俺に世界を教えたのは空を知っているおっさんだった。
『本件の作戦は三日後の深夜に決行する』
あいつと何十回目かの決闘の時、揉み合いながら流されてだいぶ下流まで行っちまったことがある。
もちろん川の中でもあいつは暴れて爪を振り回してくるが、水中戦は俺の方が得意なもんだから大抵こうなったら俺の方が勝っちまう。
だのにその日に限ってあいつはやたらと動きがよくて、途中で思いっきり俺の頭を川底に踏みつけて沈めてきやがった。
気が付いたらあいつはすでに川をあがっちまい、俺だけが流されるという無様な負け方をしていた。
くそっ。最悪だ。ずぶ濡れの体を岸に押し上げて息を整える。
あいつめ、やりやがったな。つぶやいたときに、上から笑い声が降ってきた。
見上げると真黒なでかいカラスがこっちを見降ろしていた。小さなカラスなら何回か見たことあるが、あんなでかいのは初めて見た。
「なんだあんた、ずぶ濡れになってる蛇がそんなに面白いか?」
威嚇がてら伸びあがるように見上げると、そいつはなおも笑いながら、いや失礼と言ってきた。失礼と思うんならせめて笑いを止めやがれ。
「いやいや・・、飛んでいたらなかなか激しい戦いだったものでね。つい一部始終を眺めさせてもらったんだが・・くくっ」
「だから笑うのをやめろ!」
そんなに俺が負けたことがおかしいかよ。それともそんなに爆笑されるほどの負け方をしたのか?
一人でショックを受けていると、そいつは取り繕うようにこう言った。
「あんまりにも・・坊主とお嬢ちゃんが楽しそうだったんでな。ついつい見惚れてしまってたんだ」
・・はぁ?
おっさんはドンカラスとか言う種族らしい。あっちこっち飛んで回るのが趣味で今日もたまたこの辺を飛んだだけとか。
楽しそうと言われて俺はそれを全否定した。
冗談じゃない、決闘が傍から見られて楽しそうって、なんだよそれ。
真剣勝負なんだ、あんたの主観でものを言わないでくれ。
「坊主は頭が固いな」
そう言いながら、おっさんはとくとくと語りだした。
今まで見た数々の戦い。人間同士が戦わせるもの。竜の決闘。小さなものが大きなものに打ち勝つ。
舞台は空だったり崖地だったり、海なんてものもでてきた。
海って何だ?俺は聞いた。おっさんは答えた。空を同じくらい広い水だと。
全ての川の流れの先にそれがあるという。信じられないな。俺が言うと、ならば見に行くかとおっさんは羽ばたいた。
先へ先へと飛んで行くおっさんを俺は必死で追いかける。おい、足があるならともかく俺は走るのは苦手なんだよ!
そういや水中では俺の方が有利だが、スピード勝負となるとあいつには敵わないことを思い出す。
一度だけ頼みこまれて駆け比べをしたことがあるが、その時のあいつときたら風だった。飛んでもなく速かった。
あいつならおっさんの速度にもついていけるんだろうな、とか考えている間に、急に山の大地が開ける様に目の前に空が現れた。
これが海だ、おっさんが言った。俺には揺れる空にしか見えなかった。
『ターゲットは山岳地帯のふもと付近にまとまって生息しているため、上空より眠り粉を散布する』
夜中になる前に俺は村に帰りついた。
決闘で遅くなることはしょっちゅうなので別にとがめられなかったが、今日が少し勝手が違った。
なんか、村が少しざわざわしている。姉貴に何があったのか聞いてみると、どうやら爺さんが一人ずっと帰ってこないらしい。
結構な歳だからどっかで行き倒れてるんじゃないかとか話が持ち上がってきて、何人かが探しに行くことになった。
次の日の朝、川辺でザングースと一緒に死んでるのが見つかったらしい。親父が向こうと話をつけると言ったので、俺もついていくことにした。
結構な人数でそこに行くと、ザングースの奴らもやってきていて、あいつもその中にいた。目が合うと、逸らされた。なんだ?
死体はどこもかしこもズタボロで、何十年を刻みつけられた傷なのだと分かる。知り尽くした決闘場所で死を迎えた。
・・こんな死に方をするんだろうな。俺もあいつも。
ちらりとそんなことを考えた。
その日は決闘じゃなくて散歩をしようとあいつが言いだした。
死んだのはあいつの爺様らしく、どうもいつもの元気がない。
やっぱりあいつもあんな死に方で一生を終えるのが望みなんだろうか。
さっきの考えが復活する。
俺はどうなんだ?海と呼ばれる空を思い出す。あそこを越えた先にも世界はあるんだ。おっさんの言葉だ。
「坊主の知っている世界はきっとちっぽけだ。証拠に海を知らなかったろ?けど、坊主は今、海を知った」
世界が広いことを忘れるな、おっさんはそういって飛び立った。
自分が知りつくした場所以外の・・・知らない世界。
そんなところにも行きたいよな。俺はそんな意味の言葉をもらした。
あいつは、大きく目を見開いた。
大声でそんなことをするんじゃないと言いだして、あんまりにもそれが必死なもので、思わず笑みがこぼれてしまう。
軽くあいつを小突いてやった。
当たり前だろ?俺がお前を置いてどっかにいくかよ。
その時、あいつは見たこともないような安心した顔つきになって、はじめて笑みを見せた。
その日からも山のようにあいつと決闘をした。
いつも同じ場所。読めてくる動き。あそこで死んだあいつの爺さまは、一体何を考えていた?
思い出すのは海ばかり。あそこの向こうには何がある?世界ってのはどうしてこう広いんだ?
憧れが募るのと同時にあいつの顔が浮かぶ。行くんじゃないとあいつは叫んだ。ぎりりと、胸がよじれる。
どうすりゃいい?一体どうすりゃいいんだよ?
おっさんに聞いてみたい。おっさんならどうする?何か教えてくれ。すがりつくものがなくて、やたらと眠くなってきて、俺は夢に潜って行く。
「坊主、あのお嬢ちゃんに惚れてるだろう?」
決闘が楽しそうだと抜かしたおっさんはそんなことを言ってのけた。
俺は盛大に爆笑してやった。俺があいつにホの字?冗談じゃない!俺とあいつはそんな関係じゃないっての。
なんだ違うのか、おっさんはつまらなさそうだった。お生憎さま、あいつと俺はライバルだ。
すがすがしく言い切るな、おっさんは笑うと、こう言った。
「だったら一緒に来いとか言える関係じゃないな」
・・・。
おい、おっさんそれどういう意味だ!?
深いまどろみの中で考える。
つまり、俺は世界が見たい。あいつは俺と決闘できなくなるのが嫌だ。
じゃあ、あいつも連れて行くしかない。
どうする?どうやって連れて行く?あいつになんて言えば良い?
・・・・・。
あぁもう面倒くせぇ!
俺と一緒に外の世界に来い!
たったそれだけでいいんだろ!?おっさん!
明日の決闘に俺はわざと少し遅れて行ってやる。
あいつはきっと怒っているだろう。
俺はあいつに言ってやる。
俺は今から楽しみだ。
俺の言葉にあいつがどんな表情を見せてくれるのか。
ふと、気づいた。
俺はあいつに、海を見せてやりたいんだな。
満足して、俺は暗い眠りに落ちた。
『作戦成功、これより突入いたします』
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余談 自分ではあんまり良い出来じゃないと思う奴。
でもハブネーク大好き