17 渡し守の歌
音色
ビレッジブリッジという橋がイッシュ地方北部に存在する。約200年程前の開拓時代に作られたといわれている、イッシュ地方最古の橋である。橋の上には家が並んでおり、名物のサンドイッチを堪能しようと訪れる人も多い。
現在もその橋に住み、煉瓦造りの橋を手入れしている石大工の老人から聞いた興味深い話を紹介しよう。
その老人の、曾曾曾曾お爺さんは、ポケモン達と共に橋の建設に携わっていたそうだ。では、橋ができる以前はどうやって川を渡っていたのだろうか。
実は、最初は橋など必要なかったそうだ。橋ができる前、開拓者の人々は川の傍に家を建て、畑を耕し、水車を回し、そして向こう岸に渡る時は"渡し守"を利用していたそうだ。
向こう岸に渡りたいとき、川に向かって決まった歌を歌うと、何処からともなくラプラス達がやってきて、背中に乗せて連れて行ってくれたそうだ。彼等は歌が上手い人ほど好む傾向があり、逆に余りに下手だと姿を現さない、なんていうこともあったらしい。
川を渡っているときはいつも澄んだ歌を歌い、そして向こう岸に人を渡し終えるとまた何処へともなく帰って行ったという。
また、何の気なしに歌を歌っている時も気まぐれに渡し守たちは現れ、一緒に歌を歌い、また帰っていくということもあったそうだ。人々の暮らしに、渡し守たちは溶け込んでいた。
そんな緩やかな関係も、ある日の大雨によって崩されてしまう。川が氾濫し、人々の家が、畑が流されてしまったのだ。
開拓者の人々は考えた。橋を作ってその上に家を建てれば、もう流されることもないだろうと。こうして地上の人々とポケモン達は力を合わせて橋を作りあげ、その上で生活を始めた。
お払い箱になったのは渡し守たちの方だ。誰も歌を歌って呼んではくれない。自然と彼等を呼ぶ歌も人々から忘れ去られ、そしてラプラス達も姿を現さなくなっていったという。
しかし、今でも時々、橋の下から澄んだ歌声が聞こえる事があるという。
もしかしたら、ラプラス達は忘れられてしまった歌を歌っているのかもしれないといわれている。
余談だが、橋の周りにはちょっとした名物になりつつある音楽親父達がいるのをご存じだろうか。彼らが紡ぎだしている歌は、いつもビレッジブリッジ全体を包んでいる。
いつの日か、その歌に合わせて水面の中から、ラプラス達のコーラスが聞ける日が来るかもしれないと、語り手である老人は笑っていた。
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