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  [No.3635] 太陽の墓標 1 投稿者:赤猫もよよ   投稿日:2015/03/19(Thu) 00:04:10   110clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 まず、海が枯れた。気付かぬ内に人が枯れて、生物の多くは死に絶えた。世界の終焉と誰かが言った。
 なし崩しに文明も終わる。海が無ければ導くものもなく、ここアサギの灯台も役目を終えて眠りに付いた。需要が無ければ光ることも出来ず、事実上の無職宣言を私は食らってしまったのである。
 灯台守のデンリュウとしてそれなりに安定した後生を送れるはずだったのに、運命とは時として残酷なものだ。朝昼晩光ってさえいれば人間共は有難がって傅くし、食事だって不自由しなかった。だがそれは昔の話、今では昼と夜の合間を縫って一欠けの草根を死に物狂いで探す生活を送っているとなれば、私の落胆と絶望がいかほどのものであるかを想像するのは難くない。
 無論、世界が終わったからと言って嘆くことばかりではない。世界が終わっていない頃には決して出会えなかったはずの、いくつかの繋がりが出来たのだ。ピカチュウ、と名乗るそのポケモンはとても気さくで、出会って直ぐに意気投合した。私が知らない遠い場所の話や、逆に彼が知らない灯台とアサギの街のことなど、様々なことを語り合ったものだ。
 しかし、出会って三日後に彼は死んだ。
 その日からだ。なぜ私は生きているのか、生き続けているのだろうか、疑問に思うようになったのは。終わってしまった世界でなお、生へと執着しなければならない理由などない筈なのに、私は今日も生き長らえるのはどうしてなのかと。ただ機械的に日々を流すだけの私は、果たして生きていると言えるのだろうか。それとも。
 
 『太陽の墓標』
 

 ピカチュウの亡骸は、灯台の根元に埋めることにした。遺骨には意志も目も備わってないとはいえ、やはりこんな僻地に埋めてしまうのには多少なりとも心苦しさを感じたが、この殺人的な気候の中出歩くのは危険だと判断を下した。墓掘りを埋める墓は、誰も作ってなどくれないのだ――そう自分に言い聞かせることで、涙が出るのを堪えたりもした。
 本当ならば茜色の夕焼けが見られる丘の上にでも埋葬してやりたいのだが、それも行うことは出来なかった。そもそも、私達の知っている夕焼けを見ることすらも叶わなかったのだ。
 その原因は枯れた海にある。厳しく吹き付ける風が、海が干上がったことでむき出しになった地表の砂を浚い、巻き上げ、まき散らすことで空に蓋をし、陽の光を届かなくしている。かつてそこに咲いていた筈の陽だまりの花は、もう私たちの手の届かないところへ行ってしまったのだ。
 上がそうなら下も同じ。灯台のライトルームより覗いた世界、眼前に広がるぐずぐずの泥――かつて海と呼ばれていたもののなれの果て――は、腐った木の実の色に良く似ている。時折視界の隅に映る泥以外の色は、悉くがポケモンの死体だった。翌日には泥に呑み込まれて消えていた。
 今日も月の光はない。人間たちの営みの光ももうない。一寸先はおろか自身の指先さえ見えないほどの完璧な暗闇は、これからの自分の行く末を示唆しているようで気持ちが悪い。指や毛先、心臓にまで纏わりついてくる泥闇はいくら触れ合っても慣れる事はなく、この時間は私にとって酷く憂鬱なものだった。
 しかし、私はデンリュウだ。故に、頭部の球体から明かりを発することが出来る。その気になれば、この灯台から外へと光を漏らすことだって出来るのだ。だが。
 だが、それをして何になるというのだ。確かに一時の不安や寂しさは紛れるかもしれないが、それ以上の意味合いはない。寂しさを紛らわせたところで私が一匹ぼっちであることには何も変わりがないし、不安を埋めたところで次に襲ってくるのは虚無感だけだ。そんな自己安心の為にエネルギーを消費するのは、この生き辛い世界ではご法度なのだ。より長く、生き永らえる為にも。
