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  [No.1884] 被・検体 投稿者:moss   投稿日:2011/09/19(Mon) 03:30:20   56clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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「助けてください!」

 そう言ったのはまだ年端もいかぬ幼き少年。

 冷酷無慈悲と有名な男は、

 しばし、困った。



 広場の時計は12時を指した。数ある屋台で買い物を済ませた主婦や、いまだに商品の値下げを迫る女性で溢れている。
八百屋、万屋、魚屋、肉屋など。商店街のように連なる屋台に今日もいつものように足の踏み場も無い状態。
そんな中、彼女らは珍しい光景を目の当たりにした。

 そんな中彼は困っていた。全身を覆うような黒いロングコートをはおり、履きなれた感の染み出す革靴をかつんと踏み鳴らす。
その風貌は女だらけの周りからかなり外れた雰囲気を醸し出していた。

 本当ならば彼は今日、町役場に行き、おととい出現した巨大な粗大ごみの申請に行く予定だったのである。
これじゃあいつまでたってもあの馬鹿でかいごみが捨てられないじゃないか。彼は頭を抱えたくなった。

 そんな彼の気を、目の前のそれも全く見知らぬ少年が知る筈も無く、引き下がるような素振りも見受けられなかった。
その上期待した表情を浮かべている。男はどうすればいいかわからなくなった。普段なら「すまん」と断るのだが、
少年の純粋な眼差しに何も言えなくなったのだった。

 とりあえず今の状況を確認することにした。まずは少年の風貌である。
肩につかないくらいの髪の毛はさらさらと栗色をしていた。白一色のシンプルな、ワンピースのように長いTシャツから確認できる腰はまるで細い木のようで、妙に整った顔立ちや瞳の色は、この国の出身ではないことを示していた。かく言う男も移民であったが。

 彼はそんなことじゃなくてとセルフツッコミを心の中で行い、余計に状況がわからなくなる。これほど取り乱すのは彼の人生の中でも初めてではないだろうか。ただし表情は心境と反して無表情のままである。これには周りでちらちら見ていた通りすがりの住民も何か言えよと思った。しかし冷酷無慈悲な男にそんなことを言うのは少々気が引ける。あんな男のとこに行ったのが運の尽きだな、と誰かが言った。

 無表情のまま黙り込んでしまった男は遠くで馬の嘶きを聞いた。今まで身動き一つ見せなかった少年がばっと振り返る。
 しかし背の低い少年が人ごみの中、見えるのは当然道を行き交う人々の胴。はるか遠くを見るのは不可能な話だった。

 だがこの少年が明らかに馬の嘶きを恐れているのを男は感じ取った。それは少年の表情であり仕草であったりと、様々なところから安易に読み取れる。男はこういった人の心情を読み取る能力に長けていた。

 ようやく普段の冷静さを半分くらい取り戻した男はさてどうしたものかと少年の方を見る。少年はしばらく音のした方を見ていたが、蹄の地を打つ音が聞こえてくると、半ば大声で言った。

「は、早く逃げないと! あれに追いつかれてはならないんです! どうか、ぼくを――」

 助けてください。最後の言葉はわかっていたので途中で遮り、男は腰に手をあてモンスターボールを一つ放った。

 嘶きと蹄の音の主である二頭のギャロップが、視界の隅に馬車を牽いて現れる。人ごみをものともせずに爆走する馬車に、皆恐れを抱いて逃げていくその様子に、男は隣に降り立つ紫色をした大きなスカンクに命令を下した。

「スカタンク、煙幕」

 スカタンクと呼ばれたそれは小さく頷くと、人ごみの方に尻を向け、あまりよろしくない音と共に真っ黒な煙を大量に吹き出した。
煙はあっという間に広場に蔓延すると、ただでさえ馬車から逃げようと躍起になった人々から視界を奪い、さらに混乱させた。ギャロップも突然の出来事に驚き、進行方向とは違う方向に走り始める。驚いた人々の群れから悲鳴が上がる。

 全く面倒なことになった。ため息をついて、その間に男はスカタンクをボールに戻し、少年を連れて町の路地裏へと姿を消した。







 とある建物の屋上に人影があった。北向きの風が男のスーツをはためかせる。右耳当てた黒い携帯電話に堂々と話しかけながら傍らで待機する黄緑色の竜に、あいているほう手で指示を出す。赤いカバーの下の目が少し細まると、ゆっくりと羽音と立てて飛び去っていった。
男は変わらない調子で話し続ける。

