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  [No.3609] 呪われた村 投稿者:GPS   投稿日:2015/02/21(Sat) 22:46:42   100clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

昔々、シンオウ地方の片隅に位置していた一つの村の話である。

その村は、毎年冬には厳しい寒波と豪雪に襲われ夏には激しい冷害に見舞われた。そのため作物は育ちにくく暮らすにも向かず、しかし当時は色濃く残っていた身分差別を受けていた人々が他に行く当ても無く住んでいたのだ。
僅かに採れるきのみの種は乏しく、何とか実った野菜や養蚕によって村の暮らしは支えられていた。が、そのような過酷な状況で生きる人やポケモン達の心は荒み、村には土地柄に依るものだけではない、冷えきった空気がいつだって充満していた。そこには笑顔が無く、交わされる感情は悪意だけ、聞こえる言葉は必要最低限の事務的なものばかり。たまにやってくる商人や役人は、言い知れぬ居心地の悪さと嫌悪感を覚えたと口を揃えて言った。

自分が生きるのに精一杯で、他人を憎み、嫌って過ごす者達の住まうその村。周囲の地域に住まう人々は差別意識も手伝って、『あそこは呪われた村なのだ』とまことしやかに語っていた。


さて、その村から続く道を一人の青年が歩いている。
森へと伸びる道には雑多に草が伸び、好き放題に繁る木の枝が彼の行く先を塞いでいた。薄ら寒い灰色の空は雲に覆われ太陽の光もまともに見えず、どこからともなく聞こえてくるヤミカラスの鳴き声や、むしポケモンの足音などがひたすらに不気味であった。
だが、青年はそれに尻込みする気配も見せず、目の前を遮る枝を淡々と退けながら進み続ける。時折苛立ったような舌打ちを木々の間に響かせる彼が身に纏った服は、冷えた昼下がりに着るにしては随分と薄く、所々がほつれて汚れていた。ポケモンは連れておらず、武器代わりなのか片手に握った農具の刃物の他には碌に荷物も持っていない。進むごとに暗さが増していく道はもはや森に差し掛かっていたが、草や果実を採りに来たという風体にも見えなかった。
青年の顔は険しく、暗い。進み先を睨みつけるような目元は翳っていて、この世の全てを厭っているようにさえ感じられる。青白く痩せた頬に伝う汗を拭い、口許を歪めながら歩く彼は足下の雑草をわざと踏み潰すように森へと入っていった。

「……本当にいるんだろうな」

薄暗い、道無き道をしばらく進んでいた彼が忌々しげに声を漏らす。目を凝らした視界はさらに暗さを深くして、来た道など既にわからなくなっていた。しかしそれでも、青年は引き返す素振りも見せずに舌打ち混じりに歩いていく。

その時だった。


「…………っ!!」


影になって見えない枝の間から突如飛び出してきた、数匹のゴーストに青年が顔を引きつらせる。咄嗟に振りかざした鎌はゴーストの身体を確かに捉えたが、ガス状のそれは傷一つつかず、青年を嘲笑うように揺らぐだけであった。
ケタケタと笑う鬼面に四方を取り囲まれた青年が、血色の悪い顔に冷たい汗を流す。立ち往生する彼を愉しげに見やったゴースト達があげる薄気味悪い声と、冷たい風とが頬を撫でていった。紫色の靄に浮かぶ大きな口が青年に向かって開かれ、次に来るであろう何らかの衝撃を予想した彼は思わず目を閉じる。

「何しとるんだね、こんな辺鄙な所で」

が、彼の身に痛みや異変が走ることはなかった。いつまで構えても起きない衝撃と、聞こえた声に目を開けた彼が見たのは森の奥へと慌てて逃げていくゴーストの姿と、地面に散乱する葉っぱや蔓であった。それはどれも青々と綺麗な緑色をしており、どちらかというと枯れかけたものの多い、薄く気の抜けた茶に染まった森の植物の中で違和感を醸し出していた。