 この終わってしまった世界の中で、私が唯一楽しみにしているのは眠ることだった。かつて職務に明け暮れていた頃は碌に眠ることも許されなかったのだから、その点に限っては今の世界の方が幸せだと言えなくもない。時間の概念も日付の概念も衰退した今は、好きなだけ起きて好きなだけ眠ることが可能だった。勿論空腹等々の生理的現象も考慮しなければいけないからずっと寝ている訳にもいかなかったが、大体一日の半分は床に就いていた筈だ。もっとも、他にやる事がないからという理由もあったが。
 しかし、その錆びついた黄金サイクルは今日を持って崩れ去った。灯台に、新たな客が訪れたのだ。
「よお」
 生の籠る声とは裏腹に、来訪者の身体はほぼ泥人形と化していた。あのどこまでも広がる泥の海を漂ってきたのだろう、被る紫紺の影帽子は泥を吸い込んでぼろぼろに煤けていた。
 私は横たえていた体を起こすと、暫くぶりの来訪者を一瞥した。黒々しい泥に浸って変色してはいるが、彼は確かにムウマージというポケモンだった。この辺りでは見ないが、一応は知っている。ライトルーム勤務だった頃にトレーナーが引き連れていたのをはっきりと覚えていた。
「おれさ、久しぶりに見たよ、生きてるやつ」
 ぽつぽつ。吐き出した言葉と共に、雫がはじける音がする。飄々と笑いのける彼の瞳には、涙が浮かんでいた。瞬きの際に零れ落ちたそれは、頬の泥をこそげ落としてコンクリの地面に叩き付けられていく。黒ずんだ涙に泥は吸い取られ、奥から覗かせた紫色の肌はまだ若々しい少年のものだった。
「なあ、聞いてくれよ。泥の中を進んでると、たまに固いものに触れるんだ」
 彼は私の傍まで近寄ると、そっとしゃがみ込んだ。
 死臭を帯びた泥の臭いと共に、ゴーストタイプ特有の冷涼感が伝わってくる。こうして誰かの温もりを感じるのが、随分と懐かしいことのような気がした。
「そいでさ、拾い上げると決まって誰かの亡骸なんだ。泥にまみれてぐちゃぐちゃだけど、形は綺麗に残っててさ。みんな苦しそうなんだよ。恨めしそうな形相で、おれの事を睨んでくるんだ。おれ何も悪いことしてないのにさ、ただ生きてるだけなのに、なんか生きてちゃいけないって言われてるみたいで」
 心の底に押し込められていた不安をを押し出すように、彼は話を続ける。絞り出すような吐息が、かちかちと震えていた。
 帽子に隠れ、その横顔から表情は窺えない。されど、彼が怯えているのは手に取るように分かった。私だって最初に死体を見たときは酷く狼狽したものだ、まだ若齢の彼がそういうものを見続ける状況に立たされなければならないというのは、想像を絶する責め苦に違いない。
「……悪かったよ。急に押し入ってきて、変な話してさ」
 魂の抜けた笑顔と共に、彼は静かに立ち上がった。未だに癒えない痛みの影を引く背中は、今にも溶けて消えてしまいそうな弱々しさがある。
 一度強い衝撃を食らった心は、それ以上何をしなくても勝手に壊れていくものだと聞いたことがある。まさしく今の彼がそうだった。これ以上野ざらしにしたらどうなるかなど、誰にだって予想は付く。
「おれ、もう行くよ。この世界で独りぼっちじゃないって分かったし、話も聞いて貰えたし、良かった」
 ――良くない。何一つとして、良い訳がない。
 私は唇を噛み締めると立ちあがり、彼の紫装束を掴む。泥水でしとどに濡れそぼった身体を伝って、哀しさの匂いが鼻をつく。
 そして私は、彼が何の脈絡もなく話し始めた理由をようやく理解した。孤独に今まで彷徨い続けてきた彼は、自分の負った痛みを吐き出せる時間を待ちわびていたのだ。そして私が、初めて見つけた、ただ一匹の――。
「お互い、死なずにいような」
 彼は、顔を背けた。ムウマージの濁った瞳は、私の身体を映さない。それでも、私には彼が助けを求めているようにしか見えなかった。只でさえ多感で脆弱な子供の心が、悲鳴を上げ続けているようにしか。
 ひび割れた心を包むように、私は彼の肩を抱いた。そうすることに抵抗はない。むしろ、そうするべきだという確信さえあった。
 その確信を裏付けるように、彼は私の腹にゆっくりと顔をうずめる。小刻みに震える彼の頭を、ゆっくりと撫でまわす。
