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[No.212] 臆病過ぎた想い 投稿者:砂糖水  投稿日:2010/07/06(Tue) 22:21:39   18clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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 始まりは、貴女の笑顔でした。


 マスター、覚えていますか、あの日のことを。初めて私と貴女が出会った日のことを。
 マスター、私ははっきりと覚えています。
 私が生まれて初めて見たものは、貴女の笑顔でした。初めて感じた温もりは、貴女の腕の中ででした。初めて聞いた声は、貴女の声でした。
「よろしくね、リオル」
 嬉しそうな貴女の声を、笑顔を今でも覚えています。貴女の笑みは、貴女の声は、貴女がくれた温もりによく似ていました。

 マスター。私は太陽を見る度、貴女の笑顔のように暖かだと思います。太陽のような笑顔ではなく、貴女の笑顔のような太陽なのです。
 全てがそうなのです、マスター。
 暖かな日差しは貴女の眼差しのようです。まどろみの心地よさは貴女に抱きしめられているようです。木の葉が揺れる音は貴女の囁き声のようです。柔らかな風が頬を撫ぜる感触は、優しく撫でてくれた貴女の手のようです。
 この世のあらゆるものは、貴女が教えてくれました。私の世界は、貴女を中心に回っているのです。
 あの日、私に笑いかけてくれたあの時から、私の心は貴女の傍に在ることを望んだのです。

 私がまだリオルだった頃、貴女はよく私を抱っこしてくれました。私はそれがとても好きだったのだけれど、同時に歯がゆく思っていました。
 私は強くありたかったのです。貴女を、守りたかったから。
 でもマスター。
 この身を犠牲にして貴女を守ったなら、きっと貴女は悲しんで怒ったのでしょうね。
 けれど、もしもそれで貴女が守れるのなら、私には何一つ惜しくなかったのです。

 早く強くなりたくて、無謀な戦いを何度もしました。それを初めて決心した日、私はぼろぼろになって動けなくなってしまいました。そんな私を貴女は見つけてくれましたね。
 貴女が来てくれた時、私は信じられなかった。何も言わずに出て行ったのだから、貴女がいるだなんて到底信じられなかったのです。でも貴女は来てくれた。それがどんなに嬉しかったか。
 貴女の所へ行こうにも体は思うように動いてくれなくて。貴女が抱きしめてくれた瞬間、私は安心して涙が次から次へとこぼれて止まりませんでした。
 貴女に心配をかけたかった訳ではありません。でも、結局はそうなってしまったことをとても申し訳なく思っています。
 ただ私は、強くなりたかった。そうして貴女を守りたかったのです。
 貴女と一緒に何度も何度も戦って。何度も何度も負けて。悔しくてたまりませんでした。負けては泣く私を貴女は抱きしめてくれました。貴女の腕の中は暖かくて、余計に泣いてしまったことを覚えています。
 私は貴女に守られてばかりで、いつも貴女を見上げてばかりでした。
 ある日、やっとルカリオに進化して距離は縮まったけれど、やっぱり見上げることに少しがっかりしました。でも、貴女を守れるだけの力を手に入れて、私は嬉しかった。
 あの時、貴女は私と手をつないでくれました。それまでは貴女の後ろをついて歩くだけだったのに、初めて貴女の隣を歩いたのです。貴女の後ろではなく、隣にいられることがとても幸せでした。
 初めてつないだ貴女の手は抱きしめてくれた時と同じように暖かでした。そして手をつなぐことが嬉しくて恥ずかしくて、それでも貴女の手は決して離すまいと、強く思ったのです。


 貴女のすぐ傍で、隣で貴女を守る。それがただ幸せでした。

 ずっとそうやって生きていくのだと、思っていました。
 でも私は

 結局、私は臆病だったのです。何が『貴女を守る』でしょう。何が『貴女のすぐ傍で』でしょう。
 私にはそんな資格などなかったのです。



 約束しました。

「ずっと一緒にいてね」

 貴女がそう言ってくれたから。
 あの時感じた想いを、どう表現すればいいのか私は知りません。ただ、あまりの幸せに泣きたくなったのでした。私も、貴女と一緒にいたいと願っていたから。貴女もそう思っていてくれてとても嬉しかった。

「約束、だよ」

 その時に貴女がくれた微笑みも、はっきりと覚えています。あの時、貴女が見せた不安げな顔も震えた声も、吐く息の白さも降り注ぐ星達もみんなみんな覚えています。だって、貴女との想い出を忘れることなどできないのですから。

 誓いました。

 私の全てで貴女を守ると。

 貴女は私の全てをくれたから。
 貴女と出会ったあの時に。貴女がくれた微笑みと温もりと一緒に。
 世界に、貴女に誓いました。
 それなのに、




 マスター、知っていましたか。貴女が笑って下さる度に私の心は幸せに満ち溢れていたことを。
 マスター、知っていましたか。貴女が私を呼ぶ度に私がたとえようのない喜びを感じていたことを。
 マスター、知っていましたか。貴女を呼ぶ私の声にどんな想いが込められていたかを。

 マスター、知ってましたか。私が貴女を、






 マスター、ねぇマスター。答えてください。
 私は、守りたかったのです。貴女を、貴女だけを。

 ――物言わぬ貴女は冷たい。

 私の生きる意味は貴女を守ることだと思っていました。
 なのに、マスター。貴女がいない。

 世界の中心を喪って、私はどうしたらいいのでしょう? 今だって、世界の中心は貴女なのに。
 もし貴女に告げていたなら、未来は何か一つでも変わったでしょうか?


