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  [No.2096] 人生のゴンドラ 投稿者:リナ   投稿日:2011/12/04(Sun) 06:31:13   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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 今日もいつもと変わらない街並みが流れる。ゴンドラは、ゆっくりと水の上を滑っていく。

 太陽は朝からオレンジ色の光をこの世界に浴びせていた。のんびりと下流へ流れてゆくみなもに乱反射したその光は、レンガ造りの壁に複雑な模様を描く。自然が織り成す儚い芸術は、忙しさで目が霞んだ人々には全く気付かれず、今日も現れては消えてゆく。
 街は少しずつ賑わい始める。木彫りのハクリューをあしらった大きなゴンドラが白い尾を引いて運河の中央を横切っていく。幾重にも重なって広がる波が水面を伝い、岸に着けられていた小さなゴンドラをゴトリゴトリと揺さぶった。
 その船上で仰向けになって寝ていた彼は、それで目を覚ました。日射しが強いせいで、すぐに顔をしかめる。目を擦りながらゆっくり立ち上がり、首を鳴らして、肩を回し、しまいに大きなあくびをした。一日三十分だけと決めている休憩時間を、もう五分も過ぎてしまっている。彼はぽかぽかと暖かい陽気の中、ついうとうとしてしまい、文字通り"舟を漕いで"しまっていた。
 慣れた手つきでオールを握ると、岸辺にそのオールをあてがい、ゆっくりと運河の中央へゴンドラを押しだす。午後からは観光客のかきいれ時だ。彼はいつも客待ちをしている大通り沿いへとゴンドラを進めた。
 運河の張り巡らされた要塞都市。大昔、戦火の最中に造られたこの街は、もともと対立する二つの宗派の片一方が、もう一方による攻撃から自分たちの身を守るためのものだった。その証拠に街はその周囲を「輪壁」と呼ばれる石の壁がぐるりと一周している。長い長い時間をかけ積み上げられたその壁は、当時鉄壁の防御力を誇った。しかしそれは戦争の終結と同時に不用なものとなり、今ではレンガ造りの美しい街並みと共に世界遺産に登録され、旅行パンフレットではお馴染の指折り観光スポットとなっている。
 彼は大聖堂にほど近い、観光客で賑わう大通り沿いにゴンドラを停めた。空気はどんよりと停滞して、生温かった。ほんの数十メートル漕いだだけでひたいに汗がにじむ。夏日の太陽は老体にも容赦がない。彼は被っていたハンチングを一度脱いで風を通した。
 彼はこの街で生まれ、今日までずっとこの街で生まれ育った。今年でちょうど七十を迎える。つまり、七十年間もこの壁の内側で暮らしてきたのだった。今の水上タクシー「モストカーフィ」の船頭の仕事を始めたのは、四十年以上勤めてきた大聖堂の職員を定年退職してからのことだったが、土地勘なら同業者の連中のあいだでも負ける気はしない。迷路の如く入り組んだこの街の地図が完璧に頭に入っていることは、彼のささやかな自慢だった。
 しかし、彼が手元に残っているのはそれくらいのもので、あとはほとんど全て、失ってしまった。


 ◇ ◇ ◇


「すみません。水上タクシーってこちらですか?」男性の声で、尋ねられた。

 岸辺に若い男女がいた。手を繋いでこちらを見下ろしている。

「いらっしゃいませ――さようでございます。ご利用になりますか?」

 この街の船頭は一概にして無愛想な連中ばかりだが、彼に限っては礼儀正しい接客態度を守っていた。大聖堂で解説員をしていた頃の癖みたいなものだった。男性は「ほら見ろ、合ってたじゃないか」と女性に白い歯を見せる。「別に疑ってないよー」と、可愛らしく唇を尖らせる。女性の左手の薬指に銀色のリングが光ったのが見えた。

「あの、どこか景色の良いところに行ってみたいんだけど――案内とかしてもらえませんか?」

 男性は丁寧にそう言った。それならば、お安い御用だ。

「ええ、もちろん。そうですね――やはり大運河『カナル・グランデ』の中流から見渡す街並みなどは、格別でございます」

 女性の方が先に「素敵! ねぇ行こうよ!」と男性を見上げて言う。どうやら主導権は彼女の方にあるようだ。ゴンドラに乗るときも、男性が先に乗って、彼女を立派に――少し慇懃すぎるようにも見えたが――エスコートしていた。女性は「お願いしまーす」と、気の抜けた声で船頭に言った。彼はロープを手繰り、オールで器用に川底を押して、大運河へとゴンドラを滑らせた。
 ほとんど円形をしているこの街の中心にそびえる大聖堂から南東の下流は、そのまま海に続いている。膨大な流量を誇る大運河「カナル・グランデ」は、この街のすべての運河が最後にたどり着く終着駅だった。
 しばらく行ったところで、女性が思い出したようにバッグに手を入れ、中からモンスターボールを一つ取り出した。

