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  [No.1690] 少年の夏(前篇) 投稿者:久方小風夜   投稿日:2011/08/04(Thu) 23:45:55   140clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:少年の夏】 【幽霊】 【視える人】 【この指】 【と〜まれっ♪

※毎度のことですが、今回はいつにもましてポケモン色が薄いです。特に前半。





 アキラ……水瀬 純が退院した頃には、すでに夏休みが始まっていた。
 純は二学期から転校することが決まっていたが、怪我の療養も兼ね、退院してすぐに母の田舎へと引っ越すことになった。


 大都会ではないとはいえ、それなりに町の中で生まれ育った純にとって、新しい住み家はとても人が住めそうな場所ではないように思われた。
 車1台がやっと通れる程度の、表面がひび割れた狭いアスファルトの道。高いビルなどの建物の代わりに盆地を囲む山ばかりが見え、他には幅が狭く水が異常なまでに澄んだ川と、テレビの中でしか見たことのなかった田畑と、ところどころに建つ古めかしい民家くらいしかない。
 家があるということは、人もいるということなのだろう。しかし、おおよそ娯楽らしい娯楽はないように思われた。
 純の母は元々実家の両親と折り合いが悪く、純がこの家に来るのは生まれて初めてだった。今回のことがなければ、もしかしたら純は一生、この家の敷居をまたぐことはなかったのかもしれない。
 これからずっと、ここで暮らすことになるのか。純は少なからず憂鬱な気持ちになった。

 しかしそれでも、以前の学校に通わずにすむこと、周囲には自分のことを知らない人間しかいないことを思うと、前よりはずっとましだ、と純には思われた。


 外の様子は大きく変わっても、家の中は純がこれまで過ごした場所と大差ないように思われた。
 照明は蛍光灯。床はフローリング。パソコンはないが、テレビやエアコンなどの家電もそろっている。違うのは、無駄に広いということくらいだろう。

 仏間と襖で区切られた、6畳ほどの和室が純の新しい部屋となった。
 コタツ兼用のちゃぶ台と、上にV字型のアンテナがついた小さなテレビ。置く場所がなかったのか、古びたエレクトーン。障子を開けると、縁側を兼ねた渡り廊下。外には山と田畑と植木が1本だけある庭が見える。

 がらがら、と引き戸が開く音がした。

「あきちゃん、スイカ切ったけぇ食べんさい」

 純の祖母が黒いお盆に、切ったスイカを山のように盛ってやってきた。どう見ても半玉分はあるだろう。そんなに食えないよ、と純は思ったが、口には出さなかった。
 祖母はにこにこして、スイカのお盆を純に渡し、居間へと戻っていった。
 純は縁側に腰を下ろし、山の中から適当にひと切れつかんで、口に運んだ。甘い。採れたての作物はすごいな、と純は感心した。

 しゃくしゃくとスイカを咀嚼しながら、純はなぜ母は実家と折り合いが悪かったのかを考えた。都会志向で派手好きで新し物好きな母親は、農作物が美味いことくらいしか取り柄のないこのど田舎から逃げ出したかったのだろう。純はそう結論付けた。
 確かに純も、この町に来たばかりの時は、これまでの生活環境とのギャップで憂鬱な気分になった。特に、初めて聞く祖母の言葉の訛りは、聞き取りづらく田舎くさい上に、どことなく攻撃的な印象を受けてあまり好きになれなかった。もちろん、祖母の顔を見れば微塵も怒っていないことくらい分かるのだが。

 純は赤と白のボールを庭に放った。ぽん、と軽い音を立て、白い毛並みに包まれ、鎌のような角を頭につけたポケモン、アブソルが現れた。
 アブソルは純に頭をすりよせ甘い声で鳴き、純のTシャツの裾を咥え、遊びに行こうとでも言いたげに軽く引っ張った。
 純はアブソルにTシャツを放させ、だめだよ、と優しく頭を撫でた。

