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  [No.1369] 本日のシロナさん▼所によりナナミさん 投稿者:スウ   投稿日:2011/06/26(Sun) 21:39:48   82clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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   一

 クマシュンだった。
 果てしなくクマシュンだった。
 ただひたすらに、これでもかというほどに、クマシュンだった。
 部屋の至る所に転がる、幾種類ものクマシュンドール――サザナミタウンのとある別荘地に一人、シロナは至福の生活を送っていた。
 今日も朝からクマシュン達に囲まれて、早朝のクマシュン体操をした。
 これは、『おはポケスタ』というテレビ番組の中の、人気コーナーの一つなのだが、とある専門家によるとこの体操は医学的にも理に適っており、健康に良いとのことらしい。その事についてはどうでも良かったのだが、今のシロナにとって毎朝のクマシュン体操を欠かすことは耐えられないことだった。このクマシュン体操の後、クマシュンの絵柄入りカップでコーヒーを入れ、それからシロナの一日は始まるのである。

 ちょうど一年と三ヶ月ほど前だったろうか、イッシュ地方を訪れたシロナに運命とも呼べる出会いが待っていた。鼻の垂れ下がった一匹のクマシュンが彼女に与えた衝撃は、これまでの彼女のポケモン人生を根底から覆すものだった。
 シロナの一番のパートナーが強面のガブリアスであることは有名だが、といって、もちろん彼女がアイドル系のポケモンに興味が無いというわけではない。むしろシロナはその道の第一人者であり、ポケモン協会も認めるところの、カリスマ的存在だった。
 チャンピオンのチャンピオンたる所以は何か――それは一つに、他の誰よりも好きなことに対する熱意を持っていることだろうか。とすれば、シロナはその条件に見事に当てはまる人間だと言える。たとえそれが、異常だとか何だとか、病的だとか云々だとか、周囲がわめきたてようとも、趣味を持つ本人にとっては何の関わりもないことである。

 話を戻そう。
 結論から言うと、その頃のシロナは飽いていたのである。「新種発見!」と騒がれるたび、大仰な見出しとともに、新聞や雑誌に飾られるファンシー系のポケモン達。しかし、そこに、シロナの求めているものはなかった。
 これまで幾匹のそういったポケモン達を彼女は目にしてきたことだろう。
 確かにピッピやらピカチュウやらを始めとする正統派のファンシー系ポケモン達は可愛い。可愛いことには違いない。少し前までだったら、それでじゅうぶんに満足することができた。
 しかし、今の自分には、何かが物足りない――。
 そんな折りに、シロナの目の前に現れたのがクマシュンだった。
 奇跡の鼻水たらり系アイドル(?)――これこそがシロナの求めていた答えだった。
 いや、よく似た経験だったら、昔一度だけあっただろうか。
 シロナの母国では、国民的に有名なポケモン漫画、あれに登場するミズゴロウを初めて目にした時も、同じような感覚が背筋を貫いたものである(このミズゴロウも鼻水をたらりと流していた)。しかし、クマシュンを実際に目の当たりにした時と比べると、それさえもが小さな思い出でしかない。
 そう、このクマシュンとの出会いこそが、潜伏していたシロナの創造力を開眼させることになるのである。彼女の体内に眠っていたコスモが爆発的な燃焼を起こし、彼女は偉大なセブンセンシズに覚醒したのだった。
 このわずか一年と三ヶ月の間に、シロナが果たした偉業は、目を見張らされるものがある。

 絵本『不思議の森のクマシュン』、詩集『クマシュンと我が放浪』、エッセイ『クマシュンの大きなお鼻』、そして全四巻にもわたる超大作小説『レ・クマシュブル』を手掛け、世に知らしめたのはいずれもシロナ本人である。
 もちろん、作者がシロナであることは伏せている。
 ペンネームは、ロシーナ。
 どことなく異邦人のような、メルヘンチックな響き。しかも、そうでありながら、ちゃんとシロナ本人であることは暗に示しているのだ。要するに表向きの私生活を偽る程度の覆面作家だったのだが、この事がまた『謎の超新星登場!』との大見出しをつけて世間を賑わした。