「水場からは泥しか出ない。食べ物は遠くまで探しに行かなければまともなものがないし、泥の臭いだってひどいものだ。夜になると真っ暗だし、寝床の硬さたるや外の方が幾分かマシなぐらいだ。……もし、それでもいいのなら、ここに根を下ろすといい」
「……いいところは、ないのかよ」
「寂しくはない。お互いに」
「なんだよそれ」
 すすり泣きは止まっていた。彼は私の腹から顔を外すと、控えめに微笑む。
「サイコーじゃん」
 


 気が付くと、私はアサギの灯台の目の前に立っていた。根元の白から切っ先の蒼まで、凛と晴れ渡る青空を切り裂いて佇む白無垢はいつ見ても惚れ惚れとするような出で立ちだ。建設から今まで随分と長い時を過ごしてきたのに、素肌には傷一つさえ走っていない。いかに町の人々に愛されてきたかが良く分かるというものだ。
 アサギの砂浜の細やかな粒をまぶしたように、青空は燦然と輝きを放つ。毛先を撫でるように吹き付ける海風に合わせて、キャモメの群れが踊っていた。
「どうして」
 思わず、そんな言葉が口を付いて出た。瞼の裏に過ぎるのは終末世界の空の色。今のこことは似ても似つかぬ、退廃的なまでの黒ずみ。今までも、そしてこれからもずっと黒ずんだままだと思っていた世界が、なんと晴れているではないか。それどころか、海も元に戻っている。命と潤いに溢れた、深い深い青色に。
 居ても経ってもいられず、私は駆け出した。焼けつくような美顔の太陽に見つめられ火照る砂浜を踏み鳴らし、踝を海に突っ込む。冷たい。気持ちいい。そしてすごく、懐かしい感覚。
 足毛の内側にまで入り込んでくる波にある種のくすぐったさを覚えながら、私はしばしの間水平線を見つめた。私の愛するアサギの町がまだ存在していたことに、言葉にできないような熱が目と喉の奥からじわりと這い上がってくる。もしかしたら、あの終末世界こそが只の夢だったのかもしれない。妙にリアルな、俗に言う明晰夢とかいうやつで――
「違うよ」
 思考に、一閃。薄ぼけた闇をさらに薄めたように、それは不気味だった。
「これは、ただの夢だよ」
 ききき、と重いものを擦るような笑い声が潮風を震わせた。さざめいていた海が微かに遠ざかっていき、代わりにそれの息遣いが深く強く聞こえるようになった。それは白い砂浜を洗う潮騒よりもか細く、しかし妙に耳にこびりつくような残響を纏わせ、私の耳毛をねっとりと舐る。
 不快感に煽られて、私は糸を引かれるように振り向いた。飛び込んでくる黒い布を裂いて被ったような風体は、砂浜の白に異様なほど不釣り合いで、そこだけ切り取った別の空間を貼り付けているようであった。どんなに風が吹こうともなびく事のない白い髪の間に、夜の灯台よりももっと仄暗い黒を孕んだ瞳がぐるぐると渦巻いている。焦点をどこかに落っことしてきたのか、瞳の中は嫌に朧気だった。
「覚えておくといい。この感触を。素敵な世界を。風の声を。海の匂いを。空の青を。灯台の美しさを。そしてなにより、君が幸せを感じていたことを」
 再び、そいつは含み笑いを浮かべる。
 不意に意識が揺らめいた。大地に大きな衝撃が走り、崩れかけの土壁を蹴ったようにぼろぼろと零れ落ちていくのは海、それから空の青。空間を駆け回る亀裂に囲まれた所から、ぱっくりと裂けてとろみのある闇が噴き出して、今までそこにあった筈の世界を黒く塗りつぶしていく。
「――」
 私のところへ確かに届いた言葉が意味になる前に消えていくのと、私の意識が消えていくのと。
 どちらが早かったのかは、分からないまま、私は――。


「……おい、起きろってば」
 ゆさゆさ。ぽすぽす。
 海の底にいたような意識が、急速に引き上げられるのを感じた。目ヤニのへばり付いた重ったるい瞼を開くと、私の顔色を窺うように覗き込むムウマージの顔。
「おはよう。随分うなされてたけど、大丈夫かあんた」
「ああ、おはよう。……何でもない、変な夢を見ただけだ」
 気にしないでくれ、と私はかぶりを振った。首元に鉛が流されたような気だるさを覚えたが、別段気にすることでもないだろう。原因がこの硬い床だということはとうの昔に分かっている。
 彼との共同生活も、気が付けば二十回目の朝を迎えていた。