 どうしても欲しかったくせに、どうせ手に入らないと決めつけて手を伸ばさなかったことを後悔しています。手を伸ばせば一瞬でも欠けらでも貴女に届いたかもしれないのに。届くとか届かないとか本当は関係なくて、私はただ臆病者でした。今の関係が壊れて貴女の傍にいられなくなることが恐ろしかったのです。でも伝えることにこそ、意味があったのだと今更気づきました。けれど、どんなに嘆いても悔やんでもあの頃には戻れないし、貴女も帰ってはこない。
 当たり前のように享受していた、貴女の隣にいられる奇跡を私は知らなかった。


 貴女の幸せを願っていました。貴女を守りたいと思っていました。でも、私は臆病者でした。怖がってばかりでした。結局私は貴女に守られていたのです。貴女の優しさに甘えていたのです。自分が傷つくのを恐れて貴女に想いを伝えなかった。
 臆病過ぎた想いは貴女に届かないまま全てを失ったのです。




 貴女で始まった世界は貴女を喪って、もはやただの抜け殻でしかない。
 だけどマスター。私が今すぐ貴女のもとへ向かうことを、貴女は赦してくれないのでしょうね。




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タグ:描いてもいいのよ


[No.217] お知らせ 投稿者:No.017@管理人  投稿日:2010/07/07(Wed) 19:39:47   3clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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スパム扱いされて埋もれていましたので、管理者権限で投稿処理と致しました。
問題等ありましたらご連絡ください。
投稿がうまくいかない場合はご相談いただければと思います。
メールアドレス入力が不正(@が入っていないなどメールアドレスとして何かが間違っていた)だったようです。


[No.223] 最後の一行が突き刺さる 投稿者:No.017  投稿日:2010/07/07(Wed) 20:33:07   3clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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砂糖水さん、こんにちは。
マサポケでお名前をお見かけしておりますが、こちらでははじめまして。
ポケストにご投稿ありがとうございます!
(はねられちゃったみたいでスミマセン)



>  始まりは、貴女の笑顔でした。

丁寧な語り口でぐいぐい流れるように読み進められました。
言葉がするすると入ってきます。

多くは語りません。

最後の一行が突き刺ささった。


[No.740] 色々…すみません 投稿者:砂糖水  投稿日:2010/10/16(Sat) 01:45:13   8clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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まずはお手数かけてすみませんでした。
わざわざありがとうございました。
しかも長々と間が開いてしまいすみません…。



しばらく来れなかったうちに小説が増えていて読むのが楽しみです。


[No.761] 幸福の隣 投稿者:砂糖水  投稿日:2010/10/21(Thu) 23:58:28   21clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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 他人から見れば何でもない時間が、とても幸せだった。


 なのに、


 気がついたときには何もかもが遅かったなんて。
 なんという皮肉なんだろう。






 リクに会ったのは、もう何年も前。誕生日にもらった卵から、リクは生まれた。赤い瞳に青い体、顔の両脇には黒い房のようなもの。手にはつるんとした白いものがついていて。その姿を見て、私は思わずそっとリクを抱き上げた。生まれてきたときの私を見るその目が、何も知らない純粋な光を宿していてすごくきれい、と思ったのをよく覚えている。抱きしめたときに感じた温かさも、どこかきょとんとした表情も、全部覚えている。


 名前のリク、というのに特に意味はなくて、リオルだから「リ」のつく名前っていうだけだ。だけっていうと、リクに失礼だけど。でも、物事はシンプルな方がいいと思う。だから、私は気に入っている。





 朝起きて外の空気を胸一杯に吸い込むと、甘い香りがする。住んでいると慣れてしまって気がつかないけど、街中花の香りでいっぱいだ。それは、街に大きな花畑があって、それ以外にもあちこちたくさんの花であふれているせい。そんな街の中や花畑を毎日ではないけど、リクと散歩をする。生まれたばかりの頃は、リクもまだ小さくて抱っこしながら歩けた。そのうちに重くなってきて抱っこしたままの散歩はやめて、代わりにリクは私の後ろを一生懸命ついて歩くようになった。その様子が危なっかしくて始めのうちは、はらはらしていた。次第に、その手の心配はなくなったけど。
 リクと歩いているとき、私はよくしゃべった。もちろんその頃のリクはしゃべれない。でも、構わずに話しかけていた。どうして、と聞かれても困る。それは私にとって、とても自然なことだから。




 リクが生まれたのは冬の終わり。少しずつ暖かくなってきて、でも雪はまだまだ残っているころ。花だらけの街も冬の間は雪に埋もれてしまって、その下では草花が根気よく春を待っている。真っ白な雪はきれいだけど、少しつまらない。
 雪がある間はリクがまだ小さかったこともあって、あまり外には出なかった。あれは雪が減ってちょっとずつ散歩にも行くようになったころ。空は青く澄んでいて気持ちの良い日だった。すっかり春になって雪も消えてしまっていた。

 だから、屋根に上ることにした。

 屋根の上は私のお気に入りの場所だ。危ないって何度もリクにも親にも言われたけどやめなかった。二階の屋根から見る景色は、どこまでも遠く遠く見える気がするから。
 太陽が沈んでいく紅い空を、空一面に広がる星を、暗闇の中に現れる太陽を、そしてすがすがしい青空を、眺めるのが好きだった。
 初めて上った日、リクは怖がって中々上がってくれなかった。大丈夫、大丈夫と何度もなだめすかしてやっとの思いで屋根に上がる。上る前はびくびくしていたのに、いざ上がってしまうとリクは目をきらきらさせて、珍しげに辺りを見回していた。
 ひとりで見るのもよかったけど、リクがいるようになってからは誰かと一緒に見るのもいいなって思うようになった。



