ナゲキがやってきた。
平穏というのはこうして簡単に容赦無く終わるものだと彼は知っていた。
彼らの目的は木の実ではない。そんなものには初めから興味がなかったのだ。そう思うと彼は 何だか悔しかった。少しは興味を示せよ、という理不尽な怒りが沸き上がる程だ。
ナゲキは道着をのような布を纏った赤いポケモンだ。彼等は五匹で一組みの群れを作る。その目的は主に武者修行で、強くなるために積極的に草群から飛び出してくる。
そんなナゲキの群れが果樹園に姿を現した。木の実を取る様子がないので放っておくと、大事な木を敵に見立てて技の練習を始めたのだ。腰に縛っていた帯を巻きつけ、投げ技の練習に精を出している。彼が丹精込めて育ててきた木だ。そう簡単に折れたり倒れたりしないだろうが、黙って指をくわえて見ていられる程彼はクールではない。大事に育てた木なのだ。商売道具でもあるのだ。彼は慌ててポケモンで追い払うため、思いっきり笛を吹いた。
収穫や農作業、見回りを中断してポケモン達がやってくる。それに気づいたナゲキ達はやっと修行を中断し、彼等に向き合った。
「おーい、いるかー?」
ドア付きベルが響き渡る。木製のカウンターの向こうには誰も立っていない。彼は灰色のパナマ帽のつばを指で弾き、勝手に椅子に座る。そして備え付けの呼び鈴を鳴らすとしばらくしてからワインレッドのワンピースの女が現れた。
「あら、いらっしゃい。よく来てくれたわね」
レンタルポケモン屋『パートラーク』の女店主、クレタは嬉しそうに客を迎えた。
まるで百年来の友人の様に話すその応対が客にウケているのだろう。彼はたまに馴れ馴れしいと思わないことも無いではなかったが、彼女の開放的な性格には好感を持っていた。
「どうしたの? なんか疲れてる? ダメよー。仕事の疲れを私生活に持ち込むような生活してちゃ」
「それがな、ちょっと悪いんだが、借りたポケモンを返そうと思って」
彼女は狐につままれたような顔をする。胸にずんと重いものでも埋め込まれたような感覚に、彼は溜息をついた。相手が彼女でなかったら中々言えなかったかもしれない。
事情を話すと、彼の心配とは裏腹に彼女は笑い話でも聞かされたかのようにケラケラ笑った。
「そりゃあダメよ。格闘ポケモンにノーマルポケモンが簡単に勝てるわけないじゃない。それにあなたに貸したのはバトル用に育てた子達じゃないし。無茶よ無茶」
「面目ない。俺のポケモンも全滅して、どうにもならなかったんだ」
「え? 確か飛行ポケモンいなかったかしら? それでもダメだったの?」
「まぁ、今育ててるのはバルチャイだから相性としては万全ではないし、レベルもはっきり言って低いからな」
「そっか。それはちょっと困ったわね」
「もう少しレベルの高いポケモンをレンタルすると、やっぱり結構かかるのか……?」
カウンターに置いてあるレンタルポケモンのカタログを手に取り中を見始める。彼の言葉に彼女は肩をすくめた。
「あのね、誰にでも言う事聞くポケモンを育てるのって本当に難しいんだからね! ノーマルポケモンが一番クセがなくていいんだから。それにアンタんところはバトルすればいいってわけじゃないでしょ? 見回りとか果樹園の手伝いとか、そういう汎用性の高い子はやっぱりちょっと値が張るわよ」
「顔馴染みとしての割引価格は……」
「5匹のナゲキに確実に苦戦しないポケモン、強さと数――と、戦闘専門にしてもこんなところかしら」
黙って電卓を弾き、彼女が見せたその数字は覚悟していた額を遙かに上回るもので、彼はがっくりと肩を落とすしかなかった。
「うーん、もうこの際ナゲキ達を撃退できればそれでいいんだが……なんとかならないか? このままじゃ俺の大事な木がボッキリ折れちまう……」
「ま、返却はどのみちキャンセルね。また一から作業を教え込んでる暇も無いでしょ」
