I.一週間前
女性の膝にゾロアが乗っかった。肩にも腕にも頭にも。
目の前でそれを見ている男性は、ポカンと口を開けている。
六畳一間の狭いアパートの一室のどこに、これほどのゾロアが隠れていたのだろう。
見ると、小さな棚の上にあったモビールがない。陶器で出来たタブンネがない。ポカブの貯金箱もない。サイドボードに三つ置かれていた目覚まし時計もなくなっていた。通路に作られたキッチンを見れば、やかんがない。洗いかごにあったお玉もない。洗いかご自体なくなっていた。
次から次へと現れるゾロアに押し合いへし合いされて、女性の姿は黒い団子の中に埋もれていた。
女性は胸や頭に乗ったゾロアを引き剥がし、やっとのことで起き上がると、はにかんだような、優しい笑みを浮かべた。
II.一日前
湯呑みが落ちた。
渋い灰色に赤い模様のそれは、床に触れても何の音も立てず、コロコロと転がった。
パソコンをいじっていた女性は、床に転がった湯呑みを見てため息をついた。
風も傾斜もないのにコロコロとひとりでに動くそれは「パソコンやめて、かまって、遊んで」と訴えかけているようだった。
女性は時計を見た。
午前十一時十五分。
昼休みまではまだ小半刻ほどある。
女性はキーボードと、その横に積まれた紙の資料の山を見比べ、これからやらればならない仕事の量の多さを思った。
資料の上に乗ったバチュルが「フィー?」と声を上げる。
バチュルは資料の端まで行くと、青く大きな目で下を覗きこんだ。
そして、「取ろうか?」と言うように女性を見る。
「いや、いい。放っておけ」
女性は淡白にそう言って、パソコンに向き合った。
肩ほどまである黒髪を耳にかける。そうすると視界の端に揺れ続ける湯呑みが映った。
ふう、と息を吐いた。
傍らにある紙の山から一枚をバチュルの下から引っ張り出し、睨みつける。
紙のレポートを電子化するだけの単純作業。
暇つぶしにはいいかもしれないが、このところお呼びのかかる事件もなく、持ち前の手腕を発揮できないのは彼女にとって苦痛でしかなかった。
不謹慎は承知で、事件か何か起こればいいと考える。それも大きな事件がいい。
こう何もなくて平穏で、頭を使うのが、我侭なゾロアたちをどうやって宥めすかすかだけというのは……
不意に頬に温かいものが触れた。
机を蹴って回転椅子に加速度を付け、後ろを向く。
馴染みの同僚であるスミレが、赤い模様の湯呑みを持って笑っていた。
「はい、これ」と差し出された湯呑みにお茶は入っていない。どうやらただ拾ってくれただけらしい、と判断して湯呑みを机の上に戻す。湯呑みがカタカタ揺れた。
「ねえ、レンリちゃん」
湯呑みを拾っただけでは物足りないのか、同僚はレンリに話しかけてくる。
彼女の中ではもう休憩時間が始まっているらしい。もっとも、事件のない警察なんて開店休業しているようなものだ。
レンリもそれに付き合うことにして、パソコンの電源を落とした。
液晶が名残惜しそうにノロノロとシャットダウンの準備をしているのをレンリの横から眺めながら、スミレは話を続けた。
「ライム君と別れたって、本当?」
「本当だ」
「え、なんでなんで? 彼氏が浮気してたとか?」
「いや。向こうがふったんだ」
えー、うっそーと大仰な感嘆を上げる同僚を、彼女はあくまで冷静に見つめた。
その大声に対抗するようにカタカタ鳴り始めた湯呑みを押さえ、「騒ぐことか」と静かに問いかけた。
にも関わらず、と言うべきか。
スミレは「騒ぐことよっ!」とレンリの問いの声量の、何倍もの音量で答えた。
「だってさあ、文武両道美人薄命で有名なレンリちゃんが、ひょろ長のっぽで顔しか取り柄がない気障野郎と付き合ったのよ?
