*注意* この話には、人によって不快に思われる描写(流血など)が使われています。苦手な方はご注意くださいませ。
昔むかし、豊縁地方の山間の寒村に、小瑠璃(こるり)という少女がおりました。
彼女の家は代々、鳥使いを生業としておりました。
豊縁に棲む鳥の一種で、綿鳥(わたどり)と呼ばれるものがおります。青い羽毛と綿雲のような翼をもったその鳥は、人に良く懐き、美しい声で歌を歌います。
綿鳥は幼鳥のころは愛玩用として、成鳥になれば人が空を渡るための手段として重宝されます。
そのため雛のころから人に慣らされた綿鳥は、位の高い人々に高値で買い取ってもらえるのでした。
ある年、小瑠璃の家に変わった綿鳥が生まれました。標準的な鳥達が空色の羽毛を持っていたのに対し、その鳥の羽毛は黄金色に輝いていたのです。
長年綿鳥を扱ってきた小瑠璃の両親も、このような色の鳥は見たことも聞いたこともありません。
両親は不思議に思いながらも、金色の綿鳥を愛玩用として育てることにしました。毛色の変わったその鳥に高い値をつける好事家もいるだろうと考えたのです。
そして両親は小瑠璃に、金色の鳥の世話をするように言いました。綿鳥に歌を教えるためです。
彼女の歌声は鈴を転がすように美しく、その歌声をまねて覚えた綿鳥は、愛鳥家にとても評判が良かったのです。
小瑠璃は金色の綿鳥に琥珀(こはく)という名を付けて、ことさらに可愛がり歌を聞かせました。
しかし、琥珀が成長するにつれ、とある問題が発生しました。
琥珀と同時期に生まれた鳥たちはもうとっくに生来の囀り方を覚え、小瑠璃の歌を不器用ながらも真似するようになったのですが、彼だけは一声たりとも鳴かなかったのです。
歌を教えるのは諦め、人を乗せて空を飛ぶのに耐えるための訓練をつけようともしましたが、こちらも思うようにいきません。他の鳥たちに体力的に明らかに劣り、長時間飛び続けることができないのです。
周りの鳥たちが次々と進化してゆく中、彼だけはいつまで経っても幼鳥の姿のままでした。
それでも稀に、琥珀を買いたいという者が現れることがありました。別段役に立たずとも、金色の鳥は縁起が良いので飾っておこうというのです。
小瑠璃の父は満面の笑みでその取引に応じるのですが――どうしたことでありましょう。
琥珀を買った客は数日も経たぬ内に、決まって返しに来るのです。
理由を尋ねる父親に、ある客はしかめっ面で、こう怒鳴りつけました。
「餌も食わぬ鳥を売りつけて一体どうするつもりか。これでは育つ訳がないだろう」
そうなのです。琥珀と名づけられた金色の綿鳥は、小瑠璃の細い手からでなければ、決して餌を摂ろうとしないのでした。
「これでは、いかに見目が良くても売り物にならん」
小瑠璃の父は長い溜息を吐きました。
「例え売り物にならなくても、私が最後までこの子を育てるわ」
だから処分してしまうのはやめて、と小瑠璃は必死に訴えます。
琥珀に一心に愛情を注ぐ娘の様子に、両親はとうとう売るのを諦めたようでした。
琥珀は自ら歌を歌うことはありませんでしたが、誰かが歌うのを聴くのはとても好きなようでした。
他の綿鳥たちが互いに軽やかな旋律を交し合っている時も、目を細めて嬉しそうに聴き入ります。
囀りの歌は綿鳥たちの意思疎通。
彼の血に眠る本能がそうさせるのだと、小瑠璃は感じ取っていました。
月日は矢のように流れ、小瑠璃は愛らしい少女から、目の醒めるほど麗しい女性に成長しました。
その美しさは人々の口に上り、山麓の町の領主の耳にも届きました。
小瑠璃の家から何度か移動用の成鳥を買ったことのある領主は、気まぐれに噂の鳥使いの家を訪れ、垣間見た彼女の美しさを一目で気に入りました。
そうして後日、ぜひ彼女を妻として迎えたいと使いを寄越したのです。
貧しい鳥使いに過ぎない彼女の家には、信じられないような良縁でした。
両親は大喜びし、すぐにささやかながらもでき得る限りの婚姻の用意を整えようと相談し始めました。
まともに会ったこともない男の元へ嫁ぐことに対し、小瑠璃本人は複雑な思いでした。
しかし、両親の喜びようを見ると、とても嫌とは言い出せません。
豊かな山麓の町からの援助なしには立ち行かない寒村で、領主からの縁談を袖であしらったとなれば、後々家族がどのような憂き目に遭うか、彼女はよく理解していたのです。
最初から、彼女に選択権は無いも同然でした。
返事を促された小瑠璃は、一つだけ条件を付けました。
「綿鳥の琥珀もお屋敷に連れて行ってよろしいのならば、その縁談を喜んでお受けいたしましょう」
使いの者は笑って答えます。
