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カゲボウズがギュウギュウになってこちらを見ていた。
……えーと。
恨めしそうな視線が私の頬を刺す。ちゃぶ台の上には熱いお湯を入れた薬缶。久々の生麺タイプだーと嬉々としてお湯を沸かし、テレビをつけ、さあお湯を注ぐかと蓋を剥がして――
今に至る。
とりあえずくしゃくしゃになったカゲボウズを伸ばしてやる。パンパンと叩けば張り付いた麺が畳みに落ちた。おい目の横にかやくが張り付いて……違う!それかやくやない!目ヤニや!
一気に食べる気が失せた。一ヶ月ぶりの生麺タイプだったのになあ。もったいない。
青い顔をしていると、叩かれてラインが元通りになったカゲボウズが自分が入っていたカップ麺に興味を示した。ん?食べたいの?いいよ食べて。ただし残すなよ!スープまで飲めよ!
喜んだものの、一向に食べる気配が無い。ああそうか。お湯を注がなきゃ食べれないよね。よーし三分待ってろよ、そうしたら食べてもいいぞ。
カゲボウズが今か今かと待っている間に私は戸棚からもう一つカップ麺を出した。『デスカップラーメン』パッケージがデスカーンの顔になっている。ちなみに麺は……ほら、デスカーンの本体から出ている黒い腕みたいなやつ。
はっきり言って悪趣味なデザインなんだけど、安いし美味いので私は贔屓にしている。だがふと夜中に小腹が空いたなあと、布団から起きて戸棚を空けた時にこれがあると――
なかなかスリルを味わえる代物だ。
こちらもお湯を注ぎ、三分待つ。先に生麺は出来ていた。カゲボウズは手が無いので蓋を開けることができない。仕方ないので蓋を開けてやる。そこにスープとかやくをいれて、完成。
「出来たよ」
だが全く食べようとしない。時折スープに舌を入れようとしては引っ込めている。
もしかして……いやもしかしなくても……
「チョロネコ舌?」
ポケモンがそんな舌を持ってるなんて、聞いたこと無い。私は仕方なく冷蔵庫から氷を二つ持って来て、スープの中に入れてやった。
「ほら、これでいくらかは大丈夫でしょ」
スープをかき混ぜ、丁度いい温度にする。カゲボウズは器用にカップを傾けてスープと麺を食べた。
「……」
こんなほほえましい雰囲気に押されて忘れるところだった。
何でカップ麺の中なんかに入ってたんだろう……
とりあえず先に食べることにした。テレビではアニメをやっていた。何かリアルタイムでやってたの適当に観たから内容は全部は分からないけど、とりあえず主人公が悪の親玉の本拠地に連れ去られた父親を助けに行ったらしい。しかし罠にかかり捕まりかける。だがそこへ連れ去られていた父親が登場。ああなるほど。親子の再会ですか。
ふと見ると横でカゲボウズがあの一物ありそうな目から大量に涙を流していた。ちゃぶ台に雫がぼたぼた落ちている。私は急いでティッシュを持って来た。はっきり言ってラーメン零されるより悪質だ。
「ねえ、どこに住んでるの?仲間とかいるの?」
私の質問に、カゲボウズは分からない、と言いたげな顔で首を振った。というかどうやったらカップ麺の中に納まるんだ!
仕方無いのでとりあえず泊まらせることにした。こんな寒い夜に表なんかに出したら、風邪を引いてしまう。もっと悪く言えば死んでしまう。いや、ゴーストタイプって死ぬのか?
この部屋はあんまり火の気は無いけど、それでも外よりは大分マシだ。
「変なことしないでよ」
先に布団に潜り込んだ私は、そのまま眠ってしまった。
次の朝。目が覚めた時には、カゲボウズはいなかった。一瞬夢でも見たかと思ったが、昨日食べたカップラーメンの容器はそのままになっている。
彼は仲間の元に戻ろうとしたのだろうか。上手く合流できればいいが。
「今日も取材か…… 早く休みになればいいのに」
そう言って服に着替え、カメラを首から提げ、帽子を被り、玄関のドアを開けた。
大量のカゲボウズが、ドアの表側に張り付いていた。
「……」
彼らが私を見て、ニタッと笑う。
悲鳴がアパート全体に響くまで、あと五秒。
―――――――――
音色さんに便乗してみた。あちらは電化製品でしたが、こちらは食品です。
[何をしてもいいのよ]
僕のウチは、ラルトスを一匹飼っている。
名前は「てく」。てくてく歩くから、てく。「てく」が大きな頭を揺らして歩く姿は、まるで本当の人間の子供みたいだった。
僕のウチじゃ、みんな「てく」が大好き。お兄ちゃんも、お母さんも、お父さんも、もちろん僕だって、「てく」のことを家族同然に思っている。
でも、僕には一つだけ心配なことがある。
「てく」はとてもいやしん坊なんだ。
「あ〜、おなかへったな〜」
前に、僕が一人で留守番をしていた時のこと。
お父さんは仕事に出ていて、お母さんとお兄ちゃんは、一緒にスーパーに買い物へ行っていたんだ。
ちょっとお腹の空いていた僕は、今ならつまみ食いができる、なんて思って、冷蔵庫を覗いていた。そしたら、
――てくてくてく。
冷蔵庫の扉の下から、「てく」の顔が見えた。
まただ。
「てく」はいつも僕が冷蔵庫に近づくとついてくるんだ。冷蔵庫なんかなーんにも関係無い時だって、横を通るだけで、短い脚を引きずるみたいにして歩いてくる。