「……ふむ、そうか。st2019は男と未だ逃走中か、ふむ仕方が無いな。何が何でも捕まえてもらわなければならない。……何? 逃がしたのは君じゃないと。
だが君の部下の所為だろう? え? ……部下でもない? 知らないな、私は君の所為だと聞いていたのだが、まあいい。君がやりたまえ。これは命令だ。
従わなければどうなるかはよくわかっているだろう? ……なら、よろしく頼むよ」

 一方的に電話を切る。携帯をスーツのポケットにするりとしまう。入れ違いに煙草を一本とライターを取り出し火をつける。口にくわえると辺りに煙と臭いが広がった。

「さて、大変めんどくさいことになったが、君は協力してくれるだろう?」

 高架水槽の裏からかつかつとやってくる一つの影。それは楽しそうに笑うと、ぴょんと、まるで子供が縄跳びを飛ぶかのように、30メートルはあろうここから飛び降りた。
もちろん何もつけずに。

「脱走をした悪い子にはぁ、ちゃあんとお仕置きをしてあげないとねぇ」



 男は誰もいないのを見計らうと、路地裏の一角を曲がり木箱の上に座った。おそらく商人の連中が商品を仕入れたときに使ったものだろう。隣に少年がちょこんと座る。

「グラエナ、見張っとけ。何か来たら上にシャドーボールをしてくれ」

 放たれたボールから一匹の黒いハイエナが現れた。グラエナという種族の彼は嬉しそうに尻尾を振りながら頷き、とてとてと歩いて行く。
曲がり角でふさふさと黒い尻尾が見えなくなるのを確認し、広場の方から微かに聞こえる騒ぎ声以外に物音がしないのを追認すると、男は静かに言った。

「何で追いかけられてたんだ?」

 少年は少し黙ると、風で飛ばされてしまいそうなくらい小さな声で答えた。

「携帯獣教団って知ってますか?」

 その言葉を口にしたとき、男の動きが止まった。本当に一瞬だが、止まった。

「……教団の関係者か……」

 関係者、ていうかなんでしょうねと少年は自嘲気味に笑った。

「ぼく、教団の捕虜だったんです」

 それには冷酷無慈悲の男も食いつかずにはいられなかったが、男が口を挟む前に少年が続けた。

「小さいころに親から見放され、教団に引き渡されたんです。教団は酷いところでした。まず孤児として扱ってくれないんです。人を、大人も子供もみんなモノとしてしか見ていないんだ。
教団だなんて名前だけ。実際は孤児院よりも……いや、世界中のどこよりも酷い場所だ!!」

 思わず声を荒げてすみませんと小さくなる。少年は顔を伏せる。

 男は何も言えなくなった。何を言えば良いのかわからなくなったのだ。居心地の悪さに耐え切れなくなった彼は、黒いコートのポケットからタバコを一本とライターを取り出す。
火をつけると煙が蔓延し始める。鼻を刺激する臭いに少年は思わず口を手で押さえた。それを見た男がすまんと言うが、タバコはしまわなかった。

「それで……なんでお前は――」

 そう言って男は口ごもる。そういえば少年の名前を知らなかったことに気が付いたのだ。そのことを悟った少年は柔らかな笑みを浮かべてエスティって言いますと言った。

「エスティ……なんでエスティは教団から逃げ出したんだ?」

 冬らしい冷たさを帯びた風が二人の間を通り抜ける。まさにその瞬間だった。

「キミのだいじぃーなだいじぃーなオトモダチがぁ、殺されちゃったからだよねぇ、くひひっ」

 グラエナがけたたましく吠えた。黒く大きな影の塊が高く上がると同時にギャンと悲鳴が上がった。

 何事かと男は木箱から飛び降りる。少年もそれに続く。そのとき二人はありえないものを見た。

 ふわりと舞い上がるゴスロリ。そこから伸びる黒いニーハイ。フリルのついた可愛らしい袖からのぞく透き通るような白い肌。手に持つは奇抜な色合いの傘。
そして不気味なほど吊りあがった口角。そこからこぼれる言葉は少年にとって衝撃的なものだった。

「なんで知ってるかってぇ? だってぇ、」

 ころしたのぼくだもん。現在進行形で落下中の、ゴスロリ少女の口はそう動いていた。


――君はだれ? 君もひけんたい? 君はぼくの仲間?

――バウバウ! ガウゥ!!

――そうなんだ! うれしいな。ぼく、ずっと友達が居なくて寂しかったんだ。そうだ名前は? 名前は何ていうの?

―― ……??

