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  •   [No.1617] 創るということ 投稿者:イケズキ   投稿日:2011/07/20(Wed) 15:40:17     108clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:TEST1】 【TEST2】 【TEST3】 【TEST4】 【TEST5

     なんて不快な絵だろう。今朝もまた「彼」は壁に絵を描いていた。
     しかし、それを落書きと呼ぶにはあまりに描き手の熱意が篭り過ぎていた。丁寧に線が引かれ、大きさにしてもアパートの壁にでかでかとある。それが人間の画家のものであれば、ひょっとしたら、その画家にとっての力作と呼ばれるくらいの作品かもしれない。けれど、どれだけその絵をじっくり見ても、ともすれば目を覆いたくなるほどの不快感しか感じない。べったりと白の壁を覆い尽くす、貧血状態の唇みたいな不健康な紫は、重なりつつも反発し、隣り合いながら戦争しているみたいだ。全くと言っていいほど、その絵には調和というものがない。
     ――ベタ、ベタ、ベタ。
     「彼」は今、一心不乱に描き続けている。
     ここから徒歩十分の所に地下鉄の駅があるので、アパートの前の道は結構人通りが多い。しかし、通り過ぎるどの人もポケモンも、皆顔をそむけて足早に通り過ぎていく。誰もこんな絵を見たいと思わないのだ。
     かわいそうだとは思ったが、私も一旦家に戻ることにした。これ以上は見ていられない。


     ドーブルとはなんと因果なポケモンだろうか。
     「好きこそものの上手なれ」とは言っても、あのドーブルに絵の上達は到底見込めない。加えてあの毒々しい紫。ドーブルの尻尾から分泌される色はドーブルごとに決まっていて、その色は日によって微妙に違っても、基本的な色合いは一生変わらないという。そう、つまりあのドーブルには生まれた時から才能が無い。
     つまり、彼は「ドーブル」であるばかりに絵が好きでたまらず、どれだけ描きつづけた所でそれは誰にも見向きすらされないのだ。――全く皮肉な話だ。
     私は彼――ドーブルがカンバスにしているアパートの大家をしている。何故かここに毎朝絵を描いていくドーブルのせいで、壁の掃除を日課にしている。いつまでもあんな絵を残していては見苦しくてしょうがない。
     それでも私がドーブルを追い払ったりしないのは、彼が不憫でならないからだ。
     私は若い頃、画家を目指して美術大学へ通っていた。親に大枚の借金を背負わせて入学したが、才能がない事はずっと分かっていた。成績は常にどん底で、周りの人間からは常々退学を薦められた。それでもなんとか卒業までこぎつけ、デザイン関係の事務所に勤めたこともあったが、半年もたたずにクビになった。それからはプロになることを諦め、再就職した広告代理店で金を貯め、一昨年このアパートを買った。できるものなら母をこのアパートに迎えたかった。父は5年前に亡くなっていた。しかし、到底無理な話だった。広告代理店に勤めると話した日、私は勘当を言い渡されていた。
     才能はこれっぽっちも無い。それどころか絵の為に人生をむちゃくちゃにしてしまった。
     それでも、だ。いつだって絵を描くことが好きでしょうがなかった。今だって好きだ。時々だが描くことだってある。描き終わったら、捨ててしまうが。
     描いて、描いて、描いて、それで出来上がったら、捨てる。油絵も水彩画も、風景画も人物画も、ビリビリに破いて捨てる。
     自分の絵が不快だった。学生の時分からどんな絵を描いても、完成を見ると虫唾が走る。さらに、その絵を描いたのが自分だという事実に憎しみのような感情を感じる。だから絵を破った。自分を破けないから、絵を破った。
     描きたくてしょうがない。それはきっとあのドーブルも同じ気持ちだろう。そして、描いた自分の絵が大嫌いという事もまた、きっと。