でもってふられたのよ? 騒ぐしかないじゃない! なんでふられたの? っていうかなんでそもそも付き合ったのよ!」
「人を勝手に殺すな」
女はゴシップ好き、とはよく言うが、女であるはずのレンリにはその辺りがとんと分からない。
メッシュを入れたばかりの髪をいじりながら、ふられた理由は分からんが、と言葉少なに答えた。
心当たりがないわけではない。
先週、家に彼が来た。
その折、彼がクッションに化けたゾロアの上に座って、尻をかまれたのである。
それだけの理由、という気がする。
けれど、告白してきたライムが自分より背が高いからという理由で付き合った、その程度の始まりでは終わりもそんなものか。
小柄なスミレには背の高さ云々を気にする意味は分からないだろうから、話していないが。
スミレが宙を見て、あ、と声を上げた。
今が休憩時間であることに気付いたのか、と思いきやそうではなかった。
「美人で思い出したんだけどさ、事件なのよ。レンリちゃんに行ってほしいのよね。君の好きな潜入捜査」
レンリが椅子をガタンと倒して立ち上がった。
III.当日
レンリはライモンシティの自宅で、あぐらをかいて座っていた。
正しくは、家にいるゾロアたちと我慢比べをしていた。
貯金箱、小物、食器類。思い思いの姿に化けた彼らの内、何割かは限界が来ているのか、細かく震えている。
なぜこんなことをしているのか。
それは昨日、同僚が持ち込んだ仕事に起因していた。
「王国? そんなものが今もあるのか」
そう問いかけたレンリに、スミレは、そうよと笑って答えた。
「……で」
レンリは彼女が持って来た資料に目を落とす。
「歓迎パーティーとやらを催すわけだな。血税を使って」
「外交だからね?」
しかし、そこに脅迫状が届いたらしい。
「なんて?」
「王女を殺す」
ありがちな脅し文句だ、と思う。
レンリは少しだけ形の良い眉をしかめて、資料をめくった。
パーティーの段取りでは、使節団と我が国のお偉いさんが食事をしながら語らう。
見取り図に机はいくつも描かれているが、椅子は壁際に数脚だ。立食パーティーをやる気らしい。
その後の日程はライモンのミュージカルホールやセッカにあるリュウラセンの塔など。
実質、お姫様の物見遊山ではないだろうか。
レンリは指でパーティーの段取りを細かくなぞった。
王女はパーティーに出ずっぱりではなく、挨拶の時間をとって、その時だけ公衆の面前に現れる。
「でも、凶器はどうするつもりだ? パーティー用のステーキナイフで刺すわけじゃあるまい」
「ああ、それね。ポケモンは持ち込み禁止なんだけど、ね」
スミレが背伸びしてレンリの腕の中に手を伸ばし、資料を奪った。
資料をめくり、ページを探している。
レンリは思考を巡らし、検査を誤魔化してポケモンを数匹持ち込む方法を考えていた。テロリスト相手に手持ちが一匹では心許ない。
同僚がページの一点を指し示した。
銃。
レンリは指を口に当てたまま、自室の中のゾロアたちの様子を伺った。
ゾロアたちは見られていることが気になるのか、時折細かく震えている。
「……そろそろ、いいかな」
レンリの言葉に、数匹が変化を解いて、子狐の姿に戻る。
それを見たレンリは意地悪そうに笑って、
「はい引っかかった」
と両手を上げた。
ずるいずるいと言いたげに騒ぎ出したゾロアを適当にあしらう。
「一番長く変化したやつをパーティーに連れて行く、って言ったろ? 約束は約束だ」
本来だます方である自分たちがだまされたことに不服な子狐たちは、うにゃんうにゃんと鳴いてレンリにのしかかった。
だめ、約束は約束、と言ってレンリがゾロアを引き剥がしているところにチャイムが鳴った。
ゾロアを蹴散らしてドアを開く。スミレが背丈の半分ほどもある大きな紙袋を持って立っていた。
「なんだこの格好は!?」
