23 禍津水神 森羅
あれが我らの神でお前の神だ、とそう教えられた。
優しき神だと。美しき神だと。
あの神を祀るから、我らは豊かでいられるのだと。
指差された神輿は、思っていたよりも小さかった。
まるで婚礼の儀の様に、神輿が私の隣にあった。
担がれた神輿が私の隣にあるということは、つまり私もまた坂輿(さかごし)に乗せられ担がれているということで、不定期な振動が幾度となく襲っていた。じっとしているようにと言い聞かせられた私は俯いて小さくなっているしかなく、水神の象徴たる水龍が彫り込まれた神輿もまた、ぴたりと扉が閉じられ静寂を保っている。水神を崇める祝詞が場に響き、粛々と儀式は進んでいた。金銀に彩られた神輿と綺麗な衣と装飾品に飾られた私。やはりなんだか婚儀の様に思えて、内心で少し笑った。空はすかんと晴れている。
「水を司り、恵みをもたらし」
このクニは比較的雨の少ない、小さなクニであった。
川はあるが雨が少ないため、クニを挙げて祀るのは水の恵みをもたらす水神。どうかどうか、水を下さいと。雨を降らせて下さいと。川を枯らさないで下さいと。秋の実りもクニの繁栄も全ては水神を祀るおかげであると人々は信じて疑わず、私もまた、そう信じていた。優しい神がこのクニにはいるのだと。美しい水神が、このクニを護ってくれているのだと。
「我がクニを護りし、水に棲むものよ」
そして、私はその水神に仕える身となった。
どういう経緯でそうなったのかは良く知らない。身寄りがないため、ありがたいといえばそうであろうが。理由は問うても教えて貰えず、ただ選ばれたのだとそう言われ、巫女としてやるべき仕事を教えられ、数ある水神の社の一つを任されることになった。その上、任されたのは大きく立派な社(やしろ)であり、何かの間違いではないかと何度も確認したものだ。だが、今ここで神輿と並んで儀式を受けていることを考えれば、間違いではなかったのだろう。もう儀式も祝詞も終盤で、神輿と私が社に入ればそれで終わりとなる。儀式が終われば、私は正式に水神様に仕えるのだ。そう思うと少し、感慨深い。
「どうか、こ……。……?」
感傷めいた気持ちに浸り始めた時、先導役の言葉が止み、それに追従していた周囲の人間がざわついた。その様子に私もまた不安に駆られ、周囲を見回す。何か、起きたのではないかと。だが、私が視線を彷徨わせている間に、周囲の視線は一点へと集中して行った。私の隣へ、私の隣へ、と。即ち。
扉が閉じられ、金銀に彩られた、小さな神輿へ、と。
周囲の凝視に私もまた、ゆっくりと隣へと目をやる。水面の様に静かだった、神の輿。私の主(あるじ)となるものの輿。小さな社のような形のそれが唐突に、それこそ『中にいるもの』が体当たりでも食らわしたかのように揺れた。
「うっ」
「あわっ」
それほど大きな揺れではなかったが突然のことだったからだろう、それを担いでいた数名が衝撃に言葉を漏らした。が、そんなことを気にしている余裕は周囲の神職に就く者たちにも私にもなかった。反射的に坂輿から立ち上がろうとして、体勢を崩し尻餅をつく。下手をすれば転げ落ちるところだっただろうが、そんなことを考えている余裕はその時にはなかった。繰り返して数度揺れる、神輿。銀色の屋根飾りが絡み合い、踊る。
《……せ。……ぇ……》
低く、掠れた声がその内より聞こえた気がした。あう、と小さく嗚咽が思わず漏れる。誰も動けない、その中で一番に動いたのはきっと大神主様だったろう。このクニの水神の社の総本山の社の神主様、その方の声が水を、と叫び、暫くもしないうちに神輿に水が掛けられた。打ち水でもするかのように何度も何度も柄杓で水を掬ってはその小さな社に掛け、掬っては掛ける。ばしゃ、ばしゃ、という水音だけが境内に響く。飛沫が衣に飛び、水を浴びた主の輿は太陽光にてかる。そして、かりかりと小さく引っ掻くような音を最後に神輿には静寂が戻った。
その間、私が一寸も目を離せなかったのは、言うまでもない。
「では、今日からお前はここの巫女だ。誠心誠意、水神様にお仕えするように」
あの後以降神輿が暴れることはなく、はじめと同じように静寂を保っていた。そして、神輿の中から出され、社の本殿に置かれたのは女性の腕ほどの太さのある丸太を組み合わせた『箱』であった。四尺ほどの長さだろうか、私がそれに入ろうとすれば足を曲げねばならないだろう。幅も広いとは言い難く、丸太と丸太の隙間は風が通る程度のもので中は見えない。儀式の最中(さなか)に神輿を揺らした『御神体』は、水神様は、私の主は、それであった。
「大神主様」
全てを終えて立ち去ろうとする大神主様を私は引き留めた。何か、と振り返る初老の男に私は儀式中のあれは何であったのかと尋ねる。私はこの水神様に嫌われてしまったのではないかと、本当に私がお仕えしても良いのかと。
「大事ない。ここの神は……少し気が荒いのだ。だが、お前が懸命にお仕えすればきっと、気に入って下さるだろう」
見る人を安心させる類の柔らかい笑みを浮かべ、頑張るようにと念を押す彼に私は安堵した。大神主様の言うことに間違いはない。この方は一番偉い方なのだから。今日は疲れただろうから早く寝なさい、と最後にそう言って大神主様は私に背を向けた。
誰もが立ち去り私と水神様だけになった社で、私は本殿の閂を掛け、床(とこ)に入った。
次の日。
決められた時刻に目を覚まし、床を片した。教えられた仕事を頭の中で反復しながら着替え、申し訳程度の長さしかない髪を結う。私の記憶の中の『巫女』というものは皆髪が長いのだが……私もまあ、そのうち伸びるだろう。突然に選ばれたと言われたのだから仕方あるまい。部屋を出て、暖かな太陽の光に目を細める。今日も良い天気らしい。……さて。
まずすべきなのは、掃除であった。
社も境内も本殿の隣の自分の塗籠に至るまで、全てを常に綺麗にしておくようにと叩き込まれている。そうしなければ邪気が溜まり、神が弱ると。
「おはようございます、水神様」