「ごめんね。今はまだ激しい運動は出来ないんだ」

 純がそう言うと、アブソルはくうんと鼻を鳴らして、純の足もとに伏せた。


 純が黙々とスイカを食べていると、アブソルが頭を上げ、風のにおいをくんくんと嗅いだ。
 ぱたぱたと走り回る足音と、玄関の方から聞こえる大きな声。

「ライコー、そがぁに急がんでもええじゃろぉが」
「じゃけど、ちぃも早ぉ会いたいじゃろ?」

 純と同じくらいの年頃の、2人の少年の声がする。
 声が聴こえた瞬間、純は慌てて部屋の奥へ引っ込もうとした。

 しかし少年たちは、純が縁側から立ち上がるより早く、純の前に現れた。
 1人はやや背が高く、水色のTシャツに短パン、黒いゴムぞうりの少年。見るからに活発そうな印象で、大きな目をきらきらと光らせている。
 もう1人は小柄で、白いTシャツに長ズボン、黄色のゴムぞうりの少年。にこにこと穏やかな表情で線が細く、ちょっとなよなよした印象だ。
 2人は純と目が合うと、すぐにとびっきりの笑顔になって言った。

「初めまして!」

 顔を合わせて、挨拶までされてしまっては、引っ込むに引っ込めない。純は黙ったまま、会釈で応じた。
 少年たち2人は、純の予想外のそっけない返しに、少し困惑したような表情を浮かべた。

「通じんかったんかな?」
「じゃけぇ、他所から来ちゃった人にゃあ標準語にしようで言うたじゃろぉが」
「……別に通じるよ。というか今のは標準語だろ」

 純がそう言うと、少年たち2人はぱあっと明るい顔を見せた。

「今日は朝からこっちの訛りを、疲れるくらいたっぷり聞かされたからね」
「……じゃあ、できるだけ、標準語にしてみる」
「一応、練習はしたから……テレビで」

 練習しなければしゃべれないものなのか。あからさまにたどたどしくなった少年たちの言葉を聞き、純はそう思った。


 アブソルがすっと立ち上がった。純は少し慌てた。
 彼の手持ちのこのアブソルは、純以外の人間にはほとんど懐かず、すぐに威嚇して吠えたてたり、ひどい時には攻撃したりする。
 初対面で、そのような問題が起こるのはさすがにまずい。

 アブソルは小柄なほうの少年のそばによると、そのにおいをふんふんと嗅いだ。
 そして少年の顔をじっと見つめると、まるで普段純にするように、頭を少年の足にすりよせ、甘えた声で鳴いた。
 純はぽかんとした。アブソルがそんなに簡単に他人に懐くのは初めての経験だった。
 背の高い少年が言った。

「ちぃはポケモン持ってないけど、生き物に懐かれやすいけぇ」

 ちぃ、と呼ばれた少年は、アブソルの白い毛皮を両手でふわふわと撫でた。アブソルはキュウ、と嬉しそうに鳴いた。
 純はしばらくその様子を見ていたが、自分のポケモンが他人に懐いているのが少し悔しくなり、おいで、と声をかけた。アブソルはすぐ純の方へ向かった。
 やっぱり飼い主は違うなぁ、と背の高いほうの少年が感心したように言った。
 アブソルの頭を撫で、純は言った。

「……スイカ、食べる?」


 少年たちは、純を挟むように縁側に座った。
 お盆から大きめのスイカをそれぞれ選び取り、

「名前は?」

 純がそう言うと、背の高いほうの少年が、庭に落ちている枝を拾い、地面に文字を書いた。

『半崎 頼光』

「『ハンザキ・ヨリミツ』?」
「そう。あだ名はライコー。お前は?」

 純は庭に落ちている枝を拾うと、地面に『水瀬 純』と書いた。

「みず……せ……じゅん?」
「……『ミナセ・アキラ』、だよ」
「へー、アキラって読むんかぁ」
「『ジュン』でいいよ。どうせ変な読み方だろ」
「うーん、だけど、変わってるならちぃの方が変わってるよなぁ」

