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ある森の中に、一匹のスリープが住んでいた。
彼は今までの人生の中で眠ったことがなかった。それは、スリープのとくせいである“ふみん”のせいである。
生物は眠るというのは基本的な欲求の一つであり、必要不可欠である。どんなに強くて大きなポケモンも、潰してしまいそうな程小さなポケモンも、そして人間も、生き物は皆、眠らなければ体を休めることができずに死んでしまうのである。
だが、このスリープは違った。生まれてから一度も、眠いという感情を経験したことがないのだった。
彼は、昔は別に寝ないでも良いと思っていた。それは、同じふみんのとくせいを持つ家族とずっと雑談を楽しむことができたからだ。
しかし、歳を取り家族と離れると、周囲と違うことがいかに辛いか身を持って知ることになった。
皆が寝ている間に、何もすることがないのだ。夜は暗く危険がどこに潜んでいるか分からないのであまり遠出はできない。けれど周りに住んでいるポケモン達はじっくり疲れを癒している。家族といた時には、一晩中話ができて暇なんてなかった。しかし、今は独りきりで日の出が上がるのを待ち続ける毎日。試しに横になっても全く眠くない。目を閉じて一生懸命寝ようと努力するのだが、どんなに頑張っても、種族のとくせいに打ち勝つことはできなかった。
世の中を知るまでは、夜が大好きだった。しかし今は、夜がとても嫌いになっていた。
次第にスリープは不安と心の乱れのせいで疲れを感じやすくなっていく。
友人に無理せず休むように言われ渋々寝床にいても、結局眠ることはできなかった。本能に阻まれてしまうのだ。
スリープの心はどんどん麻痺していった。体の疲労から性格も歪み始め、彼は自然と友人達と疎遠になっていった。何故自分はスリープとして生まれたのだとも考えてしまうまでになった。
今日も彼は木に寄りかかり、ぼんやりと一つのことを思う。
一度で良いから眠ってみたい。
しかし、いくら彼がエスパーポケモンでも無理なことはある。
どんなに努力しても叶わない夢を思い浮かべながら、スリープはため息をついた。
ぼんやりと夜空を見上げていると、何かが浮んでいる。彼は自然とそれに目線を移す。風船のようなその物体は、空中をゆっくりと漂いながら、スリープの目の前まで降りてくる。
紫色の球体だった。頭に白い雲のようなものを乗せ、生き物の口辺りには黄色いバツ印がついている。球体の下からは、紐の様なものがぶら下がっていた。
その球体はフワンテというポケモンだった。スリープはそのポケモンを初めてみたので、目の前の生き物がポケモンだと認識するまで時間がかかった。
「初めまして、君はこんなところで何をしているの?」
甲高い声でフワンテは言う。
「君は一体誰?」
「僕はフワンテ。あなたは、ポケモンかな?」
「うん。僕はスリープって言うんだ。宜しく」
「スリープ君ね。宜しく」
スリープが挨拶をすると、フワンテは愛想よく笑い返す。彼は、まだよく分からない目の前のポケモンは悪い奴ではないかと疑ったが、疲れ切った彼は直ぐに考えるのを止めてしまった。
「疲れているのかい?」
突然の質問に間を開けながらも、スリープはああ と返す。
「僕は、スリープはというポケモンは眠ることが出来ないんだ。ふみんというとくせいを持っていてね、さいみんじゅつにかからなくなるバトルを優位に進められる便利な能力なんだけど、僕はバトルなんかしないから困っているんだ。周りのポケモンみたいに、ゆっくり休もうと思っても体が拒否しちゃうんだ。昔は当たり前のことだと思っていた、でも普通なのは周りの友達で僕は普通じゃなかったんだよ」
その後も淡々と吐かれるスリープの愚痴を、フワンテは黙々と聞いている。彼の友人はスリープの悩みを真剣に聞いてくれる者はいなかった。寧ろ仕方ないことだと言い聞かせるものばかりで、口だけ言って自分はぐっすりと寝てしまうのだ。それが悪いこととは思わなかった。彼はただ聞いて欲しいだけだったのだ。
目の前で浮んでいるフワンテは、長々とこぼす不平不満を全て聞いてくれる。迷惑なのは分かっていたが、こんなに有難いことはない。
全て言いきってしまうと、幾分か疲れが取れた気がした。
「今まで辛かったんだろうね」
そして言われたこの一言。何か解決する訳じゃない。でも同情してくれることがとても嬉しかった。
「聞いてくれてありがとう。とても気持ちが楽になったよ」
「それは良かった。じゃあついでなんだだけど、君を眠らせてあげようか?」
スリープは顔をしかめる。当然だった、突然訳が分からないことを言い出したのだから。
フワンテは言う。
「僕はね、スキルスワップという技を覚えているんだ」
「スキルスワップ?」
「簡単に言うとね、僕のとくせいとある対象のとくせいを入れ替えることができるんだよ」
スリープは、自分の体に生気が戻っていくのを感じた。
「それって、僕のとくせいと、君のとくせいを入れ替えることもできるんだよね?」
「そうさ。だから、君を眠らせて上げると言ったんだ。僕のとくせいはかるわざと言って、道具を持っていない時に早く動けるようになる能力だから、君には悪影響はない筈さ」
スリープには、たまたま出会ったフワンテに感謝した。自分のとくせいを取り替えることができる技があるなんて今まで知らなかったし、それを好意的にしてくれるポケモンと出会えるなんて幸運なことなのは彼にも分かっていた。
「ただし、ずっとふみんのままでいると僕も困ってしまうから、ほんの一日だけだよ。それでも良いかな?」
「うん。僕は一日だけでも、眠ってみたいんだ」
「分かった。じゃあ、暫くじっとしていてね」
彼は言われた通りにする。フワンテはぶつぶつと呟きだす。何をされるのか期待に胸を膨らませながら待っていると、フワンテの体からは、丸くて光る球体が浮き出てくる。見とれていて直前まで気付かなかったが、彼の胸からも同じ球体が浮かび上がってきた。白く光る互いの球体がそれぞれ違う方へ向かい、フワンテはスリープの球体を、スリープはフワンテの球体を受け入れた。胸に違和感があったが、直ぐに治まる。
「これで、今日はぐっすりと眠れる筈だよ」
フワンテが嬉しそうに言う。スリープは直ぐに自分の異変に気付いた。
瞼が重い。体が鉛のように重たくて、どこでも良いから寝転がりたいという気持ちが湧きあがってくる。頭の中は眠りたいという感情だけでいっぱいになり、座っているだけでも辛い。自分の意識を保っているだけで精一杯だった。
これが眠いという感情なのか。
「凄く眠たそうだね」
フワンテが言う。相変わらず、笑顔のままだった。
「ああ、これが眠たいって気持ちなんだね。なんだか、頭くらくらしてきたよ」
「逆に僕は目が冴えちゃった。ふみんってとくせいは凄いね。実はさっきまで少し眠たかったんだけど、今はずっと起きていたいよ」
「気に入ってくれたみたいで良かったよ。今日は、もう寝ようかな」
スリープは、まさか寝ようという言葉を使う日が来るとは思ってもいなかった。嬉しいのだが、今はこの襲い来る睡魔を消してしまいたい。もう話すだけでも億劫だった。
「分かった。じゃあ明日、またここに来てね。その時はとくせいを返して貰うからね」
