「おおぅい、おおぅい、コモルーさんや! コモルーさんはおらんかな!」
「うぅん、こいつはいったい何事か。声だけ聞くにはビブラーバ君か。しかしこの場は険しい山で、どうして君の声がしよう」
「この声は! やぁ、この声はコモルーさん!
して、あんたはいったい何者か」
「そういう君こそ何者か。
緑の身体のそこの君。その背の翼で空を舞い、長い身体をくねらせる。そんな知り合い、記憶にない」
「やや、ひとつ名乗りが遅れたか。あっしはかつて、ビブラーバだったものでさぁ。
砂漠のすり鉢を古巣とし、砂上を走って幾星霜。走った跳ねたを繰り返しては、飛べない翼に悶えたものよ。
しかしそいつも昔の話。今のあっしはフライゴン。羽の数こそ減ってはおれど、こうして空を舞えまする」
「あぁ、なんだ。やはり君がビブラーバ君か、いやフライゴン君か。
すでに気づいているだろうが、こちらもきちんと名乗ろうか。
自分はかつてコモルーだったもの。空飛ぶ身体になるためと、食うや眠るや身投げをするや、やはり気づけばこの通り。
今の自分はボーマンダ。身体を包む甲羅は消えて、この背に真っ赤な翼も生えて、飛ぼうと思えば飛べる身だ」
「おぉ、おぉ、なんと! やはりあなたがコモルーさんか。いやさ、今ならボーマンダさんか。
いやはや、知らない間に翼も生えて、なんと立派な翼なことか。それほど立派な翼なら、空の果てまで飛べましょう。
しかしてどうだ。あんたの顔は不機嫌だ。何か事情があるのなら、不肖、あっしが相談などと」
「態度に出るほど不機嫌か。いや、不機嫌なのは本当だ。
言うならば、背中の翼は立派だが、どういうわけだか空まで飛べず。
立派な翼は無闇に風を起こすだけ、ということなのだ」
「なんと、そいつは面妖な。
やはり身体が重いのか? はたまた飛び方がわからないだけか。
あっしなら、進化してすぐ飛べたものだが。はて、羽ばたき方を知ってたからか。
どれ、ボーマンダさんや。あっしに羽ばたき、見せてくれ」
「そういうことなら見てもらおうか。
それ。やぁ、やぁ、やぁ!」
「おぉぅ、こりゃまた力強い。
あぁ、しかし、上から下へ動かすだけじゃ、ちょいと空へは飛べませんぜ」
「……あぁ、ダメか。なかなかどうして難しい。念願かなって手にした翼、こうしただけでは持ち腐れか。
なぁ、フライゴン君。ひとつ、頼まれてくれないか」
「どうすりゃ飛べるか教えてほしい。と言うつもりなら、おやすいご用でさ」
「あぁ、察していたなら話は早い。2枚の翼を持つもの同士、君の羽ばたき、見せてくれ」
「ほいさ、わかった、頼まれた。
あっしが羽ばたき見せやすんで、ちょいと真似してみなんせぇ。
まずは地面に足を着け、ほい、ほい、ほい、と。
翼の動きは根本から、縮めて上げて、広げて下ろす。風を真下にぶつけるように」
「翼をしならせ、やぁ、やぁ、やぁ、と。こんな具合か?
うむ、なにやら身体が軽くなる。持ち上がってる気がするぞ」
「おぉ、存外うまくやりやすな。もともと筋は良かったか。
そんな感じでいきやしょう。下ろすときには力の限り、上げるときには焦らず急ぐ。
ほい、あっしもそろそろ飛び立ちやすぜ」
「自分もだんだん浮かんできたぞ。これなら空も飛べそうだ。
しかしこれでは上に向かって浮くばかり。このままどうして空を飛ぶ?」
「こっから少しコツがいる。ほい、首としっぽをまっすぐ伸ばし、軽く地面を蹴るんでさ」
「羽ばたいたまま、地面を蹴って進むのか。
では、やぁ、やぁ、ややや!?」
「ありゃ!? ひっくり返って落ちるとは! 地面を蹴るのが強すぎた!
こいつはとんだ一大事! 落ちるにゃ慣れてはいましょうが、いつも無事とは言えますまい!」
「あぁ! あぁ! 落ちる! この期に及んでまだ落ちる!
ひっくり返って羽ばたけない! このまま地面に落ちるのか!」
「そうは問屋が卸さない! しっぽをつかんで持ち上げよう!
むむ、こいつはとんだ重量級! 持って耐えるが精一杯!」
「おぉ、おぉ、これは宙ぶらりん。ゆっくり落ちてはいるものの、このまま落ちればケガもない」
「あまり長くはもちませぬ! ひと度放せば真っ逆さまだ! はやく自分で飛びなせぇ!!」
「やや、それはなんとも恐ろしい。そうなる前に羽ばたこう。
やぁ、ちょっと身体をくねらせて、体勢なおして やぁ、やぁ、やぁ」
「おぉ、おぉ、おぉう! 暴れてくれると手が滑る!」
「ほんの少しの辛抱だ! もう少しだけ耐えてくれ!