ライモンの自室で大量のゾロアに囲まれたまま、レンリは珍しく声を荒らげた。
いつものパンツスーツ姿ではなく、ふわりとした赤いドレスに、紅のメッシュを隠すように付けられたドレスと同じ色の髪飾り。
スミレが着替えろとしつこいので仕方なく着替えたが、着替え終わったところでとうとうレンリの我慢が切れた。
「警備だろ! なんでドレスなんだ!」
だってパーティーじゃなあい、と間延びした声で答えるスミレ。
ゾロアたちが地面に転がって大笑いしている。
「いいじゃない、似合うわよ」
スミレは笑いながら紙袋を手際よく畳む。その紙袋に「レンタルドレスサービス」の文字がなかったら、ドレスを引き裂いて脱ぎ捨てるところだ。
そんなレンリに、スミレは至極機嫌良さそうに問いかける。
「なんでドレス嫌なの?」
「…………犯人を追いかける時に不便じゃないか」
「それだけ?」
「犯人を蹴る時も困る」
レンリの返答にただ満面の笑みを浮かべながら、スミレは「行きましょうか」と静かに呟いた。
「何事もなければ、純粋にパーティーを楽しめばいいんだし」と少し申し訳なさそうに付け足す。
「ああ、あと、応援ひとり呼んであるから」
家を出て、スミレの車に乗り込んだレンリに声をかける。レンリは返事をしなかった。
黒の小型車は、渋滞にも引っかからずスイスイ進んで、程無くして会場の前に辿り着いた。
車から降りようとしたレンリの前に、ついとハイヒールの靴が差し出される。
「……なんで」
「ドレスにスニーカーじゃ、おかしいでしょう?」
渋々といった様子でハイヒールを履き、差し出された袋にスニーカーを入れ、鞄に押し込んだ。
その場で試すように足踏みしてから、車の中に手を伸ばす。黄色蜘蛛がぴょん、とその手に飛び乗った。
その奥からさらにもうひとり、人間の男性が出てきた。
車の中にはずいぶん余裕があるのに、妙に狭そうにして出てくる。
車から出て手足を伸ばすと、男性はレンリに向かっていたずらっ子のようなおどけた笑みを浮かべた。
「……尻尾を出すなよ」
レンリの小さな声に、男性は黙って頷いた。
もうほとんどの参加者は会場に着いているらしく、入り口付近は静かで閑散としている。
レンリは駐車場に泊められた車の群れをもの珍しげに見ながら、入り口へ向かった。
入り口には、持ち物検査用のゲートと警備員と、よく知った人影があった。
なんでここにこいつが、とレンリが咎める前に、スミレは「頑張ってね」と激励の言葉を置いて遠ざかって行った。
不機嫌を顔に貼り付けて振り向いたレンリに、見知った人影が声をかける。
「……ライム」
「君が来るっていうんで、僕も応援にね」
見知った顔がずい、と前に進んでレンリを見つめた。
「すごいな。何て言ったらいいのか……想像以上に綺麗だ」
レンリはそっぽを向いた。招待状の提示を求める警備員に、面倒くさそうに封蝋の付いたそれを見せた。一介の警備員にまで今回の脅迫状の件は知らされていないのだ。
彼も同じように招待状を見せる。警備員が「お連れ様は」と言い淀んだ。
レンリが半身を、車の中から付いて来た男性に向けた。
あごで会場とは逆の方をしゃくる。
男性は肩をすくめると、夜闇に紛れるように駐車場に姿を消した。
ライムが怪訝そうな顔をレンリに近付けた。
「……いいのかい? あれ、スーだよね」
耳元に息がかかった。
反射的に男の頬を打って、レンリは距離を取った。
叩かれたライムの方は、ヘラヘラと笑っていた。
「相変わらず。暴れても美しさが崩れないなんて君くらいだよ」
「無駄口を叩きに来たんなら帰れ、ライム」
ぴしゃり、と叩きつけるように言い放って、レンリは警備員に鞄を押し付けた。
「やだなあ。君を見に来たんだよ。それは冗談として、元々僕が手に入れたネタだからね」
ライムがレンリの後ろで肩をすくめている。
鞄はベルトコンベアーに乗り、中身の画像を晒しながら通過した。
