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  [No.1810] ヨーヨー、顔文字、オムライス【第0稿】 投稿者:久方小風夜   投稿日:2011/08/29(Mon) 17:47:39   91clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

※2011年9月29日現在、まだ改稿していません。




 じわじわ、じわじわと、テッカニンの鳴き声が止むことなく響いている。
 俺は窓を開けた。吹き込んだ風は蒸し暑くて、部屋の温度を下げてくれる効果を期待できそうにはない。それでも閉め切っているよりはましだろう。クーラーは電気代が怖くてつけられない。この夏は、何とかうちわと扇風機で乗り切りたい。
 こういう時はトレーナーが羨ましい。水や氷のポケモンがいればきっと涼しいだろう。
 でもまあ、俺はポケモンを持っていないから、我慢するしかない。あとはパソコンが暑さでやられてしまわなければいいのだけれど。

 大学一年生の夏休み。やることがなさすぎる。サークルにでも入ればよかったなぁと少し後悔したけれども、それはそれで面倒なので諦めた。
 八月の頭から、九月の末。大学の休みは長い。

 よし、何もやることがないならば、書くか。俺はスリープ状態だったノートパソコンを開いた。


 俺の名前は『トレイン』。とは言っても本名ではない。ネット上の名前……いわゆるハンドルネームだ。本名が『鉄男』だからという理由で適当に決めた。
 三年ほど前からずっと、ネットの片隅で、小さなサイトをやっている。よくあるトレーナーものの小説サイトだ。ごく普通の少女がトレーナーとして旅をする、まあ言ってしまえばありきたりな話を掲載している。自分のサイト以外では、トレーナー小説を書く人が集まっているコミュニティサイトの掲示板に投稿している。そこで感想を言ったり、感想をもらったり、他の作者さんたちとチャットをしたりしている。
 そのサイトのほとんどの小説書きさんたちは、トレーナーを兼業しているらしい。旅の中でのあるあるとか、ちょっとした小ネタとか、誰もが半分くらいは自分の経験から書いているとか。
 俺はトレーナーじゃないけど、でも完全に想像で書いているわけでもない。俺の小説の主人公にも、モデルはいる。


 インターネットのブラウザを開いて、コミュニティサイトに飛び、備えられているチャットに入ると、すでに四、五人が会話をしていた。さすが夏休み、昼から盛況だ。
 ヌオーを抱き枕にして寝ると涼しくて最高だとか、サーナイトがついにキーボードの打ち方を覚えただとか、ポッポが小説の主人公のセリフを真似するようになっただとか、ピカチュウにせがまれてヘリウム風船を十個も買ってしまっただとか、窓の外を見るとカゲボウズが並んでてびっくりしただとか、この暑さでフリージオが蒸発したとか。どうやらトレーナー同士、ポケモンの話で盛り上がっているみたいだ。
 残念ながら、トレーナーじゃない俺はこの話題にはついて行けない。チャットへの入室は諦めて、俺はメールボックスを開いてみた。


「……ん?」

 新着メールが来ていた。どうせダイレクトメールだろう、と思ったのだけれど、知らない個人アドレスからだった。
 トレインさんへ、というタイトルから、どうやらサイト経由で送られてきたものらしい。
 開いてみると、文面は顔文字だらけだったけれど、大体こんなことが書かれていた。


『初めまして。私はヨーヨーといいます。

 いつもトレインさんの小説を読ませてもらっています。ナツキちゃんは私の友達にそっくりです。

 これからも頑張ってください。応援してます!』


 一応サイトはやっているものの、所詮は個人でやっている小さなもの。感想メールもこれまでにきたことはあるけれども、本当に数えられるくらいだ。素直に嬉しい。
 この『ヨーヨー』という人は初めてだ。コミュニティでも見たことがない。文面からすると女の子だろうか。
 ヨーヨー。そういえば昔流行ったことがあったっけ。俺の周りでもみんなやってたなぁ。懐かしい。


 メールに書いてある『ナツキ』は、俺の書いている小説の主人公。
 どこにでもいる、普通のトレーナーの女の子で……俺の幼馴染がモデルになっている。





「テッちゃん」
「どうしたんだ? ハル」


 ハルと俺は、ハルのお父さんと俺の親父が大学の先輩後輩だったこともあって、物心つく前から一緒にいた。きっと俺たちは、生まれる前からの縁なのだろう、と思っていた。


「私は絶対に将来、世界一強いトレーナーになる!」
「そっか、頑張れよ」
「テッちゃんもトレーナーになればいいのに」
「俺は生き物そんなに好きじゃないから、いいの」


 幼い頃から、何度このやり取りを繰り返したことだろう。ハルはしつこく誘ってきたけど、結局俺はトレーナーにはならなかった。

 ハルは小さな頃からポケモンが大好きだった。トレーナーになるという夢は、生まれて初めて将来のことを考えた時から、ずっと変わることがなかったように思える。
 好きなものは、と聞かれれば、ポケモンとオムライス、と答える。小さな頃から、俺はハルがそれ以外の答えをしたのを聞いたことはなかった。





 ハルによく似た友達、か。俺も会ってみたいな。
 懐かしい記憶を思い出しながら、俺はヨーヨーさんへの返事を書いた。
 感想を送ってくれたことに対する感謝を書いて、似たような友達がいるなんて奇遇ですね、というひと言を添えた。

 そう言えば、ハルからのメールも、いつも過剰なほど顔文字だらけだったなあ。



 それから、ヨーヨーさんは度々メールを送ってきた。
 二日に一回は、メールボックスに顔文字いっぱいの新着メールが届いていた。小説を載せると、必ず感想を送ってくれた。あの言葉にはとても感動した、とか、あそこでのナツキの気持ちを考えたら切なくなった、とか。シンプルだけど、細かいところまでよく読んでるなあ、と思える文章だった。
 感想が来ると、俄然やる気も出る。大学受験でほぼ停止していた去年の分を取り戻すように、俺はひたすらキーボードを叩いた。


