『伝説』と呼ばれるポケモン。それらは各地方ごとに存在する、特別なる者達である。
カントー、ジョウト、ホウエン、シンオウ、そしてここイッシュにも――――――。
「ぶえっくしっ!!」
盛大なクシャミ一つで、更なる強風が巻き起こる。目の前にそびえ立っていた大木がしなり、気の毒なマメパトが一羽、甲高い悲鳴と共に遠くの空へと吹き飛ばされていった。
鼻をすする音。不機嫌な唸り声に反応して、辺りを吹き荒れる突風が激しさを増す。気分によって周囲に与える被害の程度を変えるという旋風ポケモン――トルネロスの機嫌は、かつて無いくらいに最悪だった。
頭が重く、体の節々が痺れるように痛む。背中を這い回る悪寒に加えて、胸の奥が妙に重苦しく呼吸がし辛い。そんな不調を抱えた苛立ちが、辺りの天候を更に悪化させている。
森の生き物達は皆、息を潜めてこの気まぐれで無慈悲なる猛者が鎮まる事を一心に願っていた。
残念ながら、その願いは聞き入れられなかったようである。
突如北の空が光ったかと思うと、雷鳴を引き連れた黒雲が物凄い速さでこちらに接近してくる。通る道筋に小さな稲妻を落としては、無数の焼け焦げを作り出すというその迷惑極まりない物体は、不機嫌なトルネロスの目前まで来ると最大限の雷鳴を響かせて弾け飛んだ。黒雲の中から現れた、彼に良く似た姿が問いかける。
「どうした風神、調子でも悪いのか」
「ああ、少しばかり風邪を引いたらしい。……どうした雷神」
トルネロスは目を疑った。雲を割って飛び出したのは、彼に良く似た姿……のはずだった。
視線の高さで浮遊するそれは、見慣れたボルトロスの姿とはかけ離れていた。
頭には捻った細い布を巻き、逞しい肩から上半身を覆う青い布を引っ掛け、腹には縦に筋の入った平たい布地を着けている。いつも通り尊大に組んだ腕の中には、良く分からない凹凸のある木片が抱え込まれていた。
うむ、と一つ頷いて、まじまじと己を凝視するトルネロスに説明を始めるボルトロス。
「よいか、頭のこれはネジリハチマキ、この覆いはドテラ、腹のこれはハラマキというらしい。そしてこれはゲタだ」
「いや、そんなことは聞いておらん」
「ドテラというのはなかなかに高機能だという。初めて試してみたが、確かに快適だ」
「それも聞いておらん」
「全てを用意すれば、これ即ち“親父セット”と呼ぶらしい。どうだ、似合うだろう」
「聞いておらん」
そうか、とどことなく残念そうに頷くボルトロスに、トルネロスは重ねて問いかける。
「なぜそんな格好をしているのだ」
「うむ。ここまでくる途中、民家があってな」
「吹き飛ばしたのか」
「お前ではあるまいし。その軒先に、これらが干されていたのだ。だからちょっと取って来た」
「盗ってきたのか」
うむ、と頷いて、肩をそびやかすボルトロス。そういえばこいつには妙な収集癖があったな、と思い出すトルネロス。迷惑なことこの上ない趣味である。
「なぜまた、人間の住処などに近づいたのだ」
問えば、ううむと唸って真顔になった。
「覚えているか、風神」
「何をだ、雷神」
「………無礼千万な人間どもと戦ったことを、だ」
ああ、と呟いて、トルネロスは苦虫を噛み潰したような顔をした。
忘れられる訳が無い。
彼らは所在を持たず、イッシュ中を勝手気ままに飛び回っては雷雨を降らし突風を起こし、顔を合わせるたびに激しく争う事を常としていた。稀にやりすぎて豊穣神ランドロスの逆鱗に触れ、怒りの鉄槌を食らうこともあるが、そもそもかの存在は豊穣の社から滅多に出てこない。そのランドロスを除けば、彼ら暴風雨コンビに逆らえる者などいないのだ。
