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  [No.1690] 少年の夏(前篇) 投稿者:久方小風夜   投稿日:2011/08/04(Thu) 23:45:55   140clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:少年の夏】 【幽霊】 【視える人】 【この指】 【と〜まれっ♪

※毎度のことですが、今回はいつにもましてポケモン色が薄いです。特に前半。





 アキラ……水瀬 純が退院した頃には、すでに夏休みが始まっていた。
 純は二学期から転校することが決まっていたが、怪我の療養も兼ね、退院してすぐに母の田舎へと引っ越すことになった。


 大都会ではないとはいえ、それなりに町の中で生まれ育った純にとって、新しい住み家はとても人が住めそうな場所ではないように思われた。
 車1台がやっと通れる程度の、表面がひび割れた狭いアスファルトの道。高いビルなどの建物の代わりに盆地を囲む山ばかりが見え、他には幅が狭く水が異常なまでに澄んだ川と、テレビの中でしか見たことのなかった田畑と、ところどころに建つ古めかしい民家くらいしかない。
 家があるということは、人もいるということなのだろう。しかし、おおよそ娯楽らしい娯楽はないように思われた。
 純の母は元々実家の両親と折り合いが悪く、純がこの家に来るのは生まれて初めてだった。今回のことがなければ、もしかしたら純は一生、この家の敷居をまたぐことはなかったのかもしれない。
 これからずっと、ここで暮らすことになるのか。純は少なからず憂鬱な気持ちになった。

 しかしそれでも、以前の学校に通わずにすむこと、周囲には自分のことを知らない人間しかいないことを思うと、前よりはずっとましだ、と純には思われた。


 外の様子は大きく変わっても、家の中は純がこれまで過ごした場所と大差ないように思われた。
 照明は蛍光灯。床はフローリング。パソコンはないが、テレビやエアコンなどの家電もそろっている。違うのは、無駄に広いということくらいだろう。

 仏間と襖で区切られた、6畳ほどの和室が純の新しい部屋となった。
 コタツ兼用のちゃぶ台と、上にV字型のアンテナがついた小さなテレビ。置く場所がなかったのか、古びたエレクトーン。障子を開けると、縁側を兼ねた渡り廊下。外には山と田畑と植木が1本だけある庭が見える。

 がらがら、と引き戸が開く音がした。

「あきちゃん、スイカ切ったけぇ食べんさい」

 純の祖母が黒いお盆に、切ったスイカを山のように盛ってやってきた。どう見ても半玉分はあるだろう。そんなに食えないよ、と純は思ったが、口には出さなかった。
 祖母はにこにこして、スイカのお盆を純に渡し、居間へと戻っていった。
 純は縁側に腰を下ろし、山の中から適当にひと切れつかんで、口に運んだ。甘い。採れたての作物はすごいな、と純は感心した。

 しゃくしゃくとスイカを咀嚼しながら、純はなぜ母は実家と折り合いが悪かったのかを考えた。都会志向で派手好きで新し物好きな母親は、農作物が美味いことくらいしか取り柄のないこのど田舎から逃げ出したかったのだろう。純はそう結論付けた。
 確かに純も、この町に来たばかりの時は、これまでの生活環境とのギャップで憂鬱な気分になった。特に、初めて聞く祖母の言葉の訛りは、聞き取りづらく田舎くさい上に、どことなく攻撃的な印象を受けてあまり好きになれなかった。もちろん、祖母の顔を見れば微塵も怒っていないことくらい分かるのだが。

 純は赤と白のボールを庭に放った。ぽん、と軽い音を立て、白い毛並みに包まれ、鎌のような角を頭につけたポケモン、アブソルが現れた。
 アブソルは純に頭をすりよせ甘い声で鳴き、純のTシャツの裾を咥え、遊びに行こうとでも言いたげに軽く引っ張った。
 純はアブソルにTシャツを放させ、だめだよ、と優しく頭を撫でた。

「ごめんね。今はまだ激しい運動は出来ないんだ」

 純がそう言うと、アブソルはくうんと鼻を鳴らして、純の足もとに伏せた。


 純が黙々とスイカを食べていると、アブソルが頭を上げ、風のにおいをくんくんと嗅いだ。
 ぱたぱたと走り回る足音と、玄関の方から聞こえる大きな声。

「ライコー、そがぁに急がんでもええじゃろぉが」
「じゃけど、ちぃも早ぉ会いたいじゃろ?」

 純と同じくらいの年頃の、2人の少年の声がする。
 声が聴こえた瞬間、純は慌てて部屋の奥へ引っ込もうとした。

 しかし少年たちは、純が縁側から立ち上がるより早く、純の前に現れた。
 1人はやや背が高く、水色のTシャツに短パン、黒いゴムぞうりの少年。見るからに活発そうな印象で、大きな目をきらきらと光らせている。
 もう1人は小柄で、白いTシャツに長ズボン、黄色のゴムぞうりの少年。にこにこと穏やかな表情で線が細く、ちょっとなよなよした印象だ。
 2人は純と目が合うと、すぐにとびっきりの笑顔になって言った。

「初めまして!」

 顔を合わせて、挨拶までされてしまっては、引っ込むに引っ込めない。純は黙ったまま、会釈で応じた。
 少年たち2人は、純の予想外のそっけない返しに、少し困惑したような表情を浮かべた。

「通じんかったんかな?」
「じゃけぇ、他所から来ちゃった人にゃあ標準語にしようで言うたじゃろぉが」
「……別に通じるよ。というか今のは標準語だろ」

 純がそう言うと、少年たち2人はぱあっと明るい顔を見せた。

「今日は朝からこっちの訛りを、疲れるくらいたっぷり聞かされたからね」
「……じゃあ、できるだけ、標準語にしてみる」
「一応、練習はしたから……テレビで」

 練習しなければしゃべれないものなのか。あからさまにたどたどしくなった少年たちの言葉を聞き、純はそう思った。


 アブソルがすっと立ち上がった。純は少し慌てた。
 彼の手持ちのこのアブソルは、純以外の人間にはほとんど懐かず、すぐに威嚇して吠えたてたり、ひどい時には攻撃したりする。
 初対面で、そのような問題が起こるのはさすがにまずい。

 アブソルは小柄なほうの少年のそばによると、そのにおいをふんふんと嗅いだ。
 そして少年の顔をじっと見つめると、まるで普段純にするように、頭を少年の足にすりよせ、甘えた声で鳴いた。
 純はぽかんとした。アブソルがそんなに簡単に他人に懐くのは初めての経験だった。
 背の高い少年が言った。

「ちぃはポケモン持ってないけど、生き物に懐かれやすいけぇ」

 ちぃ、と呼ばれた少年は、アブソルの白い毛皮を両手でふわふわと撫でた。アブソルはキュウ、と嬉しそうに鳴いた。
 純はしばらくその様子を見ていたが、自分のポケモンが他人に懐いているのが少し悔しくなり、おいで、と声をかけた。アブソルはすぐ純の方へ向かった。
 やっぱり飼い主は違うなぁ、と背の高いほうの少年が感心したように言った。
 アブソルの頭を撫で、純は言った。

「……スイカ、食べる?」


 少年たちは、純を挟むように縁側に座った。
 お盆から大きめのスイカをそれぞれ選び取り、

「名前は?」

 純がそう言うと、背の高いほうの少年が、庭に落ちている枝を拾い、地面に文字を書いた。

『半崎 頼光』

「『ハンザキ・ヨリミツ』?」
「そう。あだ名はライコー。お前は?」

 純は庭に落ちている枝を拾うと、地面に『水瀬 純』と書いた。

「みず……せ……じゅん?」
「……『ミナセ・アキラ』、だよ」
「へー、アキラって読むんかぁ」
「『ジュン』でいいよ。どうせ変な読み方だろ」
「うーん、だけど、変わってるならちぃの方が変わってるよなぁ」