 今やシロナにクマシュンのことを語らせたら歯止めがきかないほど、彼女はこのポケモンに入れ込んでいた。その事が窺えるのは、何も彼女が普段から使っている言葉の端々にだけではない(このところシロナはクマシュン語なるものの習得にも励んでいる)。
 身の回りをクマシュングッズで固めて、部屋中もクマシュンで固めて、おかげで別荘内部は輝かしいクマシュンの都、言い換えると、痛々しい千年王国だった。
 これは、あくまでシロナ個人のひそかな楽しみだった。別荘の主であるカトレアちゃんにもこの事は内緒だ。誰か知人が訪ねてくる時もクマシュングッズは全て片付けるようにしている(カトレアちゃんの所有するこの広い別荘内には隠し収納スペースなどいくらでもある)。
 人の別荘を私物化することに若干の抵抗がないでもない。が、そのような些細なことが一体何だというのだろう? シロナは常識という窮屈なものをえいやっ、と圏外に追いやり、自分の主張を押し通す。
 そう、ここはもう、わたしの聖域、世界なのよ。
 ――クマシュン・ザ・ワールド。

 さて、と。
 シロナは一度伸びをすると、この日も創作の作業にとりかかった。
 今、彼女が構想しているのは、ただただ純粋にクマシュンと一人の女の子が絆を深めていくという物語である。
 今度の作品には、小説『レ・クマシュブル』で示したような歴史的な意義はないだろうし、詩集『クマシュンと我が放浪』で書いたような細やかな象徴の連結も暗喩も見当たらない。
 しかしそんなものは最初から無駄な要素だったのではないか、と、シロナはこのところ疑い始めている。以前までの自分の作品には、小難しい、本来であればいらない余計な説明が多すぎたのではないか。
 迷いながらも、新たに再出発しようと決めたのが今回の作品だった。
 何があっても、クマシュンへの愛だけは変わらない。シロナの中で、それだけは唯一確かな事実だった。

 シロナは頭の中で妄想を逞しくする。
 登場人物を目の前に起こし、女の子とクマシュンのせりふを紡いでいく。
 最近ではポケモンのトレーニングよりも、このわずかな一時の方が、彼女にとっては楽しみだった。
 明日は、古くからの友人であるナナミが、サザナミタウンに到着する予定だ。
 ナナミは、カントーのマサラタウンに住むオーキド博士の孫にあたり、かの有名なグリーンくんの姉にあたる。
 そのナナミがここを訪ねてくる。部屋は今日中に片付けておかなければならない。
 たとえ古くから付き合いのあるナナミであっても、このクマシュンの秘密だけは断じて見つかるわけにはいかない。
 少々惜しいが、ガブリアスのガーブやルカリオのルウにも手伝ってもらって、今夜は早めに愛しのクマシュン達をしまってしまおう。
 しかしそれまでの間は、まだ創作にふけることができるのだ。
 シロナは世界でたった一匹の、一番お気に入りのクマシュンドールを手に抱えながら、ほんわかとする雪原を思い描いて、時空を超えた世界へと旅立った。
 こうして、小さな頃やったごっこ遊びをするように創作した方がいいものができる、というのがシロナの持論だった。そこには科学的な根拠が介在している可能性も多少はあるだろうが、やはり言い訳めいた無理が窺えることは否めない。実はシロナが本当にやりたい事というのはこのごっこ遊びの方だったりする。