 人とポケモンの距離はどれくらいあるんだろう。
 私とリクの距離はどのくらいなんだろう。とても近い気もするし、とても遠いような気もする。
 私たちの間には一体どれだけのものが横たわって私たちを隔てているんだろうか。




 何がきっかけだったのか、今もわからない。私には唐突すぎる出来事だったけど、きっと何かしらのきっかけがあったはずだから。
 あれはリクが生まれて一年近く経ったころ。その日は太陽がぽかぽかと部屋を暖めて、上のまぶたと下のまぶたがあと少しで完全にくっついて離れなくなるところだった。やらなければいけないことはなかったから、私はベッドに倒れこむようにしてそのまま昼寝をしようとしていた。リクも一緒に、と思いつつ睡魔に負けて何も言わないまま寝てしまうはずだった。
「――――――」
 ふと呼ばれた気がして上まぶたと下まぶたを無理やり開ける。家の中には誰もいなくて、正確に言うなら、リクと私だけだった。リクが何かしらの声を発するのは珍しいことではなかった。私にはただの鳴き声にしか聞こえないのが残念だったけど。
「リク?」
 ここにはリクと私以外誰もいないのだから、必然的に声の主はリクになる。特に疑問思うこともなく、リクの名前を呼ぶ。
「ますたー」
 私はとても眠たかったので、何が起きているのかを理解していなかった。
「なあに、リク?」
 自分で返事をしてから、気がつく。

 今、リクは何て言った?

 少しずつ覚醒していく頭の中は疑問符でいっぱいになる。
 突然起きた出来事についていけない私を、リクは不思議そうに見ていた。リクの赤い目が、光を反射してきらきらとしてきれいだなと現実逃避を試みる。
「ますたー……?」
 それもリクの声によって無駄に終わる。夢なんかじゃなく、現実に起きていることなんだと。とりあえず私は、すでに重たくなっているリクを何とか抱き上げてベッドの上に載せる。
「リク、しゃべった?」
 ほぼ確定事項のことをわざわざ口にだして確かめる。リクは軽く首を傾げた後、こくりとうなずいた。なんで「ますたー」なんだろうとか、どうしてこのタイミングでとか言いたいことは色々あるのに頭の中でぐるぐる回るだけで言葉が出てこなかった。


 リクは知りたがり屋で、興味がわくとすぐ私の傍を離れるくせに、ちょっとしたことで怖がってはあっという間に帰ってきた。矛盾しているなあとよく思っていた。
 リクが話せるのは好奇心のおかげなんだろうか。結局のところ、理由を聞いてないから分からない。なんとなく聞きそびれて以来、そのままだ。



 その日も、私たちは目的もなく外を歩いていた。私は少し風邪気味で、ぼんやりとしたまま歩いていた。散歩なんかしないでおとなしく休んでいればよかったのだけれど、大丈夫だと過信していた。
 日差しは春の暖かくて優しいものから少しずつ夏の厳しいものに変わりつつあった。それに合わせてか青々とした葉っぱは貪欲に太陽の光を浴びて成長しようとしている。花畑も春の花から夏の花に衣替えの最中だった。
 いつも通る道だからと気を抜いていたのが余計にいけなかったんだと思う。いつものように歩いているつもりだったのに、足が思うように上がらなかったんだろうか。ちょっとした段差につまずいて、それだけならよかったけど体調の悪さも手伝ってかとっさに体が動かなかった。
「ますたー!」
 リクの悲鳴のような声がした。と思うと、体に痛みが走る。幸い大したことはなかったのだけれど、リクを巻き込んでいることに気づく。リクは私の後ろを歩いていたはずなのに。転んだのは一瞬の出来事で、何が起きたのかを把握できない。分からないなりにとりあえずリクを抱き起こすとリクの目からは盛大に涙がこぼれている。
「ごめん、リク。痛かった?」
 そう聞いてもリクは首を横に振って涙をこぼし続ける。そんなリクの姿を見て、私は自分の怪我のことなんて頭から消し飛んでしまった。おろおろとする私の耳にリクの声が聞こえた。
「……さい」
 嗚咽まじりの声はよく聞き取れなくて、私はもう一度リクが言ってくれるのをじっと待つ。
「ごめんなさい」
 今度はしっかりと聞き取れたのに、私にはどうしてリクがそんなことを言うのかちっとも分からない。
 どうしてリクが謝るの? なんで?
 私には分からないままリクは泣き続けた。


 このときリクが泣いた理由を私は知らない。想像は少しつく。でも、確信は持てない。
 こうして考えてみると、私はリクのことをよく知らないような気がする。ずっと一緒にいたくせに。リクはきっと、私のことをよく知っているはずなのに。
 勇気を出して聞いてみればよかった。そうすればきっと、リクは教えてくれただろうから。
 それにしても、どうして勇気が必要なんだろうか。分からない、分からない。
 私には分からないことだらけだ。