 時は流れて、外の景色は、少し秋らしさを帯びてきていた。日中はまだまだ暑いものの、朝晩の風はだいぶ涼しくなった。
 昼間のテッカニンの鳴き声は小さくなって、夕暮れの空にはヤンヤンマの影が見える。日が落ちてから耳をすませば、コロボーシやコロトックの鳴き声も聞こえるようになってきた。

 夕暮れ時に窓から外を見ていると、アパートの前の道を、虫取り網を持った小学生くらいの男の子たちが走っていったのが見えた。小麦色に焼けた顔や手足は、少年たちがこの夏休み、太陽の下を走り回っていたことを見るものに伝えている。
 少年たちが過ぎ去った道を、今度はもう少し年上の、中学生くらいの男の子が歩いてきた。
 大きなリュックサックに、幅の広いベルト。泥と汚れだらけの服。ぼろぼろのシューズ。さっきの小学生たちに負けないくらい、真っ黒な顔。

 ああ、そうか。もうそんな時期か。
 八月の末。夏の終わり。
 長い長い夏休みの間、ポケモンを連れて旅に出ていた少年少女が、普通の学生に戻る時期だ。





 俺やハルが通っていた中学校では、夏や春の長期休暇中、ポケモンを連れて旅に出ることを許されていた。もちろん、ポケモン取り扱いの免許の取得と、定められた講習を受けることが絶対条件だったけれども。

 与えられた時間は、七月中旬から八月終わりまでのおよそ四十五日間。免許を持っている学生のほとんどは、夏休みにポケモンを連れて旅に出る。大抵はひとり旅だ。みんな旅に出たいのか、クラスメイトの半分以上は、中学に入る前に免許を取っていて、残りのほとんどは夏休み前に取得していた。ちなみに当然のごとく、俺は持っていなかった。


 ハルももちろん、旅に出た。相棒のポケモンたちを連れて、俺は行ったことのない遠くの町や深い森、高い山へ。

 夏の終わりが近づいて町に戻ってきたときのハルは、真っ黒に日焼けして、どろどろの格好をしていたけれど、すごく楽しそうに笑っていた。そして、仲良くなったポケモンや、きれいな色のバッジを色々見せてくれた。

 そしていつものように、オムライスが食べたい、と俺に言ってきた。





 すでに暗くなりつつある東の空を見て、随分日が短くなったな、と俺は思った。
 時計を見ると、六時半を示していた。そろそろ夕食の準備でもするか。

 冷蔵庫を開けると、鶏肉とピーマン、卵が目に入った。ご飯は冷凍庫にあるし、流しの下にはタマネギもある。
 ……そうだな。久しぶりに、オムライスでも作ろう。





 中学校に入った頃から、ハルの両親は海外出張が多くなった。だからハルは、しょっちゅう俺の家に夕飯を食べに来た。俺の両親も共働きだったから、大体は俺とハルの二人だけだった。ハルは残念ながら料理が下手くそで、どんなに頑張っても上手にならなかった。だから必然的に俺がつくることになった。

「ハル、何食べる?」
「私、オムライスがいい!」
「また? ハル、いっつもそればっかりだな」
「だってテッちゃんの作るオムライス、すっごくおいしいんだもん!」

 ハルがオムライスしか頼まないものだから、俺はオムライスを作るのだけは上手くなった。しかも、薄焼き卵で包むのじゃなくて、チキンライスに半熟のオムレツを乗せる奴。


 みじん切りのタマネギとピーマンと鶏肉を炒めて、ご飯を入れて、塩コショウとケチャップで味付け。それをお皿に楕円形に盛りつけて置いておく。
 卵を二つボウルに割って、塩、コショウと、少しの生クリーム。隠し味に砂糖を少々。
 熱々に熱したフライパンにバターをひとかけら入れて、卵液を一気に入れる。素早くかき混ぜて、まだ半熟の間にフライパンの隅に寄せる。
 火を弱めにしたら、フライパンをほんのわずか傾けて、柄の付け根を軽く叩く。そうすると、卵は勝手に回転して、きれいなオムレツ型になる。焼けたらすぐに作っておいたチキンライスの上に乗せて、真ん中に包丁を入れる。
 とろとろの中身が流れだして、チキンライスをすっぽりと覆ったら、完成だ。


 ハルはいつも幸せそうにオムライスをほおばった。あんまり嬉しそうに食べるから、俺もついつい頑張って作ってしまう。
 二人だけの食卓で、俺とハルは色々な話をした。
 今日の英語の小テストは難しかったとか、数学の先生のおでこがまた広くなったとか、部活で先輩に変なあだ名をつけられそうになったとか、長座体前屈でつま先に手が届くようになったとか、講習が難しいけど、乗り越えないと旅に出られないのだとか。
 ハルが旅から帰った後には、森の中で大きな虫に襲われただとか、ポケモンでの波乗りは船より揺れないのだとか、どこそこのジムでは苦戦しただとか、エスパーポケモンがいると物の持ち運びが楽だとか、自動販売機で三回も連続で当たりが出たこととか。
 数え切れないくらい、色々なことを。

 オムライスがなくなっても、俺とハルはまだまだしゃべり続けていた。
 俺にとっても、ハルにとっても、幸せな時間だった。





 オムライスを食べた晩、小説を一気に書きあげてサイトに乗せた。
 更新した小説は、ナツキとその幼馴染の男の子であるアキヒロが、二人でオムライスを食べながら会話をするというもの。昔あったハルとのやり取りを思い出して、懐かしくなった勢いで書いたものだった。

 翌日の昼過ぎ、ヨーヨーさんからメールが来た。相変わらず文面には、たくさんの顔文字が踊っていた。
 メールには、オムライスを食べるナツキがとても幸せそうだった、と書いてあった。いつも通り、シンプルな感想だった。