 ダイニングからキッチンへ、キッチンからリビングへ、リビングを出ると階段を上がって、シロナは二階の部屋までも踏破する。今、カトレアちゃんの別荘はシロナとクマシュンだけの世界だった。時間の神も空間の神も、ついでに付け加えると、たぶん反転世界までもがシロナの思いのままだった。
 だから、先程から何度か叩かれている玄関扉のノック音に、彼女は全く気付くことができなかったのだ。
「くましゅぅん。えへへー、今日は太陽がいっぱい当たって温かいねえ」
 痛烈にベタな展開だったが、もはや理想像にまで高められた一匹のクマシュンは、ちゃんと彼女に応えられるだけの生ける魂となっていた。
『くぅぅ。すぴー』
「キマワリの笑顔みたいだねえ」
『くままぁ☆』
 童心に戻ったシロナは遠慮なく、その微笑ましさの虜になった。
 ――ああ、クマシュン! わたしの、わたしだけの! いい、やっぱりいいわ!
 話の結末がどのような展開になるのか、すでにシロナの目には映っていた。
 一度は行方不明になったクマシュンが、後年女の子の元に帰ってくるというストーリーだ。オリジナリティには少々欠けるだろう。いや、かなり欠けるだろう。いや、著しく、欠けまくっているだろう。
 が、それがどうした。
 シンオウの天才チャンピオン・シロナは怯むことなく、些細なことは一蹴する。
 大筋さえできれば、あとは細部を埋めていくだけだ。
『くまぁ、ままぁ、くうまあ』
 シロナのクマシュンは彼女に甘えながら並んで歩く。
 こうして物語の第一部、女の子とクマシュンの過去が語られていく。その最後の方で、クマシュンが行方不明になるという事件が発生する。
 この劇的な物語は二部構成を予定していた。
 シロナはこのように想像を膨らませながら、物語を第一部と第二部に分けるのは、なかなかいい考えなのではないか、と思い始めていた。
 クマシュンがなぜ行方不明になったのか、まずは第一部の時点で謎を提示する。同時に伏線も張っておき、第二部へのつなぎとする。そして第二部は、第一部で設置しておいた謎の解答として、クマシュンが行方不明になった理由を与えてやれば、ミステリー仕立てにもなるのだ。これはいい。
 しかし最も重要なのは、やはり最後の場面だろう。ここが悪ければ、結局は全てが台無しになってしまう。
 シロナは無意識のうちに玄関付近にまで来ていた。
 途中に差し挟まれる各エピソードは後で考えることにして、シロナはほとんどの部分を間に合わせの場面で構築、あるいはすっ飛ばした。
 そうして物語の展開は飛躍に飛躍を重ねて、いよいよ最大のクライマックス、女の子とクマシュンが再会を果たすシーンにまで差し迫った。
「……くましゅん」
 息を飲む、ヒロインの女の子(シロナ)。
『くまぁ……』
 切なげに鳴く、帰ってきたクマシュン(やっぱりシロナ)。
 その時、別荘の玄関扉が、不意にがちゃりと開かれた。
 シロナはまだヒロインの女の子とクマシュンになりきっていた。
「くましゅぅぅん、おかえりぃー☆」
『くぅまあぁぁ☆』
 一人二役の超絶的な名演だった。
 開かれた玄関に、シロナの声だけが明瞭に響いた。



   二

 その日の朝方、ナナミはイッシュ地方の港町、サザナミタウンにたどり着いた。
 以前からシロナが「こっちに遊びに来たら」と言っていたので、その通り、飛行機とバスを利用して、遠路はるばるやって来た。
 ナナミの大まかな計算では、後一日だけ遅れてサザナミタウンに到着する予定だったのだが、旅程は意外なほどスムーズに進み、予定より一日も早く到着することができた。
 ナナミはシロナの別荘に電話をかけようかと一度は考えたが、いきなり顔を出して驚かせるのも悪くはないだろう、と殊勝なことを思い付いた。
 ここ一年間、ナナミは電話かメールのやり取りでしかシロナと交流していない。実際に顔を合わせるのは久しぶりのことである。
 生まれ育った地方は違えど、ナナミにとって、シロナは古くからの友人である。
 ナナミのひそかな楽しみ、あるいはライフワークに『シロナ観察記』というものがある。
 それによると、シロナという人間は、表面的にはクールに見えるのだが、一度思い込んだら一直線、という危なっかしい傾向を秘めているのだとか。
 一歩間違えれば狂気にも通じる、その類い希な精神を紐解くだけで、ナナミの人生は夢心地にも似た至福に包まれる。