「そんな棒きれ一つで森に入るだなんて、今時街の輩でもやらないよ。ポケモンもいないのかい? 随分と度胸があることだ」

呆れたような、溜息混じりの声。しわがれているようにも聞こえるようなそれはしかし、木々のざわめきにもポケモンの鳴き声にも負けないで、不思議と森の空気によく通っていた。背後からしたその声に青年が振り返ると、いつの間にそこにいたのか、声の主は「怖いもの知らずなのは褒めてやりたいがね」と肩を竦めた。
皺だらけの顔と、不敵に光る硝子玉のような瞳。腰まではありそうな長い髪は、暗い森と同化しそうな蔦色だ。それらをまとめて覆い隠している黒く分厚いマントは森の中だからこそ溶け込んでいるように見えるけれど、人里であれば酷く浮くに違いない。フードと前髪によって影を落とした目元を細めて、その老婆はふん、とひしゃげた鼻を鳴らした。
全身から不気味さを漂わせる彼女に見据えられ、目を見開いていた青年は一瞬だけ躊躇するように息を止める。が、すぐに表情を剣呑なそれに戻し、鋭い視線で以て老婆のことを睨み返した。

「お前だな。間違いない」

口を開いた青年の不躾な言葉に老婆は眉を顰める。何がだい、と尋ねた彼女に青年は苛立ったらしい、「惚けるんじゃねえ」と乱暴な足取りで老婆との距離を詰めた。

「西の森に住む魔女は、村に呪いをかけたって話だ。お前のことなんだろう、この『魔女』ってのは」

早口でまくしたてる青年は、件の村の者であった。恵まれない土壌と村人達の尋常ならぬ険悪さによって、呪われた地と揶揄される村ではその不幸は魔女のせいであると噂されていたのである。誰が言い出したのかはもうわからないが、日頃から他人を恨んでいる村人達はより一層強い憎悪を、諸悪の根源である『魔女』に向けていた。
それはある種、辛い環境下で生きなくてはならない村人達に与えられた、数少ない救済でもあったのかもしれない。村の者は皆、厳しい状況を凌ぐために『魔女』を初めとする他者への悪意を動力としていた。その一人である、青年もまた然りだ。

「お前が村に、呪いをかけたんだろ」

無遠慮に詰め寄る青年が勢いに任せて老婆の襟首を掴もうとする。しかし彼女は怯む様子も無く、呆れたような顔で何かを呟いた。と、先程ゴースト達が逃げていった際に地面に散らばっていたような、若々しい草葉が旋風を纏って青年の眼前に飛来したのである。
まるで牽制するかのような草葉の動きは、老婆によって操られたのであることは火を見るよりも明らかであった。彼女が只者では無いことを示すその事実に、だけど青年は脅える素振りも見せない。それどころか、彼女が『魔女』である裏付けが取れたとばかりに、表情に刻む確信の色を強くする。

「やっぱりお前じゃないか。こんなことが出来るなら、呪いだって使えてもおかしくない」

痩せた顔に浮かぶ、血走った目で自分を睨みつける青年に、老婆は二度目の溜息をついた。やっぱり度胸はあるね、とある種の感嘆を含んだ声でひとりごちた彼女は、「それにしたってさ」といくらか声色を明るくして言う。

「私が魔女だったとして、あんたはどうするつもりなんだい? 私を探しにここまで来たんだろ、あの『呪われた村』からさ」

憎たらしい魔女を、故郷のために倒そうとでも言うつもりかい。どこか楽しげにそう尋ねた老婆だったが、青年の返事は「いや、」と否定の意を示していた。
口元を歪めた、暗い笑みを青年は浮かべて老婆と向き合う。意外であった返答に眉を僅かに動かした老婆は、じゃあ何か、と聞き返した。ロクな武器も無く、ポケモンもいないのにこんな所まで来るならそれなりの理由があるんだろ。村を呪う代わりに救って欲しいとか、そういう類かい? そう続ける老婆の言葉を青年は鼻で笑い飛ばし、「そんなお目出度いことじゃ無い」と吐き捨てる。