 ばたん、とドアが閉まる音がした。リクが何も言わずに、いやそもそも私のそばを離れること自体が珍しい。ちらりと思うものの、そのときは出された課題に手こずっていたから、大して気に留めなかった。私に気を使ったのかもしれない。その必要はないのだけど。
 とにかく私は、そのまま課題へと意識を移した。正確な時間は分からないけど、しばらく経ってふと気がつくとリクはまだいなかった。あの後再びドアが開くこともなかったから当然のことだった。忙しくてかまってあげられなかったから、ひとりでテレビでも見ているのか母の手伝いでもしているのか。
 このときはまだのんきにしていた。ちらりと見た机の上にある空のモンスターボールがどこか所在なさ気にしていた。
 部屋を出てリクを探しに行く。リビングを見てもいないし、母に聞いてみたけど分からないと返される。このあたりで少し不安を覚えた。
 さして広いわけでもない家の中なのに、リクがどこにいるのか分からない。よく考えればリクは私とずっと一緒だった。私がいるところにリクもいた。なのに、リクがいない。家中を探したのにどこにもいなかった。ということは外にいるということになる。
 でも、怖がりのリクが……?
 不思議に思っても家の中にいないのだから外に行くしかない。私はいったん自分の部屋に戻った。私を驚かせようとして、部屋にこっそりと戻っているかもしれない。そんな淡い希望を抱いて。
 案の定、リクはいない。部屋を出る前に見たモンスターボールは空のままだ。空っぽのそれを握りしめて、私はリクを探しに行った。
 当てはない。とりあえず、いつもの散歩コースへ行こうかと思った。でも、なぜだか違う気がした。理由は分からない。ただ、私の足はそれとは反対の方向、荒れた抜け道に向かっていた。
 荒れた抜け道はソノオタウンとコトブキシティをつなぐ道、だった。だった、というのは今は別の大きな道ができて荒れた抜け道を通る人がほとんどいないからだ。人が通らなくなったのはそっちのほうが便利だし、何より野生のポケモンが出ない。荒れた抜け道そのものにも出るし、そこに行き着くまでに草むらもある。

 草むら。

 その言葉に少しどきりとする。小さいころに耳にたこができるくらい言われた言葉。

 『草むらに入ってはいけない』『草むらに入れるのはポケモンを持った人だけ』

 やるなと言われれば、やりたくなるのが子供だ。でも、入ったのがばれればこっぴどく叱られるし、大概はポケモンに追いかけられてひどい目に遭うのが普通だ。私は冒険が好きなタイプではなかったから、興味は薄かった。だから、それまでに草むらに入ったことはなかった。
 リクがいても、だ。リクが怖がりで頼りにならないとかそういうことではなくて(まったくないとはいえないけど)、もう冒険をする年じゃないと思っていたから。
 冒険がキラキラと輝いて見えるのは子供だけの特権だったのかもしれない。小さいころは、草むらの中に冒険が詰まっているものだと信じていた。それはきっと今でも変わらないんだろう。ただ、少なくとも私には縁のないものだと思っていたし、決してそれが素晴らしいだけのものじゃないと知ったから。冒険は輝きを失っていた。
 そんな草むらがある場所に、リクはいるんだろうか。
 その保証はない。いないかもしれない。臆病なリクがそこにいるはずがないと頭では考える。なのに、私の心はそれを確信していたのはどういうことなんだろう。
 恐る恐る、荒れた抜け道へと続く道(なんだか変な言葉だ)に歩みを進めていく。心臓は無駄に脈を打って寿命を縮めている気がした。
 まだ真っ暗ではなくて、黄昏時という言葉が頭の中をかすめる。空は端っこのところだけが少し明るくて、早くも無数の星が輝いていた。こんな状況でもなければ星を眺めてきれいだと思うところだったけど、そんな余裕はなかった。
 小さな物音や、自分がたてた物音にさえ怯える。昼間だったならなんてことはない場所のはずなのに、暗闇や影が不気味さをかもし出している。夜中でも平気で外を歩き回るというポケモントレーナーたちの気が知れない。
 リクのためでなければ、多分来ない。本当はリクのためでも来たくはない。リクが怖がりなのはわたしに似たせいなんだろうか。
「リク……?」
 恐々と発した声は暗闇に吸い込まれる。
 やっぱり、いないのかもしれない。どうしてこんなところに来ちゃったんだろう。
 弱気になったそのとき、草むらから音がした。何かがいる。どうしよう、逃げなくちゃ、と思うのに足が動かない。
 草むらが大きく動いて音と一緒に出てきたのは、リクだった。いつの間にか輝いていた月がリクを照らす。月の光ではぼんやりとしか見えなかったけど、リクが傷だらけなのは分かった。
 リクは必死に私のところまで行こうとしていたけど、結局途中で動けなくなってしまった。その姿に息をのむ。慌てて駆け寄り抱き上げた。傷に障らないようにそっと。ぬくもりにほっとしたのか、ぽろぽろと涙を流して、リクがしがみついてくる。
 怖かったのかな。でもそうだったら、こんなところにはいないだろうし。
 全身傷だらけのリクを抱きかかえながら私は途方にくれていた。どうしたらいいんだろう。そのとき、思い出す。
 ポケモンが傷ついたら、ポケモンセンターに。
 そんなごくごく当たり前のこと。
 リクに駆け寄ったときに投げ出したせいで転がっているモンスターボールを見る。赤と白の色をしたボールは月明かりに照らされて、ぼんやりと光を返していた。
 そのままリクを抱きかかえたまま行くことはできない。傷に響くだろうし、私の腕がもたない。ボールの中に入ってもらうしかない。
 ほとんど使うことのなかったそれ。中に入れてしまうのは何だかひどいことをしているようで、抵抗があった。でもそんなことを言っている場合じゃない。
「リク、いったんボールの中に入って」
 リクは聞いているのかいないのか泣きながら、まだ私にしがみついていた。ほとんどやったことのない操作に戸惑ったものの、無事リクはボールの中に入る。
 ほんの少しの間、リクが中にいるボールを見つめた後歩き出す。暗闇の恐怖はどこかへ吹き飛んでいた。
 そこにたどり着くまでのことはよく覚えていない。気がつくと、やけに明るいポケモンセンターの光が見えた。何度か来たことはあったけど、それまでこんな時間に来たことはなかった。
 足を踏み入れると、静かになりつつあった鼓動がまた激しく鳴り出す。ポケモンを回復させたことがなかったから緊張して口の中が乾いた。やっとの思いでカウンターに到着すると、なんとか声を絞り出す。
「回復をお願いします」
 緊張で硬くなっている私とは対照的にジョーイさんは慣れた様子で作業していく。幸いなことにほかに回復待ちの人がいなかったおかげですぐに終わった。
 そのあっけなさに少し拍子抜けする。知識としては知っていたけど、いざ目の前で行われると本当に治っているのか不安になった。さすがにそれを口に出すこと勇気はなくて、お礼だけ言って外に出た。
 自動ドアを抜けて歩き始めた。モンスターボールを眺めながら歩く。
 中にリクがいるけど、出すべきか出さないべきか。悩んだ挙句、私は何もしないで家に帰った。
 家に着くと、親に外出をとがめられた。でもその言葉は私の頭を素通りするだけで私には何の効果ももたらさない。適当な返事をして自室に戻る。
 部屋は出かける前と少しも変わらずに私を迎えた。ドアを閉めて寄りかかる。
 頭の中は混乱していた。
 リクになんて言えばいい? 私は何が言いたいの?
 混乱した状態のままリクをボールから解放する。ボールから解放されたリクは、ここがどこなのかときょろきょろ辺りを見回す。
「リク」
 私は一言だけ言って黙る。自分がどんな顔をしているのか分からない。何を言いたいかも、どんな気持ちなのかも分からない。
 泣きたい気がした。怒っている気もした。ほっとした気もした。
 何してたの。心配したんだよ。リクのばか。
 言いたいことも感情もぐるぐると回って何が何だか分からない。
「リク」
 名前を呼ぶしかできなかった。リクはうなだれて下を向いている。
 
