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  [No.2697] 見上げる、空 投稿者:小春   投稿日:2012/10/18(Thu) 21:56:43   36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 見上げた空に、あいつはいない。

 風が強い日には空を見る。いつもより早く雲が流れるのをぼんやり見上げ、視界の端に紫の物体が入ってこないかを期待する。いや、さして期待していないかもしれない。とか思いつつ、やっぱり心のどこかで期待しているのだと思う。自分でもよく、わからない。いつの間にか、染みついた癖だ。いつの間にかというのは適切ではない。空を見上げるようになったのは、確実にあの日から。いつも隣をぷわぷわ浮いていたあいつが飛んでいった日からだ。
 風の冷たい日だった。ぷわぷわ浮くあいつをお供に、近くのコンビニに醤油を買いに行った。ひじきを煮るから買ってこいと母親に300円だけ渡されてのおつかい。えぇい、こんな寒い日に外にほっぽり出すなんてなんてひどい、自分はストーブの前に陣取ってるくせ、どうせひじきだって私が煮るんだ云々。足を進めるたびに口から文句が飛び出す寒さ。隣を浮く紫の風船がぷわぷわ鳴いた。なにが楽しいのか知らんが、古い手袋を取り上げて遊んでくる。寒いんだから返せ返せと醤油が入った白いビニール袋を振り回し、紫風船を追いかける。追いかけるほどに、紫風船はぷわぷわ笑うように鳴いた。
 寒さで赤らんだ頬がいつの間にか熱くなる。さっきまでは冷たいばかりだった風が頬に気持ちいい温度になった。ふと見上げた空に浮かぶ薄い雲は、いつもより早く流れていく。ぷわぷわ鳴いて手袋をぶら下げる風船と、それを追いかける私の背中に冷たい風が吹いた。醤油の重みがあるビニール袋まで、すこし揺れる。切りに行くのが面倒でだいぶ伸びた前髪が目に入りそうだ。思わずきつく目を閉じた。
 ぷわっ、と驚いたような風船の声。すぐにぷわぷわ、さっきまでの楽しそうな声に変わる。ぷわぷわ、ぷわぷわ。風に乗ってだいぶ高い場所まであがっている。鳩とか烏とか、鳥とは違う浮遊の様子に、うらやましいとかちょっと思う。

「夕ご飯までには、戻ってきなさいよねー」

 風に乗った紫風船に向かって声をかけた。一緒に出かけて、途中で離れて、お互い勝手に帰って、夕飯から先は一緒に過ごす。いつものことだ。どうせ、どこかで飽きてすぐに戻ってくるはず。ずんと重くなった気がするビニール袋を持ち直して、気づく。細くなった持ち手が手に食い込んで痛い。

「あ、手袋もってかれたし…」

 まあ、いいか。あいつが帰ってきたら取り上げてやろうじゃないか。少しばかり熱を持っていた頬はすっかり元通り冷たくなっている。ジャケットの襟に顔を埋めるように、帰路を急いだ。なんてまあ、風の冷たい日なんだろう。


 結論から言ってしまえば、夕食までにあいつは帰ってこなかった。さらに詳しく言えば、いまこのときまで戻ってきていない。どうせ朝になれば帰ってくる、明日になれば帰ってくる、明後日になれば帰ってくる。期待は数え切れないほどしてきた。後悔も数え切れないほどしてきた。紫色をした風船とは、風の冷たい日に別れたきり。ぷわぷわ笑うような鳴き声と私の指先にしもやけを残して、あいつは飛び去ったまま。だから私は、風が強い日には空を見るのだ。


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テスト終了後データがリセットされると目についたので、本棚の奥からしょびつり出してきたものをボットンと失礼します。


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