「俺は呪いの力を手に入れたいんだ。今のままじゃ気が済まねぇ、あんな馬鹿げた村、まるごとぶっ潰されるくらいの呪いをかけられたって構わないからな」

だから呪いを知ってる魔女に使い方を教わりに来たんだ、と青年は話す。その台詞を老婆は黙って聞いていたが、やがて「ふん」と鼻を鳴らして青年を見上げた。雲と枝の隙間から僅かに漏れる太陽の輝きを反射して、丸い瞳が不敵に光る。

「面白い奴だね」

口の端から笑い声を漏らし、老婆は青年をまじまじと見つめた。得体の知れないその眼光を受けても尚、彼の様子は変わることなく濁った目をしてそこに立ったままである。揺らぐ気配を見せない青年から不意にくるりと背を向けて、老婆は「いいだろう」と彼に言った。

「ついてきな。教えてあげるよ、その『呪い』を」

不思議と通る声と、地に落ちた枝切れや枯葉を老婆が踏む音が混ざり合う。森のさらに奥へと歩き始めた老婆の後に続いて、青年もまた進み出した。二人分の足音はしばらく続いていたけれど、やがて冷たい風に掻き消されて聞こえなくなった。



「…………何の真似だ」

不機嫌を隠そうともせず、青年が棘に満ちた声で言う。目の前ある、湯気を立てているきのみのスープはとても美味しそうで、もう長いこと満足な食事をしていない青年の腹を刺激してはいたけれど、まだ苛立ちの方が勝っていた。

「まあ、そう怒るもんじゃないよ。ここまで遠かったろうし、腹も減ってるんだろう? いいから食べな」

スープを出した張本人である老婆は、やはり青年の剣呑な雰囲気に怯むことなく言いのける。彼女について青年が森を進んだ先にあったのは、偶然かそれとも人為的なものなのか、木が生えていない場所に建てられた小さな家だった。老婆の住居だというその場所はかなりの年季を感じさせるものだったが、青年や、青年の村の者達が暮らすそれよりも上等であると彼は思った。
着いた時には既に夜になっていて、老婆と出会った所よりもよく見える空には月が浮かんでいた。森のポケモン達も眠っているようで、優しい明かりの灯った部屋は穏やかな空気に包まれている。が、それを一気に打ち破るような勢いで、青年が木製のテーブルを強く叩いた。

「そんなことしてられるかよ!? 俺は一刻も早く、あんな腐った村を潰したくて仕方ねぇんだ。いいからさっさと呪いを教えやがれ!!」

怒鳴り声にスープが波打つ。しかし老婆には驚いた様子も無い、ただ静かな声で「そんな焦っても仕方ないさ」と言っただけだった。

「あんたは習得すんのに時間がね。かかりそうだからね。とりあえず今日はもう休みな」

「そんなこと言ったって−−すぐ出来んじゃないのか? 呪文を言ったらもう使えるもんじゃ、」

「『ありがとう』」

唐突に言われたそれに、青年は「は」と呆けたように口を開ける。そんな彼に構うことなく、涼しい顔で老婆は「だから『ありがとう』さ」と何事も無い風に続けた。

「これが『呪文』だよ。あんたが知りたがってる『呪い』のね」

そう言った老婆に、青年はせせら笑う。何言ってんだよ、と馬鹿にしたような声色は微かな怒りを含んで部屋の空気を揺らした。嘲笑であった笑いはすぐに消え失せて、苛立ったそれへと変わっていく。

「俺のことからかってんのか? それは呪文なんかじゃねえだろ、そんなの知ってるよ。誰だってわかる、常識最低限の言葉じゃねえか」

「でも、あんたは使えないじゃないか」

青年の声を、老婆の言葉が遮った。は、と眉を寄せた青年に老婆は畳み掛けるように言う。

「そうだ。あんたの言う通り、確かにこの『呪文』はみんなが知ってるようなものだ。これだけじゃない、私が教える全部がそう。誰でも知ってる『呪文』、誰でも使える『呪い』。私も、あんたも、あんたの村の奴らも誰だって出来るんだよ」