頭を抱える彼の姿を見て溜息をつくと、彼女は少ししてからニッコリ笑う。
「いいアイディアがあるわよ」
そう言うと、クレタは手近にあった紙に何か書き始める。それを見て彼はああ、と感嘆の声を漏らす。
「ポケセンに回復に行くでしょ? その時にこれ、渡して。あなたは頼みごととか苦手だから、これを渡すぐらいできるでしょ?」
「ああ、これなら子どもでもできるだろうな」
皮肉の込められた返事を聞き、彼女は前髪を弄りながら笑顔を見せた。
「すまないな。借りにしとくよ」
「レンタル屋だけどサービスでいいわよ。今後ともパートラークを末永くご贔屓くださいな」
受け取り、掌で礼をすると、彼はポケモンセンターへ向かおうと席を立ち、ドアに手をかける。
「ボトル」
ドア付きベルが小さく鳴った時、名を呼ばれ、彼は首だけで振り向く。
「ん?」
「なんとかなるわよ、きっと」
「ああ、今までそうやってきたからな」
「そうね。一人になっても何とかやってきたもんね」
その日のポケモンセンターは随分空いていた。自動ドアが開いた時から涼しい空気に浸ることができ、このまま帰りたくないなとも彼は思ってしまったが、そうもいかない。
「あら、ボトルさんいらっしゃい。木の実の配達、もうだったかしら?」
受付のジョーイはやってきたのが顔馴染みだとわかると嬉しそうに声をかけた。
「この間のオレンの実、とっても美味しかったですよ。センター利用者の方々にも評判で、何だか私まで誇らしくなっちゃいました」
「いや、今日は出荷に来た訳じゃないんだ。これ」
「ああ、ポケモンの回復ですね。少々お待ちください。今日は随分多いですねー」
ボールをカートで運び、回復マシンに入れると、お馴染みの完了を告げるメロディーが流れる。パソコンに映るステータスを確認するとすぐにボールを取り出し、ボトルの前に全てのボールが置かれる。
「お待ちどおさま。回復終わりましたよ」
「ありがとう」
「ボトルさん」
モンスターボールを渡すジョーイの表情はやや硬い。
「ご存知だと思いますけど、ここのマシンは何でも治せるわけじゃありませんからね」
「ああ、わかってるよ」
「この子達、かなり疲労が溜まってます。怪我は治ったけど、本当はしばらく休ませた方がいいんですからね」
「まぁ、目処が立ったらたっぷり休んでもらうつもりなんだけどな」
彼の返事にさらに何か言おうとしたところ、何かを突き出されて止められる。
「これ、貼ってもらってもいいか?」
それは果樹園のポケモン討伐依頼だった。ナゲキ達の討伐と果樹園の見回りをしてくれるトレーナーを募る手書きの広告になっていた。一目で誰が書いたものかがわかったらしく、クスリと笑い、ジョーイはそれを受け取った。
「これならボトルさんも農作業に専念できますね」
「でも、旅のトレーナーはポケモンの育成やバトルに忙しいだろうし、わざわざ農作業を進んでやるかな? そんな奇特な奴がいるもんかねぇ?」
「うーん、そうですね」
唇に手を添えて考え込むと、ジョーイは尋ねる。
「確かボトルさんの家、部屋は沢山余ってるって言ってましたよね?」
「ウチっていうか、果樹園ね。ああ、一応」
「そこを貸し出せばいいんですよ。宿泊場所と、ご飯も出してあげたほうがいいかしら?」
「住み込みを募集するってことか?」
「そこまでキッチリしたものじゃなくていいと思います。ちょっとした用心棒みたいなものかしら。トレーナーさんってお金がある人はいいけど、大抵贅沢できないからセンターに泊まる人も結構いるんですよ。宿泊施設じゃないからできることも限られてるし、飽きてる人もいると思うし。手伝いするだけで一日二日泊まれるならやりたいって人もいるんじゃないかしら」
「部屋も綺麗にしてるし、できないこともないか……」