 しかし、上空は相変わらず砂塵の蓋に覆われているので、その時間が本当に朝なのか推し量ることは出来ない。宵闇が去って、微かに自分の掌が見えるようになってきた頃を、私達は便宜上“朝”と呼んでいるだけだ。
「そうか。いや、変な汗かいてるようだったから心配でさ」
「そんなに酷かったのか」
「そりゃもう。“ゆめくい”で覗いてやろうかと思ったけど、面倒だからやめた。あれ結構疲れんだぜ」
 ムウマージが本気で心配していたところを見るに、どうやら私は相当うなされていたらしい。どんな夢かはもう覚えていないけれど、確かに胸中には何か苦々しいしこりが留まっているような気がした。一体どんな夢を見ていたのだろうか。少なくとも良くない夢であることは確かだ。
「そんな顔すんなって、所詮夢は夢なんだし。ほらメシ食おーぜ、今日は木の実を見つけたんだ。一個だけだけど」
 ぶゆぶゆに萎びた木の実を器用な手つきで半分に割ると、彼は私の前に大きい方を差し出した。お世辞にも食指が進む見た目とは言えないが、食べられてしかも味があるだけマシなものだ。
「……なあ」
 噛む度に口に溢れる不快感と甘苦さは、なんというか、なんというか。とりあえず食に対する冒涜だと感じた以外には、特に語るべきではない。胸一杯に広がる生理的嫌悪感を語るには、奇麗な言葉では足りなさすぎる。ムウマージが何か言いたげに眉根を寄せていたので、私は沈黙を促すように首を振った。
「何も言うな」
「でも」
「いいから」
 “味に関してとやかく言うな、食えればいい”という意を込めて睨みつける。そいつが伝わったのか単に私の形相が続きを言うのを思いとどませたのかは知らないが、不服そうに口を尖らせながら彼は黙った。途端に広がる気まずい雰囲気を払拭するべく、私は立ち上がる。呼応して、ムウマージの影帽子の鍔が、くいっと跳ね上がった。
「え、もうやんの」
「ああ。よくよく考えたんだが、夜より昼の方が不特定多数の目につきやすい」
「不特定はともかくさ、多数って呼べるほど生きてる奴が居るのかどーか」
 いまいち洒落になっていない言葉を無視しつつ、私は階段を登る。もういない人間サイズに調整されているために、短い脚では結構な負担だった。ぜえはあと切れる息の隣をふよふよとなびく布のように通り越していくムウマージが、無性に恨めしくて腹立たしい。
 目指すのはライトルーム。
 まだ灯台が生きていた頃、私はあそこで、海へ向けて光を放っていた。その当時は嫌で嫌で面倒でしかたなかったものだが、無ければないで寂しいものだと感じたのはムウマージと出会って三回目の朝だったように記憶している。そのことを漏らすと、ムウマージはいかにも名案だというように顔を綻ばせ、私にこう告げた。“標になってくれ”と。
 つまり、こういうことだった。数多く生息していたデンリュウの中でも、曾祖母アカリより繋がる私達の血筋は特に発光器官が発達している。かつては海を統治する管制塔としての働きを担っていたその光を、今度は陸に向けて放ち、まだ見ぬ生存者達がこの灯台へ集う切っ掛け――標となってほしい、と。

 私としても、それは名案に思えた。というか実際、名案だった。私の退屈やフラストレーションはそれによって解消されるし、まだ生存者がいるかどうか確認するためにも、最良の行動だ。だが、あえて一つ、欠点を上げるとすれば――とても、困憊するということだ。
 よくよく考えれば当たり前だ。発光に費やす電力は自身の肉体を動かすエネルギーと直結している訳で、私の今の行為は自ら自分の体力を削ることによって成立している。疲れない訳がなかった。
 しかし、なにかしていないとどんどん鬱屈していくのもまた事実。打ち込めることがあるだけ、まだマシだと思いたい。
「よ、遅かったな」
 様々な意味で疲れ知らずなムウマージのにたり笑みを通り越して、私はライトルームの中央に立つ。深く息を吸い、尾っぽと額の球に力を込めると、しならせた細鞭のような破裂音を立てて電気の糸屑が纏わり出した。耳先からつま先まで、ありとあらゆる箇所の毛が一斉に逆立つこの瞬間が、とても楽しい。
「すっげ……かみなり雲みてえ」