 そうだね、と言い、小柄な少年が枝を持って地面に名前を書いた。

『柿ノ木畠 地鉱』

「かきのきばたけ……じ……?」
「僕は『カキノキバタケ・チヒロ』だよ」

 小柄な少年……地鉱は、そう言ってにっこりと笑った。
 何で『ヒ』にアクセントが付くんだ。いやそれよりも、と純は眉根を寄せた。

「……これ、明らかに漢字間違えてるよね」
「うん。父さんと母さんが、出生届出す時に間違えたんだって。本当は『智紘』って漢字にする予定だったらしいけど」
「ひどいな」
「でも、僕は結構気にいってるよ」

 地鉱は2切れ目のスイカに手を伸ばしながら言った。外見はややひ弱そうで、中性的な印象も受けるが、見た目以上によく食べる。そして頼光もよく食べる。
 しばらくすると、半玉分程もあったスイカは、皮と庭にばらまかれた種だけになっていた。

「ジュンは4年生だよな?」
「うん」
「2学期から転校してくるんだよな?」
「うん」

 どうやら、あだ名としては『ジュン』が定着したようだ、と純は思った。

「じゃあ、2学期からは同じクラスだな!」
「同じ学年だからって、クラスが同じとは限らないだろ?」
「? 何で?」
「?」
「ジュン、うちの学校は1学年1クラスしかないよ」

 地鉱がにこにこしながら言った。
 カルチャーショックはもういいよ、と純はため息をついた。


 日暮らしの声が雨のように、山から降り注ぎ始めた。気付かない間に、随分と長く話をしていたようだ。
 また明日も来るからな、と言い残し、頼光と地鉱は家へ帰っていった。

 静かになった縁側で、純はひっそりとため息をついた。
 同年代の子たちとこんなに話をするのは、いつ以来のことだろう。


 ぽろん、とエレクトーンが鳴った。


 アブソルが頭を上げた。
 エレクトーンのふたは閉まり、埃っぽい布がかけられているままだった。

 純は振り返りもせず、言った。

「驚かせようとしても無駄だよ。僕には部屋に入った時から君が見えてたから」

 ざわ、と無人の部屋の中がざわめいた。


 純は生まれついての、「見える」人間だった。
 物心ついた時にはすでに、普通の人と同じように幽霊が見えていた。あまりにもはっきりと見えるものだから、幼い頃は生きている人間と幽霊の区別がほとんどつかなかったほどだ。
 7つを過ぎた頃には本能的に区別がつくようになっていたが、それでも見える力は全く衰えることはなく、むしろ歳を重ねるごとに強くなっているようだった。
 触れることも、会話をすることも、純にとっては当たり前のことだった。

 そのせいで、純は周囲から浮いていた。
 人間という生き物は、自分と違うものを排除していくものなのだろうか。クラスメイトに、その親に、そして両親に。大人子供関係なく、純はコミュニティから除外されていった。
 気持ち悪いと逃げられた。嘘つきと無視された。病気だとヒステリックに騒がれた。
 そんな環境の中で、純に変わらず接してくれたのは、純にしか見えない幽霊たちだった。
 次第に純は、生きている人間より、幽霊の世界に浸るようになっていた。それがよくないことだとは何となくわかっていたのだけれども。

 深く入りすぎたんだ。その報いだったんだ。
 そう心の中で呟き、純は左胸を押さえた。

 頼光と地鉱。新しいクラスメイト。
 もし自分が『見える』ことを知ったら、きっと自分から離れていく。

「だから、秘密」

 アブソルが純の足にすり寄り、キュウと鳴いた。




 朝早く、窓を叩く音がした。
 純がのっそりと起き上がると、朝霧の中、頼光と地鉱が自転車にまたがり、庭先に来ていた。

「ジュン、おはよう!」
「おはよう」
「何だよ、こんな朝っぱらから」
「決まってるだろ。ラジオ体操だよ、ラジオ体操」

 純は時計を確認した。午前6時10分。純の記憶が確かならば、ラジオ体操というものは6時半からの放送のはずだ。

「早すぎないか?」
「だってこれから、ラジオ体操の場所に行かなきゃならないもの」
「歩いてすぐの場所じゃないのか?」
「山道を1キロ半行った、ゴミ捨て場のある三叉路だよ」

 純は頭がくらくらした。何でこんな朝早くから、そんな遠くに行かなければならないのか。なるほどどうりで、2人とも自転車を装備してるわけだ。

「……ごめん。僕、激しい運動ができないんだ。今はまだ医者に止められてて」
「マジで? そうなのか」

 早く言ってくれよ、と2人は笑った。

「じゃあ僕、明日は2人乗りできる自転車で来るよ」
「お、いいなそれ」
「……は?」
「じゃ、俺たち今日は行くから。じゃーなー!」

 そう言い残し、2人は自転車をこいで朝霧の中に消えていった。
 純はその場に座り、さっき2人乗り出来る自転車に乗ってくると言っていたのは小柄な地鉱の方だったよな、と考えた。



 朝食を食べ、部屋で映りの悪いテレビを見ていると、窓ガラスを叩く音が聞こえた。
 縁側を見ると、案の定頼光と地鉱だった。

「なあ、ジュンはどの位なら運動大丈夫なんだ?」

 窓を開けた第一声がそれだった。

「歩くくらいなら大丈夫だよ。走るのはまだしんどいんだ」
「そっか、じゃ、散歩行こうぜ! 町を案内してやるよ!」

 純が返事をする前に、玄関で待ってるからな、と2人は玄関の方へ走って行った。純は小さくため息をついた。


 頼光と地鉱に両側を固められる格好で、純は細い農道の真ん中を歩いた。
 案内といっても、小学生男子の足で行ける範囲など限られている。そしてその範囲にあるものと言えば、2人の家と、他数件の家と、田んぼと畑と川くらいだった。
 変わり映えのしない風景だったが、川の水のきれいさだけは純を驚かせた。引越しの時にちらりと見たが、やはり異常なほど水が澄んでいる。川底の砂は見えるものなのだということを純は初めて知った。

「きれいな川だね」
「そうか? 上流の方はもっときれいだぞ」
「今日の午後、泳ぎに行こうか」

 地鉱がそう言ってきた。いいなぁ、と頼光も賛同した。
 しかし、純は顔を曇らせた。

「……ううん、いい」

 頼光と地鉱は顔を見合わせて、わかった、と言った。




 翌朝。窓を叩く音がした。
 純は重い頭を何とか起こした。庭先には頼光と、昨日のマウンテンバイクではなく赤いママチャリに乗った地鉱が来ていた。

「ジュン、おはよう!」
「おはよう」
「……今……何時だと……」

 時計は5時55分を指していた。昨日よりさらに15分早い。

「2人乗りするから、普段より時間がかかるんだ」
「……え、本当に地鉱がこぐの?」

 2人は何を驚いているのだ、とでも言いたげな顔をした。
 はっきり言って地鉱は小さい。多分、平均よりも小さい。そして見た目が何となく弱弱しい。何となく、女の子でもいけるんじゃないかと思えてくるくらいだ。
 しかし2人は何食わぬ顔で、大丈夫大丈夫、と笑った。

 仕方なく純は着替えて外に出た。サドルを一番低くしても足が地面に届いていない様子が更に純の不安を煽った。
 どうしても怖くなったら降ろしてもらおう。そう心に決めて、純は荷台にまたがった。