だけどね、と老婆は青年の眼をじっと見据えた。

「あんたはそれを忘れちゃってんだ。『呪文』ってのは知識だけがあっても仕方ない、自分の中にしっかり存在していないと意味が無いものなんだけどね。あんたや、あんたの村にいる奴らはそれを無くしてる。心から唱えるべきものなのに、心の中にはもう無いんだよ」

だから咄嗟に唱えられないのさ、と老婆が鼻を鳴らして言う。青年から一度視線を外した彼女が見ている窓の向こうに広がる森は、先程ゴースト達から守られた青年が、礼の一つも言わなかった場所に繋がっているだろう。黙りこくったままの青年に、老婆はさらに話を続けた。

「『呪文』は、ただ唱えればいいものじゃない。どういう力があるのかを理解して、それをふまえて心から言わないと何の役にも立たないのさ」

尚も黙ったままの青年へ、老婆が目線を戻して向き直る。それでも、という言葉を紡いだ老婆の声は湯気と溶け合うみたいに柔らかかった。

「あんたは出来るんだよ。本当は、あんたにだって使えるんだよ。今は忘れちゃってても、本当はね」

「…………俺がもし、それを使えるような奴だったら、今あんたとこんな話してるわけねぇだろ」

老婆に向けた、というよりは独り言のように青年が絞り出すように言った。それに対して老婆は何か言葉を返すこと無く、代わりに「いいから食べな」と先程の台詞を繰り返す。しばらくテーブルの上で拳を握り締めていた青年も、やがて観念したようにスプーンを手に取って食べ始めた。
よほど腹が減っていたのだろう、一口すするなり小休止も挟まず、スープを貪り食う青年の様子を老婆は黙って見ていた。食べる前に唱える『呪文』は知らないのかい、と口を挟むタイミングは、果たして逃してしまったようである。
ま、ゆっくりやっていこうじゃないか。老婆のそんな言葉を、食べるのに夢中な青年はどうやら聞いていないようだった。


「おや、おはよう」

与えられた一室、自宅のものよりも大分上等に感じられるそこで目を覚ました青年は、昨日のことは全て夢だったのではないかと寝起きの頭で考えた。しかしいつもと比べて随分と柔らかなベッドも、窓から見える森の木々も、普段ならば聞こえてくるはずの家族による耳障りな言い争いが全く無いことも、それが違うということを伝えていた。
なるほど夢では無かったようだ、と結論づけた青年は古びた階段を降りて外へと出る。家の周りに植えられた野菜や花の手入れをしていたらしい老婆を見つけた彼が、彼女から最初にかけられた言葉はそんなものであった。

「早いね、もっと寝ててもいいんだよ」

「生憎、俺にはそんな暇が無いんだ」

さっさと呪いを教えろ、と付け加えたいところではあったけれど、昨夜老婆に言われたことを思い出すとそうは言えなかった。自分にはまだ使えない、と告げられたそれを教わろうとしたところで意味が無いのは明白である、文句を言ったってどうしようもない。どこかから聞こえてくるムックルの囀り声が、青年の耳にはうるさいものとして捉えられた。
他の、例えば自分やゴーストに使われたような別の呪いを教えろと言ってみようか。そんな思いが青年の頭の中に過る。しかし彼が何か言うよりも前に、老婆が「ほら」と採ったばかりの薬草を片手に振りながら促すように口を開いた。

「そんなんじゃなくて。何か、もっと先に言うべきことがあるだろうに」

「……昨日は、ただ言うだけじゃ駄目だって話してたじゃないか」

老婆が何を言わせようとしているのかを察した青年が、胡乱な目を相手へ向ける。しかし老婆は臆することも無く、わかってないねぇ、と大袈裟に肩を竦めてみせた。

「初めは意味なんてわからなくても、呪文ってのは唱えてみないと身につかないんだよ。それにさ、この『呪文』は対になるべきものなんだ。私があんたに投げかけたんだから、あんたがそれを返してこそ、呪いはより強い効果になる」

