気持ちのいい快晴の朝。絶好の洗濯日和だ。そんな日に私が起き抜けにすることは決まっている。もちろん洗濯だ。
朝食も食べず洗濯機の前に向かう。籠の中に溜まっていた洗濯物を一つ一つ洗濯機に入れていく。あ、これはネット洗いだ。
全部入れ終わったら洗濯機のボタンを押し、蛇口をひねる。徐々に洗濯機の中は水で満たされていく。満たされていく途中で洗剤を投入。だんだんと洗濯物は水と泡に埋められていく。
そして、準備が完了すると、洗濯漕はぐるぐると回り出す。本当は蓋を閉めなければならないのだけど、ついつい中を眺めてしまう。この瞬間がたまらなく好きだ。渦の中に飲み込まれている洗濯物をじっと眺める。泡にまみれて綺麗になっていく洗濯物と一緒に、私の心まで綺麗になっていく気がするから。ぐるぐる回る洗濯物と一緒に、私の心も飲み込まれ、ぐるぐると回っていく。
向こうで寝ている彼の白いシャツが、泡の中から顔を覗かせた。昨日のことを思い出し、ぐるぐる回る私の心がちくりと痛む。
あんなところ、見たくなかった。知らない女性を連れた彼を偶然町中で見かけてしまうなんて。一緒に暮らしてるのに、あんな笑顔長らく見ていない。
悔しい。私といてもあんなに笑顔になってくれないのに、どうして……。
洗濯をしている満足感は、どんどん見ず知らずの女性への妬みと、そんな自分への嫌悪感に満たされ、存在感を消していく。ぐるぐると目が回りそうになりながら、頭の中も回っていく。綺麗になっていく洗濯物とは裏腹に、私の心は綺麗にならな――
見られている。その感覚に気がついたのはまさにその時だった。
彼が起きて来たと思った。こんな姿見られたくないと思った。だからどきっとして後ろを振り向いたら。
そこにいたのはポケモンだった。いや、ただ「いた」のではない。ポケモンが浮いていた。
漆黒の柔らかそうな体をはためかせ、三色の瞳で私をじっと見つめている。カゲボウズだ。
どうして家にポケモンがいるんだろう。まず私の頭の中に浮かんだのは全うな疑問だった。私も彼もカゲボウズを、いやポケモンすら持っていない。鍵はかけてるから野生のポケモンが入ってくるはずは……とまで考えて、はたと気づいた。カゲボウズはゴーストタイプだ。つまり幽霊。幽霊には壁もドアも関係ない。……これじゃプライバシーも何もあったもんじゃない。そのことに気がついて、ため息が一つ飛びだした。
……で、どうしてカゲボウズが今ここにいるのだろうか。この不法侵入ポケモンについて、スマートフォンで検索してみる。結論はすぐに検索結果として現れた。カゲボウズは負の感情を食べるらしい。ああ、それで。私の負の感情を見つけて、餌があると思ってやってきたわけか。
不法侵入者を見てみると、ふわりふわりと浮かびながらじっとこっちを見ているだけだ。こちらに危害を加える様子はなさそうだ。無視していれば帰るだろうかと思い、洗濯機の方に意識を戻す。ぐるりぐるりと回る洗濯槽。
と、カゲボウズが突然、洗濯機の中に飛び込んだ。私の注目を浴びる洗濯機に嫉妬したのだろうか。ぐるりぐるりとあっという間に渦の中に飲み込まれるカゲボウズ。
……いくらなんでもこれはまずい! 慌てて泡にまみれてきらりと光るシャツの隙間から、カゲボウズを救出する。まずい、完全に目を回している。飲みこんだ水を吐き出させ、真水を与え。
あとは医者だ! 私は洗濯機の蓋を閉め、心なしかさっきより綺麗になったカゲボウズを連れてポケモンセンターへと駆け込んだ。
結果から言うと、カゲボウズは無事だった。すぐに洗濯槽から引っ張り出したため、大した量を飲み込んでいなかったため大丈夫だったらしい。
「今回は災難でしたね。でもカゲボウズは布に近い体をしているんから、手洗いの要領で洗ってあげると綺麗になるし、なによりカゲボウズが喜ぶんですよ」
……私のポケモンじゃないんですけど、と脳内ではツッコミを入れつつ、私はジョーイさんにお礼を言いながら弱々しく笑った。
家に帰ると、彼は私の動乱を何も知らずに眠り続けていた。そして洗濯機はその仕事を終え、すっかり沈黙していた。
洗濯機の中身を回収し、外に出て洗濯物を一枚一枚干していく。遠くから漂う金木犀の香りが心地よい。暑くもなく寒くもない、この曖昧な季節が一番好きだ。
元気になったというのにまだ私にくっついているカゲボウズは、やはりその様子をじっと窺っている。
「……何、アンタも干されたいの?」
こくりとうなずくカゲボウズを見て、私はタライと石鹸を取ってくることにした。
面倒事が増えるだけだというのにちょっと心が晴れやかなのは、実はカゲボウズが私のネガティブな感情を食べてしまっているからなのか。それともうっとりするような金木犀の香りを運んでくる心地よい風のせいなのか。
現れた時は真っ黒だったカゲボウズは、石鹸の泡の中、みるみるうちに濃紺に姿を変えた。結構綺麗になるものなんだとカゲボウズを洗った自分でもびっくりしている。
洗濯バサミで止めるのは痛そうかなと思ってたら、自力で物干し竿にぶらさがった。傍から見たらどう見ても洗濯物だ。
街路樹の黄色を背景に、濃紺のカゲボウズと真っ白いシャツ。なかなかのコントラストだ。時々黄色が風に揺られてざわめく。すると濃紺と白もゆらりゆらりと踊りだす。
そういえば、彼と初めて会った時もこれくらいの時期だったっけ。眩しい黄色とちょっと眠りを誘いそうな香りによって、昔のことを思い出す。
友達の友達に、一目惚れしたんだったっけ。なんでだったか、気がついたら魅入られてて。
その赤い頬にどうしようもなく触れてみたくなって。気がついたらこの手を当ててその存在を確かめてた。
初めて会う子にそんなことされて、ちょっとびっくりしながらも笑ってたっけ。
頭の中で、彼の笑い声がリフレインする。そんな子どもじみた私を笑う声。
ああ、もう潮時だったんだ。
本当は自分でもずっと前からわかっていたんだ。いつまでたっても変われない私から彼の心が離れてることなんて。
だからもう、終わりにしよう。
洗濯物がひらりひらりと風に踊る。その影が私にかかったり、離れたり。
それを見ていると、私の決心にもゆらりゆらりと影が踊る。ああ、弱い決心だ。
だから、私の弱い決心が壊れる前に、早く「正解」に向かわなきゃ。
そのために、あなたの力、借りてもいい?
「ねえ、カゲボウズ」
物干し竿にぶら下がったままこちらを向いたカゲボウズに、私は小さく頷いた。意思疎通はそれだけで十分だった。
ひらりひらりと白いシャツとカゲボウズが風にゆられて乾いていく。
彼らが完全に乾ききる頃には、私の淡い恋心はすっかり跡形もなく溶けてしまっていた。
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拝郷メイコさんの「木綿」という曲が好きすぎて、どうしてもこの世界観でカゲボウズをひらりひらりとさせたくなって書いた。
ぶっちゃけ意図的にかなり元ネタまんまです。なのでこちらにのみ投稿。
尚、作者があまりに拝郷ちゃん好きすぎるために布教したいというステマ的理由もあるとかないとか。
テスト期間が終わったら 溶けてなくなる 跡形もないほどに