 きっとリクは何も言わなくても分かっていたんだと思う。リオルやルカリオはそういう能力を持っていたはず。だから、私自身が理解できない気持ちもリクにはきっと伝わっていた。そう思う。

 「ごめんなさい」
 沈黙を破ってリクがぽつりとつぶやくように言った。
 ごめんなさいじゃないよ、ばか。心配したんだから。
 そんな言葉が新しく頭の中をぐるぐる回り始める。私はいろんなものがいっぱいで言葉が出てこなかった。何にも、言えなかった。でもリクには伝わってしまったのか体をびくりと震わせる。違う理由で、だったのかもしれないけど。
「ごめんなさい」
 リクのつらそうな声を聞くだけで胸が締め付けられた。そんな風にさせたかったんじゃないのに。結局、その日はお互いに何も言わずに終わった。
 その状態が何日も続いた。会話がないなんてことは初めてで、すごく居心地が悪かった。
 周りの人にどうしたのかと何度も聞かれた。具合でも悪いのかって。
 多分、そのくらい元気がなかったということなんだろう。私自身はそれどころじゃなくて、自覚していなかったけど。
 ふたりの間に重苦しい空気が漂う中、それでも私たちは一緒にいた。一緒にいればお互いに居たたまれない思いをすることが分かっていたのに。でも、そもそもリクがひとりでどこかへ言ってしまったことが原因だから、離れることなんてできなかった。
 というよりも、私がそれを許さなかった。その気持ちをリクも感じ取っていたんだと思う。
 それでもついにリクは行動を起こした。部屋から出ようとした。ギクシャクした雰囲気に耐えきれなくて?
 違う。リクにはやりたいことがあったから。
「どこいくの?」
 口調は自然ときついものになっていた。そんなことしたいんじゃないのに。
 リクは、ドアを開けようとした姿勢のまま動きを止めた。昔、小さかったころのリクはドアノブに飛びつくようにしてドアを開けていたっけ。懐かしい。
 ドアはまだ開いていなくて、リクは私に背を向けて何も言わない。
 私は泣きたいのか怒りたいのか、やっぱり分からない。心はぐちゃぐちゃに乱れているのに私は続けて言った。
「リクが行くなら、私も行く」
 ポケモンバトルなんて見たことしかない。戦うってどういうことなのかなんて知らない。それでも、
「一緒に、行かせて」
 あなたが心配だから。あの時、息が止まるかと思った。だから、連れて行って。

 母には小言を言われたけど、適当なことを言って外に出る。相変わらずリクも私も喋らないおかげで空気が重かった。それでも歩く。あの時リクを見つけたところまで。
 なんで、どうしてと途中で聞かなかったのはなぜだろう。
 夜に来たときとは違って不気味さはなかった。暗いというだけであんなにも怖くなるんだなと、他人事のように思う。けれど、怖くないのに脈が乱れる。体がこわばっているのを感じる。
 行きたくない。それでもリクは進む。途中、一度だけ振り返って何か言いたそうにしていたけど、何も言わなかった。
 そういえば、私がリクの後ろを歩くなんて珍しい。いつもは逆なのに。
 あれこれ考える私は、今から思うと混乱しっぱなしだったんだろう。もしもそのとき、リクの名前を呼んだなら、声が震えてみっともないことになったに違いない。
 声を発したら、帰ろうと言ってしまいそうで黙って歩いた。
 草むらは私の腰辺りまであって、外からでは中に何がいるかは知りようもない。草と草がこすれ合って音をたてた。リクと私が中に入る音だ。
 ただのポケモンバトルのはずなのにどうして私はこんなに取り乱しているんだろう。リクが突然喋ったときでさえこんな風にはならなかったのに。
 ガサリ、と音がした。私でもリクでもない。野生のポケモンだ。


 私にとってポケモンは一体何なのだろう。
 リクは、家族だ。でも、ほかのポケモンは?
 同じ生き物だ、という考えがある一方で、どこかであまり関係ないと思ってしまう。
 無関係ではないにしろ、どうしてもそういう考えを持ってしまう。
 私にとってポケモンは一体何なのだろう。