 ポケモンセンターから歩いて二十分の所に、その別荘はあった。
 何やらイッシュ地方にいる四天王の一人とシロナが顔見知りだそうで、その友人にシロナは別荘を借りているという。ずっと前に、電話で「お屋敷みたい」と言っていたので、たいそう大きな建物なんだろう、と想像を膨らませていたら、それは本当に豪奢な佇まいだった。
 その屋敷の前で立ち止まって、ナナミはさっそくインターホンらしきものを押してみた。
 二十秒以上は待ったはずだが、反応が無かった。
 もう一度、押してみる。
 やはり反応はない。
 どこかに出かけているのだろうか、と、ナナミは考えたが、それにしては屋内に人の気配を感じるのは気のせいだろうか。
 ナナミは首を傾げた。
 二度押したインターホンの音は鳴らなかったのである。
 もしかしたら壊れているのかもしれない。
 ナナミは玄関扉にまで近寄って、軽くノックしてみた。
 誰も出てこない。
 今度はもう少し強く叩いてみる。
 やっぱり誰も出てこない。
 屋内から、かすかに物音がしていた。
 とすると、やはりシロナは家の中にいるのだろうか?
 数秒間、思考をめぐらせてから、ナナミは頭の計算機を止める。まさかとは思うが、シロナの留守中に空き巣でも入り込んだのだろうか。
 ナナミはドアノブを掴んでみた。少し力を加えると、それはゆっくりと回った。
 どうやら鍵はかかっていないようだ。
 その扉を、ナナミは一気に押し開いた。
「くましゅぅぅん、おかえりぃー☆」
 ……とてもいい笑顔のシロナが出迎えてくれた。
『くぅまあぁぁ☆』
 続いて発せられる、シロナの奇声。どちらも彼女の声とは思えない。いや、この世のものとさえ思われなかったが、それはやはりシロナの発したものに違いなかった。
 ――クマシュゥゥン、オカエリィー。
 ――クゥマアァァ。
 はて……? なんのことやら。
 新しい外来語の挨拶、いや、伝言遊びだろうか。残念ながらナナミは世の中の流行には疎い方だ。自らもそう自覚している。
 ナナミがはかりかねていると、シロナの目がにわかに正気を取り戻した。それはナナミの姿を捉えると、だんだん、ゆっくりと、凍りついていった。
「な、なな? ナナナ、ナナ、ミ……さん……?」
 普段、シロナとナナミは『さん付け』で呼び合う関係ではない。ということは、この局面はシロナにとって、理性のダムさえ決壊しかねないほどのアクシデントなのだろうか。ナナミは推測の糸を伸ばすことを忘れない。
「お久しぶりね、シロナ。相変わらずお元気そうで」
 ナナミは社交辞令にも聞こえる穏やかな挨拶を口にした。といっても、これはナナミにっては最上級の挨拶である。普段のシロナであればその事をわかってくれただろうが、今のシロナには無理そうだった。
「あ、あの。あな、あなた、明日、来るとかって、言ってなかった……?」
「予定が早まったのよ。道路が空いてたのがラッキーだったわね」
「ふ、ふーん。そーなんだ……」
 ええ、ソーナンスよ。
 シロナと受け答えしながらもナナミの頭脳コンピュータは素早く計算を再開していた。
 突然のことにより理解が遅れてしまったが、この屋敷には何かおかしな空気、というより、おかしな妖気が流れている。
 不審点その一。シロナの格好について。
 いつもは黒一色のロングコートだが、今日は違う。温かな季節のせいもあるだろうが、今日の彼女は袖の短いラフな室内着だ。そう、室内着、と識別できるのだが、それでも見逃せない部分が一点。服の中央にアンノーン文字で配列されている、これは一体。