     以前、私がいつものように絵を消していた時の事。
     さすがに描いている途中から消すわけにいかないので、私はいつもあのドーブルがいなくなってから作業を始める。
     ――ゴシ、ゴシ、ゴシ。
     このアパートは直方体をしていて、道路から見て左の大きな面には、一階の部屋への入り口と二階へ上がる階段がついている。正面の小さい面と道路の間にはスペースがあり、その場所にドーブルは立っていつも絵を描く。私も同じ場所に立って作業する。
     今年60になる身で、モップを持ち上げての作業はしんどい。だが、まわりに手伝ってくれるような人はいない。店子ですら知らぬ顔して私一人に任せきりだ。
     ――ガウ、ガウ、ガウ!
     ふと作業を止めて休んでいると、右側のベランダからポケモンの吠える音がした。あれは103号室で一人暮らしのお婆さんが飼っているガーディだ。毎朝欠かさずにお婆さんはガーディを散歩に連れていく。この時間には出ているはずだが、何故か今日は部屋にいる。おかしい。どうしたのだろうか。もしやお婆さんに何かあったのでは――ガタンッ!
     あっ、と思った瞬間には遅かった。私は片足をバケツに突っ込んでしまっていた。
     チッ。
     小さく舌打ちをし、モップを壁に立てかけて服を着替えに行こうと振り返った。
     その時、通りの向かい側にあのドーブルが立っているのが見えた。私の背後では、さっき描いたばかりの彼の絵がごちゃまぜの色だけ残って垂れていた。
     私は少しの間、気まずい思いで立ち尽くしていた。これでも画家の端くれという意識がある。自分のアパートに描かれた物とはいえ他人の作品を、それも目の前で壊してしまった罪悪感で心が痛い。
     とうのドーブルと言えば、じっとこちらを見るだけだった。いつから見ていたのかも知れない。ドーブルはまっすぐこちらを見ていた。
     どうしてあのドーブルは、自分の絵が消されていっているというのに、何もせずに見ているのだろう。あれだけの力作だ。勝手に消されて腹が立っていてもおかしくない。
     私がそのままじっと立っていると、ドーブルは突然動き出した。人ごみの中をぴょんぴょん跳ねるようにして器用に素早く進んでやってくる。不思議なことに尻尾からでる絵の具の代わりの液体は一滴もこぼれなかった。
     私はサッと身構えた。ドーブルの様子を見る限り、怒っている風ではなかったが、いつどう変わるか分からない。
     とうとう足元までやって来た。正面から見るとなかなか愛嬌のある奴だ。ベレー帽のような頭に、筆替わりの尻尾を手に持って、こういうポケモン独特の「ハァハァ」という荒い息遣いをして私を見上げている。
    「な、何か用かな?」
     見た感じあまり強そうではなかったが、ついつい声が引きつってしまう。
     大学時代に、自分はポケモンの表情が分かると言う奴がいたが、私に今のドーブルの表情は分からない。そいつだってきっとホラを吹聴していただけに違いない。目立ちたがり屋の子供が、思い込みの才能を自慢していただけの事だ。
     ドーブルは一度足元から私を見上げると、倒れたバケツに近づいてそれを私の元へ持ってきた。
    「水を入れて来て欲しいのか?」
     確かに私がさっき倒してしまったので、今バケツの中に水はほとんど残っていない。しかし壁はまだまだ色が残っている。
    「いいのかい? これはお前が頑張って描いた絵だろう? もうだいぶ消えてしまっているが、それでも、消してしまっていいのかい?」
     ドーブルは私の問いかけにも、ぐいぐいとバケツを押し付けるだけだった。
     ――消して欲しいんだな。
     このドーブルは自分の絵を消したがっている。表情なんか分からなくたって、それ位分かる。きっと彼は自分の絵が嫌いなのだろう。
     そして、私がズボンを履きかえて水を汲んでくると、今度は彼自らモップを手に取り壁をこすり始めた。私がやるよ、と言ってブラシを取り上げようとすると、ブンブン尻尾を振ってその手を追い払った。どうやら自分で消したいらしい。
     頭上から再びガーディの吠える音がした。私はお婆さんの様子が気になっていた事を思いだした。目の前ではドーブルがゴシゴシ壁を擦って、自分の絵を消している。
     私は彼を置いてアパートへまた戻った。

     結局の所、お婆さんは寝坊していただけだった。前日の夜に仲間うちで飲み会をしたそうで、すっかり潰れていたのだ。その事を玄関先で真っ青な顔して話していた。いい年して元気なものだ。その元気の半分でも使って私の掃除を手伝ってくれたっていいものを。
     ドーブルは、私が戻った時には既にどこかへ行っしまっていた。バケツに入れた水は殆ど消えて、モップは無造作に転がされていたが、アパートの壁に散らかった色は跡形もなく洗い流されていた。