 そうだね、と言い、小柄な少年が枝を持って地面に名前を書いた。

『柿ノ木畠 地鉱』

「かきのきばたけ……じ……?」
「僕は『カキノキバタケ・チヒロ』だよ」

 小柄な少年……地鉱は、そう言ってにっこりと笑った。
 何で『ヒ』にアクセントが付くんだ。いやそれよりも、と純は眉根を寄せた。

「……これ、明らかに漢字間違えてるよね」
「うん。父さんと母さんが、出生届出す時に間違えたんだって。本当は『智紘』って漢字にする予定だったらしいけど」
「ひどいな」
「でも、僕は結構気にいってるよ」

 地鉱は2切れ目のスイカに手を伸ばしながら言った。外見はややひ弱そうで、中性的な印象も受けるが、見た目以上によく食べる。そして頼光もよく食べる。
 しばらくすると、半玉分程もあったスイカは、皮と庭にばらまかれた種だけになっていた。

「ジュンは4年生だよな?」
「うん」
「2学期から転校してくるんだよな?」
「うん」

 どうやら、あだ名としては『ジュン』が定着したようだ、と純は思った。

「じゃあ、2学期からは同じクラスだな!」
「同じ学年だからって、クラスが同じとは限らないだろ?」
「? 何で?」
「?」
「ジュン、うちの学校は1学年1クラスしかないよ」

 地鉱がにこにこしながら言った。
 カルチャーショックはもういいよ、と純はため息をついた。


 日暮らしの声が雨のように、山から降り注ぎ始めた。気付かない間に、随分と長く話をしていたようだ。
 また明日も来るからな、と言い残し、頼光と地鉱は家へ帰っていった。

 静かになった縁側で、純はひっそりとため息をついた。
 同年代の子たちとこんなに話をするのは、いつ以来のことだろう。


 ぽろん、とエレクトーンが鳴った。


 アブソルが頭を上げた。
 エレクトーンのふたは閉まり、埃っぽい布がかけられているままだった。

 純は振り返りもせず、言った。

「驚かせようとしても無駄だよ。僕には部屋に入った時から君が見えてたから」

 ざわ、と無人の部屋の中がざわめいた。


 純は生まれついての、「見える」人間だった。
 物心ついた時にはすでに、普通の人と同じように幽霊が見えていた。あまりにもはっきりと見えるものだから、幼い頃は生きている人間と幽霊の区別がほとんどつかなかったほどだ。
 7つを過ぎた頃には本能的に区別がつくようになっていたが、それでも見える力は全く衰えることはなく、むしろ歳を重ねるごとに強くなっているようだった。
 触れることも、会話をすることも、純にとっては当たり前のことだった。

 そのせいで、純は周囲から浮いていた。
 人間という生き物は、自分と違うものを排除していくものなのだろうか。クラスメイトに、その親に、そして両親に。大人子供関係なく、純はコミュニティから除外されていった。
 気持ち悪いと逃げられた。嘘つきと無視された。病気だとヒステリックに騒がれた。
 そんな環境の中で、純に変わらず接してくれたのは、純にしか見えない幽霊たちだった。
 次第に純は、生きている人間より、幽霊の世界に浸るようになっていた。それがよくないことだとは何となくわかっていたのだけれども。

 深く入りすぎたんだ。その報いだったんだ。
 そう心の中で呟き、純は左胸を押さえた。

 頼光と地鉱。新しいクラスメイト。
 もし自分が『見える』ことを知ったら、きっと自分から離れていく。

「だから、秘密」

 アブソルが純の足にすり寄り、キュウと鳴いた。




 朝早く、窓を叩く音がした。
 純がのっそりと起き上がると、朝霧の中、頼光と地鉱が自転車にまたがり、庭先に来ていた。

「ジュン、おはよう!」
「おはよう」
「何だよ、こんな朝っぱらから」
「決まってるだろ。ラジオ体操だよ、ラジオ体操」

 純は時計を確認した。午前6時10分。純の記憶が確かならば、ラジオ体操というものは6時半からの放送のはずだ。

「早すぎないか?」
「だってこれから、ラジオ体操の場所に行かなきゃならないもの」
「歩いてすぐの場所じゃないのか?」
「山道を1キロ半行った、ゴミ捨て場のある三叉路だよ」