 だけど、その文をもう一度読み直して、俺は思わずディスプレイを凝視した。



『テッちゃんの作ったオムライスを食べるナツキちゃんが、とても幸せそうでした。』



 俺はわけがわからなくなった。背筋がぞうっとした。


 小説の中でオムライスを作ったのは、アキヒロ。

 現実に『テッちゃん』の作ったオムライスを食べたのは、ハル。

 ハルはナツキのモデルで、『テッちゃん』の幼馴染。

 そして『テッちゃん』とは、俺のこと。

 俺のことを『テッちゃん』と呼ぶのは、ネット上には誰ひとりとしていない。ましてや、俺のことを『テッちゃん』と呼んでいたのは、この世でたった一人しかいない。



「……ハル……?」



 俺は夏休みに入ってから来た、ヨーヨーさんのメールをもう一回全部見直した。
 文末に、文中に、これでもかと顔文字が使われている。
 その全てが、ハルがメールで好んで使うものばかりだった。


 サイトの掲示板にも、コミュニティにも現れない、『ヨーヨー』という名の人物。
 ハルと関わりがある人なのか。でも、そうだとしたら誰なんだ。

「ヨーヨー……ようよう……え?」


 思い出した。
 俺は生まれてからずっと『ハル』って呼んでたから、すっかり忘れていた。
 そうだ。確かにあの時、オムライスを食べながら言っていた。



 ハルの本名は、『陽世』。


 そして、部活で先輩につけられそうになったあだ名が、『ヨーヨー』。



 ヨーヨーは、ハルだった。


 すうっと、全身から血の気が引いた。

 だって、ありえない。そんなこと、絶対にあり得ない。

 だって、ハルは。ハルは。





 とっくの昔に、この世にはいないんだから。





 そうだ。ハルがこの世からいなくなって、もう四年も経つんだ。
 
四年前の、ちょうど今頃。夏がもうすぐ、終わるころ。


 長期休暇中、ハルは毎年と同じように、旅に出ていた。ポケモンを連れた、四十五日間の冒険の旅に。

 あの年の夏の終わり。数年ぶりと言われるほど、大きな台風がやってきた。
 上陸した台風は、田を荒らし、屋根瓦を吹き飛ばし、川をあふれさせ、そして。

 ハルが泊まっていた宿舎の裏の崖を、崩壊させた。


 前の晩、顔文字をいっぱい使って、俺に『オムライスが食べたい』というメールを送ってきたハルは、二度とオムライスが食べられない体になって戻ってきた。
 生まれる前から一緒だった俺の幼馴染は、手が届かないほど遠くへ行ってしまった。

 顔文字が山ほど使われたメールは、もう二度と、届かない。



 届かない、はずだったのに。



 俺はノートパソコンを閉じて、ベッドに倒れ込んだ。混乱していた。頭が痛い。
 だって、ヨーヨーはハルで、ハルはもういなくて、だけどメールが届いて。

 考えてもわからない。わけのわからぬ疲労感。
 俺はぐったりと目を閉じた。





 気がついたら、日が沈んでいた。
 俺はのっそりと起き上がって、ノートパソコンを開いた。インターネットのブラウザを開いてみても、今までと何ら変わりはない。


 俺はふらりと、いつものコミュニティのチャットをのぞいてみた。
 閲覧者は俺だけで、入室者は一人だけ。『ミラージュ』さんという、このコミュニティで小説を投稿している一人だ。確か、俺と同い年のトレーナーさんだったかな。

 入室すると、ミラージュさんはいきなり、「ちょうどよかった」と書きこんできた。


「トレインさんに伝えたいことがあるの」

「何ですか?」

「実は、私の使ってないサブアドレスから、いつの間にかトレインさん宛てにメールが送られていたみたいなの」

「えっ?」


 ミラージュさんの書き込みに俺は仰天した。
 俺宛てに、メール? ミラージュさんのサブアドレスから?


「もし必要なら、スクリーンショットをアップするけど」

「お願いします」


 ミラージュさんがアップしたメールのスクリーンショットを見ると、間違いなくそれは、俺に届いたヨーヨーさんからのメールだった。
 ヨーヨーさんのメールは、ミラージュさんのパソコンから送られていた。これは間違いないことのようだった。


「これは確かに俺のところに来ていたメールです」

「おかしいわね。私、このアドレスはずっと使ってないのに」

「ミラージュさんじゃないんですね?」

「違うわよ。トレインさん、私がいつも使ってるアドレス知ってるでしょ?」


 確かにそうだ。ミラージュさんとは何度かメールのやり取りをしたことがあるから、ヨーヨーさんのものと違うのは分かる。

 でも、じゃあ誰が?
 やっぱりハルが?
 でも、そんなわけ……。


 ……いや、待てよ。


 まさか、そうだ、もしかして……!
 うん。もしそうなら、全部納得できる。

 俺はすぐにチャットに書き込んだ。


「……ミラージュさん、あの、明日何か用事がありますか?」

「明日ですか? 特にないです」

「ミラージュさん、どこにお住まいでしたっけ」


 尋ねると、ミラージュさんはそっと教えてくれた。
 電車でおよそ二時間といったところか。不可能な距離じゃない。


「あの、もしよかったら、明日お会いできませんか?」

「明日ですか? うーんそうですね、まあ、いいですよ」

「ありがとうございます。それで、その時に……」





 駅近くのビルの前に着いたのは、約束した時間の三分前だった。
 辺りにはまだ誰もいない。俺が先に着いたみたいだ。

 俺は待ち合わせの目印にしていたビルのそばに立ち、ガラス張りの壁をじっと見つめた。今日は人がいないようで、中は暗い。まるで鏡のように、ガラスに俺の姿が映っている。
 足音が聞こえてきた。ビルのガラスに映る俺の後ろに、白い服の影が見えた。

