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110 丸呑に遭う


PDFバージョン  フォルクローレに採用されると見開きの片側に絵がつきます。


 "丸呑(まるのむ)に遭(あ)う"という言葉がある。
 その言葉を辞書を引くと"旅先で消息を絶ち、命を落とすこと"とある。
 直接的な死の表現を避けるために婉曲にぼかした言葉であり、皆様も一度はどこかで聞いたことがある言い回しだろうと思われる。また、読者も身内が"丸呑に遭って"しまった方もいるだろう。
 旅は危険でいっぱいだ、それにより毎日のように命が失われている。 実はその亡くなったトレーナーの数以上に、トレーナーの行方不明者が出ていた。
 人が死亡したとされるためには、その遺体が確認されなければならない。たとえば落盤事故があった場合は埋まった遺体が見つかるまでは行方不明者として扱われる。ポケモンに襲われて亡くなった場合も大抵は遺体は見つかることになる、例え食べられても燃やされても骨は残るだろう。何かしらは残り、そこから個人が特定される。

 だが、そうした遺体や遺留品が一切見つからない場合がある。
 それが、ポケモンに丸呑みにされて、残さず消化されてしまうことである。
 ふらりと草むらに入った者がそれを最後に、何の痕跡も残さずに いなくなり、帰らぬ人となってしまう。もしかしたら単に道に迷っているだけかも知れない、家出して別の町で生活しているかもしれない、どこか生きていることは否定できない、死んだと思われるが 死とは言い切れない、昔の人々はそうした状況を「まるのむにあったのだ」と言った。
 似た言葉として"神隠し"という言葉がある、人によってはこちらの方が身近な言い回しだろう。だがこの"まるのむにあう"は、神隠しとは違い 超然的な神の仕業ではなくその辺の生き物によって行われたより身近な出来事と捉え、より死というものを受け入れた言い回しとなっている。自らも他を食べて生きているのだから、同じように食べられて血肉になったならば仕方ないとも考えたのだろう。
 また マルノームというポケモンがいるが、かつてマルノームは大毒哩(おおどくり:大きなゴクリンの意)と呼ばれていたため、マルノームから"丸呑に遭う"と付けられた由来ではなく、"丸呑に遭う"という言葉と先にあり、その言葉からあのポケモンの名が付けられたというのが今の通説である。

 現在ではマルノーム、ウツボット、アーボックなどのポケモンに丸呑みにされて、死亡したか判別できない事例は無くなった。
 丸呑みにすると言えども、生体内で消化できない金属部分は吐き出したり排泄物として出すので。トレーナーが携帯するポケモン図鑑、ポケモンウォッチ、Cギアなどの電子機器の中に、あらゆる衝撃や熱や化学反応に強い素材で包んだ発信機付き認識チップを埋め込むことで、かつてのように跡形も無く消えてしまって行方不明になってしまうことは減り、旅先でいつどこでどのように亡くなったのか詳しくわかるようになっている。
 ポケモンの棲む草むらは危険でいっぱいだ、毎日数多くのトレーナーがポケモンによって命を奪われている。
 "丸呑に遭う"という言葉に胸に刻んで、決して無理の無い旅をして欲しいものだ。