 感嘆とも畏怖ともつかぬ彼の声は、跳ね上がっていく電圧と騒音に呑まれて聞こえなくなっていった。渦巻く雷撃の奔流の中央は、一周した爆音波が静寂へと姿を変える。台風の中心部も、きっと今のような空間が展開されている筈だ。
 視界を走るは絹糸。流星の様に渦巻き、踊り、輝くのは電気の飛沫。ああ――なんて、楽しいんだ。
 身体中を震わせる愉快さを噛み締めて、私はさらに電力を上げていく。
 眩いばかりの閃光は、くすみ切った空のどこまで届くのだろうか。
 そんなことを思いながら、私は、迸る。
 



「正直になりなって。楽しいんだろ、放電」
「そんなことはない。断じて」
 ムウマージから繰り出される毎度恒例の問いを、私は毎度恒例に突っぱねる。そんな様子を見て、オーダイルとレディアン、オオタチは微かな苦笑を浮かべた。
 
 オーダイル率いる彼らと私たちが出会ったのは一昨日、或いは彼と迎える二十二回目の朝だった。放たれた光を見つけて、泥の海を掻き分けここまで来たというのだから、私の消費した時間とカロリーは無駄ではなかったようだ。そういう事を気にする性分ゆえに、今までずっとやきもきしていたのだが、これで私の行動が理に適っているものだと証明できたのである。一安心。
「おい、オオタチ。身体はもういいのか」
「うん、もう平気。オーダイルさんこそ、疲れてるでしょ」
「ばっきゃろー。ガキは自分の心配だけしてりゃいいんだ」
 何ともまあ、仲睦まじい事である。そこだけ向日葵の花畑もかくやと甘ったるく朗らかな空気が広がっていた。
 レディアンの話を聞くに、彼ら三匹の関係は私とムウマージとの関係とよく似ていた。終末世界の泥の海を進んでいたところを、偶々出会ってそれからはずっと共に行動しているという話だ。なんでも、小柄なオオタチを泥から庇うように、オーダイルが背中に乗せて運んでいたら妙に懐いてしまったとか。まるで年の離れた兄弟のよう、とはレディアンの言である。
「ところで、オーダイル」なおも浸食を続けるおひさまぽかぽかワールドに太刀を切り込むのは中々苦しい事だったが、どうにか私は成し遂げた。オオタチを振り回して遊んでいた手を止めると、オーダイルは静かに私の方を向いた。海面から急に深海付近に引きずり込まれたかのように、取り巻く空気がとても息苦しいものに変わる。なんだか、酷く罪悪感。
「そろそろ聞かせて貰ってもいいか。オオタチもだいぶ良くなってきたようだし」
「ああ、いいぜ。っても、大部分はレディアンに頼ることになっちまいそうだけど」
 覚えとくのは苦手なんだよ、と彼は苦々しく頭を掻く。
「構わないよ。その時はレディアンにお願いする」
「ええ、任せてください」
 急に話の空気が変わって、オオタチが困惑していた。私はムウマージの方ににちらりと意識を傾ける。既に依頼が飛んでくることは察知していたのか、彼とは即座に目が合った。“後でたっぷり聞かせろよ”とでも言いたげに頬を釣り上げると、影帽子が微かに揺らんだ。
「オオタチ君。ちょっと、向こうで遊んでよっか」
「え、いや、あの」
 幽霊という特性を生かして無音で近づくと、ムウマージは背後からオオタチを抱きかかえた。飄々と抱きかかえられるあたり、意外と力持ちだ。少し見直した。
 しかし、ムウマージがオオタチを抱えるこの絵面は、人によっては幽世住まいの霊がいたいけな少年を向こうの世界へ連れて行こうとしているようにも見える。というか、ある意味、根本的なところでは何も間違ってはいなかった。ムウマージに言ったら“レイテキジンケンのソンガイだ!”などとどこで覚えたのかも分からぬ呪文を連呼されるのは経験上知っていたので、内緒。
 ムウマージ達が去るのを見届けた後、私達は重苦しい空気を噛み締めながら話し合いを始めることとなった。議題は勿論、終末世界の有様についてだ。面子のどことなく底暗い表情を見るに、議論の行く末はもう決まっているようなものだったが、そのことについて触れてはならないことは既に暗黙の了解済みだった。
「……じゃあ、オレから行くぜ」
 埃を被った空気に負けじと、オーダイルがひび割れた声を張る。本人は明快なつもりなのだろうが、言葉尻に微かに滲み出る諦念の意は消えそうもなかった。土台無理な話だ。