 突然現れたのは茶色で大きな前歯が特徴的なポケモン、ビッパだった。あちらからしてみたら、突然現れたのは私たちの方だろうけど。たとえ普段は温厚だとしても、いきなり自分の家にずかずかと入られたら誰だって怒るわけで。
 いきなり、なんだろうか。私が知らないだけで何か合図はあったのかもしれない。とにかく、私にとってはいきなりだった。
 ビッパは何度もリクにぶつかってくる。リクは何もできない。ポケモンというのは、生まれながらに戦い方を知っているものだと思っていたけど、そうでもないらしかった。
 リクは生まれてからずっと私と一緒で、バトルというものに触れたことはなかった。そのせいなんだろうか。
 勝敗は瞬く間に決まった。もちろん、リクの負け。
 少し離れて見ていた私も、戦っていたリクも、何もできないまま終わった。私はビッパがこっちに向かって来るんじゃないかと身構えたけど、何もしないでいなくなる。私が何もできないって分かったからだろうか。
 倒れているリクをそっと起こす。リクは声を殺して泣いていた。
「泣かないで、リク」
 その言葉には何の意味もないと知っていたけど、口に出さずにはいられなかった。私が抱きしめるとリクの涙はもっとあふれ出る。
 その日もポケモンセンターで回復してもらった。家に帰ってからリクに聞いてみる。
「リクは、どうしたいの?」
 刺々しいものはどこかへ行ってしまっていた。残ったのは、胸がしめつけられるような思い。
 私もリクもお互いの目を見つめ合う。あの逃げ出したいのに逃げられない、逃げたくなんかない奇妙な居心地の悪さはなりをひそめていた。
「……強く、なりたいんです」
 ぽつりとつぶやくようにリクは言った。沈んでいく太陽の光が部屋を紅く染め上げている。
 身長差のせいでどうしても見下ろすことになる、小さいリク。小さかったリク。幼いと思っていた。まだまだ子供だと、私だって子供のくせに思っていた。
 いつの間に、こんな真剣な顔ができるようになったんだろう。なんだか置いて行かれるような、そんな気がした。
「どうして強くなりたいの?」
 そこで初めてリクの瞳が揺れる。迷っている、そう感じた。言うべきか言うまいか、悩んでいるように見えた。でも最終的にはリクは言いよどみながらも答えてくれた。
「何もできないのが、嫌なんです」
 そう言われて真っ先に思い出したのが、この少し前に起きた出来事だった。リクは後ろにいたのに、私と一緒に転んでいた。あの時、リクは私を助けようとしてくれていたんだろうか。
 リクは不安そうに私の言葉を待っている。私が気づかないうちにリクはすごく大人になっていて、遠いところにいるんだ。
「そっ、か……」
 腑に落ちた、という訳ではないけど、少なくとも何も分からないことからくる不安はなくなった。安心、したのかもしれない。こわばっていた表情がするするとほどけていく。
「ひとりで無茶しないで。私も一緒に、頑張らせて」
 リクは戸惑っていたけど、これが私の最大限の譲歩だ。もうあんな思いはごめんだから。

 それから私たちはバトルについて学び始めた。それこそ基礎の基礎、タイプごとの相性からだ。リクの使える技も調べた。
 誰かに聞こうにも聞ける人がいなくて、手探り状態が続いた。勇気を出せば誰にだって聞けたけど、今更誰かには聞きづらかった。
 そうして調べている間にも、何度か草むらへ行った。リクが行きたがったから。
 無謀なのは分かっていたけど、あんまり何度も何度も言うものだから、とうとう私は折れてしまった。
 そして案の定、というべきか。負けた。明らかに無茶なのに挑んで行くその姿はもはや無謀を通り越していて馬鹿馬鹿しくさえあった。私たちには笑いごとではないのだけれど。
 そうやって、分かりきっているにもかかわらず、負ける度にリクは泣いた。だから言ったのに。折れる私も悪いけど、懲りないリクも悪い。と、思っている。
 幾度もお世話になったポケモンセンターでは白い眼、というか不審がられるなんてこともあった。それでもめげずに通った。
 負けるのはつらい。しばらくはふたりから会話がなくなるほど。
 でも何度も繰り返すうちに、少しずつではあるけどコツをつかんでいった。どう体を動かせばいいのか、どのタイミングで技を出せばよいのか。
 三歩進んで二歩下がる、のような有様でときには一歩も進まないときだってあった。でも、あきらめずに進んでいくって心に決めたから。
 そうやって少しずつ、もどかしいほどに少しずつではあったけど、成長していった。

