「感動」のない1日をどう過ごすか。
ここはとあるポケモンセンター。
深夜0時。私は今日も充実した一日を過ごしてとても疲れている。今にも睡魔に負けてしまいそうだ。
三十を超え、再出発してトレーナーになったまではよかったものの、やはり若い奴らに体力では敵わない。ライバル達がバトルの戦略について議論してたり、町の情報交換をしているなか、私は情けないことにいつも9時には寝てしまっている。
そんな私がなぜこんな深夜まで起きているのかと言えば、「明日」の問題があるからだ。
別に特段明日に何かがある訳ではない。
この町にポケモンジムはないし、草むらも見てみたが目新しいポケモンはいなかった。定期船の出航日を間違えて、一日早くこの町に来てしまっただけの私がここですることは何もない。
そう、何もない。しかし、その「何もない」が問題だった。
トレーナーになってから5年。毎日毎日、体をボロボロにしてベッドに倒れ込む日々が続いている。だけど今の私は、サラリーマン時代には決して感じることのできなかった生きがいを感じている。幼い頃から親の言いなりだった私は、母の反対を押し切ってまでトレーナーになれなかった。
私はそのことを社会人になっても後悔し続けていた。28の時、得意先との間で起こしたトラブルをきっかけに、私は会社をやめた。ポケモントレーナーになると言った時、当然親からは猛反対を受け、再就職してくれと母親からは泣きつかれた。
しかし、私はその反対を押し切った。
思えばそれは、私の人生最初で最後の反抗だったのかもしれない。
旅立ちの日。私は夜逃げするように実家を抜け出し、アララギ博士の研究所まで行くと最初のポケモン、ツタージャをもらってトレーナーの旅を始めた。
その日から一度も実家には帰っていない。
帰れる訳がない。黙って家を飛び出してもう5年もほったらかしにしてしまっているのだ。まして私は、今だにジムバッヂを3つしか持っていない。早い奴なら1年でポケモンリーグに挑戦しているというのに。
とにかく私は、この5年間波瀾万丈すぎる毎日を送ってきたのだ。
いまさら、「何もない」は耐えられない。
人は、感動がないと死んでしまうらしい。
昔嫌々通っていた学校でそんな話を先生から聞いた。
先生は嫌いだったけど、その話にだけは納得できた。
この星が終わる日、最後に生き残れるのは感動できる人間だけ。
―あぁ間違いない。私は明日死んでしまうだろう。
こうなったら何がなんでも、明日を「感動」溢れる日にしないといけない。私はまだ死ぬわけにはいかないのだ。
ここで私は、昔読んだ小説のことを思い出した。
つまらない学生生活を送っていた私にとって、本だけが唯一の救いだった。本だけが私に、生きるための「感動」を与えてくれた。
もしも、私が小説の主人公なら、きっと毎日が感動でいっぱいの日々なのだろう。
「そうだ!」
突然頭の中に妙案がひらめき、私は手を打った。
―自分を小説の主人公にすればいいんだ!