僕は気にも留めなかった。だっていつものことだから。「てく」はお腹が空いていたって、いなくたって関係ない。何か食べられると思ったら、とりあえず歩いてくる。てくてく。
僕は箱に入ったシュークリームを一つほおばると扉を閉めた。もぐもぐ。
シュークリームならいくつかあるしきっとバレないだろう。
「てく」がじーっと僕を見ているのは分かっていたけど、大丈夫。だってポケモンは喋らないから。
また別の時、一人で留守番していた。
あの時僕はとにかくヒマだった。なんにもすることがないし、テレビもつまらない。
「あ、そういや……」
そういえばお兄ちゃんがこの間、友達から「ポケモン図鑑」を借りてきていたんだ。
そうそう、お兄ちゃんはポケモンの事となるとすこしおかしくなる。
二時間も三時間もえんえん話が止まらなくなるし、ポケモンにまつわる物ならなんだって欲しがるんだ。
だからお兄ちゃんの机には、カラのモンスターボールやら使いさしのきずぐすりやらがいっぱいある。そりゃもう見たらみんな仰天しちゃうくらい、山ほどあるんだ。それくらいポケモンが好きならポケモントレーナーになればいいのにって思うんだけど、お兄ちゃんは、あぁいうのは見ているだけの方が楽しいんだ、なんて言って旅に出なかった。
お兄ちゃんは好きだけど、そういうところ僕は変だと思う。
でも、もちろんなんだってもらえるわけじゃないから、時々トレーナーの友達から借りてくることもある。それがこの「ポケモン図鑑」だ。ポケモントレーナーにとってとっても大事な物だけど、お兄ちゃんはここ二週間くらい毎日毎日、久しぶりに帰ってきた友達の所に通いつめて、やっと借りてきたんだ。わざわざ借りてこなくても友達の所で見せてもらえばいいのに、どうしても手元に置いてみたかったみたい。やっぱりお兄ちゃんはちょっと変だ。
お兄ちゃんといっしょで僕もポケモンが好きだ。「てく」を飼おうと初めに言ったのも僕だったし、僕はポケモントレーナーになる。だから前から一度「ポケモン図鑑」を触ってみたかったんだ。
山の一角、きれいにならされた場所にポケモン図鑑がまるでそこに安置してあるみたいに置いてあった。そこがお兄ちゃんの聖域みたい。わくわく。
お兄ちゃんは触っちゃいけないなんて一言も言ってなかった。だいたい誰にでも持っていけるようなところに置くお兄ちゃんがいけないんだ。
ぶつぶつ、そんな事を心で呟いて、僕は初めて図鑑を手に取った。ひやひや。
キレイな赤。それ程重くなく、でも、ズッシリと僕の手に落ち着く。フタを開いてみた。中には大きな液晶画面とボタンがいくつか。ぼつぼつ。
――てくてくてく。
「てく」が来た。一匹でいるのがさみしかったのか、僕がまた一人で何か食べていると思ったのか、部屋まで歩いてきた。てくてく。
――使ってみたい。
やっぱり、と言ってしまったら、その通りなんだけど、僕はどうしてもポケモン図鑑を使ってみたくなってしまった。
ピコーン、という電子音がして、ラルトスの解説が始まった。
「ラルトス、きもちポケモン。あたまのつのでひとのきもちをかんじとる。トレーナーがあかる――」
「ただいまー!」お兄ちゃんの声。
あ、マズイ。
慌てて図鑑を上着の下に隠すと、不吉な音。ピキッ、て鋭い音。
「おぅ、何やってんだ? あ、『てく』も。 こんなところで」
隠すのとほとんど一緒に、お兄ちゃんが部屋に入ってきた。
「い、いや、なんでもないよ。また何か新しい道具でもないかな〜って思って、ちょっと見ていたんだ」慌てて声が裏返る。
「てく」も僕の焦った気持ちを感じてか、妙に落ち着きがない。そわそわ。
「ふーん、ならいいけど。でも、ポケモン図鑑は触っちゃだめだぞ、壊れたりなんかしたら大変だからな」
「そんなこと言われなくても分かってるよ!」ついつい怒鳴ってしまった。
なんで今さらそんなこと言うんだよ、お兄ちゃん。
「何怒ってるんだよ? まぁ、図鑑以外なら後でちゃんと返してくれればいいから、なんでもいじっていいぞ」そう言って部屋を出て行った。
危なかったぁ。
「てく」と僕がいっしょに、ため息。ふぅー。
まさか急に帰ってくるなんて思わなかったんだもの。
お兄ちゃんがまた急に戻ってこないか一度確かめて、上着から図鑑を取り出した。
べろーん。
あっちゃー、どうしよう。
図鑑自体には何ともないけど、蓋の蝶番にヒビが入っている。そのせいで、フタがちゃんと閉まらない。しまらない、フタ。べろーんって。
このことがお兄ちゃんに知れたら、すっごく怒るだろうなぁ。
僕は困って眉間にしわを寄せた。やっぱり「てく」もいっしょに。あぁ、どうしよう。
「あ、そうだ」
いい事……、じゃなくて、わるい事思いついた。わるい事だけど、これで僕は大丈夫。
「てく」を見た。僕はニヤニヤ、なのに「てく」はビクビク。この時ばかりは僕と「てく」、いっしょじゃなかった。
そうだ、ぜーんぶ「てく」のせいにしちゃおう。
今までだって「てく」は不安定な念力でものを壊すことがよくあった。だから、これもそういうことにしちゃおう。
それに「てく」のせいとなれば、お兄ちゃんだって諦めるだろう。
そんな打算が僕の中にあった。
「あぁー!!」
僕はリビングで、テレビを見つつ、ドキドキしながらその時を待っていた。
――ドタドタドタ!