 『N・UYS・AM・UK』

 ナナミが、ふっとシロナの手元に目をやると、シロナは慌てたように、手に持っていた物を背中に隠した。ナナミの高速度カメラはすでにその映像を録画していた。おそらく、あれは、わたしの記憶に間違いがなければ、クマシュン、だろうか?
 そうだ、クマシュンだ。
 不審点その二。シロナはクマシュンのぬいぐるみを持っている。そのぬいぐるみを一体何に使用していたのか。
 それも一考にあたいすべきことだったが、ナナミがもっと興味を覚えたのは、シロナが自分の手を背中へ隠したそのスピードである。
 前にウィンディの『しんそく』を見たことがあるが、今のシロナの動きはそれと同等、あるいは部分的においてそれを超越していた。優先度+2以上の驚異的なスピード。そのスピードの源は、エネルギーは、一体どこからやって来るのか。
「ねえ、ナナミ、さっきから何じろじろ見てるの……?」
 シロナがこわごわ尋ねる。ナナミは答えなかった。
 不審点その三。シロナの挙動。
 「疫病神がやって来た」と言わんばかりに、シロナはこちらの顔色を窺ってくる。
 さっ、と目ざとく動かした視線の先に、ナナミは奇妙な物を発見した。
 クマシュンが二匹戯れている水彩の絵画。カントーの市場価値に換算すると五〇万円はする代物だろうか。高額ではあるものの、チャンピオンという職業を勤めているシロナには決して無理な買い物ではない。
 ナナミが見ている物に気付くと、シロナは飛び上がってそちらに走り寄った。残念ながら、その絵は寸法が大きく、シロナの体では全てを隠しきれなかった。
 さっ、とナナミは次の不審物に目を止める。クマシュンの置物――市場価値一〇万円。
 シロナがそちらの方に動く、だがもう遅い。
 さっ、ナナミの目が廊下の奥を捉える。そこに大量に並んだクマシュンドール達。全て違うメーカーの製品に見える。非公式のものもありそうだ。
 シロナが仰天したように後ろを振り返る。
 さっ、ナナミの目はもう別の場所に移っている。下駄箱の近くに突き刺さっている高級そうなクマシュン柄パラソル。それが数点にものぼる。
 シロナが焦って遮ろうとする。
 さっ、足下にはクマシュンカーペット。シロナのスリッパはクマシュン。
 さっ、見たところ、玄関にそろえられている全ての靴もまたクマシュンであることを確認。
 近くにはデパートで見たことのあるクマシュンバッグがいくつも並べられている。
 さっ、さっ、さっ……どこを見回してもクマシュン、クマシュン、クマシュン、この屋敷の至る所クマシュンだらけだった。
 これら膨大な情報を加味した上で、先程の不可解なアンノーン文字およびシロナのせりふを再生してみる。
 ――くましゅぅぅん、おかえりぃー☆ くぅまあぁぁ☆
 これまで拾い集めてきたピースの一つ一つがナナミの中で組み合わさった。
「なるほど」
 ナナミは顔をわずかに上向けると、シロナにも聞こえる声で呟いた。
「なにが!?」
 シロナが度を失った叫びで聞き返した。
「いえいえ、なるほど」
「だからなにがっ!?」
 シロナはまだこの事態を隠蔽できるとでも考えているのか、仁王立ちしている。ここから先へは一歩も行かせないぞ、と言わんばかりだ。
 まだ完全ではないが、ナナミはほぼ理解した。
 今日は大変な収穫だ。今日のこのイベントだけで『シロナ観察記』をあと数百ページは増やさなければならない。
 それにしても迂闊だった。
 イッシュ地方に居着いたシロナの趣味がまさかクマシュンに傾いていたなんて。しかもこの傾き具合は普通ではない。
 てっきり、チラーミィやタブンネを始めとするスタンダード癒し系、あるいはシビルドンやウォーグルなどの強そうなポケモンのいずれかになびくと踏んでいたのだが、そうではなかったのだ。
 これまでかき集めてきた『シロナ観察記』の全データを今すぐ改めなければならない。幼い頃からそうだったが、シロナの思考パターンおよび行動パターンは、時折こちらの予測の遙か上をいくことがある。
「ねえ、ナナミ」
 ついに痺れを切らしたのか、シロナが切り出した。