つまりこういう事だ。
私は明日起こるあらゆる出来事を、小説の1ページとして捉えるのだ。
たとえ、どれだけありふれた事でも、どれだけくだらない事でも、私の中だけで壮大かつ感動的な一大スペクタクル巨編の一節にしてしまおう。
「ノベルタイプ」な人間になるのだ。
無茶苦茶な話かもしれないが、昔から本ばかり読んできた私ならきっとできる。
私は「明日」を乗り切る方法を見つけると、そのまま吸い込まれるように眠りについた。
[06:00]
昨日あれだけ夜更かししたというのに、朝起きる時間はいつもと同じだった。
私はベッドから上半身だけを起こすと、「今日」がどういう日かを思い出してげんなりした。
―これではいけない。私は今、ノベルタイプなんだ。
私は重たい体を持ち上げ、気分を変えようとカーテンを開けた。空はどんよりと曇っていた。
「違う、違う!」
私は慌てて言った。
『いつもと違う気のする今日に、私は期待で胸をふくらませた。颯爽とベッドを飛び出しカーテンを開けた私に、サンサンと降り注ぐ太陽の光。耳を澄ませば、マメパト達の鳴き声や風に揺れる木々の音が聞こえてくる。その光景に私はニッコリと微笑んだ。』
―これでいい。少しばかり現実と違う所もあるが、まぁ小説なんだから多少のフィクションはつきものだ。
[07:05]
顔を洗い歯を磨いた私は、さっそく何もすることが無くなってしまった。早くご飯が食べたかったが、ポケモンセンターの朝食は7時半にまでならないとでない。
さっき開け放っておいた窓から朝練の音がする。本当は私も朝練をすべきなのだが、中年がアレをやると体を壊す。いくら何もない日だからといって、一日中ベッドで寝込むのは御免だった。
あまりに何もすることが無いので、ボールからポケモンを出してみた。
ジャノビーはボールから出してもまだ寝ていた。
「ジャノビー」
と、私が一言呼びかけると、ピクンと耳が動かしてジャノビーが目を覚ました。
―さすが最初のポケモン。これぞ築きあげてきた信頼。
私は嬉しくなってジャノビーに近づいた。
ジャノビーは私のみぞおちに体当たりした。
「違ーう!」
私は強烈な不意打ちを受け、体をくの字にしてむせ込んだ。
『ボールから出てきたジャノビーはまだ眠りの中にいた。ボールから出てもまだスヤスヤ眠り続ける姿を見、私はフフッと笑ってジャノビーに声をかけた。
彼の耳が、私の声を捉えてピクンと動くと、彼はウーと伸びをして目覚めた。私は伸びで上がった彼の体を包み込むように抱き上げ、「おはよう」と笑顔で言った。』
―完璧。これぞ最上の朝。これからの一日もういい予感しかしない。
[07:28]
寝ていた所を起こされて、すっかり不機嫌なジャノビーをやっとこ宥めすかし、私達は食堂に向かっていた。
食堂は、朝練を終えて帰ってきたトレーナー達でごった返していた。
正直臭い。
朝練終わりに食事よりシャワーを優先する奴は少ない。特に男は。
―おっと、危ない。気を抜くといつも気にしてないことまで、目につきだす。せっかくノベルタイプでいるのに。
今日の朝食は、トースト2枚にスクランブルエッグ、あとサラダにヨーグルト。
昨日と全くもって変わりばえのしない、いつも通りのメニュー。ポケモンセンターの料理は、まずくはないがバリエーションに乏しすぎる。たまにはみそ汁が欲しい。せめてヨーグルトに、ゴスの実ジャムを入れてくれ。あの甘いだけじゃない、ほのかな苦さが懐かしい。
私はポケモン達に、ポケモンフーズを配り終えると、自分の食事を始めた。
確かに代わりばえしないメニューだが、食べればやっぱりウマイ。トーストの焼き加減は絶妙だし、スクランブルエッグはフワリと黄金に輝いている。
サラダは・・・・・あ、これ嫌い。
「違うって!」
思わず口に出してしまい、あちこちから私に向かって白けた視線が集まった。
『私は目の前に広がる豪華な朝食に目をみはった。
焼きたてのトーストはまさに極上の一品。表面はきつねいろ、中はふんわりと仕上がっている。
キラキラとゴールドに輝くスクランブルエッグは、私に食べてくれと手招きしているようだ。
そして、サラダ!