あの日も、豊穣神の沈黙をいい事に嬉々として山中を暴れ廻っていた。互いに力をぶつけ合い、暴風で山肌を削り雷を落として地面を穿ち、雷鳴と豪雨とを撒き散らす。
ふと眼下を見下ろせば、ちっぽけな人間が数人、その配下の飼い慣らされたポケモン達と共に右往左往しているのが目に入った。賭けをしよう、と言い出したのはどちらだったか。
「あそこにいる人間どもを、もう少しばかり驚かせてやろう。尻尾を巻いて逃げるか、泣いて許しを請うか。絶対に逃げる、我の勝ちだ」
「それは面白そうだ。では許しを請う方に賭けよう、我が勝つ。……手始めに、あいつからだ」
離れた場所に一人だけ、ぽつんと立つ小さな人影があった。彼らは互いににんまりと笑いあうと、紅い髪の人間の元へと急降下して行った。
目算が違った、とはこういうことを言うのだろう。
怯えきった盲目の少女に殺気を送って威圧すれば、彼女は巨大な赤竜を繰り出してきた。生意気な、と風の塊をぶつけてやったら、怒り狂った竜の尾がもろに彼らの体を捕らえ、遥か彼方に吹き飛ばした。
飛ばされた先で出会った人間に挑発され、遊んでやるつもりがつい本気になった。女と男、それぞれに狙いを定め潰してやるつもりだったのだが。
「まさか負けた上に、あのような情けをかけられるとは」
ぐるるるる、と喉の奥で不満の呟きを漏らすボルトロス。滑稽な格好だけに、妙な迫力が加わっている。ああ、確かに無様だったな―――という言葉を、トルネロスは口に出すことなく飲み込んだ。あの時は自分も負けないくらいの醜態を晒していたからだ。
黒髪に赤いメッシュを入れた女を追ったボルトロスは、圧倒的優位に立ちながらも自身の油断と予想外の抵抗の前にあっけなく敗北した。女を狙うあまり、化け狐と小さな電気蜘蛛の動向に気を配れなかったのが敗因だった。
糸で地面に縛りつけられたまま、己を倒した手持ちを労う女の声を聞かされるとは、なんという屈辱だっただろう。
挙句、殺し損ねた相手に助けられ、木の実と穏やかな説教とを貰って解放されたなど。
精悍な顔つきの男を狙ったトルネロスは、数こそ多いものの動揺して能力を出し切れないポケモン達を相手にするだけ……のはずだった。
実際は、即席ながら見事なコンビネーションを見せた寄せ集め集団に嬲られ、渾身の大技の発動を止められた挙句、情けなくも背を向けて逃走する羽目になった。
更に怒りを募らせながら向かった先で、頼りなさそうな若造と意識の無い少年を庇って動きの取れない年長の男とを見つけ、溜まった鬱憤を晴らしてやろうとしたのだが。
若造の策略に絡みとられ、挟み撃ちの形でまたもやいい様に扱われてしまった。一瞬の気の緩みをついて呪縛を払い、小癪な若造を叩き潰してやろうと腕を振り上げたものの……件の赤竜が炎を纏って突っ込んできたせいで、目的を果たす事なく倒れ伏した。
トルネロスもまた、自身を瀕死に追い込んだ男から慈悲を受け、トロピウスの果実と少々悪役めいた説教を食らって放免されたのだった。
「……それで、あの事がその格好とどう関係するというのだ」
「うむ。あの日、我は人間というものに興味を持ってな」
「ふむ、…っくしょぉい! ううむ、あれ以来妙に不調だ」
「おう、豪風でハトーボーが見事に飛んでいったぞ。そうだこれを貸してやろう、羽織ってみろ」
「ドテラ、というやつか………ふうむ、なるほど暖かい」
「ついでにこれもやる。健康サンダル、とかいうものだ」
「なんだ、このイボイボのついた板は。気持ちが悪いな」
「うむ。これはだな、人間が足のツボを刺激するための……」
「ちょっと待て。正直それはどうでもいい」
話し続けようとするボルトロスを遮って、トルネロスは話の筋を元に戻そうと努力した。渋々説明を止めた雷神曰く、ちっぽけで無力な存在だと馬鹿にしていた人間に惨敗した後、体力の完全回復を待ちながら、じっくりとっくりと考えてみたのだという。
