129 遭難者の恩人達 クーウィ
その昔、漸く生活基盤を安定させた我々の祖先が、新たな新天地を求めて旅立った時。その前途に一番最初に立ちはだかったのが、何処までも果てる事なく続く、広大な海だった。海は有史以前より無尽蔵の恵みを与えてくれる大いなる母であると共に、「板子一枚下は地獄」という言葉に表されるが如く、我々人の力だけでは決して克服する事の叶わない、無慈悲極まりない異界でもあった。
危険を承知で生活圏を広げようとする挑戦者達や、生きる為に否応なく乗り出して行く船乗り達。絶えず危険と隣り合わせの日々を送り、幾多の犠牲を積み重ねて来たそんな彼らにとって、その海を自由自在に駆け、造作もなく乗り越えて行く水生ポケモン達は、あらゆる神性を見出すに相応しい存在であり、また突如遭遇した絶体絶命の危機に際して最も頼りになる、最高の相棒であった。海の開拓史はそのまま人と水生ポケモン達の絆の歴史であり、文化人類学的にも――文化の波及やその経路と言った観点からも、極めて興味深いものである。
ところでそう言った『人と共に暮らすポケモン』の物語がある一方で、普段は全く人とは関係無い野生のポケモンが、進んで人に対して救いの手を差し伸べると言う事例も数多く存在している。そこで今回はそう言った野生のポケモン達の逸話について、二つほど紹介して行こうと思う。
人と関わりの深い水生ポケモンと言えば、真っ先に思い浮かぶのがラプラスだろう。乗り物ポケモンに分類される同種は遥か昔から人に近しく、時としては乱獲の対象にもなり、絶滅の危惧が叫ばれた事も記憶に新しい。
千九百四年五月、カントー地方のクチバシティを母港とする貨物船・トキワ丸(四千五百総トン)はセキチクシティを出港し、イッシュ地方のタチワキシティに向かった。積み荷は日用雑貨と食料で、航海用の水や燃料、船員用の食料も十分に満たされており、長い船旅にも余裕を持って耐えられる筈であった。
しかし出港から十六日後、トキワ丸は突如何かに乗り上げたかのような強い衝撃を受けると共に、推進用のスクリューシャフトを破損、同時に船底を大きく損傷して、見る間に大きく傾き始めたのである。この事故の原因は今日でも定かではないが、恐らく現場の緯度・経度から推測するに、サニーゴの集団に激突したのではないかと言われている。サンゴポケモンのサニーゴは、時として浅い海底に集団で群れ集まって水面近くにまで達する巨大な岩礁を形成し、衝突される際には一斉に固くなるなどの防御手段を取って、しばしばこれらの船舶に甚大な損傷を与える事があるのである。
突然の凶事に船上は一時パニックに陥るものの、流石に遠洋航路のベテラン船員は対応が早く、復旧・維持が困難と見るやすぐさま船の放棄を決意して、全員が救命艇で脱出した。トキワ丸はこの後ほどなく船倉への浸水により転覆・沈没しており、船員達の判断は正しかったと言えるだろう。救命艇で逃れた彼らはそれから一週間を掛けてコンパスを頼りに帆走とポケモンによる曳航で西へと航海し、八日目の早朝に至って無事オレンジ諸島のカンキツ島に辿り着いている。
ここまでの経緯だけなら、この事件は比較的幸運な、普通の海難事故として終わっていただろう。だが実はこの船には、乗り組んでいた船員達が誰一人として察知していなかった人間が、まだ三人もいたのである。
沈みゆく船に残っていたのは、セキチクの港湾作業員だったソウダヨシカズとその妻のミツコ、そして彼らの息子であるカズヒロのソウダ一家だった。実は彼らは密航者であり、将来の望みが立たない現状を打開すべく、イッシュ地方への無許可渡航を企てていた。夜間密かに船倉へと潜り込み、積み荷の陰に隠れて船員達の目を誤魔化していたのであるが、不幸にして今回の事故に遭遇し、船内からの脱出に手間取っている内に、トキワ丸に取り残されてしまったのである。
衝撃音に叩き起こされ、順路も分からぬまま船内を右往左往しつつ漸く甲板まで辿り着いたものの、船員達は既に脱出した後で、船上には誰一人として残っていない。やがて傾斜を続けていたトキワ丸は大きく身震いし、慌てて海へと飛び込んだ一家を尻目にぐらりと一回転して、海の底へと沈んでしまった。
さてその翌日。為す術もない状況に彼らが暗然としている中、まだ朝焼けの残る水平線の向こう側から、五匹のラプラスが姿を現した。どうやら浮遊物を辿っていたらしい彼らは、ソウダ一家を発見すると遠巻きにして観察し、やがて年少のカズヒロが疲弊しているのを目に留めると、ゆっくりと波を掻き分け近付いて来た。
思わず身を寄せ合う一家に対し、ラプラス達は緩やかな動きで鼻先を摺り寄せて来ると、そのまま身体の大きな三匹が順に水中に潜り込み、下から一家三人を、それぞれの背中に背負い上げた。そしてそのまま呆気に取られている彼らを尻目に、一心に同じ方角に向け進み始めたのである。ラプラス達は何らかの形で遠方にまでコミュニケーションを取っているらしく、ほどなく一匹二匹と他の個体も集まって来て、群れは十六匹の大集団となった。
