25 空を飛ぶマフォクシー リング(HP)
私は、今年で四歳になる息子を持つごく普通の母親である。なのだが、子供はごく普通の子供ではなく結構落ち着きのないやんちゃな子供である。しょっちゅうちょろちょろ動き回っては、よくトラブルを起こすような子なので、外出先では気が抜けないのだ。
そして今日は、ミアレシティのはずれ、一四番道路に面した公園にて遊んでいるうちに、どこかへと消えてしまった。私がトイレに行っている隙を見て公園を飛び出して湿原へと突っ走ってしまったらしい……よくもまぁ、そんな行動力があるものだ。
そんな息子を探すために、匂いで獲物を追跡できるトリミアンのユーリをボールから出して、湿原の中に出発する。ミアレシティの北にある湿原の中は危険がいっぱいだ。よく出現するヌオーなんかはのんびりした顔だけれど、あれでも肉食だし、スコルピなんかは言うまでもなく危険。
ウツドンだって近づくと危ないし、この辺で危険じゃないポケモンなんてヌメルゴン系統くらいか。ともかく、ポケモンに出会って事故ったり殺されていなければいいのだけれど……全く、心配は尽きない。
トリミアンは、もともとは狩猟犬として人間とともに生きてきたポケモンだから、匂いをたどるのはお手の物。息子の匂いのする物を持っていれば、それをたよりに正確に匂いを追跡してくれる、頼もしい子である。湿原の方へと分け入ってみれば、水を得た魚のようにユーリが尻尾を振って、息子がいると思しき方向へと突き進んでいく。
「でゅふでゅふ!!」
ユーリが吠える。『こっちだ』と急かすように、こちらを振り返る。
「そっちに居るのね?」
尋ねると、彼はでゅふと鳴いてこくんと頷いた。足早に突き進むうちに、彼は不穏な雰囲気を感じ取ったのか、それとも子供に呼びかけるためか。大きく吠える。その声が子供にも届いたのだろうか。
「ユーリ!! ユーリ!! 居るの!? 何処?」
そんな声が小さく帰ってきた。その声は涙声で、随分と怯えていたようである。怖い目に遭うとわかっているんだから、きちんと私と一緒に遊べば面倒じゃないのに。どうしてこんな子に育ってしまったのやらと思うと情けない。
「そこを動いちゃだめよ! マルコ!! 私達が迎えに行くから!!」
子供は、声がどちらの方向から来たのかわからないことが多い。マルコはそれが顕著なのか、後ろから声をかけても見当違いな方向に振り向くような子だ。だから、勇んで走り回ってさらに厄介なことにならにうちに釘をさす。それでも走り出してしまうことが多いからこの子は厄介なのだけれど……もう、それについては仕方がないと諦めよう。
「ママ―!! どこー!!」
ユーリと並走して声のする方向に近づいてみれば、マルコは案の定うろうろと移動している。私の話を聞いていないことは明らかだ。全く、しょうがない子ね。今、ユーリがマルコの方へと走って行ったので、さすがにもううろちょろすることはないだろう。
「ユーリ!! あ、ママも!!」
マルコがようやくユーリの方に気付き、私の姿も見て、駆け寄ってくる。素通りされたユーリは、少々不満そうにしながらこちらへ走ってきくる。ユーリは、マルコが私の手に抱かれるのを、少し離れたところから荒い息をついて見守っていた。
「うぅぅぅ……ママァ……」
マルコは私に縋り付いて泣きわめく。やれやれだわ、泣くくらいなら、こうなるとわかっているのにどうして落ち着きがないんだか。
「もう……勝手にどこか行っちゃダメっていつも言っているでしょう、マルコ?」
「ひぐっ……ごめんなさい」
鼻からずるずると鼻水が漏れるほど泣いて。マルコは謝罪するのだが。これはその場しのぎで、数日もすればまたフラフラとどこかへと行ってしまう。どう言い聞かせればいいのやら、悩ましいものである。マルコよりも、このユーリの方がずっと頭がいいのではないかと、そんな風にすら思えてくる始末だ。
マルコを見て居ると、息子ながらその馬鹿さ加減を見て思わずため息が漏れてくる。とはいえ、私にも迷子になった経験がないわけではないし、親のいいつけを守らず失敗したこともないわけではない。そんな私は……何があって親のいう事をきちんと聞くようになったんだっけ? マルコはどれだけ怒っても、叩いても無駄だし……どうすればいいのかしらね。
あぁ、そうだ……あのお話を聞かされてから、私は親のいう事を聞くようになったんだっけ。
「ねえ、マルコ。貴方、リッチウィッチって覚えている?」
もうすっかり鳴き声も収まり、ケロッとしているマルコに尋ねる。この切り替えの早さが、何度も間違いを繰り返す原因なのかもしれない。
「うん、覚えているよ!」
リッチウィッチとは、名作カートゥーンに登場する、脇役だ。いつも喧嘩したり遊んだりしているブニャットとピカチュウが主人公のカートゥーンなのだが、そのお話に十回に一回くらい登場するのがリッチウィッチという、金に汚くお金持ちの魔法使いなのだ。