「うん、分かった。絶対返すから、もう…」
「おやすみ」
フワンテはこれ以上会話が出来ないと判断し、再び空高く昇っていく。
スリープは少々危険だと分かっていても、歩いて寝床まで戻る体力が残っていなかった。それほどまでに、彼の体は疲労を蓄積していたのだ。
木の根元でスリープは仰向けになった。直ぐに意識が遠退いていく。
次の日、スリープは半日程熟睡したところで目を覚ました。
起き上がるとまず気付くのは、体が軽いということ。そして、とても気分が晴れやかだった。もう既に太陽は高い位置にある。日光を浴びながらこれまで感じたことがない解放感に浸る。
これが眠るということか。
なんて素晴らしいのだろう。
思わずスキップしてしまう。フワンテと交換したかるわざというとくせいのお陰で早く動くことができるのも、体が軽い要因の一つだった。
ああ、自分のとくせいはなんて不便なものだったのか。今までの自分は、確実に損していたのだとスリープは感じる。約束の時間までこの気持ちをじっくり味わうために、彼は寝床に戻ると昼間にも関わらずベッドに倒れた。殆ど必要がなかった寝床が漸く日の目を浴びた瞬間だった。
確かに疲れはとれたけれど、いくらでも眠れそうだった。今の彼は、新しい玩具を手にした子どもの様に、眠ることを楽しみたいのだった。
しかし、約束は果たさないといけない。
フワンテに自分の元の特性を押し付けて一生過ごそうと考えない訳ではなかったが、彼の良心が踏み止めた。スリープは本当に良い両親に育てられたのだ。
その日の夜、彼はきちんとフワンテにとくせいを返した。ふみんのとくせいが自分の体に帰ってくると、自分の中から眠気が消えるのをしっかりと感じ取ることができた。
「ふーやっぱり生まれ持ったとくせいが一番落ち着くね。僕の方も、貴重な体験ができたよ。ありがとう」
邪気はないのは分かっていたが、スリープにはフワンテが何故か憎らしく思えた。しかし、ぐっとこらえる。フワンテは何も悪くないのだ。
「ねえ、お願いがあるんだ」
スリープが言う。
「どうしたの?」
「毎日とは言わないから、一週間に一度だけで良い、今日みたいにとくせいを入れ替えさせてくれないかな」
心からの願望だった。彼は、普通に生活していたら味わうことのない果実を味わってしまったのだ。一度美味しいと感じたものはもう一度かじりたいと思うのが当然だった。
フワンテは、眉間にしわを寄せて考えている。スリープは、緊張したまま返答を待つ。
「分かった。週に一度だけだからね?」
やがてフワンテから放たれた一言は、スリープが望んでいるものだった。
「ありがとう。お礼に、毎週木の実を持ってくるよ」
「ありがたいね。でもそんなに沢山食べられないから、少しだけで良いからね」
「うん。本当に感謝している。僕はなんて良いポケモンに巡り合えたんだ」
「そこまで褒めてくれるのは君が初めてだよ」
二人は、夜の森の中で笑い合った。
こうして、二匹の奇妙な取引は始まった。
毎週同じ時間にスリープとフワンテは出会う。スリープの手には、その日のうちにもいだ新鮮な木の実。フワンテに会ったらそれを渡す。木の実を渡されたフワンテはその場で直ぐに食べてしまう。そして、お礼としてスキルスワップでとくせいを交換し、スリープは心地よい眠りに誘われる。翌日の夕方に再び彼らは出会い、互いのとくせいを元に戻す。そんな生活が何週間、何ヶ月と、長い間続いた。この取引のお陰で、内向的だったスリープは徐々に元気を取り戻しつつあった。友人との仲も元に戻り、以前よりも性格が明るくなった。週に一度、必ず寝ることができるのだ。睡眠の快楽を知った彼にとって、それだけでもありがたかった。
しかし、欲は膨らんでしまう。
週に一度だけの睡眠だけでは、足りなくなってきてしまったのだ。
眠ることが出来ない彼の体が休むことを覚えてしまったため、本来不必要だった寝る行為が必須になってくる。何かの用事でフワンテが会えない時は大変だった。いつも寝られる時間に眠れないのだから、体が寝ようとしているのにとくせいのせいで目が冴えてしまう。これは、眠ることを覚える前よりずっと苦痛だった。とても喉が渇いている時、目の前に冷たい水があるのに飲めない、例えるならばそんな状況だった。
寝床から離れ、声を上げてもがく日もあった。全身をかきむしり、悶えることでなんとか疼きを押さえるのだ。しかし、ふつふつとわきあがってくる苦しみを消しさることはできなかった。ふみんというとくせいがある限り、彼にはどうしようもないことだった。
必死にお願いして、二日間とくせいを交換して貰うこともあった。その時は、素晴らしい解放感に浸ることができるのだが、元に戻ると再び猛烈な倦怠感に襲わることになった。
何度もとくせいを交換したままフワンテから逃げ出そうと思った。そのたびに、彼の良心がそれを踏み留めた。
だがそれも限界が近づいていた。最早、彼の体は睡眠なしでは生きられないのだった。
フワンテと会う予定の日。彼はフワンテに、自分の悩みを全て打ち明けた。二匹は頻繁に会っているのは、取引だけが要因ではない。スリープは、無茶を聞いてくれるフワンテのことを特に信用していた。彼の中では、五本の指に入る程の友人になっていた。
フワンテは、いつものように親身になって話を聞いてくれる。その素振りが、スリープにとってはとても嬉しいことだった。
話が終わると、フワンテは言う。
「困っているのはよく分かったよ。でも僕のとくせいをずっと渡しておく訳にもいかないものね。何か良い解決方法はないかなあ。かなり衰弱している君をずっと見ているのも辛い」
フワンテは、他人のことなのに本気で解決案がないか考えてくれているみたいだった。その振る舞いが、スリープの高感度を更に上げる。
そうだ と不意にフワンテは言う。
「良い方法がある」
「良い方法?」
「うん。僕についておいでよ」
フワンテは、千鳥足のスリープの腕に自分の紐を巻きつけ、ゆっくりと深い森の中に誘導していく。彼は、フワンテのことを信頼していたので、どこに行くかはあえて尋ねなかった。というよりも、尋ねる気力すらなかったと言った方が正しいかもしれない。
普段は、他のポケモンが決して入らない森の深い部分。そこは昼間でも薄暗く、食糧があまり取れないので生き物が住むには適していない場所だった。特別何かある訳でもないので、ポケモンも、ましてや人間も入ろうとはしない。
そんな中を歩かされるスリープ。足取りは重かったが、これを乗り越えればまた安らぎが待っている。そう自分に言い聞かせ、弱り切った自分の体に鞭を打つ。
辺りは暗闇に包まれていた。空気が綺麗だったので星がよく見えるが、今日は月が輝いていないので、辺りはよく見えない。自分の手を目元に近付けても認識するのに時間がかかってしまう程の暗闇を歩き続ける。正常なポケモンならば、例え誰かと一緒にいても恐怖に襲われるだろうが、彼は寧ろ安心していた。フワンテが行き先を導いてくれるからだ。一度も木にぶつからず、根っこや段差にもつまずかずに歩けるのはフワンテのお陰だった。
そういえば、彼はゴーストタイプだったことをスリープは思い出す。夜に慣れているのだろう。こうして正確な誘導ができているのが何よりの証拠だった。
ゆっくりと、奥へ奥へと入り込んでいく。
