昨日は酔っぱらっていたのもあって、なんかお目汚しをしまして。
でも本当のお目汚しはこれからだから(笑)。
文芸には二種類の文章があって、それは作品と評論。
どんな文芸誌を見ても掲載作の評論や、書評なんかが載っている。
文芸に限らず、絵画や音楽でもそうだ。
なぜ作家は、わざわざ他人の作品に難癖付けるのか。
作品が書けるだけでは片手落ちだからだ。
自身がどんな作品を読み、影響を受け、その作風に至ったのか。
そして同時代の作家たちの中でどういう立ち位置なのか、どういう影響力を持っているのか。
その作家の評価をするのは他者だが、その材料として評論が作品とで両輪になる。
古い画家の研究はどうやって為されているか。
よく誰かに当てた「手紙」、「書簡」が発見されたというニュースを見る。
それによってその画家がどういう意図を持って、その時期の作品に取り組んでいたのかが分かるのだ。
批評をしない、論争をしない作家は、歴史に残らない。
どんなに優れた作品が残っていても、その画家の名前は一向に広まらない。
「新しい資料が見つかって、評価が見直される」というのはそういうことだ。
(「なんでも鑑定団」なんかで耳にしたことがあるだろう。)
そんな訳で、批評。
作品と同じく、そこにはいい評論やよくない評論がある。
ポケストの作品には評が付くルールだが、批評に評は付かない。
そうすると審査員は自分の批評力を向上させるチャンスがない。
それが残念だなと思ったものだから、ここで誰かが乗っかってくれたらと思う。
渡邉健太による批評記事について、ご意見ご感想ご批評をいただきたいのです。
「この審査員、偉そうなことばっか言いやがって!」と日ごろの鬱憤を晴らしていただきたい(笑)。
自作/他作問わず、私の批評記事について良/不良、気が付いたことをコメントください。
どうしても人目に触れる形でコメントをすることがはばかられる方は、メールでも構いません。
(なるべく掲示板に残した方が、ご自身の批評力向上のためにもいいかとは思います。)
よろしくお願いします。
渡邉健太
uuonderground@gmail.com