本殿の閂を開け、膝をつき一礼する。水神様の木箱は動く様子もなく、本殿はしんとしていた。昨晩焚いた香の香りが残り、神酒も穀物もそのまま。これも後で新しいものに変えねばならない。掃除をいたしますのでと断りを入れ、箒で埃を掃き出してから床を綺麗に磨いた。出て行く時にも、また一礼。そして閂も掛ける。神には常に礼を尽くすようにと、必要な時以外に本殿の戸を開けることのないようにと、これもまたそう教えられた事であった。閂を掛け終え、胸を撫で下ろす。また、あの『御神体』が動いたらどうしようかと思っていたのだが、どうやら粗相はなかったらしい。大きく息を吐き出し、吸う。あまりゆっくりしている時間はない。立ち上がり、塗籠、廊下、境内、と順番に全てを綺麗にしていった。
境内は最後に水を撒く。桶に入れた水を柄杓で掬って、砂利を濡らした。清めの意味と、水を司る水神にとって暮らしやすい場であるようにという意味があるそうだ。光を受けて輝く飛沫に自然と顔が緩んだ。
一番多く水を撒くのは鳥居の前。傍に置かれた、二匹の水龍(ハクリュー)の石像がとぐろを巻いて向き合っている。神域と現世を分ける鳥居は『入口』の意味し、良くないものを入れないための『結界』となる。邪(よこしま)なものが寄り付かないよう、入り込まないよう、何度も何度も水をかけた。朱色に塗られた鳥居の向こうを覗くと石段が下っており、青々とした木々が屋根を作っている。巫女となった私もまた、これより外に出ることは許されていない。外より鳥居を抜けて入ってくる風が心地よかった。
それが終われば次は、もう一度本殿へと戻る。神酒を取り換え、新しい供物を供える。香を焚き、祝詞を読み上げ、最後に『御神体』に水をかける。この間も本殿の戸は閉めなければならない。それで、午前の仕事は終わりだ。結局、水神様は一度も動きはしなかった。
閂を掛け、ようやく朝餉を頂く。夜にはまた仕事があるが、それまではすることは特にない。あえて言うなら祈願をしにきた人々と話をする程度なのだが、この時期は乾季でなく水も足りている。案の定、その日は一日を通して人はまばらであった。
夜にまた本殿の戸を開け、祝詞を読み上げる。この時もやはり戸は閉めねばならない。朝と違い、明り取りから光が入らないため、一つだけ明かりを持ち込んでも良いとされる。水の神に火は相応しくないため、極力持ち込んではならないそうだ。他の水神の社に煌々と明かりが灯っていたのを見たことがある私はそれを聞いたときに少し首を傾げたくなったが、神を怒らせるわけにもいかない。それでなくても大神主様曰く『気の荒い』神なのだから。神酒と供物はそのままでもいいが、香は必ず新しいものに。全てを終えたことを確認して、私は部屋を出た。
「おやすみなさいませ、水神様」
膝をつき、床に擦り付けるように頭を下げる。扉を閉められた本殿は、きっとほとんど闇に埋もれているに違いなかった。
二日目。
「おはようございます、水神様」
昨日と同じように目を覚まし、昨日よりも手際よく仕事を終わらせる。『御神体』、いや水神様はやはり終始静かで、肩の力が抜けていくのを感じた。私のことを気に入って頂けたのかもしれない。
暖かな日差しを受けながら、これが私の一生になるのかとぼんやりと考える。人の少ない境内。巫女であるから当然結婚などというものはなく、水神に仕えてそして死ぬ。味気なく、単調で、寂しそうだと、そう考える私を巫女たれという意識で首を振った。これはこのクニを護る為の、大切な仕事なのだと。
「おやすみなさいませ、水神様」
夜もまた何事もなく過ぎ、たった一つの火は、眠りにつく前に吹き消した。
三日目。
朝は昨日と同じように通り過ぎ、昼間に神拝に来た数名が供物として穀物などを持って来た。礼を言って受け取り、折角なのでクニの様子はどうかと尋ねると、例年よりも川の水量が多いらしい。わざわざ聞かずともつい三日前のことではあるのだが、そろそろ人恋しい。後でよくよく供物を見ると中に魚あったため、今晩のうちにお供えすることに決めた。水のものだ、きっと喜んでくださるだろう。
「失礼いたします、水神様」
夜。やはり一つだけ小さな灯りを灯して本殿の閂を抜く。緊張が消え、慣れてきたのだろう。本殿に入る足取りは自分でわかるほど軽やかになっていた。戸を閉めてから『御神体』の前に座り、置かれた神酒と穀物の横に魚を並べる。蝋燭の小さく赤い火が、橙色に場を照らした。
「水神様にと魚が届きましたので、お持ちいたしました」
当然ながら返事はない。特別必要ない言葉なのは承知しているが、少し、浮かれているのかもしれない。話し相手がいないという人恋しさもあるのだろう。黙ったままの『御神体』の箱に、私は少し微笑(わら)った。ゆっくりと祝詞を唱える。間違わぬように、噛まぬように。ゆらゆら揺れる灯(ともしび)の陰影が供物や『御神体』を仄(ほの)かに映す。それがまるで動いているように見えて、あの儀式の最中(さなか)に神輿が揺れたことを思い出させた。たった三日ほど前のことだというのに、なぜか遠い昔のことのようだ。扉を閉じているので当然だろうが、風の音も夜鳥(ふくろう)の声もこの本殿にはあまり響かない。聞こえるのはただ、自分の声だけ。
だから、最初それは、ただの聞き間違いか風の音かと思っていた。
カリカリ、という引っ掻くような音。はっはっ、という少し荒い息遣い。その全てを、気のせいだと思っていた。風の音だと思っていた。床の軋みだと思っていた。気にせずに詞(ことば)を続けていた。だが。
引っ掻くような音は、ガリガリと大きくなり、風の音だと思っていた獣の息遣いのようなそれは硬いものを削っているような音が混じり始めた。明らかにそれは風の音ではなく、床の軋みではなく、聞き間違いではなく。
――『御神体』の中から、聞こえていた。
「水神、様……?」
私は水神を讃仰(さんごう)するその唱(うた)を止めざるを得なかった。ガツッ、と何かを突き刺すような音が大きく本殿に響き、火の揺らぎのせいではなく確かに『御神体』が、動く。
「水神……様……?」
どくりどくりと心の臓が脈を打つのが聞こえた。身動き一つできず、瞬き一つできず、身体は熱を帯び、掠れ掠れ、名を呼ぶ。何が、一体何が起こって……。
《ほう。我を水神と呼ぶか、我が巫女よ》