「そのポケモンはテールナーっていう種類なんだけれどね。ママはね、ママのママ……つまりおばあちゃんがテールナーが大人になった姿の、マフォクシーってポケモンを持っていたんだ」
「マフォクシー?」
「うん、そうよマルコ……えーとね、こんな感じの子」
スマートフォンを起動して画像検索をすると、耳から燃えるような赤毛を生やした、魔法使いのような風貌のポケモンが現れる。胸から上はフォッコと同じ薄い黄色を呈しているが、腕と下半身を覆う保温幕は焔色。それはまるで真っ赤なスカートと、胸の空いた服を着ているかのよう。テールナーの時から変わらない黒い足は、靴を履いているようにも見える。保温幕をたくし上げると黒タイツに見えるのだが、そんな画像を見せる必要もないだろう。
画像に映っているマフォクシーは、テールナーとフォッコを抱いている光景を見せており、その一枚で進化の流れが分かるようになっている画像だ。
「昔ね、私は……母さんのマフォクシーと一緒に、空を飛んだんだ」
その画像を興味深げに見て居るマルコに向かって、私は思い出話を始める。
*
昔は、私もやんちゃな女の子。マルコほどではないけれど、良く親を困らせたものでね。まぁ、今から話すのは……一番おばあちゃんを困らせた時のお話かしら。
「どっこまでいっけるかなー」
なんて、言いながら、元気よく出発したの。いつも親と歩いている、スーパーマーケットまでの道のりにね……細い路地が見えるの。いつも隙間しか見えないその路地に、何があるのか見てみたくなったのだ。それで、とあるお休みの日に思い切って、私は路地裏の隙間に入り込んだの。ほら、マルコもいつだったかクレベースアベニューで迷子になったことがあるでしょう? え、そんなことあったっけって……そっか、マルコは通りの名前なんて知らなかったね。ほら、メェークルに寄り添ってしゃがんでいたあの時のこと。その時と同じような感じでね。
「お、コラッタ発見!!」
なんて言いながら、路地裏でゴミ漁りをしているポケモンを蹴散らしてみたり、道を覚える気もなく、ずっとずっと突き進んでいったわ。入り組んだ路地裏を抜けて、大通りを抜けたらまた次の路地裏に入ってね。大冒険をしている気分だったわ。
私は昔ね、プリズムタワーの近くに住んでいたんだけれど……遠くに行ったものでね。ブリガロンアベニューからオクタンアベニュー。オクタンアベニューからシャンデラアベニュー。シャンデラアベニューからガブリアスアベニュー。ちょうどウチがあるダンバルアベニューからクレベースアベニューまでの長さとおんなじくらいかな?
季節は、今と同じ秋だから……明るいうちはよかったんだけれどね。夜になると、どんどん寒くなるし、ひととおりも少なくなってきて、怖いお兄さんやお姉さんが多くなってくるの。マルコも、怖かったよねー? 怖いお兄さんが、マルコにいっぱい話しかけたんだっけ? ママも怖かったよー。怖くって、泣きそうになりながら逃げ回ってね。
(そう、当時は怖かった。『お嬢ちゃん大丈夫?』『おい、ママはどうした?』などと、ガラの悪そうな男女が話しかけてくるのだ。当時はそれが、私をさらおうとしている誘拐犯に見えたけれど、今はそのほとんどがきっと自分を心配してくれたのだろうというのイメージだ。関わり合うのが面倒なら、そもそも話しかける事もないだろう)
大通りに出ても、知らない道だからどうやって帰ればいいのかわからなくってね……夜になってから、風もびゅうびゅう吹いて、寒くなってきたの。それでどうしたかっていうとね……ガブリアスアベニューと、シャンデラアベニューの間にある、小さな公園のようなところにある自転車置き場の陰で、ずっとしゃがんで待っていたの。ぶるぶる震えながらね。
だから、私はずっと誰にも見つけられないまま、その頃には家が大騒ぎになっていたの。おばあちゃんは、警察に頼るのは恥ずかしいからって、おじいちゃんと一緒に私を探してね。でも、隠れている私はなかなか見つからなかった。そんな私を見つけたのはね……さっき言った、マフォクシーだったの。
もうね、そのマフォクシーはよぼよぼのおじいちゃんな年頃だったわ。いっつも眠っているような感じで、あんまり動きたがらなくって。遊びもほとんどしてくれなかったんだ。けれど、そんなマフォクシーでも、まだ鼻はすごく良かったの。自転車置き場で、しゃがんでいる私を見つけたら、そっと抱きしめて温めてくれたのよ。
パトラッシュはね、炎タイプだから。抱きしめられるととても暖かいんだよ。そう、ユーリよりもずっとね。そのマフォクシーの名前、パトラッシュって言うんだけれど、泣いている私を抱きしめて、ずっと温めてくれたの。それで、その温かさがすごく気持ちよくってね……ママ、そのまま眠っちゃったんだ。