「あの、トレインさん、ですか?」
「そのままで、聞いてください。ミラージュさん」

 急な呼び出しですみません。でも、どうしても確かめたくて。いいえ、構いません。言われた通り、連れてきました。ありがとうございます。
 俺はミラージュさんに背を向けたまま、顔をうつむけて、しゃべり始めた。

「俺の幼馴染に、ハル……陽世という女の子がいました。そいつはトレーナーだったんですが、四年前、事故で死にました」
「……」
「俺、最初はメールを送ってきたのは、ハルだと思ったんです。文体も、名前も、ハルでした。他にはいないと思ったんです」
「……」
「でも違った。いたんです、他にも。ハルのことを知っていて、俺のことも知っていて、ハルの文章を真似できる奴が」

 それで、ミラージュさん。
 続ける俺の声は、間違いなく、震えていた。


「教えてください。あなたのサーナイトは、元々……ハルのポケモン、ですよね?」


 俺は顔を上げた。
 ビルのガラスには、黒いワンピースを着た女性と、白い服をまとった、緑髪のポケモンの姿が映っていた。

 ハルが一番最初に出会ったポケモンは、ラルトスだった。
 それからずっと、キルリア、サーナイトと進化してからも、彼女はハルの一番のパートナーだった。
 ハルの手持ちの中で一番、ハルの近くにいたのが、彼女だった。

 ミラージュさんは、小さくため息をついた。

「……私は四年前、事情でトレーナーをなくしたポケモンを引き取りに、施設へ行きました。この子とは、そこで会いました」
「やっぱり、そうだったんですね」

 俺はふっと全身から力が抜ける感じがした。

 トレーナーが亡くなった時、手持ちのポケモンは、大抵の場合は遺族に引き取られる。
 しかし、遺族がポケモンを扱う資格を持っていなかったり、経済的な事情やその他何らかの理由でそのポケモンを引き取れない場合、ポケモンは施設を介して、他のトレーナーにもらわれていく。そういう制度があることは前から知っていた。

 ミラージュさんはため息交じりに続けた。

「親のトレーナーさんは、事故で亡くなってしまったと聞きました。同い年の女の子だったって聞いて、いてもたってもいられなかったんです」

 ハルが死んだ後、俺はハルの手持ちのポケモンがどこに行ったのか知らなかった。だからきっと、誰かにもらわれていったんだろうな、とは思っていた。
 まさか、こうやって再会するとは夢にも思わなかったけれども。


 今回の騒動のそもそものきっかけは、ミラージュさんがサーナイトに、俺のサイトの小説を読んで教えたことだった。
 サーナイトは知能が高く、人の言葉も大方理解するらしい。何より、意識をシンクロし、感情を読み取る力のあるサーナイトは、ミラージュさんの心を介してより深く感じ取ることができたのだろう。そしてその話の内容から、ミラージュさんの言う『トレイン』が俺であること、ハルの幼馴染だった『テッちゃん』であることも理解したのだろう。
 それからサーナイトは、努力してキーボードの打ち方を覚えた。俺が気がついたのも、いつぞやのチャットで、ミラージュさんが「サーナイトがキーボードの打ち方を覚えた」って言っていたのを思い出したからだ。
 そして文字の書き方を覚えたサーナイトは、ハルがいつも打っていたメールを真似して、俺にメールを書いた。


 サーナイトが本当にきちんと言葉を理解していたかはわからないけれど。

 ハルがどんな気持ちの時に、その文字を書いていたか。
 ハルがどんな思いを込めて、その文章を打っていたか。

 それは誰よりも、彼女がわかっている。



 ミラージュさんが声をかけてきた。

「トレインさん。この子が何か伝えたいことがあるみたい。少し聞いてあげてくれないかしら?」
「もちろん、いいですよ」

 ミラージュさんはカバンからノートパソコンを取り出して、サーナイトに渡した。サーナイトは少しためらいがちにパソコンを開き、たどたどしい動きでキーボードを押した。
 打ち終わって、画面を俺に向けた。やっぱり、無駄に顔文字が多い。


『テッちゃん、お久しぶりです。』

「うん、久しぶり」


 ハルは、生き物がそんなに好きではない俺の前では、手持ちのポケモンを出すことはあまりなかった。だけど、このサーナイトはハルの一番のパートナーなのだから、さすがにお互い面識はある。
 サーナイトはまたかちかちとキーボードを叩いた。


『最後まで、伝えられなかった言葉があるの。

 何度も何度も、書いては消して、書いては消して。でも、伝えられなかった。

 だから、私が代わりに伝えます。』

「……うん」


 サーナイトは微かに笑った。


 ああ、そうだ。俺も、最後まで伝えられなかったことがあったんだ。
 伝えなきゃ伝えなきゃ、と思って、最後まで伝えられなかった言葉が。


 サーナイトは俺に画面を向けた。

 顔文字は、ひとつも入っていなかった。



『テッちゃん、いつもありがとう。

 テッちゃん、大好きだよ。』



 ああ、参ったな。
 名前以外、一語一句違わないなんて。


 目の奥がじわりと熱くなった。堪えようと思っても、次から次からあふれてくる。
 それなのに、言いたい言葉が、喉の奥から出てこない。届ける先を失って、飛びだすあてが見つからない。



 俺の言葉は、伝えられないんだ。

 もう、ハルはいないんだ。





 ひとしきり泣いて、俺はようやく落ち着いた。ミラージュさんはじっと待ってくれるどころか、俺に濡らしたハンカチを貸してくれた。すみません、とありがたく受け取った。
 サーナイトはそっと頭をなでてくれていた。赤い瞳が濡れているのは、感情をシンクロする能力によるものなのだろう。