「今日のあなた、とっても疲れてるのよ……だから、ね。ちょっと変な物、見てしまうのよ。一時間ほどポケモンセンターで休んでらっしゃい。そしたら、悪い夢は醒めるから」
「……そう。悪い夢は、醒めるのね」
 ナナミはシロナの調子に合わせて、自分も深刻そうな声を出した。もう少しだけ、この友人の悪あがきに付き合ってやろうという魂胆である。
「ええ、夢は、必ず醒めるわ」
 シロナは力強く頷く(振りをする)。
「そう――」
 ナナミはふらりと立ち去ると見せかけて、こう続けた。
「じゃあ、そこのクマシュンパラソル持っていっていいわね?」
「ちょっ、あなた! それは駄目よ!」
 なんてこと言うんだこいつ! にわかに本性を表したシロナが一歩前に踏み出した。
「あら、どうして? 夢なんだから別に問題ないでしょ」
 ふてぶてしく言い返してくるナナミに、シロナはたじろぐ。
 カラナクシの粘っこさに負けるとも劣らない、第二ラウンドのゴングはすでに打たれていた。
「あの、でもねナナミ、たとえ夢であったとしても、それを持っていかれると、困ってしまう誰かさんもいるわけで、して……」
 くだんのクマシュンパラソルは実はシロナの特注だったりする。
「ふうん、じゃあもったいないから写真だけでも撮っておこうかしら」
「それも駄目っ!」
 ナナミが愛用の小型デジカメを取り出そうとすると、シロナが厳しく待ったをかける。
「どうして? ……もしかして、証拠が残っちゃう?」
「証拠!? 証拠って何の話!?」
 極めて局所的な単語にシロナは反応する。声が裏返っていた。
「証拠っていうのは、証拠の話よ。犯罪の証拠。科学的証拠。ジバコイルUFOとかツボツボネッシーとか。あと、誰かさんが隠そうとしている超極秘の――」
「ちょっとナナミ……!」
 がばっとナナミの肩を掴んで、シロナは声をひそめた。
「あなたは何も見なかった……! ここで何も聞かなかった……! そう、これは全て幻なの一時の幻なのよ、全て幻、幻の都、ジラーチの幻なのよ、ナナミぃ!」
 シロナはナナミに催眠術でもかけようとしているのか、必死な形相で繰り返した。
「そう……そうなの。いえ、そうかもしれないわね」
 ナナミはいったん、同調した素振りを見せる。
「幻だったら、しかたないか」
「ええ、そう、しかたない、しかたないわ!」
 ナナミの達したその結論にシロナは激しく同意、拍手を送る。ナナミはようやく、こちらの意志を汲んでくれた、と、ひそかに安堵した。
「じゃあ……最後にもう一度だけ、あれ、やってくれないかしら」
「え?」
 シロナは首を傾げた。何のことだか思い当たらない。だから聞き返した。
「あれって?」
「あれよ、あれ」
 ナナミは改まったように、こほん、と咳払いを一つした。
「――くましゅぅぅん、おかえりぃー☆ く、ま」
 ナナミは最後まで言えなかった。シロナに襟首を抑えられたのだ。
「ナナミ! アンタって子は……!」
 シロナはずいっとナナミに迫った。
「なんていけない子なの! どうしてそんな悪さばっかりするの!」
 ぐわんぐわん、とナナミを揺さぶる両腕はまるでトルネロスの暴風だ。地獄車にさらされるようにナナミはぐるぐる振り回されていたが、動じたふうもなくぼそりとやり返した。
「あなたには黙秘権がある」
「おいちょっと!?」
 急角度からの反撃にシロナはぎょっとなった。
「あなたには弁護士を呼ぶ権利がある」
「なに言ってるの!」
「大丈夫よ、シロナ。たとえわたしが『今日のことを誰かさんに喋ったとしても』あなたにはシラを切り通す権利があるんだから」
「あなた、今日のこと全部誰かにばらすつもりね! ばらまくつもりね!」
「わたしにはわたしの基本的人権が」
「させない!」
 シロナはナナミに飛びかかる。ナナミはそれでも減らず口をやめなかった。こうしてシロナとナナミは、一年と三ヶ月ぶりの再会を果たしたのだった。
 イッシュ地方、サザナミタウンの陽気はますます輝かしく、たゆたう波路を照らしながら、遠くまで伝わっていった。


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