その時ね。パトラッシュは、私を抱きしめたまま尻尾を股の間に挟んでね……そう、パトラッシュはあのアニメのテールナーみたいに、いつも腕の毛の中に隠している木の枝を尻尾に刺して、まるで箒にまたがっているかのように飛んでいったの。ママにとっては夢のようだったわ。もしかしたらね、本当に夢を見ていたのかもしれない。
お尻はね、パトラッシュの尻尾の上に乗っていたから痛くなかったわ。毛がふわふわだったから、意外と座り心地もよくってね。スピードがすごかったから、すごい風がびゅうびゅうって吹いていたけれど、パトラッシュが抱きしめていてくれたおかげでまったく寒くなかったわ。背中に、パトラッシュの毛皮がかぶさってて、お布団を被っているみたいにね。背を持たれかけると、まるでソファーのように柔らかかったの。
すごくいい景色だったわよ。いつも見上げていた街並みをね。上からすごいスピードで見下ろすんだもの。街灯や家の電気が、まるで星みたいにキラキラ輝いていて。その日見た満月も、とってもまん丸で明るく光ってた。それで、家まであっという間にたどり着いたの。本当に、あっという間……もっとずっと飛んでいたかったくらい。
地面に降りたらね。パトラッシュは、口に指をあてて『内緒だよ』って言ってウインクをしてくれたの。マフォクシーは、空を飛べることが人間に知られちゃいけないんだって。
でも、マフォクシーはね……みんな本当は空を飛べるのよ。人間が知らないだけなんだって。
*
「ねぇ、ママ。僕も町で迷子になればマフォクシーが助けてくれる?」
と、こんな話をすれば、マルコがそういう考えをすることは知っていた。目を輝かせている彼を見れば、嫌でもわかる……こんどはこれで、マフォクシーと一緒に飛びたいがためにわざと迷子になりかねないという事を。やれやれだわ。
「無理よ、マルコ。だって、マフォクシーはね……空を飛ぶのは、本当は人間の子供をさらってしまうときだけなんだよ」
ここまでは素敵な思い出話。ここから先は、マルコを脅かすことにする。
「私は、マフォクシーと仲が良かったから、家に連れて帰っただけだけれど……野山に暮らしている悪いマフォクシーは、人間の子供を魔法で人形にして、ボロボロになるまでお人形遊びをするのが大好きなのよ」
「え……」
「特にね。マフォクシーは、パパやママのいう事を聞かない、悪い子供で遊ぶのが大好きでね。お腹に穴をあけて綿を詰めて、目玉をくりぬいて、そこにガラス球を入れて、さらった子供をお人形さんにしちゃうんだ。痛いよ〜、怖いよ〜」
「え、そんなのいやだよ……どうすればいいの?」
マルコはうろたえている。怖いのね、効いてる効いてる。
「マフォクシーは、いい子を人形にするのは嫌いだからね。だからマルコがいい子になれば、きっとマフォクシーに人形にされたりはしないんじゃないかな? お人形さんになりたくなければ、ママのいう事をよく聞きなさいよ」
「う、うん……」
マルコの反応を見て、私はあの日の事をありありと思い出す。私は、マフォクシーに口止めされていたにもかかわらず、その日のうちに母親へ耳打ちして、マフォクシーと一緒に空を飛んだことを話した。その時、母親からは『マフォクシーは悪い子を人形にして、ボロボロになるまで人形遊びをするのが好きなのだ』と教えられ、ついさっき私がそうしたように『パトラッシュと仲が良くなかったらお前も人形にされていた』と脅かされた。
おまけに『あなたが持っている人形も、私のマフォクシーがどこからかさらってきた子供達なのよ』と言ってきた。のちにそれは、親戚のおばさんが作ってくれた人形だというのが分かったけれど、当時は本当に怖かったものだ。母親が、証拠だと言って見せてくれたその絵本には、きちんと空を飛ぶマフォクシーと、人形にされた悪い子が描かれていた。おそらくは、はるか昔の時代を生きた母親も、こうやって子供を脅かすために、こんな怖いお話を作ったのだろう。
きっとそういう風に物語が生まれていくのだろう。
あれっきり、パトラッシュはいつものように、のんびりと余生を過ごしているだけの日々を繰り返し、そのままほどなくして眠るように幸せそうな表情で死んでしまった。そのため、パトラッシュが本当に空を飛べたのか、今となっては真相は分からない。けれど、空を飛ぶマフォクシーは実在すると私は信じている。いろんなドラマやアニメ、映画に出てくる箒の乗った魔女も、大体が人知れずに魔法を使い、魔法を使うことなく生きている。
それらの魔女はきっとこのマフォクシーがモデルで、マフォクシーたちもきっと、人間にばれないように人知れず飛んでいるのだ。私と一緒に飛んでくれたパトラッシュは、私に対して『秘密だよ』と言っていたのだから。
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