やってみな、と老婆は青年に言う。彼は相変わらず眉を顰めた、不機嫌そうな表情を崩すこと無く保ってはいたけれども、観念したように老婆に向かって口を開けた。

「おはようございます」

「うん、おはよう」

平坦に言いながら軽く頭を下げた青年に、にっこり笑った老婆がもう一度『呪文』を唱える。顔を上げた先に見た笑顔も、今言ったばかりのその言葉も、どちらもひどく久方ぶりのものに思った青年は数秒、ぼんやりと扉の前に立ち竦んだままだった。少しの間を置いてはっと我に返った彼が、微かに緩んだ空気に「なあ」と問いかける。

「この『呪文』には、どんな効果があるってんだ?」

呪文は一つ一つ、それぞれ違う効果があるという老婆の話を青年は思い出す。ならば今口にした『呪文』は、一体どのような力を持っているというのだろうか。冗談半分ではあったけれど、疑問に思ったのもまた確かである青年のその問いに、老婆はにっと笑ってこう答えた。

「今日の世界が明るくなってしまう。今日を笑って過ごせるようになってしまう」

高く聳える木々の隙間に、木漏れ日となった日光がきらめく。昇っていく太陽の輝きは、一日の始まりを告げるものだ。その光に目を細めながら、老婆は穏やかな声で青年へと言う。

「今日一日が素敵なものになると思えて仕方なくなってしまう。そんな呪いを、相手にかけるための『呪文』なのさ」



「いただきます」

今摘み取ってきたばかりの野菜で作ったサラダと、焼き立てのパンに向かって手を合わせる老婆が『呪文』を唱える。それを真似するように合掌の形を作り、同じことを口にした青年を見やってから、フォークを手に持った老婆は言った。

「次の生命へ巡ってしまう。幸せな転生を遂げてしまう。美味しく、最後まで味わわれてしまう。そんな『呪い』さ」



「おかえり」

暖炉へくべるための枝を集めて帰ってきた青年に老婆が『呪文』を唱える。仏頂面で頷く青年から枝を受け取り、家の中に迎え入れながら老婆は言った。

「自分の暮らす場所が楽園にも思えてしまう。明日もここに帰りたい、と感じてしまう。外での疲れが吹き飛んでしまう。そんな『呪い』さ」



「ごめんよ」

梯子から足を踏み外して怪我をした青年の手当てをしながら、老婆が『呪文』を唱える。木が腐っていたのに気がつかなかったせいで、と頭を下げた彼女に、落ちたのは自分の不注意だと言おうとする青年をそっと制して老婆は言った。

「痛みも悲しみも苦しみも、寂しさだって半分になってしまう。辛いことがゆっくり溶けていってしまう。暗くなった世界が少しだけ明るくなってしまう。そんな『呪い』さ」



「ただいま」

森にきのみを取りに行っていた老婆は、夕方家に帰ってきて『呪文』を唱える。扉を開けて待っていた、沈みかけた太陽の光を浴びて赤く染まった青年にきのみの詰まったバスケットを渡しつつ、老婆は言った。

「家の中が温かくなってしまう。おいしいご飯を用意したくなってしまう。すぐにでも一緒に机を囲みたくなってしまう。そんな『呪い』さ」



「ごちそうさま」

老婆に教わりながら青年が作ったきのみのスープを、それは美味しそうに食べきった老婆が手を合わせて『呪文』を唱える。同じように両手を重ねていた青年が照れ臭そうに目を伏せたのをじっと見つめて、スプーンを置いた老婆は言った。

「次に生まれ変わる行先が、素敵なものになってしまう。料理を作ってくれた人を、思わず笑顔にしてしまう。ご飯を食べれるその幸せが、どれだけのものなのかわかってしまう。そんな『呪い』さ」



「おやすみなさい」

ある夜、暖炉の前で本を読んでいた老婆に青年が声をかけた。聞こえた『呪文』に老婆は一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに笑顔になって「おやすみ」と返す。会釈をして階段を上っていく青年の背中を眺めながら、半ば独り言のような声で老婆は楽しそうに言った。