 暑さが少し和らいで秋の気配がちらほらとし始めたころ。そのころになるとおしい、もう少しで勝てる。というところまで来ていた。夏中かかってそこまで行くことがようやくできた。
 ただ、あと一歩というのがリクにとっては悔しいらしく、歯を食いしばりながら涙をよくこらえている姿が目に焼き付いている。
 そういうとき、私は慰めの言葉を持っていなくてそっと抱きしめるだけだった。こらえきれなくてこぼれるリクの涙が私の服をぬらした。
 その日は、リクの気合いの入りようが違った。いつも気合いが入ってないわけではないけど、特に、ということ。
 多分数えたくないくらいに負け続けて、もう負けたくなかったんだと思う。一緒にいた私にも伝わってくるくらいに。それに触発されて私まで気合が入る、というか緊張してしまった。
 飽きるほどは言いすぎだけど、すっかり慣れてしまうくらい通った草むら。それなのに普段とは違って私たちを試すかのように待っていた。
 少し怖い。でもリクがいるから大丈夫。
 勇気を出して草むらの中に足を踏み入れる。
 飛び出してきたのは薄緑色の体に頭の上のつぼみが特徴的な、スボミーだった。体に触れると時々、こちらが毒状態になってしまう厄介な相手だ。
「リク、どう」する、と言いかけて口をつぐむ。相手がどうあれ、リクには引く気なんてないことが後ろ姿からでも感じることができたから。
 そこからはもう夢中だった。私は、リクもしくはよけてくらいしか言わなかったんじゃないだろうか。まともな指示が出せたとは思えない。まあ、いつものことだけど。
 運よく毒になることもなく、戦いは終わった。スボミーはかろうじて、という様子でその場から立ち去った。
 一方的に戦いをしかけたことに申し訳なく思う反面、心は浮き立つ。
 勝った! 勝ったんだ!
 こっちを向いたリクは嬉しいのか、顔が赤い。嬉しくてたまらないはずなのに表情を抑えようといているのがおかしかった。
「リク、」やったね。と続けようと思った矢先。
 リクの体から光が。そう思った途端、あれよあれよという間にリクの背が伸びていく。気がつくとリクは、リオルからルカリオに進化していた。
 前は体に比べて顔が大きい子供体型だったのに、首から下の部分が成長したおかげで相対的に顔が小さくなって大人っぽく見える。頭の黒い房は片側一つの計二つだったのに片側二つで計四つに増えている。手の部分にあった白い丸みを帯びたものは刺のように尖って攻撃的な印象を受ける。
 ほかにも変化したところはたくさんあったのだけれど、挙げるときりがない。とにかく突然の出来事に面食らう。
 リオルからルカリオへの進化はレベルに関係なく起こるとは聞いていたけど、こんな早くだとは予想もしなかった。それはリクも同じようで信じられないといった様子で自分の体を見ている。あっけにとられて何も言えないでいると、リクが声をかけてきた。
「マスター」
 声まで変わってしまっていた。以前よりもしっかりとした口調で、声自体も幾分低くなっている。
 リクと目が合った。背が伸びたおかげで前よりも見下ろさない、前よりも近い距離に困惑してリクの眼差しにどぎまぎした。
 何か言わなくちゃ。そう思うのに、焦れば焦るほど何も浮かばない。
「リク、その……おめでと」
 何とかひねり出した言葉はなんとも単純な言葉でやるせない。もっと別の言葉があっただろうに。それなのにリクは満更でもない様子で嬉しそうに頬をゆるめるのを見て、私もようやく笑うことができた。
 ああ、リクは進化したんだ。一気に大人になったなあ。
 急に実感がわいて、それと同時にほっとしたのか力が抜けた。とてもじゃないけど、何かする気にはなれない。あとは家でゆっくりしたい。
「今日はもう、帰ろうか」
 リクに声をかけてからふと、閃いた。いいことを思いついたとにんまり笑う。私はリクに向かって手を差し出した。
「手、つなごう?」
 それまではどうしたってできなかったことだ。並んで歩くことはできたけど、それだけだ。それに大抵は私の後ろをリクが歩いていた。
 だからかな。一度でいいからやってみたかった。手をつないで、歩いてみたかった。
 予想通り、というか。リクは目を見開いて驚きで固まっている。動きが止まっているリクの手を取るのは簡単で、半ば強引にその手を握って無理やり歩き出す。リクが何か言っていたけど聞こえないふり。顔を真っ赤にしたリクはそのうち何も言わなくなった。
 ちょうどその時吹いてきた心地よい風が私たちを祝福してくれているようなそんな気がした。




 あれは、リクが進化してからふた月くらいたったころ。流星群が見えると聞いて、リクとふたりで夜中まで起きて待っていた。冬が近づいていて雪はまだだったけど布団が恋しくなる寒い夜だった。
 繁華街もないここは、ポケモンセンターとフレンドリーショップの明かりくらいしか邪魔をするものはないおかげで星がよく見える。
 降るような星空、とは言うけど本当にたくさんの星が降っていた。流れ星に願い事をすれば叶う、というのもあれだけ降っていればありがたみも効果も半減しそうだ。
 あのとき、流れ星に願いをかけた人はどれだけいたんだろう。そして、その願い事はいくつ叶ったんだろう。

「流れ星が消えてしまう前に三回願い事が言えたら、その願いは叶うんだって」
 屋根の上で毛布にくるまりながらつぶやいた私の言葉を、リクは黙って聞いていた。
 流星群はきれいだった。
 だけど、別世界のような光景も私の心にかかる暗い雲を晴らすことはできなかった。
 リクが進化して以来、表面上は穏やかに日々を過ごしていた。でも、馬鹿げた考えが私を不安にさせる。

 リクは進化してからぐっと成長した。姿だけじゃなくて心も。
 それまでだってリクは心配性でちょこちょこ小言みたいなことを言っていたけど、ルカリオになってからは少しうるさいくらいだった。母親がもうひとりいるような。
 心配してくれるのはもちろん嬉しい。もともとは私が悪いわけだし。でもその反面、怖かった。
 リクは私を追い越してしまった。私なんかよりもずっと大人だ。リクは進化して強くなったのに、私は何も変わらなくてリクばかりが先に行ってしまっている。私を置いて、どこかへ行ってしまうような錯覚に陥る。そんなことはないと思っても、暗い雲のように広がる寄る辺のない心細さが私を苦しめた。
 だからだ。あんなことを言ったのは。

