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21 道祖神の詩 キトラ


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 最初は本当に些細なきっかけだったと思う。それが僕の知らないうちに心の中で膨れ上がり、気付いた時にはそのことしか考えられなくなっている。
 僕は一体どうしたいのだろう。ホウエンのチャンピオンとなって、夢だった舞台に立ってもそこにいるのはどこか自分ではない気がしていた。けれど誰に聞いたとしても誰も答えなどくれないだろう。そんなことは充分知っているし、おまけに酒の肴に影で笑われるだけだ。そんなもののために僕は話したのではない。所詮、他人は他人なのだ。相手の話など聞いていないし、真剣に答えるつもりもない。それなのに顔色が悪いとこちらの様子を伺ってくるのに対し、大丈夫だと答えるのも疲れた。
 会っても仕方ないと知りながら、僕は白い石灰質の島に降りた。会いたいとか会いたくないとか、会っても仕方ないとか会わなくてもいいとか、全て思ってて全て思ってない。けれど自然とエアームドにルネシティに行こうと伝えた。ルネシティには僕の友人が住んでいる。ジムリーダーの身であるからこんな真っ昼間から会えるとは思っていないが、何となく顔をみておきたい。見ておかないと後悔するような何かに追いかけられて、結局いつもこうしている。本当はその人に助けて欲しいんじゃないかと一度だけ言われたことがある。ゲンジという、普段は寡黙な人間だけど人をよく見ている。その時も何でもないと返し、僕は同じようにルネシティに来たっけ。
 ルネジムの扉はひんやりとしている。氷のジムと言われるだけあって気温の調整がされているからだ。少し重いその扉を押した。広い空間にハイドロポンプのぶつかる音が腹に響く。わめくような声でポケモンに命令している声と、歌うようにポケモンに命令している声が交じる。受付の子が僕の顔をみて今は挑戦者と戦い始めたばかりですと状況を教えてくれた。前なら観戦したいと思ったかもしれないけど、じゃあ来たことを伝えてくださいと言ってジムを出た。
 ルネシティは海底火山が隆起して出来た島だとか、サニーゴが集まって出来たとか。詳しいことは解らないが諸説ある。島全体が白い石灰岩のような質感がするから、僕はサニーゴ説を支持している。サニーゴたちが集まって、こんなに高い山とどこまでも透き通る青い海をルネシティの真ん中に作り出したなんて、かなりロマンのある話だと僕は思うな。それにどこにも出さないようにしている不思議な地形をしている。そのことを友達に言ったら、昔に大地と海を作った神様がここで眠っているからだと言われた。ルネシティにはその信仰が厚く、僕みたいな外の人間にはよくわからない。曰く、ルネシティに住む人たちはその神様たちに仕える人たちなのだそうだ。そういえば友達はジムリーダーでもありながら、その信仰が厚くて今でも神様がいると言われる目覚めの祠には誰も入れないようにしている。中をみたいと僕が言っても、神様がいるからだめだと断られた。どうしたら神様に会えるのかと聞いたら、凄く困ったような顔をしてたっけ。
 ルネシティの中央にある湖はどこまでも青く透き通っている。深いようで、じっと見ていると吸い込まれそうで怖い。泳げないわけではないけれど、入ったら二度と浮き上がって来れないんじゃないかって……。友達はそんな湖でも平気でポケモンと飛び込む。その辺りの神経は僕に全く解らない。けれど、そんな友達をとても羨ましく思う。ポケモンと遊んでる時、最も楽しそうな顔をしていた。僕が落ち着かないのも気にせずに、泳いでいたな。声をかけたら僕は引きずり込まれた。
 波打ち際に大きな岩がある。白い色をしていない。茶色の僕の膝くらいまでの岩。不思議に思って僕はさらに近づいた。そうするにつれ、僕は多大な勘違いをしていたことに気付いた。岩ではない。ダーテングを小さくしたような銅像だ。目は睨み、口は笑っているような顔をしている。何かの石像のようだ。ルネシティは海や島の美しさもあるけれど、何か心の奥に恐怖を植えるようなものが揃っているような気がする。ルネ独特の自然信仰も関係するのか、僕はこの石像にも怖いと思った。