     それからドーブルは毎日自分の絵を自分で消すようになった。
     昼ごろに私がバケツとモップを持って現れると、たいてい彼の絵は完成している。以前なら私が彼がいなくなるのを待って、消し始めるのだが、ドーブルの方から私からバケツとモップを取っていって自分で消す。消した後は、きちんと道具をアパート奥にある物置に立てかけて置く。物置の鍵は私が持っているので、私は夕方ごろにそれらをしまいに行くだけでいい。
     本当は最初からそうしたかったのだと思う。しかし、ドーブルは私と関わるような事をしたくなかったのだろう。その気持ちは分からなくもない。毎日勝手に人の家に絵を描いて、その掃除を任せきりでいるのだ。普通の大家ならとっくに怒り心頭の所だ。今まで黙認されていたことは不可解に感じていただろうが、それでも、直接関わるのは気が引けたのだろう。ポケモンにしては今時の若い人間よりとっぽど立派な神経をしている。
     私にしてみればどうでもいい事だった。私が彼の絵を消しているのを見られたときは確かに少々気まずい思いだったが、自分で消すことについては勝手にすればいいと思った。むしろこっちの負担が減って有難いくらいだ。

     それから一年が経った。ドーブルは相変わらず毎日描きに来る。
     私の所には、母が来ることになった。

     父が死んでから、私は何度も一人暮らしの母をアパートに呼んでいた。しかし、母は一度として首を縦には振らなかった。
     それだけ私が両親から嫌われていたということだ。
     自業自得とはこのことだろう。
     子供のころ絵描きになると言ってから、親には「絵描き教室」に通わせてもらい、刺激を与える為と言っては何度も旅行へ連れて行ってもらった。所詮、子供の夢語りでいつ心変わりしてもおかしくないというのに、一生懸命に私の夢を叶えようとしてくれた。人並みどころか、感謝してもしつくせない程、私は父にも母にも世話になった。
     その結果が普通のサラリーマン。ふっ、勘当されて当然だ。

     それでも今回やっと折れて、私の所に来ることになったのは、訪問介護を頼めるほど余裕のない母が、いい加減一人暮らしが大変になったからだ。「勘当」では、役人に補助金を出させることはできない。


     ドーブルの絵に見かねた私が部屋に戻ると、母は一人で昼のニュースを見ていた。

    「母さん、今夜は何が食べたい?」
    「…………」
     母がこの同じ部屋に住むようになってから、一週間。一度も私は母と口を聞いていない。
     私はまた黙々と夕飯の構想に取り掛かった。昨日は和食だったから、今夜は中華にしよう。ラーメンはダメだ。麺類は七十後半の母には食べづらい。そうだ、麻婆豆腐にして、ご飯にかけよう。油と肉は控えめにして、豆腐は細かく切って。それなら母にも食べやすい。
     母が来ることが決まって以来、私は毎日料理の練習をしてきた。栄養バランス、食べやすさ、味、どれをとっても満足してもらえるように毎日勉強した。

     夕飯を作り終え、母と一緒に席に着いた。テレビは消してある。
    「どう? おいしいかい?」
    「…………」
     向かいに座った母に聞いてみたが、何も答えない。視線を合わせようとすらしない。私の声が空しく部屋に響く。
     母は一口だけ食べると、すぐにスプーンを置いてしまった。

    「もしかして……不味かった?」
    「…………」
     母は黙ったまま自室へ戻って行ってしまった。
     実のところ、母はこの家に来てから一度もまともに私のご飯を食べてくれていない。どれも一口食べるだけで終わってしまう。
     それは悲しくもあり、また心配なことでもあった。
     そこで私はスーパーで市販のミニケーキや焼き菓子を買ってリビングの机の上に常備しておくことにした。
     初めに置いた翌日から、ケーキと焼き菓子がいくつか消えていたので安心した。食欲がない訳ではないのだ。
     しかしいつまでもこんなお菓子ばかりでは体に悪い。出来ればきちんと私の料理を食べて欲しいのだが、母にその気はないようだ。
     ――仕方ないか……。
     私は翌日から、三食、母と別に取ることにした。
     食欲は確かにあるみたいだし、自分で言うのも何だが味だって悪くないはずだ。だから、問題は私だろう。私がいる所で、私と一緒に、私と同じ釜の飯を食べるのが、母にとって苦痛だからいけないのだ。だったら別々で食べるくらい大したことじゃない。
     食事が出来上がると私は毎回、リビングでぼんやり座って母が来るのを待つ。母が来たら食べ終わるのを待って、自室へ戻って行ったら自分も食べ始める。
     こんな調子で毎日が進んだ。