進めば進む程、夜の闇は濃さを増していく。
何分、何十分、どのくらい歩いたかは分からない。急に森がなくなり、闇が薄くなった。
そこは森全体を上から見渡せる崖だった。スリープは、知らぬ間に山を登らされたらしい。それにも関わらず息が切れていないことを不思議に思ったが、彼はあまり気にしていなかった。
普段自分が暮らしている森を上から見下ろすというのは、なかなか不思議な体験だった。そして闇と同化している森は静かで、尚且つ不気味だった。昼間の穏やかな様子とは違う、ひたすら朝を待ち静寂に包まれている。なぜだか分からないが、スリープは身ぶるいした。もしフワンテが連れてきてくれなければ、こんな場所は自分から来ないだろう。
風も吹かない夜。夜空で光る星だけがスリープ達を見ていた。
「ここなの?」
スリープが言う。
「ここだよ。もう少しこっちにおいで」
正直もう歩きたくなかったが、スリープはフワンテの後についていく。自分が地面を踏みしめる音だけが辺りに響く。
フワンテが空中で止まる。彼も慌てて足を止めた。
その時、一瞬だけ風吹いた。それはスリープに対する警告のように思えたが、もちろん本人はそれには気付かない。ただほんの少し驚いた程度だったし、直ぐにまた風は吹かなくなった。
スリープは、フワンテが言っていた良い方法が何なのか、ここに来て漸く察することとなった。けれどあまり嫌だとも思わなかった。
「こっちにおいでよ」
フワンテに促されて言う。彼はいつものように無邪気な笑みを見せた。
確かに、これでふみんの悪夢から逃れることができる。嬉しさと悲しさが混じった複雑な心境になったが、スリープは深く考えないようにした。
スリープは、崖の端から空中へと一歩踏み出した。
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いつかつけたかったタイトルです。フミんだけに。
ついでに、プチ宣伝をさせて下さい。
近日東京で開催されるコミックマーケット82 1日目 東ス-23b(8月10日) にてお手伝いしていたりします。私が作った本も置いてあるので行く予定がある方はどうぞ。
フミん
【批評していいのよ】
【描いてもいいのよ】
※タイトルですが、テレビドラマシリーズとは何の関係もありません。
またそれらのものを何ら想起させるものでもありません。
他に良いものを思いつけなかっただけです。
ただの短編二つです。
■ノー進化?
ゴールドがコガネシティの歩道を歩いていると、ジムリーダーのアカネちゃんとぱったり出くわした。
「おおー、ゴールドやないか。久しぶりやなー」
「あれ、アカネちゃん。奇遇ですね」
「ほんまや。うち、今日は暇なんやけど、ゴールドも暇そうやね」
「まあね」
「うち今からコガネデパートに行くとこやねん。今日のくじびきの一等、『からげんき』の技マシンやったやろ? 今日こそ絶対当てたるねん」
「そっか。今日は金曜だから」
「ゴールドは今からどっか行くとこなん?」
「別に行くあてとかはないんですけどね」
ゴールドは言いながら後ろを振り返る。そこには一匹のヒメグマがいる。
「ちょっと、こいつのレベルアップのためにあちこち草むらを回ってるところなんです」
「あー! 『ちょーだい』やないか! こっちも久しぶりやなー」
アカネは嬉しそうに手を差し出した。ヒメグマは甘えてくる。この前見た時より顔付きが若干たくましくなっているように見うけられた。
ゴールドは自分のヒメグマに『ちょーだい』というニックネームをつけている。というのも、初めてほしがるの技を使ってみた時「ちょーだいちょーだい、それちょーだい」とせがんでいるように見えたからだ。
「ちょーだいを本格的に育てることにしたんやな。殊勝なことや」
「でも野生ポケモンとのバトルじゃ、経験値がたまりにくいですね」
「そやな。トレーナーとのバトルに比べたら、やっぱり得られる経験は少ないなぁ」
「まあ、コツコツやっていきますよ。まだトレーナーのポケモンとまともに戦えるような状態でもないので」
「うん、ええ心掛けや。もうちょっと強うなってきたら、うちもどんどん協力したるで」
「ありがとうございます」
「ほなレベルアップ頑張りやー」
ゴールドは帽子を傾けて、アカネちゃんに軽く頭を下げた。
「頑張ります。……さて、と。進化まではまだまだかかるぞ」
そう、ぽつりと呟いて、アカネの前を通り過ぎようとしたゴールドだったが、いきなり後ろから首根っこを掴まれた。
「ちょっと待てや」
アカネちゃんの雰囲気が突如としてアウトローなものに変わっていた。
「アカネちゃん……? どうしたんですか? めっさ怖い顔して……」
「今、何て言うた?」
「はぁ?」
「ちょーだい、進化させるつもりなんやな?」
「えぇ? ああ、そりゃまあ」
「何で進化なんかさせるんや?」
「何でって、強くするためには必要なことだし、こっちにも事情ってもんがあります」
「事情って、何や?」
「いや、そんな事」
アカネちゃんには関係ない、と言おうとして、ゴールドはやめた。アカネちゃんの重圧がそれを許さなかった。
「どういうことか、話、聞こか」
アカネちゃんは親分気質がそなわったように、たくましい声で言った。
***
「何でちょーだい進化させなあかんのや?」
アカネちゃんはもう一度ゴールドに詰め寄った。
「そりゃあ、強くするためには能力値伸ばさないといけませんからね」
「それだけのためにか?」
「もう一つ、あります」
「それは何や」
「ポケモン図鑑のページ、うめたいんですよ」
アカネちゃんは険しく眉をひそめた。
「ポケモン図鑑のページか。そらけっこうなことや」
「でしょう? というわけで、この話はおしまい――」
「やめとき!」
アカネが突然叫んだので、ゴールドは飛び上がった。
「そんな、やめとき、って……」
「なあゴールド、後ろのちょーだい見てみ? こんな可愛いちょーだいには、進化なんて似つかわしくない、やろ……?」
「いやそうでもないと思いますけどね」
ゴールドはあっさり答える。
「こいつ性格がゆうかんなんで、むしろ進化させた方が本来の姿に似合ってるんじゃないですかね」
ゴールドの声に同調するように、ちょーだいがぶんぶんと腕を振り回し、自らの腕力をアピールする。
「あかんあかん! そんな事言うて早まったことしたら!」
「でもそれじゃ図鑑の方は――」
「それやったら改めて野生のリングマ捕まえ! あんたチャンピオンロードにもシロガネ山にも入れるんやろ?」
「……そりゃそうですけどね」
「何か問題でもあるんか?」
「パソコンのボックスがね、もういっぱいになってきてるんですよ。新しい進化ポケモン捕まえるよりも、なるべく小さいのを進化させてかないとすぐ満杯になってしまいます」
アカネは少しだけ言葉に詰まった。
「そら……その気持ちはうちかてわかる。うちのボックスももうすぐいっぱいや。新しいポケモン捕まえられんようになる。でもな――」
アカネはすうっと息を吸って、一息に吐き出した。
「一度ごっついリングマさんになったら、もう二度と元に戻されへんねんで!」
「わかってますって。しかたないです」
「しかたないですませたらあかん!」
「無茶言わないでくださいよ」