「よし、行こうか!」

 しっかりつかまっててよ、と言い、地鉱はペダルを踏んだ。
 純は呆気にとられた。
 予想以上に安定している。速度は若干遅めなものの、ハンドルが全くぶれない。
 道はひたすら上り坂だ。地鉱は立ち漕ぎだが、純を乗せたまますいすいと登っていく。2人の隣を頼光がマウンテンバイクですいーっと追い抜いて行った。
 曲がりくねった上り坂を登り終えると、今度は下りになった。ペダルは一切踏まない。若干ブレーキをかけて勢いを調節しながら、上手くハンドルをとって坂を下って行く。たまにある小さな上り坂も、勢いをつけていればあまり漕がなくても登る。

 ゴミ収集所のある三叉路に着いた。頼光は先に着いていた。
 地鉱はけろりとした顔をしている。
 純は自転車から降り、大きなため息をついてその場にしゃがみこんだ。

「人は見かけによらないってことがよくわかったよ……」
「大丈夫? 気分悪い?」
「いや、大丈夫。でも……」

 純はもう一度ため息をついた。

「……明日からはアブソルに送ってもらうよ」

 肉体的には楽だったが、精神的には辛かったようだった。




 その日も、翌日も、その翌日も、毎日頼光と地鉱は純の所へ遊びにきた。
 3人は、散歩したり、釣りをしたり、畑に忍び込んで野菜を漁ったり(地鉱曰く、自分の家の畑だから大丈夫)、畑に忍び込んで野菜を漁ったり(頼光曰く、自分の家の畑だから大丈夫)、時にはゲームをしたり、テレビを見たりして過ごした。
 純の体調もだんだんよくなってきて、少しずつなら走れるようになってきた。

 時々、地鉱が来ないことがあった。
 頼光に尋ねると、「ちぃは野性児だから」と答えた。よくひとりで山に遊びに行っているのだ、と。

「ちぃ、昔から石とか大好きなんだよ。だからよく何か掘り出しに行ってるんだ。俺はあんまり興味ないから行かないけど」
「なるほど」
「あいつあんな名前だからさ、石にとりつかれちゃったんじゃないかと思うね」
「……なるほど」

 頼光の後ろでシャドーボクシングのような動きをしている霊をぼんやりと見ながら、純は相槌を打った。


「ジュンはトレーナーなんだよな」
「元、ね。僕のいたところは結構みんな早くからポケモン持ってたから」
「いいなぁ。俺も早く、ちゃんとトレーナーとして独立したいよ」

 頼光の夢は、ポケモントレーナーになって旅をすることだった。
 旅を出て何をするのかと聞いたら、会いたいポケモンがいるのだという。

「俺の名前の『頼光』って、昔いた武将の名前から取ったらしいんだ。そいつはすっげぇ強くて、鬼とか妖怪とかをいっぱい倒したヒーローなんだって。だから俺、自分の名前がすっげぇ好きなんだ」
「ふーん」
「で、俺のあだ名、『ライコー』だろ。おんなじ名前の『ライコウ』っていう伝説のポケモンがいるらしいんだ」
「うん、名前は聞いたことある」
「そいつに会ってみたいなぁって思ってるんだ。どんなポケモンか、すっげぇ気になる」

 頼光は目をキラキラと輝かせて言った。

 純が昔住んでいた町では、小さいころからポケモンを持って、子供同士でバトルさせて鍛えることが普通だった。学校では積極的にポケモンの授業をやっていたし、バトルの実践授業もあった。
 しかし、この地域では、それほどポケモンについて熱心ではないらしい。所有している子供は数人いるけれど、学校での授業は基本的にない。トレーナーとして旅に出る子供も、ほとんどいないというのが現状だった。

 純にとっての一番のカルチャーショックはそれだった。現に、地鉱はポケモンについてほとんど何も知らない状態だった。
 山にいればポケモンと出会うだろう、と純が言うと、いるだろうなあ、と頼光は答えた。

「ほら、ちぃってさ、すっげぇ生き物に好かれる体質だから……襲われることがないんじゃない?」

 わけがわからない、と純は首を振った。
 ポケモンは危険だから、護身用にポケモンを持つ。それが普通のはず。
 変わった人間もいるものだ、と純は思ったが、頼光の後ろでなぜか一生懸命懸垂をしている幽霊を見て、そう言えば自分も変わった人間だったな、と思い直した。




 暑い日だった。照りつける太陽の日差しがじりじりと肌を焼いた。
 3人は釣竿を持って川へ出かけた。
 適当な岩の上に座って、糸を垂らす。しかし、3人ともさっぱりあたりはなかった。

「釣れないなー……」
「釣れないねぇ」
「うん、釣れない」

 ぴくりともしない竿先を見ながら、3人はあくびをかみ殺した。

「場所変えるか?」
「そうだね」
「賛成」

 釣り糸を回収し、3人は立ちあがった。

 その時、純は岩べりに生えていた藻を思い切り踏みつけた。靴底が滑り、純は川に落ちた。
 幸いにも、足がつく程度の深さだったため、純は溺れずに済んだ。しかし、全身ずぶぬれになった。

「あーあ、大丈夫か?」
「うへぇ……気持ち悪っ」
「うわー、びしょびしょだね。服脱いで絞らなきゃ」

 地鉱の言葉に、純の顔が強ばった。

「いや……いいよ、このままで」
「なに言ってんだ、風邪引くぞ」
「いいってば」

 純はTシャツを脱ぐことを頑なに拒否した。しかし、風邪をひいては大変と、頼光と地鉱は無理やりシャツを脱がせた。


 瞬間、空気が凍りついた。

 純の左胸、ちょうど心臓の上あたりに、20センチほどの痛々しい傷跡がついていた。


 純はびしょぬれのままのTシャツをひったくって着、アブソルをボールから出し、その背に乗ってその場から一目散に逃げた。
 残された頼光と地鉱は、茫然とその姿を見送っていた。




 その夜、純は夕食もとらずに、カーテンを閉め、襖を閉め、引き戸を閉め、部屋に閉じこもっていた。

 絶対、びっくりされた。怖がられたかもしれない。
 せっかく仲良くなったのに。
 初めてできた、友達だったのに。


 こんこん、と引き戸を叩く音が聞こえた。

「あきちゃん、入るよ」

 純の祖母が、黒いお盆に大きなおにぎり2つとお茶とお菓子を乗せて持ってきた。
 祖母は純の前にお盆を置いて、にこにこと笑って正座した。

「おなか空いたじゃろ。食べんちゃいな」

 祖母があまりにもにこにこと優しく笑うので、純はおにぎりに手を伸ばした。
 薄味だ。塩がついているのか否か怪しい程度の薄味だ。元より、塩むすびというのは表面にしか塩がついていないので、おにぎりが大きくなると塩味は減っていく。
 皿に添えてある梅干しを口に含んだ。非常に塩辛い。すっぱさより塩辛さが勝っている。田舎の自家製の梅干しというのはこんなものなのかと純はまた衝撃を受けた。
 お茶を飲んでも口の中が塩辛い。純はおにぎりをもう一口かじった。
 噛めば噛むほど米の甘さが出てきて、口の中の塩辛さと混ざり合い、絶妙に美味い。単なる塩むすびより、中に減塩の梅干しが入っているより、断然うまい。
 純は夢中でおにぎりを食べた。空腹だったので、美味さは更に2乗3乗だ。