     母が来てしばらくたった頃、母が膝を悪くした。医者に見せたら「変形性膝関節症」だと診断された。今一つどんな病気なのか分からないが、年をとれば自然となってしまうもので、仕方のない病気らしい。それを聞いて私はホッとした。私の健康管理が悪かったせいではないのだ。
     母は翌日からリハビリに通うことになった。ろくすっぽ外に出ることのなかった母にとってその事自体は、むしろいい事だったかもしれない。
     ところが私は少し不安だった。あのドーブルの事だ。
     リハビリは週一回、毎回一時間する。どの時間になるかはまちまちで、朝からだったり夕方からだったりする。夕方からなら問題ないのだが、朝からだとどうしても母がドーブルを見かけることになる。
     初めてドーブルを見た時、母は一瞬立ち止まっただけだった。
     何を思ったかは知らないが、母があのドーブルが気になっているのは確かだ。それはあの絵が不快だったからなのか、「絵描き」そのものに対してだったのか分からないが、私はさらに母との関係が悪化する原因にならないかと不安だった。
     母が来てからも私は毎日彼の絵を消しに行っていた。と言っても、私は道具を用意するだけだけだが。
     私はドーブルを追い払うことを初めて真剣に考えた。


    「母さん……あのドーブルの事なんだけど……」
    「えっ……」

     その日の夜、母が食事を終えて部屋に戻ったのを追いかけて、扉の前で話しかけた。まだ、私はこの部屋に入ることを許されていない。

    「その……母さんはどう思っているのかなって思って……。その……もしかしてあんまり気分良くないかな……」
    「…………」

     黙ってしまった。初めはいい感じに話が出来そうだったのに、うまくいかないもんだ。

     次の日は朝からリハビリの予定が入っていた。
     母は今、珍しく朝刊を読んでいる。老眼の進んだ母に、新聞は相当見ずらいだろうにやたら熱心に読んでいる。
     私は朝食の準備をしながらその様子を見ていた。

    「母さん、ご飯できたよ」
    「…………そう」
     コクリと頷きながら小さく返事をしてきた。最近はやっとこれくらいの口は聞いてくれるようになった。
     私はいつものように食卓にやって来た母とすれ違うようにしてリビングへ入った。
     リビングの机の上にはさっき母が読んでいた新聞が置かれていた。
     ――何を読んでいたんだろう……?
     気になった私は折りたたまれていた新聞を広げ、ざっと斜め読みしてみた。
     どこかの国で紛争が始まったらしい。一面に人間とポケモンの兵士たちが市街に繰り出している写真が出ている。それに、この国の財政問題。ポケモンリーグの赤字がさらに膨れているそうだ。
     ペラペラと新聞をめくっていくと気になる記事を見つけた。

     ――カントー出身画家、ヤマシタユウゾウ氏の個展開催!

     今度ヤマシタユウゾウの個展がタマムシシティで開かれるらしい。
     ヤマシタユウゾウと言えば現代美術の“オーソリティ”だ。彼が描いたものであれば、落書きのような線画でさえ目玉の飛び出るような高額で取引される。間違いなく、世間から認められた最高の画家だ。

     ――悔しい……。

     どうして、こんな若造が認められて、私のような本当に絵に心血を注いできたものがただのサラリーマンなんだ。不公平だ。私にも才能があったらなぁ……。
     私はイライラと新聞を畳んだ。食卓の方を見るとすでに母は食べ終え、皿を片づけようとしていた。

    「あぁ、いいよいいよ。やるから、早く他の準備してきて」
     母の手を払いのけるようにして皿を奪った。
    「…………」
     今度は黙ったまま、母は行ってしまった。