やすりに掛けたような低く、掠れた声がくつくつと嗤(わら)った。知らぬうちに小さく、悲鳴のような嗚咽が漏れる。とっさに床に付けた左手が滑り、身じろぎをしようとした体が背中から倒れかける。『御神体』の中から聞こえるその声はどこか生臭く、熱っぽく、妖しかった。皮膚が粟立ち、怖気が走る。感じているのは確かな恐怖で、その声は、その嘲笑にも近い笑み声は、断じて清らかな神の声ではなかった。
《どうしたのだ、可愛き我が巫女よ? 我を、『水神』を慰めずして良いのか。のう、我が可愛き稚児?》
弄(もてあそ)ぶように、猫なで声にも似た声の調子で『水神様』は言う。噛み殺すような笑いが箱の中から漏れ聞こえる。声を上げようにも歯の根が合わず、声を出すどころではない。小さな灯りが明り取りから入った風に揺れる。逃げなければ、逃げなければ。理性ではなく本能が叫ぶそれにしかし身体はついて行かない。背中から床に倒れ込み、もつれた足でもがく。
《おやおや、大事ないか。のう、愛しき子よ?》
私の様子を面白がる声が、ねっとりと耳に纏わりついた。震える口が言葉を作る。喉を鳴らし、笑うのは。嗤うのは。
「まが。禍津、神」
禍津神(まがつかみ)。災いと穢れの神。とっさに出てきた名はそれであった。水の恵みをもたらし、クニを栄えさせる優しい水神がこんな神のはずがない。神聖ではなく、清らかではなく、優しくはなく、寧ろ禍々しく嘲笑するそれが、水神様のはずがない。そんなことが、あり得るはずがない。やっと吐き出した言葉に、『水神様』の声が一瞬止んだ。そして弾かれるように、哄笑する。
《いかにも。いかにも、いかにも! いかにも! 我は禍津神。そして、我は水神よ。ぬしどもがそう呼ぶのなら、我はそうであろうよ。のう、か弱き我が巫女?》
禍津神であると、水神であると、そう私の神は嘲(あざけ)った。
私の仕える『主』は、我が身を傷つけんばかりの痛々しく恐ろしい声で、そう嗤った。
四日目。
目を覚ますと、床の上で寝転んでいた。喉の渇きを覚えながら塗籠の天井をぼんやりと眺める。体が怠かった。だが、いつまでもそうしているわけにもいかず、重い身体を引きずり起き上がる。昨晩、あの後どうやって本殿から出て寝床に入ったのかよく覚えていない。ただ昨日使った蝋燭の火は消してあり、祝詞を記した書だとか夜のお勤めの為に本殿に持ち込んだものは枕元に放り出されてあった。そういえば昨晩、逃げ出すように本殿を出るときに、入口の前で平伏し一礼した覚えもある。記憶が錯綜しているので定かではないが、多分記憶違いではないだろう。
「水、神……様……」
――我は禍津神よ。
耳の奥で口を裂く様な声が笑う。昨晩の恐怖が蘇り、鳥肌が立った。腕を抱き、不安に駆られて周囲を見回す。何もなく、誰もいない。だが、それもまた恐ろしい。壁一枚挟んだ本殿にいるあの『水神』が、今にも壁を突き破ってくるのではないか、と。呼吸音が、やけに耳障りであった。
禍津神。あれは、禍津神様だ。
あの生暖かく、禍々しい、妖気すら放っていそうな低く掠れた声。あれは神聖なものではない。他の神の声など聞いたことがなくても、あれは断じて私の信じる神ではない。水を与え、恵みをもたらす優しい神様ではない。もしもあれが優しいと言うのならば、優しい神であるというのならば――木箱の中に閉じ込める必要など、ないはずではないか。
私の主、は。私の、主は。
気が付けば上着を掴み、身支度も整えずに塗籠を飛び出していた。白み始めたばかりの空の下、素足のまま砂利を蹴り、誰もいない境内を鳥居に向かって走る。後ろを振り返ることはしない。息を切らし、二匹の水龍が向き合う石像の所で足を止めた。そこでやっと後ろを振り返る。誰もいない。何もいない。本殿の戸は閂が掛かっているのだろう、ぴたりと閉じられており、鳥の声もせず、全てが静かであった。息を整え、鳥居のすぐ傍へ。
朱色に塗られた鳥居。下る石段とその上に覆い被さる緑色の木の葉。淡い木漏れ日が、石段に影を生む。ここを下れば村に出る。ここを下って、大神主様をお呼びして、それで。
……それで、どうするのだ?
はた、と思考が止まった。それで、それで、と心の中で繰り返す。それで、大神主様をお呼びして、それで。柔和な笑顔が思い出される。頑張りなさいと、そう笑ってくださった老人。だが、彼が知らないなどあり得るだろうか。
ここに住まう『水神』が禍津神であることを知らなかったなど、あり得るだろうか? まさか。
「……ご存じ、だったので、すか……?」
ここにはいないことを知っていて、問う。目は見開かれ、声は震えていた。ご存じだったはずだ。ご存じでないなどあり得ない。『気の荒い』神であると、仰っていたのだから。
「ご存じで、私を、閉じ込めたのですか……?」
巫女であるから、鳥居(これ)より外に出てはならない。穢れに触れぬよう、神に常に遣えるよう、鳥居(ここ)より外に、出てはならぬ。
教えられた言葉が反芻する。それでも鳥居の向こうへ手を伸ばす。数日前まで暮らしていた世界に腕を伸ばす。震える右腕、震える右手。鳥居の向こうに届かぬ指先。たった三歩ほど、それだけの距離。現世とここを分けるのはただそれだけ。それだけのはずであった。
それでも。それでもそこに私の手は届かなかった。巫女の務めを教えられたのはたった数か月ほどのことであったというのにその言葉は確かに私に刷り込まれ、私を縛っていた。ここより先に出てはならぬ、と。
「大神主様、水神様。私は、私は!」
私は禍津神の贄(にえ)、ですか。
足の力が抜け、崩れ落ちる。すぐそこに見える石段に人影はなく、微かな木漏れ日が躍るだけ。すぐそばなのだ、すぐそこなのだ。届くはずだ、届くはずなのだ。すぐそこに、見えるのだから。
「出してください。出して、出、して……!」
声が掠れ、視界が朱と緑に歪んだ。助けを求め、しかし縋れるものは少ない。掠れた吐息は言葉にならない。頬を伝ったそれは、砂利を染めた。
朱色に塗られた鳥居。それは神域(うち)と現世(そと)を分ける結界。邪なものを入れないための門。だが、ここの鳥居は。
「外に……出さないための……。この水神様を、私を、出さないための」
