながらも曇り始めた。
そんな治斗の様子も知らずに灯夢が続けた。
「というより、ポケモンの中ではロコンが一番可愛いに決まってるんやん!
まぁ、ウチはそのロコンの中でも一番可愛いっていう自信があるんやけどな!」
後ろ足で立ち上がり、
一つの片手に串に刺さっているみたらし団子。
もう一つの片手を腰に当てて、
当然だと語った、
ロコンが治斗の目の前にいる。
治斗は思う。
……謙虚、さえあればなぁ……
向かい側から可愛いくしゃみが鳴った。