     その日、私がこれからのことを思案しつつドーブルの所へ行くと、ちょっとした騒ぎが起きていた。

    「やだー! 僕はここにいるぅ!」
     子供の声がする。
     その様子を私は壁の横から見ていた。
    「ダメです。お母さんの言うことを聞きなさい! こんなところでいつまでもいたら周りの人の迷惑でしょ!」
    「いやだぁー。僕はもっとこの絵みたいんだよぉ……」
     子供の方は今にも泣きだしそうだ。
    「こんな気持ち悪い絵……」
    「気持ち悪くなんかないもん!」
     母親がぼそっと漏らした言葉に、子供が怒る。

     子供の年は7〜8歳と言ったところだろうか。学校の制服らしきもの着て、いかにも「お坊ちゃま」という感じがする。母親も母親で、ピッチリとした黒のスーツに派手なコサージュを着けて、さしずめ授業参観の帰りといった所だろうか。
     そんな親子のやり取りのそばで、ドーブルの様子が変なことに気付いた。絵はもうほとんど完成してる。
     なんだかそわそわしている。普段なら完成まで一心不乱に筆替わりの尻尾でペタペタ塗りたくっているというのに、どうしたことだろうか。

    「あら……」
     母親の方がこちらを向いている。やっと、私の事に気付いたようだ。
    「あなたはこの家の方で……?」
    「そうです。ここの大家をしている者です」
    「それは……お見苦しい所を見せてしまい、お恥ずかしい」
    「いえいえ……。お子様はこのドーブルの絵が、とても気に入っているようですね」
     ドーブルの絵が好きだと言うこの子供の事が気になっていた。
    「うん! 僕ドーブルの絵、大好き!」
     母親の横で子供が嬉々として言う。
    「こら! またこの子は。すみませんねぇ、うちの子、こんな変な絵が好きだって言って聞かないんですよ」
    「変じゃないもん!」
     子供が憤慨して言う。
    「ちょっと黙ってなさい」
     母親はにべもなく一喝する。
    「今から、この絵の掃除をするんですよね?」
     母親が私の持ったバケツとモップを見て言う。
     私がそれにコクリと頷くと、
    「ほら、このおじさんの邪魔になるでしょ。早くいきましょう」
    「おじさん、この絵、消しちゃうの……?」
     悲しそうに子供が聞く。
    「ほら、ぐずぐずしないの! 早く行くわよ」

     子供を半ば引きずるようにして、母親はまた道路の中へ戻って行った。
     連れて行かれた子供は、最後まで悲しげな目でドーブルの絵を見ていた。


     その日もドーブルはバケツとモップを取りに来た。
     あの親子が去ってから、数分の後に絵は完成し、直後にドーブルは私から道具を持って行った。

    「お前……」
     思わず近づいてきたドーブルに声をかけた。
     しかし、何と言ったら良いのかわからず、私は黙ってバケツとモップを渡した。
     黙々とモップを動かすドーブルを見て、私はその日初めて、彼の絵をとても惜しく感じた。
     部屋に戻る間、私の中で彼を追い払うなんて考えはサッパリなくなっていた。母と私の問題より、彼の絵が、私には惜しかった。


    「あのドーブル、どうかしたの?」
     母の声。夕飯の準備をしている時の事だった。

    「えっ……」
     まさか向こうから声をかけられるとは思わず驚いた。

    「いつもきれいに消えているのに、今日はあちこち色が残っていたから……」
     ここに来て初めて母から聞かれたことは、あのドーブルの事だった。
     母があのドーブルの事を気にかけていたこと。ドーブルが絵の掃除を怠っていたこと。私の頭はそれらの驚きで、思考停止してしまった。
     ――ジュウジュウ。
     あ、思った時には遅かった。フライパンの中の肉は焦げてしまっていた。
     私は慌ててコンロの火を消すと、エプロンを脱いだ。

    「母さん、ちょっとこっち来て」
     私は母をリビングまで連れ出して詳しい話を聞きたかった。
     しかし、
    「知らないならいいわよ」
     そそくさと行ってしまおうとする。
    「ちょっと待って」
    「何?」
     イライラとした口調で言う。
    「ドーブルの姿は見た? どんなふうだった?」
    「そんなこと知らない。分からないから聞いているんでしょ」
    「頼むから教えて。ドーブルはどんな感じだった?」
     何故か気になって仕方ない。人の家に勝手に絵を描いてポケモンの事なんて、私の知ったことではないはずなのに、どうしたことだろう。
     必死に頼み込む私に、母は渋々と言った様子で話し始めた。
    「私が帰ってきた時に、またドーブルが掃除していたのよ。見てたらなんかいつもと違うっていうか、モップを重そうにして動かしていたし。……今になって、声でもかけてあげたら良かったんじゃないかって思って……。もういい?」
     答えも聞かずに母は行ってしまった。