 ミラージュさんが明るく笑って、俺に言った。

「さ、トレインさん。笑って笑って。そう言えばもうすぐお昼時ですよ。お昼、ご一緒にどうですか?」
「はい、ありがとうございます」

 ハンカチで涙をぬぐって、俺は無理やり笑顔を作った。
 この辺りなら、おいしいお店たくさんありますよ、と地元民のミラージュさんが言った。


「トレインさん、何か食べたいもの、あります?」


 ミラージュさんが尋ねてきた。俺は軽く笑って言った。



「オムライスが食べたいです。薄焼き卵で包むのじゃなくて、オムレツが上に乗っているタイプの」





【2011.08.29:未だ手つかず】


  [No.1811] 【おまけ】太陽、ひまわり、キーボード 【お題:陽】 投稿者:久方小風夜   投稿日:2011/08/29(Mon) 17:50:40   182clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:おまけ】 【以外の】 【何ものでも】 【ない】 【(^▽^)ノ

いわゆるおまけのような何かです。


++++++++++


 長期休暇が待ち遠しくてたまらなかった。
 小学生の頃は夏休みとして。どこで誰とどのように遊ぶか。45日の間、何をするかが一番の楽しみだった。
 中学生からは少し変わった。今年はどこに行こうか。どんなルートで行こうか。行った先で何をしようか。45日の間、どこに行くかが一番の楽しみになった。

 私の通っていた中学校では、夏の長期休暇の間、ポケモンを連れて旅に出ることを許されていた。
 自主性と社会性を育むことを目的としていて、ポケモンを取り扱う資格さえあれば、どこへ行っても、何をしてもよいことになっていた。一種の職業体験のようなもので、旅の間のことは詳細なレポートを書いて学校に提出しなければならないから、そうそう危ないことはできないけれども。それでも、大抵のことは自己責任だった。
 将来職業トレーナーを目指す人も、そうでない人も、免許を持っている人のほとんどは旅に出た。
 長期休暇が待ち遠しかった。


 空は連日の雨模様から綿雲を纏った青空へ。道端の花は紫陽花から向日葵へ。
 彼女との出会いは、夏が本格的に始まるころだった。


 高校へ進学した私はこの夏、トレーナーとして少しステップアップすることを目指していた。
 中学生のころは、色々なところをとにかく歩きまわって、気の合った人とたまにバトルをして過ごしていた。
 でも今年からは、本格的にバトルを極めていこうと思っていた。ポケモンを鍛えて、ジム巡りをして、高校卒業と同時にリーグへ出場できるくらいになることが目標だった。

 そのためには、まずポケモンを整えなければならない。
 私の一番のパートナーは、オオタチのたんぽぽ。お父さんに付き添われて、私が初めて捕まえたポケモン。
 でも生憎、たんぽぽはそんなに強くない。バトルを極めるなら、やっぱり強いポケモンを手に入れて育てないといけない。
 そこで私の特性、優柔不断が発動する。どのポケモンを捕まえて育てればいいのか、悩んでしまってどうしても決められない。

 困ったなぁ、と思っていた時、バトル雑誌の小さな広告が目に入った。


 夏休みが始まる直前の日曜日、私はその施設を訪れた。
 何らかの事情で、トレーナーと一緒にいることができなくなったポケモンたち。
 人間の手がかかったポケモンの中には、野生のポケモンたちと比べると強すぎたり、野生ではほとんど持ちえない技や特性を持っていたりすることがあって、そのまま野生に返すことが出来ない子がいる。この施設は、そういうポケモンたちを他のトレーナーに引き取ってもらうためのものだ。
 参考程度にならないかな、と思って、私は施設に足を踏み入れた。

 施設では色々な種類のポケモンたちが、檻やボールに入れられていた。
 トレーナーに捨てられた子たちが大半だった。特に大型のポケモンは、自分で世話をするのが嫌になって、逃がしてしまうトレーナーが多いそう。他に、トレーナーがポケモン取り扱いの免許の取り消しを受けて差し押さえられたポケモンとかもちらほらいた。
 小型のポケモンや危険性の少ないポケモンは檻の中に、大きかったり危険なポケモンはボールに入っていた。


 どうしようかな、と思っていた私の前に、彼女はいた。


 檻でもボールでもなく、少し背の高い柵の中。
 緑色の細い腕で、白いスカートを抱え込むように、彼女は座っていた。

 彼女だけ柵という特異性だけでなく、彼女は醸し出す雰囲気が他のポケモンたちと全く違っていた。
 嫌悪感をこちらに向けてくるわけでも、懐っこい視線を送ってくるわけでもない。ただじっと、赤い目でこちらを見てるだけ。
 細い体に、真っ白な体に、その人形のような雰囲気はぴったりとはまっていた。

 彼女の、そのサーナイトの様子は、どう見ても他のポケモンたちとは違っていることが明らかだった。


 私は施設の職員さんに、サーナイトのことを聞いてみた。
 職員さんにとってその質問はよくあることらしく、ため息交じりに答えてくれた。

 彼女は、トレーナーと死別したポケモンだった。

 不慮の事故でトレーナーが亡くなってしまって、この施設へ引き渡されたそうだ。
 それは今から1年近くも前のことで、彼女は施設に来てから今までの間、ずっとあの様子らしい。
 これでもかなり、こちらに心を開いてくれたほうなんだよ、と職員さんは言った。

「本当に、心苦しいことだよ。あのサーナイトのトレーナーだった女の子は、まだ中学三年生だったらしいからね」

 職員さんはため息交じりにそう言った。

 肌にぞわりとした感覚が走った。


 1年前に、中学三年生。

 それじゃあ、私と全く同い年じゃない。


 気がつくと、私は必死に、職員さんにこのサーナイトを譲ってほしいと頼んでいた。
 職員さんは渋った。これまでにも、サーナイトを引き取りたいと言ってきた人はたくさんいたみたい。でも、サーナイトが心を開いてくれなくて、結局誰も引き取ることができなかったらしい。
 その気持ちは私も理解できる。私だったら、自分のポケモンと死に別れるなんて辛すぎる。このサーナイトもきっと、死ぬほどつらいんだ。