 純は頭がくらくらした。何でこんな朝早くから、そんな遠くに行かなければならないのか。なるほどどうりで、2人とも自転車を装備してるわけだ。

「……ごめん。僕、激しい運動ができないんだ。今はまだ医者に止められてて」
「マジで? そうなのか」

 早く言ってくれよ、と2人は笑った。

「じゃあ僕、明日は2人乗りできる自転車で来るよ」
「お、いいなそれ」
「……は?」
「じゃ、俺たち今日は行くから。じゃーなー!」

 そう言い残し、2人は自転車をこいで朝霧の中に消えていった。
 純はその場に座り、さっき2人乗り出来る自転車に乗ってくると言っていたのは小柄な地鉱の方だったよな、と考えた。



 朝食を食べ、部屋で映りの悪いテレビを見ていると、窓ガラスを叩く音が聞こえた。
 縁側を見ると、案の定頼光と地鉱だった。

「なあ、ジュンはどの位なら運動大丈夫なんだ?」

 窓を開けた第一声がそれだった。

「歩くくらいなら大丈夫だよ。走るのはまだしんどいんだ」
「そっか、じゃ、散歩行こうぜ! 町を案内してやるよ!」

 純が返事をする前に、玄関で待ってるからな、と2人は玄関の方へ走って行った。純は小さくため息をついた。


 頼光と地鉱に両側を固められる格好で、純は細い農道の真ん中を歩いた。
 案内といっても、小学生男子の足で行ける範囲など限られている。そしてその範囲にあるものと言えば、2人の家と、他数件の家と、田んぼと畑と川くらいだった。
 変わり映えのしない風景だったが、川の水のきれいさだけは純を驚かせた。引越しの時にちらりと見たが、やはり異常なほど水が澄んでいる。川底の砂は見えるものなのだということを純は初めて知った。

「きれいな川だね」
「そうか? 上流の方はもっときれいだぞ」
「今日の午後、泳ぎに行こうか」

 地鉱がそう言ってきた。いいなぁ、と頼光も賛同した。
 しかし、純は顔を曇らせた。

「……ううん、いい」

 頼光と地鉱は顔を見合わせて、わかった、と言った。




 翌朝。窓を叩く音がした。
 純は重い頭を何とか起こした。庭先には頼光と、昨日のマウンテンバイクではなく赤いママチャリに乗った地鉱が来ていた。

「ジュン、おはよう!」
「おはよう」
「……今……何時だと……」

 時計は5時55分を指していた。昨日よりさらに15分早い。

「2人乗りするから、普段より時間がかかるんだ」
「……え、本当に地鉱がこぐの?」

 2人は何を驚いているのだ、とでも言いたげな顔をした。
 はっきり言って地鉱は小さい。多分、平均よりも小さい。そして見た目が何となく弱弱しい。何となく、女の子でもいけるんじゃないかと思えてくるくらいだ。
 しかし2人は何食わぬ顔で、大丈夫大丈夫、と笑った。

 仕方なく純は着替えて外に出た。サドルを一番低くしても足が地面に届いていない様子が更に純の不安を煽った。
 どうしても怖くなったら降ろしてもらおう。そう心に決めて、純は荷台にまたがった。

「よし、行こうか!」

 しっかりつかまっててよ、と言い、地鉱はペダルを踏んだ。
 純は呆気にとられた。
 予想以上に安定している。速度は若干遅めなものの、ハンドルが全くぶれない。
 道はひたすら上り坂だ。地鉱は立ち漕ぎだが、純を乗せたまますいすいと登っていく。2人の隣を頼光がマウンテンバイクですいーっと追い抜いて行った。
 曲がりくねった上り坂を登り終えると、今度は下りになった。ペダルは一切踏まない。若干ブレーキをかけて勢いを調節しながら、上手くハンドルをとって坂を下って行く。たまにある小さな上り坂も、勢いをつけていればあまり漕がなくても登る。