     その後、私は夕飯を食べながら考えていた。
     ――きっとドーブルはあの子供の事が気になっていたに違いない。
     私が見ているそばでも、ドーブルの様子は明らかにおかしかった。
     そして、あの時の彼の気持ちを、私は容易に想像できる。
     ――自分の作品を「好きだ」と言う人がいる事。
     これまでどれだけ絵を描いても、誰にも見向きすらされなかったドーブルにとって、それがどれだけ嬉しかったか。
     あの子供のような存在をどれだけ待ち焦がれていたか。
     私には分かる。私も待っているから。


    「ちょっと……いいかしら?」
     不意に声をかけられた。
    「どうしたの?」
     さっきまでと様子の違う母をいぶかしげに見た。
    「さっきの事なんだけど、もう一つ思い出したことがあるの」
     そう言って、テーブルの向かいに座った。
    「え、何?」
    「あの時ね、ドーブル泣いていたのよ」
    「えっ!」
    「泣きながら絵を消していたのよ……。でも、辛そうな感じじゃなかった。嬉しそうな顔していたの。……あ、母さんね、ポケモンの表情が分かるのよ」
     ちょっと得意げに付け足した。久しぶりに見る、穏やかな母の顔だった。
    「そうだったのか……。ところで、なんでその事を急に……?」
    「アンタ見て思い出したのよ。分かってる? アンタ今、泣いているのよ」

     言われてみて気が付いた。目の前のカレーは一口も手を付けられず、私の頬は濡れていた。
     何故泣いていたのか、理解するのにしばらく時間を要した。母は椅子に座ったままこちらを見ている。

     ――私も嬉しかったんだな……。

     あの皮肉な特性を持って生まれてきたドーブルに、やっと「見てくれる」人ができたこと。それがたまらなく嬉しかったんだ。
     私とドーブルは似ている。
     絵が好きで、でも才能はこれっぽちも無い。描くのが好きで、描いた絵は大っ嫌い。
     そんなドーブルに、私は自分自身を投影させていたのだ。だから、ドーブルの喜びが、まるで自分の事のように感じている。

     でも、私はドーブルじゃない。
     それに気づくと、私はいてもたってもいられず、話始めた。

    「母さん、僕の絵ってどうなのかな?」
    「どうって?」
    「その……なんていうかな……下手なのかな……」
     初めて私は、自分の絵の評価を親に聞いた。今まで、子供のころから私は一度も、自分から聞いたことは無かった。

     ――ドキドキドキ。

     心臓が破裂するのではないかと思うほど高鳴っている。同時に私は激しく後悔した。
     聞くんじゃなかった。馬鹿なことをした。答えなんて分かっているはずなのに、何てことを私は……。

    「下手ね」
     一言。あっさり、私の60年は否定された。

    「でも、好きよ」

    「へ……?」
     思わぬ続きに言葉を失った。

    「母さんも父さんも、あなたの絵が大好きだったのよ。まぁ……子供のころから、あんまり下手すぎてよく父さんとは苦笑してたんだけどね。鍛えればどうにかなるかと思ったけど、結局いつまでも下手クソだったわね」
     そういって、昔を思い出したのかニヤリと笑う。
    「父さんも母さんも分かっていたの……? 僕に才能が無いって……?」
    「当たり前でしょ。誰だって、アンタの下手な絵見てまともな画家になれるなんて思わないわよ」
    「じゃあどうしてあんなにいろいろ……大学まで……」
     私は混乱でどうにかなってしまいそうだった。体が震える。声も震える。
    「バカ者! アンタが、絵が好きだったからに決まってるでしょ!」
     何を聞いているんだと、いきなり母は怒った。
    「父さんも母さんもアンタの絵が好きで、何より絵を描いているアンタがどんな時より幸せそうだったから、ずっと応援してきのよ!
     それをアンタは……」
     どんどんヒートアップしていき、言葉につまってしまっている。
    「それをアンタは、『才能が無いので、まともな職に就きます』なんて、大バカ言って……!」
     それは私が勘当された日に、両親に言った言葉だった。
     父も母も、私の絵が好きで、それを諦めたことに激怒していたのだ。