「こんなに天気が良いのにボールの中じゃかわいそうだよね」

 ボールから飛び出したのは、ラッパのような口とゼンマイのような尻尾を持った水属性のポケモン、タッツーだった。タッツーは飛び込みの選手さながら、元気よく運河に飛び込んだ。小さな水飛沫が上がり、タッツーは意気揚々とゴンドラの周りを泳ぎ始めた。

「気持ちよさそう。あたしも泳ぎたいな」

 時々口から水鉄砲を吹き出すタッツーを嬉しそうに眺めながら、女性は言った。

「明日も天気が良かったら、海水浴に行こうか」男性が女性の肩を抱き、提案する。

「ホント? あ、でもあたし水着持ってきてないや」

「買ってあげるよ。せっかくの新婚旅行だ、ケチケチしたらもったいないだろ?」

「ありがとう! 嬉しい!」

 二人は唇を重ねて、また微笑み合う。彼はゴンドラの前方を悠々と泳ぐタッツーと目があった。「いつもこんな感じさ、やれやれだよね」と、その目が言っていた。彼は口元で微笑み返した。

「お客様、まもなく大運河の中流になります」

 お互いに夢中になっていた夫婦は、その美しい街並みに無邪気な歓声を上げた。


 ◇ ◇ ◇


 朝はこの町に住む人々の通勤ラッシュ。けたたましくさえずる鳥ポケモン達の鳴き声の中、彼らもまた忙しなく上着を羽織り、髪を整え、革靴に疲れ切った足を突っ込む。昼過ぎからは観光客が主な乗客だが、急ぎ足で勤め先に向かう彼らもまたゴンドラで移動する場合が多い。

「レネオノラ銀行のドルソドゥーロ通り店だ! 急いでくれ!」

 大聖堂で客待ちをしていた彼のゴンドラにバタバタと靴音が転がり込んだ。

「かしこまりました」

 真夏だというのにしっかりとネクタイを締め、グレーの背広を着た中年の男性は禿げあがった額に大量の汗をかきながらゴンドラに乗り込んだ。

「八時半から取引先と打ち合わせなんだ! 最短距離で頼む!」

 唾を飛ばしながら男性は声を上げた。言われるまでもなく、ゴンドラ乗りは頭の中で地図を開き、目的地までの最短距離を割り出す。ただこの時間帯、その道を通れば渋滞に巻き込まれる可能性が極めて高かった。迂回路を通った方が確実に目的地へたどり着ける。彼はオールでゴンドラの向きを変え、左側に見える細い水路に入った。

「おい! 本当にこの道なのか? いままでこんな道入ったことないぞ?」

 彼は渋滞に巻き込まれる恐れがあることを男性に説明した。男性を表情を曇らせたままではあったが、一応納得したようで、「とにかく急いでくれ」と念を押した。
 男性は携帯電話で何度も話した。時には丁寧な口調で慇懃に、時には部下に対する電話なのか、割れんばかりの声で怒鳴った。きっと会社についてからも、そして会社から家に帰るその時まで、彼は一日中こんな様子なのだろうと、彼は思った。

 予想外のことが彼に起こった。渋滞を避けるために迂回したその道が、一隻のゴンドラで塞がってしまっているのだ。どうやら近くの建物を改装しているようで、そのゴンドラには木材やレンガが積み上げられていた。その道は非常に細く、彼のゴンドラはどう考えても通り抜けることができない。

「おい! どういうことだ?! 通れないじゃないか!」

「――申し訳ございませんお客様、こればっかりは」

 水路や運河が主な交通機関のこの街では、このような事態は日常茶飯事だった。大抵の客はこういうときも「仕方がないね」と、ゴンドラ乗りを責めることはしない。皆、何事もうまく、完璧に行くことばかりではないことは分かっているのだ。
 しかし男性は違った。顔を真っ赤にし、口元を震わせて怒鳴った。

「貴様どうしてくれる?! もう間に合わないだろうが! 全く使えん年寄りだ!」

 男性はそう吐き捨てると、ゴンドラを降り、悪態をつきながら走り去っていった。


 ◇ ◇ ◇


 街は今日も夕暮れを眺めていた。
 真っ赤に輝く太陽を反射し、運河はゆっくりと下流へ流れていく。ヤミカラスの鳴き声が遠くから響き渡る。それに示し合わせたように、大聖堂から午後五時の鐘が歌い出す。

「今日はもう終わっちゃったかしら?」

 鐘の音が終わる頃、人通りもまばらになったカンナレージョ通りでのんびり煙草をふかしていた彼は、ふいに声をかけられた。

「ああ、申し訳ございません。ご利用ですか?」

 彼はあわてて煙草の火を携帯していた灰皿にねじ込んだ。
 彼女はちょうど彼と同じ年齢くらいの年配の女性だった。ウグイス色のロングスカートが風にはためき、その傍らには豊かな毛並みを蓄えたヨーテリー。