「明日も素敵な一日になってしまう。明日が楽しみになってしょうがない。きっといい夢が見れるはず。そんな『呪い』さ」




「あんたはもう、完璧に『呪い』を使えるようになったね」

何度も太陽が昇り、何度も月が沈んだある日。老婆は青年にそう言った。数少ない荷物をまとめ、村に帰る支度を済ませた彼は「でも」と不安気に言葉を濁す。

「本当に出来るのかわからない。あの村に、『呪い』なんて通用しないんじゃないか? だって、誰も言ってるの見たこと無いんだよな……」

「大丈夫さ」

声色を暗くした青年に、老婆は明るく言い切った。硝子玉のような目が不敵に、同時に頼りがいのありようを存分に示すように光る。

「本当は、みんな使えるんだ。誰でも『呪い』の力を持ってるんだよ。それを、今は忘れてしまってるだけ。あんたは思い出させてやるだけなんだ」

だから、大丈夫。にっと笑った老婆に、青年も笑い返して「そうだよな」と言った。

「ありがとう。俺に『呪い』をおしえてくれて…………いや、」


「思い出させてくれて、ありがとう」

「あんたと過ごすのは楽しかったよ。私の方こそ、ありがとうね」


そう言い合った二人はしばし笑い合う。冷たい風が吹いているはずのそこは、揺らぐことの無い温かさに満ちていた。
名残惜しそうにしつつも、片手を上げて去っていく青年の背中が遠くなっていく。それがすっかり見えなくなってしまうまで扉の前に立っていた老婆は、綺麗な青に澄んだ空を見上げ、これが一番強い『呪い』さ、と歌うように呟いた。


「唱えられた者をどうしようもなく笑顔にしてしまう。逃げられない幸せで包んでしまう……」


蔦色をした老婆の髪が、風に煽られて外れたマントから覗いて揺れる。


「今ここにいる喜びをひたすらに感じてしまう」


そんな『呪い』さ、と頷いた老婆は、満足気に笑いながら空を見上げていた。



そして青年は村に帰った。急に姿を眩ました自分が現れたら、村人達はどんな顔をするだろうかと彼は考えていたのだが、それは無為なものであった。驚くべきことに、老婆の家でしばらく暮らしていたにも関わらず、村に戻ってみれば時間はたった半日ほどしか経っていなかったのである。
不思議なこともあるものだ、と思いながら青年は自宅の扉を開けた。出てきた時と寸分変わらない、不和な喧騒が響くそこから顔を覗かせた青年の母親は、彼が覚えている限りではいつでもそうだったように不機嫌極まりない表情で以て、青年を睨みつけていた。

「どこほっつき歩いてたんだい、あんたがサボったせいで今日の夕飯は豆だけだよ。本当、とんだ馬鹿息子だ。私の子なのか疑うね」

吐き捨てられたそんな台詞に、以前の青年であったら同じだけか、或いはそれ以上の悪意を向け返していただろう。
しかし、今は違う。

『呪い』を知った彼は、笑顔で『呪文』を唱えてみせた。


「ただいま、母さん」


息子が口にした、言うはずも無いと予想すらしていなかったその一言に母親が、いや、後ろで口論を続けていた父親や青年の兄までもが驚いて目を見開いた。その言葉は長らく誰からも聞いていないものだったし、自分もまた言っていないものだった。
忌々しいものだと、無駄なものだと思って忘れていたその『呪文』と、『呪い』。本当ならば自分にだって使えるのに、使う必要が無いと思い込んで、いつしか捨てていたものであった。