    「そんな……そうだったのか……」
     私は頭を抱えた。全て私の誤解だった。
    「あの日どれだけ私達が悲しんだか……」
     母は泣いていた。
    「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
     私も泣いていた。

     それでも私は嬉しかった。やっと両親の思いが分かったこと。亡き父があの日どうしてあんなに怒っていたのかを、やっと知ることができたこと。
     そして何より、私の絵が好きだと言ってくれる人が、この世界にいる。
     その事がどうしようもなく嬉しかった。


     翌々日の朝、私は母を連れていつもより早く、あの壁の前に来ていた。
     手に持っているのは、バケツとモップじゃなく、さっき部屋から取ってきた絵筆とパレット。それに、絵の具の入った箱と水を入れた筆洗代わりのコップ。
     母は横で、シルバーカーに座って、ニヤニヤ笑っている。
     昨日から私たちは、今日の“イベント”のために計画を練ってきていた。

    「お、来た来た」
     私達が来て数分後、ドーブルが道路の向こうからやって来た。
    「ふっふっ。驚いてる、驚いてる」
     母がニヤニヤを一層強めて言う。
     ドーブルは、私達と壁の前に置かれた画材道具を見て、目を丸くしている。私にもそう見える。

    「なぁ、ドーブル」
     私はいろいろな道具を見て回るドーブルを呼びとめた。今日のイベントには彼の協力が必要不可欠なのだ。
    「今日の絵、あと少し待ってくれないか?」
     ドーブルは首を傾げてこっちを見ている。こちらの言葉が通じたのか、その場にペタンと座るとまたあの「ハァハァ」という息遣いをしている。これからの事を思うと、いっそうこの顔がかわいらしく感じる。

     この“イベント”は、私とドーブルが、ゲストの為だけに絵を描くものだ。カンバスにするのは、この壁。今日のゲストは母と、あともう一人。
     私は腕時計を見た。さっき見た時からまだ三分しか経っていなかった。


     今日は例の、ヤマシタユウゾウの個展開催の日だ。だから、通りにはいつもより多くの人たちが歩いている。
     でも、もう私はその様子を見ても、何とも思わない。
     ――私には私の絵を待つ人がいるから。

     まだかまだかと、もう一人のゲストの到着を待っていると、
    「あら! 珍しい! 親子おそろいでどうしましたの?」
     威勢のいい声がした。103号室のお婆さんだ。ガーディを連れている。
    「いや……ちょっとね」
     私はごにょごにょと、お茶を濁した。
     この人が関わると、計画が台無しになってしまう。今日ばかりは、「招かれざる客」は困るのだ。
     母と言えばご機嫌で、あたふたする私を面白げに見ている。――これからイベントだって分かっているのだろうか……
    「あ! これって!」
     お婆さんが画材道具を指差して叫ぶ。
    「大家さんこれから絵、描くの?」
     目をキラキラさせて聞く。いよいよ面倒くさくなりそうだ。
    「あ〜、おばあちゃん? ガーディの散歩はいいのかい?」
    「いいのいいの。それより大家さんの絵、一度見てみたいと思っていたのよ」
     昔“うっかり”彼女に絵を学んでいたことを話してしまったのがまずかった。
    「そんな……。私の絵なんかより、個展に行かれてはどうです? あのヤマシタユウゾウの個展が今日からやっていますよ」
     どうにか自分の絵から話題を逸らそうと頑張ってみた。
    「え〜、ヤマシタユウゾウ? 私、あの人の絵、好きじゃないのよねぇ。なんて言うの、主張が強すぎるっていうか、あの人の絵ケバケバしくない? 見てて疲れるのよねぇ」
     目の前で多くの人たちが、彼の絵を見に歩いているというのに、ずけずけと物を言う。
     私は内心ヒヤヒヤしつつ、こういう人もいるんだなぁ、と少し驚いた。
     “オーソリティ”を受け入れないたった一人が目の前にいた。
    「あはは……あんまりそういうこと大きな声で言っちゃだめですよ。あの人たち、みんな彼の絵を見に行く人たちなんですから」
    「そうなの……」
     おばあちゃんは少し寂しげに言った。
    「まぁまぁ。私の絵は、おばあちゃんが帰ってくるまでには出来上がっていると思いますから、先にガーディの散歩行ってやってくださいな」
     お婆さんは最後までぶつぶつ言っていたが、結局は散歩に出て行った。