「それにトレーナーさんなんだから、美味しい木の実をあげたら絶対喜ぶと思いますよ。バトルにも役に立つますから、あって困るものじゃありませんし」
それを聞いて、やっとボトルは安堵の表情になる。それを見てジョーイも笑顔になる。
「たしか募集広告のフォーマットは残っていたはずだから、簡単に手を加えてこちらで貼っておきますよ。お手伝いがいないと苦労するだろうから、私からもなるべく声をかけてみますね」
「なんか、何から何まで悪いな」
「いつまでも一人で切り盛りしようと思ったら倒れちゃいますよ。とにかく私に任せてください」
「じゃあ、頼むよ。今度の配達の時は、多めに木の実を持ってくるか」
「はい、楽しみにしてますね」
広告を見て集まったのは4人。ポケモンセンターに行った翌日にさっそく来たのは嬉しい誤算で、ボトルは満足していた。
一人目は上下色違いのピンクの迷彩で揃えた肩程まであるセミロングヘアの少女。名はエイミー。一体それはどこで何からどうやって身を隠すための格好なんだろうか、と彼は首をかしげる。もう一人はエイミーの友人らしき女の子、サクヤ。半袖にホットパンツの友人とは対照的に、膝丈スカートに長袖と少し運動には向かない格好で、ピンク迷彩の後ろについてくる感じのおとなしい子だ。しかしトレーナーというのは外見や性格で実力を測れるものではない。幼い子どもがジムリーダーやチャンピオンの座につくこともある。
「うーん、ここは切っとくか」
ボトルが作業をしていると彼の仕事が気になるのか、サクヤはチラチラこちらを見てくる。しかし人見知りをするのか声をかける勇気はないようだった。エイミーはというと機動力を持つポケモンを多く持っているらしく、かなり広い範囲の見回りを引き受けていた。本人も積極的に駆け回っており、木に登ろうとするミネズミに「コラーッ!」と大声で追い払う姿も見せている。
「木の実が入ったケース、運び終わったぞ」
三人目は長身の若者で、端正な顔に鋭い目付きは少し人を近寄らせない雰囲気を持っていた。カールがかった赤毛にやや褐色の肌、メンドーサという聞き慣れない名は他の地方からやってきたのかもしれない、とボトルは思った。口数も少ない仏頂面はあんまり人受けしないタイプだが、自ら仕事を引き受けに来たのだ、こういうタイプは自分で仕事を見つけて淡々とこなしていくものが多いので、仕事もバトルも期待できそうだ、と彼は思った。
そして最後に細身の男。妙に柔らかな物腰に丁寧な口調、そして適度に刻まれた顔の皺が年齢をあやふやにしている。笑顔を絶やさないが、それはどこかニヤニヤというのが似つかわしい笑みで、少々不気味にも感じる底が知れない男だった。
「いやぁ、たまには野良仕事も悪くないものですね。今晩のお酒が大変楽しみです」
オフキィという奇妙な響きの名の男は、進んで農作業を専門に手伝うと言い出した。討伐依頼を出すような野性のポケモンが出るところでは、自分のポケモンが戦闘では役に立たないだろう、ということだった。腕まくりしたワイシャツに紺のスラックスと随分動きづらそうな格好だったが、作業着を貸そうという申し出も頑として断った。「これが私の宣徳服ですから」とは本人の弁だが、首元のボタンぐらい外せばいいのに、とボトルは思う。手持ちのツンベアーも体力は十分にあるようで、力仕事をこなしても疲れる様子は無い。ますますこの男がわからないと、彼は思ったが一生懸命働いてくれるので文句は無い。世の中には変わった人間はいくらでもいるし、謙虚なだけかもしれないと自分を納得させ、彼は自分の作業に集中する。
ポケモンセンターから帰ってみると、ナゲキ達は姿を消していた。しかし、木には彼らが十分に修行したあとがしっかり刻み込まれていた。野生のポケモンは住処を簡単に変えないことの方が多い。戻ってくる可能性は高い。