 その時、私の腰につけていたボールが大きく揺れて、たんぽぽが勝手に飛び出してきた。
 たんぽぽはふるふると頭を振ると、ぴょんととび跳ねて、柵の中のサーナイトに飛びかかった。

「ちょ、たんぽぽ! やめなさい!」

 私は慌ててたんぽぽをボールに戻そうとした。たんぽぽはサーナイトの前で、オオタチ特有のどこから始まっているかわからない長い尻尾をふりふりと振って、首をかしげてニコッと笑った。ああもう何この子かわいい。じゃなくて、早く戻さないと。
 たんぽぽは長い胴をサーナイトの膝の上に横たえて、きゃっきゃと笑いながら尻尾でサーナイトをくすぐった。う、うらやましい。じゃなかった。

「こらーっ! たんぽぽ! 止め……」

 その時だった。
 それまで呆然とたんぽぽを見ていたサーナイトが、声を上げて笑いだした。
 サーナイトが笑って嬉しくなったのか、たんぽぽは自分のしっぽをつかんでころころと回り始めた。サーナイトはまたけらけらと笑った。
 私と職員さんは茫然とした。たんぽぽとサーナイトは2匹で楽しそうに遊び始めた。


 こうして、サーナイトは私のポケモンになった。




 夏休みが始まってすぐ、冒険を始めるより先に、私は家電屋へ走った。これから旅を始めるにあたって、一番大事なツールの最新型を買うために。
 それは携帯端末。いつでもどこでも、すぐにネットにつなげられるもの。

 ちょっと前まで、旅で一番厄介なことは、道具の持ち運びだった。
 トレーナーの道具は多い。ボールや薬品類やわざマシン、移動に使う自転車、それに野宿するためのテントや寝袋、食器類。どんなに頑張ってかばんに詰め込んでも、カバンの容積には限界がある。
 道具がデータ通信で送れるようになってから、トレーナーの旅はだいぶ楽になった。いらないものを全部パソコン通信で自分の家に送り届けてしまえば、カバンの中にはかなり余裕ができる。
 そして最近はもっと便利になった。ノートパソコンみたいな携帯端末の性能が上がったから、いつでもどこでも、道具を出し入れできるようになった。
 ショップでの買い物は物品を直接もらわずに、自分専用の倉庫のような場所に保管される。旅の途中で使うときは、その倉庫からその都度引きだせばいい。万が一の時のために、ボールや薬をいくつか入れておけばいい。
 今はまだ道具だけだけれど、ポケモン通信もいつでもどこでも出来るように研究が進められているらしい。今は持ち切れなくなったポケモンを一方的に自分のボックスに送るだけだけれど、海の向こうではもう、他人との通信ならばいつでもどこでもボックス同士でも可能になってるとか。将来的には出し入れ自由に出来るようにするのが目標らしい。確かにそうなれば便利だけど。

 というわけで、私は新しいノートパソコンを探していた。タッチパネル式の携帯端末も出始めているけれど、そっちはもうちょっと改良されてからにしようと思っている。まあ、画面に指紋が付くのもちょっと嫌だし。
 2時間くらい売り場で迷って、画面が大きくてきれいで軽い、ポケモントレーナー向きのものに決めた。OSも去年出たばっかり。15メートルの高さから落としても大丈夫。耐水・耐火・耐電・耐振動性もバッチリ。ちょっと値は張ったけど、まあいいか。
 ぴかぴかのパソコンをカバンに入れて、私は冒険の旅に出た。



 45日間の冒険の旅。
 海を渡り、川を渡り、野を超え山を越え、人ごみにもまれ、いろんな人と出会い、別れ、そしてまた出会う。

 サーナイトは日に日に元気になっていった。
 施設で引き取ったポケモンは、私がボールを投げて捕まえたわけじゃない。でも、ボールに登録されるトレーナーのIDコード、いわゆる「おや」のデータは私になる。
 元の持ち主の情報も、詳しいことはプライバシーの保護で一切分からない。名前も、住所も、IDも。
 ポケモンに聞いても、人の言葉はしゃべれないから、わからない。
 私が知っていることは、彼女の元の持ち主が、私と同い年の女の子だった、ってことだけ。

 彼女は、とても太陽が好きだった。
 楽しいことがあると、太陽のように輝く笑顔を私に見せてくれた。
 そして彼女は、太陽によく似た花のことも大好きだった。

 私は彼女を、「ひまわり」と呼ぶことにした。

 ひまわりと一緒に、私は各地を渡り歩いた。
 旅の時間は短い。たったの1ヶ月半しかない。だからその間に、出来ることはなるべくたくさんしようと思った。

 初めて見るポケモンと出会った。草むらに入るのがいつも楽しみだった。
 知らない町に行った。自分と全然違う生活をしている人と、その人と一緒に暮らすポケモンに会った。
 初めてジムに行った。最初はぼろぼろだった。諦めずにポケモンを育てて、戦略を練り、ようやく勝てるようになった。



 ある時、数日雨が続いた。
 雨具を着れば冒険はできるけれども、折角だから少し休憩することにした。
 学校に提出するレポートをまとめたり、これからの予定を立てたり。

 退屈になったから、少しネットをすることにした。
 この時期は全国色々なところで冒険している人たちがいる。そしてその人たちの中には、旅の日記をサイトやブログで公開している人がいた。他のトレーナーさんの情報を見るのは楽しかった。

「……ん?」

 サイト巡りをしていて、気になるものを見つけた。
 トレーナーやポケモンに関する小説のコミュニティサイト。名前も年齢も、住んでる場所も職業も知らない色々な人が、掲示板に小説を投稿していた。
 長い話。短い話。旅のトレーナーの話。日常のちょっとした話。ポケモン視点の話。お店で売っている本では読めない小説がたくさんあった。
 こんなサイトがあったなんて。私は夢中で、そこにある小説を読み始めた。