――わからないの? それとも無い? じゃあぼくがつけてあげるよ。君の名前は……


「だってあれでしょぉ? “ロット”っていう名前のガーディでしょぉ? あいつさぁ、僕が昼寝してんのにそれ見てバウバウ吠えるもんだからさぁ、ついムカついてこの傘でぶっ刺しちゃったんだよねぇ。そしたらぁ――」

 地に降り立った、天使のような顔の悪魔の心を持った少女は開いた傘を閉じながら嘲笑う。まだ昼間だというのに彼女の周りだけ夜になってしまったかのような、そんなどす黒い存在感を放っていた。

 少年は臆さずにたまらず叫ぶ。

「黙れ!! このっこのぉ」

「やめろ、それ以上言うな。この手の奴は、何を言っても無駄だ」

 男が手で制す。少年の大きな瞳から大粒の涙が零れ落ちた。顔は悔しそうに歪んでいる。それに対して男の表情に変化は見られなかったが。

 少女はつまらなさそうに自らの手で遊んでいたが、ふと顔を上げた。悪魔の笑みだった。

「あのさぁ、僕がここに来た理由わかってるでしょぉ? 僕も鬼じゃないからさぁ、選ばせてあげるよぉ。どっちがいーい? 大人しくそこの男の子を渡すかぁ、それとも僕と戦うか。別に僕はどっちでもいいよぉ? どっちかというとぉ、僕、バトルは得意だしぃ。くひひひっ」

 少女の瞳の輝きが三日月形になる。男は何も言わない。少年が不安そうに見上げた。男が口を開く。

「……エスティ。お前は教団に戻る気はあるのか?」

 少女から一ミリも視線を動かさずに問うた。少年は力強く頷いて答える。

「あそこに帰るつもりは全くありません!!」

 刹那、少女が傘を振り上げ、ニタリと笑うと勢いよく地面に叩き付けた。







 衝撃が走った。

 大地を揺さぶるような感覚に少年は思わず身を伏せる。それは幸運だった。なぜならゴスロリの悪魔がまわし蹴りをした瞬間だったからだ。背後にある建物の壁に足がめり込んだのを見て、少年は伏せていなかったら今頃は……と体を震わせた。

「ヘルガー! 構うな、足に炎の牙!」

 低く唸って牙をむき出し、唾液を垂らしながら黒き狼は少女の細い足に飛びかかる。しかし少女もそう簡単にやられるはずもなく、素早く足を引き抜くと、向かってきたヘルガーの顔を鷲掴みにして放り投げた。
木箱の山に投げ入れられキャウンと弱弱しい鳴き声がした。

 少年はこの間に逃げなければならなかったのだが、あまりの恐怖に足が銅像のように動かなくなっていた。しかし目だけは冷静に状況を映し出し、目の前に迫る危機をしっかりと伝えていた。

 ぐるんと首を回して少年の方を向く悪魔。ヒッと思わず情けない声を出してしまう。ゆっくりと楽しむように歩み来るそれに、少年は何もできずにただただ怯えるのみ。

 しかしそんな隙だらけの瞬間を男が見逃す訳もない。コートの裏側からボールを一つ放つと自身も銃を取り出して走る。現れた白い獣は少年を乗せて何処かへ立ち去ろうとするが、突如目の前に大きな黄緑色の巨体が道を塞ぐ。それは平均よりもはるかに大きな砂漠の精霊だった。赤いカバーの下の目を細めて襲いかかる。アブソルは必死に攻撃を避ける。守る。影分身。がら空きの背後。尋常じゃない速さで少女が傘を振り上げ現れた。
 突然のことに反応しきれなかったアブソルは戸惑い怯えた。背中の少年ももうだめだと目をぎゅっと瞑る。

 銃声が響いた。男が引き金を引いたのだった。少女の不気味なほど白い腕から紅が吹き出す。だが不思議そうに首を傾げて傷口を見るだけで押さえたり、痛そうにしなかった。まさかと思って男は聞く。

「お前……被検体か?」

 少女は首を傾げたまま口を三日月形にさせ応じた。

「くひひひっ。そうだねぇ、そうかもねぇ。僕は確かに実験とか色々されたしねぇ、くひひひっ」

 甲高い声で薄気味悪く笑う。

 男はいかぶしげに問う。

「何をされた?」

 少女は少年から離れると、心配そうに見つめるフライゴンを呼び寄せけたたましく笑って言った。

「何をされたぁ? くひひひひっ。そうだねぇどうだったっけねぇ。確かぁ、破壊の遺伝子って奴を組み込まれたんだっけぇねぇ?」

 相変わらず笑いながら赤く染まった手でフライゴンの頭を愛おしそうに撫でる。カバーのしたの目が嬉しそうに細まった。

 アブソルが男の傍に駆け寄った。少年は背から飛び降りる。じっと少女を見据える異国の色をした瞳には微かに怒りが隠れているように見えた。

 男は無表情に吐き出した。

「破壊の遺伝子……そんなもんを組み込まれちゃあ、頭が可笑しくなったのも理解できる」

「あらぁ? 僕の頭が可笑しいって言いたいのぉ? ひっどいなぁ。まあ、わからなくもないけど、さぁ!!」

 少女が跳んだ。ダンっとレンガ造りの地が爆ぜたような音が響く。フライゴンも飛び立った。男も銃を構える。少年は男の邪魔にならないようにと安全な場所に隠れようとそっと離れようとする。