「なあゴールド、思い直し。あんた何でそのヒメグマに『ちょーだい』ってニックネームつけたんや?」
アカネに指摘されて、ゴールドはハッとなった。
ちょーだいちょーだい、それちょーだい。
昔、ゴールドはそんなふうに口ずさみながら、ヒメグマのちょーだいとともにジョウトのあちこちを駆け巡ったのだ。
彼のヒメグマはどんどん彼に懐いていった。他の屈強なポケモンと協力して、ほしがるの技が成功した時には嬉しくて喜びの声をあげたものだ。
進化とは、進化という行為は、そういった全ての思い出を無かったものにする行為ではないか。進化してしまったら、ちょーだいが、ちょーだいでなくなるのではないか。人によって捉え方はまちまちだ。だから、進化をさせた方が良い、させない方が良い、という選択肢に決定的な解などないのかもしれない。けれど今のゴールドには、アカネちゃんの言わんとしていることの方が、より正しいような気がした。
「……わかりました。アカネちゃん」
ゴールドは顔を上げて、ちょーだいの方を見た。ちょーだいもつぶらな瞳でゴールドを見返す。
「このちょーだいは進化させないで、新しいリングマを捕まえることにします」
「ええ答えや」
アカネちゃんは満面の笑みでうなずいた。
ゴールドもうなずき返した。
「しかたないですね。じゃあ進化させるのはパソコンに預けてあるブルーの方にします」
「それもあかん!」
おしまい
■グレン島にて
夜明け近くのグレン島は、薄い冷気のヴェールに包まれていた。
昨夜の放射冷却によって奪われた熱は、今では遥か上空、静まり返った世界のどこかをさまよっている。雲一つない暗影の真下では生まれたばかりの潮風がそよいで、寂しげな地表にまで、その音を伝えてくる。
「シロナ、もうすぐみたいよ」
がさごそとテントから這い出してきた影が一つ。
「ふえぇ? もう……?」
這い出してきた影はもう一つあった。
二人は肌寒い薄闇をかいくぐり、海岸線の前に立った。海岸線より向こうには何も見えない。けれども、その裂け目から、朝は昇りつつある。
旅の途上にあったシロナとナナミはグレン島に立ち寄ることにした。
過去に火山の噴火で、そのほぼ全てが灰と化してしまったグレン島。シロナとナナミは言葉もなく、ただただそんなグレン島の哀切な声に耳を傾けた。
日の出の訪れは、思い描いていたよりもずっと早いものだった。いつの間にか、二人の頬は温かく照らされていた。
「この島は、まだ完全には死んでおりませんよ」
二人の隣に立つ者があった。
「あなたは……」
ナナミの方が先に気付いた。シロナもゆっくりとそちらを向く。
「どうも、ナナミさん。お久しぶりです。おじい様は元気でいらっしゃいますか」
「ナナミ、この方は?」
シロナが聞く。
「グレンジムのジムリーダー、カツラさんよ。何度か話したことがあるでしょう?」
ナナミはカツラの方に向き直る。
「カツラさん、こちらこそお久しぶりです。おじい様はまだまだ元気です」
「それは何よりです。私もドクターオーキドも、もうそんなに長く生きられる年ではないですからな」
「そんな事はありません。おじい様も、そしてあなたも元気そうではありませんか」
「ありがとう。ワシもまたこの島と同じ、死の間際にあるように見えて、その実まだまだ持ちこたえているのかもしれませんね」
「この場所へはよく来るんですか?」
シロナが尋ねた。
「ええ、毎週火曜日と木曜日はいつもここへ足を向けます」
「私、故郷がシンオウですからカントーの事情はあまりよく知りませんが……当時は大変だったとうかがっています」
「大変でした」
カツラは首肯した。
「この有様を見てみればわかります。全員避難できたのが不思議なくらいでした。これも全て救助を手伝ってくれたポケモン達のおかげでしょう」
「シロナ、カツラさんは今、グレンジムを復興するために、双子島の洞窟を借りて活動を続けているのよ」
「洞窟を?」
「そう、洞窟の内部をジムにしているの」
シロナは驚く。そんな事は世界で初の試みかもしれない。
「当時のワシはあまりのショックで倒れそうでした」
「死者が出なかったとはいえ、グレンの町は無くなってしまいましたからね……」
ナナミは目を伏せた。
「その通りです。その頃でさえ、ワシはけっこうな年でした」
カツラは昔の自分を、慎重にすくい取るように口にする。
「だんだんよくないことばかりを考えるようになりました。日に日に追いつめられていく自分を遠くから見つめているような、そんな不思議な感覚でした。ワシはこう考えました。どうせ、もう長くはないのだ、と。それならいっそのこと、早々と、この命を終わらせた方がいいのではないか」
シロナがこくん、と息を飲んだ。
「でもね、最後の無茶をやらかす前に、もう一度このグレン島を目に焼き付けておこうと思った」
「カツラさん……」
「グレン島からの眺めはご覧になられたでしょう? ここから見る夜明けは、何ものにも代えがたい美しさがあった。そして力強かった。ワシは今までの事など忘れて、ただただ朝の日差しに見入っていました。自分は何と狭小で愚かだったのだろうと思い知らされもしました。もう一度、一からやり直すことを決めました。それが、今の活動につながっています」
「普通、なかなかできる事ではないと思います」
シロナが感心して言った。
「そんな事はありません。グレン島にいた他の連中も同じ気持ちだったようです。以前、グレンジムにいた者達も一人ずつ帰ってきてくれています。少しずつ、少しずつですが、再生に向かっているのです。あの頃と同じように、何もかもが――」
カツラは空を見上げた。風が微小な砂埃を舞い上げていた。その中心で彼はたった一人だったけれども、シロナとナナミは不安を覚えることはなかった。なぜなら、そっと吹き抜けるその一瞬の中で、彼は穏やかに微笑んでいたから。そのサングラスの向こうに光るのは、かすかな希求をひそませた、ひとしずくの朝露なのかもしれなかった。
「もう、完全に日が昇っちゃったわね」
ナナミが言った。
「本当にね」
シロナが朗らかに調子を合わせた。
木曜日の朝日は、ますます高度を上げていく。これから再び生まれてくるものたちを、優しく迎え入れるかのように。
「ところでお二人さん」
カツラが呼びかける。
「ワシはね、毎週木曜、この島を訪れるトレーナー達と記念写真を撮ることにしているのだよ」
シロナとナナミは顔を見合わせた。
「どうだね? 旅の記念に一枚、ワシと撮っていかんかね?」
シロナとナナミはにっこりとうなずき合って、その微笑みをカツラに向けた。
「「いえ、それはお断りいたします」」
「うおおおーーい!」
おしまい
補足説明すると、
1、ちょーだいはゲーム中、実際にヒメグマに与えたニックネームです。
こっちはリングマに進化させましたが(やっぱりボックスの空きとかが、ね)。
2、カツラの最後の叫びについては(確かこんなだった)
ゲーム中、実際に聞くことができるので
試してみると面白いですよ(電話番号交換の後、木曜日のグレン島→写真撮影)。
【何でもありですよ】
> > 1、その足は太く、大地を蹴りだす。力強く踏み込み、そのスピードはもはや風のよう。頭より伸びる角は無敵の象徴。
> サイドン(笑)じゃなくって〜、
> 「足が太い」ってのは気になったけど(^^;)ギャロップでFA!