中にいるものを出さないための結界。邪なものを、封じるための。禍津神たるこの『水神』を、閉じ込めるための。この鳥居はそのためのものだ。鳥居の向こうへ、出ることのないように。
――――私は、禍津神の腹の中にいるのだ。
「おはよう、ございます。水神様……」
外に出ることが叶わないのなら、任をこなすしかない。何も知らない人々は今日もまた、やってくるのだろう。うまく笑える自信はないが、せめてするべきことはせねば。初日よりもさらに震える身体で平伏(へいふく)する。あの声がまた聞こえてくるのではないかと、面(おもて)を上げるのにしばらくかかった。声は、なかった。
恐る恐る本殿へ足を踏み入れ、掃除を始める。扉を閉めるのは恐ろしかったが、もし禍津神が箱より外に出てしまえば、禍津神はクニに災いをもたらすのだろう。それだけは避けねばならなかった。薄暗い本殿で、逃げ出したい気持ちを抑え、できるだけ手早くしかし丁寧に掃除を行う。その間、僅かな音にも驚き、その身を縮ませた。最後に『御神体』にたっぷりと水を掛け、一旦その場を離れる。本来ならば後で水を掛けるのだが、それは恐怖が生み出した行為であった。恐ろしくて、恐ろしくて、たとえ気休めであろうとも何かしておかねばと思ったのだ。
境内にも、多くの水を撒いた。一心不乱と言う言葉が正しいのだろう、その場に水溜まりができるまで水を掬っては砂利を濡らすという作業を、繰り返した。水神の祝詞も二度読んだ。香を多く焚き、供物を新しくし、再度『御神体』に水を撒いた。床の色が変わるまで水を掛けた。それが、私に出来る全てであった。
《……全く。ひどいことをするものよ。のう、浅略(せんりゃく)なる我が巫女?》
「申し訳、ございません……」
朝から昼にかけてはひたすら水を撒き、訪れた人々に何とか笑みを作った。そして夜。いつもよりも香の匂いのきつく残った部屋で、蝋燭の火に照らされた『御神体』がくつくつと笑う。どうやら禍津神は、昼間は寝ているようであった。私はただただ頭(こうべ)を垂れて伏し、謝罪するしかない。震える声で頭を床に打ち付けながら、自分の愚かさを呪った。
《我は水を好まぬというのに。ひどいことをするものよ。のう?》
「申し訳、ございませんでした……」
水神であるのにもかかわらず、水を嫌う禍津神。ざらざらとした、掠れた声。粘っこく纏わりつくそれは、喉元に牙を向けられている気分にもさせた。時折気紛れに、箱を壊そうとする音が聞こえる。それは引っ掻くような音の時もあり、何かを突き立てるような音の時もあった。その音が聞こえるたびに、私は平伏したまま身を竦ませる。今にも禍津神がその箱を壊して、襲い掛かってくるのではないかと。
《……まあ、それは良い。面(おもて)をあげよ。して、我が稚児よ。今日は泣いておったろう? 大事ないか?》
低く、擦ったような枯れた声にとっさに言葉が出なかった。なぜ今朝のことを、知っているのかと。目を見開く私に、声は笑った。
《何を驚く、我が巫女よ。この社は我がものであろう? ぬしが祀るのは、我が身であろう? ここは我が領域よ。ぬしは我の眷属よ。なんら不思議はあるまい。可哀想に、可哀想に。苦しかろう、辛かろう》
可哀想に、可哀想に。そう繰り返しながら、禍津神の水神様は嘲笑う様に喉を鳴らす。弄(もてあそ)ばれる私はそれに俯き、両の手を握りしめた。誰のせいで。誰のせいでこうなったのだ。身体が震えるが、それが怒りによるものなのか悲しみによるものなのか恐怖によるものなのかは私にもわからない。再び涙が滲む。
《ぬしの前の巫女も、その前も、その前も皆、泣いておったよ》
「え?」
ぽつり、と零された声は憐れみを含んでいた。尤も、次の時にはあのくつくつとした笑みを零していたが。
《可愛き巫女よ、可哀想に。いっそ狂えた方が幸いよ。さてはて、ぬしはどちらかな。恐怖に駆られるか、我に憎悪を向けるのか。愛しき子よ、我は楽しみにしておろうとも。それまではせめて、我が戯言(ざれごと)に付き合っても構うまい》
低く、恐ろしい声にびくりと身が震える。私は禍津神に狂わされるのか。狂えた方が幸いだといわれる仕打ちを受けるのか。一拍おいて、問う。黙っているのはそれこそ恐怖に呑まれそうであった。
「水神様。それはどういう意味にございますか……?」
《すぐわかろうよ、可愛き稚児》
小馬鹿にした声で禍津神が答え、場には沈黙が下りた。ゆらり、と赤い火が歪む。からからに乾いた唇を舐め、未だ震える指先をゆっくりと握り込み、そこで一挙一動に注意を払っている自分に気づく。そうしなければ、食い殺されると。
《さあもう、休むが良い。良くお眠り。我が可愛き、愚かな巫女よ》
その舐める様な妖艶な声は、そう思わせるのには十分であった。
朝起きて、社を綺麗にして、境内に水を撒いて、水神様をお慰めするための祝詞を読んで、供物を供えて。夜にもまたお祀りして。単調に過ぎていくはずだった日々に、熱こく禍々しい声が足された。
「……水神様」
《おうおう、待っておったよ。可愛き我が巫女》
夜になれば、その声は必ず『御神体』から聞こえてきた。纏わりつく様な、生暖かい掠れ声。人であれば口を裂き、瞳を歪めて笑っている時のものであろう、喉の奥で潰されたような笑み声。声を掛けられれば立ち去ることなどできるはずもなく、一刻も早く逃れたいと願いながらその場に座り直すより他なかった。
《何か、面白い話はないか。可愛き我が稚児》
「……申し訳ございません、水神様。特に、何も」
《震える必要はなかろうて。可愛いものよ。それほどまでに我は恐ろしいか。のう?》
面白がる様に、からかう様に、私の言葉に神は笑った。
《逃げぬのか》
過去には逃げたものも多かったと、そう昔を思い出すように続けて呟く。戯れに問われた言葉に、私は鳥居を潜(くぐ)ることができませんと、そう答えた。越えてはならぬと、ここより外に出てはならぬと、そう声が聞こえるのだと。だが、それを私の主は一笑した。
《ふっふ、ぬしを縛っているのはあの若造の言葉ではなかろうよ》
「では何でございましょうか」
《容易き問いよ、可愛き巫女。それは居場所の問題であろうともさ。ぬしはここ以外に他に逃げ場がないであろう? ここが最後の砦であろう? あの忌々しい若造から見放されれば、ぬしが鳥居を潜り逃げ出せば、さすればこのクニにぬしの居場所はないのであろう? 哀れな我が稚児。ぬしはそれをわかっておるのさ》