そういった状況も説明しつつ、彼は四人のトレーナーに果樹園の地図を見せながら巡回範囲や雑務の説明をした。説明を聞き終わるとトレーナー達はすぐに手持ちを確認し合い、自分達の持ち場を決めた。それは驚く程スムーズで、彼等が旅慣れしていること、行く先でこういった依頼も何度かこなしていることがわかった。ボトルは心の中でクレタとジョーイに深く感謝した。
「あの、聞いてもいいですか……?」
気づくと後ろにいたサクヤがか細い声でボトルに言った。
「ああ、何?」
「えっと、その小さい木の実、不良品か何かなんですか? 見た目に悪いところはわからないですけど」
「ああ、これ?」
ボトルの手には先ほど取ったばかりのオレンの実が握られていた。確かに見た目におかしいところは無い。
「成長途中で木に生った実の数を減らすんだよ。実の数が多いより、ある程度少ないほうが十分に栄養がいって、大きくて美味い木の実になるんだ」
「へぇ、そうなんですか。全然知らなかった……」
「そのままじゃ酸っぱいんだけど、これはこれで熟したものより脂肪を分解する成分が多く含まれてるから、加工すればポケモンのダイエットなんかに使えるんだ」
感心の声を聞き、作業に戻ろうとすると、再びサクヤが言う。
「他にも聞いていいですか?」
良い木の実の見分け方、普段ポケモンにやらせている果樹園の仕事、周りにどんな野生のポケモンが生息しているのか……。次から次へと質問がされるので、作業をしながらボトルは答える。何度目かの質問に答え終わり、また次の質問をしようとサクヤが口を開いた時、遠くから怒鳴り声が聞こえた。
「サクヤ! いい加減にしなさいよ! あんたも働かないと、給料の半分はアタシが代わりに貰うからねー!」
「ご、ごめんなさい! すいません、また後でお話聞かせてください!」
走り去る彼女の背中を見て、彼はやっと解放されたと首を振った。しかし仕事が終わってからまた質問攻めが始まるのは目に見えている。ボトルは帽子を目深に被ると、そっと息を吐いた。
「頼まれていたことは終わった」
メンドーサが相変わらずの仏頂面で報告に来た。それはボトルが予想していた時間より遙かに早く、思わずまじまじと顔を見てしまう程だった。
「そういえばこの果樹園の――」
メンドーサが何か言おうとした時、高く美しい鳴き声で舞い降りるものがあった。
「ウォーグル!」
主人の呼び声に答えると、再び上昇したウォーグルは羽を散らしながらすぐに方向転換し、滑空してあっという間に飛び去る。
「奴さんが来たようだ」
「ナゲキか?!」
「ああ」
二人が全速力で駆けつけると、五匹のナゲキが例の木の場所にいた。二人が来たのを確認すると、ナゲキ達は叫び声を上げた。修行はしておらず、二人が来るのを待っていたかのように、前に出てくる。
「ウォーグル、お前は指示していたルートの巡回に行ってくれ」
上空で見張っていたウォーグルはナゲキ達を一瞥し、黙って飛び去った。それを見届けるとメンドーサは腰のボールを放つ。出てきたのはナゲキに似た青いポケモン、ダゲキだ。
「いけるな」
その呼びかけに、ダゲキは大声を上げ答える。ナゲキ達からは一匹が前に出て構えをとった。二匹はなにやら話し出す。どんな言葉を交わしているのかわからないが、穏やかな会話ではないのは明らかだった。そして、ダゲキが地を踏みしめて構えた時、戦いの火蓋は切って落とされた。先に動いたのはナゲキで、怒号を上げ飛びかかる。しかしダゲキは冷静に「ローキック」でスネを蹴り、痛みによろめいたところに「にどげり」が放たれる。一瞬の足技コンビネーションで、一匹目のナゲキは為す術もなく倒された。
仲間が倒されても他のナゲキ集団で襲ってくるようなことは無く、一匹ずつダゲキと戦った。ナゲキ達なりのフェアプレー精神というか、ルールが存在するようだった。