新鮮な旬の野菜がずらりと並び、いかにも・・・栄養がありそうだ。香り高いハーブの入ったドレッシングをかければ、至高の食卓を彩る究極の副菜となるだろう。』
−さすがに苦しいか。野菜は、あの臭いが昔からどうにも苦手だ。せめて調理されていればいいのだが、生はキツイ。
トースト、スクランブルエッグ、さらにヨーグルト、全て食べきった。
残るはサラダだけ。
私は皿をドレッシングの海にして、ようやっとサラダを胃に押し込んだ。
[10:14]
ノベルタイプな思考にも大分慣れてきた。
今の私にとって、トイレまでの道のりはチャンピオンロードのように険しく、バッヂを磨けばその輝きはダイヤより強くその造形美はパールより美しい。
なんだかいつもより忙しい一日を送っている気がする。
ポケモンセンターの中にはトレーナーがまだ一人いた。
正直トレーナーはみんな、今朝の船で出てしまっていると思っていたので少し驚いた。
歳は10代前半、顔に漂うあどけなさからしてトレーナー初心者だろう。
―カモだ。
「おじさん、僕とバトルしてよ。」
まさしく自分が言おうと思っていたことを先に言われ、面食らってしまった。
「も、もちろんいいよ。ルールはどうする?」
「お互いの持つ、一番強いポケモンどうしの1対1で良い?」
「良いけど、おじさんのポケモン強いよ。」
「そうこなくっちゃ、つまらないよ」
わっはっは。もう笑いが止まらない。このバトルにサクッと勝てば、今日どころかもう何日でも気分サイコー。実のところ、最近負けがこんでいて自信無くなっていたから、これは絶好のチャンス。
私達はポケモンセンターの地下にあるバトルフィールドまで移動した。
バトルフィールドの入り口から奥のポジションに私が着き、もう片方に少年が着くとバトルスタート。審判がいないので、始まりはそれぞれの勝手だ。
「それじゃ、おじさんから先攻いかせてもらうよ。頼むよっ、ジャノビー!」
先攻をとったのは、せめてものハンデだ。互いのベストパートナーを出すと決めてはいるもの、あの子にしても相性が気になるところだろう。初対面な訳だし、いざとなればあの子にしても出
すポケモンを考え直したくもなるかもしれないし、ねぇ?
「僕の一番の仲間はコイツだ!いけっ、フタチマル!」
―ほほぅ、私の先攻は、いらぬお世話ということか。
「いいのかい?フタチマルじゃ、おじさんのジャノビーに不利だよ。」
私はすっかり調子に乗って言った。
すると、
「僕達、勝つよ。」
少年はきっぱりと言った。
―気にいらない
相性からもトレーナー経験からも有利なはずの私は、思い切り余裕をかまされてムッとした。
「そうかい。なら遠慮なくいかせてもらうよ。ジャノビー、グラスミキサー!」
ジャノビーの尻尾から、大きな葉っぱの竜巻が起こり、まっすぐフタチマルに向かっていく。
「伏せるんだ!」
少年が鋭く叫ぶ。
地面に伏せたことでフタチマルはグラスミキサーの直撃を免れた。
私だってそれくらいの事は見越している。
今ならフタチマルは、体勢を立て直すのに時間がかかる。今のうちに距離を詰めて、トドメをさす。
と、思ったが止めておくことにした。
−身の程知らずの新米トレーナーをもう少し揉んでやろう。
「ジャノビー、フタチマルにやどりぎのたね!」
ジャノビーからポッポッといくつかの種が飛んでいき、伏せたままのフタチマルの背中に着地した。
着地した種から根が一気に伸びていき、ジワジワとフタチマルの体力を吸い取っていく。
少年は悔しそうに顔をしかめ、フタチマルを見つめる。
「どうする?今からなら降参してもいいんだよ。」
私はジャノビーと一緒になって胸を張り、少年と、膝をついて立ち上がろうとするフタチマルに言ってやった。
ところが、
「アンコール」
少年が一言言った。
全くの予想外だった。
アンコールを受けたジャノビーは、やどりぎのたねをまるで噴水のようにばらまき続けている。
「フタチマル、連続で体当たり。」
「ジャノビー!早く攻撃するんだ!」
しかし、ジャノビーに私の声は届かない。
結果は惨敗だった。
圧倒的有利だったはずの私は、少年のフタチマルにまともなダメージ一つ与えられずに負けてしまった。
「こんなの絶対ちがーう!」
少年はフタチマルに労いの言葉をかけていた。
『ジャノビーのグラスミキサーを辛くも防いだフタチマルは、いまだに立ち上がれないでいる。
ここで勝負をつけてやるのは簡単だ。しかし、私はあえてそうしなかった。トレーナーの先輩として、バトルの厳しさを教えてやろうと考えたのだ。この経験が少年のためになってくれたらそれでいい。
ところが、結果は私の負けだった。
私は見事な機転でピンチを脱した少年を褒め讃えバトルフィールドを去っていった。』
―うんうん、これでいい。いっそ勝ったことにしてもよかったのだが、とりあえずこのほうがより感動的だろう。
「おじさんあそこでもう一度グラスミキサーしてたら勝ってたかもしれないのに、どうして攻撃しなかったの?」
私がキッと睨みつけると、少年はそれ以上何も言わなかった。