戻る
------------

55 異説・仏師円空  No.017(HP


PDFバージョン  フォルクローレに採用されると見開きの片側に絵がつきます。


 円空仏。ごつごつとした彫りが特徴的なその仏は一般に知られている精巧で写実的な仏像に比べると荒削りで、悪く言うなら手抜きのようにも見えますが、それでいて一度見ると忘れられない印象を私達に残します。図画工作の授業に使う彫刻刀のパッケージにも採用される事が多いので、写真でなら見た事のある人も多いのではないでしょうか。
 円空は江戸時代初期に美濃の国(現在のジョウト地方ヨシノシティに近い)で生まれ、伊吹寺に入って修行を積んだ後、行客僧として北はシンオウ、南はホウエンまでを回りました。行く先々で求められるままに様々な仏を彫りながら旅を続けたのです。その生涯で彫った仏は大小を合わせ12万体とも言われます。その中でもジョウト高野山にある両面宿儺(すくな)像は円熟期の傑作として有名です。両面宿儺は頭を二つ、腕を八本持つというカイリキーの怪物ですが、同時に朝廷の侵略から土地を守る神という側面を持ち合わせていました。
 さて、この円空という人物について少し変わった説がある事をご存知でしょうか。江戸時代後期に種田卯祖八によって著された「腕力伝」という書物によれば、なんと円空は人間ではなくポケモンだったのだそうです。この本によると円空は腕の一振りで巨木をなぎ倒し、自らの腕に生えた刀で木を削り出したとあります。彫刻刀やノミを持ち歩いていたのではなく、あくまで刀が身体についていたというのです。たしかにこの記述は人間ではありませんね。種類にははっきりと言及していませんがストライクではないか、と言われています。
 もちろん碗力伝の記述の真偽のほどは明らかではありませんし、読者を楽しませる為の筆者の作り話という可能性のほうが高いでしょう。しかしながら、この腕力伝の記述は後世の作家達に多大なインスピレーションを与えました。
 例えば近代の小説家の一人として挙げられる田山蝿袋(うつどん)は「ある行客僧の奇跡」という作品で、ポケモンとしての円空を扱っています。円空はお供にエルレイドを連れて旅に出ましたが、道半ばで命を落としてしまいます。エルレイドは自らが円空となる事を決意し、仏を彫りながら旅を続けるのです。
 また木版画作家、島作造は円空がキリキザンだったという設定で「到神(とうじん)」という絵本を製作しています。その物語を追ってみましょう。
 江戸幕府の治世が始まった頃、天下を転覆せんという野望を捨てきれないホウエンのとある藩は海外のポケモンを密輸入しました。船で運ばれてきたのは何十匹ものコマタナ。秘密裏に訓練をし、戦力にしようというのです。けれどその中に一匹だけ、刀が小さく技も弱い者がいました。こいつは不良品だという事でそのコマタナは捨てられてしまいます。仲間もおらず見知らぬ異国をさ迷っていた彼はある時、寺の住職に拾われました。案内された寺で彼が目にしたのは仏を彫る男達の姿でした。彼は見様見真似で仏を彫り始めます。戦いには向かない小さな刃はむしろ彫刻に向いていました。やがて彼は修行の旅に出る事を決めました。そうして旅を続けながら万の仏像やポケモンの像を彫るうち、その姿はキリキザンになっていました。それからの彼の彫る像には不思議な力が宿り、仏像は魔を退け、ポケモン像は彫られたポケモンの形に応じた力を発揮しました。今はもう力を失ってしまいましたが、今でも旅先の土地で大切にされています、というお話です。
「友人に彫刻家がおりましてね、そのアシスタントがコマタナなのです。ですから私の中のポケモンとしての円空はまさにこのイメージなんですね」
 ポケモン絵本の友に掲載されたインタビューで、作者の島氏はこう語っています。
「バトルには向いていないという事で譲り受けたそうです。けど、彫刻家としての才能はピカイチですよ。いずれ彼の為に個展を開きたいのだそうです」
 さて、この個展ですが、来年7月、ホウエンのミナモアートギャラリーでの開催が決定したそうです。詳細は後ほど発表になるそうですが、現代の仏師円空の作品に期待が高まります。