なぜ、神と呼ばれるほどの力を持つ自分が、ひ弱な人間に負けを喫したのか。人間単体は勿論、連れていた配下のポケモン個々の能力で言っても遥かに凌駕する実力を持つ自分が、なぜ。
答えは一つしかなかった。
「我等は人間とポケモンの間に結ばれる“絆”とやらに負けたのだ、風神よ」
「絆、とな。雷神よ」
うむ、と力強く頷いて、ボルトロスは苦々しげに―――しかしどこか楽しげに言葉を続けた。
「力一つを取れば、断然こちらに分があった。しかし奴等の互いを思う心は、格上の我等を超えてあまりある程の力を生み出した。人間との関わりなど枷にしかならぬと思っていたが……実際はどうだ、その枷をつけた連中に見事してやられたではないか」
「ふむ、確かに。奴等の結束は強かったな」
「その要となったのが、あの人間共だ。己自身は脆弱なくせに、他を纏め、能力を引き出す事に関してはずば抜けている。特に、あの場にいた連中は並の手並みではなかったようだな」
もしあれがもっと未熟な連中だったなら―――言いかけて、ボルトロスはにやりと笑った。今そんな事を考えても仕方がない。負けは負け、だ。
「まあ、つまりだな。ああいうのがごろごろしているのならば、人間というのもなかなか面白い生き物だと思うようになったのだ」
ふうむ、と呟きつつ。トルネロスは兄弟神をしげしげと眺めた。暫く会わなかった内に、その心境には随分な変化があったと見える。以前の、他者に対する傲慢なほどの無関心さは影を潜め、かわりに生来の好奇心が大きくなっているようだ。わざわざ人間の住処に行き、親父セットなるものを持ってきたのも、悪戯心の成せるものなのだろう。
そういえばこいつは昔から奇抜な行動に走りがちだったな、とトルネロスは思い出した。
だがまあ、しかし。
「実は同じ事を考えていたのだ、雷神よ」
「ほう、奇遇だな。一緒に親父になるか、風神よ」
「それは断る。そうではなくて、人間が面白いという話だ」
「ほほう。……さては、お前も何か言われたな」
「お前も、ということは、お前もなのか」
互いに顔を見合わせ、にたりと笑いあう。
「我と戦って悩みが吹き飛んだ、と感謝されたのだ」
「恨みがあったがどうでもよくなった、己が務めを果たして生きろ、とな」
言ってから、どちらともなく、なんと不思議な生き物だと呟いた。自分を殺そうとした者に、これほど寛容になれるとは………全くもって理解し難い。
二柱の神の沈黙に反応して、荒れ狂う暴風雨が少しばかり勢いを弱めた。
「……それで、お前はこれからどうするのだ」
しばしの後。トルネロスの問いに、ボルトロスは少しばかり困った顔になった。
「どうすると言われてもな。今まで通り、各地を巡り飛び回ることしか考えておらん。我が役目は訪れた地に雷雨をもたらし、大地を潤すこと。お前とて似たようなものだろう」
「ああ、我の役目は強風で辺りを吹き払い、古きを除き新しきを運ぶ事。今まで通り振舞う以外、何が出来ようか」
ただ、と一旦言葉を切る。
「あの日、小癪な人間に一つ貸しを作られた。今後も我が無闇に暴れまわるようなら、奴が成敗しに来るらしい。………なんと生意気な小僧だと思ったが、それについて言い返せなんだ自分がどうにも情けないわ」
「何たること! 我も女から同じ事を言われているぞ。兄弟揃って、なんとまあ嘆かわしいことだ!」
言葉に反し呵呵大笑するボルトロスにつられて、トルネロスの相好も崩れた。あの日以来胸の底にわだかまっていた苛立ちが、笑いの形でもって溢れ出ようとしている。構うものか、存分に垂れ流してやれ!