 お茶を飲んでひと息ついていると、祖母が口を開いた。

「あきちゃんは霊感がとびきり強いのに、守護霊様がちいと頼りないけぇねぇ」

 純は目が点になった。祖母は相変わらずにこにことしている。

「あんたのお母さんはちいとも見えんかったけぇねぇ。ほいじゃけどあきちゃんは『見える』子じゃったんじゃねぇ」
「ばあちゃん……ばあちゃんも、『見える』人なの?」

 純の祖母は、にこにこと笑ったままゆっくりうなずいた。

 純が『見える』のは、祖母からの隔世遺伝だったようだ。
 話によると、純の祖母も幼い頃からよく幽霊を見ていたらしい。しかし、娘、すなわち純の母は全く霊感がなかった。
 それで純の母は、祖母を気味悪がっていたらしい。幽霊なんかいるわけないと言い張り、家を出て、そのまま実家とは疎遠になってしまった。
 しかし、その息子の純は、祖母以上に『見える』人間だった。
 純の母はずっと否定していたものの、純が例の事件にあって以来、幽霊の存在を認めざるを得なくなり、祖母を頼ってきたのだという。

「柿ノ木畠のちぃちゃんには、びっくりするほど強い守護霊様がついとるけぇねぇ。あのくらいのが、あきちゃんにもおったらよかったんじゃけどねぇ」

 祖母は純の頭を優しく撫でながら言った。
 純は泣きそうになるのをぐっとこらえた。自分のことを本当にわかってくれる人が、初めて現れた。

「あきちゃん、友達にゃあちゃんと話さんといけんよ」
「でも、どうせわかってくれないよ」
「ばあちゃんだって、みんなにわかってもらうためにえっとえっと話したんよ。きっと大丈夫じゃけぇ、お話しんちゃい」

 祖母は優しくにこにこと笑って言った。純は小さくうなずいた。




++++++++++

後半はまた後日。


  [No.1695] Re: 少年の夏(前篇) 投稿者:CoCo   《URL》   投稿日:2011/08/06(Sat) 14:13:09   53clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:TEST1】 【TEST2】 【TEST3】 【TEST4】 【TEST5

 
>シャドーボクシングのような動きをしている霊
>なぜか一生懸命懸垂をしている幽霊

(*´ω`)

 タイトルにホイホイされて読ませていただきました。
 まず真っ先に ぼくのなつやすみ を思い出しました。実家のあの水と土の匂いが漂ってくるような気がします。田舎のおやつってどうして量が多いんだろう。
 アブソルラバーとしては彼の活躍も気になるところです。

 そしてさすがと言うべきか(?)、食べ物の描写が素敵!
 おにぎりのところなんか、さっき昼飯食べたばっかりなのに涎がじわじわ。


 それと、蛇足かもしれませんが誤字と思しきものを……。

冒頭
>以前の格好に通わずにすむこと
 学校の変換ミス?

中ごろ
>速度は速度は若干遅めなものの
 信用ならないバックスペース

 また最後のお婆ちゃんとの会話で一箇所、純くんが訛っているのは仕様でしょうか。


 久方さん×幽霊ということでとてもwktkしております。
 続きを楽しみにさせていただきますね。
 


  [No.1732] 遅くなりました 投稿者:久方小風夜   投稿日:2011/08/11(Thu) 17:14:57   50clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:TEST1】 【TEST2】 【TEST3】 【TEST4】 【TEST5

>  まず真っ先に ぼくのなつやすみ を思い出しました。実家のあの水と土の匂いが漂ってくるような気がします。
ぼくのなつやすみ、プレイしたことはないのですが、ぐぐってみてなるほどと思いました。
まぁ自分は生まれついての田舎モンですが。

>田舎のおやつってどうして量が多いんだろう。
ばーちゃん、マクワウリ1人1個は多すぎるって昨日も言ったじゃないか(´・ω・`) 食べるけど。
しかも自分の実家の野菜果物はなぜか異様に肥大化している罠。

>  アブソルラバーとしては彼の活躍も気になるところです。
ご期待通りの活躍が彼にできるのか不安です。

>  そしてさすがと言うべきか(?)、食べ物の描写が素敵!
>  おにぎりのところなんか、さっき昼飯食べたばっかりなのに涎がじわじわ。
言わずもがな一番力入れてますとも(笑)
でも自分は、正直、梅干し、好き、では、ない、です、はい。

>誤字と思しきもの
ご指摘ありがとうございますorz 修正しました。

>  また最後のお婆ちゃんとの会話で一箇所、純くんが訛っているのは仕様でしょうか。
……ばあちゃんを訛らせようとした結果、自分の脳内が余計に地元化したようです(´・ω・`)

感想ありがとうございました!
後半も頑張ります。


  [No.1809] 少年の夏(後篇) 投稿者:久方小風夜   投稿日:2011/08/29(Mon) 17:43:08   216clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 翌朝、純はラジオ体操をさぼった。
 朝食を食べ、部屋で映りの悪いテレビを見ていると、窓ガラスを叩く音が聞こえた。
 確認するまでもなく、頼光と地鉱だった。純が窓を開けると、2人はすぐにそろって頭を下げた。

「ごめん! 俺ら、ほんまに何も知らんかったんじゃけど、ジュンが隠しとったこと……」
「ジュン嫌がっとったのに、僕ら何も考えんとぉ……ほんまにごめん!」

 ああ、本当に必死なんだな、と純は思った。最近はだいぶ馴染んできたように思われた標準語が引っ込んで、初対面の時のように訛りが全開なことでもそれがわかる。
 いいよ、と言おうとして、純は1回大きくため息をついた。

「……僕もごめん。2人には全部、ちゃんと話すよ。あがって」


 頼光と地鉱は庭に靴を脱いで、縁側から直接純の部屋へ入ってきた。玄関から入れないと怒られるかな、と純は一瞬考えたが、まあいいだろう、と結論付けた。
 それぞれ顔を向かい合わせるように座った。頼光はあぐらをかき、地鉱は体育座りをし、純は背筋を伸ばして正座した。
 3人の間に、一瞬気まずい空気が流れた。その時、こんこん、と引き戸を叩く音がした。

「あきちゃん、よりちゃん、ちぃちゃん、入るよ」

 純の祖母が、冷たい麦茶とコップを3つ、お盆に載せて部屋に入ってきた。祖母はいつものにこにことした顔でお盆を3人の真ん中に置き、部屋を出た。
 大きな声も出してないのによくわかったな、これも一種の霊感なのだろうか、と純は考えた。

 ガラスのコップに麦茶を注いで、頼光と地鉱に渡した。2人はありがとう、と受け取り、ぐいと一気に飲んだ。
 純も麦茶に口をつけた。香ばしい香りが鼻に抜ける。きんとくる冷たさが、エアコンのない部屋に嬉しい。


 3人それぞれがふう、とひと息ついたところで、純は切り出した。

「僕、幽霊が見えるんだ」

 頼光と地鉱は何も言わない。純は深呼吸をして、続けた。


「生まれた時から、普通の人と同じように、僕には幽霊が見えた。家にいると、お父さんがいて、お母さんがいて、他の知らない人たちがいた。外に出るとわからないね。みんな知らない人だから、どの人が幽霊でどの人が生きてる人間なのか、小さかったから区別がつかなかったんだ」

「最初に気付いたのはお母さんだったよ。僕が家の中でも外でも、誰もいないところで誰かと話をしたりしていたから。お母さんは幽霊なんて信じないっていう人だったから、僕のことを気味悪がってた。でも僕は分からなかった。みんなにも見えてると思ってたからね」