「急に出かけたりして、ごめんね」


それを取り戻した、使えるようになった青年は、『呪文』を唱え続ける。誰でも使える、誰にでもすぐに効く、誰もが知ってる、その『呪文』を。


「晩飯、作ってくれてありがとう」


青年はにっこり笑ってみせた。『呪い』を知る、『呪い』を使えるものが出来る笑顔だった。

しばらく面食らっていた青年の家族だが、どうにか母親が「……おかえりなさい」と小さな声で返した。おかえり、と父親と兄も続く。そう口にした瞬間、彼らは自分達の家の中がほっと明るくなったかのような感覚に襲われた。消えかけたランプも、薄汚れた壁や床も、ひび割れた食器や僅かな食事も変わらない。しかし、何かが確実に変わっていた。何かが、自分達を、温かく包んでいた。
青年は笑う。それにつられて、青年の家族もわけもわからずに笑ってしまう。まるで誰かに操られたように……呪いでも、かけられたかのように。


「うん、ただいま」


『呪文』が、村に響き出した。



そして、青年の家族を発端として、村には徐々に『呪い』が蔓延していった。初めのうちは『呪文』を唱えられるだけで嫌悪感を剥き出しにする者も多かったのだけど、少しずつ、少しずつ広まっていったのだ。青年から、青年の家族から、その近隣の家の村人から、やがては村中に。『呪い』は確かに、村を包んでいったのである。
それと同時に、村は段々明るくなっていった。不思議なことに、『呪い』によって変わったのは村人達の間に漂う空気だけでは無かったのだ。笑顔が村に増えていけばいくほど、作物はよく実ったし、ポケモン達は育つようになったし、厳しい寒さも以前に比べて和らいでいるようにさえ思えてきた。活気と笑みを絶やさなくなってきたその村は、周辺地域や他の街でも噂となって評判となり、訪れる商人や旅人も増えていった。

村は、随分と幸福に満ちていた。
その変わりようたるや、まるで魔法か魔術か手品か、そうでなければ……。

そんなことを、以前の村を知っている者達は楽しそうに語り合っていた。


さて、青年はあの後に、村のことを伝えるために老婆を訪ねようと思い至った。自分の家で採れた、採れるようになったきのみや野菜、特産品であるシルクのショールなどを持って、あの森の奥へと出発したのである。
しかし、そこには老婆の家など、さらには深い森すら存在していなかった。
生い茂る木々を抜けた先にあるのは、見渡す限りの花畑だったのだ。色とりどりに咲く花は、今まで青年が見たことも無いほど綺麗なもので、彼は目を奪われてしばし立ち竦んでしまった。
そんな青年の足元で、何かが揺れる気配と微かな物音がした。はっと視線を落とした青年の視界の隅に、柔らかな若草色の毛並みが揺れたように思えた。
咄嗟に追いかけようと走り出そうとして、しかし、青年は踏み出しかけた足を止める。その代わりに彼がとったのは、今ではすっかり口に馴染んだ『呪文』の詠唱だった。


「ありがとう」


そう言った青年の耳に、同じ言葉が聞こえた気がした。言い知れないほどの、幸福感と、温かさ。それを感じた彼が、先程見た若草色が老婆の髪のそれにどこか似ていることに思い至ったのは、村へと戻った後であった。


一面の花畑の中の一輪、いっとう美しいものとして彼の目に映った、紅色に咲き誇る大きな花を、青年はそっと持って帰った。村へと渡ったその花は種を残し、その種からまた花を咲かせ、やがて村いっぱいにその花びらを揺らすようになった。
今、シンオウ地方の片隅に位置するその村は観光地として有名だ。笑顔の絶えない住民と、厳寒地域特有の食べ物と、冬に出来るようになる雪遊びと。もう一つ、美しい紅の花が世界中から人気を集めている。

その花は、学術的には「グラデシア」と分類されているのだけれども、この村では少し変わった名前をつけられている。いつか昔に、村がまだ貧しかった頃にいたという村人の一人が言ったのがきっかけで、その花はこう呼ばれている。


呪われた村に咲く、『呪いの花』。


唱えられた者をどうしようもなく笑顔にしてしまう、逃げられない幸せで包んでしまう、今ここにいる喜びをひたすらに感じてしまう。

そんな、『ありがとう』の呪いを司る花は、今でもシンオウ地方の風に吹かれて優しく揺れているのだ。


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