 ゴミ収集所のある三叉路に着いた。頼光は先に着いていた。
 地鉱はけろりとした顔をしている。
 純は自転車から降り、大きなため息をついてその場にしゃがみこんだ。

「人は見かけによらないってことがよくわかったよ……」
「大丈夫? 気分悪い?」
「いや、大丈夫。でも……」

 純はもう一度ため息をついた。

「……明日からはアブソルに送ってもらうよ」

 肉体的には楽だったが、精神的には辛かったようだった。




 その日も、翌日も、その翌日も、毎日頼光と地鉱は純の所へ遊びにきた。
 3人は、散歩したり、釣りをしたり、畑に忍び込んで野菜を漁ったり(地鉱曰く、自分の家の畑だから大丈夫)、畑に忍び込んで野菜を漁ったり(頼光曰く、自分の家の畑だから大丈夫)、時にはゲームをしたり、テレビを見たりして過ごした。
 純の体調もだんだんよくなってきて、少しずつなら走れるようになってきた。

 時々、地鉱が来ないことがあった。
 頼光に尋ねると、「ちぃは野性児だから」と答えた。よくひとりで山に遊びに行っているのだ、と。

「ちぃ、昔から石とか大好きなんだよ。だからよく何か掘り出しに行ってるんだ。俺はあんまり興味ないから行かないけど」
「なるほど」
「あいつあんな名前だからさ、石にとりつかれちゃったんじゃないかと思うね」
「……なるほど」

 頼光の後ろでシャドーボクシングのような動きをしている霊をぼんやりと見ながら、純は相槌を打った。


「ジュンはトレーナーなんだよな」
「元、ね。僕のいたところは結構みんな早くからポケモン持ってたから」
「いいなぁ。俺も早く、ちゃんとトレーナーとして独立したいよ」

 頼光の夢は、ポケモントレーナーになって旅をすることだった。
 旅を出て何をするのかと聞いたら、会いたいポケモンがいるのだという。

「俺の名前の『頼光』って、昔いた武将の名前から取ったらしいんだ。そいつはすっげぇ強くて、鬼とか妖怪とかをいっぱい倒したヒーローなんだって。だから俺、自分の名前がすっげぇ好きなんだ」
「ふーん」
「で、俺のあだ名、『ライコー』だろ。おんなじ名前の『ライコウ』っていう伝説のポケモンがいるらしいんだ」
「うん、名前は聞いたことある」
「そいつに会ってみたいなぁって思ってるんだ。どんなポケモンか、すっげぇ気になる」

 頼光は目をキラキラと輝かせて言った。

 純が昔住んでいた町では、小さいころからポケモンを持って、子供同士でバトルさせて鍛えることが普通だった。学校では積極的にポケモンの授業をやっていたし、バトルの実践授業もあった。
 しかし、この地域では、それほどポケモンについて熱心ではないらしい。所有している子供は数人いるけれど、学校での授業は基本的にない。トレーナーとして旅に出る子供も、ほとんどいないというのが現状だった。

 純にとっての一番のカルチャーショックはそれだった。現に、地鉱はポケモンについてほとんど何も知らない状態だった。
 山にいればポケモンと出会うだろう、と純が言うと、いるだろうなあ、と頼光は答えた。

「ほら、ちぃってさ、すっげぇ生き物に好かれる体質だから……襲われることがないんじゃない?」

 わけがわからない、と純は首を振った。
 ポケモンは危険だから、護身用にポケモンを持つ。それが普通のはず。
 変わった人間もいるものだ、と純は思ったが、頼光の後ろでなぜか一生懸命懸垂をしている幽霊を見て、そう言えば自分も変わった人間だったな、と思い直した。




 暑い日だった。照りつける太陽の日差しがじりじりと肌を焼いた。
 3人は釣竿を持って川へ出かけた。
 適当な岩の上に座って、糸を垂らす。しかし、3人ともさっぱりあたりはなかった。

「釣れないなー……」
「釣れないねぇ」
「うん、釣れない」

 ぴくりともしない竿先を見ながら、3人はあくびをかみ殺した。

「場所変えるか?」
「そうだね」
「賛成」

 釣り糸を回収し、3人は立ちあがった。

 その時、純は岩べりに生えていた藻を思い切り踏みつけた。靴底が滑り、純は川に落ちた。
 幸いにも、足がつく程度の深さだったため、純は溺れずに済んだ。しかし、全身ずぶぬれになった。