「小学校に上がって少ししたくらいの頃かな。僕はようやく、僕にしか見えない人がいるらしいってことに気がついた。じきに、人間と幽霊も何となく本能的に見分けられるようになった。でも、気づくのが少し遅かったんだ。お父さん、お母さん、クラスのみんな、近所の人たち、みんな僕を気味悪がってた」

「気がつくと僕は独りぼっちだった。僕に関わってくる人たちは、僕を気味悪がって遠ざけるか、僕を傷つけようとするか、どっちかだった。近所の人たちは道ですれ違うたびに陰口を叩いてきた。クラスメイト達は、蹴ったり、殴ったり、僕の持ち物を壊したりしてきた。お父さんとお母さんは幽霊の存在なんて断固認めなくて、僕を病気だと言って病院に入れようとした」

「ポケモンを始めたのは、カウンセリングの意味合いもあったんだ。病院の先生に勧められて。バトルで強くなったらみんなも見直してくれるかなと思って、僕はがむしゃらに頑張った。……でも、無駄だった。結局僕は独りぼっちだった」

「でも、幽霊さんたちはみんな、僕に優しかった。時々ちょっとしたいたずらをしてくる人たちはいるけど、でもやっぱり、優しかった。幽霊ってね、みんな寂しいんだよ。そこにいるのに、誰にも気づいてもらえないから。だからみんな、僕が『見える』ことをとても喜んでくれたんだ」

「わかってたよ、このままじゃいけないって。僕たちとは違う世界にいるんだから。それでもやっぱり、僕は生きている人間より、幽霊の方が好きだった」

「駄目だったんだね。入っちゃいけないところまで、行っちゃったんだね」

「幽霊ってね、心がむき出しなんだよ。だから、周りの影響を受けやすいんだ。特に、マイナスの感情の影響を。霊の中には、この世のマイナスの心をどんどん吸収して、周りによくない影響を与える霊……悪霊になってしまう人がいるんだ」

「そうなるのを防ぐために、魂を回収していくポケモンがいるんだって。だけど、僕はそれが耐えられなかった。だって、僕は幽霊が大好きだったから。生きている人間なんかより、幽霊が好きだったから」

「だから僕は、そのポケモンを倒した。それで僕は幸せになるはずだったんだ」

「僕と仲のよかった幽霊の1人に、兵隊さんの幽霊がいてね……。いつも銃剣を背負ってた。霊が悪霊になってしまうことがあることも、魂を回収するポケモンの話を教えてくれたのも、教えてくれたのはその人だった。……きっと、気づいてたんだろうね」

「自分が、悪霊になりかけていたことに」

「この傷は、僕が兵隊さんと最後に会った時につけられたものだ。僕が最後に見た兵隊さんは、兵隊さんじゃなかったね。化け物だったのかもしれないし……もしかしたらポケモンだったのかもしれない」

「気がついたら病院だった。7日7晩生死の境を彷徨ってたらしい。残念なことに両親も幽霊の存在を認めざるを得なくなって、お母さんはばあちゃんに泣きついたんだ。……で、元の学校でいじめもあったことだし、怪我の静養も兼ねて、僕はここに引っ越してきたというわけ」


 話を終え、純は麦茶を飲んだ。随分とぬるくなっていた。
 しばしの沈黙の後、頼光が麦茶をひと口飲んで言った。

「……そうか、ジュンは幽霊が見えるのか」

 純は頷いた。
 秘密をばらせば、2人は離れていくだろう。今までの人たちと同じように。純はそう思っていた。

 しかし、頼光と地鉱の答えは予想と全く異なっていた。

「すっげぇ! ジュンかっこいいな!」
「幽霊って本当にいるんだ! 僕も見て見たいなぁ!」

 2人があまりにも目を輝かせていうので、純は少し拍子抜けしてしまった。

「……気持ち悪いだろ? だって、自分には見えないモノを見えるって言ってるんだよ?」
「何で? ジュンがいるって言ってるんだから、いるんだろ?」
「いないって思うより、いるって思う方が面白いよね。もー、そう言うことなら早く言ってくれればよかったのに」
「本当だよ! 黙ってたなんてずるいじゃないか! 今度幽霊に会ったら俺らにも教えてくれよ!」

 そう言って頼光と地鉱はきゃっきゃとはしゃいだ。純は呆気にとられて2人を見ていた。
 幽霊の話をして、離れていかなかった人は初めてだった。それどころか、逆に喜んでいる様子だった。

 ぼろっ、と純の目から涙がこぼれた。

 がらりと引き戸が開いた。純の祖母がいつも以上のにこにこ顔で、お昼だよ、と桶に入ったそうめんを持ってきた。




 昔から純にとって、8月は最も楽しい時期で、最も憂鬱な時期だった。
 2週目に入った頃から毎年、普段とは比べ物にならないほど幽霊が増える。言うまでもなく、お盆だからだ。

 昼下がり、純は縁側に座って麦茶をすすっていた。
 エンジンの音がした。大型バイクにまたがった男性が、部屋を突っ切って庭へ出ていった。純は気にすることなく、麦茶をすすった。
 先祖がキュウリの馬だか何だかに乗って帰ってくるのなんて嘘だ、と純は思っている。
 幽霊の世界は意外とフリーダムらしい。徒歩で帰ってくる人もいれば、ポケモンに乗って帰ってくる人もいるし、先程のようにバイクに乗ってくる猛者もいる。純が今までに出会った中で最も衝撃的だった人物は、真っ赤な左ハンドルのオープンカーを華麗に運転する、ブランド物のサングラスをかけた武士だった。

 帰ってきた人たちと話をするのが、純は好きだった。その人の生きていた時の話を聞くことが一番楽しかった。
 あの世の話も、聞けば少しは教えてくれた。こちらの世界とあまり変わりはないらしい、と色々な話を総合して純は結論づけた。

 ただ、だからこそ、周囲の人間はこの時期は特に純に対して冷たかった。



 しかし、今年は違う。
 クラクションの音がした。白い軽トラックが純の家の前に停まっている。

「ジュンー、燈籠届いたから配りに行こうぜ」

 頼光が軽トラックから降りてきて言った。荷台には、1.5メートルほどの竹の先に、六角錐の骨組みが取り付けられ、その面には赤、黄、紫など色とりどりの紙が貼られているものの束の束が積んであった。
 盆燈籠と呼ばれるそれは、この地域でお盆の墓参りの際に持参する仏具の一種で、墓参りの際に墓の近くに立てる。
 純が越してきた地域の人々は、お盆に野菜の牛馬も作らないし、送り火もしないし、夏祭りはあるが盆踊りはない。唯一やることが、墓参りをし、その際に盆灯篭を墓の周囲に立てることだ。
 周辺地域ではスーパーやコンビニやフレンドリィショップ、果てはポケモンセンターでまで売っているが、純の家から一番近い商店まで、車で行っても15分はかかる。若者ならまだ平気だろうが、この地域の8割以上を占める老人には酷な道のりである。

 そういうわけで、まとめて注文をとり、若人がそれぞれの家へ売り歩く方法を、この集落では採用した。若人といっても働き盛りの年代は田畑の仕事で忙しいので、駆り出されるのは夏休み真っ盛りの小・中学生である。
 燈籠を運んできたのは頼光の伯父だったが、配るのを手伝ってはくれないらしい。荷台から燈籠の束を下ろすと、頼光だけ置いて軽トラックを走らせていった。
 純は燈籠の数を数えた。配る先が8件で、本数が全部で37本。