ラプラス達はそれから四日間に渡り、一家を乗せて泳ぎ続けた。時折運搬する個体の交代があり、用を足したり休息したりするのには、小さな岩礁や無人島が使われた。水や食料にも配慮してくれ、日が暮れると互いの間隔を密にして、背中の人間達を潮風から守る。一度は大型のブルンゲルの襲撃を受けたが、ラプラス達は一家を運んでいる個体を中心に円陣を作り、『怪しい光』と見られる技を集団で放ってこれを撃退している。
そして遂に、事故発生から五日目の正午過ぎ、彼らはソウダ一家を乗せたまま、人家の立ち並ぶ大きな島へと辿り着く。九死に一生を得た一家が無事上陸を果たしたのは、オブリビア地方のミロンダ島であった。
もう一つの事例は、古くからラプラスと同じく遭難者を助ける習性で知られ、海の化身と崇められて来たドラゴンポケモン・カイリューについてのものである。
カロス地方を始め欧州一帯が戦火に包まれていた千九百四十一年六月、カロス船籍の戦時輸送船ヴィレ・ド・ハクダン(一万八百総トン)が、カロス西方三百キロの沖合で敵潜水艦の雷撃を受け沈没した。魚雷は同時に二本命中し、特に一本は機関室を直撃した上、更に同船の積み荷がマンガン鉱石と鉄鉱石であった事もあり沈没は極めて急で、無事海上に残ったのは甲板に並べられていた救命筏と、僅か二名の甲板員だけであった。
沈没当時ハクダンは独走船であった為に僚船はおらず、更にSOSを発信する暇もなかったので、生き残った二人は筏のマストに自分達のシャツを目印として結び付ける以外、何ら救助の手立ても講じられないまま、広い大洋に取り残されてしまったのである。彼らの船を撃沈した潜水艦も、余りにも急速に沈んだ同船の最期に生存者はいないと判断したらしく、ショック状態で波に揺られる彼らの前に姿を現そうとはしなかった。
何とか生き残った両者、アンドレ・カルヴィとジェレミー・ムニエの二人は、筏の底に括り付けられた携帯食料や飲料水、釣り道具や応急用品の入った箱を回収し、救助の手が差し伸べられる事を信じて、寒さや直射日光に苦しみつつも必死に耐え忍んだ。飲料水は時折降り注ぐ雨水を溜める事が出来たが、食料は一月ほどで底を尽く。魚を釣ってしのいではいたものの、漂流開始から三ヶ月後には既に体力も限界に達し、二人は死を覚悟しなければならないほどに追い詰められていた。
乗船の沈没から九十三日目、不意に横たわっていた両者の頭上に、巨大な影が差した。弱り切った彼らが目を見開くと、そこには二メートル半はあろうかと言う大柄なドラゴンポケモンが、山吹色の身体を降り注ぐ日差しに輝かせ、真っ直ぐ此方を見詰めて浮かんでいる。突然の事態に為す術もなく、二人が茫然と目の前のドラゴンを見返していると、件のカイリューはふわりと筏の直ぐ上にまで降下して来て、中央に立っているマストに片手を掛けるや、大人の腿ほどもある太さのそれをメリメリとへし折り、縮み上がる両者を尻目に、再び青い空へと飛び去ってしまった。
ところがその後、漸く立ち直った彼らが再び絶望の色を濃くして顔を見合わせていると、唐突に遥か彼方から、飛行機の爆音が聞こえて来た。両者がハッと空を見上げると、遠くの空に二つの点が浮かんでおり、それが急速に大きくなっていく。何とか体を起こした彼らが目にしたのは、先程マッチ棒のように苦も無く折り取ったマストをぶら下げたカイリューと、それに導かれるように近付いて来る、一機の航空機の姿だった。必死に手を振る二人の位置を示すかの如く、カイリューは手にしたマストで筏の傍らに筋を描くと、そのまま材木を海に投げ打ち、速度を増して飛び去っていく。残った飛行機の方は同じく低空まで降りて来ると、彼らの呼び掛けに答えるように筏の周りを旋回し始めた。
両者が信じられぬ思いで空を見上げる内、やがて水平線上に大型の軍艦らしきものが現れ、更に他にも複数の艦影や航空機が姿を見せた。助かったのである。
彼らを救助したのはイッシュ外洋艦隊所属の航空母艦ホドモエで、所定の訓練航海を終えて母港に帰る途中、哨戒中の艦載機の報告によって急遽方向転換して来たものであった。パイロットによると、件のカイリューは何度か自機の進路を横切った後に並進し、手にしたマストの残骸を彼が確認するのを待ってから、真っ直ぐ向きを変えて筏の上空まで案内したと言う。
尚これは余談だが、救助された二人の甲板員の内ジェレミー・ムニエは戦後イッシュ地方へと移り住み、事業家として財を為して、最終的には上院議員にまで上り詰める。イッシュポケモンリーグの創設に多大な貢献があった他熱心な環境保護論者としても知られており、特にセッカシティの再開発プロジェクトに於いて化学プラントの建設計画が持ち上がった際には、ソウリュウシティのシャガ市長と共に反対派の重鎮として活躍し、地元住民とも協力して徹底抗戦を繰り広げ、最終的には連邦政府の後押しをも退けて、同プロジェクトを白紙撤回にまで追い込んでいる。
工場の建設予定地だったセッカ近郊のリュウラセンの塔周辺は、世界的にも極めて珍しいミニリュウ系統の生息地として知られており、彼にとっては往時の恩返しのようなものだったのかも知れない。
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