> でも、だとすると「太い」より「力強い」「たくましい」とかの表現の方がいいかも。
なるほど!力強いが後にきてるから、たくましいがいいですね。ありがとうございます!
>
> > 2、まさに生物の神秘。夜空に浮かぶ星のごとく、中心が美しく光る。
> ヒトデマン、またはスターミー。これだけだとどちらだか特定はできないかな。
あー、ヒトデマンも光るのか!
スターミーはコアが光るうんぬん図鑑にかいてあったような気がしたので。
でも確かに特定できないですね。もう少し修行が必要だ。
>
> > 3、その姿を捕らえることなど不可能。見たものは全て残像。そして気付いた時には目の前の命はない。
> これはちょっと難しかった。
> でも確か動きが早くて残像しか見えない、って図鑑の説明文にあったかと思うのでストライクでFA!
> ゲンガーでも確か影にひそんで姿を隠すとかあるし、「目の前の命はない」とかは合ってると思うけど。
図鑑の説明まんまです!
アギルダーとも解答がありましたが、ストライクです。
テッカニンともとらえられる問題で、あまり良問とは言えず。
もう少しストライクとしての特徴をがっつり書ければよかったです。
>
>
> 最初3つとも同じポケモンを描写してるのかと思って悩んだのはナイショだ!(笑)
それは内緒にしときます!!!1111
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翌朝、純はラジオ体操をさぼった。
朝食を食べ、部屋で映りの悪いテレビを見ていると、窓ガラスを叩く音が聞こえた。
確認するまでもなく、頼光と地鉱だった。純が窓を開けると、2人はすぐにそろって頭を下げた。
「ごめん! 俺ら、ほんまに何も知らんかったんじゃけど、ジュンが隠しとったこと……」
「ジュン嫌がっとったのに、僕ら何も考えんとぉ……ほんまにごめん!」
ああ、本当に必死なんだな、と純は思った。最近はだいぶ馴染んできたように思われた標準語が引っ込んで、初対面の時のように訛りが全開なことでもそれがわかる。
いいよ、と言おうとして、純は1回大きくため息をついた。
「……僕もごめん。2人には全部、ちゃんと話すよ。あがって」
頼光と地鉱は庭に靴を脱いで、縁側から直接純の部屋へ入ってきた。玄関から入れないと怒られるかな、と純は一瞬考えたが、まあいいだろう、と結論付けた。
それぞれ顔を向かい合わせるように座った。頼光はあぐらをかき、地鉱は体育座りをし、純は背筋を伸ばして正座した。
3人の間に、一瞬気まずい空気が流れた。その時、こんこん、と引き戸を叩く音がした。
「あきちゃん、よりちゃん、ちぃちゃん、入るよ」
純の祖母が、冷たい麦茶とコップを3つ、お盆に載せて部屋に入ってきた。祖母はいつものにこにことした顔でお盆を3人の真ん中に置き、部屋を出た。
大きな声も出してないのによくわかったな、これも一種の霊感なのだろうか、と純は考えた。
ガラスのコップに麦茶を注いで、頼光と地鉱に渡した。2人はありがとう、と受け取り、ぐいと一気に飲んだ。
純も麦茶に口をつけた。香ばしい香りが鼻に抜ける。きんとくる冷たさが、エアコンのない部屋に嬉しい。
3人それぞれがふう、とひと息ついたところで、純は切り出した。
「僕、幽霊が見えるんだ」
頼光と地鉱は何も言わない。純は深呼吸をして、続けた。
「生まれた時から、普通の人と同じように、僕には幽霊が見えた。家にいると、お父さんがいて、お母さんがいて、他の知らない人たちがいた。外に出るとわからないね。みんな知らない人だから、どの人が幽霊でどの人が生きてる人間なのか、小さかったから区別がつかなかったんだ」
「最初に気付いたのはお母さんだったよ。僕が家の中でも外でも、誰もいないところで誰かと話をしたりしていたから。お母さんは幽霊なんて信じないっていう人だったから、僕のことを気味悪がってた。でも僕は分からなかった。みんなにも見えてると思ってたからね」
「小学校に上がって少ししたくらいの頃かな。僕はようやく、僕にしか見えない人がいるらしいってことに気がついた。じきに、人間と幽霊も何となく本能的に見分けられるようになった。でも、気づくのが少し遅かったんだ。お父さん、お母さん、クラスのみんな、近所の人たち、みんな僕を気味悪がってた」
「気がつくと僕は独りぼっちだった。僕に関わってくる人たちは、僕を気味悪がって遠ざけるか、僕を傷つけようとするか、どっちかだった。近所の人たちは道ですれ違うたびに陰口を叩いてきた。クラスメイト達は、蹴ったり、殴ったり、僕の持ち物を壊したりしてきた。お父さんとお母さんは幽霊の存在なんて断固認めなくて、僕を病気だと言って病院に入れようとした」
「ポケモンを始めたのは、カウンセリングの意味合いもあったんだ。病院の先生に勧められて。バトルで強くなったらみんなも見直してくれるかなと思って、僕はがむしゃらに頑張った。……でも、無駄だった。結局僕は独りぼっちだった」
「でも、幽霊さんたちはみんな、僕に優しかった。時々ちょっとしたいたずらをしてくる人たちはいるけど、でもやっぱり、優しかった。幽霊ってね、みんな寂しいんだよ。そこにいるのに、誰にも気づいてもらえないから。だからみんな、僕が『見える』ことをとても喜んでくれたんだ」
「わかってたよ、このままじゃいけないって。僕たちとは違う世界にいるんだから。それでもやっぱり、僕は生きている人間より、幽霊の方が好きだった」
「駄目だったんだね。入っちゃいけないところまで、行っちゃったんだね」
「幽霊ってね、心がむき出しなんだよ。だから、周りの影響を受けやすいんだ。特に、マイナスの感情の影響を。霊の中には、この世のマイナスの心をどんどん吸収して、周りによくない影響を与える霊……悪霊になってしまう人がいるんだ」
「そうなるのを防ぐために、魂を回収していくポケモンがいるんだって。だけど、僕はそれが耐えられなかった。だって、僕は幽霊が大好きだったから。生きている人間なんかより、幽霊が好きだったから」
「だから僕は、そのポケモンを倒した。それで僕は幸せになるはずだったんだ」
「僕と仲のよかった幽霊の1人に、兵隊さんの幽霊がいてね……。いつも銃剣を背負ってた。霊が悪霊になってしまうことがあることも、魂を回収するポケモンの話を教えてくれたのも、教えてくれたのはその人だった。……きっと、気づいてたんだろうね」
「自分が、悪霊になりかけていたことに」