いいですよ、の声にライムがごく小さな鞄を警備員に渡した。
ごく小さな鞄だ。鞄というよりポーチに近い。画像にはよく分からない物体が映っているだけだ。
「何を入れてるんだ?」
「入り用なものだよ」
ライムは微笑みを浮かべながらポーチを受け取った。
相変わらず、ヘラヘラと笑いだけは絶えない男だ。
いつも柔和そうに笑っているが、その分何を考えているか分からず、ミステリアスと言えば聞こえはいいが、ふとするとただの気味の悪い男に成り下がった。
今も何やら理解出来ない笑みを浮かべている。
なんで私はこいつと付き合ったんだろうな。そうレンリは疑問に思う。
レンリは、自分の後ろで彼がどんな表情をしているか、全く見ていなかった。
ライムがレンリの、ドレスのデザイン上むき出しになっている肩を叩いて進もうと促す。いつもはバチュルが乗っている場所だ。
会場への短い道のりの合間に、ライムが呟く。
「モンスターボールだけ見てたみたい。ほら、着いたよ」
レンリがその言葉の真意を問う前に、ライムは笑ってさっと道を譲った。
開け放たれた観音開きの扉の向こうに、淡い赤の絨毯と白いテーブルクロスがいくつも見えた。
吹き抜けの上方、本来の二階部分には張り出した廊下と豪勢なシャンデリア。
男性陣の黒白のスーツの中に、華やかな赤黄緑のドレス。
孔雀の飾り羽のような、大仰な飾りを付けた者もいる。
「君が一番綺麗だ、勿論ね」
さあ、とライムが腰を曲げて手を奥に伸ばす。
気障な奴だ、と会場への入り際に呟いて、そのままレンリは奥に進む。
レンリはチラチラと食べ物を見て、何を食べようか迷っているような振りをしながら、人混みの中に紛れた。
左右に目を走らせ、誰も彼女に注意を払っていないのを確認してから、ドレスの裾をはたいた。
ヒョイと狐が鼻先をドレスの中から突き出し、次いで顔を出した。
そして嬉しそうにシシッと笑うと、ドレスの中から静かに素早く飛び出して、テーブルクロスの下に入り込んだ。
本当はもう少し別の擬態を考えるつもりだったが、時間がなかったので、この際だからとドレスを利用したのだ。
居心地悪そうにバチュルが顔を出し、そして顔を引っ込める。
「すごいね。流石はゾロア使いのレンリだ」
いつの間にか、ライムが彼女の真後ろに立っていた。
彼女は後ろを見もせずに、答える。
「変な仇名を付けるな」
「ほめてるんだよ。家にもあれだけゾロアがいるしね」
「その話はもういいだろう」
にべもなく言い放って、レンリは男から離れる。
その時、レンリが振り返って一目でも彼を見ていたら、そうしたら、彼のヘラヘラした笑い以外の表情を見られただろう。
しかし、彼女はライムを一切見ずに、その場を離れた。
華やかなパーティーは続く。
レンリは壁際に並べられた椅子に腰かけて休憩をとっていた。
そこに、ライムが性懲りも無くやって来た。
「このジュース、美味しいよ」と言って差し出された緑の液体を、彼女は無下に断った。
帰ってきたゾロアが再びドレスの中に入り込んだ。
そのまま、レンリが立ち上がった。
喧騒を離れて扉を出ようとするレンリを、ライムが追いかけた。
「どこ行くの?」
「化粧室。慣れない靴で疲れた」
ドレスを掴み、少しだけ引き上げる。ストッキングの踵の部分が、無残にも血で汚れていた。
「スニーカーに履き替える気? やめなよ。おかしいよ?」
「これだけ丈の長いスカートなんだ。誰も見やしないさ」
見るよ、おかしいよと口を尖らせたライムを置き去りにして、レンリは化粧室を目指した。
化粧室は広く、橙色の暖かな照明で明るく隅まで照らされている。トイレと洗面台だけでなく、化粧専用のスペースも設けている。
レンリは個室に入ると、スニーカーに履き替えた。
そして少し考えて、レンリは欠伸をしているゾロアの額をつついた。