「やあ、待たせた」
 トレードマークの白い帽子を載せて涼しげな服装で現れた。いつもあの氷のジムにいるというのに、寒くないのか疑問だ。しかし彼が寒いとか暑いとかの不満を言っている姿が僕の記憶が残る限りはない。せいぜい、風邪ひかないようにとか明日は寒いらしいといったことばかりだ。そのようなことを言っても仕方ないからだと言ってはいた。正直、なんでこんな完璧超人と何年もやってきているのか不思議すぎる。
「早かったね。勝ったの?」
「惨敗さ! そのうちダイゴのところに行くんじゃないか?」
 爽やかな笑みを浮かべているから勝ったのかと思えば。勝っても負けてもいつもこのような顔だ。見た目は全く変わらない。戦ってる時も冷静に歌うかのように響く声でポケモンに指示するから何を考えているのか全く解らない。はっきり言って敵に回したくない相手だ。眉一つ動かさず、声からも動揺や気持ちを読ませないというのは駆け引きが重要なポケモン勝負にとって大きな武器になる。しかもそれは意図して身につけたわけではなく、初めてポケモンを手に入れてから自然とそうやっていたのだと言う。天才という言葉がぴったりだと思った。
 その天才はさっそくしゃがんで小さな波に手をつけた。磨かれたような白い靴にも波は触れて来た。僕も何となく同じように波に触れた。海が僕の指輪に触れて来た。凄く冷たい。僕の隣では友達が撫でるように触れていた。
「そして美しい……」
 超絶ナルシストなのも全く変わらない。水面に映った顔でも見ているのかと思えば、目は遠くの湖の真ん中へと向けられていた。美しいとほめたのは、ここから見えるルネの景色のことのようだ。何も言わなくてよかったと僕は黙り続けた。穏やかに波が砂浜を何度も濡らした。深い青の湖は微風を受け、太陽を反射して輝いていた。
「ミクリもそうだけど、ルネシティって不思議なものがあるよね」
 僕は側にある不思議な岩のことを話した。
「ああ、それはルネの道祖神だよ」
 独特の信仰が根付いてるルネにも道祖神があるのか。道祖神は旅にいざなう神様だとか、旅を守ってくれる神様だと言われている。有名なのはジョウト地方のフスベシティにあるもので、分かれ道にある。どちらの道も安全なようにと建てられたもので、どこの地域でも見られる自然信仰ではある。ここでも見られるとは思わなかった。
 けれど道祖神というのは道の神様というのだからなんでこんな波打ち際にあるのだろう。満ち引きによっては濡れてしまうこともありそうだ。
「道祖神というからには、道の神様じゃないの? こんな波打ち際にあるとは思わなかった」
「昔、大陸の神様と海の神様がお互いに境界を決めた時に置かれたものだからだよ。確かに道祖神って旅の神様が有名だけど、境界を守る神様でもあるからね。それはホウエンでもそうではないか?」
 神様がお互いに引いた境界線。無用に争うことのないように建てた道祖神。その道祖神はダーテングのような顔をして、海をにらみながら笑っている。僕が道祖神に近づくと、黙って立ち上がって来た。よく見てもやはり目はにらみ、口は笑っている。
「境界線ね……何もこんなど真ん中に……」
 ため息混じりに声が出た。さっきまで怖いと思っていたが、今は何でこんなものがという思いがあった。
「ここも道だからだよ」
 強い風が吹いた。白い帽子が飛ばされないように手で押さえていた。辺りの木が揺れて、水面に跡を残して消えていった。
 時々、理解できないことを言うのは解っていたが、これも理解できなかった。道というのはもっと通りやすくてこんな波打ち際のことではない。変わっていると思っていたが、理解不能の範囲だった。
「海と陸で分けてあるけど、全て繋がってるからだよ。この海だって、どこかの陸に繋がっている。その人にとって一番正しい道につなげてくれるんだよ」
 ルネではきっとそのように信仰されているんだろう。そしてそれに触れてきたミクリが正しく道を歩んで来たのかもしれない。間違ったことをしないように戒める神様の役割もしているようだ。