「ちぃは?」
「今日は山だってさ。ジュン、アブソルの力借りようぜ。重すぎてやれんわー」
「わかったわかった」

 アブソルは純の部屋の中から、頼光の抱える燈籠の束を見、純の顔を見て、こんな暑い中行くのか、とでも言いたげな目線を送ってきた。頼むよ、と純と頼光が言うと、しょうがないなあ、という様子で庭へ降りてきた。
 燈籠の束の束を3分割して、1つをアブソルの背中にくくりつけ、残った2つを純と頼光がそれぞれ担いだ。分割しても1つの束が12本ある。

「えーっと、どうしようか」
「近いところから配っていけばいいんじゃないか? 一番遠いの俺ん家だけど、置いてってるはずだし」
「じゃあ黒塚さんの家からか」
「あの家車あるじゃん……自分で買いに行けよ全く……」
「そうだね。重いもんね」

 ため息と愚痴をこぼしつつ、2人と1匹は荷を軽くすべく歩き出した。
 2人を追い抜いて、スクーターに乗った髪の長い女性が、青々と茂る田んぼを突っ切っていった。こういう時は僕も幽霊になりたいなぁ、と純は思った。



 最後の1束を売り終わった頃、2人は両手にビニール袋を抱えていた。
 おかきの小袋。商店街で売っている利休饅頭。稲荷寿司。ピーナツの乗ったせんべい。チョコレート。茶の間に置いてあるお菓子などの一部が詰め込まれている。周る先々でもらった結果だ。
 抱えている灯篭が減るたび、受け取った代金と袋の中身が増えていった。まだまだ子供の2人は素直に喜んだ。
 どこかで遊ぼうか、と相談していると、アブソルがふいに顔を上げた。

「? どうしたの?」

 ぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてきたかと思うと、大粒の雨が勢い良く降り始めた。
 2人は慌てて雨宿りできる場所を探した。近くに家はない。木の下などほとんど役に立たない。
 アブソルが駆けだした。見ると、古びた石の鳥居がある。

「そう言えば、ここなら雨宿りできる場所があるな。廃墟だけど」
「……何か変な感じがするけど、まあ、いいや。行こう」


 石段を登りきると、朽ち果てた本堂と、屋根の付いたやや新しい舞台が目に入った。アブソルはすでに参道を登り切って、本堂の屋根のある場所で2人を待っていた。
 頼光は本堂と舞台に向かって一礼し、靴を脱いで上がった。純も同じようにして上がった。
 ようやく屋根のある場所に着いて、頼光と純はほっと息をつき、靴下や袖をしぼった。

「神楽舞台だけど、もうずっと使ってないし、いいだろ」
「神楽……そうか、ここで神様に捧げる舞いを舞っていたんだね」
『まぁ、もう何十年と前の話だがな』

 突然、2人の知らない声が聞こえてきた。アブソルが屋根の下から出てきて、低く唸っている。
 2人の後ろに、金色の体毛を身にまとった、9つのしっぽの狐がいた。頼光は飛び上がった。

「こっ……このキュウコン、いつの間に!?」
「何驚いてるんだライコー。最初からいたじゃないか。……ああ何だ、幽霊か」
『ほう、そっちの方は見えていたのか。大した奴だ』
「キュウコンがしゃべったあぁぁぁぁぁっ!!」

 頼光はまた飛び上がった。アブソルがキュウコンに吠えた。
 純だけは平然としていた。純はポケモンの幽霊もこれまでに何度も見たことがあるし、人間の言葉をしゃべるポケモンの幽霊も見たことがある。幽霊の世界は意外とフリーダムらしい。
 キュウコンは長い尾をゆらゆらと揺らし、平然としている純に向かって言った。

『貴様、なかなか強い力を持っているようだな。世が世なら、私を封印した安部何とかという陰陽師ともはりあえたかもしれん』
「気のせいだよ。僕はちょっと幽霊がよく見えるだけの一般人さ」
『なるほど。そこのアブソルは貴様のか。そんなに敵意を向けることもあるまい。雨に打たれて寒いだろう、こっちに来るがいい』

 キュウコンがそう言ってもアブソルは動かなかったが、純がおいで、というと、キュウコンをにらみつけながらも舞台に上がってきた。

『ふむ、貴様は半崎の次男坊だな。貴様の家は昔からよく知っている』
「何だ、お前ここの神社の神様なのか?」
『その通り、私は神』
「違うよ。ただの幽霊さ」

 キュウコンの言葉を遮って純が言った。

「たまにいるんだよね、勘違いしてる奴。まあ確かに、一般人のライコーにも姿が見えるってことは、それなりに強い力を持ってるってことだろうけど。まぁでもよく言って妖怪だね」
「何だただの幽霊か。いやまぁ幽霊も初めて見るけど。でもただの幽霊か。何か残念だな」
『怒るぞ』

 くしゅん、とアブソルが小さくくしゃみをした。それにつられてか、純と頼光もくしゃみをした。
 冷えてきたようだな、とキュウコンは言うと、尾の先に小さな青白い炎を灯した。

「お、『おにび』か?」
『間違ってはいないが、ここはぜひ狐火と呼んでもらいたいところだな』
「やべぇあったけぇ。Tシャツ乾かそう」

 頼光はシャツを脱いで炎にかざした。純は少しためらって、同じようにTシャツを脱いだ。
 キュウコンはそれを見て、なるほど、力がある者も苦労するようだな、と小さくつぶやいた。

 しばらく火にあたって2人と1匹の全身は乾いたが、雨はまだ降りやまない。止むまで待つか、と頼光はあくびをした。

「さっきもらった菓子でも食って、のんびり待とうぜ」
「賛成」
『ふむ、では私はこれで』
「稲荷寿司あるけど、食べる?」
『頂こうか』

 差し出された稲荷寿司に、キュウコンはぱたぱたとしっぽを振った。
 狐が油揚げ好きっていうのは本当なんだな、と頼光は純にささやいた。


『半崎の。今日はいつも一緒にいるあの小僧はいないのか』
「ちぃのことも知ってるのか。そう言えば昔はよくここで遊んでたっけ。お前あの頃からいたのか?」
『私はもっと昔からいるよ。貴様らの祖父母がまだ生まれていない頃からな』
「でもここ何回も来てるけど、お前と会うのは初めてだ」
『あー……あっちの小僧はなぁ……。何というか、奴の守護霊とは相性が良くないのでな……』

 出たくとも出られないんだ、とキュウコンは言った。
 稲荷寿司は1つ残らずキュウコンに持って行かれたので、純はピーナツの乗ったせんべいを開けた。湿気ていた。雨のせいだけではなさそうだった。
 最近ようやくこの周辺でも頻繁に目にするようになった500ミリリットルのペットボトルを片手に、頼光がたずねた。

「ところでお前、名前とかないの?」
『金毛白面九尾の狐(こんもうはくめんきゅうびのきつね)……と呼ばれていた頃もあった』
「長っ」

 純は冷静につっこんだが、頼光はぴたりと動きを止め、キュウコンの顔をまじまじと見つめた。

「お前……まさか、『玉藻前』?」
『ほう、さすが半崎の。よく知っているようだな』
「たまものまえ?」
「その昔、大陸で大国を2つも崩壊させ、日本にやってきてもお上に取り入って、悪行を働いた末に退治されたって言う超有名な伝説の狐……の化けた時の姿」
「なるほど。やっぱり妖怪か」
『妖怪って言うな』

 どうりで頼光にも姿が見えるわけだ、と純は心の中で納得した。伝説に残るくらいのポケモンならば、そこらの幽霊と比べ物にならないくらい強い力を持っていても不思議ではない。
 純は数え切れないほど幽霊とその類のものは見てきたが、有名な伝説にまでなっているのは初めてだった。
 すげぇなぁサインほしいなぁ、と頼光は目を輝かせて言った。