打てば響くよう応じられた言葉に、なぜ身寄りのない自分が選ばれたのかわかった気がした。
八日目、十日目、十四日目……。過ぎていく日々に、その低く妖しい声はそれでも恐ろしかったが、手足の震えは消えていた。
《巫女よ。香を多く焚くが良い。その匂いを我は好まぬ》
「好まぬものを、焚けと仰るのですか?」
《その香は、我が力を弱めるものよ。我を封じる一つのものよ。ぬしは我が恐ろしかろう? なればそれで封じて見せよ。……だが、空言(そらごと)であるやも知れぬ。禍津神の偽りやも知れぬ。さて、賢き巫女よ、如何する?》
謎かけの様な言葉にほとほと困り果てる。そんな私を見て禍津神は、禍津神の水神は喉の奥より空気を満足げに鳴らすのであった。
実のある話を望まれることは少なく、何もなければそれはそれで、何が面白いのかくつくつ笑う神であった。ざらざらとした掠れた声で、人をからかう神であった。幾つもの夜を過ごし、とりとめのない話を幾つもした。何も話さず、ただここにいる様言われた夜もあった。季節は移り、私の髪は親指の長さ程伸びていた。
それは、私がここに来てから幾日経った後の話であろう。二十五を超えたあたりから私は数えるのをやめていた。
「水神様」
《…………》
静かで、良く晴れた夜であった。私の声に水神様は答えず、場に残るのは沈黙。この禍津神を心より禍津神と呼ばなくなったのがいつの頃だったか定かではないが、そう呼ぶには私はこの神に触れすぎていたのであろう。くつくつと嗤う低く掠れた声も今では聞き慣れ、恐ろしいとは思わなくなっていた。蝋燭の芯が燃える。朧に映し出される供物の量は明らかに増えていた。
「水神様」
《幾日雨が降っておらぬのだ》
からかうような声ではなく、喉を鳴らす笑い声ではなく、ただ低く厳かな声の問いかけに私は俯く。日に日に社を訪れる人の数は増え、供物の数が増えていた。
水が欲しい、と。
川を枯らさないで欲しい、と。
雨を降らせて欲しい、と。
「そろそろ十日を過ぎました、水神様」
人々の声に応じる私はその祈りに頷くしかなかったが、人々は誰も知らないのだ。
ここにいる神は、水神ではないと。
「水神様、雨は」
《我は雨を知らぬ。我が禍津神であると言ったのはぬしであろう?》
私の言葉を遮り、水神様は自嘲にも似た乾いた笑声(しょうせい)を漏らした。小さな炎が風に揺れる。供物の影が、長く伸びた。
「水神様、ですが。雨が」
雨がなければ、穀物が育たない。穀物が育たなければ、クニが死ぬ。
分かっていた。ここにいるのは水を嫌う、水神の名を借りた禍津神だと。私は重々にそれを知っていた。だが、それでも。
「水神様、水神様。貴方様は自分のことを禍津神だと仰いました。けれど水神だとも仰ったではありませんか、このクニが雨の少ない場所であるとご存じでいらっしゃるはずではありませんか。雨がなければ、雨がなければ、川は痩せ、皆死んでしまいます。穀物も、人も! 獣も!」
祀られているのは何のためだと。『水神』の名を語り、その名を冠した社に住まうのは何のためかと。皆、雨を欲しているのだ。水をもたらす水神に祈っているのだ。なら、それができぬ神はなんだ。
皆、必死に祈っているのだ。死にたくないと、生きていたいと。
身を乗り出し、懇願する。私自身に雨を降らせる力はなく、巫女たる私にできるのはそれだけであった。故にそれが禍津神であろうと、真に水神であろうと、構わなかった。
「お願いです、水神様。禍津神の水神様。水神様だと仰ったではありませんか。貴方様は自らを水神であると仰ったではありませんか。それともこれが貴方様の望みなのですか。その身を捕える私どもを呪っていらっしゃるのですか。水神様、どうか、どうか、お願いですからどうか……」
《巫女よ》
呼びかけの声を、私は無視した。
「水神様。水が足りなければ、諍(いさか)いも起きます。それがお望みですか、禍津神は血を好みますか」
《巫女よ》
「水神様、『水神』様。水を司っておられるのでしょう? 雨が足りぬのです。水が痩せているのです」
《巫女よ!》
強い語調の言葉についに口を塞いだ。空気が震え、確かな怒りが腹に響く。神の言葉を遮るなど、本来許されることではない。申し訳ございませんと平伏し、許しを請う。
《……聞くが良い、我が巫女よ。しばらくすればあの若造が来るであろう。ぬしが大神主と呼ぶ、あの若造よ。その使いかもしれぬが……。ぬしはそれに従うが良い。我が可愛き巫女よ、我は確かに水神よ。ぬしどもがそう呼ぶ故を、しかしぬしは知らぬであろう? 我をなぜ祀るのか、その理由がわかろうともよ。だが、心得よ、幼き巫女。ぬしの心は狂うやもしれぬ。言ったであろう、狂った方が楽かもしれぬと》
静かで、憐れむ様な声であった。水神様、と掠れた声が微かに響く。だがそれに『御神体』のうちに棲む私の主は答えず、私はもう一度非礼を詫びてから本殿を後にした。どういう意味かは問えなかった。
翌日。
空はやはり晴天で、老若男女を問わず人が訪れていた。仕事があるため、皆が皆社に入り浸り祈願をしているということはないが、代わる代わる必ず誰かはそこで雨を祈っている。きっとどこの水神の社もそのような状態であろう。そして水神様が仰った通り、文(ふみ)を足に結わえ付けた伝書鳩(ポッポ)も社に飛んできていた。喉のあたりを撫でてやると、目を細めて嬉しそうに鳴く。文を外して礼を言い、自分の分から少しばかり米をやった。中身を見ると案の定、大神主様からの文であった。
雨乞いのため、今晩中にそちらに行くと、およそそのようなことが書いてあり、ありったけの水を用意しておくよう念を押してあった。水神様が彼のことを『若造』と呼ぶからには、やはりここにいるのが雨を降らせられぬ禍津神だと大神主様は知っておいでのはずである。それなのに、なぜ。
――なぜ我を祀るのか、その理由がわかろうともよ。
昨晩の水神様の言葉が耳の奥で響く。憐れむような、声。私が狂うやもしれぬと、そう言った社の主。今思えばその声には嘲りが混じってはいなかっただろうか?
