真剣に恋をしてしまった。
僕のパートナーに。
雪女子という、白い、美しい生き物だった。幽霊、と呼ばれている存在だ。雪の世界に生まれ、雪の世界において、幽霊となった。霊体。あまり、他生物という感覚はない。足も、本来手もないはずなのだけれど、まるで白い着物を着た、美しい女性のような、あるいは名前の通り、幼い女子のような。
そんな彼女に、僕は恋をしてしまった。
もちろん、僕は人間であるから、彼女と結ばれることはない。そもそも、会話を交わすことさえ、叶わないのだ。にも関わらず、僕は彼女に恋をした。一緒にいただけだった。ただ、彼女と一緒に、暮らしていただけだ。だというのに、知らないうちに、あるいは意識をしないうちに、彼女を好きになっていた。
この感情に気づいたのは、ほんの些細なことが切っ掛けだった。言葉も喋れず、意思疎通もろくに出来ない僕たちだった。だけど僕が熱を出して寝込んだ時に、彼女は僕の額に手を当てて、じっと熱を冷ましてくれた。
その時に、ああ、とても嬉しい、と思った。そして、僕はきっと彼女が好きなんだろう、と考えた。
古い、もはや御伽話というレベルの話になるが、昔は、ポケモンと人間は結婚が出来たそうだ。あるいはそれは、当時から禁忌として遠ざけられていたのかもしれないが、それでも事実として、ポケモンと結婚をした人間が、存在した。子を成した関係だって、いたのかもしれない。
僕はその記述を、とある文献で見つけてから、そうか、結婚してしまえば良いのだ、と考えるようになった。
しかしながら、現在の法律では、それは認められていないという。
僕は愕然とした。
それこそ、死んでしまいたいと、思うほどに。
いや、死んでしまった。その時僕は、ある意味で、僕を失った。愛しい存在との関係を否定されたようなものだ。種族が違うから、結婚出来ない。なんて愚かしい。なんて惨い。そして、なんて理不尽な法律だ。
僕は死にたかった。
死んでしまえば、この苦しみからも解き放たれる。
だが、そう易々と死んでしまっては、彼女を置き去りにすることになる。せめて、僕は法律が許さなくとも、彼女との絆が欲しかった。有り体に言えば、彼女との間に、子を成したかった。それが人間として生まれるのか、あるいはポケモンとして生まれるのかは定かではない。それでも、それに賭けてみたいと僕は思った。
だが、問題は多い。障害も多い。もしポケモンと人間が結婚出来たとしても、彼女は、ポケモンであると同時に、霊体である。だから、僕は彼女に触れることが出来ない。
もっともスマートな解決方法はなんだろう。
命は一方通行だ。
帰ってくることは出来ない。
僕はまた死にたくなった。このところ、すぐに死にたくなる。死んでしまえば悲しみからは解き放たれる。
そして、ああ、なんて単純な話なのだろう。
僕は妙案を思いついた。
彼女と僕が結ばれるにはどうすればいいか。
簡単だ、僕が死ねば良いのだ。
自殺というものは、簡単だ。
何しろ、抵抗する者がいない。
僕はすぐに、自殺方法について考察した。首を吊ろうか、飛び降りようか、感電しようか、血を流そうか、水没しようか、凍死しようか。凍死というのが、一番美しいように思えた。しかし、それらには環境が必要だ。僕が住んでいる地域に、雪山はない。大型の冷凍庫だってない。高いビルもない。ロープを垂らす引っかけもない。感電方法に至っては理解も出来ない。そして、血を流すのは、単純に怖い。
だから僕はもっとも簡単な方法を選ぶことにした。
睡眠薬自殺だ。
眠るように死んで、目が覚めたら彼女と一緒になれる。これほど嬉しいことはない。僕はすぐに薬局に走り、睡眠薬を購入した。この時、一度にたくさん買い込むことはしなかった。いくつかの薬局を転々とし、少量ずつ購入した。それでも、店員から、いたずらには使わないでね、と念を押された。まったく、馬鹿げている。僕は本気で死ぬつもりだ。いたずらなんかじゃない。
睡眠薬を大量に買い込んで、家に戻ってきた。彼女はここ数日の僕の様子を訝しんでいるようだったが、心配しないで欲しい。僕と君は、もうすぐ結ばれるのだから。
死ぬ前に遺書を書くことにした。霊体になったらペンを持てないかもしれないし、声は出せなくなるだろう。その前に、色々と考えておきたかった。
僕は前向きに死ぬのだということ。
死ぬことを恐れてはいないということ。
人生は素晴らしかったということ。
唯一、雪女子と結ばれないことだけが嫌だった。
だから僕は死ぬ。
簡単な話だ。
ポケモンと結ばれるために、死ぬ。
それは名誉なことだろう?
まったく、正しく、理性的。
どこにも、狂気などない。
理路整然とした思考。
だから僕は、死ぬ。
それは怖いことではない。
恐ろしいことではない。
とても単純明快な、スマートな解決方法。
うってつけの理論。
そこかしこに存在する、公式、のようなもの。定理、のようなそれ。僕が愛した、彼女のために、死ぬ。
僕は遺書を書き終え、それを折りたたみ、机の上に置いた。そして、僕の隣で心配そうにしている雪女子の頭を撫でて、
「もうすぐ一緒になれるからね」
と言った。
僕は、睡眠薬を飲んだ。
目が覚める。身体がとてもだるかった。死にそうだった。いや、死んだのだ。ポケモンを愛し、ポケモンと結ばれるために、僕は死んだ。そして今、霊体として、意識を持っている。
隣には、やはり、彼女がいた。彼女は少し、怒っているように見えた。きっと、何度も僕を呼んだのだろう。それに答えなかったのがいけなかったのかもしれない。
「ごめんね」
僕はそう声に出した。
そして、気づいた。
ああ、声が出る。
なんて酷く、間の抜けた声だろう。
僕は死んでいなかった。
身体の隅々を確認した。凍傷を起こしていたり、傷があったり、ひどい有様だった。彼女が僕を傷つけたということは、すぐに分かった。
「どうしてこんなことをするんだい」
僕が訊ねても、彼女は怒った目で僕を見るだけだった。
ああ、彼女は怒っている。
僕が死のうとしたことに。
命を粗末にしたことに。
そして気づくのだ。今僕は、彼女の気持ちが、手に取るように分かる。まるで、言葉を交わすよりも美しく、素早く、詩的に、気持ちの交換を得られた。
僕はそっと彼女に手を伸ばす。
けれど、僕の手は、彼女の身体をすり抜けた。
「どうして死なせてくれないんだい」
僕が訊ねても、彼女は答えない。
けれど、すり抜けた僕の手に、そっと手を、添えてくれた。
彼女は僕を殺してくれない。
それはとても残酷で、とても悲惨で。
けれどとても優しい、彼女の選択肢。