「綿鳥の一羽や二羽、飼うくらい造作もないことよ」
そうして縁談はとんとん拍子でまとまり、小瑠璃は夫となる男性と対面することになりました。
領主は八つ年上の長身の男で、武芸に優れると聞いていた通り、たくましい体躯をしています。
いかめしい顔つきは、頼りになりそうだとも思えました。
何より自分を愛してくれるこの男性に、小瑠璃は生涯尽くして行こうと心の中で誓いました。
婚礼の宴は町をあげた華やかなものでした。
貧しい鳥使いの家では一生着ることもない、豪華な着物に身を包んだ小瑠璃の姿に、両親は涙を流します。
幸せそうに微笑む彼女の上を、金色の綿鳥がきらりきらりと輝きながら舞っていました。
陽溜まりのように穏やかで暖かな日々でした。
小瑠璃は夫を愛し、夫は小瑠璃を愛しました。
後は跡継ぎさえ生まれれば、すべてがめでたくおさまるだろうと誰しもが思いました。
しかし、その幸せな日々は儚くも終わりを告げることとなったのです。
婚礼から一年がたった頃、小瑠璃は毎日続く咳と火照るような熱に悩まされるようになったのです。
新しい屋敷での生活に気が張って疲れが出たのだろうと、初めは軽く捉えていた彼女ですが、咳は治るばかりか日増しに酷くなってゆきます。
寝床から起き上がることさえ億劫になった彼女を見て、これはどうもおかしいと判断した夫は、腕の良いと評判の医者を呼びました。
そうして明かされた事実は、彼らにとって受け入れ難いものでした。
彼女を診察した医者は、最後に首を横に振り――その当時、不治の病と恐れられた疫病の名を告げたのです。
高熱が続き、寝たきりになった小瑠璃を、夫は離れ屋の一室に閉じ込め、決して顔を合わせぬようになりました。
表向きは床から起き上がることもままならない彼女を養生させるため、しかし実のところは疫病が自分に及ぶのを恐れたためでしょう。
その部屋を訪れるのは日に二度の食事を運ぶ女中と、妻の病状を言いふらさぬよう金で口止めされた医者だけでした。
大金を払って探し求めた、万病に効くという異国の薬草も効果を示しません。
有効な治療法が存在しなかったその時代、不治の病に侵された小瑠璃は、ただただ鳥籠のような部屋の中で死を待つ他になかったのです。
「琥珀は元気にしているかしら」離れに移って数日後、小瑠璃は女中に尋ねました。
「鳥の世話なら大丈夫でございます。毎日朝晩、私が青菜を食べさせていますわ」
「……琥珀は、私の手からでないと、餌を食べてくれないでしょう。今頃、やせ細っていないか心配で……。彼を、この部屋に置いてもらえないかしら」
「いけませんわ、奥様」女中が、この時ばかりははっきりと言い放ちました。「羽毛が散って、お体に障ります」
肺の病をお持ちなのに――と女中が憐れむように言いました。
結局、琥珀の鳥籠は、離れの部屋の窓の外に置かれることになりました。
小瑠璃の声が届く位置にはあるようですが、窓が高いところにあるために彼女がその姿を直接確認することはできません。
琥珀は一声も鳴くことはありませんでしたが、時折、翼をはためかせる音だけが微かに響いてきます。
小瑠璃は琥珀に話しかけ、体調の良い時には、彼の好きだった歌を歌って聴かせてやるのでした。
小瑠璃が病の床に伏してから幾月か流れ、彼女は自分の命がもう幾ばくも残っていないことを感じていました。
咳をするたびに喀出される痰には血の泡が混じります。全身を病魔に侵され、体の節々に感じる痛みは骨まで届きます。
食事を受け付けない体は日に日にやせ衰えてゆきました。
夕刻になると熱が上昇し、苦しみも増します。そんな時、彼女は朦朧とした意識の中で、遠くない死を思うのでした。
それでも彼女は、夫のことを信じていました。疫病を患った妻など、しかも貧しい身の上の女など、すぐに離縁されて追い出されても文句は言えないご時世です。
自分をここに居させてくれるのは、夫がまだ自分のことを愛しているからだと疑ってはいませんでした。
そしてある日、遂に彼女は部屋の上部に取り付けられた窓から、使用人たちの話し声を聞いてしまったのでした。
屋敷の主人が新しい妻を決めたらしい。既に迎える準備も始めたようだ――と。
彼女の悔しさはどれ程のものだったでしょう。
妻が不治の病に罹り先が長くない。もう跡継ぎが望めないのなら新しい妻を娶るしかない――それ自体は仕様のないことかもしれません。
ですが、自分はまだ生きていて、病の熱と苦しみに耐え忍んでいるというのに、夫はあたかも自分の死を待ち望んでいるかのように……。
小瑠璃の中の夫への思いは、生涯連れ添うと誓った時の愛と同じ重さの恨みに姿を変えました。
