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41 イシツブテ合戦 砂糖水(HP


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 イシツブテ合戦は、かつて端午の節句に行われていた行事である。戦国時代の戦(いくさ)を模したもので、二手にわかれてイシツブテを投げ合う。簡易的に行う場合は普通の石を投げ合うこともある。
 かつては成人したもの達が行い、「向かい飛礫(つぶて)」と言われていた。頑丈で重たいイシツブテを投げ合うため死傷者が出る事も多々あり、大規模な喧嘩に発展することも多かった。そのため、度々禁止令が発布された。
 かつては東アジアで、イシツブテ合戦がしばしば行なわれていた。日本の場合は二つの組を作り、それぞれがお互いに作った陣から、イシツブテを投げ合う形態が一般的であった。中世にはかなり盛んに行われていたようだが、時と共に大人から子供へと主体が移っていった。一般に、年中行事の権威が落ちると子供の遊びになってしまうようだ。
 また、イシツブテ合戦は占いや厄払いないし厄を防ぐ一面も持っていた。例えば勝敗により、秋の収穫について占ったりしていた。占いや厄払いとしての行為にイシツブテが用いられるのは、元々石には特殊な呪力があると考えられていたためである。古来より、石は不死や永遠の生命の象徴とされており、石には神霊が宿る、あるいは神そのものであるなどと考えられてきた。そして、石であり同時に子を産む岩タイプのポケモンというのは、更に力を持っていると人々は考えたのだ。こうした背景から日本では石や岩、特に岩タイプのポケモンへの信仰が発達し石神として奉ることもしばしばあった。身近な例として子産み石・子持ち石といった、子宝祈願の信仰が現在でも各地に残っている。ただの石ではなくイシツブテが使われたのは、そういった理由があるのであろう。
 しかし、こうした説明だけでは、何故わざわざイシツブテを投げ合うという危険な行為をするのか、説明できない。既に述べたとおり、イシツブテ合戦というのは非常に危険な行為で、しばしば死傷者が出た。そのために度々禁止されてすらいる。そもそも石自体に呪力があるのだから、石神などとして奉っておけばよいのである。だが、それだけですまないことから、投石という行為自体にも重要な意味があったのではないかと思われる。
 実際の合戦でもしばしば実際に投石が行われており、昔は投石が武芸に分類されていたと考えられる。本来、武芸には厄を防ぐ、あるいは厄払いの願いを込めて行われていた。日本の平安時代の武士は、実際の武力解決だけではなく、主に都や朝廷を、武芸を用いて邪悪な存在から守るという役割も担っていたのである。そうすると、イシツブテ合戦とは、イシツブテという呪力のある存在を用いて、厄払いの意味を持つ武芸(この場合は投石)を行なうわけで、二つの意味で様々な混乱や災いを祓い防ぐ聖的な行為であり、一層強い効果が期待されたのであろう。