「いいのよ、煙草の匂いは嫌いではないから――じゃあ、お願いしようかしら」

 彼女の優しい笑顔が夕暮れに照らし出された。

「ありがとうございます」

 ゆっくりと彼女は船底に脚を下ろし、ゴンドラを傾ける。ヨーテリーが少しためらった後、勢いよく飛び跳ねて、彼女の隣りに収まった。

「どちらまで?」

 いつも通り、彼はお客に尋ねる。彼女はゴンドラにしゃがみこみ、ヨーテリーの頭を撫でて言った。

「今は自分で行き先を決める気分じゃないの――ゴンドラ乗りさんにお任せするわ」

 彼はオールの手を止め、驚いて彼女を見た。彼女はただ儚げに微笑んだ。

「――そうですね。ここから下流へ向かうと、十分ほどで海岸沿いの運河へ出ます。この時間ですと、夕焼けが堪能できるかと」

「素敵ね。じゃあ、そこまで」

 船頭の仕事をしていると、時々目的地を持たない客が現れる。この女性のように一目でワケありと分かるような様子の客も珍しくはなかった。彼はゴンドラの先端を下流へ向けた。

 家路を急ぐ人々で、大通りの人も運河のゴンドラの数も多かった。海岸へ向かう道すがら、二度も他のゴンドラと側面を擦った。揺れが大きくなり、彼女のヨーテリーが驚いて二、三度吠えた。彼は乗客に頭を下げたが、彼女自身は、その揺れを楽しむかように、ただ微笑んでいた。

 ほどなくして、ゴンドラはオレンジ色に輝く夕日を浴びつつ、海岸沿いに到着した。

「――とってもきれいね。船の上から夕焼けを見るのは、もしかしたら始めてかもしれないわ」

 彼女は目を細めて、水平線に沈んでゆく太陽を見つめていた。明るく照らし出された頬や首に刻まれたしわは、どこか憂いを帯びているように見えた。
 彼自身、この時間は大抵帰宅途中の人々を乗せているので、こうしてゆっくりと夕焼けを眺めるのは実に久しぶりのことだった。ゴンドラを漕ぐのも忘れ、船の先端で棒立ちになったまま、しばらくその景色に見とれていた。

「先日、夫に先に逝かれましてね――ひとりの時間が増えると、何していいものやら分からなくなるものなのね」

 彼女はヨーテリーの頭を撫でながら、静かにそう言った。

「――左様でございましたか。御主人は、何をされていた方で?」

「駅員でした。あの人の口癖があってね、『電車を降りた旅行客の、この街の第一印象は何で決まると思う? おれが笑顔でいたか、いなかったかだ』って。家でしかめっ面しながら煙草をふかす様子からは想像つかないほど、仕事中はにこにこしてたのよ」

「御主人のおっしゃること、共感いたします。接客業をよく分かっていらっしゃるお方だったんですね」

 もしかしたら、自分も何度か顔を合わせたことがあるかも知れないと、彼は思った。年に数えるくらいしか、駅には行かないのだが。

「ふふ、そうなのかしらね。そういうあなたも、素敵な笑顔でゴンドラを漕いで、乗っていて気持ちがよかったわ。ありがとう」

「ゴンドラ乗りなんて仕事、船の操縦に慣れた後は、笑うことぐらいしかできませんから」

 彼女はまた小さく笑い、オレンジに染まった海を見つめた。
 気付けばもう太陽はほとんど水平線に隠れてしまっていたが、そのぎりぎりの光でさえも、彼の目には眩しかった。


 ◇ ◇ ◇


 変わり映えのない夏の蒸し暑い日が続いている。彼はひたいに汗を滲ませて、毎日ゴンドラを漕いでいる。

 遠い昔にはあった。ずっとそばにいた最愛の人も、熱意や地位、プライドも、心を通わせたパートナーも。今は何ひとつ残っていない。彼は今、一人で毎日同じことを繰り返しているだけの人生を送っている。

 彼はこの街が好きだ。この街の建物、空気、景色、そして人々も、好きだ。
 彼は今、満ち足りた人生を送っている。

「パトリおじさん、サンタ・クローチェまでお願い!」

 見なれたオーバーオール姿の少女が紙袋を抱えて彼のゴンドラに飛び乗った。後ろからロコンが一匹ついてきて、ぴょんとジャンプしたかと思うと、その少女の後ろに着地した。

「お、メグじゃないか。今日もお使いかい?」

 ゴンドラの上であぐらをかいて座っていた彼は、よっこらせと立ち上がった。

「うん、コナのコーヒー豆が切れちゃって」

「はは、それは困る。私はいつもそれだから。今週中にはまた飲みに行くとルイスに言っといてくれ」

 そして彼――パトリは岸にオールを押し当て、ゴンドラを滑らせた。


 ――――――

 【何しても良いのよ】


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