「お久しぶりでございます、大神主様」
「おお、息災であったか」
夜。目じりに皺を作って笑う大神主様に私はただ一礼した。人を安心させる類の、数か月前の儀式の時に頑張りなさいと私を励まして下さった時と変わらぬ笑み。だが、私はそれに安堵することはできず、寧ろ微かな敵意すら湧いていた。貴方様はご存じだったのでしょうと、ここに祀る神が何であるのか、ご存じだったのでしょうと。ご存じで、私を選び、閉じ込め、今の今まで私に会いに来ては下さらなかったでしょうと。私は泣いたのですよ、恐ろしくて泣いたのですよと。そう吐露しかけた言葉を飲み込む。石段を上ってやってきたのは大神主様以外にも数名おり、境内に敷かれた砂利の音が耳障りであった。
火を消すようにと大神主様が言い、道を照らしてきたのであろう松明が消される。残ったのは私が持つ小さな蝋燭の火一つであった。案内するよう促され、私は前を行く。
「今晩はどのような御用なのですか。雨乞いをするとありましたが、ご存じでしょう、ここの水神様は」
「わかっておる。ここに棲むのは禍津神であろう? 忌々しい、災いの神よ」
彼は吐き捨てるようにそう言い、私はそれに答えなかった。それはこの社の巫女たる私の前で言う言葉では無かったろうに。巫女と選んだのは貴方様であったろうに。大神主様に抱く不信感からか、気にも留めないような言葉の粗(あら)がじぐじぐと頭に残る。
本殿の閂を引き、戸を開く。月の作った影が、本殿の中に長く伸びた。
「水神さ」
ま、とその言葉は声になる前に消える。雷(いかづち)に襲われたような痛みが背中を走り、身が竦んだ。
《また今年も来たか、愚か者どもよ》
くつくつと、その声は紛れもない嘲笑で、
《愚かよ、ぬしどもは『禍津神』とやらに頼らねば雨を降らせることもできぬとは》
小さな四尺にも満たぬほどの『御神体』。それが、震える。
《可哀想に、可哀想に。愚かな赤子ども。ぬしどもは哀れだ。毎年(まいねん)言ってもまだ足りぬか》
本殿にあるのは確かな敵意。それと妖気と称するに足る、呼吸すらも苦しくなるような禍々しい威圧感。それは私が今までに感じたどれよりも恐ろしいものであった。だが初老を迎えたその人はそれに動じない。否、動じていないように見えた。淡々と周囲に命じる。
「始めよ。禍津神の戯言には耳を貸してはならぬ」
《のう、若造よ。我を捕えていれば恐ろしくないか? 愚かよ。数十年前は泣いておったであろう? あれは真(まこと)に傑作であった。我をここから出すが良い。望み通りその喉笛、喰い千切ってくれよう。腸(はらわた)も、身も、ぬしはもう不味いであろう?》
がりがりと箱を引っ掻き、神は『御神体』を震えさせる。大神主様が連れてきた数名が、狂ったように哄笑し、愚かだと憐れみ続ける水神の『御神体』を取り囲んだ。その様子を一体今から何が起こるのかと、固まったまま思考の追いつかぬ頭で考え、
水音と共に獣のような悲鳴が、耳を千切らんばかりに劈(つんざ)いた。
それは紛れもなく水神様のもので、そこでようやく、私は理解した。
「何をなさるのですかっ!」
咄嗟(とっさ)に大神主様に駆け寄り、その袖を掴む。一体何をなさっているのかと。がごんっ、という音がし、ご神体が大きく暴れる。当然だ、水が嫌いだと仰っていたのだから。一切の手心無く掛けられる水を吸って、箱の色は変わっている。水を用意するよう念を押された理由はこれか。開け放した本殿の戸から入ってきた月光が、それを映していた。
「何を? 大事ない。禍津神は箱の中。こちらには一切手が出せん」
「そういうことを、そういうことを申しているのではありません!」
あくまで穏やかに、当然のごとく返される言葉に私は悲鳴にも似た叫びで答えた。ぎゃうぎゃうと、のた打ち回る声がする。それは狭い箱の中でその身を擦り付け逃れようと暴れている証拠。
「何をなさるのですか! なぜこのようなことをなさるのです!?」
「雨が降らぬのは、禍津神のせいだからだ」
その答えはひどく、淡々と。え、と小さく言葉が漏れる。その間(かん)にも水音は止むことがなく、耳を塞ぎたくなるような、理性を失った獣の叫びもまた、止まらない。大神主様の裾を掴む手が震えていた。
「ここにおるのは災いの神。忌々しい、火の神よ。太陽と火を好み、雨を嫌い、川を枯らす獣よ。だから我らはここより外に出るなと封じ、慰め、それでも水を枯らすならそれを止めさせねばならぬ」
言い切り、私の手を振り払う。刃(やいば)を持てと命じ、薄く薄く叩かれた刃(は)が箱の僅かな隙間に差し込まれる。その行為は一切の迷いなく。
視界が、赤く色付いた。
のた打ち回る神の悲鳴は絶叫にも近いものへ。引っ掻く音、刃を抜く音、血飛沫、引っ掻く音、引っ掻く音。身を切る音、水音、狂った叫び、血が滴(したた)る、水音、哄笑、水音は、血の音?