やぁ、やぁ、やぁ、やあやあやあ!!」
「おぉ、これは! まっすぐ飛んではいやせんか!」
「やぁ、飛んだ! 飛んでいる! やっと自分が飛んでいる!
こんなに遠く、見渡せたとは! まだまだ雲は遠かれど、やけに地面が遠いじゃないか!
いやしかし、こうして飛ぶのは疲れるな。地面もどんどん遠ざかる」
「まだまだまっすぐ飛ぶだけなれど、そこまでできりゃぁまずまずだ。
しかして、羽ばたくだけが飛ぶにはあらず。今度は翼を広げて風に乗ろう。そして右に左に飛び回ろう」
「やや、羽ばたかずとも飛べるのか? いや、飛び立つために羽ばたくのだな。
そういえば、空飛ぶ鳥は羽ばたくが、いつもそうとは限らんな」
「そうそう、鳥がお手本さぁ。こうして身体をまっすぐ伸ばし、翼を大きく広げたならば、ゆっくり空を飛べますぜ」
「少々怖いが、やぁ、こんな具合か。
なるほどな、これならなかなか疲れない。だがしかし、なにやら落ちてる気がするが?」
「や、羽ばたかなければ落ちるもの、そいつは仕方がないですぜ。上がりたかったら羽ばたきやしょう。疲れりゃもっかい、こうすりゃいい」
「そういうことか。上がって下りてを繰り返し、こうして空を飛ぶんだな。
あぁ、だんだんコツがつかめてきたぞ」
「そうそう、そんな具合でさ。あとはゆっくり慣れればいい。
身体を傾け上下左右、翼を広げて風に乗り、翼を縮めて風を切る。やるこたいろいろありやすが、急いで覚えることもない。
まぁ、ちょいと手本を見せやしょう」
「やや、フライゴン君。離れて寄って、それが左右の動きかね」
「だいたいそんな感じでさ。あとは、身体を傾けて、翼を縮めて急降下!」
「おぉ、フライゴン君! どこへ行く!」
「翼を広げて風を受け、首を持ち上げ急上昇! ちょいと羽ばたき姿勢制御。まぁ、これぐらいならそのうちコツも掴めやしょう。
お? 野を越え山越え森を越え、そろそろ海が見えてきた」
「海? おぉ、あれが! 山に棲み、木々に囲まれ生きてきて、こうして空から眺めることになろうとは!
あぁ、すごい! これが雲の目線というわけか!」
「馴染みの砂漠も彼方にあるか。
いつかどこかへ旅立ちたいと、願うことなどあるにはあるが。まさかここまで飛ぼうとは、正直夢にも思わなかった」
「ははは、いやまったくだ。自分もまさか、念願かなって手にした翼、ここまで飛ぶとは思いも寄らず、だ!
あぁ、そうだ。これが感動だ! 自分は今、心の底から感動している!!」
「おぉ、おぉ、威勢の良い炎だ。
さて、ボーマンダさん。そろそろねぐらに戻りやしょう。あんまり飛んでも疲れるさ」
「そうなのか。いや、自分はそれほど疲れてないが。
できればこのまま海を行こう、と自分は思っちゃいたのだが」
「しかしまだまだ飛ぶのは不慣れ。海は広いし降りれない。疲れりゃどこで休めやす? 水に落ちたらどうしやす?
あっしらまだまだ未熟さね。海の向こうはまだ遠く、もっと上手く、もっと長く、飛べればいずれ目指せやしょう」
「もっと上手く、もっと長くか。君はどうかな、フライゴン君。なかなか上手に飛んでるが」
「あっしもまだまだ未熟でさ。空飛ぶ翼が生えたのも、ついこの間のことでさぁ」
「なるほどそうか。君もまだまだ若いのか。
しかしこうして翼が生えて、念願かなったところだが、まだまだ夢は広がるな」
「えぇ、そうでしょう。海の向こうはまだ遠く、雲の向こうは尚遠く、目指すは彼方のそのまた向こう。
いやはや、茨の道というものか。退屈せずにすみそうだ」
「目指すは彼方、なるほどな。そういうことなら引き返そう。
落ちるばかりの日々は終わった。今日から空を舞う日々だ。目指すは雲と海の向こう。
今は下積み、その先に」
「夢は終わらず、良いことで。
あっしも彼方を見てみたい。こうしてきたのも腐れ縁。行けるとこまで付き合いやしょう、ボーマンダさん」
「行けるとこまで行こうじゃないか、フライゴン君」
「さぁ、そうと決まりゃぁ特訓だ。特訓特訓また特訓」
「自分と君とで特訓だ。彼方を目指して特訓だ。
彼方は遠く、まだ遠く。遙か遠くにあるのだから……」