会場に戻ったレンリを、ライムの笑顔が出迎えた。
彼の目が、素早く探るように足元を見る。
そして、がっかりした顔を浮かべた。レンリはスニーカーを履いていなかった。
ライムの落胆した顔を見て、レンリは笑みを浮かべた。いたずらっ子のような、それ。
ライムは気を取り直すように頭を振って、レンリに話しかけた。
レンリの方は、手に乗せたバチュルに小声で指示を出している。
小さな蜘蛛は大広間の上方に張り出した廊下の手すりにひとっ飛びした。
そこからさらに天井を伝って、シャンデリアの上側に隠れる。
「何を……?」
問いかけるライムに、レンリは唇に指を当てる仕草で答えた。
作戦の子細を他人に話すのは彼女の趣味ではない。それが同僚であってもだ。
ライムは不服そうに肩をすくめてから、「さっきの話だけど」とレンリに再度話しかけた。
レンリはまばたきして、ライムを見た。
「すまない。全く聞いていなかった」
ライムは大仰にため息をついた。
いつもはいじられてもヘラヘラしているだけのライムが珍しい、とレンリは思った。
彼はレンリに一、二歩近付くと、内緒話をするように顔を近付けた。
「脅迫状を送った奴は、ポケモンを使うと思うかい?」
レンリは静かに首を横に振った。
「……銃だと思う?」
今度は、首を縦に振った。
競技用ライフルなどの一部を除いて、この地方で銃を持つことは誰にも許可されていない。たとえ、警察であってもだ。他の地方でもそうだろう。
ポケモントレーナー全盛の今、狩猟や犯人の捕縛が目的だとしても銃は使えない。
それに、銃はポケモンには大した威力を発揮しない。命中精度も、ライフルを除けば悪い。
利点は、モンスターボールからポケモンが現れるより速く弾が発射されることぐらいか。
近距離で、人間に向けられたら困るものではあるが。
そんなものが持ち込まれていて、しかもそれがテロに使われるときた。
テロリストはよほど銃の腕前に自信があるのか、それとも、
「銃を作っているか、ばらまいている連中はその銃によっぽど自信があるらしいね。
紛争地域にばらまくだけじゃ飽き足らず、平和なイッシュにまで出てくるなんて」
レンリが思っていたことを、ライムが引き継いで声に出した。
根拠はほぼ、ライムが持ち込んだネタしかないが……しかし、銃が使われる。レンリにはそんな予感がした。
確信に近い予感だった。
人々の他愛ない会話が徐々に静まっていき、人の群れの向きが一方向に定まっていく。
二階の渡り廊下の一部、衝立で両側を仕切られた部分に繋がる扉が開いた。
「只今より、皆様のお時間を頂戴いたしまして」
歓迎パーティーのために雇われた誰かが、声を張り上げた。
それを合図に、会場はしんと静まった。
「遠方より来訪して下さった、栄え有る王家の姫様がお言葉を賜ります」
レンリは誰かの尊敬語を聞くのもそこそこに、周囲を素早く見回した。
誰かが銃を持っている。
この中の、誰かが。
光をキラキラと反射するドレスに身を包んだ王女が姿を現した。
警備兵のポケモンが前方を守り、世話役然とした女性が横側を守るように歩いている。
銃を撃ったとして、これではポケモンに阻まれて王女には届かないだろう。
銃が使われるとして、その理由に一瞬疑念が浮かんだ。
王女が進み出た。
廊下の手すりへ近付く。しかし、手すりに届くほどには前へ出ない。
王女が所定の位置で立ち止まり、口を開こうとした時。
静かな水面に水滴が落ちたかのように、ある人物を中心点に人の群れが揺れた。
鉄鎚で鉄を強く打ったような音が響いた。
天井のシャンデリアが砕け、細片が会場に降り注いだ。
誰かが悲鳴を上げた。それは連鎖して、すぐに判別のつかない大きな音となった。
「皆さん! 早く避難してください!」
ライムが大声で怒鳴った。それさえも飲み込んで、人の群れは一気に出口へ移動し始めた。
