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  [No.1829] ローレライ 投稿者:紀成   投稿日:2011/09/04(Sun) 19:03:11   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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おお、苦悩の嵐よ 止まずにいておくれ
この苦しみが私を 死なせてしまうまで!

声が出ない。
漢字を入れれば五文字、平仮名で六文字。たったそれだけの数の文字が、私の運命を大きく狂わせた。
私の声は今、別の人の中にある、それを入れたおかげで彼女らは喋れるようになり、微妙に喜んでいるように見えた。
でも彼女らは歌わない。歌うことを知らないから。
返して。私の声を返して。それは歌うためにあるのよ!
でも声を奪われた私は何も言うことが出来ない。誰かに切り刻まれようが、踏まれようが、首をもぎ取られようが、悲鳴も苦痛の声も上げることが出来ない。
だって私は――


その高校には、名物があった。高校には珍しいオペラ研究会と、そこに所属する歌姫だ。
彼女の歌を聴いた者は一瞬にして彼女の声に囚われてしまう、何度かストーカー事件になったこともあり、学校側は彼女が年に一度の文化祭でやるオペラ以外で歌うことを禁じた。
彼女の歌でオペラ研究会がなっていたと言っても過言ではない。

だが。

喉の調子がおかしくなったのは、彼女が高三になったばかりの春だった。
声が上手く出ない。声を出すと、喉が酷く痛むようになった。周りの薦め、というよりかは強制的に病院に行かされた彼女が知ったのは、

声を出してはならない、ということだった。

色々レントゲンの写真を見せられて解説されたが、全く覚えていない。ただはっきり分かるのは、喉に悪性の腫瘍が出来ていて、取らなければ命にかかわるということ。
そしてまた取ったとしても、二度と歌が歌えなくなるということだった。
「日常生活に支障はありません。歌うのを我慢するだけですから」
感情の無い声でそう言われ、彼女は元からこんな声だったらこんな思いはしなかったのかなとふと思った。

トボトボと帰る彼女の目に、一軒の店が飛び込んで来た。さっきまで無かった店が、病院から数百メートル離れた路地にいきなり建っている。
外装はヨーロッパに古くからある民家を思わせるような石造り。ドアは鏡になっていて、そこだけが酷く合っていない。
「…」
何故かは分からない。だが、引き寄せられるようにその店に向かって行った。
小石を組み合わせて造られた看板の文字は、『黄昏堂』
なんだか妖しい雰囲気が漂っていた。今思えば、何故気付かなかったのかと自分を責めたくなる。
だって、意味が無ければそんな店が私の前なんかに姿を現すわけなかったのだから。

店内は沢山の商品が展示されていた。どれもこれも見たことが無く、また『本当に効果があるの?』と言ってしまいそうになるくらい不思議な物だらけ。
「いらっしゃい」
いつの間にか背後に女の人が立っていた。黒いドレス(何故かフード付)を着、煙管をふかしている。神秘的というか、ミステリアスというか。
簡単に言うと、すごく美人だ。
「あの、」
「分かってるよ。アンタの望みは、その喉を治すことだろう?
だけどね、うちは薬屋では無いし、万能薬なんて便利な物も扱ってないんだよ」
何もかもお見通しのようだ。私は言った。
「喉なんてどうなってもいい!私はただ、自分の歌が二度と聴いてもらえなくなるのが嫌なのよ」
「しかし、喉が無ければ歌は歌えないぞ?」
「一度だけ…もう一度だけでいいから歌いたい。聴いた人が一生忘れられなくなるような歌を歌いたい。
…その後はどうなってもいいから」
その人はフウとため息をついた後、店の奥に入って行った。数分後、綺麗な薄い青色の液体が入った瓶を持ってやって来た。
「これはチルットやチルタリスが歌う歌を調合して作った薬『ローレライ』。歌う直前に飲めば、その歌を歌い終えるまで喉の状態を最高にしてくれる」
「本当?」
「ただし、使った後どうなるかは私にも分からない。それでもいいというのなら、持っていけ。だが一回きりしか使えない。よく覚えておくんだ」
「…ありがとう」
そう言って受け取った瞬間、私は自宅の自室にいた。カレンダーが黄昏時の光を浴びて白く輝いている。次の大舞台は、十月。
文化祭だ。

「ねえ、大丈夫だった?」
次の日学校に行くと、友達が大勢押し寄せてきた。私は笑顔で言った。
「うん、大丈夫。ただしばらくは歌わない方がいいって」
「えー!?」
「文化祭は出るからさ、皆見に来てね」
不安そうな皆の顔を見て、私は薬のことを思い出した。もし今の状態で練習して歌っても、酷い声を出したら役を降ろされてしまうかもしれない。
なら、一発本番にかけるしかない。