 その日から、私の日課に、そのサイトを閲覧することが加わった。

 更新される小説を読んでいると、だんだん自分も書きたくなってきた。
 もし私が、トレーナーじゃなかったら。
 もし私が、旅の途中で伝説のポケモンに出会ったら。
 もし私が、とんでもなく悪い奴と戦わなければならなくなったら。
 もし私がいるこの世界に、ポケモンがいなかったら。
 自分の生活で、旅の中で、もしこうだったらなぁという願望はいつも有り余っていた。
 到底実現するわけのない願望もたくさんあったけれども、小説の中でならそれを現実にできる。疑似体験できる。そして私の作ったその世界を、誰かに見てもらえる。

 キーボードを叩いて、私は短い話をひとつ書きあげた。
 本名の『美良子(みよこ)』をもじって、『ミラージュ』と名乗ることにした。


 夏はあっという間に終わった。私の冒険は、次の長期休暇まで持ち越しになった。
 旅のレポートを提出して、またいつもの学校生活に戻る。
 コミュニティサイトの閲覧と投稿は変わらず続けていた。併設されているチャットにも顔を出すようになった。サイトに来ている人はわたしと同じトレーナーの人がほとんどだったから、話が弾んだ。
 いくつか話を書いたころ、自分のサイトを開いた。
 旅に出ていない間、私はパソコンの中で違う世界を冒険することができた。




 小説を書き始めて、半年が経った。
 コミュニティサイトでもすっかり常連になった。仲のいい作者さんたちもたくさんできた。
 春休みに旅に出るか悩んだけど、今年は近場でポケモンを鍛えることにした。この夏に向けてトレーニング。今年はジムをいっぱい制覇したい。

 いつものように小説を読んでいると、ひまわりが寄ってきた。いつも私が機械に向かって何をしているのか気になってたみたい。

「今、お話を読んでるの。いろんな人がトレーナーの小説を書いてるのよ」

 私がそう言うと、ひまわりは画面と私の顔を何度か見た。読んでほしいの? と私が聞くと、ひまわりはこくこくとうなずいた。ひまわりがとてもかわいかったから、私はさっき読んだ短編を、情感たっぷりに読んであげることにした。
 ひまわりはじっと話を聞いていた。読み終わると、次は? と言いたげに首をかしげた。かわいい。
 続きはまた明日ね、と言うと、ひまわりはちょっと拗ねた顔をした。やっぱりかわいい。

 それから毎日、私はお話をひまわりに読んであげた。
 ひまわりが特に気にいった様子だったのは、私と同じ頃にサイトを開いた人の長編だった。
 『トレイン』というハンドルネームのその人は、私と同年代で、トレーナーじゃないけどトレーナーの小説を書いていて、それが結構リアリティに溢れていて面白かった。年ごろと書き始めた頃が私に近かったのもあって、お互い切磋琢磨し合うライバルのような存在だった。
 ひまわりは事あるごとに、トレインさんの小説を読んでほしいとせがんだ。こんなに好かれてるなんてうらやましいなあ、と私は思った。


 ある日、私が用事から帰ってくると、ひまわりが私のパソコンの前に座っていた。
 画面を見て難しそうな顔をしている。見ると、いつも小説を書くのに使っているメモ帳に、めちゃくちゃな文字列が並んでいた。

「……ひまわり、文章書きたいの?」

 私がそう聞くと、ひまわりは恥ずかしそうに頬を染め、小さくうなずいた。かわいすぎる。
 サーナイトは人に近い姿をしているけれども、人じゃないから文字を理解することは難しい。仮に文字を理解できても、文章を自分で作るのはもっと難しい。
 でも、もしかしたらできるかもしれない。昔どこかで、人に化けて生活するキュウコンやらゾロアークやらメタモンやらの話を聞いたことがある。ひまわりだって文字は読めないけど私が読む小説の内容を理解しているみたいだし。
 もしひまわりが文章を打てるようになったら、サーナイトの書く小説なんてものも読めるかもしれない。それはぜひ読んでみたい。

 その日から私は、ひまわりにキーボードの打ち方を教えるようになった。





 私が小説を書き始めてから3年が経った。
 高校を卒業して、私は大学へは進まず、トレーナーになることにした。高校時代にバッジはほとんど集めた。これから先はポケモンを鍛えつつ、残ったバッジを回収してポケモンリーグへの出場権を得ることが目標。
 バイトをして費用を稼いで、空いた時間に小説を書く。お金がたまったら旅に出る。なかなか忙しい毎日を送っていた。

 地道にキーボードの打ち方を教えた結果、ひまわりはとうとう文章が打てるようになった。
 サーナイトは腕は細いけれども指は結構太いから、なかなか軽快にはタイピングできない。パソコンを覚えたての人が1つひとつキーを押していくように、ひまわりもゆっくり丁寧に文章を打ち込んだ。
 たまに教えてもいないのに顔文字なんてのも挟まっていて、ポケモンの成長ってすごいなぁ、と思った。


 ある日私は、いつものコミュニティのチャットに入った。誰もいない。閲覧者もいない。まぁいずれ誰か入ってくると思う。
 何気なく、普段使っていないメールサーバーを開いてみた。2年前にフリーのアドレスを取ってから、使っていないはずだった。
 でも、履歴を見ると、なぜかつい最近使った形跡があった。
 こちらから送られたメールは、ほとんど顔文字で埋め尽くされている、女子中高生っぽいメール。
 そして送り先は、トレインさんだった。

