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59 ティータイムは夏と共に  No.017(HP


PDFバージョン  フォルクローレに採用されると見開きの片側に絵がつきます。


 茶とは、茶の原料となる葉や茎、花や果実などを加工して作る飲み物である。狭義にはチャノキ由来の葉や茎のものを言うのだが、それ以外の植物が原料になっているものも総じて「茶」とされる場合が多い。麦茶やハーブティはお馴染みであろうし、木の実栽培が盛んなホウエン地方などではモモンティーやカイスティーの人気が高い。最近は変わりダネも多く登場しており、劇辛のマトマ茶などが一部で話題となったが、イッシュ地方にも一風変わった茶がある事をご存じだろうか。
 イッシュには高級茶として確固たるブランドを築いているとある茶葉がある――その原材料はなんとメブキジカである。
 メブキジカといっても、もちろんその肉などという話ではなく、夏になると角に繁る葉が原料である。その始まりはイッシュの先住民達と生活を共にしていた人類学者、アッサムがメブキジカの葉を煎じて茶とした事であるという。
 メブキジカは先住民達の重要な食料源のひとつであり、しばしば狩りの対象になった。肉を得た後の皮は服や敷物になり、骨は加工されて道具や飾りになった。また、葉をつけた角は旺盛な生命力の象徴であり、しばしば祭事の道具として用いられていた。
 ひょっとしてこれは茶になるのではないか。
 元々お茶好きであったアッサムは彼らの儀式に立ち会った時、ふとそう思ったという。彼は儀式後のメブキジカの頭蓋骨の角からこっそりと葉をむしり、故郷のやり方を参考に煎じて湯を注ぎ、茶にしてみた。
『メブキジカ・ティーの成功については確信していた。葉から非常に良い香りがしていたからだ。だが、それを口にした時の成果ときたら予想以上だった』
 後に出版された著書「ネイティブ・イッシュリアン」でアッサムはそう記述する。
 メブキジカ・ティーは先住民達の間にも定着し、彼らの収入源になっていった。また著書の出版をきっかけにイッシュの開拓者達にも知られるようになった。
 だが、アッサムの伝えた「茶の文化」はメブキジカ乱獲のきっかけを作ってしまった。イッシュに移住してきた人々は収入を求めた。彼らは夏になるとメブキジカをこぞって狩るようになり、その姿を見る事は稀になったという。
『森や草原からメブキジカの姿が消えた。進化前のシキジカはいる。だがメブキジカがいない。彼らは進化をやめてしまった。メブキジカになったら狩られてしまうから。私はイッシュの風景を変えてしまった』
 アッサムは後に出版した回顧録でそのように苦悩を語っている。
 皮肉な事にメブキジカの個体数減少は「メブキジカ・ティー」のブランド力を大いに高めた。イッシュ開拓時代、上流階級の間では別荘地の一角でメブキジカを飼育し、夏になると葉を収穫して、特別な客に振る舞ったという。メブキジカ・ティーを振る舞えるという事は富の証であり、ステータスであった。
 現在でこそ多頭飼育による茶葉の供給体制が出来ているものの、通常の栽培茶葉に比べれば手間もコストもかかる為、値段は依然高いままだ。イッシュ発のコーヒーチェーン、ホロホロコーヒーで一杯1200円で限定販売され、話題となったのは記憶に新しい。あの値段でも普段の流通価格からすればかなりお得だったという。
 だが、その大盤振る舞いも愛好者に言わせればまだまだのレベルらしい。
「今も昔も同じですね。通≠ヘ自分で飼うのです」
 上品がスーツが似合う、メブキジカのトレーナー、ロバートさんはそう語る。
「食事には気を遣います。なるべく緑の多い所を回って、いろんな植物を食べさせるんです。すると味にも香りにも深みが出るんですよ。適度にバトルさせる事も重要です」
 そのようにイッシュ紳士は続けた。
「毎年、夏が楽しみでね」
 もしかしたら、メブキジカのトレーナー達にはお茶好きが多いのかもしれない。