「逃げるのはぁ、よくないよぉ!」

 傘を華麗にフルスイングさせた。ぶわっと広がるゴスロリ。少年は慌てて伏せる。伏せた勢いが強すぎて倒れこんだ形になったのがこれまた救われた。
ただ伏せただけだったならば首が弧を描いて吹っ飛んでいたであろう。少年はぞっとした。

 アブソルが正面から飛び込んだ。鎌で少女を切りつけようとする。しかし傘でいとも簡単に薙ぎ払われてしまう。建物の壁にぶち当たったアブソルは、最後の抵抗とばかりに真上に、向かって激しく冷気を吐き出した。吹雪は上空にいたフライゴンの長い尾に当たると命中した部分を凍らせた。夕日の差し込む橙色の空。砂漠の精霊は悲鳴を上げる。
 男は瀕死状態になったアブソルをボールに戻した。代わりのボールは投げなかった。

「今だヘルガー、グラエナっ悪の波動!」

 二匹の黒い獣がほぼ同時に木箱の陰から飛び出した。双方とも少女の方へ駆けていく。左右で挟み撃ちのようにして二匹は一斉に襲いかかった。その間に少年は匍匐前進でよちよちと場を離れる。
 漆黒の負の波動が少女を襲う。少女は動かない。否、動けない。

 その隙に、男はまたボールを一つだけ取り出して、高く放り投げた。フライゴンよりも昇ったとき、ボールは独りでに開き、中から何かが出たと思いきや、次の瞬間にはフライゴンが落ちていた。

「フライゴン……!! 犬共がぁあああ邪魔だ邪魔だ邪魔なんだよおおおおお」

 奇声ともとれるような大声を発し、素手で二匹を殴り飛ばすと、倒れたフライゴンの元へと駆け寄る。顔を覗き込み、優しい声でお疲れ様と声をかけ、真っ黒なボールに吸い込ませた。

 男は即座に少年を探した。やばい。これは不味い。フライゴンが倒された瞬間、少女の纏う雰囲気が僅かに変わったのを敏感に感じ取ったのだ。人の心を読み取る能力に長けているからこそわかった。本気で来るだろう、と。普通にしても常識の範囲外の強さであるのに、今ので本気になったとしたら、自分がエスティから離れていては危険だと本能が言う。
しかも彼女はエスティを狙っているのだ。攻撃がそっちに向くのは当たり前のことじゃないか。男は焦る。無表情のまま。

「余所見なんてしててぇ、随分と余裕だねぇ」

 突然耳元で囁かれる。男が行動を起こそうとする前に、ゴスロリから伸びる紅い腕が、傘が動いた。男が後方に投げ出され、壁にぶつかる。がらがらと崩れる音と共に、レンガが瓦礫へと変わっていく音だった。くひひと嘲笑が少年の耳に届いた。

「よぉくも僕のフライゴンを倒してくれたねぇ。昆布みたいにぺらっぺらにしてあげるよぉ、st2019くんはそんなことしたら怒られちゃうから骨を折る程度にしてあげるけど」

 少女の目がぎらりと光った。まるで腹を空かせた獣のようだった。少年が動こうとしたら、傘がダーツのように飛んできた。それは少年の真横を通り過ぎると背後の壁に深く突き刺さった。

「ひっ」

「動かないでねぇ。君のきれぇな頭に穴を開けたくなかったらさぁ。そうそう、そこの黒い猫さんも動かないでねぇ、動いたら君のことも、殺しちゃうから」

 君のことの君の意味がわからず少年は戸惑った。ほんの少しだけ首を傾け、視線を最大限に動かし斜め後ろを見てみる。そこにいたのは、先ほどフライゴンを落としたと思われる、二本足で立つ黒い猫。ニューラだった。賢いニューラは、少女の言った言葉の意味を理解し冷や汗を流す。動かなかった。救われた。もしこれが頭の悪いポケモンで、一歩でも踏み出してしまっていたとしたら。少年は考えないことにした。