「この傷は、僕が兵隊さんと最後に会った時につけられたものだ。僕が最後に見た兵隊さんは、兵隊さんじゃなかったね。化け物だったのかもしれないし……もしかしたらポケモンだったのかもしれない」
「気がついたら病院だった。7日7晩生死の境を彷徨ってたらしい。残念なことに両親も幽霊の存在を認めざるを得なくなって、お母さんはばあちゃんに泣きついたんだ。……で、元の学校でいじめもあったことだし、怪我の静養も兼ねて、僕はここに引っ越してきたというわけ」
話を終え、純は麦茶を飲んだ。随分とぬるくなっていた。
しばしの沈黙の後、頼光が麦茶をひと口飲んで言った。
「……そうか、ジュンは幽霊が見えるのか」
純は頷いた。
秘密をばらせば、2人は離れていくだろう。今までの人たちと同じように。純はそう思っていた。
しかし、頼光と地鉱の答えは予想と全く異なっていた。
「すっげぇ! ジュンかっこいいな!」
「幽霊って本当にいるんだ! 僕も見て見たいなぁ!」
2人があまりにも目を輝かせていうので、純は少し拍子抜けしてしまった。
「……気持ち悪いだろ? だって、自分には見えないモノを見えるって言ってるんだよ?」
「何で? ジュンがいるって言ってるんだから、いるんだろ?」
「いないって思うより、いるって思う方が面白いよね。もー、そう言うことなら早く言ってくれればよかったのに」
「本当だよ! 黙ってたなんてずるいじゃないか! 今度幽霊に会ったら俺らにも教えてくれよ!」
そう言って頼光と地鉱はきゃっきゃとはしゃいだ。純は呆気にとられて2人を見ていた。
幽霊の話をして、離れていかなかった人は初めてだった。それどころか、逆に喜んでいる様子だった。
ぼろっ、と純の目から涙がこぼれた。
がらりと引き戸が開いた。純の祖母がいつも以上のにこにこ顔で、お昼だよ、と桶に入ったそうめんを持ってきた。
昔から純にとって、8月は最も楽しい時期で、最も憂鬱な時期だった。
2週目に入った頃から毎年、普段とは比べ物にならないほど幽霊が増える。言うまでもなく、お盆だからだ。
昼下がり、純は縁側に座って麦茶をすすっていた。
エンジンの音がした。大型バイクにまたがった男性が、部屋を突っ切って庭へ出ていった。純は気にすることなく、麦茶をすすった。
先祖がキュウリの馬だか何だかに乗って帰ってくるのなんて嘘だ、と純は思っている。
幽霊の世界は意外とフリーダムらしい。徒歩で帰ってくる人もいれば、ポケモンに乗って帰ってくる人もいるし、先程のようにバイクに乗ってくる猛者もいる。純が今までに出会った中で最も衝撃的だった人物は、真っ赤な左ハンドルのオープンカーを華麗に運転する、ブランド物のサングラスをかけた武士だった。
帰ってきた人たちと話をするのが、純は好きだった。その人の生きていた時の話を聞くことが一番楽しかった。
あの世の話も、聞けば少しは教えてくれた。こちらの世界とあまり変わりはないらしい、と色々な話を総合して純は結論づけた。
ただ、だからこそ、周囲の人間はこの時期は特に純に対して冷たかった。
しかし、今年は違う。
クラクションの音がした。白い軽トラックが純の家の前に停まっている。
「ジュンー、燈籠届いたから配りに行こうぜ」
頼光が軽トラックから降りてきて言った。荷台には、1.5メートルほどの竹の先に、六角錐の骨組みが取り付けられ、その面には赤、黄、紫など色とりどりの紙が貼られているものの束の束が積んであった。
盆燈籠と呼ばれるそれは、この地域でお盆の墓参りの際に持参する仏具の一種で、墓参りの際に墓の近くに立てる。
純が越してきた地域の人々は、お盆に野菜の牛馬も作らないし、送り火もしないし、夏祭りはあるが盆踊りはない。唯一やることが、墓参りをし、その際に盆灯篭を墓の周囲に立てることだ。
周辺地域ではスーパーやコンビニやフレンドリィショップ、果てはポケモンセンターでまで売っているが、純の家から一番近い商店まで、車で行っても15分はかかる。若者ならまだ平気だろうが、この地域の8割以上を占める老人には酷な道のりである。
そういうわけで、まとめて注文をとり、若人がそれぞれの家へ売り歩く方法を、この集落では採用した。若人といっても働き盛りの年代は田畑の仕事で忙しいので、駆り出されるのは夏休み真っ盛りの小・中学生である。
燈籠を運んできたのは頼光の伯父だったが、配るのを手伝ってはくれないらしい。荷台から燈籠の束を下ろすと、頼光だけ置いて軽トラックを走らせていった。
純は燈籠の数を数えた。配る先が8件で、本数が全部で37本。
「ちぃは?」
「今日は山だってさ。ジュン、アブソルの力借りようぜ。重すぎてやれんわー」
「わかったわかった」
アブソルは純の部屋の中から、頼光の抱える燈籠の束を見、純の顔を見て、こんな暑い中行くのか、とでも言いたげな目線を送ってきた。頼むよ、と純と頼光が言うと、しょうがないなあ、という様子で庭へ降りてきた。
燈籠の束の束を3分割して、1つをアブソルの背中にくくりつけ、残った2つを純と頼光がそれぞれ担いだ。分割しても1つの束が12本ある。
「えーっと、どうしようか」
「近いところから配っていけばいいんじゃないか? 一番遠いの俺ん家だけど、置いてってるはずだし」
「じゃあ黒塚さんの家からか」
「あの家車あるじゃん……自分で買いに行けよ全く……」
「そうだね。重いもんね」
ため息と愚痴をこぼしつつ、2人と1匹は荷を軽くすべく歩き出した。
2人を追い抜いて、スクーターに乗った髪の長い女性が、青々と茂る田んぼを突っ切っていった。こういう時は僕も幽霊になりたいなぁ、と純は思った。
最後の1束を売り終わった頃、2人は両手にビニール袋を抱えていた。
おかきの小袋。商店街で売っている利休饅頭。稲荷寿司。ピーナツの乗ったせんべい。チョコレート。茶の間に置いてあるお菓子などの一部が詰め込まれている。周る先々でもらった結果だ。
抱えている灯篭が減るたび、受け取った代金と袋の中身が増えていった。まだまだ子供の2人は素直に喜んだ。
どこかで遊ぼうか、と相談していると、アブソルがふいに顔を上げた。
「? どうしたの?」
ぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてきたかと思うと、大粒の雨が勢い良く降り始めた。
2人は慌てて雨宿りできる場所を探した。近くに家はない。木の下などほとんど役に立たない。
アブソルが駆けだした。見ると、古びた石の鳥居がある。
「そう言えば、ここなら雨宿りできる場所があるな。廃墟だけど」