 私は顔文字なんてほとんど使わないし、最近トレインさんにメールを送った記憶もない。
 気味が悪い。とりあえずトレインさんに連絡した方がいいかな。

 そう思っていると、都合よくトレインさんがチャットに入ってきた。
 トレインさんにメールの旨を伝えると、何か思い当ることがあったみたいで、明日会えないかと言われた。ちょっとびっくりしたけど、私も気になることだし、次の日はバイトもなかったので了承した。
 これまでオフ会は参加したことがなかったのだけれど、まさか初めてのオフがこんな形になるとは思わなかったなあ。
 トレインさんは、ひまわりも連れてきてほしいと言ってきた。



 次の日、私はひまわりを連れて、パソコンも持って、待ち合わせの場所に行った。
 駅近くのビルの前。ビルに向かって立っている男の人がいた。
 トレインさんは、想像していたより背が高くて華奢な人だった。私の周りの男性がほとんどトレーナーで、旅の中で鍛えられた人たちばかりだから余計にそう見えたのかもしれないけれど。


 連れてきて、と言われた時から薄々そうじゃないかとは思っていたけど、トレインさんにメールを送っていたのは、ひまわりだった。
 トレインさんの話によると、トレインさんが小説の主人公のモデルにしていた女の子が、何とひまわりの元のトレーナーなのだという。
 確かに、トレインさんの小説の主人公はサーナイトを持っている女の子だった。私は、ひまわりがトレインさんの小説を気に行った理由はそのせいだと思っていたのだけれども、どうやらそれだけじゃなかったみたい。
 モデルの子……陽世さんに聞いた話を元に、トレインさんは小説を書いた。体験談のたっぷり詰まったその物語の主人公は、まるで陽世さんそのものだった。
 だからひまわりは気がついた。物語の主人公と、それを書いている人の正体に。


「ハルはメール魔だったんです。旅に出ている間も毎日毎日、俺にメールしてきました。顔文字を使うのが大好きで、文章より顔文字が多いくらいで。きっとサーナイトは、ハルがメールを書いている様子を見て、メールの送り方を覚えたんでしょうね」

 トレインさんはオムライスを食べながら、懐かしそうにそう言った。

「高校に入った頃に、今の小説コミュニティを知ったんです。話を読んでいるうちに、俺も書きたくなって」
「わかります。刺激受けますよね」
「ですね」

 汗をかいたお冷のグラスをテーブルに置いて、トレインさんは小さくため息をついた。

「……もしハルが生きてたら、まだ冒険を続けてたら、きっともっといろいろな、楽しいことがあったんだろうなって。俺がキーボードを叩けば、ハルはまだ旅を続けられる」
「駄目ですよね。いい加減にしろこの未練たらたら男、って今頃怒ってるかもしれない。でも、もう少しだけ続けていたいんです。気持ちの整理がつくまで、もう少しだけ。……やっぱりまだどうしても、忘れられないんです」

「ハルは俺の親友で、幼馴染で、俺の……俺の、初恋の人だったから」

 最後だけ少し照れくさそうに、トレインさんが言った。




 目を離すと、たんぽぽが道端の青草をかじっていた。置いて行くわよ、と声をかけると、たんぽぽは慌てて走ってきた。
 ひまわりはどことなく軽い足取りで、私の隣を歩いていた。懐かしい風景に嬉しくなったのかもしれない。

 私は教えてもらった家のチャイムを鳴らした。しばらくすると、若草色のエプロンをつけた女性が出てきた。私は少しドキドキしながら言った。

「は、初めまして。連絡差し上げました……このサーナイトの、今のトレーナーです」

 陽世さんのお母さんは、お待ちしていましたよ、と私とひまわりを温かく出迎えてくれた。


 お仏壇に手を合わせた。初めまして、と心の中で挨拶した。
 写真の中の女の子は、輝くような笑顔を浮かべていた。笑った時のひまわりによく似ている、と私は思った。

 陽世さんのお母さんは、お茶をどうぞ、とガーデンテラスへ案内してくれた。
 たんぽぽが、花壇のマリーゴールドに鼻先を近づけて、においをひくひくと嗅いでいる。ひまわりはそっと私の隣のいすに座った。
 今朝咲いたであろう朝顔の花はしぼみ、薄茶色の殻につつまれた種がいくつもできている。枯れかけの向日葵は黄色の花弁を散らし、大きな頭をぐったりとうつむけて立っていた。
 私は紅茶と、ブルーベリーがたっぷり乗ったケーキをいただいた。ひまわりはとても嬉しそうにしている。この子、ラルトスの頃からこれが好きなのよ、と陽世さんのお母さんが教えてくれた。


「私も旦那もポケモンの扱いには慣れていなくて、周りに世話してくれるような人もいなくて。それで仕方がなく施設へ預けたんだけど、その後のことって教えてくれないでしょ。とても心配していたのだけれど、あなたみたいな優しい人にもらわれて本当によかったわ」
「いえいえ。お母様やひまわりを見ていると、陽世さんがとてもいい人だったんだなっていうのが分かりますよ」
「あらやだ、嬉しいこと言ってくれるわね」

 陽世さんのお母さんはそう言って照れたように笑った。ひまわりもぽっと顔を赤くした。

「陽世さんのお写真を見せていただきましたけど、とても笑顔がまぶしい人だなと思いました。まるで太陽みたいな」
「そうね。私たちの願いどおり、明るくて元気な子になったわ。あの子の名前はそう願ってつけたの。この世を照らす太陽のみたいな子になりますように、って」

 太陽。そうか、太陽。
 ひまわりの笑顔は、陽世さんから受け継いだ太陽だったのね。




 夕日が電車の中を赤く染める。
 ひまわりが何か言いたそうな様子だったので、パソコンを渡した。
 かちかちとキーボードを叩く音。

 ひまわりが画面をこちらに向けた。笑顔の顔文字がひとつ書かれていた。
 私が笑うと、ひまわりも輝くような笑顔を向けた。



 電車は山間の道を進む。私は窓を開けた。涼を含んだ風が髪を揺らした。
 もうすぐ、夏が終わる。




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