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01 アサギの市  イサリ


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 アサギシティは、数多くの商船が集まり、交易の拠点として栄えたジョウト地方最大の港町だ。外国からの珍しい物品も取り引きされ、農閑期には大規模な市場が開かれていた。
 現在も発展を続ける都市部とは裏腹に、昔ながらの市場は次第に衰退してしまったが、今なお語り継がれるアサギの市にまつわる伝説を一つご紹介しよう。

「やあ、旅のかた。アサギの市へ行くのですか?」
 港町へ向かう旅人に、そう話しかけてくる者がいたという。小奇麗な身なりの痩身の男だ。旅人が肯定すると、男は微笑み、そこに住むある女性に言(こと)づてをしてほしいと頼んでくる。
「ヒノアラシの背の炎から糸を紡いで、火にくべても決して燃えない羽織(はおり)を作るよう伝えてください。そうしたら、もう一度真の恋人に戻れるでしょう、と」
 奇妙な伝言の内容に、旅人は首をかしげることだろう。しかし、男は有無を言わさず「きっと伝えてくださいね」と念を押し、すぐさまその場から去ってしまう。
 アサギの町で用事を済ませた旅人は、復路で再び男に出会い、羽織を持ってきてくれたかと尋ねられる。
 旅人は困り果てる。なぜなら、頼みごとを伝えるべき女など、どこにもいなかったのだから。だが、この時決して、女に出会えなかった、あるいは羽織を受け取れなかったと答えてはならない。そう答えるやいなや、男は態度を豹変させ、怒りに燃えたぎる紅い目をぎらつかせたゲンガーの姿を現し、旅人の魂を連れ去ってしまうだろう。かといって、帰りにその道を迂回して逃げ出すことは延命にしかならない。言づてを引き受けてしまった時点で男の呪術は成就している。じわじわと精力を奪われ、朽ち果てるその瞬間まで終わらない寒気に苦しむことになるだけだ。

 さて、ある時一人の若者が、それまで道を通った幾多の旅人と同じようにゲンガーの扮する男に話しかけられた。市場での仕事を終えた後、例によって経緯を尋ねられた若者は、羽織は預かっていないが代わりに伝言を頼まれたと答えたのだった。
「ホウオウが天を駆けた後にできるという虹の袂(たもと)に土地を見つけて、雨のしずくで家を建てるよう伝えてください。そうしたら、羽織を持って行きましょう、と」
 若者がそう告げると、男は酷く傷心したような表情を見せ、霧のように跡形もなく消え失せてしまったという。
 虹を探しに行ったのか、アサギの市へ向かう道に、怪しい男はそれきり現れなかったそうだ。