そのまま三匹目まで難無く倒し、ダゲキは四匹目もそれなりに体力に余裕を持たせて倒すことに成功した。残りは一匹。大将と戦う前に、メンドーサはダゲキを後ろに下げ、傷薬を使い体力を回復させる。治療が終わると、前に出たダゲキに対し、ナゲキは待ちかねたとでも言う様に肩を回す。その振る舞いには残り一匹に追い込まれたという同様は微塵も感じさせない。ダゲキの方が力量を測れずに戸惑っているようにすら見えた。
「よし、いけ!」
ダゲキを信じているのか、勝負に余計な横槍を入れないよう気を遣っているのか、そういう主義なのか、メンドーサはバトルの指示を出すようなことはせず、静かに見守っていた。口数の少ない主人の声援を受け、ダゲキが先制攻撃を繰り出す。しかし繰り出した「にどげり」は仲間の戦いで分析されていたのか、ナゲキに着実に腕でガードされ、足を掴んで放り投げられた。「あてみなげ」が見事に決まってしまった。
「ナゲキ出たって?!」
ウォーグルが知らせたのか、エイミーが駆けつける。 サクヤやオフキィも一緒だった。戦いの行方を見守る。
「こいつ、強いな」
メンドーサが呟いた。
確かに先程まで苦戦するような相手はいなかったが最後のナゲキは違う。ダゲキの攻撃を的確に捌き、避け、衝撃を見事に逃がして致命傷にならないようにしている。ナゲキがダゲキの袖や腕を掴もうとすると、大きく円を描く様に腕を振り、懸命に捕まらないように逃げる。ナゲキも何か感じ取ったのか、慎重に攻撃を繰り出すようになり、お互い距離を縮めたり広げたりと間の取り合いとなった。
「勝負は五分五分といった感じでしょうか」
「しかし、メンドーサ様のダゲキも相当鍛えているように見えますなぁ。そんな相手にナゲキは十分余裕を持って渡り合っています。野生であそこまでの実力を持っているものがいるとは、いやはや世間は広いものですねぇ」
「ダゲキの方が攻めづらそうね。無理もないのだけれど」
基本的に打撃技と投げ技では、投げ技の方が有利と言われている。投げ技主体の相手に対しては、捕まってはいけないので、手数が少なくならざるを得ない。ヒットアンドアウェイが基本となり、戦術が限られてしまう。そうなれば、自然と防御もやりやすくなってしまうのだ。
「ダゲキ、一度下がれ!」
指示に従い、距離を取る。二匹は荒い息を整えようと必死だった。しかし、メンドーサは休憩させるために間を空けさせたわけではなかった。
「やれ」
冷たい響きの一言を聞き、反射的にダゲキは前に躍り出る。ナゲキは待ちかねていたように、腰を深く落とした。今までに無い動きだった。掴むために襲い掛かってきた指はしっかり握られ顎を目掛けて突き出される。強かに打たれ脳が揺れる相手に流れるような肘や膝の連撃が打ち込まれた。ダゲキの奥の手「インファイト」が見事に決まった。ふらりと傾く宿敵の姿を見たナゲキが、無茶なスピードで動かした体の力を抜く。
「ダゲキ、撃て!」
前に倒れ込む体を捻り、地面に落ちる前に下から最後の攻撃を繰り出した。紫に怪しく光る指先が、ナゲキの右胸に吸い込まれる。技の副作用で解かれたガードにダゲキの「どくづき」がヒットした。ダゲキは地面に横たわり、ナゲキが膝を着き震えている。毒が回ったようだった。
ナゲキが顔を上げるのと、黄色いボールが当たるのはどちらが早かっただろうか。ハイパーボールはナゲキを吸い込み、何度か揺れると静寂が訪れる。戦いはナゲキの捕獲によって幕を閉じた。
「よくやった」
メンドーサの簡潔な褒め言葉を聞きなんとか立ち上がると、満足そうにダゲキが頷いた。そしてボールを拾って主人に差し出す。
「ナゲキ、出てこい」
ボールから出てきたナゲキはこれからの主とダゲキを確認する。毒消しと傷薬で治療を受けた後、仲間達を見た。彼等の顔は力無く俯いたり、苦渋に顔を歪めていたりした。