     お婆さんが行ってから数分後、やっと待ち焦がれていた人物が現れた。ドーブルが急にそわそわしだす。

    「おお! やっと来たね。待っていたよ」
    「おはようございます!」
    「おはよう じゃ、君はそこのイスに座ってね」
     子供ならではの元気な挨拶に、思わず笑みを浮かべつつ、“客席”へ案内した。
    「このおばあちゃんは……?」
     案内されたイスの隣で座っている母を見て言う。
    「初めまして」
     母が挨拶した。
    「この人は、僕のお母さんだよ。君と同じ、今日のお客様だ」
     私がそう説明すると、パッと顔を輝かせ、
    「はじめまして、おばあちゃん。これから楽しみだね!」
    「えぇ、そうね」
     母も嬉しそうに答えた。
     この子は、あのドーブルの絵を好きだと言った子だ。昨日の夕方、学校帰りを見計らって、このイベントに招待した。

    「お母さんはよく許してくれたね」
    「うん。まぁ絵を見ることは別に悪い事じゃないし、休みの日に出かけるくらいの事良いってさ。それに、おじいちゃんは、いかにも『コーコーヤ』だからね!」
     恐らくは受け売りだろう、彼の言を葉聞いてクスクス笑いたくなるのを必死で堪えた。
    「ふふっ、それはよかった。じゃあ、お客さんもそろったことだし、始めますか!」


     右手に絵筆、左手にパレットを持つ。水の入った缶を作業しやすいようにセット。


    「ドーブル。それじゃ、私と一緒に描こうか!」
     ドーブルは一瞬目を細めて、
    「ドブッ!」
     パッと表情を輝かせて短く吠えた。
     イベントの始まりだ!


     ――ペタリ、ペタリ、ペタリ。
     ――シュッ、シュッ、シュッ。
     短い線、長い線。それぞれが入り乱れる。
     私は記憶の風景を描き、ドーブルのは、何か幾何学的な模様に見える。

     ――シュウ、シュウ、シュウ。
     ――ペタ、ペタ、ペタ。
     太い線、細い線、形の中に色が入る。
     風景のおおよそが出来上がって、ドーブルの方も、まとまりのある形が見えてきた。

     ――ベタリ、ベタリ、ベタリ。
     ――サラリ、サラリ、サラリ。
     曲線、直線、仕上げが進んでいく。
     海の見える街と、ペーズリーと六芒星が合体したような形が出来上がる。

     ――シュシュッ!
     ――ペタッ!
     最後に私はサインを、ドーブルは自分の足型を、絵の右下に残して完成。


     一人と一匹は、並び、一心不乱に描いた。
     自分の絵を好きだと言ってくれた、たった一人の為に描いた。
     道行く多くの人は彼らの絵に顔をそむけて通り過ぎたが、そんなこと彼らには関係ない。
     才能がなくたって、オーソリティでなくたって、彼らには自分の作品を好きだと言ってくれる人がいる。
     その大切な人だけで、彼らには十分だ。


    「あぁ、やっとできあがったな」
     私はドーブルと顔を見合わせた。ドーブルは笑っていた。
     大学時代のアイツの言葉が分かる気がする。
     ポケモンだって、こんな幸せな顔をするんだ。
     ――そりゃ嬉しいよな。
     私は、後ろを振り返った。

     ――自分の作品をこんなにも喜んでくれる人がいるんだから――




     イベントの絵はその日のうちに消された。
     もちろん、「見てくれる」人のできた彼らはもう、自分の絵が嫌いなんて思わない。
     しかし、彼らは何より、またその場所に描きたいと思ったのだ。

     描いては消し、描いては消し。
     時には“イベント”もして。
     描くことが好きで、それで――

     ――好きだよ――
     あの日の言葉が耳に残っている。


    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    マイノリティが書いた、マイノリティへ送る、マイノリティの話。
    私はオーソリティにはなれないですから。


    自分の話を読んでいただけた方には本当に感謝しています。ありがとうございます。


    【書いてもいいのよ】【描いてもいいのよ】【批評してもいいのよ】


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