 トンっと地を蹴り、少女はふわりと少年の前に立った。ぐいと顎を手で上げる。

「……僕にとって、君みたいな無害な被検体が逃げ出す理由がわからないんだけど。もしかして僕が感じ取れないだけで何か力があったりするのかなぁ? ねぇねぇねぇ! あるなら僕に見せてよ! ねぇねぇねぇ早く早く早く」

 狂ったように。いや、最早狂っていた。恐ろしい程強い力で肩を揺さぶる少女。意識が飛びそうになる。

「うあ……」

「ほらほらほらほらぁ! 早くしなよぉ! 僕はあんまし気の短い方じゃないんだよぉ!!」

 視界がぐるぐる回る。少年は喘ぐ。そのとき微動だにしなかったニューラが突然消えた。違う、消えてない。速すぎて見えなかったのだ。右手に何か丸いものを持ったニューラが少女の背後に現れた。少年の空ろな視線が、自らの背後にずれたのに気付いた少女が振り返ろうとする。
それよりも前に、声が響いた。

「投げつけろニューラ!!」

 ニューラが投げた。それは少女の後頭部に当たって煙を吐く。瞬間的に辺りはもやで包まれた。少女はまだ肩を掴んでいたが、強く少年は腕を引っ張られると、その手はするりと抜けた。そのまま流れに任せて引っ張られる少年。当然引いているのは、ぼろぼろになった黒いコートの男だった。
彼らはたまたま瓦礫が重なってできた山の裏に身を潜める。少年は男を見るなり無事でしたかと、空ろだった瞳に色を取り戻して言った。男は勝手に殺すなと悪態をついた。

「いいか、よく聞け。今のあいつに正面からぶつかってもすぐに殺される。痛覚の無い奴に傷をつけても無駄なだけだ。だから――」

 その案に少年は目を丸くさせた。が、少し恥ずかしそうに目を伏せてから、決意をしたのか頷いた。男は珍しく感謝の言葉を口にした。

 山の上に何かが乗った、がちゃんという音がした。何かが何なのか、結論は簡単に導けていた。

「みーっけ! あれぇ? そっちのおっきい方はまだ生きてたのぉ? まぁいいや。僕は別に構わないしねぇ、何度やってもさぁ!」

 上から愛らしい笑顔が覗いたかと思うと、すぐさまその笑みは狂気的なものへと変わり、木箱が粒れた。まるで卵を踏んだかのように、あっさりと。

 少年は思わず手で顔を覆う。しかし男は動じずに、近くに転がっていたレンガの破片を投げた。破片と言ってもモンスターボール程度はあった。それは真っ直ぐ少女の顔に飛んでいく。
少女が平然となぎ払う。しかしそこには既に男たちの姿はなかった。代わりにニューラが一匹、氷のつぶてを発射できる体勢でいたことを除いては。

 氷のつぶてが少女を襲っている間に彼らはまた移動する。少年的に体力はもう限界であったが、そんなことを言ってる余裕は無い。それに男の顔を見れば、この状況がどれほど危険なものかが窺い知れた。珍しく表情を崩していたからだった。

「じゃあ、手筈通りに頼んだぞ」

 予定していた位置、ついさっきまで男が埋もれていた場所だった。少年は積もりに積もった瓦礫の後ろへ隠れる。こんな中からあの人は這い出てきたのか。感心よりも、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

――ぼくが頼んだばかりにこんなことになるなんて

 瓦礫の合間から外を窺う。男はもう定位置についたのか見えなかったが、代わりにゴスロリのスカートの部分がちらりと見えた気がした。
目をこすってもう一度見ると、気のせいだったのか、ゴスロリはもう見えなかった。

