日常生活において、こういう力は不便に近いのだろう。
彼等は私の言うことしか聞かない。
それは、嬉しくもあり、悲しくもある。
もし、私が
『あの子を傷つけて』
なんて言ったら、
彼等は
そうするのだろうか。
カオリは教室で本を読んでいた。速読という特技を持つ彼女の目は、すばやく細かい文字を追っていく。
それは、愛する者のために犯罪者になる男の話だった。
どうして愛なんかのために自分を犠牲にするのか、とカオリは思う。自分は人を愛したことはあるのか。
忘れてしまった。これが物語の世界で良かったと思う。リアルにあったとしたら、きっと呑気に読むことはしないだろう。
「現実を物語にするのは・・」
カオリの影が動いた。一本の手が伸びて来る。それをそっと握る。
「現実に痛い目を見た人に、失礼だよね」
人は脆い。
特に今まで挫折を味わったことがない人は脆い。
今まで完璧な人が、社会に出た途端、価値観の相違という壁に当たって砕け散るのだ。
パリン
ガシャン
砕け散る、という単語を考えた瞬間、その音が聞こえた。
一瞬空耳かと思ったが、廊下の方が騒がしいのでとりあえず読みかけの本を片手に出てみる。
ドアを開けた途端、落胆や罵声に近い声が耳に飛び込んできた。
『またやったよ』
『昨日は蛍光灯、今日はガラスかよー』
その台詞に間違いは無かった。昨日の昼休み、男子数人がボール遊びをしている時、誤って天井の蛍光灯に当てて落としてしまったのだ。
もちろん、それは粉々に割れた。
そして、今もガラスが割れた。
粉々に。
カオリは集まった人の中をくぐり抜けた。誰も気付かない。
破片が飛び散っている。掃除をしているのか、破片同士が当たる音が聞こえた。
カオリは、そのうちの一枚を拾う。自分の姿が映った。
こっそり、ブレザーのポケットに入れた。
「ぎーらてぃーなさん」
ガラスの破片に向かってカオリは話しかけた。破片が話すわけない。それは百も承知だ。
ゴーストタイプの伝説のポケモン、ギラティナ。
その存在を知ってから、カオリは情報を集めていた。
そして、ギラティナは『やぶれたせかい』という場所にいることを知った。この世界を支える軸として存在している場所。
鏡から、それは見えるらしい。つまり、何かを映す物ならいいというわけだ。
そのことを知って以来、カオリは鏡に向かって話しかけるようになる。
洗面所で、お手洗いで。風呂場で。
そして、ガラスの破片に。
「そっちはどんな世界ですか」
破片には自分の姿が映るだけだ。
それでも、カオリは望んでいた。
ギラティナという存在に、会える日が来ることを。
カオリは、元々ゴーストタイプが見えるわけでも、懐かれやすいわけでもない。
全ての始まりは、
「痛」
十歳の時に、親指の付け根を切った時からだ。
当時、カオリは彫刻刀で木を彫っていた。何も無い日常に嫌気が差して来た時だった。
「痛っ」
左手の、親指の付け根。
かなり深い傷だった。
その日からだ。
カオリの周りにゴーストタイプが集まり、カオリもそれが見えるようになったのは。
「ギラティナ」
傷を見つめる。もう目立たない。
「必ず、会いに行くよ」
[批評してもいいんだぞ]