我先に、と手を伸ばしながら顔を歪めて走る人々。
姫とそのお付きが扉の向こうへ姿を消した。
レンリは丸テーブルの、人が丁度通らない点に身を収めた。
水流が杭を避けるように、人々がレンリを避けていく。
ライムは兎にも角にも声を上げ、人々を必死に誘導していた。
天井のシャンデリアを見る。
端の一箇所が無残にも壊れている。その場所から、彼女の電気蜘蛛が顔を見せている。
そこから伸びる透明な糸。
それは下方にいる、男の右腕を縛り上げていた。
その手の中には、禍々しい、黒い造形。
天井からなら、会場にいる人の動きがよく見える。
小さなバチュルは男の動きをいち早く察知し、その銃口が姫に向かないよう、糸で腕を縛り上げてその方向を変えたのだ。
「よくやったな、ベー」
レンリは臆せず犯人の男に近付くと、その手から拳銃を奪い取った。
そして顔色を変えず、床に向かって五発、銃弾を撃ち込んだ。
「銃の仕組みはあまり知らないんでな」
しれっとそう言って、空になった拳銃を床に投げ捨てた。
男の左手を取って後ろに回し、空いた手で手早くバチュルの糸を掴んで手首を縛る。
そして力を少し入れて男を床に転がすと、バチュルに戻るよう指示を出し、会場の出入り口の方を向いた。
ライムが手を振りながら走って来る。
「もう犯人を捕まえちゃったのか。流石レンリだ」
そして彼女に銃口を向けた。
IV.当日(2)
彼は会場の中央付近に立つレンリに、大股に歩み寄った。
その手には、黒光りする拳銃が握られている。
「……ベーは離れててくれるかな。後ろに。そう」
体の小さな電気蜘蛛では、主人を弾丸の脅威から守れない。名指しを受けた電気蜘蛛は、すごすごと後方の壁まで下がった。
ライムがバチュルとレンリを結んだ直線上に来るよう体の位置を変えた。
これでは、電気蜘蛛はレンリを巻き込まずに技を出すことが出来ない。
ライムが拳銃を握り直す。手が汗ばんでいるのだろうか。
「驚いたかい、レンリ」
妙にぎらついた目がレンリを見る。
こいつのこんな表情を見たのははじめてだ、とレンリは思う。
「まあね」
レンリは静かに答える。
予感はあった。奇妙なポーチのこと。今回の事件のことも、前日に持ち込まれたネタのわりには詳細が分かっていた。銃のこともあった。
けれど、本当にそうだとは、実際にこうして銃を向けられるまで確信が持てなかった。
「いつから、こんなスパイ紛いのことをやっていた? 銃を作ってる連中と……」
今度はレンリが質問した。
ライムは嬉しそうに笑った。こんな時に、嬉しそうに。
「残念。僕は警察をスパイしに来たんでね。銃のことは漏らしすぎたけど……まあ、そんなことはどうでもいいんだ」
突然、銃を真っ直ぐレンリの顔に向けた。
そして、ほとんど言葉を叩きつけるようにして吐き出した。
「組織に上手く事件の算段を話して、こうやって銃を持ち出すほうが大変だったよ。
道化の男もよくやってくれた。レンリの注意を引き付けてくれて」
本来の目的は失敗したけど、僕の方は達成できる。
そう言ってライムは笑った。嘲笑。
「何か、言い残すことはないかい? これから、君を殺すんだけど」
またライムが笑った。いつものヘラヘラ笑いだった。
レンリは素早く考えを巡らせた。
あと少し、時間を稼げば。そして距離をもう少しだけ縮めたら。
何か、彼の気を引く話題はないか。
「なんで私と付き合った」
ライムは答えない。
「最初から殺すつもりだったのか」
ライムが距離を詰める。もう少し。
「本当に付き合うつもりだったさ」
でも、とライムは続ける。
「絶望した。ああ、絶望を味わったね! 君が僕を家に呼んだ時に」
ゾロアが僕に噛み付いたのは構わなかったさ。ライムが目を剥いて唾を吐く。
でもさ。
「君は……笑ってたね。ゾロアに向かって。僕はあんな笑顔をはじめて見た! 一度も、一度もだ! それをゾロアに向かって!」