――よかった

 少年はほっとしてため息をついた。怖い。感情が溢れ出しそうだった。しかしここで泣いたりなんかしたらまたあそこに逆戻りか、あるいは……。

 瓦礫の向こうでニューラの叫び声が聞こえた。それに続いてこつこつという足音。少年はごくりと唾を飲んで手筈通りの展開を待った。

 辺りがしんとなる。足音だけが響いている。いつの間にか日は沈んで月が昇っていた。星のない空。月だけが、赤々と輝きを放っていた。不気味。少年はただそう思った。

「ほぉんとにかくれんぼがだぁいすきだねぇ、君たちぃ。僕は鬼ごっこは好きだけどぉ、かくれんぼはあんまり好きじゃないんだけどなぁ。ねぇ? stくーん?」

 突然名前を呼ばれてびくりとする。そっと、また合間から覗く。

「……ぃ?!」

 声に出しそうになってすぐに手で押さえた。少女と目が合ったのだ。ひどく寂しげな目をしていた。

「そう、寂しいよ、僕は」

 少女はうつむいた。

「誰も僕と話してくれない。誰も、僕がこんなんだって知ると近寄ってくれないんだ。別に、僕は望んでこうなったんじゃないのにさ」

 少年は手で押さえたまま目を大きく見開いた。

「だからさぁ――」

 もう何度目か、少女がありえない距離を一跳びするのは。

 少年の隠れる山の前に降り立った彼女は。初めて表情を消して冷たく言った。

「君を見てるとムカつくんだよね」

 少年は叫んだ。それを合図に男が飛び出し銃で少女の両の足を撃った。少女は無言で振り返ろうともしない。そして彼女の足元の地面から満身創痍のニューラが飛び出し渾身の力で、少女の左目もろとも切り裂いた。

 薔薇よりも深い紅が、飛沫を上げた。







 少女は状況が理解できていないようだった。ただ血飛沫だけは見えたようで、それの出所が自分の左目だということを理解するのに三分ほど時間を要した。

「目? 目、め、め……あぁああぁあああ!!」

 少女は崩れ落ちた。左目から赤い涙がどくどくと流れているのだが、やはり痛そうな素振りは見せず、終始左目左目と嘆いていた。

 男はニューラに少女を見張るように言い、目を伏せたままへたりこんでいる少年の手を引いて立たせてやった。

「本当にここまでしてよかったのでしょうか……?」

 少年は顔を上げずに問うた。

 男は少し黙ってから呟くような小さな声で答えた。

「……ああなった奴には多少、いやあれぐらいのことをしなければ止められない。今も、ニューラに切り裂くを命じなかったらお前は立っていないかもしれない」

 少年は何も言わなかった。うつむいて表情は見えなかったが、まだ子供である。このような体験は辛いものがありすぎるだろう。男はぼろぼろになったコートを少年に被せてやった。

「……赤い赤い。左がねぇ、ぜぇんぶ赤いんだぁ。まっかっかなの。僕も君も世界もぜえんぶ真っ赤。何にも見えない。これが僕には丁度いいのかなぁ」

「どういう意味だ?」

 男がニューラをボールに戻しながら言う。いいのぉ戻しちゃってぇ。僕がまた暴れたらどぉするのぉ? そう聞いてきたが相変わらずの無表情で無視をした。

「……無視かぁ、まぁいいけどさぁ。だって僕、こんな化け物みたいな力持ってるならこんくらい障害あった方が周りも安全なんじゃないかなぁって、思ってさぁ」

「意外だな。自らの意思でやってるかと思ったが」

「まっさかぁ」

 くひひと笑う少女。ゆっくりと立ち上がり空を仰ぐ。星の浮かばない物悲しい月夜が、まるで少女の心を映しているかのように。

「こんな僕でもさぁ、最初は嫌だったんだよぉ? 慣れなきゃいけないから態々こんな性格までつくってさぁ。元々はもっと大人しくて可愛らしーい普通の女の子だったんだよぉ」

 信じられないでしょぉ。この期に及んでまだ笑い続ける少女に男は何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。特にそういう経験のない自分に、口を出す権利は無い。

 そのとき少女の方からオルゴールの音が鳴った。なんだろぉとぼろぼろのゴスロリから携帯を出す。オルゴールの音は着信音だったようで、少女は口の前に人差し指を当てると電話を取った。
 男も少年も黙ったまま彼女の方に視線を送っていた。

「はぃ? ……あぁ、社長さんですかぁ。……あぁ例の被検体君ですか、それが僕もやられちゃって、しかもここから動けないんですよぉ。瓦礫に足が挟まってぇ。……はい。……そりゃあもうけっこう前に逃げられたようでぇ、つーか僕気絶しちゃってたみたいでぇ、さっき社長さんの電話で意識が戻ったんですよぉ。……はぁい、よろしくお願いします」

