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57 天つ狐 穂風湊


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 星が流れたら、それが落ちるまでに願い事を言いなさい。そうすればきっと願いは叶えられるでしょう。
 幼い頃からそう聞き、流れ星を見たら条件反射で手を結ぶ人も多いのではないのでしょうか。
 流星はすぐに消えてしまうため、なかなかそれは難しいですが、もし成功したなら――一体誰が叶えてくれるのでしょうか。宇宙から星と共にやってきたピィだという意見もありますが、今回は稲伏(イブセ)に伝わるある伝説を記そうと思います。

 天つ狐という言葉をご存知でしょうか。あまり耳慣れない単語ですが、これは流星のことを指します。なぜ狐かというと、流星の引く光の尾が狐の尻尾に見え、昔の人々は狐が空を駈けていると考えたからだそうです。天つ狗と書く場合もありますが意味の相違はほとんどありません。先ほど上げた稲伏の二通(にどおし)稲荷ではこんな伝承があります。
 昔々、稲伏の山には二匹の狐が住んでいました。九つの尾を持つのが母親、六つの尾を持つのが娘で、彼女達は仲良く平穏に暮らしていました。この母狐は強い妖力を持ち、度々不思議な術を用いては人間達をからかっていたそうです。それでも彼女が討たれなかったのは、彼女が豊穣の化身として認められていたからでした。秋になり穂が付き始めた田を母狐が駈けると、村が一斉に黄金色に染まったといいます。度が過ぎた悪戯をしないのも相まって彼女の行為は大目に見られていました。
 そんな母狐には人間の男性の愛人がいました。出会いは些細な事だったらしいのですが、子狐を独り森に置いて夜を共にするほどの仲になっていました。
 しかしその日々も長くは続きません。
 ある時男は用事のため、遠い都へ出かけていました。遠方の旅に同行しては男に負担がかかるだろう、そう考えた母狐は子狐といつもの森で男の帰りを待っていました。けれど母狐の耳にこんな話が入ってきました。
 男が病に臥し命が危ないと。
 あくまで噂でしたが万が一ということもあります。日に日に悪化する情報に母狐はいても経ってもいられなくなりました。しかし噂は一日で千里を走りますが、狐の足ではとても追いつきません。母狐は悩みに悩み――願いを叶えたのは母狐の妖力でした。強すぎる望みは彼女を足下から光へと包み、流星と成って空へ飛び立って行きました。
 けれど母狐が男の元へ着いた時は既に遅く、彼は息を引き取っていました。母狐は己の無力さと虚しさに悲痛の啼き声を上げ空へ、稲伏の森へと帰っていきました。しかし母狐はそこで気が付きます。星となったこの体では愛子に触れることができない。男を失ったばかりでなく、我が子と接する権利まで失われてしまった。母狐は紅玉の瞳から大粒の涙を流しました。やがてそれは稲伏に豪雨をもたらします。幾日も振り止まぬ雨に実った作物は傷み、備えるべき冬の蓄えの用意がままならない。そんな町の人々を、山の生物達を、そして雲の彼方で光を放つ母の姿を見て、子狐は天に叫びます。言葉は母の名とも必死の訴えとも言います。子狐の咆哮に答えるように空が割れ雨が降り止みました。放たれたのは子狐の"日照り"の力。開いた空の下に我が子の姿を確認した母狐はゆっくりと降りていきました。そして子狐は目にいっぱいの涙を浮かべ、母狐に抱きつき――共に空へ昇っていきました。
 最期は大量の雨を降らせたとはいえ今までの恩恵から、母狐は「雨」と「豊穣」を、そして子狐は「晴」と「恋慕」を司るとして、二つの社が建てられました。これらに至る道が二通稲荷の由来です。
 空に流れる二筋の光を目にしたならば、それはきっと天を駈る二匹の親子の狐なのかもしれません。