「……何か変な感じがするけど、まあ、いいや。行こう」
石段を登りきると、朽ち果てた本堂と、屋根の付いたやや新しい舞台が目に入った。アブソルはすでに参道を登り切って、本堂の屋根のある場所で2人を待っていた。
頼光は本堂と舞台に向かって一礼し、靴を脱いで上がった。純も同じようにして上がった。
ようやく屋根のある場所に着いて、頼光と純はほっと息をつき、靴下や袖をしぼった。
「神楽舞台だけど、もうずっと使ってないし、いいだろ」
「神楽……そうか、ここで神様に捧げる舞いを舞っていたんだね」
『まぁ、もう何十年と前の話だがな』
突然、2人の知らない声が聞こえてきた。アブソルが屋根の下から出てきて、低く唸っている。
2人の後ろに、金色の体毛を身にまとった、9つのしっぽの狐がいた。頼光は飛び上がった。
「こっ……このキュウコン、いつの間に!?」
「何驚いてるんだライコー。最初からいたじゃないか。……ああ何だ、幽霊か」
『ほう、そっちの方は見えていたのか。大した奴だ』
「キュウコンがしゃべったあぁぁぁぁぁっ!!」
頼光はまた飛び上がった。アブソルがキュウコンに吠えた。
純だけは平然としていた。純はポケモンの幽霊もこれまでに何度も見たことがあるし、人間の言葉をしゃべるポケモンの幽霊も見たことがある。幽霊の世界は意外とフリーダムらしい。
キュウコンは長い尾をゆらゆらと揺らし、平然としている純に向かって言った。
『貴様、なかなか強い力を持っているようだな。世が世なら、私を封印した安部何とかという陰陽師ともはりあえたかもしれん』
「気のせいだよ。僕はちょっと幽霊がよく見えるだけの一般人さ」
『なるほど。そこのアブソルは貴様のか。そんなに敵意を向けることもあるまい。雨に打たれて寒いだろう、こっちに来るがいい』
キュウコンがそう言ってもアブソルは動かなかったが、純がおいで、というと、キュウコンをにらみつけながらも舞台に上がってきた。
『ふむ、貴様は半崎の次男坊だな。貴様の家は昔からよく知っている』
「何だ、お前ここの神社の神様なのか?」
『その通り、私は神』
「違うよ。ただの幽霊さ」
キュウコンの言葉を遮って純が言った。
「たまにいるんだよね、勘違いしてる奴。まあ確かに、一般人のライコーにも姿が見えるってことは、それなりに強い力を持ってるってことだろうけど。まぁでもよく言って妖怪だね」
「何だただの幽霊か。いやまぁ幽霊も初めて見るけど。でもただの幽霊か。何か残念だな」
『怒るぞ』
くしゅん、とアブソルが小さくくしゃみをした。それにつられてか、純と頼光もくしゃみをした。
冷えてきたようだな、とキュウコンは言うと、尾の先に小さな青白い炎を灯した。
「お、『おにび』か?」
『間違ってはいないが、ここはぜひ狐火と呼んでもらいたいところだな』
「やべぇあったけぇ。Tシャツ乾かそう」
頼光はシャツを脱いで炎にかざした。純は少しためらって、同じようにTシャツを脱いだ。
キュウコンはそれを見て、なるほど、力がある者も苦労するようだな、と小さくつぶやいた。
しばらく火にあたって2人と1匹の全身は乾いたが、雨はまだ降りやまない。止むまで待つか、と頼光はあくびをした。
「さっきもらった菓子でも食って、のんびり待とうぜ」
「賛成」
『ふむ、では私はこれで』
「稲荷寿司あるけど、食べる?」
『頂こうか』
差し出された稲荷寿司に、キュウコンはぱたぱたとしっぽを振った。
狐が油揚げ好きっていうのは本当なんだな、と頼光は純にささやいた。
『半崎の。今日はいつも一緒にいるあの小僧はいないのか』
「ちぃのことも知ってるのか。そう言えば昔はよくここで遊んでたっけ。お前あの頃からいたのか?」
『私はもっと昔からいるよ。貴様らの祖父母がまだ生まれていない頃からな』
「でもここ何回も来てるけど、お前と会うのは初めてだ」
『あー……あっちの小僧はなぁ……。何というか、奴の守護霊とは相性が良くないのでな……』
出たくとも出られないんだ、とキュウコンは言った。
稲荷寿司は1つ残らずキュウコンに持って行かれたので、純はピーナツの乗ったせんべいを開けた。湿気ていた。雨のせいだけではなさそうだった。
最近ようやくこの周辺でも頻繁に目にするようになった500ミリリットルのペットボトルを片手に、頼光がたずねた。
「ところでお前、名前とかないの?」
『金毛白面九尾の狐(こんもうはくめんきゅうびのきつね)……と呼ばれていた頃もあった』
「長っ」
純は冷静につっこんだが、頼光はぴたりと動きを止め、キュウコンの顔をまじまじと見つめた。
「お前……まさか、『玉藻前』?」
『ほう、さすが半崎の。よく知っているようだな』
「たまものまえ?」
「その昔、大陸で大国を2つも崩壊させ、日本にやってきてもお上に取り入って、悪行を働いた末に退治されたって言う超有名な伝説の狐……の化けた時の姿」
「なるほど。やっぱり妖怪か」
『妖怪って言うな』
どうりで頼光にも姿が見えるわけだ、と純は心の中で納得した。伝説に残るくらいのポケモンならば、そこらの幽霊と比べ物にならないくらい強い力を持っていても不思議ではない。
純は数え切れないほど幽霊とその類のものは見てきたが、有名な伝説にまでなっているのは初めてだった。
すげぇなぁサインほしいなぁ、と頼光は目を輝かせて言った。
「ってことはお前、人間に化けられるのか?」
『朝飯前だ』
「やっぱり玉藻前ってすっげぇ美人だったのか!?」
『当たり前だろう。わたしが化けているのだぞ。私が思い描く最高の美女になるわ』
ふふん、とキュウコンは鼻を鳴らした。
すげーすげー、と頼光は興奮して言った。
『見たいのか?』
「見たい!」
「まぁどっちかというと見たい」
『ふふんいいだろう。心して見るがよい!』
キュウコンは立ち上がり、その場でくるりと回った。
身体が一瞬金色の尾に隠れ、次の瞬間こっちを向いていたのは紛れもなく人間だった。
長い黒髪に白い肌。赤い袴に十二単。齢15、6ほどの女性の姿だった。
おお、と純と頼光は拍手をした。
『どうだ、美しいだろう』
「おぉー、確かに美人! きれい!」
「でも古いよね」
純がさらりと言った。その場の空気が一瞬固まった。
『古い……だと……?』
「だって十二単なんて現代で着てる人いないじゃん。霊界に行かずにこっちに留まってるから感性が古いままなんじゃないの? 今は侍が1200ccのバイクを乗り回す時代だってのに」
「何それ詳しく」
『うむむ、死んでからあちこち放浪していたせいで時代の流れに取り残されてしまったか。何たる不覚』