 ピッと電源を切ると何を思ったのか、携帯を逆の方向にへし折った。ガラクタとなった携帯を瓦礫の山に投げ捨てるとそのまま歩き出す。

 男と少年は状況が全く理解できなかった。男が待てと言う前に、少年が待ってください! と張り上げた。少女の歩みがピタリと止まった。

「……どういう、ことですか?」

 力強くは無いものの、弱弱しくもない声色。しかし視線は鋭く少女を射抜いている。少女はめんどくさそうに言う。

「さっき僕が電話したのは僕をこんな風にした張本人。つまり君……st2019を僕に連れて来いって言ったのもぉ、君を被検体にしたもの社長さんなのぉ」

「それはなんとなくわかってます! ぼくが聞いてるのは何でぼくたちを見逃すかってことです!!」

 男は表情を変えずに経緯を見守っていた。しかし内心では少し驚いていた。この少年がここまで噛み付くとは思わなかったのだ。

「だからさぁ! 折角僕が逃がしてやろうとしてんのにさぁ! 何でそういうこと言うかなぁ?」

 少女は振り返らない。

「折角さぁ……なんか君たちにかなわないっていうかなんか思って、しかも左目見えないしさぁ。ほらぁ、さっさと行かないと社長さんとか来ちゃうよぉ」

 男は少年の肩に手を置いた。

「……これからどうするんだ? ここに居ても、捕まるだけだぞ」

「そ、それは……。それは……どこかに逃げるつもりではいますけども……」

 何処に行けばいいかわからない。そう続けようとして、それは良くないと頭が言い、少年は黙ってしまう。
そんな少年の頭を撫で、男は言った。

「行く宛てが無いなら、俺が案内してやろうか?」

 少年が勢い良く顔を上げた。

「そんな! これ以上は……もうこれ以上ご迷惑かけるわけには――」

「既にかかってる。これ以上かけても変わらない。それに、ここまでやったら俺も、もう社長とかいう奴に狙われる破目になるだろう。なら、一緒に行っても変わらないだろう?」

 無表情な男が少しだけ笑ったように見えた。きっと冷酷無慈悲ではなくて、感情表現が不器用なんだと少年も笑った。

「何してんのぉ? まだ行ってないのぉ? 早くしないと来ちゃうよぉ」

「わかってる」

 無愛想に答える男。少年を連れ、ゆっくり歩き出す。少年は少女の方を見た。やはり彼女は背を向けていたが、少年は大きな声で話しかける。

「ぼくは……ぼくはずるい。でもいつか必ずあんな場所、壊してみせるから!」

 一陣の風が吹く。少女のスカートが揺れる。

「……ならその名前は捨てた方がいいよぉ。stをまんまエスティなんて馬鹿らしいでしょお。そこの男にでも考えてもらいなよぉ」

 振り返らない。けれどもその声は深く、少年の心に響いた。

「行こう。ポケモンを回復させなきゃいけない」

「はい!」

 闇夜の中を二人は溶け込むように歩いていった。

 気配が完全に消えたのを悟った少女は、一人くひひと笑って歩き出す。

「さぁて、僕も自由になれるかなぁ?」







 ある建物の一室で、スーツを纏った男が高級そうな電話を片手に、不機嫌そうに話し込んでいた。

「……あぁ、わかってるよ。君に一々指図されなくても私にはわかってる。……ふむ。……そうか、わかった。至急そこにst3329向かわせるよ」

 ガチャンと乱暴に電話を置く。深く深くため息をついてこう言った。

「やってくれたなst7019。まさかst2019を連れ戻させたのに裏切るとは思いもしなかった……。まあ、これも想定内か。代わりはいくらでもいる。所詮一人や二人が抗ったって意味は無い。意味は無いのだよ被検体風情が!!」

 ガツンと高そうな革靴でこれまた値の張りそうな机を蹴る。積み重なった書類の山がひらりひらりと宙を舞った。

 

 


  [No.1885] 言い訳 投稿者:moss   投稿日:2011/09/19(Mon) 03:35:35   60clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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 いやあ酷い。一ヶ月以上かかって書いたものなので文が酷い。きっと意味のわからないところはたくさんあるでしょう。いやありますね、はい。

 なんだかんだで一番書きたかったのはゴスロリの女の子です。ああいう壊れた子、すごく好きです。

 一応これで今年はもう短編は書かない予定です。

 噂話の続き? やるのかなぁ? しらなーい(爆)

 一応ちゃんと完結させるつもりです。




【批評してくださいなのよ】 【別に何しても構わないのよ】


  [No.1916] やっぱりキャラが立ってる! 投稿者:小樽ミオ   《URL》   投稿日:2011/09/23(Fri) 18:45:49   50clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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 こんにちは、小樽です!


 はじめに、もすさんはやっぱりキャラの描き方がお上手だな、と思いました。
 確か以前別の作品を拝読したときもそのように感じた覚えがありまして、キャラを立たせることに手馴れていてお上手だな、という印象を持っています。さすがですね!