 けれど本当にそんな神様がいるなら、僕は悩んでいない。本当にいるなら、こんな道を歩いていないはずだ。誰にも言えない道を歩ませるなんて正しいと言えるのか。
「ダイゴ? どうした?」
「いや、なんでもない」
 振り向いた顔に息苦しさを覚える。これを自覚した時からずっと。満たされない心がずっとほしいほしいと訴えていた。
 同性の君が好きだというこんな道。昔から知っている。見ているのに今更どうして。夢を叶えても、たくさんのファンに囲まれても心が求めているものは全く違っていた。どこで僕は道を間違えたのだろう。なぜ道祖神は僕を正しい道に導いてくれなかったのか。なぜこんなイバラを裸足で踏むような道に誘導したのだろう。なぜ僕だけそのような仕打ちにしたんだ。
 道祖神は全く変わらない顔で海と陸の間に立っている。怒りをぶつけても仕方ないのは解っている。けれど何か文句でもあるのかと言うように立っているのを見ると恨み言を吐き出したくなる。
「……これは師匠が言っていたことであるけど、正しい道など存在しない。本人が選択する道を行こうとするのを手伝ってくれる神様だから、相談してもいいけれど頼り過ぎてはいけないと」
 神様というのはそういう位置にいる。それはどこもそうだ。全てを救う神様は一神教でない限り相談役にしかならない。
 今の立場は選択してきた道だ。道祖神が示す道が絶対正しくないのならば、その道を戻ったり方向を変えることだっていいはずだ。
 
 だから

 全てを捨てることだっていいはずだ。僕はミクリの隣にいるのが辛い。誰にも言えず、誰にも相談できず、本人にこの気持ちを告げることさえ許されない。こんな気持ちを抱き続けてることも、いつか悟られてしまう恐怖も。
 チャンピオンであり続ける限り、逃げられない羨望、嫉妬。人の醜い心をぶつけられる。全て捨てて、いっそ全てなかったことにして……人が一人、消えたところで誰も困りはしない。それはずっと見て来た。誰かがいなくなっても、違う誰かが現れて世界は回っていく。
「で、ダイゴの用事は何?」
「……なんでもない。ただ近くに来たから」
「昔から何かあるといきなり来ては石の自慢を始めるから今日もそれかと思った」
「そうであればいいのにね。……正しくない道に行きたかったな」
 君のことを好きなことがない、間違った道。そこでは僕は君の友達で、僕はチャンピオンで君はジムリーダーで。そう、それだけの関係であって、ただ少し他の人より親しいだけの友人で。そんな関係になれる、間違った道はこんな些細な悩みなどない。なんて素敵な道なのだろう。
「私は今のダイゴが羨ましいけどね」
 道祖神の足元に持っていた木の実を供えた。よく熟れたイアの実だ。潮が満ちてくればそのまま海にさらわれて沈んでいくだろう。惜しげもなく供えるのは、ルネの信仰がそこまで厚い証明のように思えた。
「なんで?」
「今が間違っていると解っているからさ。人間はいつでも過去にならないと間違っていたことに気付かない。気付いた時にはすでに戻れないよ。ジムリーダーになったのも、本当は間違っているかもしれない。けど、それが正しいか正しくないか全く解らない。今の道を行って、振り返った時にようやく解るかも、くらい」
 悩みなどあるように見えない素振りしかみせないミクリの初めて見る顔だった。いつも見ている顔とは違って、目は真剣に僕を見ていた。心を見抜かれたと思ったくらいだ。ある程度覚悟していたが、こういう時になると動けないし声も出ない。見抜かれていないことを願う。けれど体に表れる冷や汗は嘘をつかない。いつもの僕みたいな言葉を探した。
「ナルシストの自信家のミクリ様もそんな繊細なお悩みがあるとはね」
「……ダイゴはそんなにルネの深い深い海の底の石が欲しいかなるほどね」
「ははっ、できるならやってみればいいさ」
 いつも見るようなミクリの顔に戻った。自信に満ちたやわらかい笑顔。僕の心がほしいと訴えるいつものミクリ。美しい風景と共に育った天才のような男。
 この先の道は見えている。道などなく、先は切れてその下は崖だ。叶うことのない気持ちなら、いっそ深海に沈んでしまえばいいのに。
 道祖神は何も言わず立っている。選んだ道を信じなさいと言うように。