小瑠璃は食事を運んできた女中に、琥珀の鳥籠をすぐに持ってくるよう命じました。
お体に障りますので、と以前と同じ理由をつけて断ろうとする女中に、小瑠璃は食い下がりました。
「自分がもう長くはないのはわかっています。だからせめて、この意識がしっかりしているうちに最後のお別れをしておきたいのです」
あの人は、もうここへは来てくれないでしょうから、と続けた言葉は涙混じりになっていました。
その言葉に心を打たれたのか、最期くらいはお好きなようにと思っただけなのか、女中はしぶしぶ鳥籠を小瑠璃の部屋へ運んで来てくれました。
「ありがとう。……しばらく琥珀と二人にさせて」
その言葉に女中は頷き、黙って部屋を出て行きました。
数か月ぶりに見た琥珀は、彼女の恐れていた通り、枝のようにやせ細っていました。綿のような翼だけがふわふわと体を包んでいます。
やはり、与えられた餌にほとんど口をつけていなかったのでしょう。
「ねぇ、琥珀。……私はもうすぐこの鳥籠から出ていくわ」
――死の神が私に寄り添って、連れ去ってしまうのよ。
「だから、あなたももう自由になってもいいのよ」
――でも最後に、この歌を聴いて行って。
小瑠璃は歌います。最期の歌を。歌うことが危険であると知りながら。
病に罹った苦しみ。
夫の裏切りに対する恨み。
生きることへの渇望。
生きている者への妬み。
それらを感じるみじめさ。
ひっそりと枯れるように死んで、忘れられてゆく恐怖。
言葉で重ねきれぬ思念が脳裏を駆けめぐり、呪詛のように喉から発せられます。もはや悲鳴のようでした。
歌が終わる刹那、喉に鮮血が溢れました。
致命的な大喀血。血が気管に流れ込み、呼吸の出来ない苦しみに小瑠璃はのたうちまわりました。霞んでゆく意識の中で、彼女は最後の力を振り絞って鳥籠の蓋を開け、琥珀を解き放ちました。
彼は倒れ伏した彼女の上を二度三度旋回し、上部の窓から夕暮れの空へ飛び立ってゆきました。
異変に気づいた屋敷の者が、すぐさま医者を呼びにゆきました。しかし、駆け付けた医者にも、もう手の施しようがありません。
領主が見たものは、すでに昏迷に陥った妻の姿でした。
結局、小瑠璃は意識を取り戻すこともなく、病状は悪化の一途をたどり、翌日帰らぬ人となりました。
彼女の遺体は荼毘に付され、手厚く葬られました。
小瑠璃の死が告げられて以来、山麓の町には奇妙な噂が飛び交いました。
黄昏の町の上空で、美しくも禍々しい歌を歌う者がいるというのです。
泣くが如く、嘆くが如く、喉も裂けよと言わんばかりの悲痛な叫びを聞いた人々は、何とも表現しがたい恐怖に襲われ、あわてて自宅に逃げ込みます。
領主の妻の亡霊が黄色い人魂となって墓地へ飛んでゆくのを見たと、まことしやかに話す者さえ現れました。人々が囁き合う不吉な噂は次第に誇張され、災いの気配に誰もが怯える程でありました。
屋敷から飛び去った綿鳥は、夕暮れの町を飛び回りながら、生まれて初めて歌を歌いました。
今際に小瑠璃から聞いたその歌――恨みと絶望と悲しみで織り込まれた死の歌を。
もう何も食べることも、休むこともなく、血を吐くまで鳴き続けます。
歌の終わる時が自らの命も尽きる時と、覚悟を決めているかのようでした。
一月ほど後のこと。金色の綿鳥の成鳥が、道端に物言わぬ姿でうずくまっているのが見つかりました。
真相を知った町の人々は、その鳥と、主であった女を憐れみ、その亡骸を彼女の墓の隣に葬ってやったということです。
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よろず板の【読みたいネタを書くスレ】に投稿された、ラクダさんの「歌の下手なチルット」ちゃんをお借りいたしました。
一目見た時から、いいなぁ、書いてみたいなぁと思っていたのですが、中々ストーリーが浮かばず悶々と。
先日いきなり「これだ!」と思えるネタが浮かんだので、チャットにてラクダさんに許可をいただき書かせていただきました。
でもチルットちゃん、「歌が下手」というより殆ど歌ってないのよね orz
ほのぼのとしたお題だったにも拘らずこんな殺伐とした悲劇になったのはひとえに私のせいです本当にすみません;;
そして憧れの豊縁昔語風の語り口にしようとして撃沈☆ 足元にも及びませんでした。鳩様ごめんなさい
タイトルは、大好きな谷山浩子さんの楽曲よりお借りしました。
ネタを提供してくださったラクダさんには感謝をしてもし尽くせません。
お読みくださり、ありがとうございました!!
【書いていいのよ】
【描いていいのよ】
【批評してもいいのよ】