 組織の権力によって望まぬ力を持ってしまった少年少女たち。
 実は私も別所でこういう主題の小説を書いていたことがあり、このテーマは好み(好み……?)なのであっという間に引き込まれました。


 そして語らずにいられないのが7019ちゃんの魅力!
 ゴスロリに「悪魔」というフレーズ、くひひと笑う声。
 扱うのは傘、鎌、己の四肢。余裕綽々でいながら突然激昂する。
 しかも風に広がるゴスロリ付きとは……全部ひっくるめて7019ちゃんのキャラが好きだなんて言えない言えない、ヒミツヒミツ(


 チャットでご一緒したときに「流れには特に意識している」という趣旨の話を聞かせてくださったと思いますが、まさしく仰るとおりに感じました!
 それぞれの人物やポケモンの動きも、表情もバッチリ読み取れるのに、決してそれがくどいということがなくて。一万文字超とはとても感じないくらいの流速がありました。
 くどすぎない描写を心掛けてはいるのですけれども、自分はどうもそれがうまく行っていないように思えてしまって。なのでもすさんが努めて意識なさって文字に起こされている「流れ」は勉強になります。
 むぅ、納得いくまで努力を重ねないうちに他人を羨んじゃいけないとは覆うのですが、それでもやっぱり羨ましい……(笑)


 ここまでなんとなく偉そうな雰囲気の言葉を書き連ねてしまってすみません……(×
 でも、これが私の率直な感想です。楽しませていただきました上にモチベーションまで分けていただいたなんて、ありがとうございましたのひとことじゃ足りないですね(^^;


 最後になりましたが、このおはなしはいつか長編化するのでは……と期待していたり。
 当然教団が狙ったエスティを諦めるはずはなく、そのそばにいた「男」にも手が伸びるのは必然的。
 そして7019ちゃんが自由へと解き放たれることはあるのかどうか。……そういった複数の事項を考えると、先行きにわくわくしてしまってついつい続きが気になってしまいます(笑)


 とりとめのない長文になってしまってすみませんでしたっ(汗)
 執筆お疲れ様です、そしてどうもありがとうございました!(ペコリ
 


  [No.1929] 遅れまして 投稿者:moss   投稿日:2011/09/26(Mon) 16:01:51   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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>  こんにちは、小樽です!

わーい小樽さんだぁ。

>  はじめに、もすさんはやっぱりキャラの描き方がお上手だな、と思いました。
>  確か以前別の作品を拝読したときもそのように感じた覚えがありまして、キャラを立たせることに手馴れていてお上手だな、という印象を持っています。さすがですね!

そ、そうだったのか……(爆)

>  そして語らずにいられないのが7019ちゃんの魅力!
>  ゴスロリに「悪魔」というフレーズ、くひひと笑う声。
>  扱うのは傘、鎌、己の四肢。余裕綽々でいながら突然激昂する。
>  しかも風に広がるゴスロリ付きとは……全部ひっくるめて7019ちゃんのキャラが好きだなんて言えない言えない、ヒミツヒミツ(

YOU言っちゃいなYO☆ (爆)


>  それぞれの人物やポケモンの動きも、表情もバッチリ読み取れるのに、決してそれがくどいということがなくて。一万文字超とはとても感じないくらいの流速がありました。
>  くどすぎない描写を心掛けてはいるのですけれども、自分はどうもそれがうまく行っていないように思えてしまって。なのでもすさんが努めて意識なさって文字に起こされている「流れ」は勉強になります。
>  むぅ、納得いくまで努力を重ねないうちに他人を羨んじゃいけないとは覆うのですが、それでもやっぱり羨ましい……(笑)

小樽さんに羨ましがられるほどじゃないですわwww

>  ここまでなんとなく偉そうな雰囲気の言葉を書き連ねてしまってすみません……(×
>  でも、これが私の率直な感想です。楽しませていただきました上にモチベーションまで分けていただいたなんて、ありがとうございましたのひとことじゃ足りないですね(^^;

小樽さんは私を褒め殺そうとしているのかw

>  最後になりましたが、このおはなしはいつか長編化するのでは……と期待していたり。
>  当然教団が狙ったエスティを諦めるはずはなく、そのそばにいた「男」にも手が伸びるのは必然的。
>  そして7019ちゃんが自由へと解き放たれることはあるのかどうか。……そういった複数の事項を考えると、先行きにわくわくしてしまってついつい続きが気になってしまいます(笑)

長編だと……思ってもいなかったZE☆ (爆)


 感想ありがとうございました! 楽しんでいただけたらなによりです。

7019に名前をつけてやらねばなりませんね。とか言ってネーミングセンスは皆無なのでどうなることでしょうか。

ともかく本当に感想をつけていただいて、読んで、舞い上がって、頭がシェイクされてにへにへしています。こうなったのは全部小樽さんのせいですからね(爆)

ありがとうございました!!