「この灯台を中心として、俺たちは右の方から来た」
「レディアン」
「東から、ですね。太陽が出ていないので曖昧ですが、地理的に考えるとそうなります」
「……もうレディアンが話せよ」
 はあ、と口を尖らせるもレディアンはどこ吹く風。面倒なことは極力押し付ける、というのが彼女のポリシーだと聞いた時には脱力したものだが、実際にその現場を目撃するとまた脱力してしまいそうになる。いったいなんなんだ、このレディアン。
「話を戻してくれ」
「ああ、分かったよ。少なくとも、オレが見てきた中で泥に覆われていたのは低地部分だ。東の方は低地が多かったから、泥も多かった。ついでに言うと、泥に呑まれた死骸もな」
「私は飛べるので良かったのですが、オオタチくんとオーダイルさんは大変そうでした。このオーダイルさんでさえ沈んでしまいそうになったことが何度か」
「あの時ばかりはみずタイプに生まれて良かったと思ったね。じゃなきゃオレもオオタチもここにはいない」
 シニカルチックな笑みの端に力はなく、楽観的な口調の奥底は恐怖に怯えていた。灯台に引き籠っていた私とて何度か死の恐怖に直面したことがあるので、オーダイルの恐怖は手に取るように伝わってきた。擦りつけようのない不安に、胃の奥が微かに痛む。
「そういえば、オオタチの体調は大丈夫なのか」
「本人はすこぶる好調だって言ってる」
「そんな訳がないだろう」
「ああ、オレもそう思ってる。あの痩せ方は異常だ」
 向こうの隅でムウマージと戯れているオオタチを見やる。種族特有の寸胴体型は日陰に伸びた植物の様に頼りなく、力を入れたら根元からへし折れてしまいそうに華奢だった。肉という肉がこそげ落ちて、薄汚れた身体に病的な窪みをいくつも拵えている。
「理由は」
「栄養失調」
 だろうな、と思った。
 成体の我々と違いオオタチはまだ子供、栄養状態の良くない状況が続いた為に発育も止まってしまっている――と、彼は考えたのだろう。筋も通っていたし、理解出来なくはない。だが。
「本当に、そうなんだろうか」
「ん?」
「いいや、何でもない」
 憶測だけで物事を言うのは憚られた。というか、単純に言葉にしたくなかったのだ。考えうる限り、最悪の可能性。
 思考の末はみ出てしまった声の末端を握り潰すように、ひび割れた喉から咳払いを一つ。
「じゃあ、次は私から。と言っても私は灯台からあまり遠くに出たことがない。これはムウマージから聞いた話なんだが――……」
 その日の私は、自分でも驚くほどに饒舌だった。
 それはつまり、雑草の様に芽吹く不安の種を、目に入れないようにする為か――或いは。
 


オオタチが倒れたのはその日の夜のことだった。突然ぐったりと仰向けになったまま、彼は動かなくなった。身体は強張ったように固く、尻尾の先からは熱が奪われて冷たくなった。
 鼻に手を当てると微かに息が通っていたので呼吸はしているようだが、時折不規則に乱れたり止まったりすることがある。もしかしたら呼吸器が弱っているのかもしれない、とレディアンは私に告げた。医療的な措置が受けられないこの世界では、それはつまり、死亡宣告でしかない。
 暫くオオタチの看病に努める、というレディアンを見送った後、私は光のないライトルームに佇んでいた。窓の外は夜の帳が下りたように真っ黒で、腐敗しきったこの世界の行く末を暗示しているようであった。一寸先は闇、それも、悪い意味での。
 一人きりになると、涙が止まらなくなった。オオタチのこともそうだが、何より、私達がいずれ彼と同じ道を通るという事が堪らなく怖かった。孤独になる事が怖いのか、痛いのが怖いのか、単純に死ぬという事実が怖いのか、そういう事を考える内に、考えること自体が怖くなっていく。やめようと思っても、一度こびり付いた恐怖は簡単に振り払うことは出来ない。
 ふと、首筋に何かひやりとした感覚が訪れた。振り向くと、ムウマージが浮かんでいた。
「ムウマージか。オーダイルは」
「大分参ってるみたいだ。おれに掴みかかってきたから気絶させといた。その方がいいだろ」
「荒っぽいな」