ライムが怒りのままに話す。言葉が次第に散り散りになり、意味の分からない罵声になっていく。
銃口がレンリから逸れた。
パン、と指を鳴らす。ドレスが揺れた。
黒い子狐が矢のように飛び出し、ライムの足に突撃した。
ライムは体勢を崩しながらも、銃口をレンリに向けた。
引き金に手をかけるより速く、レンリがその手を蹴った。いつの間にか、履き物がスニーカーにすり替わっている。
ライムの手を離れた銃が、遠くの床に落ちる。
得物を無くした手が、今度はレンリに掴みかかった。強く首を掴まれ、床に倒される。
声が、声にならない。
手を引き剥がそうとしても、まるで首に張り付いたように離れない。
小さな黒と黄色がぼんやり見えた。
ライムがぶつぶつ言っている。ただ一言、「好き」だけ聞き取れた。
空気を求めてもがく腕の力が弱くなっていく。
レンリは目を閉じた。
冷たい液体が流れ落ちた。
ライムの体が跳ね飛んだ。
視界が元に戻り、真っ先に映ったのは赤髪の獣人。
「スー!」
後先考えず、飛び付く。
暖かく慣れ親しんだ獣の匂いが彼女を包んだ。
V.その後
来るのが遅かったと、まるでデートの待ち合わせをしていた男女みたいに一方的な喧嘩を繰り広げるレンリとスーを、呪うような恐ろしい目付きで睨みながらライムは警察車両に乗せられて行ったと、後に同僚が話した。
彼女はあの後もずっと駐車場にいて、スーとどこかに他の出入口がないか探したり、警備員の目を誤魔化す方法を考えたりしていたらしい。
それでスーが来るのが遅れたのだが、事件が解決さえすればレンリにはどうでもいいことだった。
王女自身が狙われる理由もごまんとあるらしく、王女の歓迎パーティーの件は不問になったようだ。
銃の密売組織は最近勢力を広げていて、取り締まりを強化していると別の課からの情報が後になって入ってきた。
最初に銃を撃った男は、最近調理場に雇われた男だったそうだ。
一応、事件は解決したように思えた。
「ただ、なんでライムが私を殺そうとしたか、分からないんだ」
事件のない、開店休業中の警察署内で、レンリとスミレが話す。
時間はいつものように、昼休みの小半刻前だ。
レンリは灰色に赤の湯呑みを撫でていた。
「私は普通に付き合ってたつもりなのに」
肩に乗るバチュルがフィー、と鳴いた。手の中の湯呑みがカタカタ揺れる。
そんなレンリを見て、スミレは優しく笑う。
「じゃあ、分かんなくていいんだよ。レンリちゃんにも、いつか分かればいいなあって思うけどね」
陽光が暖かく室内を照らす。
お茶を入れようか、とスミレが言うと、レンリの手の中の湯呑みが子狐の姿に戻る。
化けるのがまだまだ下手なんだ、と言ってレンリが笑う。
少し長めの昼休みが続いている。
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】
ぞろあがぞろぞろあー。……すいません。
スカートの中からゾロア! がやりたかっただけです。
【描けるもんなら描いてみろ】という方向性で。
でもどうせ中はハーフパ(強制終了)
バレットパンチという技があるくらいだから、銃はあるんだろうと思います。
しかしバレットパンチにしろなんにしろ、強力な技を受けても平気なポケモンに銃を撃って効くかなあ、とも思います。
きっと、ポケモン世界の人々はポケモンを中心に狩りをしていたんだ! 弓矢とか剣とかは補助的に使ってたんだ! とか考えています。
銃も、ポケモンがいるからあんまり発展してなくて、威力も命中精度も良くないだろうなあ、とか。
でも人間相手なら致命傷を与えられるから、戦争には使われるかな、とか。
【考察していいのよ】
ゾロアにバチュルそこ代われは諸事情によりお断りします。
……ああ、彼女ですか。多分彼女だと思いますよ。