「ってことはお前、人間に化けられるのか?」
『朝飯前だ』
「やっぱり玉藻前ってすっげぇ美人だったのか!?」
『当たり前だろう。わたしが化けているのだぞ。私が思い描く最高の美女になるわ』

 ふふん、とキュウコンは鼻を鳴らした。
 すげーすげー、と頼光は興奮して言った。

『見たいのか?』
「見たい!」
「まぁどっちかというと見たい」
『ふふんいいだろう。心して見るがよい!』

 キュウコンは立ち上がり、その場でくるりと回った。
 身体が一瞬金色の尾に隠れ、次の瞬間こっちを向いていたのは紛れもなく人間だった。
 長い黒髪に白い肌。赤い袴に十二単。齢15、6ほどの女性の姿だった。
 おお、と純と頼光は拍手をした。

『どうだ、美しいだろう』
「おぉー、確かに美人! きれい!」
「でも古いよね」

 純がさらりと言った。その場の空気が一瞬固まった。

『古い……だと……?』
「だって十二単なんて現代で着てる人いないじゃん。霊界に行かずにこっちに留まってるから感性が古いままなんじゃないの? 今は侍が1200ccのバイクを乗り回す時代だってのに」
「何それ詳しく」
『うむむ、死んでからあちこち放浪していたせいで時代の流れに取り残されてしまったか。何たる不覚』

 玉藻は悔しそうに唇を噛んだ。
 とりあえず洋服にすればいいんじゃないかな、と純は言った。

 そこから、純と頼光による玉藻改造計画が始まったが、詳しいことは割愛する。



 日の光が差し込み始めた。雨が止んだようだ。
 純と頼光はすっかり乾いた靴下と靴を履き、お宮の境内へ降りた。

「やー、何とか止んだなぁ。よかったよかった」
「止まなかったらどうしようかと思ったよ」

 アブソルが純の脇腹に鼻先をすりよせた。純はアブソルの頭を撫でた。
 純と頼光は舞台の上に視線を向けた。

「それじゃ玉藻、また来るよ」

 舞台の上には、長い黒髪に、金糸の刺繍が入った白いワンピースと赤い上着を纏った、とてもかわいらしい少女が立っていた。

『好きにするがいい』
「わかった。稲荷寿司は持ってこない」
『何……だと……?』

 玉藻は心底絶望したような表情を見せた。純と頼光はけらけらと笑った。

「冗談冗談。じゃあまたね」

 二人はキュウコンに手を振って、石段を下りた。
 途中、頼光は振り返って境内を見たが、少女の姿もキュウコンの姿もすでに見えなかった。



 空は茜色に染まり始めていた。赤い空にヤンヤンマの影が見える。

「ちぃにも今日のこと教えないとな」
「見えるかどうか分かんないけどね。守護霊の相性がどうたらって言ってたし」
「うーん残念だなぁ。あっ、アブソル」

 アブソルが駆けだした。
 赤い太陽を背負った、小柄な影が見える。リュックサックを背負っているようだ。

「ライコー! ジュンー! ただいまー!」
「あっ、ちぃだ! おーい!」

 ちぃが道を走ってきた。純と頼光も駆け寄った。

「おかえり! 雨大変だったろ?」
「うん。近くの崖が崩れてさ、もう死ぬかと思ったよーあはははは」
「ちょ、それって笑いごとじゃないよね?」

 生きてるから大丈夫だって、と地鉱は笑いながら言った。
 ちぃはいつもこうだからなぁ、と頼光は呆れて言い、笑った。

「ねえ、今日の夜花火しようよ。花火。昨日母さんが買ってきたんだ」
「いいな! 俺らも今日のこと色々話したいし!」
「じゃあ今日の夜、ちぃの家に集合だね」
「俺スイカ持ってく! スイカ!」
「スイカならうちにもあるよー」
「俺んちの中身が黄色いんだぜ!」
「マジで?」
「虫よけスプレー余ってたっけなぁ」
「俺いっぱい持ってる」
「あっ、一番星だ」
「えっどこどこ」



 3人と1匹の影が伸びる。
 早くも青い穂をつけた早生の稲が、夕の風に吹かれて揺れていた。






++++++++++The end


やまなし。おちなし。いみなし。田舎帰りたい。


  [No.1812] 【おまけ】僕の守護霊の話 投稿者:久方小風夜   投稿日:2011/08/29(Mon) 19:13:53   155clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:ところで】 【あなたの】 【後ろにいる】 【その人】 【……誰?

「おっ、久しぶり」

 大学の中庭にある椅子に座ってのんびりしていると、声をかけられた。文学部でフィールド文化だか何だかを専攻している、僕と同郷の幼馴染だ。

「お前が中庭にいるの珍しいなぁ。ヤミラミ元気?」
「まあたまにはね。ヤミラミはまあ、相変わらずだよ」

 僕は隣のいすでぐったりとしているヤミラミに目を向けた。暑さでだれている。

「はっは、やっぱ暑いか」
「暑いだろうねえ。ねえ、何か涼しくなるような話ない?」
「えー? そんなこと言われてもなぁ、どっちかって言うと僕は涼しくなるより笑えるような体験しかないぞ」

 小学校の4年(くらいだったと思う)に越してきたそいつは、人一倍霊感が強いことで有名だった。

 残念ながら、僕はそういう霊的な体験を全くしたことがない。いっそ清々しいほど、ない。……と思う。
 有名な心霊スポットやら幽霊屋敷やら連れて行かれたことがあるけど、何もない。というか、僕が行くと何も起こらなくなる、らしい。



 そう言えば昔、こいつのおばあちゃんに、僕はすごく強い守護霊を連れていると言われたことがあった。
 気になったから、僕とこいつともうひとりの幼馴染達とで花火をしているときにこいつに聞いたら、確かにいる、と言われた。

「確かに、すごいのがついてる」
「すごいの? それって例えば、お侍さんとか、軍人とか?」
「いや、ポケモン」
「ポケモンかぁ。じゃあ何だろ、カイリューとかギャラドスとか?」

 すごく強いポケモン。僕はこの頃ポケモンについてはちっとも詳しくなかったけど、ちょっとドキドキする。
 そしたらこいつ、僕の足元をじっと見て、こう言った。

「いや、ネズミ」

 僕ともうひとりの幼馴染は声をそろえて「は?」と言った。
 ネズミって。いや、ネズミって。

「……何それ?」
「かわいいよ。うん。かわいい」

 そう言ってこいつは、僕の足元の何かをなでるしぐさをした。
 まぁ当時の僕はポケモンの名前を言われても、何もわからなかっただろうから、それ以上聞なかったしこいつも教えてくれなかったけど。



「……ねえ、そういえば、僕には未だにそのすごい守護霊がついてるの?」
「うん。超強いのがついてる」

 そいつはあっさりとそう答えた。

「お前の守護霊のおかげで、お前の周辺全然霊いないんだぜ。あーやべー超癒される」
「そ、そんなすごいの?」
「うん。悪霊も呪いも裸足で逃げ出すレベル」

 そう言うとそいつは、僕の足元から何かを持ち上げるしぐさをした。
 かわいいんだぜ―こいつ、とそいつはにこにこ笑って言う。
 一体何なの? って聞いたら、そいつはカバンの中を漁り始めた。

