コンコン。ノックの音に応じて女性が顔を上げた。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
女性――カフェGEK1994のオーナー兼マスターであるユエの呼びかけに応じて、面接室のドアが開かなかった。そして、バイト希望者が室内に入り、ユエに向けて一礼した。
現れたのは紫の大きなウィッチハットを被り、紫のケープに紅玉のネックレスを身に付けたお嬢様。ユエが向かいの椅子に手の平を向けてから、彼女は椅子に腰掛けた。ケープの下に体がないとか、ドアをすり抜けて部屋に入ったとか、そもそも彼女はムウマージだとかつっこむのは野暮というものである。
「はじめまして。お電話差し上げましたリリ・マードックと申します。お目にかかれて光栄ですわ」
リリと名乗る女性、もといムウマージ♀は、面接室の机に肘(ひらひらしていて詳細不明だが、曲がっているのだから肘)を付け、手を顎の下にやって、無邪気そうな笑顔を見せた。そしてハッと何かに気付いたような表情をしてから、大判の茶封筒を取り出した。どこから? ケープの下からである。
カフェのオーナーの女性は、つとめて笑みを返しながら茶封筒の中身を取り出した。封筒はリリに返した。当たり前のように、リリは封筒をケープの中に戻した。
封筒の中にあったのは、ありふれた履歴書だった。
「わたくし、写真うつりがとても悪いんですの」
ユエの視線が写真に向けられる前に、リリは素早くそう言った。
その言葉で、ユエは履歴書の写真をとっくり眺めてみる気になった。写真には、どこかのスピード写真の箱の内側だろう、薄汚れた味気ない白い壁が写っていた。よく見てみると、中心と外側で白の色合いが違う。内側の、薄紫の混じった白い影をじっと見つめていると、それが目の前の面接に来たムウマージに見えてくる……気もしないではない。
フラッシュがだめで、と言うムウマージの言葉を遮って、ユエが質問をした。
「まず、ここで働きたいと思った理由を聞いてもよいですか?」
ムウマージは笑みを深くした。そうすると右頬にえくぼらしきものが出来る。中々チャーミングな娘さんである。
「わたくし、ほんの何週間か前に、この町に流れ着いたのですけれど……」
ムウマージの話ぶりに気を配りつつ、履歴書にも目を走らせる。名前――リリ・マードック。住所はライモンシティの某所。携帯電話の番号が書かれてある。携帯電話をどこにしまっているかは考えないでおこう。学歴――千九百年頃、師○○に教えを乞う。ユエは年月日をもう一度見直す。やはり学歴欄は二十世紀初頭から始まっている。
このお嬢様、否、ご婦人はずいぶん色んな場所を旅して、様々な人・ポケモンと親交を深めてきたらしい。そして、二千××年、シンオウの某所で進化、とある。
「素晴らしい町ですわね。わたくし、ミュージカルにすっかり夢中になってしまって」
趣味――ポケモンミュージカル、映画鑑賞、ポケモンバトル。特技――シャドーボール。
「ずっと流浪の旅をしてきたんですけれど、ここに腰を落ち着ける気になったんですわ。それで、このカフェーを見つけて……ひと目ぼれしてしまったのです」
「ひと目ぼれ?」
リリはこっくり頷いた。「なんと言ったらよろしいのでしょうね」と、数刻目を宙にやった。
「にぎやかで、コーヒーが美味しくて。お洒落で、かわいらしくて。それでいて、いつでも誰でも、静かに受け入れてくれるような。たとえ、悪い噂のあるゴーストポケモンでも」
リリはそこまで話すと、照れくさそうに笑って「今のは忘れてくださいまし」と言った。
「こんな素敵なカフェーで働きたいと、かねがね思っていたのですわ」
さっきの言葉を打ち消すように、リリは声を張り上げた。
そうしてにっこり笑った。えくぼが浮かんだが、なんだか寂しそうな笑みだった。
勤務時間の希望を聞くと、「お日様ががんばっている時間帯は好みじゃありませんの」それから、「日焼けしますもの」そう付け足した。
それからまた少し話をしてから、面接は終了となった。リリは、給仕でもレジでも何でもやる、と述べた。
「決まったら、こちらから連絡します」
リリはひらひらした紫の裾をつまんで、カーテシーのような仕草をした。そして、来た時と同じようにドアをすり抜けて帰っていった。
日はまだ照っていた。
リリはケープの中から赤いパラソルを出した。黄金色の、煮詰めた蜜のような甘い黄昏時。ネオンがパチパチと点滅して、灯る。カラフルな飴のような明かり。この町の夜が目を覚まし出す。
「甘い夢の後には、とびっきり苦いコーヒーがいいわ」
ムウマージは誰に言うともなくそう呟くと、薄暗い路地の向こうへ溶け込んでいった。
カフェの看板息子がその後ろ姿を見送って、店内に戻ってきた。
「あのポケモン、雇うかな?」
「さあ、どうだろう」
常連のピカチュウと数語交わし、奥へ進む。話し相手を探すポケモンがいないかどうか、店内の様子に気を配る。窓の外にムウマージが見えた気がした。ガラスに映った自分だった。
「あ−、次のバイト志望者の面接まであと五分しかない! ライザくん、三番テーブル片付けて!」
ユエは従業員たちにテキパキと指示を出しながら、厨房に回る。仕込みを手伝い、時間を見て再び面接へ。今度のバイト志望者はドアを開けて入ってきた。面接を終え、「忙しい」と口走りながら店に出る。
カフェ『GEK1994』は今日もにぎわっている。
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【本文は大丈夫だけどタグと後書きは再現できないのよ】