両者が腹を抱えて笑い転げると、収まりつつあった風雨が一気に強まった。逃げ込んだ藪からそっと様子を窺っていたケンホロウが、凄まじい稲光に照らされて慌てて顔を引っ込める。まだ暫く、安心は出来そうにないらしい。
ひとしきり笑ってから、やれやれと吐息をついて空を見上げる。
「一方的ではあるが、約束は約束だ。守らねば誇りに関わるからな。今後は、人間の近くで荒ぶるのは止めるとしよう」
「そうだな。神たるもの、人間ごときの約束一つ守れぬようでは名が廃る。………だがもし、我等に自ら挑んでくるような人間がいたならば。その時は」
今度こそ、返り討ちにしてくれようぞ。
双方は凄みのある笑みを浮かべ、喉の奥で低く唸った。闘いこそ、彼らの性。一度牙を折られたからといって、己を鍛え強者を捻じ伏せる事こそが最大の喜びと感じる心は失われていない。むしろ更に煽られたというべきか。イッシュの闘神という矜持にかけて、次は無様に負ける訳にはいかないのだ。
「おお、思わぬ長居をしてしまった。そろそろ次の土地を巡らねばならん。さらばだ、風神よ」
突如、一際響く雷鳴を轟かせたボルトロスは、現れたときと同じくその身を雲で包み込み、猛烈な速さで飛び去っていった。あっという間に小さくなったその姿を見送って、ふんと鼻を鳴らすトルネロス。相変わらず唐突な奴めと呟くその顔は、妙に晴れ晴れとした表情に変わっている。
いつの間にやら、不調はすっかり治まっていた。恐らく、圧し掛かっていた『敗北』という名の重しを、あっけらかんと笑い飛ばしてしまったせいだろう。これぞ病は気から、というものだったのか。
ふと、ボルトロスはこの為に己の所までやってきたのではないか、という考えが頭を過ぎった。例え離れていても、互いに対になる存在として何がしかの繋がりは持っている。ひょっとしたら、片割れの不調を感じ取り、救うために現れたのではないか――――――。
いやそれは無い、とトルネロスは己の考えを一蹴した。あれはそういう心遣いとは無縁の奴だと、昔から知っている。とはいえ、トルネロスの方もそんな気遣いなどした事が無いからお互い様である。今回は偶々、手に入れた人間の物を見せに来ただけなのだろう……ああ、そういえば。
「あやつめ、ドテラとサンダルを忘れて行きおった………」
まあいい、いずれまた会う機会もあろう。それまで借りておくのも悪くない。
一人ごちて、ふわりと空に舞い上がる。雷を欠いて随分大人しくなった風雨の中を、青いドテラを着た姿が悠々と進んでいく。遠く、遠く、新たな地を目指して。
彼らが去った後、吹き清められ潤った大地の上には、隠れ潜んでいた生き物達がぞくぞくと湧き出てきた。
あのケンホロウも再び藪から顔を出し、周囲の安全を確認すると、優しい声で背後の雌に呼びかけた。揃って窮屈な隠れ家から飛び出して、陽光を浴びながら満足げに伸びをする。二、三度大きく翼を打ち振るうと、番は鳴き交わしながら森の奥深くへと消えていった。
ようやく、森はいつもの平和な静けさを取り戻したのだった。
風の神トルネロスと雷の神ボルトロス。暴れ者、破壊を司る者と見られがちな彼らにも、イッシュに於いてはそれぞれに存在の意義がある。あの山中での衝突は、人間、ポケモン共に互いの認識を改めさせる機会となった。
両者が己の分を守り付き合うのならば、例え言葉が通じなくとも分かり合う事は出来るだろう。理解の果てに、絆を結ぶ事が出来るかどうかは―――――その者の資質次第。
風神と雷神は、今日もまたイッシュの地を巡っている。
ちなみに。各地を放浪していた際、偶然登山客のカメラが捻り鉢巻腹巻姿のボルトロスと、半纏姿で健康サンダルを手にしたトルネロスとを写真に収め、新聞に【新種発見!? 親父ポケモン現る! 】という記事として書き立てられる事など………彼らは知る由も無いのであった。
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ログ消滅に乗じて封印してしまおうと思っていたのですが、ありがたくも再掲希望のお声を頂いてしまったのでここに復活。嬉し恥ずかし。
いつぞやのチャットにお邪魔していたときの事。
何故か『下駄を履いて舞踏会で踊り狂うお姫様』の話になって、そこから『下駄履くなら腹巻とかドテラとか』→『どこの親父だ!』→『親父といえば風神・雷神』→『似合いすぎて困る』→『(遭難パーティを救出せよ!で)相手がそんなだったら嫌だ、絶対負けたくない』という流れになり、ついつい書き上げたのがこれです。
正直、「伝説ポケを馬鹿にしとんのかい」というご意見を頂いてもおかしくないなー、と内心ヒヤヒヤしていました。伝説ファンの方、本当にごめんなさい。
悪ふざけながらも本人大真面目(なのか?)で書いております。こいつ阿呆だろ!というノリで見ていただければ幸いです。
ともあれ、再掲を望んでくださった皆様、及びお読みくださった皆様に最大級の感謝を込めて。
ありがとうございました!
【なにをしてもいいのよ】