「多分、見えると思う。超強いから」

 そう言って渡されたのは、双眼鏡のような何かだった。
 曰くこれは、シルフスコープとかいう、姿を消したゴーストポケモンが見えるようになる眼鏡らしい。最近の技術ってすごいよな、とそいつは言った。僕についてるのはゴーストポケモンじゃないけど、相当強いから多分見える、とのこと。
 そいつはテーブルの上に抱え上げた何かを置いて、ここにいるよ、と言った。僕はシルフスコープを装着した。

 長い鼻先。クリーム色と黒の丸い体。細い目。

 ちょっと待ってこれ図鑑で見たことある。ええと何だっけ。
 確かどこぞでは初心者向けのポケモンとして配られてるんだったような気がする。

「思い出したヒノアラシ!」
「おー、やっぱ見えるか」

 そのヒノアラシは、テーブルの上にちょこんと座っていた。
 ああなるほど、かわいい。かなりかわいい。……いや、かわいい。かわいいけども。

 じっと見つめていると、ヒノアラシはぴょんとテーブルから飛び降りて、物陰に隠れてしまった。幼馴染は和んだ顔をして言った。

「照れ屋さんなんだなぁ。お前に見られるの恥ずかしいみたいだぞ」
「あ、そう……」

 僕はシルフスコープをそいつに返した。そいつはしゃがみこんでテーブルの陰の何かをなでている。
 いやーかわいいなぁ、と言うそいつに、僕は疑問を投げかけた。

「……本当に強いの?」
「超強いよ。見た目はかわいいけど。多分、どっかの神様か何かじゃないかなぁ。うらやましいよ、僕は見えるくせに守護霊いないから」

 マジ連れて帰りたいわー、とそいつは言った。
 にわかには信じがたいけど、そいつが言うならそうなんだろう。……いや、信じがたいけど。
 あ、そうだ、とそいつが言ってきた。

「ちょっとさ、協力してくれないかな」
「はぁ」

 何でも、そいつの研究室の奴らが、今夜どこぞの心霊スポットに肝試しに行く計画を立てているらしい。そいつ曰く、その場所は割と冗談抜きでヤバいらしくて、必死で止めたけど、幽霊が見えることで有名なこいつが必死で言うもんだから余計に面白がっているとか。
 それで一同の護身のために、今夜一緒に来てくれないか、と。まぁ今夜は特に予定ないし、いいよ、と僕は返した。
 じゃあ今夜8時に文学部棟の前な、と言って、そいつは僕の膝の上に(多分)ヒノアラシを置いて、去っていった。
 僕は隣の椅子の上でぐったりとしているヤミラミにたずねた。

「なあ、お前、ここにいる奴見えてる?」

 ヤミラミはだるそうに頭を上げると、何が? とでも言いたげに首をひねった。
 ……なるほど。必ずしもゴーストポケモンに幽霊が見えるってわけじゃないらしい。まぁ確かにこいつは見えそうにない。




 夜8時、僕はヤミラミを連れて大学の文学部棟に行った。
 幼馴染と、研究室の同級生と先輩らしい人たちが3人。合計5人。
 先輩の車に乗り込む。幼馴染は顔色が悪い。マジで頼りにしてるから、と耳打ちされた。

 車でしばらく走って着いたのは、山の中の少し開けた場所だった。
 幼馴染の同級生曰く、古戦場だったやら自殺の名所やら火葬場が近いやら、何かよくわからないけどすごいらしい。
 ぐいとTシャツの裾を引っ張られた。言うまでもなく幼馴染のあいつだ。人間の顔って本当に青くなるんだなぁ、と僕は思った。
 ヤミラミが頭にしがみついてきた。こいつも何か感じているのだろうか。残念ながら、僕はまだよくわからない。
 車を降りることになった。そっと幼馴染に、何が見えるか聞いてみた。幼馴染は他の人たちに聞こえないように声を抑えていった。

「す……っごいいっぱいいる。何が何だかよくわからないくらいいる。やばい。すし詰め。ラッシュアワーとかいうレベルじゃない」

 とりあえず、降りたくなくなった。


 幼馴染以外の人たちが早く降りようとせかすから、ドアを開けた。

 瞬間、ぞわわっと悪寒が走った。

 初めての体験だった。何かよくわからないけど、何かいる感じがした。視線を感じる。
 やばいもう無理、と幼馴染がつぶやいた。
 他の人たちは、不気味ー、とか、こわーい、とか言いながら、先へ進んでいった。

 おい、あいつら追いかけろ、と幼馴染が慌てて言った。
 どうした? と聞くと、そいつは冷や汗をかきながら言った。

「あの先、崖だ」

 そう言われて、僕は慌ててハンドライトを向けた。数10メートル先から地面がない。他の人たちもそこそこ明るいライトを持ってるのに、全然気がついていないようだった。
 僕と幼馴染は、急いで車から飛び出した。

 ぐい、と何かに足を掴まれた。
 いや、足だけじゃない。腕や肩、服の裾。何かにしがみつかれているような感覚。
 ヤミラミが短い叫び声を上げたけど、ほとんど声にならない。僕も声を出そうとしたけど、声が出ない。
 そうこうしている間に、他の人たちは刻一刻と崖に近づいている。

 僕は体中の力を振り絞って、声を出した。

「く……そっ、放せ――――っ!!」


 瞬間、辺りが紅色の炎に包まれた。



 いつのことだったか詳しく覚えていないけど、まだ小さい頃、父さんに連れられて山に行った時のことだったと思う。
 気がついたら父さんがいなかった。はぐれて道に迷ってしまったのだと思う。
 道に迷った時は山を降りるんじゃなくて、とにかく登りなさい、そして道を探しなさい、と父さんに言われていた僕は、泣きながら山を登って道を探した。
 地図の見方や万が一の時の対処法は父さんに仕込まれていたけど、怖くて心細くてしょうがなかった。

 そんな時、僕は壊れた小さな木の建物を見つけた。

 その建物は大きな岩の下敷きになっていた。落石で潰されたらしい。
 ふと近くを見ると、何か小さな生き物が、石の下で暴れている……ような気がした。僕は小さな子供が抱えるのは少々大きなその石を動かした。だけど何もいなかった。

 次の瞬間、周りが炎に包まれた。
 僕はびっくりして、何が何だか分からなくなった。

 気がついたら、僕は父さんの後ろをついて、山道を歩いていた。
 父さんに聞いても、僕はずっとついてきていたと言われた。
 よくわからなかったから、夢だと思うことにした。そしてその記憶も成長するにつれて薄れていった。

 幼馴染のおばあさんに守護霊のことを言われたのは、その直後のことだ。
 それからというもの、山に行って危ないことがあっても、僕はけがひとつなく帰ってこられた。



 そうだ。これは、あの時見た炎と同じだ。


 炎が消えた。体が動く。幼馴染はその場にへたり込んだ。ヤミラミが僕の頭にしがみついて震えている。
 僕の前に一瞬、小さなヒノアラシの姿が見えた。
 うわっ崖だ、あぶないなぁ、という先輩たちの声が遠くから聞こえた。



 帰りの車の中で、幼馴染はずっと膝の上の何かをなでていた。ありがとなー、と小さな声で何度も言っていた。
 そいつは膝の上に乗っている(らしき)ものを僕の膝の上に乗せて、言った。

「さすが土地神様は強いなぁ」
「みたいだね……」

 ヤミラミが膝の上に降りてきた。幼馴染は僕の膝の上から何かを持ち上げて、自分の膝に乗せた。
 なるほど、僕にはとんでもないものがついているらしい。
 何の因果か、僕を守ってくれているのだから、悪い気はしない。ありがたいことだ。


 でもとりあえず、もう二度と肝試しには関わるまい、と僕は誓った。




おわれ。




電波って大事だよね。
【好きにしていいのよ】