《我が身をここより出せっ! ぬしどもの喉笛を掻き切って食いちぎってくれよう! この爪で! この牙で! 我が炎で、全て燃やし尽くしてくれよう! ぬしらは愚かだ!》
血を吐く叫び。濃く鼻を突く、むせ返る様なその香(か)に舌が痺れ、考えは纏まらず、私はただただ立ち尽くすだけであった。
《愚かよ、哀れよ! ぬしどもは愚かだと、幾度(いくたび)言えば足りる? 愚かよ、哀れよ。ああ、可哀想に》
憐れむように、嘲るように。愚かしいと、禍津神の水神は狂った様にそう嗤う。その声は、初めて言葉を聞いた時のそれに似ていた。自らを傷つけんばかりの痛々しい哄笑。水神であり、禍津神であると。そう呼ぶのならそうであろうと。そう言った時のそれに、似ていた。
繰り返し、繰り返し、赤く染まった刃が月光に煌めく。血に汚された水が流れた。荒く、途切れ途切れの息遣いが聞こえる。枯れた声が痛みを訴え、唸る。なぜこのようなことをするのだ。なぜ。
――禍津神が水を枯らす、からだ。
答えはすぐにあった。大神主様の言葉が思い返され、ならばこれは正しい行為なのであろうと理解する。大神主様は一番偉い方なのだからと。ああそうだ。雨の少ないクニ。雨が降らねば穀物が育たず、穀物が育たねば人が死に、クニが死ぬ。皆が死んでしまうというのに水神様がそのようなことをなさるから悪いのだ。禍津神は止めねばならない。だからこれは当然の罰なのだ。致し方がないことなのだ。…………本当に?
喉笛から空気の抜ける音が聞こえる。爪を立てる音は随分と小さくなり、それでも水を掛ける音は止まず、無抵抗な箱に刃は突き立てられた。赤いの雫が、壁を叩く。
本当に? 小さな問い掛けが心に生まれた。本当に、私の神はそうであったか。私の主は、水神様は、本当に苦しみを好む禍津神であったか。この様な仕打ちを受けるほど悪しきものであったか。
――大事ないか。
低く掠れた声。恐ろしく、禍々しい声。あれを禍津神と呼ぶのは容易かろう。だが、時に昔話をし、時に謎かけをし、時に笑い。詰まらぬ話をした。香を焚いても良いと言った。嫌いだが、恐ろしいなら焚けば良いと。あれは真であったではないか。逃げ出せず、泣く私に大事ないかと問うてくださったのは誰だったのだ。少なくとも、大神主様ではなかったではないか。
「お願いしますもう十分です。もう止めて、お願いですお願いですからもうお止めください!」
それは刹那のことであった。振り払われた袖に手を伸ばし、もう一度、強く掴む。自分が何をしているのか、そんなことを検算している暇などなかった。もう十分ですと、もうお止めくださいと。
「死んでしまいます、死んでしまいます! 大神主様! お願いですから」
止めて欲しかった。何を考えているのかわからないほど混乱していて、それでもただ止めて欲しいと願った。傷つけないで欲しかった。そこまでする必要などないではないかと。
「大神主様!」
「哀れな。禍津神に魅入られたか。その言葉に誑(たぶら)かされ、毒されたか」
愚かな。
私を見下ろす目は、確かな侮蔑を映していた。握り締めていたはずの衣の裾。それがまた振り払われる。縋りついたはずの手は、何も残ってはいなかった。
水神様は嗤っていた。くつくつと、嘲るように。聞き分けの悪い子供に言い聞かせるように。その声は不思議とよく通った。
《わかったであろう?》
……何がだ。何がだ。血に塗(まみ)れた箱を凝視する。問えば大概のことには答えてくれた。私はそれを知っている。水神様、何ですか。何と仰っているのですか?
《わかったで、あろ……? 我を祀る故が。愚かな囚われ子、可愛き我が》
足元を血に染まった水が流れ、生暖かいはずの血を恐ろしく冷たく感じた。
それより数日も経たぬうちに、雨が降った。
「水神様」
返事は、ない。大神主様が訪れた日より二日程でその呼吸は大分安定したようであったが、しかし未だ言葉はなかった。
「水神様。雨が、降りましたよ」
人々は喜び、萎びた穀物は緑を取り戻した。感謝の言葉と精一杯の供物がこの社にも届いたが、心が晴れるはずもなく、私は昼間のうちから本殿に籠ることが多くなった。明り取りから黒く曇った空と雨粒が見える。焚いた香の残り香が鼻をくすぐる。流れた血はすでに綺麗に拭き取ってあった。昼間ではあるが、一つだけ灯した蝋燭がちらちらと風に揺れる。ぼんやりとその火を眺め、これもかと思う。
鳥居は水神様を外に出さぬため。
境内や『御神体』に水を撒くのは、水を嫌い、火を司る『禍津神』に力を与えぬため。
火を持ち込んでならないのは、その火が『禍津神』に力を与えるため。
夜に煌々と灯を灯していた社は、あれは真に水神を祀るのであろう。水神は、火を恐れない。祝詞も、香も、閂を掛ける理由も、全ては『禍津神』に力を与えないためのものに違いない。水神として祀り、火を取り上げたのだ。
「水神様……」
雨の少ないクニで、禍津神は炎を好む焔(ほむら)神様。
炎を司る神を傷つければ太陽が弱まり、日が陰る。日が陰れば、雨が降る。
ああ、そうだ。だから祀るのだ。水神として祀り上げ、傷つけるのだ。
雨が降るという結果だけを見れば、火の神も確かに『水神』足り得るのだから。
大神主様の訪れた日より七日ほど経っただろうか。その日も一日を通して雨が降り、夜になっても雨音以外は静かであった。幾分傷が癒えたらしい水神様がぽつりと言葉を発し、私は雨が降ったという旨を伝える。互いの言葉は短く、沈黙は長く居座った。
《大事なかったか》
しばらくして問われた言葉に肯定で応える。水神様は、と返すと、慣れていると素気ない返事が返ってきた。狂えなかったか、狂わなかったか、いっそ狂えた方が楽であっただろうに。そんな意味が含まれていることは重々承知していた。そして、それは私だけではなく互いに。
《昔の話よ……》
蕭々(しょうしょう)と降る雨。唐突に始まった話に、私は沈黙を持って応える。
《昔の話よ。一匹の獣があった。火を操る獣であった。どういう因果か、他よりも太陽に愛された獣であった。その獣がいるだけで雨は上がり、日が照った》
誰の話をしているかは、明確であった。やすりにかけた様な掠れた声。雨のせいか、ひやりとした風が明り取りから入ってくる。