捕まったナゲキは残りのメンバーの元に歩み寄ると別れを告げていた。そのやりとりはなんとかリーダーを引き止めようとあの手この手でメンバーが交渉しているようだった。いくら言っても頑として聞かず、挙句に未練がましいメンバーを「ヤマアラシ」で投げ飛ばすと、振り向かずに主の元へ行った。
ガックリと地面に崩れ落ちる四匹は大将を見送ると、力無く足を引きずり、身も心も満身創痍のまま帰っていった。果樹園に手を出したのだから自業自得なのだが、トボトボ消えていく彼らを見ると何だか気の毒に思える程だった。
「おい、俺がお前を必ず強くしてやる」
メンドーサの力強い宣言に、ナゲキは深く一礼し、ボールに収まった。
「じゃあいこっか」
「世話になったな」
「お仕事ですから。それにこっちこそお世話になったわ」
朝、別れの挨拶をする二人の横で、サクヤは一人何か考え事をしているようだった。
メンドーサとオフキィは急ぎの用でもあるのか、日が昇り始めた頃に果樹園を発っていた。二人とも、報酬の賃金や木の実に満足しているようで、近くに寄った際はまた来る、というようなことを言って去った。
「ほら、サクヤ。行くわよ」
「あ、うん」
「じゃあ二人とも。旅、頑張って」
手を振ると、エイミーもそれに答えて歩きだしたが、サクヤは後に続かず立ち止まったままだ。ボトルが疑問に思い、エイミーもそれに気づいて振り返ったとき、サクヤは大きく口を開いた
「あのっ!」
自分でも大声に驚いたようだったが、ぎゅっと両手を握り、再び大きな声を出した。
「聞いてもいいですか?!」
「ああ、うん」
「ここで働く人、募集してませんかっ?!」
突然の申し出に、ボトルは呆然となるしかない。エイミーは鋭い眼つきで一喝する。
「アンタ何言ってるのよ!」
「私、ここに残って働きたい」
「旅、続けるんでしょ! 一人前のブリーダーになるための旅をしてるって言ってたじゃない?!」
「だから! ブリーディングには広い自由になる場所って必要で、あと木の実も重要で、それで――」
「あー、もうわかったわよ。アンタってば、いつもそうなんだから」
不機嫌そうな声とは裏腹に、エイミーは友人の決断を応援するような、優しい表情で彼女の髪を撫でた。
「で、どうなの?」
睨み付けるエイミーと、不安そうなサクヤの視線を受け、ボトルは帽子のつばで視線を隠しながら言う。
「ああ、こっちとしては人手不足だし、長期で働いてくれるのは寧ろ大歓迎だけど。いいのか?」
「はい! しばらくお世話になります!」
彼女が差し出した手をボトルは握る。その手は彼に比べて随分小さいが、予想していた以上に強く握り返された。
「じゃあここでお別れね。次に会うときはもっと成長してなさいよ」
「うん。エイミーも頑張って。ちゃんと目覚ましで起きてね」
「ばか。アンタと会うまでアタシも一人で旅をしてたんだからね」
「またね」
「うん、また。ボトルさんも、この子を頼んだわよ!」
「ああ。気をつけてな」
見送られるはずの者と一緒に、ボトルは少女の旅立ちを見送った。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「じゃあ、少しずつやっていこうか」
「はい」
ボトルは今日やるべきことを考えた。本日の作業計画を随分修正しなければいけない。仕事をのやり方を一から教えなければならないし、時間をかけて少しずつ分担していかなければならない。仕事だけでなく食事や生活なども今までどおりには行かない。やることも考えることも山積みだ。
「色々やらなきゃならないか。しばらくは今以上に忙しくなりそうだ……」
呟きが聞こえたようで、サクヤは苦笑いをするしかなかった。
こうして、ナゲキ達の襲撃をきっかけに、彼の日常は新しいものへと変わった。
日常は変化したら元に戻るのは難しい。それが日常になってしまうのだ、と彼は思った。