「おれだってパニクってたんだよ。後で謝っとく」
 彼は私を一瞥した後、傍に腰を下ろした。ここ最近色々と忙しかったせいか、ムウマージと二人っきりになるのは随分と遠い日の事だったように感じられた。彼から伝わってくる無機質な冷たさが、今はとても心地いい。
「泣いてたんだろ。目、赤いぞ」
 伸びてきた手が、私の目を優しく擦った。
「オオタチのことか」
「当たらずとも遠からず、だ」
 私は重い溜息を吐いた。もし空気が可視化できるのならば、その息はとても濁った色をしているに違いない。
「オオタチのあの姿を見て、なんか実感したんだ。死ぬって、案外近いことなんだって」
「それで、怖くなって泣いてたってか。あんたらしくないな」
「私だって怖くなる時ぐらいあるさ」
「それもそうか」
彼はわざとらしく微笑んでみせ、そしてふと真剣な表情を浮かべた。
「……でもさ、デンリュウ。おれ、こうも思うんだ。死ぬこととか生きる事自体には大した意味がなくて、真に問題にするべきなのはその間のことなんだって」
「……ムウマージ?」
 金色に輝く瞳が、窓の外を通り越して、何億光年も離れた遠い場所を見つめていた。横目で見た彼の横顔は妙に大人びていて、凛々しくもどこか郷愁的な哀しみを孕んでいる。
「急にどうしたんだ」
「いや、何か言ってみたかっただけさ。たまには、らしくないことを言ってみたくなるじゃん」
「なんだそれ」
 急に子供っぽくなったムウマージの姿を見ていると、なんだか笑いがこみあげてきた。いつの間にか、抱いていた恐怖の感情はどこかへ消えてしまっている。重苦しい雲に覆われていた筈の胸が、たちまちの内に晴れ空へと変わる。
「あ。デンリュウが笑ったの、おれ初めて見たかも」
「ああ、私も久しぶりに笑ったよ。キミが居てくれてよかった」
「よせよ。照れるって」
 私と視線を合わせないよう萎びた影帽子を深くかぶり直して、焦げるぐらいに頬を赤らめて、彼はぽつぽつと呟いた。
「おれも、デンリュウが居てくれてよかったよ。じゃなきゃ、生きようと思えなかった」
 奇妙なむず痒さに伏した瞼の裏には、出会った当時の私たちの姿が映っているのだろうか。こっ恥ずかしさで矮小に縮こまった彼を見ていると、なんだか穏やかな気持ちになれた。
「私もだよ」
 そっと彼の頭を撫で、瞳を閉じた。かつての邂逅に思いを馳せる。寂しさと孤独に飲まれそうだった彼を匿った――というのは形ばかりで、誰かと居ることに最も飢えていたのは誰でもなく私なのだ。ムウマージが居なかったら、私は誰とも出会うことなく、寂しさの中で一匹死んでいただろう。例えば、今こうしていられるのも。
「お前が居てくれたから、だよな」
「ん?」
「いいや、何でもないよ」
 ゆっくりと首を振って、私は床に寝転んだ。暗い天井のひび割れた部分から、暖かな闇が顔を覗かせている。静寂と孤独の象徴である筈のそれは、なぜだか陽だまりの様な優しさを孕んでいた。
 私は粘っこい唾を呑んだ。そろそろ、私も覚悟しなければならないな、と思った。あれ程までに恐怖を抱いていた闇が、ムウマージが傍にいる時だけは怖くないのだ。それはつまり、ムウマージという存在が、私の中で大きなものに変わりつつあるということを意味している。だが、ムウマージだって、私だっていつかは死んでしまうのだ。もし、私より先にムウマージが死んでしまったら? 私は耐えられるのか? 一生埋まる事のない傷を抱えて過ごしていくなんて、私には重すぎるのだ。
 恐ろしい何かに追われるように瞳を閉じた。瞼の裏に広がる幾何学模様。腫れぼったい目が、急に鋭い頭痛を運んできた。
「なあ、デンリュウ。……もう寝ちまったのか?」
 まだ起きていたけれど、私は返事をしなかった。今返事をすると、私の中で守り続けてきた強がりが、音を立てて崩れてしまいそうだったからだ。
「まあいいや。おれ、さっき難しい事言ったけど、あれ気にしなくてもいいからな。デンリュウもおれも、今生きていることを楽しめれば、多分それでいいんだと思う。……それじゃおやすみ、デンリュウ」


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