「リク、」
 呼びかけたくせに先が続かなくて口ごもる。
「マスター?」
 リクは私を不思議そうに、けれど同時に心配そうに私を呼ぶ。
 私は泣きそうだった。どうしてかは分からない。怖かったのかもしれない。いつかリクがあんな風に、駆け足でいなくなってしまいそうで。
 リクは大人になったのに、私は何も変わらないまま。
「リク、あのね」
 声は震えるし、心臓はうるさいくらいに脈を打つ。私を見るリクの目が昔と変わらないことに少し安堵した。
 さあ言うんだという気持ちと、怖い、言いたくないという気持ちが混ざってなかなか声が出ない。リクは何か言いたそうに、でもじっと私のことを待っていてくれる。
 深く息を吸って呼吸を整えると、息を吸う度に冷たい空気が肺の中に侵入した。
「ずっと……」
 みっともないくらい声は震えていた。言ってしまったという後悔と、やっと言えたという喜びが混じってやっぱり泣きそうだった。始めの言葉を言ってしまったので、後には引けず続きを口にする。
「ずっと一緒にいてね」
 どこにも行かないで、という言葉をかろうじてこらえた。
 さっきまでの話とはつながらない、唐突な発言にリクは呆れていないだろうか。すぐに怖気づいてしまう心を奮い立たせ、リクの様子をうかがう。新月になってから日の浅い月は細いせいで弱々しい光を放っている。流星群は見えてもリクの細かい表情まではよく見えない。それでも、全く見えないというわけじゃない。
 リクは目を大きく見開いていた。やっぱり唐突過ぎたんだと、暗い気持ちが私の心を覆う。でも次の瞬間、リクは何度も首を縦に振ってうなずいてくれた。薄暗かったのに、リクが嬉しそうにでも泣きそうになりながらうなずいてくれていたのが分かった。

 約束。

 

 約束、したんだよ。
 なのに、









 ぐしゃり。


 音がした気がした。違う音だったかもしれない。だとしても、確かめようがないけど。
 



 今日も、屋根の上から空を眺めようとしていた。夕暮れ時の空はいつ見ても幻想的な光景だった。空は紅く染まる一方で、同時に夜の色にも染まりつつある美しいグラデーションは何度見ても飽きなかった。
 秋になると日が暮れるのが早くなって、おまけにすぐ寒くなる。私はひとりで屋根にいた。リクは、寒いと言った私のために部屋へひざ掛けを取りに行っていた。久しぶりに使うからか、探すのに手間取っているらしいリクを迎えに行こうと思った。立ち上がって歩き出した。
 そして、


 あっという間。


 世界がぐるりと反転した。何かにつかまろうと手を伸ばしたけど、何もつかめない。
 何も分からないまま。
 


 あるとき、私はリクに言った。
「泣きたいときは泣いていいんだよ」
 進化して以来、少なくとも私の前ではリクが泣くことはなかったから。あんなに泣き虫だったのに。
 でもリクは、一言こう返した。
「マスターこそ」
 リクは穏やかに微笑んでいる。
 ちょっと悔しくて、嬉しかった。心配されてるなあって。
「もちろん。でもね、我慢しなくていいんだよ。我慢するのはよくないから」
 ね? と告げるとリクは笑ってはい、とうなずいた。

 他人から見ればどうでもいいような時間が、とても幸せだった。

 なのに、

 気がついたときには何もかもが遅かったなんて。
 なんという皮肉なんだろう。




 ぐしゃり。

 音が、した。全てが壊れる音。



 いつも気をつけていたはずだった。
 多分、足を滑らせたんだろう。一瞬のこと過ぎてよく覚えていないけど。



 痛かった。頭が、体中が。

 痛 い 。

 その痛みもいつしか遠くなっていく。痛みがなくなるのと引き換えに他の感覚も薄くなる。大切なものと一緒に。
 
 遠い。何もかもが遠い。
 リク、ねえリク。あなたはどこ?

 リクの声が聞こえるような気がする。幻聴かもしれない。都合のいい妄想かもしれない。
 でも、泣いているの?


 ねえリク。もしも、もしもそこにいるなら、


 名前を呼ぼうとして、震えたのは唇だけ。



 リ ク、

       あな た の とな り は


















 幸せ だったよ。


 ――――――。






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【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】


[No.772] 考えるな。読んで感じろ! 投稿者:No.017  《URL》   投稿日:2010/10/23(Sat) 17:14:57   5clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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読了した後に「 臆病過ぎた想い 」読んだらやっぱり。
つながってた。

あー、もうこの不器用な感じがね、もうね、
ぎゅうぎゅう締め付けてくる感じといったらいいのかな。
きますね。


あいかわらず短い感想ですが、なんていうかこれは読んで貰って感じる類のものだ。




追伸
主人公って結局なんで死んじゃったんでしょう?
でも主題はそこではないので、これはこれで。


[No.843] Re: 考えるな。読んで感じろ! 投稿者:砂糖水  投稿日:2010/10/25(Mon) 23:48:24   5clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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感想ありがとうございます〜。


> 読了した後に「 臆病過ぎた想い 」読んだらやっぱり。
> つながってた。

頑張ってつなげました…。
もともとは続く予定ではなかったのでどうつなげるか頭を悩ませました。


> あいかわらず短い感想ですが、なんていうかこれは読んで貰って感じる類のものだ。

いえいえ、感想もらえるだけで本当にうれしいです!
長いので読むのに時間かかったと思います…。
ありがとうございます。


> 追伸
> 主人公って結局なんで死んじゃったんでしょう?
> でも主題はそこではないので、これはこれで。

あーそれですね。
具体的に書くとアレなのでぼかしました。
イメージとしては頭から落下→頭がい骨陥没or脊髄損傷により…
という感じです。
打ち所が悪かったというか。


感想ありがとうございました!
失礼します〜。