「てく」のとはぜんぜん違う、重い、けど早い足音。
「ポケモン図鑑、どうしたんだよ!」
うそだった。僕、ホントはテレビなんて見ていない。僕の目の焦点は、テレビ画面のちょっと手前で止まっていた。
「その……あれはさっき、『てく』が……僕が気づいた時にはもう……、……ごめんなさい……」
喉はカラカラ。心臓バクバク。体ブルブル。
――ゴツン!!
鈍くて、冷たい、痛い音。お兄ちゃんが頭をたたいた。
「てく」の頭を。
「あぁもう、何してくれるんだ、『てく』! どうしよう、あぁ……どうしよう」
お兄ちゃんはすっかり慌てている。
実はお兄ちゃんの事なんか、僕はどうでもよかった。
僕には「てく」しか見えなかった。
「てく」は今、頭を抱えて痛がっている。きっと自分でもどうして頭が痛いのか分かっていないに違いない。突然痛くなった頭を、すりすり、すりすり。
でも、「てく」は泣かない。もともと「てく」はめったなことじゃ泣かない。ポケモンだから、泣き方を知らないのかもしれない。
とっても、とーっても、痛かったろうに、それでも「てく」は泣かないんだ。
――うわーん!
泣いたのは僕の方だった。
こんなはずじゃなかったのに……。
僕のかわりにたたかれた「てく」が頭を抱える。すりすり、すりすり。
泣けない「てく」のかわりに僕が泣く。えーん、えーん。
僕と「てく」の気持ちが、またいっしょになる。
「お、おい、どうしたんだよ急に……? なんで泣いているんだよ?」わけが分からず困ったお兄ちゃん。
言えない、言えない。だって、僕は泣いているから。「てく」はポケモンだから。
なんだかいっそうみじめになってきて、もっともっと泣いた。心なしか「てく」もさらに強く頭をさすっているような気がする。
えーん、えーん。すりすり、すりすり。
僕らのきもち、ぼろぼろ、ぼろぼろ。
「あ〜、おなかへったな〜」
いろいろ思い出していたら、おなか減ってきた。
今日も僕はひとり。だから今なら、つまみ食いができる。
――てくてくてく。
分かっている。きっと来るだろうって思っていた。だって、いつもの事だから。
冷蔵庫の中には、おいしそうなもの何もなかった。シュークリームはこの間全部食べちゃったし、アイスは残り一本しかない。一本しかないのを食べたら絶対にバレてしまう。
ガタッ。
冷蔵庫の扉が揺れた。「てく」が念力で揺らしているのだ。けど、そんなのは無視無視。気にしないもんね。
――よーぐると!
ドキッ。
扉のしたを覗いた瞬間、「てく」が一瞬本当の人間に見えた。人間の子供が、「ヨーグルト」を欲しがっている。
そんなわけないのに、僕は少し怖くなってしまった。
いつか「てく」が本当に人間の言葉を話したら……。あの時のポケモン図鑑のことも、今までのつまみ食いもぜんぶしゃべっちゃうかもしれない。
ありえないのにね。
僕は笑った。
例え「てく」がしゃべるようになっても、きっとそんなことしないって、分かっているのに。何考えているんだろう、僕。
――あぁ、僕は「てく」にわるいことしちゃったんだなぁ。
「てく」だってウチの家族なのに、僕はひどいことしてしまったんだ。だから、僕は今心が苦しくなっている。ちくちく。
僕はヨーグルトを手に取った。500mlのおおきなやつ。
「てく」がうれしさで飛び跳ねる。にこにこ。ぴょんぴょん。
僕はヨーグルト好きじゃないんだけどね……。
「これあげるから、今までのこと黙っておいてくれよ」
ぱくぱく、ごっくん。ぱくぱく、ごっくん。
「てく」は何も聞いていないみたいだった。
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