『マダム、あの薬を使って何をするつもりだ』
「まあ見ていろ。どうせならその瞬間を直に見てきたらどうだ?悪狐のお前なら、人間に化けることなど目をつぶっていても出来るだろう」
三人娘がゾロア達と遊んでいた。ディッシュ、タオル、ステッキと名付けられた三人は、最近はずっと黄昏堂で遊んでいる。
「さて、ヘルガーの角で作ったフラスコを用意しておかないとな。
…その日が楽しみだ」

文化祭のオペラ研究会の出し物は、モーツァルト『魔笛』厳しいチェックとオーディションで私はソプラノのメイン、夜の女王役を取った。
本番は午後二時。薬は衣装のポケットに入れてある。
「頑張ってね」
「応援してるからね」
皆にそう言われる度、私は作り笑いを浮かべる。
(私から歌を取ったら、何も残りはしない…)
なら、それが終わった後で死んでしまえばいい。私の姿と声を目と耳に焼き付けるんだ。

本番が始まった。着々と話は進む。裏切られたと知った夜の女王は娘に怒りと縁切りを言い放つ。
薬を飲み干した。一発勝負だ。舞台がいやに暗く見えるけど、気のせいだろう。
拍手と歓声。ピアノのイントロ。私は歌う。全てを賭けて。

『地獄の復讐がわが心に煮え繰り返る
死と絶望がわが身を焼き尽くす!
お前がザラストロに死の苦しみを与えないならば、
そう、お前はもはや私の娘ではない

勘当されるのだ、永遠に
永遠に捨てられ、永遠に忘れ去られる
血肉を分けたすべての絆が
もしもザラストロが蒼白にならないのなら!
聞け!復讐の神々よ、母の呪いを聞け!』

ただ夢中で歌っていた。ピアノの音もあまり聞こえない。視界が霞み、力が抜けていく。
足と手の感覚が、無い…

パリン、という音がした。

「あー…フラスコ割った」
黄昏堂の奥にあるマダム。トワイライトの書斎兼研究室。ビーカー、フラスコ、試験管などが立てかけてある。その中には、ボコボコと音を立てる謎の液体もあった。
「やはりガラスはダメだな。長持ちしないし、何より効果が全く追加されない」
ヒードランの顎で出来た鍋に、割れたフラスコを入れる。一瞬にして溶け、水溜りのようになった。
『マダム』
ゾロアークが入ってきた。疲れた顔をしている。
「お帰り。どうだった、大量の人間が集まる場所は」
『二度と行きたくない。――そして、あの娘の記憶は誰の中からも削除されていた』
「ああ」
マダムがヘルガーの角で作ったフラスコを取り出した。今は空だが、先ほどまである物質が入っていた。

そう。
彼女の『声』だ。

「あの薬はチルットとチルタリスの『ほろびのうた』から作った薬なんだ。
使えば肉体消滅、そしてジラーチの短冊を一枚入れることにより精神を深い眠りに落とすことが出来る」
貴重な短冊を一枚丸々使ってしまった、とマダムはぼやく。千年に一度しか目覚めないジラーチは、素材を取るのも難しいのだ。
「その隙に声を抜き取り、魂を人形に変えた――と。あの人形、私が何かしない限り一生動かないぞ」
『何のために』
「長年の付き合いであるからには、理解して欲しいが…まあいい。
それは――」

「まだむ?」

三人娘が顔を覗かせた。驚くゾロアーク。
「どうした」
「あの、さ、ふぁんとむ?まって、る、よ」
「ありがとう。今行くと伝えてくれ」
「ん」
三人娘が出て行った後、ゾロアークが言った。
『まさか、あの三人に』
「飲み込みが早いな。まだ平仮名しか読めないが、きちんと学習していけばそのうちどんな言語も話せるようになるだろう」
『マダム…』
マダムはフッと笑った。
「流石に声が無いのは気の毒だと思ってな。分けて与えたんだ。
素敵な声だろう?」
『…若い娘に恨みでもあるのか?』
「まさか!」

「相手が死に同意しているのならば、手助けして良い素材は取っておくのが妥当だろう?」

ああ、あの人が誰かと話をしている。きっとあの人は、私よりも賢いんだろう。だって、あの人に向かって呆れた顔をしているから。
今度の私の声の持ち主は、三人の女の子。あの三人は、これから沢山話したり、歌ったり出来るんだろう。

一体、私は何のために生まれてきたんだろう。
何のために…

人形の目のボタンから、小さな雫が一つ落ちた。
それに気付く者は、誰もいない。