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38 八月七日  リナ(HP


PDFバージョン  フォルクローレに採用されると見開きの片側に絵がつきます。



 旅の途中に出会った一人の少年と、あの素晴らしい光景に、当時スランプに陥っていた私は、次の町へと歩く力をもらったのです。

 この国でも一般的な行事である「七夕」。織姫様と彦星様が、天の川を渡り、年に一度だけ会うことのできる日です。カントー地方では七月七日に催されるのが普通ですが、シンオウ地方では新暦を採用しているため、七夕は月遅れの八月七日。私が当時訪れたシンオウの南部にある港町「笹舟町」でも、八月七日に行われる「七夕祭り」が近付いていました。
 その町で、私はある少年に恋をしたのです。
 地元の高校に通う彼は、滞在中の仕事を探していた私に声をかけてくれました。笹舟町に研究所を構えている父の手伝いを探してるということで、選り好みなんてしている場合じゃない私はすぐに跳び付きました。
 手伝いというのは、港に集まる水属性ポケモンの個体数調査でした。サッカー部のその少年は、練習が終わると決まって、防波堤で作業をしている私に会いに来てくれました。
 最初は全然意識していなくても、大きなバッグを肩にかけて会いに来てくれる彼を、私はいつの間にか心待ちにしていました。あまりうまくいっていなかったジム戦のことを思い出すと、こうやっていつまでも暮らしていたいと思ってしまう。あの時の私は、彼とのひとときために、毎日を過ごしているようなものでした。
 半人前の私の心は、とても弱かった。
 彼はある日、私を七夕祭りに誘ってくれました。今年は当たりの日、すごいものが見れるんだと、意気揚々としていました。

 ポロロッカ現象というのを御存知でしょうか? 海嘯(かいしょう)とも言いますが、あまり聞き慣れないかと思います。
 潮の満ち引きには一定の周期がありますが、特に満月、新月の日の満潮は「大潮」と呼ばれ、潮汐力が最大になります。大潮によって異常な水面上昇が起きて、それが河川の水位を上回ったとき、どうなるか。
 海が川をさかのぼるのです。これがポロロッカ現象です。この年の笹舟町の八月七日は新月、午後八時に満潮時刻となり、町で一番大きな「依代川(よりしろがわ)」でポロロッカ現象が起きるのです。

 この現象が起こる五分前には、町中の街灯が全て消されます。これから起こる、ほんのひとときだけの幻想的な世界を、町の人々みんなが心待ちにしていました。私は彼と、依代川に架かる「かささぎ橋」の上から、海を見ていました。
 沖の方に、ぽつりと光が灯ります。ひとつ、またひとつと漁火のように光が海を染めていきます。やがて光は依代川に入り込み、またたく間に私はその命のような優しい輝きに包まれていきました。
 まるで本物の天の川に架かる橋の上で、玉響の時間を過ごす彦星様と織姫様になったような気分でした。
 その後、私はその少年と再会を約束して、旅を続ける決意をしました。あの光景と、彼の言葉を胸に、私は歩き続けることにしたのです。

 未だ詳しいことは分かっていませんが、笹舟町の周辺に生息するチョンチーやランターンは、新月の夜に大量発生することで知られています。天の川の正体は、彼らの光だったのです。ポロロッカで海水が河川に入り込むとき、彼らもまた何かを求めるかのように川をさかのぼります。
 サニーゴの産卵が満月の夜ということとも合わせて、この現象の研究が進められていますが、解明には至っていません。過去に「チョンチーたちは、昔から月が大きくて魅力的な光だということに嫉妬しているから、新月になり、『嫌な奴』がいなくなったのを見計らって集団繁殖する」と、ユニークな見解を述べた学者がいましたが、論理的な根拠はなく、後に撤回しています。