《雨が多く、水害に悩むヒトどもはその獣を喜んだ。だが、雨の少ないクニでは、その獣は禍々しく邪悪なものであった》
雨の少ないクニでは、水神を祀る。
水を求めるために。雨を願うために。優しき神として、お祀りする。
そしてそれと同様に火の神を祀ったのだ。
祟ってくださるなと、呪ってくださるなと。畏(おそ)れと共に。
《獣を喰らう木の実があるのを知っておるか。この箱は、その実を結ぶ木より作られたものよ。火で燃えず、水を掛けても腐らず、爪も牙も通さぬ木より作られたものよ。獣はその箱に囚われた。ヒトはその獣を恐れたのだ。そして水神が雨雲をもたらさぬ時、ヒトは獣を刺した。日を照らすなと。なぜ苦しめるのかと。……獣にとってそれは自らの意志でどうこうできるものではなかったというのに。だが、その行為が思わぬことをもたらしたのだ。雨が降った。……獣が弱れば日もまた弱り、雨が来る。ヒトはそれを知り、いつしか獣は水神とされた。禍津神の水神と》
「水神様……。水神様は、それで、そこにいらっしゃるのですか」
小さな箱。それはひどく狭苦しかろう。一体何十年、爪を立て、牙を向けたのだろう。決して壊れぬ、その檻に。刃から逃れられず、血を流し、悲鳴を上げたのだろう。蝋燭の火が風に揺らぐ。蝋は随分と融け、そろそろ新しいものを出さねばならないほどの長さとなっていた。
《さてな。禍津神の空言やもしれぬ。ぬしを誑かそうとしているのやもしれぬ》
「水神様」
《外に出たいが故に、ぬしを騙そうとしているのやもしれぬ。あの若造の言うことこそが真実やもしれぬ。我は、その獣は、ヒトを憎み、水を枯らそうとしていると》
くつくつと、喉の奥で笑う。その嘲弄(ちょうろう)めいた笑声は随分と懐かしく思えた。
「水神様」
人を憎み、水を枯らそうとしていると。その言葉が本当でないなど、わからぬはずがなかった。その嘲りの声が自分から遠ざけ、人の輪から外れぬよう、私を護ろうとしたものであったと最早わからぬはずがなかった。私は誰よりもこの神の近くにいたのだから。この神がどれほど私を大切にしてくださっていたのか知っているのだから。
誰が何と言おうと、哀れと蔑もうと、構わなかった。なぜなら。
「水神様。貴方様はそのようなことはなさいません」
平伏し、面を上げ、ゆっくりと口角を吊り上げる。
「水神様。……私に笑って下さったのは、貴方様ではないですか」
雨のおかげか、今年も豊作であったという。金色の稲が美しかったと、そう人々は口々に言い、顔を綻ばせる。その日はよく晴れており、また五穀豊穣を感謝する新嘗(にいなめ)の祭りであった。
大神主様と、数名の巫女が社を巡り、感謝の祈りを捧げる。そしてまた、来年の豊穣を願うのだ。当然この社にも大神主様は訪れるはずであった。
「巫女よ」
祭の見物人は多く、昼も過ぎた頃にようやく訪れた大神主様とその巫女たちは皆、華美な衣に身を包んでいた。本殿の前で身を伏せ、その声に応じて閂を抜く。扉はゆっくりと開かれ、
大神主様の表情が凍ったのは、そのすぐ後であった。
「み、巫女よ!」
こちらを見下(みおろ)し、怒りと困惑が混ざり裏返った悲鳴をあげる姿は滑稽でさえあると思えた。追従していた巫女たちが訳も分からぬ金切り声を上げ、蜘蛛の子(イトマル)を散らすように逃げ惑う。そして私は微かな笑みさえ浮かべて、静観に徹する。
本殿の中央、『御神体』があった場所に箱はなく、代わりに一匹の獣が座していた。
《若造よ》
炎でも燃えぬという木で出来た箱は、鉄で穿(うが)てば壊れた。そして箱から出てきたのは九つの尾を持った、美しい獣であった。
「巫女よ!」
悲鳴にも近い声に私は沈黙で応える。貴方様は私を護ってくださらなかったではないかと。私を禍津神の贄にしただけではないかと。私の縋った手を振り解き、侮蔑の目を向けたではないかと。金色の獣が腰を起こし、歩を進める。老人はその分後ろへ退いた。何か起こったことに気づいた民衆が、どよめく。
数多(あまた)の傷跡を残した九つの尾がそれぞれ黄金(こがね)に波打つ。血の様に紅い瞳。それは確かに禍津神と呼ばれるに相応しい美しさであった。喩えるならば戦神(いくさがみ)。戦いの中で血を浴び、炎を纏い、全てを蹂躙させる、禍々しい美しさ。歪(いびつ)に笑う石榴(ざくろ)の瞳も、神々しいまでの金の毛皮も。それは、そういう美しさであった。
足を取られ、豪奢な衣に身を包んだ老人が倒れる。確かな恐怖を映す顔。足を動かし逃れようとするその人の胸を、山吹色に映える前足が抑え込んだ。民衆から悲鳴が聞こえる。
《若造》
前足にて自由を奪われ、彼は確かな悲鳴を上げた。傷だらけの毛並をした獣はそれに嗤う。口を裂き、牙を剥いて。
――我を逃(の)がす? して、どうするのだ、優しく、幼い巫女よ。雨を無くしても良いと言うのか?
――水神様、空言を仰らないでください。水神様が居て日が照るのなら、
《我らはここより去る。雨も、戻ろうぞ》
生暖かい吐息は、掠れた言葉でそう告げた。
――水神様が去れば、雨は戻るのでしょう?
私の言葉に、水神様は笑った。
愚かだったのは大神主様、貴方様方だったのですよ。捕えた獣を逃せば、雨もまた戻ったのに。貴方様方が報復を恐れたから。伝え聞かされたことのみを重んじたから。
そして、それだけ言うと金色の獣は小さくなって震える老人には目もくれず、道を退く民衆に微かに笑い、堂々と道を行く。私もまたその神の隣に並んだ。火の粉を散らす黄金の毛並は稲穂の様で。禍津神の名も、水神の名も、そこには不要のものであった。
ただ、神という名があれば充分であった。
鳥居を潜り、石段に足を掛け、紅(くれない)の瞳がようやく私を振り返る。朱(あか)く色づいた木の葉を背景に。未だ、鳥居を潜らぬ私を。
「水神様」
私もまた、ようやく言葉を紡ぐ。九尾の獣はそれに顔を緩めた。
《さあ、もう来るが良い。ぬしを縛るものは何もない》
越えられなかった三歩先。鳥居の向こう。それだけの距離の、こちらとあちらを隔てる門。
私はそれを、潜った。
細められた紅玉の瞳は、微笑むようで。
「良いお天気にございますね」
《ああ、真に良い天気だ》
青く澄んだ空には雲もなかった。
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