玉藻は悔しそうに唇を噛んだ。
とりあえず洋服にすればいいんじゃないかな、と純は言った。
そこから、純と頼光による玉藻改造計画が始まったが、詳しいことは割愛する。
日の光が差し込み始めた。雨が止んだようだ。
純と頼光はすっかり乾いた靴下と靴を履き、お宮の境内へ降りた。
「やー、何とか止んだなぁ。よかったよかった」
「止まなかったらどうしようかと思ったよ」
アブソルが純の脇腹に鼻先をすりよせた。純はアブソルの頭を撫でた。
純と頼光は舞台の上に視線を向けた。
「それじゃ玉藻、また来るよ」
舞台の上には、長い黒髪に、金糸の刺繍が入った白いワンピースと赤い上着を纏った、とてもかわいらしい少女が立っていた。
『好きにするがいい』
「わかった。稲荷寿司は持ってこない」
『何……だと……?』
玉藻は心底絶望したような表情を見せた。純と頼光はけらけらと笑った。
「冗談冗談。じゃあまたね」
二人はキュウコンに手を振って、石段を下りた。
途中、頼光は振り返って境内を見たが、少女の姿もキュウコンの姿もすでに見えなかった。
空は茜色に染まり始めていた。赤い空にヤンヤンマの影が見える。
「ちぃにも今日のこと教えないとな」
「見えるかどうか分かんないけどね。守護霊の相性がどうたらって言ってたし」
「うーん残念だなぁ。あっ、アブソル」
アブソルが駆けだした。
赤い太陽を背負った、小柄な影が見える。リュックサックを背負っているようだ。
「ライコー! ジュンー! ただいまー!」
「あっ、ちぃだ! おーい!」
ちぃが道を走ってきた。純と頼光も駆け寄った。
「おかえり! 雨大変だったろ?」
「うん。近くの崖が崩れてさ、もう死ぬかと思ったよーあはははは」
「ちょ、それって笑いごとじゃないよね?」
生きてるから大丈夫だって、と地鉱は笑いながら言った。
ちぃはいつもこうだからなぁ、と頼光は呆れて言い、笑った。
「ねえ、今日の夜花火しようよ。花火。昨日母さんが買ってきたんだ」
「いいな! 俺らも今日のこと色々話したいし!」
「じゃあ今日の夜、ちぃの家に集合だね」
「俺スイカ持ってく! スイカ!」
「スイカならうちにもあるよー」
「俺んちの中身が黄色いんだぜ!」
「マジで?」
「虫よけスプレー余ってたっけなぁ」
「俺いっぱい持ってる」
「あっ、一番星だ」
「えっどこどこ」
3人と1匹の影が伸びる。
早くも青い穂をつけた早生の稲が、夕の風に吹かれて揺れていた。
++++++++++The end
やまなし。おちなし。いみなし。田舎帰りたい。
クイタラン、喰い足らん。喰い足らない理由を考えた。
クイタラン、喰い足らん。お腹が鳴って思考中断。
クイタラン、喰い足らん。栄養がないと頭も回らん。
クイタラン、喰い足らん。考えるために食い物探し。
※96字
海星「DSiがネットに繋がりますように。
受験上手くいきますように。
ポケストにもっと来れますように。
ジュカイン愛してる。 」
――――
今年もまた星の上では、織姫と彦星が再開するのだろうか。
まあ知ったこっちゃないが、なんて溜息をつきながらそっと指だけ動かしてヒトデマンを撫でた。
赤いコアが嬉しそうに点滅し、不思議に柔らかい身体を擦り付けてくる。
四角い窓に区切られた夜空はあまりにも小さい。
だけど窓際に椅子を運んで、こうしてヒトデマンと戯れていたりなんかすると幸せだなあ。
そういやヒトデマンって海の星なのかな。
じゃあ私に届いた彦星からの流れ星かもね、なんちゃって。
――――
決して、私の名前から書いた訳じゃないです。
でも書いてる途中で意識したのは否定できません(どっちやねん
追記:「織姫」が「乙姫」になっていましたので修正いたしました。
海の中じゃないですよねあはは
失礼しました;;
ちなみに、シンオウ地方は快晴なので天の川が見れるそうです! >7月7日
マサラタウンを旅立った主人公が最初に連れていたのはピカチュウであるが、そのピカチュウに最初に目を付けたのはオーキド博士である。
オーキド博士の手回しの凄まじさは世界屈指と言ってもよいほどであり、予見者である彼の動きは、常に私達の想像力の先を行く。先を先を、どこまでも先を読んでいる。
ジョウト地方のシロガネヤマに入るには、博士の許可を必要とするが、これはまた同時に、ロッククライムという技マシンの解禁をもともなっている。
ごく普通に、常識的に考えれば、ロッククライムの使用を通じてしか高台に上れないというのはおかしな話だ。この問題は空を飛べる飛行ポケモンが一匹でもいれば事足りるからである。
しかし世界の法則は、なぜか私達の行く手をはばむ。
目の前の高台にはロッククライムを使わないと絶対に上れないし、オーキド博士がシロガネヤマへのゲート封鎖を解かない限り、私達は決して、その山の内部へと足を踏み入れることができない。
それでも私達は疑うということを知らず、博士の差し出す新たな地図に想いを馳せる。そこに未知のポケモンや出会いがあることを信じて、容赦ない追求の手を引っ込めるのだ。
オーキド博士に全国図鑑をもらう。
するとなぜかジョウト中の生態系が狂い始める。
ラジオで彼のポケモン講座に耳を傾けると、これまで一度もお目にかかれなかった他地方のポケモン達の大量発生だ。
オーキド博士がレジェンドの噂話をする。
するとなぜかシンオウ中で懐かしい鳥三羽が騒ぎ立て始める。
一体いつの間に、ばらまいたのだろう。
彼が全国図鑑を手渡す時間は、彼が柔和なせりふを口にした時間は、わずか数秒のそれにも満たないというのに。
子供達のためにポケモン図鑑をやろう。夢をやろう。
溢れてそれでも尽きぬものを、終わらぬものを、果てしないものを。
彼はおそらく神への階段を一歩いっぽ上がっている。
神は立ち止まらない、神は振り返らない。
今日も最新型のポケモン図鑑が、翌朝食べるパンよりも早く、子供達の手に届く。
皆さんのクリスマスプレゼントのお陰で、今夜は充実してます(笑) どうもありがとう御座いました…!
…で、御題の方なんですが…何故か頭の中に、歴代のバッジ確認シーンが兆して来ましたので……(汗)
取りあえず自分は、『門』か『ゲート』辺りを〜
> そ、そうだ!
> だれか〔書いてみた〕で救出するんだ!(待
なぁんてうっかり書いたのが10月26日。
まさかこんなことになろうとは。
【うまいこといった暁にはアーカイヴ掲載で、大丈夫か?】
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