「あーあ、大丈夫か?」
「うへぇ……気持ち悪っ」
「うわー、びしょびしょだね。服脱いで絞らなきゃ」

 地鉱の言葉に、純の顔が強ばった。

「いや……いいよ、このままで」
「なに言ってんだ、風邪引くぞ」
「いいってば」

 純はTシャツを脱ぐことを頑なに拒否した。しかし、風邪をひいては大変と、頼光と地鉱は無理やりシャツを脱がせた。


 瞬間、空気が凍りついた。

 純の左胸、ちょうど心臓の上あたりに、20センチほどの痛々しい傷跡がついていた。


 純はびしょぬれのままのTシャツをひったくって着、アブソルをボールから出し、その背に乗ってその場から一目散に逃げた。
 残された頼光と地鉱は、茫然とその姿を見送っていた。




 その夜、純は夕食もとらずに、カーテンを閉め、襖を閉め、引き戸を閉め、部屋に閉じこもっていた。

 絶対、びっくりされた。怖がられたかもしれない。
 せっかく仲良くなったのに。
 初めてできた、友達だったのに。


 こんこん、と引き戸を叩く音が聞こえた。

「あきちゃん、入るよ」

 純の祖母が、黒いお盆に大きなおにぎり2つとお茶とお菓子を乗せて持ってきた。
 祖母は純の前にお盆を置いて、にこにこと笑って正座した。

「おなか空いたじゃろ。食べんちゃいな」

 祖母があまりにもにこにこと優しく笑うので、純はおにぎりに手を伸ばした。
 薄味だ。塩がついているのか否か怪しい程度の薄味だ。元より、塩むすびというのは表面にしか塩がついていないので、おにぎりが大きくなると塩味は減っていく。
 皿に添えてある梅干しを口に含んだ。非常に塩辛い。すっぱさより塩辛さが勝っている。田舎の自家製の梅干しというのはこんなものなのかと純はまた衝撃を受けた。
 お茶を飲んでも口の中が塩辛い。純はおにぎりをもう一口かじった。
 噛めば噛むほど米の甘さが出てきて、口の中の塩辛さと混ざり合い、絶妙に美味い。単なる塩むすびより、中に減塩の梅干しが入っているより、断然うまい。
 純は夢中でおにぎりを食べた。空腹だったので、美味さは更に2乗3乗だ。


 お茶を飲んでひと息ついていると、祖母が口を開いた。

「あきちゃんは霊感がとびきり強いのに、守護霊様がちいと頼りないけぇねぇ」

 純は目が点になった。祖母は相変わらずにこにことしている。

「あんたのお母さんはちいとも見えんかったけぇねぇ。ほいじゃけどあきちゃんは『見える』子じゃったんじゃねぇ」
「ばあちゃん……ばあちゃんも、『見える』人なの?」

 純の祖母は、にこにこと笑ったままゆっくりうなずいた。

 純が『見える』のは、祖母からの隔世遺伝だったようだ。
 話によると、純の祖母も幼い頃からよく幽霊を見ていたらしい。しかし、娘、すなわち純の母は全く霊感がなかった。
 それで純の母は、祖母を気味悪がっていたらしい。幽霊なんかいるわけないと言い張り、家を出て、そのまま実家とは疎遠になってしまった。
 しかし、その息子の純は、祖母以上に『見える』人間だった。
 純の母はずっと否定していたものの、純が例の事件にあって以来、幽霊の存在を認めざるを得なくなり、祖母を頼ってきたのだという。

「柿ノ木畠のちぃちゃんには、びっくりするほど強い守護霊様がついとるけぇねぇ。あのくらいのが、あきちゃんにもおったらよかったんじゃけどねぇ」

 祖母は純の頭を優しく撫でながら言った。
 純は泣きそうになるのをぐっとこらえた。自分のことを本当にわかってくれる人が、初めて現れた。

「あきちゃん、友達にゃあちゃんと話さんといけんよ」
「でも、どうせわかってくれないよ」
「ばあちゃんだって、みんなにわかってもらうためにえっとえっと話したんよ。きっと大丈夫じゃけぇ、お話しんちゃい」

 祖母は優しくにこにこと笑って言った。純は小さくうなずいた。




++++++++++

後半はまた後日。


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